運命論者

国木田独歩




      一

 秋の中過なかばすぎ、冬近くなるといずれの海浜かいひんとわず、大方はさびれて来る、鎌倉かまくらそのとおりで、自分のように年中住んでる者のほかは、浜へ出て見ても、里の子、浦の子、地曳網じびきあみの男、あるいは浜づたいに往通ゆきかよ行商あきんどを見るばかり、都人士とじんしらしい者の姿を見るのはまれなのである。
 或日あるひ自分は何時いつものように滑川なめりがわほとりまで散歩して、さて砂山に登ると、おもいの外、北風が身にしむのでふもとおり其処そこら日あたりのい所、身体からだのばして楽にほんの読めそうな所と四辺あたり見廻みまわしたが、思うようなところがないので、彼方此方あちらこちらと探し歩いた、すると一個所、面白い場所を発見みつけた。
 砂山が急にげて草の根でわずかにそれをささえ、そのしたがけのようになってる、其根方ねかたに座って両足を投げ出すと、背はうしろの砂山にもたれ、右のひじは傍らの小高いところにかかり、恰度ちょうどソハにったようで、まことに心持の場処ばしょである。
 自分はもって来た小説をふところから出して心長閑のどかに読んで居ると、日はあたたかに照り空は高く晴れ此処ここよりは海も見えず、人声も聞えず、なぎさころがる波音の穏かに重々しく聞えるほか四囲あたり寂然ひっそりとして居るので、何時いつしか心を全然すっかり書籍ほんに取られてしまった。
 しかるにふと物音のたようであるから何心なく頭を上げると、自分から四五間離れたところに人がたって居たのである。何時此処へ来て、何処どこから現われたのかすこしも気がつかなかったので、あだかも地の底から湧出わきでたかのように思われ、自分は驚いてく見ると年輩としは三十ばかり、面長おもながの鼻の高い男、背はすらりとした※(「月+叟」、第4水準2-85-45)やさがた衣装みなりといい品といい、一見して別荘に来て居る人か、それとも旅宿やどを取って滞留して居る紳士と知れた。
 彼は其処そこにつッ立って自分の方をじっと見て居るそのつきを見て自分は更に驚きつ怪しんだ。かたきを見るいかりの眼か、それにしては力薄し。人を疑う猜忌さいぎの眼か、それにしては光鈍し。たゞ何心なく他をながむる眼にしてははなは[#「甚」は底本では「其」]凄味すごみを帯ぶ。
 妙なやつだと自分も見返して居ることしばし、彼はたちまち眼を砂の上に転じて、一歩一歩、静かに歩きだした。されどもこの窪地くぼちの外に出ようとはないで、たゞ其処らをブラブラ歩いて居る、そして時々すごい眼で自分の方を見る、一たいの様子が尋常でないので、自分は心持が悪くなり、場所を変るつもりで其処をち、砂山の上まで来て、うしろかえりみると、如何どうだろうあやしの男は早くも自分の座って居た場処に身体からだを投げて居た! そして自分を見送って居るはずが、そうでなくたてひざの上に腕組をして突伏つッぷして顔を腕の間にうずめて居た。
 余りの不思議さに自分は様子を見てやる気になって、ある小蔭こかげに枯草を敷ていつくばい、ほんを見ながら、折々頭を挙げての男をうかがってた。
 彼はやゝしばらく顔をあげなかった。けれども十分とは自分をまたさなかった、彼のたちあがるや病人のごとく、何となく力なげであったが、ったと思うとそのままくるり後向うしろむきになって、砂山のがけに面と向き、右の手で其ふもとを掘りはじめた。
 取り出した物は大きなびん、彼はたもとからハンケチを出して罎の砂を払い、更に小な洋盃コップ様のものを出して、罎のせんぬくや、一盃いっぱい一盃、三四杯続けさまに飲んだが、罎を静かに下に置き、手に杯を持たまゝ、昂然こうぜんこうべをあげて大空をながめて居た。
 そしてまた一杯飲んだ。そしてはしなくまなこを自分の方へ転じたと思うと、洋杯コップを手にしたまゝ自分の方へ大股おおまたで歩いて来る、其歩武ほぶの気力ある様は以前の様子と全然まるで違うて居た。
 自分は驚いて逃げ出そうかと思った。しかぐ思い返してそのまゝ横になって居ると、彼は間もなく自分のそばまで来て、あやしげな笑味えみを浮べながら
貴様あなたは僕が今何をたか見て居たでしょう?」
と言った声は少ししわがれて居た。
「見て居ました。」と自分は判然はっきり答えた。
「貴様は他人ひとの秘密をうかがっていと思いますか。」と彼はますます怪げな笑味えみを深くする。
いとは思いません。」
「それなら何故なぜ僕の秘密をうかがいました。」
「僕は此処ここ書籍ほんを読むの自由をもって居ます。」
「それは別問題です。」と彼は一寸ちょっと眼を自分の書籍ほんの上に注いだ。
「別問題ではありません。貴様がにをようと僕が何をようと、それが他人ひとに害を及ぼさぬ限りはお互の自由です。貴様あなたに秘密があるならみずからず秘密にたらいでしょう。」
 彼は急にそわ/\して左の手で頭の毛をむしるようにきながら、
「そうです、そうです。けれどもれが僕のし得るかぎりの秘密なんです。」と言ってしばらく言葉を途切とぎらし、気をめて居たが、
「僕が貴様を責めたのは悪う御座ございました、けれども何乎どうか今御覧になったことを秘密にて下さいませんかお願いですが。」
「おたのみとあれば秘密にします。別に僕の関したことではありませんから。」
難有ありがとう御座います。それで僕も安心しました。イヤまことに失礼しました匆卒いきなり貴様をとがめまして……」と彼は人をおしつけようとする最初の気勢とはうって変り、如何いかにも力なげにわびたのを見て、自分も気の毒になり、
「何もそう謝るには及びません、僕も実は貴様が先刻僕の前に佇立つったって僕ばかり見てた時の風がなんとなくあやしかったから、それで此処ここへ来て貴様あなたることをうかごうて居たのです。矢張やはり貴様を覗がったのです。けれどもの事が貴様の秘密とあれば、堅く僕はその秘密を守りますから御安心なさい。」
 彼は黙って自分の顔を見て居たが、
「貴様は必定きっと守って下さる方です。」と声をふるわし、
如何どうでしょう、一つ僕のさかずきを受けて下さいませんか。」
「酒ですか、酒なら僕は飲ないほうがいのです。」
「飲まないほうが! 飲まないほうが! 無論そうです。もう飲まないで済むことなら僕とても飲まないほうが可いのです。けれども僕はのむのです。それが僕の秘密なんです。如何でしょう、僕と貴様とこうやって話をするのも何かの運命です、あやしい運命ですから、不思議な縁ですから一つ僕の秘密の杯を受けて下さいませんか、え、如何でしょう、受けて下さいませんか。」という言葉の節々、その声音こわね、其眼元、其顔色はおおいなる秘密、いたましい秘密を包んでるように思われた。
「よろしゅう御座います、それでは一ついただきましょう。」と自分の答うるやぐ彼は先にたって元の場処ばしょへと引返えすので、自分も其あとに従った。

      二

「これは上等のブランデーです。自分で上等も無いもんですが、先日上京した時、銀座の亀屋かめやへ行って最上のをれろと内証ないしょうで三本かって来て此処ここかくして置いたのです、一本は最早もうたいらげ空罎あきびん滑川なめりがわに投げ込みました。これが二本目です、だ一本この砂の中にうずめてあります、無くなれば又買って来ます。」
 自分は彼の差したさかずきを受け、すこしずつすすりながら彼の言うところきいて居たが、聞くに連れて自分は彼を怪しむ念の益々ますますたかまるを禁じ得なかった。けれども決して彼の秘密に立入たちいろうとは思なかった。
「それで先刻僕が此処ここへ来て見ると、意外にも貴様あなたが既にこの場処を占領して居たのです、驚きましたね、しからん人もあるものだ僕の酒庫を犯し、僕の酒宴のむしろを奪いながら平気で書籍ほんを読んで居るなんてと、僕はそれで貴様を見つめながら此処を去らなかったのです。」と彼は微笑して言った、その眼元めもとには心の底にひそんで居る彼のやさしい、正直な人柄の光さえ髣髴ほのめいて、自分には更にそれいたましげに見えた、其処そこで自分もわらいを含み、
「そうでしょう、それでなければあんな眼つきで僕を御覧になる訳は御座いません。さも恨めしそうでした。」
「イヤ恨めしくは御座いません、情なかったのです。オヤ/\乃公おれは隠して置いた酒さえも何時いつ他人ひとしりの下にしかれてしまうのか、と自分の運命をのろったのです。詛うと言えばすごく聞えますが、実は僕にはそんなすご了見りょうけんた気力もありません。運命が僕を詛うてるのです――貴様あなたは運命ということを信じますか? え、運命ということ。如何どうです、もひとつ」と彼はびんを上げたので
「イヤ僕は最早もういただきますまい。」とさかずきを彼に返し「僕は運命論者ではありません。」
 彼は手酌てしゃくで飲み、酒気を吐いて、
「それでは偶然論者ですか。」
「原因結果の理法を信ずるばかりです。」
「けれどもその原因は人間の力より発し、そして其結果が人間の頭上に落ち来るばかりでなく、人間の力以上に原因したる結果を人間が受ける場合が沢山ある。その時、貴様は運命という人間の力以上の者を感じませんか。」
「感じます、けれどもそれは自然の力です。そして自然界は原因結果の理法以外には働かないものと僕は信じて居ますから、運命というごとき神秘らしい名目をその力に加えることは出来ません。」
「そうですか、そうですか、わかりました。それでは貴様あなたは宇宙に神秘なしと言うおかんがえなのです、要之つまり、貴様にはこの宇宙に寄する此人生の意義が、極く平易明亮めいりょうなので、貴様の頭は二々ににんで、一切いっせつが間に合うのです。貴様の宇宙は立体でなく平面です。無窮無限という事実も貴様には何等なんら、感興と畏懼いくと沈思とをび起す当面の大いなる事実ではなく、数の連続をもってインフィニテー(無限)を式で示そうとする数学者のお仲間でしょう。」と言って苦しそうな嘆息をもらし、ひややかな、あざけるような語気で、
「けれども、実は其方が幸福なのです。僕の言葉で言えば貴様は運命に祝福されて居る方、貴様の言葉で言えば僕は不幸な結果を身に受けて居る男です。」
「それではこれで失礼します。」と自分は起上たちあがった、すると彼は狼狽あわてて自分を引止め、「ま、ま、貴様怒ったのですか。し僕の言った事がお気に触ったら御勘弁を願います。ついの自分で勝手にくるしんで勝手に色々なことを、馬鹿な訳にも立たん事をかんがえてるもんですから、つい見境もなく饒舌しゃべるのです。いいえだれにもんなことを言った事はないのです。けれども何んだか貴様あなたには言って見とう感じましたから遠慮もなく勝手な熱を吹いたので、貴様には笑われるかも知れませんが。僕にはやはりあやしの運命が僕と貴様を引着ひきつけたように感ぜられるのです。不幸ふしあわせな男と思って、もすこしお話し下さいませんか、もすこし……」
「けれども別にお話しするようなことも僕には有りませんが……」
「そう言わないで何卒どうかもすこし此処ここて下さいな、もすこし……。ああ! 如何どうしてう僕は無理ばかり言うのでしょう! よったのでしょうか。運命です、運命です、う御座います、貴様にお話がないなら僕が話します。僕が話すから聞いて下さい、せめてきいて下さい、僕の不幸ふしあわせな運命を!」
 この苦痛のさけびを聞いて何人なんびとか心を動かさざらん。自分はそのままとどまって、
「聞きましょうとも。僕がいてお差支さしつかえがなければ何事でもうけたまわりましょう。」
「聴いて下さいますか。それならお話しましょう。けれども僕の運命の怪しき力にまどうて居る者ですから、其つもりで聴いて下さい。し原因結果の理法と貴様あなたが言うならそれでもう御座います。たゞ其原因結果の発展が余りに人意のそとに出て居て、其ため一人ひとりの若い男が無限の苦悩に沈んで居る事実を貴様が知りましたなら、それを僕が怪しき運命の力と思うのも無理の無いことだけは承知下さるだろうと思います、で貴様に聞きますが此処ここに一人の男があって、其男が何心なくみちを歩いて居ると、何処どこからとも知れずひとつの石が飛んで来て其男の頭に命中あたり、即死する、そのために其男の妻子はうえに沈み、其為めに母と子は争い、其為に親子は血を流す程の惨劇を演ずるという事実が、此世に有り得ることと貴様あなたは信ずるでしょうか。」
「実際有ることか無いことかは知りませんが、有り得ることとは信じます、それは。」
「そうでしょう、それなら貴様は人の意表に出た原因のために、ふとした原因のために、非常なる悲惨がやゝもすれば、人の頭上に落ちてくるという事実をしたたむるのです、僕の身の上のごとき、まったくそれなので、ほとんど信ずからざるあやしい運命が僕をもてあそんでるのです。僕は運命と言います。僕にはそうほかには信じられんですから。」と言って彼はほっ嘆息ためいきき、
「けれども貴様いてれますか。」
きますとも! 何卒どうかお話なさい。」
「それならず手近な酒のことから話しましょう。貴様は定めし不思議なことと思って居るでしょうが、実は世間に有りふれたことで、苦悩くるしみを忘れたさの魔酔剤に用いてるのです。砂の中に隠して置くのは隠くして飲まなければならない宅の事情があるからなので、その上、この場所は如何いかにも静で快濶かいかつで、如何いかな毒々しい運命の魔も身を隠して人をうかがう暗いかげのないのが僕の気に入ったからです。此処ここへ身を横たえて酒精アルコールの力に身をたくし高い大空を仰いで居る間は、僕の心が幾何いくらか自由を得る時です。そのうちには此激烈な酒精アルコールなきだに弱りはてた僕の心臓を次第に破って、ついには首尾よく僕も自滅するだろうと思って居ます。」
「そんなら貴様あなたは、自殺を願うて居るのですか。」と自分は驚いて問うた。
「自殺じゃアない、自滅です。運命は僕の自殺すら許さないのです。貴様、運命の鬼が最もたくみに使う道具の一は『まどい』ですよ。『惑』はかなしみくるしみに変ます。苦悩くるしみを更に自乗させます。自殺は決心です。始終まどいのために苦んで居る者に、如何どうして此決心が起りましょう。だから『惑』という鈍い、重々しい苦悩くるしみから脱れるには矢張やはり、自滅という遅鈍ちどんな方法しか策がないのです。」
沁々しみじみ言う彼の顔にはあきらかに絶望の影が動いてた。
如何どういう理由わけがあるのか知りませんが、僕は他人の自殺を知ってこれを傍観する訳には行きません。自滅というも自殺に違いないのですから。」と自分が言うや、
「けれども自殺は人々の自由でしょう。」と彼は笑味えみを含んで言った。
「そうかも知れません。しかし之を止め得るならば、止めるのが又人々の自由なり義務です。」
う御座います。僕も決して自滅したくは有りません貴様あなたが僕の物話はなし悉皆すっかりきいて、そのうえで僕を救うの策を立てて下さるのなら僕はこのうえもない幸福です。」
 う聞いては自分も黙って居られない、
よろしい! 何卒どう悉皆すっかり聴かしてもらいましょう。今度は僕の方からお願します。」

      三

「僕は高橋信造たかはししんぞうという姓名ですが、高橋の姓は養家のをおかしたので、僕の元の姓[#「姓」は底本では「性」]大塚おおつかというです。
 大塚信造と言った時のことから話しますが、父は大塚剛蔵ごうぞうと言って御存知でも御座ございますか、東京控訴院の判事としては一寸ちょっと世間でも名の知れた男で、剛蔵の名の示すごとく、剛直一端いっぺんの人物。随分僕を教育する上には苦心したようでした。けれども如何どういうものか僕は小児こどもの時分から学問がきらいで、たゞ物陰ものかげ一人ひとり引込んで、何をかんがえるともなく茫然ぼんやりして居ることが何よりすきでした。十二歳の時分と覚えて居ます、ころは春のすえということは庭の桜がほとんど散り尽して、色褪いろあせた花弁はなびらこずえに残ってたのが、若葉のひまからホロ/\と一片ひとひら三片みひら落つるさまを今も判然はっきりおもいだすことが出来るので知れます。僕は土蔵くらの石段に腰かけていつもごと茫然ぼんやりと庭のおもてながめて居ますと、夕日が斜に庭のこんで、さなきだに静かな庭が、一増ひとしお粛然ひっそりして、凝然じっとして、ながめて居ると少年心こどもごころにもかなしいようなたのしいような、所謂いわゆ春愁しゅんしゅうでしょう、そんな心持こころもちになりました。
 人の心の不思議を知って居るものは、童児こどもの胸にも春のしずかゆうべを感ずることの、実際有り得ることをいなまぬだろうと思います。
 かくも僕はそういう少年でした。父の剛蔵[#「剛蔵」は底本では「剛造」]はこのことを大変苦にして、僕のことを坊頭臭ぼうずくさい子だと数々しばしば小言こごとを言い、僧侶ぼうずなら寺へやっしまうなど怒鳴ったこともあります。それに引かえ僕のおとと秀輔ひですけは腕白小僧で、僕より二ツ年齢としが下でしたが骨格も父にたくましく、気象もまるで僕とはちがって居たのです。
 父が僕をしかる時、母とおとととは何時いつも笑ってはたで見て居たものです。母というはおとよといい、言葉の少ない、柔和らしく見えて確固しっかりした気象の女でしたが、僕をしかったこともなく、さりとて甘やかす程に可愛かわいがりもせず、言わば寄らず触らずにして居たようです。
 それで僕の気象が性来今言ったようなのであるか、あるいはそうでなく、僕は小児こどもの時、早く不自然な境におかれて、我知らずの孤独な生活を送ったゆえかも知れないのです。
 成程父は僕のことを苦にしました。けれどもその心配はたゞ普通の親が其子の上をうれうるのとはちがって居たのです、それで父が『折角男に生れたのなら男らしくなれ、女のような男は育て甲斐がいがない』と愚痴めいた小言を言う、其言葉の中にも僕の怪しい運命の穂先が見えて居たのですが、少年こどもの僕にはだ気が着きませんでした。
 言うことを忘れて居ましたが、其頃は父が岡山地方裁判所長の役で、大塚の一家いっけは岡山の市中に住んでたので、一家が東京に移ったのは未だ余程後のことです。
 或日あるひのことでした、僕が平時いつものように庭へ出て松の根に腰をかけ茫然ぼんやりして居ると、何時いつの間にか父がそばに来て、
『お前は何を考がえて居るのだ。もって生れた気象なら致方しかたもないが、乃父おれはお前のような気象は大嫌だいきらいだ、最少もすこ確固しっかりしろ。』と真面目まじめの顔で言いますから、僕は顔も上げ得ないで黙って居ました。すると父は僕の傍に腰を下して、
『オイ信造』と言って急に声をひそめ『お前はだれかに何かききなかったか。』
 僕には何のことか全然すっかりわからないから、驚いて父の顔を仰ぎましたが、不思議にも我知らず涙含なみだぐみました。それを見て父の顔色はにわかに変り、益々ますます声をひそめて、
かくすには及ばんぞ、きいたら聞いたと言うがえ。そんなら乃父おれには考案かんがえがあるから。サア慝くさずに言うが可え。何か聞いたろう?』
 このときの父の様子は余程狼狽ろうばいして居るようでした。それで声さえ平時いつもと変り、僕は可怕こわくなりましたから、しく/\泣き出すと、父は益々ますます狼狽うろたえ、
『サア言え! 聞いたらきいたと言え! かくすかお前は』と僕の顔をにらみつけましたから、僕も益々可怕こわくなり、
『御免なさい、御免なさい』とたゞ謝罪あやまりました。
『謝罪れと言うんじゃない。し何かお前が妙なことをきいて、それで茫然ぼんやり考がえて居るじゃないかと思うから、それでくのだ。なんにも聞かんのならそれえ。サア正直に言え!』と今度は真実ほんとに怒って言いますから、僕はなんのことかわからず、たゞ非常な悪いことでもたのかと、おろ/\声で、
『御免なさい、御免なさい。』
『馬鹿! 大馬鹿者! たれが謝罪れと言った。十二にもなって男の癖にぐ泣く。』
 怒鳴られたので僕は喫驚びっくりして泣きながら父の顔を見てると、父もしばらくは黙ってじっと僕の顔を見て居ましたが、急に涙含なみだぐんで、
なかんでもえ、最早もう乃父おれも問わんから、サア奥へ帰るがえ、』とやさしく言ったその言葉は少ないが、慈愛にみちて居たのです。
 其後でした、父が僕のことを余り言わなくなったのは。けれども又其後でした僕の心の底に一片の雲影の沈んだのは。運命の怪しき鬼が其つめを僕の心に打込んだのは実にこのときです。
 僕は父の言葉が気になってたまりませんでした。これも普通の小供こどもならもなく忘れてしまっただろうと思いますが、僕は忘れるどころか、がなすきがな、何故なぜ父はのような事を問うたのか、父がくまでに狼狽ろうばいしたところを見ると、余程の大事であろうと、少年心こどもごころに色々と考えて、そして其大事は僕の身の上に関することだと信ずるようになりました。
 何故なぜでしょう。僕は今でも不思議に思って居るのです。何故父の問うたことが僕の身の上のことと自分で信ずるに至ったでしょう。
 暗黒くらきに住みなれたものは、暗黒くらきに物を見ると同じ事で、不自然なる境におかれたる少年は何時いつしかその暗き不自然の底にひそんで居る黒点を認めることが出来たのだろうと思います。
 けれども僕の其黒点の真相をとらえ得たのはずっと後のことです。僕は気にかかりながらも、これを父に問い返すことは出来ず、又母には猶更なおさら出来ず、ちいさな心を痛めながらも月日を送って居ました。そして十五のとしに中学校の寄宿舎に入れられましたが、其前に一ツお話して置く事があるのです。
 大塚の隣屋敷に広い桑畑くわばたけがあって其横に板葺そぎぶきちいさな家がある、それに老人としより夫婦と其ころ十六七になる娘がすんで居ました。以前は立派な士族で、桑園くわばたけすなわち其屋敷跡だそうです。この老人としよりが僕の仲善なかよしでしたが、或日あるひ僕に囲碁の遊戯あそびを教えてれました。二三日たって夜食の時、このことを父母に話しましたところ何時いつ遊戯あそびのことは余り気にしない父がかどたてしかり、母すら驚いた眼を張って僕の顔を見つめました。そして父母が顔を見合わした時の様子の尋常でなかったので、僕ははなはだ妙に感じました。
 何故なぜ僕が囲碁を敵としなければならぬか、それも後にわかりましたが、それが解った時こそ、僕が全く運命の鬼に圧倒せられ、僕が今の苦悩をめ尽すはじめで御座いました。

      四

 僕の十六の時、父は東京に転任したので大塚一家いっけは父と共に移転しましたが、僕だけは岡山中学校の寄宿舎に残されました。
 僕はその三年間の生活を思うと、僕のこのけるまことの生活はの学校時代だけであったのを知ります。
 学生は皆な僕に親切でした。僕は心の自由を恢復かいふくし、悪運の手よりのがれ、身の上の疑惑をいだくこと次第に薄くなり、沈欝ちんうつの気象までが何時いつしか雪のけるごとく消えて、快濶かいかつな青年の気を帯びて来ました。
 しかるに十八の秋、突然東京の父から手紙が来て僕に上京を命じたのです。おだやかな僕の心は急に擾乱かきみだされ、僕はほとんど父の真意を知るに苦しみ、返書を出して責めて今一年、卒業の日までこのままに仕て置いてもらおうかと思いましたが、思い返して直ぐ上京しました。麹町こうじまちの宅に着くや、父は一室ひとまに僕をんで、『早速さっそくだがお前とく相談したいことが有るのだ。お前これから法律を学ぶ気はないかね。』
 思いもかけぬ言葉です。僕は驚いて父の顔を見つめたきり容易に口を開くことが出来ない。
『実は手紙で詳しく言ってやろうかとも思ったが、まわりくどいからんだのだ。お前も卒業までと思ったろうし、又大学までともこころざしてたろうけれど、人は一日も早く独立の生活を営む方がえことはお前も知って居るだろう。それでお前これからぐ私立の法律学校に入るのじゃ。三年で卒業する。弁護士の試験を受ける。そしたあかつきは私と懇意な弁護士の事務所に世話してやるから、其処そこで四五年も実地の勉強をするのじゃ。そのうちに独立して事務所を開けば、それこそ立派なもの、お前も三十にならん内、堂々たる紳士となることが出来る。如何どうじゃな、其方が近道じゃぞ。』という父の言葉をいて居る、僕の心の全く顛動てんどうしたのも無理はないでしょう。
 これ実に他人の言葉です。他人の親切です。居候いそうろうの書生に主人の先生が示す恩愛です。
 大塚剛蔵は何時いつしか其自然に返って居たのです。知らず/\其自然を暴露しめすに至ったのです。僕をそとに置くこと三年、その実子なる秀輔ひですけのみをかたわら愛撫あいぶすること三年、人間が其天真に帰るべき門、墳墓にちかづくこと三年、この三年の月日は彼をして自然に返らしたのです。けれども彼はだ其自然を自認することが出来ず、何処どこまでも自分を以前の父のごとく、僕を以前の子の如く見ようとして居るのです。
 其処そこで僕は最早もはや進んで僕の希望のぞみのべるどころではありません。たゞこれめいこれしたがうだけのことを手短かに答えて父の部屋を出てしまいました。
 父ばかりでなく母の様子も一変して居たのです。日のつに従ごうて僕は僕の身の上に一大秘密のあることを益々ますます信ずるようになり、父母の挙動に気をつければつけるほど疑惑の増すばかりなのです。
 一度は僕も自分の癖見ひがみだろうかと思いましたが、合憎あいにく想起おもいおこすは十二の時、庭で父から問いつめられた事で、あれおもい、これを思えば、最早もはや自分の身の秘密を疑がうことは出来ないのです。
 懊悩おうのううちに神田の法律学校に通って三月もたちましたろうか。僕は今日こそ父に向い、断然此方こっちから言い出して秘密の有無うむただそうと決心し、学校から日の暮方に帰って夜食を済ますや、父の居間にゆきました。父はランプのもとで手紙をしたためてましたが、僕を見て、『なんぞ用か』と問い、やはり筆をとって居ます。僕は父のわき火鉢ひばちそばに座って、しばらく黙って居ましたが、この時降りかけて居た空が愈々いよいよ時雨しぐれて来たと見え、ひさしを打つみぞれ[#「霙」の誤り?、400-7]の音がパラ/\聞えました。父は筆をいてやお此方こちらに向き、
『何ぞ用でもあるか、』とやさしく問いました。
『少したずねたいことが有りますので、』とわずかに口を切るや、父は早くも様子を見て取ったか
『何じゃ。』とおごそかにひざを進めました。
父様とうさま、私は真実ほんとに父様のなのでしょうか。』とかねて思い定めて置いた通り、単刀直入に問いました。
『何じゃと』と父の一言、その眼光の鋭さ! けれどもぐ父は顔をやわらげて、
何故なぜお前はそんなことを私に聞くのじゃ、何かわし共がお前に親らしくないことでもして、それでそういうのか。』
『そういう訳では御座いませんが、私には昔から如何どういう者かこのうたがいがあるので、始終胸を痛めてるので御座ます、知らして益のない秘密だから父上おとうさまも黙ってお居でになるのでしょうけれど、私は是非それが知りたいので御座います。』と僕は静に、決然と言い放ちました。
 父は暫時しばらく腕組をして考えて居ましたが、おもむろに顔を上げて、
『お前が疑がって居ることもわしは知って居たのじゃ。私の方から言うた方がと思ったことも此頃ある。それで最早もはやお前からきかれて見るとお言うてしまうがえから言うことに仕よう。』とそれから父は長々と物語りました。
 けれども父の知らしてれた事実はこれだけなのです。周防すおう山口の地方裁判所に父が奉職してた時分、馬場金之助ばばきんのすけという碁客ごかくが居て、父と非常に懇親を結び、常に兄弟のごとく往来して居たそうです。その馬場という人物は一種非凡なところがあって、碁以外に父はその人物を尊敬して居たということです。その一子がすなわち僕であったのです。
 父は其頃三十八、母は三十四で最早もはや子は出来ないものとあきらめて居ると、馬場が病で没し、其妻も間もなく夫の後をおそうこの世を去り、残ったのは二歳ふたつになる男の子、これさいわいと父が引取って自分のとし養ったので、父からいうと半分は孤児を救う義侠ぎきょうでしたろう。
 僕のうみの父母はだ年が若く、父は三十二、母は二十五であったそうです。けれども母の籍が未だ馬場の籍に入らん内に僕が生れ、其ためでしょう、僕の出産届が未だ仕てなかったので、大塚の父は僕を引取るやただちに自分の子として届けたのだそうです。
 以上の事を話して大塚の父のいうには、
そのわしは間もなく山口を去ったから、お前を私の実子でないと知るものは多くないのじゃ。私達夫婦はくまで実子のつもりでこれまで育てて来たのじゃ。この先も同じことだからお前も決して癖見根生ひがみこんじょうを起さず、何処どこまでも私達を父母と思って老先おいさきを見届けて呉れ。秀輔ひですけは実子じゃがお前のことは決して知らさんから、お前も真実の兄となって生涯れの力ともなって呉れ。』と、おいに涙を見るより先に僕は最早もう泣いて居たのです。
 其処そこで養父と僕とは此等これらの秘密をくまで人にもらさぬ約束をし、た僕がこの先何かの用事で山口にゆくとも、たゞ他所よそながら父母の墓にもうで、決して公けにはせぬということを僕は養父に約しました。
 そのの月日は以前よりもかえっておだやかにすぎたのです。養父も秘密を明けてかえって安心した様子、僕も養父母の高恩を思うにつけて、心を傾けて敬愛するようになり、勉学をも励むようになりました。
 そして一日も早く独立の生活を営み得るようになり、自分は大塚の家から別れ、義弟の秀輔に家督かとくを譲りたいものと深く心に決するところがあったのです。
 三年の月日はたちまき、僕は首尾よく学校を卒業しましたが、お養父の言葉に従い、一年間更に勉強して、さて弁護士の試験を受けましたところ、意外の上首尾、養父も大よろこびで早速其友なる井上博士の法律事務所に周旋しゅうせんしてれました。
 かく一人前いちにんまえの弁護士となって日々京橋区きょうばしくなる事務所に通うてましたが、のまゝで今日になったら、養父も其目的通りに僕を始末し、僕も平穏な月日を送って益々ますます前途の幸福をたのしんで居たでしょう。
 けれども、僕は如何どうしても悪運のであったのです。ほとん何人なんびとも想像することの出来ない陥穽おとしあなが僕の前に出来て居て、悪運の鬼は惨刻ざんこくにも僕を突き落しました。

      五

 井上博士は横浜にも一ヶ所事務所をもって居ましたが、僕は二十五の春、この事務所に詰めることとなり、名は井上の部下であってもその実は僕が独立でやるのと同じことでした。年齢としの割合には早い立身とってもいだろうと思います。
 ところが横浜に高橋という雑貨商があって、随分盛大にやって居ましたが、其主人あるじは女で名はうめ所天つれあい[#「所天」は底本では「所夫」]は二三年前になくなって一人娘ひとりむすめ里子さとこというを相手に、贅沢ぜいたくくらして居たのです。
 訴訟用から僕は此家に出入することとなり、僕と里子は恋仲になりました、手短に言いますが、半年たたぬうちに二人ふたりは離れることの出来ないほど、のぼせ上げたのです。
 そしてその結果は井上博士が媒酌ばいしゃくとなり、ついに僕は大塚の家を隠居し高橋の養子となりました。
 僕の口から言うも変ですが、里子は美人というほどでなくとも随分人目を引く程の容色きりょうで、丸顔の愛嬌あいきょうのある女です。そして遠慮なくいいますが全く僕を愛してれます、けれどもこの愛はかえって今では僕を苦しめる一大要素になって居るので、し里子がくまでに僕を愛し、僕が又たうまで里子を愛しないならば、僕はこれほどまでに苦しみは仕ないのです。
 養母の梅は今五十歳ですが、見たところ、四十位にしか見えず、小柄の女で美人の相をそなえ、なか/\立派な婦人です。そして情のはげしい正直な人柄といえば、智慧ちえの方はやゝ薄いということはわかるでしょう。快活でく笑いく語りますが、如何どうかすると恐しい程沈欝な顔をして、半日何人なんびととも口をまじえないことがあります。僕は養子とならぬ以前からこの人柄に気をつけてましたが、里子と結婚して高橋のうちに寝起することとなりて間もなく、妙なことを発見したのです。
 それは夜の九時頃になると、養母はその居間にこもってしまい、不動明王を一心不乱に拝むことで、口に何ごとか念じつゝ床の間にかけた火炎の像の前に礼拝して十時となり十一時となり、時には夜半過よなかすぎに及ぶのです、居間のうち沈欝ふさいで居た晩はことにこれが激しいようでした。
 僕も始めは黙って居ましたが、余り妙なので或日あるひこのことを里子にたずねると、里子は手を振って声をひそめ、『黙って居らっしゃいよ。あれは二年前から初めたので、あのことを母に話すと母は大変気嫌きげんを悪くしますから、成るべく知らん顔して居たほうがいんですよ。御覧なさい全然まるで狂気きちがいでしょう。』と別に気にもかけぬ様なので、僕もしいては問いもしなかったのです。
 けれどもその一月もして或日あるひ、僕は事務所から帰り、夜食を終て雑談してると、養母は突然、
怨霊おんりょうというものは何年たっても消えないものだろうか。』と問いました。すると里子は平気で、
『怨霊なんて有るもんじゃアないわ。』と一言で打消そうとすると、母はむきになって、
『生意気を言いなさんな。お前見たことはあるまい。だからそんなことを言うのだ。』
『そんなら母上おっかさんは見て?』
『見ましたとも。』
『オヤそう、如何どんな顔をして居て? 私も見たいものだ。』と里子は何処どこまでも冷かしてかゝった。すると母はすごいほど顔色を変えて、
『お前怨霊おんりょうが見たいの、怨霊が見たいの。真実ほんとに生意気なこというよこのひとは!』と言い放ち、つッとたって自分の部屋に引込ひっこんでしまった。僕は思わず、
母上おっかさん如何どうか仕て居なさるよ、気を附けんと……』
 里子は不安心な顔をして、
『私真実ほんとに気味が悪いわ。母上おっかさん必定きっと何にか妙なことを思って居るのですよ。』
『ちっと神経を痛めて居なさるようだね。』と僕も言いましたが、さて翌日になると別に変ったことはないのです。変って居るのは唯々ただ何時いつもの通り夜になると不動様を拝むことだけで、僕等ぼくらもこれは最早もはや見慣れて居るからしいて気にもかゝりませんでした。
 ところ今歳ことしの五月です、僕は何時いつもよりか二時間も早く事務所を退ひいて家へ帰りますと、そのは曇って居たので家の中は薄暗いうちにも母のへやことに暗いのです。母に少し用事があったので別に案内もせずふすまけて中に入ると母は火鉢ひばちそばにぽつねんと座ってましたが、僕の顔を見るや、
『ア、ア、アッ、アッ!』と叫んで突起つったったかと思うと、又尻餅しりもちついじっと僕を見た時の顔色! 僕は母が気絶したのかと喫驚びっくりしてそば駈寄かけよりました。
如何どうしました、如何しました』とけんだ僕の声を聞いて母はわずかに座り直し、
『お前だったか、私は、私は……』と胸をすって居ましたが、そのあいだも不思議そうに僕の顔を見て居たのです。僕は驚ろいて、
母上おっかさん如何どうなさいました。』と聞くと、
『お前が出抜だしぬけに入って来たので、私はだれかと思った。おゝ喫驚びっくりした。』とぐ床をしかして休んでしまいました。
 このことの有った後は母の神経に益々ますます異常を起し、不動明王を拝むばかりでなく、僕などは名も知らぬ神符おふだを幾枚となく何処どこからかもらって来て、自分の居間の所々しょしょはりつけたものです。そして更に妙なのは、これまで自分だけで勝手に信じて居たのが、僕を見て驚ろいた後は、僕に向っても不動を信じろというので、僕が何故なぜ信じなければならぬかと聞くと、
『たゞ黙って信じておれ。それでないと私が心細い。』
母上おっかさんの気が安まるのなら信仰も仕ましょうが、それなら私よりもお里の方がいでしょう。』
『お里では不可いけません。あれには関係のないことだから。』
『それでは私には関係があるのですか。』
『まアそんなことを言わないで信仰してお呉れ、後生だから。』という母の言葉を里子もそばで聞て居ましたが、あきれて、
『妙ねえ母上おっかさん、不動様が如何どうして母上おっかさんと信造さんとには関係があって私には無いのでしょう。』
『だから私が頼むのじゃアありませんか、理由わけが言われる位ならたのみはしません。』
『だって無理だわ、信造さんに不動様を信仰しろなんて、今時の人にそんなことをすすめたって……』
『そんなら頼みません!』と母は怒ってしまったので、僕は言葉を柔げ、
『イヤ私だって不動様を信じないとは限りません。だから母上おっかさんまアその理由いわれを話て下さいな。如何どんなことか知りませんが、親子の間だからすこしあかされないようなことは無いでしょう。』と求めました。これは母の言うところよって迷信をおさえ神経を静める方法もあろうかと思ったからです。すると母はしばらく考えてましたが、吐息といきをして声をひそめ、
『これりの話だよ、たれにもしらしてはなりませんよ。私がだ若い時分、お里の父上おとうさまえんづかない前にある男に言い寄られて執着しゅうねく追いまわされたのだよ。けれども私は如何どうしても其男の心に従わなかったの。そうすると其男が病気になって死ぬ間際に大変私をうらんで色々なことを言ったそうです。それで私も心持こころもちなかったが、此処ここへ縁づいてからは別に気にもせんで暮して居ました。ところが所天つれあい[#「所天」は底本では「所夫」]くなってからというものは、その男の怨霊おんりょう如何どうかすると現われて、可怖こわい顔をして私をにらみ、今にも私を取殺とりころそうとするのです。それで私が不動様を一心に念ずると其怨霊がだん/\きえなくなります。それにね、』と、母は一増ひとしお声を潜め『このごろは其怨霊が信造に取ついたらしいよ。』
『まアいやな!』里子はまゆひそめました。
『だってね、如何どうかすると信造の顔が私には怨霊そっくりに見えるのよ。』
 それで僕に不動様を信じろと勧めるのです。けれども僕にはそんな真似まねは出来ないから、里子と共に色々と怨霊などいうものの有るべきでないことを説いたけれど無益でした。母は堅く信じて疑がわないので、僕等も持余もてあまし、の鎌倉へでも来て居て精神を静めたらと、無理に勧めてつい此処ここの別荘にいれたのは今年の五月のことです。」

      六

 高橋信造は此処ここまで話して来てたちまかしらをあげ、西に傾く日影を愁然しゅうぜんと見送って苦悩にえぬ様であったが、手早くさかずきをあげて一杯飲み干し、
「この先を詳しく話す勇気は僕にありません。事実を露骨に手短に話しますから、それ以上は貴様あなたの推察を願うだけです。
 高橋梅たかはしうめすなわち僕の養母は僕の真実の母、うみの母であったのです。さい里子さとこは父をことにした僕の妹であったのです。如何どうです、これがあやしい運命でなくて何としましょう。かくごときをも源因結果の理法といえばそれまでです。けれども、かゝる理法の下に知らず/\このおかれた僕から言えば、此天地間にかゝる惨刻ざんこくなる理法すら行なわるゝを恨みます。
 如何どうして此等これらの事実が僕に知れたか、その手続を簡単に言えば、母が鎌倉に来てから一月後ひとつきのち、僕は訴訟用で長崎にゆくこととなり、其途中山口、広島などへ立寄る心組でましたから、見舞かた/″\鎌倉へ来て母にこの事を話しますと、母はの色をかえて、山口などへ寄るなと言います。けれども僕の心にはうみの父母の墓に参るつもりがありますから、母にはい加減に言って置いて、ついに山口に寄ったのです。
 かねて大塚の父から聞いて居たから寺はぐ分りました。けれども僕は馬場金之助ばばきんのすけの墓のみ見出して、しんだときいた母の墓を見ないので、不審に思って老僧にい、右の事をたずねました。もっと所縁ゆかりのものとのみ、僕の身の上は打明けないのです。
 すると老僧は馬場金之助の妻おのぶの墓のあるべきはずはない。の女は金之助の病中に、碁の弟子で、町の豪商なにがしの弟と怪しい仲になり、金之助の病気はそのため更に重くなったのを気の毒とも思ず、つい乳飲児ちのみご[#「乳飲児」は底本では「飲乳児」]を置去りにして駈落かけおちしてしまったのだと話しました。
 老僧はなおも父が病中母をののしったこと、死際しにぎわに大塚剛蔵に其一子いっしを托したことまで語りました。
 其お信が高橋梅であるということは、だれも知らないのです。僕も証拠はもっません。けれども老僧がお信のことを語る中に早くも僕は今の養母がすなわちそれであることを確信したのです。
 僕は山口でぐ死んで了おうかと思いました。の時、実に彼の時、僕が思いきって自殺して了ったら、むしろ僕はさいわいであったのです。
 けれども僕は帰って来ました。ひとつは何とかしてたしかな証拠を得たいため、一は里子に引寄せられたのです。里子はかくも妹ですから、僕の結婚の不倫であることは言うまでもないが、僕は妹として里子を考えることは如何どうしても出来ないのです。
 人の心ほど不思議なものはありません。不倫という言葉は愛という事実には勝てないのです。僕と里子の愛がかえって僕を苦しめると先程言ったのはこの事です。
 僕は里子をようして泣きました。幾度も泣きました。僕もた母と同じく物狂ものぐるおしくなりました、あわれなるは里子です。すべての事が里子には怪しきなぞで、彼はたゞまどいに惑うばかり、ついには母と同じく怨霊おんりょうを信ずるようになり、今も横浜の宅で母と共に不動明王に祈念をこらして居るのです。里子は怨霊の本体を知らず、たゞ母も僕も此怨霊に苦しめられて居るものと信じ、祈念の誠をもって母と所天おっと[#「所天」は底本では「所夫」]すくおうとして居るのです。
 僕は成るべく母を見ないようにして居ます。母も僕にうことを好みません。母のには成程僕が怨霊の顔と同じく見えるでしょうよ。僕は怨霊のですもの!
 僕には母を母として愛さなければならんはずです、しかし僕は母が僕の父を瀕死ひんしきわに捨て、僕を瀕死の父の病床に捨てて、密夫みっぷと走ったことを思うと、言うべからざる怨恨えんこんの情が起るのです。僕の耳には亡父なきちち怒罵どばの声が聞こえるのです。僕のには疲れはて身体からだを起して、何も知らない無心の子をいだき、男泣きに泣きたもうた様が見えるのです。そしてこの声を聞き此さまを見る僕には実に怨霊の気が乗移のりうつるのです。
 夕暮の空ほの暗い時に、柱にもたれてた僕が突然、まなこを張り呼吸いきこらして天の一方をにらむ様を見た者は母でなくとも逃げ出すでしょう。母ならば気絶するでしょう。
 けれども僕は里子のことを思うと、うらみいかりも消えて、たゞ限りなき悲哀かなしみに沈み、この悲哀の底には愛と絶望が戦うて居るのです。
 ところこの九月でした、僕は余りの苦悩くるしさに平常ほとん酒杯さかずきを手にせぬ僕が、里子のとめるのもきかず飲めるだけ飲み、居間の中央に大の字になって居ると、なんと思ったか、母が突然鎌倉から帰って来て里子だけをその居間に呼びつけました。そして僕は酔って居ながらもぐ其理由わけの尋常でないことを悟ったのです。
 一時間ばかりつと里子は眼を泣きらして僕の居間に帰て来ましたから、『如何どうしたのだ。』と聞くと里子は僕のそば突伏つっぷして泣きだしました。
母上おっかさんが僕を離婚するとったのだろう。』と僕は思わず怒鳴りました。すると里子は狼狽あわてて、
『だからね、母が何と言っても所天あなた[#「所天」は底本では「所夫」]決して気にしないで下さいな。気狂きちがいだと思って投擲うっちゃって置いて下さいな、ね、後生ですから。』と泣声を振わして言いますから、『そういうことなら投擲うっちゃって置く訳に行かない。』と僕はいきなり母の居間に突入しました。里子は止めるひまもなかったので僕に続いて部屋に入ったのです。僕は母の前に座るや、
貴女あなたは私を離婚すると里子に言ったそうですが、その理由わけを聞きましょう。離婚するなら仕ても私は平気です。あるいむしろ私の望むところで御座います。けれども理由わけ被仰おっしゃい、是非の理由を聞きましょう。』とよいまかせて詰寄つめよりました。すると母は僕の剣幕の余り鋭いので喫驚びっくりして僕の顔を見てるばかり、一言も発しません。
『サア理由わけを聞きましょう。怨霊おんりょうが私に乗移って居るから気味が悪いというのでしょう。それは気味が悪いでしょうよ。私は怨霊のですもの。』と言いはなちました、見る/\母の顔色は変り、物をも言わず部屋へやの外へけ出てしまいました。
 僕は其まゝ母の居間に寝て了ったのです。めるや酒の酔もめ、頭の上には里子が心配そうに僕の顔を見てすわって居ました。母はぐ鎌倉に引返したのでした。
 その僕と母とは会わないのです。僕は母にかわって此方こちらに来て、母は今、横浜の宅に居ますが、里子は両方をかわる/″\介抱して、二人ふたりの不幸をば一人ひとりで正直に解釈し、たゞ/\怨霊おんりょうわざとのみ信じて、二人の胸のうちまこと苦悩くるしみ全然まるきり知らないのです。
 僕は酒を飲むことを里子からも医師からも禁じられて居ます。けれども如何どうでしょう。のような目にって居る僕がブランデイの隠飲かくしのみをやるのは、はたして無理でしょうか。
 今や僕の力は全く悪運の鬼にひしがれて了いました。自殺の力もなく、自滅を待つほどの意久地いくじのないものと成りはてて居るのです。
 如何どうでしょう、以上ザッと話しました僕の今日までの生涯の経過を考がえて見て、僕の心持になってもらいたいものです。これがだ源因結果の理法にすぎないと数学の式に対するような冷かな心持でられるものでしょうか。うみの母は父のあだです、最愛の妻は兄妹きょうだいです。これが冷かなる事実です。そして僕の運命です。
 この運命から僕を救い得る人があるなら、僕はつつしんでおしえを奉じます。その人は僕の救主すくいぬしです。」

      七

 自分は一言を交えないで以上の物語を聞いた。聞き終ってしばらくは一言も発し得なかった。成程悲惨なる境遇に陥った人であるとツク/″\気の毒に思ったのである。けれどもむなくんばと、
「断然離婚なさったら如何どうです。」
「それは新らしき事実を作るばかりです。既に在る事実は其めに消えません。」
「けれどもそれやむを得ないでしょう。」
「だから運命です。離婚したところうみの母が父のあだである事実はきえません。離婚したところで妹を妻として愛する僕の愛は変りません。人の力をもって過去の事実を消すことの出来ない限り、人は到底運命の力よりのがるゝことは出来ないでしょう。」
 自分は握手して、黙礼して、この不幸なる青年紳士と別れた、日は既に落ちて余光華かにゆうべの雲を染め、顧れば我運命論者はさびしき砂山の頂に立って沖をはるかながめて居た。
 その後自分は此男にあわないのである。





底本:「日本の文学6 武蔵野・春の鳥」ほるぷ出版
   1985(昭和60)年8月1日初版第1刷発行
底本の親本:「運命」左久良書房
   1906(明治39)年3月18日発行
      「國木田獨歩全集 第三卷」学習研究社
   1964(昭和39)年10月30日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※疑問点の確認にあたっては、「國木田獨歩全集 第三卷」1964(昭和39)年10月30日発行を参照しました。
入力:Mt.fuji
校正:福地博文
1999年5月13日公開
2004年6月28日修正
青空文庫作成ファイル:
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●表記について