| 作品名: | 玉藻の前 | 
| 作品名読み: | たまものまえ | 
| 著者名: | 岡本 綺堂 | 
| 分類: | NDC 913 | 
| 作品について: | 烏帽子折りの少年千枝松の幼なじみ藻は、白面金毛九尾の狐に魅入られ、ついには時の関白忠通の寵愛を受け玉藻の前と名のるようになる。ここに、安倍晴明の子孫泰親が登場し、玉藻の前との戦いが始まる。一方、泰親の弟子となった千枝松は、仇である藻のことが忘れられない。魔物と知りつつ思い切れない悲しい男の物語でもある。「玉藻の前」は、謡曲や人形浄瑠璃の「殺生石」に登場する伝説上の人物。半七とはひと味違う岡本綺堂の伝奇小説。(小林繁雄) | 
| 文字遣い種別: | 新字新仮名 | 
| 備考: | 
| 分類: | 著者 | 
| 作家名: | 岡本 綺堂 | 
| 作家名読み: | おかもと きどう | 
| ローマ字表記: | Okamoto, Kido | 
| 生年: | 1872-11-15 | 
| 没年: | 1939-03-01 | 
| 人物について: | 劇作家、小説家。本名は敬二、別号に狂綺堂。イギリス公使館に勤めていた元徳川家御家人、敬之助の長男として、東京高輪に生まれる。幼くして歌舞伎に親しみ、父の影響を受けて英語も能くした。東京府立一中卒業後、1890(明治23)年に東京日日新聞に入社。以来、中央新聞社、絵入日報社などを経て、24年間を新聞記者として過ごす。この間、1896(明治29)年には処女戯曲「紫宸殿」を発表。岡鬼太郎と合作した「金鯱噂高浪(こがねのしゃちうわさのたかなみ)」は、1902(明治35)年に歌舞伎座で上演された。江戸から明治にかけて、歌舞伎の台本は劇場付きの台本作家によって書かれてきたが、明治半ばからは、坪内逍遥ら、演劇界革新の担い手に新作をあおいだ〈新歌舞伎〉が台頭する。二世市川左団次に書いた「維新前後」(1908年)、「修禅寺物語」(1911年)の成功によって、綺堂は新歌舞伎を代表する劇作家となった。1913(大正2)年以降は作家活動に専念し、生涯に196篇の戯曲を残す。コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ物を原著でまとめて読んだのをきっかけに、江戸を舞台とした探偵小説の構想を得、1916(大正5)年からは「半七捕物帳」を書き始めた。 | 
| 底本: | 修禅寺物語 | 
| 出版社: | 光文社文庫、光文社 | 
| 初版発行日: | 1992(平成4)年3月20日 | 
| 入力に使用: | 1992(平成4)年3月20日初版1刷 | 
| 入力: | tatsuki | 
| 校正: | 小林繁雄 | 
| ファイル種別 | 圧縮 | ファイル名(リンク) | 文字集合/符号化方式 | サイズ | 初登録日 | 最終更新日 | 
|---|---|---|---|---|---|---|
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| サイト名: | 綺堂事物 | 
| URL: | http://kidojibutsu.web.fc2.com/ | 
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