花ごもり

樋口一葉




其一


本郷の何處とやら、丸山か片町か、柳さくら垣根つゞきの物しづかなる處に、廣からねども清げに住なしたる宿あり、當主は瀬川與之助とて、こぞの秋山の手の去る法學校を卒業して、今は其處の出版部とやら編輯局とやらに、月給なにほど成るらん、靜かに青雲の曉をまつらしき身の上、五十を過ぎし母のお近と、お新と呼ぶ從妹いとこの與之助には六歳おとりにて十八ばかりにや、おさなきに二親なくなりて哀れの身一つを此處にやしなはるゝ、此三人ぐらし成けり、筒井づゝの昔しもふるけれど、振わけ髮のおさなだちより馴れて、共に同胞なき身の睦ましさ一しほなるに、お新はまして女子の身の浮世に交はる友も少なければ、與之助を兄の樣に思ひて、心やすく嬉しき後ろだてと頼み、よし風ふかば吹け波たゝばたて與之樣おはしますほどはと據りかゝれる心の憐れに可愛く、此罪なく美つくしき人をおきて、いさゝかも他處に移る心のあらんは我れながら宜からぬ業と、與之助が胸に思ふことあり、八歳の年より手鹽にかけたれば、我が親族みよりにはあらねどお近とても憎くはあらで、同じくは願ひのまゝに取むすびて、二人が嬉しき笑顏を見、二人が嬉しき素振を眺め、我れも嬉しき一人に成りて、すべての願ひ、望み、年來としごろむねに描きし影を夢なりけりと斷念おもひきり、幾ほどもなき老らくの末を、斯くて此まゝやさしき婆々樣に成りて送らばや、さらばお新が喜びは如何ばかりぞ、與之助とても我れをつらしとは思ふまじけれど、あはれ今一方の人の涙の床に起臥して、悲しき闇にさまよふべきを思へば、いづれ恨みの懸かるべきは我れなり、天より降り來たりし如き幸福の眼のまへに沸き出でたるを取らで、はかなき一筋の情に引かるれば、恨みは我れに殘りて、得がたき幸福は天の何處にか行きさるべし、與之助の女々しく未練なるは弱年としわかのならひ、見る目の花に迷ひて行末の慮なければなるを、これと同心ひとつに成りて我れさへに心よはくば、辛き浮世になりのぼる瀬なくして、をかしからぬ一生を塵の中にうごめかんのみ、親子夫婦むつましきを人間上乘の樂しみと言ふは、外に求むることなく我れに足りたる人の言の葉ぞかし、心は彼の岸をと願ひて中流に棹さす舟の、寄る邊なくして彼にたゞよふ苦るしさは如何ばかりぞ、我れかしこしと定めて人を頼まぬ心だかさは、ふと聞きたるにこそ尊とくもあれ、遂に何ごとを爲すべき塲處も無くして、玉か瓦か人見わけねば、うらみを骨に殘して其の下に泣くたぐひもあり、今の心にいさゝか屑ぎよからずとも、小を捨てゝ大につくは恥とすべきにも非ず、此ごろ名高き誰れ彼れの奧方の縁にすがりて、今の位置をば得たりと聞ゆるも多きに、これを卑劣さもしきことゝ誹るは誹るものゝ心淺きにて、男一疋なにほどの疵かはつかん、草がくれ拳をにぎる意氣地なさよりも、ふむべき爲のかけはしに便りて、をゝしく、たけく、榮えある働を浮世の舞臺にあらはすこそ面白けれ、お新がことは瑣細なり、與之助が立身の機は一度うしなひて又の日の量り難きに、我れはいさゝかも優しく脆ろく通常なみ一とほりの婦女をんな氣を出だすべからず、年來馴れたる中のたがひに思ふ事も同じく、瑕なき玉のいづれ不足もなき二人を、鬼とも成りて引分る心は、何として嬉しかるべきぞ、我れになしても思ひしる、お新が乙女心に何ごとの思ひもなくて、はるかに嬉しき夢を見つゝ、與之助をば更らなり、我が内心に何者の住めりとも知らで、母が懷中ふところに乳房をさぐるが如き風情の、たちまちにして驚き覺めたらん時は、恨みに詞の極まりて、泣くに涙も出でざるべし、さても浮世は罪の世の中よな、汲むにあまれる哀れの我が心一つよりこそ、愁ひの眉を笑みにかへて和風こゝに通ふの春色けしきをも見らるべけれど、我が瀬川の家の爲に、與之助が將來ゆくすゑの爲に、時の運の我が親子を迎ふるを見て、知りつゝ我れは仇になりて、可愛き人を涙の淵に落すぞかし、されどもお新はお新の運ありて、與之助に連れ添ふ一生の嬉しき願ひはこゝに絶ゆるとも、さるべき縁にしたがひて、さるべき幸福の廻ぐりも來たりぬべきに、我れはお新がことを思ふべきに非ず、可愛しとても、いぢらしとても、振かへりて抱きあぐるは只暫時の心やりにて、遂ひに右左り分つ袂の宿世なりけるを、我が一日の情は與之助に一日の未練をまさせて、今一方の入に物思ひの數を添へつゝ、其二親が闇に迷へる悲しみを増さするより外に、功は露ほどもあることならねば、よし鬼ともなり蛇ともなり、つれなく憎くき伯母になりて、與之助が心の彼方に向ふべき樣あつかふは我が役なり、嬉しき迎ひは我が足もとまで來りけるものをと、お近は瑞雲の我が家の棟に棚引ける如き想像おもひにかられて、八字の髯に威嚴そなはる與之助が、黒ぬり馬車に榮華をほこる面かげまで、あり/\と胸のうちに描かれぬ。

其二


世の人よりは柔らかに穩かすぎたる良人を持ちて、萬事にもどかしく齒がゆかりし年月も、流石女子の我が一存をふるひ難くて、空しく胸のうちに納めたりし思ひは、中々に消えんともせず、ともすれば燃え出でゝ押へ難きほのほに身をも燒くめり、お近が願ひは不二の嶺の上もなく立のぼれるに、身は夢の望に交れる如く、我れ同列の人々より見れば、やさしく温順に勉強家の聞えさへ有る子を持ちたるが上に、姪とはいへどこれも子にひとしきお新が、朝夕をいたわり仕へて、行々は樂隱居さまの浦山しき身の上ながら、思ひあがれる心には、此樂しみの如何ばかり少さく、とるに足らぬ事に覺えて、我が膓より出でたる樣にもなく、與之助が世間一通りの働きをなしつゝ、世に※[#「抜」の「友」に代えて「丿/友」、U+39DE、9-下-1]けいでたる考へのあらぬさへ恨めしく、望みは高くせよ、願ひは大きくせよ、落ちて流れて行水の泡となるとも、天命なれば是非もなし、垣の瓢のぶらぶらとして卯の毛の先きの疵もつかで五十年の生涯を送りたりとて、何ごとのおかしさか有るべき、一人の知らるべき事は百人に、百人に知らるべき事は萬人の目の前に顯はして、不出來も失敗しつぱいも功名も手柄も、對手あいて多數おほくに取りて晴れの塲所にて爲すぞよき、衆人ひとの讀むべき書物ほんをよみ、衆人ひとのいふべき事をいひ、衆人の行ひたるあとを踏んで、糸もて繰らるゝ木偶のやうに、我が心といふものなく、意氣地なくつまらなく、過失あやまちもなく誹りもなきは男の身として本意にては有るまじ、事に臨みては母ありとも思ふべからず、家ありとも思ふべからず、取るべき道の重大おほきなるに寄りて進み給へと、これは平常つねの詞なりけり。
花にうく露の戀とは何ぞ、をかしやと言ひ消すべきお近が、與之助故に命とこがるゝ人の、哀れ玉緒のたえだえになど、取次ぎが言葉のかるしけなるを受けて、此頃の明け暮れ思ひを碎くに理由わけあり、花ちらす吹雪の風は此處に憂からねど、嬉しき使ひは此これ[#「此これに」はママ]のりて來にけり、父は有名の某省次官どの、家は内福の聞え高き、田原何某が愛女と傳たへたるにこそ。
移りゆく人の心に倣らはぬ花の、今を春べと時しり顏にほゝ笑みそめし垣根の梅の一と枝ふた枝を折りて、お新はむつましき手ならひの師のもとへ清書の直しを請はんとて、伯母にも與之助にも挨拶しとやかに出で行しのち、輪にふく煙草のむすぼゝれたる思ひにお近は茶の間の火鉢をはなれて、三疊の小座敷に何の書物なるらん又机の[#「又机の」はママ]上にくりひろげしまゝ、梅が香薫る窓の外をながめて讀むとも見えぬ與之助が傍に、炭がちの[#「炭がちの」はママ]火のうそ寒き火鉢をかき起しつゝ、自から持ち來し座蒲團に悠然ゆう/\と坐をかまへて、物いひたき景色は、例の夫れなるべしと、かぬほどより五月蠅しの素振あらはるれば、與之助、そなたはまだ子供のようと少し笑ひて身を進ませ、思案はまだまとまらぬかの、言うは汝が胸一つにして、詞に否と應との二つなるのみなるを、何れにとも定めて、母が胸をも安めては呉れぬか、親とても差圖はなすまじき縁のことなれば無理にも、とではなし、否ならば否にて、誰れに遠慮の入るでもなければ、决然きつぱりといふて宜さそうなもの、母は何れに好惡の念もなく、お新は稚きより手元には置きたれど、末の松山何とちかひの有るでも無ければ、これを取分けて可愛しとにも非ず、まして田原の娘は逢しこともなく見し覺えも無きに、これに加擔人して是非にも嫁にと願ふ道理はなし、唯可愛く大事に行末までを案じて、明け暮れ胸を痛め思ひになやむは汝が其身一つぞや、父樣はやくなくなり給ひしより、知れるが如く親族とても惡臭にほひに寄る春蠅の[#「春蠅の」はママ]樣に、追ふがうるさきほどの人々なれば力になる者とてもなく、あはれ思ひは雲井にまで昇れど、甲斐なき女の手に學士の號をも取らせかねて、猶すくなからぬ借財さへ身にまつはれる苦るしさ、かくて汝の行末をおもへば、嬉しき夢は見る夜すくなくして、睡りがたき宵々の老ては殊につらき物ぞよ、されば田原がことの果敢なき筋より出でゝ、媒のひとも我が身には嬉しからねど、運は目に見えぬ處にありて、天の機は我々が心に量り難きに、年來ねがひたる念慮おもひの叶ふべきすがかと、母が拙なき胸に感じたればこそ言ふなれ、無理とは覺すな、もとより汝が爲を思ひてなれば嫌といはゞ夫れまで、人々の心々一つならねば、浮かべる雲の危ふきにのぼらんより、八重葎にさし入る月を肘まくらに眺め、我れ一人たのしくは夫れにて事の足りぬべしとならば、母もこれより其心に成りて、高きと願ひし今までを夢とあきらめ、二間三間の借家を天地と定めて、洗ひすゝぎに、襤褸ぼろつゝくりに、老ひの眼かすむ六七十を、まごの守りして暮らさんも宜し、いかにや與之助、汝が胸はと靜かなれども底に物ある母が詞の、ぢり/\と肝にもさはれば、をかしき仰せ、とんと私しには呑こめませぬ、お手一つにて育だちたる厚恩のなみならぬを知れば、及ばぬ心に鞭てもと、これは朝夕の願ひ、さりながら、内縁にすがりて舅の袖の下にかくれ、これを立身のかけはしになどは懸けても思ひ寄りませぬこと、未熟なれども我がことは我れでなすべく、此綱なければ世に立たれぬかの樣な、心配は御無用に御坐りますと决然きつぱりこたゆれば、母は其顏をじつと眺めて、さればよなと歎息の聲をもらしぬ。

其三


それは眞實か、さても若き了簡よな、さればこそ母が行末を案じて、亡き後までを氣遺ふは夫ゆゑ、うき世を机の上の夢に見て、重き物は六寸の筆より外もたず、書物によまれて我が心なき人は夫れも道理か、其心にて押ゆかば、事成就の曉は幾つまづきの後なるべき、東照宮樣御遺訓に重荷を負いて遠路を行くが如しと有りけれど、恐らくは半道も三分一もえ行かぬほどに投げ出して閉口せねば成るまじ、我れは我れによりて事を爲すとは、さても立派の言の葉ながら聞けよ與之助、汝ほどの學識ものしりは廣き東京みやこくほどにて、塵塚の隅にもごろごろと有るべし、いづれも立身出世の望みを持たぬはなく、各自めい/\ことはかはりて、出世の向きも種々さま/″\なるべけれど、名を揚げ家をおこしてなどゝ、これを誰しも基本どだいなり、汝の思ふ如く一筋繩に此望みの叶ふものとせば、世は惡る者のに成りて、闇夜のはち合せ危ふかるべきを、十分が九分は屑にして、心寛くも手段の上手なる人が其一分の利は占むるぞかし、小と大との差別を知りたらば、田原か聟と[#「田原か聟と」はママ]なるを恥とは言ふまじき筈、其袖の下にかくれて、これに操らるゝと思へば口をしくもあれ、我が爲の道具につかひて、これを足代にとれば何の恥かしきことか、却りて心をかしかるべし、誹はほまれの裏なれば、群雀むらすゞめの囀りかしましとても、垣のもとの諸聲は天まで屆かず、雲をけり風にのる大鵬の、嬉しきは此姿ならずや、近くたとへを我が女同志どしにても見よ、彼の田原殿が奧方は京の祇國の[#「祇國の」はママ]舞妓とかや、氏ははるかに劣りし人とか、通常普通なみ/\の娘にて過ぎなば、前たすきの縁をはなれず、井戸端に米やかしぐらん、勝手元に菜切庖丁や握るらん、さるを卑賤さもしき營業なりはひより昇りて、あの髭どのを少さき手の内に丸め奧方とさへ成り澄ませば、そしりは物のかげに隱れて名は公の席にも高く、田原夫人と並らべ書けるが、公侯伯子の誰夫人たれさまにも劣る事か、慈善會、音樂會、名は聞きながら見ること難き人さへ有るに、幹事とかや何とかや、それは未だ少さし、事ある時はおほけなき御前にも出るとぞ、これを我等が上に比らぶれば、空に流るゝ銀河あまのがはと、つちに埋るゝ溝川との違ひあり、少さき貞婦孝女は遂いに顯はるゝ事なくして、うき世の巾利は此たぐひの人なるぞや、なき人の上に批點もいかゞなれど、汝が心根に似たりける父樣の、我れが我れがと思しめしは奇麗なりしが、人をも世をも一包みにする量なければ少さき節につながれて、我れと我が身を愚になしつゝ、夫れはまだしも、先にも我が身が言ふ如く、遇はぬ浮世に何事の望みも捨てゝ、苔に雨きくたのしみを、茅が軒ばに味ひたらば、別に長閑けき月日ありて、夫れは又其筋に面白かるべけれど、かなしきは生にゑの人の事ぞかし、すき間もる風霜夜さむけく、薄き衣に妻子の可愛さしみ/″\と身にしみれば、一日半夜やすらけき思ひはなく、身はけがれざる積りにてきたなき人の下に使はれ、僅かの月給に日雇にひとしき働きをして、長からぬ生涯を月もなく花もなく終り給ひしは汝とても知れるが如し、されば汝が心根の清く尊く美くしく立派には聞えたれど、仕種は父樣の二の舞にて、笑止や少さき結搆人にて終りやせん、と言はゞ堪へぬ心に腹もたつべし、母は汝が爲をおもへば、怒る、はらたつ、何の憚りはせぬぞや、よしや汝が望みの判事試驗に、首尾よく及第して奏任のはしに列らなりたり共、田舍まはりに幾年を渡り、猶その上に種々の規則にしばらるれば、花の都に名を擧げて世間の耳目を集むるほどの事は、保證の印のしかとおして、無しと言ふとも誤りは有るまじ、一生を斗量はかりにかけ尺度ものさしにはかり、これほどゝ限りある圖の中に、身は目に見えぬ繩につながれ、人の言葉を守り人の命令さしづに働き、功は後の世に殘る事もなく、死しては知己に吊はれ子孫に祭らるゝ夫れ丈を差別にして、さのみ犬猫と變りもなく、夢と暮し烟りと消え、夫れにて汝は滿足なか、夢ならば彌勒の世までを夢につゝんて[#「つゝんて」はママ]、嘘も眞實も僞りも、美しきも醜きも一呑みに呑みつくして、此世の中に高く飛ぶ心は無きか、いかにぞや與之助、返事のなきは不承知か、口をしや我が思ふ半をも解し得ず、汝はまだいさゝかの情に引かるゝと見えたり、其愚かしき性根とは知らで思ひを碎きしは我があやまりよ、今は何ごとも口入れなすまじければ萬づ汝の勝手たるべし、いな、お新殿のめゝしさならずとは言譯、これに引かる心ならずは、何時か一度は持つべき妻の、口約束ばかり何の大事かは、田原に不足は言ふまじき筈と責められて與之助、我れを白痴にしたりける母が詞と肝癪のむらむらと加へて、嫌で御座ります、田原もいやお新もいや、諸事萬事氣に入りませぬと、有りし昔の惡あがきに、剛情はりける時の面かげを其まゝ、折角のお近が談義は揉みくちやにしてのけられたり。

其四


これは瀬川さま、ようこそと玄關に高きはした女が聲を、耳とく聞きて、膝にねふれる小猫をおろし、よみさしの繪入新聞そこの茶だんすの上にのせて、お珍らしや何風に吹かれ給ひてぞ、谷中の道はお忘れなされしかと存じましたに、と障子の内より美くしき聲をもらせば、西北か、但し南の、天氣豫報にも見えざりし曇りの何處やらに出來て、肝癪にもやもやの雲が沸きたれば、お辰樣が扇の風にでも沸ひて[#「沸ひて」はママ]ほしく、お宿もとまで罷り出たる次第と例に似ぬ與之助がをかしき詞に、お辰座をたちて迎へながら、大分御機げんで御座んすの、梅見のお歸途かへりか、橋本あたりのお名殘と見えまする、さりとはお土産もなしに御不心中やと笑へば、それ處の勢ひかと、與之助も笑ひて、さし出す友仙のふとんの素人めかぬを引寄せ火ばちの向ひ合せに坐をしめれば、ほんにお顏色もよからず、御不快か、但しは例のねゝ樣が我まゝからの肝癪に、母樣したゝか困らせ給ひて、お足の向くまゝ此方角へお越しなされしが、どの道うれしからぬお顏色と、圖ぼしをさゝれて其通りとも言ひかねけり。
むかし覺ゆる嫗樣の色はなけれど蔭ゆかしき美人の末の四十女、切髮姿に被布の好みも何處やら洒落て、良人なき後の世渡りは昔し覺えの三味も流石とはゞかりて、月琴の師と聞くぞをかしき、お辰は長羅竿に一服すひて與之助に手渡ししつ瀬川さま私しの言ふは當りましたろ、よい加※[#「冫+咸」、U+51CF、14-上-4]になされませや、さもなくてさへ母樣の御苦勞は山ほどなるに、よい年しての大供樣が、髭くひ反らして甘ゆるは可愛けれど、すねるぢれる、何で御坐ります、お腹が立たば寢かしてお置きなされと片頬に笑みてたしなめれば、異見は眞平、よう/\逃げのびて、此處で二の矢は御免蒙むりたし、理屈は捨てゝ陽氣におもしろく、我が平常は知り※[#「抜」の「友」に代えて「丿/友」、U+39DE、14-上-10]き給ふお辰樣が匕加※[#「冫+咸」、U+51CF、14-上-10]に、嬉しくをかしと思ふ話を聞かせ給へといへば、夫れは造作もなきこと、春さく堤の花よりも美く、秋てる中洲の月よりも清く歌舞の菩薩が手を盡くす物の音も及ばねば、お前樣がお好きの畫や歌や何の何の、見れば嬉しく、聞けば床しく、ぢれも肝も悉皆みなおさまりて、思ひ出してさへ魂のふらつく樣な事が御座んす、とは又何ぞと問へば、身邊あたりの新聞をつきつけて、夫れ此處に、と指さすは新の字、これは解からぬこと禪僧が問答でもあるまじと笑へば、お辰眞面目に、眞言の秘密で御坐んすぞえ、其字を一目御覽じるよりお胸に現はれる影は可愛らしき島田髷にじやばらの結び下げ、兄樣此字は何と讀みますると御本を前にかしこまりしお姿が見えます筈、何と無るゐにお嬉しかろと、言ひ終りておほゝと笑へば、馬鹿なと一言くるしげに笑ふ。
戯言は戯言、御新樣といふ稚な馴染の可愛らしき方があれば他處にお心の散らぬは無理ならねど、全躰あのおをどうなさる覺しめしぞや、初春はるの三日の歌がるたに、其うつくしきお顏を見せましたは私しの咎なれど、誠の罪は何處やらのお人と田原がことに話しの移れば、其話それを今日は※[#「抜」の「友」に代えて「丿/友」、U+39DE、14-下-10]きにして貰ひたし、氣色きしよくのすぐれず頭のいたきに、ぶらりと家を出でたれど、さして面白き處もなければ、常に憂きことを知らず顏の、此宿こゝには定めし胸のすく樣な事もとて來たりける物を、いぢめられては何の甲斐もなしと迷惑がれば、どうでも嬰兒樣は猿蟹のはなしでなくばお氣に入るまじ、腹のすく樣なとても氣の利たもので一口といふ宿がらで無ければ、ねゝ樣相應これで我まんなされませと、甘味にそへてさし出す茶の浮かすはお手のものと知るや知らずや。

其五


我れながらしがたき心のいづ方に向ひてすゝむらん、あとにも先にも今日までに逢ひみしは初春はるの三日、年始まはりの屠蘇の醉ひ、目もとにあらはれて心は夢ところげこみし谷中のやどに、うつくしびとの寄り合ひて今宵は歌留多の催し、お迎ひの使ひをもあげたかりしに、ようこその御入來おいでと喜こばれて、若きものゝならひ與之助いやならぬ心地のして、遂ひそのまゝにお中間入りの源平合戰、組わけの三たびが三たび連れになりしはお辰が門下に隨一のお家がら、例の田原どのが愛子にお廣さまとて、父さま似の色は白からねど、娘ざかりは山茶も出ばなの色ふかく、派手ずきの母樣がお好みとありて、模樣も花やぎたる薄藤の中振袖、もれてぞにほふ八口の緋ぢりめん、人目をうばふ織ものに、帶は繻珍か夏雄の彫りのぱちんの金具は瀧に鯉、はつきりとせし氣象はとりなり活溌いき/\とおもしろく、ちての喜び、まけての腹たち、我まゝなほど憎くからぬお人なりける、されば與之助とても其おもかげの空にうかべば、母が前に斷りたるほど眞實いやといふには有らねど、男の身として少しうれしからぬ筋もあり、かつはお新がうらみの心にかゝれば、いづれにせよ胸のうちには斷然きつとせし决定さだまりもなく、何が何やら五里の霧中にさまよふやうにて、月も花もはるかの彼方におぼめきながら、ならべ得がたき處に悶はおこりて人しれぬ苦勞この間にあり、されば眞向まつかふよりの母が異見に疳癪の火の手つのりて、よしさらば立派に我か戀を[#「我か戀を」はママ]通して見すべし、馬鹿なことをと奮ひたちしは一時、今朝の勢ひにては谷中に足のむくべくもあらず、もとより此處は由縁のかげ、むらさきの一もと根ざしはほかならぬに、行かばかならず彼のことを言ひ出すべし、さては五月蠅うるさしとて行かねば夫れにても事のすむべきを、むしやくしやとせし思ひの晴るゝ處なければ、暫時にても此苦のわすらるゝやう、その一條は面倒めんどうなれどお辰が話しのをかしきは聞きたくなきにもあらで、よし例の話しのいでたらば、あたまから亂離骨廢にこなして、言葉のたくみをどれほどに并らぶるとも、知らぬ知らぬと亂暴に狼藉にけのけたらば、いかなお辰も閉口して二の句は出まじ、と心がまへをせしやらせぬやら、我れもわからぬ了簡にて谷中の扉をたゝきぬ
行末は八重の汐路に大船うかべて、空や波なる青海原とても、もとは山路の苔のつゆ、さてもわけなしのお弱年としわかさまとにらむ目もとに何見えざらん、問はねどしるき與之助が心の宙宇に迷ふ有さまゝで夫れと呑みこめば、思ひしにはかはりてお辰さのみ田原がことも語らず、案じたるよりは産むの安きもてなしに、恐れてよりつかざりし日ごろの馬鹿らしさ我れと笑はれて、母が前におこりたる疳癪の雲もやうやう散じれば、おのづから詞に花も咲きて聲だかに笑ふやうにもなれば、時分をはかりてお辰、のう瀬川さま、人は何時どのやうな事で苦勞するやら知れませぬ物、うき世を切り髮の今日この頃、我が身にかゝる浮雲さへ大方は拂ひつくして、心の月のたかく澄むやうにと願ひながら、さて左樣さうもならぬもの、見きくにつけて人の哀れとぞ知らぬ顏して過ぐされねば、醉狂らしき心配に身さへやせて、一人やきもきと氣はもめども、肝腎の御本尊さまがいたちの道きりでは困るでは御座んせぬかと恨らまれて與之助、それはお氣のどくさまと輕くすます言葉も出かねて、左樣いふ次第ではなしなどゝ言譯をなしける、お辰いよ/\眞面目に、弟子は子もおなじなれば我が身も可愛きあのおの爲、早くらちのあかせましたけれど、それは一筋、お前さまのお情實こゝろも汲まぬでは御座ござんせぬ、まゝごとの昔しより別れて今ではお前さまお一人をたよりの、お新さま可哀かわゆしとあるは御尤、いひ譯あそばすほどが可怪をかしく、左樣ありてこそ嬉しきお心を喜んで居りまする、なれども田原さまが事とて彼のまゝでは置かれもすまじく、我れさへよくは他人ひとは勝手と其やうな無茶は平常の御氣質とてお言ひになる譯が無ければ、どうでも二道にまよひて御苦勞なさるので御座ござりましよ、おのづから母樣には仰せ憎くきことも私しには御遠慮の入らぬ筈なれば、何ごともお打あけなされて御相談下さりませやと、おさな子に飯粒いひぼくゝめるやうな申分を、さすが亂暴に狼藉に言ひやぶらるゝ物でなければ、與之助少し勝手のかはりて、しばらくは默然だんまりとなりぬ
次第に我が本陣へきりこまれて、いづれにか返答せねばならぬ樣になれば、いつまで唖のまねも出來ねば思ひきりて與之助、我れはお辰さまが何時いつもの給ふねゝ樣なれば、其やうな義理はりの六づかしきことは知らず、粹とやら通とやら鶯なかせし末の人こそ奧ふかきおもひやりは有るもの、何となりとも察してよき樣に斗らひ給へ、我れは小豆あづきまくらが相應なればと、美事とぼけた積りでれば、ほんに左樣さう御座ござんしたもの、海山三千年の我れに比らべて力まけのせし可笑しさ、知らざるを知らずとせよも生意氣らしけれど、ねゝ樣の小癪だては入らぬ事なれば、以來は何事も我が身にまかせてお小言は仰せられますなやと言へば、萬事よろしくお差圖をと、與之助はどこまでも串談のつもり成りしが

其六


その次の日お辰田原どのに車を飛ばせて何事を言上しけん、奧方の笑眉ひらけて見えさせられしが、歸るとそのまゝ、呼出しに人の魂をふらつかせし昔しより、書きなれたる長文の滯るところなく、我れながらをかしさを水いれの水にそゝひで、する墨のあとこまやかに、筋は立派に萬歳を祝して、きのふは與之助さまお入り嬉しく、然るべく取はからへと仰せの有りけるまゝ、唯今例のに參りて、奧方まで委細申上げぬるに、お喜びのほどは去る方に推し給へ、猶この後のさまざまに付きて、お打合せいたしました事の多ければ、みづから參館あがりて、とはおもへど、少しさゝはる事のありて今日明目自由のきかねば、おはこびの願ひましたきよしをお近のもとまで申おくりける、此文これを受とりたるお近が喜びより、あきれはてし與之助が、あまりの事に戯れとも思はれず、さりとて青筋たてゝ怒りもせば、いよ/\笑はれて茶にされて、我がいひ條は何所にか立たすべき、母はもとより同意も同意、望みに望む所なれば、我がもしも嫌やなどゝ言はゞ、お辰と同盟してどのやうの難義を言ひ出すやも斗られず、彼方あちよりも此方こちよりもくど/\と面倒を持ちこまれて、長く苦境に身を置かんより、今後のことは今後の處しかたも有るものをと、せん方なしの斷念あきらめに、お辰がいふ嬰兒さまの本色か、うまうま深淵ふかみに引入れられしをくやみながら、手玉に取られて手も足も出ぬやうに成りぬ
お近はもと/\お辰とは意氣の合ふといふ中にも非らず、亡き良人つまが親友の未亡ごけ人さまといふばかり、平常は與之助の好きて通ふをさへ苦々敷いひけるも、此度びのはからひの如何いかに説きてか我が手にさへ乘らざりしを鎭づめて、うれしき順序のはこびける喜ばしさに、お新のことをさへ打あけて談合するやうに成りける、狹き家のうちの出來ごとを、かくしたりとも遂ひには知れずにも居まじく、知りたりとて故障のあるではなけれど、氣まづき思ひをさせるだけが厭やなれば、おもてだちたる事の整はざるさまに、何とか宜き手段もあらば、お新が爲の後來のち/\もわるからぬやう、人の妻にといひてはだ與之助が事情わけをしるまじき彼のが、應とはかならず言ふまじければ、行義見ならひもをかしけれど、何とか名をつけて華族がたの大奧にでも一時の御奉公にいだすか、ともかくも一二年のほど家をはなしたらば、双方に忘れ草のつまるゝ種にもなりて、其後に聟をとるなり嫁にやるなり、無關係の人にならば事の易かるべしと、此やうの話をなしける、その中に與之助、此塲合になりて我が身の方はゆるぎの取れぬ事なるを知りつゝ、あかず惜しき心の十分に殘れば、取とめて我がものにの念は今さら出すべきにもあらねど、何心なく罪なき人を、寄り集りて術計はかりごとのうちに落しいれる如きを憐れめど、我が嘴をはさみたらば幵處を怪しくとられて、いよいよお新を邪魔ものにさるゝ種ならんも知れねば、何事にまれはなしの始まりて、いざといふ時に臨まば、お新をつゝきて當人より厭やを言はする外に道はなし、お新の厭やとかぶりを振りなば、誰れも無理にとは言ひ難きに、我れも共に詞をそへて理屈をつくり、しばしの時日を延ばすほどには、天に風雨の變あるとおなじく、はからぬ處よりはからぬ事も出で來るものなれば、今までの事の目茶になりて、田原が事の彼方より破れて來たらぬとも言ひ難しなどゝ、人は厭ふ破綻といふ事を空に願ひて、我が心にも非ずはじまりたる縁なれば、萬づ串談のやうに誠しからず、今日の我が身の成りゆきの夢のやうなるに、いつぞは覺めて氣樂に愉快の舊にかへり、お辰、田原などゝいふ文字の腦裏をはなれて、大川に足を洗ひたるほど、さつぱりとしたきものよと思ふに、生憎やお新が哀れいぢらしの樣なる無邪氣の樣子にて、我れをいさゝかも見よげにとの親切より、衣類の洗ひそゝぎ扨は縫はりの暇なく、夢にも母子が心をさとりたらばくはなすまじき朝夕のやさしさ、其身の爲には鬼にも似たりける伯母を、知らぬ心の介抱なほざりならず、今日は谷中に行きて足の疲かれぬといへば、少しおさすり致しましよと取つく憐れさ、常は何とも思はざりしことが目に映りて、何ともいはれぬ厭らしき氣もちのしける

其七


とゞめんと願ふは與之助が心一つにて、出ださんとつとむるは多數なるに、八方にまはしたる手の屆きて、よろしき奉公口ふたつ見當りぬ、一つはお辰の手より出でゝ、霞が關にさる名高き舊諸侯の奧づとめ、むかしと違ひて御質素との表面おもてなれど、衣類もち物の支度なみ/\の嫁入りよりは仰山なれば、御奉公人とても小商人小官吏などの娘小供はなく、よしある孃さまがたの上つ方を見習ひにおあがり遊ばすなれば、お行儀はもとより、志しがあらば諸藝に通じる事もなりて、三五年の後にはやさしき身代に及ぶまじき拜領ものもありて、よろづ富貴に結搆なるお邸とのこと、一つは瀬川が舊知己に折々は出入りも爲したりし黒澤何がしと呼ぶお畫師どの、浮世に大家名流の聞えも無けれど、斯道にあつき志しは却りて其大家などゝいはるゝを厭へば、おのづから隱逸といふ風もある隱居さまにて、家をゆづりし息子の律義りちぎなるにかへり見る煩はしさもなければ、先祖が生國ときく甲斐の差手さしでに、いそ千鳥君が[#「礒千鳥君が」はママ]千代をば八千代となく景色さぐりがてら、厭氣の出づるまでのあたりの山家にしばし引こもらんといふ、妻は此地に育だちたる人なれば、話しがたきもなき山猿の中に這入はいりて、さぞ淋しからん月日を思へば、いつそ家にとゞまりてお歸りを待つ方がよしとも思へど、年ごろ睦ましき中は月花のいづくにも手を携へぬ時なく、寸の間もはなれざりしものを、今さら一人はやりともなきに、我まゝなれども此處より一人手廻りのひとをつれたく、お新さまを宜き口あらばとお頼みなりしが、あのやうに可愛くしかも柔順おとなしき娘を、我が子同樣に伴ひもしたらば、畫ごゝろもなき我が山ずみの憂さも慰むべく、萬事に嬉しき連れなるべけれど、良人にしたがふ我れさへさのみ進みては行きともなき山の中へ、花の都を捨てゝ若き人の行かんともいはれまじく、又よき御奉公をと望まるゝに貧乏畫師がお預かり申たしとは口巾たくてお願ひも申されねばと、壁訴訟のやうに妻なる人の來て語りたる、此二つが此頃の題に成りけり
その身一生の利害を説きて、はじめ奉公をと勸めたる時、いぶかしく怪しき事におもひて、俄かに承知はなすまじと思ひたるに、お新さのみは驚ろきもせで、思ひもうけたる如く出でゝ行くべきよしを合點しける、與之助かげに廻りて心を引き見れば、それは伯母さま兄さまのおそばにいつまでも暮らさるゝ物ならば夫れに上こす喜びはなけれど、左樣さうあられぬが世のならひと聞けば、これも詮なきこと、うき世といふものゝ力はいかほどの物やら目には見えねど、かなしきも嬉しきも我が手業にあたはぬことゝあきらめぬる身は、愁らき時はつらき時の來たりぬと思ひ、嬉しき時は嬉しき時とおもふ、そのほかには何ともれぬでは御座りませぬか、と思ひきりのよきに與之助とゞめもならず、さらば同じき奉公といへども、立派にうつくしき奧づとめの、いさゝか氣骨は折れるにせよ遊ぶにひとしき多人數の中にまじりて、絹布やはらかづくめに務めらるゝ華族の奉公ならば、その身の爲の行末もよく、世間の聞えも宜かるべきに、お新はいかにぞと問へば、お命令いひつけならば是非がなけれど私しに撰ばして給はらば華族さまは厭やといふ、さては黒澤の方がよしとか、我意に氣樂なるには相違なけれど、行々の事につきて何ほど頼もしき宿でもなく、それも東京にでも居ることならば氣やすさにかせて、もとより奉公などゝいふでは無く奧樣に細工ものでも習ふ了簡にて行くも宜けれど、今が今田舍へこもりて、はて自雲の雲水も同樣なる彼の人々につきて何處まで行かるべき、されば先方さきよりも遠慮して欲しとは明白に言はぬほどなるを、何故に又妙な處をも望むものかなといへば、黒澤さまはお畫師では御座りませぬか、兄さまもお畫はお好きなるに、私しは畫が學びたう御座ります、畫をならひて如何どうするつもりぞと又問へば、戀しき時にお姿をかきても慰さめられまする事故ことゆゑといはれて、與之助あとは聞くことの出來ず、一人胸のうちに泣きける
かくと事の决定さだまりぬる後は猶豫もなく支度したくのとゝのひて、一日なりとも長くとどめんとおもふは與之助ばかり、表面よりは黒澤が出立の近づきぬと告ぐるに、田原が方は何といふ目だちたる事もなけれど、裏面の交通やう/\はじまりて、お近が胸にはひや/\とする事の無きにもあらねば、これは一日もはやくたゝせたき思ひ、かゝる時は是非無差別の日のかげにお近が念慮の勝をしめて、いよ/\明日あすのあけの一番に、上野發の※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)車にてといふ段に成りぬ、お新は何ごとを思ふらん、言はぬおもひは人しるによしなけれど、一語にても意味のりける詞の與之助には利き刄にてゑぐらるゝやうに胸のくるしく、寢られぬ夜半の殘燈ありあけのかげ薄れゆくまゝに、やがては鳥もなくらん、かねも驚かすべし、いざと敷居をまたぐ時、※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)車のふゑの音ひゞく時、やう/\烟りにかげ消えゆくとき、いかならんと思ひやる與之助より、さし手が磯に千鳥を友として、かなしき戀のおもかげを描くらん、不憫ふびんやお新が心の内





底本:「文學界 第十四號」文學界社雜誌社
   1894(明治27)年2月28日発行
   「文學界 第十六號」文學界社雜誌社
   1894(明治27)年4月30日発行
初出:其一〜其四「文學界 第十四號」文學界社雜誌社
   1894(明治27)年2月28日
   其五〜其七「文學界 第十六號」文學界社雜誌社
   1894(明治27)年4月30日
※初出時の署名は「一葉女」です。
※変体仮名は、通常の仮名で入力しました。
※「こと」の合字は、仮名にあらためました。
入力:万波通彦
校正:Juki
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について

「抜」の「友」に代えて「丿/友」、U+39DE    9-下-1、14-上-10、14-下-10
「冫+咸」、U+51CF    14-上-4、14-上-10


●図書カード