新頌

北原白秋




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海道東征



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海道東征


第一章 高千穂

男声(独唱竝に合唱)

しき、蒼空あをぞらと共に高く、
み身しき、皇祖すめらみおや
  ※(「二点しんにょう+貌」、第3水準1-92-58)はるかなり我が中空なかぞら
  きはみ無しすめら産霊むすび
  いざ仰げ世のことごと、
  あめなるやたかきみあれを。

りき、綿津見わたつみしほわかく、
しき、この国土くにつち
  ※(「二点しんにょう+貌」、第3水準1-92-58)はるかなり我が国生くにうみ
  おぎろなしあめ瓊鉾ぬぼこ
  いざ聴けよそのこをろに、
  大八洲おほやしまあがるとよみを。

皇統みすまるや、あまらす神の御裔みすゑ
代々よよしき、日向ひむかすでに。
  ※(「二点しんにょう+貌」、第3水準1-92-58)はるかなり我が高千穂、
  かぎりなし千重ちへ波折なをり
  いざげよ日のただ
  海山うみやまのい照る宮居みやゐを。

しき、千五百秋瑞穂ちいほあきみづほの国、
皇国すめぐにぞ豊葦原。
  ※(「二点しんにょう+貌」、第3水準1-92-58)はるかなり我が肇国はつくに
  きはみ無しあまつみわざ
  いざたせ早や東へ、
  光宅みちたらせ王沢みうつくしびを。

第二章 大和思慕

女声(独唱竝に合唱)

大和やまとは国のまほろば、
たたなづく青垣山あをがきやま

ひむがしや国の中央もなか
とりよろふ青垣山あをがきやま

うるはしとこもる、
天降あもるその磐船いはふね

かなしよ塩土しほつち老翁をぢ
きこえさせその大和やまとを。

大和やまとはもききうるはし、
その雲居くもゐもひはるけし。

うるはしの大和やまとや、
うるはしの大和やまとや。

第三章 御船出

男声女声(独唱竝に合唱)

その一

日はのぼる、旗雲のとよの茜に、
いざ御船みふねでませや、うまし美々津みみつを。

海凪ぎぬ、陽炎かぎろひひがしに立つと、
いざ行かせ、ぐはしその海道うみぢ

海凪ぎぬ、朝ぼらけしほもかなひぬ、
ともぎ、大御船おほみふね御船出みふなで今ぞ。

その二

あな清明さやけ、神倭磐余彦かむやまといはれひこ、そのみことや、
あなゆし、もろもろの皇子みこたちや、その皇兄いろせや。

でませや、おほらかに大御軍おほみいくさ
まだくらし、はるけきは鴻荒あらきへり。

みめぐみ皇祖すめみおやかくみましき、
ただしきを年のむたやしなひましぬ。

神柄かむがらや、幾万いくよろづとしりましき、
みひかりや、かつかさね、代々よよしましぬ。

にぎたま、またやはせ、ただにやすらと、
あらたま、まつろはぬいざことむけむ。

大御稜威おほみいつらすと御船出みふなで成りぬ、
日の皇子みこや、御鉾みほことり、かくちましぬ。

その三

日はのぼる、旗雲の照りのあかねを、
いざ御船、出でませや、あか日向ひむかを。

海凪ぎぬ、満潮みちしほのゆたのたゆたに、
いざ行かせ、照りぐはしその海道うみつぢ

海凪ぎぬ、朝ぼらけしほもかなひぬ、
ともぎ、大御船おほみふね御船出みふなで今ぞ。

第四章 御船謡

男声(独唱竝に合唱)

その一

御船出みふなでぞ、大御船出おほみふなで
御伴船みともぶねこぞりさもらへ、
御伴みともびとこぞり仰げや。
りとよめ科戸しなどの風と
声放て、東に向きて。
大御船おほみふね真梶まかぢしじぬき、
照りわたる御弓みゆみゆはず
あな清明さやけ、神にします、
あなまばゆ、皇子みこにします。
はろばろや大海原おほうなばら
はてなしや青水沫あをみなわ
りとよめ大き国民くにたみ
大君おほきみに、
この神に、
たたごと
寿詞よごと申せや。

その二

荒海の、
荒海の潮の八百道やほぢの、
八潮道やしほぢの、
潮の八百会やほあひに、ハレヤ、
とどろ速開津姫はやあきつひめに、
朝開あさびらき、朝のみ霧の
遠白とほじろに、
すゑしづ
しづまらせ、
み眼すがすがとませとぞ、
きこしめせと申さく
船謡ふなうた

その三


ヤァハレ
海原うなばらや青海原。

ヤァハレ
青雲あをぐもやそのそぎたち
そのきはみ、こをば。

我が海と大君おほきみらす、
我がそら皇孫すめみまらす。


ヤァハレ
※(「さんずい+區」、第3水準1-87-4)しほなわのとどまるかぎり、
舟のの行き行くきはみ。

ヤァハレ
島かけて、八十嶋やそしまかけて、
大海おほうみに舟満ちつづけて。

見はるかし大君おほきみらす、
四方よもつ海皇孫すめみまらす。


ヤァハレ
国土くにつちや、大国土おほくにつち

ヤァハレ
国のかべそのそぎたち
その極み、こをば。

我が国と大君おほきみらす、
我が土と皇孫すめみまらす。


ヤァハレ
青雲あをぐものそぎ立つきはみ、
白雲しらくも向伏むかふすかぎり。

ヤァハレ
谷蟆たにぐくのさわたるきはみ、
馬の爪とどまるかぎり。

見はるかし、大君おほきみらす、
四方よもつ国皇孫すめみまらす。



の国は広くと、

けはし国たひらけくや。

遠き国はつなうち掛け、
もそろよと、
もそろと、
国引くと、引き寄すと。

あなおほら、大君おほきみらす、
あなをかし目翳まかげしおはす。

しや、しや、弥栄いやさか
とどろとどろ、弥栄いやさか

第五章 速吸と菟狭

その一

男声独唱

海原うなばらや青海原、
海道うみつぢみちびきや、早や槁根津日子さをねつひこ
速吸はやすひ水門みとになも、その珍彦うづひこ

童声或は女声合唱(童ぶり)

亀の甲に揺られて、
しほの瀬に揺られて、
かぶりかうぶりあま
さをやらな、いまゐれ、
波かぶりかぶるに、
み船へと移らせ、
名をのれ早や早や、
み船へまゐるは
やつこぞとそれまをす。
国つ神とひこごむ。
潮みづく国つ神、
海豚いるかよな、
遠眼とほめ鋭眼とめさかしな、
ぶりぶりおもしろ。

その二

男声女声(交互に唱和竝に合唱)

菟狭うさはよ、さすしほ水上みなかみ
豊国とよくに行宮かりみや
ああはれ足一騰宮あしひとつあがりのみやとよ、行宮かりみや

 足一騰宮あしひとつあがりのみやは、行宮かりみや
 青の岩根に一柱ひとはしらす。

 足一騰宮あしひとつあがりのみや参出まゐづると、
 大わたの亀や、川のぼりる。

 足一騰宮あしひとつあがりのみや大御饗おほみあへ
 たてまつる、はるか雲居に。

 足一騰宮あしひとつあがりのみや菟狭津彦うさつひこ
 あしたさもらふ、ゆふべさもらふ。

 足一騰宮あしひとつあがりのみやたぎや、
 足一つあがり、雲のす。

  ええしや、をしや、
  ええしや、をしや。

第六章 海道回顧

その一

男声女声(交互に唱和竝に合唱)

かがなべて、日をよるを、海原うなばら渡り、
かがなべて、た歳を、宮うつらしき。
  ああはれ、その幾歳いくとせ
  ああはれ、その行き行き。

年ごとに、御伴船みともぶね、いやかずえぬ、
つぎつぎに、御従みつきびと、またいや増しぬ。
  ああはれ、また春秋はるあき
  ああはれ、そが海山うみやま

その二

月のや、足一騰宮あしひとつあがりのみや
一年ひととせや、筑紫つくし崗田をかだの宮。

多祁理たけりとも、阿岐あきの宮、
たづたづや、七年ななとせや。あはれ。

吉備きびにして、また八年やとせ、高嶋の宮、
大和はも遠しとよ、高千穂よ遥けしと。

その三

かがなべて、日をよるを、海原うなばら渡り、
かがなべて、としを、宮遷らしき。
  ああはれ、その幾歳いくとせ
  ああはれ、その行き行き。

満ち満つや、みたくはへ、早やかく成りぬ、
あめしたことむけむ、とき今成りぬ。
  ああはれ、えしや、
  ああはれ、今ぞときや。

第七章 白肩の津上陸

その一

男声(独唱竝に合唱)

青雲あをぐも白肩しらかた、その津に、
たけびぞ今あがる、御船みふねてぬ。
  いざのぼれ大御軍おほみいくさ
  いざ奮へ丈夫ますらをとも

浪速なみはやに騒ぐ味鳧あぢがもや、そのを、
追ひ押しに押しのぼり、みたてめぬ。
  いざのぼれ大御軍おほみいくさ
  いざ奮へ丈夫ますらをとも

その二

日下江くさかえ蓼津たでつ、その津に、
雄たけびぞ今あがる、大御軍おほみいくさ
  いざのぼれ、大和は近し、
  いざ奮へ丈夫ますらをとも

浪速なみはやうしほなしさかのぼると、
我が行かば何はばむ、長髄彦ながすねひこ
  いざのぼれ、大和は近し、
  いざ奮へ丈夫ますらをとも

第八章 天業恢弘

男声女声(独唱斉唱竝に合唱)

しき、蒼雲あをぐもうへに高く、
高千穂や※(「木+患」、第3水準1-86-5)触峯くじふるたけ
  ※(「二点しんにょう+貌」、第3水準1-92-58)はるかなりその肇国はつくに
  きはみなしあまつみわざ
  いざ仰げ大御言おほみことを、
  かしこきやさや御鏡みかがみ

くにありき、綿津見のしほわかく、
光宅みちたらし、四方よも中央もなか
  ※(「二点しんにょう+貌」、第3水準1-92-58)はるかなりその国生くにうみ
  かぎりなし天つ日嗣ひつぎ
  いざ継がせことさすもの、
  勾玉まがたまとにほひつづらせ。

みちありき、いにしへもかくぞ響きて、
つらぬくや、この天地あめつち
  ※(「二点しんにょう+貌」、第3水準1-92-58)はるかなりその神性かむさが
  おぎろなしみつるぎ太刀たち
  いざ討たせまつろはぬもの、
  ひたにち、しかもやはせや。

雲蒼し、かみさぶといやとこしへ、
照りぐはし我が山河やまかは
  ※(「二点しんにょう+貌」、第3水準1-92-58)はるかなりその国柄くにがら
  ゆるぎなし底つ磐根いはね
  いざ起たせ天皇すめらみこと
  神倭磐余彦命かむやまといはれひこのみこと

神と大稜威おほみいつ高領たかしらせば、
八紘あめのしたひといへとぞ。
  ※(「二点しんにょう+貌」、第3水準1-92-58)はるかなりその肇国はつくに
  はても無しあまつみわざ
  いざらせ大和やまとここに、
  雄たけびぞ、弥栄いやさかを我等。
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建速須佐之男命



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建速須佐之男命

 枯山の巻


第一段

をを、をを、
をを。
神ぞれ、おらび哭く
くらき神、
神性かむさがや、霹靂はたたがみ
猛猛たけだけし、ひと柱、
しや、須佐之すさの男命をのみこと
建須佐之男たけすさのを
速須佐之男はやすさのを
ひたぶるや、益良神ますらがみ
あらぶる荒御魂あらみたま大童おほわらはべ
雄叫び、
泣きいさち、
※(「韋+備のつくり」、第3水準1-93-84)たたら踏み、
ゑはららかすや、
き、放つ湯津爪櫛ゆづつまぐし
美豆良みづら振り乱り、
拳たたき、
掻い垂らす、胸前むなさき
振り分つ八握髭やつかひげ
鳴りとよむ御統みすまる御珠みたま、頸珠、
手纏たまきひぢまきや、
ゆらかす足玉の緒もゆらに
揺り立て、
揺りすさべば、
凄まじ、この生みはての神、
さながらや、海阪うなざか昂騰あがり
押し移る
神立雲かんだちぐも
早手風はやて、飛ぶ電光いなづま
とどろ立つあを※(「虫+礼のつくり」、第3水準1-91-50)みづち
閃めく掻爪かきづめいらちを、巻きなだれて
覆す鱗魚うろくづの大降り雨、
かく嘆けば、
かくおらべば、
泣きくたし、泣きはやれば、
うちくらむ世のことごと、
降りくたすそのことごと、
海河も泣き涸らすと、
しとど垂る長霖雨ながつゆや、ああ、
光無し、時無し雨、
日も無し、
はも無し、
ただこほし、ははの国、
ただ遠し、堅洲国かたすくに
おほにただ、おほに泣きこもりぬ。

第二段

をを、をを、
をを。
神ぞ居れ、おら
くらき神、
おどろしき神性かむさがの、
ひたぶるの人性ひとさがの、
しゑや、しや、善き悪しき、
ただ歎く暴風雨おほしけの神、
霧立つや八雲立つ
出雲の子ら、
大族おほうから国造くにつこ祖先神みおやがみ
しや、建速たけはや須佐之男命すさのをのみこと
この命ぞ、
に見る空のさきざき、
眼に見る国のまほろば、
たたなづく青垣山は
青山の石根いはね、木の立、
神弱り、泣きくたすと、
神さぶと、枯山と泣き枯らすと、
息長おきなが息嘯おきその風と
雨呼ばひ、おらび、泣きこもれば、
日をべて、べて、かく歎けば、
おほにただおほくらむ。
かくなれば、世の神神、
をを、神神、
清明まさやけき、ひとしほに和御魂にぎみたま
あきらけく、いつくしき、
常そよぎ、くしふる神、
山と精霊いきすだま
大山津見、
鹿屋野比売かやぬひめ二柱の神、
そが持ち分けて生みませる神、
もろもろの生きの産巣むすび
大地おほつち草分くさわき、木の神久久野智神くくのちのかみ
末ずゑのわかれの神、
澄みわたる神境ひもろぎや、
斎槻ゆづき湯津真椿ゆづまつばき
葉広熊白樹はびろくまがし
厳橿いつかしや、白檮しらかしや、処女檀をとめまゆみ
ああ、黒檜くろび、雲かかるさるをがせ、
雪のの白樺や、
水上みなかみの石楠の神、
ひひらぎや、ひらきそよご、
しみみ立つ馬酔木あしび、黒木、
磐村いはむらの犬大羊歯、
沼辺には茅萱ちがや、葦、髪がやつり。
もろもろの鏡葉や、
霞針かすみばりほそき葉の神、
落葉木や、
若萠わかもえの光る木の芽、
ごも※(「木+羅」、第4水準2-15-82)へご
そを何ぞ、泣き枯らすもの、
日に奪ひ、夜に奪ひ、雨ふらせば、
ありとあるたちのことごと、
ありとある色のことごと、
きほひ無し、こやたわむと、
すべしなし、立ちも滅ぶと、
尽き、素力もとぢから尽き、
ああはや、匂失せぬ。

第三段

をを、をを、
をを。
神ぞれ、おらく、
くらき神、
しや、わらべ速須佐之男はやすさのを
大天おほあめや高天原、
日はらせ、大日おほひる※(「靈」の「巫」に代えて「女」、第3水準1-47-53)めのむち
さもこそや夜之よるの食国をすくに
らせ、月よ月読つくよみ
海原うなのはらはえらさじ、
ことさせ、は聴かじ、
神柄かむがらぞ、あらぶる神、
胆太きもぶとまなじり裂くと、
言挙ぐと、泣きいさち、
あらがふと、おぞえ吼え立つ。
かく、吼え立てば、
大海よ、滄海原あをうなばら
引き引きにひず退しぞき、
潮干るや、干潟泡立ち、
沸き立つや、さそりなすもの、
菊石きくめなす、むなぎなすもの、
えらや、飛ぶはねたつ
八剣やつるぎの蜥蜴草食み、
始祖鳥みおやどり荒き歯にふ。
青水泥あをみどろひどらが沼、
わだかまるぬめりうはばみ
憚らず
曠野あらぬ巨牛おほうし
畏る無し
まがつ狼。
をを、をを、をを、
かく経れば、降りつづく雨をもちて、
蛆沸き、※(「魚+委」、第4水準2-93-50)あざれ、蒼蠅さばへなす神神のおとなひ、
万づ四方よもつ神の災、
高津鳥の災、
ふ虫の災、
あぶらなす、逆吐ゑづき、嘔吐たぐり、
生み、あやめ、疼き、によ
もろもろのよこしま
曲り、朽ち、ゑ、死ぬる物のけがれ
常無く、火の気無く、
耀かず、はらひ了へず、
下心した澱み、
まず、さやり、
はなひり、おこさやり、
ゑぐ[#「くさかんむり/歛」、U+861D、342-2]しく、いらだたしく、
苦しく、息づかしく、
瘡病くさつつみ、掻きたはると、
しこつ神、追ひ挑むと、
ことごとや世のことごと、
きたぎち、
泣き、言問ひ、
挙り泣き、泣きなづみて、
ああはや事起りぬ。

第四段

をを、をを、
をを。
神ぞれ、おらく、
くらき神、
果しなし、泣きいさつと、
海岸うなぎし上高岸かみたかぎし
巌窟いはやなす岩戸、沙面すなも
腹這ふ大海胆おほひとで
紅殻べにがらや、生死殻なましにがら
錆釘さびくぎのここだくの釘
その根、幹疎もとあらにうち埋めて、
開き葉の高張りや、
大葉蘇鉄、
をを、をを、
をを、
滴るや長雨ながめしづき、
水松布みるめなす美豆良みづら雫き、
苔むすや、ももただむき
細螺しただみみたまい這ひ、
畳菰はかまれ裂け、
小鈴落ち、脚結あゆひ紐解け、
はららぐと、その短裳みじかも
空見ず、ただ歎けば、
海見ず、ただ歎けば、
しや、伊邪那岐大神いざなきのおほかみ
埒も無し、建須佐之男たけすさのを
みまし
ことさす国はらさず、
何もかも泣きいさちる、
父の御神みかみりたまへば、
伊邪那美いざなみよ、が母、
ははせば、
堅洲国かたすくに
こほし、まかりゆかずば、
ただくと泣く。
ゑや、愚かや、
な住みそ、さば、此の国原、
行け、まかれ、
神柄かむがらぞ、もとな流浪さすらへ、
神やらひやらひたまふと、
ああはれ、建須佐之男たけすさのを
眼もしらみ、追ひやらはれ、
泣き涸らし、はた、わらひぬ。
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大陸序曲



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跳躍


跳躍する
跳躍する奔牛は是れ、
厳たる意志力、
陀々羅だだら踏む肉塊の黒旋風くろつむじ
響きつの
響きつの
角は見よ、蒼き兜の大前立おほまへだち

此処は鄂博オボ――蒙古児モンゴル陀羅海トルカイ
春ながら冬、
つちふらす、つちふらす茫漠たる内蒙古、
涯しなき視野、
東へ東へと移動しつつある沙漠の
凛然たる寒気の底に於て。

おお、眼だ、――昼闌けた円日ゑんじつ
耀く耀く十方の日あし、
しかもまた金色こんじきの光を奪ふ
濃い青の上空である。
微塵の星、
よく磨かれた気流。

光は光をうつ、
影は影と、
萠え立つ草の芽も何処かにある。
誰知らぬ物の窪にも
何か湛へる。
――何事かある。

跳躍する、
跳躍する奔牛の意志に乗つて、
思ひもかけぬとどろきが来る。
すばらしい、いきどほりに似た
光るばかりの或物が来る。
跫音あしおとが来る。
(満洲鄭家屯郊外)

十三時半の風景


根があつた。
高粱カオリヤンの枯れた畝竝うねなみ
黄色い土、
積み竝べた土糞どふん
ああ、それだけ。

木があつた、
ひとつひとつに
影を落した枯木であつた。
ああ、それだけ。

平らかな、或は柔かい
うねりのなぞへ、
日向はほどよく温んでゐた。
ああ、それだけ。

幌車マアチヤアが遥かを通つた。
白い馬に赤が三頭、
土けむり、
ああ、それだけ。

茫漠とした南満洲、
はてしのない川、結氷、
銃眼のある土塀、
風、風、風、
ああ、それだけ。

苦力クリーよ、
四等車の苦力クリーよ、
小さな日だ、
十三時半――十五時半、
汽車はただはしつてゆく、
はしつてゆく。
ああ、それだけ。

路傍にねむる


戦争画報を見て

ひた疲れ、ああ、このごと
路のはしにねむる人、
いのちなり、赤き
こんこんとうち伏しぬ。

正しきはまじろがず
天地あめつちおもてふらず、
戦士いくさびと守護神まもりがみ
身をさらし、ひげこごる。

なべて見よ、この姿、
昼ももここに無し、
祖国のみ、民族の
血と肉と、一つのみ。

まつろはず、まことなき
満蒙のかの匪賊。
憤る、憤るもの、
力なり、ためらはず。

戦へば勝つ人も
無し、小床をどこ無し、
せめて今、つつむと
ひきかぶるものも無し。

涙せよ、この姿、
昼ももここに無し。
ここにあり、土のうへ、
ひたぶるにねむる人。

暁天


日向高千穂峯の御来迎

日向ひうがの高千穂の峯
山の肩黝きに
風すでに矢羽根やばね切りて
響きわたり、空へけぬ。

おお、神々かみがみ
かんつどひ、はやも立たすと、
あかつき、来たり立たすと、
ほこを手に、東のかた
目翳まかげしましつ。

蒼雲よ、国原くにばら
いまだめず、
野も川もをさなくて
かたさず。

動けり、ただ、
雲の上のみづうみの魚
顎朱あぎとあけに燃えて。

日の出なり、
ああ、朝日子あさひこ
千別ちわくと、雲のかぎり千別ちわくと、
小さきかなや、きよきかなや、かうと照りぬ。

種子


大陸序曲

種子たねありき、神産かむむすび玉とるもの、
かくりき、りて生き、つつみぬ。

土なるや、大きくが蒙古モンゴルの底ひふかく、
こもらひぬ、あらがねいはほとのひまうづもれ。

時ありき、日も知らず、星もかず、
ただ在りき、かく在りて千五百万ちいほよろづとし

驚けよ、この命、くしびに若し、
めあげよ、かく古りてかくまたけし。

世々よよありき、人は興り、地に満ち満ちき。
国興り、た滅び、また代々よよありき。

つちふるや、黄なるすな、嵐とたけび、
みなぎるや、おほき水、あめかたぶけぬ。

なほりき、生きの芽の命かをすと、
俟つありき、つひに来るそが黎明しののめ

海を越え、空を蔽ひ、とどろ来るもの、
地響や、音ぜて翼つもの。

誰ならず、御裔みすゑ、久米大伴がのち
神々の我が跫音あのと大皇軍おほみいくさ

つありき、大きくが、今かがやけり、
さ緑や、はてしなくよみがへるもの。

種子たねありき、神産かむむすび玉と照るもの、
命なり、息づくと芽ぶきそめぬ。

狙ひ


しづかなり夏空なつぞら
軍の真上まうへ
おそろしく形無きもの
風をはらむつかのま。

敵なりや、をさな
生物いきもの
現れ、また現れ、
視野はとほる。

響無し、声も無し、
気息のみ
輝やかし時秒のみ
満ち、いきるる
ひたおもて、つち

軍はあり、草をかつぎ
山のごとしづもる戦車、
晴眼せいがんにひたと向ひ、
だ放たず。

そのはじめ、天地あめつち
つくられてあらたに、
俟つありき、何ごとかの
いつの動き。

どとと射つ我か、彼か、
このたまゆら、
勝つ者の正しき狙ひ
神のみぞ知ろしめすらむ。

熟眠


かげはありおほき戦車、
据われり休らひのあひだ、
道のべ、
響なす蒼蠅さばへのみ
たかたかる。

ねぶたし、ただ
疲れはてて、
空も無し、仇も無し、
いくさ小止をやみ。

命なり、張り満つる
五日いつか六日むいか
も無し、朝も無し、
飲まず、食はず。

我射ちぬ、彼射ちぬ、
しかも大暑、
何ごとのしらすぞとも
知らず、射ちぬ。

強しとも弱しとも
誰かかむ。
ねぶたし、ただにまぶた
重く垂り

もぐりて、深くもぐりて、
兵なり、我ら、ねむる。
戦車よ、鉄の戦車、
しばしを、
ああ、しばしを光蔽へ。

ねぶたし、
ただに眠ると、
何も無し、我も無し、
ひた土にぬか押しあて。

真昼ぞ、ただむなしき。
ゑたりや、饑うるともいざ、
生きむとも死なむとも
将た思はず。

ねぶたし、ただねぶくて
早やらずいくさも、弾丸たまも、
ねぶたし、眠らしめて
つかのま母の声聴かしめ。

突撃


突撃、
突撃するもの、
突くなり、突きまくり、
ひた刺し、刺しつらぬき、
銃床逆手さかでもろに
飛び入り、はたきのめし、
はたくや、たたき斃す、
これのみ、ただこれのみ。

突撃、
突撃するもの、
ひたぶる、ひたぶるなり、
生死しやうし無し、よこしま無し、
戦ひ、戦ひれ、
突き刺し、たたき斃し、
声のみ、息あるのみ、
我あり、跳ぶあるのみ。

突撃、
突撃する時、
ただ見る、命ある、醜き、
顔ゆがめ、まなこひらき、
恐れに、きもへし消え、
わななき、わななくもの。
敵なりや、彼なりや、
将た知らず、
斃れに、ただ斃れぬ。
響きて、ひと斃れぬ。
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清明古調



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白須賀


遠州浜名郡白須賀

白須賀は昔の宿しゆく
ただ白し、ものさびて、
そのしとみ、はひり戸、
なべてみな同じ障子。

ただわびし、軒竝のきなみ
同じ型、
出で、はひる人すらや、
同じ影。

音も無し、なにひとつ、
埃づくものも無し。
草屋のみ、
弱き日のあたりたる。

いづこぞ遠江灘、
潮見坂ほどちかくて、
薄ら曇る低き空を
風も来ず。

冬ながら、そのたむろ
ほのなごむ家がまへ、
ここ過ぎて、きびしとも、
おもほえず、寒しとも。

白須賀は旧街道、
朱の鶏冠とさかふりたてて
軍鶏しやもれども。
そは暮のひとあかりのみ。

三宝寺池


しづけさよ、三宝寺池、
桜咲き、
桜の枝に
人居りて釣竿垂れぬ。

しづけさよ、三宝寺池、
石神井しやくじゐや、
鉾杉ほこすぎむら、
影は沈む、緑青の水のおもて

しづけさよ、三宝寺池、
けし日ざしに
枯れ枯れの葦、
片明る菱、浮萍うきぐさ

しづけさよ、三宝寺池、
かづどり、かいつぶりの
よく響きて、
ともすれば連れ走る、頭のみぞ。

しづけさよ、三宝寺池、
雲は行き、
春は雲間に
なにとなくまだなごみぬ。

真夏


真夏まなつなり、
鉄塔のよき間隔かんかく
ちちと、ちちと、
飛びたわ
鳥。

子らよ、よ、
きあがる雲、
青萱あをがやと田の稲と
照りうつる
空。

真昼まひるなり、
街道のバスのほこり
スロープのさみどりに
開く※(「窗/心」、第3水準1-89-54)
ああ、八月。

唐辛子
花咲きて、
ほのぼのと
人と家、
炎天の野にひずみぬ。

神苑


明治神宮西参道

かすけさや、この日なかの
ふかき木のしづく。
開けよ、声を雉子きぎす
の霞に。

たふとさや、神苑の
光る橿若葉かしわかば
しづけさや、くろくる
こもごもの青と緑。

とどめじ、塵ひとつ、
玉の砂敷きならして、
清々すがすがし、参道の
うねるこみち、こを行かばや。

芝生や、緩るきなだり、
宝物殿、
白きはこもる夏の
花のえご、香の一本ひともと

よく観よ、にぎたま
吾が幼子をさなご
亀の子の揺る影を、
ひれ、さざなみ。

しづもれよ、昼間嵐ひるまあらし
うつつながら、
ほのぼのと雲は立ち、
神と人息吹いぶきかよふ。

西山荘


しづかだ、
幽かな谷ふところ、
何か野鳥が来て動かす
枯葉かれは雑木ざふき

よく晴れた
塵ひとつない空、
ぶかい庭、
まだ寒いその清明。

簡素だ、
飛び飛びの石、
萱の屋に衝き上げ門、
ここは西山荘せいざんさう

ほのかだ、
ひびわれた地膚ぢはだ
影が移る、古木こぼくの梅が、
咲くには早いその匂が。

ああ、さうして
音が徹る一つに、
あ、心字池、
大日本史の精神、その響が。

悠々たる老楽おいらく
いさぎよいたましひ
わたしは聴く、水の音に、
義公を、水戸の黄門。

雪朝


清明さやけさや、この雪、
ふりおける雪につみ、
木々につみ、
燈籠にしろくつみぬ。

神垣かみがきや、このあした、
石走いはばしる水の音の
うちひびき、
氷柱つららみな新なり、日の光に。

この雪に跡つくる、
兎なり、跳び跳びて。
すがしきは笹の芽
毛のにこもの、をさなし。

満ち満つかたじけなさ、
何事もかしこくて、
息づきぬ、
国のの山高きに。

神ながら、この道に
ああ我や言ふすべなし、
大皇子おほみこの生れまして
春まさに雲ぞあがる。

拍手かしはで
拍手かしはでぞ、ただ。

白樺


すがしきは雪に立つもの、
白樺の林よ、げに
しろき木肌こはだ
そは真処女まをとめ

かすけさよ、雪のたに
すぐち、ほそき幹の
雪よりも光帯びて。

日は曇り、しろき真昼、
声も無し、このかがやき、
風も無し、色ひといろ。

しづけさよ、興安嶺、
ひえびえとけむるこずゑ
鷹すらも一羽飛ばず。

何すとか、ここに住む
白系露西亜、
まづしきはきよらかに※(「窗/心」、第3水準1-89-54)ひらきて。

白夜はくやともほのあかる
空ひととき、
白樺の林よ、げに
光る神々かみがみ

竜胆


青淀の岩壁がんぺきをかく穿つもの、
みいづる滴りの淡水まみづとは誰か思はむ。

など知らむ、しばしばも吹き通ふ雲、
うはぬめるほそき根のありとあるすぢさぐるを。

末そよぐ蔦の葉や、わづかにもあかみ交ると、
み冬なり、石走いはばししたたりの、また雫くと。

目も澄むや、岩角いはかどや、よく開きて、
濃き藍の竜胆ぞ、よくえたる。

本栖湖


本栖湖もとすこのへうべうたる、
往き、消ゆる
薄墨の雲に、
しろがねのいぶしして。

たださへやかすけきに、
懸巣啼きて、
雨はこもる木のま、
不二の裏べ。

山のの畏こさよ、
月円く
現れて、
また白し、隈だちつつ。

きたるのみ、がふのみ、
雲しばしば、
らひつつ、動きつつ、
さやけく。

神はすや、この暁、
ああ、波皺なみしわ
風を思ふ姫鱒は水に棲みて、
また沈みぬ。
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煙霞余情



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丸彫


丸彫まるぼりに我をる。
この眼のやいば

丸彫まるぼりのこの木彫
細かくも、に荒くも。

丸彫まるぼりのこのもしさ
我彫らむ、みづからを皆。

丸彫まるぼりのてづつなさ、
触れつつも、この己れ。

丸彫まるぼりよ、息つめて、
息かけて、いとほしと。

丸彫まるぼりのうるはしさ、
こを見よと我思ふ。

丸彫まるぼりきざむもの、
我ならず、何かある。

丸彫まるぼりりあげて、
その白き手に献げまし。

微笑


微笑ほほゑみはそよ風、
かぎりなくはてなきもの、
奥ふかきみづうみのさざなみ。

微笑ほほゑみたたへ、
おのづからにのぼるもの、
声無くして調しらべある声。

微笑ほほゑみあかるくして
つつましくたまつつむきぬ
※(「火+(麈−鹿)」、第3水準1-87-40)きこめぬ、そのまごころ。

微笑ほほゑみのやさしさは
めぐうへかかる愛。
つねめてつねちぬ。

微笑ほほゑみたもてよ、
しづかなるの母、
昼ながら※(「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26)らうたき月、
ありなしの雲さながら。

微笑ほほゑみはそよ風、
かぎりなくはてなきもの、
ただにあれ、影なき眉
かがやきは君にあらむ。

日なた


風に思ふ、
微風そよかぜよ、
かくのごとしづかなる日ざしありやと。

菊のはな匂ふ日なた
なにか遊ぶ女童めわらは
振りかへるに。

おもほえね時の移り、
むなしとも、はやしとも、
ただなごむを。

女童めわらはは遊ぶのみ、
さだめなき秋の日の
それぞとも眼に見えねば。

しばらくは事もなし、
蜻蛉羽あきつばのゆきかひの
時ひかる道しるべ石。

風にそよぐ
のいろや、
月のごとをりふしを遠く行きぬ。

道の手


ふるさとや、わが母の
この山の手、
昔見しさながらを
ただしづかに。

けたり櫨若葉はじわかば
池も見えて、
壁赤き山のいへ
ひとつふたつ。

築石や、棚畑や、
ふかき昼を
日の照り、
時うつる、この片岨かたそば

影はあり、独
よきわらはべ
おもざし、我かとも、
いま見上げつ。

鷽鳥うそどりよいづくにか
鳴き、くくみて、
色、匂、さまわかず、
風なるか、空なるかも。

北のせき、南のせき
この道の手、
我は見る、我が昨日きのふ
をさなごころ。

水の上


気色けしきのみ、
風にのみ
ことづてむ、
この匂を。

水の
ふる雨の
しばしばも
輪にちつつ。

旅やどり
すべなしや、
※(「窗/心」、第3水準1-89-54)に見て
日をおくれば。

ほのぼのと
咲く花の
よきあふち
夏となりぬる。

こさめひたき


色はあり、声にのみ、
こさめひたき、
雫のみこまかなる
この朝あけ。

花はあり、影にのみ、
ひとりしづか、
のみ寂びたもつ
杉よ檜。

巣はかかる、高くのみ、
ウメノキゴケ、
気色けしきのみ、母鳥おやどり
姿、ぶり。

うつつあり、しろくのみ
濡るる光、
卵のみ、おそらくは
四つかいつつ。

色はあり、声にのみ、
こさめひたき、
雫よ雫よと、
ただ幽かに。

月に寄せて


言問こととはむ、
鉄塔の上にまどかなる月読つきよみの神、
二三ふたみすぢ細み引くあかねの雲。

刈りしほと麦は刈りぬ。
昼貌のほめきも過ぎぬ。

いざ挙げむ琥珀のグラス、
時惜むゆふひぐらし。
影のみの紫ながら
野に色む靄もあるなり。

むなしきは
むなしきは酒のみかは、
影のみの色もあるなり。

晩冬の詩情


晩冬の月に思ふ遊子は
いさぎよく酒盃を噛む。
凛烈たる霜、
霜は湖畔の鉄塔を噛む。
灰銀くわいぎんの煙突を噛む。
鴨だ、光つてかづ
青首鴨あをくびは葦かびを噛む。
ああ。轣轆とこいしは噛む、
車だ、唐辛子を積む車だ、
犬よ、その真紅しんくのこぼれを噛め。
春だ、すぐ、
こごえて酒盃を噛む。

台南旅情


ものさや、老酒ラオチウや、
瓜子クエチイはとり食めども、
にほひなし、昼はまだ
彩燈の切子硝子。

あだなりや、
雲に行く日のまぼろし、
ゆゑわかず、うつつなし、
女童めわらべは言問へども。

梅雨つゆぐもり
影にのみ、※(「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26)たけて、
低くのみ
烏秋アアチウの飛びたわむと。

濡れがちや、
朱のびや、
むね碾瓦いしがはら
赤嵌楼せきかんろう

瓜子クエチイ瓜子クエチイは眼の下のちひ黒子ほくろ
歯にあてつつ、
歯にあてつつ、
おろかしく美しく時は過ぎぬ。
註。瓜子(西瓜のたね) 烏秋(台湾烏)
  赤嵌楼(蘭人の所謂プロヒレンチヤ城なり)

蕃童


蕃童は※(「鬼」の「丿/田」に代えて「義−我」、第3水準1-90-28)キヨンを射る。

蕃童は弓矢ばさみ、
蕃刀を玉と取りく。

蕃童は母をうしろに、
敢て立つ、岩根蹴放けはなつ。

蕃童は朱砂すさをよろしと、
風向かざむかふ草をよろしと。

蕃童は※(「鬼」の「丿/田」に代えて「義−我」、第3水準1-90-28)キヨンを射る、
竜眼のぐれうかがふ。
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長唄 元寇



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長唄 元寇


第一段

てんに連る玄界の
際涯はたてはいづく壱岐対馬、
夕浪千鳥群れかへる
あま小舟をぶねのそれならで、
山かと高き兵船へうせん
満々と張る真帆の数、
やぐらむる石火矢に
軍皷の調しらべ旌旗せいきとどよもし、
舳艫相ぐ九百余艘、
入日に染まる船脚ふなあし
とどろと洗ふしほの手を、
しや、ひた押しの陣がまへ
松浦まつらさしてぞ押し寄せたる。

第二段

雲の峯
涌くや渚のさきさきに
駅馬えきばしきりに嘶けば、
驚破すはこそ夷敵来襲と
上下じやうげひとしく色を失ひ、
また風騒ぐやつの松、
今に知る法華経の行者日蓮が諷諫ふうかん
まさしく、他国
侵逼しんぴつなんとは之なんめり。

第三段

抑々蒙古ときこゆるは
草莽さうまうにして胡沙こさを馳駆し、
万里北に蔓つて
いきほひ漢土に臨むや、
金をほろぼし、宋を傾け、
余威高麗に及んでは
しばしば本朝をもうかがふ。
世界呑吐のげんの野望
敢て挫かん鉄石の、
この人ありや執権時宗、
観ずれば明鏡止水のごとく、
断じては山河ことごとく震ふとかや。
曳くやたつの口、
さえは一刀、
死者の素頭すかうべ刎ねざまに
大喝してぞ立つたるは、
げにおそろしき国つきも
由々しくもまた勇ましし。

第四段

星月夜、
鎌倉山のほのぼのに
早や駈け向ふ東国勢を待たばこそ、
今を危急の国難とて、
すなはちこぞる鎮西は、
探題太宰ノ少弐、
菊池、大友、
島津、竹崎の将兵を初めとして、
所在の土豪、
庶民、婦女子に至るまで、
必定ひつぢやうは公武一ぐわん
老も若きも、
恥あらば、
死ねや死ねとぞ、
有り合ふ鎧、物の具引きかけ、引き締め、
えいやえい、
えいおう、
おうおうえいや、
えいえいえい、
弓馬きゆうば刀杖たうぢやうとりどりに
我も我もと馳せ集る。

第五段

日の本は
一天万乗の大君にましまして、
我が御代を
かかる乱れのあさましや、
神に御願ごぐわんをかけまくも、
忝くもおんいのち召させたまはむ、
代らめと
歎かせたまふ畏こさよ。
朝潔あさぎよめ
五十鈴いすずの川の御手洗水みたらしや、
ぬさ手向たむけの男山、
勅使下向げかうと聞くからに
御陵ごりやうの杉の昼けて
日の色添ふる蝉しぐれ、
護摩の煙のしまらくも
籠り絶えせぬ寺々山々、
いづれは異国調伏てうぶくの、
はららはららと大般若心経だいはんにやしんぎやう
物々しくぞ奉る。

第六段

敵は名に負ふ大陸の
銅羅のかけひき、騎乗きじやうの功者。
しや火遁くわとんの術ありとも
我に鍛への太刀剣、
香取鹿嶋の神代より
正大せいだいここにあつまれば
やはかゆるがむ此のそなへ
照覧あれや皇天くわうてん皇土くわうど
海行かば水漬く屍、
山行かば草むす屍、
また顧みぬ防人さきもり
昔ながらの雄たけびや。
水城みづき、博多は多多良が浜の防塁、
別しては箱崎の宮の大前、
一歩も上げじ許すなと、
獅子奮迅に射放ち落せば、
波をくぐつて軽舸けいかの面々、
漕ぎ寄せ、漕ぎ寄せ、
日本国につぽんこくは四国の住人河野ノ通有みちあり
いで物見せん、夷原えびすばら
月は弓張る幸先さいさきに、
倒すほばしら渡りに船と
乗りかけ、つけ入り、斬り込んだり。

第七段

頃しも弘安四年、うるふ七月ふづき朔日ついたち
ああら不思議や、
きやうにては
晴れに晴れたる夏空に
一朶の黒雲神立かむたち現れ、
白羽はいだる鏑矢の
見る見る輝き鳴動して、
たちまち西へと飛び去りける。
それかあらぬか志賀の嶋、
海の中道、灘かけて、
俄に起る一夜の颶風ぐふう
あやめもわかぬ暗闇くらやみ
裂けてつんざく稲妻や、
滝なす雨は百雷ひやくらい
音と轟く物凄さ。
あがるはてんの竜巻と
逆巻きおらぶ狂瀾怒濤、
頼め頼めの錨も何の
船は木の葉の漂ふごとく、
ちやりやきりり、
きりやきりり、
ちやりやきりり、
きりやきりり、
ちぎるる鎖、命の友綱、
舷々げんげん相うちついえて、
さしもの元賊げんぞく十万、
あはれや千尋せんじんの底の藻屑となりをはんぬ。
これぞ神風かみかぜ
ちよくをして
祈るしるしの神風に、
寄せくる波ぞ
かつ砕けつる。
寄せくる波ぞ
かつ砕けつる。
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制作年表



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制作年表


昭和五年
 十三時半の風景

昭和六年
 路傍にねむる      跳躍

昭和七年
 三宝寺池        真夏
 建速須佐之男命     丸彫

昭和八年
 晩冬詩情        竜胆
 本栖湖         月に寄せて
 白須賀         神苑
 雪暁

昭和九年
 雪朝          道の手
 水の上         こさめひたき
 台南旅情        蕃童
 日なた

昭和十年
 西山荘         微笑
 白樺

昭和十一年
 暁天

昭和十二年
 狙ひ          熟眠
 突撃

昭和十三年
 種子

昭和十四年
 長唄 元寇       海道東征
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巻末記



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巻末記


 此の詩集『新頌』は些か皇紀二千六百年記念として上梓するものである。
 収むるところ、三十一篇、その数は至つて尠い。ただ重要作としての長篇三品があつて幾分の量を加へてゐる。長唄「元寇」は別として、詩は前集『海豹と雲』(昭和四年版)以後の作品の中、その精神と詩風に於て、ほぼ同型のものを選んでここに蒐めた。
 一に貫通するところのものは日本精神であり、整律するところのものは万葉以前の古調に庶幾く、概ね四音五音六音の連鎖である。この傾向はもともと、『海豹と雲』の「古代新頌」その他に因を発し、今日に及んでゐる。私の最近の主流を成すものである。私としての蒼古調である。
 思ふに、古人の胆を掴むにはその感動律を奪ふに如くはない。蒼古に溯つて之を求めようとした真意はここにある。
 かくしてここに収めた諸作品は概ね同種同律のものであつて、之は編纂の主意が単一と整斉に存するからである。
 この詩風以外の、短詩短唱、或は小曲風のものはまた別冊として編輯の上刊行する予定である。近代風の詩作品もまたここには割愛した。でこの蒼古調は私の詩風のすべてを示すものではないのであるから、右は諒承せられたい。
 さて、ここに本集収録の作品に就いて、章を別つて、少しく解説して置く。

海道東征

 この交声曲詩篇は、皇紀二千六百年奉讃の芸能祭に際し、日本文化中央聯盟の嘱に依り特に作詩したものであつて、信時潔氏之を作曲し、今秋、上演の予定である。なほ、この交声曲は、今度の国家的祝典に際しその公式のものとして選定、東京音楽学校に於て発表、畏くも 皇后陛下の行啓を仰ぐ筈になつてゐる。
 作詩に就いては、眼疾最悪の時に当り、ほとほと難渋した。読みも書きもならない状態にあつたのである。で、古事記日本書紀等のそれらの資料は、妻や娘に、習字帖大に筆写してもらつた。無論大方は読ませて聴いた。作も口述が主であつた。機構が稍々大きく、歌ふものとしての整斉を節々句々或は字脚、アクセントの上に必要とし、相当に複雑してゐるので、眼を瞑つてただ心頭に案配し調律することは容易でなかつた。
 さて、この「海道東征」はもともと 神武天皇讃歌として日向御進発より橿原の宮に於ける御即位に至る迄の結構を初念としたが、創作中、白肩ノ津御上陸に筆が及ぶ頃は既に制限された紙数を費して了つた。実演に要する予定の時間をも超過することになり、全体の三分の一に達せずしてうち切るの止むなきに至つた。で、早めながら、天業恢弘の一章を以て、一応の締めくくりをつけた。何れは之を前篇として、中篇後篇を成すべきであり、三部作として完うしたい考であるが、今は之を独立した一篇のものとして置く。
 なほ、かうした交声曲詩篇の創作は、自身にとつて最初のものであり、日本に於て、その範例を見ることを得なかつたので、眼が見えぬ上に、全くの暗中模索であつた。しかしどうにか口述を了つてみると、更に進んでこの形式に向ふ気組もできて来たやうである。

建速須佐之男命

 昭和七年盛夏、自分達の季刊誌『新詩論』の創刊に際し、油然たる感興を得て書き下した。この「建速須佐之男命」はこの「枯山の巻」に続いて、「参上りの巻」「宇気比の巻」「出雲の巻」を纏める筈であつたが、偶々その発表誌を喪つた為め、中絶して了つた。
 主として古語古調を用ゐたのは、古事記以来の古語を自己の薬籠中に一応の整理を為て置きたかつたのである。生かすだけは自分のものとして生かすべきだと思つたのである。のみならず、品詞の古語の使用が頻出する為の調和の上からも考へられたのであつた。自由詩形としたのは、曩に謂ふところの古人の感動律を掴むに最も適切と信ずる表現を欲したからである。なほ思ふところがあつて、この篇には漢語を一語をも使用しなかつた。
 内容の本筋は古事記に依拠し、日本書紀とその異本とを参酌した。構成に就いては、自己の解釈を以てし、更に近代の感覚と文化史的想像とを以てした。須佐之男命に就いての私の解釈は私としての見解である。私は彼の命を必しも暴悪神として居らぬ。童心ある勇猛の、極めて男性的な英雄神とし、また偉大なる、最も人間らしい神として考へてゐる。
 なほ、私は何れは古事記を近代人の知性と感覚とを以て、改めて解釈しなほさうと考へてゐる。さうして之を詩に移入したくひそかに希つてゐる。で、この一篇は之等の片鱗に過ぎない。

大陸序曲

 事大陸に関したものを主として蒐めた。私が満洲に遊んだのは、その事変前であつたが、何となく風雲の穏かならぬものが感じられた。「跳躍」の中には何か来るべきものの跫音が示唆されてゐる。
「種子」の一篇は、交声曲「大陸」の序曲となるべきものである。
 今次の事変に於ける作詩は未だ極めて尠い。恰も眼疾に罹り、その機を失つた。他日の集成を期したい。

清明古調

 清明心を以て直入しようとした自然景情の幾篇であつた。中には依頼された雑誌の向によつて、多少平易な表現を用ゐた作もある。但し、之等の古調は私のものである。

煙霞余情

 余情のみ、ただ幽かな煙霞。

長唄 元寇

 この長唄「元寇」は皇紀二千六百年祝典に際し、かの「海道東征」と同じく日本文化中央聯盟の嘱により作歌した。長唄としては私の処女作である。作曲は稀音家浄観翁の手に成る。
 内容に就いて云へば、元寇といふ一大国難に於ける日本精神の顕現を骨子とした。所謂公武一丸となつて神洲を守護し、外敵にあたる。而も上御一人をはじめ奉り、下は庶民に至るまで正しく挙国一致の体勢のもとに、国体の尊厳と、皇道の大本、然してまた日本武士道の精華とを表現しようとした。世にいふ神風もさることながら、尽すべきことを尽して蒙古勢を撃破し得た執権時宗の胆と、皇軍の忠勇無比とがこの篇の眼目となるのである。この長唄は本年四月二十六日、歌舞伎座に於て公演せられた。各流家元をはじめ長唄界総動員の豪華演奏で、空前の盛事であつた。因みにその夜の出演者は左の通りである。

作曲  稀音家 浄観
作調  福原  百之助
作調  望月  太左吉

第一段 第二段 第三段
    杵屋  六左衛門    杵屋  佐吉    笛  梅屋  竹次
  長 杵屋  藤吉    三 杵屋  佐次郎   小皷 福原  百之助
    中村  六松次   味 杵屋  佐三郎   小皷 福原  春之助
  唄 杵屋  六真次   線 杵屋  勝吉治   大皷 梅屋  左十郎
    杵屋  勝五郎     杵屋  太十郎   太鼓 梅屋  金太郎

第四段 第五段
    吉住  小三郎     稀音家 浄観    笛  望月  長之助
  長 吉住  小太郎   三 稀音家 三郎治   笛  住田  又三郎
    吉住  小七郎     稀音家 六四郎   小皷 望月  左吉
    吉住  小文郎   味 稀音家 四郎助   小皷 望月  吉三郎
    吉住  小桃圃     稀音家 四郎吉   大皷 望月  吉之助
  唄 吉住  小鉱次   線 稀音家 四郎太郎  太鼓 望月  長四郎
    吉住  小五郎     稀音家 八郎    太鼓 望月  寿蔵

第六段
    吉住  小四郎     稀音家 和三郎   笛  望月  長之助
  長 吉住  小桃次   三 稀音家 六四郎   笛  住田  又三郎
    吉住  小真次     稀音家 五郎    小皷 望月  左吉
    吉住  小兵衛   味 稀音家 六郎    小皷 望月  吉三郎
    吉住  小吉郎     稀音家 和三助   大皷 望月  吉之助
  唄 吉住  小伝次   線 稀音家 三郎    太鼓 望月  長四郎
    吉住  小三八     稀音家 和喜次郎  太鼓 望月  寿蔵

第七段
                             稀音家 六四郎
                             稀音家 六郎治
                             稀音家 八郎
                吉住  小真次      稀音家 四郎助
                吉住  小七郎      稀音家 四郎吉
                吉住  小源次      稀音家 四郎太郎
                吉住  小五郎      稀音家 和喜次郎
                吉住  小伝次    三 稀音家 四郎雄
    吉住  小三郎   長 吉住  小平次      稀音家 五郎
  長 吉住  小三蔵     吉住  小吉郎      稀音家 六郎
    吉住  小四郎     吉住  小郁郎    味 稀音家 和三助
  唄 吉住  小桃次     吉住  小兵衛      稀音家 三郎
    吉住  小太郎     吉住  小文郎      稀音家 四郎兵衛
                吉住  小桃圃    線 稀音家 六八郎
  長 松永  和風      吉住  小敞次      稀音家 和桃次
  唄 杵屋  六左衛門    吉住  小鉱次      稀音家 四郎滋
                吉住  小靖次      稀音家 和三次郎
    稀音家 浄観      吉住  小健次      稀音家 四郎作
  三 杵屋  勝太郎     吉住  小都蔵      稀音家 四郎一
  味 稀音家 和三郎     吉住  小喜蔵      稀音家 六吉次
  線 杵屋  佐吉      吉住  小雅次      稀音家 六一郎
    杵屋  栄蔵    唄 吉住  小寛次      稀音家 政次郎
                吉住  小紀彦
                吉住  小喜雄   笛  望月  長之助
                吉住  小英次   笛  住田  又三郎
                吉住  小与作   小皷 望月  左吉
                吉住  小三八   小皷 望月  吉三郎
                          大皷 望月  吉之助
                          太鼓 望月  長四郎
                          太鼓 望月  寿蔵

制作年表について

 制作年表は簡単にした。詳しい創作及び発表目録は、各年の白秋年纂『全貌』に採録してあるゆゑ、参照していただきたい。この期間は短歌の創作に没頭した為に、詩作は極めて尠かつた。

以上。

昭和十五年九月
阿佐ヶ谷白秋居にて
著者識





底本:「白秋全集 5」岩波書店
   1986(昭和61)年9月5日発行
底本の親本:「新頌」八雲書林
   1940(昭和15)年10月15日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※底本には底本の親本の「表紙」「本扉」の写真、「中扉」の「詩集 皇紀二千六百年記念」、「中扉裏」の「八雲書林刊」が冒頭にありますが省きました。
入力:岡村和彦
校正:川山隆
2011年2月11日作成
2011年12月6日修正
青空文庫作成ファイル:
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●表記について

「くさかんむり/歛」、U+861D    342-2


●図書カード