醉ひたる商人

水野仙子




        一

 東北のある小さな一町民なる綿屋幸吉は、今朝起きぬけに例の郡男爵から迎への手紙を受け取つたのであつた。それはいつものやうに停車場近くの青巒亭といふ料理屋からの使であつた。幸吉はこの朝早々の招待を、迷惑に思はないでもなかつたけれど、酒の味も滿更厭ではなかつたし、それに男爵から迎へられるといふ事が内心ひどく得意でもあつた。それですぐに參上致しますと口上で使をかへしてから、小僧を督して暖簾を掛けたり、品物を街路から目につくやうに並べたりして店附を整へた。それから出來たての味噌汁で舌を燒きながら急いで朝飯をすました。彼はさて出かけようとして店先を二三間離れながら、いつものやうに一二度はそれからそれからと胸に浮んで來る用事のために帳場に引き返した。
 十一時頃に、幸吉は非常な上機嫌で町はづれの停車場から町の方へと歩いてゐた。男爵は、昨日仙臺に行く途中ふとこの町に泊らうといふ氣になつて降りたのだといつて、どてら姿で薄い髮の毛に櫛の齒を入れてゐるところであつた。それからすぐに朝飯ぬきの酒がはじまつた。格別用事といふ程のものがあるのでもなかつた。たゞ仙臺ではじめようかと思つてゐるある事業に就て、幸吉に意見をきいてゐた。つつましく酒の對手をしながら、幸吉はその話をあまり眞に受けては聞かなかつた。たゞ大體に於てそんなものはなるべく手を出すものではないといふやうな忠言をほのめかした。男爵は酒が強かつた。そして盃が重なれば重なる程腰が坐つて來て、なに仙臺に行くのはあながち今日でなくともよいと言ひ出しさうだつたのを、幸吉はうまい工合に抑へて、たうとう十時幾らかの汽車で閣下を立たせてしまつたのであつた。
 少し飮み足りない位の程度の酒が、幸吉を非常に輕やかな愉快な氣持にしてゐた。男爵が自分如き者のいふなりになつたのも愉快だつたし、又無茶な金を使はせずに(青巒亭は旅館ではあるけれもまた料理屋兼藝妓屋でもあつた)立たせてやつたといふ事が、大變いゝ事をしたやうな豪い氣持がするのであつた。
 木綿縞の羽織を着た彼の外出姿は、(この地方の商人は大抵一家の主人でも、ふだんは羽織などを着てゐない)、持前の猫背を如何にもまめまめしく見せ、その丸い背中は、兩手を腰のあたりまで下げてするお時儀の形にちようど恰好の取れるものであつた。彼は元氣な聲で、途で行き合つた知人や知合の店先やに挨拶を交して通つた。そんな時に、彼の顏は赤かつたにも拘らず、少しも醉つてゐるやうな氣振は見せなかつた。この明るいまつ晝間、めでたい祝儀にでも招ばれた譯でないのに、晝日中醉うて歩いてゐるさまを人に見られるなどは、常々の自分の勤勉に味噌をつけるものだと彼は固く信じてゐた。どんな場合にも醉うて醉はぬ本性が大事である、どんなにぐるりが目茶苦茶に面白く愉快に思へる時でも、本心はぴたりと坐つてゐて、うつかり人に冒されるやうな事があつてはならない、さう彼は豫々から思つて用心をしてゐる。その癖彼位すぐに醉つぱらつたさまをするのに巧な者はなかつた。常々頭の上らない人に向つて少し勝手な事を言つて見たいとか、それとなく日頃の不平を鬱散させたいとか思ふ時には、彼は前後の見境もなく醉うたやうなさまをしてそれをやるのである。その時言つた事や爲た事に對するすべての責任を、十分酒のせいにしてしまふ事が出來るといふ自信があるので、彼は隨分思ひ切つて氣を吐く事がある。一年に一度か二度のさういふ機會は、絶えず如才なく人の前に自分を屈し、いかなる場合にも自分の利害に就いて拔目なく氣を配つてゐる彼の緊張した日常生活に取つては、實に生命の洗濯のやうなものであつた。
 彼はやはり父親ゆづりで酒が好きなのであつた。けれども父親の飮めばきつと暴れるといふ惡い癖に子供の時からこりごりさせられ、又その爲に貧困のどん底を泳がせられた彼は、酒の惡癖を心から恐れいとはしいものに思ひ込んだがために、幸にも自分は決して酒に呑まれるやうなことはなかつた。
 子供の時から利口者の幸吉は、また感心に親孝行でもあつた。彼は十二位の少年時代から、黴毒で眼の潰れたやくざな父親と、二人の幼い弟達を抱へた母親とを養はなければならなかつた。彼は親戚から極めて僅な資本を貰つて、朝の暗いうちから天秤に下げた籠を擔いで近在の村々に出かけて行つた。それは棒手振と言つて、東京でいへば屑屋のやうな商賣であつた。さうしてその日の買入物を持つて歸つて來る頃には、いつも燈火が點々と町はづれの家並に光つてゐた。彼はまつすぐに問屋の前に荷を下して、それぞれの屑物を金に替へ、幾らかになつた儲を數へながら、自分を待つてゐる母親の方へと歸つて行くのであつた。そしてそれから米が買はれ、また父親のための晩酌が買はれるのであつた。
 さてどうやらかうやら其日の夕飯が濟されると、彼は小さな體の疲を休める間もなくすぐに板の間に蓆を敷いて、乏しい洋燈の光の下に胡坐を組みながら草鞋を作つた。かうして孜々として倦まない息子を前に置いて、初めはほくほくとつまらないお世辭などを言ひながら手酌をやつてゐた父親は、段々徳利の底が輕くなるに從つて不機嫌になり出し、果てはお極りの大平樂を並べ出す。
『これお豐、これ見ろ、このとほり……』と、彼は徳利を逆にして見せて、『おれは毎晩盃の數をはかつてちやんと知つてるんだぞ、今夜の酒は少いぞ、うむ、どうしても足りない、女郎ごまかしたな、さあ出せ、おかはりをつけろ、人う盲目だと思つていゝ加減にやツりやがるな……おれあ徳利を持つて見た工合でちやあんと分るんだ、ちやんあんと……なに? 一つたらしも酒なんてねえ? 無けりやあ買つて來い!』
 黒い眼鏡で盲ひた眼を隱した貧相な顏が、青味を帶びて嶮しくなり、母親がなだめればなだめる程ますます笠にかゝつて暴言を吐き散す。果ては徳利を逆手に握つて膳や茶碗を叩き出すので、こんな時に幸吉はいつも默つて立ち上り、膝の上の藁屑を拂ひ落しながら、父親の傍に近寄つてその肩を叩くのであつた。
『さあお父さ、今夜は我慢して寢ておくれ、おれがまた明日うんともうけて來て買つてやつかんなえ、さあ寢るんだ寢るんだ。』
 さうしてやをら父親の脇の下に肩を入れて、無理無理にお膳の前から[#「から」は底本では「かち」]引き離して寢床へ連れて行く。父親もさすがに、この感心な息子には逆らふ事が出來ないので、腹癒せにやたら母親を罵り散しながら往生するのであつた。
 幸吉はそれから又暫くの間、弟達の寢息を聞きながら、襤褸を繕ふ母親と默つて向ひ合せて夜なべに精を出すのであつた。乏しい中にも母親が、それだけは毎晩缺かさない佛壇の燈が、ぢぢと音をしてあはれに消える頃は、夜嵐ががたごとと戸を搖つて、寒い風が土間から吹き上げて來る……
 かうした心掛に立脚した、家運の挽回といふ常に止む事のない念は、みじめな目に遇ふ程煽りたてられ、艱難が烈しければ烈しい程強いものになつて、三十年の年月をまつ黒になつて燃えつゞけた。彼の弟達二人がまた、彼ほど敏活ではなかつたけれども、心を合せて自分達を泥沼のやうな貧困の中から拔き出すのに協力したので、今ではともかくも兄弟が一つづつの店を持つて、町の一流二流どこにはまだ遠く遠く及ばないにしても、その家族が多い事と、(弟達もそれぞれ嫁を迎へて、皆子福者であつた。それだのに彼はその長女に婿まで取つた。彼の方針は、飽迄も一家に働き手を殖す事にあるらしい。)兄弟揃つてなりふり構はず働く事とで、一寸藝あそびの一つもするのを伊達と心得てゐる町の壯丁仲間からは相手にされなかつたかはり、昔氣質の人達からは感心な若者達だと思はれて來た。
 近年になつて幸吉は、町の最も繁華な場所に家屋敷を買つて店を擴げた。それは四辻の角になつてゐる最も場所のいゝ所で、殊にはこまごまとした雜貨類の賑なところから、通りすがりにはいかにも隆盛な店のやうに見えるのであつた。彼はさう内輪のことに立ち入つて、知つてない餘所の取引先などには、無を有にして見せるだけの十分の手腕を持つてゐた。けれども彼は、まだどうしてなかなかこの位の所に滿足し安心しきつてゐるのではなかつた。なるほど昔にくらべたなら、それは世界が違ふ程の違であり、ひとり靜に斯くまでにして來た苦心を回想する時には、手の平をこすりたいやうな喜と、又それに伴つた血の涙とがあるけれど、嘗て彼の幼い魂にこびりついた反抗的な功利の念は、年と共にますます盛んになるばかりで、寢るにも起きるにも、食べるにも飮むにも、どうしたらば儲るか、どうしたらば金が溜るかと、そのことが常に念頭を離れないのである。その爲には彼はかなり手段を選ばない位にまで卑しくさへなつてゐる。つまり彼は、自分の商法が今の所虚勢で支へられてあるのをよく知つてゐるので、それを充實させて確實なものとする爲に、身を粉に碎いて財産を作る事に熱中してゐるのであつた。
 この休まる時のない神經を、彼も時にはゆるめて、過去から現在を、改めてずつと見渡し、それからまた前途を大觀したいやうな要求を自然に感ずる事があつた。そしてさういふ時の爲に彼は最も安全でしかも安價ですむ方法を一つ持つてゐた。それも彼の怜悧な本能が知らず識らずのうちに見付け出したもので、それは本家の綿屋の當主正兵衞と一所に一寸一口やりながら話す事であつた。
 本家綿屋の當主正兵衞は彼よりも四つ五つ年上の年輩で、まことにお人好な、酒は飮めぬ癖に一寸好きであるといふお誂向で、常にはお互に多少營業上競爭心は持つてゐても、それが彼に取つて適當した刺戟とはなつても、決して邪魔にならぬ程度のものなのであつた。幸吉は正兵衞のお人好なところに、また彼よりは確に曲つた事の嫌な堅い所に一目を置いてゐるけれども、そしてその爲にこそ彼が安心して、初めて自分をある程度にまで開放する事が出來るのであるけれども、目先がきく點とか、手腕があるとかいふ點については、彼は常に内心密に優越を感じてゐるのであつた。しかも如才のない彼は、自分達の何代か前かゞ、正兵衞の家の出であるといふ事と、本家綿屋の基礎には町の信用がある事とによつて、何事にまれ本家が本家がと立てゝゐるのであつた。
 正兵衞と差向でしやべることについては、彼は別に何等の警戒もいらないのを長い間の交際で知つてゐた。なぜなれば正兵衞は彼に決して背負投を喰はしたり、又は親密な言葉のうちに或事を謀つたりするやうな男では決してなかつたから。といつて正兵衞を除いたその他のあらゆる人達が皆油斷のならぬ人間では決してなかつたけれど、彼は自分の常に隙のない心構に比較して、是非人々をさう見なければならなかつたのだ。ところが正兵衞はいつもすぐ五六盃の酒に赤くなつて、何でも彼のいふ所に同感し、彼を勵し、そしてしまひには二人とも自分達が知らぬ間に善良になつた心をもつて大に友情を感じ合ふのであつた。
 元來酒好な幸吉は、はじめからそれを思ひ立つた時でなくとも、つい晩酌の本數が重つて、鬱勃と湧いて來る野心を、密に自分ひとりが玩味するに堪へなくなつたりすると、彼はきつと正兵衞をむかへにやるか、又は自分の方から徳利持參で出かけて行つたりした。それから餘所の振舞酒にしたたか醉つた時などには、彼の足は先づ我家よりも本家へと眞直に向いて行くのであつた。そこでだけは自分がどんなに羽目をはづしても大丈夫であると、彼の醉うても醉はぬ本性がそれを教へるのであつた。

        二

 彼は今日、そんなに飮んだといふ程飮んだのでもなかつたけれど、そのいゝ加減な微醉が、却つて彼の心持を輕く快くしてゐた。彼は道々家に歸つてからの仕事の手順をあれこれ考へてゐながら、また一方には本家へでも行つて一息ぬきたいやうな誘惑がしきりにするのであつた。本家と彼の店とはつい四五軒離れて向ひ合つてゐるので、今の道順からは、本家の前を通らないでは自分の家に行かれないのであつた。で、どつちつかずの氣持で歩いて來るうちに、彼はたうとう本家の前まで來てしまつてゐた。
『お天氣……』と、彼は大きな聲を出して店先に聲をかけた。
『いよう、どちらへ?』と、張場にゐた正兵衞[#「正兵衞」は底本では「生兵衞」]は人の好ささうな顏を上げて、その赤い顏を見ると一寸からかふやうな調子で言つた。
『大分今日は朝からいゝ御機嫌のやうだなえ。』
 それを聞くと、幸吉は急に自分がほんとの醉つぱらひであるやうな氣特になつて、
『いやどうも……』と、頭に手を上げながら愉快さうに笑つた。
『まあ、寄つてぎなんしよ。』
 と、彼は急に何の造作もなくよろけた足取になつて、
『いやどうも。』と、繰り返しながら、たうとう本家の閾を跨いでしまつた。
 茶の間では[#「では」は底本では「でば」]、家附の娘なる家内のお園が、長火鉢に小鍋をかけて何やら煮物の加減を見てゐた。
『いやどうも朝からはや。』と、いひいひはひつて來た幸吉は、羽織の裾をさばいて長火鉢の前に坐ると、腰から煙草入を取つてすぽんと鞘をぬきながら、お園とお天氣の話やら景氣の話やらをはじめてゐた。そこへ正兵衞が早速煙草入を提げて店から入つて來た。
『一體どつちや行つて來たのえ?』と、彼は坐るなり一ゆり肩をゆすつて、幸吉の赤い顏を物ずきさうに眺めやつた。
『いやどうも朝つぱらから男爵閣下のよび使を受けて……』と、勿體らしく言葉を切つて吸穀を叩きながら、『青巒亭まで行つて來やした。』
 幸吉はそれを極めて事もなく言つたけれども、内心は少し得意な氣持であつた。
『男爵え?』と、果して正兵衞は眼をきよろんとさして言葉を挾んだ。彼は幸吉が誰かを笑談にさう呼んだのだらうと思つた。
『男爵は男爵でも、なに馬鹿殿樣でさ。』
『ほう。』
 正兵衞は男爵が本物らしいので、ますます好奇の念を動しながら、もう一つ肩をゆすつて腰を少し進めた。それにしても彼は二人の間に何か並べたいやうな心そゝりを覺えて、
『まあなにしても久しぶりだ、今日は一本つけて貰ふべ。』と、憚るやうにちらりとお園の方に目をやつた。
『いやどうぞお構なく……。』と、幸吉は慌てゝ辭退をしたが、その實何となくそれを待ち構へてゐたやうな心持であつた。
 お園は默つて臺所の方に立つて行つた。そして小女に何やら言ひつけたり、瀬戸物の音をさせた[#底本は「た」が倒字]りしてゐたが、間もなく小皿に何やら煮おきのものを盛つて銚子をつけて來た。
親父おやぢさんが何でも陸軍の中將だか少將だので、その男爵を貰つたんですな、たしか從五位だか、いや正六位だつたかな……』と、しきりに例の男爵の話をしてゐた幸吉は、それを見ると急に恐縮さうに、併し嬉しそうに頭に手を上げて背中を丸くした。
『いやあ、たうとうどうも、相濟みやせんな』
 彼はひどく調子づいて來た。そして郡男爵との邂逅の顛末に話題をつゞけて行つた。
 それは彼が商用で上京した折の歸途の汽車の中であつた。老軍人の殘して行つた財産と爵位とを、嫡子の故をもつて世襲した即ち今の郡男爵は、別にきまつた官職もなく、あつちの投機事業に手を出して見たり、又は新しい會社の創立に加つて見たりして、別に確乎とした目算もしまりもない――幸吉の批評によれば――一の小野心家であるらしかつた。それでて彼はひどく平民的といふ事が好きだつたので――恐らくそれは彼が自分を貴族の一人だと固く思ひ込んでゐたが爲であらう――旅行の汽車はいつも三等に乘つて、彼等の樣々な談話に耳を藉すのが好きなのであつた。あるとき彼は那須野の老軍人が買つて置いた土地の爲の用事で、東北の方を旅行した事があつた。その時自分の前の座席に腰を掛けて、隣り合せた男と頻に開墾地の話をしてゐた商人體の男があつて、その話してゐる事が自分の用事と少し關係がある爲に一所懸命耳を傾けてゐるうちに、男爵はその男の言ふ事がすつかり氣に入つてしまつたのみならず、その猫背の實直らしく見えるところから、手織縞の服裝から、何まで氣に入つてしまつたのであつた。彼は自分からもその男に話を向けた。そしてその男の降りる停車場が自分にも一寸用事のある町だつたので、彼はどういふわけかその事のためにすつかりその男を信用してしまつたのであつた。外でもないその男が即ち綿屋幸吉なのであつた。
『それからつてもの馬鹿にどうもわしを信用しつちまひやしてな、この町さ來るたんびにきまつて青巒亭から迎へに來んです。この近在にも少し地所を持つてんですな、時々小作人なんぞ呼んで酒飮ましたりなんかして、一さわぎ騷いで行ぐんですが、わしの目から見ると、何が何だかどうも、まあ、あゝいふのが馬鹿殿樣つていふんですべ。わしも呼びに來られるたんびに隙だれて仕樣がないけれど、いくら馬鹿殿樣でも、閣下は閣下、男爵は男爵だからと思つて、まあその爵位に向つて敬意を表してですな……』
 幸吉は蒸氣のたちさうな程赤くなつた顏の相好を崩して、いかにも滿足さうな、嬉しさうな、そして人の好い顏付になつてゐた。
『なるほどね、しかしまあよつぽど變つた人らしごすな、しかしとにかくまあ男爵つていへば豪いもんだ、何しろ華族樣だからなえ。』
 正兵衞も既に眼の中まで赤くしながら、いかにも感じ入つたやうに合槌を打つて肩をゆすつた。
『おい、もう一本つけておくれ!』と、彼は持つて見た徳利が輕かつたので、機嫌よささうに臺所の方に聲をかけた。けれどもお園の返事がなかつたので、徳利を持つたまゝ身をそらして臺所の方を覗き込んた。小女がこちらに背を向けて、俎の上でしきりに何やら刻んでゐた。
『おい、お清、酒をつけてくれろ、酒を……』
『いやもう澤山です、澤山です。』と、幸吉は一本殖える毎に繰り返す辭退を猶も忘れなかつた。
『なあにいゝさ、時には少し氣保養しなくちやなえ……時にどうです、この頃の景況は?』と、正兵衞は片手に煙管を挾みながら、片手で幸吉の盃につめたくなつた酒をしたんでやつた。

        三

 それから暫く經つて、何かかこひの食物を小だしした蓋物を持つて、お園が倉から出て來て見ると、二人は金時のやうにまつ赤な顏をして、話の調子もひどくはづんてゐた。
『大分きいて來たやうだ。』と、お園はちらりとお盆の上に目を走らして、それからまた臺所に姿を隱しながら、幸吉が無性に力味返つて話してゐる醉どれらしい調子に厭でも耳を持つて行かれた。
『いゝかえ、なえ本家、いゝがえ……』と、幸吉は一語一語に力を入れて、その度に恰も何かを抑へつけでもするやうに、腕に力を入れて手を上から下へと振り下すのであつた。
『おれは虱の中から身を起した……虱と一所に育つて來たおれが……全くだぞ、え、本家、あんたはまあその頃のおれを知るまいが、嘘だと思ふならお園さに聞いて見なんしよ、こつちのお父さお母さはよく知つてた筈だから、お園さだつてきつと話に聞いてたに違ねから……炬燵の上でも何でも、虱が行列をして歩いてたもんです。着物だつて蒲團だつて洗濯するにはかはりがいるつていふやうなわけで、まあ汚い話だげつと、こぼれる程ゐやしたな……おれは子供心にもこつちのお母さなとが御年始に來てくれる時なぞ、何が何つていふわけもなく恥しくつて仕樣がなかつたもんだ。盲目の親父おやぢは青い顏をして小さくなつて爐端に坐つてゐる……酒さへ飮まなけりやあ意氣地がね程、まあ確に意氣地がなかつたんだが、大きな聲も立てれぬ程おとなしかつたもんです……おふくろは茶を入れようつて、生の木をやたらにくべるもんだから、喘息持のをばさはよくむせたもんた。おふくろの背中では三郎がじくね出す、なにお客に來たつてゐたやうでも何でもねえんだげつと、それでもをばさはお茶だけでも飮んで行がねと惡いと思つて、我慢してゐられたのが、おれあ子供心にもよくわかつた……「よし、おれが大きくなつたら一所懸命稼いで金持になつて……」と、おれは恥しさのあまりに、よくかう決心したんもんだつた……』
 彼は忘れてゐた盃を取り上げて、無意識に飮み干した。正兵衞はそれを見て早速徳利を取り上げた。
『そこでだ、なえ本家。』と、彼はまたこぼれかけた盃を、首を屈めて一口吸つて、『おれはこつちのお父さから六十錢の資本を貰つた、正しく金六十錢也の資本だ……いやおれはそれを決して少いと思つて言ふんではないぞえ、全くのところおれは有り難かつたんだ、誰も親父おやぢに愛想をつかして構つてくれなくなつた時に、おんつあ(叔父)はその時まだ子供のおれを見込んで、たとへ六十錢でもとにかく資本を下してくれたんだ。おんつあは言つた……「金つてものは、幾らあつても同じもんだ、無ければ儲けようつていふ氣が出るし、あれば使ひたくなる。お前の親父は、あつた爲に使ひ果して家も體も飮み潰してしまつたんだ、そしてたうとう働くつて事はどんな事だか知らないで死んでしまふんだ……さあ、こゝに六十錢ある、これを一兩にしたら、毎日毎日この六貫を一兩にする事が出來たら、お前の家のくらしは立つて行くぞ.小さくとも大きくとも商法の心はおんなしだ。いゝが、お前が病氣か何かで仕事を休んで資本をすつた時でない限は、二度とおんなじ資本を貰ひに來るやうでは駄目だぞ。お前が大きくなつて、また違つた相談をおれに持ちかける時は、それはまた別だ。」……叔父おんつあはかう言つて、おれを勵してくれたんだ……それからおれは降つても照つてもかゝさず出かけて行つた。おんつあは六貫を一兩にしろつて言つたが、おれは六貫を倍にして一兩二貫にして見せる、いや二兩にして見せる、子供心にもおれはさう覺悟したんだ……ところでだ、本家。』
 彼はまた殘の盃を傾けてやつと手を空けると、急に嬉しさうに相好を崩して手の平をこすつた。目尻のあたりに寄る皺や、廣いけれども間がぬけてゐない額など、彼の顏は決して上品な部類ではなかつたけれども、それでもどこやらに――多分耳から頬にかけての餘裕ある線であらう――どこやら福相な感じのする顏であつた。しかも今はその顏に、何ともいへぬ人の好ささうな心の漂さへ見られるのは、彼の日常にくらべて誠に奇異な事であつた。
 それは恰も人間の、個々に言へば彼の、生れたまゝに備へてゐたある善良さが、少しも伸び寛ぐ機會がなくて、彼自身から常に虐げられ虐げられしてゐたものが、今彼の甘き醉の開放に遇つて、知らず識らず覗き出したとでも言へるやうなものであつた。
親父おやぢはおれを蓆の上で、虱と一緒に育てはしたが、全くやくざな親父ではあつたが、親は親だ、なえ、親は親だと、おれはさう思つて孝行をして來た。酒も買つたし、魚もお父さとお母さだけにはと、二週間に一度、一週間に一度は買つて上げた……親父が死ぬ時には、ともかく疊の上で、絹布の蒲團とまでば行かずとも、垢のつかない虱のつかないだ、とにかく新綿の入つた蒲團の上で送つてやつた……なえ、本家、おれは決してこんな事を自慢するのではあツりやせんぞ! 決して自慢するのではない、たゞおれに取つては嬉しい事だからさういふのだ。なえ、そらあしてやりたい事はどれ程あつたか知れない、また今だつて、生き殘つてゐるお母に、思ふ百分の一もしてやられないのは殘念だ、けれどもまだまだ[#「まだまだ」は底本では「まだだま」]、まだまだこれからなんだ……「今に見ろ、今に見ろ。」……』
 彼はいかにも、この今に見ろといふ言葉の心を具體化するやうに、急に調子を低めて、恰もむくむくと何かゞ首を擡げようとしてゐるかのやうに、重々しく、そして徐に言葉尻の調子を揚げるのであつた。
『おれは自分に言ふんだ、「まだまだ、まだまだ!」……それから、「今に見ろ、今に見ろ!」……』
 彼は首を振つたり、又は首を縮めて眉を聳てたりした。彼の言葉はひどく途絶えがちになつた。けれどもその間に却つて彼の實感が迸つた。
『おれは親父おやぢに思ふだけの事は出來なかつたけれども、しかし親父はおれに不足を言ふ事は出來まいとおれは思ふんだが、どうだんべなえ本家……おれは思ふんだ……親父はおれをしたつきり何もしてくれなかつたが、おれはともかくも立派に……まあ出來るだけはだが……とにかく綿屋の暖簾の下から、親父おやぢが外してしまつて、息子が裸一貫で掛けたその暖簾の下から葬式を出してやつたんだ……これで親父も冥土に行つて先祖達に顏向も出來るつてわけだと俺は思ふんだが、どうだんべなえ本家……そこでだ、おれが今かうして、「まだまだ。」「今に見ろ、今に見ろ。」を一所懸命に繰り返してゐるのを知つたら、草葉の蔭から親父が見て、生きてた時の埋め合せにつて、佛の力でおれを援けてくれんべとおれはさう思つてたんが、どうだんべなえ本家、そこでおれは毎朝神棚の次に佛壇を拜む時には、「南無阿彌陀佛、お父さ、どうかこの家を守つておくれ、家内息災で、商法が繁昌するやうに[#「するやうに」は底本では「すやるうに」]、ようく守つておくれよ。」……おれはかう言つて拜むんだ、なえ……』
 彼は話しながら、實際合掌して、數珠を揉む時のやうに掌を摺り合した。
 と、このとき不思議な印象がぱつと彼の心に映つて、彼の注意の全部は、一齋にその方向にむかつて突進して行つた。お園が、何かあらたに出來た煮物のお初を盛つて、佛壇に晝の食事を供へてゐた。かあんと尾を引いた小さな鉦の音が、眞晝らしい頃の明るい茶の間に、強い酒の匂の間を漂つて消えた。その小さなものさびた鉦の響が、急に轉じた彼の思念の方向を眞直に導いて行つた。
『南無阿彌陀佛、南無阿彌陀佛。』と、彼は突如として大きな聲をあげて念佛を稱へた。
 彼は佛壇に線香をあげて來たいといふ衝動をしきりに感じた、そしてそれは是非さうしなければならないやうに、眞面目に彼を動した。
『どれ、佛樣に線香を一つあげて來つかな!』
 彼は立ち上つた。そして思はずよろよろとなつたので、
『おゝ、危いぞえ!』と、正兵衞は慌てゝお膳の上に兩手を翳した。
 幸吉は眞面目くさつた顏をして、二本の線香に長火鉢から火をつけると、ほそぼそと白くたち騰る烟を香立にたてゝ、羽織の裾を捌いて几帳面に畏り、佛壇を見上げながら靜に合掌した。
『南無阿彌陀佛、南無阿彌陀佛……』
 正兵衞とお園とは、後から顏を見合して、彼のものものしさをほゝゑんで見てゐた。
 彼は暫く瞑目し、それからまた目を上げて、大小の位牌の納めてある扉の中に眺め入つた。新しい位牌には、彼にもよく覺のある、こゝの先代の戒名が書かれてあつた。下り藤の定紋をつけた左右の花立の草花の間を、線香の匂がほのぼのと分けていつた。彼は合掌した手を疊について、ぽつくりと恭しくお時儀をしてから座に戻つて來た。彼の顏はその赤さにも曇らず晴々として、相變らず嬉しさうであつた。
『時になえお園さ、おれはこつちのおんつあの事を思ひ出しつちまつて、その話がしたいんだげつとも、いゝがえ?』
『何だか知らないけれど、いゝの位あツりやせんともえ。』
『いゝがえ本家、おれはおんつあの事を話してんだが、いゝがえ?』と、彼は猶もくどく繰り返した。恰も何か一大事でも、殊には正兵衞夫婦にとつてあまり思はしくない事でも言ひ出すのを躊躇してるかのやうに念を押した。
 けれども、彼には今決して少しばかりも成心があるのではなかつた。たゞ胸に浮ぶがまゝのことを言ひたい爲ばかりに一所懸命で、あまり人の言葉などは耳に入らず、自分がどんな風にしやべつてゐるかも忘れがちなのであつた。彼はたゞひとりで、五體に行き亙つて行く情緒の快さのうちに、その心の手綱を暫し切り放したのであつた。
『いゝがえ? よし、そんぢやら話すげつともなえ…』と、彼はなほ言葉を重ねるのを止めないで、『こつちの叔父おんつあは全く豪い叔父おんつあだつた……さう言つては何だけれど、おれは全く感心してるんだ、なえ……おれは忘れね、どうしても忘れね、一生涯おれは忘れる事が出來ね……叔父おんつあが亡くなるその前の晩だつた、心配になるので店の用をそこそこにして來て見るとみんなが叔父おんつあの座敷に集つてゐた。叔父おんつあは注射してから暫く眠つてるやうだつて事だつたので、おれはその晩はお伽をするつもりだつたから、炬燵の方に行つて少し横になつてゐた……一時間ばかりすると叔父おんつあは眼を覺した風で、「山太(屋號)で來てゐつかえ?」「は、來て居ツりやす。」おれは急いで叔父おんつあの枕許に寄つて行つた。「どうでごす? ちつとは樂になりやしたか?」「あゝ、ちつと樂にはなつたやうだげつと、少しばかり脚の方を擦つてくれろ。」そこでおれは叔父おんつあの脚の方に廻つて、靜に足を撫でて上げた。
「これでようごすか、もちつとそつとやツりやすか?」つて聞くと、「あゝそれでいゝともえ。」と、叔父おんつあは言つた。「なえ幸さ、いろいろ世話になつたが、おれは今度は駄目なんだから、おれが死んだらばな……」「叔父おんつあそんな事は決してあツりやせんぞ。」と、おれが言ひかけると、叔父おんつあは「いやいや、今度こそおれは死ぬのだぞよ、したがおれが死んだつても、誰も何も心配したり嘆いたりする事はないぞよ。年を取つた者が、命數が盡きて若い者達の先に死んで行くのは、これはあたり前な事で、ものゝ順當といふものだからな……おれはお前の一方ならぬ働で、だんだんお前の家が繁昌して行くのを、死んでからも草葉の蔭から喜んで見てゐるぞ!……この町の中でも、綿屋といふ屋號の家は、お前の家とおれの家とこの二軒だけで、昔は近しい親類でもあつた間柄なのだから、おれが死んでも兩家は仲善くして、正兵衞と二人でお互に援け援けられ、なあ、心を合せて家業に精を出してくれろよ……頼むぞよ……」……お、叔父おんつあはかう言つたんだあ!……』
 彼は突然言葉を切つて、お、お、お! と咽び入つた。『叔父おんつあは、お、おれに足を擦らせながらさう言つたんだ――いや、それを言ふ爲に、わざとおれに足を擦らせたんだ……「おれは死、ぬ、ぞ、よ、後を宜しく、た、の、むぞ、よ!」……』
 彼はどうにかしてその時の嚴肅な氣分を現さうと苦心するかのやうに、一語一語に力を入れて、そして子供のやうに兩手の指を目にあてゝ涙を拭つた。
『頼むぞよつて、叔父おんつあはこんなものの數でもないおれのやうな者にさう言つたんだ……お、お!』
 鼻を啜る音が障子のかげから聞えた。お園が何となしに引き入れられて、わけもなく悲しかつた父親の臨終の有樣をまざまざと思ひ出しながら、前掛でそつと涙を拭いてゐるのであつた。それを聞きつけると、正兵衞も思はず目をしばたゝいた。自若として近親の誰彼に向つてこの世の暇乞をのべた老父の面影は、正兵衞に取つても親しく、悲しく、そして印象の強いものであつた。
 何か不思議なものがそこにあつた。座は白けたけれども、併しそれは皆に取つて思惑のわるいものではなく、ある共通したものが三人の暫くの沈默の間を綴つてゐた。それは心と心とであつた。やがては又まちまちに分れて働く心ではあるけれども、そしてその一つの心が、また更に他の刺戟や場合に遇つていろいろに分れ働くのであるけれども、一人の老人が、その死期に臨んで、その子や縁者の間に蒔いて行つたやはらぎや、むつみや、勤勉の種が、たまたま善良なものを慕ふ人間の心の鋤に掘り返されて、その芽を露したやうな瞬間であつた。
 幸吉はまた續けた。
『……死ぬつていふ事は、容易な事でない、決して容易な事でない、それだのに叔父おんつあは、「おれは死ぬぞ!」つてかういふんだ……「おれは死ぬぞ、あとは宜しく、た、の、む、ぞよ!」死ぬつて事は、なかなか自分が死ぬつていふやうな事は、自分で考へられるものでも言はれるものでもない……それだのに叔父おんつあは言つたんだ……「お互に援け、援けられ、仲善く暮してくれろよ、宜しく頼むぞよ!」……お、叔父おんつあはおれにさう言つたんだ、このおれに、このやくざなおれに、叔父おんつあは昔から力瘤を入れてくれた……それだのに、その力を入れて貰つたおれは、四十にもなるのに今だに素寒貧で、愚圖で、馬鹿で、やくざ者で……意氣地なしの大へつぽこ!……』
 彼は感傷的に、自分に向つてあらゆる惡口を並べたてた。しかも彼は決してそれを誇張だとは思はなかつた。彼は心から自分を足らぬ者、不肖な者だと思ひ込んで、自分を鞭ち、責めるのであつた。彼が間もなく家に歸つて、一睡した後には、また緊縛されて、めつたに機會がなければ省られないであらう彼の心の善良な部分が、今は心ゆくまでにその翼をのばして、彼を支配し彼を温めてゐるのであつた。
『おれはやくざ者だ、おれは惡者だ、おれは能なしだ……』
 彼は飽くまでも自分を陷れ、また謙る事によつて、しんめりと潤つて行く心の中を覗き込むやうに、猫背の背を丸くして、胸元に首をうづめながらさめざめと泣き出した……





底本:「水野仙子集 叢書『青鞜の女たち』第10巻」不二出版
   1986(昭和61)年4月25日復刻版第1刷発行
初出:「文章世界」
   1919(大正8)年7月
入力:林 幸雄
校正:小林 徹
2003年1月15日作成
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