薬草取

泉鏡花




       一

日光掩蔽にっこうおんぺい  地上清涼ちじょうしょうりょう  靉靆垂布あいたいすいぶ  如可承攬にょかしょうらん
其雨普等ごうぶとう  四方倶下しほうぐげ  流樹無量りゅうじゅむりょう  率土充洽そつどじゅうごう
山川険谷さんせんけんこく  幽邃所生ゆうすいしょじょう  卉木薬艸きぼくやくそう  大小諸樹だいしょうしょじゅ
「もしはばかりながらお布施ふせ申しましょう。」
 背後うしろから呼ぶやさしい声に、医王山いおうざんの半腹、樹木の鬱葱うっそうたる中をでて、ふと夜の明けたように、空み、気きよく、時しも夏のはじめを、秋見る昼の月のごとく、前途遥ゆくてはるかなる高峰たかねの上に日輪にちりんあおいだ高坂こうさかは、愕然がくぜんとして振返ふりかえった。
 人の声を聞き、姿を見ようとは、夢にも思わぬまで、遠く里を離れて、はや山深く入っていたのに、呼懸よびかけたのは女であった。けれども、高坂は一見して、ただちに何ら害心がいしんのない者であることを認め得た。
 女は片手拝かたておがみに、白い指尖ゆびさきを唇にあてて、俯向うつむいてきょうを聞きつつ、布施をしようというのであるから、
いやわし出家しゅっけじゃありません。」
 と事もなげに辞退しながら、立停たちどまって、女のその雪のような耳許みみもとから、下膨しもぶくれのほおけて、やわらかに、濃い浅葱あさぎひもを結んだのが、つゆの朝顔の色を宿やどして、加賀笠かががさという、ふちの深いのでまゆを隠した、背には花籠はなかごあし脚絆きゃはん、身軽に扮装いでたったが、艶麗あでやかな姿を眺めた。
 かなたは笠の下から見透みすかすが如くにして、
「これは失礼なことを申しました。お姿はちっともそうらしくはございませんが、結構な御経おきょうをお読みなさいますから、わたくしは、あの、御出家ではございませんでも、御修行者ごしゅぎょうじゃでいらっしゃいましょうと存じまして。」
 背広の服で、足拵あしごしらえして、ぼう真深まぶかに、風呂敷包ふろしきづつみを小さく西行背負さいぎょうじょいというのにしている。彼は名を光行みつゆきとて、医科大学の学生である。
 時に、妙法蓮華経薬草諭品みょうほうれんげきょうやくそうゆほん第五偈だいごげなかばを開いたのを左のたなそこささげていたが、右手めていた力杖ステッキを小脇に掻上かいあげ、
「そりゃまあ、修行者は修行者だが、まだ全然まるで素人しろうとで、どうして御布施ごふせを戴くようなものじゃない。
 読方よみかただって、何だ、大概たいがい大学朱熹章句だいがくしゅきしょうくくんだから、とうと御経おきょう勿体もったいないが、この山には薬の草が多いから、気の所為せいか知らん。ふもとからこうやって一里ばかりも来たかと思うと、風も清々すがすがしい薬のがして、何となく身にむから、心願しんがんがあって近頃から読み覚えたのを、となえながら歩行あるいているんだ。」
 かく打明うちあけるのが、この際自他じたのためと思ったから、高坂は親しくず語って、さて、
ねえさん、お前さんはふもとの村にでも住んでいる人なんか。」
「はい、二俣村ふたまたむらでございます。」
「あああの、越中えっちゅう蛎波となみかよう街道で、此処ここに来る道のわかれる、目まぐるしいほど馬の通る、彼処あすこだね。」
「さようでございます。もうみちが悪うございまして、車が通りませんものですから、炭でもたきぎでも、残らず馬に附けて出しますのでございます。
 それにちょうどこの御山みやまの石の門のようになっております、戸室口とむろぐちから石を切出きりだしますのを、みんな馬で運びますから、一人で五ひききますのでございますよ。」
「それではその麓から来たんだね、たった一人。……」
 しずかを移していた高坂は、更にまた女の顔を見た。
「はい、一人でございます、そしてこちらへ参りますまで、お姿を見ましたのは、貴方あなたばかりでございますよ。」
 いかにもという面色おももちして、
わたしもやっぱり、そうさ、半里ばかりもあとだった、途中で年寄った樵夫きこりって、みちを聞いたほかにはお前さんきり。
 どうしてってかえるまで、ひと一人ひとりいようとは思わなかった。」
 このあたりただなだらかな蒼海原あおうなばら、沖へ出たような一面の草を※(「目+句」、第4水準2-81-91)みまわしながら、
「や、ものを言っても一つ一つこだまに響くぞ、さびしいところへ、くお前さん一人で来たね。」
 女はの上へ右左、幅広く引掛ひっかけた桃色の紐に両手をはさんで、花籃はなかご揺直ゆりなおし、
貴方あなた、その樵夫きこりしゅうにお尋ねなすってうございました。そんなにけわしい坂ではございませんが、ちっとも人がかよいませんから、誠に知れにくいのでございます。」
「この奥の知れない山の中へ入るのに、目標めじるしがあの石ばかりじゃ分らんではないかね。
 それも、南北みなみきた何方どちら医王山道いおうざんみちとでもりつけてあればまだしもだけれど、ただ河原にころがっている、ごろた石の大きいような、その背後うしろから草の下に細い道があるんだもの、ちょいと間違えようものなら、半年経歴へめぐってもいただきにはかれないと、樵夫きこりも言ったんだが、全体何だって、そんなにかくして置く山だろう。全くあの石の裏よりほかに、何処どこも路はないのだろうか。」
「ございませんとも、この路筋みちすじさえ御存じでらっしゃれば、世を離れました寂しさばかりで、けだもの可恐おそろしいのはおりませんが、一足でも間違えて御覧なさいまし、何千じょうとも知れぬ谷で、行留ゆきどまりになりますやら、断崖きりぎし突当つきあたりますやら、ながれに岩が飛びましたり、大木の倒れたのでさきふさがったり、その間には草樹くさきの多いほど、毒虫もむらむらして、どんなに難儀でございましょう。
 もとへ帰るか、倶利伽羅峠くりからとうげ出抜でぬけますれば、無事に何方どちらか国へ帰られます。それでなくって、無理に先へ参りますと、終局しまいには草一条くさひとすじも生えません焼山やけやまになって、餓死うえじにをするそうでございます。
 本当に貴方あなたがおっしゃいます通り、樵夫きこりがお教え申しました石は、飛騨ひだまでも末広すえひろがりの、医王の要石かなめいしと申しまして、一度踏外ふみはずしますと、それこそ路がばらばらになってしまいますよ。」
 名だたる北国ほくこく秘密の山、さもこそと思ったけれども、
「しかし一体、医王というほど、此処ここで薬草が採れるのに、何故なぜ世間とはへだたって、行通ゆきかよいがないのだろう。」
「それは、あのうけたまわりますと、昔から御領主の御禁山おとめやまで、滅多めったに人をお入れなさらなかった所為せいなんでございますって。御領主ばかりでもござんせん。結構な御薬おくすりの採れます場所は、また御守護の神々かみがみ仏様ほとけさまも、出入ではいりをおめ遊ばすのでございましょうと存じます。」
 たとえば仙境せんきょう異霊いれいあって、ほしいままに人の薬草を採る事を許さずというが如く聞えたので、これがすくなからず心にかかった。
「それでは何か、わたしなんぞが入って行って、ほしい草を取って帰っては悪いのか。」
 と高坂はやや気色けしきばんだが、悚然ぞっ肌寒はださむくなって、思わず口のうちで、
慧雲含潤えうんがんじゅん  電光晃耀でんこうこうよう  雷声遠震らいじょうおんしん  令衆悦予れいじゅえつよ
日光掩蔽にっこうおんぺい  地上清涼ちじょうしょうりょう  靉靆垂布あいたいすいぶ  如可承攬にょかしょうらん

       二

いいえ、山さえおあらしなさいませねば、誰方どなたがおいでなさいましても、大事ないそうでございます。薬の草もあります上は、毒な草もないことはございません。無暗むやみな者が採りますと、どんな間違まちがいになろうも知れませんから、昔から禁札きんさつが打ってあるのでございましょう。
 貴方あなたは、そうして御経おきょうをお読み遊ばすくらい、縦令たといお山で日が暮れてもちっともお気遣きづかいな事はございますまいと存じます。」
 言いかけてまたちかづき、
「あのさようなら、貴方あなたはお薬になる草を採りにおいでなさるのでござんすかい。」
少々しょうしょう無理なねがいですがね、身内に病人があって、とても医者の薬ではなおらんにきまったですから、この医王山でなくってほかにない、私が心当こころあたりの薬草を採りに来たんだが、何、ねえさんは見懸みかけたところ、花でも摘みにあがるんですか。」
「御覧のとおり、花を売りますものでござんす。二日置き、三日おきに参って、お山の花を頂いては、里へ持って出てあきないます、ちょう唯今ただいま種々いろいろ花盛はなざかり
 千蛇せんじゃいけと申しまして、いただきに海のようなおおきな池がございます。そしてこの山路やまみち何処どこにも清水なぞ流れてはおりません。そのかわり暑い時、咽喉のどかわきますと、あおちいさな花の咲きます、日蔭ひかげの草を取って、葉のつゆみますと、それはもう、つめたい水を一斗いっとばかりも飲みましたように寒うなります。それがないとしのげませんほど、水の少いところですから、菖蒲あやめ杜若かきつばた河骨こうほねはござんせんが、躑躅つつじ山吹やまぶきも、あの、牡丹ぼたん芍薬しゃくやくも、菊の花も、桔梗ききょうも、女郎花おみなえしでも、みんな一所いっしょに開いていますよ、この六月から八月のすえ時分まで。その牡丹だの、芍薬だの、結構な花が取れますから、たんとお鳥目ちょうもくが頂けます。まあ、どんなに綺麗きれいでございましょう。
 そして貴方あなた、おのぞみの草をお採り遊ばすお心当こころあたりはどの辺でござんすえ。」
 とかさながら差覗さしのぞくようにして親しく聞く、時にすずしい目がちらりと見えた。
 高坂は何となく、物語の中なる人を、幽境ゆうきょう仙家せんかに導く牧童ぼくどうなどに逢う思いがしたので、ことばおのずから慇懃いんぎんに、
「私も其処そこくつもりです。四季の花の一時いっときに咲く、何というところでしょうな。」
「はい、美女びじょはらと申します。」
「びじょがはら?」
「あの、美しい女と書きますって。」
 女は俯向うつむいてじたる色あり、物のつつましげに微笑ほほえむ様子。
 可懐なつかしさに振返ふりかえると、
「あれ。」とそでななめに、たもとを取って打傾うちかたむき、
「あれ、まあ、御覧なさいまし。」
 その草染くさぞめの左の袖に、はらはらと五片三片いつひらみひらくれないを点じたのは、山鳥やまどり抜羽ぬけはか、あらず、ちょうか、あらず、蜘蛛くもか、あらず、桜の花のこぼれたのである。
「どうでございましょう、この二、三ヶ月の間は、何処どこからともなく、こうして、ちらちらちらちら絶えず散って参ります。それでも何処どこに桜があるか分りません。美女ヶ原へきますと、十里みなみ能登のとみさき、七里きた越中立山えっちゅうたてやま背後うしろ加賀かがが見晴せまして、もうこのせつは、かすみも霧もかかりませんのに、見紛みまごうようなそれらしい花のこずえもござんせぬが、大方おおかたこの花片はなひらは、うるさ町方まちかたから逃げて来て、遊んでいるのでございましょう。それともあっちこっち山の中を何かの御使おつかいに歩いているのかも知れません。」
 と女が高くあおぐにれ、高坂もむぐらの中に伸上のびあがった。草の緑が深くなって、さかさまに雲にうつるか、水底みなそこのようなてんの色、神霊秘密しんれいひみつめて、薄紫うすむらさきと見るばかり。
「その美女ヶ原までどのくらいあるね、日の暮れないうちかれるでしょうか。」
いいえ、こう桜が散って参りますから、じきでございます。私も其処そこまで、お供いたしますが、今日こそ貴方あなたのようなおつれがございますけれど、平時いつもは一人で参りますから、日一杯ひいっぱいに里まで帰るのでございます。」
「日一杯?」と思いも寄らぬさま
「どんなにまた遠いところのように、樵夫きこりがお教え申したのでござんすえ。」
「何、樵夫に聞くまでもないです。私に心覚こころおぼえちゃんとある。先ずおよそ山の中を二日も三日も歩行あるかなけれゃならないですな。
 もっとのぼりは大抵たいていどのくらいと、そりゃかねて聞いてはいるんですが、日一杯だのもうじきだの、そんなにたやすかれる処とは思わない。
 御覧なさい、こうやって、五体の満足なはいうまでもない、谷へも落ちなけりゃ、いわにもつまずかず、衣物きものほころびが切れようじゃなし、生爪なまづめ一つはがしやしない。
 支度したくはして来たってもひもじい思いもせず、そのあおい花の咲く草を捜さなけりゃならんほどかわく思いをするでもなし、勿論もちろんこの先どんな難儀に逢おうも知れんが、それだって、花を取りに里から日帰ひがえりをするという、ねえさんと一所いっしょくんだ、急に日が暮れて闇になろうとも思われないが、全くこれぎりで、一足ひとあしずつ出さえすりゃ、美女ヶ原になりますか。」
「ええ、わけはございません、貴方あなた、そんなに可恐おそろしいところと御存じで、その上、お薬を採りに入らしったのでございますか。」
 言下ごんかに、
「実際命懸いのちがけで来ました。」と思いって答えると、女はしめやかに、
「それでは、よくよくの事でおあんなさいましょうねえ。
 でも何もそんなむずかしい御山おやまではありません。ただ此処ここ霊山れいざんとか申す事、酒をこぼしたり、竹の皮を打棄うっちゃったりするところではないのでございます。まあ、難有ありがたいお寺の庭、お宮の境内けいだいうえがた御門ごもんの内のような、歩けば石一つありませんでも、何となくつつしみませんとなりませんばかりなのでございます。そして貴方あなたは、美女ヶ原にお心覚えの草があって、其処そこまでお越し遊ばすに、二日も三日もおかかりなさらねばなりませんような気がすると仰有おっしゃいますが、何時いつか一度おのぼり遊ばした事がございますか。」
「一度あるです。」
「まあ。」
たしかに美女ヶ原というそれでしょうな、何でも躑躅つつじ椿つばき、菊も藤も、はら一面に咲いていたと覚えています。けれども土地の名どころじゃない、方角さえ、何処どこが何だか全然まるで夢中。
 今だってやっぱり、私は同一おなじこの国の者なんですが、その時は何為なぜか家を出て一月あまり、山へ入って、かれこれ、何でも生れてから死ぬまでの半分は※(「彳+淌のつくり」、第3水準1-84-33)※(「彳+羊」、第3水準1-84-32)さまよって、漸々ようよう其処そこを見たように思うですが。」
 高坂は語りつつも、長途ちょうとくるしみ、雨露あめつゆさらされた当時を思い起すに付け、今も、気弱り、しん疲れて、ここに深山みやまちり一つ、心にかからぬ折ながら、なおかつ垂々たらたらそびらに汗。
 糸のような一条路ひとすじみち背後うしろへ声を運ぶのに、力を要した所為せいもあり、薬王品やくおうほんを胸にいだき、杖を持った手にぼうを脱ぐと、清きひたいぬぐうのであった。
 それと見る目もさとく、
「もし、御案内がてら、あの、私がおさきへ参りましょう。どうぞ、その方がお話もうけたまわりようございますから。」
 一議いちぎに及ばず、草鞋わらじを上げて、道を左へ片避かたよけた、足の底へ、草の根がやわらかに、葉末はずえはぎを隠したが、すそを引くいばらもなく、天地てんちかんに、虫の羽音はおとも聞えぬ。

       三

「御免なさいまし。」
 と花売はなうりは、たもとめた花片はなびらおしやはらはら、そでを胸に引合せ、身を細くして、高坂の体を横に擦抜すりぬけたその片足もむぐらの中、路はさばかり狭いのである。
 五尺ばかり前にすらりと、立直たちなおる後姿、もすそを籠めた草の茂り、近く緑に、遠く浅葱あさぎに、日の色を隈取くまどる他に、一ぼくのありて長く影を倒すにあらず。
 背後うしろから声を掛け、
大分だいぶん草深くなりますな。」
「段々いただきが近いんですよ。やがてこのはえ人丈ひとだけになって、私の姿が見えませんようになりますと、それをくぐって出ますところが、もう花の原でございます。」
 と撫肩なでかたの優しい上へ、笠の紐ゆるく、べにのような唇をつけて、横顔で振向ふりむいたが、すずしい目許めもとえみを浮べて、
「どうして貴方あなたはそんなにまあ唐天竺からてんじくとやらへでもおで遊ばすように遠い処とお思いなさるのでございましょう。」
 高坂は手なる杖を荒くいて、土を騒がす事さえせず、つつしんであとに続き、
「久しい以前です。一体誰でも昔の事は、遠くへだたったように思うのですから、事柄と一所いっしょに路までもはるかに考えるのかも知れません。そうして先ずみんな夢ですよ。
 けれども不残のこらず事実で。
 私が以前美女ヶ原で、薬草を採ったのは、もう二十年、十年が一昔ひとむかし、ざっと二昔ふたむかしも前になるです、九歳ここのつの年の夏。」
「まあ、そんなにおちいさい時。」
もっとも一人じゃなかったです。さる人に連れられて来たですが、始め家を迷って出た時は、東西もわきまえぬ、取って九歳ここのつ小児こどもばかり。
 人は高坂のみい、私の名ですね、光坊みいぼうが魔にられたのだと言いました。よくこの地で言う、あの、天狗てんぐさらわれたそれです。また実際そうかも知れんが、幼心おさなごころで、自分じゃ一端いっぱし親を思ったつもりで。
 まだ両親ふたおやともあったんです。母親が大病で、暑さの取附とッつきにはもう医者が見放したので、どうかしてそれをなおしたい一心で、薬を探しに来たんですな。」
 高坂は少時しばらく黙った。
「こう言うと、何か、さも孝行の吹聴ふいちょうをするようで人聞ひとぎきが悪いですが、姉さん、貴女あなたばかりだから話をする。
 今でこそ、立派な医者もあり、病院も出来たけれど、どうして城下が二里四方にひらけていたって、北国ほくこくの山の中、医者らしい医者もない。まあまあその頃、土地第一という先生までさじを投げてしまいました。打明けて、父が私たちに聞かせるわけのものじゃない。母様おっかさん病気きいきいが悪いから、大人おとなしくしろよ、くらいにしてあったんですが、何となく、人の出入ではいりうちの者の起居挙動たちいふるまい、大病というのは知れる。
 それにその名医というのが、五十恰好かっこうで、天窓あたまげたくせに髪の黒い、色の白い、ぞろりとした優形やさがた親仁おやじで、脈を取るにも、じゃかさを差すにも、小指をそらして、三本の指で、横笛を吹くか、女郎じょろう煙管きせるを持つような手付てつきをする、好かない奴。
 私がちょこちょこ近処きんじょだから駈出かけだしては、薬取くすりとりくのでしたが、また薬局というのが、その先生のおいとかいう、ぺろりと長い顔の、ひたいからべにが流れたかと思う鼻のさきの赤い男、薬箪笥くすりだんす小抽斗こひきだしを抜いては、机の上に紙を並べて、調合をするですが、先ずその匙加減さじかげん如何いかにもあやしい。
 相応そうおう流行はやって、薬取くすりとりも多いから、手間取てまどるのがじれったさに、始終くので見覚えて、私がその抽斗ひきだしを抜いて五つも六つも薬局の机に並べてる、しまいには、先方さきの手を待たないで、自分で調合をして持って帰りました。私のする方が、かえって目方めかたそろうくらい、大病だって何だって、そんな覚束おぼつかない薬で快くなろうとは思えんじゃありませんか。
 その頃父は小立野こだつのと言うところの、げんのある薬師やくしを信心で、毎日参詣するので、私もちょいちょい連れられて行ったです。
 のちは自分ばかり、乳母うばに手をかれておまいりをしましたッけ。別に拝みようも知らないので、ただ、母親の病気の快くなるようと、手を合せる、それも遊び半分。
 六月の十五日は、私の誕生日で、その日、月代さかやきって、湯に入ってから、紋着もんつきそでの長いのをせてもらいました。
 私がと言っては可笑おかしいでしょう。裾模様すそもよういつもん熨斗目のしめの派手な、この頃聞きゃ加賀染かがぞめとかいう、菊だの、はぎだの、桜だの、花束がもんになっている、時節に構わず、種々いろいろの花を染交そめまぜてあります。もっと今時いまどきそんな紋着を着る者はない、他国たこくには勿論もちろんないですね。
 一体この医王山に、四季の花が一時いちじに開く、その景勝を誇るために、加賀かがばかりで染めるのだそうですな。
 まあ、その紋着を着たんですね、博多はかた一本独鈷いっぽんどっこ小児帯こどもおびなぞで。
 坊やは綺麗きれいになりました。母も後毛おくれげ掻上かきあげて、そして手水ちょうずを使って、乳母うば背後うしろから羽織はおらせた紋着に手を通して、胸へ水色の下じめを巻いたんだが、自分で、帯を取ってしめようとすると、それなり力が抜けて、膝をいたので、乳母があわて確乎しっかりくと、すぐ天鵝絨びろうど括枕くくりまくら鳩尾みぞおちおさえて、その上へ胸を伏せたですよ。
 んで下すった礼を言うのに、ただ御機嫌うとさえ言えばいと、父から言いつかって、枕頭まくらもとに手をいて、其処そこへ。顔を上げた私と、枕にもたれながら、じっと眺めた母と、顔が合うと、坊や、もうなおるよと言って、涙をはらはら、差俯向さしうつむいて弱々よわよわとなったでしょう。
 父が肩を抱いて、そっと横に寝かした。乳母が、掻巻かいまきせ懸けると、えりに手をかけて、向うを向いてしまいました。
 台所から、中のから、玄関あたりは、ばたばた人の行交ゆきかう音。もっとも帯をしめようとして、濃いお納戸なんどの紋着に下じめのなりで倒れた時、乳母が大声で人を呼んだです。
 やがて医者せんせいはかますそを、ずるずるとやって駈け込んだ。私には戸外おもてへ出て遊んで来いと、乳母が言ったもんだから、庭から出たです。今も忘れない。何とも言いようのない、悲しい心細い思いがしましたな。」
 花売はなうりは声細く、
御道理ごもっともでございますねえ。そして母様おっかさんはそののちくおなりなさいましたの。」
「お聞きなさい、それからです。
 小児こどもせめて仏のそですがろうと思ったでしょう。小立野こだつのと言うは場末ばすえです。先ず小さな山くらいはある高台、草の茂った空地沢山あきちだくさんな、人通りのないところを、その薬師堂やくしどうへ参ったですが。
 朝の内に月代さかやき沐浴ゆあみなんかして、家を出たのは正午ひるすぎだったけれども、何時いつ頃薬師堂へ参詣して、何処どこを歩いたのか、どうして寝たのか。
 翌朝あくるあさはその小立野から、八坂はっさかと言います、八段やきだに黒い滝の落ちるような、真暗まっくらな坂を降りて、川端へ出ていた。川は、鈴見すずみという村の入口で、ながれも急だし、瀬の色もすごいです。
 橋は、雨や雪にしらっちゃけて、長いのが処々ところどころうろこの落ちた形に中弛なかだるみがして、のらのらとかかっているその橋の上に茫然ぼんやりと。
 のちに考えてこそ、翌朝あくるあさなんですが、そのせつは、夜を何処どこで明かしたか分らないほどですから、小児こども晩方ばんがただと思いました。この医王山のいただきに、真白な月が出ていたから。
 しかし残月ざんげつであったんです。何為なぜかというにその日の正午ひる頃、ずっと上流のあやしげなわたしを、綱につかまって、宙へつるされるようにして渡った時は、顔がかっとする晃々きらきらはげし日当ひあたり
 こういうと、何だか明方あけがただか晩方ばんがただか、まるで夢のように聞えるけれども、わたしを渡ったには全く渡ったですよ。
 山路やまじは一日がかりと覚悟をして、今度来るにはふもとで一泊したですが、昨日きのう丁度ちょうどぜんの時と同一おなじ時刻、正午ひる頃です。岩も水も真白な日当ひあたりの中を、あのわたしを渡って見ると、二十年の昔に変らず、船着ふなつきの岩も、船出ふなでの松も、たしかに覚えがありました。
 しかし九歳ここのつで越した折は、じいさんの船頭がいて船を扱いましたっけ。
 昨日きのうただ綱を手繰たぐって、一人で越したです。乗合のりあいなんにもない。
 御存じの烈しいながれで、さおの立つ瀬はないですから、綱は二条ふたすじ染物そめものしんしばりにしたように隙間すきまなく手懸てがかりが出来ている。船は小さし、どう突立つッたって、釣下つりさがって、互違たがいちがいに手を掛けて、川幅三十けんばかりを小半時こはんとき幾度いくたびもはっと思っちゃ、あぶなさに自然ひとりでに目をふさぐ。その目を開ける時、もし、あのたけの伸びた菜種なたねの花が断崕がけ巌越いわごしに、ばらばら見えんでは、到底とてもこの世の事とは思われなかったろうと考えます。
 十里四方には人らしい者もないように、船をもやった大木の松の幹に立札たてふだして、渡船銭わたしせん三文とある。
 話は前後あとさきになりました。
 そこで小児こどもは、鈴見すずみの橋にたたずんで、前方むこうを見ると、正面の中空なかぞらへ、仏のてのひらを開いたように、五本の指の並んだ形、矗々すくすく立ったのが戸室とむろ石山いしやまもやか、霧か、うしろを包んで、年に二、三度く晴れた時でないと、あおあらわれて見えないのが、すなわちこの医王山です。
 其処そこにこの山があるくらいは、かねて聞いて、小児心こどもごころにも方角を知っていた。そして迷子まいごになったか、魔にられたか、知れもしないのに、ちいさな者は、暢気のんきじゃありませんか。
 それが既に気が変になっていたからであろうも知れんが、おなかが空かぬだけに一向いっこう苦にならず。壊れた竹の欄干らんかんつかまって、月のかかった雲の中の、あれが医王山と見ている内に、橋板はしいたをことこと踏んで、
 むこうの山に、猿が三びき住みやる。中の小猿が、もの饒舌しゃべる。何と小児こどもども花折はなおりにくまいか。今日の寒いに何の花折りに。牡丹ぼたん芍薬しゃくやく、菊の花折りに。一本折っては笠にし、二本折っては、みのに挿し、三枝みえだ四枝よえだに日が暮れて……とふと唄いながら。……
 何となく心に浮んだは、ああ、向うの山から、月影に見ても色のくれないな花を採って来て、それを母親の髪に挿したら、きっと病気がなおるに違いないと言う事です。また母は、その花をかんざしにしても似合うくらい若かったですな。」
 高坂はもと来たかたかえりみたが、草のほかには何もない、一歩ひとあしさき花売はなうりの女、如何いかにも身にみて聞くように、俯向うつむいてくのであった。
「そしてたしかに、それが薬師やくしのおつげであると信じたですね。
 さあ思い立ってはたてたまらない、渡り懸けた橋を取って返して、堤防どて伝いに川上へ。
 あとでまたわたしを越えなければならない路ですがね、橋から見ると山の位置ありかは月のる方へ傾いて、かえって此処ここから言うと、対岸むこうぎし行留ゆきどまりの雲の上らしく見えますから、小児心こどもごころに取って返したのがちょうさいわいと、橋から渡場わたしばまでく間の、あの、岩淵いわぶちの岩は、人を隔てる医王山のいちとりでと言ってもい。戸室とむろ石山いしやまの麓がすぐながれに迫るところで、かさなり合った岩石だから、路は其処そこで切れるですものね。
 岩淵をこちらに見て、大方おおかた跣足はだしでいたでしょう、すたすた五里も十里も辿たどったつもりで、正午ひる頃に着いたのが、鳴子なるこわたし。」

       四

馬士まごにも、荷担夫にかつぎにも、畑打はたうつ人にも、三にんにんぐらいずつ、村一つ越しては川沿かわぞい堤防どてへ出るごとに逢ったですが、みんなただ立停たちどまって、じろじろ見送ったばかり、言葉を懸ける者はなかったです。これは熨斗目のしめ紋着振袖もんつきふりそでという、田舎にめずらしい異形いぎょう扮装なりだったから、不思議な若殿、迂濶うかつに物も言えないと考えたか、真昼間まっぴるま、狐が化けた? とでも思ったでしょう。それとも本人逆上返のぼせかえって、何を言われても耳に入らなかったのかもわからんですよ。
 ふとその渡場わたしばの手前で、背後うしろから始めて呼び留めた親仁おやじがあります。にいや、にいやと太い調子。
 私は仰向あおむいて見ました。
 ずんぐりの高い、銅色あかがねいろ巌乗造がんじょうづくりな、年配四十五、六、古い単衣ひとえすそをぐいと端折はしょって、赤脛からずね脚絆きゃはん、素足に草鞋わらじ、かっとまばゆいほど日が照るのに、笠はかぶらず、その菅笠すげがさの紐に、桐油合羽とうゆがっぱたたんで、小さくたてに長く折ったのをゆわえて、振分ふりわけにして肩に投げて、両提ふたつさげ煙草入たばこいれ、大きいのをぶらげて、どういう気か、渋団扇しぶうちわで、はたはたと胸毛をあおぎながら、てくりてくり寄って来て、何処どこくだ。
 御山おやまへ花を取りに、と返事すると、ふんそれならばし、小父おじ同士どうしに行ってるべい。ただし、このさきわたしを一つ越さねばならぬで、渡守わたしもり咎立とがめだてをすると面倒じゃ、さあ、おぶされ、と言うて背中を向けたから、合羽かっぱまたぐ、足を向うへ取って、さる背負おんぶ、高く肩車に乗せたですな。
 そのうちも心のく、山はと見ると、戸室とむろが低くなって、この医王山が鮮明あざやか深翠ふかみどり、肩の上から下に瞰下みおろされるような気がしました。位置は変って、川の反対むこうの方に見えて来た、なるほどわたしを渡らねばなりますまい。
 足をおさえた片手をうしろへ、腰の両提ふたつさげの中をちゃらちゃらさせて、爺様じさま頼んます、鎮守ちんじゅ祭礼まつりを見に、頼まれた和郎わろじゃ、と言うと、船を寄せた老人としよりの腰は、親仁おやじ両提ふたつさげよりもふらふらして干柿ほしがきのようにからびた小さなじじい
 やがて綱につかまって、すがるとはやい事!
 すずめ鳴子なるこを渡るよう、猿がこずえを伝うよう、さらさら、さっと。」
 高坂は思わず足踏あしぶみをした、草のしげりがむらむらとゆらいで、花片はなびらがまたもや散り来る――二片三片ふたひらみひら虚空おおぞらから。――
「左右へ傾くふなばたへ、ながれが蒼くからみ着いて、真白にさっひるがえると、乗った親仁も馴れたもので、小児こどもかついだまま仁王立におうだち
 真蒼まっさお水底みなそこへ、黒くいて、底は知れず、目前めさき押被おっかぶさった大巌おおいわはらへ、ぴたりと船が吸寄すいよせられた。岸は可恐おそろしく水は深い。
 巌角いわかどきざを入れて、これを足懸あしがかりにして、こちらの堤防どてあがるんですな。昨日きのう私が越した時は、先ず第一番の危難に逢うかと、膏汗あぶらあせを流して漸々ようようすがり着いてあがったですが、何、その時の親仁は……平気なものです。」
 高坂は莞爾にっこりして、
爪尖つまさきを懸けると更になく、おぶさった私の方がかえって目をふさいだばかりでした。
 さて、ちっ歩行あるかっせえと、岸で下してくれました。それからは少しずつ次第にながれに遠ざかって、田のあぜ三つばかり横に切れると、今度は赤土あかつちの一本道、両側にちらほら松の植わっているところへ出ました。
 六月の中ばとはいっても、この辺にはめずらしいひどく暑い日だと思いましたが、川を渡り切った時分から、戸室山とむろやまが雲を吐いて、処々ところどころ田の水へ、真黒な雲がったり、来たり。
 並木なみきの松と松との間が、どんよりして、こずえが鳴る、と思うとはや大粒な雨がばらばら、立樹たちきを五本と越えないうちに、車軸を流す烈しい驟雨ゆうだち。ちょッ待て待て、と独言ひとりごとして、親仁おやじが私の手を取って、そら、台なしになるから脱げと言うままにすると、帯を解いて、紋着もんつきいで、浅葱あさぎえりの細くかかった襦袢じゅばんも残らず。
 小児こどもは糸も懸けぬ全裸体まるはだか
 雨はあびるようだし、こわさは恐し、ぶるぶるふるえると、親仁が、強いぞ強いぞ、と言って、私の衣類を一丸ひとまるげにして、懐中をふくらますと、紐を解いて、笠を一文字にかぶったです。
 それから幹に立たせて置いて、やがて例の桐油合羽とうゆがっぱを開いて、私の天窓あたまからすっぽりと目ばかり出るほど、まるで渋紙しぶかみ小児こどもの小包。
 いや! 出来た、これなら海をもぐっても濡れることではない、さあ、真直まっすぐ前途むこうへ駈け出せ、えい、と言うて、板でたれたと思った、私のしりをびたりと一つ。
 濡れた団扇うちわは骨ばかりに裂けました。
 怪飛けしとんだようになって、蹌踉よろけて土砂降どしゃぶりの中を飛出とびだすと、くるりと合羽かっぱに包まれて、見えるは脚ばかりじゃありませんか。
 赤蛙あかがえるが化けたわ、化けたわと、親仁おやじ呵々からからと笑ったですが、もう耳も聞えず真暗三宝まっくらさんぼう。何か黒山くろやまのような物に打付ぶッつかって、斛斗もんどりを打って仰様のけざまに転ぶと、滝のような雨の中に、ひひんと馬のいななく声。
 漸々ようよう人の手にたすおこされると、合羽を解いてくれたのは、五十ばかりの肥ったばあさん。馬士まごが一人腕組うでぐみをして突立つッたっていた。かどの柳のみどりから、黒駒くろこまの背へしずくが流れて、はや雲切くもぎれがして、その柳のこずえなどは薄雲の底に蒼空あおぞらが動いています。
 妙なものが降り込んだ。これが豆腐とうふなら資本もとでらずじゃ、それともこのまま熨斗のしを附けて、鎮守様ちんじゅさまおさめさっしゃるかと、馬士まごてのひら吸殻すいがらをころころる。
 ぬしさ、どうした、と婆さんが聞くんですが、四辺あたりをきょときょと※(「目+句」、第4水準2-81-91)みまわすばかり。
 何処どこから出た乞食こじきだよ、とまたひどいことを言います。もっと裸体はだか渋紙しぶかみに包まれていたんじゃ、氏素性うじすじょうあろうとは思わぬはず。
 衣物きものを脱がせた親仁おやじはと、ただくやしく、来た方を眺めると、が小さいから馬の腹をかして雨上りの松並木、青田あおだへりの用水に、白鷺しらさぎの遠く飛ぶまで、なわてがずっと見渡されて、西日がほんのりあかいのに、急な大雨で往来ゆききもばったり、その親仁らしい姿も見えぬ。
 あまりの事にしくしく泣き出すと、こりゃひもじゅうて口も利けぬな、商売品あきないものぜにを噛ませるようじゃけれど、一つ振舞ふるもうてろかいと、きたない土間に縁台えんだいを並べた、狭ッくるしい暗いすみの、こけの生えたおけの中から、豆腐とうふ半挺はんちょう皺手しわでに白く積んで、そりゃそりゃと、頬辺ほっぺたところ突出つきだしてくれたですが、どうしてこれが食べられますか。
 そのくせ腹はされたように空いていましたが、胸一杯になって、かぶりると、はて食好しょくごのみをする犬の、とつぶやいて、ぶくりとまた水へ落して、これゃ、慈悲をけぬ餓鬼がきめ、出てせと、私の胸へ突懸つッかけた皺だらけの手の黒さ、顔もうるしで固めたよう。
 黒婆くろばばどの、なさけない事せまいと、名もなるほど黒婆というのか、馬士まごが中へ割ってると、かしを返せ、この人足めと怒鳴どなったです。するとその豆腐の桶のあるうしろが、蜘蛛くもの巣だらけの藤棚で、これを地境じざかいにして壁もかきもない隣家となり小家こいえの、ふちに、膝に手を置いてうずくまっていた、とおばかりも年上らしいおばあさん。
 見兼ねたか、縁側えんがわからってり、ごつごつ転がった石塊いしころまたいで、藤棚をくぐって顔を出したが、柔和にゅうわ面相おもざし、色が白い。
 小児衆こどもしゅう小児衆、わしとこへござれ、と言う。はや白媼しろうばうちかっしゃい、かりがなくば、此処ここへ馬を繋ぐではないと、馬士まごは腰の胴乱どうらん煙管きせるをぐっと突込つッこんだ。
 そこで裸体はだかで手をかれて、土間の隅を抜けて、隣家となり連込つれこまれる時分には、とびが鳴いて、遠くで大勢の人声、祭礼まつり太鼓たいこが聞えました。」
 高坂は打案うちあんじ、
渡場わたしばからこちらは、一生私が忘れないところなんだね、で今度来る時も、さきの世の旅を二度する気で、松一本、橋一ツも心をつけて見たんだけれども、それらしい家もなく、柳の樹も分らない。それに今じゃ、三里ばかり向うを汽車が素通りにしてくようになったから、人通ひとどおりもなし。大方、その馬士まごも、老人としよりも、もうこの世の者じゃあるまいと思う、私は何だかその人たちの、あのまま影をうずめた、ちょうどその上を、ねえさん。」
 花売はなうり後姿うしろすがたのまま引留ひきとめられたようになってとまった。
貴女あなたと二人で歩行あるいているように思うですがね。」
「それからどう遊ばした、まあお話しなさいまし。」
 としずかに前へ。高坂もおもむろに、
「娘が来て世話をするまで、わしには衣服きものを着せる才覚もない。暑い時節じゃで、何ともなかろが、さぞひもじかろうで、これでも食わっしゃれって。
 囲炉裡いろりの灰の中に、ぶすぶすとくすぶっていたのを、抜き出してくれたのは、くしに刺した茄子なすの焼いたんで。
 ぶくぶく樺色かばいろふくれて、湯気ゆげが立っていたです。
 生豆腐なまどうふ手掴てづかみに比べては、勿体もったいない御料理と思った。それにくれるのがやさしげなお婆さん。
 つちしょうに合うでう出来るが、まだこの村でも初物はつものじゃという、それを、空腹すきばらへ三つばかり頬張ほおばりました。熱いつゆ下腹したばらへ、たらたらとみたところから、一睡ひとねむりして目が覚めると、きやきや痛み出して、やがて吐くやら、くだすやら、尾籠びろうなお話だが七顛八倒しちてんはっとうよくも生きていられた事と、今でも思うです。しかし、もうその時は、命の親の、優しい手に抱かれていました。世にも綺麗きれいな娘で。
 人心地ひとごこちもなく苦しんだ目が、かすかいた時、初めて見た姿は、つややかな黒髪くろかみを、男のようなまげに結んで、緋縮緬ひぢりめん襦袢じゅばん片肌かたはだ脱いでいました。日がって医王山へ花を採りに、私の手をいて、たかどのに朱の欄干てすりのある、温泉宿を忍んで裏口から朝月夜あさづきよに、田圃道たんぼみちへ出た時は、中形ちゅうがた浴衣ゆかた襦子しゅすの帯をしめて、鎌を一挺、手拭てぬぐいにくるんでいたです。そのあいだに、白媼しろうばうちを、私を膝に抱いて出た時は、まげ唐輪からわのようにって、胸には玉を飾って、ちょう天女てんにょのような扮装いでたちをして、車を牛に曳かせたのに乗って、わいわいという群集ぐんじゅの中を、通ったですが、村の者がかわがわる高く傘を※(「敬/手」、第3水準1-84-92)さしかけてったですね。
 村端むらはずれで、寺に休むと、此処ここ支度したくを替えて、多勢おおぜい口々くちぐちに、御苦労、御苦労というのを聞棄ききずてに、娘は、一人の若い者におんぶさせた私にちょっと頬摺ほおずりをして、それから、石高路いしだかみちの坂を越して、にぎやかに二階屋にかいやの揃った中の、一番むねの高い家へ入ったですが、私はただかすか呻吟うめいていたばかり。もっと白姥しろうばの家に三晩みばん寝ました。その内も、娘は外へ出ては帰って来て、膝枕ひざまくらをさせて、始終たかって来る馬蠅うまばえを、払ってくれたのを、現にくるしみながら覚えています。車に乗った天女に抱かれて、多人数たにんずに囲まれてかよった時、庚申堂こうしんどうわきはんの木で、なかば姿をかくして、群集ぐんじゅを放れてすっくと立った、せいの高い親仁おやじがあって、じっと私どもを見ていたのが、たしかに衣服を脱がせた奴と見たけれども、小児こどもはまだ口が利けないほど容体ようだいが悪かったんですな。
 私はただその気高けだか艶麗あでやかな人を、今でも神か仏かと、思うけれど、あとで考えると、先ずこうだろうと、思われるのは、うばの娘で、清水谷しみずだにの温泉へ、奉公ほうこうに出ていたのを、祭にいて、村の若い者が借りて来て八ヶそん九ヶそんをこれ見よとわめいて歩行あるいたものでしょう。娘はふとすると、湯女ゆななどであったかも知れないです。」

       五

「それからその人の部屋とも思われる、綺麗きれい小座敷こざしきへ寝かされて、目の覚める時、物の欲しい時、のどの乾く時、涙の出る時、何時いつもその娘が顔を見せない事はなかったです。
 自分でも、もう、病気がなおったと思った晩、手を曳いて、てらてら光る長い廊下ろうかを、湯殿ゆどのへ連れて行って、一所いっしょ透通すきとおるような温泉いでゆを浴びて、岩をたいらにした湯槽ゆぶねわきで、すっかり体を流してから、くしを抜いて、私の髪をやわらかいてくれる二櫛三櫛ふたくしみくし、やがてその櫛を湯殿の岩の上から、廊下のあかりすかして、気高い横顔で、じっと見て、ああい事、美しい髪も抜けず、きたない虫も付かなかったと言いました。私も気がさして一所いっしょに櫛をみつめたが、自分のはだも、人の体も、その時くらい清く、白く美しいのは見た事がない。
 私は新しい着物を着せられ、娘は桃色の扱帯しごきのまま、また手を曳いて、今度は裏梯子うらばしごから二階へあがった。その段を昇り切ると、取着とッつき一室ひとま、新しく建増たてましたと見えて、ふすまがない、白いゆかへ、月影がぱっと射した。両側の部屋は皆陰々いんいんともしを置いて、しずまり返った夜半よなかの事です。
 い月だこと、まあ、とそのまま手を取って床板を蹈んで出ると、小窓こまどが一つ。それにも障子しょうじがないので、二人でのぞくと、前のいらかは露が流れて、銀が溶けて走るよう。
 月は山のを放れて、半腹はんぷくは暗いが、真珠を頂いた峰は水が澄んだか明るいので、山は、と聞くと、医王山だと言いました。
 途端にくゎいと狐が鳴いたから、娘は緊乎しっかと私を抱く。その胸にひたいを当てて、私は我知らず、わっと泣いた。
 こわくはないよ、いいえ怖いのではないと言って、母親の病気の次第。
 こういう澄み渡った月に眺めて、その色の赤く輝く花を採って帰りたいと、はじめてこの人ならばと思って、打明うちあけて言うと、しばらく黙ってひとみえて、私の顔を見ていたが、月夜に色の真紅しんくな花――きっと探しましょうと言って、――し、し、女のおもいで、とあとを言い足したですね。
 翌晩あくるばん夜更よふけて私を起しますから、もとよりこっちも目を開けて待ったところ、直ぐに支度したくをして、その時、帯をきりりとめた、引掛ひっかけに、先刻さっき言いましたね、手拭てぬぐいでくるくると巻いた鎌一ちょう
 それから昨夜ゆうべの、その月の射す窓からそっと出て、瓦屋根かわらやねへ下りると、夕顔の葉のからんだ中へ、梯子はしごが隠して掛けてあった。つたわって庭へ出て、裏木戸の鍵をがらりと開けて出ると、有明月ありあけづきの山のすそ
 医王山は手に取るように見えたけれど、これは秘密の山の搦手からめてで、其処そこからのぼる道はないですから、戸室口とむろぐちへ廻って、のぼったものと見えます。さあ、此処ここからが目差めざ御山おやまというまでに、辻堂つじどう二晩ふたばん寝ました。
 あとはどう来たか、こわい姿、すごい者の路をさえぎってあらわるるたびに、娘は私を背後うしろかばうて、その鎌を差翳さしかざし、すっくと立つと、よろうた姫神ひめがみのように頼母たのもしいにつけ、雲の消えるように路が開けてずんずんと。」
 時に高坂は布を断つが如き音を聞いて、見ると、前へ立った、女の姿は、その肩あたりまで草隠くさがくれになったが、背後うしろざまに手を動かすにれて、き鎌、磨ける玉の如く、弓形ゆみなりに出没して、歩行ある歩行ある掬切すくいぎりに、刃形はがた上下うえしたに動くと共に、たけなす茅萱ちがやなかばから、およ一抱ひとかかえずつ、さっくと切れて、なびき伏して、隠れた土が歩一歩ほいっぽ飛々とびとびあらわれて、五尺三尺一尺ずつ、前途ゆくてかれを導くのである。
 高坂は、悚然ぞっとして思わず手をげ、かつておんなが我にしたる如く伏拝ふしおがんで粛然しゅくぜんとした。
 その不意に立停たちどまったのを、行悩ゆきなやんだと思ったらしい、花売はなうりかろく見返り、
貴方あなた、もうちっとでございますよ。」
「どうぞ。」といった高坂は今更ながら言葉さえつつしんで、
「美女ヶ原に今もその花がありましょうか。」
「どうも身にむお話。どうぞ早くあとをおきかせなさいまし、そしてその時、その花はござんしたか。」
「花は全くあったんですが、何時いつもそうやって美女ヶ原へおいでの事だから、御存じはないでしょうか。」
「参りましたら、そのねえさんがなすったように、一所いっしょにお探し申しましょう。」
「それでも私は月の出るのを待ちますつもり。その花籠はなかごにさえ一杯になったら、貴女あなたは日一杯に帰るでしょう。」
いいえ、いつも一人で往復ゆきかえりします時は、馴れて何とも思いませんでございましたけれども、※(「(來+攵)/心」、第4水準2-12-72)なまじおつれが出来て見ますと、もうさびしくって一人では帰られませんから、御一所ごいっしょにお帰りまでお待ち申しましょう。そのかわりどうぞ花籠の方はお手伝い下さいましな。」
「そりゃ、いうまでもありません。」
「そしてまあ、どんなところにございましたえ。」
「それこそ夢のようだと、いうのだろうと思います。みちすがら、そうやって、影のような障礙しょうがいに出遇って、今にも娘が血に染まって、私は取って殺さりょうと、幾度いくたび思ったかわかりませんが、黄昏たそがれと思う時、その美女ヶ原というのでしょう。およそちょう四方ばかりの間、扇の地紙じがみのような形に、空にも下にも充満いっぱいの花です。
 そのまま二人でひざまずいて、娘がするように手を合せておりました。月が出ると、余り容易たやすい。つい目の前の芍薬しゃくやくの花の中に花片はなびらの形が変って、真紅まっかなのがただ一輪。
 採って前髪まえがみ押頂おしいただいた時、私のつむりでながら、あまりうれしさ、娘ははらはらと落涙らくるいして、もう死ぬまで、この心を忘れてはなりませんと、私のつむりさせようとしましたけれども、髪は結んでないのですから、そこで娘が、自分の黒髪に挿しました。人のかんざしの花になっても、月影に色は真紅しんくだったです。
 母様おっかさん御大病ごたいびょう、一刻も早くと、すぐに、美女ヶ原をあとにしました
 引返す時は、もなく、すらすらと下りられて、早やあかつきとりの声。
 うれしや人里も近いと思う、月が落ちて明方あけがたの闇を、向うから、洶々どやどやと四、五人づれ松明たいまつげて近寄った。人可懐ひとなつかしくいそいそ寄ると、いずれも屈竟くっきょう荒漢あらおのこで。
 うちに一人、見た事のある顔と、思い出した。黒婆くろばばが家に馬を繋いだ馬士まごで、その馬士、二人の姿を見ると、がすなと突然いきなり、私を小脇に引抱ひっかかえる、残った奴が三人四人で、ええ! という娘を手取足取てとりあしとり
 何処どこをどう、どの方角をどのくらい駈けたかまるで夢中です。
 やがて気が付くと、娘と二人で、おおきな座敷の片隅に、馬士まごまじり七、八人に取巻かれて坐っていました。
 何百年かわからない古襖ふるぶすまの正面、板ののようなゆか背負しょって、大胡坐おおあぐらで控えたのは、何と、鳴子なるこわたし仁王立におうだちで越した抜群ばつぐんなその親仁おやじで。
 恍惚うっとりした小児こどもの顔を見ると、過日いつかの四季の花染はなぞめあわせを、ひたりと目の前へ投げて寄越よこして、大口おおぐちいて笑った。
 や、二人とも気に入った、坊主ぼうずになれ、女はそのおっかになれ、そして何時いつまでも娑婆しゃばへ帰るな、と言ったんです。
 娘は乱髪みだれがみになって、その花を持ったまま、膝に手を置いて、首垂うなだれて黙っていた。その返事を聞く手段であったと見えて、私は二晩、土間の上へ、可恐おそろしい高い屋根裏に釣った、駕籠かごの中へ入れてつるされたんです。紙に乗せて、握飯にぎりめし突込つッこんでくれたけれど、それが食べられるもんですか。
 たれからすかして、土間へ焚火たきびをしたのに雪のような顔を照らされて、娘が縛られていたのを見ましたが、それなり目がくらんでしまったです。どんと駕籠かごが土間に下りた時、中から五、六ぴき鼠がちょろちょろと駈出かけだしたが、かわりに娘が入って来ました。
 かおりの高い薬を噛んで口移しに含められて、膝に抱かれたから、一生懸命に緊乎しっかりすがり着くと、背中へ廻った手が空をでるようで、娘は空蝉うつせみからかと見えて、たった二晩がほどに、糸のようにせたです。
 もうお目にかかられぬ、あの花染はなぞめのお小袖こそで記念かたみに私に下さいまし。しかし義理がありますから、必ずこんなところ隠家かくれががあると、町へ帰っても言うのではありません、と蒼白い顔して言い聞かすうちに、駕籠かごかれて、うとうとと十四、五ちょう
 奥様、此処ここまで、と声がして、駕籠が下りると、一人手を取って私を外へ出しました。
 左右ひだりみぎ土下座どげざして、手をいていた中に馬士まごもいた。一人が背中に私をおぶうと、娘は駕籠から出て見送ったが、顔にそでを当てて、長柄ながえにはッと泣伏なきふしました。それッきり。」
 高坂は声も曇って、
「私をおぶった男は、村を離れ、川を越して、はるか鈴見すずみの橋のたもと差置さしおいて帰りましたが、この男はおうしと見えて、長いみちに一言も物を言やしません。
 私は死んだ者が蘇生よみがえったようになって、うちへ帰りましたが、丁度ちょうど全三月まるみつきったです。
 花を枕頭まくらもと差置さしおくと、その時も絶え入っていた母は、呼吸いきを返して、それから日増ひましくなって、五年経ってから亡くなりました。魔隠まかくしに逢った小児こどもが帰った喜びのために、一旦いったん本復ほんぷくをしたのだという人もありますが、私は、その娘の取ってくれた薬草の功徳くどくだと思うです。
 それにつけても、恩人は、と思う。娘は山賊に捕われた事を、小児心こどもごころにも知っていたけれども、かた言付いいつけられて帰ったから、その頃三ヶ国横行おうこう大賊たいぞくが、つい私どものとなりうちへ入った時も、なんにも言わないで黙っていました。
 けれども、それから足が附いて、二俣ふたまたの奥、戸室とむろふもと、岩で城をいた山寺に、兇賊きょうぞくこもると知れて、まだ邏卒らそつといった時分、捕方とりかた多人数たにんず隠家かくれがを取巻いた時、表門の真只中まっただなかへ、その親仁おやじだと言います、六尺一つの丸裸体まるはだか脚絆きゃはんを堅く、草鞋わらじ引〆ひきしめ、背中へ十文字に引背負ひっしょった、四季の花染はなぞめ熨斗目のしめ紋着もんつき振袖ふりそでさっ山颪やまおろしもつれる中に、女の黒髪くろかみがはらはらとこぼれていた。
 手に一条ひとすじ大身おおみやりひっさげて、背負しょった女房が死骸でなくば、死人の山をきずくはず、無理に手活ていけの花にした、申訳もうしわけとむらいに、医王山の美女ヶ原、花の中にうずめて帰る。うぬら見送っても命がないぞと、近寄ったのを五、六人、蹴散らして、ぱっと退く中を、と抜けると、岩を飛び、岩を飛び、岩を飛んで、やがて槍をいて岩角いわかどに隠れて、それなりけりというので、さてはと、それからは私がその娘に出逢う門出かどでだった誕生日に、鈴見すずみの橋の上まで来ては、こちらを拝んで帰り帰りしたですが、母がなくなりました翌年から、東京へ修行に参って、国へ帰ったのはやっと昨年。始終望んでいましたこの山へ、あとを尋ねてのぼる事が、物に取紛とりまぎれているうちに、申訳もうしわけもない飛んだ身勝手な。
 またその薬を頂かねばならないようになったです。以前はそれがために類少たぐいすくない女を一人、いけにえにしたくらいですから、今度は自分がどんな辛苦しんくも決していとわない。いかにもしてその花が欲しいですが。」
 言ううちに胸が迫って、涙をたたえたためばかりでない。ふと、心付こころづくと消えたように女の姿が見えないのは、草が深くなった所為せいであった。
 たけより高い茅萱ちがやくぐって、肩で掻分かきわけ、つむりけつつ、見えない人に、物言いけるすべもないので、高坂は御経おきょうを取って押戴おしいただき、
山川険谷さんせんけんこく  幽邃所生ゆうすいしょしょう  卉木薬艸きぼくやくそう  大小諸樹だいしょうしょじゅ
百穀苗稼ひゃくこくびょうが  甘庶葡萄かんしょぶどう  雨之所潤うししょじゅん  無不豊足むふぶそく
乾地普洽かんちぶごう  薬木並茂やくぼくひょうも  其雲所出ごうんしょしゅつ  一味之水いちみしすい
 むぐらの中に日が射して、経巻きょうかんに、蒼く月かと思う草の影がうつったが、見つつ進む内に、ちらちらとくれないきたり、きたり、むらさきり、しろぎて、ちょうたわむるる風情ふぜいして、斑々はんはんいんしたのは、はや咲交さきまじる四季の花。
 忽然こつねんとしててんひらけ、身は雲に包まれて、たえなるかおりそでおおい、見るとうずたかき雪の如く、真白ましろき中にくれないちらめき、みつむるひとみに緑えいじて、さっと分れて、一つ一つ、花片はなびらとなり、葉となって、美女ヶ原の花は高坂のたもとにおひ、胸に咲いた。
 花売はなうりかごおろして、立休たちやすろうていた。笠を脱いで、襟脚えりあし長くたまべて、瑩沢つややかなる黒髪を高く結んだのに、何時いつの間にか一輪のちいさな花をかざしていた、つまはずれ、たもとの端、大輪たいりんの菊の色白き中にたたずんで、高坂を待って、莞爾にっこむ、美しく気高きおもざし、ある瞳にきっと射られて、今物語った人とも覚えず、はっと思うと学生は、既に身を忘れ、名を忘れて、ただここのツばかりの稚児おさなごになった思いであった。
「さあ、お話にまぎれて遅く来ましたから、もうお月様が見えましょう。それまでにどうぞ手伝って花籠にんで下さいまし。」
 と男を頼るように言われたけれども、高坂はかえって唯々いいとして、あたかも神につかうるが如く、左に菊を折り、右に牡丹ぼたんを折り、前に桔梗ききょうを摘み、うしろに朝顔を手繰たぐって、再び、鈴見すずみの橋、鳴子なるこわたしなわての夕立、黒婆くろばば生豆腐なまどうふ白姥しろうば焼茄子やきなすび牛車うしぐるまの天女、湯宿ゆやどの月、山路やまじ利鎌とがま、賊の住家すみか戸室口とむろぐちわかれを繰返して語りつつ、やがて一巡した時、花籠は美しく満たされたのである。
 すると籠は、花ながら花の中にもれて消えた。
 月影が射したから、伏拝ふしおがんで、心をめて、かし透かし見たけれども、※(「目+句」、第4水準2-81-91)みまわしたけれども、見遣みやったけれども、もののかおりに形あってほのかまぼろしかと見ゆるばかり、雲も雪も紫もひとえに夜の色にまぎるるのみ。
 ほとんど絶望して倒れようとした時、思いけず見ると、肩を並べてひとしく手を合せてすらりと立った、その黒髪の花ただ一輪、くれないなりけり月の光に。
 高坂がその足許あしもと平伏ひれふしたのは言うまでもなかった。
 その時肩を落して、美女たおやめが手を取ると、取られて膝をずらして縋着すがりついて、その帯のあたりにおもてを上げたのを、月を浴びて※(「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26)ろうたけた、優しい顔でじっと見て、少しほおを傾けると、髪がそちらへはらはらとなるのを、と押える手に、かざしを抜いて、わななく医学生のえりはさんで、恍惚うっとりしたが、ひとみが動き、
「ああ、お可懐なつかしい。思うおかたの御病気はきっとそれでなおります。」
 あわれ、高坂が緊乎しっかめた手はいたずらに茎をつかんで、たもとは空に、美女ヶ原は咲満さきみちたまま、ゆらゆらと前へ出たように覚えて、人の姿は遠くなった。
 立って追おうとすると、岩に牡丹ぼたん咲重さきかさなって、白きぞうおおいなるかしらの如きいただきへ、雲にるようと立った時、一度その鮮明あざやかまゆが見えたが、月に風なき野となんぬ。
 高坂は※(「てへん+堂」、第4水準2-13-41)どうと坐した。
 かくて胸なるくれないの一輪をしおりに、かたわら芍薬しゃくやくの花、ほう一尺なるにきょうえて、合掌がっしょうして、薬王品やくおうほんを夜もすがら。





底本:「鏡花短篇集」岩波文庫、岩波書店
   1987(昭和62)年9月16日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第七卷」岩波書店
   1942(昭和17)年7月初版発行
初出:「二六新報」
   1903年(明治36年)5月16〜30日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:砂場清隆
校正:門田裕志
2001年12月22日公開
2005年12月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



●表記について