今を
距ること三十余年も前の事であった。
今において回顧すれば、その頃の自分は十二分の幸福というほどではなくとも、少くも
安康の生活に
浸って、
朝夕を心にかかる雲もなくすがすがしく送っていたのであった。
心身
共に生気に充ちていたのであったから、毎日


の朝を、まだ
薄靄が村の田の
面や
畔の
樹の
梢を
籠めているほどの
夙さに
起出て、そして九時か九時半かという頃までには、もう一家の生活を支えるための仕事は終えてしまって、それから後はおちついた
寛やかな気分で、読書や研究に従事し、あるいは訪客に接して談論したり、午後の
倦んだ時分には、そこらを散策したりしたものであった。
川添いの地にいたので、
何時となく
釣魚の趣味を
合点した。何時でも覚えたてというものは、それに心の惹かれることの強いものである。
丁度その頃
一竿を手にして長流に対する味を覚えてから一年かそこらであったので、毎日のように
中川べりへ出かけた。中川沿岸も今でこそ各種の工場の煙突や建物なども見え、人の
往来も繁く人家も多くなっているが、その時分は
隅田川沿いの
寺島や
隅田の村

でさえさほどに
賑やかではなくて、
長閑な別荘地的の光景を存していたのだから、まして中川沿い、しかも
平井橋から
上の、
奥戸、
立石なんどというあたりは、まことに
閑寂なもので、水ただ
緩やかに流れ、雲ただ静かに
屯しているのみで、
黄茅白蘆の
洲渚、時に
水禽の影を
看るに過ぎぬというようなことであった。
釣も釣でおもしろいが、自分はその平野の中の緩い流れの附近の、平凡といえば平凡だが、何ら特異のことのない
和易安閑たる景色を好もしく感じて、そうして自然に
抱かれて幾時間を過すのを、東京のがやがやした
綺羅びやかな
境界に神経を
消耗させながら享受する歓楽などよりも
遥に
嬉しいことと思っていた。そしてまた実際において、そういう中川べりに
遊行したり寝転んだりして
魚を釣ったり、魚の来ぬ時は
拙な歌の一句半句でも釣り得てから帰って、美しい
甘い軽微の疲労から誘われる淡い清らな夢に入ることが、翌朝のすがすがしい眼覚めといきいきした力とになることを、自然
不言不語に悟らされていた。
丁度秋の
彼岸の少し前頃のことだと覚えている。その時分毎日のように午後の二時半頃から家を
出でては、中川べりの
西袋というところへ遊びに出かけた。西袋も今はその辺に肥料会社などの建物が見えるようになり、川の流れのさまも土地の様子も
大に変化したが、その頃はあたりに何があるでもない江戸がたの
一曲湾なのであった。中川は
四十九曲りといわれるほど
蜿蜒屈曲して流れる川で、西袋は丁度西の方、即ち江戸の方面へ屈曲し込んで、それからまた東の方へ転じながら南へ行くところで、西へ入って袋の如くになっているから西袋という
称も生じたのであろう。水は
湾
と曲り込んで、そして転折して流れ去る、あたかも開いた扇の左右の親骨を川の流れと見るならばその
蟹目のところが即ち西袋である。そこで
其処は
釣綸を垂れ難い地ではあるが、魚は立廻ることの多い自然に
岡釣りの好適地である。またその堤防の
草原に腰を下して
眸を放てば、上流からの水はわれに向って来り、下流の水はわれよりして出づるが如くに見えて、心持の好い眺めである。で、自分は
其処の
水際に
蹲って釣ったり、
其処の
堤上に寝転がって、たまたま得た何かを雑記帳に一行二行記しつけたりして毎日
楽んだ。
特にその幾日というものは
其処で好い漁をしたので、家を出る時には既に西袋の景を
思浮べ、路を行く時にも早く
雲影水光のわが前にあるが如き心地さえしたのであった。
その日も午前から午後へかけて少し頭の疲れる難読の書を読んだ後であった。その書を机上に閉じて
終って、
半盞の番茶を
喫了し去ってから、
また行ってくるよ。
と家内に
一言して、
餌桶と
網魚籠とを持って、
鍔広の
大麦藁帽を
引冠り、腰に
手拭、
懐に手帳、素足に薄くなった
薩摩下駄、まだ低くならぬ日の光のきらきらする中を、
黄金色に輝く
稲田を渡る風に吹かれながら、少し熱いとは感じつつも
爽かな気分で歩き出した。
川近くなって、田舎道の辻の或
腰掛茶店に立寄った。それは藤の棚の
茶店といって、自然に
其処にある古い藤の棚、といってさまで大きくもないが、それに店の半分は
掩われているので人

にそう呼びならされている
茶店である。路行く人や農夫や行商や、野菜の荷を東京へ出した帰りの
空車を
挽いた男なんどのちょっと休む
家で、いわゆる
三文菓子が少しに、余り渋くもない茶よりほか何を提供するのでもないが、重宝になっている
家なのだ。自分も釣の
往復りに立寄って
顔馴染になっていたので、
岡釣に用いる竿の
継竿とはいえ三
間半もあって長いのをその
度
に携えて往復するのは好ましくないから、
此家へ頼んで預けて置くことにしてあった。で、今
行掛に例の如く
此家へ寄って、
やあ、今日は、また来ました。
と挨拶して、裏へ廻って
自ら竿を取出して
網と共に
引担いで来ると、
茶店の婆さんは、
おたのしみなさいまし。好いのが出ましたら
些御福分けをなすって下さいまし。
と笑って
世辞をいってくれた。その言葉を背中に聴かせながら、
ああ、
宜いとも。だがまだボク釣師だからね、ハハハ。
と答えてサッサと歩くと、
でもアテにして待ってますよ、ハハハ。
と
背後から大きな声で、なかなか調子が好い。
世故に慣れているというまででなくても善良の老人は人に好い感じを持たせる、こういわれて悪い気はしない。駄馬にも
篠の
鞭、という
格で、少しは心に勇みを添えられる。
勿論未熟者という意味のボク釣師と
自ら言ったのは謙遜的で、内心に
下手釣師と自ら信じている
釣客はないのであるし、自分もこの二日ばかりは不結果だったが、今日は好い結果を得たいと念じていたのである。
場処へ着いた。と見ると、いつも自分の坐るところに小さな
児がチャンと坐っていた。汚れた手拭で
頬冠りをして、
大人のような
藍の細かい
縞物の
筒袖単衣の
裙短なのの汚れかえっているのを着て、細い
手脚の
渋紙色なのを貧相にムキ出して、見すぼらしく
蹲んでいるのであった。東京者ではない、田舎の
此辺の、しかも余り
宜い
家でない家の児であるとは一目に思い取られた。髪の毛が伸び過ぎて
領首がむさくなっているのが手拭の下から見えて、そこへ日がじりじり当っているので、細い首筋の赤黒いところに汗が
沸えてでもいるように汚らしく少し光っていた。
傍へ寄ったらプンと臭そうに思えたのである。
自分は自分のシカケを取出して、
穂竿の
蛇口に着け、釣竿を順に
続いで釣るべく準備した。シカケとは竿以外の
綸その他の
一具を称する釣客の語である。その間にチョイチョイ少年の方を見た。十二、三歳かと思われたが、顔がヒネてマセて見えるのでそう思うのだが、実は十一か
高
十二歳位かとも思われた。黙ってその児はシンになって
浮子を見詰めて釣っている。
潮は今ソコリになっていてこれから
引返そうというところであるから、水も動かず浮子も流れないが、見るとその浮子も
売物浮子ではない、木の
箸か何ぞのようなものを、明らかに少年の手わざで、釣糸に
徳利むすびにしたのに過ぎなかった。竿も二
間ばかりしかなくて、誰かのアガリ竿を貰いか何ぞしたのであろうか、穂先が穂先になってない、けだし頭が三、四寸折れて
失せて
終ったものである。
この児は釣に慣れていない。第一
此処は
浮子釣に適していない場である。やがて潮が動き出せば浮子は
沈子が重ければ水に
撓られて流れて沈んで
終うし、沈子が軽ければ水と共に流れて
終うであろう。また二間ばかりの竿では、
此処では
鉤先が好い魚の廻るべきところに達しない。
岸近に廻るホソの
小魚しか
鉤には来らぬであろう。とは思ったが、それは
小児の釣であるとすればとかくを言うにも及ばぬことであるとして看過すべきであるから
宜い。ただ自分に取って困ったことはその児の
居場処であった。それは自分が坐りたい処である。イヤ坐らねばならぬところである、イヤ当然坐るべきところである、ということであった。
自分が
魚餌を
鉤に
装いつけた時であった。偶然に少年は自分の方に
面を向けた。そして
紅桃色をしたイトメという虫を五匹や六匹ではなく沢山に鉤に装うところを
看詰めていた。その顔はただ注意したというほかに何の表情があるのではなかった。しかし思いのほかに
目鼻立の整った、そして
怜悧だか気象が好いか何かは分らないが、ただ
阿呆げてはいない、
狡いか善良かどうかは分らないが、ただ無茶ではない、ということだけは
読取れた。
少し気の毒なような感じがせぬではなかったが、これが少年でなくて大人であったなら
疾くに自分は言出すはずのことだったから、仕方がないと自分に決めて、
兄さん、済まないけれどもネ、お前の坐っているところを、右へでも左へでも宜いから、一間半か二間ばかり
退いておくれでないか。そこは私が坐るつもりにしてあるところだから。
と、自分では出来るだけ言葉を
柔しくして言ったのであった。
すると少年の面上には明らかに反抗の色が
上った。言葉は何も出さなかったが、眼の
中には
威をあらわした。言葉が発されたなら明らかにそれは拒絶の言葉でなくて、何の言葉がその眼の中の或物に伴なおうやと感じられた。仕方がないから自分は自分の意を徹しようとするために再び言葉を費さざるを得なかった。
兄さん、失敬なことを言う勝手な奴だと怒ってくれないでおくれ。お前の竿の先の見当の
真直のところを御覧。そら
彼処に古い「出し
杭」が
列んで、
乱杭になっているだろう。その中の一本の杭の横に大きな
南京釘が打ってあるのが見えるだろう。あの釘はわたしが打ったのだよ。あすこへ釘を打って、それへ竿をもたせると宜いと考えたので、わたしが
家から釘とげんのうとを持って来て、わざわざ舟を借りて
彼処へ行って、そして考え定めたところへあの釘を打ったのだよ。それから
此処へ来る
度にわたしはあの釘へわたしの竿を掛けてあの乱杭の外へ鉤を出して釣るのだよ。で、また私は釣れた日でも釣れない日でも、帰る時にはきっと
何時でも持って来た
餌を土と一つに
捏ね丸めて
炭団のようにして、そして
彼処を狙って二つも三つも
抛り込んでは帰るのだよ。それは水の流れの上
ゲ下
ゲに連れて、その土が解け、餌が出る、それを
魚が覚えて、そして自然に魚を
其処へ廻って来させようというためなのだよ。だからこういう事をお前に知らせるのは私に取って
得なことではないけれども、わたしがそれだけの事を
彼処に対してしてあるのだから、それが解ったらわたしに
其処を譲ってくれても
宜いだろう。お前の竿では
其処に坐っていても別に甲斐があるものでもないし、かえって二間ばかり左へ寄って、それ
其処に小さい
渦が出来ているあの渦の
下端を釣った方が得がありそうに思うよ。どうだネ、兄さん、わたしはお前を
欺すのでも強いるのでもないのだよ。たってお前が
其処を
退かないというのなら、それも仕方はないがネ、そんな意地悪にしなくても好いだろう、根が遊びだからネ。
と言って聴かせている
中に、少年の眼の
中は段

に平和になって来た。しかし末に至って自分は明らかにまた
新に失敗した。少年は急に不機嫌になった。
小父さんが遊びだとって、俺が遊びだとは
定ってやしない。
と
癇に触ったらしく投付けるようにいった。なるほどこれは悪意で言ったのではなかったが、
己を
以て人を律するというもので、自分が遊びでも人も遊びと定まっている理はないのであった。公平を失った
情懐を
有っていなかった自分は一本打込まれたと是認しない訳には行かなかった。が、この不完全な設備と不満足な知識とを以て川に臨んでいる少年の振舞が遊びでなくてそもそも何であろう。と驚くと同時に、遊びではないといっても遊びにもなっておらぬような事をしていながら、遊びではないように高飛車に出た少年のその無智無思慮を自省せぬ点を
憫笑せざるを得ぬ心が起ると、殆どまた同時に引続いてこの少年をして
是の如き語を
突嗟に発するに至らしめたのは、この少年の鋭い性質からか、あるいはまた或事情が存在して
然らしむるものあってか、と驚かされた。
この驚愕は自分をして当面の釣場の事よりは自分を自分の心裏に起った事に引付けたから、自分は少年との応酬を忘れて、少年への観察を
敢てするに至った。
参った。そりゃそうだった。何もお前遊びとは
定まっていなかったが……
と、ただ無意識で正直な挨拶をしながら、自分は
凝然と少年を見詰めていた。その
間に少年は自分が見詰められているのも何にも気が着かないのであろう、別に何らの言語も表情もなく、自分の竿を挙げ、自分の坐をわたしに譲り、そして教えてやった場処に立って、その鉤を
下した。
ヤ、有難う。
と自分は挨拶して、乱杭のむこうに鉤を投じ、自分の竿を自分の打った釘に載せて、静かに
竿頭を眺めた。
少年も黙っている。自分も黙っている。日の光は背に熱いが、川風は帽の下にそよ吹く。
堤後の
樹下に鳴いているのだろう、
秋蝉の声がしおらしく聞えて来た。
潮は
漸く動いて来た。
魚はまさに来らんとするのであるがいまだ来ない。川向うの
蘆洲からバン
鴨が立って低く飛んだ。
少年はと見ると、
干極と異なって来た水の調子の変化に、些細の
板沈子と
折箸の
浮子とでは、うまく安定が取れないので、時

竿を挙げては鉤を
打返している。それは座を
易えたためではないのであるが、そう思っていられると思うと不快で仕方がない。で、自分は声を掛けた。
兄さん、
此処は
潮の
突掛けて来るところだからネ、
浮子釣ではうまく行かないよ。
沈子釣におしよ。
浮子釣では釣れないかい。
釣れないとは限らないが、も少し潮が利いて来たら餌がフラフラし過ぎるし、
釣づらくて仕方がないだろう。
今でも釣りづらいよ。
そうだろう。沈子を持っていないなら、
此処へおいで。沈子もあげようし、シカケも直してあげよう。
沈子をくれる?
ああ。
自分の気持も
坦夷で、決して親切でないものではなかった。それが少年に感知されたからであろう、少年も平和で、そして感謝に充ちた安らかな顔をして、竿を挙げてこちらへやって来た。はじめてこの時少年の面貌
風采の全幅を目にして見ると、
先刻からこの少年に対して自分の抱いていた感想は全く誤っていて、この少年もまた他の同じ位の年齢の児童と同様に真率で温和で少年らしい愛らしい無邪気な感情の所有者であり、そしてその上に聡明さのあることが感受された。その眼は清らかに澄み、その
面は明らかに晴れていた。自分は
小嚢から
沈子を出して与え、かつそのシカケを改めて
遣ろうとした。ところが少年は、
いいよ、僕、出来るから。
といって、
自らシカケを直した。一
ト通りの
沈子釣の装置の仕方ぐらいは知っているのであったが、沈子のなかったために
浮子釣をしていたのであったことが知られた。
少年の用いていた餌はけだし自分で掘取ったらしい
蚯蚓であったから、
聊かその不利なことが気の毒に感じられた。で、自分の餌桶を
指示して、
この餌を御使いよ、それでは
魚の
中りが遠いだろうから。
少年は遠慮した様子をちょっと見せたが、それでも餌の事も知っていたと見えて、嬉しそうな顔になって餌を改めた。が、
僅に一匹の虫を
鉤に着けたに過ぎなかったから、
もっとお着け、魚は餌で釣るのだからネ。
少年はまた二匹ばかり着け足した。
今まで
何処で釣っていたのだい、
此処は浮子釣りなんぞでは
巧く行かない場だよ。
今までは奥戸の池で釣ってたよ、
昨日も
一昨日も。
釣れたかい。
ああ、
鮒が七、八匹。
奥戸というのは対岸で、なるほどそこには浮子釣に適すべき池があることを自分も知っていた。しかし今時分の鮒を釣っても、それが釣という遊びのためでなくって何の意味を為そう。桜の花頃から菊の花過ぎまでの間の鮒は全く仕方のないものである。自分には合点が行かなかったから、
遊びじゃないように
先刻お言いだったが、今の鮒なんか何にもなりはしない、やっぱり遊びじゃないか。
というと、少年は急に悲しそうな顔をして
気色を曇らせたが、
でも僕には鮒のほかのものは釣れそうに思えなかったからネ。お
相撲さんの舟に
無銭で乗せてもらって
往還りして
彼処で釣ったのだよ。
無銭で乗せてもらっての一語は偶然にその実際を語ったのだろうが、自分の耳に立って聞えた。お相撲さんというのは、当時奥戸の
渡船守をしていた相撲
上りの男であったのである。少年の
談の中には裏面に何か存していることが明白に知られた。
そうかい。そしてまた今日はどうして
此処へ来たのだい。
だってせっかく釣って帰っても、今
小父さんの言った通りにネ、
昨日は、こんな鮒なんか
不味くて仕様がない、も少し気の利いた魚でも釣って来いって叱られたのだもの。
誰に。
お
母さんに。
じゃお
母さんに
吩咐られて釣に出ているのかい。
アア。
下らなく遊んでいるより魚でも釣って来いッてネ。僕下らなく遊んでいたんじゃない、学校の復習や宿題なんかしていたんだけれど。
ここに至って合点が出来た。
油然として同情心が
現前の川の潮のように
突掛けて来た。
ムムウ。ほんとのお
母さんじゃないネ。
少年は
吃驚して眼を見張って自分の顔を見た。が、急に無言になって、ポックリちょっと
頭を下げて有難うという意を表したまま、竿を持って前の位置に帰った。その時あたかも自分の鉤に
魚が
中った。型の好いセイゴが
上って来た。
少年は
羨ましそうに
予の方を見た。
続いてまた二
尾、同じようなのが
鉤に来た。少年は
焦るような緊張した顔になって、
羨しげに、また少しは自分の鉤に何も来ぬのを悲しむような心を蔽いきれずに自分の方を見た。
しばらく彼も我も
無念になって竿先を見守ったが、魚の
中りはちょっと
途断えた。
ふと少年の方を見ると、少年はまじまじと予の方を見ていた。何か言いたいような風であったが、談話の
緒を得ないというのらしい、ただ温和な親しみ寄りたいというが如き微笑を
幽に
湛えて予と相見た。と同時に予は少年の竿先に魚の
来ったのを認めた。
ソレ、お前の竿に何か来たよ。
警告すると、少年は
慌てて向直ったが早いか敏捷に巧い
機に竿を上げた。かなり重い魚であったが、引上げるとそれは大きな鮒であった。小さい
畚にそれを入れて、川柳の細い枝を折取って
跳出さぬように押え蔽った少年は、その手を
小草でふきながら予の方を見て、
小父さん、また餌をくれる?
と如何にも欲しそうに言った。
アア、あげる。
少年は竿を手にして予の
傍へ来た。
好い鮒だったネ。
よくっても鮒だから。せっかく
此処へ来たんだけれどもネエ。
と失望した口ぶりには、よくよく鮒を得たくない
意で胸が
一パイになっているのを現わしていた。
どうもお前の竿では、わんどの内側しか釣れないのだから。
と慰めてやった。わんどとは水の彎曲した半円形をいうのだ。が、かえってそれは少年に慰めにはならずに決定的に失望を与えたことになったのを気づいた途端に、予の竿先は強く動いた。自分はもう少年には構っていられなくなった。竿を手にして、一心に魚のシメ
込を
候った。魚は
式の如くにやがて
喰総めた。こっちは合せた。むこうは抵抗した。竿は月の如くになった。
綸は
鉄線の如くになった。水面に
小波は立った。次いでまた水の
綾が乱れた。しかし
終に魚は狂い疲れた。その白い
平を見せる段になってとうとうこっちへ引寄せられた。その時予の
後にあって
網を
何時か手にしていた少年は機敏に
突とその魚を
撈った。
魚は言うほどもないフクコであったが、
秋下りのことであるし、育ちの好いのであったから、二人の膳に
上すに十分足りるものであった。少年は今はもう
羨みの色よりも、ただ少年らしい無邪気の喜色に
溢れて、頬を染め目を輝かして、如何にも男の児らしい美しさを現わしていた。
それから続いて自分は二
尾のセイゴを得たが、少年は遂に何をも得なかった。
時は
経った。日は堤の陰に落ちた。自分は帰り支度にかかって、シカケを収め、竿を収めはじめた。
少年はそれを見ると、
小父さんもう帰るの?
と予に力ない声を掛けたが、その顔は暗かった。
アア、もう帰るよ。まだ釣れるかも知れないが、そんなに慾張っても仕方はないし、潮も好いところを過ぎたからネ。
と自分は答えたが、まだ余っている餌を、いつもなら土に
和えて投げ込むのだけれど、今日はこの児に
遺そうかと思って、
餌が余っているが、あげようか。
といった。少年は黙って立ってこちらへ来た。しかし彼は餌を盛るべき何物をも持っていなかった。彼は古新聞紙の一片に自分の餌を
包んで来たのであったから。差当って彼も少年らしい当惑の色を浮めたが、予にも好い思案はなかった。イトメは水を保つに足るものの中に入れて置かねば面白くないのである。
やっぱり
小父さんが
先刻話したようにした方が
宜い。
明日また小父さんに
遇ったら、小父さんその時に少しおくれ。
といって残り惜しそうに餌を見た彼の素直な、そして賢い態度と分別は、少からず予を感動させた。よしんば餌入れがなくて餌を保てぬにしても、差当り使うだけ使って、そこらに捨てて
終いそうなものである。それが少年らしい当然な態度でありそうなものであらねばならぬのである。
お前も今日はもう帰るのかい。
アア、夕方のいろんな用をしなくてはいけないもの。
夕方の家事雑役をするということは、
先刻の遊びに釣をするのでないという言葉に反映し合って、自分の心を動かさせた。
ほんとのお
母さんでないのだネ。
明日の米を磨いだり、晩の掃除をしたりするのだネ。
彼はまた黙った。
今日も鮒を一
尾ばかり持って帰ったら叱られやしないかネ。
彼は
黯然とした顔になったが、やはり黙っていた。その黙っているところがかえって自分の胸の
中に強い衝動を与えた。
お
父さんはいるのかい。
ウン、いるよ。
何をしているのだい。
毎日
亀有の方へ通って仕事している。
土工かあるいはそれに類した事をしているものと想像された。
お前のお
母さんは亡くなったのだネ。
ここに至ってわが手は彼の
痛処に触れたのである。なお黙ってはいたが、コックリと
点頭して是認した彼の眼の中には露が
潤んで、折から真赤に夕焼けした空の光りが
華
しく明るく落ちて、その薄汚い
頬被りの手拭、その下から少し
洩れている
額のぼうぼう生えの髪さき、
垢じみた
赭い顔、それらのすべてを無残に暴露した。
お
母さんは
何時亡くなったのだい。
去年。
といった時には、その赭い頬に涙の玉が
稲葉をすべる露のようにポロリと
滾転し
下っていた。
今のお
母さんはお前をいじめるのだナ。
ナーニ、俺が馬鹿なんだ。
見た訳ではないが情態は推察出来る。それだのに、ナーニ、俺が馬鹿なんだ、というこの一語でもって自分の
問に答えたこの児の気の動き方というものは、何という美しさであろう、
我恥かしい事だと、愕然として自分は
大に驚いて、
大鉄鎚で打たれたような気がした。釣の座を譲れといって、自分がその訳を話した時に、その訳がすらりと呑込めて、素直に座を譲ってくれたのも、こういう児であったればこそと
先刻の事を
反顧せざるを得なくもなり、また今
残り
餌を川に投げる方が宜いといったこの児の語も
思合されて、田野の
間にもこういう性質の美を持って生れる者もあるものかと思うと、無限の感が
涌起せずにはおられなかった。
自分はもう深入りしてこの児の家の事情を問うことを差控えるのを至当の礼儀のように思った。
では兄さん、この残り餌を土で
団めておくれでないか、なるべく固く団めるのだよ、そうしておくれ。そうしておくれなら、わたしが釣った
魚を
悉皆でもいくらでもお前の宜いだけお前にあげる。そしてお前がお
母さんに機嫌を悪くされないように。そうしたらわたしは大へん嬉しいのだから。
自分は自分の思うようにすることが出来た。少年は餌の
土団子をこしらえてくれた。自分はそれを投げた。少年は自分の釣った
魚の中からセイゴ二
尾を取って、自分に対して言葉は少いが感謝の意は深く謝した。
二人とも土堤へ
上った。少年は土堤を川上の方へ、自分は土堤の西の方へと下りる訳だ。別れの言葉が交された時には、日は既に収まって、夕風が
袂凉しく吹いて来た。少年は川上へ堤上を
辿って行った。暮色は
漸く
逼った。肩にした竿、手にした
畚、
筒袖の
裾短かな頬冠り姿の小さな影は、長い土堤の小草の路のあなたに段

と小さくなって行く

然たるその様。自分は
少時立って見送っていると、彼もまたふと振返ってこちらを見た。自分を見て、ちょっと
首を低くして挨拶したが、その
眉目は既に
分明には見えなかった。
五位鷺がギャアと夕空を鳴いて過ぎた。
その翌日も翌

日も自分は同じ西袋へ出かけた。しかしどうした事かその少年に
復び会うことはなかった。
西袋の釣はその
歳限りでやめた。が、今でも時

その日その場の情景を想い出す。そして現社会の
何処かにその少年が既に立派な、社会に対しての理解ある紳士となって存在しているように想えてならぬのである。
(昭和三年十月)