一
何
公爵の旧領地とばかり、
詳細い事は言われない、侯伯子男の新華族を沢山出しただけに、同じく維新の風雲に会しながらも妙な
機から
雲梯をすべり落ちて、
遂には男爵どころか県知事の椅子
一にも
有つき得ず、
空しく
故郷に引込んで老朽ちんとする人物も少くはない、こういう人物に限ぎって
変物である、
頑固である、片意地である、尊大である、富岡先生もその一人たるを失なわない。
富岡先生、と言えばその
界隈で知らぬ者のないばかりでなく、恐らく東京に住む侯伯子男の方々の中にも、「ウン
彼奴か」と直ぐ御承知の、そして
眉をひそめらるる者も随分あるらしい
程の知名な老人である。
さて
然らば先生は
故郷で何を
為ていたかというに、親族が世話するというのも
拒んで、広い田の中の一軒屋の、
五間ばかりあるを、何々
塾と
名け、
近郷の青年七八名を集めて、漢学の教授をしていた、一人の
末子を
対手に一人の老僕に家事を任かして。
この一人の末子は梅子という
未だ
六七の頃から珍らしい
容貌佳しで、年頃になれば非常の美人になるだろうと
衆人から
噂されていた娘であるが、果してその通りで、年の行く
毎に
益々美しく成る、十七の春も空しく過ぎて十八の夏の末、東京ならば学校の新学期の初まるも遠くはないという時分のこと、法学士
大津定二郎が帰省した。
富岡先生の何々塾から出て(無論小学校に通いながら漢学を学び)遂に大学まで卒業した者がその頃三名ある、この三人とも梅子
嬢は
乃公の者と自分で
決定ていたらしいことは
略世間でも
嗅ぎつけていた事実で、これには
誰も異議がなく、
但し三人の
中何人が遂に梅子
嬢を連れて東京に帰り
得るかと、
他所ながら指を
啣えて見物している
青年も少くはなかった。
法学士大津定二郎が帰省した。彼は三人の一人である。何峠から
以西、何川辺までの、何町、何村、
字何の何という
処々の家の、種々の雑談に一つ新しい興味ある問題が加わった。
愈々大津の息子はお梅さんを
貰いに帰ったのだろう、
甘く行けば
後の高山の
文さんと長谷川の息子が失望するだろう、何に
田舎でこそお梅さんは美人じゃが東京に行けばあの位の女は
沢山にありますから後の二人だってお梅さんばかり
狙うてもおらんよ、など
厄鬼になりて討論する婦人連もあった。
或日の夕暮、一人の若い品の
佳い洋服の紳士が富岡先生の家の前えに
停止まって、
頻りと内の様子を
窺ってはもじもじしていたが遂に門を
入って玄関先に
突立って、
「お頼みします」という声さえ少し
顫えていたらしい。
「誰か来たぞ!」と怒鳴ったのは
確に先生の声である。
襖が
静に開いて現われたのが梅子である。紳士の顔も梅子の顔も
一時にさっと
紅をさした。梅子はわずかに会釈して内に入った。
「何だ、大津の定さんが来た?、ずんずんお上りんさいと言え!」先生の太い声がありありと聞えた。
大津は梅子の案内で久しぶりに富岡先生の居間、即ち彼がその
昔漢学の
素読を授った
室に通った。無論大学に居た時分、一夏帰省した時も
訪うた事はある。
老漢学者と新法学士との
談話の模様は大概次の如くであった。
「ヤア大津、
帰省ったか」
「ともかく法学士に成りました」
「それが何だ、エ?」
「内務省に出る事に
決定りました、江藤さんのお世話で」
「フンそうか、それで
目出度いというのか。然し江藤さんとは全体誰の事じゃ」
「江藤侯のことで……
直文さんのことで」
「ウーン
三輔のことか、そうか、三輔なら三輔と早く言えば
可えに。時に三輔は達者かナ」
「相変らず元気で御座います」
「フンそうか、それは結構じゃ、狂之助は?」
「御丈夫のようで御座います」
「そうか、今度
逢ったら
乃公が
宜く言ったと言っとくれ!」
「承知致しました」
「ちっと手紙でもよこせと言え。エ、
侯爵面して古い士族を忘れんなと言え。全体
彼奴等に頭を下げぺこぺこと頼み廻るなんちゅうことは富岡の塾の
名汚しだぞ。
乃公に言えば乃公から彼奴等に一本手紙をつけてやるのに。彼奴等は乃公の言うことなら
聴かん
理由にいかん」
先ずこんな調子。それで富岡先生は平気な顔して御座る。大津は間もなく辞して玄関に出ると、梅子が送って来た。大津は梅子の顔を横目で見て、「またその内」とばかり、すたこらと門を出て
吻と息を
吐いた。
「だめだ! まだあの高慢
狂気が
治らない。梅子さんこそ
可い
面の皮だ、フン人を馬鹿にしておる」と薄暗い
田甫道を
辿りながら
呟やいたが胸の中は余り
穏でなかった。
五六日
経つと大津定二郎は黒田の娘と結婚の約が成ったという噂が立った。これを聞いた者の多くは首を傾けて意外という
顔色をした。然し事実全くそうで、黒田という地主の娘玉子嬢、
容貌は梅子と比べると余程落ちるが、県の女学校を卒業してちょうど
帰郷ったばかりのところを、友人
某の奔走で遂に大津と結婚することに
決定たのである。妙なものでこう
決定ると、サアこれからは長谷川と高山の競争だ、お梅さんは
何方の物になるだろうと、大声で
喋舌る
馬面の若い連中も出て来た。
ところで大津法学士は何でも至急に結婚して帰京の途中を新婚旅行ということにしたいと申出たので大津家は無論黒田家の
騒動は
尋常でない。この両家とも田舎では上流社会に位いするので、
祝儀の礼が引きもきらない。村落に取っては都会に
於ける岩崎三井の
祝事どころではない、大変な騒ぎである。両家は必死になって婚儀の準備に忙殺されている。
その
愈々婚礼の晩という日の午後三時頃でもあろうか。村の小川、海に流れ出る
最近の川柳
繁れる小陰に釣を
垂る二人の人がある。その一人は富岡先生、その一人は村の校長細川繁、これも富岡先生の塾に通うたことのある、二十七歳の成年男子である。
二人は間を二三間隔てて糸を垂れている、夏の末、秋の初の西に傾いた
鮮やかな
日景は遠村近郊小丘樹林を
隈なく照らしている、二人の背はこの
夕陽をあびてその
傾いた
麦藁帽子とその白い
湯衣地とを
真ともに照りつけられている。
二人とも余り多く話さないで何となく物思に沈んでいたようであったが、突然校長の細川は富岡老人の方を振向いて
「先生は今夜大津の婚礼に招かれましたか」
「ウン
招ばれたが
乃公は行かん!」と例の太い声で先生は答えた。実は招かれていないのである。大津は何と思ったかその旧師を招かなかった。
「
貴様はどうじゃ?」
「大津の方からこの頃は私を相手にせんようですから別に
招もしません」
「招んだって行くな。あんな軽薄な
奴のとこに誰が行く馬鹿があるか。あんな奴にゃア黒田の娘でも惜い位だ! あれから見ると同じ大学を出ても高山や長谷川は人間が一等上だのう、その
中でも高山は余程見込がある男だぞ」
細川繁は黙って何にも言わなかった、ただ水面を
凝視めている。富岡老人も黙って
了った。
暫くすると
川向の堤の上を二三人話しながら通るものがある、川柳の
蔭で姿は
能く見えぬが、帽子と
洋傘とが折り折り
木間から隠見する。そして
声音で明らかに一人は大津定二郎一人は友人
某、一人は黒田の番頭ということが解る。富岡老人も細川繁も思わず聞耳を立てた。三人は大声で笑い興じながらちょうど二人の対岸まで来た二人の
此処に
蹲居んでいることは無論気がつかない。
「だって
貴様は富岡のお梅
嬢に大変熱心だったと言いますぜ」これは黒田の番頭の声である。
「
嘘サ、大嘘サ、お梅さんは善いにしてもあの
頑固爺の婿になるのは全く御免だからなア! ハッハッ……お梅さんこそ
可憐そうなものだ、あの高慢
狂気のお蔭で世に出ることが出来ない!」これは明らかに大津法学士の声である。
三人は一度に「ハッハッハッ……」と笑った。富岡老人
釣竿を
投出してぬッくと
起上がった。
屹度三人の方を
白眼で「大馬鹿者!」と大声に
一喝した。この
物凄い声が
川面に鳴り響いた。
対岸の三人は
喫驚したらしく、それと又気がついたかして
忽ち声を
潜め大急ぎで通り過ぎて
了った。
富岡老人はそのまま三人の者の足音の聞こえなくなるまで
対岸を
白眼んでいたが、次第に眼を遠くの
禿山に転じた、
姫小松の
生えた丘は静に日光を浴びている、その
鮮やかな光の中にも自然の風物は
何処ともなく秋の
寂寥を帯びて人の
哀情をそそるような気味がある。背の高い骨格の
逞ましい老人は
凝然と
眺めて、折り折り眼をしばだたいていたが、
何時しか先きの気勢にも似ずさも力なさそうに細川繁を振向いて
「オイ
貴公この道具を
宅まで運こんでおくれ、
乃公は帰るから」
言い捨てて
去って了った。校長の細川は取残されてみると面白くはないが、それでも糸を垂れていた、実は
頻りと考え込んでいたのである。
暫時するとこれも力なげに糸を巻き
籠を水から上げて先生の道具と一緒に肩にかけ、
程遠からぬ富岡の
宅まで行った。庭先で
「老先生どうかしたのか
喃」と老僕倉蔵が声を潜めて問うた。
「イヤどうもなさらん」
「でも様子が少し違うから
私又どうかなされたかと思うて」
「先生今何をしておいでる?」
「寝ていなさるが
枕頭に嬢様呼んで何か
細い声で話をしておいでるようで……」
「そうか」
「まア上って晩まで遊んでおいでなされませえの」
「晩にでも来る!」
細川は自分の竿を
担ついで
籠をぶらぶら下げ、浮かぬ顔をして、我家へと帰った。この時が四時過ぎでもあろう。家では老母が糸を
紡いていた。
その夜の八時頃、ちょうど富岡老人の
平時晩酌が済む時分に細川校長は先生を
訪うた。
田甫道をちらちらする
提燈の数が多いのは大津法学士の婚礼があるからで、校長もその席に招かれた一人二人に
途で
逢った。逢う
度毎に
皆な知る人であるから二言三言の
挨拶はしたが、可い心持はしなかった。
富岡の門まで行ってみると門は
閉って、内は
寂然としていた。校長は不審に思ったが門を
叩く程の用事もないから、
其処らを、物思に沈みながらぶらぶらしていると間もなく老僕倉蔵が田甫道を大急ぎで
遣て来た。
「オイ倉蔵、先生は
最早お
寝みになったのかね?」
「オヤ! 細川先生、老先生は今東京へお
出発になりました!」と
呼吸をはずまして老僕は細川の前へ突立った。
「東京へ

」細川は声も
喉に
塞ったらしい。
「ハア東京へ!」
「マアどうしたのだろう! お梅さんは?」
「御一緒に」
「マアどうしたのだろう!」校長は
喫驚すると共に、何とも言い難き苦悩が胸を
圧して来た。心も空に、気が気ではない。倉蔵は門を開けながら
「マアお入りなされの」
校長は後について門を入り縁先に腰をかけたが、それも
殆ど夢中であったらしい。
「マア先生は何にも知らないのかね?」
「
乃公が何を知るものか、今日釣に行っていたが老先生は何にも言わんからの」
「そうかの?」と倉蔵は不審な
顔色をして煙草を吸い初めた。
「
貴公理由を知らんかね?」
「
私唯だ倉蔵これを急いで村長の
処へ持て行けと
命令りましたからその手紙を村長さん
処へ持て行って
帰宅てみると
最早仕度が出来ていて、
私直ぐ停車場まで送って今帰った
処じゃがの、何知るもんかヨ」
「フーン」と校長考えていたが「
何日頃
帰国ると言われた?」
「老先生は十日ばかりしたら帰る、それも
能くは解らんちゅうて……」
「そうか……」と校長は
嘆息をしていたが、
「また来る」と細川は突然富岡を出て、その足で直ぐ村長を訪うた。村長は四十
何歳という分別盛りの男で村には非常な信用があり財産もあり、校長は
何時もこの人を相談相手にしているのである。
「
貴公富岡先生が東京へ行った事を知っているか」と校長細川は坐に着くや着かぬに問いかけた。
「知っているとも、
先刻倉蔵が先生の手紙を持って来たが、不在中家の事を
托むと書いてあった」と村長は夜具から頭ばかり出して話している。大津の婚礼に招ねかれたが
風邪をひいて出ることが出来ず、寝ていたのである。
「どういう
理由で急に上京したのだろう?」
「そんな
理由は手紙に書いてなかったが、大概想像が着くじゃアないか」と村長は微笑を帯びて細川の顔をじろじろ見ながら言った。彼は細川が梅子に人知れず思を焦がしていることを
観破ていたのである。
「
私には
解せんなア」と校長は
嘆息を
吐いた。
「解せるじゃアないか、大津が黒田のお玉さんと結婚しただろう、富岡先生少し
当が
外れたのサ、
其処で
宜しい
此処にもその
積があるとお梅
嬢を連れて東京へ行って江藤侯や
井下伯を押廻わしてオイ井下、娘を頼む位なことだろうヨ」
「そうかしらん?」
「そうとも! それに先生は
平常から高山々々と
讃めちぎっていたから多分井下伯に言ってお梅
嬢を高山に押付ける積りだろう、
可いサ高山もお梅
嬢なら兼て
狙っていたのだから」
「そうかしらん?」と細川の声は
慄えている。
「そうとも! それで大津の鼻をあかしてやろうと言うんだろう、可いサ、先生も
最早あれで
余程老衰て御坐るから早くお梅
嬢のことを
決定たら肩が安まって安心して死ねるだろうから」
村長は理の当然を平気で語った。一つには細川に早く思いあきらめさしたい積りで。
「全くそうだ、先生も
如彼見えても長くはあるまい!」と力なさそうに言って校長は間もなく村長の
宅を辞した。
憐むべし細川繁! 彼は全く失望して了って。その失望の中には
一の苦悩が
雑っておる。彼は「我もし学士ならば」という一念を去ることが出来ない。幼時は小学校に
於て大津も高山も長谷川も
凌いでいた、富岡の塾でも一番出来が
可かった、先生は常に自分を最も愛して御坐った、然るに自分は家計の都合で中学校にも
入る事が出来ず、遂に官費で事が足りる師範学校に入って卒業して小学教員となった。天分に於ては決して彼等
二三子には、劣らないが今では富岡先生すら何とかかんとか言っても矢張り自分よりか大津や高山を非常に
優った者のように思ってお梅
嬢に
熨斗を附けようとする! 残念なことだと彼は恋の失望の外の言い難き恨を
呑まなければならぬこととなった。
然し彼は資性篤実で又能く物に
堪え得る人物であったから、この苦悩の為めに校長の
職務を怠るようなことは
為ない。
平常のように平気の顔で五六人の教師の上に立ち
数百の児童を導びいていたが、暗愁の影は
何処となく彼に伴うている。
二
富岡先生が突然上京してから一週間目のことであった、先生は梅子を伴うて
帰国って来た。校長細川は「今
帰国ったから今夜遊びに来い」との老先生の手紙を読んだ時には思わず
四辺を見廻わした。
自分勝手な空想を描きながら急いで
往ってみると、村長は
最早座に居て酒が初まっていた。梅子は例の如く
笑味を含んで老父の酌をしている。
「ヤ細川!
突如に
出発ので驚いたろう、何急に東京を娘に見せたくなってのう。十日ばかりも居る積じゃったが
癪に
触ることばかりだったから三日居て
出立て
了った。今も話しているところじゃが東京に居る
故国の者は
皆なだめだぞ、
碌な
奴は一匹も
居らんぞ!」
校長は
全然何のことだか、煙に
捲かれて了って言うべき言葉が出ない、ただ富岡先生と村長の顔を見比べているばかりである。村長は怪しげな微笑を口元に浮べている。
「エえまア聞いてくれこうだ、
乃公は娘を連れて井下
聞吉の所へも江藤三輔の所へも行った、エえ、
故国からわざわざ
乃公が久しぶりに娘まで連れて行ったのだから何とか物の言い方も有ろうじゃア、それを何だ!
侯爵顔や伯爵顔を遠慮なく
さらけ出してその
慢無礼な風たら無かった。乃公もグイと癪に触ったから半時も居らんでずんずん宿へ
帰ってやった」と一杯
一呼吸に飲み干して校長に差し、
「それも
彼奴等の癖だからまア
可えわ、辛棒出来んのは高山や長谷川の奴らの様子だ、オイ細川、
彼等全然でだめだぞ、大津と同じことだぞ、生意気で
猪小才で高慢な顔をして、
小官吏になればああも増長されるものかと乃公も
愛憎が尽きて
了うた。
業が煮えて
堪らんから乃公は直ぐ
帰国ろうと
支度を為ているとちょうど高山がやって来て驚いた顔をしてこう言うのだ、折角連れて来たのだから娘だけは井下伯にでも
托けたらどうだろう、井下伯もせめて娘だけでも世話をしてやらんと富岡が
可憐そうだと言ッて、大変乃公を気の毒がっていたとこう言うじゃアないか、乃公は
直然彼奴の頭をぽかり一本参ってやった、何だ貴様まで乃公を可憐そうだとか何とか思っているのか、そんな積りで娘を托けると言うのか、大馬鹿者! と怒鳴つけてくれた」
「そして高山はどうしました」と校長は
僅かに一語を発した。
「どうするものか真赤な顔をして逃げて
去って了うた、それから直ぐ東京を
出発て
何処へも寄らんでずんずん
帰って来た」
「それは
無益ませんでしたね、折角おいでになって」と校長はおずおずしながら言った。
先生の
気焔は
益々昂まって、例の
昔日譚が出て、今の侯伯子男を
片端から
罵倒し初めたが、村長は折を見て辞し去った。校長は先生が
喋舌り
疲ぶれ
酔い倒れるまで辛棒して
気
の的となっていた。帰える時梅子は玄関まで送って出たが校長何となく
にこついていた。田甫道に出るや、彼はこの
数日の重荷が急に軽くなったかのように、いそいそと
路を歩いたが、我家に着くまで
殆ど路をどう来たのか解らなんだ。
三
その翌々日の事であった、東京なる高山法学士から一
通の
書状が村長の
許に届いた。その文意は次の如くである。
富岡先生が折角上京されたと思うと突然帰国された、それに
就て自分は大に胸を痛めている、先生は相変らず
偏執ておられる。我々は
勿論先輩諸氏も決して先生を冷遇するのではないが先生の方で勝手にそう
決定て怒っておられる、実に困った者で手の着けようがない。実は自分は梅子
嬢を
貰いたいと兼ねて思っていたのであるから、井下伯に頼んで梅子
嬢だけ
滞めて置いて
後から交渉して貰う積りでいた、然るに先生の突然の帰国でその計画も
画餅になったが残念でならぬ。自分は
容貌の上のみで梅子
嬢を思うているのでない、御存知の通り実に近頃の若い女子には
稀に見るところの美しい性質を
以ておられる、自分は随分東京で種々の令嬢方を見たが梅子
嬢ほどの癖のない、すらりとした、すなおなる女を見たことはない。女子の特質とも言うべき柔和な穏やかな
何処までも
優しいところを梅子
嬢は十二分に
有ておられる。これには
貴所も御同感と信ずる。もし梅子
嬢の欠点を言えば剛という分子が少ない事であろう、しかし完全無欠の人間を求めるのは求める方が愚である、女子としては梅子
嬢の如き
寧ろ完全に近いと言って
宜しい、
或は剛の分子の少ないところが
却て梅子
嬢の品性に一段の奥ゆかしさを加えておるのかとも自分は思う。自分は決して浮きたる心でなく
真面目にこの少女を敬慕しておる、
何卒か
貴所も自分のため
一臂の力を借して、老先生の方を
甘く説いて貰いたい、あの老人程
舵の取り
難い人はないから貴所が
其所を巧にやってくれるなら
此方は又井下伯に頼んで十分の手順をする、何卒か宜しく
御頼します。
但し富岡老人に話されるには
余程よき
機会を見て貰いたい、
無暗に急ぐと却て失敗する、この辺は貴所に
於て決して
遺漏はないと信ずるが、元来老先生といえども人並の性情を有っておるから
了解ることは能く了解る人である。ただその資質に一点我慢強いところのある上に、維新の際妙な行きがかりから
脇道へそれて遂に成るべき功名をも成し得ず、同輩は侯伯たり後進は子男たり、自分は
田舎の老先生たるを見、かつ思う
毎にその性情は
益々荒れて来て、それが
慣い
性となり遂には煮ても焼ても食えぬ人物となったのである、であるから老先生の
心底には常に
二個の人が相戦っておる、その一人は本来自然の富岡
氏、その一人はその経歴が造った富岡先生。そして富岡先生は常に猛烈に常に富岡氏を圧服するに慣れている、その結果として富岡氏が希望し承認し或は飛びつきたい程に望んでいることでも、あの
執拗れた
焦熬している富岡先生の
御機嫌に少しでも
触ろうものなら直ぐ一撃のもとに破壊されて
了う。この辺のところは御存知でもあろうが
能く御注意あって、十分
機会を見定めて話して貰いたい。
という意味を長々と熱心に書いてある。村長は委細を
呑込んで、
何卒機会を見て
甘くこの縁談を
纏めたいものだと思った。
三日ばかり
経って夜分村長は富岡老人を
訪うた。
機会を見に行ったのである。然るに座に校長細川あり、酒が出ていて老先生の
気焔頗る
凄まじかったので
長居を
為ずに
帰って了った。
その後五日経って、村長は午後二時頃富岡老人を訪う積りでその門まで来た。そうすると先生の声で
「馬鹿者!
貴様まで大馬鹿になったか? 何が
可笑しいのだ、大馬鹿者!」
と例の大声で
罵るのが手に取るように聞えた。村長は驚いて誰が
叱咤られるのかとそのまま足を
停めて聞耳を
聳てていると、内から老僕倉蔵がそっと出て来た。
「オイ倉蔵、誰だな今怒鳴られているのは?」村長は
私語いた。倉蔵は手を以てこれを止めて、村長の耳の
傍に口をつけて、
「お嬢様が
叱咤られているのだ」
「エッお梅
嬢が

」と村長は眼を
開瞳った。その
筈で、梅子は
殆ど富岡老人に
従来一言たりとも
叱咤れたことはない。梅子に対してはさすがの老先生も
全然子供のようで、その
父子の間の
如何にも平穏にして情愛こまかなるを見る時は富岡先生実に別人のようだと誰しも思っていた位。
「マアどうして?」村長は驚ろいて
訊ねた。
「どうしてか知らんが今度東京から帰って来てからというものは、毎日酒ばかり呑んでいて、今まで御嬢
様にはあんなに優しかった老先生がこの
二三日はちょっとしたことにも大きな声をして怒鳴るようにならしゃっただ、
私も手の着けようがないので困っていたとこで御座りますよ」さも情なそうに言って、
「あの様子では
最早先が永くは有りますめえ、不吉なことを言うようじゃが……」と倉蔵は眼を
瞬たいた。この時老先生の声で
「倉蔵! 倉蔵!」と呼ぶ声が座敷の縁先でした。倉蔵は言葉を早めて、益々小さな声で
「然し晩になると大概校長さんが来ますからその時だけは
幾干か
気嫌が
宜えだが校長さんも感心に
如何なんと言われても逆からわないで
温和うしているもんだから
何時か老先生も少しは機嫌が可くなるだ……」
「倉蔵! 倉蔵は居らんか!」と又も老先生の太い声が響いた。
倉蔵は目礼したまま大急ぎで庭の方へ
廻わった。村長は腕を組んで
暫時く考えていたが
歎息をして、自分の家の方へ
引返した。
四
村長は高山の依頼を言い出す
機会の無いのに引きかえて校長細川繁は
殆ど毎夜の如く富岡先生を
訪うて十時過ぎ頃まで
談話ている、
談話をすると言うよりか
寧ろその愚痴やら
悪口やら
気焔やら
自慢噺やらの的になっている。先生はこの頃になって酒を
被ること
益々甚だしく倉蔵の言った通りその言語が益々荒ら荒らしくその
機嫌が
愈々難かしくなって来た。
殊に変わったのは梅子に対する
挙動で、時によると「馬鹿者! 死んで
了え、
貴様の
在るお蔭で
乃公は死ぬことも出来んわ!」とまで怒鳴ることがある。然し梅子は
能くこれに堪えて愈々
従順に介抱していた。
其処で倉蔵が
「お嬢様、マア
貴嬢のような人は
御座りませんぞ、神様のような人とは貴嬢のことで
御座りますぞ、感心だなア……」と老の眼に涙をぼろぼろこぼすことがある。
こんな風で
何時しか秋の
半となった。細川繁は
風邪を引いていたので四五日先生を訪うことが出来なかったが熱も去ったので或夜七時頃から出かけて行た。
家内が珍らしくも
寂然としているので細川は少し不審に思いつつ坐敷に通ると、先生の居間の次ぎの間に梅子が一人裁縫をしていた。細川が入って来ても
頭を上げないので、愈々
訝かしく
能く見ると
蒼ざめた
頬に涙が流れているのが
洋燈の光にありありと
解る。校長は
喫驚りして
「お梅さんどうかしたのですか」と
驚惶しく
訊ねた。梅子は
猶も
頭を垂れたまま運ばす針を
凝視て黙っている。この時次の
室で
「誰だ?」と老先生が怒鳴った。
「
私で御座います。細川で御座います」
「
此方へ入らんで何をしているのか、用があるからちょっと来い!」
「
唯今」と校長が
起とうとした時、梅子は急に細川の顔を見上げた、そして涙がはらはらとその
膝にこぼれた。ハッと思って細川は
躊躇うたが、
一言も発し得ない、
止まることも出来ないでそのまま先生の居間に入った。何とも知れない一種の
戦慄が身うちに
漲ぎって、坐った時には彼の顔は
真蒼になっていた。富岡老人は床に就いていてその
枕許に
薬罎が置いてある。
「オヤ
何所かお悪う御座いますか」と細川は
搾り
出すような声で
漸と言った。富岡老人一言も発しない、一間は
寂としている、細川は
呼吸も
塞るべく感じた。
暫くすると、
「細川!
貴公は
乃公の所へ
元来何をしに来るのだ、エ?」
寝たまま富岡先生は人を
圧しつけるような
調声、人を
嘲けるような
声音で言った。細川は一語も発し得ない。
「エ、
元来何をしに来るのだ?
乃公の見舞に来るのか。娘の御
機嫌を取りに来るのか、エ? 返事をせえ!」
校長は眼を
閉り歯を
喰しばったまま
頭を
垂れ両の
拳を
膝に乗せている。
「
貴公は娘を
狙っておるナ! 乃公の娘を自分の物にしたいと狙っておるナ! ふん」
細川の拳は震えている。
「貴公よく考えてみろ! 貴公は
高が
田舎の小学校の校長じゃアないか。同じ乃公の塾に居た者でも高山や長谷川は学士だ、それにさえ乃公は娘を
与んのだぞ。身の程を知れ! 馬鹿者!」
校長の顔は見る見る
紅をさして来た。その握りしめた拳の上に熱涙がはらはらと落ちた。侯爵伯爵を
罵る口から
能くもそんな言葉が出る、矢張人物よりも人爵の方が先生には
難有いのだろう、見下げ果てた方だと口を
衝いて出ようとする一語を彼はじっと
怺えている。この先生の言としては怪むに
足らない、もし
理窟を言って対抗する積りなら初めからこの家に
出入をしないのである。と彼は思い返した。
「エ、それともどうしても娘が欲しいと言うのか、コラ!」
校長は一語を発しない。
「
判然と言え! どうしても欲しいと言うのか、男らしく言え、コラ!」
細川はきっと
頭をあげた。
「左様で御座います! 梅子さんを私の
同伴者に貰いたいと常に願っております!」きっぱりと言い放って老先生の
眼睛を正視した。
「もし乃公が
与らぬと言ったらどうする?」
「致し方が御座いません!」
「帰れ!
招喚にやるまでは来るな、帰れ!」と老人は言放って
寝返して
反対を向いて了った。
細川は直ちに起って
室を出ると、突伏して泣いていた梅子は急に起て玄関まで送って来て、
「
貴下何卒父の言葉を気になさらないで……御存知の通りな気性で御座いますから!」とおろおろ声で言った。
「イイエ決して気には留めません、
何卒先生を
御大切に、
貴嬢も
御大事……」
終まで言う
能わず、急いで門を出て了った。
その夜細川が
自宅に帰ったのは十二時過ぎであった。
何処を
徘徊いていたのか、
真蒼な顔色をしてさも
困憊している様子を寝ないで待っていた母親は不審そうに見ていたが、
「お前又た風邪を引きかえしたのじゃアないかの、未だ十分でないのに余り遅くまで夜あるきをするのは可くないよ」
「何に格別の事は御座いません」と細川は何気なく言ってそのま自分の居間へ入った。母親はその後姿を見送ってそっと
歎息をした。
五
その翌日より校長細川は出勤して
平常の如く職務を執っていたが彼の胸中には生れ落ちて以来未だ経験したことのない、苦悩が燃えているのである。
もし富岡先生に
罵しられたばかりなら彼は何とかして思切るほうに
悶いたであろう、その
煩悶も苦痛には相違ないが、これ
戦である、彼の意力は
克くこの悩に
堪えたであろう。
然し今の彼の苦悩は
自ら解く事の出来ない
惑である、「
何故梅子はあの晩泣いていたろう。自分が先生に呼ばれてその居間に入る時、梅子は何故あんな
相貌をして涙を流して自分を見たろう。自分が先生に
向て自分の
希望を明言した時に梅子は隣室で聞いていたに違いない、もし自分の
希望を全く
否む心なら自分が帰る時あんなに自分を慰める
筈はない……」
「梅子は自分を愛している、少くとも自分が梅子を
恋ていることを不快には思っていない」との一念が
執念くも細川の心に
盤居まっていて彼はどうしてもこれを否むことが出来ない、然し梅子が
平常何人に向ても平等に優しく何人に向ても特種の
情態を示したことのないだけ、細川は十分この一念を信ずることが出来ぬ。梅子が泣いて見あげた眼の訴うるが如く
謝るが如かりしを
想起す毎に細川は
うっとりと夢見心地になり狂わしきまでに恋しさの
情燃えたつのである。恋、惑、そして
恥辱、夢にも
現にもこの苦悩は彼より離れない。
或時は断然倉蔵に頼んで
窃かに
文を送り、
我情のままを梅子に打明けんかとも思い、夜の二時頃まで眠らないで筆を走らしたことがある、然し彼は思返してその手紙を破って
了った。こういう風で十日ばかり
経った。或日細川は学校を終えて四時頃、丘の
麓を例の如く物思に沈みつつ帰って来ると、倉蔵に
出遇った。倉蔵は手に
薬罎を持ていた。
「先生! どうしてこの頃は
全然お見えになりません?」倉蔵はないない様子を知りながら素知らぬ風で問うた。
「老先生の御病気はどうかね?」と校長も又た倉蔵の問に答えないで富岡老人の様子を
訊ねた。
「この頃はめっきりお弱りになって始終床にばかり就ていらっしゃるが、別に
此処というて悪るい風にも見えねえだ。然し
最早長くは有りますめえよ!」と倉蔵は
歎息をした。
「ふうん、そうかな、一度見舞に行きたいのだけれど……」と校長の声も様子も沈んで了った。
「お
出なされませ、
関うもんかね、
疳癪まぎれに何言うたて……」
「それもそうだが……お梅さんの様子はどうだね?」と思切って問うた。
「何だかこの頃は始終
鬱屈でばかり御座るが、見ていても可哀そうでなんねえ、ほんとに嬢さんは可哀そうだ……」と涙にもろい倉蔵は
傍を向いて
田甫の方を
眺め
最早眼をしばだたいている。
「困ったものだナ、先生は相変らず
喧ましく言うかね?」
「ナニこの頃は老先生も何だか床の中で半分眠ってばかり居て余り口を
用かねえだ」
「妙だねえ」と細川は首をかしげた。
「これまで
煩らったことが
有ても今度のように元気のないことは
無えが、
矢張り長くない
証であるらしい」
「そうかも知れん!」と細川は
眉を
顰めた。
「それに何だか我が折れて愚に
還ったような風も見えるだ。それを見ると私も気の毒でならん、
喧まし人は
矢張喧しゅうしていてくれる方が
可えと思いなされ」
「今夜見舞に行ってみようかしらん」
「是非来なさるが可え、関うもんか!」
「うん……」と細川は
暫時く考えていたが、「お梅さんに宜しく言っておくれ」
「かしこまりました、是非今夜来なさるが
可え」
細川は軽く
点頭き、二人は分れた。いろいろと考え、
種々に
悶いてみたが校長は遂にその夜富岡を
訪問ことが出来なかった。
それから三日目の夕暮、倉蔵が
真面目な顔をして校長の
宅へ来て、梅子からの手紙を細川の手に渡した、細川が
喫驚して目を
円くして倉蔵の顔を見ているうちに彼は
挨拶も
為ないで帰って
了った。
梅子からの手紙! 細川繁の手は
慄るえた。無理もない、
曾て例のないこと、又有り
得べからざること、細川に限らず、梅子を知れる
青年の何人も想像することの出来ないことである!
封を切て読み下すと、
頗る短い
文で、ただ父に代ってこの手紙を書く。今夜直ぐ来て貰いたい是非とのことである、何か父から急にお話したいことがあるそうだとの意味。
細川は直ぐ飛んで
往った。「呼びにやるまで来るな!」との老先生の先夜の言葉を今更のように怪しゅう思って、彼は
途々この
一言を胸に
幾度か繰返した、そして一念
端なくもその夜の先生の
怒罵に触れると急に足が
縮むよう思った。
然し「呼びに来た」のである。不思議の力ありて彼を前より招き
後より
推し
忽ち彼を走らしめつ、彼は
躊躇うことなく門を入った。
居間に通って見ると、村長が来ている。先生は床に起直って
布団に
倚掛っている。梅子も座に着いている、一見一座の
光景が
平常と違っている。真面目で、沈んで、のみならず
何処かに悲哀の色が動いている。
校長は
慇懃に一座に礼をして、さてあらためて富岡老人に向い、
「御病気は
如何で御座いますか」
「どうも今度の病気は
爽快せん」という声さえ衰えて沈んでいる。
「
御大事になされませんと……」
「イヤ
私も
最早今度はお
暇乞じゃろう」
「そんなことは!」と細川は慰さめる積りで
微笑を含んだ。しかし老人は真面目で
「
私も自分の死期の解らぬまでには
老耄せん、とても長くはあるまいと思う、
其処で実は少し折入って
貴公と相談したいことがあるのじゃ」
かくてその夜は十時頃まで富岡老人の居間は折々
談声が聞え折々
寂と静まり。又折々老人の
咳払が聞えた。
その翌日村長は長文の手紙を東京なる高山法学士の
許に送った、その文の意味は次ぎの如くである、――
御申越し以来一度も書面を出さなかったのは、富岡老人に一条を話すべき
機会が無かったからである。
先日の御手紙には富岡先生と富岡
氏との
二個の人がこの老人の心中に戦かっておるとのお言葉が有った、実にその通りで拙者も左様思っていた、然るにちょうど御手紙を頂いた時分以来は、
所謂る富岡先生の暴力
益々つのり、二六時中富岡氏の
顔出する時は全く無かったと言って
宜しい位、恐らく夢の
中にも富岡先生は
荒れ廻っていただろうと思われる。
これには
理由があるので、この秋の初に富岡老人の突然上京せられたるのは全く梅子
嬢を
貴所に貰わす目算であったらしい、拙者はそう鑑定している、ところが富岡先生には「東京」が何より禁物なので、東京にゆけば是非、江藤侯井下伯その他
故郷の先輩の堂々たる有様を見聞せぬわけにはいかぬ、富岡先生に取ってはこれ
則ち不平、
頑固、偏屈の
源因であるから、
忽ち青筋を立てて了って、
的にしていた
貴所の
挙動すらも
疳癪の種となり、
遂に自分で立てた目的を自分で
打壊して
帰国って了われたものと拙者は信ずる、然るに帰国って考えてみると梅子
嬢の為めに老人の描いていた希望は
殆んど
空になって了った。先生何が何やら解らなくなって了った。
其所で
疳は益々起る、
自暴にはなる、酒量は急に増す、気は益々狂う、
真に言うも気の毒な浅ましい有様となられたのである、と拙者は信ずる。
現に拙者が
貴所の希望に就き先生を訪うた日などは、先生の梅子
嬢を
罵る
大声が門の外まで聞えた位で、拙者は
機会悪しと見、
直に引返えしたが、倉蔵の話に依ればその頃先生はあの秘蔵子なるあの温順なる梅子
嬢をすら頭ごなしに
叱飛していたとのことである、以て先生の様子を想像したまわば貴所も意外の感あることと思う。
拙者ばかりでなくこういう風であるから無論富岡を
訪ねる者は滅多になかった、ただ一人、御存知の細川繁氏のみは殆ど毎晩のように訪ねて怒鳴られながらも慰めていたらしい。
然るに
昨夕のこと富岡老人近頃
病床にある
由を聞いたから見舞に出かけた、もし
機会が可かったら貴所の一条を持出す積りで。老人はなるほど床に就いていたが、意外なのは
暫時く
会ぬ中に
全然元気が衰えたことである、元気が衰えたと云うよりか殆ど我が折れて了って貴所の
所謂る富岡氏、極く世間並の物の能く
通暁た老人に
為って了ったことである、更に意外なのは拙者の訪問をひどく喜こんで実は
招びにやろうかと思っていたところだとのことである。それから段々話しているうちに老人は死後のことに就き色々と拙者に
依托せられた、その様子が死期の遠からぬを知っておらるるようで拙者も思わず涙を
呑んだ位であった、
其処で貴所の一条を持出すに又とない
機会と思い既に口を切ろうとすると、意外も意外、老人の方から梅子
嬢のことを言い出した。それはこうで、娘は細川繁に配する積りである、細川からも望まれている、
私も初は進まなかったが考えてみると娘の為め細川の為め至極良縁だと思う、
何卒か
貴所その
媒酌者になってくれまいかとの言葉。胸に例の一条が在る拙者は
言句に
塞って了った、然し直ぐ思い返してこの依頼を快く承諾した。
と云うのは、貴所に対して済ぬようだが、細川が先に申込み老人が既に承知した上は、
最早貴所の希望は破れたのである、拙者とても致し方がない。更に深く考えてみると、この縁は貴所の申込が好し先であってもそれは成就せず矢張、細川繁の成功に終わるようになっていたのである、と拙者は信ずるその理由は一に貴所の推測に任かす、富岡先生を十分に知っている貴所には直ぐ解るであろう。
かつ拙者は貴所の希望の成就を欲する如く細川の熱望の達することを願う、これに就き少も
偏頗な
情を持ていない。貴所といえども既に細川の希望が達したと
決定れば細川の為めに喜こばれるであろう。又梅子
嬢の為にも、喜ばれるであろう。
そして拙者の見たところでは梅子
嬢もまた細川に
嫁することを喜こんでいるようである。
これが良縁でなくてどうしよう。
拙者が
媒酌者を承諾するや直ぐ細川を呼びにやった、細川は直ぐ来た、
其処で梅子
嬢も一座し四人同席の上、老先生からあらためて細川に向い梅子
嬢を許すことを語られ又梅子
嬢の口から、父の処置に就いては少しも異議なく喜んで細川氏に嫁すべきを誓い、婚礼の日は老先生の言うがままに
来十月二十日と定めた。
鬮は遂に
残者に落ちた。
貴所からも無論老先生及細川に向て祝詞を送らるることと信ずる。
六
婚礼も
目出度く済んだ。
田舎は秋晴
拭うが如く、校長細川繁の庭では
姉様冠の花嫁中腰になって張物をしている。
さて富岡先生は十一月の末
終にこの世を辞して
何国は名物男一人を失なった。東京の大新聞二三種に
黒枠二十行ばかりの大きな広告が出て門人高山文輔、
親戚細川繁、友人野上子爵等の名がずらり並んだ。
同国の者はこの広告を見て「先生到頭死んだか」と直ぐ
点頭いたが新聞を見る多数は、何人なればかくも大きな広告を出すのかと怪むものもあり、全く気のつかぬ者もあり。
然しこの広告が富岡先生のこの世に放った最後の
一喝で不平満腹の先生がせめてもの
遣悶を
知人に
由って
洩らされたのである。心ある同国人の二三はこれを見て泣いた。