春寒

寺田寅彦




 スカンジナヴィアの遠い昔の物語が、アイスランド人の口碑に残って伝えられたのを、十二世紀の終わりにスノルレ・スツール・ラソンという人が書きつづった記録が Heimskringla という書物になって現代に伝えられている。その一部が英訳されているのをおもしろそうだと思って買って来たまま、しばらく手を触れないで打っちゃっておいた。
 ことしの春のまだ寒いころであった。毎日床の中に寝たきりで、同じような単調な日を繰り返しているうちに、ふと思い出してこの本を読んでみた。初めの半分はオラーフ・トリーグヴェスソンというノルウェーの王様の一代記で、後半はやはり同じ国の王であったが、後にセント・オラーフと呼ばれた英雄の物語である。
 大概は勇ましくまた殺伐な戦闘や簒奪さんだつ顛末てんまつであるが、それがただの歴史とはちがって、中にいろいろな対話が簡潔な含蓄のある筆で写されていたり、繊細な心理が素朴そぼくな態度でうがたれていたりするのをおもしろいと思った。それから一つの特徴としては、王の軍中に随行して、時々のいくさの模様や王の事蹟じせきを即興的に歌った詩人(Scalds)の歌がところどころにはさまれている事である。それがために物語はいっそう古雅な詩的な興趣を帯びている。
 日本に武士道があるように、北欧の乱世にはやはりそれなりの武士道があった。名誉や信仰の前に生命を塵埃じんあいのように軽んじたのはどこでも同じであったと見える。女にも烈婦があった。そしてどことなくイブセンの描いたのに似たような強い女も出て来た。さすがにワルキリーの国だと思われたりした。
 オラーフ・トリーグヴェスソンが武運つたなく最後を遂げる船戦ふないくさの条は、なんとなく屋島やしまだんうらいくさに似通っていた。王の御座船「長蛇ちょうだ」のまわりには敵の小船がいなごのごとく群がって、投げやりや矢が飛びちがい、青い刃がひらめいた。たてに鳴るはがねの音は叫喊きょうかんの声に和して、傷ついた人は底知れぬ海に落ちて行った。……王の射手エーナール・タンバルスケルヴェはエリック伯をねらって矢を送ると、伯の頭上をかすめて舵柄だへいにぐざと立つ。伯はかたわらのフィンを呼んで「あの帆柱のそばの背の高いやつを射よ」と命ずる。フィンの射た矢は、まさに放たんとするエーナールの弓のただ中にあたって弓は両断する。オラーフが「すさまじい音をして折れ落ちたのは何か」と聞くと、エーナールが「王様、あなたの手からノルウェーが」と答えた。王が代わりに自分の弓を与えたのを引き絞ってみて「弱い弱い、大王の弓にはあまり弱い」と言って弓を投げ捨て、剣とたてとを取って勇ましく戦った。――私は那須与一なすのよいち義経よしつねの弓の話を思い出したりした。
 私がこの物語を読んでいた時に、離れた座敷で長女がピアノの練習をやっているのが聞こえていた。そのころ習い始めたメンデルスゾーンの「春の歌」の、左手でひく低音のほうを繰り返し繰り返しさらっていた。八分の一の低音の次に八分の一の休止があってその次に急速に駆け上がる飾音のついた八分の一が来る。そこでペダルが終わって八分の一の休止のあとにまた同じような律動が繰り返される。
 この美しい音楽の波は、私が読んでいる千年前の船戦ふないくさの幻像の背景のようになって絶え間なくつづいて行った。音が上がって行く時に私の感情は緊張して戦の波も高まって行った。音楽の波が下がって行く時に戦もゆるむように思われた。やりおのをふるう勇士が、皆音楽に拍子を合わせているように思われた。そして勇ましいこのいくさの幻は一種の名状し難い、はかない、うら悲しい心持ちのかすみの奥に動いているのであった。
 今はこれまでというので、王と将軍のコールビオルンはふなばたから海におどり入る。エリックの兵は急いで捕えようとしたが、王は用心深くたてを頭にかざして落ち入ったので捕える事ができなかった。たてを背にしていた将軍は盾の上に落ちかかり、沈む事ができなかったためにとりことなった。
 王はこの場で死んだと思われた。しかし泳ぎの達人であった王は、盾の下で鎖帷子くさりかたびらを脱ぎ捨てここを逃げのびてヴェンドランドの小船に助けられたといううわさも伝えられた。ともかくも王の姿が再びノルウェーに現われなかったのは事実である。
 すぐれた英雄の戦没した後に、こういううわさの生まれたのはいつの世でも同じだと思われる。このいくさを歌った当時の詩人の歌の最後の句にも「人はその願う事をやがて信ずる」と言っている。
 ピアノの音はこの物語の終わりまでつづいて行った。読み終わった本をまくらもとへ置いて、蒲団ふとんをかぶって聞いていると、音楽の波に誘われて物語の幻は幾度となく繰り返し繰り返し現われた。そしてこの王の運命の末路のはかなさがなんとなしに身にしみるようであった。
 その後にまたつづけて書物の後半になっているセント・オラーフの一代記を読んだ。
 向こうところに敵なくして剣の力で信仰と権勢を植え付けて行った半生の歴史はそれほど私の頭に今残っていないが、全盛の頂上から一時に墜落してロシアに逃げ延び、再びわずかな烏合うごうの衆を引き連れてノルウェーへ攻め込むあたりからがなんとなく心にしみている。そのころから王の周囲には一種の神秘的な影がつきまとっていて不思議な幻を見たり、さまざまな奇蹟きせきを現わしている。
 スチクレスタードの野のいくさの始まる前に、王は部下の将卒の団欒だんらんの中で、フィン・アルネソンのひざをまくらにしてうたた寝をする。敵軍が[#「敵軍が」は底本では「敵車が」]近寄るのでフィンが呼びさますと、「もう少し夢のつづきを見せてくれればよかったのに」と言ってその夢の話をして聞かせる。高い高い梯子はしごが立ってその上に天の戸が開けていた、王がそれを登りつめて最後の段に達した時に起こされたのだと言う。フィンは、その夢が王の思うほどよい夢ではない、眠りの不足のせいでなければそれは王の身の上にかかる事だと言った。
 王は黄金を飾ったかぶとをきて、白地に金の十字をあらわしたたてやりとを持ち、腰にはネーテと名づける剣を帯び、身には堅固な鎖帷子くさりかたびらを着けていた。
 美しい天気であったのが、いくさが始まると空と太陽が赤くなって、戦の終わるころには夜のように暗くなったと伝えられている。天文学者の計算によるとその日に日食はなかったはずだという事である。
 戦いは王に不利であった。……王はトーレ・フンドに切りつけたが、魔法の上着は切れなかった。そしてトーレの着たとなかいの皮からぱっとちりが飛び散った。王は将軍のビオルン(くま)に「鋼鉄のかみつけないこの犬(フンド)はお前が仕止めてくれ」と言った。ビオルンはおのをふるってその背をつちにして敵の肩を打つとフンドはよろめいて倒れんとした。トールスタイン・クナーレスメドは斧で王を撃って左のひざの上を切り込んだ。……王がよろめき倒れてかたわらの石によりかかり、神の助けを祈っているところへ敵将が来て首と腹を傷つけた。
 戦いが終わってトーレ・フンドは王の死骸しがいを地上に延ばして上着を掛けた。そして顔の血潮をぬぐって見るとほおは紅を帯びて世にも美しい顔ばせに見えた。王の血がフンドの指の間を伝い上って彼の傷へ届いたと思うと、傷は見るまに癒合ゆごうして包帯しなくてもよいくらいになった。……王の遺骸はそれから後もさまざまの奇蹟きせきを現わすのであった。
 私がこのセント・オラーフの最期の顛末てんまつを読んだ日に、偶然にも長女が前日と同じ曲の練習をしていた。そして同じ低音部だけを繰り返し繰り返しさらっていた。その音楽のいて行く地盤の上に、遠い昔の北国のひろい野の戦いが進行して行った。同じようにはかないうら悲しい心持ちに、今度は何かしら神秘的な気分が加わっているのであった。
 忠義なハルメソンとその子が王のひつぎを船底に隠し、石ころをつめたにせの柩を上に飾って、フィヨルドの波をこぎ下る光景がありあり目に浮かんだ、そうしてこの音楽の律動がかいの拍子を取って行くように思われた。
 その後にも長女は時々同じ曲の練習をしていた。右手のほうでひいているメロディだけを聞くとそれは前から耳慣れた「春の歌」であるが、どうかして左手ばかりの練習をしているのを幾間いくまか隔てたとこの中で聞いていると、不思議に前の書中の幻影が頭の中によみがえって来て船戦ふないくさの光景や、セント・オラーフの奇蹟きせきが幾度となく現われては消え、消えては現われた。そして音の高低や弛張しちょうにつれて私の情緒も波のように動いて行った。異国の遠い昔に対するあくがれの心持ちや、英雄の運命の末をはかなむような心持ちや、そう言ったようなものが、なんとなく春のうらみを訴えるような「無語歌」と一つにとけ合って流れ漂って行くのであった。
 そして今でもこの曲を聞くと、蒲団ふとんの外に出して書物をささえた私の指先に、しみじみしみ込むようであった春寒をも思い出すのである。
(大正十年一月、渋柿)





底本:「寺田寅彦随筆集 第一巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
   1947(昭和22)年2月5日第1刷発行
   1963(昭和38)年10月16日第28刷改版発行
   1997(平成9)年12月15日第81刷発行
入力:田辺浩昭
校正:かとうかおり
2003年5月27日作成
2010年8月24日修正
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