青空文庫作業マニュアル【本という財産とどう向き合うか】

青空文庫形式のテキストファイルを作るためのマニュアルです。

青空文庫では、いろいろな人が書き表したさまざまな作品を、コンピューターで扱えるファイルの形に整え、インターネットを通して読めるようにしようと考えています。

それぞれの作品には、書いた人の考えや思いが込められているはずです。作者にとって、表現は自らの分身でしょう。

そんな作品の一つ一つを、私たちは大切に扱っていきたいと思います。

資料としての価値や証言としての意味など、作品を収録する意欲を育てるいくつかの動機の中でももっとも大きなものは、内容への共感と作者への尊敬でしょう。加えて私たちには、自分自身を大切に扱ってもらいたいという願いがあります。その思いはひるがえって、人にもていねいに向き合おうとする姿勢を、手繰り寄せるでしょう。

青空文庫にかかわろうとする人は誰も、「大切に」と思う気持ちを共有できるはずです。

では、具体的にどのような点に注意し、どのように振る舞えば、作品を大切に扱うことができるのでしょう。

こう考えを進めていくとき、私たちは著作権という存在に向き合います。

著作権とは、作品を生みだした人に認められている特別の権利です。その内容を理解し、作者の権利を侵さないよう努めることこそ、「作品を大切に扱う」ということの具体的な中味です。

法律用語で規定されたなじみのない概念に踏み込むことには、ためらいが生じるかも知れません。けれど、作品の電子化と公開にかかわろうとするのなら、最低限の知識を身につけておくことはやはり必要です。

正確に分かりやすく書くことを、心がけたいと思います。

皆さんもどうぞ、ゆっくり内容を確認しながら読み進んで下さい。

1)作品を生みだした人が持つ権利

あらためて書きましょう。

著作権とは、作品を生みだした人(著作者)が持っている特別の権利です。

大きく分ければ著作者は、〈使い方〉と〈内容〉に関する二つの権利を、著作権法という法律によって認められています。

2)使い方に関する権利

一つ目の〈使い方〉に関する権利とは、「作品(著作物)を利用するか、しないか」、他人に「利用させるか、させないか」決める資格を指しています。

この資格を認められているのですから、著作者は自分の作品をどのように使うか、あるいは使わないか、自由に決められます。

裏返して言えば、他人の著作物を誰かが勝手に使うことは、ごく一部の例外をのぞいて許されません。

ただしこの権利は、他人に売り渡すことができますから、譲渡された場合、〈使い方〉を決める資格は、買い取った人に移ります。

著作権法は、著作物の実際の〈使い方〉について、さまざまな例を上げています。

その中で、青空文庫に直接かかわるものは、作品の複製を作ることと、ネットワークで作品を送れるように、準備を整えることです。

複製を作るか作らないか、ネットワークで送れるようにするかしないか、また他人にそうさせるか否かは、著作権を持つ人(著作権者)だけが決められます。

それ以外の人が無断でそうすることは、許されません。

たとえ「素晴らしい作品をたくさんの人に読んでもらいたい」といった善意から発したとしても、無断利用は著作権法に違反します。

では、先人たちはなぜ、利用の意思決定から他者を厳しく排除する、こうした取り決めをおこなったのでしょう。

そこには、「書くという行為を一人立ちさせたい」という願いが込められていました。

■書く行為の一人立ちと著作権

著作物は、お金儲けの材料として使えます。

言葉による作品であれば、本を作って売るといった形です。

〈使い方〉に関する権利は譲渡できますから、その際に対価を受け取ることも可能です。自分の作品を他人に使わせる条件として、金銭の支払いを求めてもかまいません。

つまり〈使い方〉を自分で決められるということは、作品を利用して儲ける機会を著作者に与えるのです。

〈使い方〉に関する権利が、法律用語で〈財産権〉と呼ばれるのはこのためです。

自分の著作物を利用して儲ける権利を独占できることは、作者が生活を成り立たせる拠り所になります。

もしこの権利が認められなければ、何にも縛られずに自由に書いたり、書くことに専念したりすることは難しくなるでしょう。

結果的に、国家や特定の団体、有力な個人などに生活を支えられ、表現に支援者へのおもねりが混じりかねません。

そうした書き方を避け得たとしても、生活に追われれば、書くことは後回しにせざるを得なくなり、文化の創造にはブレーキがかかるでしょう。

書くという行為を自立的に成り立たせる上で、作品を利用して儲ける権利を著作者に独占させることは、とても大きな役割を果たしています。こうした権利を法律で保証することは、文化創造の歯車を回すエンジンに、燃料を与え続けると約束することに他なりません。

作品を生み出す人が生きているあいだ、独占的に認められた儲ける権利は、作者の生活を支えます。

では、作者が死んでしまった後、この権利はどう扱えばよいのでしょう。

日本の著作権法はこの問いに、2018(平成30)年末までは「著作者の死後も50年間は権利を認める」という答えを出していました(現在は死後70年)。

著作者が死亡すると、権利はたいていの場合、相続によって家族が引き継ぎます。加えて著作権を買い取った者が、権利をそのまま保有し続ける場合もあります。

つまり、相続または譲渡によって権利を引き継いだ者は、作者の死後もその保護期間のあいだ、〈使い方〉を独占的に決められるのです。

このかつての著作権法で認められていた「死後50年」という規定は、著作権に関する国際的な約束に基づいています。

著作権は、一国内の取り決めだけで保護しきれるものではありません。もしも外国では制限なしに利用できるのであれば、著作者が儲ける権利はやはり脅かされてしまいます。

そこで世界の多くの国々は、ベルヌ条約や万国著作権条約といった国際的な約束を取り交わし、国境の外で権利保護が水漏れを起こすことを防いでいます。

両条約では共に、著作権の保護期間は著作者の死後50年まで(もしくはそれ以上)と定められており、双方に加盟している日本の著作権法も、これにならっているのです。

日本国民の著作物は、この定めに従って2018(平成30)年末までは著作者の死後50年間保護されていました。

加えて、条約により、日本が保護の義務を負う外国の著作物も、同じ保護期間を経るまでは、自由に使うことができません。さらに第二次世界大戦の連合国各国の著作物に関しては、条約上保護すべきであったにもかかわらずその扱いを怠ったとされる期間分をプラスする、「戦時加算」の仕組みが適用されます。(3794日を加算:イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、パキスタン、フランス(仏領ポリネシア)、アメリカ、スリランカ、3816日:ブラジル、3844日:オランダ、3846日:ノルウェー、3910日:ベルギー、3929日:南アフリカ、4180日:ギリシャ、4413日:レバノン)

著作者の死後の権利保護に関するこの規定を、長すぎると考えるか、短すぎると考えるか、あるいは妥当であるとするかは、文化の創造と共有という二つの課題のあいだで、どうバランスを取るかという判断にかかわってきます。

■インターネット体験と保護期間

作品で儲ける権利を独占的に認められているとはいえ、書く人の大半は経済的にあまり恵まれないのが現実でしょう。物心両面で配偶者に支えられる書き手を、私たちはたくさん知っています。

配偶者が権利を引き継げるようにしておくことには、たいていの場合、充分な正当性があるはずです。

また、保護の期間を長めに設定しておけば、譲渡する際に、権利の値段を高くできるかも知れません。

けれどもう一方で、死んだ書き手は二度と作品を生み出さず、燃料を注ぎ込んだとしても、エンジンはもう回らないのも事実です。

ならば、誰かが複製を作ったり、ネットワークで送信できるようにすることを阻んでも、文化の創造には寄与しない。むしろ制限はより早く解除して、たくさんの人が、ただ、もしくはできるだけ安い値段で作品を読めるようにした方がよいという考え方も成り立つでしょう。

私たちは、たくさんの文化的な成果を無料で使っています。

日本語にしろ英語にしろ、言葉はただで使えます。

科学的な真理に基づいて新しい考えを組み立てたり、物事を分析したりする際も、知識を利用すること自体には、対価を求められません。

真理を自由に分かち合い、たくさんの考えに触れ、自分と他人を引き比べて確かめられるよう体制を整えることは、これも大切な課題です。

インターネットという新しい仕組みは、いろいろな可能性を持っているでしょう。その中でも、いち早く明らかになったのは、知識や知恵の共用を目指すとき、この基盤が発揮する大きな力です。

誰かが示したものを、世界中から、たやすく瞬時に参照できるこの道具を手にした後も、創造と共有に関する従来通りのバランス感覚を保ちつづけようとすれば、インターネットという仕組みはむしろ、著作権に対する脅威と感じられるでしょう。

一方、インターネットの力を十二分に活用しながら、著作者を支える異なった仕組みを模索し、創造と共有の新しい均衡点を求める態度があり得るでしょう。

これまでの著作権意識を守ろうとするのか。新しい場で、新しい合意の形成を目指すのか。目指すとすれば、どこでバランスをとるのか。

その答えもまた、私たちは皆さんと共に、青空文庫の活動を通して模索していきたいと思います。

3)内容に関する権利

〈使い方〉に関する権利に加えて、著作者はもう一つ「何をどのように書くか」をすべて、完全に自分で決められるという、〈内容〉に関する権利を認められています。

青空文庫が取り扱う言葉の作品に即して言えば、作者以外の者には、原則としてたった一つの文字、たった一つの句読点であっても、変更したり削ったりすることはできません。

作者が付けたタイトルも、他人には勝手に変えられません。

著作権法では、〈内容〉に関するこの権利を〈使い方〉に関するものと特に区別して、著作者人格権と呼んでいます。

表現やタイトルを、自分の意志に反して誰かに勝手に変えさせない権利(同一性保持権)に加え、発表するかしないかを決める権利(公表権)、作者の名前を出すか出さないかを決める権利(氏名表示権)を、日本の法律は著作者人格権として認めています。

財産権としての著作権は、作者の死後50年間保護されます(2018(平成30)年末まで著作権の存続していた作品については死後70年)。

では、著作者人格権は、どうなのでしょう。ある期間を過ぎれば、作品を自由に書き換えたり削ったりできるようになるのでしょうか。

そうではありません。

著作者が死んで何年たとうが、内容に手を加えることはできません。

著作権は売り渡すことができますが、著作者人格権は作者だけに帰属します。たとえ著作権を買い取った人でも、内容に変更を加えることは許されません。

以上が、著作権法によって著作者に認められている二種類の権利の大枠です。

著作者の死後一定の年限を過ぎるまでは、著作権者の了解がない限り、ネットワークを介して作品を読めるようには仕立てられないこと。

原則的に作者の了解なしには、作品の内容を一字一句書き換えられないこと。

以上の二点を、固く胸に刻んで下さい。

青空文庫では、二種類の作品を電子化し、公開していきたいと考えています。

一つ目は、著作権の切れた作品です。

文庫には二つ目に、著作権の所有者が公開に同意した作品を集めていきます。

この内、著作権の生きている作品の取り扱いには、特に注意が必要です。たとえ絶版になっていて手に入りにくいといった事情があったとしても、公開に対する著作権者の同意がえられていない作品は、収録できません。

著作権の切れたものと、著作権者の同意の得られたものの中から、実際に入力する作品を選びます。

どんな作品を共有の財産として残したいのか、自分に問いかけてみることが、作品選びの第一歩です。

1)著作権の切れている作品

著作権法の改正された2018(平成30)年末までに保護期間の満了している作品が、青空文庫で新規入力対象となる作品です。著者の没年を基準とすると、1967(昭和42)年以前に亡くなった方の作品であれば、著作権が切れていることになります。

(なお著作権法第五十七条には、保護期間を「著作者が死亡した日又は著作物が公表され若しくは創作された日のそれぞれ属する年の翌年から起算する」とありますので、1967(昭和42)年内を起点とする場合には、翌1968(昭和43)年元旦から計算が始まり2018(平成30)年元旦に保護期間が終了します。しかし1968(昭和43)年内を計算基準とする場合は、2019(平成31)年が来る前に著作権法が改正されて保護期間が延長されましたので、満了のタイミングは20年先の2039年となります)

著作権の保護期間を終えている作家名を、参考資料1「著作権が消滅した作家一覧」にまとめました。文学という特定分野の、限られた書き手を集めたものですが、入力候補を選ぶ最初の手がかりとして利用してください。

保護期間を終えた作家の作品名を思い描くことができたら、今度は、誰かがすでに入力に取りかかっていないか、作業が終わって公開されていないかを、確認しましょう。

青空文庫の「総合インデックス」で、「公開中の作品」「作業中の作品」の双方をあたってみてください。

候補として思い浮かべた作品が、すでに公開されていたり、作業が始まっていたりする場合、原則としては、同じ文字づかいでの重複入力は避けています。

ただし、先行しているものと内容に異なりがあれば、同じ文字づかいでもかまいません。

異なった文字づかいなら、重複に対する制限はありません。

もともとは旧漢字、旧かなづかいで書かれた作品が、新しい簡略化された漢字と新かなづかいにあらためられていた場合、「本来の作品の姿が忠実に反映されていない」と感じる人がいるはずです。

逆に旧漢字、旧かなづかいのテキストを前にして、「これではとても読めない」と感じる人もいるでしょう。

こうした事情を考慮して、青空文庫では、もともと旧漢字、旧かなづかいで書かれた作品に関しては、もとの姿のままのものに加えて、新字、新かなづかいに書き替えたもの、加えて、漢字だけを新字に書きあらためたものと、異なった文字づかいによるテキストの登録を併行して行っています。

冒頭の「著作権とはなんだろう」のまとめで、「原則的に作者の了解なしには、著作物の内容を一字一句書き換えられない」と書きました。

ただし、同一性の保持に関する著作権法の規定には、例外が示されています。旧漢字、旧かなづかいを、現在広く使われている常用漢字と現代かなづかいにあらためることは、数少ない例外の一つです。(この点について、詳しくは次の「3 底本を選ぶ」で説明します。)

翻訳された作品を候補として検討する際は、「はじめに 著作権とはなんだろう」の「2)使い方に関する権利」で述べた、原著者の著作権に対して、「戦時加算」が適用される場合があるので注意してください。

原著者の保護期間は過ぎていたとしても、翻訳者の著作権が生きているかもしれません。

著作権法は、翻訳という作業を創作行為と位置づけ、それ自体に独立した著作権を認めています。

翻訳者の権利も、同じく死後一定の年限存続します。

2)著作権の切れていない作品

作者が存命の場合、あるいは死亡していたとしても2018(平成30)年末までに死後50年が過ぎていなければ、著作権が存続しています。

権利が生きているとはつまり、これを支えに暮らす人、支えとしたいと願う人が、確実に存在するということです。

そうした人たちに「作品を公開させて欲しい」と願い出ることには、彼らの暮らしや願いを脅かす要素が否応なく紛れ込んでしまいます。

みなさんの自発的な意志を頼んで作業を進めることは、青空文庫にとって健全なあり方でしょう。

しかし著作権者への公開要請に関しては、これが裏目に出る危険を覚悟しなければなりません。

一人一人はていねいに依頼し、断られた際の見切りも素早かったとしても、異なった人から要請が繰り返されれば、著作権者は強い不安を覚えるはずです。

私たちには、権利の所有者を煩わせたり、精神的に脅かしたりする資格はありません。

とすれば私たちは、著作権者への公開要請を、原則的に慎むべきだろうと考えます。

著作権者からの自発的な公開申し入れがない限り、青空文庫は、著作権の存続する作品の収録をおこないません。

存命の作者には、青空文庫の狙いを伝えることまでを、働きかけの限度とします。作者との特別な信頼関係がない限り、公開の検討も申し入れません。

著作権継承者に対しては、青空文庫を名乗っての連絡、公開要請など、一切の働きかけをおこないません。

この原則を、どうぞ受け入れて下さい。

■著作権者本人からの公開申し入れについて

著作権者本人からの申し入れについては、2パターンのみ受け入れております。

  • 翻訳者が、自身の翻訳の収録を望む場合
  • 著作者(あるいは著作権継承者)が、すでに書籍として公刊された作品の収録を望む場合

翻訳者自身が、パブリックドメインになっている作品を翻訳し、その公開を青空文庫で望む場合は、リンク登録または本体収録を申し入れることができます。

青空文庫までメールまたは「作業着手連絡システム」の「入力受付システム」から通常の手続きでお申し込みください。

著作者(あるいは著作権継承者)が、自身が権利を持っている作品については、すでに書籍として公刊されている(底本のある)作品のみ、本体収録を申し入れることができます。

その場合は、青空文庫までまずはメールでお問い合わせください。

ただしいずれの場合も、原則として、ご自分で電子化されたファイルをご用意してください。

また本体収録をお望みの際は、「クリエイティブ・コモンズ」ライセンスの付与を必須としております。

申し込みあるいは収録希望の時点で電子化されたファイルがない場合、著作権者本人を含む自主的なプロジェクトを立ち上げて、共同作業をすることはもちろん可能です。

ただし青空文庫側では、そうしたプロジェクトの告知はできますが、ボランティアの斡旋やプロジェクトの管理はできないことを、あらかじめご容赦下さい。(参照:「青空文庫への作品収録を望まれる方へ」)

テキストを入力する際は、手書きの原稿、雑誌、本などをもとに作業することになります。多くの場合、拠り所になるのは本でしょう。こうしたもととなる本を、底本と呼びます。

実際に入力にかかる前には、底本を選ぶ必要があります。

編集や校正がどこまで行き届いているかは、出版社や個別の書籍によってかなり差があります。

テキストの質を高める上で、ていねいに編まれたものを底本に選ぶことは、大きな意味を持ちます。

1)旧漢字、旧かなづかいの書き換え

日本語の表記は、戦後、大きくあらためられました。

それまでは複雑な形の漢字がたくさん使われてきましたが、新たに一部の漢字の形を簡単なものに変え、使い方にも制限を加えて、わかりやすい表現が目指されたのです。かなの使い方も、それまでの旧かなづかいから、より実際の発音に近づけた現代かなづかいにあらためられました。

以来、教育は新しい方針によって進められ、法令、公用文、新聞、雑誌などもこれに沿って書き表されてきました。その結果、旧漢字、旧かなづかいの文章は、私たちの多くにとって読みにくいものとなっています。

繰り返し指摘したように、著作権法は作者の了解なしに表現をあらためてはならないと定めています。ところが日本語表記の改革によって生じた現実は、「読めなければ意味がない」という切実な要請を、この原則に突きつけました。

著作権法には、この対立のあいだで私たちがバランスをとる道が用意されています。同一性保持権の条項には例外規定が設けられており、「やむを得ないと認められる改変」については許すとされているのです。

読めるものにするために、漢字とかなづかいを最小限変えることは、この「やむを得ないと認められる改変」に該当し、著作権侵害にはあたりません。

もしもあなたが、あくまで原文に忠実であることを優先したいと考えるのなら、底本には旧漢字、旧かなづかいを採用したものを選んで下さい。戦前に刊行された本のほか、全集としてまとめられたものでは、もともとの表記がそのまま残される例が多いようです。

あなたが逆に、多くの人にたやすく読んでもらうことを優先したいのなら、常用漢字と現代かなづかいを用いたものを、底本としましょう。古典をたくさんの人に読んでもらうことを狙った文庫本の多くは、分かりやすさを目指して表記をあらためています。読みやすさを優先したい人にとって、文庫本は有力な底本の候補です。

旧漢字、旧かなづかいで書かれた作品のすべてに対して、現代表記にあらためたものが用意されているわけではありません。青空文庫を協力の場とする我々自身が、書き換えに取り組む必要も生じます。その際、あらかじめ適切な指針をまとめておけば、作業の質を高め、テキストの信頼性を保てるでしょう。

そこで青空文庫は、「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」を用意しました。自分自身で旧字旧かなを書き換えたいと考える人は、ここに示された手順にそって対処してください。

2)出版社の許諾は必要か

旧漢字、旧かなづかいによる原文を、新しい表記にあらためたものを底本とする場合、その本の通りに入力していくことは、果たして許されるのでしょうか。

青空文庫の呼びかけ人は、「許される」と考えています。

すでに青空文庫では、表記をあらためたものをもとに多くの作品を入力してきましたが、そうした際も、出版社に連絡したり許可を取るといったことはしていません。

原文にあくまで沿いながら最小限の書きあらためをおこなうことには、確かにその作業にたずさわる人の判断がかかわってきます。書き換えは、編集の力量や見識を問われる知的な作業です。ただし著作権法は、この程度の表記の変更に著作権を認めてはいません。

日本の著作権法は、保護の対象となる著作物を冒頭で次のように定義しています。

「著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。」(第一章 総則、第一節 通則、第二条 定義、一)

保護されるのはあくまで作者の創作的な表現であり、誰かが書いたものの表記をあらためることは、この定義に当てはまりません。

著作権法は第二章、第一節で、著作物にあたるものをより細かく示しています。第一二条には、著作物の範囲を広めに規定した、編集著作物に関する次のような定めがあります。

「編集物(データベースに該当するものを除く。以下同じ。)でその素材の選択又は配列によって創作性を有するものは、著作物として保護する。」

この規定によって、論文集やアンソロジー、歳時記の構成といったものは、それ自体が著作物として保護されていると考えるべきでしょう。

これらに関しては、たとえ収録されている個々の作品の著作権がすべて切れていたとしても、編集に当たった人の著作権保護期間を経ないうちは、組み合わせや並べ方をなぞることは許されません。

ただし、表記の改変が、ここでいう「素材の選択又は配列によって創作性を有するもの」に当たらないことは明らかです。

これまで、紙の冊子を器として使ってきた本の世界で、書かれたものを大切に取り扱ってきたのは、編集者をはじめとする出版にたずさわる人たちでした。

インターネットの上に、電子の〈本〉をおさめる書棚を整えようとする私たちは、彼らが育んできた価値観や美意識に学び、引き継ぐべきものは誠実に引き継いでいきたいと考えています。

彼らへの敬意は、「なにを底本にしたか」を明記することで表しましょう。

何らかの編集処理を加える際には、利用者の批判や、テキストの信頼性を高める次の努力に期待して、作業の中味を記録として残しましょう。

あくまで著作権を尊重することで、共用への願いが、創造の基盤を脅かさないように心がけましょう。

そうした姿勢を守り、新しい場でも本を大切に扱い続ける覚悟を示しながら、私たちはもう一方で、必要とあらば捨てるべきものは大胆に捨てて、積極的な共用による実りを耕していきたいと考えています。

先人の積み上げてきた本という宝物に、ネットワークされたコンピューターの力を借りて新しい生命を吹き込む試みが、常に皆さんの共感と共にありますように。

願わくば皆さんの力こそを風として、ここに帆を揚げた試みの船が、遠く高く、青空に軌跡を描き続けますように。

(1998年12月 青空文庫呼びかけ人一同)

1998年12月23日 公開
2015年6月3日 大幅修正
2020年1月1日 著作権法改正に伴う修正
2022年1月1日 ライセンス更新に伴う修正

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このマニュアルは「クリエイティブ・コモンズ 表示 - 非営利 4.0 国際 ライセンス」の下に提供されています。