一 俳句の成立と必然性
五七五の定型と、季題および切れ字の
俳句の十七字詩形を歴史的にさかのぼって行くと「
しかし、川の流れをさかのぼって深い谷間の岩の割れ目に源泉を発見した場合にいわゆる源泉の探究はそれで終了したとしても、われわれはその泉の水が決して突然そこで無から創造されたものではなくて、さらに深く地下の
ここで自分がかりに俳句的要素とかいう名前で呼んでいるものは何であるかというと、それは古来の日本人が自然に対する特殊な見方と態度をさして言うのである。
日本人の対自然観が外国人なかんずく西洋人などのそれと比較していかなる特徴をもっているかということについては最近に他の場所でやや詳しく述べたからここでは詳細の解説は省略するが、その要点をかいつまんで言ってみると次のようなものである。
日本人は西洋人のように自然と人間とを別々に切り離して対立させるという言わば物質科学的の態度をとる代わりに、人間と自然とをいっしょにしてそれを一つの全機的な有機体と見ようとする傾向を多分にもっているように見える。少し言葉を変えて言ってみれば、西洋人は自然というものを道具か品物かのように心えているのに対して、日本人は自然を自分に親しい兄弟かあるいはむしろ自分のからだの一部のように思っているとも言われる。また別の言い方をすれば西洋人は自然を征服しようとしているが、従来の日本人は自然に同化し、順応しようとして来たとも言われなくはない。きわめて卑近の一例を引いてみれば、庭園の作り方でも一方では幾何学的の設計図によって
この自然観の相違が一方では科学を発達させ、他方では俳句というきわめて特異な詩を発達させたとも言われなくはない。これは一見はなはだしく奇抜な対比のように聞こえるであろうが、しかし自分が以下に述べんとする諸点を正当に理解される読者にとってはこうした一見奇怪な見方が決して奇怪でないことを了解されるであろうと思われる。
日本人のこうした自然観がどうして成立したかという起原と理由については前に引用した他の場所でやや詳しく説明してあるから、ここではそれは略することとして、ここではこの日本人固有の自然観の特異性がいかなる形で俳句という詩形の中に現われて来るかを説明してみようと思う。
従来俳句について客観と主観ということが問題になることがしばしばあった。この句は純客観の句であるとか、あの句は主観の句であるとかいうような批判を耳にすることがある。便宜上こういう言葉を使って俳句の分類をするのも別にたいした不都合はないかもしれないが、自分の考えているような日本人の自然観を土台にする立場から見れば、こうした言葉はかなり無意味なものになって来る。なぜかと言えば人間と自然とを切り離して対立させない限り、主と客との対立的の差別はなくなってしまうからである。
一例として「荒海や
われわれにとっては「荒海」は単に航海学教科書におけるごとき波高く舟行に危険なる海面ではない。四面に海をめぐらす
もちろん西洋にも荒海とほぼ同義の言葉はある。またその言葉が多数の西洋人にいろいろの連想を呼び出す力をもっていることも事実である。しかしそれらの連想はおそらく多くは現実的功利的のものであろう。またもしそれが夢幻的空想的であるとしても、日本人のそれのように濃厚に圧縮されたそうして全国民に共通で固有な民族的記憶でいろどられたものではおそらくあり得ないであろうと思われる。
「
こういう不思議な魔術がなかったとしたら俳句という十七字詩は
この魔術がどうして可能になったか、その理由はだいたい二つに分けて考えることができる。一つはすでに述べたとおり、日本人の自然観の特異性によるのである。ひと口に言えば自然の風物にわれわれの主観的生活を化合させ
ステファン・マラルメは仏国の
この所説の当否は別問題として、この人の言う意味での正しい詩の典型となるべきものが日本の和歌や俳句であろう。雄弁な
詩形が短い、言葉数の少ない結果としてその中に含まれた言葉の感覚の強度が強められる。同時にその言葉の内容が特殊な分化と限定を受ける。その分化され限定された内容が詩形に付随して伝統化し固定する傾向をもつのは自然の勢いである。さらばこそ万葉古今の
しかしまたこれらの語彙の意義内容は一方では進化し発展しつつ時代に適応するだけの弾性をもっている。「春雨」はビルディング街に煙り「秋風」は飛行機の翼を払うだけの包容性を失わないのである。
こう考えて来ると、和歌と俳句は純粋な短詩の精神を徹底的に突きつめたものであり、またその点で和歌よりも俳句のほうがいっそう極度まで突きつめたものだということになるのである。
俳句における季題の重要性ということも同じ立場からおのずから明白であろう。限定され、そのために強度を高められた電気火花のごとき効果をもって連想の燃料に点火する役目をつとめるのがこれらの季題と称する若干の
有限な語彙の限定は形式の限定と同様往々俳句というものの活動の天地を限定するかのような錯覚を起こさせる。近ごろいろいろの無定形無季題短詩の試みがあるのは多くはこの錯覚によるのではないかと想像される。しかし人間と化合した有機的の「春雨」「秋風」はその言葉の外形は不変であっても、その内容は人間社会とともに進化の歩みを止めることはない。人間とその社会が新しくなれば、いっしょに新しくなって行くものである。詩形についても同様の事が言われる。人体の解剖学的構造は二千年前の先祖とほとんど同じでも人間の思想は決して同じところにとどまっていないのである。それと同じように、詩形は固定していてもそれに盛らるる精神的内容はいくらでも進化しうるのである。
十七字のパーミュテーション、コンビネーションが有限であるから俳句の数に限りがあるというようなことを言う人もあるが、それはたぶん数学というものを習いそこねたかと思われるような人たちの唱える俗説である。少なくも人間の思想が進化し新しい観念や概念が絶えず導入され、また人間の知恵が進歩して新しい事物が絶えず供給されている間は新しい俳句の種の尽きる心配は決してないであろう。
話が少し横道にそれてしまったが、ここで言わんとしたことは、俳句が最短の詩形であるがために、その
以上は俳句の内容に関することであったがその五七五の定型についてもその成立が決して偶然でないことは次の所説から理解されようかと思う。
ジュール・ロマンという人が、フランス人の作ったいわゆるハイカイを批評した言葉の中におおよそ次のような意味の苦言がある。「俳句の価値はすべての固定形の詩の場合と同様に詩形の固定していること、形式を規定する制約の厳重なことに存している。かつて仏国にソンネット詩形を取り入れたとき、多少この詩形の規則をはずれたようなものを作ったものもあって、いかもの扱いにされたことであったが、それでもその規則はずれの自由さはほんのわずかの程度のものであった。しかるにフランスのハイカイはなるほど三つの詩句でできているというだけは日本のに習っているが、一句の長さにはなんの制限もないし、三句の終わりの
実際短い詩に定型がなかったら「手帳の覚え書き」との区別はつきにくい。しかし「古池に
どうして日本に五、七あるいは七、五の律動が普遍化したかということはむつかしい問題である。今のところ明白な説明はできそうもない。私見によるとおそらくこれは四拍子の音楽的拍節に語句を配しつつ語句と語句との間に適当な休止を
古事記などの古い部分に現われたいろいろの歌ではまだ七五の形は決定していないで、いろいろの字数の句が錯雑している。そうしてその錯雑した中に七五あるいは五七の
要するに七五の定数律は人のこしらえたものではなくて、ひとりで生まれひとりで生長して来たものである。それで今にわかに人為的にこれを破壊し棄却しようとしてもそう急速には意のままにならないであろうと考えられる。これは理屈ではなくて事実なのである。
次には俳句が七五七でなくて五七五であるのはどういうわけかという疑問が起こる。和歌の上の句と同型だからというのも一つの説明にはなるが、それとは独立にも五七五のほうが短詩の形式としてすぐれていると思われる理由もなくはない。初五が短いためにそのあとでちょっとした休止の気味があって内省と
次に「切れ字」というものの意義についてはすでに他の場所で解説したことがあるからここには略するが、これも要するに決して偶然なものでもなく、人工的のものでもなくきわめて自然で必要な短詩の制約の一つとして見るべきものである。
以上私は俳句の形式の必然性についてかなりくどくどしく述べて来たようであるが、そうしたわけは私の考えでは俳句の精神といったようなものは俳句のこの形式を離れては存立し難いものと考えるからである。その精神とはどんなものか、それについては章を改めて述べてみたいと思う。
二 俳句の精神とその修得の反応
この講座の編集者から私は「俳句の精神」という課題を授けられた。この精神とは何を意味するか私にはよくわからない。たぶん「わび」とか「さびしおり」とか「風流」とかいうことの解説を要求されていることかとも思われた。しかし、そういう題目については従来多くの先輩の各方面からの所論や説述があり、私自身にもすでにいろいろな場所で繰り返して私見を述べて来たことであるから、今さらにまた同じことを繰り返したくないような気がする。それでここではむしろ少しちがった角度からこの問題を考えてみたいと思う。
前に述べたように俳句というものの成立の基礎条件になるものが日本人固有の自然観の特異性であるとすると、俳句の精神というのも
日本人の自然観は同時にまた日本人の人世観であるということもすでに述べたとおりである。「春雨」「秋風」は日本人には直ちにまた人生の一断面であって、それはまた一方で不易であると同時に、また一方では流行の諸相でもある。「実」であると同時に「虚」である。「春雨や
このように自然と人間との交渉を通じて自然を自己の内部に投射し、また自己を自然の表面に映写して、そうしてさらにちがった一段高い自己の目でその関係を静観するのである。
こういうことができるというのが日本人なのである。
こういうふうな立場から見れば「
短歌もやはり日本人の短詩である以上その中には俳句におけるごとき自然と人間の有機的結合から生じた象徴的な諷詠の要素を多分に含んだものもはなはだ多いのであるが、しかし俳句と比較すると、和歌のほうにはどうしても象徴的であるよりもより多く直接法な主観的情緒の表現が鮮明に濃厚に露出しているものが多いことは否定し難い事実である。そうした短歌の中の主観の主はすなわち作者自身であって、作者はその作の中にその全人格を没入した観があるのが普通である。しかし俳句が短歌とちがうと思われる点は、上にも述べたように花鳥風月と合体した作者自身をもう一段高い地位に立った第二の自分が客観し認識しているようなところがある。「山路来て何やらゆかしすみれ草」でも、すみれと人とが互いにゆかしがっているのを
短歌と俳句との精神というかあるいは態度というか、とにかくその内容に対する作者自己の関係の両者における相違をしいて求めてみると、その相違が主として上記の点に係わっているように思われる。このような差別の起こった一つの原因は、俳句の詩形が極度に短くなったために、もし直接な主観を盛ろうとすると、そのために象徴的な景物の入れ場がなくなってしまうので、そのほうを割愛して象徴的なものに席を譲るようになり、従って作者の人間は象徴の中に押し込まれ自然と有機的に結合した姿で表現されるよりほかにしかたがなくなる。その結果として
この事と連関してちょっとおもしろい話がある。私の知っているある歌人の話ではその知人の歌人中で自殺した人の数がかなり大きな百分率を示している。俳人のほうを聞いてみると自殺者はきわめてまれだという。もちろんこれは
歌人と俳人とではあるいは先天的に体質、従ってそれによって支配される精神的素質がちがっているのではないかという想像さえ起こし得られる。近ごろ流行の言葉を使えば、体内各種のホルモンの分泌のバランスいかんが俳人と歌人とを決定するのではないかという気もする。これはしかるべき生理学者の研究題目になりうるのではないかと思われる。
それはいずれにしても、上述のごとき俳句における作者の自己の特殊な立場は必然の結果として俳句に内省的自己批評的あるいは哲学的なにおいを付加する。「風流」といい「さび」というのも
風流とかさびとかいう言葉が通例消極的な
俳句を修業するということは、以上の見地から考えると、
俳句の修業はその過程としてまず自然に対する観察力の
句の表現法は、言葉やてにはの問題ばかりでなくてやはり自然対自己の関係のいかなる面を抽出するかという選択法に係わるものである。
このような選択過程はもちろん作者が必ずしも意識して遂行するわけではないが、しかしそういう選択の能力は俳句の修業によって次第に熟達することのできる一種不思議な批判と認識の能力である。こういう能力の獲得が一人の人間の精神的所得として、そう安直な無価値なものであろうとは思われないのである。
一般的に言って俳句で苦労した人の文章にはむだが少ないという傾向があるように見える。これは普通字句の簡潔とか用語の選択の妥当性によるものと解釈されるようであるが、しかしそれよりも根本的なことは、書く事の内容の取捨選択について積まれた修業の効果によるのではないかと思われる。俳句を作る場合のおもなる仕事は不用なものをきり捨て切り詰めることだからである。
こういうふうに考えて来ると、俳句というものの修業が、決して花がるたやマージャンのごとき遊戯ではなくてより重大な精神的意義をもつものであるということがおぼろげながらもわかって来る。それと同時に作句ということが決してそう生やさしい仕事ではないことが想像されるであろうと思われる。
俳句の修業はまた一面においては日本人固有の民族的精神の習得である。本編の初めに述べたように俳句という特異な詩形の内容と形式の中に日本民族の過去の精神生活のほとんど全部がコンデンスされエキストラクトされている。これが外国人に俳句のわからない理由であると同時に日本だけに俳句が存在しまた存在しなければならなかった理由である。同じ理由から俳句を研究することは日本人を研究することであり、俳句を修業することは日本人らしい日本人になるために、必要でないまでも最も有効な教程であり方法である。これは一見誇大な言明のようであるが実は必ずしも過言でないことはこの言葉の意味を深く
こういう意味で自分は、俳句のほろびない限り日本はほろびないと思うものである。
付言
以上は自分の自己流の俳句観である。現代俳壇の乱闘場裏に
(昭和十年十月、俳句作法講座)