雪柳

泉鏡花





 小石川白山はくさんのあたりに家がある。小山弥作やさく氏、直槙ちょくしんは、筆者と同郷の出で、知人はかれ獅子屋ししやさんと渾名あだなした。誉過ほめすぎたのでもありません、軽く扱ったのでもありません。
 氏神の祭礼に、東京で各町内、侠勇きおい御神輿おみこしかつぐとおなじように、金沢は、ひさしを越すほどのほろに、笛太鼓三味線さみせん囃子はやしを入れて、獅子を大練りに練って出ます。その獅子頭に、古来いわれが多い。あの町の獅子が出れば青空も雨となる。※(「風にょう+(犬/(犬+犬))」、第4水準2-92-41)いっぴょうの風をく。その町の獅子は日和を直す。が、まけるものか荒びは激しい、血を見なければ納まらないと、それをほこりとし名誉として、由緒ある宝物になっている。こういうのは、いずれ名ある仏師、木彫の達人の手になつた[#「なつた」はママ]ものであろうと思う。従って、不断この仕事があるわけではないので、亜流の職人が手間取にこしらえる。一種、郷土玩具おみやげおもちゃの手頃な獅子があって、素材しらきづくりはもとより、漆黒で青い瞳、銀のきば、白い毛。朱丹にして、玉の瞳、金の牙、黒い毛。藍青らんせいにして、黒い牙、赤い毛。たけき、すさまじき、種々いろいろで、ちょいとした棚の置物、床飾り、小児こどももてあそぶのは勿論の事。父祖代々この職人の家から、直槙は志を立てて、年紀とし十五六の時上京した。
 彫刻家にして近代の巨匠、千駄木せんだぎの大師匠と呼ばれた、雲原明流氏の内弟子になり、いわゆるけずり小僧から仕込まれて、門下の逸材として世に知られるようになりました。――獅子屋というのはそうした訳で、人品もよし、腕もえた。この人物が、四十を過ぎて、まのあたり、艶異えんい妖変ようへんな事実にぶつかった――ちと安価な広告じみますが、お許しを願って、その、直話じきわをここに、記そうと思う。……
 ついては、さきだって、二つ三つ、お耳に入れておきたい話があります。


 以前、まだ、獅子屋さんの話をきかないうち、筆者わたしは山の手の夜店で、知った方は――笑って、ご存じ……大嫌だいきらいな犬が、人混ひとごみの中から、大鰻おおうなぎの化けたようなつら。……なに馬鹿を言え、犬の面がそんなものに似てたまるかと……御尤ごもっともでありますが、どうも時々そう見える。――その面が出はしまいかと気にしながら、古本古雑誌の前に踞込しゃがみこんで、おやすく買求めて来ましたのが、半紙つづり八十枚ばかりの写本、題して「近世怪談録」という。勿論江戸時代、寛政、明和の頃に、見もし聞きもした不思議な話を筆写したものでありますが、伝写がかさなっているらしく、草行まじりで、丁寧だけれども筆耕が辿々たどたどしい。第一、目録が目線であります。下総しもうさが下綱だったり、蓮花れんげよもぎの花だったり、鼻がになって、腹がえのきに見える。らりるれろはほとんど、ろろろろろで、そのまま焼酎火しょうちゅうびが燃えそうなのが、みな女筆だからおもしろい。
 中に、浅草だの、新吉原だの、女郎だのという字は、優しく柔かにしっとりと、間違いなくかいてある。どうも、このうつしものを手内職にした、その頃の、ごしんぞ、女房にょうぼ、娘。円髷まるまげか、島田か、割鹿子わりかのこ。……やつれた束ね髪ででもありましょうか、薄暗い行燈あんどんのもとに筆をとっている、ゆかしい、あわれな、わびしい姿が、何となく、なつかしく目に映る。何も、燈心の灯影は、夜と限ったわけではありません、しょぼしょぼ雨の柳の路地の窓際でもよし、夕顔のまばら垣に、蚊遣かやりが添っても構いはしない。……内職の仕事といえば、御殿や、おやしきでさえなければ、言わずともその情景はしのばれましょう。
 ところで、何しろ「怪談録」です。怨念おんねんの蛇がぬらぬらと出たり、魔界のちまたに旅人が※(「彳+淌のつくり」、第3水準1-84-33)※(「彳+羊」、第3水準1-84-32)さまよったり。……川柳にさえあるのです……(細首をつかんで遣手やりて蔵へ入れ)……そのかぼそい遊女の責殺された幻が裏階子うらばしごたたずんだり、火の車を引いて鬼が駆けたり、真夜中の戸障子が縁の方から、幾重いくえにも、おのずからスッといて、青い坊さんが入って来たりするのでありますから、がたがたがた、酒屋の小僧が台所の戸を開けても、ハッと思い、蚊遣の火も怪しく燃えれば、煙の末に鬼があらわれ、夕顔のしべもおはぐろでニタリと笑う。柳のしずくも青い尾をく。ふと行燈に蟷螂かまきりでも留ったとする……まなこをぎょろりと、頬被ほおかぶりで、血染のおのを。
「あれえ。」
 筆を持った白い手を、わななかせたに違いない。
 時に、白い[#「白い」は底本では「自い」]手といえば、「怪談録」目録の第一に、一、浅草川船中にて怪霊に逢う事、というのがある。
 当時の俳諧師、雪中庵の門人、四五輩。寛延年不詳としつまびらかならず、霜月のしかも晦日みそか枯野見かれのみからお定まりの吉原へ。引手茶屋で飲んだのが、明日あすは名におう堺町葺屋町ふきやちょうの顔見世、夜のうちから前景気のにぎわいを茶屋で見ようと、雅名を青楼へせず芝居に流した、どのみち、傘雨さんうさん(久保田氏)の選には入りそうもないのが、堀から舟で乗出した。もう十時よつを過ぎている、やがて十二時ここのつへさきが蔵前をさすあたり、漾蕩ようとうたる水の暗さにも、千鳥の声に、首尾の松が音ずれして、くらやみから姿をさしのべ、舟を抱くばかりに思うと、ぴたりと留って動かない。づかいをあせる船頭の様子も仔細しさいありげで、は深し、潮も満ちて不気味千万、いい合わせたように膝を揉合もみあい、やみをすかすと、心持、大きな片手で、首尾の松を拝んだような船の舳に、ぼっと、白いものがからんでいる。呼吸いきを詰めて見透すと、白い、ほっそりした、女の手ばかりが水の中から舳にすがっているのであります。「さながら白き布かと見えて、雪のごとし」と、写本には書いてある。うつくしい女の手が布に見えたのは、嘘ではないらしい。狂言の小舞のうたにも、
十六七はさおに掛けた細布、折取りゃいとし、手繰りよりゃいとし……
 肌さえ身さえ、手の縋った、いとしいのを。
「やあ、畜生。」
 このばけもの、といったか、河童かっぱ、といったか、記してないが、「いでその手ぶし切落さんと、若き人、脇指わきざし、」……は無法である。けだし首尾の松の下だけの英雄で、初めから、一人供をした幇間たいこもちが慌てて留めるのは知れている。なぜにその手を取って引上げて見なかったろう。もし枝葉に置く霜の影に透したらんに、細いかいなに袖からみ、乳乱れ、つま流れて、白脛しらはぎはその二片ふたひらの布をながれ掻絞かきしぼられていたかも知れない。
 船頭もまた臆病おくびょうすぎる。江戸児えどっこだろうに、おぼれた女とも、身投ともわきまえず、棒杭ぼうぐいのようにかたくなって、ただ、しい、しい、しずかにとばかり。おのおの青くなって、息を凝らすうちに――「かの白き手、舳をはなし、水中に消入りぬ。」……
 潮に乗って船は出た。
「が、しかし、水に溺れましたか、あるいは身投の婦人が苦しさのあまり、たすかりたさにとも申すような……」
 幇間ぼうさん、もう遅い。分別おくれに、船頭と相顧みて、「船中このあたりにては、かような不思議はままある事、後に聞くもの、驚かずという事なし、いかなるものやらん合点ゆかず、恐しかりける事なり。」である。
 が、ここを筆耕した、上品な、またおっとりと、ものやさしい、ご新造、娘には、恐しかりける事より、何となく、ものあわれに、悲しく、うら寂しく、心を打たれたろうと思う。
 あとは隅田のこがらしである。
 この次手に――
浅間山のふもとにて火車往来の事
 軽井沢へ避暑の真似をして、旅宿やどはらいにまごついたというのではない。後世ごせこそ大事なれと、上総かずさから六部に出た[#「出た」は底本では「出に」]老人が、善光寺へ参詣さんけいの途中、浅間山の麓に……といえば、まずその硫黄いおうにおい黒煙くろけぶりが想われる。……さて行悩んで、わびしげなる茶屋に立寄り休むうちに、亭主がいうには、去年、(享保年中)八月中ばの事――その日も、やがて八ツ下り。稗黍ひえきびの葉を吹く風もやや涼しく、熔岩とともにころがった南瓜かぼちゃの縁に、小休みの土地のもの二三人、焼土やけつちの通りみちを見ながら、飯盛めしもり彼女きゃつは、赤い襦袢じゅばんを新しく買った。こうがいを質に入れたなどと話していると、はるかに東のかたよりむら立つ雲もなく、虚空こくうを渡るがごとく、車の駆来る音して、しばらくの間に目前まのあたりへ近づいたのを見ると、あら、可恐おそろし、素裸すはだ荒漢あらおとこ、三人、車を宙にくごとし。真先まっさきに、布、紙を弁えずひるがえした、旗のおもてに、何と、武州、こおりの名、村の名、人の名――(ともにはばかると註してある)――歴々ありありと記したるが矢よりも早く飛過ぐる。火を揚げ煙を噴いた車の中に、炎のからんだように腰の布がくれないに裂けて、素裸すはだであろう、黒髪ばかりみののごとく乱れた、むくろをのせた、きしり、わだちとどろき、※(「石+角」、第3水準1-89-6)こうかくたる石径を舞上って、「あれあれ浅間山の煙の中へ火の尾をいて消えてそろよ、六部どの。われら世過ぎにせわしき身は、一夜の旅も、かてゆえに思うに任せず、廻国のついでに、おのずから、その武州何郡、何村に赴きたまわば、」事のよしをもいとむらいたまえと、舌をふるって語ったというのである。――嘘ばっかり。大小哥哥きみたち、宿場女郎の髪の香、肌ざわりなど大話をしていたればこそ、そんなものがあらわれた。猪か猿を取って、威勢よく飛んだか、早伝馬が駆出したか、不埒ふらちにして雲助どもが旅の女をさらったのかも分らない。はた車の輪のきしるや、秋の夕日に尾花をもやさないと誰が言おう――おかしな事は、人が問いもしないのに、道中、焼山越やけやまごえの人足である――たとえめなくても済むものを、虎の皮には弱ったと見えて、火の車を飛ばした三個みつの鬼が、腰に何やらん襤褸ぼろまとっていた、は窮している。……ただし窮してまで虎の皮代用の申訳をした、というので、浅間山の麓の茶屋の亭主は語り、六部の爺様じいさまは聞いて、世に伝えたのは事実らしい。


 これに続いて、
目白辺の屋敷猫を殺しむくいし事
下谷したや辺にて浪人居宅化霊けりょうありし事
三州岡崎宿にて旅人狒々ひひに逢う事
奥州にて旅人山にり琴のを尋ねる事
 題を見ただけでも、からから渡りものの飜案で、安価な上方かみがた版のお伽稗子とぎぞうしそのままなのが直ぐ知れる。
新吉原山口にて客幽霊を見し事
おなじく角町すみちょう海老屋えびやの女郎客の難に逢いし事
 二つとも、ものあわれなはなしだが、吉原の怪談といえば、おなじようなのがいくらもあります。
上野国こうずけのくに岡部の寺にて怪しき亡者の事
美濃国みののくにの百姓の女房大蛇おろちになる事
 どうも灰吹はいふきから異形になって立顕たちあらわれるのに、ふたをしたい、煙のようなのが多い。誰の気もおなじと見えて、ずらりと並べた目録の上に、いつかこの写本を見た読者の心をひいたらしく、ただ一つ題の上に、大きなテンをかけた一条がある。
○浅草新堀にて幽霊に行逢う事
 曰く、ここに武家、山本うじなにがし若かりし頃、兄の家に養わる、すなわち用なき部屋ずみの次男。五月雨さみだれのつれづれに、「どれ書見でも致そうか。」と気取った処で、袱紗ふくさで茶を運ぶ、ぼっとりものの腰元がなかったらしい。若い身空にふりみふらずみ、分けてその日は朝から降りつづく遣瀬やるせなさに、築地の家を出て、下谷辺の知辺しるべもとへ――どうも前に云った雪中庵の連中といい、とかく赤蜻蛉あかとんぼに似て北へすのは当今でいえば銀座浅草。むかしは吉原の全盛の色香に心を引かれたらしい。――三の輪の知人在宿にて、双方心易く、四方山よもやまの話に夜が更けた。あるじ泊りたまえと平にいう。いや夜あるきにはれている、雨も小留こやみに、月も少しあかければみちすがら五位鷺ごいさぎの声も一興、と孔雀くじゃくの尾の机にありなしは知らぬ事、時鳥ほととぎすといわぬが見つけものの才子が、提灯ちょうちんは借らず、下駄穿げたばきに傘を提げて、五月闇さつきやみの途すがら、洋杖ステッキとは違って、雨傘は、開いてしても、畳んで持っても、様子に何となく色気が添って、恋の道づれの影がさし、若い心をそそられて、一人ではもの足りない気がすると言う。道を土手へ切れかかった処に、時節がら次男、懐中の湿っぽさが察しられる。寂しくわが邸を志して、その浅草新堀の西福寺――震災後どうなったか判らない――寺の裏道、卵塔場の垣外へ来かかると、雨上りで、妙に墓原が薄明うすあかるいのに、前途ゆくてが暗い。樹立こだちともなく、むぐらくぐりに、晴れても傘は欲しかろう、草の葉のしずくにもしょんぼり濡々とした、せぎすな女が、櫛巻くしまきえり細く、うつむいたなりで、つまを端折りに青い蹴出けだしが、揺れる、と消えそうに、ちらちらと浮いて、跣足はだしで弱々と来てすれ違った。次男の才子は、何と思ったか傘を開いた。これは袖で抱込む代りの声のない初心うぶ挑合あしらいであったろう。……身にむ、もののあわれさに、我ながら袖も墨染となって、はすの葉に迎えようとしたと、あとに話した、というのは当にならぬ。血気な男が、かかる折から、おのずから猟奇と好色の慾念よくねんおどって、年の頃人の妻女か、素人ならば手でなさけを通わせようし、夜鷹よたかならば羽掻はがいをしめて抱こうとしたろう。
 おんなは影のように、ものの縞目しまめを、傘の下にすかして、つめたく行過ぎるとともに、暗く消えた。
 そのれ違った時、袖の縞の二条ふたすじばかりが傘を持った手に触れたのだったが、その手が悚然ぞっとするまで冷えとおる。……
 持ちかえて、そのまま傘を畳んで歩行あるき出すと、ものの一二町の間というのに、女の袖の触った片手――内々握ったかも知れないが――腕から肩の附根まで、その冷たさ氷のごとし。振ってみても、たたいてみても、しびれるほどで感じがない。……
 今も講談に流布する、怪談小夜衣草紙さよぎぬぞうし、同じ享保の頃だという。新吉原のまざりみせ旭丸屋あさひまるや裏階子うらばしごで、幇間たいこもち次郎庵じろあんが三つならんだ真中まんなかかわやで肝を消し、表大広間へ遁上にげのぼる、その階子の中段で、やせた遊女おいらんが崩れた島田で、うつむけにさめざめ泣いているのを、小夜衣の怨霊おんりょうとも心附かず、背中をなでると、次郎庵さん、と顔を上げて、冷たい手でじっと握った、持たれたその手が上と下に、ふわりふわり――幇間に尾花も変だ、※(「哽のつくり」の「一」に代えて「くさかんむり」、第4水準2-86-14)ずいきが招くように動いてまない。たちどころに半病人となって、住居すまいへ帰り、引被ひっかずいても潜っても、夜具の袖まで、ふわふわ動いて、押えてもめても、しきりに動く。学者は舞踏病の一種だと申されよう。日を経て、ふるえの留まらぬままに、一念発起して世を捨てた。土手の道哲の地内じないに、腰衣で土に坐り、カンカンと片手でかねを、たたき、たたき、なんまいだなんまいだなんまいだ、片手は上下うえしたに振っている。ああ、気の毒だと、あたりの知人しりびと、客筋、のきかえりの報謝に活きて、世を終った、手振坊主の次郎庵と、カチン(講釈師の木のうまい処)後にその名を残した、というのと、次男の才子の容体が、妙に似ている。
 が、この方は無事に助かった。細身の大小、まだ前髪立ともいうべき年ごろに、余りといえば手の冷えよう、築地まで帰るのが心もとなく、さいわい蔵前に姉の縁づいた邸があった。いうまでもなく義兄の住居すまい。真夜中にあわただしく門を敲いて驚かすと、「馬が一所か。」とも言わず、兄は快く一間に招じた。上品な姉の、寝乱れた姿も見せず、早くきちんと着かえて、出迎へたのも頼もしい。
 途中、五位鷺の声もきかず、ただ西福寺裏で行逢った、寂しく、あわれなおんなを聞くと、兄は深くうなずいた。が、まずいうがままにいたされよ、で、ご新姐しんぞに意を得させ、なべをもって酒を煮た。下戸げこは知ったが、唯一の良薬と、沸燗にえかんの茶碗酒。えい、ほうと四辺あたりを払った大名のみ
 ――聞いただけでも邪気が払える。あとをなお沸立にたった酒で、幾度いくたびもその冷込んだ手を洗わせ、やがて、ご新姐の手ずから、絹衾きぬぶすまを深々とかぶせられると、心も宙に浮いて、やすらかにぐっすり寝た。目がさめると、雨は降っていたが気は晴々となった、と言います。三田の豪傑だと、片腕頂戴するところ、この武家の少年は、浅草で片手を氷にしようとした、いささかも武勇めかないだけに、読んでいても、これは事実だと思われる。
 ここにもう一条「怪談録」から大意を筆記したい事がある。
大森辺魔道の事
 明和三年弥生やよいなかば――これは首尾の松の霜、浅間の残暑、新堀の五月雨などとは事かわって、至極陽気がいい。川崎の大師へ参詣かたがた……は勿体ないが、野掛のがけとして河原で一杯、茶飯と出ようと、四谷よつや辺の大工左官など五六人。芝、品川の海の景色、のびのびと、足にまかせて大森の宿中しゅくなかまでくと、街道をひいて通るのではない、馬五郎、という大工が、このあたりに縁類の久しい不沙汰をしたのがあり、ちょっと顔出して行きたし、お前さん方は一足お先へ。「おう、そうか、久しぶりと聞けば、前方さきでもすぐには返すまいし、戸口からも帰られまい、ゆっくりなせえ、並木の茶店で小休みをしながら待とうよ。」で、馬五郎がその縁類を訪れた。ここの辞儀挨拶は用がないから省略する。どれ、連中におっつこうと、宿はずれへ急ぐと、長閑のどかな霞のきれ間とも思われる、軽く人足ひとあしの途絶えた真昼の並木の松蔭に、容子ようすい年増が一人、かたちいやしからぬのが、待構えたように立っていて、
「もし、もし。」
 女主人あるじが是非お目にかかりたく、それゆえお迎えに参りました、と言う。
「へへえ、奥様がね。へい、はてな?」
 お逢い遊ばせばわかる事、お手間は取らせませぬ、と手がのびてたもとかれると春風今を駘蕩たけなわに、わらび独活うどの香に酔ったほど、馬は、うかうかと歩行あるき出したが、横畷よこなわて少しばかり入ると、真向うに樹立こだち深く、住静すみしずめた見事な門構もんがまえの屋敷が見える。掃清めたその門内へ導くと、ちょっとこれに、唯今ただいまご案内。で、おんなは奥深く切戸口と思うのへ小走こばしりに姿を消した。式台のかかり、壁の色、結構、綺麗さ。花の影、松風の中に一人立つ大工の目を驚かして、およそ数寄すきを凝らした大名の下屋敷にも、かばかりの普請はなかろう。折から鶏の声の遠く聞えるのが一入ひとしお里離れた思いがする……時しもの内遠い処に、何となく水の音……いや湯殿で加減を見るような気配がした。いかにとぼんとした馬なればといって、広い邸の門内の素真中すまんなかには立っていない。片傍かたわきに、家来衆、めしつかわれるものの住むらしい小造りな別棟、格子づくりのうちがあって、出窓に、小瓶に、山吹の花の挿したのがのぞかれる。ふとその窓があくと、島田まげの若い女の、まるい顔が、馬を見ると、はッとした様子で、
「あれ、親方さん。」
「ええ。」
「どうして、こんな処へ。ここをどこだとお思いなさいます。――畜生道、魔界だことを、ご存じないのでございますか。」
「やあ。」
「人間のもとの身では帰られませんよ、どんな事がありましても、ここで何かめしあがったり、それからお湯へ入ってはいけません。こういううちにも、早く、早くおげなさいまし、お遁げなさいまし。」
「やあ、お前さんは。」
「三年あとに、お宅に飼われました、こまですよ、駒……猫ですよ。」
 ばったり、出窓の障子が上敷居うわじきいから落ちて閉った時、以前の年増がもう目の前。
「お待たせいたしました。さあさあどうぞ。」
「へい、いえ、その。……」
「さあ。」
「へい、いえ、その。」
「さあ、まあ、どうなすったんでございますねえ。」
 すごい。じっと見た目が袂を引いたより力が強い。見す見す魔界と知りながら、年増の手には是非もない。馬は、ふらふらとなって切戸口から引入れられると、もう奥庭で、階段のついた高縁の、そこが書院で、向ったふすまがするすると左右へ開くと、下げ髪にして裲襠うちかけさばいた、年三十ばかりの奥方らしいのに、腰元大勢、ずらりとついて、
「待ちかねました。よう、見えたの。」
 と莞爾にっこり
 その裲襠、帯、小袖のあやにしき。腰元のよそおいの、藤、つつじ、あやめと咲きかさなった中に、きらきらと玉虫の、金高蒔絵きんだかまきえ膳椀ぜんわんが透いて、緞子どんす※(「ころもへん+因」、第4水準2-88-18)しとね大揚羽おおあげはの蝶のように対に並んだ。
草鞋わらじをおぬぎになるより、さきへ一風呂。」
「さっぱりと、おしめしあそばせ。」
 腰元のもろ声を聞くと、頭から、風呂おけ引被ひっかぶせられたように動顛どうてんして、わきについた年増を突飛ばすがはやいか――入る時は魂が宙に浮いて、こんなものは知らなかった――池にかかった石だたみ、目金橋へ飛上る拍子に、すってんころりと、とんぼう返り、むく起きの頭を投飛ばされたように、木戸口から駆出すと、
にがすなよ。」
 という声がする。
「追え、追え。」
娑婆しゃばへ出た。」
 と口々に、式台へ、ぱらぱらと女たち。
 門そとへ足がのびた。
「手桶では持重りがして手間を取る、椀、椀、椀。」
 といった……ここは書きとりにくい。魔界の猫邸であるのに、犬の声に聞えます。が、白脛しらはぎか、前脚か、緋縮緬ひぢりめんて、高飛びに追かけたお転婆な若いのが、
「のばした、叶わぬ。」
 と、その椀を、うしろから投げつけたのが、くう足掻あがく馬のかかとに当ると、生ぬるい水がざぶりとかかった。
 生命拾いのちびろいを、いや、人間びろいをしたのであるが、家に帰って、草鞋わらじを脱ぎ、足を洗う時心づくと、いやな気味の水のかかった処に、もさもさ黒い毛が生えていた。剃っても削っても、一夜のうちにいてのびる。……のみならず、当分は、
「椀。」
 と一言ひとこというさえ、口をふさいで、顔の色を変えた。「不思議にも浅間しく人々にも見せ申したり。馬五郎に心安ければのあたりこれを見る。なかなか浮きたる事にはあらず。」というのであります。
 浮きたる事にも、飛んだる事にも、馬を鹿に、というさえあるに、猫にしようとした……魔魅の振舞も沙汰過ぎる。聞くからに荒唐無稽こうとうむけいである。第一、浅学寡聞かぶんの筆者が、講談、俗話の、佐賀、有馬の化猫は別として、ほとんど馬五郎談と同工異曲なのがちょっと思い出しても二三種あります。肥後国ひごのくに阿蘇あその連峰猫嶽ねこだけは特に人も知って、野州にも一つあり、遠く能登のとの奥深い処にもある、とおもう。しかるに前述、獅子屋さん直槙の体験談を聞くうちに、次第に何となく、この話に、目鼻がつき、手足が生えて、けものか、鳥か、稀有けうな形で、まざまざと動き出しそうになって来た。
 と云って、いかにすればとて、現代に化猫は出はしません。それは話につれて、自然おわかりになりましょう。就いては場所――場所は麻布あざぶ――狸穴まみあなではなく――二の橋あたり、十番に近い洒落しゃれた処ゆえ、お取次をする前に、様子を見ようと、この不精ものが、一度その辺へ出向いた、とお思い下さい。


「ああ、久しぶりだ。」
 電車を下りて、筆者は二の橋に一息した。
 橋もかわった。そのはずの事で、水上みなかみ滝太郎さんが白金しろかねの本宅に居た時分通ったと思うばかり、十五六年いや二十年もっとになる。秋のたそがれを思い出す。三田台の坂も今と違って、路は暗し、水は寂しい。橋板は破れ、欄干は朽ちて、うろぬけて、夜は狸穴から出て来て渡るものがありそうで、流れにしがらんだ真黒まっくろな棒杭が、口を開けて、落葉を吸った。――これ、まだ化けては不可いけない――今は真昼間まっぴるまだ。見れば川幅も広くなり、鉄橋にかわって、上の寺の樹蔭こかげも浅い。坂をあがった右手に心覚えの古樫ふるがしも枝が透いた。しゃがんで休むのは身は楽だけれども、憩うにも、人を待つにも、形が見っともない、と別嬪べっぴん朋友ともだちに、むかし叱られた覚えがある。そこで欄干にもたれかかって煙草たばこを――つい橋袂はしだもとに酒場もあるのに、この殊勝な心掛をはね散らして、自動車が続けさまに、駆通る。
 解った。いやしくも大東京市内においては、橋の上で煙草をむ時世ではないのである、と云うのも、年を取ると、口惜くやしいが愚痴に聞える。
 ふけた事をいって、まず遊ばない算段をしながら、川添の電車道を、向う斜めのおつな横町へ入ってく。……
 いきなり曲角の看板に、三業組合と云うのが出ている。路地の両側の軒ごとに、一業二業、三業の軒燈が押合って、灯は入らないでも、カンカン帽子の素通りは四角八面に照らされる。中にも真円まんまる磨硝子すりがらすのなどは、目金をかけたふくろうで、この斑入ふいりの烏め、と紺絣こんがすり単衣ひとえあざけるように思われる。
 立込んだ家つづきだから、あっちこち、二階の欄干に、あかい裏がひるがえり、水紅色ときいろを扱った、ほしものはかかっていても、陰がこもって湿っぽい、と云ううちにも、掻巻かいまきの袖には枕が包まれ、布団の綴糸つづりいとに、待人の紙綟こよりが結ばっていそうだし、取残したすだれの目から鬢櫛びんぐしが落ちて来そうで、どうやらみどりとばりくれないしとねを、無断で通り抜ける気がして肩身が細い。
 のぞきはしないが、小窓、※(「木+靈」、第3水準1-86-29)れんじに透いて見える、庭背戸には、萩の植込、おしろいの花。屋根越の柳の青い二階も見えた。あれは何の謎だろう。矢羽の窓かくしの前に、足袋がずらりと干してある。都鳥と片帆の玩具おもちゃつとに挿した形だ、とうっとり見上げる足許あしもとに、蝦蟇ひきがえるが喰附きそうな仙人掌サボテン兀突こつとつとした鉢植に驚くあとから、続いて棕櫚しゅろの軒下にそびえたのは、毛の中から猿が覗きそうでいながら、却ってさまようものをしばらくたたずませ、憩わせる蔭を見せた。その仙人掌に下駄をつまだて、棕櫚に帽子をうつむけなどして、横に曲り縦に通ると、一軒、表二階の欄干を小さなかえでに半ば覗かせて、引込ひっこんだ敷石に、いま打った水らしい、流れるばかりしずくただよ網代戸あじろどを左右に開いた、つい道端の戸口に、色白な娘が一人、芸妓げいしゃ住居すまいでないから娘だろう。それとも年のわかいかみさんだろうか。――
(――かみさんだと、あとの直槙の話にそのままだが、あつらえ通りそうはゆくまい。――)
 女中に職すぎるのが、こごんで、両膝で胸をおさえた。お端折はしょり下の水紅色に、絞りで千鳥を抜いたのが、ちらちらと打水に影を映した。乱れた姿で、中形青海波せいがいはの浴衣の腕を露呈あらわに、片手に黒いかめいだき、装塩もりじおをしながら、つまんだなりを、抜いて持った銀のかんざしの脚で、じゃらすように平直ならしていた。
 流行の小唄端唄はうたなど、浄瑠璃じょうるりとは趣かわって、夢にきいた俗人の本歌のような風情がある。
 荒唐無稽だの、何だのというものの「大森辺魔道の事」人はこんな時に、この物語を思い出すのが、身のためだろう。
 その黒い瓶を取って投げられたら。……
 筆者は足早に立退たちのいた。
 出抜けると丘が向うに、くっきりと樹が黒い。山下町はこの辺らしい。震災に焼けはしなかった土地と思うが、往来ゆききもあわただしく、落着きのない店屋が並んで、湿地しけちか、大溝おおどぶを埋めたかと見え、ぼくぼくと板を踏んで渡る処が多い。
 ここへ来たのは、もう一ヶ処、見て戻りたい場所があったからで。……足場のよくない、上り道だが、すぐ近くに、造作なく、遠い心覚えの、見当がついた。
 ――一本松と、そこの一基の燈籠とうろうである――
 おなじ一本松という――名所が、故郷なる金沢、卯辰山うたつやまの山のにあって、霞をまとい、霧を吸い、月影に姿を開き、雨夜あまよのやみにもともし一つ、百万石の昔より、往来ゆききの旅人に袖をあげさせ、手をかざさせたものだった、が、今はない。……
 浮浪の徒の春の夜の焚火たきびに焼けて、夜もすがら炬火たいまつみなぎらせ、あくる日二時頃まで煙を揚げたのを、筆者は十四五の時、のあたり知っている。草の中に切株ばかり朽ちて残った。が、年々春もたけなわになると、おなじ姿の陽炎かげろうが立つといいます。むかし享保頃、ここに若い人の、きれいな心中があって、地方の事で数の少い、また多くてはならないが、もののあわれのいいつたえを、幼い耳にも伝えられたものだった。
 麻布の松は、くらがりざかの上にかくれて、まだ見えない。道の右手に、寺の石磴いしだんがすっくと高い。心なしか、この磴が金沢の松のあがり口にそっくり似ている。(ここを、直槙があがった事はやがて知れます。)
 また上り坂なりの石磴だから、いよいよそびえて、階子はしごななめに立てたようである。下に、道端の高い空地で、草の中に子供が大勢遊んでいるのも、卯辰山のそのふもとを思い出させた。
「一本松の先に、ちょっとここを上って見よう。」
 ふるさとも可懐なつかしい、わずかに洋杖ステッキをつくかつかぬに、石磴の真上から、鰻が化けたか、仙人掌サボテンが転んだか、棕櫚しゅろが飛んだか、もののたくましい大きな犬が逆落しに(ううう、わん、わんわん!)
 そりゃこそ出たわ、おびえまいか、大工の馬五郎ならざるものも、わッと笑う子供の声も早鐘のごとく胸を打って、横なぐれに、あれは狸坂と聞く、坂の中へ、狸のような色になって、紺飛白こんがすりが飛込んだ。
 そのまま突落されたように出た処は、さいわい畜生道でも魔界でもない。にぎやかなあかるい通りで、血腥ちなまぐさいかわりに、おでんの香がぷんとした。もう一軒、すしの酢が鼻をついた。真中まんなかに鳥居がある。神の名はみだりに記すまい……神社の前で、冷たい汗の帽子を脱いだ。
 自動車が来たので、かけ合った、安い値も、そのままに六本木。やがて、赤坂檜町ひのきちょうへ入って、溜池ためいけへ出た。道筋はこうなるらしい。……清水谷公園を一廻りに大通を過ぎて番町へ帰ったが、ほっとして、浴衣に着換えて、足袋を脱ぐ時、ちょっと肩をすくめて、まずかかと、それから、向脛むこうずねを見て苦笑したのは、我ながらとぼけている。
 けれども、直槙の事は、真面目にお聞きを願う。お聞きになると、あんまり呆けていないのにお心附きになろうかと思う。……
 さて、以下、直槙から聞いた話を、そのままお伝えするのである。


 二人対坐で、酌人はわざと居なかった。獅子屋さんはさかずきをちょっと控えた。
「――雪の、……雪の家というその待合です――
(今日は、ご免下さい。)
 あなた方はそうした格子戸を開けて、何といって声をお掛けになりましょうかしら……おかしな口のきき方です、五月雨時つゆどきの午後四時ごろ、初夏はつなつ真昼間まっぴるまだから、なおおかしい。
 土間わきの壁を抜いて、御神燈といいますか、かき入れなしの磨硝子すりがらすに、鉢から朝顔の葉をあしらって夕顔に見せた処が、少々歪曲ゆがんでせたから、胡瓜きゅうりに見えます、胡瓜に並んで、野郎が南瓜かぼちゃで……ははは。
 処へ、すぐ取次に出た女中が……間に合せの小女こおんな。それに向い、改って、
(小石川白山の小山と申すものですが。)
 ……どうもおかしい。ここへ来るのに、私は、ご存じと思います、二の橋のたもとで自動車を下りましたが、三業組合の横町へ、一文字に入れそうもありません。また入れるにした処で、ちと大袈裟おおげさで、近所騒がせだと思いました。
 運転手が深切に、まごつくと不可いけません。先方は、と聞いて、一つ探険をして参りましょう。探険もまたおかしい。……実は、自宅玄関へ出た私ども家内が、「先途さきは麻布の色町ですよ、」とこの運転手に聞かせたからですが。――「行っていらっしゃい。」家内見送りでもって、昼間の待合ゆきは余り数を覚えません。勝手が違ったので、一枚着換えたやつが、しからばともいわず、うっかり、帽子の茶系統どころを、ひょいと、脱いで、駆出したのがすでにおかしいのでございました。
 そこで、
当屋こちらに、間淵まぶちさんのお妹ごはおいでになるかね。)
 淵が瀬にしろ、ながれにしろ、そのお妹ご、とお聞きになると、何となく色気があります。ところがどうして、胡麻塩ごましおの三分刈、私より八つばかりも年上のばあさんだから、お察しを願いたい。
 ――五日以前、暮方です。膳に向った、電燈をけようという処へ、電話がかかって、家内が取次に出て、……「小山でございます、はい、あなたは、はあ、雪の家さん。」どうも雪の家という響き、何、響くほどの広さじゃない。あの手狭ですから、直ぐそこに、馬鹿な……受話器に向ったものの顔も白いように聞えて優しい名だな、と思いますと、はいはい、と受けていましたっけ。
 ――おわすれかも知れません、二十四五年前に、お目に、かかったきりですが、間淵の妹です。間淵は昨年なくなりました。けれど自分で一度お目にかかりたいと思いながら、ついうかがいそびれておりましたところ、このごろ、そちこち、新聞などで、名前を、写真を、見受けますし、ところも分りましたからちょっとお目にかかりたい。「そういって……二の橋の、きこえたでしょう、おつな名の待合から。」笑いながら、「大分、婆さんの声、お菜と一緒に、お生憎あいにく。」……「分った、分った、断ってもらおう。」「いいんですか。」「勿論、久しく煩いましても可厭いや言種いいぐさだが、とにかくだ、寝ているからおいで下すっても失礼します、いずれそのうち、ご挨拶だ。」……
 ――あとで、――おだいじにまた折を見ましてで電話を切りましたが、誰方どなた? といって、家内が聞きます。
 その時話した事ですが、さあ、もう十四五年も前だったろう。……馳走酒ちそうざけのひどいのをしたたか飲まされ、こいつはいきがいいと強いられた、黄肌鮪きはだの刺身にやられたと見えて、うちへ帰ってから煩った、思い懸けず……それがまた十何年ぶりかで、ふと出会ったふる知己ちかづきで、つい近所だから、と裏長屋へ連込まれた……間淵がそれだ。――いやそれなんです――
 足の短い、胴づまりで肥った漢子おとこの、みじめなのが抜衣紋ぬきえもんになって、路地口の肴屋さかなやで、自分の見立てで、そのまぐろを刺身に、とあつらえ、塩鮭の切身を竹の皮でぶら下げてくれた厚情こころざしあだにしては済まないが、ひどい目に逢ったのを覚えているだろう。これが間淵。その漢子の妹だよ、いま電話のかかったのは――と家内に。
 が、妹には、逢ったというより見た事があるかないか、それさえよく覚えていない。――思い出せば、その酒と鮪の最中、いや、なだの生一本を樽からでなくっちゃ飲めない、といったひと時代もあったが、事、志と違って、当分かくの通り逼迫ひっぱくだ。が、何の、これでは済まさない、一つ風並かざなみが直りさえすれば、大連だいれんか、上海シャンハイか、香港ホンコン新嘉坡シンガポールあたりへ大船で一艘いっぱい、積出すつもりだ、と五十を越したろう、間淵が言います。この「大船で一艘積出す、」というのが若い時からその男の癖だった。話の中に、一人娘は、七八ツの時から、赤坂の芸妓家げいしゃやへ預けてある、といったのも、そういえば記憶おぼえがある。
 ――亡くなった、という電話だが、あとさきの様子から待合に縁がありそうに思われる。
 その節、取りまぎれて、折返しとは行かなかったけれども、二月とはおかず、間淵の侘住居わびずまいを訪ねたが、もうどこかへ引越しした。行くさきさえ、その辺で聞いても分らなかった、という始末なのですから。
(電話は聞きながしにしておこう。)
(義理の悪いことはないんですか。)
(言うにゃ及ぶべき。)
 晩酌で、陶然として、そのまま肱枕ひじまくらでうたたねという、のんきさではありません。急ぎの仕事に少し疲れていた時であったのです。
 ところがどうです、その翌日、まだ朝のうち、玄関で早口に饒舌しゃべっている女の声がして、すぐに取次のいうのを聞くと、年をとっては気ぜわしい、こらえ情がなくなって訪ねて来た。しかじかの口上。起きられぬほどの容体でなければちょっと逢いたい、と昨夜ゆうべ今朝けさで、その間淵の妹が追掛けてやって来ました。
 不精から、面倒くさいというばかり、逢って差支えはちっともないのです、それに白山。――麻布からは大抵の苦労じゃない、勿論断る法はありません。玄関さきの座敷へ通させ、仕事場の小刀をおいて出て逢いました。
(ああ、ああ、さてお久しいことやぞや、お懐しい。)
 申してはおごりの沙汰だが、「ことやぞや」ではお懐しいがられたくない、ところへ、六十近いお婆さんだから、懐しさぶりを露骨むきだしに、火鉢を押して乗出した膝が、※(「ころもへん+責」、第3水準1-91-87)ひだよれの黒袴くろばかまつむぎだか、何だか、地紋のある焦茶の被布を着て、その胡麻塩ごましおです。眉毛のもじゃもじゃも是非に及ばぬとして、鼻の下に薄髭うすひげが生えて、四五本スクとねたのが、見透みすかされる。――この性格、何とお思いなさいます。」
(――と話した時、小山直槙は眉をひそめたのであった――)
「……余儀ない次第と申そうか、了見違いと申そうか、やがて、真夜中にこの婆さんを見なければならない羽目に立到りました時は、この面相にして、白を着て、黒い被布です、あかい袴を穿いていたのだから、その不気味さをお察し下さい。
 その朝だって、家内が挨拶に出ようというのを、私が差留めたほどでした。
(まことにしばらく、……お珍らしい。)
 と、時に、挨拶をするのも上の空で、人様の顔を失礼だが、うっかり見まもっているうちに、吃驚びっくりするように、思い出したのは、私が東京へ出ました当時「魔道伝書」と云う、変怪至極な本の挿画さしえにあった老婆の容体で、それに何となくそのままなんです。
 ――「魔道伝書」ようございますか、勿論、板本でなし、例の貸本屋を転々する写本でなく、実にこの婆さんの兄の間淵が秘蔵した、半紙を部厚に横綴よことじの帳面仕立で。……都合があって、私と二人で自炊じすいをして、古襦袢ふるじゅばん、ぼろまでを脱ぎ、木綿の帯を半分に裂いて屑屋くずやに売って、ぽんぽち米を一升炊きした、その時分はそれほど懇意だったのですが。――また大食いな男で、一升一かたけぺろりのいきおい。机を売り、火鉢、火箸ひばしから灰を売食といった時でも、その「伝書」は手離さなかった。もっとも渋をいた厚紙で嵌込はめこみおおいがあって、それには題して「入船いりふね帳」。紙帳も蚊帳もありますか、煎餅蒲団せんべいぶとんを二人で引張ひっぱりながら、むかし雲助の昼三話。――学資を十分に取って、吉原で派手をした、またそれがための没落ですが、従って家郷奥能登の田野の豊熟みのり、海山の幸を話すにも、その「入船帳」だけは見せなかった。もうその頃から、「大船を一艘いっぱい」が口癖で、ただし時世だけに視野が狭い。……香港、新嘉坡といわないで、台湾、旅順へ積出すと言います……そこいらの胸算用――計画のおぼえだ、と思うから、見る気の起るはずもありません。
 間淵は、名さえ洞斎とうさいといいました。うちは祖父の代から医師なのを、洞斎本人は法津が目的で、勉強をするのは、能登では間に合わない。おなじ県でも金沢だけにありました専門学校へ通うのに、私のうちを宿にした。――まかないつき間貸ととなえる、余り嬉しくもない、すなわちあれです。私との縁はそれなんです。
 やがて、間淵が東京へ出て、三年目かに、私も……申すはお恥しい、今もこの通りですが、志を立てて上京した。とっかかり草鞋わらじを脱いだのが、本郷元町もとまちにあった間淵の下宿で、「やあ、よく来たね、」は嬉しいけれども、旅にして人のなさけを知る、となると、どうしてもわびしい片山家かたやまがの木賃宿。いや、下宿の三階建のかまえだったのですが、頼む木蔭に冬空の雨が漏って、洋燈ランプの笠さえ破れている。ほやの亀裂ひびを紙で繕って、崩れた壁より、もの寂しい。……第一石油の底の方によどんでいる。……そうでしょう、下宿料が月の九つ以上もとどこおった処だから、みじめな女郎買じゃないけれども、油さしも来やしない。旅費のつかい残りで、すぐに石油を買う体裁ていたらく、なけなしの内金で、その夜は珍らしくさかなを見せた、というのが、苦渋いなまり節、一欠片ひとかけら。大根おろしも薄黒い。
 が、「今に見たまえ、明日にも大船で一艘台湾へ乗出すよ。」で、すぐにその晩、近所の寄席の色ものへ連出して、中入の茶を飲んで、切端きれっぱし反古ほごへ駄菓子をつまんで、これが目金だ、万世橋を覚えたまえ、求肥ぎゅうひ製だ、田舎の祭に飴屋が売ってるのとはたちが違う、江戸伝来の本場ものだ。黒くて筋の入ったのは阿蘭陀煉おらんだねり、一名筏羊羹いかだようかん。おこしを食うのに、ばりばり音を立てなさんな、新造に嫌われる、と世話を焼いて、帰途かえりが、屋台の牛めしです。寝床で話しながららかそう、と精進揚を買って帰る。易くて腹にたまっていいと云ううちにも、油ものの好きな男で。
 ――ですから、のちに、私がその「魔道伝書」のすき見をした時も炬燵櫓こたつやぐら……(下へ行火あんかを入れます)兼帯の机の上に、揚ものの竹の皮包みが転がっていました――
 そういった趣で、う事は、豆大福から、すしだ、蕎麦そばだ。天どんなぞはおごりの沙汰で、辻売のすいとん、どうまた悟りを開いたか、茶めし、あんかけ、麦とろに到るまで、食いながら、つまみながら、その色もの、また講釈、芝居の立見。早手廻しに、もうその年のとりの市を連れて歩行あるいた。従って、旅費の残りどころか、国を出る時、祖母としよりが襟にくけ込んだ分までほぐす、羽織も着ものも、脱ぐわぐわで、暮には下宿を逐電ちくでんです。行処ゆきどころがないかと思うと、その頃の東京は、どんな隅にも巣がありました。裏長屋の九尺二間へ転げ込むのですが、なりふりはすすはきの手伝といった如法の両人でも、間淵洞斎がまた声の尻上りなのさえ歯切れよく聞える弁舌さわやかで、しかも二十はたち前に総持寺へ参禅した、という度胸胡坐あぐらで、人を食っているのですから、かつ、衣類調度のたぐい黄金きんの茶釜、蒔絵まきえたらいなどは、おッつけ故郷くにから女房が、大船で一艘いっぱい、両国橋に積込むと、こんな時は、安房上総あわかずさの住人になって饒舌しゃべるから、気のいい差配は、七輪やなべなんぞ、当分は貸したものです。
 徒士町おかちまちの路地裏に居ました時で。……京では堂宮の絵馬を見ても一日暮せるという話を聞きます。下谷のあの辺には古道具屋が多いので、私は希望のぞみが希望だったから、二長町にちょうまちや柳盛座の芝居の看板の前には立ちません、若い時だから寒さには強い。ぶらぶら何を見て歩行あるいていたかは、ご想像に任せますが、空腹すきばらの目をくぼまして長屋へ帰ると、二時すぎ。間淵は見えないで、その煎餅蒲団のかかった机の上に、入船帳のおおいを抜けて、横綴の表紙が前申した、「魔道伝書」、題ばかりでも、黙って見たままで居られますか。いきなり開けた処に、変な、可訝おかしな、絵があったのです。
 若い、優しい女が裸体、いや、裸体じゃないが、縁の柱に縛られた、それまでのかよわい抵抗、悩乱が思われる。帯も扱帯しごきもずり落ちて、まつわったすそも糸のようにからんだばかり。腹部を長くふっくりと、襟のすべった、柔かい両の肩、その白さ滑かさというものは、古ぼけた紙に、ふわりと浮く。……
 が、もう断念あきらめたのか、半ば気を失ったのか、いささかも焦躁苦悶しょうそうくもんの面影がない。弱々と肩にもたせた、美しい鼻筋を。……口をかすかに白歯を見せて、目を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みひらいたまま恍惚うっとりしている。
 それを、上目づかいのあごで下から睨上ねめあげ、薄笑うすわらいをしている老婆ばばあがある、家造やづくりが茅葺かやぶきですから、勿論、遣手やりてが責めるのではない、しゅうとしえたげるのでもない。安達ヶ原でないしるしには、出刃も焼火箸やけひばしも持っていない、渋団扇しぶうちわで松葉をいぶしていません。ただ黒いかめを一具、尻からげで坐った腰巻に引きつけて、竹箆たけべら真黒まっくろな液体らしいものを練取っているのですが、粘々ねばねばとして見える。
 老婆ばばあ白髪しらがの上の処に、
(ようゆうばば術を施すのところ)
 おかしな口調です――(術を施すのところ)老婆ばばあはたちまち見て取った。絵も覿面てきめんだから解りました。が、その(ようゆう)が分りません、かなで書いただけで、それは三十年余りもった、いまにおいてどういう意味だかわかりません。が……さて続いた絵なんです、もっとも、めくるとすぐに細かい字で、ぎっしり二三枚かき込んでありましたけれども、川柳にもありましょう、うまい事をいった、(読本よみほんは絵のとこが出て子に取られ)少年はきれいなおんなの容易ならない身の上が案じられますから、あとを性急せっかちに開ける、とどうです。
 立った乱れ姿で縛られたのが、今度は崩れたように腰をついて、膝を折りかがめに、片足を、ぐったりと、濡縁に髪を流し、白く蹴出した、その一本のふくらはぎの膝から下に、むくむくと犬だか猫だか浅間しい毛が生えて、まだ女のままの指尖ゆびさきけもの鰭爪ひづめかがまって縮んでいる。
 ――(ようゆう)ですね、老婆ばばあは、今度は竹箆を口にくわえて、片手で瓶のふたおさえ、片手で「封」という紙きれを、蓋の合せ目へしながら、ニヤリとしている。
 その、老婆ばばあに、形も面も、どことなくているのですよ。唯今お話をしました、――二の橋の待合から電話を掛け、当分病気だといって断ったのに、すぐに翌日、白山の私宅へ来た。――
「――お懐しい。」と袴の膝を不遠慮に突きつけた、被布で胡麻塩の間淵の妹。

 ちょっとお待ち下さい。
「うう、うううう、おお、おお、苦しい。」
 だしぬけに目の前のかわやで、うめく声がすると、ばったり戸を開けて出たのが間淵で、――こんがらかると不可いけません。――兄洞斎です。
 私がその魔道伝書をのぞいているのを見ると、
「や、いつ帰った。」
 というが早いか、引手繰ひったくるや否や、ふとっているから、はだかった胸へわきの下まで突込つっこんだ、もじゃもじゃした胸毛も、腋毛わきげも、うつくしい、なさけない、浅間しい、可哀相かわいそうおんなみくたにして、捻込ねじこんだように見えて、毛の生えた方も、白い方も、そのまままぶたにちらついて、覚えています。私は、ぱちぱちとまたたきした。
「飛んでもない、こりゃ見せるもんじゃない、いや、見るもんじゃない。第一若いものが見ては大変だ……」
 ひどく腹が痛んで、私の帰ったのが夢中で分らなかったから、うっかりした折からだそうで。……渋豌豆しぶえんどうの堅いやつを、自分で持って行って、無理に頼んで、うどん粉をこってりと、揚物にさしたという、それにてられたんです。
 なかなか、絵も二枚や三枚じゃない、ずッしり分厚に綴込つづりこんだ一冊で、どんな事が書いてあるか知れません。冒険的にも見たかったのでありますが、牛若ほどの器量がないから、魔道妖異の三略には、それきり、手を触れる事が出来なかった。


「なあ、それにしても、ほんにほんに久しいものやて、にい……」
 さて、袴を穿いた婆さんはいうのです。巻莨まきたばこを吹かしますが、取出すのが、持頃の呉絽ごろらしい信玄袋で、どうも色合といい、こいつが黒いかめに見えてならなかった。……
「あの時分」……
 自分で尼、尼という、襟に大形の輪数珠も掛けていましたが、容体が巫女みこにも似て、両部も三部も合体らしい。……「尼ども、両親はとうになくなって、もともと身上しんしょうの足りぬ処を、洞斎兄の学資といえば、姉の嫁、わしにはあによめじゃにい、その里方から末を見込んで貢いでおった処を、あの始末で、里をはじめ、親類もあいそを尽かせば、あね断念あきらめた。それやで、に、嫂の里へ引取って養うてくれておった尼を連れて、東京へ、徒士町の長屋へ出向いたというものは、嫂は縁切り、尼はまたこの広い世界へ棄てられた。島流し同様のものやったが、にい――
 人間のわびしい住居すまいというより、何やら、むさくるしい巣のようななかから、あんたは、小僧に――」
 そうです。千駄木の師匠、雲原明流氏の内へ、縁あって弟子小僧に住込みました。
 これは申すまでもありません。
「洞斎の兄の身にして見ればじゃ、にい、この妹をつれて、女房が上京するといえばや、当分だけなと、くらしをつける銭金の用意をしていて、一緒に世帯をするものと思うたのが、そのしだら魂胆や。つら当にも、その場からでも、妹を奉公させる……また奉公もせんならん。翌日あくるひが日の糧にも困った、あの逼迫ひっぱくやよってに、すぐに口を見つけて、にい、わすれもせんぞに――あんたはその千駄木へ。尼は、四谷へ、南と、北へ。……一日違いで徒士町から分れたというもんじゃ。地方いなかで結うたなり、船や汽車で、長いこと、ようでつけもせなんだれど、これでも島田髷やったが、にい。」
 私は顔を見た。
「覚えておいでますかにい――ちょっとの間やったけれど、おなごりが惜しかったぞ。北と南へ。」
 どっちが北だか、南だか、方角に途迷とまどいしたが、とにかく分れたのは難有ありがたかった、と思いました。……それに、言わるれば、白粉おしろいをごってりけた、骨組の頑丈なあねというのには覚えはあるが、この、島田髷には、ありそうな記憶が少しもない。
「命さえあれば、にい、どこでどう、めぐり逢わんとも限らんもんや。したが、尼も、この奉公を振出しに、それは、それはいかいこと、苦労辛苦をしたもんや。」
 ここで、長々と身の上話がはじまった。が、くどいから略しましょう。ありきたりの事で、亭主が三度かわった事だの、しゅうと小姑こじゅうといじめられた事だの、井戸川へ身を投げようとした事だの、最後に、浅間山の噴火口に立って、奥能登の故郷の方に向って手を合わせて、いまわという時、立騰たちあがる地獄の黒煙くろけむりが、線香の脈となって、磊々らいらいたる熔岩がもぐさの形に変じた、といいます。
 ちょっとどうも驚かされた。かねて信心渇仰の大、大師、弘法様が幻に影向ようごうあった。灸点きゅうてんの法を、その以心伝教で会得した。一念開悟、生命の活法を獲受して、以来、その法をもって、あまね諸人しょにんに施して、万病を治するに一点の過誤がない。世には、諸仏、開祖の夢想の灸ととなうる療術のやからは多いけれども。
「尼のに限っては、示現の灸じゃ。」
「――成程。」
「……昨宵も電話でのお話やが、何やら、ご病気そうなが、どんな容体や。」
「胃腸ですよ、いわゆる坐業いじょくで食っていますから、昨夜ゆうべなぞは、きりきりいたんで。」
「いずれ、運動不足や、そりゃようないに。が、けど何でもない事や。肋膜ろくまく、肺炎、腹膜炎、神経痛、胸の病、腹、手足の病気、重い、軽い、それに応じて、施術の法があって、近頃は医法の科学的にも、灸点を認めているのやが、その医法をも超越して、(時々むずかしい事をいいます。)気違が何や……らいでも治るがに。胃腸なぞはそりゃに、お茶の子じゃぞ。すぐに一灸で、けろりとする。……腹を出しなされ、は、は、は、これでもあんた、島田髷やて、昔馴染なじみには。」
「ま、ま。」
「療治の用具もちゃんと揃えて持合わせておる、に。」
「まあ、まあ。」
「熱いと思うてかに、熱い……灸やから。は、は、は。微塵みじんも、そりゃない。それこそ弘法様示現の術や、ただむずむずとするばかり。」
「まあ、しかし。」
「ただ、あんたのものを使うというては、火鉢の火を線香に取るばっかりや。」
 弱った。
「それやかとても、火道具はちゃんとここに持っておるがや、燐寸マッチなぞは使わんぞ、もぐさにうつす附木つけぎには、浅間山秘密な場所の硫黄が使うてあるほどに。」
 なお弱った。
「どうも、灸だけは……ですよ。」
「お嫌いかに。」
「嫌いにも、なにも。」
「好嫌いは言うておられんぞに、薬には。それやし、何せい、弘法様の……あんたお宗旨は。」
「ほっけです。」
堅法華けんぼっけ、それで頑固や。」
「いや、いやそんな事より、なくなった母親の遺言です、灸は……」
「その癖、すえられなさる様な事が沢山あるやろ、は、は、は。これでも昔は島田髷や。」
 と口を開けて、それでも皮肉ではなさそうに笑った。
「時に、洞斎さんは、何の病気で。」
 と聞くと、
「中気でに、四年越。」
 私も、何も、皮肉でいったのではなかった、気違も、癩さえ治すというのに対して。――しかし四年越、中気でなくなった事をいってからは、おかしく、急に陰気になって、帰支度をする。蒸しものの菓子を紙に包んで、ちょっと頂いた処は慇懃いんぎんで却って恐縮。納めた袋の緒を占めるのがかぶとを取ったようで、おごそかに居直って、正午頃ひるごろまでに、見舞う約束が一軒。さて、とる年だし、思い立った時に逢って見たいのを、逢って見ぬと、いつまたお目にかかれようと、それゆえにこそ、といってった時には、すこしばかり妙な寂しい気がしたのです。
 人情ですか、争えない、それもあります。それに、自動車でなくっては運ばれない。嵩張かさばった手土産がありました。
「義理さえ欠けなければ。」
 とあとでいう家内のことばについては、使で礼を返しても、その義理は欠けなかったが――逢って見たい時に逢っておかぬと、いつまたお目にかかれるか――まだ仕事場へ帰らない――送出して取って返し、吸いかけの巻莨まきたばこをまたつまんで、菓子盆を前にの花のなよなよと白いのを見ながら、いま帰った尼巫女あまみこの居どころを、石燈籠のない庭越に、ほのかに思いうかべました。待合、雪の家。
 めいに当る、赤坂に芸妓げいしゃをしていると、いつか聞いたのが、早く旦那なるものにひかされたか、事情はとにかく、心づもり二十はたちそこいらで、まだ、若い。
 この後見なり、客のとりまわし、家のきりもりをしていると思われる、その母親があるのです。妹ぐるみ打棄うっちゃった、……いや間淵洞斎が打棄られた女房の、あと二度目の女房なのです。後添のちぞい、後妻、二度目の嫁といっても、何となく古女房のように聞えますが、どうして、間淵と夫婦になった年が、まだ、ほんの十五六。で、ただ一度だけ、その頃、私が、本所で逢った事がある。……
 師匠明流のなさけで、弟子小僧に、住込んだ翌年の五月です。花時に忙がしい事があって用が立込んだかわりに、一日お暇が出て、小遣こづかいを頂いた。師匠は大家でも弟子は小僧だ、腰の煙草入たばこいれにその銀貨を一枚「江戸あるき」とかいう虫の食った本を一冊。当日は本所の五百羅漢へゆくつもりで、本郷通りを真すぐに切通し、寄席の求肥の、めがねへ出ました。すたすたもので、あれから、柳原を両国まで、鉄道馬車で、あとはまた大歩行あるきに歩行くつもりの、ところが、馬車を下りる時、料金を払おうとする、と、落したのか、すられたのか、煙草入がありません。小遣ぐるみ。あッと慌てたが、それだけじゃ済まない。広小路のあの群集の中で、しょぼしょぼと監督の前へ出されたのですが、突出したとは言いますまい。連れてったせた車掌がいい男で、たしかに煙草入を――洋服の腰へ手を当てて仕方をして――見たから無銭ただのりではありません。られたのです。よろしい、と肥った監督がおおき衣兜かくしへ手を突込つッこんで、のみ込んでくれました。
 羅漢たちの中には、苦しい断食の業を積んだのがありましょう、思っただけでも足がすくむ。ありようは五百体より一杯をあてにした、蕎麦そばも、ちらしも、大道の餅も頬張れない。……それ以上に弱ったのは煙草が飲めない。参詣さんけいはしましたが、亀井戸の境内で、人間こうなると、目がくらみます、藤の花が咲いていたか、まだだったか、それさえも覚えていません。
 太鼓橋の池のまわりの日当りの石に、順礼の夫婦が休んでいて、どうでしょう、女房が一服のんでいて、継ぎはぎだがあかいところの見える、襦袢じゅばんの袖で、
「アイ」
 あいと脚絆きゃはんの膝をよじって、胸を、くの字なりに出した吸付煙草。亭主が、ふっかりと吸います、その甘味うまそうな事というものは。……
 余計にがつがつして、息を切って萩寺の方へ出たでしょうか、真暗三方まっくらさんぽうという形、かねて転居さきを端書で知っていました、曳船通ひきふねどおりの間淵のうち辿たどり着いた。ここで一片餉ひとかたけありつこうし、煙草銭の工面をつけようと思いました。ところがどうです。――その時分の事で、まだ藁葺わらぶきの古家で、卯の花の咲いた、木戸がありました。柱に、「東海会社仮事務所」と出ていて、例の大船で一艘いっぱい積出す男は、火のない瀬戸の欠火鉢をわきに、こわれた脇息きょうそく天鵝絨びろうど引剥ひきはがしたような小机によっかかって、あの入船帳にひじをついて、それでも莞爾々々にこにこしている……
「これ、お茶をよ。」
 と破襖やぶれぶすまの次の間へ。
「何だ、焼芋、蕎麦、ごもく、豆大福、豌豆えんどうの入った――うふ、うふ、うふふ。」
 と尻上りの冴えた声で、わらいふとった腹へゆすった。
「鼠が貿易をしはしまいしよ、そんなものを積んで大海を渡れるものか。その了見だと、折角あれだけの名家の弟子になりながら、小刀で蟻を刻んでいやしないかね。
 かぶにくッつけてさ、それ、大かぶにありつく、とか云って、買手が喜ぶものだそうだ。いや、これは串戯じょうだんよ。船はちゃんころでも炭薪すみまきゃ積まぬというのが唄にもある。こんな小さなうちだって、これはたとえば、電気のぼたんだ。ひねる、押すか、一たび指が動けば、横浜、神戸から大船が一艘いっぱい、波を切って煙をくんだ。喝!」
 と大きな口をあけながら、目を細く、しきりに次の間をあごで教えて、目顔で知らせて、
「お茶を早くよ。」
 貧しい盆に茶碗をのせて、気候は、そんなだのに、もう白地の浴衣です。髪だけは艶々つやつやと島田に結っていました。色の白い吃驚びっくりするほど人柄な、その若いのが、ぽッと色を染めて、黙って手をついた頸脚えりあしが美しい。
「きみ、小山、今度の妻だよ。」
 その時、ついた手が白く震えた。
「冬というよ、お冬です。こりゃ親しい同県人だ。――お初に、といわないかね。」
「お初に。」
 といった時、耳まであかく染まった。それなり襖の影へ消えました。私は一息に空腹すきっぱらへ飲んだのですが、それは茶ではないのです。冷水に、ちらちらと白いものが浮かしてある、香煎こうせんは色がありましょう、あられか、菓子種か、と思ったのが、何と、志はうまかった、が、卯の花が浮かしてあったんです。毒にはなりますまい、何事もなかった処を見ると、枸杞くこの花だったかも知れません、白く、細かくて、枸杞は薬だといいますから。
 そうと知ったら、言いますまいものを。……水は、実は途中で、三度ぐらい飲んでいましたから、東海会社社長の顔を見るとひとしく、息が切れる、茶を一杯、といって、それから焼芋、蕎麦、大福の謎を掛けた。申すまでもなく煙草入をなくした顛末てんまつ饒舌しゃべってからですが、これに対する社長の応対は、ただ今お聞かせ申した通り。
 湯をわかす炭もなく、茶も切れていたのです。年も二十以上違っている。どうしてこんな細君を。いや、あの、片時へんじも手離さない「魔道伝書」を見るがいい。お冬さん、上品な、妍美かおよい娘は、魔法に、掛けられたものでしょう。
 千駄木へ帰ってから、師匠に鉄道馬車の監督の話をすると、気に入った。その寛容と深切に対しても、等閑なおざりに棄てては置けない、料金は翌日にも持参しなさい。で、二日ばかりおいて、両国まで、その持参です。……なくなしたお小遣の分まで恵与に預る。……余程よっぽど曳船へ廻りたかった。堅豌豆ぬきの精進揚か、いや、そんなものは東海会社社長の船には積むまい。豆大福、金鍔きんつばか。それは新夫人の、あの縹緻きりょうはばかる……麻地野、鹿の子は独り合点か、しぐれといえば、五月頃。さて幾代餅いくよもちはどこにあろう。卯の花の礼心には、きぬたまき、紅梅餅、と思っただけで、広小路へさえ急足いそぎあし、そんな暇は貰えなかったから訪ねる事が出来なかった。
 盆やすみに、今日こそと、曳船へ参りましたが、心当りの卯の花垣は取払われて、窪んだ空地に、氷屋の店が出ていました。……水溜りに早咲の萩が二つ三つ。
 そういったわけで、それきりになったのですが、あと十何年、不意に、また間淵洞斎に出会って、悪酒わるざけにあてられた事を申しました。――
 それは、白山のうちを出て、入費のかからない点、屈竟くっきょうばかりでなく、間近な遊山ゆさんといってもいい、植物園へ行って、あれから戸崎町の有名な豆府地蔵とうふじぞうへ参ろうと、御殿町ごてんまちへ上ると、樹林一構ひとかまえ、奥深い邸の門に貼札はりふだが見えたのです――鷺流狂言、開興かいこう。入場歓迎。――日づけが当日、その日です。時間もちょうどでありました。
 舞台では、もう「宗八」というのがはじまっていたのですが、広書院の一方を青竹でくぎっただけが、その舞台で、見物席は三十畳ばかりに、さあ十四五人も居ましたか、野分のあとの庭の飛石といった形で、ひっそり、気の抜けたように、わるく寂しい。
 例の、坊さんが、出来心で料理人になって、角頭巾すみずきん黒長衣くろながごろも。と、まないたに向った処――ふなたいのつくりものに庖丁を構えたばかりで、うろこを、ふき、魚頭を、がりり、というだけを、どもる、あせる、狼狽うろたえる、胴忘れをしてとぼん、としている。
 海豚いるかおかへ上った恰好かっこうです。
 仕切の竹で、これと向合い、まばらな見物の先頭まえがわに、ぐんなりした懐手で、しおれたひれのように袖をすぼめていた、唐桟柄とうざんがらの羽織で、黒い前垂まえだれをした、ぶくりとした男が、舞台で目を白くする絶句に後退あとずさりをしながら振返ったのが、私に気がつくと、そのまま……じった。
 開演中です。居膝いざるように、そっそばへ寄って来て、
「小山じゃないか。」
「おお。」
「出ようよ、しずかに。」
 気のどくらしくて、見ていられない舞台だから、誘い手のある引汐ひきしおに会場を出たのです。
「――何、植物園から豆府地蔵、不如しかず菎蒻閻魔こんにゃくえんまにさ。煮込んでも、味噌をつけても、浮世はその事だよ。俺もこの頃じゃ、大船一艘いっぱい綾錦あやにしきでないまでも、加賀絹、能登羽二重という処を、船も、びいどろにして、金魚じゃないが、あか、白、ひらひらとした処を、上海シャンハイあたりへ積出すほどの決心だ。一船のせよう。あいかわらず女の出来ない精進男に、すじか、竹輪か、こってりとした処を食わせたい。いや串戯じょうだんはよして、内は柳町やなぎちょう、菎蒻閻魔のすぐわきだ。」
 魚頭をつぎ、鱗をふく(宗八の言にありますね。)私窩子じごくでもやってるのじゃないか、と思った。※(「蚌のつくり」、第3水準1-14-6)ようすがまた似ていました。柳町の裏長屋で……魚頭も鱗もない、黄肌鮪きはだに弱った事は、――前刻さきに言った通りです。
 その黄肌鮪だか、鬢長鮪びんながだかと一緒に、悪酒を、なめ、なめ、
「あいかわらず、このていだ、といううちにも、一昨々年さきおととしまでは、台湾に一艘いっぱい帆を揚げていたんだよ。ところが土地の大有力者が、妻に横恋慕をしたと思いたまえ。それのかなわない腹癒はらいせに、商会に対する非常な妨害から蹉跌さてつ没落さ。ただ妻の容色きりょうを、台北の雪だ、「雪」だととなえられたのを思出にして落城さ。」
 と、羽織を脱ぐと、しま女衣おんなものの、ふりあかい。ニヤリとしながら、
「お冬、お冬、珍らしい男を連れて来たぞ。誰だ分るか、分るまい。」
 薄暗そうな次の間で、人むかえの起居たちいの気配が、と寂然ひっそりやむと、
「お声で分りました。いらっしゃるなり。……小山さんです。」
 間淵が菎蒻のような色をして、懐手の貧乏ゆすりで、
「酒だ、酒だ、酒を早く。」
 人間どう間違えても、自惚うぬぼれのないものはないとか言います……少くとも私は……人として、一生に一度ぐらいは惚れられる。
 無理な酒もすごしました。しかし、帰るまで、それっきり、お冬さんは、顔も姿も見せなかった。
 ――先に曳船通、のちに柳町の、そのお冬さん、今は二の橋辺の待合雪の家に居るらしい――白山を訪ねた尼の帰ったあとで、私は、庭の卯の花を見ながら、江戸の名画の雪景色を可懐なつかしく思ったことは、いうまでもありません。
 ――お聞き下さるようだから続を話しましょう。――
 ところで、その雪の家の胡瓜形きゅうりがた磨硝子すりがらすかかった土間に立ってから、久しくお待たせいたしました。
 が、しかし待っていたのは、お聞き下さる、あなたではない、私です。南瓜かぼちゃです。は、は、は。
 が、待つ間はなかったのです。小女がすぐに引返し、取次いで二階の六畳――八畳づまりですか……それへ通した。
 真中まんなかに例の卓子台ちゃぶだい。で欄間に三枚つづきの錦画にしきえが額にして掛けてある。優婉ゆうえん娜麗だれい白膩はくじ皓体こうたい、乳も胸も、滑かに濡々として、まつわる緋縮緬ひぢりめん、流れる水浅黄、誰も知った――歌麿の蜑女あま一集の姿。ふと、びいどろの船に、あかだの白だのひらひらするのを積むといった、間淵洞斎の言を思い出した。……いっては、あれだけの絵師えかきに相済まないが、かかげてあるのは第何板、幾度かえして刷ったものだか、線も太ければ、勿論厚肉で、絵具も際どいのをお察し下さるように。いずれ二三人よんでお附合に一杯、という心づもり。もっとも家内の心づけ、出ずらずに、なにがしの商品切手というのを、水引で袱紗ふくさ懐中ふところにして、まじまじ、そこに控えている年配の男をついでにお察し下さるように――
 で、酌人は酌人、ひらひらか、ちらちら、として、さておさかな、が、何分刺身はあやまる。……菎蒻、菎蒻がいい。おでんとしようと、柳町の事を思いながら一方を見ると、歌麿の蜑女と向合って「発菩提心ほつぼだいしん。」という横額がかかっている。
 亡くなった洞斎が遣りそうな好みだ、と思うと、床の間の置物が鼻の穴の目立って大きい、真黒な土の達磨だるま
 花活はないけに……菖蒲あやめにしては葉が細い。優しい白い杜若かきつばた、それに姫百合、その床の掛物に払子ほっすを描いた、楽書らくがき同然の、また悪く筆意を見せて毛をねた上に、「喝。」と太筆が一字にらんでいる。杜若、姫百合の、およそ花にも恥じよ、「喝。」何たるものぞ、これだから、私は禅が。……
 はてな、雪の家の、ここの旦那なるものが変に「喝。」がった難物かも計られぬ。……
「ああ、はじめまして、あなたが間淵さんの、お娘ご。」
 そこへ、一枚着換えた風俗ふうで、きちんとして、茶を持ってきたのが、むかし、曳船で見たお冬さんに肖如そっくり……といううちにも、家業柄に似ず顔を紅うした。そうして私の顔をると、ちょっと曇らせたような眉が、お冬さんより、ひそんだなりに迫っています。おっかさんは、目鼻だちがぱらりとしていたのです。
 時宜挨拶がちょっと交されました。
「お父さんは、」
 中気、とも言いかねて、
「久しくお煩いだったそうですね。」
「ええ、四年越……」
「それはそれは、何よりご看病が大変でしたね。で、甚だ何ですが、おなくなりになすったのは、此家こちらで。」
「はあ、あの病気のおこりましたのは内だったんですけれど、こんな稼業でしょう、少しは身体からだを動かしてもいいと、お医師いしゃがおっしゃいましてから、すぐ川崎の方へ……あの、知合のうちが広うございますもんですから、その離室はなれのような処へ移しましたんですの。」
 ――喝旦那の住居すまいらしい……とするとお冬さんは、そっちで暮していはしないか。逢えない仕儀であろうも知れない。――またお察しを願うとして――実は逢いたかった。もっとも白山へ来訪をうけた尼刀自とじへ返礼に出向でむかいたいのに、いつわりはないのですが、そんな事はどうでもいい。また妙に、その尼にも、いま差当って娘にも、お冬さんの消息が、さそくに口へ出なかった、そのわけは、前述の「魔道伝書」を見ない方には、お解りになりますまい。怪しからん事であります。
「何にしましても病気が病気だもんですから、あせりにあせり抜いて、気ばかり荒くなりましてね、はたを困らせ抜きますうちにも、あの病気に限って、食べものの難題ですの。ええ、一番困りましたのは毎日見ます新聞の料理案内と、それにラジオのご馳走の放送ですのよ。かも、鳥はいいとして、山鳥、雉子きじ、豚でも牛でも、野菜よし、魚よし、料理に手のかかったものを、見ると、聞くと、そのまんま、すぐ食わせろ、目の前へ並べろでもって、口が利けましただけになお不可いけません、少しも堪忍をする気はなし、その場即座にって、間に合わないと、殺すか、ほし殺せなんですもの……どんなに母を泣かせたでしょう、小父様おじさま。」……
 私は吐胸とむねをつきました。どんな意味でも、この場合の「おじさま。」は身に応えた。今度はこっちが赤面して汗になった。
「魔法でもつかわないじゃ、そんな事は出来ません。」
 その際、秘伝書を手に入れようという、深きおもんぱかりがあるものなら、もっと辛抱をしたでしょう。せき心で、おっかさんはと、初めて聞くと、少々加減が悪くって、というんです。川崎とすればもとよりの事、このに居た処で、病気だといえば……と思うも遅い。既に「おじさま。」と聞いた時、もう私は居たたまらなくなったのです。
 発菩提心!……向合むかいあった欄干の硝子ビイドロの船に乗った美女の中には、当世に仕立てたらば、そのお冬さんに似たのがたしかに。ああ発菩提心!……額の下へ、もそもそ不手際に、くだんの紅白水引を、端づくろいに、ぴんとらして差置いて、すぐに座を開くと、
「まあ、おじさま。」
 いかにも案外と、本意ほいない様子で、近所へ療治を頼まれて行っている、いまにも帰るでしょう。おばがという。尼刀自の事です。お顔を見たら、どんなに喜ぶか知れません。女中も迎いに出しました。ちょっと様子を、とふすまを抜けるように、白足袋で、すそ紅入べにいりに二階を下りた。
 間数もなさそうですが、居馴染いなじまない場所は、東西、見当が分らない。十番はどっちへあたるか、二の橋の方は、と思うと、すぐ前を通るらしい豆府屋の声も間遠に聞え、窓の障子に、日がすともなく、かげるともなく、ぼうとして、妙に内外うちそと寂然ひっそりする。ジインと鉄瓶の湯の沸く音がどこか下の方にしずかに聞え、ざぶんと下屋げやの縁側らしい処で、手水鉢ちょうずばちの水をかえす音が聞える。いい年増、もう三十七八になろうかしら、お冬さんが寝床を起きて出たのではないか、こんな時、かわやのあたりに、けはいがするというものは、何だか、人影が幻に立つような気がするものです。
 喝! ああ驚いた。掛けものめ。
「あっ! ははは。」
 いきなり、男のように笑いかけて、
おどかそう思うて、わざと、こっそりと上って来たぞに。心易立てや。ようこそに、ようこそに、こんな処まで、嬉しいこっちゃ。や、もう洞斎兄の事や、何の事や、すぎ去った。そんな挨拶はさらりとおくこっちゃ、にい。縁あればこそ、生あればこそ、北と南と、何十年分れたものがいつ訪われつ、やぞに。それに、そういう行儀は何じゃ、はかまはいたり、膝にお手々をちゃんとついたり、早や、その手をぬいと伸ばいて、盃を持つ格好に、のう。」
 人に口は利かせない。被布からしなびた腕を伸ばして、目八分に、猪口ちょこをあげる指形で、
「何とかいうたに、それ、それ、乾盃、あれに限るぞに、いい事じゃ。洞斎兄は沢山たんとは飲まなんだけれど、島田髷の妹は少しるがやぞ。これでもに、古馴染や、遠慮はない。それにどこへ来なされた思うて、そのように堅うして。……花柳界、看板を出した待合や。さ膝を崩いて、楽にござって、尼かてこの年、男も同然、胡坐あぐらを掻いても人は沙汰せん。それに袴はいとるぞに。」
 また高笑いで、
「……そこで念のため云うておくがですが、内証話をあけすけなが、あんたも世間が解っておいでや。寸法とかいうもんで、ここへ来ての以上、一口、酒となれば、芸妓げいしゃも呼んでやろう、それ、ちゃんとその了簡りょうけんは見えてある。なれど、それはさせんぞ。今日だけは、こちらへ万事まかせてくんされ、別懇のお附合や。そのかわり、わざと芸妓は呼ばん。尼がお対手あいてして、めいがお酌やて、辛抱ものや。その辛抱ついでにな、おさかなもありあわせやぞに。惣菜さながらの。」
 いよいよ口を利かせません。立つにも立たれはしないから、しばらく腰を据える覚悟をしました。が、何分にも、あざれた黄肌鮪きはだ鬢長鮪びんなが可恐おそろしい。
菎蒻こんにゃく。」
「こんにゃく。」
 口のうちでむぐむぐ言ったのが耳へ入ったか、聞返されて、驚いて、
「卯の花なぞが結構です。」
 また、うっかり、下の縁側を卯の花が、葉をからんだ白い脚が、寝衣ねまきすそいて寝みだれ姿で寝床からと……その様子が、自分勝手の胸にあった。ただし、他家様よそさまのお惣菜を、豆府殻うのはな、は失礼だ。
「たとえばです。」
「お好きか、なんぼなと、内で間に合う、言いつけようでに。さ、もう、用意はしておったが、おかんの望みは熱いのか、ぬるいのか、何せい、程のいい処。……もう出来たろうに、何しとるぞ。」
 と、手をたたく。
「はいい。」
 返事は下でおきまりの、それは小女か女中かで、銚子ちょうしさかずき、添えものは、襖が開いて、姪――間淵の娘の手で、もう卓子台ちゃぶだいに並んだのでありました。
 さて、お盃。なかなか飲める。……柳町で悩まされた孑孑ぼうふらが酔いそうなものではなかった。
「おこう、お孝。」
 と若いかみさんの、姪を呼んで、
「重ねて、それ、お酌をせんかの。……何をぼんやり……あんたの顔を見とるがや。……電燈もつけて。」
 そのあかりに、お孝が、……若いかみさんの飲まない顔が、何故か、耳元まで紅かったのです。
「これがほんの水入らず、にい。そういえば、お対手あいては、姪、尼でもや、酒だけは黒松の、それも生一本やで、何と、この上の町、ここでの名所、一本松というてもいいやろ。」
 と尼刀自が洒落しゃれた。が、この洒落はにくくない。
「ああ、そうじゃ……あんたの故郷くににもおなじ名の名所があったに――一本松――
 ……忘れもせんぞに、わしが十三か四の頃や、洞斎兄さえ、まだ、尾山(金沢を云う。近国近郷の称呼。)の、あんたのうちへ寄宿せぬさき、親どもに手をかれて、お城下の本願寺、お末寺へ参詣した時、橋の上からも、宿の二階からも、いい姿に、一目に見はらされて今でも忘れはせんのじゃが、その昔、あすこに心中があったそうやに。」
「……聞いています。」
「その心中に、くどき、くどきや、唄があって、あわれなものやが、ご存じですやろ。」
「いや、いいえ知りませんよ。」
 私はまるっきり知らなかった。[#「知らなかった。」は底本では「知らなかった。」」]

 小山直槙は、時に盃をあらためて、
「私は、まるで知らなかった――同郷です、あなたは大方、ご存じでしょう。」と云った。
 筆者わたしも更に知らなかった。
「ちっとも知りません。聞いたこともありません。」
「妙ですな、お国ものが誰も知らないで、隣りの能登の田舎の方で知っている。もっとも、その時、間淵の尼の話した処では、加賀の安宅あたかの方から、きまって、尼さんが二人づれ、毎年のように盂蘭盆うらぼんの頃になると行脚をして来て、村里を流しながら唄ったので、ふしといい、唄といい、里人は皆涙をそそられた。娘たちは、袖を絞ったために今もなお、よくその説句もんくを覚えていると、云って聞かせました。心中の命は卯辰山に消えたが、はかない魂は浮名とともに、城下の町をはばかって、海づたいに波に流れたのかも知れません。――土地に縁のある事は、能登屋仁平にへい、というのです。いや、不義ゆえの心中の、それは年とった本夫で、その若い女房と、対手あいてが若年の侍です――
 ――是非と望んで、これは私が聞きました。尼婆さんのほか饒舌おしゃべりには弱らされたが、これだけは、もう一度、また一度と、きかせて貰った。調子に乗ると、手拍子が張扇子はりおうぎになって、しかも自己流の手ごしらえ。それでもお惣菜の卯の花だ、とお孝の言訳も憎くない。句切だけぐらいだけれども、娘の鼓の手が入ったのです。が説くぞ、説きます、という尼婆さんの口説節くどきぶしが、あわれに、うらがなしく、昔なつかしく、胸にしみて、ぞくぞく心をゆすって、その癖、一本松が、かっと血をかして、火のように酔ってく。
 さんざ浮かれた折ばかり、酔いしれるとは限りません。はかない、悲しい、あるいは床しい、上品な唄、踊、舞を見て、魂とともに、とろとろに酔って行く。……あのかたちで。……あでやかな鬼の舞をながら、英雄が酔っぱらった例もあります。いや、いつかの間淵の話じゃないが、蟻の細工までにも到らない、箸けずりの木彫屋が、余五将軍をのみなかまに引込んだ処は、私も余程よっぽど酔いました。――ま、ま、あなたへ、一杯ひとつ。」
 閑静な席で、対坐に人まぜせぬ酒の中に、話がここへ来たころは、その杯を受けた筆者わたしえいが廻った。この筆者の私と、談者の私と、酔った同士は、こんがらかっても、修理すじさばくお手際は、謹んで、読者の賢明に仰ぐのである。


「何、唄をお聞きになる、よろしい、やッつけましょう。節なしに……もっとも、節をつけては大変だ。……繰返して、聞いたから、そこ、ここうろぬきながら覚えています。――恋とサア、というくどきです。
恋とサアなさけのその二道は、やまと、唐土もろこしえびすの国の、おろしゃ、いぎりす、あめりか国も、どこのいずくも、かわりはしない。さても今度の心中話。それをくわしくたずねて見れば、加賀の城下のその片畔かたほとり、能登屋仁平が、
 これです、年とった亭主というのは。――
女房にょうぼのおとせ、年は二十一愛嬌あいきょう盛り……
 ちょっと娘が気になりますね。鼓をうってる……年もちょうどそのくらい。
いつの頃から夫に忍び、その名岩島友吉こそは、年も二十六、やさがた生れ、きりょういのについかされて、人目忍びて逢う瀬の数も、……
 ――阿漕あこぎが浦のたびかさなれば、おさだまりで、たちまち近所となりのうわさ、これも定まる処です。
夫仁平は穏厚おんとな生れ、かっと燃立つ胸なでおろし、それが素振そぶりは顔へも出さず……
 いいか、悪いか、分りませんが、金沢ものだ、仕方がない、とにかく杯を合せましょう。で、何しろ、かように親類縁者までの耳へ入るようになっては、世間へ済まぬ。今はこれまで、いとまをくれよう、どんな夫を持とうとも、そうなれば仔細しさいはないと、穏厚人おんとじん、出方がまことにおとなしい。……もっとも、
そちがこのへ来たそのはじめ、わずか年さえ二七の春よ、思いまわせば七年以来……
 というのです。二七の春――私はまた……曳船で見た、お冬さんのそのころの年を思った、十五六――
いえばおとせは顔赤らめて、何もいわずに恥し姿。五年六年、年つき日ごろ、かわい、かわいと、でさするまで、なさけわすれた不義いたずらを、ぶつか叩くか、しもしょうことを、すいた男を添わせてやろと、かかる実意な夫をすてる、冥利みょうりすぎます、もったいなさに、天の冥加みょうがも、いと可恐おそろしい。せめて夫へ言訳のため、死んでおわびは草葉の蔭と、雨に出てく夜空の涙……
 それから屋敷町の暗夜やみへ忍んだ、勿論、小禄らしい。約束のつぶてを当てると、男が切戸から引込んで、すぐ膝に抱く、泣伏す場面で、
そなた一人をあの世へやろか、二人ならでは死なせはしない、何の浮世はただ仮の宿、どうで一度は死なねばならぬ、死んで未来で添遂げようと、いえば嬉しやなおさら涙。さらば最期とかねての用意、女肌には帷巾かたびらに、上は単衣ひとえ藍紺縞あいこんじまよ、当世とうせはやりの……
 その頃の派手らしい藍紺縞――これを最初に唄った時、尼婆さんは、当世はやりの何とか、と高々とやりながら忘れていた。ちょうど、お孝が銚子のかわりめに立った時だったのです。が、尼婆さんの首をひねる処へ上って来て、
当世はやりの黒繻子くろじゅすの帯……
 と言継いだ。ちょいちょい唄うらしい、尼婆さんの方で忘れた処を、きき覚えのお孝が続けたのですが、はて、……呉絽服綸ごろふくりんではなかったか、と尼婆さんはもう一度考えましたが、
……黒繻子の帯、二重ふたえまわして、すらりと結び、髪は島田のこうがい長く、そこで男の衣裳と見れば、下に白地の能登おりちじみ、上は紋つき薄色一重、のぞき浅黄のぶッさき羽織ばおり、胸は覚悟の打紐うちひもぞとよ、しゃんと袴の股立ももだちとりて……大小すっきり落しにさして……
 ――飛んでもない、いや、串戯じょうだんじゃない、何がしゃんと、股立です。のぞき浅黄のぶッ裂羽織が事おかしい。熱くて脱いだ黒無地のべんべらが畳んであった、それなり懐中ふところ捻込ねじこんだ、大小すっきり落しにさすと云うのが、洋杖ステッキ、洋杖です。あいつを左腰から帯へ突出してぶら下げた形といっては――千駄木の大師匠に十幾年、年期を入れた、自分免許の木彫の手練でも、洋杖は刀になりません。竹箆たけべらにも杓子しゃくしにもならない。蟻にはもとより、かぶにならず、大根にならず、人参にならず、黒いから、大まけにまけた処が牛蒡ごぼうです。すなわち、牛蒡丸抜安ぬきやすの細身の一刀、これをぶら下げた図というものは、尻尾しっぽじゃないが、十番越に狸穴まみあなから狸に化かされた同様な形です。
 ああ、しかし、こういっても――不思議ともいうべき、めぐり合せで、その時、一つからかさで連立っていた――お冬さんを、おなじ化され夥間なかまだと思われてはなさけない。申訳がないのです。
 酔っています。だしぬけにこんな事をいって、たしかに酔っている。私は息が忙込せきこみますが、あなたはどうぞしずかにお聞き下さい……」
 ――ちょっと呆気あっけに取られたが、この言葉で、筆者は静に聞いていた。
「話は前後しました、が、この既にお冬さんの一つ傘に肩を並べた時は、何だか、それなり一本松へ心中に出掛けるような気がしたんですから――このつらや格好を見ては不可いけません。」
 直槙は寂しく笑った。
「まあ、しかし忘れぬうちに、唄のあとを続けてからにしましょう。――大小すらりと落しにさして、――という処で、前後しました……
ここで死んでははばかる人目。死出の山辺に一つ見える、一つともしにただ松一つ、一本松こそ場所屈竟くっきょうと、頃は五月の日も十四日、月はあれども心のやみに、迷う手と手の相合傘よ、すぐに柄もりに袖絞るらむ。心細道岩坂辿たどり、辿りついたはその松の蔭。かげの夫婦は手で抱合うて、かくす死恥旗天蓋てんがいと、蛇目傘じゃのめ開いて肩身をすぼめ、おとせ、あれあれ草葉の露に、青いかすかな蛍火一つ、二つないのは心にかかる。されど露には影さすものを、わたしゃ影でもいといはせぬと、すがるおとせをまた抱きしめて、女房にょうぼ過分な、こうなる身にも、露の影とは、そなたの卑下よ、消ゆるわれらに永劫えいごう未来、たった一つの光はそなた。さらば最期ぞ、覚悟はよいか、いえばおとせは顔ふりあげて、なんの今さら未練があろう、早う早うと両掌りょうてを合わす、松もかつ散る氷のやいば……
 つらつら思うに、心中なぞするもんじゃありません、後世には酒の肴になる。いや怪しからない、いつまで聞いていようというんだ。私は心で叱りました。」――
「――ありがとう……厚くお礼を申上げる……唄と、馳走のお厚情こころざし、かさねて、ご挨拶を。これで、失礼――心なく、思わず長座をいたしました。何だか帰途かえりに一本松が見たくなりました。」と、しほ[#ルビの「しほ」はママ]つと、
「わけないぞに、一緒に行こうかに。」
 慄悚ぞっとした、玉露を飲んで、中気ぐすりめさせられた。そのいやな心持。えいめたといううちにも、エイと掛声で、上框あがりがまちに腰を落して、直してあった下駄を突っかける時、
「ああ月が出た。」
 と壁の胡瓜を見たんですから、ちらつくどころか、目も磨硝子すりがらすで、ゆがんでいた。
 処へ、ざっと雨が来ました。土間の鉢植が、土と一所に湿っぽく濡々とにおう。
「お孝や、いいんだよ。私がお送り申すから。」
 すぐわきで――いま、つい近い自動車まで、と傘を手にして三和土たたきへ出た娘を留めて――優しい声がすると、酒のいきおいで素早く格子戸を出た、そのすぐ傍です。切戸が一枚、片暗がりにツイと開く。鉢植でもあろうと思う、細い柳の雨にからんで、細い青々とした、黒塀へ、雪が浮いたように出たんです。袖に添えた紺蛇目傘じゃのめがさっと涼しい、ろくろの音で、
「さあ、どうぞ。」
 一かげりかげった下へ、私は頭は光らないが、小さな蛍のようにもう吸込まれた。送って出たお孝が紛れ込むように、降り来る雨に、一騒ぎ。そこらがざわめく人の足音、潮時の往来ゆききの影。そのにぎやかな明るいの町へ向わずに、黒塀添いを傘で導く。
死出の山辺の灯一つ見える、一つともしに松ただ一つ、一本松こそ、場所屈竟と、頃は五月の日も十四日、月はあれども心の闇に、迷う手と手の相合傘よ、すぐに柄もりの袖絞るらむ……
 被布の抜衣紋ぬきえもんで、ぐたりとなった、尼婆さんの形が、散らかった杯盤の中に目に見えるようで、……二階でまだ唄っている。
「お危うございますよ、敷石に高低たかひくがありますから。」
「つん※(「足へん+倍のつくり」、第3水準1-92-37)のめっても構やしません。」
「あんなこと。」
「そうすれば、おすがり申す。」
「おほほ。」
「しかし、いいんですか。……失礼ですが、お冬さん……ですね。」
 横顔で莞爾にっこりしたようで、唇が動いたが、そのまま艶々つやつやとした円髷まるまげの、手柄てがらの浅黄を薄く、すんなりとした頸脚えりあしで、うつむいたのがうなずいた返事らしい。
「……ほんとうにいいんですか、病気だっていうじゃありませんか。」
「ぶらぶらしてはいましたけれど、よもや、こんな処へなぞおいでなさりはしなかろうと思っておりましたのに、真実しんそこ嬉しゅうございますわ。」
「私も嬉しいんです。」
 何だか声がかすれている。
「まあ、お世辞のいいこと。でも、いま、名をおっしゃられて震えましたよ。とても覚えてなぞおいでなさらないと存じました。けれど、それでもお目にかかりますのに、余り取乱していたもんですから、急にあの髪結さんを呼んで、それから湯へ入ったりなんかして……ついお座敷へ伺いますのが。」
 夜目にも湯上りの薄化粧と、見れば一層びんが濡れて、ほんのりした耳元の清らかさ。それに人肌といいますか、なつかしい香が、傘を打つしとしと雨に、音もなく揺れるんです。
「卯の花。」
 慌てて、言いそらして、
「曳船を、柳町を思い出します。」
「ねえ、お久しい……二十……何年ぶりですか。私は口不重宝ぶちょうほうで、口に出しては何にもいえはいたしません。」
「何をです。」
「いいえ、いいんです。」
「おっしゃい、云って下さい、そうでないと、狸になって、あなたの傘を持った手に、もじゃ、もじゃ。」
「あれ。」
「触りやしない。触りやしないが、ぶら下りかねないというんです。いって下さいよ。」
「ただね、あつかましいんですけど、片時も忘れはしませんと申す事。」
「ご同然……」
「……」
「以上です。」
「……」
「お冬さん」
「……」
「口をおききなさらなければ毛だらけの手が。」
「それこそ、たぬちゃんでいらっしゃる。」
「ええ、狸。」
「私をおだましなさいます。」
「はぐらかしちゃ不可いけないなあ、時に、路地を出ましたね。」
 下駄がしとって、が流れる。
「構いませんか、こんな事をして歩行あるいていて。」
「里うちですもの、お互に廊下で行逢うもおなじですわ。」
 私は酒の胸がわくわくした。
「ところで、自動車の、あります処は。」
「手前どもの、ついそばだったんでございますけれど、少し廻道まわりみちをしたんですよ。大それた……お連れ申して歩行あるいて済みません。もう直きそこにございますから。」
「そりゃ、そりゃ困る、直きそこじゃ困るんだ。是非大廻りに、堂々めぐり、五百羅漢、卍巴まんじどもえに廻って下さい。唐天竺からてんじくか、いや違った、やまと、もろこしですか、いぎりす、あめりかか、そんな、まだるっこしいことはおいて、お願いです、二の橋か、一本松へ連れてって頂きたい。」
「いらっしゃる。」
 お冬は軽くたたずみました。
「ほんとうに。」
「勿論、一緒に行って下さるんなら。ご迷惑?」
「いいえ、嬉しいんです。でも、まだお目にかかりませんけれど、奥様にお悪くはないでしょうか。」
「名所古跡を尋ねるのは、堂寺まいり同然です、構やしない。後生ごしょうのためです、順礼に報謝のつもりで――ああ、そうだ亀井戸だ。――お酌というのが贅沢ぜいたくなら、あなたの手から煙草たばこをのまないじゃ帰らない、いっそお宅へ引返ひっかえすか。」
「それは、でもあの尼が、あなたのお座敷へ出ますのを喜びませんような様子が見えます。」
 これはそうらしい。でなくっても、あの顔は見たくない。またいかに何でも、ほかの待合なぞへとは言いかねました。もっともそのまま別れる気はない。処へ自動車くるまが見つかった。
 弱った、一応は声をかけなければ済まない。
「ああ、柳町へ来ましたね。」
 ちょうど人丈三つばかりなのが、雨に青いみので立っていて、そのわきに空地を控え、おでん屋が出ていました。
「またおもい出します、難有ありがたい。」
 傘の中からつらと肩をはすっかいに、つっかかるように暖簾のれんの中へ突出して、
「や、お閻魔えんま殿、ご機嫌よう。」
「一口にがアぶり、えヘッ、ヘッヘッ、頭から塩という処を……味噌にしますか。」
「味噌は、あやまる。からしにしてくれ、菎蒻こんにゃくだ。」
「掛声はありがたいが閻魔はひどうがす。旦那、辻の地蔵といわれます、石で刻んで、重味こくがあっても、のっぺりと柔い。」
「なるほど。」
「はんぺんのような男で。」
「はんぺんは不可いけない、菎蒻だ。からしを。」
「ご酒は……酒はそれこそ、黒松の生一本です。」
「私は、何だったって、一本松だよ。」
 傘に葉ずれの音がします。うしろから柳の寝ン寝子を着せ掛けられるような気がして振向くと、一つにくるまったほど、小雨もほの暖く湯上りの白いはだが、単衣ひとえを透通るばかり、立っている。
「おお、こりゃ、雪の家の、ご新姐しんぞ。」
 待合の女房にょうぼを、ご新姐という。娘のおかみさんがあるのに対してだ、と思われた。
 あとで解った事ですが。――
 お冬は武家の出で、本所に落魄おちぶれた旗本か、ごけにんの血を引いている。煮豆屋のばばあが口を利いて、築地辺の大会社の社長が、事務繁雑の気保養に、曳船の仮の一人ずみ、ほんの当座の手伝いと、頼まれた。手廻り調度は、隅田川を、やがて、大船で四五日のうちに裏木戸へ積込むというので、間に合せの小鍋こなべわん家具、古脇息ふるきょうそくの類まで、当座お冬の家から持運んでいた、といいます。その折に、雲原明流先生の内弟子、けずり小僧が訪ねたのです。
 それこそ、徳川の末の末の細流は、よどみつ、濁りつ、消えつつも、風説うわさは二の橋あたりへまで伝わり流れて、土地のおでん屋の耳から口へ、ご新姐であったとも思われる。
 ついでに、
 ――曳船の時、お十九でいらっしゃいましたね、そのあんたの前で、間淵洞斎が頬杖ほおづえをつきながら、十五の私を、おれの女房だと、申しました。それッきり、私は世の中を断念あきらめました――
 肌身は、茶碗の水と一緒に、その、卯の花のように、こなごなに散った、と言うのを、やがて聞くことになりました。
 それも、これも、私がばかされたのかも知れない。間淵に、例の「魔道伝書」がありましょう。女房に相伝していないと言われますか――お聞きになれば分るんですが。
「何を差上げます。ご新姐さん。」
 うしろの空地に、つめ襟の服と、印半纏しるしばんてん、人影が二つ三つさして来た。
「私は。……」
「しばらく、お見かけ申しません。」
「ご病気だった。それだもの、湯ざめをなさると不可いけない。猪口ちょこでなんぞ、硝子盃コップだ、硝子盃。しかし、一口いかがです。」
「では。わざと一つだけ。」
 で、硝子盃から猪口へ通わせる。何を通わせるんだか、さながら手品の前芸です。酔方をお察し下さい。
「ご勘定、いいんですよ。」
「よくはありません。」
「私におまかせなさいまし。」
「実はおまかせ申したいんです。どぶ打棄うっちゃらないで、一本松へ。」
「はあ、それはご趣向。あとで、お駕籠かごでお迎いに参りましょう。」
棺桶かんおけといえ、お閻魔殿。――ご馳走でした。……お冬さん、そこで、一本松までは遥々はるばるですか。」
「ええ、ええ、遥々……ここから小石川柳町もっと、本所ほどもありましょうか、ほほほ――そこの(ぞうしき)から直ぐですわ。」
「そいつは、心中を済ましたあとです。」
「まあ、(ぞうしき)という町の名。」
「これは失礼。」
 と、あかるい町に、お辞儀をして、あの板の並んだ道を、船に乗ったように蹌踉よろよろした。酔っています。
「交番がありますから、裏路地を。」
「的実、ごもっともです。」
「ね、暗うございますから、お気をつけなさいましよ。」
「おお、冷い。……おん手をたまわる、……しかし冷いお手だ。」
「済みません。冬も寒のうち、指は霜の柱ですわ、こんな身体からだで。」……
「飛んでもない、私から見ると(二十一)だ。何でしたっけ、何だっけ……(年紀としは二十一愛嬌盛り。)……」
「あれ、危い、路が悪いんですから、そんなにお離れなすっては濡れますよ。」
「心得た、(しゃんとはかま股立ももだちとりて。大小すらりと落しにさして。)……」
 ――ここです。濡れに寄るにも、袖によるにも、洋杖ステッキ溢出はみだしますから、くだん牛蒡丸抜安ごぼうまるぬきやすです。それ、ばかされていましょう。ばかされながらもその頃までは、まだ前後を忘却していなかった筈ですが、路地を出ると、すぐ近く、高い石磴いしだんが、くらがりに仄白ほのじろい。深々とした夜気に包まれて階子はしごのように見えるのが、――ご存じと思います。――故郷くにの一本松のあがり口にそっくりです。
 段の数はあるが、一も二もなく踏掛けた。
 あたりに人ッ子一人なし、雨はしきる、相合傘で。
「――いよいよ道行です、何でしたっけ……
さらば最期のかねての覚悟。
女肌にはのかたびらに、上は単衣ひとえ藍紺縞あいこんじまよ………………
 でしたかね。」
 という時、ふと見ると、おでん屋のでも、町通りでも気がつかなかった。暗夜やみ幻影まぼろし、麻布銀座のあかりがさすか、その藍と紺の横縞の、おめし……ですか、その単衣に、繻子しゅすではないでしょうが、黒の織物に、さつきの柳の葉がまつわったような織出しの優しい帯をしめている。
 ――生霊か、死霊か、ここでその姿が消えるのではないかと、聞いている筆者わたしは思った。さきに「近世怪談録」を見ているほどだから、その浅草新堀の西福寺うらの若侍とおなじく、横路地で冷たい手、といった時、もう片手きかないほどに氷ったのではないか、とあやぶんだくらいであった。
「……やさしい、すずしい帯でした。
女肌には緋のかたびらに……
 が、それが、なよなよとした白縮緬しろちりめん、青味がかった水浅黄の蹴出しが見える、緋鹿子ひがのこで年がわかいと――お七の処、だんが急で、ちらりとからむのが、目につくと、かかとをくびった白足袋で、庭下駄を穿いていました。」
 ――筆者わたしはその時、二人の酒席のつややかな卓子台ちゃぶだいの上に、水浅黄のつまを雪なす足袋に掛けて、片裾庭下駄を揚げた姿を見、且つ傘のしずくの杯洗にこぼるる音を聞いた。じっと、ともに天井を仰いだ直槙は、その丸髷まるまげの白い顔に、鮮麗あでやかな眉を、面影に見たらしい。――じっと、しばらくして、まうつむけのように俯向うつむいた。酔っている。

「や、あなたは庭下駄を穿いていますね。」
 吃驚びっくりして私が云った。
「いっそ脱ぎましょうか。」
跣足はだしになる……」
「ええ。」
「覚悟はいいんですか。」
「本望ですわ。」
「一本松へ着いてから。」
「ええ一本松へついてから。」
「一緒に草葉の蛍を見ましょう。」
「是非どうぞ。」
「そこまでは脱がせません、玉散るやいばを抜く時に。」
 が、例の牛蒡丸の洋杖ステッキで、そいつをひねくった処は、いよいよもってつままれものです。
 ――さて、その一本松です。夜目に見て、前申した故郷くにの松にそのままです。一体、名所の松といえば、それが二本松、三本松でも、実際また絵で見なくても、いい姿はわかるものです、暗夜やみ遠燈とおびの、ほの影に、それにもやをかけた小雨なんです。
 ――ああ、まだあすこをごらんにならない。――実は私もその夜がはじめてで。
 事情あって、その後も、あの一本松、また寺の石磴のあたりまでは参りましたけれども、石磴を上ったって松も何もありはしません。磴は横です。真向うに、その夜、真暗まっくらな上り道がありました。一本松はその上なんです。石磴は、のぼると、……寺なのを、まつたく[#「まつたく」はママ]その時は知らなかった。のみならず、お目にかけたいくらい、あの石磴は妙です。あたりに何にもない中に立っているから、仄白ほのじろい空の階子はしごのようで、故郷くにの山道に似た処から、ひとりぎめに、私が先へ踏掛けた。ついて上ったのは、お冬さんなんですが、どうでしょう。庭下駄でさばつまなまめかしさが、一段、一段、肩にも、腰にも、すそにも添って、上り切ると、一本松が見えたから不思議なんです。
「風はないのに、松のにおいが襲うと一緒に、弱い女の肌の香が消えそうで。……実際身でしめ、袖で抱きたかった。
心細道、岩坂辿たどり、辿りついたはその松の蔭、
……その一本松よき死場所と、
かげの夫婦は手で抱合うて……
 それから何でしたっけ。」
 お冬が、
「……かくす死恥……ですわ、そんな、唄、うたってかまいませんか。
かくす死恥旗天蓋てんがいに、蛇目傘じゃのめ開いて肩身をすぼめ……
 あれ、お燈明とうみょうが、石燈籠に。
おとせあれ見よ、草葉の露に、青い幽迷かすかな蛍火一つ……
 蛍のようですわね。」
「お燈明。」
「ええ、ねえ、ごらんなさい、この松には女の乳を供えるんです。」
「飛んでもない、あなたの乳なぞ。……ける、妬けます。」
 と云った。……乳とただ言われただけで、お冬さんの胸が雪白に見えるほど、私の目が、いいえ、お冬さんのいう言葉が、乳にかぎらず、草といえば、草、葉といえば、葉、露は、露、蛍は、蛍、燈明が燈明に見えたんです。何よりも一本松が一本松に、ありありと夜中に見えたんですからばかされていたに違いない。いやそれ以上、魔法にやられていたのです、――「伝書」をお忘れになりますまい。ところで、唄の忘れた処は、その胸に手をあてて、お冬さんが思い出しては、つけてうたって、聞かせました。
「あの、……(わたしゃ蔭でもいといはせぬと、すがるおとせ)……何ですか、もんくでも私の口からだとあつかましい。」
「それはこっちでいう事ですが、何でしたっけな……縋るおとせをまた抱きしめて……
……縋るおとせをまた抱きしめて、女房過分な、こうなる身にも、露の影とは女の卑下よ、消ゆるわが身に永劫未来、たった一つの光はそなた。
あ、お燈明が、蛍が消えた。」
 手を取りました。
「私も消えとうございますわ。」というのです。
 ――(同好の怪談は、ここでお冬さんが幽霊になって消えるのか、と筆者わたしはまた思った、が、そうではなかった。)――
「私も消えとうございますわ。」
 と、お冬さんがいった時です。松をしぶいて、ざっと大降りになった。単衣ひとえあい、帯の柳、うす青いつま、白い足袋まで、雨明あまあかりというのに、濡々と鮮明くっきりした。
「傘ではしのげません、雨宿りに、この中へ消えましょう。」
 と、その姿で……ここは暗闇くらやみだ。お聞きになるあなたの目に、もう一度故郷くにの一本松を思い浮べて頂きたい。あの松の幹をです。立上りはしないで、傘なりに少し屈腰かがみごしになって、その白い手で、トンとたたいたと思うと、蘭燈らんとうといいますか、かさなり咲いた芍薬しゃくやくの花に、電燈を包んだような光明がさして、金襴きんらんふすまにしきしとね珊瑚さんごの枕、瑠璃るりの床、瑪瑙めのうの柱、螺鈿らでん衣桁いこう燎爛りょうらんと輝いた。
 覚悟をしました。たしかに伝来の魔法にかかった。下司げすと、鈍痴と、劣情を兼ね備えたやっことして、この魔法にかからずにいられますか。
 その上に大酔悩乱です。――一度はいつか、二日酔の朝、胸が上下うえした跳上はねあが動悸どうきをうつと、仰向あおむけに寝ていて、茶の間の、めくり暦の赤い処が血を噴いた女の切首になって飛上り飛下りしたのを忘れない。それにもました惑乱です。
 のめり込んで、錦爛のなかにぽかんとすると、
「一口、めしあがりますか。」
「何の事です、それじゃ狒々ひひ老耄おいぼれか、仙人の化物になる。」
 と言ったんだから可恐おそろしい。
 狸穴まみあなの狸じゃないが、一本松の幹の中へ入った気で居て、それに供えるという処から、入りしなにびんに詰めた白いのを、鼻頭はなさきで掻分けたつもりで居る。それが朦朧もうろうとして、何だかお冬さんの懐の中へ、つまみ込まれたようだったものですから。……何にしろ魔法にかかった、いよいよ魔法にかかったに相違ない。一口、というのさえ酒でなしに、魔法に限ります、かかり切りになっていりゃ申分はありません。」
 といって、肩のめりに、ぐったりと手をいた。
 この獅子屋ししやさん、名も直槙が、くなくなになったから、余程よっぽどおかしい。
 いや、話は可笑おかしいのではないのである。


「御加護、たまわれ。」
 ……………………
 ――さて、かくて、曳船の卯の花の時の事、あとに柳町の折とては、着て肌をおおうほどのものもなかった、肌襦袢はだじゅばんとあれだけでは、ふすまから透見も出来なかったことなど聞き、聞き……地蔵菩薩の白い豆府は布ばかり、渋黒い菎蒻は、ててらにして、浄玻璃じょうはりに映り、閻魔大王の前に領伏ひれふしたような気がして、豆府は、ふっくり、菎蒻は、せたり。二個の亡者は、奈落へ落込んだ覚悟で居る。それも良心の苛責かしゃくゆえでありましょうのに、あたりの七宝荘厳なのは、どうも変だ、といよいよ魔法にかかって、とろとろとしたと思う。
 …………
「御加護たまわれ。」
 かかる場所にて呼び奉るを、許させらるるよう、氏神を念じて起上った私は、薄掻巻うすかいまきを取って、引被ひっかぶせて、お冬さんを包んだのです。おさえた袖がわなわなと震えるのは、どうも踊るような自分の手で。――覚悟をすると、おんなは耳も白澄しらすむばかり、髪も、櫛も、中指なかざしも、しんとするほどしずかです。
「誰だ!」
 どころじゃない。大きな天井に届く老婆ばばあの顔が、のしかかって、屏風越びょうぶごしに、薄髭うすひげあごでのぞいている……そのすごさというものは。
 もっとも、うとうととするうちに、もそりもそりすそで動いたものがある。鼠、いや、猫より大きい。しかも赤ッちゃけたものが、何か動く。紅いものといっては、お冬さんはちらりともつけていなかった。第一、身づくろいをするにしては、腰を上げ手を伸ばし、余りに人品が悪過ぎる。夢か、犬かと、思ったのが薄汚れた、赤袴あかばかまです。赤袴の這身はいみで忍んで、あらかじめ、お冬さんの衣桁いこうにも掛けずたしなんで置いた、帯をつかみ出していたのです。それを、柳に濡色な艶々つやつやと黒いのを、みしとんで、突立つったったのが、あと足で蹴退けのけるとひとしく、
「誰だ、何が、誰だとは人間に向うてよういうた、にい。畜生のくせにして、おのれ。」
 とその袴で、のしのしと出て坐った。黒の被布で、鈍色にぶいろ単衣ひとえの白襟で、窪んだ目を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みひらいた。
「おお見た処が、まだ面相は人間じゃに、手は、足は、指なぞどうぞに、もう犬猫の毛が生えてはせぬか。どれ、てのひらなど、ちょっと見せやれ。に、どれ、どれ。」
 私は引払ひっぱらって手を引いた。幻に見えるのは、例の黒いかめ煉薬ねりやくです。――その向った柱には、どんな姿が、どんなありさまになっていたとお思いになります、これにかかってはたまらない。汚らわしい。
「何をするんだ。触っちゃ不可いけない。」
「触ったら嬉しかろ、難有ありがたいとおもいなされ、そりゃ犬猫に、お手々という処じゃがや。」
「犬猫、畜生とは何だ。口が過ぎよう。――間淵の妹。」
「うん、小山弥作――何で尼の口が過ぎる。畜生、というたが悪いと思うか。くろよ、くろよ、ぶちよ、ぶちよ、うふふ、うふふ。」
 と、いやらしく口を割って、黄色い歯で笑ったあとを一睨ひとにらみ睨んだ。目が光って、
「このおす。」
「牡。」
 余りの事に、私はむきと居直った。
「牡、牡よ。そっちのめすまげびんが、頬先に渦毛うずげを巻いとる、見しゃれ。人間の言葉が通ずるうちに、よう聞け、よう聞けや。
 牝が傘さいて、この牡を送って出たまではよかったれどな、帰りが遅い。その遅いだけでさえもじゃ、お孝がどないにも気をんだいのう。ったり居たり、かどへ出る、路地をのぞく。何をそわつくやら、尼も希有けぶなと思うとるうちに、おでん屋で聞いたそうな、一本松の方へ、この雨の降る中、うせたとな。
 お孝が早や、あわれや、見得も外聞もない。すそをくるりと、あの坂を走り上った。うれしやな、ああさん、と駆けよったのが、あの、ほの白い松の根の建札たてふだや、とにい、建札が顔に見えるようやったら、曝首さらしくびじゃが、そらほどの罪……を、また犯いたぞ。」
 その松の中へ、白鷺とふくろうねぐらした夢は、ここではっきり覚めました。七宝のよそおい螺鈿らでん衣桁いこうもたちまち消えて、紗綾さや縮緬ちりめんも、わら、枯枝、古綿や桃色のせた襤褸ぼろの巣となったんです。
「かねてからわしも知っとる、お孝はなお孝はな、……それがために、めす、われが身になって、食いものねだりの無理非道よりも泣かされたぞ、に、に。牝、牝も骨身……肩、腰、胸、腹、やわずいまで響いてこたえておろうに。洞斎兄がや、足腰の立たん中気の病人がや、四年越、がな、すきがな、牝の姿が立違うて、ちょっとの間見えぬでも、みついて、咽笛のどぶえ圧伏おしふせるようにゃ、気精をんだは何のためや、お冬おのれが、ここな、この、木彫師、直槙。」
 私は呼吸いきを詰めた。
「小山さんじゃ。まだその時は牡、とはいうまい。また牝、ともいうまい。その時には、金輪際、みだら、ふしだらはなかった。また有るわけもないかじゃ事は、尼も、洞斎兄の身にかわって天地を見抜いてよう知っとる。じゃが、病人は、ただそれのみを、末期まつごまで、嫉妬しっとに嫉妬して、われの貞操みさおを責め抜いたに、お冬も泣かされれば、尼かて、われの身になって見て、いとしゅうてならなんだ。
 うう、因果やの、前世のごうというは可恐おそろしい。曳船でも、柳町でも、この直槙の形がの内へあらわれると、棟、柱、はりたたられた同然に、洞斎兄は影を消すように引越して、あとをくらまかいた、二十何年もたって、臨終にも、目をつむらず、二三世までも苦しんだ。嫉妬、怨念おんねん、その業因があればこそ、何の、中気やかて見事に治療をして見せる親身の妹――尼の示現のきゅうも、そのかいがなかったというもんやぞ、に。」
 黒い瓶、いやその信玄袋を、ひしとつかんで、
「に、それやもんの、あだ果報な、牡めは、宿業として、それだけお冬に思われておった、おのずから夫の病人にその気が通ずる、に、に。それやよってじゃ、相合傘で送って出て、一本松にもらぬとすりゃ、雨の中を、いつまでも、どこへどう行くもんや、つもっても知れておる。……知れるよってに、お孝が半狂乱じや、松の辺にはらぬと見て、けずり歩行あるいて、捜しまわった、はぎの泥の、はねだらけで、や、お仏壇の前に、寝しなのお勤行ごんぎょうをしておった尼の膝に抱きついた。これがや、はや、に、小猫が身を揉むように、
 ――助けて下さい、おばあさん――
 と、いいか、
 ――私は畜生になります――
 とじゃに。」
 ただ引伏せた練絹ねりぎぬに似た、死んだようなお冬の姿が、しなうばかりに揺れたのであります。
「私も、わけをきいて、う、五寸の焼釘を、ここの肝へ刺されたぞ。――畜生になります――とお孝がいうた一言じゃ。」
「どうしたんです。お孝さんが何をいったんだ。」
「言うか、言おうか。」
「ええ、可厭いやな息を掛けるない、何だ。」
「聞くか、聞くか。また、聞かさいで、おかりょうか。おのれら二人は、いい事にして、もと友だちの、うつくしい女房、たかが待合の阿媽おかあ。やかれても、あぶられても、今は後家や、天下晴れ察度はあるまいみだらじゃが、神仏、天道、第一尼らが弘法様がお許しないぞ。これ、牡。」
「お黙んなさいよ。」
「うンや黙らん、牡、いや、これ小山直槙どの。あんたは過ぎた――何の年、何の月、何の日の、雨の降るに、友だちと三人づれ、赤坂の……何の待合で……酔倒れて…………一夜あかいた……覚えがあるでしょ……でしょ……でしょ。……その時の……若い芸妓げいしゃを………誰やと思う。」
こぶしを握って、ハタと卓子台ちゃぶだいについて、がっくり額を落したから、聞いている筆者わたしは驚いた。)
「ああ。」
「もうその声が畜生の呻唸うめきじゃ、どうじゃ、牡、何と思う。牝、どうや。」
 と、尼婆がじりじりと枕へ詰寄せる。袴の赤いのが、お冬さんの細首を裂く血に見える。
「これ、夫の妹、おつかわしめの尼に対して、その形は何じゃい、手をつけ、かがめ、起きされ、起きされ、これ。」
「はい。」
 といって、前髪を枕にうつむいた。
「起きぬか。這え。これ、やっと片手をついた処は、片膝ももたげたじゃろ、に。左か、右か、毛縮緬などからめかいて、いやらしい、犬がしいこくとおなじじゃぞに、に、に。」
 かッとなった、私は子供のうちから手にするのみ小刀は、今ぞ、この時のためではないか。畜生、いや、これは怪我にも口にすべきではない。飛びかかって、と思って、また悚然ぞっとしました。
 お冬も、ぶるぶると震えたんです。
「身を震わすの、身ぶるいするの、毛並を払ふの、雨のあとのや。」
おばさん、殺して……殺して……」
「何、殺せじゃ、あははは、贅沢ぜいたくな。これ、犬ころしにはならぬぞ、弘法様のおつかわしめは。」
 私はぐうたらな癖に、かッとなる、発作的短気がある。
「お冬さん、死のう。」
「……嬉しい。」
「ただし、ばばあ打殺ぶちころして。」
「あれ、あなた、私だけ、私は覚悟をしています。」
「よい、よい、よい、よい。死ぬ、死のう。殺すとやに、そこまで覚悟がついたれば、気を落ちつけて聞きんされ。や、や、二人とも、よう聞きんされ。これまでは罰や、罪業に対する一応の訓戒いましめじゃ。そこを助ける、生きながら畜生道に落ちる処を救いたまわる、現当利益りやく、罰利生りしょう、弘法様はあらたかやぞ。
 おつかわしめの尼がや、示現の灸で助けてあげる。……
 形ある、形ない、形ある病疾やみわずらい、形ない悪業、罪障、それを滅するこの灸の功力くりきぞに。よって、秘法やぞに。この法は、業病難病、なみなみならぬ病ともまた違うて……大切な術ゆえに、装束をあらためて、はじめからその気で来たや。さ、どうや。お冬さん……もう牡牝はいわんぞ。お冬さん、あんたも知ってじゃろ、別しての秘法は、もぐさも青々となる瑠璃るりの白露のようながや。」
「助けて下さいまし、おさん、そうして、お灸は、どこへ。」
「魂は、胸三寸というわいの。」
「ええ。」
鳩尾きゅうびや、乳のあいや。」
「……恥しい。」
「年でもあるまい。二十はたち越した娘を育てたものが、何、恥しい。何、殿方に、ははは、こりゃ好いた人には娘のようじゃ。」
「夜もふけました、何事も明日にしてはいかがです。」
「滅相な、片時へんじを争う。一寸のびても三寸の毛が生えようぞに。既に、一言を聞いた時、お孝には、もう施した。二人のためには手間は取られず、行方は知れぬ。こんな場席を、仏智力、法力をもって尋ねるのは勿体ない。よって、魔魅や、魔魅の目と導きで探って来たぞに、早う、なされんかに、お冬さん。」
「はい。」
「さ、お冬さん。」
「はい。」
「これ。」
「はい、でも。」
「ええ、うじうじして、畜生。」
「……お尼さん、助けて下さい。」
「それ、見され。」
 黒い皺手しわてで、雪の胸。……
「おお、軽々と柔こう、畜生になる処を、はや、ひっくり返った。」
 がばと開けて、
「それ、救の手が届くと、はや、白い天人が仰向あおむいたようじゃ。ええ、邪魔な。」
 細い、霜を立てたように、お冬が胸に合せた両掌りょうてを、絹を裂くばかり肩ぐるみ、つかみしに左右へさばいた。
「熱うない、知っての通り、熱うない、そのかわり少しでっかいぞ。」
 艾ですが、縦に二筋、数六つ。およそ一千疋の子をはらんだ蜘蛛くもうごめくように、それが尼の手につれて、一つ一つ、青い動悸どうきで、足を張って動く。……八つの乳となりはしないか、私は肩から氷をあびた。
「やの、したたかな冷汗や、胸へ走るの、流れるの、熱うはない。」
 とぬかいて、附木を持翳もちかざすと、火入ひいれ埋火うずみびを、口が燃えるように吹いて、緑青の炎をつけた、ぷんと、硫黄いおうにおいがした時です。
南無普賢大菩薩なむふげんだいぼさつ文珠師利もんじゅしり。……仕うる獅子も象も獣だ。灸は留めちまえ、お冬さん。畜生になろう、お互に。」
「おお、象よかろ、よかろ。手では短い、その、くにゃくにゃとした脚を片股かたもももぎとって、美婦がった鼻へくッつけされ、さぞよかろ。」
「あ、あ。」
「その象結構だ、構うものか。」
「……いやです、あなたが獅子でも、象でも、私は女で、影にも添っていたいんです。」
 ――こんなに、いとしい思いをした覚えはない。
「よし。」
 私は大胡坐おおあぐらで胸を開けた。
「尼さん、療治をうけよう。」
 ――火は熱いか、熱くないか、とおっしゃるんですか。いや、それは……
 何だといって、六つずつ十二の煙が、むらがりまとい這いまつわる、附木の硫黄は、火の車で、鉄の鍋の中に、豆府と菎蒻がぐらぐらと煮える……申しますまい。口で言うだけでも、お冬さんを、我が手でいじしえたげるにひとしいんですから、ただ幻に見て、爪のさきまで、青くなった時に、お冬さんが一言ひとことかすかにいいました。
「草葉の、露に、青い、蛍が、見えますわ。」
 と手術でもうけたあとのように、やっと立って、それでも、だてじめの上へ帯を抱えたなりに、膝をなやして、戸を出る私の背にすがつて[#「すがつて」はママ]、送ろうとするのを、
「慎しみませい、灸のいみじゃ、男のそばへ寄ってもならん。」
 と、袴をはだけて、立ちふさがって突きのけた。
「そこで、戸を膝行いざって出た私ですが、ふらふらと外へ出たのは一枚の開戸口ひらきどぐちで。――これがいたのを、さきには一本松の幹だと思った。見ると、小さな露台があって、瀬戸の大鉢に松がうわっています。一本松ではありません、何とかいう待合、同業のうちだった。目の下が、軒並の棟を貫いて、この家の三階へ、切立てのように掛けた、非常口の木の階段だったのが分りました。いずれ、客の好奇心をそそろうといったあつらえと見えます。確に寺のだんへ上ると思って、いつの間にか――これで庭下駄で昇った女に手をかれたのでは、霧に乗った以上でしょう。
 ずり落ちる下界は、自動車が(ここへは通る)待っていました。かたわらに、家業がら余程奇を好んだと見えて、棕櫚しゅろの樹が鉢に突立つったててある、その葉が獅子の頭毛かしらげのように見えて、私は、もう一度ぐらぐらと目がくらんだ、横雲黒く、有明ありあけに……
 あけがたうちに帰ってから、私は二月ばかり煩った。あとで、一本松、石磴の寺、その辺まではそっと参りました。木戸をも閉めよ、貫木ぬきをもとざせ、掛矢で飛込んでも逢いたい。心に焼くように、雪の家の空あたりが、血走る目で火の手になり、赤いまでに見えるけれども、炎を水にし氷にしても、お孝という、赤坂で一度間違いをした娘に顔が合わされません。
 畜生でも構わない、逢えさえすれば……
 心を削り、魂を切って、雌雄しゆうの――はじめは人のおもてのを、と思いました。女の方は黒髪を乱した、思い切って美しい白い相の、野郎の方は南瓜かぼちゃ向顱巻むこうはちまきでも構わない。が、そんな異相な木彫とすると、どこの宮堂でも引取りません。全身の獅子ししを刻んで、一本松――あの附近の神社へ納めたんです。
 名家の馬が草を食いに、夜、抜出たのではない。牝獅子めじしの方が、どうした事か、間もなく石磴を飛んで裂けました。」
 直槙はここで目を閉じた、が、はらはらと落涙した。
「……ちょうどその頃だと言います。人にはいえず、打明けては頼めない事ですから、そこいら差触りなく、おでん屋などに幅の利きそうな若い男を頼んで、あのあたりの様子を聞くと、雪の家のごしんぞは、気が狂ったろう、のまわり、胸に、六ところ、剃り落しても剃り落しても赤斑あかまだらの毛が生える、浅間しさ、なさけなさに取詰めた、最後は、蜑女あまの絵が抜出したように取乱して、表二階の床の掛軸「喝」という字に、みしとくいつくと、払子ほっすをサッと切破いた、返す、ただ、一剃刀ひとかみそりで。
 この事があってから、婆さんの尼は、坂東三十三番に、人だすけの灸を施し、やがては高野山に上って更に修行をすると云って、飄然ひょうぜんうちを出た。扮装いでたちが、男の古帽子をかぶり、草鞋わらじで、片手に真黒まっくろな信玄袋、片手に山伏の貝を吹いて、横町をそのまま出ました。西のかた、その坂東第一番に向った。そののち沙汰はない。しかし、灸は実によく利いた。人間わざに似ない、と界隈かいわい一帯、近く芝、となり赤坂辺まで、その行方を惜しむといいます。
 ――雪の家は、川崎辺へ越した、今はありません。
 尼が畜生道にちるのを救うといったのも、怪しい縁によって、私はおびき寄せたのも、……どうもはじめから、兄洞斎の、可恐おそろしい嫉妬の怨念にむくゆる、復讐ふくしゅう呪詛のろいだったとも思われません。しかしまた怪しい業通ごうつうによって、かねて企図したものだったかも知れません。何にしても、私のために、かわいそうな、はかない、お冬……」
 と、いうとともに、直槙は胸を切られたように、あおざめて、両手で肩を抱いたのでありました。
 毛が生えていたかも知れない。血をはいていたかも知れない。その胸を、とは、さすがに筆者わたしも聞き得なかった。
 直槙がなくなって、もう三年になる。
 筆者わたしは、あの時以来、一本松へはまだ行って見ないで居る。恐れて毛並は見定めなかった、坂を駆出したのは、残った獅子だったかも知れません。
 だから、うちへ帰って、少しばかり足を気にしたのも、そんなにお笑いにはなるまいと思う。………
昭和十二(一九三七)年十二月





底本:「泉鏡花集成9」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年6月24日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第二十四卷」岩波書店
   1940(昭和15)年6月30日第1刷発行
初出:「中央公論 第五十二年第十三號」
   1937(昭和12)年12月
※訂正注記に際しては、底本の親本を参照しました。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2012年9月18日作成
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