アンドレ・ジイド管見

中原中也




 ジイドの芸術活動の始つたのは、凡そかのデカダン一派の淋れる頃からだと云ふことが出来る。
 思ふにデカダン芸術が好調子であつた時といふのは、猶実生活人の側に健康の或物が可なりに存し、それが崩解しかけてゐたが、崩解してしまつてはゐなかつた時であるやうに思はれる。
 一体芸術家が、実生活人に比べて永遠追慕の情の強い所に成立つのであつてみれば、実生活の空気に反撥的である場合にのみ芸術家の生活は弾力的であるのである。デカダン派が好調子であつた場合は、デカダンな生活をすることが当時の実生活の空気に対して程よい反撥となつたのである。それは程よく背を圧する椅子とその背とのやうな関係であつたのである。
 で、芸術といふものは自体放散的過程を好むものであるからには、実生活人の側は集積的である方が好都合なのである。無論実生活側の集積的活動が余りに顕著ではまづいのだが、余り弱くても不可ない。最も好都合なのは、その集積的な活動が一先づ結実し、それが下り坂になつたといふ時なのである。
 ジイドの活動の始まるのは、その下り坂がもう殆んど下り切つたといふ時であつた。つまり実生活は、散乱しきつてゐた。といふことは芸術家にとつては、謂はばネタの仕入れが六ヶ敷いといふやうなことなのである。まあ幸ひにネタが少ないから仕事が少ないとばかりは行かないので、ネタがないことがまたネタともなるので、尤もその場合扱ひ馴れないネタには一寸まごつくのであるが、ジイドの時代はまことにさうしたまごつきの時代であつた。即ち実に多くの新奇な流派が簇出したのであつて、その多くのものは間もなく廃たれ、ジイドは突兀として残つてゐるのである。他にも残つたものがあるとしても、十九世期の大家簇出の後をうけて、なんと微々たるものであらう!
 ジイドの作品を通覧すると、そのネタの切れた、実生活の分散し切つた時代を直視した所から生れた芸術だといふ感じが、他の如何なる感じよりも強くするのである。
 例へば『無償の行為』。生活は破産し切つて、ただしようことのない生存の一日一日が続き、如何なる行為らしい行為も最早見られないとしても猶、『無償の行為』は在つて存するのである。又同様に『無性格』といふ性格は存するのである。
 勿論これらのことは、僅かの紙数で以てさう軽々に云つて過ぎられることではない。茲では只、茫漠たる焼野に建物が建つたためには、人知れぬ努力があつたのだし、ジイドのあの反省的で堅忍な調子を想起され度、芸術の容易でない時代に生れ、その時代を生きたのであることを云へばよいのである。
 そして、その文体の、何だか息詰るやうなもの、出場のないといつた感じ――それはジイドの不名誉であり名誉であるのだが、それといふも実生活側がすつかり無気力であり、芸術家が却て実生活人の蓄積的実著さを要すとも云へる場合に、而も芸術自体は放散的過程を好むといふことから生ずる、二重性の故であることを注意しよう。
『小説を書かうといふ欲求は、今日の多くの若い作家にあつては、そんなに内因的な欲求から出発してはゐないやうに見受ける。この場合供給が需要の後を追ひかけ廻してゐる。ふと出会つた人間をありの儘に写生しようといふ要求は誰にもよく起ることだと思ふ。だがそんなことは眼と筆の或る種の技能を巧みに操りさへすればよろしい。然しまだ曾てなかつた新しい人物の創造は抜き差しならぬ心の複雑さの故に苦しんでゐる人々、その人固有の挙止を失はないで持つてゐる人々にのみ、自然な欲求となるのである。』(全集第九巻三九七頁)
『ふと出会つた人間をありのままに写生しよう』と茲に云はれてある底の、描写にとどまる描写といふのが『今日の多くの若い作家』に見られるといふのは、実生活がこれぞといふ情熱――健康を持合さない時作家側に起り易い事であり、さうした実状を直視したことから『内因的な欲求』を生じ、以て始つた芸術といふものが、どれくらゐ『心の複雑の故に苦しみ、その人固有の挙止を失はない』でゐたかは、想像に余りあるのである。而して『未だ曾てなかつた新しい人物の創造』とは、一般的な意味であると同時に、これはジイドが云つてゐる時それはよくよくのことであり、特定的のことなのである。紙数に制限があつて、実に匆々のことしか云へなくてすまない。
一九三四、四、三〇





底本:「新編中原中也全集 第四巻 評論・小説」角川書店
   2003(平成15)年11月25日初版発行
初出:「ラ・フゥルミ 3号」
   1934(昭和9)年5月10日発行
入力:村松洋一
校正:なか
2010年12月14日作成
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