一
パナマの運河といへば、だれにもおわかりのとほり、南北アメリカのまん中の、一とうせまい、約五十マイルの地峡をきりひらいて、どんな大きな軍艦でもとほれるやうにこしらへたほりわりです。これは今から十五年まへに出来上つたのですが、最初アメリカ合衆国政府が、パナマ共和国に同意させて、あのほりわりをひらく計画をたてたのは五十年もまへのことで、かねてスヱズの運河を作り上げた、ドゥ・ルッセといふフランス人の技師をやとつて着手させたのでした。
ルッセははじめ千名の工夫をつかつて工事にかゝりましたが、もと/\この地方一たいは、マラリアだの
これらの病気は、すべて熱帯地方には、ひろくはやつてゐたもので、そのもとは、あとでお話しするやうに、蚊が病菌を人間へうつしつたへるからなのですが、五十年前にはこのことがまだ発見されなかつたので、多くの人々が方々でむだ
そのころ西インド諸島のスペイン領では、
中でもパナマ地方は、雨の多いところなので、沼や流れが多い上に、大木の森林がひろがりつゞいてをり、草なぞも、おそろしくのびしげるのでもつて、いたるところにくさり水がたまるので、蚊のゐることゝ言つたら、たいへんなものでした。そんなわけですから、運河の大西洋口の起点の近くにあるコロンといふ町について言つても、そのころ人口一万ぐらゐだつたその町に、墓の数が十五万もあつたのですからおどろきます。
マラリアは、むかしイタリヤでもひどくはやつたもので、あの強大なローマ帝国がほろびたのも一つはこの病気が多くの人を殺したからだと言はれてゐます。マラリアは蚊が媒介するのだといふことは、すでに千四百年もまへに何かの本に出てゐるとも言ひ、少くとも今から七十三年前に、早くそれを主張した医者がゐたのですが、だれもそれを信用せず、方々の流行地では、ともかく、人間から人間へうつるのだといふので、病人の着てゐたものや、もちものをはじめ、船に患者が出ると積み荷をまですつかり海へなげすてたといひますから、その損害だけでも、どれだけに上つてゐるか計箪も出来ないでせう。パナマ地方で、工夫についてゐたフランス人の医者たちは、黄色熱の患者たちの寝台へ、虫なぞがはひ
二
このおそろしいマラリアの病原菌はアノフェレスといふ一種の蚊がつたへるのだとわかつたのは今から二十七八年まへのことで、インドの英国軍隊についてゐたロナルド・ロッスといふ軍医少佐が発見したのです。アノフェレスは、ハマダラ蚊ともよばれ、羽根に黒いまだらがたくさんあつてとまるのにも、普通の蚊がおしりを下につけるのと反対に、おしりを上げてとまりますからすぐ区別がつきます。この蚊のめすは、とくに長いくちばしをもつてゐます。すべて蚊は人間の血をすふのはめすだけで、をすは人間にとまつても血はすひません。
マラリアの病原菌は
ところが、ふしぎなことに、たま/\この発見が報告されたぢきあとで、
リード氏は四五人の同僚と一しよに、病気の調査にキュバへ出張してゐたのですが、その中の一人のラヂーアといふ人は、その島でなくなりました。そこでリード氏は、じぶんたちの研究をつゞけてゐる建物に、ラヂーア
リード氏は、ステゴミイアが黄色熱を媒介するといふことを
「
三
で、お話は運河にかへりますが、アメリカ政府はフランスの技師が失敗したあと、最後に自国のゴーガスといふ大佐を総指揮者に任命し、はじめに、三万人の従業者をつのり、ついで四万人を増し、しまひには五万人もふやして、開さくにあたらせました。ゴーガス大佐は、もと/\医者出の人でしたので、今言つたロッス少佐やリード氏の発見からをしへられた以上、もう、こんどは根本に工夫たちの中からマラリアや黄熱病の患者は一人も出さない計画をたてました。つまり同地方からすべての蚊を一ぴきのこさずほろぼしつくせば、いふことはないのです。
運河の工事の全線は四十八マイルですが、大佐はその両側面五マイルづゝ、つまり長さ四十八マイル幅十マイルの地帯、面積にして四百八十平方マイルの地域内の、あらゆるくさつた水たまりやどぶを干しかわかし、湖水のたまり水をどん/\海にはかし、流しほせない沼なぞには、どつさり石油を流しこんで蚊の発生をふせぎにかゝりました。いふまでもなく、蚊はきたない水の中に卵をうむのです。石油を流すと、それが卵からかへつた幼虫の呼吸器の中にはいり、いきがつまつて死んでしまふわけです。
リード氏はこの大地帯の中に工夫たちのかたまつてゐる村を四十か所に作りました。そして、そのすべての家々には、窓へすつかり金網を張らせ、水のはいつてゐるものには一々ふたをさせました。それから工夫たちをはこぶ列車にもこと/″\く金網をはらせました。それと同時に、各村ごとに健康診断をしてまはる医者隊、こはれた窓や金網のやぶれをなほしてあるく隊、たまり水へ石油をまく隊、水たまりを干しさらへる隊、家々へ石油をくばる隊といふふうに、何百人といふ人数をはいぞくさせて、たえ間もなくはたらかせ、列車ごとに、かならず病院車をつけなぞして、患者はすぐ隔離するといふ組織にし、一方、全従業員に一さい酒類を飲ませないことにして、健康と勤勉の率を上げ、ぐん/\水路をほりひらかせました。
最初のフランス人ルッセは水路面を海面と同じ高さでとほす設計をしてゐたのですが、それはチャグレスなぞといふ河々の水があふれ出すのを勘定に入れなかつたからでした。ゴーガス大佐は、その河々の水を引いて幅五百フイート、長さ七マイル、海面から八十五フイートある水路を作り、下の方へ三区劃の水門をこしらへて、船がその中へはいると、水をふやして、つぎのたかい水面へおくりこむといふ仕組みにして、たかい水路をもらく/\と通過させることに成功しました。
全工事に動いてゐる機関車が五百台、