思いは、ひとつ、窓前花。
十三日。 なし。
十四日。 なし。
十五日。 かくまで深き、
十六日。 なし。
十七日。 なし。
十八日。
ものかいて扇ひき裂くなごり
ふたみにわかれ
十九日。
十月十三日より、板橋区のとある病院にいる。来て、三日間、歯ぎしりして泣いてばかりいた。銅貨のふくしゅうだ。ここは、気ちがい病院なのだ。となりの部屋の
四日目、私は
あら、
あたし、
いけない
女?
ほらふきだとさ、
わかっているわよ。
虹 よりも、
それから、
しんきろうよりも、きれいなんだけれど。
いけない?
あたし、
いけない
女?
ほらふきだとさ、
わかっているわよ。
それから、
しんきろうよりも、きれいなんだけれど。
いけない?
一週間、私は誰とも逢っていません。面会、禁じられて、私は、投げられた様に寝ているが、けれども、これは熱のせいで、いじめられたからではない。みんな私を好いている。Iさん、一生にいちどのたのみだ、はいって呉れ、と手をつかぬばかりにたのんで下さって、ありがとう。私は、どうしてこんなに、情が深くなったのだろう。Kでも、Yでも、Hさんでも、Dはうろうろ、Yのばか、善四郎ののろま、Y子さん。逢いたくて、逢いたくて、のたうちまわっているんだよ。先生夫婦と、Kさん夫婦と、Fさん夫婦、無理矢理つれて、浅虫へ行こうか、われは軍師さ、途中の山々の景色眺めて、おれは、なんにも要らない。
けれども仕事は、神聖の机で行え。そうして、花を、立ちはだかって、きっぱりと要求しよう。
立て。権威の表現に努めよ。おれは、いま、目の見えなくなるまで、おまえを愛している。
「日没の唄。」
ああ、花をかえせ! (私は、目が見えなくなるまでおまえを愛した。)ミルクを、草原を、雲、――(とっぷり暮れても嘆くまい。私は、――なくした。)
「一行あけて。」
あとは、なぐるだけだ。
「花一輪。」
サインを消せ
みんなみんなの合作だ
おまえのもの
私のもの
みんなが
心配して心配して
やっと咲かせた花一輪
ひとりじめは
ひどい
どれどれ
わしに貸してごらん
やっぱり
じいさん
ひとりじめの机の上
いいんだよ
さきを歩く人は
白いひげの
羊飼いのじいさんに
きまっているのだ
みんなのもの
サインを消そう
みなさん
みなさん
おつかれさん
犬馬の労
骨を折って
やっと咲かせた花一輪
やや
お礼わすれた
声をそろえて
ありがとう、よ、ありがとう!
(聞えたかな?)
みんなみんなの合作だ
おまえのもの
私のもの
みんなが
心配して心配して
やっと咲かせた花一輪
ひとりじめは
ひどい
どれどれ
わしに貸してごらん
やっぱり
じいさん
ひとりじめの机の上
いいんだよ
さきを歩く人は
白いひげの
羊飼いのじいさんに
きまっているのだ
みんなのもの
サインを消そう
みなさん
みなさん
おつかれさん
犬馬の労
骨を折って
やっと咲かせた花一輪
やや
お礼わすれた
声をそろえて
ありがとう、よ、ありがとう!
(聞えたかな?)
二十日。
この五、六年、きみたち千人、私は、ひとり。
二十一日。
罰。
二十二日。
死ねと教えし君の眼わすれず。
二十三日。
「妻をののしる文。」
私が君を、どのように、いたわったか、君は
人には、それぞれ天職というものが与えられています。君は、私を嘘つきだと言った。もっと、はっきり言ってごらん。君こそ私をあざむいている。私は、いったい、どんな嘘をついたというのだ。そうして、もっと重大なことには、その具体的の結果が、どうなったか。記録的にお知らせ願いたいのだ。
人を、いのちも心も君に一任したひとりの人間を、あざむき、脳病院にぶちこみ、しかも完全に十日間、一葉の消息だに無く、一輪の花、一個の
人、おのおの天職あり。十坪の庭にトマトを植え、ちくわを食いて、洗濯に専念するも、これ天職、われとわがはらわたを破り、わが
投げ捨てよ、私を。とわに遠のけ! 「テニスコートがあって、看護婦さんとあそんで、ゆっくり御静養できますわよ。」と悪婆の囁き。われは、君のそのいたわりの胸を、ありがたく思っていました。見よ、あくる日、運動場に出ずれば、
銅貨のふくしゅう。……の暗躍。ただ、ただ、レッド・テエプにすぎざる責任、規約の槍玉にあげられた鼻のまるいキリスト。「温度表を見て下さい。二十日以降、注射一本、求めていません。私にも、責任の一半を持たせて下さい。注射しなけれあいいんでしょう?」「いいえ、保証人から全快までは、と厳格にたのまれてあります。」ただ、飼い放ち在るだけでは、金魚も月余の命、保たず。いつわりでよし、プライドを、自由を、青草原を!
尚、ここに名を録すにも価せぬ……のその閨に於ける鼻たかだかの手柄話に就いては、私、一笑し去りて、余は、われより年若き、骨たくましきものに、世界歴史はじまりて、このかた、一筋に高く潔く直く燃えつぎたるこの光栄の
二十四日。 なし。
二十五日。
「金魚も、ただ飼い放ち在るだけでは、月余の命、保たず。」(その一。)
われより若きものへ自信つけさせたく、走り書。断片の語なれども、私は、狂っていません。
社会制裁の目茶目茶は医師のはんらんと、小市民の医師の良心に対する盲目的信仰より起った。たしかに重大の一因である。ヴェルレエヌ氏の施療病院に於ける最後の詩句、「医者をののしる歌。」を読み、思わず
私営脳病院のトリック。
一、この病棟、患者十五名ほどの中、三分の二は、ふつうの人格者だ。他人の財をかすめる者、又、かすめむとする者、ひとりもなかった。人を信じすぎて、ぶちこまれた。
一、医師は、決して退院の日を教えぬ。確言せぬのだ。底知れず、言を左右にする。
一、新入院の者ある時には、必ず、二階の見はらしよき一室に寝かせ、電球もあかるきものとつけかえ、そうして、附き添って来た家族の者を、やや、安心させて、あくる日、院長、二階は未だ許可とってないから、と下の陰気な十五名ほどの患者と同じの病棟へ投じる。
一、ちくおんき慰安。私は、はじめの日、腹から感謝して泣いてしまった。新入の患者あるごとに、ちくおんき、高田浩吉、はじめる如し。
一、事務所のほうからは、決して保証人へ来いと電話せぬ。むこうのきびしく、さいそくせぬうちは、永遠に黙している。たいてい、二年、三年放し飼い。みんな、出ること
一、外部との通信、全部没収。
一、見舞い絶対に謝絶、若しくは時間定めて看守立ち合い。
一、その他、たくさんある。思い出し次第、書きつづける。忘れねばこそ、思い出さずそろ、か。(この日、退院の約束、
「出してくれ!」「やかまし!」どしんのもの音ありて、秋の日あえなく暮れむとす。
二十六日。
「金魚も、ただ飼い放ち在るだけでは、月余の命、保たず。」(その二。)
昨日、約束の迎え来らず。ありがとう。けさ、おもむろに鉛筆執った。愛している、という。けれども、小市民四十歳の者は、われらを愛する術を知っていない。愛し得ぬのだ。金魚へ「ふ」だ。愛していないと、言い切り得る。
夫を失いし或る妻の
営利目的の病院ゆえ、あらゆる手段にて患者の退院はばむが、これ、院主、院長、医師、看護婦、看守のはてまで、おのおの天職なりと、きびしく固く信じている様子である。悪の数々、目おおえども、耳ふさげども、壁のすきま、鉄格子の窓、四方八方よりひそひそ忍びいる様、春の風の如く、むしろ快し。院主(出資者)の訓辞、かの説教強盗のそれより、少し声やさしく、温顔なるのみ。内容、もとより、底知れぬトリックの沼。しかも直接に、人のいのちを奪うトリック。病院では、死骸など、飼い犬死にたるよりも、さわがず、思わず、噂せず。壁塗り左官のかけ
「人権」なる言葉を思い出す。ここの患者すべて、人の資格はがれ落されている。
われら生き伸びてゆくには、二つの
私は、享楽のために売春婦かったこと一夜もなし。母を求めに行ったのだ。乳房を求めに行ったのだ。葡萄の一かご、書籍、絵画、その他のお
私は享楽のために、一本の注射打ちたることなし。心身ともにへたばって、なお、家の
その人と、面とむかって言えないことは、かげでも言うな。私は、この律法を守って、脳病院にぶちこまれた。求めもせぬに、私に、とめどなき告白したる十数人の男女、三つき経ちて、必ず私を悪しざまに、それも陰口、言いちらした。いままでお世辞たらたら、
私の辞書に軽視の文字なかった。
作品のかげの、私の固き戒律、知るや君。否、その激しさの、高さの、ほどを!
私は、私の作品の中の人物に、なり切ったほうがむしろ、よかった。ぐうだらの漁色家。
私は、「おめん!」のかけごえのみ盛大の、里見、島崎などの姓名によりて代表せられる老作家たちの剣術先生的硬直を避けた。キリストの卑屈を得たく修業した。
聖書一巻によりて、日本の文学史は、かつてなき程の鮮明さをもて、はっきりと二分されている。マタイ伝二十八章、読み終えるのに、三年かかった。マルコ、ルカ、ヨハネ、ああ、ヨハネ伝の翼を得るは、いつの日か。
「苦しくとも、少し我慢なさい。悪いようには、しないから。」四十歳の人の言葉。母よ、兄よ。私たちこそ、私たちのあがきこそ、まこと、いつわらざる「我慢下さい。悪いようにはしないから。」の切々、無言の愛情より発していること、知らなければいけない。一時の恥を、しのんで下さい。十度の恥を、しのんで下さい。もう、三年のいのち、保っていて下さい。われらこそ、光の子に、なり得る、しかも、すべて、あなたへの愛のため。
その時には、知るであろう。まことの愛の素晴らしさを、私たちの胸ひろくして、母を、兄を、抱き容れて、眠り溶けさせることができるのだという事実を。その時には、われらにそっと
「まあいいよ。人の心配なぞせずと、ご自分の袖のほころびでも縫いなさい。」それでは、立ちあがって言おうじゃないか。「人たれか、われ先に行くと、たとい、
あなた知っている? 教授とは、どれほど勉強、研究しているものか。学者のガウンをはげ。大本教主の頭髪剃り落した姿よりも、さらに一層、みるみる
学問の過尊をやめよ。試験を全廃せよ。あそべ。寝ころべ。われら巨万の富貴をのぞまず。立て札なき、たった十坪の青草原を!
性愛を恥じるな! 公園の噴水の傍のベンチに於ける、人の眼恥じざる清潔の
「男の人が欲しい!」「女の友が欲しい!」君、恥じるがいい、ただちに、かの聯想のみ思い浮べる油肥りの生活を! 眼を、むいて、よく見よ、性のつぎなる愛の一字を!
求めよ、求めよ、切に求めよ、口に叫んで、求めよ。沈黙は金という言葉あり、
二十七日。
「金魚も、ただ飼い放ち在るだけでは、月余の命、保たず。」(その三。)
人、口々に言う。「リアル」と。問わむ、「何を以てか、リアルとなす。
リアルの最後のたのみの綱は、記録と、統計と、しかも、科学的なる臨床的、解剖学的、それ等である。けれども、いま、記録も統計も、すでに官僚的なる一技術に成り
真理と表現。この両頭食い合いの相互関係、君は、たしかに学んだ筈だ。
この子の瞳の青さを笑うな。
知識人のプライドをいたわれ! 生き、死に、すべて、プライドの故、と断じ去りて、よし。職工を見よ、農家の夕食の様を
くたびれたら寝ころべ!
悲しかったら、うどんかけ一杯と試合はじめよ。
私は君を一度あざむきしに、君は、私を千度あざむいていた。私は、「嘘吐き」と呼ばれ、君は、「苦労人。」と呼ばれた。「うんとひどい嘘、たくさん吐くほど、嘘つきでなくなるらしいのね?」
十二、三歳の少女の話を、まじめに聞ける人、ひとりまえの男というべし。
その余は、おのれの欲するがまにまに行え。
二十八日。
「現代の英雄について。」
ヴェルレエヌ的なるものと、ランボオ的なるもの。
スウィートピイは、
二十九日。
十字架のキリスト、天を仰いでいなかった。たしかに。地に満つ人の子のむれを、うらめしそうに、見おろしていた。
手の札、からりと投げ捨てて、笑えよ。
三十日。
雨の降る日は、天気が悪い。
三十一日。
(壁に。)ナポレオンの欲していたものは、全世界ではなかった。タンポポ一輪の信頼を欲していただけであった。
(壁に。)金魚も、ただ飼い放ち在るだけでは、月余の命、保たず。
(壁に。)われより後に来るもの、わが死を、最大限に利用して下さい。
一日。
伊豆の海の白く立つ浪がしら
塩の花ちる。
うごくすすき。
二日。
誰も来ない。たより寄こせよ。
疑心暗鬼。身も骨も、けずられ、むしられる思いでございます。
チサの葉いちまいの手土産で、いいのに。
三日。
不言実行とは、暴力のことだ。
いい薬になりました。
四日。
「
改造十一月号所載、佐藤春夫作「芥川賞」を読み、だらしない作品と存じました。それ故に、また、
寝間の窓から、
一噛の歯には、一噛の歯を。一杯のミルクには、一杯のミルク。(誰のせいでもない。)
「なんじを訴うる者とともに
誠に、なんじに告ぐ、一
晩秋騒夜、われ
一銭を笑い、一銭に殴られたにすぎぬ。
私の瞳は、汚れてなかった。
享楽のための注射、一本、求めなかった。おめん! の声のみ盛大の二、三の剣術先生を避けたにすぎぬ。「水の火よりも
他は、なし。
天機は、もらすべからず。
(四日、亡父命日。)
五日。
逢うことの、いま、いつとせ、早かりせば、など。
六日。
「人の世のくらし。」
女学校かな? テニスコート。ポプラ。夕陽。サンタ・マリヤ。(ハアモニカ。)
「つかれた?」
「ああ。」
これが人の世のくらし。まちがいなし。
七日。
言わんか、「
八日。
かりそめの、人のなさけの身にしみて、まなこ、うるむも、老いのはじめや。
九日。
窓外、庭の黒土をばさばさ這いずりまわっている醜き秋の
十日。
私が悪いのです。私こそ、すみません、を言えぬ男。私のアクが、そのまま素直に私へ又はねかえって来ただけのことです。
よき師よ。
よき兄よ。
よき友よ。
よき兄嫁よ。
姉よ。
妻よ。
医師よ。
亡父も照覧。
「うちへかえりたいのです。」
柿一本の、生れ
笑われて、笑われて、つよくなる。
十一日。
無才、
十二日。
試案下書。
一、昭和十一年十月十三日より、ひとつき間、東京市板橋区M脳病院に在院。パヴィナアル中毒全治。以後は、
一、十一年十一月より十二年(二十九歳)六月末までサナトリアム生活。(病院撰定は、S先生、K様、一任。)
一、十二年七月より十三年(三十歳)十月末まで、東京より四、五時間以上かかって行き得る(来客すくなかるべき)保養地に、二十円内外の家借りて静養。(K氏、ちくらの別荘貸して下さる由、借りて住みたく思いましたが、けれども、この場所撰定も、皆様一任。)
右の如く満一箇年、きびしき摂生、左肺全快、大丈夫と、しんから自信つきしのち、東京近郊に定住。(やはり創作。厳酷の精進。)
なお、静養中の仕事は、読書と、原稿一日せいぜい二枚、限度。
一、「朝の歌留多 。」
(昭和いろは歌留多。「日本イソップ集」の様な小説。)
一、「猶太 の王。」
(キリスト伝。)
右の二作、プランまとまっていますから、ゆっくり書いてゆくつもりです。他の雑文は、たいてい断るつもりです。その他、来春、長編小説三部曲、「虚構の彷徨。」S氏の序文、I氏の装幀にて、出版。(試案は、所詮、笹の葉の霜。)
この日、午後一時半、退院。