昔シナで鐘を鋳た後にこれに牛羊の鮮血を塗ったことが伝えられている。しかしそれがいかなる意味の作業であったかはたしかにはわからないらしい。この事について
鐘に血を塗るというのは、本来はおそらく犠牲の血によって物を祭り清めるという宗教的の意義しかなかったのであろうが、しかし特に鐘の割れ目に塗るということがあったとすると、それは何かしら割れ目のために生じた鐘の欠点を補正するという意味があったのではないかと疑わせる。そうしないと特に割れ目に塗るという言葉が無意味になってしまうのである。
もし空想をたくましゅうすることを許されれば、最初は宗教的儀式としてやっていた事が偶然鐘の音に対してある有利な効果のある事を発見し、次いでそれが鋳物の裂罅から来る音響学的欠点を修正するためだということに考え及び、そうして今度は意識的にそういう作業を施すようになったのかもしれないと思われるのである。
現在のわれわれの分子物理学上の知識から考えて、こういう想像は必ずしもそう乱暴なものではないということは次のような考察をすれば、
金属と油脂類との間の吸着力の著しいことは日常の経験からもよく知られている。
割れ目があまり大きくては困るが、しかし必ずしも 10-8[#「-8」は上付き小文字] や 10-7[#「-7」は上付き小文字] でなくてもミクロン程度のものならば、その間隙を液体で充填することによって割れ目の面における音波の反射をかなりまで防止し従って鐘の正常な定常振動を回復することができるであろうと考えられる。もっとも割れ目の
以上のスペキュレーションが多少でも事実に該当するとした時に血液成分中に含まれるいかなる成分が最も有効であるかという問題が起こるが、多くの場合から類推すると、おそらく
Lubrication に関して油の oiliness と称するものがこの場合の問題に密接な関係をもつであろうと思われる。この減摩油の効力を規定する因子としての oiliness は、ある学者の説では炭水素連鎖の
以上は単なるスペキュレーションに過ぎないが近来ますます盛んになった分子物理学上の諸問題と連関して種々興味ある研究題目を暗示する点において多少の意味があろうと思うので本誌の余白を借りて思いついたままをしるした次第である。
金属と油との境界面については単に lubrication のみでなく、もっといろいろの違った方面の事がらと関係してもっといろいろ研究されてよいように思われるのに、この方面の研究が割合に少ないように見えるのは遺憾である。金相学者と界面化学者との協同によってこの方面の研究を進める事ができれば存外有益な効果をあげる事ができそうに思われるのである。
(昭和八年一月、応用物理)