師走のある寒い夜のことである。
閉め切った戸をがたごと鳴らしながら吹き過ぎる怖ろしい風の音は母親の不安をつのらせるばかりだった。
その日は昼下りから冬の陽の衰えた薄日も射さなかった。雪こそは降り出さなかったが、その灰色をした雪雲の下に、骨を削ったような
それは冬になってからの初めての寒い日で、その忍従な母親にもあてのない憤りを起させる程の寒さだった。彼女には実際その打って変ったような寒さが腹立たしく感ぜられたのである。天候に人間の意志が働き得ないことは彼女とて知っていた。そうだったらこの憤懣は〔欠〕――彼女達の一家はこの半月程前に、すみなれた大阪から、
主人の放蕩、女狂い、酒乱がそれまでにとにかく得て来た彼の地位を崩してしまった。そして彼は東京の本店詰めにされ、おまけにその振わない位地へ移されたのだった。彼はそれがある同僚の中傷に原因しているのだと云って彼女の前では怒っていた。しかし彼女はなにもかもみなあきらめていた。唯一つ彼女にとって未練であったのは自分の生みの父親に別れることだった。
その老人はどうしても一家と一緒に東京へ来るのを
主人は出発というのに姿を消して、決めた時間にはやって来なかった。見送りの人々もみな苦々しい顔をしていたなかにその寂しい老人と彼女は重いため息をついていた。やって来た主人は酒に酔っていた。そして中傷をした同僚という丸く肥えた男も一緒だった。その男も酔っていた。外にまだ芸妓を連れていた。その時老人は無意味な
しかし彼女はあきらめていた。彼女が初児の洋子を挙げ、次に長男の敏雄を生んでから数えて見れば十幾年にもなっていた。しかしその間彼女は忍従の生活をあくまで続けて来た。長女と長男を死なせた時には彼女の心も砕けたと思われたがそれもやり通して来た。彼女は生れながらの貞節な細心な労苦を厭わない意志の強い主婦であった。
やや年をおいて生れた清造は十歳になった。次の勉は七歳になった。兄は勝気で弟はむしろ悧しい方であった。彼女は彼等の生い立ちが何よりも待たれた。
弟の方の病身は何より彼女の心を痛めた。大阪を立つ時は勉はジフテリヤの病後であった。寒い東京へ来てからは霜やけで泣いてばかりいた。口では叱りながらも、心はやはり痛々しく思われてならなかった。――
寒さに対する彼女の腹立たしさはみな彼女のあきらめていることなのではあるが主人の放蕩や、彼の放蕩の
明治の年号が大正に改まる二三年前。師走の下旬の話である。
その日は殊に寒い日であった。昼さがりからは冬の陽の衰えた薄日も射さず、雪こそは降り出さなかったが、その気配を見せている灰色の雲の下に、骨を削ったような
霜解けの深い泥濘が、行人の下駄の歯の跡を残して、たちまちに凍ってしまった。
東京の高輪の方に
閉め切った雨戸をがたごと鳴らしては、虚空へ舞上ってゆく、気味の悪い風の絶間に、鋭く聞き耳をたてて、昼間から出たまま帰って来ない子供達の足音を待っている母親の心は死ぬ程不安の念にさいなまれていた。――
彼女の二人の子供、十歳になった三郎と、まだ七歳の四郎は、その日昼飯が済んでから、戸外へ遊びに出たまま帰って来ないのであった。
寒い日ではあり、末の四郎がまだジフテリヤの病後なので彼女は早く帰って来るように注意したのではあったが、彼等はなかなか帰って来なかった。
子供が出て行った後、膳の後仕末をして、子供の正月の晴着に手をつけている間に、お八つの時刻が来たが、彼等は帰って来なかった。遊びに気がとられていても、お八つの時には必らず「なにか」を貰いに帰って来る子供が常になく帰って来ないのは、彼女の心に漠とした不安の錘を投げ込んだ。
彼女達の一家が主人の転勤のため、何代も住み続けた大阪から、東京へ移ってそこへ居を構えてからまだ一月も立たずであった。だから彼女は勿論、大人よりも一層社交的な子供さえ近所の馴染が浅かった。
それのみか、子供達は時々近所の子供に「大阪っぺ」とからかわれて母に訴えに来ることさえあった。
そのような彼等が、この寒い日に、一体どこで、何に遊び耽っているのかは彼女の大きな不審であった。
しかしその漠とした、かなり気紛れであった不安は、昼間の光がだんだん薄らいでゆくと共に、
甚だしい心配の度に腹に
彼女はすっかり暗くなった家を出て、一面識もないような近所の家へ、心当りがあるという訳でもなく、しかし不安の念に閉されて、多少の
彼女はその中にうろうろしながら、思案に暮れた。追われないままに鼠がその六畳の部屋の食膳の辺まで出て来た。
またしても風が烈しく唸りながら吹き過ぎて、屋根の上へ木の枯枝のようなものが落ちる音がした。
勝手元では鼠が
子供達は帽子もかぶらなければ、首巻きもせず、外套も着て出なかった。
病後の四郎がこの風に当って、折角ここまで
秘かな心の下で最後の「死」の怖れに触れては、それを打ち消していた。
また家の近くまで二人が帰って来るような気がして門まで出て行って、寒い空気の中に立ち尽したりした。
風の唸る中を、凍てついた路を渡る下駄の冴えかえった音が響いて来た。それははじめかすかではあったが鋭くとぎ澄された彼女の聴覚に触れた。彼女は
それが近付いて来ると共に彼女の心構えは皆裏切られた。第二の望み、それが主人の帰る足音であるという願いもかき消されてしまった。その冴えた響きはだんだん微かになって、一しきり強く吹きつけて来た風の音がした後は、四囲は以前のような、夜の更けてゆく音に帰ってしまった。
夫の帰りも正規よりは遅かった。しかし
彼女はとにかく会社へ電話をかけて主人を尋ねて相談しなければならないと思った。
それから、彼女達の一家がこちらへ引移る前にしばらく仮泊していた品川の若木屋という旅館へ電話をかけて見ようと思って、彼女は近所の出入の酒や食糧品を売っている武蔵屋へ電話を借りに出ようとした。
外はまた一層寒くなっていた。雲の間から大きな星が強い蒼白い光を放っていた。
彼女は粗末な首巻の内に首をすくめながら、百に一つか、千に一つかと思われる、その旅館へ子供達が遊びに行ったということの蓋然性を、さまざまにはかりながら、凍てついた道を急いだ。
彼女が出て行ってまだ五分とたたない部屋の中は、細められた洋燈の光が神秘にあたりを照し出して、時計の文字板が八時十分過ぎを示していた。黒い影がそこらあたりを
彼女が出て行って十分ほど立った時は、その部屋は前のようではなかった。
五十くらいに見える、頭の禿げ上った、人のよさそうな男が、酒の臭いを部屋中に籠らせながらそこに座っていた。彼の目は普通の光を帯びていなかった。そこには思慮も、知慧もなかった。どこか空虚な、本当のものがなくなっているような眼付きであった。
彼の前には折箱の蓋があけておかれてあった。酒の二合壜が横になっていた。それは空だったが彼の前の茶椀にはその黄金色の液がなみなみと注がれたままになっていた。
洋燈の光が強くなっていた。その出し過ぎた心の右の端が高くなっていて、
その部屋にはもう神秘な影はなかった。一種凄い殺伐な空気が、酔どれの心臓のように波打っていた。
彼は
(第二稿 大正十一年)
(第三稿 大正十二年)