夫人利生記

泉鏡花




 瑠璃色るりいろに澄んだ中空なかぞらの間から、竜が円い口を張開いたような、釣鐘の影のなかで、そっと、美麗なおんなの――人妻の――写真をた時に、樹島きじまは血が冷えるように悚然ぞっとした。……
 山の根からいて流るる、ちょろちょろ水が、ちょうどここでいせきを落ちて、たたえた底に、上の鐘楼の影が映るので、釣鐘の清水と言うのである。
 町も場末の、細い道を、たらたらと下りて、ずッと低い処から、また山に向ってこみちの坂をうねって上る。その窪地くぼちに当るので、浅いが谷底になっている。一方はその鐘楼を高く乗せた丘のがけで、もう秋の末ながら雑樹が茂って、からからと乾いた葉の中から、昼の月も、鐘の星も映りそうだが、別に札を建てるほどの名所でもない。
 居まわりの、板屋、藁屋わらやの人たちが、大根も洗えば、菜も洗う。ねぎの枯葉を掻分かきわけて、洗濯などするのである。で、竹のかけひ山笹やまざさの根に掛けて、ながれの落口のほかに、小さな滝を仕掛けてある。んで飲むものはこれを飲むがよし、ながめるものは、るがよし、すなわち清水の名聞みょうもんが立つ。
 こみちを挟んで、水に臨んだ一方は、人の小家こいえ背戸畠せどばたけで、大根も葱も植えた。竹のまばら垣に藤豆の花の紫がほかほかと咲いて、そこらをスラスラと飛交わす紅蜻蛉あかとんぼの羽から、……いや、その羽に乗って、糸遊、陽炎かげろうという光ある幻影まぼろしが、春のたけなわなるごとく、浮いて遊ぶ。……
 一時間ばかり前の事。――樹島は背戸畑の崩れた、この日当りの土手に腰を掛けて憩いつつ、――いま言う――その写真のぬしをしょうのもので見たのである。

 その前に、かれは母の実家さと檀那寺だんなでらなる、このあたりの寺に墓詣はかまいりした。
 俗に赤門寺と云う。……門も朱塗だし、金剛神を安置した右左の像がであるから、いずれにも通じて呼ぶのであろう。住職も智識の聞えがあって、寺は名高い。
 仁王門の柱に、大草鞋おおわらじが――中には立った大人の胸ぐらいなのがある――かさなって、稲束の木乃伊みいらのようにかかっている事は、かれ小児こどもの時に見知ったのも、今もかわりはない。緒に結んださまに、小菊まじりに、俗に坊さん花というのを挿して供えたのが――あやめ草あしに結ばむ――「奥の細道」の趣があって、すこやかなる神の、草鞋を飾る花たばと見ゆるまで、日に輝きつつも、何となく旅情を催させて、故郷ふるさとなれば可懐なつかしさも身にみる。
 峰の松風が遠くしずかに聞えた。
 庫裡くり音信おとずれて、お墓経をと頼むと、気軽に取次がれた住職が、納所なっしょとも小僧ともいわず、すぐに下駄ばきで卵塔場へ出向わるる。
 かあかあと、からすが鳴く。……墓所はかしょは日陰である。こけに惑い、露にすべって、樹島がややあわただしかったのは、余り身軽に和尚どのが、すぐに先へ立って出られたので、十八九年不沙汰ぶさたした、塔婆の中の草径くさみちを、志す石碑に迷ったからであった。
 紫袱紗ふくさ輪鉦りんを片手に、
誰方どなたの墓であらっしゃるかの。」
 少々きまりが悪く、……姓を言うと、
「おお、いま立っていさっしゃるのが、それじゃがの。」
「御不沙汰をいたして済みません。」
 黙って俯向うつむいて線香を供えた。細い煙が、裏すいて乱るるばかり、墓の落葉はうずたかい。湿った青苔に蝋燭ろうそくささって、揺れもせず、燐寸マッチでうつした灯がまっすぐに白くった。
 チーン、チーン。――かあかあ――と鴉が鳴く。
 やがて、読誦どくじゅの声をとどめて、
「お志の御回向えこうはの。」
「一同にどうぞ。」
「先祖代々の諸精霊……願以此功徳無量壇波羅蜜がんいしくどくむりょうだんはらみつ具足円満ぐそくえんまん平等利益びようどうりやく――南無妙なむみょう……此経難持しきょうなんじ若暫持にゃくざんじ我即歓喜がそくかんぎ……一切天人皆応供養いっさいてんにんかいおうくよう。――」
 チーン。
「ありがとう存じます。」
「はいはい。」
「御苦労様でございました。」
「はい。」
 と、そでに取った輪鉦形りんなりひじをあげて、打傾きざまに、墓参の男をじって、
「多くは故人になられたり、他国をなすったり、久しく、御墓参の方もありませぬ。……あんたは御縁辺であらっしゃるかの。」
「お上人様。」
 すそ冷く、鼻じろんだ顔を上げて、
「――母の父母ふたおや、兄などが、こちらにお世話になっております。」
「おお、」と片足、胸とともに引いて、見直して、
「これは樹島の御子息かい。――それとなくおたよりは聞いております。何よりも御機嫌での。」
御僧様あなたさまこそ。」
「いや、もう年を取りました。知人しりびとは皆二代、また孫のじゃ。……しかし立派に御成人じゃな。」
「お恥かしゅう存じます。」
「久しぶりじゃ、ちと庫裡あれへ。――渋茶なと進ぜよう。」
「かさねまして、いずれ伺いますが、旅さきの事でございますし、それに御近所に参詣おまいりをしたい処もございますから。」
「ああ、まだお娘御のように見えた、若い母さんに手をかれてお参りなさった、――あの、摩耶夫人まやぶにんの御寺へかの。」
 なき、その母に手を曳かれて、小さな身体からだは、春秋はるあきの蝶々蜻蛉に乗ったであろう。夢のように覚えている。
「それはそれは。」
 とうなずいて、
「また、今のほどは、御丁寧に――早速御仏前へお料具を申そう。――御子息、それならば、おしずかに。……ああ、上のその木戸はの、錠、鍵も、がさがさと壊れています。開けたままでよろしい。あとで寺男おとこが直しますでの。石段が欠けて草蓬々ぼうぼうじゃ、堂前へ上らっしゃるに気を着けなされよ。」
 この卵塔は窪地である。
 石を四五壇、せまり伏す枯尾花にねずみ法衣ころもの隠れた時、ばさりと音して、塔婆近い枝に、山鴉が下りた。葉がくれに天狗てんぐの枕のように見える。蝋燭ろうそくついばもうとして、人の立去るのを待つのである。
 くわえると、大概は山へ飛ぶから間違まちがいはないのだが、怪我けがに屋根へ落すと、草葺くさぶきが多いから過失あやまちをしでかすことがある。樹島は心得て吹消した。線香の煙の中へ、色をうすく分けてスッと蝋燭の香が立つと、かあかあとたまらなそうに鳴立てる。羽音もきこえて、声の若いのは、仔烏こがらすらしい。
「……おあがり。」
 それも供養になると聞く。ここにも一羽、とおなじような色の外套がいとうに、洋傘こうもりを抱いて、ぬいだ中折帽なかおれを持添えたままむぐらの中を出たのであった。
 赤門寺に限らない。あるいは丘に、坂、谷に、こみちを縫う右左、町家まちやが二三軒ずつ門前にあるばかりで、ほとんど寺つづきだと言ってもい。赤門には清正公が祭ってある。北辰妙見ほくしんみょうけんの宮、摩利支天の御堂みどう、弁財天のほこらには名木の紅梅の枝垂しだれつつ咲くのがある。明星の丘の毘沙門天びしゃもんてん。虫歯封じにはしを供うる辻の坂の地蔵菩薩じぞうぼさつ。時雨の如意輪観世音。笠守かさもりの神。日中ひなかふくろうが鳴くという森の奥の虚空蔵堂。――
 清水の真空まそらの高い丘に、鐘楼を営んだのは、寺号は別にあろう、皆梅鉢寺と覚えている。石段をじた境内の桜のもと、分けて鐘楼のいしずえのあたりには、高山植物として、こうした町近くにはほとんどみだされないととなうる処の、梅鉢草が不思議に咲く。と言伝えて、申すまでもなく、学者が見ても、ただ心ある大人が見ても、類は違うであろうけれども、五弁の小さな白い花を摘んで、小児こどもたちは嬉しがったものである。――もっともとおぐらいまでの小児が、家からここへ来るのには、お弁当が入用いりようだった。――それだけに思出がなお深い。
 いま咲く草ではないけれども、土の香を親しんで。……樹島は赤門寺を出てから、仁王尊の大草鞋おおわらじを船にして、寺々のちまたぐように、秋日和の巡礼街道。――一度この鐘楼に上ったのであったが、じるに急だし、汗には且つなる、地内はいずれ仏神の垂跡すいじゃくに面して身がしまる。
 旅のつかれも、ともに、ほっと一息したのが、いま清水に向った大根畑のへりであった。
 ……遅めの午飯ひるに、――潟でれる――わかさぎを焼くにおいが、淡く遠くから匂って来た。暖か過ぎるが雨にはなるまい。赤蜻蛉の羽も、もみじをちらして、青空に透通る。鐘は高く竜頭りゅうずに薄霧をいてかかった。
 清水から一坂上り口に、まき、漬ものおけ石臼いしうすなんどを投遣なげやりにした物置の破納屋やれなやが、炭焼小屋に見えるまで、あたりはしずかに、人の往来ゆききはまるでない。
 月のはこの納屋の屋根から霜になるであろう。その石臼にすがって、嫁菜の咲いたも可哀あわれである。
 ああ、桶のたがに尾花が乱るる。このうららかさにも秋の寂しさ……
 樹島は歌も句も思わずに、畑の土を、外套がいとうの背にずりすべって、半ば寝つつも、金剛神の草鞋わらじに乗った心持に恍惚うっとりした。
 ふと鳥影が……影がした。そこに、つい目のさきに、しなやかなおんなが立った。何、……紡績らしいかすりの一枚着に、めりんす友染と、繻子しゅす幅狭はばぜまな帯をお太鼓に、上からひもでしめて、せた桃色の襷掛たすきがけ……などと言うより、かいな露呈あらわに、ひじを一杯に張って、片脇にたらいを抱えた……と言う方が早い。洗濯をしに来たのである。道端の細流ほそながれで洗濯をするのに、なよやかなどと言う姿はない。――ないのだが、見ただけでなよやかで、たらいに力を入れた手が、霞を溶いたように見えた。白やかなはだとおして、骨まで美しいのであろう。しかも、素足に冷めし草履を穿いていた。近づくのに、音のしなかったのもうなずかれる。
 おんなは、水ぎわに立停たちどまると、洗濯盥――盥には道草に手打たおったらしい、嫁菜が一束挿してあった――それを石の上へこごみ腰におろすと、すっと柳に立直った。日あたりをけて来て、且つ汗ばんだらしい、あねさんかぶりの手拭てぬぐいを取って、額よりは頸脚えりあしを軽くいた。やや俯向うつむけになったうなじは雪を欺く。……手拭を口にくわえた時、それとはなしに、おもてを人に打蔽うちおおう風情が見えつつ、眉を優しく、ななめだちの横顔、瞳の濡々ぬれぬれと黒目がちなのが、ちらりと樹島に移ったようである。さっ睫毛まつげを濃く俯目ふしめになって、えりのおくれ毛を肱白く掻上げた。――漆にちらめく雪の蒔絵まきえの指さきの沈むまで、黒くふっさりした髪を、耳許みみもと清く引詰ひッつめて櫛巻くしまきに結っていた。年紀としは二十五六である。すぐに、手拭を帯に挟んで――岸からすぐに俯向くには、手を差伸さしのばしても、ながれは低い。石段が出来ている。苔も草も露を引いて皆青い。それを下りさまに、ふと猶予ためらったように見えた。ああ、これは心ないと、見ているものの心着く時、つまを取って高く端折はしょった。おんなは誰も長襦袢ながじゅばんを着ているとは限らない。ただ一重の布も、膝の下までは蔽わないで、小股をしめて、色薄くくびりつつ、太脛ふくらはぎが白くなめらかにすらりと長くながれに立った。
 ひたひたとまつわる水とともに、ちらちらとくれないに目を遮ったのは、さかさまに映るという釣鐘の竜の炎でない。脱棄ぬぎすてた草履に早く戯るる一羽の赤蜻蛉の影でない。崖のくずれを雑樹またやぶの中に、月夜の骸骨がいこつのように朽乱れた古卒堵婆ふるそとばのあちこちに、燃えつつ曼珠沙華まんじゅしゃげが咲残ったのであった。
 おんなは人間離れをしてうつくしい。
 この時、久米の仙人を思出して、苦笑をしないものは、われらの中に多くはあるまい。
 仁王の草鞋の船を落ちて、樹島は腰の土を払って立った。つらはいつの間にか伸びている。
「失礼ですが、ちょっと伺います――旅のものですが。」
「は、」
蓮行寺れんぎょうじと申しますのは?」
「摩耶夫人様のお寺でございますね。」
 その声にきけば、一層奥ゆかしくなおとうとい※(「りっしんべん+刀」、第3水準1-84-38)利天とうりてんの貴女の、さながらのおんかしずきに対して、かれは思わず一礼した。
 おんなはちょうどかけひの水に、嫁菜の茎を手すさびに浸していた。浅葱あさぎしずくする花をたてに、破納屋やれなや上路のぼりみちを指して、
「その坂をなぞえにお上りなさいますと、――戸がしまっておりますが、二階家が見えましょう。――ね、その奥に、あの黒く茂りましたのが、虚空蔵様のお寺でございます。ちょうどその前の処が、青くあかるくなって、ちらちらもみじが見えますわね……あすこが摩耶夫人様でございます。」
「どうもありがとう――尋ねたいにも人通りがないので困っていました。――お庇様かげさまで……」
「いいえ……まあ。」
「御免なさい。」
「おしずかにおまいりをなさいまし……御利益がございますわ。」
 と、嫁菜の花を口許くちもとに、まぶたをほんのり莞爾にっこりした。
 ――この婦人おんなの写真なのである。

 写真は、蓮行寺の摩耶夫人の御堂みどうの壇の片隅に、千枚の歌留多かるたを乱して積んだような写真の中から見出みいだされた。たとえば千枚千人の婦女が、一人ずつ皆嬰児あかごを抱いている。お産の祈願をしたものが、礼詣りに供うるので、すなわち活きたままの絵馬である。胸に抱いたのも、膝に据えたのも、中には背におんぶしたまま、両のを合せたのもある。が、胸をはだけたり、乳房を含ませたりしたのは、さすがにないから、何もおおわず、写真はあからさまになっている。しかし、おんなばかりの心だしなみで、いずれも伏せてある事は言うまでもない。
 この写真が、いま言った百人一首の歌留多のように見えるまで、御堂は、金碧蒼然きんぺきそうぜんとしつつ、漆と朱の光を沈めて、月影に青いにしきを見るばかり、おごそかただしく、清らかである。
 御厨子みずしの前は、縦に二十間がほど、五壇に組んで、くれないはかま白衣びゃくえの官女、烏帽子えぼし素袍すおうの五人囃子ばやしのないばかり、きらびやかなる調度を、黒棚よりして、膳部ぜんぶながえの車まで、金高蒔絵きんたかまきえ、青貝をちりばめて隙間なく並べた雛壇ひなだんに較べてい。ただ緋毛氈ひもうせんのかわりに、敷妙しきたえの錦である。
 ことごとく、これは土地の大名、城内の縉紳しんしん、豪族、富商の奥よりして供えたものだと聞く。家々の紋づくしと見れば可い。
 天人の舞楽、合天井の紫のなかば、古錦襴こきんらん天蓋てんがいの影に、黒塗に千羽鶴の蒔絵をした壇を据えて、紅白、一つおきに布を積んで、なまめかしくうずたかい。皆新しい腹帯である。志してもうでた日に、折からそのくれないの時は女の、白い時は男の児が産れると伝えて、順を乱すことをしないで受けるのである。
 右左におおきな花瓶がすわって、ここらあたり、花屋およそ五七軒は、かこいの穴蔵を払ったかと思われる見事な花が夥多おびただしい。白菊黄菊、大輪の中に、桔梗ききょうがまじって、女郎花おみなえしのまだ枯れないのは、功徳の水の恵であろう、末葉うらはも落ちず露がしたたる。
 時に、腹帯は紅であった。
 かれが詣でた時、蝋燭ろうそくが二ちょうともって、その腹帯台のかたわらに、老女が一人、若い円髷まるまげのとむつまじそうに拝んでいた。
 しばらくして、戸口でまた珠数を揉頂もみいただいて、老女がさきに、その二人が帰ったあとは、本堂、脇堂にも誰も居ない。
 ここにちゅうしておく。都会にはない事である。このあたりの寺は、どこにも、へだて、戸じまりを置かないから、朝づとめよりして夕暮までは、諸天、諸仏。――中にもしかく端麗なる貴女の奥殿に伺候しこうするに、門番、諸侍の面倒はいささかもないことを。
 寺は法華宗である。
 祖師堂は典正なのが同一棟ひとつむねに別にあって、幽厳なる夫人ぶにんびょうよりその御堂みどうへ、細長い古畳が欄間の黒いにじを引いて続いている。……広い廊下は、霜のようにつめとうして、虚空蔵の森をうけて寂然じゃくねんとしていた。
 風すかしに細く開いた琴柱窓ことじまどの一つから、森を離れて、松の樹の姿のいい、赤土山の峰が見えて、色が秋の日に白いのに、向越むこうごしの山の根に、きらきらと一面の姿見の光るのは、遠い湖の一部である。此方こなたふもとに薄もみじした中腹をゆるめぐって、の字の形に一つうねった青い水は、町中を流るる川である。町の上には霧がかかった。その霧をいて、青天にそびえたのは昔の城の天守である。
 聞け――時に、この虹の欄間に掛けならべた、押絵の有名な額がある。――いま天守を叙した、その城の奥々の婦人たちが丹誠をこらした細工である。
 万亭応賀の作、豊国えがく。錦重堂板の草双紙、――その頃江戸で出版して、文庫蔵が建ったと伝うるまで世に行われた、釈迦八相倭文庫しゃかはっそうやまとぶんこ挿画さしえのうち、摩耶夫人のおんありさまを、絵のまま羽二重と、友染と、あや、錦、また珊瑚さんごをさえちりばめて肉置の押絵にした。……
 浄飯王じょうぼんおうが狩の道にて――天竺てんじく天臂城てんぴじょうなる豪貴の長者、善覚の妹姫が、姉君矯曇弥きょうどんみとともに、はじめてまみゆる処より、優陀夷うだいが結納の使者に立つ処、のちに、矯曇弥が嫉妬しっとの処。やがて夫人が、一度ひとたび、幻に未生みしょうのうない子を、病中のいためる御胸おんむねに、いだきしめたまう姿は、見る目にも痛ましい。その肩にたれつつ、みどり児のうなじおおう優しき黒髪は、いかなる女子のか、活髪いきがみをそのままに植えてある。……
 われら町人の爺媼じいばば風説うわさであろうが、矯曇弥の呪詛のろいの押絵は、城中の奥のうち、御台、正室ではなく、かえって当時の、側室、愛妾あいしょうの手に成ったのだと言うのである。しかも、その側室は、絵をよくして、押絵の面描かおかきは皆その彩筆に成ったのだと聞くのも意味がある。
 夫人の姿像のうちには、胸ややあらわに、あかんぼのお釈迦様をいだかるるのがあるから、――はばかりつつも謹んでおう。
 ここの押絵のうちに、夫人が姿見のもとに、黒塗の蒔絵のたらいを取って手水ちょうずを引かるる一面がある。真珠を雪に包んだような、白羽二重で、膚脱はだぬぎ御乳おんちのあたりをってある。肩も背も半身のはだえあらわにおわする。
 きばの六つある大白象だいびゃくぞうの背に騎して、兜率天とそつてんよりして雲を下って、白衣の夫人の寝姿の夢まくらに立たせたまう一枚のと、一面やや大なる額に、かの藍毘尼園中らんびにおんちゅう、池に青色せいしょく蓮華れんげの開く処。無憂樹むうじゅの花、色香鮮麗せんれいにして、夫人が無憂の花にかざしたる右の手のその袖のまま、釈尊降誕の一面とは、ともに城の正室の細工だそうである。
 面影も、色も靉靆たなびいて、欄間の雲に浮出づる。影はささぬが、香にこぼれて、後にひかえつつも、畳の足はおのずから爪立つまだたれた。
 畳廊下を引返しざまに、敷居を出る。……夫人廟ぶにんびょうの壇の端に、その写真の数々が重ねてあった。
 押絵のあとに、時代を違えた、写真をのぞくのも学問である。
 清水に洗濯した美女の写真は、ただその四五枚めに早く目に着いた。円髷まるまげにこそ結ったが、羽織も着ないで、女のらしい嬰児みどりごいだいて、写真屋の椅子にかけたかたちは、寸分の違いもない。
 こうした写真は、公開したもおなじである。産の安らかさに、児のすこやかさに、いずれ願ほどにあやかるため、その一枚を選んで借りて、ひそかに持帰る事を許されている。ただし遅速はおいて、複写して、夫人のおん人々御中に返したてまつるべき事は言うまでもなかろう。
 今日は方々にお賽銭さいせんが多い。道中の心得に、新しく調えた懐中に半紙があった。
 目の露したたり、口許くちもとほころびそうな、写真を取って、思わず、四辺あたりを見て半紙に包もうとした。
 トタンに人気勢ひとけはいがした。
 樹島はバッとあかくなった。
 猛然として憶起おもいおこした事がある。八歳やッつか、九歳ここのつの頃であろう。雛人形ひなにんぎょうきている。雛市は弥生やよいばかり、たとえば古道具屋の店に、その姿があるとする。……心をめて、じっと凝視みつめるのを、毎日のように、およそ七日十日に及ぶと、思入ったその雛、その人形は、莞爾にっこりと笑うというのを聞いた。――時候は覚えていない。小学校へ通う大川の橋一つ越えた町の中に、古道具屋が一軒、店に大形の女雛めびなばかりが一体あった。※(「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26)ろうたけた美しさは註するに及ぶまい。――樹島は学校のかえりにきまって、半時ばかりずつじっと凝視した。
 目は、三日四日めから、もう動くようであった。最後に、その唇の、幽冥ゆうめいの境より霞一重に暖かいように莞爾にっこりした時、小児こどもはわなわなと手足が震えた。同時である。中仕切の暖簾のれんを上げて、姉さんだか、小母さんだか、綺麗きれいな、容子ようすのいいのが、すっと出て来て、「坊ちゃん、あげましょう。」と云って、待て……その雛ではない。定紋つきの塗長持の上に据えたはかまの雛のわきなる柱に、矢をさしたうつぼと、細長い瓢箪ひょうたんと、霊芝れいしのようなものと一所に掛けてあった、――さ、これが変だ。のちに思っても可思議ふしぎなのだが、……くれたものというと払子ほっすに似ている、木の柄が、草石蚕ちょうろぎのように巻きぼりして、蝦色えびいろに塗ってあるさきの処に、一尺ばかり革の紐がばらりと一束ついている。絵で見た大将が持つ采配さいはいを略したような、何にするものだか、今もってわからない。が、町々辻々に、小児こどもという小児が、皆おもちゃを持って、振ったり、廻したり、くうはたいたりして飛廻った。半年ばかりですたれたが、一種の物妖ぶつようとなえてかろう。持たないと、生効いきがいのないほど欲しかった。が樹島にはそれがなかった。それを、夢のように与えられたのである。
 橋の上を振廻して、空を切って駈戻かけもどった。が、考えると、……化払子ばけほっすに尾が生えつつ、宙を飛んで追駈おっかけたと言わねばならない。母のなくなった、一周忌の年であった。
 父はの手の化ものを見ると青くなって震えた。小遣銭をなまで持たせないその児の、盗心ぬすみごころを疑って、怒ったよりは恐れたのである。
 真偽を道具屋にたしかめるために、祖母がついて、大橋を渡る半ばで、母のおくつきのある山の峰を、孫のために拝んだ、小児こどもも小さな両手を合せた。この時のながれの音の可恐おそろしさは大地が裂けるようであった。「ああ、そうとは知りませぬ。――小児衆の頑是ない、欲しいものは欲しかろうと思うて進ぜました。……毎日見てござったは雛じゃったか。――それはそれは。……この雛はちと大金たいまいのものゆえに、進上は申されぬ――お邪魔でなくばその玩弄品おもちゃは。」と、しかと祖母に向って、道具屋が言ってくれた。が、しかし、その時のは綺麗な姉さんでも小母さんでもない。不精髯ぶしょうひげ胡麻塩ごましお親仁おやじであった。と、ばけものは、人のよくいて邪心を追って来たので、やさしひと幻影まぼろしばかり。道具屋は、おさないのをあわれがって、嘘でかばってくれたのであろうも知れない。――思出すたびに空恐ろしい気がいつもする。
 ――おなじおもいが胸を打った。同時であった、――人気勢ひとけはいがした。――
 御廟子みずしの裏へ通う板廊下の正面の、すだれすかしの観音びらきのが半ば開きつつ薄明うすあかるい。……それをななめにさしのぞいた、半身の気高い婦人がある。白衣に緋を重ねた姿だと思えば、通夜の籠堂こもりどうに居合せた女性にょしょうであろう。小紋の小袖に丸帯と思えば、寺には、よき人の嫁ぐならいがある。――あとで思うとそれもおぼろである。あの、幻の道具屋の、綺麗なひとのようでもあったし、裲襠姿振袖うちかけすがたふりそでの額の押絵の一体のようにも思う。……
 瞬間には、ただ見られたと思う心を、棒にして、前後も左右も顧みず、衝々つつと出、そのもすそに両手をついてひざまずいた。
「小児は影法師もさずかりません。……ただあやかりとう存じます。――写真は……拝借出来るのでございましょうか。」
 舌はここでただれても、よその女を恋うるとは言えなかったのである。
「どの、お写真。」
 とほがらかに、しっとり聞えた。およそ、たえなるものごしとは、この時言うべきことばであった。
「は、」
 と載せたまま白紙しらかみを。
「お持ちなさいまし。」
 あなたの手で、スッとかすかな、……二つに折れた半紙の音。
「は、は。」
 と額に押頂くと、得ならずえんなるもののかおりに、魂はくうになりながら、恐怖おそれはじとに、かれは、ずるずると膝で退さがった。
 よろりと立つ時、うしろ姿がすっと隠れた。
 外套も帽も引掴ひッつかんで、きざはしを下りる、足がすべる。そこへ身体からだごと包むような、金剛神の草鞋わらじの影が、髣髴ほうふつとしてあらわれなかったら、渠は、この山寺の石の壇を、こみち転落ころげおちたに相違ない。
 雛の微笑ほほえみさえ、蒼穹あおぞらに、目にうかんだ。金剛神の大草鞋は、宙を踏んで、渠を坂道へり落した。
 清水の向畠むこうはたのくずれ土手へ、萎々なえなえとなって腰をいた。前刻のおんなは、勿論の事、もう居ない。が、まだいくらほどの時もたぬと見えて、人の来てむものも、菜を洗うものもなかったのである。
 ほかほかとおなじ日向ひなたに、藤豆の花が目を円く渠を見た。……あの草履をなぶったのがうらやましい……赤蜻蛉が笑っている。
「見せようか。」
 仰向あおむけに、鐘を見つつ、そこをちらちらする蜻蛉に向って、自棄やけに言った。
「いや、……自分で拝もう。」
 時に青空に霧をかけた釣鐘が、たちまち黒く頭上を蔽うて、破納屋やれなやの石臼もまなこが窪み口が欠けて髑髏しゃりこうべのように見え、曼珠沙華まんじゅしゃげも鬼火に燃えて、四辺あたり真暗まっくらになったのは、めくるめく心地がしたからである。――いかに、いかに、写真が歴々ありありと胸に抱いていた、毛糸帽子、麻の葉鹿の子のむつぎの嬰児あかんぼが、美女の袖を消えて、ぬぐってったように、なくなっていたのであるから。
 樹島はほとんど目をつむって、ましぐらに摩耶夫人の御堂に駈戻かけもどった。あえて目をつむってと言う、金剛神の草鞋が、彼奴きゃつの尻をたたき戻した事は言うまでもない。
 夫人の壇に戻し参らせた時は、伏せたままでソと置いた。嬰児あかんぼが、再び写真に戻ったかどうかは、疑うだけの勇気はなかったそうである。

「いや、何といたしまして。……棚に、そこにござります。金、極彩色の、……は、そちらの素木彫しらきぼりの。……いや、何といたして、古人の名作。ど、ど、どれも諸家様の御秘蔵にござりますが、少々ずつ修覆をいたす処がありまして、お預り申しておりますので。――はい、店口にござります、その紫の袈裟けさを召したのはてまえが刻みました。祖師のおすがたでござりますが、喜撰法師のように見えます処が、わざの至りませぬ、不束ふつつかゆえで。」
 と、淳朴じゅんぼくな仏師が、ややどもって口重く、まじりと言う。
 しかしこれは、工人の器量を試みようとして、棚の壇に飾った仏体に対してこころみに聞いたのではない。もうこの時は、樹島は既に摩耶夫人の像を依頼したあとだったのである。
 一山に寺々を構えた、その一谷ひとたにを町口へ出はずれの窮路、陋巷ろうこうといった細小路で、むれるような湿気のかびの一杯ににおう中に、ぷん白檀びゃくだんかおりが立った。小さな仏師の家であった。
 一小間ひとこま硝子がらすを張って、小形の仏龕ぶつがん、塔のうつし、その祖師のかたちなどを並べた下に、年紀としごろはまだ若そうだが、額のぬけ上った、そして円顔で、眉の濃い、目の柔和な男が、道の向うさがりに大きな塵塚ちりづかに対しつつ、口をへの字なりに結んで泰然として、胡坐あぐらで細工盤に向っていた。「少々拝見を、」と云って、樹島はしずかに土間へ入って、――あとで聞いた預りものだというぶつ菩薩ぼさつの種々相を礼しつつ、「ただ試みに承りたい。おおきなこのくらいのすがたを一体は。」とおおよその値段を当った。――冷々ひやひやとした侘住居わびずまいである。木綿縞もめんじま膝掛ひざかけを払って、筒袖のどんつくを着た膝をすわり直って、それから挨拶した。そッときいて、……内心恐れた工料の、心づもりよりは五分の一だったのにいきおいを得て、すぐに一体をあつらえたのであった。――
「……なれども、おみだしに預りました御註文……別して東京へお持ちになります事で、なりたけ、丹、丹精をぬきんでまして。」
 とどもって言う。
「あなた、仏様に御丹精は、それは実に結構ですが、お礼がお礼なんですから、お骨折ではかえって恐縮です。……それに、……唯今ただいまも申しました通り、然るべき仏壇の用意もありません。勿体なくありません限り、床の間か、戸袋の上へでもお据え申そうと思いますから、かたがた草双紙風俗ふうにとお願い申したほどなんです。――本式ではありません。※(「りっしんべん+刀」、第3水準1-84-38)利天とうりてんのお姿では勿体ないと思うのですから。……お心安く願います。」
「はい、一応は心得ましてござります。なお念のために伺いますが、それでは、むかし御殿のお姫様、奥方のお姿でござりますな。」
「草双紙の絵ですよ。本があると都合がいいな。」
 樹島は巻莨まきたばこを吸いさして打案じつつ、
倭文庫やまとぶんこ。……」
「え、え、釈迦八相――師匠の家にございまして、てまえよく見まして存じております。いや、どうも。……」
 と胸を抱くように腕をんで、
「小僧から仕立てられました、……その師匠に、三年あとになくなられましてな。杖とも柱とも頼みましたものを、とんと途方に暮れております。やっと昨年、真似方まねかたの細工場を持ちました。ほんの新店でござります。」
「もし、」
 と、仕切一つ、薄暗い納戸から、優しい女の声がした。
端本はほんになりましたけれど、五六冊ございましたよ。」
「おお、そうか。」
「いや、いまお捜しには及びません。」
 様子を察して樹島がかまちから声を掛けた。
「は、つい。」
「おっぱ。」
 と可愛い小児こどもの声する。……
「めめ、覚めて。はい……お乳あげましょうね。」
「のの様、おっぱい。……のの様、おっぱい。」
「まあ、のの様ではありません、かあちゃんよ。」
「ううん、ほしくないの、坊、のんだの、のの様のおっぱい。――お雛様ひなちゃんのような、のの様のおっぱい。」
「おや、夢を御覧だね。」
 樹島は肩の震うばかり胸にこたえた。
「嬢ちゃんですか。」
「ええ、もう、年弱としよわ三歳みッつになりますが、ええ、もう、はや――ああ、何、お茶一つ上げんかい。」
 と、茶卓にいで出した。
「あ、」
 清水にきぬ洗える美女である。先刻さっきのままで、洗いさらした銘仙めいせん半纏はんてん引掛ひっかけた。
「先刻は。」
「まあ、あなた。」
「お目にかかったか。」
「ええ、梅鉢寺の清水の処で、――あの、摩耶夫人様のお寺をおききなさいました。」
 かれは冷い汗を流した。知らずに聞いた路なのではなかったのである。
「御信心でございますわね。」
 と、じっと見た目を、俯目ふしめにぽッと染めた。
 むっくりとした膝をたたいて、
「それは御縁じゃ――ますます、丹、丹精を抽んでますで。」
「ああ、こちらの御新姐ごしんぞですか。」
 と、ほっとして、うっかり言う。
「いや、ええ、その……師、師匠の娘でござりまして。」
「何ですね、――ねえ、……坊や。」
 と、敷居の内へ……片手づきに、納戸へ背向そがいおもてを背けた。
 樹島は謝礼を差出した。出来しゅったいの上で、と辞してがえんぜぬのを、平にと納めさすと、きちょうめんに、すずりに直って、ごしごしと墨をあたって、席書をするように、受取を――
  記
一金……円也
「ま、ま、摩……耶の字?……ああ、分りました。」
「御主人。」
 と樹島が手を挙げて、
「夫人のお名は、金員の下でなく、並べてか、……上の方へ願います。」
「あ、あ、あい分りました。」
「御丁寧に。……では、どうぞ。……決して口を出すのではありませんが、お顔をどうぞ、なりたけ、お綺麗になすって下さい。……お仕事の法にかなわないかは分りませんが。」
「ああ、いえ。――何よりも御容貌が大切でございます。――赤門寺のお上人は、よく店へお立寄り下さいますが、てまえどもの方の事にも、それはおくわしゅうございましてな。……おことばには――相好そうごう説法――と申して、それぞれの備ったおん方は、ただお顔を見たばかりで、心も、身も、命も、信心がおこるのじゃと申されます。――わけて、御女体、それはもう、端麗微妙たんれいみみょうの御面相でなければあいなりません。――……てまいただ、力、力が、腕、腕がござりましょうか、いかがかと存じまするのみでして、は、はい。」
 樹島は、ただ一目散に停車場ステエションかけつけて、一いきに東京へげかえる覚悟をして言った。
「御新姐の似顔ならば本懐です。」――

 十二月半ばである。日短かな暮方に、寒い縁側の戸を引いて――震災後のたてつけのくるいのため、しまりがつかない――竹の心張棒を構おうとして、柱と戸の桟に、かッとめ、極めはずした不思議のはずみに、太い竹がしののようにびしゃっとしなって、右の手の指を二本うちみしゃいだ。腕が砕けたかと思った――気が遠くなったほどである。この前日、夫人像出来、道中安全、出荷という、はがきの通知をうけていた。
 のち二日目の午後、小包が届いたのである。お医師いしゃを煩わすほどでもなかった。が、繃帯ほうたいした手に、待ちこがれた包を解いた、真綿を幾重にも分けながら。
 両手にうけて捧げ参らす――罰当り……頬を、唇を、と思ったのが、おもてを合すと、仏師の若き妻の面でない――幼い時を、そのままに、夢にも忘れまじき、なき母の面影であった。
 樹島は、ハッと、真綿に据えたまま、蒼白あおくなって飛退とびしさった。そして、両手をついた。指はズキズキと身にこたえた。
 あらためて、心着くと、ああ、夫人の像の片手が、手首から裂けて、中指、薬指が細々と、白く、しべのように落ちていた。
 この御慈愛なかりせば、一昨日おととい片腕は折れたであろう。かれは胸に抱いて泣いたのである。
 なお仏師から手紙が添って――山妻云々とのおことば、あるいはおたわむれでなかったかも存ぜぬが、……しごとのあいだ、赤門寺のお上人が四五度もしばしば見えて、一定いちじょうそれになぞらえ候よう、御許様おんもとさまのお母様のおもかげを、おぼろげならず申伝えられましたるゆえ――とこの趣であった。
 ――樹島の事をここに記して――
 筆者は、無憂樹、峰茶屋心中、なお夫人堂など、両三度、摩耶夫人の御像みすがたを写そうとした。いままた繰返しながら、その面影の影らしい影をさえ、描き得ないつたなさを、恥じなければならない。
大正十三(一九二四)年七月





底本:「泉鏡花集成8」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年5月23日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第二十二卷」岩波書店
   1940(昭和15)年11月20日発行
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2008年10月23日作成
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