菎蒻本

泉鏡花




       一

 如月きさらぎのはじめから三月の末へかけて、まだしっとりと春雨にならぬ間を、毎日のように風が続いた。北も南も吹荒ふきすさんで、戸障子をあおつ、柱をゆすぶる、屋根を鳴らす、物干棹ものほしざお刎飛はねとばす――荒磯あらいそや、奥山家、都会離れた国々では、もっとも熊を射た、鯨を突いた、たたりの吹雪に戸をして、冬ごもる頃ながら――東京もまた砂ほこりたたかいを避けて、家ごとに穴籠りする思い。
 意気な小家こいえ流連いつづけの朝の手水ちょうずにも、砂利を含んで、じりりとする。
 羽目も天井も乾いてはしゃいで、すす引火奴ほくちつぶてが飛ぶと、そのままチリチリと火の粉になって燃出しそうな物騒さ。下町、山の手、昼夜の火沙汰ひざたで、時の鐘ほどジャンジャンとつける、そこもかしこも、放火つけびだ放火だ、と取り騒いで、夜廻りの拍子木が、枕に響く町々に、寝心のさて安からざりし年とかや。
 三月の中の七日、珍しく朝凪あさなぎして、そのままおだやかに一日暮れて……空はどんよりと曇ったが、底に雨気あまげを持ったのさえ、頃日このごろの埃には、ものやわらかにながめられる……じとじととした雲一面、星はなけれど宵月の、朧々おぼろおぼろの大路小路。辻には長唄の流しも聞えた。
 この七の日は、番町の大銀杏おおいちょうとともに名高い、二七の不動尊の縁日で、月六斎。かしらの二日は大粒の雨が、ちょうど夜店の出盛る頃に、ぱらぱら生暖なまあったかい風に吹きつけたために――その癖すぐに晴れたけれども――丸潰まるつぶれとなった。……以来、打続いた風ッ吹きで、銀杏のこずえ大童おおわらわに乱れて蓬々おどろおどろしかった、その今夜は、霞に夕化粧で薄あかりにすらりと立つ。
 堂とは一町ばかりあわいをおいた、この樹のもとから、桜草、すみれ、山吹、植木屋のみちを開きめて、長閑のどかに春めく蝶々かんざし、娘たちの宵出よいでの姿。酸漿屋ほおずきやの店から灯がともれて、絵草紙屋、小間物みせの、夜のにしきに、くれないを織り込むにぎわいとなった。
 が、引続いた火沙汰のために、何となく、心々のあわただしさ、見附の火の見やぐら遠霞とおがすみで露店の灯の映るのも、花の使つかいながめあえず、遠火であぶらるる思いがしよう、九時というのに屋敷町の塀に人が消えて、御堂みどうの前も寂寞ひっそりとしたのである。
 提灯ちょうちんもやがて消えた。
 ひたひたと木の葉から滴る音して、くみかえし、むすびかえた、柄杓ひしゃくの柄を漏るしずくが聞える。その暗くなった手水鉢の背後うしろに、古井戸が一つある。……番町で古井戸と言うと、びしょ濡れで血だらけのおんなが、皿を持って出そうだけれども、別に仔細しさいはない。……参詣さんけいの散った夜更よふけには、人目を避けて、素膚すはだ水垢離みずごりを取るのが時々あるから、と思うとあるいはそれかも知れぬ。
 今境内は人気勢ひとけはいもせぬ時、その井戸の片隅、分けても暗い中に、あたかも水から引上げられたていに、しょんぼり立った影法師が、本堂の正面に二三本燃え残った蝋燭ろうそくの、横曇りした、七星の数の切れたように、たよりないあかりかすかに映った。
 びしゃびしゃ……水だらけの湿っぽい井戸端を、草履か、跣足はだしか、沈んで踏んで、陰気に手水鉢の柱にすがって、そこで息をく、肩を一つゆすったが、敷石の上へ、蹌踉々々よろよろ
 口をいて、唇赤く、パッとろうの火を吸った形の、正面の鰐口わにぐちの下へ、ひげのもじゃもじゃと生えたあおい顔を出したのは、頬のこけた男であった。
 内へ引く、勢の無いせきをすると、眉をひそめたが、くぼんだ目で、御堂のうち俯向うつむいて、のぞいて、
「お蝋を。」

       二

 そう云って、ほころびて、たもとさきでやっとつながる、ぐたりと下へかさねた、どくどく重そうな白絣しろがすりの浴衣の溢出はみだす、汚れてえた綿入のだらけた袖口へ、右の手を、手首を曲げて、肩を落して突込つっこんだのは、賽銭さいせんを探ったらしい。
 が、チヤリリともせぬ。
 時に、本堂へむくりと立った、大きな頭の真黒まっくろなのが、海坊主のように映って、上から三宝へ伸懸のしかかると、手が燈明とうみょうに映って、新しい蝋燭を取ろうとする。
 一ツ狭い間をいた、障子のうちには、があかあかとして、二三人居残った講中らしい影がしたが、御本尊の前にはこの雇和尚やといおしょうただ一人。もう腰衣こしごろもばかり袈裟けさもはずして、早やお扉を閉める処。この、しょびたれた参詣人が、びしょびしょと賽銭箱の前へ立った時は、ばたり、ばたりと、団扇うちわにしては物寂しい、おおきひとりむしの音を立てて、沖の暗夜やみ不知火しらぬいが、ひらひらと縦に燃える残んの灯を、広いてのひらあおあおぎ、二三ちょう順に消していたのである。
「ええ、」
 とその男がおさえて、低い声ですがるように言った。
「済みませんがね、もし、てまえ持合せがございません。ええ、新しいお蝋燭は御遠慮を申上げます。ええ。」
「はあ。」と云う、和尚が声の幅を押被おっかぶせるばかり。鼻も大きければ、口も大きい、額の黒子ほくろも大入道、眉をもじゃもじゃと動かして聞返す。
 これがために、やつれた男は言渋って、
「で、ございますから、どうぞ蝋燭はおともし下さいませんように。」
「さようか。」
 と、も一つ押被せたが、そのまま、遣放やりはなしにも出来ないのは、彼がまだ何か言いたそうに、もじもじとしたからで。
 和尚はまじりと見ていたが、はてしがないから、おおきな耳を引傾ひっかたげざまに、トてのひらを当てて、燈明の前へ、その黒子ほくろを明らさまに出したていは、耳が遠いからという仕方に似たが、この際、判然はっきり分るように物を言え、と催促をしたのである。
「ええ。」
 とまた云う、男は口を利くのも呼吸いきだわしそうに肩をゆする、……
「就きましては、まことに申兼ねましたが、その蝋燭でございます。」
「蝋燭は分ったであす。」
 小鼻にしわを寄せて、黒子に網の目の筋を刻み、
「御都合じゃからお蝋は上げぬようにと言うのじゃ。御随意であす。何か、代物を所持なさらんで、一挺、お蝋が借りたいとでも言わるる事か、それも御随意であす。じゃが、もう時分も遅いでな。」
「いいえ、」
「はい、」と、もどかしそうな鼻息を吹く。
「何でございます、その、さような次第ではございません。それでございますから、申しにくいのでございますが、思召おぼしめしを持ちまして、お蝋を一挺、お貸し下さる事にはなりますまいでございましょうか。」
「じゃから、じゃから御随意であす。じゃが時刻も遅いでな、……見なさる通り、燈明をしめしておるが、それともにけるであすか。」
「それがでございます。」
 と疲れたさまにぐたりと賽銭箱のへりに両手をいて、両の耳に、すくすくと毛のかぶさった、小さな頭をがっくりと下げながら、
「一挺お貸し下さいまし、……と申しますのが、御神前に備えるではございません。てまえ、頂いて帰りたいのでございます。」
「お蝋を持って行くであすか。ふうむ、」とおおきく鼻をならす。
「それも、一度お供えになりました、燃えさしが願いたいのでございまして。」
 いや、時節がら物騒千万。

       三

「待て、待て、ちょっと……」
 往来どめ提灯ちょうちんはもう消したが、一筋、両側の家の戸をした、さみしい町の真中まんなかに、六道の辻のみちしるべに、鬼が植えた鉄棒かなぼうのごとくしるしの残った、縁日果てた番町どおり。なだれに帯板へ下りようとする角の処で、頬被ほおかぶりした半纏着はんてんぎが一人、右側のひさしが下った小家の軒下暗い中から、ひたひたと草履で出た。
 声も立てず往来留のそのくいに並んで、ひしと足を留めたのは、あの、古井戸の陰から、よろりと出て、和尚に蝋燭の燃えさしをねだった、なぜ、その手水鉢の柄杓を盗まなかったろうと思う、船幽霊ふなゆうれいのような、あおしょびれた男である。
 半纏着は、肩をはすっかいに、つかつかと寄って、
「待てったら、待て。」とドス声を渋くかすめて、一つしゃくって、頬被りから突出すあご凄味すごみを見せた。が、一向に張合なし……対手あいては待てと云われたまま、破れた暖簾のれんに、ソヨとの風も無いように、ぶら下ったてい立停たちどまって待つのであるから。
「どこへ行く、」
 黙って、じろりと顔を見る。
「どこへ行くかい。」
「ええ、宅へ帰りますでございます。」
うちはどこだ。」
「市ヶ谷田町でございます。」
「名は何てんだ、……」
 と調子を低めて、ずっと摺寄すりより、
「こう言うとな、大概生意気なやつは、名を聞くんなら、自分から名告なのれと、手数を掛けるのがおきまりだ。……俺はな、おめえの名を聞いても、自分で名告るには及ばない身分のもんだ、いか。その筋の刑事だ。分ったか。」
「ええ、旦那でいらっしゃいますか。」
 と、破れ布子ぬのこの上から見ても骨の触って痛そうな、せた胸に、ぎしと組んだ手を解いて叩頭おじぎをして、
「御苦労様でございます。」
「むむ、御苦労様か。……だがな、余計な事を言わんでも可い。名を言わんかい。何てんだ、と聞いてるんじゃないか。」
「進藤延一のぶかずと申します。」
「何だ、進藤延一、へい、変に学問をしたような、ハイカラな名じゃねえか。」
 と言葉じりもしどろになって、あご引込ひっこめたと思うと、おかしく悄気しょげたも道理こそ。刑事とおどした半纏着は、その実町内の若いもの、下塗したぬり欣八きんぱちと云う。これはまた学問をしなそうな兄哥あにいが、二七講の景気づけに、縁日のは縁起を祝って、御堂一室処ひとまどころで、三宝を据えて、頼母子たのもしを営む、……世話方で居残ると……お燈明の消々きえぎえ時、フト魔がしたような、髪おどろに、骨あらわなりとあるのが、鰐口わにぐちの下に立顕たちあらわれ、ものにも事を欠いた、ことわるにもちょっと口実の見当らない、蝋燭の燃えさしを授けてもらって、消えるがごとく門を出たのを、ト伸上って見ていた奴。
「棄ててはおかれませんよ、串戯じょうだんじゃねえ。あの、魔ものめ。ご本尊にあやかって、めらめらと背中に火を背負しょって帰ったのが見えませんかい。以来、下町は火事だ。僥倖しあわせと、山の手は静かだっけ。中やすみの風が変って、火先が井戸端からめはじめた、てっきり放火つけびの正体だ。見逃してやったが最後、直ぐに番町は黒焦くろこげさね。私が一番生捕いけどって、御覧じろ、火事の卵を硝子ビイドロの中へ泳がせて、追付おッつけ金魚の看板をお目に懸ける。……」
「まったく、懸念無量じゃよ。」と、当御堂の住職も、枠眼鏡わくめがねゆすぶらるる。
 講親こうおやが、
「欣八、抜かるな。」
「合点だ。」

       四

「ああ、うまいな。」
 煙草たばこの煙を、すぱすぱと吹く。溝石の上に腰を落して、打坐ぶっすわりそうにしゃがみながら、くわえた煙管きせるの吸口が、カチカチと歯に当って、ゆがみなりの帽子がふらふらとなる。……
 夜は更けたが、寒さに震えるのではない、骨まで、ぐなぐなに酔っているので、ともするとのめりそうになるのを、路傍みちばたの電信柱の根にすがって、片手ふかしに立続ける。
「旦那、大分いけますねえ。」
 膝掛ひざかけ引抱ひんだいて、せめてそれにでもあたたまりたそうな車夫は、値がきまってこれから乗ろうとする酔客よっぱらいが、ちょっと一服で、提灯ちょうちんの灯で吸うのを待つ、氷のごとく堅くなって、催促がましく脚と脚を、霜柱に摺合すりあわせた。
「何?大分いけますね……とおいでなさると、お酌が附いて飲んでるようだが、酒はもう沢山だ。この上は女さね。ええ、どうだい、生酔なまよい本性たがわずで、間違の無い事を言うだろう。」
「何ならお供をいたしましょう、ええ、旦那。」
「お供だ? どこへ。」
「お馴染なじみ様でございまさあね。」
「馬鹿にするない、見附で外濠そとぼりへ乗替えようというのを、ぐっすり寐込ねこんでいて、真直まっすぐに運ばれてよ、閻魔えんまだ、と怒鳴られて驚いて飛出したんだ。お供もないもんだ。ここをどこだと思ってる。
 電車が無いから、御意の通り、高い車賃を、恐入って乗ろうというんだ。家数四五軒も転がして、はい、さようならは阿漕あこぎだろう。」
 口を曲げて、看板の灯で苦笑して、
「まず、……めつけたものよ。当人こう見えて、その実方角が分りません。一体、右側か左側か。」と、とろりとして星を仰ぐ。
「大木戸から向って左側でございます、へい。」
「さては電車路を突切つっきったな。そのまま引返せばいものを、何の気で渡った知らん。」
 としんになって打傾く。
車夫くるまや、車夫ッて、私をお呼びなさりながら、横なぐれにおいでなさいました。」
「……夢中だ。よっぽどまいったらしい。素敵に長い、ぐらぐらする橋を渡るんだと思ったっけ。ああ、酔った。しかし可い心持だ。」とぐったり俯向うつむく。
「旦那、旦那、さあ、もう召して下さい、……串戯じょうだんじゃない。」
 と半分つぶやいて、石に置いた看板を、ト乗掛のっかかって、ひょいと取る。
 鼻のさきを、そのが、暗がりにスーッとあがると、ハッくさめ酔漢よっぱらいは、細いたがはまった、どんより黄色な魂を、口から抜出されたように、ぽかんと仰向あおむけに目を明けた。
「ああ、待ったり。」
「燃えます、旦那、提灯を乱暴しちゃ不可いけません。」
「貸しなよ、もう一服吸附けるんだ。」
燐寸マッチを上げまさあね。」
「味が違います……酔覚めの煙草は蝋燭の火でむときまったもんだ。……だが……心意気があるなら、鼻紙を引裂ひっさいて、行燈あんどんの火を燃して取って、長羅宇ながらうでつけてくれるか。」
 と中腰に立って、煙管を突込つっこむ、雁首がんくびが、ぼっと大きく映ったが、吸取るように、ばったりと紙になる。
「消した、お前さん。」
 内証ないしょで舌打。
 霜夜にぷんと香が立って、薄い煙がもうと立つ。
車夫くるまや。」
「何ですえ。」
「……宿しゅくに、桔梗屋ききょうや[#ルビの「ききょうや」は底本では「ききやうや」]と云うのがあるかい、――どこだね。」
「ですから、お供を願いたいんで、へい、きそこだって旦那、御冥加ごみようがだ。御祝儀と思召して一つ暖まらしておくんなさいまし、寒くって遣切やりきれませんや。」とわざとらしく、がちがち。
「雲助め。」
 と笑いながら、
「市ヶ谷まで雇ったんだ、賃銭は遣るよ、……車は要らない。そのかわり、蝋燭の燃えさしを貰ってく。……」

       五

 さて酔漢よっぱらいは、山鳥の巣に騒見ぞめく、ふくろうという形で、も一度線路を渡越わたりこした、宿しゅくの中ほどを格子摺こうしずれにしながら、染色そめいろも同じ、桔梗屋、といて、風情は過ぎた、月明りの裏打をしたように、横店の電燈でんきが映る、暖簾のれんをさらりと、肩で分けた。よしこことても武蔵野の草に花咲く名所とて、ひさしの霜も薄化粧、夜半よわすごさも狐火きつねびに溶けて、なさけの露となりやせん。
「若いしゅ、」
「らっしゃい!」
「遊ぶぜ。」
難有ありがとう様で、へい、」と前掛まえかけの腰をかがめる、揉手もみでひじに、ピンとねた、博多帯はかたおび結目むすびめは、赤坂やっこひげと見た。
「振らないのを頼みます。雨具を持たないお客だよ。」
「ちゃんとな、」
 と唐桟とうざんの胸をしきって、
「胸三寸。……へへへ、お古い処、お馴染効なじみがいでございます、へへへ、お上んなはるよ。」
 帳場から、
「お客様ア。」
 まんざらでない跫音あしおとで、トントンと踏む梯子段はしごだん
「いらっしゃい。」と……水へ投げて海津かいずしゃくう、溌剌はつらつとした声ならいが、海綿に染む泡波あぶくのごとく、投げた歯に舌のねばり、どろんとした調子を上げた、遣手部屋やりてべやのおさんというのが、茶渋に蕎麦切そばきりからませた、遣放やりッぱなしな立膝で、お下りを這曳しょびいたらしい、さめた饂飩うどんを、くじゃくじゃとすする処――
 横手の衝立ついたて稲塚いなづかで、火鉢の茶釜ちゃがまは竹の子笠、と見ると暖麺ぬくめん蚯蚓みみずのごとし。おもんみればくちばしとがった白面のコンコンが、古蓑ふるみの裲襠うちかけで、尻尾のつまを取ってあらわれそう。
 時しもさっと夜嵐して、家中穴だらけの障子の紙が、はらはらと鳴る、あられの音。
 いきおい辟易へきえきせざるを得ずで、客人ぎょっとしたていで、足がすくんで、そのまま欄干に凭懸よりかかると、一小間抜けたのが、おもしに打たれて、ぐらぐらと震動に及ぶ。
「わあ、助けてくれ。」
「お前さん、い御機嫌で。」
 とニヤリと口を開けた、おさんの歯の黄色さ。横に小楊枝こようじを使うのが、つぶつぶと入る。
 若い衆飛んで来て、腰をめて、爪先つまさきで、ついつい、
「ちょっと、こちらへ。」
 と古畳八畳敷、狸を想う真中まんなかへ、しょうの抜けた、べろべろの赤毛氈あかもうせん。四角でもなし、まるでもなし、真鍮しんちゅう獅噛しがみ火鉢は、古寺の書院めいて、何と、灰に刺したは杉の割箸わりばし
 こいつをつえというていで、客は、箸を割って、ひじを張り、擬勢を示して大胡坐おおあぐら※(「てへん+堂」、第4水準2-13-41)どうとなる。
「ええ。」
 と早口の尻上りで、若いものは敷居際に、梯子段見通しの中腰。
「お馴染様は、何方どなた様で……へへへ、つい、お見外みそれ申しましてございまして、へい。」
「馴染はないよ。」
御串戯ごじょうだんを。」
「まったくだ。」
「では、その、へへへ、」
「何が可笑おかしい。」
「いえ、その、お古い処を……お馴染がいでございまして、ちょっとお見立てなさいまし。」
 彼は胸を張って顔を上げた。
「そいつは嫌いだ。」
「もし、野暮なようだが、またお慰み。日比谷で見合と申すのではございません。」
「飛んだ見違えだぜ、気取るものか。一ツ大野暮に我輩、此家ここのおいらんに望みがある。」
「お名ざしで?」
「悪いか。」
「結構ですとも、お古い処を、お馴染効でございまして。……」

       六

 対方あいかた白露しらつゆきまった……桔梗屋の白露、お職だと言う。……遣手部屋の蚯蚓みみずを思えば、※(「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2-94-57)そもさんか、狐塚の女郎花おみなえし
 で、この名ざしをするのに、客は妙な事を言った。
「若い衆、註文というのは、おてらしだよ。」
「へい、」
「内に、居るだろう。」
「お照しがりますえ?」
 とせない顔色かおつき
「そりゃ、無いことはございませんが、」
かくすな、尋常にあらわせろ。」と真赤まっかな目でにらんで言った。
「何も秘します事はございません、ですが御覧の通り、当場所もとうの以前から、かように電燈になりました。……ひきつけの遊君おいらんにお見違えはございません。別して、貴客様あなッさまなぞ、お目が高くっていらっしゃいます、へい、えッへへへへ。もっとも、その、ちとあちらへ、となりまして、お望みとありますれば、」
「だから、望みだから、お照しを出せよ。」
「それは、お照しなり、行燈あんどんなり、いかようともいたしますんで、とにかく、……夜も更けております事、遊君おいらんの処を、お早く、どうぞ。」
 と、ちらりと遣手部屋へ目を遣って、此奴こいつ、お荷物だ、と仕方で見せた。
「分らないな。」
 と煙管きせる突込つっこんで、ばったり置くと、赤毛氈あかもうせんに、ぶくぶくして、まがい印伝の煙草入は古池を泳ぐていなり。
「女は蝋燭だと云ってるんだ。」
 おさんが突掛つっかけ草履で、片手を懐に、小楊枝を襟先へ揉挿もみさしながら、いけぞんざいに炭取をまたいで出て、敷居越に立ったなり、汚点しみのある額越しに、じろりとて、
遊君おいらんが綺麗で柔順おとなしくって持てさいすりゃ言種いいぐさはないんじゃないか。遅いや、ね、お前さん。」
 と一ツ叱って、客が這奴しゃ言おうでもたげたを、しゃくったあごで、無言だんまり圧着おしつけて、
「お勝どん、」とくうを呼ぶ。
「へーい。」
 途端に、がらがらと鼠が騒いだ。……天井裏で声がして、十五六の当のちびは、どこからあらわれたか、すすつないで、その天井から振下ぶらさげたように、二階の廊下を、およそ眠いといった仏頂面で、ちょろりと来た。
「白露さん、……お初会しょかいだよ。」
「へーい。」
 夢が裏返ったごとく、くるりと向うむきになって、またちょろり。
「旦那こちらへ、……ちょうどお座敷がございます。」
「待て、」
 と云ったが、遣手の剣幕に七分の恐怖おそれで、煙草入を取って、やッと立つと……まだ酔っている片膝がぐたりとのめる。
「蝋燭はどうしたんだ。」
「何も御会計と御相談さ。」と、ずっきり言う。
 ……彼は、苦い顔で立上って、勿論広くはない廊下、左右の障子へ突懸つっかけるように、若い衆の背中をにらんで、不服らしくずんずん通った。
 が、部屋へ入ると、廊下を背後うしろにして、長火鉢を前に、客を待つ気構えの、優しく白い手を、しなやかに鉄瓶のつるに掛けて、見るとも見ないともなく、ト絵本の読みさしを膝に置いて、はだ薄そうな縞縮緬しまちりめん撫肩なでがたの懐手、すらりと襟をすべらした、くれない襦袢じゅばんの袖に片手を包んだおとがい深く、清らか耳許みみもとすっきりと、湯上りの紅絹もみ糠袋ぬかぶくろ皚歯しらはんだ趣して、頬も白々と差俯向さしうつむいた、黒繻子くろじゅす冷たき雪なすうなじ、これが白露かと、一目見ると、後姿でゾッとする。――
「河、原、と書くんだ、河原千平かわらせんべい。」
 やがて、帳面を持って出直した時、若いものは、軸で、ちょっと耳をいて、へへへ、と笑った。
貴客あなた、ほんとの名を聞かして下さいましな。」
 犬を料理そうな卓子台ちゃぶだいの陰ながら、膝に置かれた手は白し、じっられた瞳は濃し……
 思わずなさけが五体に響いて、その時言った。
「進藤延一……造兵……技師だ。」

       七

「こういう事をお話し申した処で、ほんとにはなさりますまい。第一そんな安店に、容色きりょうと云い気質きだてと云い、名も白露で果敢はかないが、色の白い、美しいおんなが居ると云っては、それからが嘘らしく聞えるでございましょう。
 その上、癡言たわことけ、とお叱りを受けようと思いますのは、娼妓じょろうでいて、まるで、そのおんな素地きじ処女むすめらしいのでございます。ええ、他の仁にはまずとにかく、てまえだけにはまったくでございました。
 なお怪しいでございましょう……分けて、旦那方は御職掌で、人一倍、疑り深くいらっしゃいますから。」――
 一言ずつ、呼気いきくと、骨だらけな胸がびくびく動く、そこへ節くれだった、爪の黒いてのひらをがばと当てて、上下うえしたに、調子を取って、声を揉出もみだす。
 佐内坂の崖下、大溝おおどぶ通りを折込おれこんだ細路地の裏長屋、棟割むねわりで四軒だちの尖端とっぱずれで……崖うらの畝々坂うねうねざかが引窓から雪頽なだれ込みそうな掘立一室ほったてひとま。何にも無い、畳の摺剥すりむけたのがじめじめと、蒸れ湿ったそのまだらが、陰と明るみに、黄色に鼠に、雑多の虫螻むしけらいて出た形に見える。葉鉄ブリキ落しの灰の濡れた箱火鉢のへりに、じりじりと燃える陰気な蝋燭を、舌のようになめらかして、しょんぼりとあおざめた、髪の毛のおどろなのが、この小屋の……ぬしと言いたい、墓から出たさまの進藤延一。
 がっしとまた胸を絞って、
「でありますが、余りお疑い深いのも罪なものでございます。」
 と、もの言う都度、肩から暗くなって、蝋燭の灯に目ばかりが希代に光る。
「疑うのが職業だって、そんな、おめえ、狐のしょうじゃあるまいし、第一、僕はそのね、何も本職というわけじゃないんだよ。」
 となぜか弱いを吹いた……差向いをずりさがって、割膝でかしこまった半纏着の欣八刑事、風受かざうけのいきおいに乗じて、土蜘蛛つちぐもの穴へ深入ふかいりに及んだ列卒せこの形で、肩ばかりそびやかして弱身を見せじと、擬勢は示すが、川柳に曰く、鏝塗こてぬりの形に動く雲の峰で、蝋燭の影にわだかまる魔物の目から、身体からだを遮りたそうに、下塗の本体、しきりに手を振る。……
いかね、ちょいと岡引おかっぴきッて、身軽な、小意気な処を勤めるんだ。このおめえ、しっきりなし火沙汰の中さ。お前、焼跡で引火奴ほくちを捜すような、変な事をするから、一つ素引しょぴいてみたまでのもんさね。直ぐにも打縛ふんじばりでもするように、お前、真剣しんけんになって、明白あかりを立てる立てるッて言わあ。勿論、何だ、御用だなんておどかしたには威しましたさ、そりゃ発奮はずみというもんだ。
 明白あかしを立てます立てますッて、ここまで連れて来るから、途中で小用も出来ずさね、早い話が。
 隣家となりは空屋だと云うし、……」
 と、頬被ほおかぶりのままで、後を見た、肩を引いて、
「一軒隣は按摩あんまだと云うじゃねえか。取附とッつきの相角がおでん屋だッて、かッと飲んだように一景気附いたと思や、夫婦で夜なしに出て、留守は小児こどもの番をする下性げしょうの悪いじいさんだと言わあ。早い話がじゃ、この一棟四軒長屋の真暗まっくらな図体の中に、……」
 とこてを塗って、
「まあ、やね、おめえ、別にお前、怪しいたッて、何も、ねえ、まあ、お互に人間に変りはねえんだから、すぐにさようならにしようと思った。だけれど、話の口明くちあけが、宿しゅくの女郎だ。おまけに別嬪べっぴんと来たから、早い話が。
 でまあ、その何だ、わっしも素人じゃねえもんだから、」
 と目潰めつぶしの灰の気さ。
「一ツ詮索せんさくをして帰ろう、と居坐ったがね、……気にしなさんな。別にお前の身体からだを裏返しにして、綺麗に洗いだてをしようと云うんじゃねえ。可いから、」
 と云ううちにも、じろりとる、そりゃ光るわ、で鏝を塗って、
「大目に見てやら。ね、早い話が。僕は帰るよ、気にしなさんな。」
「ええ、いや、てまえの方で、気にしない次第わけには参りません。」
 欣八、ぎょっとして、
「そうかね、……はてね。……トオカミ、エミタメはどんなものだ。」とあざなは孔明、琴を弾く。

       八

「で、その初会の晩なぞは、見得に技師だって言いました。が、てまえはその頃、小石川へ勤めました鉄砲組でございますが、」
「ああ、造兵かね、わっしの友達にも四五人居るよ。中の一人は、今夜もお不動様で一所だっけ。そうかい、そいつは頼母たのもしいや。」と欣八いささか色を直す。
「見なさいます通りで、我ながら早やかように頼母しくなさ過ぎます。もっとも、車夫の看板を引抜いて、肩で暖簾を分けながら、遊ぶぜ、なぞと酔った晩は、そりゃ威勢がうがした。」
 と投首しつつ、また吐息といき。じっとともしびみまもったが、
「ところで、肝心のその燃えさしの蝋燭の事でございます。
 嘘か、まことかは分りません。かねて、牛鍋のじわじわ酒に、夥間なかまの友だちが話しました事を、――その大木戸向うで、蝋燭のにおいを、ぷん酔爛よいただれた、ここへ、その脳へ差込まれましたために、ふと好事ものずきな心が、火取虫といった形で、熱く羽ばたきをしたのでございます。
 内にはやさしい女房もございました。別に不足というでもなし、……宿しゅくへ入ったというものは、ただ蝋燭の事ばかり。でございますから、圧附おしつけに、勝手なおんなを取持たれました時は、馬鹿々々しいと思いましたが、因果とそのおんなの美しさ。
 成程、桔梗屋の白露か、玉の露でも可い位。
 けれども、うちなり、場所柄なり、……余り綺麗なので、初手は物凄ものすごかったのでございます。がいかにも、その病気があるために、――この容色きりょう三絃いともちょっと響く腕で――ころ同然な掃溜はきだめへ落ちていると分りますと、一夜妻のこの美しいのが……と思う嬉しさに、……今の身で、恥も外聞もございません。筋も骨もとろとろととろけそうになりました。……
 枕頭まくらもと行燈あんどんの影で、ええ、そのおんなが、二階廻しの手にも投遣なげやらないで、寝巻に着換えましたてまえ結城木綿ゆうきもめんか何か、ごつごつしたのを、絹物やわらかもののように優しく扱って、袖畳そでだたみにしていたのでございます。
 部屋着の腰の巻帯には、破れた行燈の穴の影も、蝶々のように見えて、ぞくりとする肩を小夜具で包んで、恍惚うっとりながめていますと、畳んだ袖を、一つ、スーとしごいた時、たもとの端で、指尖ゆびさきを留めましたがな。
 横顔がほんのりと、濡れたような目に、柔かなまみえが見えて、
 貴方あなたは御存じね――」
 延一は続けさまに三つばかり、しゃがれたせきして、
てまえに、残らず自分の事を知っていて来たのだろうと申しまして、――頂かして下さいましな、手を入れますよ、大事ござんせんか――
 と念を押して、その袂から、抜いて取ったのが、右の蝋燭でございます。」
「へい、」と欣八は這身はいみに乗出す。
「が、その美人。で、玉で刻んだ独鈷とっこか何ぞ、尊いものを持ったように見えました。
 遣手も心得た、成りたけは隠す事、それと言わずに逢わせた、とこうてまえは思う。……
 ――どちらの御蝋でござんすの――
 また、そう訊くのがおきまりだと申します。……三度のもの、湯水より、蝋燭でさえあれば、と云ううちにも、そのおんなは、あらのより、燃えさしの、その燃えさしのにおいが、何とも言えず快い。
 その燃えさしもございます。
 一度、神仏の前に供えたのだ、と持つ手もわななく、を震わして喜ぶんだ、とかねて聞いておりましたものでございますから、その晩は、友達と銀座の松喜で牛肉をしたたか遣りました、その口で、
 ――水天宮様のだ、人形町の――
 と申したでございます。電車の方角で、フト思い付きました。銀座には地蔵様もございますが、一言で、誰も分るのをと思いましてな。ええ。……」
 とじろじろと四辺あたり※(「目+句」、第4水準2-81-91)みまわす。
 欣八は同じように、きょろきょろと頭を振る。

       九

「お聞き下さい。」
 とせた膝を痛そうに、延一は居直って、
「かねて噂を聞いたから、おいらんの土産にしようと思って、水天宮様の御蝋の燃えさしを頂いて来たんだよ、と申しますと、端然きちん居坐いずまいを直して、そのふっくりした乳房へ響くまで、身に染みて、鳩尾みずおちへはっと呼吸いきを引いて、
 ――まあ、嬉しい――
 とちゃんと取って、蝋燭を頂くと、さもその尊さに、生際はえぎわの曇った白い額から、品物は輝いて後光がすように思われる、と申すものは、おんなの気の入れ方でございまして。
 どうでございましょう。これがき近所の車夫の看板から、今しがた煙草を吸って、酒粘さけねばりのつばきを吐いた火の着いていたやつじゃございますまいか。
 なんぼでも、そうまでしんになって嬉しがられては、灰吹を叩いて、舌を出すわけには参りません。
 実は、とその趣をべて、堪忍しな、出来心だ。そのかわり、今度は成田までもわざわざ出向くから、と申しますと、おんな莞爾にっこりして言うんでございます。
 これほどまでに、生命いのちがけで好きなんですもの、どこの、どうした蝋燭だか、大概は分ります。一度燃えたのですから、そのにおいで、消えてからどのくらいったかが知れますと、伺った路順で、下谷したやだが浅草だが推量が付くんです。唯今ただいま下すったのは、手に取ると、すぐに直き近い処だとは思いました、……では、大宗寺だいそうじ様のかと存じましたが、召上った煙草の粉が附着くッついていますし、御縁日ではなし、かたがた悪戯いたずらに、おかつぎだとは知ったんですが、お初会の方に、お怨みを言うのも、我儘わがままと存じて遠慮しました。今度ッからは、たとい私をおだましでも、蝋燭の嘘を仰有おっしゃるとほんとうに怨みますよ、と優しい含声ふくみごえで、ひそひそと申すんで。
 もう、実際嘘はくまい、と思ったくらいでございます。
 部屋着を脱ぐと、襦袢じゅばんで、素足がちらりとすると、ふッ、と行燈を消しました。……底に温味あたたかみを持ったヒヤリとするのが、酒のく胸へ、今にもいいかおりさっまつわるかと思うと、そうでないので。――
 カタカタと暗がりで箪笥たんす抽斗ひきだしを開けましたがな。
 ――水天宮様のをお目に掛けましょう――
 そう云って、柔らかい膝の衣摺きぬずれの音がしますと、燐寸マッチぱっ[#「火+發」、248-3]った。」
「はあ、」
 と欣八は、その※[#「火+發」、248-5]とした……瞬きする。
「で、朱塗の行燈の台へ、蝋燭を一ちょう、燃えさしのに火をともして立てたのでございます。」
 とじっみまもる、とここの蝋燭が真直まっすぐに、ほっそりと灯がすわった。
寂然しんとしておりますので、尋常ただのじゃない、と何となくその暗い灯に、白い影があるらしく見えました。
 これは、下谷の、これは虎の門の、飛んで雑司ぞうしヶ谷のだ、いや、つい大木戸のだと申して、油皿の中まで、十四五挺、一ツずつ消しちゃ頂いて、それで一ツずつ、生々なまなまとしたにおいの、煙……と申して不思議にな、一つ色ではございません。稲荷様いなりさまのは狐色と申すではないけれども、大黒天のは黒く立ちます……気がいたすのでございます。少し茶色のだの、薄黄色だの、曇った浅黄がございましたり。
 その燃えさしのにおいの立つ処を、睫毛まつげを濃く、眉を開いて、目を恍惚うっとりと、何と、においを散らすまい、煙を乱すまいとするように、てのひらおおって余さずぐ。
 これが薬なら、身体からだ中、一筋ずつ黒髪のさきまで、血と一所にあまねはだめぐった、と思うと、くすぶりもせずになおえる、その白い二の腕を、緋の袖で包みもせずに、……」
 聞く欣八は変な顔色がんしょく
「時に……」
 と延一は、ギクリと胸を折って、抱えた腕なりに我が膝に突伏つっぷして、かッかッと咳をした。

       十

 その瞼に朱をそそぐ……汗の流るる額をぬぐって、
「……時に、その枕頭まくらもと行燈あんどんに、一挺消さない蝋燭があって、寂然しんてらしておりますんでな。
 ――あれは――
 ――水天宮様のお蝋です――
 と二つ並んだその顔が申すんでございます。灯の影には何が映るとお思いなさる、……気になることおびただしい。
 ――消さないかい――
 ――堪忍して――
 是非と言えば、さめざめと、名の白露が姿を散らして消えるばかりに泣きますが。推量して下さいまし、愛想尽あいそづかしと思うがままよ、鬼だかじゃだか知らない男と一つ処……せめて、神仏かみほとけの前で輝いた、あの、光一ツやみに無うては恐怖こわくて死んでしまうのですもの。もし、気になったら、貴方あなたばかり目をおつむりなさいまし。――と自分は水晶のような黒目がちのを、すっきり※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みはって、――昼さえ遊ぶ人がござんすよ、と云う。
 し、神仏もあれば、夫婦もある。蝋燭が何の、と思う。その蝋燭が滑々すべすべと手に触る、……扱帯しごきの下に五六本、襟の裏にも、の下にも、幾本となく忍ばしてあるので、ぎょっとしました。残らず、一度は神仏の目の前で燃え輝いたのでございましょう、……中には、口にするのもはばかる、荒神あらがみも少くはありません。
 ばかりでない。果ては、その中から、別に、綺麗な絵の蝋燭を一挺抜くと、それへ火を移して、銀簪ぎんかんざしの耳にとおす。まずどうするとお思いなさる、……後で聞くとこの蝋燭の絵は、そのおんなが、ひまさえあれば、自分で剳青ほりもののように縫針で彫って、彩色いろどりをするんだそうで。それは見事でございます。
 また髪は、何十度逢っても、姿こそ服装なりこそ変りますが、いつも人柄に似合わない、あの、仰向あおむけに結んで、や、浅黄や、しぼり鹿の子の手絡てがらを組んで、黒髪で巻いた芍薬しゃくやくつぼみのように、真中まんなかかんざしをぐいと挿す、何転進てんじんとか申すのにばかり結う。
 何と絵蝋燭を燃したのを、簪で、そのまげの真中へすくりと立てて、烏羽玉うばたまの黒髪に、ひらひらと篝火かがりびのひらめくなりで、右にもなれば左にもなる、寝返りもするのでございます。
 ――こうして可愛がって下さいますなら、私ゃ死んでも本望です――
 とこれで見るくらいまた、白露のその美しさと云ってはない。が、いかな事にも、心を鬼に、爪をわしに、狼のきば噛鳴かみならしても、森でうしの時参詣まいりなればまだしも、あらたかな拝殿で、巫女みこの美女を虐殺なぶりごろしにするようで、笑靨えくぼに指も触れないで、冷汗を流しました。……
 それから悩乱。
 因果と思切れません……が、
 ――まあ嬉しい――
 と云う、あの、容子ようすばかりも、見て生命いのちが続けたさに、実際、成田へも中山へも、池上、堀の内は申すに及ばず。――根も精も続く限り、蝋燭の燃えさしを持っては通い、持っては通い、身も裂き、骨も削りました。
 くらんだ目は、昼遊びにさえ、そのともしびまぶしいので。
 手足の指を我と折って、頭髪ずはつつかんで身悶みもだえしても、おんなは寝るのに蝋燭を消しません。度かさなるに従って、数を増し、ふやして、部屋中、三十九本まで、一度に、神々の名を輝かして、そして、黒髪に絵蝋燭の、五色の簪を燃して寝る。
 そのなまめかしさと申すものは、暖かに流れる蝋燭よりさきに、見るものの身が泥になって、けるのでございます。忘れません。
 困果とごうと、早やこのていになりましたれば、揚代あげだいどころか、宿までは、杖にすがっても呼吸いきが切れるのでございましょう。所詮の事に、今も、おんなに遣わします気で、近い処の縁日だけ、蝋燭の燃えさしを御合力おごうりょくに預ります。すなわちこれでございます。」
 とたもとを探ったのは、ここにひともしたのは別に、先刻さっきの二七のそれであった。
 犬のしきりにゆる時――
「で、さてこれを何にいたすとお思いなさいます。懺悔ざんげだ、お目に掛けるものがある。」
「大変だ、大変だ。何だって和尚さん、奴もそれまでになったんだ。気の毒だと思ってその女がくれたんだろうね、長襦袢ながじゅばんをどうだろう、押入の中へ人形のように坐らせた。胴へは何を入れたかね、手も足もないんでさ。顔がと云うと、やがて人ぐらいの大きさに、何十挺だか蝋燭を固めて、つるりとやっぱり蝋を塗って、細工をしたんで。そら、燃えさしの処が上になってるから、ぽちぽち黒く、女鳴神おんななるかみッて頭でさ。色は白いよ、すごいよ、お前さん、蝋だもの。
 わっしったねえ、押入の中で、ぼうとして見えた時は、――それをね、しなしなと引出して、膝へ横抱きにする……とどうです。
 欠火鉢かけひばちからもぎ取って、その散髪ざんぎりみたいな、蝋燭の心へ、火を移す、ちろちろと燃えるじゃねえかね。
 ト舌は赤いよ、口に締りをなくして、奴め、ニヤニヤとしながら、また一挺、もう一本、だんだんと火を移すと、幾筋も、幾筋も、ひょろひょろと燃えるのが、からみ合って、空へ立つ、と火尖ひさきが伸びる……こうなると可恐おそろしい、長い髪の毛の真赤まっかなのを見るようですぜ。
 見る見る、お前さん、人前も構う事か、長襦袢の肩を両肱りょうひじへ巻込んで、てめえが着るように、胸にもすねにもからみつけたわ、すそがずるずると畳へく。
 自然とほてりがうつるんだってね、火の燃える蝋燭は、女のぬくみだッさ、奴が言う、……うがすかい。
 頬辺ほっぺたを窪ますばかり、歯を吸込んで附着くッつけるんだ、串戯じょうだんじゃねえ。
 ややしばらく、魂が遠くなったように、じっとしていると思うと、襦袢の緋がさっと冴えて、揺れて、なびいて、蝋にあかい影がとおって、口惜くやしいか、かなしいか、可哀あわれなんだか、ちらちらと白露を散らして泣く、そら、とろとろと煮えるんだね。ぐさ、お前さん、べろべろとめる。目から蝋燭の涙を垂らして、鼻へ伝わらせて、口へ垂らすと、せいせい肩で呼吸いきをする内に、ぶるぶると五体を震わす、と思うとね、横倒れになったんだ。さあ、七顛八倒しちてんばっとう、で沼みたいな六畳どろどろの部屋を転摺のめずり廻る……炎がからんで、青蜥蜴あおとかげ※(「足へん+宛」、第3水準1-92-36)のたうつようだ。
 わっしあ夢中で逃出した。――突然いきなり見附へ駈着かけつけて、火の見へ駈上かけあがろうと思ったがね、まだ田町から火事も出ずさ。
 何しろ馬鹿だね、馬鹿も通越しているんだね。」
 お不動様の御堂みどうたたいて、夜中にこの話をした、下塗したぬりの欣八が、
「だが、いい女らしいね。」
 と、後へ附加えた了簡りょうけんが悪かった。
「欣八、気を附けねえ。」
「顔色が変だぜ。」
 友達が注意するのを、アハハと笑消して、
あまがボーッと来た、下町ア火事だい。」と威勢よく云っていた。が、ものの三月とたぬうちにこのべらぼう、たった一人の女房の、寝顔の白い、緋手絡ひてがら円髷まるまげに、蝋燭を突刺つッさして、じりじりと燃して火傷やけどをさした、それから発狂した。
 但し進藤とは違う。陰気でない。縁日とさえあればどこへでも押掛けて、鏝塗こてぬりの変な手つきで、来た来たと踊りながら、
「蝋燭をくんねえか。」
 あやしむべし、その友達が、続いて――また一人。…………
大正二(一九一三)年六月





底本:「泉鏡花集成6」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年3月21日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第十五卷」岩波書店
   1940(昭和15)年9月20日発行
入力:門田裕志
校正:高柳典子
2007年2月11日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について