アルプスに Alpine Glow(山の栄光)という名詞がある、沈む日が山の陰へ落ちて、眼にも見えなくなり、谷の隅々隈々に幻の光が、夢のように
自分は甲斐
雪によって名を得たものに、飛騨山脈の大蓮華山、また白馬岳があるし、蝶ヶ岳もある、しかし虚空に匂う白蓮華も、翅粉谷の
自分は昨年
白峰は幾峰にも分れている、が殊に北の三山、北岳、

山の雪が動物の形態となって消え残ることは、何か因縁話があるのかは知らぬが、殊に中央日本の山に多いようである、自分の知った限りでも、前記の蝶ヶ岳、白馬、大蓮華の外に、先ず東海道から見た富士山の農男(馬琴の『覊旅漫録』巻の一、北斎の『富嶽百景』第三編に、その図が出ている、北斎のを
農鳥山の鳥形の
白峰より彼 鳥を奪わば、白峰は形骸のみとならんとまで、この頃は飽かず、眺め居候 、……白峰の霊を具体せるものは、誠にこの霊鳥の形に御座候、前山も何もあったものにあらず、東南富士と相対して、群山より超越せる彼巨人の額に、何ものの覆うものなく、露出せる鳥の姿、スカイラインよりは、僅 に一尺も低かるべきか、農鳥の農の字が平野的にて、気に入らず、また決して鶏とは見えず、首長きところよりも紛 う方なき水鳥に候、埴輪の遺品に同じ形の鳥と見給うべし、水掻きまであり、高さここより見て、一間も候べきか、甲府附近を、最も観望宜しき場処と存候。
誠に晩春より初夏へかけ(ここの赤裸々となるは、夏期わずかの間に候)最も歴々と仰がるべく、夏にても、形は明確に、白雪山を埋むる今にても、こを恋人とせる小生の目には、同じ雪に蔽 われながらも、この鳥形のみは粗き山の膚(元より白色)の中に、滑らかに平に浮び出で居候が、認められ候。
白峰の壮観は、空気澄水の如き朝、明らかにて、正午よりは、淡き水蒸気に遮 られ候、但し日光の工合にて、かえって鳥だけは、朝よりも明瞭に仰がれ候(側は陰に入るより)、駒ヶ岳の孤峭 は、槍ヶ岳を忍ばせ、木食 仙の裸形の如く、雪の斑は、宛然 肋骨と頷 かれ候、八ヶ岳も、少し郊外に出づれば、頭を現わすべく、茅岳、金岳より、近き山々、皆冬枯の薄紫にて、淡き三色版そのまま、御阪山脈の方向は富士山なくんば見るに足らず、富士の雪は夕陽に映るとき、最も美しく候、ここはなお雪がふらず、白峰颪 は大抵一日おき位に、午後より夕まで、または夕より十二時頃まで、凄 まじき音をたて、この夜坤軸 を砕く大雪崩の、岩角より火花を迸発 する深山の景色を忍び居候。(十二月十八日甲府より)
別紙白峰の拙画は、今年初秋―四十年において、最も白峰を明瞭に仰ぎ得し日の午前写生せしものを、忠実に写し直せしものに御座候、赭色なるは雲なき頃とて、皺谷の赤膚を露出するもの、甚だ妙ならず候えども、スカイラインと共に、山の皺は、いかにも興多きため、忠実に岐脈をも余さざりしつもりに候、中央に鳥形の赤裸なるを御覧あるべく、これが埴輪の鳥形に候なり、これには脚なくして、二股の尾あるを見給うべきも、この図は、雪なきときの切崖の露出にて、雪少しにても降れば、この尾は消えて、脚を生じ、例の埴輪の鳥の如き形となるに候、いずれにせよ、鶏ならずして、立派な水鳥、小生の大好きなスワン(伝説に最も縁多き)の形に仰がれ候、図中、鳥形の左なるへ形の山は、もと白峰つづきの山かと存ぜしに、曇日などに白峰見えずとも、この山明かなるにて、別峰なることを知り候、今日この山に、非常の降雪ありしように候、雪降りては、農鳥より右は真白なれど、左は縦谷のみ白く仰がれ、膚は容易に、白くならぬように候。
これより右、地蔵鳳凰を越えて、槍ヶ岳の駒ヶ岳と、峭立しては、絶景の極、駒と並べて見て、白峰は益 す立派さを増すに候、農牛、農爺、蝶、白馬、これらが信甲駿の空に聳えて、相応ずる姿、鏡花の『高野聖』に、妖女が馬腹をくぐる時の文句に「周囲の山々は矗々 と嘴 を揃え、頭を擡 げて、この月下の光景を、朧 ろ朧ろと覗 き込んだ」とやらありしを思い出で、何やら山に霊ありて、相語るが如く、身慄 いられ申候、昨夜は明月凄じきばかりなりしに、九時頃より一人、後 の天守台に上り、夜霧の彼方に朧ろなる彼 の白色魔を眺め、気のまよいか、白鳥のあたりだけは、鮮やかなるようの心地いたし候。(十二月二十九日)
誠に晩春より初夏へかけ(ここの赤裸々となるは、夏期わずかの間に候)最も歴々と仰がるべく、夏にても、形は明確に、白雪山を埋むる今にても、こを恋人とせる小生の目には、同じ雪に
白峰の壮観は、空気澄水の如き朝、明らかにて、正午よりは、淡き水蒸気に
別紙白峰の拙画は、今年初秋―四十年において、最も白峰を明瞭に仰ぎ得し日の午前写生せしものを、忠実に写し直せしものに御座候、赭色なるは雲なき頃とて、皺谷の赤膚を露出するもの、甚だ妙ならず候えども、スカイラインと共に、山の皺は、いかにも興多きため、忠実に岐脈をも余さざりしつもりに候、中央に鳥形の赤裸なるを御覧あるべく、これが埴輪の鳥形に候なり、これには脚なくして、二股の尾あるを見給うべきも、この図は、雪なきときの切崖の露出にて、雪少しにても降れば、この尾は消えて、脚を生じ、例の埴輪の鳥の如き形となるに候、いずれにせよ、鶏ならずして、立派な水鳥、小生の大好きなスワン(伝説に最も縁多き)の形に仰がれ候、図中、鳥形の左なるへ形の山は、もと白峰つづきの山かと存ぜしに、曇日などに白峰見えずとも、この山明かなるにて、別峰なることを知り候、今日この山に、非常の降雪ありしように候、雪降りては、農鳥より右は真白なれど、左は縦谷のみ白く仰がれ、膚は容易に、白くならぬように候。
これより右、地蔵鳳凰を越えて、槍ヶ岳の駒ヶ岳と、峭立しては、絶景の極、駒と並べて見て、白峰は
その後もN君は、数葉のスケッチを送られた、N君が初めて物の本から読んで知った、農鳥の形を見つけ出して校堂に説くに至ってから、初めは信ぜざりし鳥形が、誰の目にも立派に分るようになり、七、八歳の小童から、中学生まで、往来を通るにも、西の大壁を仰向いて、足を緩めるようになった、初めはくさしていた大人も、南向きの白鳥の、優しく、長く、延べた頸の、曲線の美しさに、恍惚とするようになったという。
しかし農鳥山は、白峰の雪を代表したものではない、農鳥山は三山の中、最も南に寄っているから、雪は最も少量である、この神秘な白鳥が消えても、
N君からは――ちょうど
秋も末になった、白峰の山色を想っていると、N君から、馬上の旅客を描いた端書が来た。
この月に入りては、甲斐が根颪一万尺余の絶巓より吹きなぐるに、目もあかれず、月の末あたりよりは、山男の鹿の片股、兎、猪の肉など、時々遥々とひさぎに参るべき由、さあらば、熊の皮の胴服などに、久しく無沙汰の芝居気取など致して見ばやと笑い居候、天長節より時雨つづき、雨やや上りて、雲がなき日の雪ある山の眺め、都人の想像及ばざるところに候、地蔵、鳳凰の淡き練絹 纏いし姿は、さもあらばあれ、白峰甲斐駒の諸峰は、更に山の膚を見ず、ただ峻谷の雪かすかなる、朧銀の色をなして、鉛色なる空より浮き出で巨大なる蛇の舌閃 いて、空に躍れる如し、何等のミレージ、何等のミラクル、今朝はやや晴れ、白峰満山の白雪、朝日に映じて瑪瑙 に金を含む、群山黙として黒く下に参す、富士も大なる白色魔の如く、鈍き空に懸れり、兄 を招じて驚嘆の叫び承わり度候、山を見ては、兄を思う、昨日今日の壮観黙って居られず、かくは
冬近き山家や屋根の石の数 (十一月六日)
冬近き山家や屋根の石の数 (十一月六日)
これを読まされると、自分はもう