毘沙門の名號に就いて

南方熊楠




 クベラ、又クピラが毘沙門天の異名なる由は、佛教大辭彙卷一倶肥羅天の條既に述べある。
 熊楠謂く、此二名が一神を指すを立證するに最もよき文句は、梁朝に勅撰された經律異相卷四一に羅閲城人民請佛經から引た者だ。佛が鷄頭婆羅門の供養を許した時、釋提桓因(帝釋)語※(「田+比」、第3水準1-86-44)沙門天王、拘※[#「革+畢」、U+97B8、50-5]羅(クベラ)汝此婆羅門辨ゼヨ第三食、答とある。クベラは實名、※(「田+比」、第3水準1-86-44)沙門は通稱の如くみえる。アイテルの梵漢辭彙一九三頁には、此神、前世夜叉なりしが佛に歸依して沙門たりし功徳により北方の神王に生れかわつた。其沙門と成た時、他の沙門共驚いて伊沙門と叫んだ、それ故毘沙門(ヴアイスラマナ、是男も沙門かの義)の稱へを得たとあるが、これは何の經に出た事か識者の高教をまつ。伊沙門は音義兩譯らしい。金※(「田+比」、第3水準1-86-44)羅(蛟神)は、大灌頂神咒經卷七などをみると毘沙門とは別神らしい。印度で古來鰐を拜する其鰐神だろう。吾邦に金※(「田+比」、第3水準1-86-44)羅を航路の神とするも此因縁か。佛弟子に金※(「田+比」、第3水準1-86-44)羅比丘あり、獨處專念を稱せられた(増一阿含經三)是も鰐を奉じた氏子だらう。
(大正一五、三、集古、丙寅ノ二)





底本:「南方熊楠全集第六卷 〔文集※(ローマ数字2、1-13-22)〕」乾元社
   1952(昭和27)年4月30日発行
初出:「集古 丙寅ノ二」
   1926(大正15)年3月
入力:小林繁雄
校正:フクポー
2017年3月11日作成
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●表記について

「革+畢」、U+97B8    50-5


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