森の石松

山中貞雄




森の石松 日活京都

原作・脚色・監督
      山中貞雄
撮影   荒木朝二郎
録音    中村敏夫
音楽     西梧郎
キャスト
森の石松       黒川弥太郎
石松女房 お半     花井蘭子
父親 源兵衛      横山運平
妹 お静        深水藤子
小松村の七五郎     清川荘司
お勘婆さん      小松みどり
清水次郎長      鳥羽陽之助
武井の安五郎      香川良介
都田村の吉兵衛    今成平九郎
大瀬の半五郎      磯川勝彦
旅人 広造       松下猛男
同 虎三        若松文男
神沢の小五郎     南城竜之助
法印大五郎        紺尾清
桝川仙右衛       楠栄三郎
荒川の新太        小森敏
保下田の久六     左文字一郎
酌婦 おろく     伊村利江子
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S=街道筋茶店の表
 遠州森町の近く。
 秋晴れの或る日。
 渡世人らしい旅人が一人休んで居る。
 茶店の娘お静、茶を持って来る。
 「姐さん草鞋があるかい」
 「え、御座います」
 「そうかい、じゃ一つくんな」
 「はい」
 その時、通りかかった……これも渡世人の旅人が三人。
 中の一人がつかつかと傍へ寄り、
 「失礼だが、若しやお前さん武井の安五郎さんの身内で神沢の小五郎さんとは仰しゃいませんか?」
 「へえ、儂は小五郎だが、そう言うお前さんは誰方で?」
 「俺ァ駿河の国は有度郡清水港の長五郎だ」
 次郎長の背後の二人が名乗る。
 「俺ァ清水一家の桝川屋仙右衛門」
 「俺ァ法印の大五郎だ」
 次郎長が、
 「小五郎、手前よくも俺の身内の佐太郎を殺して逃げやがったな?」
 「冗談言っちゃいけねえ清水の御貸元、それァ何かの間違いだ、俺ァ人殺しなンぞした事がねえ」
 「何を言やがるんだ、言い逃れは聞かねえ、立派に証人があるんだ、小五郎ッ覚悟を決めて仕度しろッ」
 小五郎、突然斬って来る。次郎長も抜く。
 茶店の親爺の源兵衛と娘のお静、驚く。
 床几がひっくりかえる。
 土瓶や湯呑がとんで来る。
 「危ないッ、お静やッ」
 「おとっつあん」
 お静、奥へ駈け込んだ。

S=茶店の
 奥の部屋で息子の石松が寝て居る。
 「兄さん、兄さん、大変ッ大変よ」
 と表からお静、駈け込んだ。
 「あら、まだ寝てンのね、兄さん起きてよ」
 石松、むにゃむにゃ言って起きない。
 お静、
 「兄さんッたら一寸来てよ、大変なの」
 「五月蝿えな」
 「大変なのよ、来て御覧」
 「どうしたんだ」
 「今、家の表で喧嘩がはじまったの、大騒ぎよ」
 「ちえッ、喧嘩なんか珍しくもねえ、喧嘩なら俺ァ毎晩やってらァ、昨夜も権六の野郎と喧嘩して向う脛蹴っとばしてやった」
 「違うの、そんな喧嘩じゃないの。刀抜いてるわよ」
 「刀を抜いてる? お侍の果し合か」
 「ううん」
 「じゃ渡世人か、其奴ァ面白え」
 石松、起き上って表へ。

S=茶店の近くの道
 小五郎と次郎長、斬り合う。

S=茶店の表
 石松、出て来た。
 「とっつあん、喧嘩は何処だ。あッ、やってやがる。やってやがる」
 と弥次馬となって駈け出す。
 源兵衛爺とお静、叫ぶ。
 「石松ッ、これ何処へ行くンだ、石松、危いじゃないか。傍へ寄るんじゃないぞ。仕様のない奴だ」
 「兄さんッ」
 地面に落ちて居る振分と笠。

S=茶店の表
 火点し頃。
 お静、店を片付けて居ると、七五郎がやって来る。
 (七五郎も石松と同じく百姓の伜であり乍ら、博奕打ったりして居る不良です)
 「今晩は」
 「あら今晩は」
 お静、あまりよい顔はしない。

S=店
 お静、奥へ言う。
 「兄さん、七五郎さんよ」
 七五郎、表から覗いて、
 「とっつあん、留守か」
 「え、おはいんなさいよ」
 「大変だったッてねお静坊、吃驚しただろう」
 「ええ、とても怖かったわ」
 石松、奥より出て来る。
 「斬られたなァ武井のお貸元の身内だと言うじゃねえか」
 「そうだって。三人がかりで殺ったンだってね」
 「いや、三人居るのは居たが、斬り合ってたのは一人さ。其奴がおそろしく腕ッ節の強え奴だった。きっと名のある渡世人に違えねえと俺ァ思うんだ」
 「誰だろう?」
 「先刻も武井の児分衆が来て訊ねていなすったが……誰だか判んねえ」
 「斬る前に名乗らなかったのかな」
 「俺の見た時はもう斬合がはじまっていたんだ。名乗っただろうが誰も聞いちゃ居なかった」
 その時お静坊が、
 「兄さん、本当は妾聞いたんだけれど怖いから誰にも言わなかったのよ」
 「何だって? お前聞いたのか?」
 七五郎、
 「その男、何と言った?」
 「あの……駿河の国の清水港の何とか言ったわ」
 「清水港……? じゃ次郎長だ」
 「そうだ、次郎長だ」
 「静坊、次郎長と言ったろう」
 「そうだったかしら」
 「きっとそうだ、次郎長に違えねえ」
 石松が感心して、
 「そうか、あれが今売り出しの清水の次郎長か。道理で腕と言い度胸と言い見事なものだったよ」
 と言ってお静に、
 「この事は、誰にも喋言しゃべっちゃいけねえぞ。いいか、かかり合になると五月蝿えからな」
 石松、立上って七五郎に、
 「出掛けようか」
 お静、
 「兄さん、また出て行くの? 御飯食べて行ったらどう。妾すぐ仕度しますから」
 「いや、要らねえ。愚図々々して親爺が帰って来ると、又叱言の一つもきかなくちゃならねえからな」
 「兄さん、此頃毎晩遅いのね」
 「今夜も亦、遅くなるから戸じまりはしねえで置いてくれ」

S=茶店の表
 石松、出て来て、
 「あッ、帰って来た。七五郎急ごう」
 と二人去る。
 入れ違いに源兵衛爺さん帰って来る。

S=店
 お静、迎えて、
 「お帰んなさい。疲れたでしょう。すぐ御飯にしますから」
 「石松は居ないのか? 彼奴又出て行きゃあがったな」
 「え、たった今」
 「毎晩、毎晩、困った奴だ。親の苦労も知らねえで」

S=旅籠「泉屋」の離れ座敷
 賭場が開かれて、
 「丁だ。半だ」
 と騒々しい。
 隣の部屋で負けた石松、冷酒を呑んでると、七五郎も負けたらしい。
 「石松、お前どうだった。済まねえけど少し貸してくんねえ」
 「俺もすってんてんにいかれてしまって、これっきりよ」
 と銭二三枚袂から出す。
 七五郎、チェッ。
 石松、ばら銭をもてあそぶ。
 七五郎は部屋の外を見て、
 「おや、おい見ろよ石松」
 「何でえ」
 「お前、あれァ誰だか知ってるか」
 「え、どれだい?……あれァ都田村の吉兵衛親分じゃねえか」
 「そうじゃねえんだ、吉兵衛親分と将棋をさしてる男よ」
 「このあたりじゃ、見かけぬ顔だが……誰でえ」

S=二階の一室
 離れ座敷と庭を隔てた二階の座敷。
 将棋をさす男。

S=離れ
 七五郎、傍の若い者に、
 「おッ、兄哥さん、お前さんに訊ねるが、あれァ確か武井の御貸元で御座ンすね」
 「そうだ」
 石松が、
 「そうか、あれが武井のども安親分か」
 七五郎が若い者に、
 「聞きゃ今日の昼間、町外れの街道で武井の御身内が一人斬られなすったと云う話だが。やった奴は何処の誰だか判りましたか?」

S=二階座敷
 将棋盤を中に武井のども安親分と都田村の吉兵衛。吉兵衛がパチリと打つ。
 「で一体、誰が小五郎どんを、殺りやがったのか、てんで見当が付きませんね」
 「一日も早く尋ね出して、小五郎の敵を討ってやらなくちゃ、この安五郎の男が立たねえ」
 「へえ……なーにお貸元、儂の身内が総がかりで尋ね廻って居りますから二三日うちには、きっと判ります」
 「何処の何奴の仕業か、一番先に知らせてくれた奴には、十両や二十両の礼金は儂が出すつもりだ」

S=離れ
 七五郎、石松にそっと、
 「石松、例の話……な」
 「なんだ」
 「次郎長の事サ」
 「しッ」
 「あれを武井のお貸元にそっと知らせるんだ。一両位えにはなるぞ」
 「ちえッ、さもしい事いってやがらァ」
 「だってお前、帰るにはまだ早えし、二人ともすってんてンの一文無しじゃ、さもしいなんて言ってられねえぞ」
 「それも、そうだな」

S=二階座敷
 安五郎と吉兵衛、
 「吉兵衛、手は何だ」
 「手は金銀に桂二枚」
 「金銀に桂二枚と……うーむ」
 「親分」
 と児分の一人が襖の処で言う。
 「なんだ」
 「七五郎って人が、折入って親分に話してえ事があるそうで、此処に来て居りますが」
 「七五郎?」
 児分の後から顔を出した七五郎と石松。
 七五郎が、
 「へえ、武井の御貸元で御座いますか、実は折入って……」
 吉兵衛、それと見て、
 「何だ、手前七五郎じゃねえか。何の用だ」
 「これは都田村の親分で御座いますか」
 安五郎が吉兵衛に、
 「吉兵衛、お前の知ってる人か」
 「へえ、この近在の村の若い者で御座いますよ」
 「そうか、七五郎さんとやら、一体俺に何の話か知らねえが、丁度今将棋の面白え処だ、もうじき済むから済んでから話を聴こう。その部屋でお茶でも飲んで待って居てくれ」
 七五郎、
 「へッ、待たせて戴きます」
 と石松と二人、次の部屋へ退る。
 安五郎は、
 「さてと……俺の番だったな」
 「へッ、御貸元の番で。儂が今、此処へこう角を打ちました」
 「そうか、成る程……いい手だ。弱ったね、して吉兵衛、手は何だ?」
 「手は金銀に桂二枚」
 「金銀に桂二枚と……ウー」
 「へえ、親分」
 また児分が襖の処へ来る。
 「なんだ」
 「清水港の長五郎って人が来て、親分にお目に掛りてえと言って下に居りますが……」
 「清水の長五郎?」
 「へえ」
 隣室の石松と七五郎が面喰った。
 武井の安五郎が、
 「吉兵衛、清水港の長五郎と云ゃあ此頃売り出して来た次郎長のことだろう」
 「そうでしょう」
 「何しに来たんだろう?」
 「さ――?」
 「まッ、此方へ通せ」
 「へッ」
 と児分去る。
 七五郎と石松、小声で、
 「清水の次郎長が一体何しに来たんだろう」
 「御本人に出られちゃ俺達の方は一文にもならねえや」
 安五郎又将棋を始める。
 「此の角は痛いね、どう考えても痛いね……手には?」
 「へッ?」
 「吉兵衛、手は何だ」
 「手には金銀に桂二枚」
 「そうか、そうだったな。金銀に桂二枚か金銀に桂二枚と」
 「へえ親分へ」
 児分が襖の処へ次郎長を案内して来る。
 「なんだ」
 「お連れ申しました。この方が清水港の長五郎と云う方で……へえ長五郎さん、向って右が武井の御貸元、左が都田村の吉兵衛親分で御座います」
 次郎長が安五郎に、
 「初めてお目にかかります[#「お目にかかります」は底本では「お目にかかます」]。お楽しみ中を真に恐れ入ります。手前、清水の次郎長、御見知り置かれて幾久しく御別懇に願います」
 「ああお前さんか、次郎長と云うのは? 儂が武井の安五郎だ。何の話か知らねえが丁度今将棋の面白え処だ。もう直き済むから済んでから話を聴こう。それまでお茶でも呑んで待っていて呉れ。おい新太、お客人にお茶出しな」
 「へえ」
 「さてと……吉兵衛、儂の番だったな」
 「へえ」
 次郎長、児分に、
 「茶は要らねえ。俺は茶を呑みに来たんじゃねえんだ」
 と言って立ち上る。
 石松と七五郎固唾を呑む。
 安五郎、将棋に夢中で次郎長が傍へ来たのを知らない。
 「うーむ、吉兵衛、手は何だ」
 「手は金銀に桂二枚」
 「そうか、金銀に桂二枚と……」
 次郎長、将棋盤を蹴る。
 驚く一同。
 安五郎、
 「なッ、な、な、何をするんだ」
 「おッ、安五郎、人が両手をついて礼儀を厚く拶挨しているんだぞ。それに今将棋が面白え処だ、済んでから逢おう、茶でも呑んで待ってろとは何をぬかしやがるんだ」
 「うぬは、ど……」
 「俺が今日此処へ来たなあ茶を呑みに来たんじゃねえッ。今から四年前に俺の身内の佐太郎を殺した上、金をとって逃げた神沢の小五郎を今日此の町外れの街道で俺が叩っ斬った。一言拶挨に来たんだ」
 吉兵衛が、
 「じゃ、手前が小五郎どんを……?……」
 「確かに俺が叩っ斬って、首は児分が持って先へ清水に帰ってしまった」
 「よッよッよくもきッきッ貴様ッ」
 「何を吃りやがるんだ。おおども安、手前どもりゃ人を斬るって話だが、此処で一ぺん、どど、と吃って斬って見ろ。おい斬れッ」
 用人棒の一人が次郎長の背後に廻る。
 石松、叫ぶ。
 「あッ、危ねえ」
 行燈が倒れて闇黒の中に叫喚、怒声。

S=廊下
 障子破れて、襖が倒れて、五六人の黒い影が組んづほぐれつ段梯子を折り重って転がり落ちる。

S=離れ
 混乱。
 「殴り込みだッ」

S=階段の処
 折り重って転がり落ちる児分共。
 次郎長、吉兵衛、等々。

S=庭
 「清水の御貸元、裏口がこっちにあります」
 「そうか、有難てえ」
 石松、次郎長を庭の彼方の裏口へ案内する。

S=茶店内部
 夜更けて――
 表戸を開けて七五郎のお袋のお勘婆さんが顔を出す。
 炉を囲んで源兵衛とお静。
 「今晩は」
 「あら、おばさん」
 お静、立って戸口へ行く。
 お勘、
 「うちの七五郎、若しやお前さん処へ来てやしないかと思ってね」
 「まあ七五郎さんもまだなの。うちの兄さんもまだ帰って来ないのよ」
 「一緒だよ、きっと」
 「此頃毎晩でしょう」
 源兵衛が炉の処で、
 「お勘さん、まあお這入り」
 「おや源兵衛さん? 今晩は……まだ、起きて居たのかい?」
 「石松の奴が今に帰るかと思って……」
 「そうかい……妾もね、あんな親不孝な伜だけれど、今夜の様に何時までも帰りが遅いと、つい心配になってね」
 「おばさん、まあお這入ンなさいよ」
 「有難う。いえね、ひょっと妾と入れ違いに帰って居るかも知れないから」
 「妾もう失礼しますよ、源兵衛さん、御邪魔しました」
 「あ、お帰りかね」
 「さようなら」

S=茶店の表
 お勘婆さん、帰って行く。

S=附近
 多少負傷して居る次郎長と、
 石松、逃げて来る。
 お勘婆さんとすれ違う。
 一足遅れて来た七五郎。
 忽ち婆さんに見付かってしまった。
 「おや、七五郎だね」
 「あッ、おッ母ァ」
 「七五郎、今頃まで何処をウロウロしてたんだい。さッ早くお帰り」
 「おッ母、俺ァ今一寸」
 「何を愚図々々してるんだい。お帰りと云ったらさっさと帰るんだよ」
 「困ったなァ」

S=茶店の表で
 次郎長と石松。
 「もう大丈夫だ。ども安の奴等もまさか此処まで追ッ掛けちゃ来めえ」
 「併しお貸元、夜道は危のう御座います。夜が明ける迄あっしの処でお休みなすっちゃ如何で御座います」
 「……そうだな。じゃしばらくお前さん処で休んで行こう」

S=内部
 石松が戸を開ける。
 「お静、今帰ったよ」
 「お帰んなさい」
 「なんだ、とっつあんまだ起きて居たのか」
 源兵衛、不気嫌な顔付です。
 石松、外へ向って次郎長に、
 「御貸元、汚ねえ処で御座いますが、さッどうかお入んなすって……」
 「あら兄さん、お客様なの」
 次郎長、入って来る。
 「じゃ御免なせえ」
 「いらっしゃいまし」
 とお静。石松が、
 「お静、湯沸いてるかい」
 「少しあったと思うんだけれど……」
 「手桶に一杯とってくんな」
 と甲斐々々しい。
 次郎長が、
 「石松つあん、何うか構わずに置いてくれ」
 源兵衛爺さんが其の時石松に、
 「石松、その人はなんだ」
 「父っつあん、そんな愛想の悪い口の利き方ってあるものか。お貸元、どうか気を悪くしねえでお呉んなせえまし、何しろ年寄りで御座いますから……」
 「いや、お年寄りの怒るのも無理ァねえ。っつあん、夜中突然に御邪魔して本当に済まなかった。あっしは清水港の次郎長って、けちな野郎で御座います」
 湯をくむお静「昼間の男だ」と気付く。
 石松、
 「父っつあん、清水の御貸元が夜の明ける迄何処かで休みてえと仰言るから俺が家へお連れ申したんだ。御貸元、さ、どうかお上んなすっておくんなせえ」
 「じゃ御免なすってお呉んなせえ」
 ふと次郎長の傷に気が付いた石松、
 「そうだ、傷の手当をしなくっちゃならねェ……父っつあん傷薬は何処に有ったっけ。えッ、お静、お前知らねェか」
 「さあ、お隣りで借りて来ましょうか」
 「いや、俺行ってくらァ、お貸元、すぐ帰ってまいります」
 石松、表へ出る。

S=表
 石松、隣りへ行く。

S=店
 次郎長が足を拭き終って上へ座る。お静、次郎長にお茶を出す。
 「どうぞ」
 「や、こりゃどうも」
 「あら随分破けてんですねえ」
 「え」
 「縫いましょうか」
 「いや、どうも済みません」
 お静、糸と針を取りに立つ。
 源兵衛が、
 「清水の次郎長さんとか仰言いましたが、お前さん、やくざ渡世の人だろう」
 「そうだ、爺つあん」
 お静戻って来て
 「はい、縫いますわ」
 「あ、こりゃどうも済まない」
 源兵衛が、
 「失礼だが、此処は堅気の年寄りの住居だ。お前さんのような兇状持の来る処では御座いません」
 「爺つあん、何んだって?」
 「見れや、怪我をしていなさる様だが、歩けないと云う程の傷でもなさそうだ。ね、次郎長さん、この儘伜に黙って出て行って下さいませんか」
 「何んだと?」
 「石松が今夜お前さんを家へ連れ込んだのは、彼奴がお前さんの身内になりたいからだ。石松はお前さんの児分になりたいらしい。儂にはよく判る。次郎長さん、何んにも云わずに出て行って呉れ。儂ァたった一人の伜をやくざ渡世にしたくねえからな……」
 凝ッと聴いていた次郎長、
 「爺っつあん、草鞋を一足頂けませんか」

S=表
 石松、隣りから薬持って帰って来る。

S=店
 入って来た石松、
 「遅くなりました。寝ているのを叩き起していたもんですから。おや、お貸元は何処へ行きなすったんだ」
 源兵衛、
 「あの人帰ったよ。お前によろしくって」
 「帰った? そんな筈があるもんか」
 と石松、表へ躍り出る。
 「お貸元、お貸元ッ」
 闇の中に出て、呼んだが答えがない。
 石松、ひき返して来る。
 源兵衛は白ばくれて居るが、お静の顔色で、
 石松、可怪いぞと思った。
 「変だ変だと思ったが……さては、父っつあん、お前お貸元に何か云ったな?」
 「儂が何を云うものか?」
 「いや、屹度そうだ。云ったに違いない、お静、そうだろう? 父っつあんがお貸元を追い返したんだろう? そうだろう?」
 お静の困った顔。
 石松、激して来る。
 「父っつあん、なぜ、お貸元をお帰ししたんだ。なぜ帰したんだ? 俺が折角……折角苦心してお連れ申したのに! 父っつあんは何故ッ、何故お貸元をッ」
 「五月蝿えッ」
 親子の睨み合い――
 「石松、今夜はもう遅いから寝ろ」
 「父っつあん、一と言云っとくが……お前が何んと云ったって、俺ァ清水のお貸元の身内になるんだ。屹度なるぞ。誰がこんな汚ねえ家に居るものかッ。俺ァやくざになって、一生を太く短く暮すんだ。父っつあんがいくら……いくら、いくら何んと云ったって……」
 「もういい石松、分った分った分ってるよ。分ったから今夜はもう寝ろ」
 「分ってる? 分ってるものか? 父っつあんに俺の気持ちなんか分ってるものか」

S=奥の部屋
 石松、奥の部屋で泣き声で叫んでいる。

S=店
 源兵衛、淋しく土間へ下りると戸を閉める。
(F・O)

S=七五郎家の外(昼)
 厩の中で馬に飼料をやりながら七五郎、傍の柵に凭れている石松と話している。
 (若しも遠州森町から富士山が見えるものならば、この場面なぞに遠く富士が見えているとよろし)
 七五郎、話す。
 「あの晩おっ母ァに泣かれて俺弱ったよ。何んと云ったって俺ん処は親一人子一人だ。なんべんも考えて見たが……おっ母ァ一人残してうちを飛び出す事は俺には出来ねえ。後に残ったおっ母ァが可哀想だ。石松、俺ァやくざになるの止めたよ」
 「俺ァお前が行かなくとも一人で清水へ行くつもりだ」
 「家じゃ許して呉れたのか」
 「なーに、家の父っつあんに俺の気持ちなんか判るものか。俺ァ父っつあんが許して呉れなくとも行くよ。行って清水のお貸元の身内になるんだ」
 「石松、お前ん処の父っつあんあれで中々昔はやくざ仲間で鳴らした男だってね」
 「何んだって、父っつあんがやくざ?……嘘つけッ」
 「だって……昨夜俺がお前の事話したら、おっ母ァが云ったよ。石松つあんとこは、父っつあんがもともとやくざだから、やくざになりたがるのは無理がないって……」
 「父っつあんが……昔やくざ?」

S=茶店
 店に腰かけた源兵衛爺さん、
 お静が、
 「ね、お父っつあん、兄さん昨日妾に、お静お前、お父っつあんと二人きりで暮せるかって訊いてたわ」
 「何んだって……」
 「冗談だわね、きっと」
 「石松の奴本当にやくざになる気かな」
 「なりはしないと思うわ、兄さんあんな事云って見ただけなのよ。本気で云ってるんじゃないわ」
 「儂も、本気じゃないとは思うが……」
 源兵衛、不安になって奥の石松の部屋へ去る。

S=奥の部屋
 源兵衛、来て押し入れ等を探す。
 石松の旅の仕度が出来ている。
 手紙が一本、
 「父っつあんへ 石松より」とある。
 石松、今夜家出するつもりであったらしい。

S=店に
 お静、居ると、旅人が一人這入って来た。
 「いらっしゃいませ」
 「御免なすって……石松つあんのお宅はこちらで御座いますか」
 「あの……兄さん今一寸留守なんですけど」
 「へえ儂は駿河の清水港の次郎長の身内、大瀬半五郎と申します」
 「お父っつあん、お父っつあん」
 とお静、奥へ呼ぶ。

S=奥の部屋
 源兵衛、石松の手紙を読み終り、放心した如く立つ。
 手紙が手から落ちる。
 「お父っつあん、お客様よ」
 お静の呼び声に、我に返った源兵衛、店の方へ行く。

S=店
 源兵衛、出て来る。
 半五郎が、
 「これァ石松つあんの父っつあんで御座いますか。儂は清水一家の大瀬半五郎と申します。先日、手前共親分が石松つあんに色々御厄介に相成りましたそうで、親分に代りまして厚くお礼申し上げます」
 と菓子包か何かを差し出して、
 「失礼で御座いますが、どうかお納めなすって……」
 源兵衛、考え込んでいる。
 お静が、
 「お父っつあん、兄さん呼んで来ましょうか?」
 半五郎がとめて、
 「いえそれには及びません。実ァ儂は急ぎの用事が御座いますので、これで失礼致します。石松つあんが帰ってお出なすったら、どうかよろしくおっしゃって下さいまし。へえ御免なすって……」
 と出て行かんとした半五郎、何かを思い出したか、引っ返して源兵衛の顔をしげしげと見る。そして、
 「間違ったら御免なせえまし。お前さん若しや森の源兵衛さんじゃ御座いませんか」
 源兵衛、先刻から知っていたと見え、淋しく笑って、
 「半さん……久し振りだな」
 「矢っ張り源兵衛さんか。俺ァ先刻から、どうもよく見た顔だと思っていたんだ」
 「まア、坐んねえ、お静、茶を入れて呉れ。半さん急ぐのか」
 「なーに急ぐと云ったってどうせ大した用じゃねえんだよ」
 半五郎、源兵衛の傍へ腰を掛けて、
 「併し、お前が国へ帰って堅気になって居ると聞いたが、まさか此処にいるたァ夢にも思わなかったよ。本当に久し振りだなァ」
 「あれから丁度二十年経つよ」
 「二十年、そんなになるかな。二タ昔だ。源兵衛さん、お前随分変ったなァ」
 「半さんだって随分変ったぜ」
 「源兵衛さん……姐さんは」
 「死んだよ」
 「いつ?」
 お静、茶を持って来る。
 源兵衛が、
 「この娘を生んで直ぐだった」
 半五郎、お静を見て、
 「そう云やァ姐さんに生き写しだ」
 お静、テレてる。
 半五郎、フト思い出して、
 「じゃ源兵衛さん、うちの親分の身内になりてえと云う石松ってなァ」
 「そうよ、俺の伜だ」
 「ほう、じゃ、あの当時、いつも姐さんに抱かれてたあの子供が、そうかい? 源兵衛さん蛙の子は矢っ張り蛙だな」
 「蛙の子は蛙か、うめえ事を云やァがる」
 源兵衛、淋しく笑う。
(F・O)

S=茶店の外
 夕やけ小やけ……
 半五郎の帰った後、源兵衛一人、表に出て、しょんぼり床几に腰掛けている。
 石松、帰って来る。

S=店
 お静一人、半五郎から貰った菓子折を開けて饅頭かなんか喰っている。
 石松、這入って来る。
 「お帰んなさい。今迄何処行ってたの。先刻、清水からお客様が見えたのよ」
 「清水って、お貸元の処からか?」
 「この間のお礼に見えてね、これ頂いたの。美味いわよ、とっても」
 「それで……もう帰ったのか」
 「お客様? え、帰ったわ。それが……可笑しいのよ。その人、お父っつあんの昔のお友達だったの」
 「父っつあんの昔の友達?」
 「二十年も逢わなかったんですって……その人、妾の顔を見ておっ母さんにそっくりだって云ったわ。兄さん、死んだおっ母さんの顔覚えてるでしょう。妾そんなに似てる?」

S=表
 源兵衛、考えてる。

S=店
 石松、お静に、
 「お父っつあん怒ってたか」
 「ううん」
 源兵衛、呼ぶ。
 「石松ッ」
 石松、出て来る
 「何だい父っつあん」
 「石松、お前やくざに成りたけりゃなれ。清水へ行きたきゃ行って来い。俺は諦めてお静と二人で暮すから」
 「そうかい。父っつあん許して呉れるかい。有難え、実はな、父っつあんが許して呉れそうにねえから、俺ァ今夜だまって家をとび出す決心で居たのだ」
 「それ程までに思い詰めてるものを父っつあんはもう止めやしねえ……石松、今迄お前にはかくして居たが、俺も昔はやくざだった。これでも森の源兵衛と云やァ渡世人仲間じゃ少しは人に知られた男だった」
 「矢張りそうだったのか。七五郎ン処のおっ母さんが話して居たが。俺ァまさかそんな事はあるめえと思って居たんだ。なーんだ、父っつあん、自分がやくざのくせに今迄俺がやくざになりてえと云うと目の色かえて叱るのは可笑しいや」石松は嬉しいから、多少はしゃいで言う。
 源兵衛はしんみりと、
 「石松、俺が昔やくざだったから……俺がやくざだったから、お前だけはやくざにしたくなかったんだ」
(F・O)

 三年の月日が流れました――

S=茶店の表
 秋晴れの或る日の事。源兵衛は三年前と余り変りないが、お静はすっかり娘盛り。
 床几に腰掛けた商人風の男二人話す。
 「今、海道一の親分と言うのは誰でしょうね」
 「さー東海道には博奕打の数は多いけれど図抜けて豪いのが居ませんからね」
 旅人又一人店へ入って来る。
 「いらっしゃいませ」
 「おう、ちょっと借りるよ」
 と話の仲間へ入って、
 「併し、五年経つと海道一の親分が出来ますがね」
 「へえ誰です」
 「草津の追分の見受山鎌太郎……五年たちゃ先ず此の人が海道一の[#「海道一の」は底本では「街道一の」]親分でしょうな」
 隣の床几でこれは銚子を一本取ってちびりちびりとやって居た旅人が、
 「おッ其処の兄哥さん、ちょっと一寸」
 「は、私で」
 「そうだ、お前だ。お前今何とか言ったね。五年たちゃ海道一の親分が出来るって。笑わせやがらァ。来年の話をすると鬼が笑うって言うじゃねえか。五年も先の話をしやがって、鬼が笑いように困ってらァ」
 「だって……」
 「だから今の話をして呉れってんだ。海道一の親分は今あるじゃねえか」
 「誰です」
 「駿河の国は有度郡清水港に住む山本長五郎。人呼んで清水の次郎長、これが今海道一の親分だよ」
 聞いて居た源兵衛爺さんが、
 「お客さん、清水の次郎長ってそんなにえらいかね」
 「えれえとも爺っつあん関東八ヶ国関外六ヶ国十四ヶ国に博奕打の親分も数ある中に次郎長ぐらいえれえのが二人とあって堪るものか」
 「そうですかね、偉えもんだね」
 「だけどね、爺っつあん、次郎長ばかりえれェんじゃねえ」
 「は――」
 「親分が売り出すには矢張り児分のいいのが居ないと駄目だね。清水一家にはいい児分が多いからね」
 「成る程ね。おうお静、お銚子のお替り持っといで」
 「お、爺っつあん、俺ァもう酒はいいんだよ」
 「なーに儂がおごりまさァ。儂はこう言う話が至って好きでね」
 「爺っつあん、中々話せるね。其奴ァすまねェ」
 「それで何ですかい、次郎長にはそんないい児分がありますかい」
 源兵衛、酌をしてやる。
 旅人お冠り真ッ直ぐです。
 「あるとも、代貸元をつとめる人が二十八人、是を唱えて清水の二十八人衆。此の二十八人の中に次郎長程もえれえのが五六人居るからね」
 「お前さん仲々詳しいね。じゃその次郎長の児分の中で一番強いのは誰だか知って居なさるか」
 「知ってるよ。清水一家で一番強いのは大政だ」
 「そうか……じゃ二番目に強いのは」
 「二番目は小政だよ。清水港は鬼より怖え、大政小政の声がするって唄にもあるじゃねえか」
 「じや三番だ。三番は誰です」
 「三番は大瀬半五郎」
 「四番は」
 「桝川仙右衛門」
 「五番は」
 「法印大五郎」
 「可笑しい。出て来ないね」
 「爺っつあん何が出て来ねエんだ」
 「じゃ六番だな。きっと六番だ。六番目は誰です」
 「追分け三五郎」
 「七番は」
 「尾張の大野の鶴吉」
 「八番は」
 「尾張の桶屋の吉五郎」
 「九番は」
 「三保の松五郎」
 「十番は」
 「問屋場の大熊」
 「十一番は」
 「よせやい、爺っつあん。俺の知ってるなァそれだけだ。いくら次郎長の児分が強いからと言って自慢の出来るのはそんな者だ。あとはもう大した奴は居ねえよ」
 「そうかな」
 と源兵衛、面白くなく立ち上る。
 お静、先刻からクスクス笑ってた。
 源兵衛が店から、
 「お客さんお前さん詳しい様だが、余り詳しくないね。次郎長の児分で肝心なのを一人忘れちゃ居ませんか」
 「肝心なのを?」
 「まッ、その酒を呑み乍ら、もう一度よっく考えて貰いましょう」
 「爺っつあんそりゃ無理だ。いくら考えたって駄目だよ。次郎長の児分で一番強いのは誰に言わしたって大政小政大瀬半五郎に森の……」
 源兵衛、そら出たと云った顔。
 旅人もはっと気がつき、
 「成る程そうだった。爺っつあん。すまねえ、済まねェ。いの一番に言わなきゃァならねェ肝心なのを忘れて居たよ。此の土地から出た男だ。そうだ、爺っつあん、次郎長の児分で一番強いのは森の石松だ」

S=月明の天竜河原に
 どっとあがる鯨波の声は
 清水一家八十余人と甲州黒駒の勝蔵一家百五十人が入り乱れての喧嘩。
 奮戦する石松。

S=代官屋敷の夜――
 竹垣三郎兵衛の屋敷に乱入した次郎長を始め清水一家の猛者八人。驚き応戦する代官一味。
 混乱と乱闘。
 次郎長、代官と戦い乍ら叫ぶ。
 「石松! 久六を逃がすな」
 部屋から部屋を逃げ廻る保下田の久六。
 石松、懸命に追う。
 肩に一太刀あびせるが浅手である。
 久六、手当り次第の器物を投げる。
 石松、久六の投げた火鉢をまともに喰ってうづくまる。
 久六、逃げ去る。

S=庭
 久六、裏木戸から逃げ去る。

S=座敷
 石松、眼をやられた。
 次郎長、馳せつけて、
 「石松どうした。しっかりしろ」
 無念の石松、叫ぶ。
 「畜生ッ、保下田の久六奴、卑怯な奴だ。覚えてろ」

S=亀崎の宿の旅籠「大野屋」(夜)
 土間が居酒屋になって居る。
 片眼繃帯をした石松、一人で片隅で酒を呑む。
 久六の児分二人が外からかけて来て、亭主に何か耳打して、一人は外を見張り、一人が二階へかけ上る。
 石松、一文銭をもてあそび乍ら見て居る。
〔註―今迄に書き落して居たが、これは石松のくせで、ひまさえ有れば一文銭を廻したりして居る事〕
 酌婦が来て石松に、
 「表か裏か当てっこしましょうか」
 「よし、俺ァ表だ」
 「じゃ、妾は裏ね」
 石松、銭を廻す。
 表と出た。
 「あらッ」
 「どうだ、表だろう。俺の勝だ」
 「も一度」
 「よし今度も俺は表だ」
 「妾は裏」
 石松、銭を廻す。
 保下田の久六、児分にまもられて二階から下りて来る(片手を首から釣って居る)。
 石松、突然おそい掛って只一太刀。
 叫声。
 久六、倒れる。人々、呆然と佇む。物も言えない。廻って居た一文銭止る。
 石松、女に訊ねる。
 「どうだ姐さん、裏か? 表か? 表だろう?」
 女、おどろいて物が言えずうなづく。
 石松、ほほえんで、
 「どうでえ姐さん、又俺の勝だ」
(F・O)

S=街道
 旅姿の森の石松の移動。
 清水港に程近いと見え、カメラ、パンすると富士山が見える。
 音楽――

S=清水港の描写

S=次郎長の住居の表
 音楽止む。鶴吉が鼻唄で帰って来る。
 反対の方向から帰って来た石松とぱったり表で出会った。
 「おや、石松じゃねえか」
 「鶴吉か、今帰ったぜ」
 「そうか、其奴ァよかった。おい皆ンな、石松が帰って来たぞ」

S=奥座敷
 土地の御用聞き、紺久親分が来て居る。
 児分、襖の外から、
 「親分、石松兄哥が帰って参りました」
 「そうか、帰ったか」
 と次郎長、紺久に、
 「帰って来ました」
 「じゃ、次郎長どん、儂はお暇しよう。今晩か、遅くとも明日の晩だから、そのつもりで……」
 「御親切に有難う御座いました。御恩は忘れません。おい、お客様がお帰りだ。履物を表へ廻しときな」
 「おう矢張り裏からにしよう。表に見張番の奴等が居ると五月蝿えからな」

S=表の部屋
 石松に鶴吉が、
 「昨日、お半さん、お前が何日帰るって訊きに来たぞ」
 「お半の奴、どうしてる? 達者かい」
 「ちェ、甘えぞ、石松」
 「だって、お前、三月も逢わねえンだもの。気にならァ」

S=表
 怪しい屑屋が内部を窺って居る。

S=附近の町
 屑屋が二人、話し乍ら行く。
 「確かに石松だ、間違いねえ」
 「そうか、とうとう帰って来たか。よしッ、じゃ今夜だ」
 姿を変えた手先五六名、集って来る。
 「俺ァ手配するから、手前達、もう少し見張ってろ」

S=次郎長の居間
 次郎長と石松、大瀬の半五郎など居る。
 次郎長が改まって、
 「さて石松、帰ったばかりの処を気の毒だが、お前に今から使いに行って来て貰い度えンだ」
 「宜しう御座います。何処へ行きます」
 「俺の代りに金毘羅様へお礼参りに行って来て貰い度え」
 「へえ、承知致しました……? 親分、金毘羅様って一体何処の金毘羅様で……?」
 「何処のってお前、金毘羅様と言やァ、讃岐の金毘羅様に決ってるじゃねえか」
 「矢ッ張り、あの讃岐の……驚いたね、どうも」
 「此の親譲りの五字忠吉と奉納金百五十両、此奴を俺の代りに金毘羅様へ納めて来て呉れ」
 「へい……? で親分何日発ちます?」
 「今日は、万吉ッていい日だから、日の暮れねえ中に発って貰い度え。路用の金が此処に三十両、これをお前に渡すから……」
 「親分、ちょッ、一寸待ってお呉んなせえまし」
 「何ンだ?」
 「弱ったな、親分、言いにくいが……。此の役は御勘弁願えませんか。誰か他の奴を選ンでやっておくんなせえまし」
 大瀬の半五郎が次郎長に、
 「親分」
 「何ンだ、半五郎」
 「親分が石松に使えに行って来いと仰しゃるから、俺ァ隣へ釘抜きでも借りに行くのかと思って居たら、金毘羅様迄行くんじゃ石松が可哀そうだ。今旅から帰ったばかりじゃありませんか」
 鶴吉も傍から、
 「そうだ。爺つあんの言う通りだ。石松も久し振りで清水へ帰って、お半さんにも逢い度えだろうし……。ねえ、親分、此奴ァ誰か外の奴を……何なら儂が石松の代りに行って参りましょう」
 「いや、皆な、此奴ァ是非石松に行って貰い度え訳があるンだ」
 石松が、
 「親分、どうして儂でなくっちゃ、いけねえンで御座います」
 「実ァ先刻、紺久の旦那が内々で、知らせに来て下すったンだが、駿河の町奉行から界隈の御用聞き仲間へ、森の石松を召捕れって下知があったンだ」
 「儂を召し捕れって……? 一体また、どうした訳で……」
 「久六の身内の奴等が手を廻しやがったンだ」
 「久六、卑怯な真似をしやがる」
 と半五郎、怒る。
 次郎長が、
 「それで、今晩か明日の晩手を入れるから、それ迄に逃してしまえ。高飛びをさせろって態々教えて下すった。お前も旅から帰ったばかりで、お半にも逢えねえ中に、旅に出るなァ辛えだろうが、なーに、半年も経ちゃ、ほとぼりもさめるだろう」
 その時、児分の一人、表から来て、
 「親分、変な野郎が五六人、先刻から、表をウロウロしていますが、何かあるんじゃありませんか?」
 鶴吉が慌てて、
 「そいつはいけねえ、石松、早く仕度しろ。さ、早くしろ、早く」
 と急きたてる。
 次郎長、
 「石松、裏からずらかる様にしろ。お前、裏口を見張ってろ」
 「へッ」
 鶴吉が石松に、
 「石松ッ、何をしてるんだ。早く支度しねえか!」
 「併し折角帰って来たんだから俺ァお半の処へ一寸寄って行きてえなァ」
 「この野郎暢気な事云ってやがらァ。お半さんには俺からよく訳を話して置いてやるから心配するな。さっ早く仕度しろ。早く……」
 半五郎、
 「石松、早く仕度をしねえか」
 「へえッ」

S=荒物屋の二階
 お半其処を間借して料理屋にでも勤めるんでしょう。
 階下で荒物屋の親爺が呼んでいる。
 「お半さん、お半さん」
 「なによ、おじさん」
 「石さんが帰って来たよ」
 「まァ」
 お半、喜んで、いそいそと立つ。
 鏡台の前で一寸鏡を覗く。

S=荒物屋の階下
 石松、上り框に腰掛けて草鞋をぬぎ乍ら親爺に
 「爺っつあん、今日俺の来た事ァ内緒だ。誰にも言っちゃいけねえぜ。いいか」
 と、ぬいだ草鞋を持って二階へ上ろうとする。
 親爺が呼び止めた。
 「石さん、一寸」
 「何んだよ」
 「目出度い話さ」
 「出し抜けに、どうしたんだ」
 「実はね、石さん。お半さんがどうやらお前……」
 と石松の耳許でボソボソ。
 石松、
 「えッ、本当かい? とっつあん」
 と喜んだ。

S=二階
 石松、上って来る。
 「お半、少時お別れだ」
 「どうしたの?」
 「左様なら……。達者で居て呉れ」
 「何、言ってンのよ」
 「後になると云えなくなるから初めに云っちまったんだ」
 「冗談でしょう? からかって。まさか本気で云ってンじゃないわね」
 石松、無言。お半が、
 「三月も旅へ出ていてやっと帰って来て呉れたかと思うと、まだお帰ンなさいとも云わないのに、また左様ならなのね」
 石松、長火鉢の処で銭を廻したりなんかして居る。
 お半、
 「眼を怪我したのね」
 「なーに一寸芥が這入ったんだ」
 「気をつけてね……」
 「うん……」
 「何時行くの?」
 「直ぐ発つんだ。愚図々々しちゃ居られねえ」
 「永くかかるの」
 「半年は帰れねえだろう」
 「出来るだけ早く帰って来てね」
 「階下の親爺に聞いたんだけど、お前……?」
 「だから……早く帰って来てね」

S=階下
 鶴吉が訪ねて来る。
 「親爺、お半さん居るかい」
 「おや鶴さんかい。お半さん、鶴さんが来たよ」

S=二階
 その声に石松慌てる。
 「いけねえ。鶴の野郎、何しに来やがったんだ。お半、俺の来て居ること云っちゃいけねえぜ」
 「何故? 何故云ってはいけないの?」

S=階下
 鶴吉に荒物屋の親爺が、
 「鶴さん、先刻石さんが帰って……」
 「何んだ? 親爺もう知って居たのか?」
 「だって先刻」
 「そうなんだ。先刻帰って来たンだが、急に用事が出来て、又旅に出てしまった」
 「へー?」
 「お半さんに一目会って行きァよかったんだが……」
 お半、二階から下りて来る。
 「今日は」
 「お半さん、今日は俺、石松の事でお前に謝りに来たンだ」
 「なんですの、改まって?」
 「もうお前の耳に這入ってるだろうが、実は先刻石松が旅から帰って来たンだ」
 「そ、そうですってね」
 「帰って来た事は確かに帰って来たンだが、直ぐ又その足で旅に出たんだ」
 「嘘おっしゃい」
 「嘘じゃねえ。本当だ。俺達今、町外れまで送って行ったんだ」
 「可笑しいね」
 と親爺が首を傾げる。
 鶴吉、
 「可笑しいと思うのも無理はねえ。女房のお前にも一言も云わずに行っちゃって水臭え奴と怒るだろうが、これには理由があるんだ。実ァこの土地に居ると石松の命が危ねえ。首に縄が掛かるんだ」

S=二階
 石松、一人。
 「鶴の野郎何を言ってやがるんだろう」
 と、そっと梯子段の処で窺う。

S=階下
 お半が鶴吉に、
 「あの人、余ッ程……妾に会いたかったのね」
 「それァお前……一目会って行き度えと言ってきかなかったが、そんな事をして居ちゃ危ねえからって、俺達が無理矢理に発たせたんだ。なーにお半さん、半年ばかりの辛抱だ。それに……うちの親分もお半さんが気の毒だ、石松が帰って来れば、たとえ燧箱みた様な家でも二人の為に家を一軒建ててやるって、そう言ってたよ。お前も、何時迄もこんな汚ねえ家の二階を借りて居ねえで……」
 親爺、睨む。
 鶴吉、慌てて、
 「まッお半さん、そんな訳だからどうか石松を怒らねえでやって呉れ。俺ァそれだけ言いに来たんだ」
 「わざわざ有難うございました」
 「じゃ帰るよ」
 「親分様によろしく仰しゃって下さいね」

S=二階
 お半、上って来る。
 「帰ったな?」
 「ええ」
 お半、泌々言う。
 「妾……幸せね」
 「出し抜けに何を言い出すんだ? あ……そうか。本当だろうか」
 「何の話?」
 「親分が俺達に家を建てて呉れるって話よ」
 「そうなると楽しいわね」
 「お前がいつも言ってたな。家を一軒持って二人が水入らずで暮せる様になりたいって……」
 「今度は三人よ」
 「そうか、そうだったな」
 「女の子かしら」
 「男の子、嫌いかい?」
 「嫌いじゃないけど……大きくなって貴ン方みた様な男になると、困るから……」
 「俺みてえな男って?」
 「貴ン方怒るかも知れないけれど、妾……子供だけはやくざにしたくないの」
 「チェッ何を言ってやがんでえ。やくざは男の中の男じゃねえか。俺の伜が大きくなれァ森の石松の二代目を継ぐに決まってらァ」
 と言ったものの石松、ふと故郷の親父の事を思い出して居ます――
 「そうだ。帰り途に故郷の親父の処へ寄って見よう。俺ァ急に親父の顔が見たくなった」

S=階下
 表から鶴吉が四五人の手先らしい男と連れ立って戻って来た。
 「親爺、また来たぜ」
 「おや鶴さん。何か忘れ物かい?」
 「いや、なーにネ。此の兄哥さん達が石松の女房の家を教えろって言うから連れて来たんだ」
 と鶴吉、手先どもに、
 「此処だよ。此処の二階だ」
 手先共が二階へ上ろうとするので親父が止めて
 「何だ、お前達は? 何処へ行くんだ」
 鶴吉が親爺を止めて、
 「親爺、いいんだ。いいんだ。兄哥さん達はお上の御用聞きだ。石松を探して居なさるんだ。俺が石松は此処に居ねえ、旅に出ちまった、と言ったが本当にしねえんだ。だから、嘘だと思うなら上って見て来いってんだ。石松なんか居るもんか」
 と平気な顔です。

S=二階
 石松、旅仕度をして窓から屋根へ出る。
 見送るお半。
 「若し、変った事があれば、故郷の親父の処へ手紙を出して呉れ。いいか」
 その時、階段を駈け上る足音と、鶴吉の声が聞える。
 「さア家探しなと、何なと勝手にしろ。石松なんか居るもんか」
 石松、逃げ去る。

S=階下
 親爺が、
 「鶴さんッ、駄目だよ。石さんが二階に来て居るんだよッ」
 「なッ何だって、石松が来てる? そッ其奴ァいけねえ」
 鶴吉、泡喰って二階へ駈け上った処で、
(F・O)

S=茶店
 都田村の吉兵衛親分と、久六の児分、布橋の兼吉に小島の松五郎、それに吉兵衛の児分数吉が訪ねて来る。
 吉兵衛がお静に、
 「姐さん、石松つあん帰ってるだろう?」
 「兄さん?」
 「帰ってるだろう」
 「いいえ、……兄さん、帰って来ますの?」
 「なんだ。知らねえのか?」
 「本当ですか? お父っつあん、兄さんが帰って来るんですって」
 「なに、石松が帰って来る」
 源兵衛さん出て来る。
 「これは爺っつあんか、俺ァ都田村の吉兵衛って者だ」
 「はい……」
 「石松つあんとは以前からの友達だ」
 「久し振りに二人で一杯やりてえと思って来たんだが……まだ帰って来ねえのか」
 「石松が帰って来るので御座いますか」
 「なんだ。まだ爺っつあんも知らねえのか」
 裏口から内部の様子を窺って居た兼吉、松五郎の処へ戻って来て小声で話す。
 「まだ帰ってねえ」
 「隠してるんじゃあるめえな」
 「いや、本当に居ねえらしい」
 吉兵衛、源兵衛に、
 「帰って来たら、是非一度俺の家へ遊びに来る様に言って貰い度え」
 「はい、承知致しました」
 「じゃ爺っつあん、御免なせえ」
 「御免下さいまし……」
 吉兵衛、一同、共に去って行く。
 後に源兵衛親娘が、
 「兄さん、帰って来るのね」
 「帰って来るなら来るで、手紙の一本位出しときァいいのに、気の利かねえ奴だ」
 その時、
 旅人が一人通り掛かって、
 「御免なせえまし。森の石松つあんの御宅は此方で御座いますね。清水から手紙を言付かって参りました」
 「お父っつあん、清水から手紙ですって」
 「なに、清水から手紙」
 「きっと兄さんからよ」
 旅人、手紙を渡して、
 「確かにお渡し致します。じゃ御免なせえまし」
 「御苦労様で御座いました」
 旅人、去る。
 お静、源兵衛に手紙を渡して、
 「兄さんからでしょう」
 源兵衛、表書を読む。
 「石松どの? なんだ、これは石松の処へ来た手紙だ」
 「誰からなの」
 「おはん?」
 「おはん? 女のひとね」
 「一体、誰だろう?」
 「兄さんのお嫁さんかも知れないわ」
 「まさか……」
 「お父っつあん、読んでみたらどう?」
 「そうだな……。読んだっていいだろう」
 と源兵衛、封を切って読み始める。
 お静、のぞきこんで、
 「どう? 矢張り兄さんのお嫁さんでしょう?」
 「そんな書きっ振りだ……む――、こりァ余っ程以前から一緒になってるらしいぞ」
 「まア呆れた。兄さんったらそんな事ちっとも言って寄こさないのね」
 「親の儂に一言の挨拶もしねえで、何処の馬の骨か分らねえ様な女と一緒になりやがって………」
 「兄さん帰って来たら、うんと叱言を言ってやるといいわ」
 「おや?」
 「どうしたの」
 「ほ――」
 「どうしたのよ?」
 「子供が生れるんだって」
 「まァ赤ちゃんが」
 二人、笑い出す。
 野良帰りの七五郎、入って来る。
 「爺っつあん、何を笑ってるんだい」
 「今日は」
 「静坊、一杯呉れ、冷でいいよ」
 「はい」
 お静、酒を出し乍ら、
 「七五郎さん、兄さんったらね、知らないうちにお嫁さん貰ってるのよ」
 「石松が……?」
 「それで今度、赤ちゃんが出来るんですって」
 「なーンだ。それでか、爺っつあんいやにニコニコして居ると思ったよ」
 源兵衛爺さん嬉しそうに、
 「なアお静、儂清水へ行って来ようと思うんだが……」
 「清水へ行くって、兄さんの処、分ってるの」
 「なーに、次郎長親分を訪ねて行きァ分るサ」
 「でも、兄さんが帰ってから一緒に行けばいいじゃないの?」
 七五郎が、
 「石松、帰って来るのか」
 「兄さんのお嫁さんから此処へ手紙が来たの。だからきっと帰って来るわ」
 「そうか、帰って来るのか。あい度えなァ、さぞ立派なお貸元になってる事だろう」
(O・L)

S=七五郎の住居の表
 それは曾つての日、石松が故郷を出る時、七五郎と語ったあの場所です。
 黄昏。七五郎、一人居る。
 「あの時、おッ母ァさえ居なけれァ、俺ァ石松と一緒に清水へ行ったんだ。おッ母ァがもう一年早く死んでれァ、俺ァ次郎長親分の身内になれたんだな?」
 その時、七五郎の女房、お民の声がする。
 「貴ン方、御飯よ……」
 「あ、今行くよ」
 七五郎、不気嫌に家へ入る。

S=内部(夜)
 御膳。
 七五郎、茶碗を置く。
 お民、
 「どうしたの?」
 「いや、喰い度くねえンだ」
 「何処か悪いんじゃない」
 「……」
 「でも一杯ぐらい、食べて置かないとお前さん」
 「喰い度くねえったら」
 お民、茶碗を置く。
 「どうしたのよォ?」
 「……」
 「ね、本当にどこか悪いんじゃない?」
 七五郎、
 「――手や爪を綺麗にして毎晩酒の一本も呑める身分になってみてえ……」
 お民、
 「お酒だったの。そうならそうと早く云って呉れればいいのに……まだ少し残ってるのよ」
 「お民」
 「えッ」
 七五郎、
 「誰が酒を呑みたいと云った?」
 「お前さん今夜、どうかしてるわ。どうしたの? 何かあったんでしょう」
 「石松が帰って来るそうだ」
 「石松つあんが……」
 「俺ァ石松に頼んで……清水の次郎長親分の身内になろうと思うんだ。朝から晩まで泥だらけで働いて、まずい飯しか喰えないこんな堅気な暮しが俺ァつくづく嫌ンなった」
(F・O)

S=茶店(昼)
 七五郎、来る。お静に、
 「石松、今日もまだ帰って来ねえのか」
 「ええ、まだよ。兄さん、もう帰って来ないのじゃないかしら」
 「つまんねえな」
 表に旅人来る。石松です。床几に腰掛ける。
 お静、出て、
 「いらっしゃい」
 お静、茶なぞ汲みながら、石松と気付かない。
 「ね、七五郎さん、兄さん、お父っつあんと途中で会って、一緒に清水へ行ったのかも知れないわ」
 「俺も清水へ行こうかな」
 「兄さん処へ行くの?」
 「俺ァ是非石松に会わなくっちゃならねえ、会って頼み度えことがあるんだ」
 石松、ふと吉兵衛等が来るのを見る。
 吉兵衛来る(兼吉と松五郎を連れて)。
 お静が、
 「今日は」
 「姐さん、石松つあん未だ帰って来ねえのか」
 「ええ、まだですの」
 「おや七五郎?」
 「親方、今日は。今もね、お静坊と石松はもう帰って来ねえンだろうって話して居たんですよ」
 「帰って来ねえッ? そんな筈はねえ、きっと帰って来る」
 「そうですかい」
 「今日あたりは、もう帰ってなきァならねえ筈だ」
 お静が、
 「お入りなさいまし」
 「いや、姐さん構わねえで呉れ。七五郎、お前、俺の代りに此処に居て、石松つあんが帰って来たら直ぐに俺の家へ知らせてくれ」
 「へえ、それぁもう、儂が間違えなくお知らせ致しますから、親方、どうかお引き取りなすってお呉んなせえまし」
 吉兵衛、兼吉等に、
 「おう」
 「へい」
 「此奴に頼んで俺達は帰るとしよう、じゃ七五郎、頼んだぞ」
 「へえ、宜しう御座います」
 「姐さん、御邪魔したな」
 「さよなら」
 吉兵衛等、帰って行く。
 お静、七五郎に、
 「あの人達、此処ンところ毎日よ」
 「へえ、吉兵衛親分、毎日来てるんかい?」
 「日に二度も来ることがあるわ、あの人達、兄さんに何の用事かしら」
 「なーに彼奴等、石松と兄弟分になりてえンだろう、きっとそうだ。相手は次郎長身内で名うての森の石松だ。兄弟分になっときゃあ、彼奴等肩身が広えからな。どうしたんだ?」
 お静、石松を見る。
 石松、後姿。銭を廻してる。
 七五郎も気付く。
 「おや?」
 お静が、
 「兄さん……?」
 「お静、大きくなったなァ」
 「兄さん」
 「なんだ、石松、お前先刻から其処に居たのか。黙ってるなんて人が悪いぞ」
 石松、笑って店へ入る。お静が、
 「兄さん、意地悪ねえ」
 「お前が、あんまり綺麗になってるもんだから、すっかり見違えて居たんだよ」
 「知らない」
 石松笑う。七五郎が、
 「あれ、石松、眼どうしたんだい」
 「なに、なんでもねえんだよ」
 石松、奥の間を見て、
 「お父っつあん居ねえのか」
 「清水へ行ったわ」
 「清水へ? 何日?」
 「四日程前よ」
 「何しに行ったんだ」
 「おはんさんから手紙が来たの」
 「おはんさんって……誰だ」
 七五郎が、
 「お前の女房じゃねえか?」
 「あッ、お半から何か云って来たのか」
 「知らない。兄さん意地悪したから教えない事よ」
 「手紙あるだろう。見せて呉れ」
 「知らない」
 「見せろよ」
 「兄さん、何時お嫁さん貰ったの」
 「おい、手紙何処にあるんだ」
 「妾達に内緒でお嫁さん貰ったりして、お父っつあん怒ってたわよ」
 「そんな事訊いてやしねえ。手紙を早く出せよ」
 七五郎、傍から、
 「石松、兎に角、草鞋をぬいで上れよ、俺ァ一ッ走り吉兵衛親分を呼んで来るから?」
 「おッ、七五郎待てよ。吉兵衛を呼ぶのはよせ」
 「何故だい? お前に逢い度がってるぜ」
 「彼奴は逢いたがってるだろうが、俺ァ逢い度くねえ訳があるんだ。後でお前にだけ訳を話すよ」
 「そうかい、じゃ呼びに行かねえ。俺もあの親分は虫が好かねえんだ」
 「七五郎、久し振りで一杯やろう」
 「おう、飲もう」
 「お静、早く出せ、何処にあるんだ」
 「なに?」
 「手紙じゃねえか」
 「誰の手紙?」
 「此奴ッ、あんまりくどいと兄さん怒るぞ」
 「怒って御覧」
 「なにッ」
 「これでしょう、嫌やァよ」
 お静、かくして居た手紙を出す。
 「オイ見せろよ、早く」
 「いやァよ」
 「出せよ」
 「嫌ッ」
 「オイ、これッ」
 と、たあいない中に。
(WIPE)

S=奥座敷
 縁側。
 石松、手紙読み乍ら柿を喰っている。
 お静、座敷へ酒を持って来る。
 「お待ち遠さま」
 七五郎、
 「石松、さッ一杯どうだ」
 石松、入って来る。
 七五郎、
 「暫く居るンだろう」
 「今夜帰るつもりだ」
 お静、
 「まあ、今夜帰るの」
 「ウン」
 「馬鹿に急ぐんだな、おい、ゆっくりして行けよ、久し振りに来たンじゃねえか」
 「せめて二三日遊んで行ったらどう?」
 「いや、どうしても今夜中に立たなくちゃならねえ」
 「お客様じゃねえか」
 この時、七五郎、表を見て言う。
 お静、立って行く。

S=表
 侍が床几に憩み、掛けている。
 お静、部屋から降りて来る。
 「いらっしゃいませ」

S=奥座敷
 石松と七五郎。
 「お静が聞くと心配するから言わなかったが、実ァ都田村の吉兵衛が俺の首をねらってやがるんだ」
 「えッ、吉兵衛が? そうか道理で近頃あの野郎様子が可笑しいと思った。毎日お前を訪ねて此処へ来るそうだ」
 「だから今夜の中にたってしまえば、まさか吉兵衛の奴も、気がつくめえと思うンだ」
(WIPE)

S=奥座敷(前のシーンと同じ)
 石松、大分飲んだ後の感じです。
 傍には七五郎とお静。
 「ああ、酔った。いい気持だ。俺ァ帰るのが厭になった」
 「兄さん、今夜はゆっくり休んで、明日の朝早くお立ちなさいよ……ね」
 「いや、矢張り今夜立つよ」
 七五郎が、
 「石松、話があるンだ」
 「改まって、どうしたんだい」
 「いや、お前のきっと喜ぶ事だ」
 「俺の喜ぶ事って?」
 「実は俺を次郎長親分の身内に加えて貰えねえだろうか」
 「お前が……親分の身内になりてえって……」
 「俺も、おッ母ァが居なくなって、誰にも遠慮も要らねえし、何時迄もこんな田舎でくすぶってるのは厭だから……やくざになって一生を楽しく暮そうと決心したンだ」
 「七五郎、其奴ァよくねえ考えだ。お前はやくざになるのはよせ」
 「何だって?」
 「やくざ稼業なンて、他で見る程楽しいものじゃねえ」
 「そんな事位え、俺だって判ってるよ。しかしやくざは男の中の男だってお前言ったじゃねえか」
 「いや、お前は此処で、堅気で暮した方が倖せだ」
 「石松、お前三年前に故郷を出る時、俺に一緒に清水へ行こうとすすめた時の事を忘れたのか」
 「七五郎、お前が何と云って頼んだって俺ァお前をやくざにしたかねえ、俺ァ厭だ」

S=茶畑
 七五郎、腹立たしそうに戻って来る。
 吉兵衛、兼吉等と姿を現わす。
 「あッ親分」
 「おい、石松は帰って来てるだろう」
 「いいえ」
 「なァ七五郎、教えてくれりゃ、五両だすがな、どうだ、七五郎」
 七五郎、立ちすくむ。
(F・O)

S=茶店
 裏縁、石松を送ってるお静。
 「義姉さんによろしくね」
 「うん、閑になったらお前も一度清水へ遊びにおいでよ」
 「ええ、きっと行くわ。兄さん、提灯?」
 「いや要らねえだろう。いいお月様だ」

S=茶畑
 吉兵衛一味、かくれる。

S=七五郎の家
 七五郎、酔っ払って帰って来る。
 「おい、今帰ったぞ」
 お民、
 「お帰ンなさい。あら、どうしたのお前さん」
 七五郎、酔いつぶれる。
 「まア、何処でそんなに呑ンで来たの……」
 「お民、酒をつけろ、酒を……」

S=茶畑
 石松、やって来る。

S=七五郎の家
 七五郎、起きる。
 懐の小判に触れる。
 とり出す。落ちる。
 お民、見る。
 七五郎、落着かず部屋を出て行く。
 戸口へ行きかける。
 お民の声が、
 「お前さん」
 七五郎、振りかえる。
 お民、金をひろう。
 「これ、どうしたの」

S=茶畑
 石松、吉兵衛にいきなり欺し討ちに会う。
 「あッ」
 石松、深傷に弱りながら一味と乱闘。

S=七五郎の家
 七五郎とお民。
 「お前さん、何処でこんなお金を手に入れたの?」
 「お民、酒を買って来い」
 「いいえ、お前さん、この金の出所をきかしてお呉れ」
 「酒を買って来い」
 「ね、どこでどうしてこのお金を……」
 「酒を買って来いってんだ。早く買って来ねえか」
 戸に誰かぶつかる音。
 七五郎、お民、思わず見る。
 「七五郎、俺だ、石松だッ。七五郎」
 転がり込む石松。
 「石松!」
 「石松つあん」
 「どッ、どうしたンだ石松」
 「閉めてくれ、そこを閉めてくれ」
 お民、戸を閉める。
 「どうしたんだ石松」
 「七五郎、しばらく、かくまって呉れ……吉兵衛の奴、卑怯にも欺し討ちにしやがった……俺の帰って来た事を何処で聞きやがったか、あの野郎……」
 お民、
 「お前さん、二階が……」
 「そうだ、石松、二階に隠れてろ……石松、痛むか?」
 「なーに、この位えの傷ァ……七五郎、こんな事があるから俺ァお前にやくざになるなって言ったンだ」
 石松、梯子を這いあがる。七五郎、助けあげる。

S=屋根裏
 藁が積んである。這い上って来て石松、藁の上に身を投げる。喘ぐ。
 七五郎、堪らなくなる。
 「石松、吉兵衛になァお前の来た事を……」
 「誰が言やがったんだろう……畜生」
 七五郎、言えなくなって梯子を下りる。

S=階下
 七五郎、下りて来る。
 梯子を外す。板の間を見る。
 「おい、そこ拭いとけ」

S=屋根裏
 痛みに夢中の石松。
 「お半……お半」
 (お半の声)
 「出来るだけ早く帰ってね」
 (石松の声)
 「お半、下の親爺に聞いたんだけど、お前――」
 (お半の声)
 「だから、早く帰って来てね」
 石松、喘ぐ。
 (源兵衛の声)
 「石松、俺が昔、やくざだったから、俺がやくざだったから、お前だけはやくざにしたくなかった」
 一文銭廻って落ちる。

S=表
 吉兵衛等、追って来る。
 「七五郎、開けろ」
 「おい開けろ」
 「開けろ」

S=階下
 七五郎、
 「どなた?」
 「俺だ、吉兵衛だ」
 七五郎、戸を開ける。
 吉兵衛等、飛び込む。
 児分達、家の中を探し廻る。
 「な、何をするんだ、何をするんだ。親分、なんですか」
 「おい七五郎、石松が来てるんだろう」
 「石松なんて来てませんよ」
 「何ッ」
 「何ッ」

S=屋根裏
 石松、階下の物音に窓の方へ匍い出す。

S=階下
 吉兵衛、畳の上を見る。
 「おや」
 血が落ちて来る。
 七五郎、思わず天井を見上げる。
 「おい二階だッ」
 「あッ親分何をするんだ」
 「何をこの野郎」
 「あッ親分、親分、誰も二階にいねえ、いねえ」

S=屋根裏
 石松、窓の方へ匍って行く。

S=階下
 七五郎、遮る。
 「誰もいねえ、いねえてえのに」
 児分達、梯子を掛けて駈けあがる。
 「あ、いた」
 「なにッ」
 「畜生ッ」
 「あ、お前さん」

S=向いの屋根
 石松、小路を隔てた向いの屋根へ窓から飛びついている。

S=屋根裏
 あがって来ている吉兵衛一味。
 七五郎、飛び上って来る。
 「親分、待って呉れ」
 「馬鹿ッ」
 七五郎、棚の出刃を取る。
 「野郎ッ」
 乱闘。暗がりで斬られる。
 「あッ」

S=向いの屋根
 必死で屋根瓦を掴んで匍い上ろうとしている石松。
 窓から顔を出した吉兵衛がいきなり後から斬る。石松、落ちる。
(F・O)

S=茶店の表
 茶屋の旗。

S=内部
 旅姿の源兵衛が草鞋を脱いでいる。
 傍のお静が、
 「兄さん、昨日帰ったのよ、お父っつあんもう一日早く帰って来ればよかったのに……」
 「そうか、そりゃ惜しい事をしたな」
 「赤ちゃんどうだった?」
 「男の子だったよ。わしもまあ、これで安心したよ」
 その時お民が憑かれた人のような足取りで表から入って来て源兵衛の前に突っ立った。





底本:「山中貞雄作品集 全一巻」実業之日本社
   1998(平成10)年10月28日初版発行
底本の親本:「山中貞雄シナリオ集」竹村書房
   1940(昭和15)年発行
初出:「シナリオ・臨時増刊号」
   1937(昭和12)年11月
※冒頭のキャスト、スタッフ一覧は、ページの右下に二段組みで組まれています。
※「F・O」はフェード・アウト、「S」はシーン、「O・L」はオーバー・ラップです。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※以下の個所の一行アキを追加しました。
S=茶畑
 吉兵衛一味、かくれる。

S=七五郎の家
 七五郎、酔っ払って帰って来る。
入力:平川哲生
校正:門田裕志
2012年9月25日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




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