中国怪奇小説集

稽神録

岡本綺堂




 第七の女は語る。
「五代を過ぎてそうに入りますと、まず第一に『太平広記』五百巻という大物がございます。但しこれは宋の太宗たいそうの命によって、一種の政府事業として※(「日+方」、第3水準1-85-13)りぼうらが監修のもとに作られたもので、ひろく古今の小説伝奇類を蒐集したのでありますから、これを創作と認めるわけには参りません。そこで、わたくしは自分の担任として『稽神録』について少々お話をいたしたいと存じます。『稽神録』の作者は徐鉉じょげんであります。徐鉉は五代の当時、南唐に仕えて金陵きんりょうに居りましたが、南唐が宋に併合されると共に、彼も宋朝に仕うる人となって、かの『太平広記』編集者の一人にも加えられて居ります。兄弟ともに有名の学者で、兄の徐鉉を大徐、弟の※(「金+皆」、第4水準2-91-14)じょかいを小徐と言い伝えているそうでございます。女のくせに、知ったか振りをいたすのは恐れ入りますから、前置きはこのくらいにして、すぐに本文ほんもんに取りかかることに致します」

   廬山の廟

 庚寅こういんの年、江西の節度使の徐知諫じょちかんという人がぜに百万をもって廬山使者のびょうを修繕することになりました。そこで、潯陽じんようの県令が一人の役人をつかわして万事を取扱わせると、その役人は城中へはいって、一人の画工を召出して、自分と一緒に連れて行きました。
 画工はの具その他をたずさえて、役人に伴われて行きますと、どういうわけか、城の門を出る頃からその役人はただ昏々こんこんとして酔えるが如きありさまで、自分の腰帯をはずして地に投げ付けたりするのです。
「この人は酔っているのだな」と、画工は思いました。
 そこでさからわずに付いてゆくと、役人はやがてまた、着物をぬぎ、帽子をぬぐという始末で、山へ登る頃にはほとんど赤裸あかはだかになってしまいました。そうして、廟に近い渓川たにがわのほとりまで登って来ますと、一人のそつが出て参りました。卒は青い着物をきて、白い皮で膝を蔽っていましたが、つかつかと寄って来て、かの役人を捕えるのです。
「この人は酔っているのですから、どうぞ御勘弁を……」
 こう言って、画工が取りなすと、卒は怒って叱り付けました。
「おまえ達に何がわかるか。黙っていろ」
 卒は遂に彼を捕虜とりこにして、川のなかに坐らせました。その様子がただの人らしくないと思ったので、画工は走って廟中の人びとに訴えると、大勢が出て来ました。見ると、卒の姿はいつか消え失せて、役人だけが水のなかに坐っているのです。声をかけても返事がないので、更によく見ると、彼はもう死んでいるのでした。あとになって帳簿を調べてみると、彼は修繕の銭百万の半分以上を着服ちゃくふくしていることが判りました。

   夢に火を吹く

 張易ちょうえきという人が洛陽にいた時に、りゅうなにがしと懇意になりました。劉は仕官もせずに暮らしている男でしたが、すこぶる奇術を善くするのでした。
 ある時、劉が町の人に銀を売ると、その人は満足にあたいを支払わないのです。そこで、劉は張と連れ立ってその催促にゆくと、彼はそれを素直に支払わないばかりか、種々の難癖なんくせをつけて逆捻さかねじに劉を罵りました。劉は黙ってそのまま帰って来ましたが、あとで張に話しました。
「彼は愚人で道理を識らないから、私がすこしく懲らしてやります。さもないと、土地の神霊のために重い罰を受けるようになりますから、彼を懲らすのは彼を救うがためです」
 どんな事をするのかと見ていると、劉はその晩、燈火あかりを消した後、自分の寝床の前に炭火をさかんにおこして、なにか一種の薬を焼きました。張は寝た振りをして窺っていると、暗いなかに一人の男があらわれて、しきりにその火を吹いています。よく見ると、それはかの町の人でありました。彼は夜の明けるまで火を吹きつづけて、その姿はいつか消え失せてしまいました。
 その後に、張が町の人の家をたずねると、彼はひどく弱っていました。
「どうも不思議な目に逢いました。このあいだの晩、夢のうちに誰かが来てわたくしを何処へか連れて行って、夜通し火を吹かせられましたが、しまいには息が続かなくなって、実に弱り果てました。その夢が醒めると、火を吹いていた口唇くちびるがひどくれあがって、なんだか息が切れて、十日とおかばかりは苦しみました」
 それを聞いて、張はいよいよ不思議に思いました。
 劉はこういう奇術を知っているために、河南のいんを勤めている張全義ちょうぜんぎという人に尊敬されていましたが、あるとき張全義がりょう太祖たいそと一緒に食事をしている際に、太祖は魚のなますが食いたいと言い出しました。
「よろしゅうございます」と、張全義は答えました。「わたくしの所へまいる者に申し付ければ、すぐに御前へ供えられます」
 すぐに劉を呼び寄せると、劉は小さい穴を掘らせ、それにいっぱいの水をたたえさせて、しばらく釣竿を垂れているうちに、五、六尾の魚をそれからそれへと釣りあげました。その不思議に驚くよりも、太祖は大いに怒りました。
「こいつ、妖術をもって人を惑わす奴だ」
 背を打たせること二十じょうの後、首枷くびかせ手枷てかせをかけて獄屋につながせ、明日かれを殺すことにしていると、その夜のうちに劉は消えるように逃げ去って、誰もそのゆくえを知ることが出来ませんでした。

   桃林の地妖

 ※(「門<虫」、第3水準1-93-49)みん王審知おうしんちはかつてせん州の刺史しし(州の長官)でありましたが、州の北にある桃林とうりんという村に、唐末の光啓こうけい年中、一種の不思議が起りました。
 ある夜、一村の土地が激しく震動して、地下で数百の太鼓を鳴らすような響きがきこえましたが、明くる朝になってみると、田の稲は一本もないのです。試みに土をほり返すと、その稲はみな地中にさかさまに生えていました。
 その年、審知は兄の王潮おうちょうと共に乱を起して晋安しんあんに勝ち、ことごとく※(「門<虫」、第3水準1-93-49)おうみんの地を占有して、みずから※(「門<虫」、第3水準1-93-49)王と称することになりました。それから伝うること六十年、延義えんぎという人の代に至って、かの桃林の村にむかしの地妖が再び繰り返されました。やはり一村の地下に怪しい太鼓の音がきこえたのです。但しその時はもう刈り入れが終ったのちで、稲の根だけが残っていたのですが、土を掘ってみると、それが前と同じように、みな地中に逆さまに立っていました。
 その年、延義は家来のために殺されて、王氏は滅亡しました。

   怪青年

 軍吏ぐんり徐彦成じょげんせいは材木を買うのを一つの商売にしていまして、丁亥ていがいの年、しん州の※(「さんずい+内」、第4水準2-78-24)口場ぜいこうじょうへ材木を買いに行きましたが、思うような買物が見当らないので、暫くそこにふながかりをしていると、ある日の夕暮れ、ひとりの青年が二人のしもべをつれて、岸のあたりを人待ち顔に徘徊しているのを見ましたので、徐は声をかけてその三人を舟へ呼び込み、有り合わせの酒や肴を馳走すると、青年はひどく気の毒がっているようでしたが、帰るときに徐に言いました。
「わたしはここから五、六里のところにある別荘に住んでいる者です。明日一度お遊びにお出で下さいませんか」
「ありがとうございます」
 あくる日、約束の通りにたずねて行くと、一里ばかりのところに迎いの者が来ていました。馬に乗せられ、案内されると、やがて大きい邸宅の前に着きました。かの青年もで迎えて、いろいろの馳走をしてくれた末に、徐が材木を仕入れに来ていることを聞いて、青年は言いました。
「それならば私の持っている山に材木がたくさんありますから、早速に伐り出させましょう」
 舟へ帰って待っていると、果たして一両日の後にたくさんの材木を運ばせて来ました。しかも木地が良くて、やすいので、徐は大喜びで取引きをしました。
 それでもうこの土地にいる必要もないので、徐はさらに暇乞いとまごいに行きますと、青年はまた四枚の大きい杉の板を出しました。
「これは売り買いではなく、わたしからお餞別せんべつに差し上げるのです。の地方へお持ちになると、きっと良い御商法になりましょう」
 そこで、呉の地方へ舟を廻しますと、あたかも呉のそつが死んで、その棺にする杉の板が入用だということになったのですが、その土地にはよい板がない。そこへかの杉を売り込みに行ったので、たちまち買い上げられることになって、一度に数十万銭を儲けました。
 徐もその謝礼として、種々の珍しい物を買い込んで、再びかの青年のところへ持参すると、青年もよろこんで再び材木を売ってくれました。
 その後にもまた二、三度往復して、徐は大金儲けをしましたが、それから一年ほども間を置いて訪ねてゆくと、もう其の家は見えませんでした。
 あんな大きい邸宅がどこへ移転したのかと、近所の里の人びとに聞き合わせると、初めからそんな家のあったことさえも知らないというのでした。

   鬼国

 りょうの時、せい州の商人が海上で暴風に出逢って、どことも知れない国へ漂着しました。遠方からみると、それは普通の嶋などではなく、山や川や城もあるらしいのです。
「どこだろう」
「そうですねえ」と、船頭も考えていました。「わたし達も多年の商売で、方々へ吹き流されたこともありますが、こんな処へは一度も流れ着いたことがありません。なんでもここらの方角に鬼国きこくというのがあると聞いていますから、あるいはそれかも知れません」
 なにしろ訪ねてみようというので、人びとが上陸すると、家の作りや田畑のさまは中国とちっとも変りません。ただ変っているのは、途中で逢う人びとに会釈えしゃくしても、相手はみな知らない顔をして行き過ぎてしまうのです。むこうの姿はこちらに見えても、こちらの姿はむこうに見えないらしいのです。
 やがて城門の前に行き着くと、そこには門を守る人が立っているので、こちらでは試みに会釈すると、かれらはやはり知らない顔をしているのです。そこで、構わずに城内へはいり込んでゆくと、建物もなかなか宏壮で、そこらを往来している人物もみな立派にみえますが、どの人もやはりこちらを見向きもしないので、ますます奥深く進んでゆくと、その王宮では今や饗宴の最中らしく、大勢の家来らしい者が列坐している。その服装も器具も音楽もみな中国と大差がないのでした。
 咎める者がないのを幸いに、人びとは王座のそばまで進み寄ってうかがうと、王は俄かに病いにかかったという騒ぎです。そこで巫女みこらしい者を呼び出して占わせると、かれはこう言いました。
「これは陽地の人が来たので、その陽気に触れて、王は俄かに発病されたのでござります。しかしその人びとも偶然にここへ来合わせたので、別にたたりをなすというわけでもござりませんから、食い物や乗り物をあたえてかえしてやったらよろしゅうござりましょう」
 すぐに酒や料理を別室に用意させたので、人びとはそこへ行って飲んだり食ったりしていると、巫女をはじめ他の家来らも来て何か祈っているようでした。そのうちに馬の用意も出来たので、人びとはその馬に乗って元の岸へ戻って来ましたが、初めから終りまで向うの人たちにはこちらの姿が見えなかったらしいということでした。
 これは作り話でなく、青州の節度使賀徳倹がとくけん魏博ぎはくの節度使楊厚ようこうなどという偉い人びとが、その商人あきんどの口から直接に聴いたのだと申します。

   蛇喰い

 安陸あんりくもうという男は毒蛇を食いました。食うといっても、酒と一緒に呑むのだそうですが、なにしろ変った人間で、蛇食い又は蛇使いの大道だいどう芸人となって諸国を渡りあるいた末に、予章よしょうという所に足をとどめて、やはり蛇を使いながら十年あまりも暮らしていました。
 すると、ここにたきぎを売る者がありまして、※(「番+おおざと」、第3水準1-92-82)はんようから薪を船に積んで来て、黄培山こうばいさんの下に泊まりますと、その夜の夢にひとりの老人があらわれて、わたしが頼むから、一匹の蛇を江西のもうという蛇使いの男のところへ届けてくれと言いました。そこで、その人は予章へ行って、毛のありかを探しているうちに、持って来た薪も大抵は売り尽くしてしまいました。
 そのときに一匹の蒼白い蛇が船舷ふなぞこにわだかまっているのを初めて発見しましたが、蛇は人を見てもおとなしくとぐろを巻いたままで逃げようともしません。さてはこの蛇だなと気がついて、それを持って岸へあがりますと、ようように毛という男の居どころが判りました。
 毛はその蛇を受取って引き伸ばそうとすると、蛇はたちまちに彼の指を強く噛みましたので、毛はあっと叫んで倒れましたが、それぎりで遂に死んでしまいました。そうして、その死骸は間もなく腐ってくずれました。
 蛇はどこへ行ったか、そのゆくえは知れなかったそうです。

   地下の亀

 李宗りそうが楚州の刺史しし(州の長官)となっている時、その郡ちゅうにひとりの尼がありまして、ある日、町なかをあるいていると、たちまち大地に坐ったままで動かなくなりました。おまけに幾日も飲まず食わずにいるのです。
 その訴えを聞いて、李は武士らに言い付けて無理にその尼のからだを引き起して、試みにその坐っていた地の下をほり返してみると、長さ五、六尺の大きい亀があらわれました。亀は生きているので、川へ放してやりました。
 尼はその後、別条もありませんでした。

   剣

 けん州の梨山廟りざんびょうというのは、もとの宰相李廻りかいまつったのだと伝えられています。李は左遷されて建州の刺史となって、臨川りんせんに終りましたが、その死んだ夜に、建安けんあんの人たちは彼が白馬に乗って梨山に入ったという夢をみたので、そこに廟を建てることになったのだそうです。
 という大将が兵を率いて晋安しんあんに攻め向うことになりました。呉は新しくらせた剣を持っていまして、それが甚だよく切れるのです。彼は出陣の節に、その剣をたずさえて梨山の廟に参詣しました。
「どうぞこの剣で、手ずから十人の敵を斬り殺させていただきとうございます」と、彼は神前に祈りました。
 その夜の夢に、神のお告げがありました。
「人は悪い願いをかけるものではない。しかし私はおまえをたすけて、お前が人手にかからないように救ってやるぞ」
 いよいよ合戦になると、呉の軍は大いに敗れて、左右にいる者もみな散りぢりになりました。敵は隙間なく追いつめて来ます。
 とても逃げおおせることは出来ないと覚悟して、呉はかの剣をもってみずから首をねて死にました。

   金児と銀女

 建安の村に住んでいる者が、常に一人の小さいしもべを城中のいちへ使いに出していました。
 家の南に大きい古塚がありまして、城へ行くにはここを通らなければなりません。奴がそこを通るたびに、黄いろい着物をきた少年が出て来て、相撲を一番取ろうというのです。こっちも年が若いものですから、喜んでその相手になって、毎日のように相撲を取っていました。それがために往復の時間が毎日おくれるので、主人が怪しんで叱りますと、奴も正直にその次第を白状しました。
「よし。それではおれが一緒にゆく」
 主人はつちを持って草のなかに忍んでいると、果たしてかの少年が出て来て、奴に相撲をいどむのです。主人が不意に飛び出して打ち据えると、少年のすがたは忽ちに金で作った小児に変りました。それを持って帰ったので、主人の家は金持になりました。
 又一つ、それに似た話があります。
 州の軍吏蔡彦卿さいげんけいという人が拓皐たくこうというところの鎮将となっていました。ある夏の夜、鎮門の外に出て涼んでいると、路の南の桑林のなかに、白い着物をきた一人の女が舞っているのを見ました。不思議に思って近寄ると、女のすがたは消えてしまいました。
 あくる夜、蔡は杖を持ち出して、その桑林の草むらに潜んでいると、やがてかの女があらわれて、ゆうべと同じように舞い始めたので、彼は飛びかかって打ちたおすと、女は一枚の白金に変りました。さらにその辺の土を掘り返すと、数千両の銀が発見されました。

   海神

 江南の朱廷禹しゅていうという人の親戚なにがしが海を渡るときに難風に逢いまして、舟がもうくつがえりそうになりました。
「それは海の神が何か欲しがっているのですから、ためしに荷物を捨ててごらんなさい」と、船頭が言いました。
 そこで、舟に積んでいる荷物を片端から海へ投げ込みましたが、波風はなかなか鎮まりそうもありません。そのうちに一人の女が舟に乗って来ました。女は絶世の美人で、黄いろいきものを着て、四人の従卒に舟を漕がせていましたが、その卒はみな青い服を着て、あかい髪を散らして、いのこのようなきばをむき出して、はなはだ怖ろしい形相ぎょうそうの者どもばかりでした。
 女はこちらの舟へはいって来て言いました。
「この舟にはいいかもじがある筈だから、見せてもらいたい」
 こちらは慌てているので、髢などはどうしたか忘れてしまって、舟にあるだけの物はみな捨てましたと答えると、女はかしらをふりました。
「いや、舟のうしろの壁ぎわに掛けてある箱のなかに入れてある筈だ」
 探してみると、果たしてその通りでした。舟には食料の乾肉ほしにくが貯えてありましたので、女はそれを取って従卒らに食わせましたが、かれらの手はみな鳥の爪のように見えました。
 女は髢を取って元の舟へ乗り移ると、人も舟もやがて波間に隠れてしまいました。波も風もいつか鎮まって、舟は安らかに目的地の岸へ着きました。

   海人

 とう州、静海せいかい軍の姚氏ちょうしがその部下と共に、海の魚を捕って年々の貢物みつぎものにしていました。
 ある時、日もやがて暮れかかるのに、一向に魚が捕れないので、困ったものだと思っていると、たちまち網にかかった物がありました。それは一個の真っ黒な人間で、からだじゅうに長い毛が生えていまして、手をこまぬいて突っ立っているのです。おまえは何者だと訊いても、返事をしません。
「これは海人かいじんというものです」と、漁師は言いました。「これが出ると必ず災いがあります。何かの事のないように、いっそ殺してしまいましょう」
「いや、これは神霊の物だ。みだりに殺すのは不吉である」
 姚は彼をゆるして、祈りました。
「お前がわたしのためにたくさんの魚をあたえて、職務を怠るの罪を免かれるようにしてくれれば、まことに神というべきである」
 毛だらけの黒い人間は、退いて水の上をゆくこと数十歩で沈んでしまいました。その明くる日からは例年にばいする大漁でした。

   怪獣

 李遇りぐう宣武せんぶの節度使となっている時、その軍政は大将の朱従本しゅじゅうほんにまかせて置きました。朱の家にはさるを飼ってありましたが、うまやの者が夜なかに起きて馬にまぐさをやりに行くと、そこに異物を見ました。
 それは驢馬ろばのような物で、黒い毛が生えていました。しかも手足は人間のようで、大地に坐ってかの猴を食っているのでした。人の来たのを見て、かれは猴を捨てましたが、もう半分ほどは食われていました。
 その明くる年、李遇の一族は誅せられました。故老の話によると、郡中にはこの怪物が居りまして、軍部に何か異変のあるたびに、かれは姿をあらわします。それが出ると、城中いっぱいにいやな臭いがするそうです。反乱を起した田※でんいん[#「君+頁」、174-11]が敗れようとする時にも、かの怪物が街なかにあらわれて、夜警の者はそれを見つけましたが、恐れて近寄りませんでした。果たして一年を過ぎないうちに、田は敗れました。

   四足の蛇

 舒州じょしゅうの人が山にはいって大蛇を見たので、直ぐにそれを撃ち殺しました。よく見ると、その蛇には足があるので、不思議に思って背負って帰ると、途中で県の役人五、六人に逢いました。
「わたしは今この蛇を殺しましたが、蛇には四つの足があるのです」
 そう言われても、役人たちには蛇の形が見えないのです。
「その蛇はどこにいるのだ」
「いるではありませんか。これが見えないのですか」
 その人は蛇を地面に投げ出すと、役人たちは初めて蛇の形を見ました。その代りに、今度は蛇を見るばかりで、その人の形が見えなくなりました。なにかの怪物に相違ないというので、蛇はそのまま捨てて帰ったそうです。この蛇は生きているあいだに自分の形を隠すことが出来ず、死んでから人の形を隠すというのは、その理屈が判らないと著者も言っています。

   小奴

 天祐丙子てんゆうひのえねの年、浙西せっせいの軍士周交しゅうこうが乱をおこして、大将の秦進忠しんしんちゅうをはじめ、張胤ちょういんら十数人を殺しました。
 秦進忠は若い時、なにかの事で立腹して、小さいしもべを殺しました。やいばをそのむねに突き透したのでした。その死骸は埋めてしまって年を経たのですが、末年になってかの小奴しょうどがむねを抱えて立っている姿を見るようになりました。初めは百歩を隔てていましたが、後にはだんだんに近寄って来ました。
 乱のおこる日も、いま家を出ようとする時、馬の前に小奴が立っているのを、左右の人びともみな見ました。役所へ出ると右の騒動で、彼は乱兵のために胸を刺されて死にました。
 同時に殺された張胤は、ひと月ほど前から自分の姓名を呼ぶ者があります。勿論その姿は見えませんが、声は透き通ったような強いひびきで、これも初めは遠く、後にはだんだんに近く、当日はわが面前にあるようにきこえましたが、役所へ出ると直ぐに討たれました。

   楽人

 建康けんこうに二人の楽人がくじんがありまして、日が暮れてから町へ出ますと、二人のしもべらしい男に逢いました。
陸判官りくはんがんがお招きです」
 招かれるままに付いてゆくと、大きい邸宅へ連れ込まれました。座敷の装飾や料理の献立こんだてなども大そう整っていまして、来客は十人あまり、みな善く酒を飲みました。楽人らは一生懸命に楽を奏していると、もう酒には飽きたから食うことにすると言い出しました。しかも自分たちが飲んだり食ったりするばかりで、楽人らにはなんにもあてがわないのです。
 夜がしらじらと明ける頃に、この宴会は果てましたが、楽人らはもう疲れ切って、門外の床の上にころがって正体なしに眠りました。眼が醒めると、二人は草のなかに寝ているのでした。そばには大きい塚がありました。
 土地の人にくと、これは昔から陸判官の塚と言い伝えられているが、いつの時代の人だかわからないということでした。

   餅二枚

 霍丘かくきゅうの令を勤めていた周潔しゅうけつは、甲辰こうしんの年に役をめて淮上わいしょうを旅行していました。
 その頃、ここらの地方は大饑饉ききんで、往来の旅人りょじんもなく、宿をるような家もありませんでした。高いところへ昇って見渡すと、遠い村落に烟りのあがるのが見えたので、急いでそこへたずねて行くと、一軒の田舎家いなかやが見いだされました。
 門を叩くと、やや暫くして一人の娘が出て来ました。周は泊めてもらいたいと頼むと、娘は言いました。
うちじゅうの者は饑餓に迫り、老人も子供もみな煩らっていますので、お気の毒ですがお客人をお通し申すことが出来ません。ただ中堂に一つのとうがありますから、それでよろしければおやすみください」
 周はそこへ入れてもらいますと、娘はその前に立っていました。やがて妹娘も出て来ましたが、姉のうしろに隠れていてその顔を見せませんでした。周は自分が携帯の食事をすませて、女たちにも餅二つをやりました。
 二人の女はその餅を貰って、自分たちのへやへ帰りましたが、その後は人声もきこえず、物音もせず、家内が余りに森閑しんかんとしているので、周はなんだかぞっとしたような心持になりました。夜があけて、暇乞いをして出ようと思いましたが、いくら呼んでも返事をする者がありません。
 いよいよ不思議に思って、戸をくずしてはいってみると、家内にはたくさんの死体が重なっていて、大抵はもう骸骨になりかかっていました。そのなかで、女の死体は死んでから十日とおかを越えまいと思われました。妹の顔はもう骨になっていました。ゆうべの二枚の餅はめいめいの胸の上に乗せてありました。
 周は後に、かれらの死体をみな埋葬してやったそうです。

   鬼兄弟

 軍将の陳守規ちんしゅきは何かの連坐まきぞえで信州へ流されて、その官舎に寓居することになりました。この官舎は昔から凶宅と呼ばれていましたが、陳が来ると直ぐに鬼物きぶつがあらわれました。
 は昼間でも種々の奇怪な形を見せて変幻出没するのでした。しかも陳は元来剛猛な人間であるのでちっとも驚かず、みずから弓矢や刀を執って鬼と闘いました。それが暫く続いているうちに、鬼は空ちゅうで語りました。
「わたしは鬼神であるから、人間と雑居するのを好まないのである。しかし君は堅固な人物であるから、兄分として交際したいと思うが、どうだな」
「よろしい」と、陳も承知しました。
 その以来、陳と鬼とは兄弟分の交際を結ぶことになりました。何か吉凶のことがあれば、鬼がまず知らせてくれる。鬼が何か飲み食いの物を求めれば、陳があたえる。鬼の方からも銭や品物をくれる。しかし長い間には、陳もその交際が面倒になって来ました。そこで、ある道士にたのんで、訴状をかいて上帝に捧げました。鬼の退去を出願したのです。
 すると、その翌日、鬼は大きい声で呶鳴りました。
「おれはお前と兄弟分になったのではないか。そのおれを何で上帝に訴えたのだ。男同士の義理仁義はそんなものではあるまい」
「そんな覚えはない」と、陳は言いました。
 嘘をつけとばかりに、空中から陳の訴状を投げ付けて、鬼はまた罵りました。
「お前はおれの居どころがないと思っているのだろうが、おれは今から蜀川しょくせんへ行く。二度とこんな所へ来るものか」
 鬼はそれぎりで跡を絶ったそうです。





底本:「中国怪奇小説集」光文社
   1994(平成6)年4月20日第1刷発行
※校正には、1999(平成11)年11月5日3刷を使用しました。
入力:tatsuki
校正:小林繁雄
2003年7月31日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について