九月二十四日、日曜日、空よく晴れて暑からず寒からず。数学の宿題も午前の中に片付けたれば午後半日は思うまま遊ぶべしと定まれば昼飯待遠し。今日は彼岸にや本堂に人
数多集りて和尚の
称名の声いつもよりは高らかなるなど寺の内も今日は何となく賑やかなり。線香と花
估るゝ事しきりに小僧幾度か
箒引きずって墓場を出つ入りつ。木魚の音のポン/\たるを後に聞き
朴歯の
木履カラつかせて出で立つ。近辺の寺々いずこも参詣人多く花屋の店頭黄なる赤き菊
蝦夷菊堆し。とある杉垣の内を
覗けば立ち並ぶ墓碑
苔黒き中にまだ生々しき
土饅頭一つ、その前にぬかずきて合掌せるは二十前後の女三人と
稚き女の子一人、いずれも身なり
賤しからぬに
白粉気なき耳の根色白し。墓前花堆うして香煙空しく迷う
塔婆の影、木の間もる日光をあびて骨あらわなる白張燈籠目に立つなどさま/″\哀れなりける。上野へ入れば往来の人ようやくしげく、ステッキ引きずる書生の群あれば盛装せる御嬢様坊ちゃん方をはじめ、自転車はしらして得意気なる人、動物園の前に大口あいて立つ
田舎漢、乗車をすゝむる
人力、イラッシャイを叫ぶ茶店の女など並ぶるは
管なり。パノラマ館には例によって人を呼ぶ楽隊の音面白そうなれば
吾もまた例によって足を
其方へ運ぶ。また右手の小高き岡に上って見下ろせば木の間につゞく車馬
老若の
絡繹たる、秋なれども人の顔の淋しそうなるはなし。杉の大木の下に
床几を積み上げたるに落葉やゝ積りて鳥の糞の白き下には
小笹生い茂りて土すべりがちなるなど
雑鬧の中に幽趣なるはこの公園の特徴なるべし。西郷像の方へ行きたれども書生の群多くてうるさければ引きかえしパノラマ館裏手の坂を下る。こゝは
稍静かなれど紅塵ようやく深く鉄道構内の煤煙風に迷うもうるさし。踏切を越えて通りかゝりし鉄道馬車にのる。乗客多くて坐る余地もなければ入口に
凭れて倒れんとする事幾度。公園裏にて下り
小路を入れば人の往来織るがごとく、壮士芝居あれば娘
手踊あり、軽業カッポレ
浪花踊、評判の江川の玉乗りにタッタ三銭を惜しみたまわぬ方々に満たされて
囃子の音ただ
八ヶまし。猿に餌をやるどれほど面白きか知らず。魚釣幾度か釣り損ねてようやく得たる一尾に
笑靨傾くる少年帰ってオッカサンに何をはなすか。写真店の看板を見る兵隊さん。鯉に
麩を投ぐる娘の子。
凌雲閣上人豆のごとしと思う我を上より見下ろして
蛆のごとしと嘲りし者ありしや否や。右へ廻れば藤棚の下に「御子供衆への御土産一銭から御座ります」と声々に叫ぶ
玩具売りの女の子。
牡丹燈籠とかの
活人形はその脇にあり。
酒中花欠皿に開いて赤けれども買う人もなくて爺が
煙管しきりに煙を吐く。蓄音機今
音羽屋の弁天小僧にして向いの壮士腕をまくって
耶蘇教を攻撃するあり。曲書きのおじさん大黒天の耳を書く所。砂書きの御婆さん「ヘー有難う、もうソチラの方は
御済になりましたかなー、もうありませんかなー。」ヘー有難うこれから当世白狐伝を御覧に入れる所なり。
魔除鼠除けの呪文、さては
唐竹割の術より小よりで箸を切る伝まで十銭のところ三銭までに勉強して教える男の武者修行めきたるなど。ちと人が悪いようなれども一切
只にて拝見したる報いは
覿面、腹にわかに痛み出して一歩もあゆみ難くなれり。近きベンチへ腰をかけて観音様を祈り奉る
俄信心を起すも
霊験のある筈なしと顔をしかめながら
雷門を
出づれば仁王の顔いつもよりは
苦し。
仲見世の
雑鬧は云わずもあるべし。
東橋に
出づ。腹痛やゝ治まる。向うへ越して交番に
百花園への道を尋ね、向島堤上の砂利を蹴って行く。空いつの間にか曇りてポツリ/\顔におつれどさしたる事もなければ行手を急いで上へ/\と行く。道右へ廻りて両側に料理屋茶店など立ち並ぶ間を行く。右手に萩の園と掛札ある家を、これが百花園かと門内を
覗くに、どうやら変なれば、客待ちの車夫に問うに、百花園はまだずっと先なり。大倉の別荘の石垣に、白赤の萩溢るゝがごときに、二輌の馬車門を出でて南へ馳せ去りたる、あれは喜八郎の一家か、車上の男女いたく澄まし顔なるが先ず癪に触りける。
三囲の
稲荷堤上より拝し、腹まだ治まらねば団子かじる気もなく、ようやく百花園への道札見付けて堤を右へ下り、小溝に沿うてまがりくねりの道を行く半町ばかり。
道傍、溝の
畔に萩みだれ、小さき社の垣根に
鶏頭赤きなど、早くも園に入りたる心地す。
この辺紺屋多し。園に達すれば門前に
集う車数知れず。小門
清楚、「春夏秋冬花不断」の掛額もさびたり。門を入れば萩先ず目に赤く、立て並べたる自転車おびたゞし。左脇の家に人
数多集い、念仏の声洋々たるは何の弔いか。その隣に
楽焼の都鳥など売る店あり。これに続く茶店二、三。前に夕顔棚ありて下に酒酌む自転車乗りの一隊、見るから殺風景なり。その前は一面の秋草原。
芒の
蓬々たるあれば萩の道に溢れんとする、さては
芙蓉の白き紅なる、
紫苑、
女郎花、
藤袴、
釣鐘花、虎の尾、鶏頭、
鳳仙花、
水引の花さま/″\に咲き乱れて、
径その間に通じ、道傍に何々塚の立つなどあり。中に細長き池あり。
荷葉半ば枯れなんとして見る影もなきが
一入秋草の色に映りて面白し。春夏の花木もあれども目に入らず。しのぶ塚と云うを見ているうち我を呼びかける者あり。ふりかえれば森田の母子と田中君なり。連れ立って更に園をめぐる。草花に
処々釣り下げたる
短冊既に面白からぬにその裏を見れば鬼ころしの広告ずり嘔吐を催すばかりなり。秋草には
束髪の美人を聯想すなど考えながらこゝを出でたり。腹痛ようやく止む。
鐘が
淵紡績の
煙突草後に
聳え、右に白きは大学のボートハウスなるべし、
端艇を乗り出す者二、三。前は桜樹の
隧道、花時思いやらる。八重桜多き由なれど花なければ吾には見分け難し。
植半の屋根に止れる
鳶二羽相対してさながら瓦にて造れるようなるを瓦じゃ鳥じゃと云ううち左なる一羽嘲るがごとく
此方を向きたるに皆々どっと笑う。道傍に並ぶ柱燈
人造麝香の広告なりと聞きてはますます嬉しからず。
渡頭に下り立ちて船に上る。
千住よりの小蒸気けたゝましき笛ならして過ぐれば余波
舷をあおる事少時。乗客間もなく満ちて船は中流に出でたり。
雨催の空濁江に映りて、堤下の杭に
漣
寄するも、
蘆荻の声静かなりし昔の様尋ぬるに由なく、
渡番小屋にペンキ塗の広告看板かゝりては
簑打ち払う風流も似合うべくもあらず。
今戸の
渡と云う名ばかりは
流石に
床し。
山谷堀に上がれば雨はら/\と降り来るも場所柄なれば面白き心地もせらる。さりとて傘持たぬ一同、たとえ張子ならずとも風邪など引いては面白からねば大急ぎにて雷門前まで駈け付く。先を争いて馬車に乗らんとあせる人狂気のごとく、見る間に満員となりて馳せ出せば友にはぐれて取り残さるゝ人も多し。来る馬車も/\皆満員となりて乗る折もなし。婦人連れの事なれば奮発してようよう上等に乗ればこれもやはりギシつみにて呼吸も出来ざるをようようにして上野へ着けば雨も小止みとなりける。こゝに一行と別れて山内に入る。
人ようよう散じて後れ帰るもの
疎なり。向うより勢いよく馳せ来る馬車の上に端坐せるは
瀟洒たる白面の貴公子。たしか『太陽』の口絵にて見たるようなりと考うれば、さなり三条
君美の君よと振返れば早や見えざりける。また降り出さぬ間と急いで
谷中へ帰れば木魚の音またポン/\/\。
(明治三十二年九月)