はだかの王さま

(皇帝のあたらしい着物)

ハンス・クリスチャン・アンデルセン Hans Christian Andersen

矢崎源九郎訳




 いまからずっとずっとむかしのこと、ひとりの皇帝がいました。皇帝は、あたらしい、きれいな着物がなによりも好きでした。持っているお金をのこらず着物に使って、いつもいつも、きれいに着かざっていました。皇帝は、自分のあたらしい着物を人に見せたいと思うときのほかは、兵隊のことも、芝居しばいのことも、森へ遠乗りすることも、なにからなにまで、きれいさっぱり忘れているのでした。
 とにかく、皇帝は、一日のうち一時間ごとに、ちがった着物に着かえるのです。ですから、よその国ならば、王さまは、会議に出ていらっしゃいます、というところを、この国ではいつも、「皇帝は、衣装部屋いしょうべやにいらっしゃいます」と、言いました。――
 皇帝の住んでいる大きな町は、たいへんにぎやかなところでした。毎日毎日、よその国の人たちが大ぜい来ました。
 ある日のこと、ふたりのうそつきがやってきました。ふたりは、
「わたしどもは、機織はたおりでして、みなさんの思いもおよばない、美しい織物を織ることができます。それに、その織物は色とがらとが、びっくりするほど美しいばかりではございません。その織物でこしらえた着物は、まことにふしぎな性質をもっておりまして、自分の役目にふさわしくない人や、どうにも手のつけられないようなばかものには、この着物は見えないのでございます」と、言いふらしました。
「ふうん、それはまた、おもしろい着物だな」と、皇帝は考えました。「そのような着物を着れば、この国のどの役人が役目にふさわしくないか、知ることができるわけじゃな。それから、りこうものと、ばかものを見わけることもできるわけだ。そうだ、さっそく、その織物を織らせるとしよう」
 そこで、ふたりのうそつきにたっぷりおかねをやって、仕事にかかるように言いつけました。
 ふたりは、機を二台すえつけて、いかにも働いているようなふりをしました。けれども、ほんとうは、機の上には、なんにもなかったのです。ふたりは、すぐに、
「いちばん上等の絹と、いちばんりっぱなきんをください」と、願い出ました。
 ところが、絹と金とをもらうと、それをさっさと、自分たちのさいふの中に入れてしまいました。そして、からっぽの機にむかって、夜おそくまで働いていました。
「織物は、もう、どのくらいできたかな」と、皇帝は考えました。
 けれども、ばかなものや、自分の役目にふさわしくないものには、それが見えないという話を思い出しますと、ちょっとへんな気持になりました。もちろん、自分はそんなことを気にする必要はないと思っていましたが、それでも、ひとまず、だれかを先にやって、どんなぐあいか見させることにしました。
 もうそのころには、町の人たちも、この織物が世にもふしぎな性質を持っていることを知っていました。みんながみんな、おとなりに住んでいるのは、わるい人ではあるまいか、それともばかではなかろうか、知りたいものだと思っていたのです。
「機織りのところへは、あの年とった、正直者の大臣をやることにしよう」と、皇帝は考えました。「あの男なら、織物がどんなぐあいか、いちばんよくわかるにちがいない。頭もいいし、それに、あの男くらい役目にぴったりのものは、まずないからなあ!」
 そこで、年とった正直者の大臣は、ふたりのうそつきが、からっぽの機にむかって働いている広間へはいっていきました。
「どうか、神さま!」と、年よりの大臣は、心の中でいのりながら、目を大きくあけました。「や、や、なにも見えんぞ!」
 けれども、もちろん、見えない、とは言いませんでした。
「さあ、もっと近よってごらんください。いかがでございましょう。がらもきれいですし、色合いも美しいではございませんか」などと、うそつきどもは、しきりに言いながら、からっぽの機を指さしました。
 気の毒に、年よりの大臣は、なおも目を開いて見ましたが、やっぱりなんにも見えません。それもそのはず、機には、なんにもないのですからね。
「これは、たいへんだ!」と、大臣は思いました。「このわしが、ばかだというのか。そんなことは、まだ考えてみたこともない。それにしても、これは人に知られてはならん! このわしが、役目にむかんというのか。こりゃいかん。織物が見えないなどと、うっかり言おうものなら、たいへんだぞ」
「いかがでございましょう。なんともおっしゃっていただけませんが」と、織っていたひとりが言いました。
「おお、みごとじゃ! まことに美しいのう!」と、年とった大臣は言って、めがねでよくながめました。
「このがらといい、色合いといい! さよう、わしはたいへん気に入ったぞ。皇帝に、そう申しあげておこう」
「それは、まことにありがたいことでございます」と、ふたりの機織りは言いました。
 それから、色の名前や、めずらしいがらの説明をしました。年とった大臣は、皇帝のところへもどっても、同じことが言えるように、よく気をつけて聞いていました。そして、そのとおりに申しあげました。
 さて、うそつきどもは、前よりももっとたくさんのおかねと、絹と、きんとを願い出ました。そういうものが、反物たんものを織るのに必要だというのです。ところが、それをもらうと、みんな、自分たちのさいふの中へ入れてしまいました。ですから、機の上には、あいかわらず、糸一本はられません。それでも、ふたりは、前と同じように、からっぽの機にむかって、せっせと働きつづけました。
 皇帝は、まもなく、今度は、べつの正直なお役人をやって、仕事はどのくらい進んでいるか、織物はもうすぐできあがるか、見させることにしました。このお役人も、大臣とおんなじでした。何度も何度も見なおしましたが、なんにも見えません。からの機のほかには、なにもないのですから、それもむりもない話です。
「いかがでしょう。美しい織物ではございませんか」
 ふたりのうそつきは、こう言って、ありもしない美しいがらを指さしながら、説明しました。
「おれが、ばかだなんてはずはない」と、この役人は考えました。「そうすると、このおれは、いまの、ありがたい役目に向いていないというのか。おかしな話だな。だが、人に気づかれんようにしなくてはまずい」
 そこで、見えもしない織物をほめて、きれいな色合いも、美しいがらも、すっかり気に入ったと、うけあいました。そして皇帝には、
「はい、まことに、たとえようもないほど美しいものでございます」と、申しあげました。
 町の人たちは、寄るとさわると、このすばらしい織物のうわさばかりしていました。
 さて、皇帝も、その織物が機にあるうちに、一度見ておきたい、と思いました。そこで、えりぬきのご家来けらいを大ぜい連れて、ずるいうそつきどものところへ行きました。ご家来の中には、前にお使いに行ったことのある、ふたりの年とった、正直者のお役人もまじっていました。うそつきどもは、このときとばかり、いっしょうけんめいに織っていました。けれども、もちろん、一すじの糸もありません。
「まことにすばらしいものではございませんか!」と、正直者のふたりのお役人が言いました。「陛下、ようくごらんくださいませ。なんというよいがら、なんという美しい色合いでございましょう!」
 こう言いながら、ふたりは、からの機を指さしました。なぜって、ほかの人たちには、この織物が見えるものと思ったからです。
「や、や、なんとしたことじゃ!」と、皇帝は思いました。「わしには、なんにも見えんわい。こりゃ、えらいことになったぞ。このわしが、ばかだというのか。わしは、皇帝にふさわしくないというのか。わしにとっては、なによりもおそろしいことじゃ」
 けれども、口に出しては、こう言いました。
「おお、なるほど。じつにきれいじゃのう! 大いに気に入ったぞ」
 こう言って、満足そうにうなずきながら、からっぽの機をよくよくながめました。もちろん、わしには、なにも見えん、などとは言いたくなかったのです。
 おともの人たちも、きょろきょろ見まわしましたが、みんな同じこと。なにひとつ見えません。けれども、だれもかれも、皇帝のまねをして、
「たいへんおきれいなものでございます」と、申しました。そして口々に、「近いうちにおこなわれるご行列のときに、このあたらしい、りっぱなお着物をおしになってはいかがですか」と、すすめました。
「みごとなものでございます! おきれいです! すばらしゅうございます!」
 こういう言葉が、人々の口から口へとつたわっていきました。みんながみんな、心から満足しているようすを見せました。
 皇帝は、うそつきどものひとりひとりに、ボタン穴にさげる騎士十字勲章きしじゅうじくんしょうをさずけ、また、「御用織物匠ごようおりものしょう」という称号をもあたえました。
 うそつきどもは、行列のおこなわれる日の前の晩は、ろうそくを十六本以上もつけて、一晩じゅう起きていました。ふたりが、皇帝のあたらしい着物をしあげようとして、いそがしく働いているようすは、だれの目にもよくわかりました。ふたりは、織物を機から取りあげるようなふりをしたり、大きなはさみでくうを切ったり、糸の通っていない針でぬったりしました。そうしてしまいに、
「ようやく、お着物ができあがりました」と、言いました。
 皇帝は、身分の高い宮内官くないかんを連れて、そこへ行きました。すると、うそつきどもは、なにかを持ちあげようとするように、片方のうでを高くあげて、言いました。
「ごらんくださいませ。これが、おズボンでございます。これが、お上着うわぎでございます。これが、おがいとうでございます」などと、さかんに申したてました。「このお着物は、まるでクモののように軽うございます。ですから、お召しになりましても、なにも着ておいでにならないような感じがなさるかもしれません。しかしながら、それこそ、このお着物のすぐれたところでございます」
「さようか」と、宮内官たちは、口をそろえて言いました。けれども、もともと、なにもないのですから、なんにも見えませんでした。
「おそれながら、陛下には、お着物をおぬぎくださいますよう」と、うそつきどもは言いました。「わたくしどもが、この大鏡の前で、あたらしいお着物をお着せ申しあげます」
 皇帝が着物をすっかりぬぎますと、うそつきどもは、できあがったことになっている、あたらしい着物を、一枚一枚着せるようなふりをしました。それから、こしのあたりに手をまわして、なにかを結ぶような手つきをしました。つまり、それは、もすそというわけだったのです。皇帝は、鏡の前で、ふりむいてみたり、からだをねじまげてみたりしました。
「ほんとうに、ごりっぱでございます! まことに、よくお似合いでございます!」と、みんなが口々に申しました。「がらといい、色合いといい、なんというけっこうなお着物でございましょう!」――
「みなのものが、お行列のさいに、おさしかけ申しあげる天がいを持ちまして、外でお待ちいたしております」と、式部長が申しあげました。
「よろしい、わしも用意ができたぞ」と、皇帝は言いました。「どうだ、よく似合うかな?」
 それから、もう一度、鏡のほうをふりむきました。こうして、自分の着かざった姿を、よくながめているようなふりをしなければならなかったのです。
 もすそをささげる役目の侍従じじゅうたちは、両手をゆかのほうへのばして、もすそを取りあげるようなふりをしました。こうして、何かをささげているようなかっこうをしながら、歩きだしました。なんにも見えないということを、人に気づかれてはたいへんです。
 こうして、皇帝は行列をしたがえて、美しい天がいの下を歩いていきました。往来にいる人々も、窓から見ている人たちも、だれもかれもが口々に言いました。
「まあまあ、皇帝のあたらしいお着物は、たとえようもないじゃないか! お服についているもすそも、なんてりっぱだろう! ほんとうに、よくお似合いだ!」
 みんながみんな、なんにも見えないということを、人に気づかれまいとしました。さもなければ、自分の役目にふさわしくないか、とんでもないばかものだということになってしまいますからね。皇帝の着物の中でも、こんなに評判のよいものはありませんでした。
「だけど、なんにも着ていらっしゃらないじゃないの!」と、だしぬけに、小さな子供が言いだしました。
「ちょいと。この罪のない子供の言うことを聞いてやっておくれ」と、その父親が言いました。そして、子供の言った言葉が、それからそれへと、ささやかれていきました。
「なんにも着ていらっしゃらない。あそこの小さな子供が言ってるとさ。なんにも着ていらっしゃらないって!」
「なんにも着ていらっしゃらない!」
 とうとうしまいには、町じゅうの人たちが、ひとりのこらず、こうさけびました。これには、皇帝もこまってしまいました。というのは、みんなの言うことのほうが、なんだか、ほんとうのような気がしたからです。しかし、「行列は、いまさら、取りやめるわけにはいかない」と、思いました。
 そこで、前よりもいっそう胸をはって、歩いていきました。侍従たちも、ありもしないもすそをささげて歩いていきました。





底本:「マッチ売りの少女 (アンデルセン童話集※(ローマ数字3、1-13-23))」新潮文庫、新潮社
   1967(昭和42)年12月10日発行
   1989(平成元)年12月15日32刷改版
   1992(平成4)年4月5日34刷
※表題、副題は底本では、「はだかの王さま(皇帝こうていのあたらしい着物)」となっています。
入力:チエコ
校正:木下聡
2021年3月27日作成
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