私有農場から共産農団へ

有島武郎




A 北海道農場開放に就ての御意見を伺ひたいのですが。殊に、開放されるまでの動機やその方法、今後の処置などに就いてですな。
B 承知しました。
A 少し横道に這入るやうですが、この頃は切りに邸宅開放だとか、農場開放だとか、それも本統の意味での開放でなく、所謂美名に隠れて巨利を貪つてゐるやうな、開放の仕方が流行つてゐるやうですが、いゝ気なものですな。
B 全くですな。土地からの利益が上らなくなつたり、持て余して手放したり、それも単に手放すといふなら兎も角、美名に隠れて利益を得る開放の仕方などは不可ませんね。最近では横須賀侯などが農場を開放されると聞きますが、あれなどは実に怪しからんと思ひますね。農場の小作人に年賦か何かで土地を買はして、それでも未だ不可いからといふので、政府から補助を受けることになつてゐると聞きますが、これなんかは全くうにかしなければ不可ませんね。
A 実際です。彼等が営利会社か何かと結びついて、社会奉仕などといゝ顔をして利益を得ようといふんですから、第一性根が悪いと思ひます。――ところで……
B ところで、よく分りました。私の場合は、勿論現代の資本主義といふ悪制度が、如何に悪制度であるかを思つたことゝ、直接の動機としては、資本主義制度の下に生活してゐる農民、殊に小作人達の生活を実際に知り得たからです。小作人達の生活が、如何に悲惨なものであるかは分り切つたことですが、先ず具体的に言ひませう。私の狩太村の農場は、戸数が六十八九戸、……約七十戸といふところですが、それが何時まで経つても掘立小屋以上の家にならないで、二年経つても三年経つても、依然として掘立小屋なんですね。北海道の掘立小屋は、それこそ文字通りの掘立小屋で、柱を地面に突き差して、その上を茅屋根にして、床はといへば板をならべた上に筵を敷いただけ、それで家の中へ水が這入つて来ないやうに家の周囲に溝を作へるのです。全戸皆がこんな掘立小屋で、何時まで経つても或ひは藁葺だとか瓦葺だとか、家らしい家にならないし、全く嫌になつてしまつたんですな。
A と言ひますと、農民達はそんな家らしい家にして住ふやうな気持を持たないのでせうか。そんな掘立小屋なんかで満足してゐるのでせうか?
B さうぢやないんです。農民達はそんなことに満足してはゐないのですが、家らしい家を建てるまでの運びに行かないのです。一口に言へば、何時まで経つてもその日のことに追はれてゐて、そんな運びに至らないのです。小作料やら、納税やら、肥料代やら、さういつた生活費に追はれてゐて、何時まで経つても水呑百姓から脱することが出来ないのです。――それにあのとほり、一年の半分は雪で駄目だものですからな。冬も働かないわけではないのですが、――それよりも、鉄道線路の雪掻きや、にしん漁の賃銀仕事に行けば、一日に二円も二円五十銭もの賃銭がとれるのですから、百姓仕事をするよりも余程お銭が多くとれるのですが、とればとれるで矢張り贅沢になつたり、無駄費ひが多くなつたり、それに寒いので酒を飲む、飲めば賭博をする。結極余るところが借金を残す位ゐのもので、うにも仕様がないのです。それでは、家の中の手内職はうかと言へば、九州などの農業と違つて、原料になる藁がないものですから、それにあのとほりの掘立小屋では、小屋の中にばかりゐる気にもなれますまい。つまり。これぢやとても、農民達は一生浮ばれないと思つたんですね。小作料は畑で一反に一円五十銭、乃至一円七十銭位ゐですが、私の農場は主にこの畑ですが、これにしても北海道の商人はなか/\狡猾で、農民達の貧乏を見込んで、作物が畑に青いままである頃から見立て買ひをして、ちやんと金を貸しつけて置くのです。ですから、どんな豊作の時でも農民はその豊作の余慶を少しも受けないことになるのです。それでない場合でも、作物の相場の変動が、この頃は外国の影響を受ける場合が多いものですから、農民達には相場の見込みがつかず、その為めに苦しんだ上句が見込み外れがしたりして、つい悲惨な結果を生むやうになるのです。
A 商人達の狡猾なのは論外です。殊に、北海道あたりでは、未だ植民地的な気風が残つてゐるのでせうから質が悪いかも知れません。――それにしても、あの農場を開放されるまでには随分と、各方面からの反対もありましたでせうな?
B ありました。資本主義政府の下で、縦令たとへば一個所や二個所で共産組織をしたところで、それは直ぐ又資本家に喰ひ入られて終ふか、又は私が寄附した土地をその人達が売つたりして、幾人かのプチブルジョアが多くなる位ゐの結果になりはしないか。結極、私がやることが無駄になりはしないか。といふやうな反対意見があつたのです。然し、私は私のやつたことが画餅に帰するほど、現代の資本主義組織がの程度まで頑固なものであるか、の程度まで悪い結果を生むものであるか、そればかりではなく、折角私が無償で土地を寄附しても、それですら尚農民達は幸福になれないのだといふことが、人々にはつきり分つていゝのぢやないかと思ふのです。私は、その試練になるだけでゝも満足です。一旦手放して、自分のものでなくなつた以上は、後の結果がうならうとも、それに就ての未練は少しもないのですが、たゞ出来るだけは有意義に、有効に、その結果がよくなるやうには私も今の内に極力計る積りです。兎に角、今迄ちつとも訓練のない人達のことですから、私の真意が分つてくれて、それを妥当に動かして行くといふことは、なか/\困難なことでせうが、それだけ私も慎重に考えへて、結果をよくする為めに計つてはゐます。『新らしい村』などは、多少ともに頭も出来、武者小路君の意見に讃同した人達が、どれまでのことをやれるかやつて見るのだといふ信仰的なものとは違つて、農民達の方はまるで訓練もなく、知識もなく、まだ私の考へを充分呑み込んでさへもくれないので、なか/\困難なことかと思はれます。たゞ『新らしい村』の方は、寄附や其他のお金で生活してゐて、直接村からの生産で生活してゐるのではないから、その点は農場とは余程趣を異にしてゐますが。……
A 成程、してみると、農民達はどうして土地を開放するか、その真意がすつかりと了解出来ないのですか?
B それは分つてゐてくれます。然し、その実行問題になると、私が思つてゐることをなか/\了解してくれないのです。それは、現在農場にある組合の倉庫なんかでも、組合幹部の見込違ひから、十万円位の穴を明けたりしたことがあるものですから、農民達もびく/\してゐるのです。それに、狩太には私の農場の他に、曾我、深見、松岡、小林、近藤などといふ農場があつて、孰れも同じことですが、一種の小作権売買といふのがあるのです。つまり、一つの農場の小作人となるのに、五百円とか、千円とかその農場の小作人となるのに小作の既権者から権利を買つて這入るのですな。その為めにしよつちゆう村の中で出這入りがあるのです。景気がよければよいで、その小作権を売つて、割のいゝ他の職業に就く。その為めに、農場に個定する人、つまり永く何代も何代も定在する人ばかりではないものですから、今度の処置についても非常にやり難い点が多いのです。――その為めに、農場の管理者や、村長や、今後の処置を一任した札幌農大の森本厚吉君や、大学の他の諸君とも計つたことですが、その組織に就いて相談してゐるのです。恰度ちやうど、あちらからその組合規定が送つて来たのですが、その表題は『有限責任狩太共済農団信用購買販売利用組合定※(「肄のへん+欠」、第3水準1-86-31)』――随分やゝこしいが、内容の総べてを表題に入れて長たらしくしたものですが、実は共済農団を、共産農団にしたかつたのです。共済なんかといふ煮え切らないものよりは、率直に共産の方がいゝのですからな。ところが、これが又皆の反対を買つたのです。共産といふ字は物騒で不可い。他の文字にして欲しいといふのです。それも、森本君なんかよりも、大学の若い人達や、村長、管理者などに反対者があるのですから可笑しいですね。それにしても、共済といふ文字は余り好みませんが、何とかいゝ名前はありませんか。大学の諸君や、村長なんかにも叱られないで、それでゐていゝ名前は?
A さあ、私なんかには考へつきません。――然し、随分不可しな人達ぢやありませんか。共産なんて文字に世間の人達が、そんなにまで気を病むなんて、妙なものですな。うまい魚だが、フグだから不可い。それでフクにしたならばいゝだらうといふのですな。この節の議会の問答のやうに、仏教家の平和主義ならばいゝが、社会主義者の平和主義は不可いといふやうなものぢやありませんか。同じいゝことが、名前に依つて不可なかつたり、人に依つて不可なかつたり、……
B さうです。然し、それは事実だから仕方がありません。それに、この表題のことも尚研究中ですから。――この定※(「肄のへん+欠」、第3水準1-86-31)も、北海道の人達が上京して来て完全なものとなり、それから農民達とも相談したら、その結果がうなつたか。実を云ふと、訓練のない人達のことですから理想的に行くかうか、それは随分困難のことでせう。私も常にその覚悟はしてゐます。
A 先つきのお話のやうに、今のところは村の出這入りが多少あつても『新らしい村』などの場合と違つて、家族と一緒に暮すのですから、割合に居着き易いと思ひますが、それに土地が自分のものにはなるし、暮し易くはなるしするのですから、段々安住する気になると思ひますが。それに、今度の制度の訓練が段々に上手になつて来ましたら。
B それはそんなものかも知れませんが。それとは又別な困難が一つあるのですから。田舎にばかりゐる人は、うしても都会に憧れを持つのです。その都会憧憬の心ですな。その為めに小汚ない百姓の足を洗つて、都会へ出てもつと綺麗な仕事をしてみたいといふやうな気が起るのですな。その為めに、落ちつけなくなるのです。私が教へた生徒の中に、一人千葉県人が居りましたが、その人の話に依ると、その村の青年達の理想は、東京へ出て来て自動車の運転手になることだといふから呆れるぢやありませんか。
A 成程、鎌子事件の主人公となつた夢なども悪くはありませんね。
B そんなことで、いろ/\の困難なことが伴つて来るだらうと思ひますが、私も一旦農場を寄附する以上、今後はうなつてもいゝやうなものゝ、再び資本家の手に這入つて終ふやうなことは仕度くありませんので、その悪結果を防ぐ方法として、先つきの話のとほり、共産組合の組織にしようとしてゐるのです。今度の成案などは、まだ/\ほんの初めのことで、不完全なものでせうが、組織は農団組合を管理する理事を置いて、これが実務に当ることになるのです。その外に、幹事を数名置くことになりますが、これが会社でいふ監査役といふところです。こんなものが、農民自身の選挙で置かれることになります。今迄の管理者なども勿論、一個の組合員になつて終ふのです。――それに規定の内容は、(一)貯金の便利の為めの信用組合、(二)販売組合、(三)購買組合、(四)利用組合、(五)農業倉庫、その他いろ/\とあるのですが、兎に角、農場開放のことは、私自身の気持や、態度などといふことはすつかり確定してゐて、今まで言つたとほりですが、その土地の内部組織などのことは、恰度その過程にあるのですから、その積りでゐて欲しいのです。すつかり確定すれば、又お知らせしますから。
(『解放』大正十二年三月)





底本:「有島武郎全集第九卷」筑摩書房
   1981(昭和56)年4月30日初版第1刷発行
   2002(平成14)年2月10日初版第3刷発行
初出:「解放 第五巻第三号(三月号)」
   1923(大正12)年3月1日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記を新字、旧仮名にあらためました。
※底本ではルビが付されていない以下の字に、ルビを付しました。
 何う、列べ、終つた、鯡、迚も、縦令、何の、恰度。
※「就て」と「就いて」の混用は、底本のままとしました。
入力:mono
校正:染川隆俊
2009年8月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について