織田君は死ぬ気でいたのである。私は織田君の短篇小説を二つ通読した事があるきりで、また、逢ったのも、二度、それもつい一箇月ほど前に、はじめて逢ったばかりで、かくべつ深い附合いがあったわけではない。
しかし、織田君の
はじめて彼と銀座で逢い、「なんてまあ哀しい男だろう」と思い、私も、つらくてかなわなかった。彼の行く手には、死の壁以外に何も無いのが、ありありと見える心地がしたからだ。
こいつは、死ぬ気だ。しかし、おれには、どう仕様もない。先輩らしい忠告なんて、いやらしい偽善だ。ただ、見ているより外は無い。
死ぬ気でものを書きとばしている男。それは、いまのこの時代に、もっともっとたくさんあって当然のように私には感ぜられるのだが、しかし、案外、見当たらない。いよいよ、くだらない世の中である。
世のおとなたちは、織田君の死に就いて、自重が足りなかったとか何とか、したり顔の批判を与えるかも知れないが、そんな恥知らずの事はもう言うな!
きのう読んだ
「生を棄てて逃げ去るのは罪悪だと人は言う。しかし、僕に死を禁ずるその同じ
織田君を殺したのは、お前じゃないか。
彼のこのたびの
織田君! 君は、よくやった。