真珠抄

北原白秋




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心ゆくまでわれはわが思ふほどのことをしつくさむ。ありのまま、生きのまま、光り耀く命のながれに身を委ねむ。れうらんたれ、さんらんたれ。わがうたはまた、印度更紗の類ひならねど渋くつや出せ、かつ煙れ。
千九百十四年九月
白秋


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真珠抄 短唱


わが心は玉の如し、時に曇り、折にふれて虔ましき悲韻を成す。哀歓とどめがたし、ただ常住のいのちに縋る。真実はわが所念、真珠は海の秘宝、音に秘めて涙ながせよ。

うるほひあれよ真珠玉幽かに煙れわがいのち

永日礼讃


ひと日海のほとり、斜なる草原の中に寝ころびぬ。日の光十方にあまねく、身をかくすよすがもなし。真実にただひとり、人間ものもあらざれば感極まりて乃ち涙をぞ流しける。

したたるものは日のしづく静かにたまるの涙

人間なれば堪へがたし真実一人ひとりは堪へがたし

珍らしや寂しや人間のつく息

真実寂しき花ゆゑに一輪草とは申すなり

哀れなる竜胆りんだうの春の深さよ、あな春の深さよな

磯草むらの螽斯きりぎりす鳴かずにゐられで鳴きしきる

宙を飛ぶつばめひもじかろつばめ

鳥のまねして飛ばばやな光の雨にぬればやな

木が光りゆらめくぞよとめどなき鳥春の鳥

あまりつめたし虫の穴さのみ金銀珠玉なちりばめそ

光りてたくらむ虫のつのメフイストフエレスが身のこなし

とめどなや風がれうらんとながるる

なびけば光る柳の葉光らぬ時がこわやの

山が光る木が光る草が光る地が光る

片面光るゑんじゆの葉両面光る柳の葉

勿体なや何を見てもよ日のしづく日の光日のしづく日の涙


源吾兵衛



玉ならば真珠一途いちづなるこそ男なれ

心から血の出るやうな恋をせよとは教へまさねどわが母よ

蜥蜴とかげが尾をふる血のしみるほどふる

悲しや玉虫があたまの中に喰ひ入つたわ

病気になつた気がれた一途いちづ雛罌粟ココリコが火になつた

百舌のあたまが火になつた思ひきられぬきりやきりきり

散ろか散るまいかままよ真紅まつかに咲いてのきよ

人目忍ぶはいと易しむしろわが身を血みどろに突かしてぢつと物思ひたや

日はかんかんと照りつくる血槍かついでひとをどり耶蘇を殺してユダヤの踊をひとをどり

ふくら雀は風にもまるる笑止せうしや正直一途いちづの源吾兵衛はひよいと世に出て人にもまるるもまるる

冥罰めうばつを思ひ知らぬか赤鼻の源左めなまじ生木を腕で折る

息もかるし気もかるしいつそ裸で笛吹かう


月光礼讃



猫のあたまにあつまれば光は銀のごとくなりわれらが心に沁み入れば月かげ懺悔ざんげのたねとなる


巡礼



ひとり旅こそ仄かなれ空ははるばる身はうつつ

巡礼のふる鈴はちんからころりと鳴りわたる一心に縋りまつればの


雪の山道



親鸞上人ならねども雪のふる山みちをしみじみと越え申す雪はこんこん山みちを


幼帝



王冠わうくわん燦爛燦爛涙こぼせばなほ燦爛

王冠にひよいと来てとまる蜻蛉とんぼとんぼ重いかまぶしいか

蜻蛉とんぼ重きにあらねども王冠燦爛ただ涙

いとしや昼の日なかを小さなぎんの王様が泣かしやる

王様のかんむりがゆらいだ、と思つたら死なしやつた




物言はぬ金無垢の弥陀みだの重さよ




煙はさみしやむごともなし立つな煙よ

幽かに煙のもつるるはわが常住じやうぢゆうの姿なり幽かなれ煙




しみじみとみをがわかるる、これがわかれか

光りてながるるみをのすぢ光りてゆらめくみをつくし


泳ぎ



寂しければ海中わだなかにさんらんと入らうよ

燦爛さんらんと飛び込めば海が胸につかえる泳げば流るる力いつぱいんばれいわうへの男


つまづき



燦爛さんらんつまづいたが痛かつたか木の根

路のべの柳ただ見て過ぎなば過ぎぬべし
われはただ礼拝かしこまる

有難ありがたや柳がさんらんと光るわ、そつと根に腰ろいてさてそつと行こかの


乾草


秋の野にいづあまりに明るかりければ

乾草ほしぐさに火をけむぞ
     きりぎりすきりぎりす


秋日小韻



妹よそなたにはきこえぬか秋のといきが

ふけゆくものは茶の利休ほのかに座るわがこころ

光る木によぢよ寂しくば子ども光る木によぢよかし

日もうらら風もうらら落つる木の葉やれの落つる葉

をあげ百姓枯木に雀がこぼるるぞ


卓上



ふか溜息ためいきがきこえた、はあていまのは誰のといきぞわが前の真赤な酒のさかづき

けふも暮るるかあかあかと暮るるか何もせなんだでなう

われもする人もする長ためいきのヴァイオリン

ほのかならずば何かせむ惜め涙よ

純真無垢じゆんしんむくの涙こそわれとがものヴエルレン


蛇の舌



つめたきものは蛇の舌娼妓末社しやうぎまつしやの光

執念しゆうねん白蛇しらへび死んだ女王のほとに入る、といの

女王はクレオパトラ

悲しや鐘の中の安珍あんちんきんの中の

蛇もつるむか真実にそのほかはみなうそぞかし

ほれぼれと女からだまされて見たやの


子ども


天真流露子どもがはねるぞはねるぞ

飛び越せ飛び越せ薔薇ばらの花子どもよ子どもよ薔薇の花


深夜



月ほそく光りたり真の夜中よなかに、懺悔ざんげせよとか

寸金本土すんきんほんど阿弥陀仏あみだぶつ光るは海の真夜中


海底



死んで光るものは珊瑚さんごの巣弟アベルが眼の光

カイン怒つて弟アベルを殺すこれ悪のはじめなり

恐らくは花ならむ海の底の海松みるの小枝に輝く玉あり輝く玉あり
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正覚坊



きららかにごむの大樹たいじゆす光きららかにまろ正覚坊しやうがくぼう

まんまろき正覚坊に日の光ひかりこぼるるうららかなれば

ゆつたりと正覚坊ぞねぶりたる安心をしてねぶれるものか

大きなる正覚坊がつつましくねぶり目ざめてひらくあはれ

こはをかしやはらかなこのわきの下くすぐればふふと笑ふ正覚坊

正覚坊ふふと笑へりうららかにくすぐらるればうれしきものか

正覚坊寂しくぞあらむはだかにてわれもころがるうららかなれば

仰向あうむけど寂しくぞあらむ正覚坊かくしどころもきららかなれば

摩訶不思議まかふしぎ正覚坊のきららなるかくしどころのここのかなしさ

はあまりにふかくあがりつ正覚坊ここは正午のバナナの林

正覚坊ころがされてははたはたと手足もがけど歩まれぬかな

る日うらら万劫経たる海亀のこのあきらめの大きなるかも

けふも終に暮れたり赤くまんまろく大亀の腹に日輪が

正覚坊いぢめつくして子どもらがかへる海辺の劫初の耀き
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玉蜀黍



玉蜀黍たうもろこし耀ふ中にうつら来てしばらく光り誰か消えつも

見廻はせば十方光くまもなししばらく空も動かであるも

寂しさやきびは黍としさらさらと葉ずれのひびき立てにけり夏

玉蜀黍たうもろこし輝り極まれば言葉なくそがひに息する人の恋しさ

ここ過ぎてかの高山たかやま半腹なからまで玉蜀黍たうもろこしは輝りきらめけり

ここよりも輝りきらめけるなりここよりも向うの山の玉蜀黍たうもろこし

かれよりも輝りきらめけるなり彼よりもかの上の高き玉蜀黍たうもろこし

寂しさやここのかしこの高山の玉蜀黍たうもろこしは輝りきらめけり
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途上所見


女人遠離

思ひししばし見恍みとれつひるさがり陶器師すゑものつくりはろくろを廻はす

ほれぼれと万里子まりこ忘れつおもしろく陶器師すゑものつくりはろくろを廻はす

ちちのみのちちも忘れつおもしろく陶器師すゑものつくりはろくろを廻はす

ははそはのははも忘れつおもしろく陶器師すゑものつくりはろくろを廻はす

さびしけど女房おもはずおもしろく陶器師すゑものつくりはろくろを廻はす

もろもろのぼんなうりんねただ廻る陶器師すゑものつくりはろくろを廻はす

ろくろ見るろくろ廻るがただたのし陶器師すゑものつくりはろくろを廻はす

ろくろ見るろくろまたなしおのれなし陶器師すゑものつくりはろくろを廻はす
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真珠抄余言



一、真珠抄の短唱六十八草は千九百十三年九月わが三崎淹留中初めて提唱し、そののちをりをりに書きあつめたるものなり。わが短唱はわが独自の創見にして、歌俳句以外に一の新体を開くべきものなり。詩形極めて短小なれども、かの如く既成形式によらず、自由にリズムの瞬きを尊重し、真実真珠の如く、純中の純なる単心の叫びを幽かに歌ひつめんとするなり。わが短唱も愈日本在来の小唄のながれを超えて幽かに象徴の奥に沈まむとす。白金の静寂わが上に来る、歓ばしきかな。
一、巻末に添へたる短歌のうち正覚坊玉蜀黍の二章二十二首は南海の遠島小笠原放浪中の記念にして、途上所見の八首は最近の新作なり。
一、この印度更紗は本輯以後各月一輯を上梓し、輯を変ふるが毎にその名を改め、色々に印度更紗の模様の如くわが愛慕する人々の書架にかなしく入り乱さしむべし。
一、第二輯は未だ定かならねど恐らく小笠原の歌を以て満たさるべきか。敬具再拝。
八月 下浣
著者





底本:「白秋全集 3」岩波書店
   1985(昭和60)年5月7日発行
底本の親本:「印度更紗第壱輯 真珠抄及び短歌」金尾文淵堂
   1914(大正3)年9月1日発行
入力:飛鷹美緒
校正:フクポー
2016年12月9日作成
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