四十餘日

水野仙子




       一

 炬燵にうつ伏したまゝになつてゐて、ふと氣がついてみると、高窓が青白いほど日がのぼつてゐた。びつくりして飛び起きてお芳はそこらを見廻した。子供の聲やら荷馬車の轍の音やら、表どほりはもうがやがやしてをるらしいのに、店の者もまだ前後不覺に寢入つてゐる。清治といふ小僧の名を二聲ばかり呼んで、お芳はぐづぐづになつた帶を解いてきりつと着物の前を合した。二人の醫者の馬乘提燈が相前後して山サのくゞりを出て、曉近い街に南と北と分れてから一時間程して皆やうやう寢床に入つたのだ。何かと後の始末をしてゐた産婆が、襷をはづして一まづ暇を告げた時には、母親もお芳も少からず心細く思はれたが、二晩一日看護に疲れた人を、さういつまでも引きとめて置くわけにはいかないので、一寢入して夜が明けたら、また見舞つてくれるやうにとくれぐれも頼んだ。心もとなささうに座敷をのぞいてはうろうろ寢もやらずにゐるお芳を、母親は一寢入するやうにとすゝめて、自分も掻卷を着て娘の枕許を衞つた。――二三時間前の恐しいさわぎを思ひ出すと、うめき聲がまだ耳についてゐるやうな氣がする。臺所に來て見ると、ゆうべ夜食に出した玉子の殼が皿の上にそのまゝになつてゐた。お茶のかはりにと店の棚から持つて來て口を切つた正宗の壜が、底の方に黄色い色を殘して、それも隅の方に押しやられてある。お芳は一人で厨のことをしなければならなかつた。
 赤兒が無いと肥立が惡い、それに並はづれて骨を折つたのだものと、母親はひどく産後を氣づかつた。それも無理はなかつた、一年ばかり措いて前に一度同じやうな産のくるしみをして、二月ばかり床をはなれることができなかつたのだ。
 清治がむかへに行つて、千藏といふ出入の越後者の爺が來た。産婦の眠つてる間にそつと白木の小さな箱を縁に出して、繩をかけて爺はそれを背負つた。母親はその上に赤い裏のついた着物をかけた。見えないやうにと爺はその上に蓑を着て、羽織をひつかけた宗三郎は、一把の赤い線香を袂に入れて先に立つた。
 午後になつて産婆が來て、するべき手當をしてから檢温器をかけた。
『どうでせう、熱が大へんあるやうでせうか?』と、煙管をついて母親が膝を進ませると、
『さうですねえ、少うし高いのがあたり前ですけれど……三十八度五分ばかりありますよ。』と、産婆は首をかしげた。
 あくる日になつて産婦はお乳が張るやうだと言ひ出した。母親は元來が小さい乳首を指先で揉み出すやうにしながら、自分から子供のやうに吸つてやつてそれを茶碗に吐き出した。はじめは薄い薄い水のやうだつたのが、暇ある毎にさうしてやつてゐるうちに、だんだんと白く濃いのが出て來るやうになつた。それを便所に捨てるのは勿體ないといつて、水を割つては臺所のながしに流した。
 洋燈がついてから、あまり赤い顏をしてゐるやうだからと、母親はお芳と一所になつて、あつた筈の檢温器を箪笥の引出の中に搜した。
 お芳が火鉢の前に坐つて編物の針を動してゐると、
『芳、幾度だや?』と、座敷から出て來て、目の前に檢温器をさし出した。水銀の細い騰り目を燈影に翳してびつくりしたやうに、
『三十九度二分!』と、お芳は言つた。
『三十九度二分!』と、母親は鸚鵡返す。
『三十九度二分!』と、炬燵にゐた老父が聰くも耳をたてた。
 一重一重と絹を張つて行くやうに、二年ばかり前に全く明を失した老父は、若い頃に醫書をあさつて少しはその道に通じてゐた。病氣のことに就ては、毛程のことにも心配して騷ぐ方だつた。
 帳場に出てゐる宗三郎が呼ばれた。三人が火鉢を圍んでひそひそ醫者の人選をやつてゐると、
『お母さん、お母さん。』と、屏風のかげから産婦が低い聲を出して母を呼んだ。

       二

 瀬戸といふ薄曇の眼鏡をかけた醫者の俥がとまるやうになつた。
 産婆は看護婦から仕上げた人だつたので、毎日洗滌のために通つて來ては、熱度表に鉛筆を入れてその高く低くなるのに面をくもらした。
 宵のうちに一寢入することにした母親に代つてお芳が枕許に雜誌を見てゐると、突然眠つてゐたと思つた産婦が、抑揚のない調子で何事か言ひ出した。
『え?』と、手をさし込んでゐた行火の上に雜誌を伏せて顏を覘くと、その顏を見かへしてまた同じやうなことを言つた。眼は人を見てゐるけれども、どこやらうつとりしてゐる。お芳はぎよつとして母を呼びに立つた。
『勝、お勝、苦しいか?』と、そつと額に手をやつて見た母親は、『道理で夕方あんまり紅い顏をしてると思つた!』とつぶやいた。
 宗三郎もびつくりしたやうに入つて來て、すぐに清治を醫者の家にやつた。熱度をはかつて見ると、四十一度にちよつぴり頭が出てゐる。來るべき暴風が來たといふやうな氣を集めて、人々は枕許につくねんとした。晝間だけ病家まはりを雇俥でするらしく、醫者は馬乘提燈をさげて和服で來た。霙の中を蛇の目の後について、清治は手さげをさげて續いた。形のとほりに脈をとつて再び熱度をとつたが、その時はもう一度ばかりひいて、かへつて熱さうにふうふうと頤にかぶさる蒲團を氣にしてゐた。醫者が歸つたあと、清治はまた頓服をもらひにやられた。
 聞き傳へて折々さまざまな見舞の客が來た。こゝの老父のもの堅いのを少からず信用してゐる蒟蒻粉問屋の新造、夫婦揃つて塵も積つて山主義の身代を溜めた加納屋のをばさんは、殊に度々見舞つてくれて、その度にお芳にいろいろなことを教へていつた。産婆や何かにも、手のないところを一々お茶を出したり何かしなくとも、後で相當のお禮をすればいゝものだとか、一寸した漬物の仕方などもをしへてくれた。
 また新吉田のお竹をばさんといつて、縁つゞきになつてゐる乾物屋の女を、これは山サの一家が揃つてみな嫌だつた。榮へる家をくやうに話し、衰へる家を小氣味よささうに語るやうな種類の女で、年中人の家のあらばかり搜してゐる。口のはたに唾を溜めるのが嫌だといつて、産婦はいつもこの人の聲を聞く度に、眠つたふりをして病室にはひつて來るのを避けた。
 老父の話相手でもあり、お勝が若い頃に茶の湯を習つた先生でもあり、子供の時からのかたはのために、占や灸點のやうなことをやつてゐる人の細君も來た。人の好いばかりで、どこか足らぬといふやうな噂のある人で、その時來合して、醫者と産婆が白い衣を着て、ブラシユで手を洗つて、洗滌の用意をしてもまだ病室を出なかつたのには少からず困つた。
 一寸顏を出して見舞をのべて行く人もあり、兩隣や向の家からもおかみさん達が來て、『赤んぼは仕方がありませんけれどもねえ、なにしろ親のからだが大事ですわい。なあにまだお若いんだから。』と、皆同じやうなことを言つて歸つた。出入の商家からなども見舞の品を送つて來た。玉子が殊に多く集つた。
 四十度近くの熱が續くばかりでなく、時には平温をずつと下つて、熱度表の青い筋が度はづれて高低になつた。そろそろ薄曇の眼鏡をかけた醫者の手にかけて置くのがなんとなく不安になつて來た。産科醫でなく、かうなつてはもう普通の病氣のやうなものだからといふ説も出て、つい一週間ばかり前に開業した醫學士――新しいものを好む人の常のせいか、町ではこの人の評判がすばらしかつた。その醫學士をといふことになつて、一寸手づるがあるのをさいはひ、加納屋のをぢさんがある晩提燈をつけて、特にわざわざ勝手元から頼みに行つてくれた。
 その晩病人は突然烈しい戰慄が來た。早急のことゝて母親もお芳も少からず狼狽して、聲をたてゝ宗三郎を呼んだ。醫者へ驅けさせた鐵雄といふのが、折惡しく近在の急病人のところへ行つて留守だつたと戻つて來た時には、ふるへはをさまつてゐたが、そのかはり今度は急に熱がり出して、蒲團をかいやつて仕方がなかつた。その明日背の圖拔けて高い醫學士が廻つて來た時にも、前夜と同じやうな戰慄が來て、寒い寒いと大騷をするので、そこにあつたありたけの座蒲團をかけて、母とお芳が左右から力を入れて押へてゐた。暫くして熱い熱いと言ひ出すのもそのまゝにして置いて、學士は宗三郎からこれまでの經過を靜に聞いて、やがて徐に手の脈をとつた。
 薄曇の眼鏡をかけた醫者は、その日から病人かこつけによしてしまつて、今までの藥代と、それにお禮としてビールを半打添へて持つて行つた。

       三

 冬至に入つてからは、めつきり寒くなつて、雪の日が續いた。
 〇日 二十五度。
つめたいつめたい朝、寒い寒い日。
神の鉢の飯が凍つた。
 お芳の日記にはこんな字が多くなつた。
水桶の氷を力まかせに叩いて柄杓の柄を折る。
 こんな朝もあつた。凍つた土にさらりとまた白く撒かれて、倉の前に鳩の足跡が紅葉形についてゐる。井戸にかゝつた水がそのまゝに凍つてゐて、乘せた手桶の底がつるりと辷る。釣瓶の繩はつめたいといふよりは寧ろ痛かつた。
 家の中の上と下と、この節では大抵お芳の手になつた。かうして切り廻すことが自分にできようとも思はなかつたし、そんな時節が來ようなどとも思ひもうけなかつた。姉や母に手傳つて朝晩の用位はしてゐたけれども、町屋の娘並にお針に通ふ。朝はいゝ位にして出かけ、日によつては日が暮れてから歸つて來る。習慣になつて爲るべき用はしてゐても、氣は少しもそんなことに散らなかつた。すべてのことに考なしに生きて來た。
 前髮の毛をまだざんぎりにしてゐた時分、小さい姉が縫物の下にしのばせてゐた弦齋の「血の涙」や「小猫」などといふやうなものを、ふとひらき見したのが病付となつて、歌であれ、詩であれ、小説であれ、字の上には眼を皿にする興味を持つた。十七ではじめて體の變化を見るまで、お芳は男と女がどう違ふものかといふことも知らなかつた。烈しい驚に泣いて、初めてその時母から女といふものゝことを聞いた、驚と不思議と、それも長くは續かなかつた。
『芳ちやんはめでたく十九になりやした。』と、今年の正月に友達弟子と師匠の家へ行つて、常から奇拔なことをいふのが癖で、かう年始の挨拶をして皆を笑はせたが、その時さう言ひながら、いかにしても自分が十九になつたとは信ずることができなかつた。十九といふ年が不思議な、をかしなものに耳に響いた。
『お早うござりやす。』とか、『鬱陶しいお天氣ですねえ。』とか、そんな言葉をかけられても、たゞ『ええ。』とか、『は。』ですましてゐる。人への挨拶もできないと母親からよく叱られたが、子供だ、子供だといはれるのがお芳には寧ろ得意な位だつた。
 母親は大抵枕許にゐる。口數の多い見舞の女客などを引き受けて、お芳は今までのやうにのつそりしてゐられなくなつた。おのづと年上の人に對する言葉を遣つても恥かしくはなくなるし、合槌も打てる。自分が長火鉢の横に坐つて、煙草やお茶などを汲んで出す時には、女――嫁――一家の主婦などゝいふやうなことが考へられるやうになつた。
 店に來た取引の客へ茶を運ぶ、醫者を乘せて來た車夫に火を焚いてやる、それお手水の湯、それお茶、佛壇の南天の葉に埃が溜つたのも目につくし、通りがかりに覆つてゐる下駄を起す程の氣も出た。やらなければならぬと思へば、家の中のいろいろなことに氣が付いた。
 手が廻りかねて日が昏れてから、ぽつりぽつりと綿のやうに飛んで來ては着物にしみて消えるうすら雪に、手拭をかぶつて、凍つた井桁に桶をのせて米も浙いだ。その井戸車の軋る音を寢床に聞いて、『芳はまあ……』と、病人の聲が震へた。
 早くどうか快くなりたい! みごもつてもみごもつても辛い苦しい思の形見ばかり殘つて、二十九の今だに一人の子もない心細さ、神を怨んでも見たが、今はもうそれは思ふまい! 盲目の父、かうして横つてつくづく見れば、今初めて白髮に驚かれる母、二人の妹、とそれらが重く重く自分の肩に頼りかゝつてゐた。何事も何事も自分を相談相手にしてゐた夫は、さぞ歳暮くれの忙しさに手廻りかねてゐるであらう、店の者達の仕着せもまだ整へてなかつた。先刻藥罎を持つてはひつて來た清治の足袋から、親指の先が赤く覘いてゐた……あゝ、あゝ糞! 生きなければならぬ!……
 廣くもない家のことゝて、荷を下す車力の聲や、客の駈引、裏の倉に品を出しに驅けて行く足音や、それらが鋭くなつた頭に手に取るやうに響いた。見えない見えないと思つてゐた手袋の片方が、鼠に喰はれてぼろぼろになつて棚のかげから出て來たり、荷車が隣の小間物屋の店にかけて、轅が壞れて突き出されてあつたり、いろいろなことが病人の目に見えた。

       四

『お芳、御苦勞でもなあ、稻荷樣へお母さんの名代になつてお詣して來てくれろや、姉さんの命乞に……もしも快くなつたら旗を上げますつて願をかけて……』
 老人の頑愚を嗤ふにはお芳はなほ幼かつた。馬鹿馬鹿しい、そんな氣も起りながら、なほまた漠然として神といふものに望をかけて、一寸着物を更へて家を出た。宵に小ぶりの雪が解けかけて、家家の檐にしぶきがしてゐる。泥に塗れた雪が下駄の齒にきしんで足袋が濡れた。
『お母さんは、とても助るまい助るまいとひとりで青くなつてゐる。併し人間といふものがさうもたやすく死ねるものだらうか? 姉さんが死ぬ? あの姉さんが死ぬ?……』
 人が死んだといふことを聞いてもさう不思議には感じないが、さてその死といふものが今自分の家に來やうとはどうしても思ふ事ができない。
『死ぬもんか、姉さんが、あの姉さんが死ぬもんか!』
『併しもし死んだとする……山崎家に大切な姉さんが死んだとする……』かう思つてその時のことゝ、それから以後のことゝを想像して、お芳はぎよつとした。
『宗三郎兄さんは婿に來た人である。親身の娘といふ鎖が切れて、舅姑と婿との間には隙が出來ずには居らぬ。新しい嫁、それを外から持つて來て押しつけたとて、ますますその隙が大きくなつて行くにきまつてゐるのだ。世間によくある奴、もしも私でも押し付けられたならば……厭だ、厭だ、身ぶるひする程いやだ! その時には、その時こそ私こそ死んでしまふ、いやいや死ぬにも當らない。その時こそあこがれてゐる東京に出られる機會なのかも知れない……』
 お芳はものを書くことを知つて、それを雜誌などに投書することを覺え、高じては常にその道にあこがれてゐた。女といふ名に縛られて、所詮許されさうもない望、ほんとに神樣といふものがあるならば、私を殺して姉さんを助けて下さい。
 感情に喰はれてお芳はしよんぼりとなつた。さていつの間にか鳥居をくぐつてゐたけれども、まじめに合掌して母の願を屆ける氣にもなれなかつた。

       五

 醫學士のところから看護婦が毎日通つて來て洗滌をした。その人はよく學士の細君の蔭口などを産婆に話してゐたが、ある日も縁側のところで二人が何か話してゐる。
『ねえ澤田さん、あの石井のお澄さんね、あの人そら、あの人よ、あの人また入院よ。』
『へえ……また?』
『月經閉止三箇月だつて……』
 何氣なくお芳は出て行つてまつ赤になつた。お芳はこんな職業の人達ですら、そんなことを言ひ合ふなどとは思つてもゐなかつた。
 加納屋のをばさんが下女を一人手傳によこさうかと言つたのを、『いゝえ、結句一人で氣長にやつた方がいゝから。』と斷つて、宗三郎の肌の着替までも洗濯した。雪解道に足袋を汚して來ては脱ぎ捨てゝ、かけかへがなければないでそのまゝ赤い足をしてゐるので、母は見かねて小言を言ひながらも、氷柱の碎ける檐によくそれを洗濯した。小學校から、或はお針から歸つて見ると、母親は丸い背中をして火鉢の前にそれを刺してゐる。そのうちのなるだけ白い、なるだけ刺目の少いのを擇つて、糸を切つてはいた――こんなことを考へながら、男のものまで洗つたり着せたり、それが女の運命なのかと思つたりした。
 風呂場はあつても、この節は大抵すきな時に錢湯に行くことにしてゐる。耳を切るやうな外の寒さを思ふと、つい億劫になつて、三四日行かずにゐたからと、お芳は夜のことゝてむきみやさんを着たまゝ手拭を持つて表に出た。湯屋のある横町へ曲らうとしたところで、提燈を持つた小學校の同級生に會つた。
『なあにまあ、芳ちやんはそんなものを着て?』と、その友達は笑った。
『だつて働くのにはこれでなくちやあ。』
『働くだつて、芳ちやんが?……』
『そんなこといふなら見なんしよ、これでも隨分稼ぐんだからない。』と、お芳は、つと目の前に握つた手を出した。手の甲はがさがさと荒れて、皸が一ぱいに切れてゐた。
『まあ……』と、その友達は顏を見て、活溌で、無邪氣で、文章が上手で、先生達にかはいがられてゐたその人が……といふやうな顏をした。
 また清治といふ子は面白い子だつたので、毎日藥取に行く藥局の書生と仲善になつてゐた。時々遊び過ぎて遲くなつて來て宗三郎に叱られたり、さうかと思ふと皸や霜燒の藥などを貰つて來て、お芳にくれたりした。
『お芳ちやん、お芳ちやん、君島さんがこれよこしたぞい。』と、ある日清治は藥罎と一所に一通の手紙を渡した。
『君島さん?……』
『うん? 藥局の人、書生。』と、口早に言つていつた。
 披いて見て笑つてお芳は捨てた。歌のまねしたやうなものが二三首書いてあつて、例によつてお芳の文才を稱へてある。これに類した思はせぶりな手紙は、絶えず他方から來た。
 お芳の足の霜燒は頽れていたみに變つた。
『一人ではなかなか大變だから、民でも呼びよせて使つたらどうだい。』と、宗三郎の姉が來てよくさう言つた。
『ほんとにまあ、芳ちやんのよく働くこと……』
 加納屋のをばさんは來る度に感心する。この人には二番目の息子があつて、もう嫁を取る時分になつてゐる。

       六

 蜜柑、數の子、綿、氷豆腐、細い札のついた砂糖の袋や、尻尾を水引で結んだ鹽鮭などが、歳暮の贈物としてやりとりされるやうになつた。
 病人は先達てから左腹部に出來た凝がまだとれなくて、熱もあまり高くはなくなつたが、同じやうな度で續いた。學士は試にそこに蛭をつけて見たいといふので、お芳はある日、町の裏の百姓家に蛭を買ひに行つた。
 畑と畑の間のくぼみや、細い蔓の枯れて絡つた樹の株などに、斑と殘つた雪が少くなつた。鼠色の夕暮の光に、風はやはり頬につめたく、寂しい郊外を一二軒づつ低い藁家が點々してゐる。
 爐の焔に赤かつた顏の老爺が、
『いくら高く出したつて獲れぬものあ仕方がねえ、冬はみんな豆つ粒のやうにまるまつてゝ、なかなか見付かるもんでねえだ。一疋一兩出すつたつて、なあ、獲れぬものは[#「獲れぬものは」は底本では「獲れねものは」]仕方がねえや。』と、動かなかつた。
 ×市の取引先に依頼して、そこから小包で屆けて貰つたが、その時にはさいはひ用がなくなつて、罎の中にたゞ黒い蟲が延びたり縮んだりした。
『まあ上つて、よ、よう。』と、お芳は友珍しさに、一寸お針のかへりから屆けものかたがた顏を出した友達を無理に引きあげた。
『この頃は誰と誰いつてるの? お高ちやんは?』
『お高ちやんはこの頃休んでるの、みんな歳暮くれで忙しいもんだから……私も今日きり、お秀さんは風邪ひいたつて、この頃ちつとも來なかつたわ。』
『さう。』
 お芳は、みんながうつむいたりのびたり、時には顏を見合して大わらひしたりする人達の丸く座をとつた有樣を、しばらくやすんで見ればなつかしいとも思はれるのであつた。
『姉さんどうしたい、少しはいゝの?』
『少しはいゝやうなんだけれど、まだやつぱりない、熱が下らなくつて……』
『せはしがつぱい、一人だもの……まあこんなにめなしが切れて……』
と、火鉢に翳したお芳の手を握つて眉を顰めた。
『がさがさして自分の手のやうでないの……一寸ほら!』と、お芳は袖口から赤い襦袢の袖口の切れたのを引つぱり出して笑つた。
『お師匠樣がよろしくつて、お見舞に上らなくちやならないんだげつと、今少し仕事が支へてるからつて。あのない、そらあの伊勢屋の結納もの……そりやあ立派なの、仕度したら帶が一番はえたわ、出來上つたら行つて見なんしよ、黒の方さへ出來上ればそれで揃ふんだから……』
『伊勢屋の御祝儀はいつ?』
『二月の朔日だつて。』
『あのぼんちやん、いよいよお婿さんになるのかなあ。』
 お芳も友達も、そのぼんちやんといふ綽名を言つて笑ひこけた。
『何縫つてるの?』と、お芳は歸らうとする友達の風呂敷の端をめくつた。
『まあいゝ柄、誰の、あんたの?』
 友達は嬉しさうに笑つて、ぽつくり頭を下げた。
『もうお正月、併し今年は歌留多も取れない。』
 お芳は寂しさうに笑つて送り出した。
 その晩お芳は、東京の醫學校へ行つてゐる中の姉のところへと思つて小包を纏めた。先達て小紋の着物がほしいと言つて來たので、安物の絹に形を置かせたのが今日出來上つて來たのである。
 あり合せた羊羹や氷餅のやうなものもつめようとしたので、荷の形がどうしてもうまく行かなかつた。少しくぢれて來たところへ、母親が一寸口を出したのが氣に觸つて、お芳は、
『えゝつ。』と、赤い顏をしてそれをめちめちやに[#「めちめちやに」はママ]した。
『おゝおゝ親にたてつけ、わがまゝな! 何がそんなに氣に入らないのか知れないが、君は君でこちらの騷を知らずに待つてるからと思つて早く送れと言つたまでだのに……病氣だと知つたら試驗前だといふのに心配するからと思つて……』
『いゝてば!』お芳は身を揉んだ。
 あさましいとは思ひながら、自分一人が何事も思ふまゝにならぬやうなひがみがして、いまいましいやうな、人が羨ましいやうな、ぢれてぢれて、さうしてすねて見たかつた。
 しばらくすると病人が屏風のかげから、
『芳、芳……』と、細い聲を出して呼ぶので、お芳は急にもの悲しくつて、齒を喰ひしばつて顏を蔽うてしまつた。

       七

 餅は宗三郎の姉の家でついて貰つて、ともかくもお飾をした。
 病人も年を越す頃からそろそろ見直して、一日平温位にとゞまつてゐる時もあるやうになつた。併し衰弱の爲に元氣はもとよりなくなつて、かげの部屋の客の長い話や、戸のあけたてなどに一々眉を顰めた。戸のある柱には紙を張りつけた。そゝつかしい清治は、必ず一日に二三度位は足音や戸のあけたてゞ小言を喰つた。
 友達のところから度々お芳に歌留多の使が來た。お芳は一々紙片にことわりの文言を書いてやつた。母親も病人も氣の毒がつてるやうすだつたが、お芳はそのかはりにほしいと思つてゐた「一葉全集」や、その頃評判だつた「その面影」のやうなものを買つて貰つた。
 ある晩新年の雜誌を買ひに出かけて、ふと通りがかりの友達の家に寄る氣になつた。
『まあ芳ちやん。』と、そこのをばさんが迎へて友達を呼んでくれた。ちようど歌留多をとるといつて、四五人の人があかるい座敷に集つてゐた。つい交つて見る氣になつた。
『今晩は。』と、そこへはひつて行つた。一樣に向いた人々の顏を集めて、お芳はふと平常着のまゝだつたのに氣が着いた。
『珍客來、珍客來!』と、一人の中學生が言つた。

 疲れ切つた體には蒲團が重いといふので、天井から麻糸を下げて蒲團を吊つた。さうして一時間と同じ向になつてゐては體が痛いといふ。神經痛を起して、足を持つと飛び立つやうに騷ぐので、腰のところの隙にそつと手を入れて、しづかに寢がへりをさせてやる。床ずれがしないやうにと綿も置いてやつた。
 十時、十一時頃まではお芳が番で、それからは母親か宗三郎が代ることにきまつてゐた。行火に小蒲團をかけて、湯氣のたつ火鉢の傍で、枕時計の音を聞きながら、お芳は雜誌を讀んだり、病人に「我輩は猫である」などを讀んでやつたりした。
 時には都や地方の友達などに手紙を書いた。都へ都へと誘ふまだ見ぬ友達も多くあつた。それらのかへしにはいつも老いたる父母、家の事情といふことが書き込まれた。どこまで自己を沒しなければならぬか?と反問して來たのに對して、凍る筆を火に翳しながら、覺束ない議論みたいなものを書いた。
 男が女に送る手紙には、いつかははてと首をかしげるやうな箇所が必ずあつた。消した跡の字を透して讀んで、お芳は我知らずほゝゑむ時があつた。
 一日看護婦が來て小半時待つてゐても、一所にやる筈の産婆の澤田さんがなかなか見えなかつた。清治が折惡しく使に出てゐたので、お芳は沖といふその産婆のゐる家へむかへに行つた。そこもお針の弟子を澤山にあづかつてゐる家で、板塀の中から歌留多の聲と賑な笑聲とが洩れた。澤田さんは、あけがた産氣のついた家からむかへに來られて、今だに歸つて來ないといふ。引きかへさうとすると、障子をがらりとあけて、
『芳ちやん。』と、女の人が笑顏を出した。
『あら!』
 それは中の姉の友達で、お芳が小さい時によくかはいがつて貰つた人だつた。歌留多に招ばれて來たものと見える。
『姉さんが惡いんだつて? どうなの、この頃は。』
『えゝ、少うし快くなつたやうなの……』
『さう、お大切に……』
 その人は財産家の娘だから、ぱつとした身なりをしてゐた。
 夕方になつて、澤田さんが裏口から忙しさうにはひつて來た。
『どうも今日は失禮しました。岡野さんのお嫁さんのお産に出ましてね。えゝまあはじめてとしては輕い方でせうねえ、けさ方二時々分から痛み出したんださうですよ、大旦那さんがまあ大さわぎをして、それはそれは、えゝ女のお子さんでしたよ。』
 強ひられたといつてほんのりとした頬を、熱い熱いと言つて兩手で叩いてゐた。

       八

『宗三郎はほんの氣の付かない男だから……あれほどの大病人の傍で、氣が付きさうなもんだのに、なんだつて青銅の火鉢へかちんかちんと煙管を叩きつけるんだもの、傍にゐて私あはらはらしてゐる。』と、母親はある時老父としよりと火鉢のところに顏を集めて、こんな話をしてゐた。
『むゝさうともな、少しは氣を付けなくちやあ……好い人間は好い人間なんだげつと、少うしたわいのない方だから困る。』と、老父は火なたのついた腕を火鉢の縁にならべて合槌を打つた。
『さうともい、すべて何事にも氣が付かない方だから。』
 この時宗三郎が店から忙しさうに、ついとはひつて來て、ちらと目をやつた。
『用がすんだらお茶でも飮ましやれ。』と、母親はかう言つて、思ひ出したやうに長煙管をとりあげた。
『は。』
 宗三郎はまた店へ出て行つた。

『今度は是非君にも免状をとらせたいものだ。宗三郎にだつてさうさうはいくらなんでも氣の毒だから……』
 お茶からふとこんな話になつて、二人がひそひそしてゐると、その時また二階から降りて來た宗三郎が、ふつといやな顏をして店に出て行つた。
 別段何事もなく二三日經つたが、宗三郎はある日、出かけ先から豚の肉を竹の皮に包んで、懷の中に入れて來た。お芳は七輪を夕餉の席に運んで鍋をかける。脂肪の煮えたつにほひが久しぶりで家の中に漂つて、白い蒸氣が洋燈の傍をかすめて騰つた。
『お父さん、豚が煮えやしたから。』と、宗三郎は手づから皿に肉を盛つて老父としよりにすゝめた。
『豚え! 今日は喰べまい。』
『さうですか。』
 お芳はそつと宗三郎の顏を偸み見た。
 盲目の老父には勿論、母親にも氣の付かないことだが、お芳はいろいろなことに氣を配つて、一人ではらはらしてゐた。
 かりそめの咳一つでも、双方のさぐり合ふやうな心には大きな態度となつて見えた。宗三郎の顏色も、母親には何でもなく解釋させるやうにと苦心して、老人夫婦が小聲に話してゐた時には、お芳はきつとよそごとの口を入れた。魚の煮付一きれでも、都合の惡い時にはいゝ方を宗三郎の膳にのせた。
 朝から宗三郎が家をあけた日がある。大抵枕許で行先を斷つて行くのが、その日に限つて何とも言ひ置いてなかつた。
『なあおせん、宗三郎は嬶の病氣が厭になつたんであるまいな。』
 一日炬燵に蹲つてゐる老父は、夜になつても宗三郎の聲が聞えぬので、心配の顏をあげて通りがゝりの足音を止めた。小聲だつた。
『まさか……まさかさうでもありやすまいが……』
 母親もそれは信じなかつた。宗三郎は程過ぎて何氣なく歸つて來た。出先から姉の家へ廻つて、そこで夕餉をすまして來たといふ。顏色も別段赤くなかつたので人々は安心した。
 珍しく宗三郎は正宗の口を切つて膳の上に乘せた。その日は一日ものも言はなかつた。鐵の火鉢を傍に引きよせて、盃のひまにはぼかりぼかりと煙を吐いた。煙管を叩きつける音が烈しく、しかも絶間がなかつた。常から下戸のことゝて、すぐにもうまつ赤になつて、いつもにないことなので怪訝な顏をしてゐる清治を烈しく叱りつけた。そして御飯を喰べずにふいと出て、近所の新吉田へ行つた。清治を後からそつとやつて見ると、旦那の峯さんと酒を飮んでゐるといふ。
 産婦にも樣子がわかつたと見えて、
『一體どうしたの、お母さん何かしたんでないかい。』と、氣を揉んで聞き出した。
『何がなんだかさつぱりお母さんにはわけがわからない、何言つたんでもなんでもなし、一人であゝして怒つてるんだもの。』
 そこへお芳がはひつて行つて、
『だから言はないこつちやない、お母さんは、またいろいろなことをいふんだもの……』
 不平はどうしても親身の者にむかつた。
『お母さんが何を言つたい?』と、母親は目を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)る。
『今日は言はなくたつて、この間からお父さんとひそしそ話なんてばかりしてるんだもの。』
『それだつて何も宗三郎の惡口を言つたわけぢやあるまいし……』
『だつてだつてそれが惡いわ! 誰だつて變ちきりんと思ふわ、さうして宗三郎兄さんがはひつて來ると、ぴつたりとやめてしまふんだもの、何とか思ふに違ないわ、そりや誰だつて……』
 お芳は涙をこぼして母に喰つてかゝつた。小さな胸の心づかひや何やらで、つい興奮して言葉が烈しくなる。もつれもつれて感情が彈き合つた。
『よしよし、おゝおゝ、なんでもみんなお母さんが惡いんだ、さうしてみんなしてお母さんをいぢめろ、惡者の意地惡はお母さんばかりなんだから……どうせ……どうせ……勝の體のかはりに神樣が連れてつてくれる。一生子供の爲に心配して死ねばいゝんだ……』
 母親も泣いた。あべこべにかう怨まれて見ては、お芳はたまらなくなつて、わつとして慌てゝ顏に袖をあてた。
『どうしつぺなあ、私の病氣の爲にみんなが……』
 ほろほろと病人の顏から涙が落ちた。
『勝、勝はなんにも心配することはないぞ、なあに、なんでもないことなんだから……體に障るから。』と、母親はまたおろおろした。
 宗三郎は十時頃になつて、まつ赤な顏をして歸つて來た。
『お飯は……餅でも燒くかい。』と言つたお芳の腫れた目を見て、『いゝや、喰べなくてもいゝ。』と、義妹には優しく言つて、そのまゝ炬燵にごろりと仰むけになつた。

       九

 日に日に病人の快くなり目がついた。それにしても體はまだ少しも自由にならなかつたので、絶えず寢がへりをさせて貰ふのに人手がいつた。
 病人から涙をこぼされたので、宗三郎もあれから氣を取り直して、朝の挨拶も自分からするやうになつた。
 看護婦や澤田さんはまだ毎日通つて來て、洗滌を終へてから火鉢を圍んでよもやまの話をしていつた。煮物をしておいたり、時によつてはお餅を燒いたり、何かしらお茶うけの絶えないやうにとお芳は注意した。時々はお子さんにと、澤田さんが歸る時に蜜柑や干柿のやうな物を紙に捻つた。
 枕許の小机に並べた葡萄酒や藥罎の肩に埃が溜つた。絶えず立てどほしの屏風に、今見れば字の跡を散して血の跡見たいものが附着してゐる。じつと見て、お芳は恐しい恐しいいつかの夜の有樣を思つた。女といふものが思はれ、子といふものが思はれ、續いてさまざまな家庭といふものが思はれた。婿取はよそ目にはいゝやうだけれども人一倍辛い、かう誰かゞ言つたことも思ひ出されて、今までの姉の立場が抉り出したやうにはつきりとわかつたやうな氣がした。いづれは女、この自分までがそんな渦の中にはひるべき運命を持つてるのかと思つた。
 都へ都へと誘ふ友達のことが思はれた。
『お母さん、すまないげつとまたかへして。』と、お勝は氣の毒さうに寢がへりを催促した。
 掻卷を着て、たわいもなく居眠をしてゐた母親は、ふと首をあげて、
『またか……ほんに面倒臭いなあ、今かへしてやつたばかりだのに。』
と、億劫さうに立ち上つた。
『すみやせん。』と、切なさうにお勝は聲を落した。
『お母さんはまあ!』あんなにまで心配して大さわぎしてゐた人が!
と、お芳はなんとはなしに母親の顏が見られた。ふとしたことから、この間『お母さんは飽きたんだ!』と、病人が口をあましたのを、あまり勿體ないことをいふと思つたが……
 そゝけた白髮が穢く見える。眠を貪るやうにこそこそと行火に伏した丸い背が、影一ぱいに壁にうつつた。
 水を吸ひ切つた床の間の南天が、塵に塗れて勢なく掛軸に影を置いた。
 お芳はつくづくと頭を押へるやうな部屋の空氣を感じた。

『はあ、もうこれで安心しやした。あんたなんだつて四十幾日つてものは、芳も私も帶を解きやせんでしたからねえ、かはりばんこに炬燵にひつくりかへつてて……いやいや一方ならぬ心配をしやした。』と、加納屋のをばさんに、ある日母親が述懷めいたことを言つてるのを聞いた。
 お勝はこの間、床あげをするやうになつたら、看護婦や澤田さんや友達をみんな呼んで、一日歌留多取をするやうにと言つたので、お芳は今からそれをたのしみにしてゐる。





底本:「明治文學全集 82 明治女流文學集(二)」筑摩書房
   1965(昭和40)年12月10日発行
入力:小林徹
校正:田尻幹二
1999年6月16日公開
2006年4月19日修正
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