毎年春と秋と一度ずつ先祖祭をするのがわが家の例である。今年の秋祭はわが帰省中にとの両親の考えで少し繰り上げて八月某日にする事ときめてあったが、数日来のしけで御供物肴がないため三日延びた。その朝は早々起きて物置の二階から祭壇を下ろし
煤を払い
雑巾をかけて壇を組みたてようとすると、さて板がそりかえっていてなかなか思うようにならぬのをようやくたたき込む。その間に父上は戸棚から
三宝をいくつも取下ろして一々
布巾で清めておられる。いや随分乱暴な鼠の
糞じゃ。つつみ紙もところどころ食い破られた跡がある。ここに黄ばんだしみのあるのも鼠のいたずらじゃないかしらんなど独語を云いながら我も手伝うておおかた三宝の清めも済む。取散らした包紙の
黴臭いのは奥の間の縁へほうり出して一ぺん掃除をする。置所から色々の
供物を入れた
叺を持ってくる。父上はこれに一々
水引をかけ綺麗にはしを揃えて、さて一々青い紙と白い紙とをしいた三宝へのせる。あたりは赤と白との水引の屑が
茄子の茎
人蔘の葉の中にちらばっている。奥の間から祭壇を持って来て床の中央へ三壇にすえ、神棚から
御厨子を下ろし塵を清めて一番高い処へ安置し、御扉をあけて前へ神鏡を立てる。左右にはゆうを掛けた
榊台一対。次の壇へ御洗米と塩とを純白な皿へ盛ったのが御焼物の鯛をはさんで正しく並べられる。一番大きな下の壇へは色々な供物の三宝が並べられる。先ず裏の畑の茄子
冬瓜小豆人参里芋を始め、井戸脇の葡萄塀の上の
棗、隣から貰うた梨。それから朝市の大きな
西瓜、こいつはごろごろして台へ載りにくかったのをようやくのせると、神様へ尻を向けているのは不都合じゃと云い出してまた据え直す。こんな事でとうとう昼飯になった。食事がすんでそこらを片付けるうち風呂がわいたから父上から順々にいってからだを清める。風呂から出て奥の間へ行くと一同の着替えがそろえてある。着なれぬ絹の袴のキュー/\となるのを着て座敷へ出た。日影が縁へ半分ほど差しこんで顔がほて/\するのは風呂に入ったせいであろう。姉上が数々の子供をつれて来る。一同座敷の片側へ一列にならんで順々拝が始まる。自分も縁側へ出て新しく水を入れた
手水鉢で手洗い口すすいで霊前にぬかずき、わが名を申上げて
拍手を打つと花瓶の
檜扇の花びらが落ちて葡萄の上にとまった。いちばん
御拝の長かったは母上で、いちばん神様の御気に召したかと思われるはせいちゃんのであった。一順すむと祭壇の菓子を下げて子供等に頂かせる。我も一度はこの御頂きをうれしがった事を思い出してその頃の我なつかしく、端坐したまう父母の
鬢の毛の白いのが見えるも心細いような気がする。子供等は何か無性に面白がって餅を握りながらバタバタと縁側を追い廻る、小さいのは父上の膝で
口鬚をひっぱる。顔をしかめながら父上も笑えば皆々笑う。涼しい風が吹いて来て榊のゆうがサラサラと鳴り、檜扇がまた散った。そのうちに膳が出て来て一同その前にすわる。「どうですかせいちゃんは、神様の前で御膝を出して。ソレ御つゆがこぼれますよ」と云う一方では年かさの姪が小さいのにオッキイ御口をさせている。夕日が向うの岡にかくれて床が薄暗くなったから御神燈をつけ御てらしを上げた。榊の影が大きく壁にうつって茄子や葡萄が美しくかがやいた。父上のいくさの話が出て子供等が急におとなしくなったと思うたら、小さいのとせいちゃんは姉上の膝の上ではや寝てしまった。姉上等がかえると御てらしが消えて御神燈の灯がバチバチと鳴る。座敷がしんとして庭では
轡虫が鳴き出した。居間の時計がねむそうに十時をうったから一通り霊前を片付けて床に入った。座敷で鼠が物をかじる音がするから見に行ったら、床の真中に鏡が薄くくらがりの中に淋しく光っていた。
(明治三十二年十一月『ホトトギス』)