十三夜

樋口一葉





 いつもは威勢よき黒ぬり車の、それかどに音が止まつた娘ではないかと両親ふたおやに出迎はれつる物を、今宵こよひつぢよりとびのりの車さへ帰して悄然しよんぼり格子戸かうしどの外に立てば、家内うちには父親が相かはらずの高声、いはばわし福人ふくじんの一人、いづれも柔順おとなしい子供を持つて育てるに手はかからず人には褒められる、分外の欲さへ渇かねばこの上に望みもなし、やれやれ有難い事と物がたられる、あの相手は定めし母様ははさん、ああ何も御存じなしにあのやうに喜んでおいで遊ばす物を、どの顔さげて離縁状もらふて下されと言はれた物か、かられるは必定、太郎と言ふ子もある身にて置いて駆け出して来るまでには種々いろいろ思案もし尽してののちなれど、今更にお老人としよりを驚かしてこれまでの喜びを水のあわにさせまする事つらや、いつそ話さずに戻ろうか、戻れば太郎の母と言はれて何時々々いついつまでも原田の奥様、御両親に奏任のむこがある身と自慢させ、わたしさへ身を節倹つめれば時たまはお口に合ふ物お小遣こづかひも差あげられるに、思ふままを通して離縁とならば太郎には継母ままははき目を見せ、御両親には今までの自慢の鼻にはかに低くさせまして、人の思はく、おととの行末、ああこの身一つの心から出世のしんも止めずはならず、戻らうか、戻らうか、あの鬼のやうな我良人わがつまのもとに戻らうか、あの鬼の、鬼の良人つまのもとへ、ゑゑやと身をふるはす途端、よろよろとして思はず格子にがたりと音さすれば、誰れだと大きく父親の声、道ゆく悪太郎の悪戯いたづらとまがへてなるべし。
 外なるはおほほと笑ふて、お父様とつさん私で御座んすといかにも可愛かわゆき声、や、れだ、誰れであつたと障子を引明ひきあけて、ほうおせきか、何だなそんなところに立つてゐて、どうして又このおそくに出かけて来た、車もなし、女中も連れずか、やれやれま早く中へ這入はいれ、さあ這入れ、どうも不意に驚かされたやうでまごまごするわな、格子は閉めずともしが閉める、ともかくも奥がい、ずつとお月様のさす方へ、さ、蒲団ふとんへ乗れ、蒲団へ、どうも畳が汚ないので大屋に言つては置いたが職人の都合があると言ふてな、遠慮も何も入らない着物がたまらぬからそれを敷ひてくれ、やれやれどうしてこの遅くに出て来たおうちでは皆お変りもなしかといつに替らずもてはやさるれば、針のむしろにのる様にて奥さま扱かひ情なくじつとなみだ呑込のみこんで、はい誰れも時候のさわりも御座りませぬ、私は申訳まをしわけのない御無沙汰してをりましたが貴君あなたもお母様つかさんも御機嫌よくいらつしやりますかと問へば、いやもうわしくさみ一つせぬ位、お袋は時たま例の血の道と言ふ奴を始めるがの、それも蒲団かぶつて半日も居ればけろけろとする病だから子細はなしさと元気よく呵々からからと笑ふに、亥之ゐのさんが見えませぬが今晩は何処どちらへか参りましたか、あの子も替らず勉強で御座んすかと問へば、母親はほたほたとして茶を進めながら、亥之は今しがた夜学に出てゆきました、あれもお前おかげさまでこの間は昇給させて頂いたし、課長様が可愛かわゆがつて下さるのでどれ位心丈夫であらう、これと言ふもやつぱり原田さんの縁引ゑんが有るからだとてうちでは毎日いひ暮してゐます、お前に如才は有るまいけれどこのとも原田さんの御機嫌の好いやうに、亥之はあの通り口の重いたちだしいづれお目に懸つてもあつけない御挨拶ごあいさつよりほか出来まいと思はれるから、何分ともお前が中に立つて私どもの心が通じるやう、亥之が行末をもお頼みまをして置ておくれ、ほんに替り目で陽気が悪いけれど太郎たろさんは何時いつ悪戯おいたをしてゐますか、何故なぜに今夜は連れておいででない、お祖父ぢいさんも恋しがつてお出なされた物をと言はれて、又今更にうら悲しく、連れて来やうと思ひましたけれどあの子は宵まどひでもううにましたからそのまま置いて参りました、本当に悪戯いたづらばかりつのりまして聞わけとては少しもなく、外へ出れば跡を追ひまするし、家内うちに居れば私の傍ばつかりねらふて、ほんにほんに手が懸つて成ませぬ、何故なぜあんなで御座りませうと言ひかけて思ひ出しの涙むねの中にみなぎるやうに、思ひ切つて置いては来たれど今頃は目を覚してかかさん母さんと婢女をんなどもを迷惑がらせ、煎餅おせんやおこしの※(「口+多」、第3水準1-15-2)たらしもかで、皆々手を引いて鬼に喰はすとおどかしてでもゐやう、ああ可愛さうな事をと声たてても泣きたきを、さしも両親ふたおやの機嫌よげなるに言ひいでかねて、けむりにまぎらす烟草たばこ二三服、空咳からせきこんこんとして涙を襦袢じゆばんそでにかくしぬ。
 今宵は旧暦の十三夜、旧弊なれどお月見の真似事に団子いしいしをこしらへてお月様にお備へ申せし、これはお前も好物なれば少々なりとも亥之助に持たせて上やうと思ふたれど、亥之助も何かきまりを悪るがつてその様な物はおよしなされと言ふし、十五夜にあげなんだから片月見かたつきみに成つても悪るし、喰べさせたいと思ひながら思ふばかりで上る事が出来なんだに、今夜来てくれるとは夢の様な、ほんに心が届いたのであらう、自宅うちうまい物はいくらも喰べやうけれど親のこしらいたは又別物、奥様気を取すてて今夜は昔しのお関になつて、見得をかまはず豆なり栗なり気に入つたを喰べて見せておくれ、いつでも父様ととさんうわさすること、出世は出世に相違なく、人の見る目も立派なほど、お位のい方々や御身分のある奥様がたとの御交際おつきあひもして、ともかくも原田の妻と名告なのつて通るには気骨の折れる事もあらう、女子をんなどもの使ひやう出入りの者の行渡り、人の上に立つものはそれだけに苦労が多く、里方がこの様な身柄では猶更なほさらのこと人にあなどられぬやうの心懸けもしなければ成るまじ、それを種々さまざまに思ふて見るとととさんだとて私だとて孫なり子なりの顔の見たいは当然あたりまへなれど、あんまりうるさく出入りをしてはと控へられて、ほんに御門の前を通る事はありとも木綿着物に毛繻子けじゆす洋傘かふもりさした時には見す見すお二階のすだれを見ながら、ああお関は何をしてゐる事かと思ひやるばかり行過ゆきすぎてしまひまする、実家でも少し何とか成つてゐたならばお前の肩身も広からうし、同じくでも少しは息のつけやう物を、何を云ふにもこの通り、お月見の団子いしいしをあげやうにも重箱おぢうからしてお恥かしいでは無からうか、ほんにお前の心遣ひが思はれると嬉しき中にも思ふままの通路がかなはねば、愚痴の一トつかみいやしき身分を情なげに言はれて、本当に私は親不孝だと思ひまする、それは成程やはらかひ衣類きものきて手車に乗りあるく時は立派らしくも見えませうけれど、ととさんやかかさんにかうして上やうと思ふ事も出来ず、いはば自分の皮一重、いつそ賃仕事してもお傍で暮した方がつぽど快よう御座いますと言ひ出すに、馬鹿、馬鹿、その様な事を仮にも言ふてはならぬ、嫁に行つた身が実家さとの親のみつぎをするなどと思ひも寄らぬこと、うちに居る時は斎藤の娘、嫁入つては原田の奥方ではないか、いさむさんの気に入る様にして家の内を納めてさへ行けば何の子細は無い、骨が折れるからとてそれだけの運のある身ならば堪へられぬ事は無いはづ、女などと言ふ者はどうも愚痴で、お袋などがつまらぬ事を言ひ出すから困り切る、いやどうも団子を喰べさせる事が出来ぬとて一日大立腹であつた、大分熱心で調製こしらへたものと見えるから十分に喰べて安心させて遣つてくれ、余程うまからうぞと父親てておや滑稽おどけを入れるに、再び言ひそびれて御馳走の栗枝豆ありがたく頂戴をなしぬ。
 嫁入りてより七年の間、いまだにに入りて客に来しこともなく、土産もなしに一人歩行あるきして来るなど悉皆しつかいためしのなき事なるに、思ひなしか衣類もいつもほどきらびやかならず、まれひたる嬉しさにさのみは心も付かざりしが、聟よりの言伝とて何一言の口上もなく、無理に笑顔は作りながら底にしほれし処のあるは何か子細のなくては叶はず、父親てておやは机の上の置時計を眺めて、これやモウ程なく十時になるが関は泊つて行つていのかの、帰るならばもう帰らねば成るまいぞと気を引いて見る親の顔、娘は今更のやうに見上げて御父様おとつさんわたくしは御願ひがあつて出たので御座ります、どうぞ御聞遊してときつとなつて畳に手を突く時、はじめて一トしづく幾層いくその憂きをもらしそめぬ。
 父は穏かならぬ色を動かして、改まつて何かのとひざを進めれば、わたしは今宵限り原田へ帰らぬ決心で出て参つたので御座ります、勇が許しで参つたのではなく、あの子をかして、太郎を寐かしつけて、最早もうあの顔を見ぬ決心で出て参りました、まだ私の手より外誰れの守りでも承諾しようちせぬほどのあの子を、だまして寐かして夢のうちに、わたくしは鬼に成つて出て参りました、御父様おとつさん御母様おつかさん、察して下さりませ私は今日まで遂ひに原田の身に就いて御耳に入れました事もなく、勇と私とのなかを人に言ふた事は御座りませぬけれど、千度ちたび百度ももたびも考へ直して、二年も三年も泣尽なきつくして今日といふ今日どうでも離縁をもろふて頂かうと決心のほぞをかためました、どうぞ御願ひで御座ります離縁の状を取つて下され、私はこれから内職なり何なりして亥之助が片腕にもなられるやう心がけますほどに、一生一人で置いて下さりませとわつと声たてるをかみしめる襦袢の袖、墨絵の竹も紫竹しちくの色にやいづると哀れなり。
 それはどういふ子細でと父も母も詰寄つて問かかるに今までは黙つてゐましたれど私のうち夫婦めをとさし向ひを半日見て下さつたら大底が御解りに成ませう、物言ふは用事のある時慳貪けんどんまをしつけられるばかり、朝起まして機嫌をきけば不図ふとわきを向ひて庭の草花をわざとらしきことば、これにも腹はたてども良人おつとの遊ばす事なればと我慢して私は何も言葉あらそひした事も御座んせぬけれど、朝飯あさはんあがる時から小言は絶えず、召使の前にて散々と私が身の不器用不作法を御並べなされ、それはまだまだ辛棒もしませうけれど、二言目には教育のない身、教育のない身と御蔑おさげすみなさる、それはもとより華族女学校の椅子いすにかかつて育つた物ではないに相違なく、御同僚の奥様がたの様にお花のお茶の、歌の画のと習ひ立てた事もなければその御話しの御相手は出来ませぬけれど、出来ずは人知れず習はせて下さつても済むべき筈、何も表向き実家の悪るいを風聴ふうちやうなされて、召使ひの婢女をんなどもに顔の見られるやうな事なさらずとも宜かりさうなもの、嫁入つて丁度半年ばかりの間は関や関やと下へも置かぬやうにして下さつたけれど、あの子が出来てからと言ふ物はまるで御人が変りまして、思ひ出しても恐ろしう御座ります、私はくらやみの谷へ突落されたやうに暖かい日の影といふを見た事が御座りませぬ、はじめの中は何か串談じようだんわざとらしく邪慳じやけんに遊ばすのと思ふてをりましたけれど、全くは私に御飽きなされたのでこうもしたら出てゆくか、ああもしたら離縁をと言ひ出すかといぢめて苦めて苦め抜くので御座りましよ、御父様も御母様もわたしの性分は御存じ、よしや良人が芸者狂ひなさらうとも、囲い者して御置きなさらうともそんな事に悋気りんきする私でもなく、侍婢をんなどもからそんなうわさも聞えまするけれどあれほど働きのある御方なり、男の身のそれ位はありうちと他処行よそゆきには衣類めしものにも気をつけて気に逆らはぬやう心がけておりまするに、ただもう私のる事とては一から十まで面白くなく覚しめし、はしの上げおろしに家の内の楽しくないは妻が仕方が悪るいからだとおつしやる、それもどういふ事が悪い、此処ここが面白くないと言ひ聞かして下さる様ならば宜けれど、一筋につまらぬくだらぬ、解らぬ奴、とても相談の相手にはならぬの、いはば太郎の乳母うばとして置いてつかはすのとあざけつて仰しやるばかり、ほんに良人といふではなくあの御方は鬼で御座りまする、御自分の口から出てゆけとは仰しやりませぬけれど私がこの様な意久地なしで太郎の可愛かわゆさに気が引かれ、どうでも御詞に異背せず唯々はいはいと御小言を聞いておりますれば、はりも意気地もない愚うたらの奴、それからして気に入らぬと仰しやりまする、さうかと言つて少しなりとも私の言条いひでうを立てて負けぬ気に御返事をしましたらそれをとつてに出てゆけと言はれるは必定、私は御母様出て来るのは何でも御座んせぬ、名のみ立派の原田勇に離縁されたからとて夢さら残りをしいとは思ひませぬけれど、何にも知らぬあの太郎が、片親に成るかと思ひますると意地もなく我慢もなく、わびて機嫌を取つて、何でも無い事に恐れ入つて、今日までも物言はず辛棒してをりました、御父様、御母様、私は不運で御座りますとて口惜くやしさ悲しさ打出うちいだし、思ひも寄らぬ事をかたれば両親ふたおやは顔を見合せて、さてはその様の憂きなかかとあきれて暫時しばしいふ言もなし。
 母親は子に甘きならひ、聞く毎々ことごとに身にしみて口惜くちをしく、父様ととさんは何とおぼし召すか知らぬが元来もともと此方こちから貰ふて下されと願ふて遣つた子ではなし、身分が悪いの学校がどうしたのと宜くも宜くも勝手な事が言はれた物、先方さきは忘れたかも知らぬが此方こちらはたしかに日まで覚えてゐる、阿関おせきが十七の御正月、まだ門松を取もせぬ七日の朝の事であつた、もと猿楽町さるがくてうのあのうちの前で御隣の小娘ちいさいのと追羽根して、あの娘の突いた白い羽根が通り掛つた原田さんの車の中へ落たとつて、それをば阿関が貰ひに行きしに、その時はじめて見たとか言つて人橋かけてやいやいと貰ひたがる、御身分がらにも釣合ひませぬし、此方こちらはまだ根つからの子供で何も稽古事けいこごとも仕込んでは置ませず、支度とても唯今の有様で御座いますからとて幾度いくたび断つたか知れはせぬけれど、何もしうとしうとめのやかましいが有るでは無し、わしが欲しくて我が貰ふに身分も何も言ふ事はない、稽古は引取つてからでも充分させられるからその心配もらぬ事、とかくくれさへすれば大事にして置かうからとそれはそれは火のつく様に催促して、此方から強請ねだつた訳ではなけれど支度まで先方さきで調へてはば御前は恋女房、私や父様ととさんが遠慮してさのみは出入りをせぬといふも勇さんの身分を恐れてでは無い、これがめかけ手かけに出したのではなし正当しようたうにも正当にも百まんだら頼みによこして貰つて行つた嫁の親、大威張に出這入ではいりしても差つかへは無けれど、彼方あちらが立派にやつてゐるに、此方がこの通りつまらぬ活計くらしをしてゐれば、御前の縁にすがつてむこ助力たすけを受けもするかと他人様ひとさま処思おもはく口惜くちをしく、せ我慢では無けれど交際つきあひだけは御身分相応に尽して、平常へいぜいは逢いたい娘の顔も見ずにゐまする、それをば何の馬鹿々々しい親なし子でも拾つて行つたやうに大層らしい、物が出来るの出来ぬのと宜くそんな口がけた物、黙つてゐては際限もなく募つてそれはそれは癖に成つてしまひます、第一は婢女をんなどもの手前奥様の威光がげて、末には御前の言ふ事を聞く者もなく、太郎を仕立るにも母様ははさんを馬鹿にする気になられたら何としまする、言ふだけの事はきつと言ふて、それが悪るいと小言をいふたら何の私にも家が有ますとて出て来るが宜からうでは無いか、ほんに馬鹿々々しいとつてはそれほどの事を今日が日まで黙つてゐるといふ事が有ります物か、あんまり御前が温順おとなし過るから我儘わがままがつのられたのであろ、聞いたばかりでも腹が立つ、もうもう退けてゐるには及びません、身分が何であらうが父もある母もある、年はゆかねど亥之助といふおとともあればその様な火の中にじつとしてゐるには及ばぬこと、なあ父様ととさん一遍勇さんに逢ふて十分油を取つたら宜う御座りましよと母はたけつて前後もかへり見ず。
 父親てておや先刻さきほどより腕ぐみして目を閉ぢて有けるが、ああ御袋、無茶の事を言ふてはならぬ、しさへ始めて聞いてどうした物かと思案にくれる、阿関おせきの事なれば並大底でこんな事を言ひ出しさうにもなく、よくよくらさに出て来たと見えるが、して今夜は聟どのは不在るすか、何か改たまつての事件でもあつてか、いよいよ離縁するとでも言はれて来たのかと落ついて問ふに、良人おつと一昨日おととひより家へとては帰られませぬ、五日六日と家を明けるは平常つねの事、さのみ珍らしいとは思ひませぬけれど出際でぎはに召物のそろへかたが悪いとて如何いかほど詫びても聞入れがなく、其品それをば脱いでたたきつけて、御自身洋服にめしかへて、ああ、私ぐらゐ不仕合の人間はあるまい、御前のやうな妻を持つたのはと言ひ捨てに出て御出で遊しました、何といふ事で御座りませう一年三百六十五日物いふ事も無く、稀々たまたま言はれるはこの様な情ない詞をかけられて、それでも原田の妻と言はれたいか、太郎の母でさふらふと顔おしぬぐつてゐる心か、我身ながら我身の辛棒がわかりませぬ、もうもうもう私は良人つまも子も御座んせぬ嫁入せぬ昔しと思へばそれまで、あの頑是ない太郎の寝顔を眺めながら置いて来るほどの心になりましたからは、もうどうでも勇の傍に居る事は出来ませぬ、親はなくとも子は育つと言ひまするし、私の様な不運の母の手で育つより継母御なり御手かけなり気にかなふた人に育てて貰ふたら、少しは父御ててご可愛かわゆがつて後々のちのちあの子の為にも成ませう、私はもう今宵こよひかぎりどうしても帰る事は致しませぬとて、断つても断てぬ子の可憐かわゆさに、奇麗に言へども詞はふるへぬ。
 父は歎息たんそくして、無理は無い、居愁ゐづらくもあらう、困つた中に成つたものよと暫時しばらく阿関おせきの顔を眺めしが、大丸髷おほまるまげ金輪きんわの根を巻きて黒縮緬くろちりめんの羽織何の惜しげもなく、我が娘ながらもいつしか調ふ奥様風、これをば結び髪に結ひかへさせて綿銘仙めんめいせんの半天にたすきがけの水仕業みづしわざさする事いかにして忍ばるべき、太郎といふ子もあるものなり、一端の怒りに百年の運を取はづして、人には笑はれものとなり、身はいにしへの斎藤主計かずへが娘に戻らば、泣くとも笑ふとも再度ふたたび原田太郎が母とは呼ばるる事成るべきにもあらず、良人おつとに未練は残さずとも我が子の愛の断ちがたくは離れていよいよ物をも思ふべく、今の苦労を恋しがる心もづべし、かく形よく生れたる身の不幸ふしやはせ、不相応の縁につながれて幾らの苦労をさする事と哀れさのまされども、いや阿関こう言ふと父が無慈悲で汲取くみとつてくれぬのと思ふか知らぬが決して御前をかるではない、身分が釣合はねば思ふ事も自然違ふて、此方こちらしんから尽す気でも取りやうに寄つては面白くなく見える事もあらう、勇さんだからとてあの通り物の道理を心得た、利発の人ではあり随分学者でもある、無茶苦茶にいぢめ立る訳ではあるまいが、得て世間に褒め物の敏腕家はたらきてなどと言はれるは極めて恐ろしい我まま物、外では知らぬ顔に切つて廻せど勤め向きの不平などまで家内うちへ帰つて当りちらされる、的に成つては随分つらい事もあらう、なれどもあれほどの良人を持つ身のつとめ、区役所がよひの腰弁当がかまの下をきつけてくれるのとは格が違ふ、したがつてやかましくもあらうむづかしくもあろうそれを機嫌の好い様にととのへて行くが妻の役、表面うわべには見えねど世間の奥様といふ人達のいづれも面白くをかしき中ばかりは有るまじ、身一つと思へば恨みも出る、何のこれが世の勤めなり、ことにはこれほど身がらの相違もある事なれば人一倍の苦もある道理、お袋などが口広い事は言へど亥之が昨今の月給に有ついたも必竟ひつきやうは原田さんの口入れではなからうか、七光どころか十光とひかりもして間接よそながらの恩を着ぬとは言はれぬにらからうとも一つは親の為おととの為、太郎といふ子もあるものを今日までの辛棒がなるほどならば、これからとて出来ぬ事はあるまじ、離縁を取つて出たがいか、太郎は原田のもの、其方そちは斎藤の娘、一度縁が切れては二度と顔見にゆく事もなるまじ、同じく不運に泣くほどならば原田の妻で大泣きに泣け、なあ関さうでは無いか、合点がてんがいつたら何事も胸に納めて、知らぬ顔に今夜は帰つて、今まで通りつつしんで世を送つてくれ、お前が口に出さんとても親も察しる弟も察しる、涙は各自てんでわけて泣かうぞと因果を含めてこれも目を拭ふに、阿関はわつと泣いてそれでは離縁をといふたも我ままで御座りました、成程太郎に別れて顔も見られぬ様にならばこの世に居たとて甲斐かひもないものを、ただ目の前の苦をのがれたとてどうなる物で御座んせう、ほんに私さへ死んだ気にならば三方四方波風たたず、ともあれあの子も両親の手で育てられまするに、つまらぬ事を思ひよりまして、貴君にまでやな事を御聞かせまをしました、今宵限り関はなくなつて魂一つがあの子の身を守るのと思ひますれば良人のつらく当る位百年も辛棒出来さうな事、よく御言葉も合点が行きました、もうこんな事は御聞かせ申ませぬほどに心配をして下さりますなとて拭ふあとから又涙、母親は声たてて何といふこのは不仕合と又一しきり大泣きの雨、くもらぬ月も折から淋しくて、うしろの土手の自然生しぜんばへを弟の亥之が折て来て、びんにさしたるすすきの穂の招く手振りも哀れなるなり。
 実家は上野の新坂下、駿河台するがだいへの路なれば茂れる森ののしたやみわびしけれど、今宵は月もさやかなり、広小路ひろこうぢいづれば昼も同様、雇ひつけの車宿とて無き家なればみちゆく車を窓から呼んで、合点が行つたらともかくも帰れ、主人あるじの留守にことはりなしの外出、これをとがめられるとも申訳の詞は有るまじ、少し時刻は遅れたれど車ならばつひ一トとび、話しは重ねて聞きに行かう、づ今夜は帰つてくれとて手を取つて引出ひきいだすやうなるも事あらだてじの親の慈悲、阿関はこれまでの身と覚悟してお父様とつさん、お母様つかさん、今夜の事はこれ限り、帰りまするからは私は原田の妻なり、良人をそしるは済みませぬほどにもう何も言ひませぬ、関は立派な良人を持つたので弟の為にも好い片腕、ああ安心なと喜んでゐて下されば私は何も思ふ事は御座んせぬ、決して決して不了簡など出すやうな事はしませぬほどにそれも案じて下さりますな、私の身体からだは今夜をはじめに勇のものだと思ひまして、あの人の思ふままに何となりしてもらひましよ、それではもう私は戻ります、亥之さんが帰つたらば宜しくいふて置いて下され、お父様とつさんもお母様つかさんも御機嫌よう、この次には笑ふて参りまするとて是非なささうに立あがれば、母親は無けなしの巾着きんちやくさげて出て駿河台まで何程いくらでゆくとかどなる車夫に声をかくるを、あ、お母様それは私がやりまする、有がたう御座んしたと温順おとなしく挨拶して、格子戸かうしどくぐれば顔にそで、涙をかくして乗り移る哀れさ、うちには父が咳払せきばらひのこれもうるめる声なりし。


 さやけき月に風のおと添ひて、虫のたえだえに物がなしき上野へ入りてよりまだ一町もやうやうと思ふに、いかにしたるか車夫はぴつたりとかぢを止めて、誠に申かねましたが私はこれで御免を願ひます、代は入りませぬからおりなすつてと突然だしぬけにいはれて、思ひもかけぬ事なれば阿関は胸をどつきりとさせて、あれお前そんな事を言つては困るではないか、少し急ぎの事でもあり増しは上げやうほどに骨を折つておくれ、こんな淋しい処では代りの車も有るまいではないか、それはお前人困らせといふ物、愚図らずに行つておくれと少しふるへて頼むやうに言へば、増しが欲しいと言ふのでは有ませぬ、私からお願ひですどうぞお下りなすつて、もう引くのがやに成つたので御座りますと言ふに、それではお前加減でも悪るいか、まあどうしたと言ふ訳、此処ここまでいて来て厭やに成つたでは済むまいがねと声に力を入れて車夫を叱れば、御免なさいまし、もうどうでも厭やに成つたのですからとて提燈ちようちんもちしまま不図わきへのがれて、お前は我ままの車夫くるまやさんだね、それならば約定きめの処までとは言ひませぬ、代りのあるとこまで行つてくれればそれでよし、代はやるほどに何処か※(「研のつくり」、第3水準1-84-17)そこらまで、めて広小路までは行つておくれと優しい声にすかす様にいへば、なるほど若いお方ではありこの淋しい処へおろされては定めしお困りなさりませう、これは私が悪う御座りました、ではお乗せ申ませう、お供を致しませう、さぞお驚きなさりましたろうとて悪者わるらしくもなく提燈を持かゆるに、お関もはじめて胸をなで、心丈夫に車夫の顔を見れば二十五六の色黒く、小男のせぎす、あ、月にそむけたあの顔がれやらで有つた、誰れやらに似てゐると人の名も咽元のどもとまでころがりながら、もしやお前さんはと我知らず声をかけるに、ゑ、と驚いて振あふぐ男、あれお前さんはあのお方では無いか、私をよもやお忘れはなさるまいと車よりすべるやうに下りてつくづくと打まもれば、貴嬢あなたは斎藤の阿関さん、面目も無いこんな姿なりで、背後うしろに目が無ければ何の気もつかずにいました、それでも音声ものごゑにも心づくべきはづなるに、私は余程よつぽどの鈍に成りましたと下を向いて身を恥れば、阿関はつむりの先より爪先つまさきまで眺めていゑいゑ私だとて往来で行逢いきあふた位ではよもや貴君あなたと気は付きますまい、たつた今の先までも知らぬ他人の車夫くるまやさんとのみ思ふてゐましたに御存じないは当然あたりまへ勿体もつたいない事であつたれど知らぬ事なればゆるして下され、まあ何時いつからこんなことして、よくそのか弱い身に障りもしませぬか、伯母さんが田舎へ引取られておいでなされて、小川町をがはまちのおみせをおめなされたといふうわさ他処よそながら聞いてもゐましたれど、私も昔しの身でなければ種々いろいろと障る事があつてな、お尋ね申すは更なること手紙あげる事も成ませんかつた、今は何処に家を持つて、お内儀かみさんも御健勝おまめか、小児ちツさいのも出来てか、今も私は折ふし小川町の勧工場くわんこうば見物ゆきまする度々たびたびもとのお店がそつくりそのまま同じ烟草店たばこみせ能登のとやといふに成つてゐまするを、何時通つてものぞかれて、ああ高坂かうさかろくさんが子供であつたころ、学校の行返ゆきもどりに寄つては巻烟草のこぼれを貰ふて、生意気らしう吸立てた物なれど、今は何処に何をして、気の優しい方なればこんなむづかしい世にどのやうの世渡りをしておいでならうか、それも心にかかりまして、実家へ行く度に御様子を、もし知つてもゐるかと聞いては見まするけれど、猿楽町さるがくてうを離れたのは今で五年の前、根つからお便りを聞く縁がなく、どんなにおなつかしう御座んしたらうと我身のほどをも忘れて問ひかくれば、男は流れる汗を手拭にぬぐふて、お恥かしい身に落まして今はうちと言ふ物も御座りませぬ、寐処は浅草町の安宿、村田といふが二階に転がつて、気に向ひた時は今夜のやうに遅くまで挽く事もありまするし、厭やと思へば日がな一日ごろごろとしてけぶりのやうに暮してゐまする、貴嬢あなたは相変らずの美くしさ、奥様にお成りなされたと聞いた時からそれでも一度は拝む事が出来るか、一生の内に又お言葉を交はす事が出来るかと夢のやうに願ふてゐました、今日までは入用いりようのない命と捨て物に取あつかふてゐましたけれど命があればこその御対面、ああ宜くわたくしを高坂の録之助ろくのすけと覚えてゐて下さりました、かたじけなう御座りますと下を向くに、阿関はさめざめとして誰れも憂き世に一人と思ふて下さるな。
 してお内儀かみさんはと阿関の問へば、御存じで御座りましよ筋向ふの杉田やが娘、色が白いとか恰好かつかうがどうだとか言ふて世間の人は暗雲やみくもに褒めたてたもので御座ります、私が如何いかにも放蕩のらをつくして家へとては寄りつかぬやうに成つたを、貰ふべき頃に貰ふ物を貰はぬからだと親類の中の解らずやが勘違ひして、あれならばと母親が眼鏡にかけ、是非もらへ、やれ貰へと無茶苦茶に進めたてる五月蠅うるささ、どうなりと成れ、成れ、勝手に成れとてあれを家へ迎へたは丁度貴嬢が御懐妊だと聞ました時分の事、一年目には私が処にもお目出たうを他人ひとからは言はれて、犬張子や風車を並べたてる様に成りましたれど、何のそんな事で私が放蕩のらのやむ事か、人は顔の好い女房を持たせたら足が止まるか、子が生れたら気が改まるかとも思ふてゐたのであらうなれど、たとへ小町と西施せいしと手を引いて来て、衣通姫そとほりひめが舞ひを舞つて見せてくれても私の放蕩のらは直らぬ事に極めて置いたを、何で乳くさい子供の顔見て発心ほつしんが出来ませう、遊んで遊んで遊び抜いて、んで呑んで呑み尽して、家も稼業かげふもそつちけにはし一本もたぬやうに成つたは一昨々年さきおととし、お袋は田舎へ嫁入つた姉の処に引取つて貰ひまするし、女房にようぼは子をつけて実家さとへ戻したまま音信いんしん不通、女の子ではあり惜しいとも何とも思ひはしませぬけれど、その子も昨年の暮チプスに懸つて死んださうに聞ました、女はませな物ではあり、死ぬぎはには定めし父様ととさんとか何とか言ふたので御座りましよう、今年居れば五つになるので御座りました、何のつまらぬ身の上、お話しにも成りませぬ。
 男はうす淋しき顔に笑みを浮べて貴嬢といふ事も知りませぬので、飛んだ我ままの不調法、さ、お乗りなされ、お供をしまする、さぞ不意でお驚きなさりましたろう、車を挽くと言ふも名ばかり、何が楽しみに轅棒かぢぼうをにぎつて、何が望みに牛馬うしうまの真似をする、ぜにを貰へたら嬉しいか、酒が呑まれたら愉快なか、考へれば何もかも悉皆しつかい厭やで、お客様を乗せやうが空車からの時だらうが嫌やとなると用捨なく嫌やに成まする、あきれはてる我まま男、愛想あいそが尽きるでは有りませぬか、さ、お乗りなされ、お供をしますと進められて、あれ知らぬうちは仕方もなし、知つて其車それに乗れます物か、それでもこんな淋しい処を一人ゆくは心細いほどに、広小路へ出るまで唯道づれに成つて下され、話しながらゆきませうとてお関は小褄こづま少し引あげて、ぬり下駄のおとこれも淋しげなり。
 昔の友といふ中にもこれは忘られぬ由縁ゆかりのある人、小川町の高坂とて小奇麗な烟草屋たばこやの一人息子、今はこの様に色も黒く見られぬ男になつてはゐれども、世にある頃の唐桟とうざんぞろひに小気のいた前だれがけ、お世辞も上手、愛敬あいけうもありて、年の行かぬやうにも無い、父親てておやの居た時よりはかへつて店がにぎやかなと評判された利口らしい人の、さてもさてもの替り様、我身が嫁入りの噂聞えそめた頃から、やけ遊びの底ぬけ騒ぎ、高坂の息子はまるで人間が変つたやうな、魔でもさしたか、たたりでもあるか、よもや只事では無いとその頃に聞きしが、今宵見れば如何にも浅ましい身の有様、木賃泊りに居なさんすやうに成らうとは思ひも寄らぬ、私はこの人に思はれて、十二の年より十七まで明暮れ顔を合せるたび行々ゆくゆくはあの店の彼処あすこへ座つて、新聞見ながら商ひするのと思ふてもゐたれど、はからぬ人に縁の定まりて、親々の言ふ事なれば何の異存を入られやう、烟草屋の録さんにはと思へどそれはほんの子供ごころ、先方さきからも口へ出して言ふた事はなし、此方こちらなほさら、これは取とまらぬ夢の様な恋なるを、思ひ切つてしまへ、思ひ切つてしまへ、あきらめてしまはうと心を定めて、今の原田へ嫁入りの事には成つたれど、そのきはまでも涙がこぼれて忘れかねた人、私が思ふほどはこの人も思ふて、それゆゑの身の破滅かも知れぬ物を、我がこの様な丸髷まるまげなどに、取済とりすましたる様な姿をいかばかりつらにくく思はれるであらう、夢さらさうした楽しらしい身ではなけれどもと阿関は振かへつて録之助を見やるに、何を思ふか茫然ぼうぜんとせし顔つき、時たま逢ひし阿関に向つてさのみは嬉しき様子も見えざりき。
 広小路にいづれば車もあり、阿関は紙入れより紙幣いくらか取出とりいだして小菊の紙にしほらしく包みて、録さんこれは誠に失礼なれど鼻紙なりとも買つて下され、久し振でお目にかかつて何か申たい事は沢山たんとあるやうなれど口へ出ませぬは察して下され、では私は御別れに致します、随分からだをいとふてわづらはぬ様に、伯母さんをも早く安心させておあげなさりまし、かげながら私も祈ります、どうぞ以前の録さんにお成りなされて、お立派にお店をお開きに成ります処を見せて下され、左様ならばと挨拶すれば録之助は紙づつみを頂いて、お辞儀申す筈なれど貴嬢のお手より下されたのなれば、あり難く頂戴して思ひ出にしまする、お別れ申すが惜しいと言つてもこれが夢ならば仕方のない事、さ、おいでなされ、私も帰ります、けては路が淋しう御座りますぞとて空車からぐるま引いてうしろ向く、其人それは東へ、此人これは南へ、大路の柳月のかげになびいて力なささうの塗り下駄のおと、村田の二階も原田の奥もきはお互ひの世におもふ事多し。





底本:「にごりえ・たけくらべ」新潮文庫、新潮社
   1949(昭和24)年6月30日発行
   2003(平成15)年1月10日116刷改版
   2008(平成20)年6月10日128刷
初出:「文藝倶樂部・臨時増刊閨秀小説」博文館
   1895(明治28)年12月10日
※このファイルには、以下の青空文庫のテキストを、上記底本にそって修正し、組み入れました。
「十三夜」(入力:青空文庫、校正:米田進、小林繁雄)
※送りがな、振りがなの不統一は、底本通りです。
※底本巻末の三好行雄による注解は省略しました。
入力:酔いどれ狸
校正:Juki
2015年9月1日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード