古代之少女

伊藤左千夫





 かこひ内の、砂地の桑畑は、其畝々に溜つてる桑の落葉が未だ落ちた許りに黄に潤うて居るのである。俄に寒さを増した初冬の趣は、一層物思ひある人の眼をひく。
 南から東へ「カネ」の手に結ひ廻した垣根は、一風變つた南天の生垣だ。赤い實の房が十房も二十房も、いづれも同じ樣に垂れかゝつて居る。霜が來てから新たに色を加へた、鮮かな色は、傾きかけた日の光を受けて、赤い色が愈赤い。
 門と云ふ程の構では無い。かど口の兩側に榛の古木が一本づゝ、門柱形に立つてる許りだ。とうに落葉し盡した榛の枝には、殻になつた煤色の實が點々として其された枝々について居る。朽ちほうけた七五三飾の繩ばかりなのが、其對立してる二本の榛に引きはへてある。それが兎に角に此の家の門構になつて居る。
 はたと風は凪いで、青々と澄んでる空にそよとの動きも無い。家※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の一族も今は塒に入らん心構へ、萱の軒近くへ寄りたかつて居る。家の人々は未だ野らから歸らぬと見えて、稻屋母屋雪隱の三棟から成立つた、小さな家が殊に寂然として靜かだ。
 表の戸も明いて居り庭の半面には、猶、籾が干されてあるに、留守居の人も居ないのかと見れば、やがてうら若い一人の娘子が、眞白き腕をあらはに、鬱金の襷を背に振り掛けながら、土間の入口へ現はれた。麻の袷に青衿つけた、極めて質素な、掻垂れ髮をうなじのほとりに束ね、裾短かに素足を蹈んで立つた、帶と襷とに聊か飾りの色を見る許りな、田舍少女ではあれど、殆ど竝みの女を超絶して居る此人には飾りもつくりもいらぬらしい。
 手古奈てこなの風姿は、胸から頬から、顏かたち總ての點が、只光るとでも云ふの外に、形容し得る詞は無いのである。豐かに鮮かな皮膚の色ざし、其眼もとに口もとに、何となく尊とい靈氣を湛へて居る、手古奈の美しさは、意味の乏しい、含蓄の少ない淺薄な美麗では無い。どうしても尊い美しさと云ふの外に、適當らしい詞は無いのだ。春花の笑み咲くとか、紅玉の丹づらふ色とか云うても、手古奈を歌ふには餘りに平凡である。
 夕日が背戸山の梢を漏れて、庭の一部分に濃厚の光を走らせ、爲にあたりが又一際明くなつた。手古奈は美しい姿を風能く動かして籾の始末に忙しい。籾の始末と留守居を兼て、今日は手古奈が獨り家に殘つたのであらう。今は日の傾くまゝにおり立つて籾の始末にかゝつたのである。
 寂寞たる初冬の淋しさ、あたりには人聲も無く、塒に集つた※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)さへ、其運動が靜かである。手古奈も周圍から受ける自然の刺撃で、淡々しい少女の心にも、近頃覺えた考事を又しても考へない訣にゆかなかつた。そんな事がと我と我が考へを打消しながら、後から又考の自のづと湧いて來るを止め得ないのだ。
 自分は勿論の事、兩親も兄弟も誰一人さうと氣づいた者も無いけれど、手古奈は物考へする樣になつてから、其美しさは一層増して來た。女は大人になつて好くなる人と惡くなる人とがある。手古奈は大人になつて愈光りが出て來たのである。


 此夏の末頃から、何用あるとも無く、三日とあげずに、眞間のあたり駒を乘り廻し、雨風の日にさへ其立派な風彩で練歩く一人の若殿があつた。殊に榛の木の門口や、南天垣の外には蹄の跡の消える間も無いといふ程であつた。それで誰れ云ふと無く、それと噂に立つた。里の誰彼れ年頃の男達の内には、若殿の足繁く來るのを胸惡く思ふ者が多かつた。果ては、どうかして遣らねばならぬと息卷いてる者もあつた。物蔭から惡態ついてやつたといふ者もあつた。それかあらぬか、此一箇月許りの間、南天垣の外に蹄の跡が絶えて居つたのが、今日は日の暮近くに突然又目馴れた葦毛の駒が垣根の外に現はれた。
 馬上の人は一度乘廻した駒を再び乘返して來たと思ふ間に、躊躇なく馬を降りた。若殿は目敏く手古奈が家には、今手古奈の外に人無きを認めたらしく、つと馬を屋敷の内へ引入れて終つた。木立の蔭を見計らひ、そこなる橘に馬を繋いだ。手古奈は此體に氣づいて、さすがに驚き周章てた。激した胸騷ぎに手足の運動も止まる許りであつた。一蓆の籾をさゝへた儘急いで土間へ走り込むのであつた。
 若殿は悠揚と手古奈の後を追うて家の内に入つた。手古奈も今は其人柄に對して姿勢を正しく迎へぬ譯にゆかないのだ。若殿は最も懇ろな最も丁寧な詞つきで、
 暫くの休息を許してくれ、水一碗をふるまうてくれ、と乞ふのであつた。
 手古奈も、自分に一方ならず思ひを寄せて、我家の前に幾度となく姿を見する人を、隣國の縣主私部小室さきべこむろと知り得た時には、既に幾許か心を動かさぬ訣にゆかなかつた。それからは其人が見えたと聞く度毎には、又窃かに其人を盜み見せずには居られなかつた。白銀造りの太刀をば、紫のさげ緒の紐に掻結び、毛竝美しき葦毛の駒に練行く後姿前姿、さすがに縣主の品位も高く雄々しくもある、壯士振り、手古奈もそれを憎からず思はない訣にゆかなかつた。著しき位置の懸隔は、感情の醇正を妨げるものゝ、其人の眞情を嬉しく思うては、手古奈も取とめない物思に、寢そこねた夜も一夜二夜では無かつた。
 されば今日の會見は、頗る突然の樣で其實少しも突然でない訣なのだが、實際はなか/\突然以上であつた。
 手古奈は命令されたかの如く、手の物を置いた。襷をはづし肘を垂れ、我足の爪先を見つめる樣な伏目の姿勢を取つて、私部小室さきべこむろの前に立つた。手も足も痲痺したかの如く、舌も心も凝固したかのやうに、云ふべき何の詞も出ないのである。小室はつとめて色を和らげた面持にて、靜かに爐邊の上り框に腰を卸した。丈夫と思ふ英氣は全身に滿ち、天地に少し至らぬ鋭心を負ひ持てりと信じつゝある私部小室ではあれど、平生自負の雄心も此際に何の力も無いのである。戀の前に立つては只戀人の心に逆らふまいとする自然の命令より外に一切の働きは無いのである。かくて兩人相對した暫時の光景は、互に鼓動する心臟音が男の音と女の音と兩音の響きを、靜中に感じ得る許りである。活きた繪である、活きた繪これが一番此場合を形容するに適當な詞であらう。
 小室は漸く水を貰ふのであつたと思ひ出した。幸に湯の冷めないのがあつて、手古奈は金碗に湯を汲んで小室に捧げた。湯を求める、湯を汲みささげる、湯を飮む、此の三つの動作の爲に、兩人ともやう/\少しく此間のぶまを免れて、談話の端緒を開き得た。
 小室は千日の思を語るべき機會に、如何に云ふべきかは、隨分能く復習して居つたのであるが、愈々差向つて見ると、今更に言ひ出づべき詞の順序が立たないのである。女性たる手古奈は猶更何を思慮する落ちつきも得られない。
 手古奈は湯を汲みさゝげる動作の爲に、小室は其一碗の湯を啜る仕草の爲に、僅に胸のさわぎを落ちつけ得たものゝ、それでも言ひ出づべき詞の工夫に全身の力を絞つて、小室は男ながら顏のほてりを包みきれない。
「里人等の眼にも留るまで、こなたの近くを迷ひ歩き、定めて心苦しく思うてゞあらう、切なき思ひの詮なさに、男子の耻をも忘れて、禮なき振舞ひに及んだ、乍併何もかも只君に戀ひての故の迷ぞな、禮なき事は幾重にも赦してよ」
 と詞は少ないが其云ふ心には無量の深さを湛へて居る。賢にして勇との譽れ高い、縣主の殿ともある人の、何といふ謙遜な詞であらう。是れ以上に謙遜な云ひ樣は無からう。彼の女を思ふの心深いだけそれだけ、多く自分をへり下るものか。
 手古奈の美は殆ど神に近いが、人はどこまでも人である。眞情に動く心は、寧ろ竝みの人に勝つて居た。小室が語る其詞は、眞情さながら聲と響く。風に對する黒髮か流に靡く玉藻のそれ、手古奈は覺えず涙ぐんだ。
「賤しき身には餘りに勿體なき仰せ……」
 手古奈はこれだけの挨拶が精一ぱいである。小室はさすがに、始めての會見にさう深くは切り込めない。只此上はそなたが兩親の許しを得て、訪問を重ねたいとの希望を述べた。そして自分は私部小室さきべこむろであると名告つた。此近郷に誰知らぬ者も無き私部小室、改めて名を告ぐるは言を眞と明す習ひである。
 身分もあり、威儀もある人より、情の籠つた心からとは云へ、改つての名のりは、手古奈の耳に今更の如く嚴かに響いた。手古奈は今は情に耻ると云よりは、義理に動く感激が強かつた。同時に手古奈は敏くも顧みて、自分のはしたなき行動は、自分を思うてくれる人にも耻を與へることになると氣づいた。手古奈の此賢なる反省は、其瞬間に手古奈の顏容を層一層尊からしめた。
 手古奈は飽くまでも從順な面持を以て、小室の好意に應へながら、其二言三言の挨拶の内には肅然として女性の神聖を保つた。
 熟々と戀人の心裏を讀み得た小室も非常に滿足した。そして自分の希望も又大方は達し得らるべく豫想されるから、其面持も見るから活氣を有して來た。命を掛けた希望の前途に嬉しき光明を認めて、沸き激つ血汐に新なるどよめきを起すは、かゝる時には誰しも覺えある事である。たとへば五月雨の雲薄らぎつゝ、おぼろげに太陽を認めた時、將に來らんとする快晴を豫期し得た心地である。兩人の應答は斯く簡短に終を告げた。詞少ないだけ餘韻無量の感が殘る。
 小室はどよめく思ひを動作に紛らはし、立つて別れを告げた。
「君に逢ひし日の贈物と、夜晝置かず携へ持てる物、今日の紀念のしるしとも見よ」
 手早く爐邊に置いたものは綾も珍らしき倭文しづ幡帶はたおび、手古奈は周章てた。餘りに突然な爲に、とみには兎角の分別がつかぬ。これを受けて終つては最早許したも同じではあるまいか。篤と父母に計つてと思ひしものを……如何にせんかとの迷ひはおそかつた。太刀のこじりが地を突いた音に氣づく時、小室は早馬上の人であつた。
 帶には二首の歌が添へてあつた。
相見るは玉の緒ばかり戀ふらくは富士の高峰の鳴澤なるさはのごと
かつしかの眞間の入江に朝宵に來る潮ならば押して來ましを


 小室が去つて蹄の音も聞えなくなつた時、手古奈が家はもとの寂然たる靜かに返つた。けれども手古奈が胸の動氣はなか/\靜まるどころでない。天地の一切悉く靜まつて居るに只自分の胸許りが騷ぐやうに手古奈は感じた。
 手古奈は殆ど失心した人の如く、小室の後影を見送つて、何といふ意識もなく、ぼんやりもとの土間へ歸つた。土間へ這入つても只無意識に立つてゐる。嬉しい樣な不安心な樣な、氣味の惡いやうな、又總身ふるへ立つほどなつかしい樣な、何だか少しも取りとめのない心持で足も土についてゐない如く、全く吾肉身は浮いてゐる如く思はれた。どうしようか知らといふ樣な思案の端緒すら起つてゐないのである。
 勿論小室の上に就ては夢の如き思ひの考が手古奈の胸裏に往來したことは幾度あつたか知れないが、雷か何かの樣にこんなに不意な打ちつけな事があらうとは固より豫期せぬことであるから、少女心のすべなさには只わく/\してしまつて、思慮して分別ある詞などは一言も言へなかつた。差向つてゐた時は、迚も思慮など思ひもよらぬことであつたが、今一人殘つて漸く心が靜まつて見ると、彼時には餘りに言ひ足らなかつた爲め、物足らない、何となし殘惜しい樣な心持が動いてきた。やがて父母にも兄にも今日の事を計らねばならぬといふ意識が働きかけると、自分の顏のひどくほてつて居るにも心づき、何とも言ひ難き愉快な感がむら/\と胸に湧き起つた。手古奈の目と口とには聊かな笑みの漣が動いた樣である。
 手古奈は自分ながら驚くほど俄にばたりと音をさして縁へ腰を掛ける。さうして帶を手に取つて見る。倭文幡の美しい帶につく/″\眺め入つた。又其歌をいく度も讀み返した。帶を見、歌を見歌を見帶を見て、しようのない、いとしい心の内にも、身の運命に痛切な問題が差し迫まつてゐることを感じた。どうしようか……勿論親同胞に計らねばならない……どうなるだらうか、身分の事など思ひ浮んだ手古奈は、多少の迷と不安とを感ぜざるにあらねど、新たに光明に接した心持で手足の動きも輕いのであつた。
 手古奈は籾の片づけに掛つたが今見た夢の興味をたどる思で、只心は小室が上に馳せて居る。其引締つた聲や面もちや、身の取こなし總てがはき/\してゐる事や、太刀作りの如何にもさわやかな若駒のひり/\してゐるさまが、皆能く小室の人柄に似せてゐる事や、對話の際には何もかも覺えがない樣に思うたが、かう一人で考へて見ると、小室其人の俤が、耳朶の下邊に黒子のあつた事まで委しく目に留つてゐるのである。それから從兄の丹濃にのや森下の太都夫たつをなどが、いろ/\手を盡して深切を運んだ事を思ひ出した。丹濃は無口な温和な男だけに、打つけに、口には云はないが、手古奈の家に「ボヤ」のあつた時には、丸で命を投げ出しての働きをした。手古奈が全くおぬしがお蔭で家が助かつたと禮を云うた時、手古奈が爲めなら何の命が……と云うた丹濃が面ざしはさすがに手古奈が胸に刻まれてゐる。太都夫とて決して憎い人ではない。馬に乘つた姿勢の立派な事は實に無類で行逢つたら振り返つて見ないものはない位である。それで手古奈に對する仕向けとて兎の毛の先ほども厭らしい風はない。おぬしに一度路で逢うても百日嬉しい程だが、おぬしの樣な人を吾物に仕樣などいふ出過ぎた心はない……など云はれた事も矢張り強く手古奈が記臆に殘つてゐる。
 手古奈は今殆ど小室に心を傾けたに就けても、丹濃太都夫の二人を思ひ出さずには居られなかつたのだ。世の中に何が嬉しいとて人から眞情こめて思はれる程嬉しい事があるものでない。まして社會に立つて受身の位置にある女性として男子に思はれるといふことの不快なるべき筈がない。手古奈は吾身の縁は神の捌きによつて定まるものと固く信じて居るから、自分の好き勝手に男えりをする樣な心は露程もない。されば丹濃や太都夫の深切に對しても十分に同情は寄せて居る。若し二人の内何れかに從ふべき縁があつて、神の捌きと信ずる時機があらば手古奈はそれに從ふことを厭ふのではない。體が分けられるものならば、手古奈は必ず太都夫にも丹濃にも分けてやりたいは山々である。それ故今小室のことを思ふにつけても、彼兩人のことも思ひ出でゝ、新しきを得て舊きを疎むに至るを耻ぢたのである。氣の毒といふ心持がどうしても消すことの出來ないのであつた。
 身分のない二人身分のある小室、かういふ比較は手古奈の戀には關係はない。手古奈は顏の美しい如く心も美しい。そんな卑しい心は手古奈には毛程もないのである。より多く手古奈が小室に動いたは、より多く手古奈を滿足さすべき條件が小室に具備して居るからである。さらば手古奈は一も二もなく小室に從ふつもりで居るかといふに、それは決してさうでない。縁の事は神の捌きに依るもの、小室と自分との關係も是から幾多の經過を歴て……どうなるだらうか。手古奈は只かう思つてゐるまゝである。
 手古奈は千々の思ひを繰返しながらも馴れた仕事には何の手落もなく籾を片づけた。竹箒を手に採つて庭を掃き始めた頃は東の空にお定りの暮色が立つて榛の木の上に初冬五日の月が見えてきた。父も兄も鍬を荷ひ駒を引いて歸つてきた例の兄の愛馬が鼻る聲も聞える。身内へ用にゆかれた母も歸つたらしい、生垣近くで人々の話聲である。手古奈は今更夕飯の仕度の遲くなつたに氣がついて、門先の話聲には出でゝもゆかずにいそ/\と竈屋の仕事にかゝる。父も兄も等しく、馬蹄に踏崩した門先の樣子に首肯きつゝ、母なる人は更に蹄の跡が圍の内深く這入つてあるまで注意する。三人はそれとは氣づいても誰もそれと口には云はない。天氣はえいなア……寒くなつたど……などゝ高調子に話をしながら、土間へ這入る。どしんと音させて鍬を下した。「手古奈や手古奈や」灯もともさずに暗いでないかといふは母の聲である。それ/\向き/\に日暮の用をする。小さな家が俄に賑かになつた。兄は馬を裏の馬小屋へ入れて飼葉を拵らへる。母と兄と父と手古奈と、それは睦しい、心地よげな話が各暗いうちに交換され、餘所眼にも此家の前途に幸福の宿るべきを思はせる。


 夜の食事が濟んでから、親子四人は爐を片邊に短檠を圍んだ。「日和が續けば秋も樂なもんさ、今年の秋程日和都合のえエは珍らしいな、こんな秋なら苦なしぢやはなア」と兄が云へば「秋の仕事も荒方片就き麥蒔も今日で終へたに、女達は明日からはもう機にかゝつてえエよ」と父がいふ。「おう機と云へばなイ手古奈、綿わたちもんは立派なもんだど、明日にも一寸畑へ往つて見てきさい、なイ手古奈や雪のやうな白い實がなつたど」……いつになく兄が話をする。兄と父とは日ぐれに一寸と手古奈が上に就いて思うた事などは忘れてゐるらしい。いつも口輕な母も何か思案のありさうに二人の話に身が入らない。手古奈も勿論今日の出來事に許り思ひは走つて居る。それに話の潮を計つて今日の事を話すつもりでゐるから父や兄の話の興に乘らない。わく/\する心の亂れ落着かねてゐるのである。
 兄は父に似て稍づんくりな、平生詞少ない物靜であわてるといふことのない、何時でもゆつたりとした少年である。手古奈は容姿から音聲からはつきりとした、優しい内にも物事明晰な質で神經質なところが、能く母に似てゐる、手古奈はつまり玉成的に其母が進化したのだ。それに手古奈の樣な美人が此家に生れたに就ては偶然でない所以がある。手古奈の母方の曾祖父そうそふ物部於由もののべのおゆといふ人は葛飾に名のかむばしき大丈夫にて、一とせ館の騎射に召され、拔群の譽れを立てた、恩賞には、殿の言添に依て相思の美人と結婚を遂げ一國の羨望を雙身に集めたといふことである。手古奈の母なる人は其名譽なる家の孫であつた。手古奈の母が其名譽な家から今の足人たりと(手古奈の父)に嫁いで小さな家に居るのは只相戀の二字之を説明して餘りある訣だが、さういふ處から固より勝氣な手古奈の母は、二人の兒供をどうかして名譽の者にしたいといふ強烈な希望がある。毎朝神棚に向つて祈念することは實に十年一日の如しであつた。それかあらぬか、兄の少歳をとし(手古奈の兄)は一寸見は物靜かお人よしの樣だが、武藝に掛けては容易に人に讓らぬ、如何な場合にも愛馬を手離すと云ふことはない。一朝館の召があらば、火にも水にも躍り入るべきは、其落著いた眞底の覺悟で鋼の樣に固い。
 手古奈の母は今日ゆくりなく人の噂に、手古奈が立身の端緒たるべき話を聞いて、嬉しさにいそ/\と歸つて見ると、例の小室の殿が見えたらしい日暮の樣子に、考はいろ/\と込み入つて平生思慮深い性にも、聊か分別に苦しんだのであつた。兎も角も手古奈の胸を聞いてからなど、四人が揃ふのを待つてゐたのに、足人たりと少歳をとしが相も變らぬ無邪氣な話を始めたので、もどかしくてならないのである。併し母も妹も一向相手にならないので、少歳は直ぐ話が盡きて了つた。
 母の樣子に氣がついた手古奈は、やをら彼の帶と歌とを親同胞の前へ差置いて、今日の出來事を落なく語る。帶は何の思慮も及ばぬ間に置いて往かれたので自分が心得て受けたものでないといふことも告げた。吾から吾戀を語る耻かしさ手古奈は顏を火の樣にしてゐる。竝の人ならぬ私部小室がことで見れば、自分一人の胸に收めて置かれない訣である。いづれとも親同胞の計らひに依るとの意であれど、手古奈の心底を察すれば單に許諾を求めたとも見られるのである。慥かに手古奈の心はどうでもよいと言ふが如き冷かなものではないのだ。太都夫たつを丹濃にのの事を思ふに就けても、徒らに人に物を思はせるのは本意でない。程よき處で身を定めるの分別がなければならないとは、思慮ある女性の當然な考であらう。手古奈はまさかさうまで言ひはしないが、それが自然に落來たるべき道筋である。
 父と兄とは口を揃へて……「幸福者しやはせものの手古奈へ、身分と言ひ人柄と言ひ其眞心と言ひ、何處へ不足が言へるだい、考へる處があるもんか、早速挨拶するがえエよ……」少歳は又歌を讀んで見て愈※(二の字点、1-2-22)感じ入つてゐる。父は猶口を極めて小室の人柄を褒め、思遣り深い殿樣、下々の思ひつきのよいことまで言うて、かういふことになるのも全く神々の御計らひ眞に有難いことやと涙を拭いて悦んだも無理ならぬことである。
 母は人々の話を聞いて愈々思案にくれたらしく猶一言も言ひ出さない。足人も少歳も手古奈も等しく目を集めて母の言ひ出す詞をまつてゐるといふ、座になつたので、漸く母も口を切つた。其あらましを言ふと、
 母は里方の兄なる人から、今日意外なことを聞いた。當國の領主日置の若殿忍男おしをの君が、何かの折に幾度か手古奈を垣間見て、常々愼ましき性に似ず身柄忘れての戀衣、千重に八千重に思ひつみ今は忍びかねての、思ひを近く仕ふる媼に打明けた。そこへ此頃私部小室が噂さへ聞かれて、愈歎き給ふと聞くからは遠からぬ内に、館より何かの使があらうとの話であつた。
 母は一も二もなく若殿忍男の君が、さういふことに相違なくば、これに上越す幸福はない。吾家一家の出世は勿論、只一人の壯士ますらをとしても忍男おしをの殿は小室の殿に勝つて居るといふことを繰返した。それは兄とて父とて、吾領主の若殿から所望とあれば、之れに不同意のあらう筈がない。明日にも館より使があらばとは三人が異口同音に言うた詞であつた。それでは今は何れとも決著の仕樣もない訣故、館より使が如何な申込をするか、それを慥かめないうちは、私部の方へは挨拶も出來ないといふ事で、一先づ話の段落がついた。
 跡は三人が言ひ合せた如く、等しく手古奈を打眺めて、何といふ冥加な兒であらうと、眞に話のやうな事實の不思議を嘆息する。少歳は單純な生れつきより、平生若殿を神の如くに思うてゐたのであるが、今現在の吾妹が其若殿の戀人と聞て、これは只事ではないといふのである。足人はさすがに、小室の殿とて手古奈の聟には冥加に餘る譯だが、吾殿忍男の君に比ぶれば、小室の殿はどうしても一段の下で、忍男が年若ながら何事にも鷹揚な處は生れながらの殿樣であるといふ。母が忍男を稱揚するは精細を極めて居る。只鷹揚な若殿といふ許ではない。馬に乘つても弓矢を採つても、學問と言ひ、人柄と言ひ、勇武で愛情もある、風彩の上にも小室の殿に勝れて居るといふ。
 手古奈は三人の話に口の出し樣もなく、伏目になつて默してゐる。手古奈とて忍男其人に毛程の厭がないは、勿論で、寧ろ領主の若殿に思はれるといふ有難さは、云ひやうなく嬉しい。あの立派な人が若殿樣が自分をそんなに思うてくれるのかと思うて、其情けの心が嬉しくない筈があらう。乍併只それより前に一度小室に動いた感情が、跡から現れた忍男がよしや小室に十倍勝つてゐたにせよ、小室といふ感念が容易に手古奈の胸中より消え去るべきものでない。まして同情の權化と見ゆる手古奈の性質では猶更のことである。
 手古奈は先に小室に思ひそめて後丹濃や太都夫に對して、感情の苦痛を覺えたよりは、更に一層の苦痛を小室の爲に感ずるのである。愈※(二の字点、1-2-22)忍男の殿に召さるゝとせば、自分は冥加に餘る仕合せであれど、あれほどにいはれた小室の殿の失望怨恨はどんなであらう……。あの時自分も憎からず思うた事口にこそ出さゞれ心は正しく彼の人に通じて居る。さればあアして勇んで歸られたものを、それが一場の夢幻と消え去つた時、彼人の悔恨はどれほどであるか。さりとて未だ許さぬ彼人に操を立てゝ、恩あり情けある若殿の志にどうして背かれよう。……是れが生地から心も美しい手古奈の今眼の前の苦悶である。
 父や母や兄やが無造作に悦んで居るに引替へ、手古奈は愈考込んでしまつた。手古奈は今は全く自分を忘れてゐる。一賤女が領主の若殿に思はれるといふ幸福な位置をも忘れ果てゝ考へてゐる。手古奈は餘りに人に思はるゝに依て自分の仕合せは消えつゝあることを思ひそめた。少くも精神の上に氣安くて高尚な愉快に居るといふ望みが無くなるやうな心持がしてきた。丹濃や太都夫は致方ないにしても、彼の小室の殿まで失望の嘆きに沈ませ、自分一人圓かな良縁に樂しむといふ事が出來ようかと思はれてならない。
 思ふ人が多くて思はれる人は一人である。一つの物を以て多くの望みを滿足させることの出來ないは、此世開けてより以來定まつて居ることである。手古奈の苦悶は損か得かの迷ではない。善か惡かの迷ではない。甲にせんか乙にせんかの迷でもない。義理を得ざるに苦しむのではない。感情の滿足が得難きに迷ふのである。手古奈は今は自分で吾身が情なく思はれてきた。小室なり忍男なり只一人に思はれる身であつたら……嗚呼どんなに嬉しからんにと悔むのである。
 事は吾家一家の大事である。親同胞はかういふ知識上の考に制せられて居る。感情の上には全く傍觀者の態度にある三人には、到底手古奈が内心の苦痛を察することは出來ない。果して母は手古奈が浮かない顏を見て不審の眼を据ゑた。
「手古奈やおぬしは小室の殿と何かの約束をしたのか」……さらば吾領主の若殿に思はれるがなぜに嬉しくないと詰る。如何にも親相當な心配である。況や野心盛な手古奈の母は、此場合手古奈に躊躇の色あるを見て非常に驚いた。母は猶足人や少歳にまで聲を掛けて、これは大事のことであれば考違ひをしてはならぬと戒める……。
手古奈は、
 主と他人との差はあれど眞實に劣り優りはなきものを、何れに背かんも心苦るし、今は只一人にてありたしなど嘆く。母は怒ておぞや此兒と叱る。父は穩かにそはおぬしが私の心ぞ、父母の望みを思へ。領主の恩と若殿との眞情を思へといふ。少歳は頗る妹の苦痛を察して頻りに嘆息しつゝなる樣になるべければ何事も神の捌きに任かせよ、父母にあらがふ手古奈にはあらず、兎も角も館の使を待ちてこそといふ。母も氣遣ふ面持全くは晴れねど、かつて詐りなき手古奈が小室に何の約する處あらずといふを疑はねば、それさへなくば如何樣にも計らふ道ありと思ひ定め、やう/\茲に其談話の終りを告げた。
 少歳は愛馬の夜飼をあてがうて、歸りに貯の栗柿など採出でゝ、俄に變る一家の歡樂場は四隣の人を羨せる笑ひどよめきを漏らした。


 今朝も霜ははげしい。深く澄んだ紺青の空は清々しい朝げしきを一層神聖にしてゐる。見るうちに背戸なる森の梢に朝日がさして來た。其反射は狹い井戸端を明くする。井戸から一間許り西手の小藪に蒿雀あをじがツン/\鳴く。流しもとの小棚に米浙笊こめとぎざる、米浙桶、洗桶などが綺麗に洗はれて伏せてある。胡蘿蔔や大根やが葉つきのまゝ載せてあるのも美しい。あたり總てが如何にも清潔で、たしなみのよい手古奈の平生が能く茲に現はれて居る。北側の木立に交つて柿の紅葉やつたの紅葉が猶一團の色を殘して初冬の畫幅に點精を畫いた。いつの間に來たか流しの揚土に鶺鴒が一つ尾を動かして居る。幽寂更に幽寂を感ずるのである。
 竈屋の方に小鈴を振るやうな小歌の聲が聞える。間もなく手古奈は手に二三の器具を持つて井戸端に出て來た。洗桶を卸し持つた土器を入れて井戸側の釣瓶繩に手を掛けたと見れば、手古奈はおオ紅葉がと言つて井戸を覗く。井戸は水が近い。大きな柿の紅葉が二三枚浮いてゐるのである。手古奈は紅葉に見とれて居るが、若しそこに人が居つたら人は却つて水に映つた手古奈の顏に見とれるのであらう。鬟の毛筋前髮の出工合、つくろはなくも形が何とも云へず好ましい。今朝の鮮かな晴々とした手古奈の面持には、餘り胸に思案のある風でもない。昨日の出來事から宵に相談した事など殆んど忘れて居るかの如くである。最早一切を神の捌きに任せて安心して居るのか、それとも手古奈位の年頃の女性にかういふ事は有得る事であるのか。陸から見た海は只恐ろしいけれど、海に身を浸して終へば、案外平氣で居られる樣に、手古奈も最早其身が事件の中へ出て終つた爲に、覺悟もついたものか、手古奈は端なく井戸の紅葉に見入りつゝ、小歌を唄ふのである。
稻つきてかゞる吾手を
今宵もか
殿の若子わくごがとりて嘆かむ
 見れば手古奈はそれほど紅葉に見とれて居るのでなく、又水を汲まうともせず、繰返し/\同じ歌を唄うて居る。其聲は決して氣樂な聲ではない。手古奈は矢張心の奧に苦悶して居るものか、美人は如何なる場合にも調和する。手古奈は茅屋の主人としても井戸端の主人としても能く調和する。手古奈を主人とすれば、茅屋にも井戸端にも光りがある。そして殿中に主人となれば殿中に光を生じ、宮中に主人となれば宮中に光を生ずるは手古奈であらう。
「何がそんなに面白いかえ」……かう消魂しく叫んで手古奈に走り寄つたは、太都夫の妹眞奈まなであつた。二人は一寸笑顏を見合せたまゝ互に井戸を覗く。おオ綺麗な紅葉よと眞奈も云つた。手古奈は眞珠で眞奈は瑪瑙か。玉のやうな二つの顏が水に映つたであらう。瑪瑙と云つても安い玉ではない。眞珠に比ぶればこそ劣りもすれ。何の用があつて來たとも云はず、又何できたとも問はない若い同志の境涯ほど世に羨ましいものはない。やがて眞奈が水を汲でやる。手古奈が洗物をする。其間に眞奈は此月中には館で大競馬をやるといふ噂を聞いたこと、兄の太都夫は今朝から馬の手入を始めたといふことゝ、今少歳にもさういうて來たなどゝ話をする。洗物が濟むと二人は又背揃ひして竈屋へ這入つた。
 此秋から眞奈が何のかのというて能く手古奈の家に來る。今では手古奈と眞奈は二なき友達であるが、それにはをかしい二重の理由がある。始めは兄の太都夫が、どうかして手古奈の家に出入せんとの工夫から、妹を橋に使つたのであれど、却つて眞奈が度々此家にくるにつけ、いつしか少歳に下戀するやうになつた。兄が戀する手古奈の人柄は眞奈にも女ながら非常に慕はしいのだ。眞奈が遂に手古奈の兄なる人を思ひそめしは其動機が極めて自然である。
 眞奈が兄に對する役目は十分に果たされたには相違ないが、兄の目的は殆んど失望に終つた。眞奈は窃に兄の失望に同情を寄せては居れど、それが爲に吾思ひを絶つまでには至らぬ。今では眞奈が此家にくるには兄の前さへ拵へて來るのである。
 眞奈は口實さへあれば少歳の仕事に手傳ひをする。少歳が手古奈に仕事を言ひつけると眞奈が屹度一所にやる。少歳が無器用な男で何事をするにも廻りくどい、眞奈は見かねてさうせばよいかうせばよいなどゝいうては時々少歳に叱りつけられる。なんだこのあまつ兒めがなどゝ隨分興さましな小言をいふことがある。さうかと思へば殆んど手古奈と見界もなく無遠慮に眞奈を使ふこともある。
 兄の太都夫に似て、眞奈も極めて勝氣だが、少歳にはどんな無體を言はれてもそれが一々嬉しいらしい。尤も少歳がすることは何でも惡氣がないのだが、眞奈には一層憎からず思はれるのであらう。手古奈は勿論兩親まで、眞奈の素振に氣がついてとほにそれと承知して居るけれど、おほまはしの御本人が一向に氣がつかぬ。少歳がいさくさのない口をきく度に三人が蔭笑をするのである。併し太都夫の戀は最早成功の道はないけれど、眞奈の望みは殆んど成功して居る。手古奈の兩親も眞奈の氣性を好いて居る。殊に兩親は少歳に氣があつてくるといふことを却つて嬉しく思つて居る樣子が十分に見える。それに少歳は又兩親がよいとさへ言へば決して自分の好みなどいふ風でない。されば手古奈の身に目出度事でもあれば、次は續いて眞奈の極りがつくは判り切つて居る。
 眞奈は手古奈より一つ年下で、未だ十七の若さだけれど、例の氣邁で何をさせても友達などに負けてはゐない。それで男子に對する感情は又妙に其氣性と反對だ。自分に對し生やさしい上手を言ふたり、女を悦ばせようとする樣な調子に物を言ふ男子などが大の嫌ひであるのだ。男の癖に厭らしいといふが、いつも眞奈の口癖で、そんな風の男を一概にニヤケ男と言つて排斥するのである。
 あれが判らないのかと親や妹に笑はれながら、とんと氣もつかぬ位な少歳は、實に厭味といふもの少しもなく淡泊な男である。眞奈はかう思つてゐる。些細な事に愚痴つかない少歳には、目立つた親切などは出來ないが、らちもなく情を張つて、相手を泣かせるやうな、意知の惡いやうな處も決してない人だ。ねち/\した野郎などとは物言ふのも厭だけれど少歳にならば、擲られても見たい……。
 眞奈はどうしても人に思はれるといふより人を戀する質らしい。


 眞奈が此朝手古奈の家にきたのは、殿の館に馬くらべのあることを一刻も早く少歳に知らせたさと、若殿忍男の君が手古奈に執心深い噂とを、手古奈の母に知らせようとしてゞあつた。話をして見れば昨夜既に其相談であつたとのこと、眞奈は茲で若兄あにの境遇に思ひ及んだけれど、手古奈の身がさうした事になつた以上は今は如何とも致方のないことゝ思うた。兄は可哀相であれど、手古奈一家の悦びは、やがて吾身の悦びなので覺えず胸も躍るのである。少歳が又馬くらべの事を聞いて其悦びやうと言つたらなかつたので、眞奈は愈々嬉しい。眞奈はいつでも少歳が悦ぶのを見れば、其十倍づゝ内心に悦ぶのであるから、今日は眞奈も足が地につかない訣である。併し手古奈の今日の素振は餘りに眞奈の眼に意外であつた。
 其身の一大事は一家無上の幸福を意味してゐる。萬人の羨む身の幸福が今眼の前に迫りつゝあるのに手古奈其の人の平氣さ。眞奈は怪しまずに居られない。片戀の苦勞に身をやつして居る眞奈の眼には、今日の手古奈の平氣な樣子が面憎くゝなつた。
 竈屋の上り鼻に腰を竝べて掛けた二人は、やがて眞奈が……人に思はれる身に一刻なりとなつて見たや、片思に瘠せてゐる人の思ひやりもなく、人といふ人もある中に、館の殿に思はれて、今日にも内使のあらうも知れぬおぬしが、其の平氣さの面憎くさよ……と、眞奈は手古奈の答へを待顏である。
 手古奈の落著いた笑顏は胸に動氣もせぬさまだ。思ひやれといふ人に思ひやりはない。人に思はれる人と、人を思ふ人と、互に其身になつて見ねば、何れが仕合とも早計には判じ難い。思ふ人は吾から一人と定まれども、吾を思ふ人を、吾から一人と定められぬ。何れを憎しと思はざるに身一つは多くの人に從ひ難い。思ふ人は一人の外なくて其人一人に眞意を盡す人が羨しい……。
 手古奈は吾思ひの一切を括つて、成行きに從ふの外なき身の境遇より、眞奈が戀の却て無邪氣に心安きを羨むらしい。
 眞奈は榮華といふことを目安に置かない手古奈が戀語りに驚いた。暫くは只手古奈の顏を打守る外なかつた。殿さまといふ人二人までに思はれる程の手古奈はさすがに氣位の高きものと俄かに心から敬ひの念を起して、いつまでも友達よと思ふの誤りを氣づいた。
 手古奈は決して冷かなる生れつきにあらねど、甲に思はれて、未だ甲に從ふの機に遇はず、而して又乙に思はれた。甲にも乙にも從ふべく定まらぬ内に、丙に思はれ丁に思はれた。未だ前者に從はねばならぬほどの感情も義理も生ぜぬ如く後者にも必ず從はねばならぬ感情も義理もない。要するに手古奈は自己の希望の未だ決定せざる間に多くの人に思はれて、自分は自己の希望通りに身を定むるの境遇を失ひ、只他が希望に身を任かすの外なき身の上となつた。手古奈が身の運命を一切神の捌きに任せ、超然として執着を離れたのは自然の成行であつた。殊更に平氣を裝ふのではない。どうなるともなるやうになるのであらう、これが目下の手古奈が心中であるから平氣な訣である。
 私部小室に對する手古奈の戀は、未だ動かすべからざるほど強固ではないのに、忍男は領主の若殿と云ひ親同胞の熱望と云ひ其人品と云ひ、手古奈に厭な感情の起るべき事實は少しもないとせば、手古奈が忍男に從ふに至るべきは、又自然の命令で所謂神の捌である。
 乍併、手古奈が忍男に從ふは感情に靡くのではなく道理の力に屈する部分が多い。されば戀を遂げるのではなく他の戀に從ふのである。手古奈の感情よりせば即ち餘儀ないのである。小室を捨つる苦痛の感情容易に消えなく、新に忍男に從ふのが餘儀ないとの感じありとせば、手古奈は戀の成功者ではない。
 諺に云ふ美人と薄命といふこと、少しく其意味を異にすれども、美人にして多くの人に思はるゝことが、正しき意味に於て薄命の因を爲すのである。手古奈は戀の形式に成功して精神には薄命を感ずるの境遇に近づきつゝあるのである。若しも手古奈が利害得失の念に敏く、一般の所謂榮譽幸福に執着する心があらば、此際小室に換るに忍男を以てするを悦ぶべきは當然な訣であれど、美しき感情にのみ滿足を求むる手古奈の天性は、忍男との關係の未だ全く智識的なるに冷淡であつて、多く感情的なりし小室との關係の破壞に苦痛を感ずるのである。手古奈が吾知らず却つて眞奈の片戀を羨むやうなことを言へるも、穴勝無理ならぬことであらう。
 單純な境涯にある眞奈が心には、平氣なやうな苦悶があるやうな、手古奈の詞が十分に呑込めないから、そんなこといつたつてと一言云うたぎり、手古奈を慰むるすべも知らないのである。話はそれぎりになつてやがて、二人は坐敷へ上つた。
 奧の小座敷では親子三人が今も手古奈の身の上に就て凝義中である。母は早くも手古奈を見て招く。内心には他人とは思はれない眞奈にも此相談に乘つてと云ふ。五人一座の中に母は手古奈の樣子振に就て氣掛りの次第を述べた。今日にも館よりの内使が見えるかも知れないに手古奈の心があやふやでは困る。誠に一家浮沈、親子四人の運命が手古奈の心一つで定まるのであるから、萬一にも心得違があつてはならないとの意を繰返された。
 感情の上にこそ不安なれ、理性の上に何等の迷ひもない手古奈は、一座手に汗を握つて心配するなかに一人相變らず平氣である。手古奈の考は、とほに定まつて居る。領主の若殿たる人の切望をも拒まねばならぬ程に、何人にも關係があるのでないから、無論兩親の希望に逆らふ訣もなくそれで今日の相談は六つかしい樣で更に六つかしくなかつた。
 父や兄やはそれほどではないが、母は一所懸命總身に力を入れての相談であるに、手古奈はさも無造作に落着き切つて、親同胞に心配させる樣なことは少しもないやうに言ふので、母は寧ろ呆氣にとられた態であるが、兎に角一同重荷を卸した如く安心の色を包まぬのであつた。母は猶幾許か不審の眼を手古奈に寄せてる樣子が見えたが、これも暫くの事平生子自慢の母は、若殿の懇望と聞いても平氣に落着いてゐるのは、全く手古奈の見識かと思ひ替へて、今更に吾兒の氣位に驚いたらしかつた。
 手古奈が内心の情態は、遂に誰にも解らない。恐らく手古奈自心にも、ほん當には解るまい。此場合手古奈は決して平氣ならんとして平氣でゐるのではない。何となし自然に平氣になつたので、勿論見識でもなく氣位でもない。
 手古奈は只清く美しい許り、極めて純粹な女性で、氣取とか野心とか策略とか身分不相應な慾望など起す質ではない。さういふ内心の美質が容貌に顯はれて居るから、一種形容の出來ない力を以て人を動かすのである。只容貌許りでなく、手古奈の一擧一動は悉く趣味である。一度手古奈を見るものは、何人と雖も手古奈が何等をも希望せざるに、一切の手古奈が希望に應じたき念が起らぬものはない。まして手古奈に何等かを希望せられた時、之を拒み得る者恐らく天上地下にあるまじく思はれる。手古奈の前ではどんな鬼でも小兒になると言つたものがある。如何にも此の間の消息を漏らして遺憾がない。
 名花の開く所に香と光とが空氣にたゞよふ如く、手古奈の居る所には愉悦が離れないのである。手古奈は自分で何故とも解らずに、現世の榮華に執着が少ない。手古奈は小室に思はれ、忍男に思はれ決して嬉しくないことはない。併しこれが、餘人の思ふ如く理性の悦びではなく全く感情の上のみの悦である。茲が親にも兄弟にも解らぬ處で、小室と手古奈との關係は感情の部分が多いに、忍男と手古奈との關係は未だ理性の問題と離れない。手古奈が此際に頗る平氣な理由も稍解るやうに思はれて來た。


 此の日果して日置家の老女が、榛の木の門を這入つた。老女は庭に立つたまゝ、先づ供の女をして若殿忍男の君の内使として、まゐでたる意を言はせる。足人たりと夫妻は轉げる許りに走り出で敬まひ謹みて内使を迎へた。老女も懇ろに遜り、殆んど君命を帶びた使のやうではない。老女の樣子を一見しても、忍男が如何に手古奈に戀ひつゝあるかゞ知らるゝ程である。
 老女は徐に自分が大殿よりの表の使でなく、若殿よりの内使であることを陳じ、漸く來意を語る。詞の順序にも念を入れて、忍男が思ひの限りを漏れなく傳へんとの苦心も見えるまで、足人夫妻に申し聞える。夫妻は只々勿體なき仰せ冥加に餘る思召と感泣する許りである。
 思ひ初めたは、郭公鳴く青葉の頃、産土の祭禮の日よ、それより後は胸に一つの塊りを得て、一日も苦悶の絶えた日は無い。思ひかねた露の曉月の宵、忍びの狩にまぎらはし、垣根の外の立迷にも十度に一度も戀人の俤を見ず、なまじひに領主と云ふ絆の爲め、神に念ずるしるしもなく、只好き折あれと祈る許りを、測らず私部小室が噂を開き今は猛夫の心も消えて、地震に崩るゝ崖の土の如何に堰くべきすべやある。事後れて手古奈を人妻と聞くこともあらば、吾命も今日を限りと思へ。しかすがに忍男は武士の子ぞ、心なき毛ものゝ類なる權威の力を以て決して人の心を奪はんとするものでは無い。若しも手古奈が我に先ちて小室に許したるならば、我は神かけてそを妨げん心はなし。戀の嘆きに命盡くるとも手古奈が爲には福を祈るまことを知れ。家柄身柄をのけての眞情を思はゞ、包みなき心の底を打明けて給はれ……。
 老女は聲ふるはして語り終つた。時服一かさねに例の歌の消息がある。手古奈が眞の返りことをと言ひ添へる。
 足人は思ひ餘りてか詞も整はない。天地の神に誓ひを立て手古奈に異心なき由をいふ。若殿の眞情を思へば兎の毛の先の塵ほども包むべきにあらねばとて、妻をして、小室手古奈の關係を詳かに語らせた。そこに手古奈も出でゝ、父母の詞を事實に明した。
 老女の悦びは假令ば、水を失へる青草の雨に逢ひたらん如く、見る/\眼も晴れ聲もさわやかになつたも理である。
 老女は猶かにかくと申合せる。第一に私部小室が方には、事巧みに斷わるべく、後の恨み殘さぬ計らひを旨とせよなど注意する。こなたには又忍男の殿が、來む馬競べに第一位の勝を占めなば恩賞願ひの儘ぞと、大殿の仰せを幸に必ず其日の勝を得て、手古奈が事の許しを得むと勇み給ふ。さすがに名門の生れは何事にも際立ち見映ある振舞にものし給ふなど語れば、次に聞居たる少歳は堪へかねた面持にいざり出でゝ、手古奈のいろせ少歳も、此度の馬競には必ず恩賞の列に入るべく勵みある由若殿へ聞え給へといふ。一家の悦びは包まむとして包みきれぬさまである。老女も事の次第を片時も早く若殿に告げ、若殿が悦びのさま見んと辭し去つた。
 事かくと定つては手古奈の母は云ふ迄も無く、足人も少歳も一齊に元氣づき自づから浮立つ調子に、賑やかさは小さな家に溢れるのである。
 親子三人は未だうか/\しつゝある内にも手古奈は早一人胸を痛めてゐる。一度は憎からず思ひし小室の君、自づと思も通へばや、悦び勇みて別れた彼の君に何と答を言ふべきぞ。よしや餘儀なき理は存するとも、理りに思ひのなぐべくは吾とて物を思はぬものを、何というて帶を返すべきか、何というて歌を返すべきか。
 手古奈は小室が失望を思ひやる苦痛に、吾身の幸福を嬉しと思ふ餘裕が無い。どのやうに考へても言はねば濟まぬ事は言はねばならぬ。愈々小室に理り言はねばならぬ日は迫つてゐる。手古奈は何もかも忘れて思ひ亂れる。
 手古奈は忍男の眞を嬉しと思ふ心が弱いのでは無い。只小室の失望に同情するの念を胸中に絶つことが出來ないのである。乍併茲が手古奈のゆかしい處で、新を迎へ舊を忘れ、石に水を注ぐやうな手古奈であらば堂々たる男子が泣きはせぬ。
 手古奈が片寄つて一人呻吟しつゝある間に、奧では親子三人が私部家に對する相談を始めた。母は急に手古奈を呼び、小室の君へ申しやる詞はおぬしがよき樣に言へといふ。使の役は父がゆくより外に人はない。手古奈は此夜一夜眠られぬまゝに、父に持たせやるべき歌を作つた。
眞間の江や先づ引く汐に背き得ず
靡く玉藻はすべなし吾君わぎみ
いたづらにことうるはしみ何せんと
君が思はむ思ひ若しも
 手古奈は詞には判然と言うて居れど、何分顏には進まぬ色がある。一家のものは非常な悦びの間にもこれ一つが晴れ殘りの村雲だ。それは云ふまでも無く小室手古奈の關係が片づかぬ爲といふも知れてゐる。今は何より先きに其極りをつけねばならぬ。翌日は取敢ず父が私部の館へ行くことになつた。手古奈は一層物思はしげな面持にて、昨夜の歌を父の前に置き、
 深きみ心を難有嬉しく思ふは昨日も今日も露變らねど、事の定らぬ内に領主の館より仰せありて、餘儀なき成行き、主ある身親ある身は吾身も吾に任せぬ習ひ、何事も力も及ばぬ神の計らひとおぼしたべ、如何に手古奈を憎しみおぼすとも、手古奈が心から君に背きしならねば、只甲斐なき手弱女を憐れとおぼして……かくし申してよ其他は父が計らひにこそといふ。
 實儀一偏に平生無口な足人には、實にゆゝしき役目である。免れ難い今日の場合と思ふものから、家の爲め吾兒の爲め一所懸命の覺悟で出掛ける。私部小室が腹立の餘りに如何樣の難題を言ふかも知れぬ。そこを巧みに理わりて恨みを殘さず無事に役目を果すは大抵な事では出來ぬ。足人の心配は一通りでないのである。足人は只心に神を念じて、何事も包まず隱さず、事の始末と手古奈の詞とを傳へ、如何樣になるとも成行きの儘と決心した。
 さすがに手古奈は勿論母も少歳も、父の役目を氣遣ふので、此日は何事も手につかぬ。外の業にも出ないで父の歸りを待つた。
 暮近くに父が元氣よく歸つて來たのを見て一家の悦びはいふまでもない。足人は家人の顏を見ると、いきなり、小室の殿はえらいものだ。いやもう見上げたもの、おれどもの考へたのとは丸で違つてゐて、實に……それや言ふまでも無くよい首尾であつたがな。と話に假の結びをつけて家に這入つた。
 足人は心には聊か敵意もあつて、私部家に往つたものゝ、非常に鄭重な待遇を受け又意外な小室の挨拶をも聞いて、すつかり小室に參つてしまつた。小室の殿も成程若殿にひけをとりはせぬ。今は是非に及ばないが、これが同じく他人であつたらば、一日でも話の早かつた小室の殿に許すべきだ。手古奈の何となし躊躇するも無理がないとまで思うたのである、
 さすがに手古奈の前でさういふことはならぬなどゝ考へては來たが。極人がよく、奧底の無い足人には、どうしてもよい加減にはものが言へない。眞底から小室に同情した足人は、遂に思つた通りに小室を譽めてしまつた。足人の話によると。
 小室の意氣は實に美しい。態度は如何にも男らしい、そして眞に情の深い挨拶振りで足人も涙を拭はぬ譯にゆかなかつた。
 小室は、足人から始終の事情を逐一聞きとつて後手古奈の歌を見る。暫くは默念として歌より眼を離さぬ。いつしか顏の色さへ變じて、八尺十尺やさかとさかの溜息をついた。漸く吾に歸つてか、顫へる唇より、自分の運命が拙なかつた、と一語を漏らした。
 死ぬ人もある死なるゝ人もある世と思うて、絶念め得るであらうか。よし絶念め得たりとも絶念めての後には徒らにむくろの小室がうごめく許りとおもへ。只に歡樂の盡きしといふのみならば、人は猶永らへ得べし。見るもの聞くものに哀怨の嘆き絶えざらば何をよすがに生を保たむ。手古奈なき小室は潤ひなき草木の花、色も香りも今日を限りと知れ……。
 木にも石にもあらぬ足人が、泣かずとすとも泣かずにゐらるべき。小室は辭を次ぐ。
 手古奈は餘儀なき成行きといふを、吾心に變りのあらむ樣なし。固より絶念めんと思はねば、絶念めん樣もない。手古奈が吾に來らぬは、手古奈が心からにあらずといふか、手古奈が吾に來らざるは、世に障りありての故ならば、吾は命の盡きぬ限り手古奈が來らむ日を待つぞ。
 忍男の君をも露憎しと思はぬを、又誰れに恨みの殘るべき。手古奈がまこと、人々の心やり、總じて嬉しく悦ばしく、行末永き手古奈が幸福を祈らむ。此上は吾茲にありて、吾が思ひのまゝに手古奈に戀ひするを許せ。絶念めんとて絶念め得る戀ならば、始めより太刀佩く大丈夫の言には出でず。帶も歌も改めて手古奈の母に參らせむ。せめては手古奈が身近くに留め給はゞ玉の緒長き慰みにこそ。
 詞は鐵石をも斷つさまであるが、さすがに打萎れた面持は包みおほせなかつた。
 小室の戀には誰れも同情せぬ譯にゆかぬ。野心家の母までが暫くは沈默して同情の色を動かした。手古奈の心中更に層一層の苦悶を加へたは言ふまでもない。やがて三人が言ひ合せたやうに、氣の毒は眞に氣の毒だけど、如何とも餘儀ない事ぢや。かう言ひつゝ僅かに陰鬱の氣を散じたのである。別けても母は俄に氣づいた如く手古奈の心を引立てようと、いろ/\快活な話を始めた。さうして快活な仕事を手古奈にいひつけた。自分も勿論一所にやるのである。


 神無月十五日の日の早曉である。殘月は猶夜の光を殘し、淡たる其影は武藏野の野廣い遠方に傾きつゝある。六つ七つは未だ星の光も數へられる。滿潮の入江は銀波の動きが漸く薄らぎかけた。煙のやうな水蒸氣は、一郷全體の木立を立ちこめつゝ自然の光景は如何にも靜かに、飛ぶ鳥もなく木の葉も動かずといふ有樣であるが、此の靜かな天地に包まれた人里は、どことなく賑かな鳴り音を潛めて居る。里を押渡してどや/\と物音のどよみを漲らして居る。近くには馬の鼻息を吹く聲、人の物を打つ音、人の走る音など、總てが纏まつた一つの音響となつてどや/\と聞える。將に發せんとする人間の活動が、暫くの間、曉の光の底に働きかけて居るのである。
 眞間まゝの岡、木立の繁り深き、縣主日置殿の館から、今しも第一番の太鼓が、白露の空をどよもして鳴り渡つた。大森林の木魂を驚した響きはやがて入江の波上に鳴り渡り、曉天數里の郡内に傳はつた。それと同時に馬蹄の響きが一齊に郡内に起つた。何れも日置の館をさして驅け登る。
 殘月全く光を失うて繼橋つぎはし渡る人の俤が分明に見えるほど夜の明け渡つた頃は、二百餘騎の騎武者が門前長く二列に整列して第二の太鼓を待つて居る。東雲遙かに太陽の光を認めた時第二の太鼓は鳴つた。騎射場一切の準備は整うて、騎士は悉く指定の地に就く。
 若殿忍男おしをが白袍赤馬自ら出て騎土に號令を傳へる。第一より第二十に至るまで恩賞の次第を告げて大いに騎土を勵まし、且つ自らも騎手の一人として優劣を爭ふの決意を述べた。誰一人おろかはあらねど、目のあたりに若殿自らの奬勵を聞いては各意氣百倍、心のたけりは巖石をも押通さん許りである。館より朝食の配りがあつて第三の太鼓が鳴れば騎射が始まる順序である。
 縣主日置の館は、大木古樹に富めるを以て名高き舊家である。眞間の繼橋より正面に岡へ登れば一里四面もある大森林は、松、杉、檜、楠などの幾百年を經たかも判らぬ巨木が空をおほうてゐる。杉檜許も十餘萬株を算すといふので、鬱として神代の趣きを見る。其中央を割つて日置の館は作られてある。門前十餘町門内又十餘町、蒼龍空に舞ふが如き老松の間にさつぱりとして却て云ふにいはれぬ品格ある舍殿幾棟よりなれるが、日置蟲麿が館である。
 門を出でゝ右一町餘りにして大騎射場に達する。東より西へ十餘町楕圓形の芝生がそれである。大森林を後に眞間の入江を前に、前面一帶は開けて遠く武藏の海に、鶴や鴎の群れ飛ぶも見える。空澄める日には富士の烟の靡くさへ見える。大殿蟲麿が關東隨一の騎射場と誇つて居るところ、之れに東葛飾一郡にして、名馬を養ふ武夫二百人を越ゆると云ふが、特に得意禁じ難き點である。
 東側の松林中に騎手の控場は軒を竝べて列つて居る。五十騎を一組として四組に別れ、赤黄青緑の服色を別つ。各絹袍を許され烏帽子を着、株槌かぶつちの劒を佩き、胸間には隨意に玉をうなげたるなど見るめ尊とく、萬人羨みの眼を注ぐのである。
 森を背にした北側の高棧敷には、大殿を始め一門のもの數を盡して座を列らね、大殿自ら評決を與ふるといふので、騎手の勇み樣も格別である。老女の計らひによつて手古奈も母と共に高棧敷の一隅に顯はれた。手古奈の姿が此棧敷に顯はれた時二百の騎士は勿論、見物一切の視線はそこに集注された。手古奈の姿が美しいからといふ許りではない。此馬競べが濟めば手古奈は若殿忍男の戀妻として館に迎へらるゝといふことが隱れなく知れ渡つて居るからである。手古奈に寸分得意らしき風の無かつた事と、忍男が手古奈の居るをば殆んど知らざるものゝ如き風ありし事が大いに騎士中に評判がよかつた。太都夫の赤袍、丹濃の黄袍、少歳の緑袍、皆それ/″\に人柄にかなつて、衆目を引いた。太都夫も丹濃も今は手古奈を及ばぬ戀と諦らめ別に言ひ交はした人さへ出來た位だが、晴の場所に手古奈が見て居る前での勝負には、容易ならぬ勵みを持つて、心底に必勝を誓つて居る。太都夫の如きは命に替へてもと神に念じつゝある決心の色はおのづから人の目にもつくほど故、以心傅心に騎士全體の氣を引き立て其氣組の旺なことは實に空前のことゝいふ有樣であつた。
 高棧敷の正面馬場の中央に一より四迄四箇の的が立てられた。馬場の中心より各三十間を隔てゝ一が藁人形竝の人だけありて、胸の中心を射たるを甲とし以下四つの階級を附す。二は尋常の楯にて是れも中央の墨點を射たるを甲として四つの等級を附す。三は雁形の鳥的とりまとを絲にて釣れるもの 是には等級なく四は鐵楯である 是は矢を立てたるを成功者となす 點數等しければ姿勢のよろしきを上となすの定めである。一組四人宛一週一回の放矢なれば馬場四週して一組の勝負を終る。
 白袍白馬の老縣主が靜々と評決場に顯はれて第三の太鼓は鳴つた。待ちに待つた定めの騎士は赤袍を先とし黄青緑と順を逐うて左方より疾騙して場に出づれば、評決場より直に相圖の旗を擧ぐる。同時に騎士は矢を番へて弓を張る。馬は飛躍つて走馳して來る。第一回の勝負は四箇の的に三箇を命中したるもの一人二箇に命中したるもの一人、他は僅に一箇を射得たるのみ。評決所は一に一々矢を調べて優劣を録するのである。かくて水車の廻る如くに十回二十回と繰返し、其日夕刻迄に遂に五十回を決行し得たは實に盛なものであつた。
 忍男はさすがに若殿の資格を以て、服裝も一際目立つた綾織の白袍に駒は紅もて染めたらん如き駿馬である。黄金作りの太刀打佩き白檀弓しらまゆみ豐かに單騎の射撃を試みる。一回化粧乘をして二回目に矢をつがへた。三回四回と見事に矢を立て五回目に例の最も至難なる鐵楯に、鳴を響かして矢の立つた時は、萬衆一時に歡賞の聲を揚げた。
 手古奈は忍男の望みを諾しては居るものゝ、どうしても餘儀ないからといふ風は見える。小室に對する口實許りでなく、眞に餘儀ないからと思うて居るらしい。それと知つての母の心配は一通りではない。今日も母は手古奈の樣子に少しも目を離さぬのであつた。忍男の矢が最後の鐵楯に立つて歡呼の聲の湧き立つた時には、さすがに手古奈も眞から嬉しさうな笑を漏らし、さうしてすぐに其悦びの羞を氣づいたか、半顏を袂に隱した。此手古奈の素振は母を悉く安心させた。
 賤しきものゝ女を若殿の物好にも困る位に考へて居た老女も、今日萬人の中にあつて愈光あるさまの手古奈を見て悦びの心躍りが包みきれぬのであつた。
 最後の騎射が濟むと間もなく、恩賞の評決が直に發表される。日置忍男第一物部太都夫第二物部丹濃第三物部少歳第四といふ順であるべきを、老女はかねて心得あるものから、恩賞望みのまゝとの口約に依り若殿には別に望みの存する旨を申し立てた。老縣主は悦びに堪へざる面持にて、よしよしさらば物部太都夫第一物部丹濃第二と順を逐ふべしと決定して今日の馬競べも大滿足を以て終りを告げた。太都夫丹濃の二人は從令其戀は協はずとも其戀人の前にて、是程の晴業を遂げたは人には知られぬ愉快であつた。
 即夜大殿より許しがあつて、忍男手古奈の婚儀は月を經ず行ふ事となつた。


 手古奈がどこやら忍男おしをに冷淡な趣きのあつたのも別に深き意味があつての事ではなかつた。私部小室さきべこむろには兎も角一度會見して親しく詞を交へただけ直接に感情が交換された訣であれど、忍男の方は總てが未だ間接で、其望に應じねばならぬといふも、皆智識上の判斷から定まつた事であるので、感情の上になつかしいいとしいといふ思念が濃かになつて居らぬ。それに同情心の強い手古奈は兎角小室の失望を氣の毒がる念が止まないから、忍男に對する新しい感情が湧かぬ筈である。考へて見れば冥加至極とも何とも云ひやうなき難有き若殿の思召とは思ふけれど、妙な心持の具合で何れ忍男に心移りがしない。手古奈も愈々事が極つて見ると、これではならない、どうしてこんなだらう。どうして忍男の殿の思召が嬉しくなれないであらう。母に苦勞を掛けるまでもない事なのにと、獨りつく/″\考へることもある。さういふ次第で手古奈自身も、自分の心持の工合を苦にして居つた程であれば、結婚後は少しも圓滿を缺くやうな事はなかつた。心の底の底にも何等の淀みもなく、うのけの先程の不安もなく、身を倚せ懸けて眞をつくすことが出來た。
 勿論忍男が温き心と深い誠とは、吾世も吾身も手古奈に依て生命を存する如くに、胸の扉も心の鍵も明放しての愛情を、今親しく身に受けた手古奈は、最早毛程も自己といふものを胸底に殘し置くことは出來ない。これでは妹脊和合せまいと思うても和合せぬ訣にゆかぬ。斯くて日置の館には歡樂湧返る間に新しき春を迎へた。
 こつちには眞奈の願事見事に成就して、暮の内に少歳に嫁いだ。新春の祝賀には新しい女夫が打揃うて殿の館に參殿しようといふ次第だ。それでは少し世間の手前惡からんと心配する母の小言も耳にはいらぬ。少歳は何もかも眞奈が云ふ通りになる。さりとて兩親にほんとうに腹を立たせるやうな無間をやる眞奈ではない。眞奈の得意は正に手古奈の上ぢやと太都夫は笑つて居る。
 正月も過ぎて二月の春がくる。七十五日過ぎない内に手古奈の噂も下火になる。相變らず盛なは馬の自慢話、そこの馬がどうのかしこの馬がかうのと、仔馬の仕立て方や乘仕込みの巧拙など專ら話の種になる。夕刻には各々近くの廣場へ乘出し習練に餘念がない。それも漸く暖くなつた此頃では、種物の相談や鍬鎌の用意等の外には、誰れ彼れの失敗話などに、笑の花も咲かせて、各々無邪氣な生活に安じて居る。實に日置の領下は今平穩和樂の春である。
 然るに此十日の夕刻に意外な出來事があつて郡内を驚した。眞間の漁師三人が、漁の出先で聊かの事より私部さきべ領内の者と爭を起し内の一人は殆ど足腰の起たなくなるほど打たれた。こつちは三人で向うは十餘人であつた故散々に敗辱を蒙つて逃げて來た。これが例の根もない出合がしらの喧嘩ならば、それほどの騷ぎにもならないのであるが段々樣子を聞いて見ると、日置忍男が郡の馬競べに第一の勝を得續いて花々しく手古奈を其家に迎へたといふ事が、痛く私部領内の血氣盛な壯士連の感情を害して居つた。日置の家を憎むの情はやがて領内に及ぼし、日置領内の者と云へば誰彼れなしに憎むといふ結果が、今回の出來事を産んだ。さういふ原因に依つての出來事となると、今後も何時同樣の衝突が起るかも知れない。
 此事が一度郡内に傳はると、非常に郡内の激昂を引起した。氣早の手合は即夜仕返しを仕樣とまでいきまいた。思慮ある二三士の慰撫に依て漸く無事に治るは治つたが、俄に和樂愉悦の夢を破られ、容易ならぬ敵を近くに發見せる心持で、人の氣合が屹と引きつめられた。


 ねぢけ心といふものゝ少しもない、私部小室は手古奈に對する戀の失敗に就いて、其落膽と失望とは言語に絶えて憐れなさまであつたが心には聊かの嗔恚もない。從て手古奈には勿論忍男に對しても恨の念を秋毫も挾まぬのである。只一切を自分の不幸に歸して、手古奈を失へる自分は、天地の有らゆる物に歡樂を得難くなれるを嘆く許りである。
 去年の暮手古奈の父を門に送つてよりこの方、只一室に起臥して庭にも立たぬ。一日も乘らぬといふことなかつた愛馬をすら見んともせない。一人の弟なる千文ちぶみや近く仕ふる人々がこもごも且つ慰め且つ諫めて打嘆くにも、只人々の諫めに從はんと思ふの心切なれども、吾心は吾諫めをすら背くすべなさと答ふるのみである。
 されば一家の寂しさは云ふに及ばず、領内聞き傳へて殆ど喪中の有樣で、聲高に笑ふさへ人聞きを厭ふ程である。平生賢明の譽れ高く領内の悦服尋常でなかつたゞけ、誰一人吾領主に同情を寄せぬものはない。かゝる所へ日置一家の花々しき噂さが日毎に傳はるものから、領内の人は一般に云ふに云ひ難き苦痛を感ずる。中にも血氣の若者等は、領主の爲に無念の涙を呑みつゝあるのである。
 深く悦服して居る領主の心を計りかね、輕々しき行動は控へて居るものゝ、若しも小室が何等か恨を晴らさうとするならば、火も水も物かはと躍り出るもの五人や十人ではない。
 どうせ何等かなくて濟まずとは、誰云ふとなく一般に信ずる處である。此頃はもう何の事もなく三人寄れば其話で、若しも領主の心を安め得るならば、如何樣な事なりとも、假令へば、入江の潮を堰止める程の事なりとも、遂げでは止まずと齒を噛むのである。少しく思慮ある族は涙を呑んで控へて居るが、分別なき少壯の手合は、日置の領内の者と云へば、犬猫なりとも打殺し度き心で居る。まさかに無態に亂入も出來なく、僅に無事を保ちつゝある。
 二月十日の夕刻の出來事は、突然の衝突だけに大事に至らずに濟んだ。日置の領内の内にも多少の思慮のある手合は、之を騷ぐと大事になると氣付て、二度とあつたら我々も承知せぬ。今度は我慢をせとなだめた爲め、打たれた男も外の二人も泣き寢入になつたのであるが、遺恨は胸の底に熱して居る。處が私部領内の者の身になると、それ位の事でなか/\腹がいせない。そんな三人許りの奴らをいぢめたつて仕方があるものか。丸切殺して見ても三人ぢやないか。やる時が來たらうんとやれ。理が非でも何とか鬱憤を漏らさなければ、何を食つてもうまくない。
 かういふ氣合で居る。少しく氣取つた連中は事領主の上に關することで、殿樣の心持も判らぬ此際無分別な事をやつては、どんな迷惑を殿樣に掛けるか知れない。つまらぬ事はせぬがよいと頻りに血氣の徒を慰めて居るが、なか/\承知しさうもない。
 今日は共同種井の水替みづかへといふので、四五の少壯輩が酒を汲んで例の痛憤談をやつて居る。
 殿樣は殿樣だけに、見苦しい事も出來ず、憤恨をこらへて籠られて居るのだ。それを配下の吾々が知つて知らぬ振りをして居るといふことがあるか。人の戀人を横取しやがつて、馬競べなどにて仰山に騷ぎ立て是れ見よがしの日置の仕打は、餘りに憎々しいやりやうぢやないか。誰れだつてさういふ時には病氣にもなる。身分のあるだけにこらへて居る。こらへて居るだけに苦しみが強い。それを平生愛撫されてゐる我々が餘所目に見て居るといふことはない。
 一人が醉泣きしてさういつてゐる。外の連中とて一人も不同意はない。
 なんだ物知り顏に自分許り解つた風に、無分別な事をやつては殿樣に迷惑を掛けるなどと、吾々は人の世話にはならぬ。吾々が命さへ差出せばよいのだ。人に迷惑を掛けるものか。殿樣に關係はない。吾々は吾々の仕たい事をやる許りだ。出來る事ならば日置忍男をふんづかまへて、思ふまゝ耻辱を與へてやりたい。それが出來なくともあいつが配下の奴等を四五人打殺してやらねば腹がいせぬ。あゝ口惜しい無念ぢや。殿樣の無念はどれほどであらう。あゝ無念………。
 かういつては又一人が泣く。今一人の奴は腕をまくつて立ちかける。サア泣面したつてどうなるか今夜にもやらう。私部小室の配下のものがこれだけ恨み憤つてゐるといふことを、向うの奴らに知らせるだけでも、いくらか胸が透く。殿樣はこらへても吾々はこらへられない。
 一人の奴はいふ。今夜にもやらうて、どうやるつもりか。今立ちあがつても仕樣がない。先づ相談をしろ。もう漁の時だによつて、今夜も屹度向うの奴ら五人や六人漁に出て居る。吾々は十五六人語らうて、舟を出して見よう。五六人打殺してやつて、これ/\のいはれで恨みを晴らすのだといつて一人生かして還してやれば、屹度日置に傳はる。日置は自分の爲め手古奈の爲めに死人が出來たと聞けば、必ず氣をもみ出す。怒つて騷ぎを起すかも知れぬ。さうすればこつちの目的にはまるのだ。向うが面白がつて居られなくなれば、殿樣もいくらか腹がいせる譯だ。吾々は命を差出す、こちらが五六人向うも五六人、これだけの人間が手古奈の事件に死んだとなれば、彼れ等もさう面白がつては居られまい。日置の奴は萬願成就で樂んで居るに、吾等が領主の殿は泣きの涙で生甲斐なくして居らるゝ。それを冷かに見てゐるといふ法はない。是非今夜は往つてやらう。よいの惡いのと、そんな理屈をおいらは知らない。命を棄てゝする仕事に善も惡もいらない。さアやらう。今夜は逃がさぬ屹度殺してやるサア往かう………。
 相談一決して、窃かに同志を語らつて見ると忽ち十四五人出來る。科はおいらが背負ふから何でもこいといふ勢で、十五人入江の岸に集つた。不意打に武器を用うるは卑怯だといふものがあつて各手頃の棒を用意する。一舟に五人宛舟三艘に乘つて入江に乘出し、日置の領内近くへと漕いだ。

十一


 薄曇りに曇つて居ながらも、十三夜の月である江面はほの白く明るい。味方の里にも敵の里にも一つ二つづゝ見え隱れする灯が見える。
 彼等の舟が眞間の近くへ來た頃には、空は急に時雨模樣に變じた。物に驚いた樣な風が、どうつと江面を騷がして吹き起つた。兩岸の枯葦原に物凄い音を立てゝ風は鳴りはためいた。見る間に月も薄い姿を隱して空は全く闇となつた。黒い冷たい波が、パタリ/\と舟の横腹を打つて、舟は烈しく搖れ出した。
 一行の若者どもゝ、暗くなつてはと、聊か困じた體ながら、固より無法な若者どもだ。
 今更あとへ引けるか、やる所までやれ、と一層掛聲勇しく、必死と舟を漕ぐのであつた。漸く東岸へ漕ぎつけて、葦原の繁り高い洲の間に這入つた。
 無法極まる血氣の若者どもが、酒氣に乘じて企てた仕事は、始めから目當が甚だ不慥であつたのだ。日置の領内の者に、果して出逢ふか否かは固より知れるもので無いのに、空は暗くなる風は起る波は烈しい。目指す敵は何所に居るか、一向に見當がつかぬといふ有樣である。さすがの若者どもも、氣拔けせざるを得なかつた。
 ところへ幸か不幸か、一時雨過ぎ去つた後は、空は鏡の如くに晴れ渡つた。寒い月の光は物凄い浪畝の上に、金を浮べ銀を浮べ名殘りの風が時々葦原を騷がす、云ひ難き爽快な夜になつた。
 すると今迄風を避け居たものらしい、三艘の小舟が、突然葦間の小流れから現れた。無論眞間の者である。鰻釣の流しを終つて歸るのであらう。各舟流し釣の笊を、三つ四つ宛舟に乘せあるは夜目にもそれと知れるのである。一つの舟に二人づつ、彼等は何の氣なしに漕いで、我が舟の前面を行き過ぎんとするのである。待ちまうけた、こなたは猶豫なく大喝して待てと敵を呼び留めた。
 漁をすれば漁師なれど彼等は尋常の漁師ではない。耕漁の餘暇には、馬に乘り、弓を習ふの武夫である。呼びとめられた彼等は、凜々しき聲を絞つて、そこもと等が先づ何者なるかを云へと詰つた。
 吾々は勿論私部小室が配下のものである。吾領主に凌辱の限りを盡した、日置忍男に對する憤恨を晴す道なく、罪なき、公等と知るも、公等を討つて憤を漏らすの餘儀なき今宵である。公等を討てる吾等は固より死の覺悟がある。吾等に出逢ひたるが公等の不運と思ひ、領主が受くる恨みの的と、覺悟を定めて一戰に及べと呶鳴りつけた。
 聲はふるへて居る。足も手もふるへて居る。夜眼ながら容易ならぬ彼等の血相にも、日置の配下の武士はさすがに狼狽の色なく、決然立ちあがつた。
 領主が受くる恨の的……如何にも恨の的に立たう。恨を受くる覺えなくとも、恨と迫る生死のきは人々覺悟と叫ぶや、直ちに血戰は開かれた。
 舟は同數なれども、人多き舟は舟をあやつるに專らなる餘裕がある。常に舟を形勝の地に置くことが出來る。加ふるに多勢に無勢、瞬くひまもなく包圍亂打の下、六人は死骸を各自の舟に横へてしまつた。
 誰だもうよさぬか、刃向はぬ敵を打つは武士の道ではない。生くるも死ぬるも運命であるぞ。かくて生き返るものがあるとも、そを殺す所以はない。と叫ぶ一人もある。
 餘りやり過ぎたか、一人位息あるやつはないか。
 かう云ひつゝ舟中の死骸を見廻した一人が一人の蘇生者を見出した。水をくれて、五人の死骸を守り返れと命じたのであつた。
 風絶えて夜は寂しく、青白き月の光に見れば物凄さは一層である。惡人ならぬ彼等はさすがに平氣で居られない。
 天晴れの武士よ、理屈の是非を云はざりし覺悟のよさ。吾死を覺悟してこそ罪なきものも殺し得たれ。天地の神も照覽あれ。主を思ふ心一つ善きも惡きも辨まへず、吾等も明日は死する身をと、一聲に※[#「口+斗」、U+544C、265-1]んだ。
 死骸の舟を眞間近くへ送り就け、殺せと叫ぶ蘇生の一人に、事の始末を領内に告げ猶罪ある者は罪に服して恨みも消ゆれ、罪なくして恨みあるものゝ恨みは消ゆる時あらずと領主に告げよ。
 かく云ひて生ける人の舟は入江の沖に去つた。

十二


 四人の死骸と二人の腰拔けとが、各々家族と友達との手に渡つた時、彼等が悲憤の泣聲は、世を常闇の底に引入るゝ叫びに等しかつた。隣から隣り誰一人これを餘所に聞くものがあらう。片時と經ぬ内に一郡騷動を極むる事となつた。十日の日の出來事に、既に堪へられぬ恨を堪へた血氣の者ども血を吐いて憤りつゝ狂氣して馳け廻る。どうしても今夜の内に復仇をせねばならぬ。誰彼とは云はない。十人にても二十人にても寄つた人數で突入する。友達の死骸の熱がさめない内に仇の血を見ねば承知せぬ。此無念を抱いて一時たりとも落着いて居れるかといふ。をんな小供までも髮の毛が逆立ちに立つた。同情の泣聲は遠く野外にまで聞えた。
 三十人五十人七十人八十人と集つてくる。もう出掛けようといきまくものも多い。太都夫も丹濃も遠に來て居つた。近く三軒の庭に燎火をたいて集まつた人々はてんでに用意を調へて、重立つ人々の指圖を待つて居る。これだけ人數あれば十分ではないか。どうかどうかと騷ぎ立てる。
 太都夫は小高き所に登つて衆に相談を掛ける。一度ならず二度までも、罪も何もない人を四人まで殺した。それも皆人數を頼み不意討の卑怯を働いた。噛殺しても間に合はない位憎い賊徒である。直ちに押かけて仕返してやりたいは誰も同じだが、此事體の起りの眞相は十分判らぬにせよ、日置の家と私部の家との關係に基いて居ると思ふと、ちつと考へんければならない。私部小室もそれほどに日置の家を恨み居るかどうか、領内の重もな人々もそれほど無法な恨を持つて居るかどうか、末輩の者の淺墓な考から起つた事でゝもあると、餘り大業な仕返しをやつては、取返しのつかぬ不利に陷るかも判らぬ……。
 激昂を極めた多數は一齊に騷ぎ出した。もう太都夫の話を聞くものはない。いつもそんななまぬるい事をいつたつていかぬ。そんな尤も臭いこたあ、今夜の樣な時に云ふこつちやねあ。理窟を云うて居られる場合か。跡の事は跡の人に頼む、どのやうな事があらうと、此儘にして止まれるか………。口々に罵るので、太都夫も默してしまつた。
 今度は丹濃が立つた、才子質の太都夫よりは篤實無口な丹濃の方が若手の受けはよい。丹濃は言ふ。相談に手間ひまとつて居れない。表立つた事でないから私にやるのだが、仕返して往つて敗辱を取つてはならないから、やるには幾分手筈を極めねばなるまい。
不意討は卑怯である使者を私部が許に差立る事
館の許しなきに弓矢刀劒を用ゐるは穩かでないから一切竹槍の事
途中の亂行をしてはならぬ、直に私部の家に迫つて五人に對する身替りを強請すること
途中迎撃に逢はゞ勿論決戰をなすこと
私部が家には自分が自ら使者となるに就き、一刻の後に押掛ける事
太都夫には日置の館に此始末を注進することを託すること
 躊躇は許さぬ用意にかゝれと叫んだ。唯一人否やがあらう。舟の用意竹槍の用意、心得の女どもは油を※(「睹のつくり/火」、第3水準1-87-52)て竹槍の穗に塗る。
 丹濃は道を急ぐといふところから家に去り戻つて馬の用意する。丹濃は萬一にも生きて還られぬ覺悟だ。月始に丹濃に戀して嫁いだ新しき妻は、丹濃が袖に取りついて、君が死する時は吾死する時、片時たりとも君に後れて生くべくもあらずと泣く。丈夫の中にも丈夫らしきさすがの丹濃も、馬を差置いていとしの妻を抱きよせた。數回吾頬を女の頬に摺つけた。死ぬも生くるも一所ぢやとは訣別の詞である。
 妻は猶竊かに馬の跡を慕うて舟の出場に逐ひすがる。丹濃は吾を卑怯にするなと叱つて、馬諸共舟に乘り移る。自ら梶を押しつゝ江心遠く漕ぎ行く跡には、泣聲を夫に聞かせずと物蔭に泣く女の姿が月の光に人の膓を斷つ。
 夜はいよ/\更けて、決死の壯夫百餘人顏色青ざめて詞はない。用意は悉く調うて入江の岸に集合つた。誰一人から騷ぎするものもない。強き決心は凝りては、鐵の塊を水におろすやう、重く沈んだ氣合が一團となつて落下せんとするのである。跡に殘れる婦女老幼は誰が誘ふともなく悉く鎭守の杜に集つて祈を上げる。一所懸命な祈の聲は夜陰に冱えて物凄い。鬼も泣く神も泣く。

十三


 丹濃は深夜馬蹄を鳴し、單騎私部の門を叩く。それより前に、私部小室は十五人のものゝ自首に逢うて、事の六つかしかるべきを憂ひつゝ、一門のものをつどへて凝議中のところであつた。
 小室は從者に命じて、直に丹濃を庭内に引かせ自から出でゝ、應接した。小室は一人の侍者を從へ長やかな服裝に太刀を杖いて立つて居る。勿論縁の兩側には三四人の武士が警衞して居る。夜陰に燭を立てゝ敵使を見るといふ莊嚴な光景である。
 丹濃は凛々しき武士の服裝に、好みの太刀を横たへ、色淺黒く肉太に、如何にも落著いた風采を磬折して立つた。左の手に太刀を握り右の手は右の太股のあたりに据ゑて來意を述べる。聲は高く詞は簡單であつた。
 貴領の壯年等が、今宵行うた眞間の狼藉は、出逢頭の爭鬪ではない。深き意旨を含んでの殺害と聞いた。吾一郡の怒りは火を吐く有樣である。死者五人の靈に貴領の壯年五十人の領血を絞つて注がねばならぬ。今一刻の後に憤怒の一團は入江を渡る。武士の名を重じ、不意討の卑怯を避けての使者である。猶領主の許しを得ねば一切武器は用ひざるべきを告ぐ。
 斯く言ひ終つて後丹濃は猶詞をつぎ、片時の猶豫をゆるさぬ。貴領に於ても速に用意あれ。且つ役目を果せる以上吾身は如何にも處置せよといふ。
 小室は如斯場合にも猶丹濃の態度に目を留めてか天晴れな壯年よと感嘆した。小室は早く心に決する處ありしが如く、少しも騷ぎたる風なく、よし吾自ら貴領の人々を入江の岸に迎へよう。其許は暫く待て吾を案内せよと云うて内に入つた。間もなく小室は無造作に馬に跨り、二人の騎士を從へ、いざと丹濃を促すのである。丹濃は事の意外なるに何等の思慮も浮ばず、唯々と小室が命に從ふの外なかつた。
 四人の騎武者が黒門を出た時に、入江の上に強く烈しき一むらの叫びが起つた。ワアーワアーワアーと寒空に冱ゆる響は、人間の聲と思はれぬ程物凄い。枯葦原に火を放つた。今迄は風の子もなかつたが、火が起れば風も起る。入江の渚幾里の枯葦、枯れに枯れた葦原に火を放つたのである。見る間に入江は火の海である。猛火の津波が空を浸す。天一ぱいの黒雲は俄に眞赤になる。火の鳴り人の叫び、ワアーワアーワアーと渦くやうな聲のどよみは卷き返し卷き返し近寄る。
 こなたの領内の驚きも、形容の出來ぬ有樣である。人々の馳せ違ふさま家々相呼應して狼狽惑ふさま、事情を知らぬものが多いので、只々騷ぐ許りである。小室はそれらの用意もかねて家人に命じ置いたから、此時使は八方に走り廻つた。
 丹濃は一歩驅け拔けて、味方の上陸すべき岸邊に馳せる。火は雲を焦し火の雲は又入江を燒く。燒け爛れた潮路を蹴つて、幾十の小舟は矢の如くに、こなたの岸に走りよる。先着の上陸者二十餘人は、はや列伍正しく控へて居る。今丹濃が走り來る跡に三騎の從ふを見て、衆は一齊に眼を見張つたさまである。丹濃はかくと心づくや大聲に自分を名乘つた。
 丹濃は馬を下るや、手短に私部小室が單身出で來れる由を告げて協議にかゝる。衆は續々と上陸する。此時太都夫は總指揮者の格で上つて來た。太都夫は先に衆の容るゝところとならなかつたものゝ、斯る場合指揮者となるもの、又太都夫の外にない。それは衆も太都夫も知つて居るので、日置の館には別に人を立てゝ、自ら指揮の位置に立つた。丹濃は太都夫を見て非常に喜んだ。小室の出樣が如何にも意外であるから、單純な正直一偏の壯年のみには、どうしてよいか考が就かぬ。いつでも少しく込入つた話となると太都夫の分別を待つのであるから、丹濃は此際太都夫を迎へて非常に安心したのだ。
 丹濃が事の荒増を告ぐると、太都夫は竊に先見の誤らぬを悦び、事の容易に落着すべきを悟つたらしき微笑を漏らした。乍併此場合に區々たる口頭の辭禮位で衆の憤怒をなだめやうのないことは太都夫も承知して居る。私部小室が輕裝吾等を迎へて如何な手段に出づるかは、さすがの太都夫にも判斷がつかなかつた。
 其内に私部主從は渚より二十間許り離れた木立の蔭に馬を降りる。太都夫が率ゐた同勢も殆ど上陸しつくして茲に三度鯨波を擧げた。枯葦原の火は遠く燃え去つた。二十餘の松火が薄暗がりに竹槍を照らして一種物凄しい光を放つのである。
 太都夫は右左に號令した隊伍を整へ、衆に對つて丹濃が使命のあらましを告げ、今私部主從三人は彼の木立の蔭に來り居る。吾等は只吾等が得んとするものを得ねば止まぬ許りだ。彼如何なる方法に依て吾等に滿足を與ふるの考か。諸子は暫く激つ心を抑へて待つ所あれと告げた。
 丹濃は太都夫を伴うて小室に介し、三人暫時の談話あつて、やがて太都夫が歸つて衆に告げたはかうである。
 私部は先に十五人のものゝ自首に依つて、早く事の始終を知る。是に對する自分の考も既に定つて居る。罪は何人の上にもあらず其責固より吾一身にあることゝ思ふ。私部が家の面目に掛けて諸子に滿足を與ふべければ、吾爲に須臾くかゝりあひなき吾領民との爭鬪を待たれよ、吾自ら茲に諸子を迎へたるは途上無益の爭鬪なからんと願ふに外ならぬ。さらば諸子は吾に從て吾家に來れ必ず諸子の望みを滿足させんことを誓ふとの意である。依て改めて太都夫は衆に云ふ。吾等こそ固より無益の爭鬪を好めるにあらじ、吾等は只吾等の憤恨に對する滿足の報いを求むる許りだ。併し彼が單身茲に來れるを見れば彼にたゝかふの心なきは明かである。されば、吾々は暫く彼が言に從ひ彼が爲す所を見るべきである。いはれなき狼藉は武士の最も耻づるところ、諸子は必ず途中無益の業をなすな。
 斯くと聞いて、はやりにはやる壯年ども頗る張合拔けた體であつたが、内に聲を勵して喝するものがある。口先の話ばかりに心ゆるめてなるか。衆一齊に之に同意し思はず鯨波を擧げる。
 小室は一人の從者に命じ、馬を太都夫に讓らせ、小室を中に太都夫丹濃左右に轡を竝べて、歸途に就く。衆は十間程引下つて、竹槍の列を立て松火を振つて靜々と進みゆくのである。
 小室は馬上二人を顧みて、二三の談話を試みたが、身のこなしも聲つきも少しも迫れるさまなく如何にも豐かに鮮かに、何等の屈託もありさうに見えない。太都夫丹濃の二人は相談することも出來ないが、思は同じで、此結着が如何につくべきか、彼小室の落著やう彼に如何なる覺悟のあるにや、必ず諸子の望みを滿足させると誓つた彼は、どういふ處置をとる考であるか。少しも見込みがつかぬ。今更十五人のものゝ生首を吾々の前に突出したところで、之れにて事が結著すべきでない。いや彼は決してそんな淺薄な處置に出づる氣遣はない。考へれば考へるほど愈※(二の字点、1-2-22)譯が判らない。丹濃は稍※(二の字点、1-2-22)小室の英雄ぶりに呑まれた氣味で、太都夫は只小室が如何な處置に出づるかを知らんとあせりても、更に思ひあたりがつかぬのに屈託して、これもいつしか畏敬の念を禁じ得ない。
 私部の館は近づく、太都夫は衆を指圖して門前を一丁許り離れた平地に控へさした。

十四


 衆は太都夫丹濃の、二人のみが館内に入るといふのを、大いに心もとなく思ふところから、重立つた四五人の者を二人に從はせることにした。小室はこれ等の人々を庭内に誘ひ入れ、最も懇切な態度で、暫時の休息を求め、自分達は奧へ上つて終つた。
 太都夫は、小室が云ふまゝに餘儀なく庭内に控へたものゝ、事件の發展がどうなることか、更に見當がつかない。一寸先は闇の心地で、殆んど夢路たどる思ひである。萬一の時の覺悟はして居るものゝ、事のあまりに意外の爲め、多少の不安を免れない。
 夜は次第に更けてゆく、流れ雲の動く隙間から月影がちらと光を放つと見れば、目に視る間もなく、直ぐ暗闇に返る。
 最も不思議なのは、主人小室が歸つた時にはいくらか人聲のどよみが館内に聞えたが、それが靜まると後は、深夜沈々寂然として物の音もせぬ。今引き入れた馬が時々足踏みする音の外には、鼠も鳴かず犬も吠えず。よく/\耳を澄ませば、遙かな奧の間の邊から、幽かな人聲が聞え來ることもあるけれど、多くは女らしい聲である。こなたは只徒らに息を殺して、樣子如何にと氣を配る許りである。
 到底何事か無くては明けられない禍の夜である。靜寂を極めた此深夜に、まがつみの神は今如何なる、悲慘の幕を開かんとするか。
 心臟の鼓動が一つ一つと、時刻は事變に迫りつゝあるのだ。門外の衆は、「ウハーウハーウハー」と夜陰を破る鯨波を擧げるのであつた。身の毛もよだつ物凄い叫びである。今は衆は如何に成行くべきかの不安に堪へないので解決を促す叫びを發したのである。丹濃は思はず太都夫を顧みて、
「どうした事であらうか……」
 太都夫は只管深き思案にくれつゝある如く、丹濃が云へる詞も耳に入らぬか、何とも答へない。
 其瞬間に、奧の間深くから、ヒーといふ女の泣破する聲が起つた。
 ドタヽヽヽバタ/\ヽヽヽアー。
と、男女の泣き叫ぶ聲と共に、大混亂の物音が手に取るやうに聞え出した。人の駈け走る音、灯の走るさま、果はワン/\多くの人聲わめく聲が一まとまりになつて聞えるのである。
 こなたは七八人等しく屹と身構して起ち上つたけれど、やがて騷動は、我に向つて動く樣子の無い事が判つた、折柄どこともなく、
「とのさまのおかくれ殿樣のおかくれ……」
と、いふのが耳に入つた。太都夫等は始めて、始終の事が判つた。
 私部小室は遂に自分の生命を犧牲として、今度の事件を解決しようとしたぢやなと心づいては、たけりにたけつて居た、さすがの壯夫等も、今更に等しく感激して一語も發し得ない。
 急にこなたに向つて走り來る者があると思ふ間もなく、先に小室に從つて太都夫等を迎へた、二人の從者が駈け寄りざま、主君生害のさまを告げ且つは今はの際にまのあたり一言申し傳へ度き旨の主命を告け、早く/\と二人をせき立てた。
 太都夫丹濃の兩人は、まろぶが如く馳せて其一室に導かれた。
 私部小室は顏色青ざめ、唇をふるはせつゝも物に倚りながら身を起し居つた。机上の一封を目もて示しそれを御兩おふたりにと從者に命じ、猶兩人に對しては、かすかながら力ある聲にて、
「責を我一身に負うて斯くなれる上は、卿等に於ても只穩かに引取りくれ………」
 云ひ終るまもなく打伏して終つた。傍には一族の男女が伏しまろびつゝ泣いてる。太都夫も丹濃も只拜伏する外はなかつた。さすがに太都夫は俄かに心づいて、
「只今の仰せは兩人正しく承りたれ御心安く」と云つたが、小室は最早何の受答も得しなかつた。
 かしづく人々も殆んど爲すべき道を知らぬ。太都夫丹濃の兩人も一時動作を失つたけれど、長く留るべき場合にあらずと悟つて、今迎へられた二人に懇ろに弔慰の詞を述べ、やがて退出した。其の二人の者は兩人を送り出でながら更に一の慘話を傳へた。先に自首し出でゝ猶館内に留れる十五人のものらが、おのれら故に主君の生害と聞き身を躍らして悲しんだ。其悲泣の叫びは、天地のあらゆる光も消え果つる思ひであつた。
 心にもなき惡逆も主君の爲と思へる愚かさ、と口々に悔い悲しむ彼等は、今は片時もためらふべき、いざ主君の跡にすがれと叫ぶやひとしく頭を揃へて劒に伏した。
 送る二人と送らるゝ二人、其に涙に咽せて終つた。傾く月に雲薄らぎ、門前ほのかに明るみを傳へ、相別るゝ四人の俤は幽界の人を眼のあたりに見る心地である。
 太都夫丹濃は門を出でゝ漸く我に歸り、馳せて同志の前に來た。手短かに事の始終を告げ、授けられた一封の書状を讀上げる。極めて簡潔な文字である。
此度の事能々考ふれば、罪吾にありと思ふの外なし、吾今多くを言はず、吾死は一には吾病のため、一には諸子が望みなる五十人の身替りのためなり、諸子願くは歸つて主君に告げよ、吾死や固より手古奈に關すと雖も、吾は只吾不幸を悲しむの外に何等の遺恨を止めず、日置夫妻は毫末も吾死を念とすることなく、永く幸福を樂しまれむことを望む、吾家又吾に勝る弟あり、諸子吾生害の情を汲まば、日置私部の兩家の交をして舊に復せしめよ。
私部小室手書
 理も否も問はぬ血氣一偏の壯夫等は、岩が根も押別けて通らむ勢であるが、今事の始終を聞き、又此の遺書を讀み聞かせられて、中には感極まり聲を立てゝ泣くものもあつた。
 太都夫は聊か自分の考を云ふ。私部小室が尊く潔き心根を思うては、誰とて泣かざるを得べき、事は領下のものゝ聊かなる心得違に起れるも、其の根本は自分の行に基く。されば幾數百人の被るべき禍を身一つに負はんとの覺悟を定めた。我同志の中にも今夜思ふ如く爭鬪せば幾人の死者が出來るか判らぬ。斯く云ふ吾も小室ぬしに救はれたのかも知れない。諸子は小室ぬしの死に就ては十分に其精神を汲まねばならぬ。
 衆一語を發するものなく、各自の行動の聊か輕卒なりしを悔ゆるかの如くであつた。
 全く衆を散じて、太都夫丹濃の兩人が日置の館の門前に馬を立てた時は、夜は全く明け離れて、妙にあはれな聲の鳥が二三羽奧の木立に鳴いて居た。始終を聞いた日置夫妻の驚き、事の餘りに意外なるに呆れて暫く詞も出なかつた。殊に手古奈は宵の内より事の起りが吾身にあるを聞き、失神する許りに悶えて居た。今聞く處によれば、一には自分に對する失望と一には衆人の災害に替らんとの小室の心事、然も不幸を悲しめども遺恨を殘さずといふ。飽くまで潔き人のこゝろざし、恨を殘さずとは斯くても吾を憎み給はぬ情けと知らる。
 手古奈は夫の前を繕ふ力も盡きてか、絶息せん許りに泣き崩れた。
 水は能く人を養うて又人を殺す。火は能く人を養うて人を殺す。小室が死して三日目に、日置の家も火の消えた如くに寂しくなつた。昨日までは萬人の羨みを一身に集めた忍男が、生殘された悲痛に堪へないで、なか/\潔く死に就いた人が羨しいと嘆いて居る。
 手古奈は一夜館を脱して行衞を失うたのである。有らん限りの手を盡して探したけれど、遂に遺物の切端だも見就からない。入江に身を沈めたであらうとは誰も思ふ所だが、素性も判らぬ小舟が一つ入江の岸に漂うて居た外には、入江に投じたらうと思ふ何等の印も出ない。
 手古奈の心を悲しみ涙の雨に入江の水嵩を高めた眞間の里人は、どうしても死と云ふ事を手古奈の爲に云ひ度くない。手古奈は必ず歸てくる。いつか一度は歸つて來ると云うて居る。入江の陽炎に手古奈の姿が立つたと噂されても、未だに手古奈の歸りを待つて居る。手古奈の祠が入江の岸に立てられたは手古奈を待つて待ち老いた人の子の代であつた。





底本:「左千夫全集 第三卷」岩波書店
   1977(昭和52)年2月10日発行
底本の親本:「左千夫全集 第三卷」春陽堂
   1921(大正10)年1月1日発行
初出:「臺灣愛國婦人 第二十三〜二十九卷」
   1910(明治43)年10月15日〜1911(明治44)年4月1日
※「凛々しき」と「凜々しき」の混在は、底本通りです。
入力:H.YAM
校正:高瀬竜一
2014年2月19日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について

「口+斗」、U+544C    265-1


●図書カード