退屈男の第五話に見えるぐずり松平の事実は、隠れたる逸事として徳川三百年中東海道に鳴りひびいた秘話中の秘話です。十七代連綿として相つづき、その最後の第十七代松平上野介忠敏(まつだいらこうずけのすけただとし)こそは、幕末剣客中の尤物(ゆうぶつ)で、神田講武所の師範代を長らく勤め、かの清川八郎なぞと共に、新徴組を組織して、その副隊長に擬せられた一代の風雲児です。ぐずり御免のお墨付と共に、家光公より拝領の名笛が維新後赤坂辺に逼息(ひっそく)していられたその後裔(こうえい)に伝えられていたという話ですが、今どこへいったか、現存すれば博物館ものでしょう。
●表記について
本文中の※は、底本では次のような漢字(JIS外字)が使われている。
朱塗り造りの曲※(きょくろく)に、 曲※(きょくろく)の上からその品々を見るような あの曲※(きょくろく)にいとも気高く腰打ちかけながら、 御前のその御曲※(おきょくろく)、 打ったる曲※を川岸に運ばせて、 |
![]() 第3水準1-84-27 |
※々(そうそう)に土下座さっしゃい |
![]() 第3水準1-14-76 |