ついこの間のことである。私はあるところで「こよみ」を見せてほしいといった。すると「こよみ」とはあなたらしくもない。運勢でも調べるのですかと問われた。来月の某日が何曜日になるかを見たいのだと答えると、それならば「カレンダー」で間に合うでしょうというのである。私はなるほど「カレンダー」かなと思ったが、いくぶんか
「パパ、ママ」排撃を事新しく持ち出すわけではないが、外来語の横行もこんなになってくると深く考えさせられる。もう七年前になるがヨーロッパ滞在から私が帰朝した昭和四年の春、新聞記者が来て何か感想はないかというので、私は往来を歩いてみても到るところ看板その他に英語が書いてあってまるでシンガポールかコロンボか、そういう植民地のような印象を受ける、新聞をちょっと読んでも外来語があとからあとへ出てきて何だか恥かしく思うというようなことを述べた。記者はあまり面白くもない感想だといった顔をしながら万年筆を走らせていた。しかし足かけ九年ぶりに日本へ帰ってきた当時のことであるから、故国の文化に対する私の印象はかなり新鮮なものではあったと思う。それ以来、私は筆をとっても特に止むを得ない場合のほかはなるべく外来語を用いないことにしている。
一昨年の夏のことであった。夕方ぶらりと上野公園から根岸の方へ歩いて行ってみると「根岸盆踊」という広告が方々に貼ってあった。やがて広場に出ると
ニュース、センセーション、サーヴィス、サボタージュ、カムフラージュ、インテリ、サラリーマン、ルンペン、ビルディング、デパート、アパート、ヒュッテ、スポーツ、ハイキング、ピクニック、ギャング、アナウンサー、メンバー、マスター、ファン、シーズン、チャンス、ステートメント、メッセージ、リード、マッチ、スローガン、ブロック等々の言葉は既に常識化されてしまった。
近頃は日本にも外来語の字引がぼつぼつ出来てきたが、ドイツには早くから十数種の外来語辞典があるほど外来語が多い。私がドイツへ行ったのは世界大戦の直後であったからドイツ全国民を挙げて外来語の排撃につとめている時であった。ハイデルベルクでもベデッカーの案内記にはグランド・ホテルとなっている旅館もハイデルベルゲル・ホーフと改名していた。料理の献立を見てもソースのことをテウンケなどと書いてあった。テウンケはドイツ人にもわかりにくいということであった。テレフォーンのことはフェルンシュプレッヘルといい、ラジオのことはルンドフンクといった風であった。日本でも外来語の整理が全国民の関心事となるのは欧米との戦争というような犠牲を払った後でなければ期しがたいのであろうか。
外来語の整理、統制ということには反対の意見もある。第一の反対理由は、我々の日常使用している言語の大部分は外来語であるから今更、外来語を不浄扱いして排斥しないでもよかろうというのである。これは一理あるようであるが、漢語や
第二の反対理由は、特殊な語感が日本語では出ない場合があるという点である。たとえば「デー」は「日」よりも、「ゴー・ストップ」は「進め、止まれ」よりも語感が強くて効果的である。「テロ」を「恐怖手段」といい、「ギャング」を「殺人強奪隊」といっては感じが出ない。エロ・百パーセントも「色気たっぷり」では近代色を欠いている。外国の文化が新しくはいってくれば、外国語もそれに伴ってはいるのが当然である。西洋文明に対して広く門戸を開いている日本の現状では外来語の排斥は到底できないというのである。この理由はかなり強い反対理由である。
我々は西洋文明からも大いに学ぶべきところがあり、従っていくぶんかの外来語を不可欠的悪として見逃がすだけの雅量をもっていなければならない。しかしこれも程度の問題である。語感の強弱というくらいのことを外来語採用の標準とすることは断じてゆるせないと思う。英語やドイツ語は日本語に較べてたいていの場合に語感が強い。現代の日本人が語感の強い語を喜ぶとすれば、いっそ日本語を捨てて英語やドイツ語ばかり用いたらいいということにまでなってしまいそうである。「試験」などとなまやさしくいうよりは「エクザーメン」といった方が試験の感情当価はよほどよく表現されている。「わが祖国」というよりは「マイン・ファーターランド」といった方が
第三の反対理由は言語の世界にも適者生存の自然
日本語を欧米の侵入に対して防禦することを私は現代の日本人の課題の一つと考えたい。満洲へ軍隊を送るばかりが国防ではない。挙国一致して日本語の国民性を擁護すべきであろう。故松田文相の外来語排撃の旗印は文教の府の首班として確かに卓見であった。我々はしかし文部省あたりの調査や審議に任せて安心しているわけにはゆかない。外来語の整理、統制の問題はかくべつ調査や審議を要する問題ではない。要はただ実行にある。社会民衆の
映画アーベントなどという広告をよく新聞に見る。アーベントという言葉を用いたのは明治の終りか大正の初めころ、帝大の山上御殿ではじめて開かれた哲学会のカント・アーベントあたりが最初であったろうと思う。カント・アーベントには相当に意味があるが、映画アーベントに至っては笑止の極みである。そのうちに映画のソアレエなどといい出してフランス風を吹かせるようになるかもしれない。「喫茶店」が「サロン・ド・テー」になりかけているけはいもみえる。花道へ現れた紙屋治兵衛に「モダンボーイ」と呼びかける弥次馬の声などもただ笑って聞いてばかりもいられないような気がする。「なが子」が「ロング」、「おもん」が「ゲート」、「小栄竜」が「スモール・プロスペラス・ドラゴン」などと名乗って嬉しそうにしているのは罪がなくていいが、新聞に堂々と「サタデーサーヴィス」「
欧米語に対する社会一般の軽薄な好奇心を統制して
いったん、外来語が社会的識閾へ上って常識化されてしまうと便利であるから誰しも使うようになる。それ故に常識化されるまでに一般的通用を阻止することに全力をそそがなくてはならない。そして不幸にも既に言語の通貨となりすましてしまったならば
西洋哲学の術語などは明治以来諸先輩の努力によって殆どすべて翻訳され尽している。
生活と密接な具体的関係にある言葉は雰囲気の情調を満喫していて他国語への翻訳が困難であるには相違ないが、それも程度の問題であって、外来語の国訳へ向って出来得る限りの努力が払われなくてはならない。知識階級が全面的に誠意ある努力をこの点に払うならば必ず社会民衆が納得して使用するような新鮮味ある訳語が出来てくると信ずる。
日本人は一日も早く西洋崇拝を根柢から断絶すべきである。