富岡先生

国木田独歩




        一

 何公爵こうしゃくの旧領地とばかり、詳細くわしい事は言われない、侯伯子男の新華族を沢山出しただけに、同じく維新の風雲に会しながらも妙なはずみから雲梯うんていをすべり落ちて、ついには男爵どころか県知事の椅子ひとつにもありつき得ず、むなしく故郷くにに引込んで老朽ちんとする人物も少くはない、こういう人物に限ぎって変物かわりものである、頑固がんこである、片意地である、尊大である、富岡先生もその一人たるを失なわない。
 富岡先生、と言えばその界隈かいわいで知らぬ者のないばかりでなく、恐らく東京に住む侯伯子男の方々の中にも、「ウン彼奴やつか」と直ぐ御承知の、そしてまゆをひそめらるる者も随分あるらしいほどの知名な老人である。
 さてしからば先生は故郷くにで何をていたかというに、親族が世話するというのもこばんで、広い田の中の一軒屋の、五間いつまばかりあるを、何々じゅくなづけ、近郷きんじょの青年七八名を集めて、漢学の教授をしていた、一人の末子ばっし対手あいてに一人の老僕に家事を任かして。
 この一人の末子は梅子という六七むつななつの頃から珍らしい容貌佳きりょうよしで、年頃になれば非常の美人になるだろうと衆人みんなからうわさされていた娘であるが、果してその通りで、年の行くごと益々ますます美しく成る、十七の春も空しく過ぎて十八の夏の末、東京ならば学校の新学期の初まるも遠くはないという時分のこと、法学士大津定二郎おおつていじろうが帰省した。
 富岡先生の何々塾から出て(無論小学校に通いながら漢学を学び)遂に大学まで卒業した者がその頃三名ある、この三人とも梅子さん乃公おれの者と自分で決定きめていたらしいことはほぼ世間でもぎつけていた事実で、これにはたれも異議がなく、ただし三人のうち何人だれが遂に梅子さんを連れて東京に帰りるかと、他所よそながら指をくわえて見物している青年わかものも少くはなかった。
 法学士大津定二郎が帰省した。彼は三人の一人である。何峠から以西いせい、何川辺までの、何町、何村、あざ何の何という処々しょしょの家の、種々の雑談に一つ新しい興味ある問題が加わった。愈々いよいよ大津の息子はお梅さんをもらいに帰ったのだろう、うまく行けばあとの高山のぶんさんと長谷川の息子が失望するだろう、何に田舎いなかでこそお梅さんは美人じゃが東京に行けばあの位の女は沢山やれにありますから後の二人だってお梅さんばかりねらうてもおらんよ、など厄鬼やっきになりて討論する婦人連もあった。
 或日の夕暮、一人の若い品のい洋服の紳士が富岡先生の家の前えに停止たちどまって、しきりと内の様子をうかがってはもじもじしていたが遂に門をはいって玄関先に突立つったって、
「お頼みします」という声さえ少しふるえていたらしい。
「誰か来たぞ!」と怒鳴ったのはたしかに先生の声である。
 ふすましずかに開いて現われたのが梅子である。紳士の顔も梅子の顔も一時いちじにさっとこうをさした。梅子はわずかに会釈して内に入った。
「何だ、大津の定さんが来た?、ずんずんお上りんさいと言え!」先生の太い声がありありと聞えた。
 大津は梅子の案内で久しぶりに富岡先生の居間、即ち彼がそのかみ漢学の素読そどくを授ったへやに通った。無論大学に居た時分、一夏帰省した時もうた事はある。
 老漢学者と新法学士との談話はなしの模様は大概次の如くであった。
「ヤア大津、帰省かえったか」
「ともかく法学士に成りました」
「それが何だ、エ?」
「内務省に出る事に決定きまりました、江藤さんのお世話で」
「フンそうか、それで目出度めでたいというのか。然し江藤さんとは全体誰の事じゃ」
「江藤侯のことで……直文ちょくぶんさんのことで」
「ウーン三輔さんすけのことか、そうか、三輔なら三輔と早く言えばえに。時に三輔は達者かナ」
「相変らず元気で御座います」
「フンそうか、それは結構じゃ、狂之助は?」
「御丈夫のようで御座います」
「そうか、今度ったら乃公わしく言ったと言っとくれ!」
「承知致しました」
「ちっと手紙でもよこせと言え。エ、侯爵面こうしゃくづらして古い士族を忘れんなと言え。全体彼奴あいつ等に頭を下げぺこぺこと頼み廻るなんちゅうことは富岡の塾の名汚なよごしだぞ。乃公わしに言えば乃公から彼奴等に一本手紙をつけてやるのに。彼奴等は乃公の言うことならかん理由わけにいかん」
 先ずこんな調子。それで富岡先生は平気な顔して御座る。大津は間もなく辞して玄関に出ると、梅子が送って来た。大津は梅子の顔を横目で見て、「またその内」とばかり、すたこらと門を出てほっと息をいた。
「だめだ! まだあの高慢狂気きちがいなおらない。梅子さんこそつらの皮だ、フン人を馬鹿にしておる」と薄暗い田甫道たんぼみち辿たどりながらつぶやいたが胸の中は余りおだやかでなかった。
 五六日つと大津定二郎は黒田の娘と結婚の約が成ったという噂が立った。これを聞いた者の多くは首を傾けて意外という顔色かおつきをした。然し事実全くそうで、黒田という地主の娘玉子嬢、容貌きりょうは梅子と比べると余程落ちるが、県の女学校を卒業してちょうど帰郷かえったばかりのところを、友人なにがしの奔走で遂に大津と結婚することに決定きまったのである。妙なものでこう決定きまると、サアこれからは長谷川と高山の競争だ、お梅さんは何方どっちの物になるだろうと、大声で喋舌しゃべ馬面うまがおの若い連中も出て来た。
 ところで大津法学士は何でも至急に結婚して帰京の途中を新婚旅行ということにしたいと申出たので大津家は無論黒田家の騒動さわぎ尋常ひととおりでない。この両家とも田舎では上流社会に位いするので、祝儀しゅうぎの礼が引きもきらない。村落に取っては都会にける岩崎三井の祝事いわいごとどころではない、大変な騒ぎである。両家は必死になって婚儀の準備に忙殺されている。
 その愈々いよいよ婚礼の晩という日の午後三時頃でもあろうか。村の小川、海に流れ出る最近まぢかの川柳しげれる小陰に釣をたるる二人の人がある。その一人は富岡先生、その一人は村の校長細川繁、これも富岡先生の塾に通うたことのある、二十七歳の成年男子である。
 二人は間を二三間隔てて糸を垂れている、夏の末、秋の初の西に傾いたあざやかな日景ひかげは遠村近郊小丘樹林をくまなく照らしている、二人の背はこの夕陽ゆうひをあびてそのかたぶいた麦藁帽子むぎわらぼうしとその白い湯衣地ゆかたじとをともに照りつけられている。
 二人とも余り多く話さないで何となく物思に沈んでいたようであったが、突然校長の細川は富岡老人の方を振向いて
「先生は今夜大津の婚礼に招かれましたか」
「ウンばれたが乃公おれは行かん!」と例の太い声で先生は答えた。実は招かれていないのである。大津は何と思ったかその旧師を招かなかった。
貴様おまえはどうじゃ?」
「大津の方からこの頃は私を相手にせんようですから別によびもしません」
「招んだって行くな。あんな軽薄なやつのとこに誰が行く馬鹿があるか。あんな奴にゃア黒田の娘でも惜い位だ! あれから見ると同じ大学を出ても高山や長谷川は人間が一等上だのう、そのうちでも高山は余程見込がある男だぞ」
 細川繁は黙って何にも言わなかった、ただ水面を凝視みつめている。富岡老人も黙ってしまった。
 しばらくすると川向かわむこうの堤の上を二三人話しながら通るものがある、川柳のかげで姿はく見えぬが、帽子と洋傘こうもりとが折り折り木間このまから隠見する。そして声音こわねで明らかに一人は大津定二郎一人は友人ぼう、一人は黒田の番頭ということが解る。富岡老人も細川繁も思わず聞耳を立てた。三人は大声で笑い興じながらちょうど二人の対岸まで来た二人の此処ここ蹲居しゃがんでいることは無論気がつかない。
「だって貴様あなたは富岡のお梅さんに大変熱心だったと言いますぜ」これは黒田の番頭の声である。
うそサ、大嘘サ、お梅さんは善いにしてもあの頑固爺がんこおやじの婿になるのは全く御免だからなア! ハッハッ……お梅さんこそ可憐かわいそうなものだ、あの高慢狂気きちがいのお蔭で世に出ることが出来ない!」これは明らかに大津法学士の声である。
 三人は一度に「ハッハッハッ……」と笑った。富岡老人釣竿つりざお投出なげだしてぬッくと起上たちあがった。屹度きっと三人の方を白眼にらんで「大馬鹿者!」と大声に一喝いっかつした。この物凄ものすごい声が川面かわづらに鳴り響いた。
 対岸むこうの三人は喫驚びっくりしたらしく、それと又気がついたかしてたちまち声をひそめ大急ぎで通り過ぎてしまった。
 富岡老人はそのまま三人の者の足音の聞こえなくなるまで対岸むこう白眼にらんでいたが、次第に眼を遠くの禿山はげやまに転じた、姫小松ひめこまつえた丘は静に日光を浴びている、そのあざやかな光の中にも自然の風物は何処どこともなく秋の寂寥せきりょうを帯びて人の哀情かなしみをそそるような気味がある。背の高い骨格のたくましい老人は凝然じっながめて、折り折り眼をしばだたいていたが、何時いつしか先きの気勢にも似ずさも力なさそうに細川繁を振向いて
「オイ貴公おまえこの道具をうちまで運こんでおくれ、乃公おれは帰るから」
 言い捨ててって了った。校長の細川は取残されてみると面白くはないが、それでも糸を垂れていた、実はしきりと考え込んでいたのである。暫時しばらくするとこれも力なげに糸を巻きびくを水から上げて先生の道具と一緒に肩にかけ、ほど遠からぬ富岡のうちまで行った。庭先で
「老先生どうかしたのかのう」と老僕倉蔵が声を潜めて問うた。
「イヤどうもなさらん」
「でも様子が少し違うからわし又どうかなされたかと思うて」
「先生今何をしておいでる?」
「寝ていなさるが枕頭まくらもとに嬢様呼んで何かこまかい声で話をしておいでるようで……」
「そうか」
「まア上って晩まで遊んでおいでなされませえの」
「晩にでも来る!」
 細川は自分の竿をついでびくをぶらぶら下げ、浮かぬ顔をして、我家へと帰った。この時が四時過ぎでもあろう。家では老母が糸をいていた。
 その夜の八時頃、ちょうど富岡老人の平時いつも晩酌が済む時分に細川校長は先生をうた。田甫道たんぼみちをちらちらする提燈ちょうちんの数が多いのは大津法学士の婚礼があるからで、校長もその席に招かれた一人二人にみちった。逢うたびごとみんな知る人であるから二言三言の挨拶あいさつはしたが、可い心持はしなかった。
 富岡の門まで行ってみると門はしまって、内は寂然ひっそりとしていた。校長は不審に思ったが門をたたく程の用事もないから、其処そこらを、物思に沈みながらぶらぶらしていると間もなく老僕倉蔵が田甫道を大急ぎでやって来た。
「オイ倉蔵、先生は最早もうやすみになったのかね?」
「オヤ! 細川先生、老先生は今東京へお出発たちになりました!」と呼吸いきをはずまして老僕は細川の前へ突立った。
「東京へ※(疑問符感嘆符、1-8-77)」細川は声ものどつまったらしい。
「ハア東京へ!」
「マアどうしたのだろう! お梅さんは?」
「御一緒に」
「マアどうしたのだろう!」校長は喫驚びっくりすると共に、何とも言い難き苦悩が胸をあっして来た。心も空に、気が気ではない。倉蔵は門を開けながら
「マアお入りなされの」
 校長は後について門を入り縁先に腰をかけたが、それもほとんど夢中であったらしい。
「マア先生は何にも知らないのかね?」
乃公わしが何を知るものか、今日釣に行っていたが老先生は何にも言わんからの」
「そうかの?」と倉蔵は不審な顔色かおつきをして煙草を吸い初めた。
貴公おまえ理由わけを知らんかね?」
わしだ倉蔵これを急いで村長のとこへ持て行けと命令いいつかりましたからその手紙を村長さんとこへ持て行って帰宅かえってみると最早もう仕度したくが出来ていて、わし直ぐ停車場まで送って今帰ったとこじゃがの、何知るもんかヨ」
「フーン」と校長考えていたが「何日いつ帰国かえると言われた?」
「老先生は十日ばかりしたら帰る、それもくは解らんちゅうて……」
「そうか……」と校長は嘆息ためいきをしていたが、
「また来る」と細川は突然富岡を出て、その足で直ぐ村長を訪うた。村長は四十何歳いくつという分別盛りの男で村には非常な信用があり財産もあり、校長は何時いつもこの人を相談相手にしているのである。
貴公あんた富岡先生が東京へ行った事を知っているか」と校長細川は坐に着くや着かぬに問いかけた。
「知っているとも、先刻さっき倉蔵が先生の手紙を持って来たが、不在中家の事をたのむと書いてあった」と村長は夜具から頭ばかり出して話している。大津の婚礼に招ねかれたが風邪かぜをひいて出ることが出来ず、寝ていたのである。
「どういう理由わけで急に上京したのだろう?」
「そんな理由わけは手紙に書いてなかったが、大概想像が着くじゃアないか」と村長は微笑を帯びて細川の顔をじろじろ見ながら言った。彼は細川が梅子に人知れず思を焦がしていることを観破みぬいていたのである。
わしにはせんなア」と校長は嘆息ためいきいた。
「解せるじゃアないか、大津が黒田のお玉さんと結婚しただろう、富岡先生少しあてはずれたのサ、其処そこよろしい此処こっちにもそのつもりがあるとお梅さんを連れて東京へ行って江藤侯や井下いのした伯を押廻わしてオイ井下、娘を頼む位なことだろうヨ」
「そうかしらん?」
「そうとも! それに先生は平常ふだんから高山々々とめちぎっていたから多分井下伯に言ってお梅さんを高山に押付ける積りだろう、いサ高山もお梅さんなら兼てねらっていたのだから」
「そうかしらん?」と細川の声はふるえている。
「そうとも! それで大津の鼻をあかしてやろうと言うんだろう、可いサ、先生も最早もうあれで余程よほど老衰よわって御坐るから早くお梅さんのことを決定きめたら肩が安まって安心して死ねるだろうから」 
 村長は理の当然を平気で語った。一つには細川に早く思いあきらめさしたい積りで。
「全くそうだ、先生も如彼ああ見えても長くはあるまい!」と力なさそうに言って校長は間もなく村長のうちを辞した。
 あわれむべし細川繁! 彼は全く失望して了って。その失望の中にはいつの苦悩がまじっておる。彼は「我もし学士ならば」という一念を去ることが出来ない。幼時は小学校において大津も高山も長谷川もしのいでいた、富岡の塾でも一番出来がかった、先生は常に自分を最も愛して御坐った、然るに自分は家計の都合で中学校にもる事が出来ず、遂に官費で事が足りる師範学校に入って卒業して小学教員となった。天分に於ては決して彼等二三子にさんしには、劣らないが今では富岡先生すら何とかかんとか言っても矢張り自分よりか大津や高山を非常にまさった者のように思ってお梅さん熨斗のしを附けようとする! 残念なことだと彼は恋の失望の外の言い難き恨をまなければならぬこととなった。
 然し彼は資性篤実で又能く物にえ得る人物であったから、この苦悩の為めに校長の職務つとめを怠るようなことはない。平常いつものように平気の顔で五六人の教師の上に立ち百の児童を導びいていたが、暗愁の影は何処どことなく彼に伴うている。

        二

 富岡先生が突然上京してから一週間目のことであった、先生は梅子を伴うて帰国かえって来た。校長細川は「今帰国かえったから今夜遊びに来い」との老先生の手紙を読んだ時には思わず四辺あたりを見廻わした。
 自分勝手な空想を描きながら急いでってみると、村長は最早もう座に居て酒が初まっていた。梅子は例の如く笑味えみを含んで老父の酌をしている。
「ヤ細川! 突如だしぬけ出発たったので驚いたろう、何急に東京を娘に見せたくなってのう。十日ばかりも居る積じゃったがしゃくさわることばかりだったから三日居て出立たっしまった。今も話しているところじゃが東京に居る故国くにの者はみんなだめだぞ、ろくやつは一匹もらんぞ!」
 校長は全然まるで何のことだか、煙にかれて了って言うべき言葉が出ない、ただ富岡先生と村長の顔を見比べているばかりである。村長は怪しげな微笑を口元に浮べている。
「エえまア聞いてくれこうだ、乃公おれは娘を連れて井下聞吉ぶんきちの所へも江藤三輔の所へも行った、エえ、故国くにからわざわざ乃公おれが久しぶりに娘まで連れて行ったのだから何とか物の言い方も有ろうじゃア、それを何だ! 侯爵顔こうしゃくづらや伯爵顔を遠慮なくさらけ出してその※(「傲」の「にんべん」に代えて「りっしんべん」、第4水準2-12-67)慢無礼ごうまんぶれいな風たら無かった。乃公もグイと癪に触ったから半時も居らんでずんずん宿へもどってやった」と一杯一呼吸ひといきに飲み干して校長に差し、
「それも彼奴きゃつ等の癖だからまアえわ、辛棒出来んのは高山や長谷川の奴らの様子だ、オイ細川、彼等きゃつら全然まるでだめだぞ、大津と同じことだぞ、生意気で猪小才ちょこざいで高慢な顔をして、小官吏こやくにんになればああも増長されるものかと乃公も愛憎あいそが尽きてしもうた。ごうが煮えてたまらんから乃公は直ぐ帰国かえろうと支度したくを為ているとちょうど高山がやって来て驚いた顔をしてこう言うのだ、折角連れて来たのだから娘だけは井下伯にでもあずけたらどうだろう、井下伯もせめて娘だけでも世話をしてやらんと富岡が可憐かわいそうだと言ッて、大変乃公を気の毒がっていたとこう言うじゃアないか、乃公は直然いきなり彼奴きゃつの頭をぽかり一本参ってやった、何だ貴様まで乃公を可憐そうだとか何とか思っているのか、そんな積りで娘を托けると言うのか、大馬鹿者! と怒鳴つけてくれた」
「そして高山はどうしました」と校長はわずかに一語を発した。
「どうするものか真赤な顔をして逃げてって了うた、それから直ぐ東京を出発たっ何処どこへも寄らんでずんずんもどって来た」
「それは無益つまりませんでしたね、折角おいでになって」と校長はおずおずしながら言った。
 先生の気焔きえん益々ますますたかまって、例の昔日譚むかしばなしが出て、今の侯伯子男を片端かたっぱしから罵倒ばとうし初めたが、村長は折を見て辞し去った。校長は先生が喋舌しゃべくたぶれい倒れるまで辛棒して※(「陷のつくり+炎」、第3水準1-87-64)きえんの的となっていた。帰える時梅子は玄関まで送って出たが校長何となくにこついていた。田甫道に出るや、彼はこの数日すじつの重荷が急に軽くなったかのように、いそいそとみちを歩いたが、我家に着くまでほとんど路をどう来たのか解らなんだ。

        三

 その翌々日の事であった、東京なる高山法学士から一つう書状てがみが村長のもとに届いた。その文意は次の如くである。
 富岡先生が折角上京されたと思うと突然帰国された、それについて自分は大に胸を痛めている、先生は相変らず偏執ひねくれておられる。我々は勿論もちろん先輩諸氏も決して先生を冷遇するのではないが先生の方で勝手にそう決定きめて怒っておられる、実に困った者で手の着けようがない。実は自分は梅子さんもらいたいと兼ねて思っていたのであるから、井下伯に頼んで梅子さんだけめて置いてあとから交渉して貰う積りでいた、然るに先生の突然の帰国でその計画も画餅がべいになったが残念でならぬ。自分は容貌ようぼうの上のみで梅子さんを思うているのでない、御存知の通り実に近頃の若い女子にはまれに見るところの美しい性質をもっておられる、自分は随分東京で種々の令嬢方を見たが梅子さんほどの癖のない、すらりとした、すなおなる女を見たことはない。女子の特質とも言うべき柔和な穏やかな何処どこまでもやさしいところを梅子さんは十二分にもっておられる。これには貴所あなたも御同感と信ずる。もし梅子さんの欠点を言えば剛という分子が少ない事であろう、しかし完全無欠の人間を求めるのは求める方が愚である、女子としては梅子さんの如きむしろ完全に近いと言ってよろしい、あるいは剛の分子の少ないところがかえって梅子さんの品性に一段の奥ゆかしさを加えておるのかとも自分は思う。自分は決して浮きたる心でなく真面目まじめにこの少女を敬慕しておる、何卒どう貴所あなたも自分のため一臂いっぴの力を借して、老先生の方をうまく説いて貰いたい、あの老人程かじの取りにくい人はないから貴所が其所そこを巧にやってくれるなら此方こっちは又井下伯に頼んで十分の手順をする、何卒か宜しく御頼おたのみします。
 ただし富岡老人に話されるには余程よほどよき機会おりを見て貰いたい、無暗むやみに急ぐと却て失敗する、この辺は貴所において決して遺漏ぬかりはないと信ずるが、元来老先生といえども人並の性情を有っておるから了解わかることは能く了解る人である。ただその資質に一点我慢強いところのある上に、維新の際妙な行きがかりから脇道わきみちへそれて遂に成るべき功名をも成し得ず、同輩は侯伯たり後進は子男たり、自分は田舎いなかの老先生たるを見、かつ思うごとにその性情は益々ますます荒れて来て、それがならせいとなり遂には煮ても焼ても食えぬ人物となったのである、であるから老先生の心底しんていには常に二個ふたりの人が相戦っておる、その一人は本来自然の富岡うじ、その一人はその経歴が造った富岡先生。そして富岡先生は常に猛烈に常に富岡氏を圧服するに慣れている、その結果として富岡氏が希望し承認し或は飛びつきたい程に望んでいることでも、あの執拗ひねくれた焦熬いらいらしている富岡先生の御機嫌ごきげんに少しでもさわろうものなら直ぐ一撃のもとに破壊されてしまう。この辺のところは御存知でもあろうがく御注意あって、十分機会おりを見定めて話して貰いたい。
 という意味を長々と熱心に書いてある。村長は委細を呑込のみこんで、何卒どうか機会おりを見てうまくこの縁談をまとめたいものだと思った。
 三日ばかりって夜分村長は富岡老人をうた。機会おりを見に行ったのである。然るに座に校長細川あり、酒が出ていて老先生の気焔きえんすこぶすさまじかったので長居ながいずにかえって了った。
 その後五日経って、村長は午後二時頃富岡老人を訪う積りでその門まで来た。そうすると先生の声で
「馬鹿者! 貴様きさままで大馬鹿になったか? 何が可笑おかしいのだ、大馬鹿者!」
 と例の大声でののしるのが手に取るように聞えた。村長は驚いて誰が叱咤しかられるのかとそのまま足をとどめて聞耳をてていると、内から老僕倉蔵がそっと出て来た。
「オイ倉蔵、誰だな今怒鳴られているのは?」村長は私語ささやいた。倉蔵は手を以てこれを止めて、村長の耳のそばに口をつけて、
「お嬢様が叱咤しかられているのだ」
「エッお梅さん※(疑問符感嘆符、1-8-77)」と村長は眼を開瞳みはった。そのはずで、梅子はほとんど富岡老人に従来これまで一言ひとことたりとも叱咤しかられたことはない。梅子に対してはさすがの老先生も全然まるで子供のようで、その父子ふしの間の如何いかにも平穏にして情愛こまかなるを見る時は富岡先生実に別人のようだと誰しも思っていた位。
「マアどうして?」村長は驚ろいてたずねた。
「どうしてか知らんが今度東京から帰って来てからというものは、毎日酒ばかり呑んでいて、今まで御嬢さんにはあんなに優しかった老先生がこの二三日にさんちはちょっとしたことにも大きな声をして怒鳴るようにならしゃっただ、わしも手の着けようがないので困っていたとこで御座りますよ」さも情なそうに言って、
「あの様子では最早もう先が永くは有りますめえ、不吉なことを言うようじゃが……」と倉蔵は眼をしばだたいた。この時老先生の声で
「倉蔵! 倉蔵!」と呼ぶ声が座敷の縁先でした。倉蔵は言葉を早めて、益々小さな声で
「然し晩になると大概校長さんが来ますからその時だけは幾干いくら気嫌きげんえだが校長さんも感心に如何いくらなんと言われても逆からわないで温和おとなしゅうしているもんだから何時いつか老先生も少しは機嫌が可くなるだ……」
「倉蔵! 倉蔵は居らんか!」と又も老先生の太い声が響いた。
 倉蔵は目礼したまま大急ぎで庭の方へわった。村長は腕を組んで暫時しばらく考えていたが歎息ためいきをして、自分の家の方へ引返ひっかえした。

        四

 村長は高山の依頼を言い出す機会おりの無いのに引きかえて校長細川繁はほとんど毎夜の如く富岡先生をうて十時過ぎ頃まで談話はなしている、談話はなしをすると言うよりかむしろその愚痴やら悪口あっこうやら気焔きえんやら自慢噺じまんばなしやらの的になっている。先生はこの頃になって酒をこうむること益々ますますはなはだしく倉蔵の言った通りその言語が益々荒ら荒らしくその機嫌きげん愈々いよいよむずかしくなって来た。ことに変わったのは梅子に対する挙動ふるまいで、時によると「馬鹿者! 死んでしまえ、貴様きさまるお蔭で乃公おれは死ぬことも出来んわ!」とまで怒鳴ることがある。然し梅子はくこれに堪えて愈々従順すなおに介抱していた。其処そこで倉蔵が
「お嬢様、マア貴嬢あんたのような人は御座ごわりませんぞ、神様のような人とは貴嬢のことで御座ござりますぞ、感心だなア……」と老の眼に涙をぼろぼろこぼすことがある。
 こんな風で何時いつしか秋のなかばとなった。細川繁は風邪かぜを引いていたので四五日先生を訪うことが出来なかったが熱も去ったので或夜七時頃から出かけて行た。
 家内やうちが珍らしくも寂然ひっそりとしているので細川は少し不審に思いつつ坐敷に通ると、先生の居間の次ぎの間に梅子が一人裁縫をしていた。細川が入って来てもかしらを上げないので、愈々いぶかしくく見るとあおざめたほおに涙が流れているのが洋燈ランプの光にありありとわかる。校長は喫驚びっくりして
「お梅さんどうかしたのですか」と驚惶あわただしくたずねた。梅子はなおかしらを垂れたまま運ばす針を凝視みつめて黙っている。この時次の
「誰だ?」と老先生が怒鳴った。
わたくしで御座います。細川で御座います」
此方こっちへ入らんで何をしているのか、用があるからちょっと来い!」
唯今ただいま」と校長がとうとした時、梅子は急に細川の顔を見上げた、そして涙がはらはらとそのひざにこぼれた。ハッと思って細川は躊躇ためろうたが、一言ひとことも発し得ない、とどまることも出来ないでそのまま先生の居間に入った。何とも知れない一種の戦慄せんりつが身うちにみなぎって、坐った時には彼の顔は真蒼まっさおになっていた。富岡老人は床に就いていてその枕許まくらもと薬罎くすりびんが置いてある。
「オヤ何所どこかお悪う御座いますか」と細川はしぼいだすような声でやっと言った。富岡老人一言も発しない、一間はせきとしている、細川は呼吸いきつまるべく感じた。しばらくすると、
「細川! 貴公おまえ乃公おれの所へ元来いったい何をしに来るのだ、エ?」
 寝たまま富岡先生は人をしつけるような調声ちょうし、人をあざけるような声音こわねで言った。細川は一語も発し得ない。
「エ、元来いったい何をしに来るのだ? 乃公おれの見舞に来るのか。娘の御機嫌きげんを取りに来るのか、エ? 返事をせえ!」
 校長は眼をつぶり歯をくいしばったままかしられ両のこぶしひざに乗せている。
貴公おまえは娘をねらっておるナ! 乃公の娘を自分の物にしたいと狙っておるナ! ふん」
 細川の拳は震えている。
「貴公よく考えてみろ! 貴公はたか田舎いなかの小学校の校長じゃアないか。同じ乃公の塾に居た者でも高山や長谷川は学士だ、それにさえ乃公は娘をやらんのだぞ。身の程を知れ! 馬鹿者!」
 校長の顔は見る見るくれないをさして来た。その握りしめた拳の上に熱涙がはらはらと落ちた。侯爵伯爵をののしる口からくもそんな言葉が出る、矢張人物よりも人爵の方が先生には難有ありがたいのだろう、見下げ果てた方だと口をいて出ようとする一語を彼はじっとこらえている。この先生の言としては怪むにらない、もし理窟りくつを言って対抗する積りなら初めからこの家に出入でいりをしないのである。と彼は思い返した。
「エ、それともどうしても娘が欲しいと言うのか、コラ!」
 校長は一語を発しない。
判然はっきりと言え! どうしても欲しいと言うのか、男らしく言え、コラ!」
 細川はきっとかしらをあげた。
「左様で御座います! 梅子さんを私の同伴者つれやいに貰いたいと常に願っております!」きっぱりと言い放って老先生の眼睛がんせいを正視した。
「もし乃公がらぬと言ったらどうする?」
「致し方が御座いません!」
「帰れ! 招喚よびにやるまでは来るな、帰れ!」と老人は言放って寝返ねがえりして反対むこうを向いて了った。
 細川は直ちに起ってへやを出ると、突伏して泣いていた梅子は急に起て玄関まで送って来て、
貴下あなた何卒どうか父の言葉を気になさらないで……御存知の通りな気性で御座いますから!」とおろおろ声で言った。
「イイエ決して気には留めません、何卒どうか先生を御大切ごたいせつに、貴嬢あなた御大事ごだいじ……」みなまで言うあたわず、急いで門を出て了った。
 その夜細川が自宅うちに帰ったのは十二時過ぎであった。何処どこ徘徊うろついていたのか、真蒼まっさおな顔色をしてさも困憊がっかりしている様子を寝ないで待っていた母親は不審そうに見ていたが、
「お前又た風邪を引きかえしたのじゃアないかの、未だ十分でないのに余り遅くまで夜あるきをするのは可くないよ」
「何に格別の事は御座いません」と細川は何気なく言ってそのま自分の居間へ入った。母親はその後姿を見送ってそっと歎息ためいきをした。

        五

 その翌日より校長細川は出勤して平常ふだんの如く職務を執っていたが彼の胸中には生れ落ちて以来未だ経験したことのない、苦悩が燃えているのである。
 もし富岡先生にののしられたばかりなら彼は何とかして思切るほうにもがいたであろう、その煩悶はんもんも苦痛には相違ないが、これたたかいである、彼の意力はくこの悩にえたであろう。
 しかし今の彼の苦悩はみずから解く事の出来ないまどいである、「何故なぜ梅子はあの晩泣いていたろう。自分が先生に呼ばれてその居間に入る時、梅子は何故あんな相貌かおつきをして涙を流して自分を見たろう。自分が先生にむかって自分の希望のぞみを明言した時に梅子は隣室で聞いていたに違いない、もし自分の希望のぞみを全くいなむ心なら自分が帰る時あんなに自分を慰めるはずはない……」
「梅子は自分を愛している、少くとも自分が梅子をこいていることを不快には思っていない」との一念が執念しゅうねくも細川の心に盤居わだかまっていて彼はどうしてもこれを否むことが出来ない、然し梅子が平常ふだん何人なんびとに向ても平等に優しく何人に向ても特種の情態こころもちを示したことのないだけ、細川は十分この一念を信ずることが出来ぬ。梅子が泣いて見あげた眼の訴うるが如くわびるが如かりしを想起おもいおこす毎に細川はうっとりと夢見心地になり狂わしきまでに恋しさのこころ燃えたつのである。恋、惑、そして恥辱はじ、夢にもうつつにもこの苦悩は彼より離れない。
 或時は断然倉蔵に頼んでひそかにふみを送り、我情わがこころのままを梅子に打明けんかとも思い、夜の二時頃まで眠らないで筆を走らしたことがある、然し彼は思返してその手紙を破ってしまった。こういう風で十日ばかりった。或日細川は学校を終えて四時頃、丘のふもとを例の如く物思に沈みつつ帰って来ると、倉蔵に出遇であった。倉蔵は手に薬罎くすりびんを持ていた。
「先生! どうしてこの頃は全然まるきりお見えになりません?」倉蔵はないない様子を知りながら素知らぬ風で問うた。
「老先生の御病気はどうかね?」と校長も又た倉蔵の問に答えないで富岡老人の様子をたずねた。
「この頃はめっきりお弱りになって始終床にばかり就ていらっしゃるが、別に此処ここというて悪るい風にも見えねえだ。然し最早もう長くは有りますめえよ!」と倉蔵は歎息ためいきをした。
「ふうん、そうかな、一度見舞に行きたいのだけれど……」と校長の声も様子も沈んで了った。
「おいでなされませ、かまうもんかね、疳癪かんしゃくまぎれに何言うたて……」
「それもそうだが……お梅さんの様子はどうだね?」と思切って問うた。
「何だかこの頃は始終鬱屈ふさいでばかり御座るが、見ていても可哀そうでなんねえ、ほんとに嬢さんは可哀そうだ……」と涙にもろい倉蔵はわきを向いて田甫たんぼの方をなが最早もう眼をしばだたいている。
「困ったものだナ、先生は相変らずやかましく言うかね?」
「ナニこの頃は老先生も何だか床の中で半分眠ってばかり居て余り口をかねえだ」
「妙だねえ」と細川は首をかしげた。
「これまでわずらったことがあっても今度のように元気のないことはえが、矢張やっぱり長くないしるしであるらしい」
「そうかも知れん!」と細川はまゆひそめた。
「それに何だか我が折れて愚にかえったような風も見えるだ。それを見ると私も気の毒でならん、やかまし人は矢張やっぱり喧しゅうしていてくれる方がえと思いなされ」
「今夜見舞に行ってみようかしらん」
「是非来なさるが可え、関うもんか!」
「うん……」と細川は暫時しばらく考えていたが、「お梅さんに宜しく言っておくれ」
「かしこまりました、是非今夜来なさるがえ」
 細川は軽く点頭うなずき、二人は分れた。いろいろと考え、種々いろいろもがいてみたが校長は遂にその夜富岡を訪問とうことが出来なかった。
 それから三日目の夕暮、倉蔵が真面目まじめな顔をして校長のうちへ来て、梅子からの手紙を細川の手に渡した、細川が喫驚びっくりして目をまるくして倉蔵の顔を見ているうちに彼は挨拶あいさつないで帰ってしまった。
 梅子からの手紙! 細川繁の手はるえた。無理もない、かつて例のないこと、又有りべからざること、細川に限らず、梅子を知れる青年わかものの何人も想像することの出来ないことである!
 封を切て読み下すと、すこぶる短いふみで、ただ父に代ってこの手紙を書く。今夜直ぐ来て貰いたい是非とのことである、何か父から急にお話したいことがあるそうだとの意味。
 細川は直ぐ飛んでった。「呼びにやるまで来るな!」との老先生の先夜の言葉を今更のように怪しゅう思って、彼は途々みちみちこの一言いちごんを胸に幾度いくたびか繰返した、そして一念はしなくもその夜の先生の怒罵どばに触れると急に足がすくむよう思った。
 然し「呼びに来た」のである。不思議の力ありて彼を前より招きあとよりたちまち彼を走らしめつ、彼は躊躇ためらうことなく門を入った。
 居間に通って見ると、村長が来ている。先生は床に起直って布団ふとん倚掛よっかかっている。梅子も座に着いている、一見一座の光景ようす平常ふだんと違っている。真面目で、沈んで、のみならず何処どこかに悲哀の色が動いている。
 校長は慇懃いんぎんに一座に礼をして、さてあらためて富岡老人に向い、
「御病気は如何いかがで御座いますか」
「どうも今度の病気は爽快はっきりせん」という声さえ衰えて沈んでいる。
御大事ごだいじになされませんと……」
「イヤわし最早もう今度はお暇乞いとまごいじゃろう」
「そんなことは!」と細川は慰さめる積りで微笑えみを含んだ。しかし老人は真面目で
わしも自分の死期の解らぬまでには老耄もうろくせん、とても長くはあるまいと思う、其処そこで実は少し折入って貴公おまえと相談したいことがあるのじゃ」
 かくてその夜は十時頃まで富岡老人の居間は折々談声はなしごえが聞え折々しんと静まり。又折々老人の咳払せきばらいが聞えた。
 その翌日村長は長文の手紙を東京なる高山法学士のもとに送った、その文の意味は次ぎの如くである、――
 御申越おんもうしこし以来一度も書面を出さなかったのは、富岡老人に一条を話すべき機会おりが無かったからである。
 先日の御手紙には富岡先生と富岡との二個ふたりの人がこの老人の心中に戦かっておるとのお言葉が有った、実にその通りで拙者も左様思っていた、然るにちょうど御手紙を頂いた時分以来は、所謂いわゆる富岡先生の暴力益々ますますつのり、二六時中富岡氏の顔出かおだしする時は全く無かったと言ってよろしい位、恐らく夢のうちにも富岡先生はあばれ廻っていただろうと思われる。
 これには理由わけがあるので、この秋の初に富岡老人の突然上京せられたるのは全く梅子さん貴所あなたに貰わす目算であったらしい、拙者はそう鑑定している、ところが富岡先生には「東京」が何より禁物なので、東京にゆけば是非、江藤侯井下伯その他故郷くにの先輩の堂々たる有様を見聞せぬわけにはいかぬ、富岡先生に取ってはこれすなわち不平、頑固がんこ、偏屈の源因げんいんであるから、たちまち青筋を立てて了って、あてにしていた貴所あなた挙動ふるまいすらも疳癪かんしゃくの種となり、ついに自分で立てた目的を自分で打壊たたきこわして帰国かえって了われたものと拙者は信ずる、然るに帰国って考えてみると梅子さんの為めに老人の描いていた希望はほとんどくうになって了った。先生何が何やら解らなくなって了った。其所そこかんは益々起る、自暴やけにはなる、酒量は急に増す、気は益々狂う、まことに言うも気の毒な浅ましい有様となられたのである、と拙者は信ずる。
 現に拙者が貴所あなたの希望に就き先生を訪うた日などは、先生の梅子さんののし大声たいせいが門の外まで聞えた位で、拙者は機会おりわるしと見、ただちに引返えしたが、倉蔵の話に依ればその頃先生はあの秘蔵子なるあの温順なる梅子さんをすら頭ごなしに叱飛しかりとばしていたとのことである、以て先生の様子を想像したまわば貴所も意外の感あることと思う。
 拙者ばかりでなくこういう風であるから無論富岡をたずねる者は滅多になかった、ただ一人、御存知の細川繁氏のみは殆ど毎晩のように訪ねて怒鳴られながらも慰めていたらしい。
 然るに昨夕さくせきのこと富岡老人近頃病床とこにあるよしを聞いたから見舞に出かけた、もし機会おりが可かったら貴所の一条を持出す積りで。老人はなるほど床に就いていたが、意外なのは暫時しばらあわぬ中に全然すっかり元気が衰えたことである、元気が衰えたと云うよりか殆ど我が折れて了って貴所の所謂いわゆる富岡氏、極く世間並の物の能く通暁わかった老人にって了ったことである、更に意外なのは拙者の訪問をひどく喜こんで実はびにやろうかと思っていたところだとのことである。それから段々話しているうちに老人は死後のことに就き色々と拙者に依托いたくせられた、その様子が死期の遠からぬを知っておらるるようで拙者も思わず涙をんだ位であった、其処そこで貴所の一条を持出すに又とない機会おりと思い既に口を切ろうとすると、意外も意外、老人の方から梅子さんのことを言い出した。それはこうで、娘は細川繁に配する積りである、細川からも望まれている、わしも初は進まなかったが考えてみると娘の為め細川の為め至極良縁だと思う、何卒どう貴所あなたその媒酌者なこうどになってくれまいかとの言葉。胸に例の一条が在る拙者は言句ごんくつまって了った、然し直ぐ思い返してこの依頼を快く承諾した。
 と云うのは、貴所に対して済ぬようだが、細川が先に申込み老人が既に承知した上は、最早もはや貴所の希望は破れたのである、拙者とても致し方がない。更に深く考えてみると、この縁は貴所の申込が好し先であってもそれは成就せず矢張、細川繁の成功に終わるようになっていたのである、と拙者は信ずるその理由は一に貴所の推測に任かす、富岡先生を十分に知っている貴所には直ぐ解るであろう。
 かつ拙者は貴所の希望の成就を欲する如く細川の熱望の達することを願う、これに就き少も偏頗へんぱこころを持ていない。貴所といえども既に細川の希望が達したと決定きまれば細川の為めに喜こばれるであろう。又梅子さんの為にも、喜ばれるであろう。
 そして拙者の見たところでは梅子さんもまた細川にすることを喜こんでいるようである。
 これが良縁でなくてどうしよう。
 拙者が媒酌者なこうどを承諾するや直ぐ細川を呼びにやった、細川は直ぐ来た、其処そこで梅子さんも一座し四人同席の上、老先生からあらためて細川に向い梅子さんを許すことを語られ又梅子さんの口から、父の処置に就いては少しも異議なく喜んで細川氏に嫁すべきを誓い、婚礼の日は老先生の言うがままにきたる十月二十日と定めた。くじは遂に残者のこりものに落ちた。
 貴所からも無論老先生及細川に向て祝詞を送らるることと信ずる。

        六

 婚礼も目出度めでたく済んだ。田舎いなかは秋晴ぬぐうが如く、校長細川繁の庭では姉様冠あねさまかぶりの花嫁中腰になって張物をしている。
 さて富岡先生は十一月の末ついにこの世を辞して何国なにくには名物男一人を失なった。東京の大新聞二三種に黒枠くろわく二十行ばかりの大きな広告が出て門人高山文輔、親戚しんせき細川繁、友人野上子爵等の名がずらり並んだ。
 同国の者はこの広告を見て「先生到頭死んだか」と直ぐ点頭うなずいたが新聞を見る多数は、何人なればかくも大きな広告を出すのかと怪むものもあり、全く気のつかぬ者もあり。
 然しこの広告が富岡先生のこの世に放った最後の一喝いっかつで不平満腹の先生がせめてもの遣悶こころやり知人ちじんってらされたのである。心ある同国人の二三はこれを見て泣いた。





底本:「牛肉と馬鈴薯」新潮文庫、新潮社
   1970(昭和45年)年5月30日初版発行
   1983(昭和58年)年7月30日22刷
入力:Nana Ohbe
校正:門田裕志、小林繁雄
2004年6月1日作成
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