いいなずけ

ハンス・クリスチャン・アンデルセン Hans Christian Andersen

矢崎源九郎訳




 こままりが、ほかのおもちゃのあいだにまじって、同じ引出しの中にはいっていました。あるとき、こまが、まりにむかって言いました。
「ねえ、おんなじ引出しの中にいるんだから、ぼくのいいなずけになってくれない?」
 けれども、まりは、モロッコがわの着物を着ていて、自分では、じょうひんなおじょうさんのつもりでいましたから、そんな申し出には返事もしませんでした。
 そのつぎの日、おもちゃの持ち主の小さな男の子がきました。男の子は、こまに赤い色や、黄色い色をぬりつけて、そのまんなかに、しんちゅうのくぎを一本、うちこみました。こまが、ブンブンまわりだすと、ほんとうにきれいに見えました。
「ぼくを見てよ」と、こまは、まりに言いました。「ねえ、今度は、どう? いいなずけにならない? ぼくたち、とても似合ってるもの。きみがはねて、ぼくがおどる。きっと、ぼくたちふたりは、だれよりもしあわせになれるよ」
「まあ、そうかしら」と、まりが言いました。「でも、よくって。あたしのおとうさんとおかあさんは、モロッコがわのスリッパだったのよ。それに、あたしのからだの中には、コルクがはいっているのよ」
「そんなこといや、ぼくだって、マホガニーの木でできているんだよ」と、こまが言いました。「それも、市長さんが、ろくろ台を持っているもんだから、自分で、ぼくを作ってくれたんだよ。とっても、ごきげんでね」
「そうお。でも、ほんと?」と、まりが言いました。
「もし、これがうそだったら、ぼく、もう、ひもで打ってもらえなくったって、しかたがないよ」と、こまは答えました。
「あなた、ずいぶんお口がうまいのね」と、まりは言いました。「でも、だめだわ。あたし、ツバメさんと、はんぶん、婚約こんやくしたのもおんなじなのよ。だって、あたしが高くはねあがると、そのたびに、ツバメさんたら、の中から頭を出して、『どうなの? どうなの?』ってきくんですもの。それで、あたし、心の中で、『ええ、いいわ』って言ってしまったの。だから、はんぶん婚約したようなものでしょ。でも、あなたのことは、けっして忘れないわ。あたし、お約束やくそくしてよ」
「うん、それだけでもいいや」と、こまは言いました。そして、ふたりの話は、それきり、おわってしまいました。
 あくる日、まりは、外へ連れていかれました。こまが見ていると、まりは、鳥のように、空高くはねあがりました。しまいには、見えないくらい、高くはねあがりましたが、でも、そのたびに、もどってきました。そして、地面にさわったかと思うと、すぐまた、高く飛びあがるのでした。そんなに高くはねあがるのは、まりが、そうしたいと、あこがれていたからかもしれません。でなければ、からだの中に、コルクがはいっていたためかもしれません。けれども、九回めに飛びあがったとき、まりは、どこかへ行ってしまって、それなりもどってきませんでした。男の子は、いっしょうけんめいさがしましたが、どうしても見つかりませんでした。
「あのまりちゃんが、どこに行ったか、ぼくは、ちゃあんと知っている」と、こまは、ため息をついて、言いました。「ツバメくんの巣の中にいるのさ。ツバメくんと結婚けっこんしてね」
 こまは、そう思えば思うほど、ますます、まりに心をひかれていくのでした。まりをおよめさんにもらうことができなかっただけに、いっそう、こいしさがましてきました。まりがほかの人と結婚したって、そんなことは、なんのかかわりもありません。
 こまは、あいかわらずブンブンうなりながら、踊りまわりました。そのあいだも、心の中で思っているのは、いつもまりのことばかりでした。こまの頭の中にうかんでくる、まりのすがたは、ますます美しいものになっていきました。
 こうして、幾年いくねんも、たちました。――ですから、今ではもう、ふるい、ふるい、恋の物語になってしまったわけです。
 そして、こまも、もう、若くはありません。――ある日のこと、こまは、からだじゅうに、きんをぬってもらいました。こんなにきれいになったことは、今までにもありません。今では金のこまです。こまは、ビューン、ビューン、うなっては、はねあがりました。そのありさまは、まったくすばらしいものでした。ところが、とつぜん、あんまり高くはねあがったものですから、それきりどこかへ行ってしまいました。
 みんなは、さがしに、さがしました。地下室までおりていって、さがしましたが、どうしても見つかりません。
 どこへ行ってしまったのでしょう?
 こまは、ごみばこの中に、飛びこんだのです。そこには、いろんなものがありました。キャベツのしんだの、ごみだの、といからおちてきたじゃりだのが。
「こいつはまた、すてきなところだ。ここじゃ、ぼくのからだにぬってある金も、すぐ、はげちまうな。だけどまあ、なんて、きたならしいやつらのところへ、きたもんだ!」
 こまは、こう言いながら、葉をむきとられた、細長いキャベツのしんと、ふるリンゴみたいな、まるい、へんてこな物のほうを、横目でみました。ところが、それは、リンゴではありません。それこそ、年をとって、かわりはてた、まりの姿だったのです。まりは、幾年ものあいだ、といの中にはいっていたものですから、からだの中に水がはいりこんで、すっかり、ふくれあがっていたのでした。
「あら、うれしいこと。お話し相手になるような、仲間がきてくれたわ」と、まりは言って、金をぬった、こまをながめました。「あたし、ほんとうは、若い女の人の手で、ぬっていただいてね、モロッコがわの着物を着ているのよ。からだの中には、コルクもはいっているの。でも、だれにも、そんなふうには見えないでしょうねえ。あたし、もうすこしで、ツバメさんと結婚するところだったんですけど、あいにくと、といの中に落っこちて、そこに、五年もいましたの。それで、こんなに、水でふくれてしまったんですわ。そりゃあねえ、若いむすめにとっては、ずいぶん長い年月でしたわ!」
 けれども、こまは、なんにも言いませんでした。心の中では、むかしの恋人こいびとのことを思っているのでした。でも、話を聞いているうちに、これが、あのときのまりだということが、だんだん、はっきりしてきました。
 そのとき、女中がやってきて、ごみ箱をひっくりかえしました。そして、
「あら、こんなところに、金のこまがあるわ」と、言いました。
 こうして、こまは、また、お部屋の中にもどって、名誉めいよをとりもどしました。けれども、まりのほうは、それからどうなったか、わかりません。こまも、むかしの恋のことについては、それきりなにも言いませんでした。どんなに好きな人でも、五年ものあいだ、といの中にいて、水ですっかりふくれあがってしまっては、恋もなにもおしまいです。おまけに、ごみ箱の中で会ったのでは、いくらむかしの恋人でも、とてもわかるものではありません。





底本:「人魚の姫 アンデルセン童話集※(ローマ数字1、1-13-21)」新潮文庫、新潮社
   1967(昭和42)年12月10日発行
   1989(平成元)年11月15日34刷改版
   2011(平成23)年9月5日48刷
入力:チエコ
校正:木下聡
2021年4月27日作成
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