利根川の一夜

長塚節




 叔父の案内で利根川の鮭捕を見に行くことになつた、晩飯が濟んで勝手元もひつそりとした頃もうよからうといふので四人で出掛けた、
 叔父は小さな包を背負つて提灯をさげる、それから河は寒いと可かないからと叔母が出して呉れた二枚のどてらを、うしろのちやんと呼ばれて居る五十格恰の男が引つ背負つてお供をする、これは提灯と二升樽とをさげる、從弟の十になる兒と自分とは手ぶらで蹤いて行く、
 荷物を背負つた二人の樣子が才藏か何かのやうだといふので下婢供が頻りに笑ひこけるのである、うらのとぼ口を出て、落葉した梅の樹の下を木戸口へ出る頃までそれが聞えた、
 木戸を出ると桑畑のよせのやうな小徑をうねり/\行く、提灯の導く儘に唯足許に心を配りながら二丁ばかりも來たと思ふと、坂垂れになつた大きな往來へ出た、この間の降りつゞきなのでよく/\のぬかるみである、坂を下りて四五軒ばかりならんだ家のところを出拔けると、闇いは闇いがひろ/″\として來た、道は一際ひどい泥濘で、はじの方の漸く下駄だけ位に人の踏んだ足跡を探つては行くのである、道の脇はぢき溝になつてあるので、一歩誤れば墜ち相である、提灯二つがたよりで辿つて行つたがとう/\動きのとれないぬかるみへ出つくはした、叔父と自分とは思ひ切つて跣足になつた、從弟はうらのちやんが抱いて越えた、これから先はもつとひどいだらうといひながら行くと案外ぬかるみも少ないので馬鹿な目に逢つて仕舞つたと大笑ひをしながら、それからは急ぎ足に進んだ、四五丁もきたと思ふ頃利根川の渡しのところへついた、汪洋たる水は淀んで居るかと思ふ程に靜かである、藁葺の船頭小屋は薄明りがさして居るが話聲も聞えない、叔父と自分とは提げて來た下駄を置いて足を洗つて居るうちに、うしろのちやんの提灯は遙に川下の方へ行つた、やがて自分等もあとを追つて土手の上を歩いて行く、末枯の蓼の穗や背丈にも延びた唐人草がザラ/\と提灯にさはる、この土手のすぐ内側は畑でずつとさきはみんな原野になつて居る、土手といつてもこんなに低いのだから水が出るとすぐに越し相になる、土手を水が越すと耕地はみんな洗はれて仕舞ふのでこんなに土俵を積んで置くのだといふやうなことを叔父から聞きつゝ行くうちに、さきの提灯はぢき間近になつた、そこに止まつて居たのである、サツパ舟が一艘岸へ漕ぎ付けんとしつゝある、うらのちやんと舟とで何か話をして居る、それと同時にボー/\となまぬるいやうな汽笛を鳴らしながら通運丸が上つて來た、舳の灯の青い光や赤い光が長い影を波の上に引つ張つてさうしてバツサ/\と水を掻き分けながら、牛のやうに遲行しつゝある、岸へついたサツパ舟は艫のところへぐつと棹を突つ立てた儘とまつて居る、「引き波がえら來るかんな下手にすつと波くふかんなと舟でいつた、汽船はずん/\上つて行くのであるが、引き波はなか/\こない、岸を十間ばかりも離れたところに黒く船らしいものが見える、あれが鮭捕船だと叔父が自分に話して聞かせた、サツパ舟の中では「追つかけ引つかけよ、四本ちふんだからなといつてる、うしろのちやんとの問答のつゞきでゝもあらうと思はれる、そのうちに岸を打つ波がバシヤリ、バシヤリと一仕切り騷ぐと、さあこんだ乘つてもいゝといふのでさきの舟へ漕ぎつけた、舟のなかには三人の男が居たが自分等がついたので、みんな艫の方へ堅まつた、「こん夜はお客さま案内してきたといひながら叔父がさきへ乘り移る、舳の方へ漸く四人が座つた、この舟もやつぱりサツパ舟であるから八人の乘合では隨分窮屈である、それに苫が切つてあるのだから頭から押へ付けられるやうな心持で何だか落付かないで居ると、「どうですサヤ立てるの見ませんかといはれて、何をするのか分らないが見たいといふと、「それぢやこれへお乘んなせえといはれてさつきの舟へ乘る、こんどは二人で漕ぎ出した、一人はずんぐりした男で一人はさつきの奴である、さうしてそれはもうよつぽどの爺さんであつた、舟は再び岸の方へつけられた、一人が陸へ上つて竹棒の束へ繩をくるんだやうなものを抱いてきた、舟はすぐに遙かの下手へ漕ぎくだつて行つた、河のおもての白々ひかりで見ると、そこには苫舟の傍から末になる程開くやうに二筋に竹の棒が建てならべてある、丁度八の字髭が生へたやうなものだ、その右の方に舟を止めたと思ふと一人が突つ刺してある竹棒を引つこぬきながら「いめえましい畜生ぢやねえか、粉微塵だと呟きながら、舟へ乘せてきた竹束をほどいてそこへ突つ立てる、またその次のを改めては突つ立てる、その竹棒のほどいたところを見ると、幾條かの繩が一つの竹の棒を括つては他の竹の棒を括つて居るので恰かも目の極あらい網のやうなものになつて居る、いめえましいをいく遍か繰り返しつゝ漸く突つ立てゝ仕舞つた、網にしての麁末極まつたこんなものでも鮭の進路を他にそらさない仕掛なのであるといふことだ、いま立てたのが即ちサヤといふので二百間から引つ張るのだといふ話である、さうしてさつき通つた汽船のためにいま立てた丈の間がぶつ切られたのだといふことであつた、「よにくな奴等だ、わざ/\サヤのところを通りやがつて、いめえましい畜生だといふのは苫舟へ戻るまで止まなかつた、舟へ戻つて見ると凉爐のなかには火がカン/\と起つて居て、串へさして今坂餅いまさかもち[#「今坂餅」は底本では「今阪餅」]がプーツと膨れ出して居たところであつた、叔父の膝元には風呂敷がひろげられて中には煎餅、柿、饅頭などが亂れてある、さうして叔父もうしろのちやんも、艫の二人も煎餅をボリ/\噛んで居た、自分は燒かれた今坂餅を從弟と二人で味つた、いま乘移つた人も煎餅を噛りはじめた、軈てうしろのちやんが提げてきた二升樽の口をあけて、古ぼけた土瓶を見付け出して船ばたでばしや/\と洗つて火の上へかけた、「さつき四本も捕れたあとぢやこん夜は駄目かも知れねえな、俺はなん遍見に來たが一遍も捕るのを見ねえで仕舞つた、いつでも運が惡くつてなと叔父がいふと「それでもどんなものだか分らねえが、闇いは闇いしなんちつても靜かだから屹度來なくつちやならねえ、なあに來はじまつちや來ますからと痩せぎすな一番物の解り相な男がいつた、「こなひだ一晩に十六本さ、尤も河が違ふんですがね、こん夜豆腐屋らが張つてる所がさうさ、いま二晩ばかり過ぎなくつちや替りにならねえ、さつき夕飯頃に追つ掛け引つ掛け四本も來たんだから本當に思ひがけねえことでねと、爺さんが傍から語つた、土瓶の酒がわいたといふので艫では頻りに飮みはじめた、「河のなかぢや泊りに來るものもなくつて穩かだな、夏の頃は瓜小屋へ泊りにきた者があるなんて、おつかあが怒つて大喧嘩が起つたなんちふ話だけがと叔父が笑ひながらいつた、「よく知つてんな、どつから聞いたがなあといつて笑つた、「さういふ事があつたんでよと自分を見返つて更に叔父が云つた、自分も可笑しくなつて笑つた、そのうちに各の顏が赤くなつてきた、彼等は尚なんだとか無駄口を叩いて居る内にも頻りに水面に目を注いて居る、苫舟からぢき前に舟にならんで一間位宛に五本の竹棒が立つて、それから向へ直角に五本、それからまたこちらの竹棒にならんで五本立つて居る、丁度三方に垣根をゆつたやうになつて一方は明いて居る、その明いて居るところから下の方へ例のサヤといふのが延びて居る、それだけのことは苫のぢき下から吊つてある明りでよくわかるのではあるが、それがどんな鹽梅に獲物を引ツ掛けるか薩張り分らないので、ざつと説明を求めると痩せぎすな男が「まあいつて見りや蚊帳を倒に吊つたやうなものさ底に網があつてそれからこの竹の立つたところが網で下の方の明いてるところがやつぱり網だがこいつは寢せてあるのさ、それで畜生へえツたところでこの網を引ツ張ると、網が起きてきて逃げられなくなツちまふのさと小べりのところに繋いである麻繩をさし示した、更に彼は「それからこの中のところに極あらツぽい網のやうなのを立てゝ置いて上に鐵がくつゝいてるから、畜生めそれを潜りせえすりやから/\つと鳴るからね、そん時これを引ツ張るわけなのさと先づわかり易いやうにと話して呉れた、しかし自分はもはや一疋位引ツ掛り相なものだと思つて心待ちで堪らない、酒もいつかそつちのけにされてみんな網の方へのみ目を注いてきた、靜かな夜は益※(二の字点、1-2-22)靜かに成つて遙か向ふの岸と思はれるあたりがどんよりと黒く見えるのがなんとなく淋しく、そろ/\更けはじまつた、叔父と自分との間に夾まつて居る從弟はもう横になつて仕舞つた、舟や竹棒に塞かれて居るので水は極めて低い響をなして流れ去る、よく/\ひつそりして仕舞つた時にから/\んと突然に鈴が鳴つた、それツといふので二人の手が小べりの綱へかゝつた、爺さん頻りに息をはづませながら「どうも今なあんまり音がえらかつたから下手にすつと返りかも知れねえ、利口な畜生はそろツと行つてさきの網へ突き當ツちや急に引き返へすのがあんですからね、そん時はそれ音が大けえんです、今のがなども返りでねえけりや可いがと自分等の方を見ていつた、綱はしつかりと握つた儘である、網のなかは寂然として音沙汰もない、「そうれどうしても居ねえと爺さんは又いつた、苫舟の上手へ繋いたサツパが上手へ、下手へ繋いたサツパが下手の方へ出た、「なあに居なくつても時間だから砂をはたかなくツちやならねえからといつて竹棒のところをどうしたのか底になつてるといふ網であらう水面へ浮んで來た、サツパのなかのものはその網の片はしを持つて、洗濯でもした時のやうに上下にばしやり/\とやつた後また元のやうに網を沈めて戻つた、果して獲物は無かつた、折角待ち疲れのやうになつて居たのに惜しいことをした、こんな鹽梅では今夜は六かしいのではないかと自分は竊に思つた、起き直つた從弟も呆然として居る、なほ暫くは見守つたが見込もないやうではあり、眠くもなつて來たので自分も横になつた、叔父も横になつた、一枚のどてらは三人を掩うた、寒からうと思つたのが意外に寒くないので大助かりである、しかし狹い間へごろ寢であるのと、自分の屈め切つた足の尖はうらのちやんに屆いて居るのとでひどく心持がよくない、その上に今か/\といふ心持ちのするために眠りながらもうつら/\して居る、大分時間も經過したらうと思はれる頃に有るか無いかのやうに鈴の鳴るのが聞えた、叔父の手は強く自分の躰に觸れた、しかしその時はもう自分が咄嗟に起き上る刹那であつた、從弟をも抱くやうにして起した、再び鈴がから/\んと鳴つた、「こんだ大丈夫でさ、見てさツせ、いまかいのがとれるからと、兩方に立ち別れた舟は底なる網を揚げた、網が水面に現はれると共に獲物はもう進退の自由を失つたと見えて、自分等の近くのところで網へくるまつて仕舞つた、割合におとなしいものである、サツパをそこへ漕ぎ寄せると、なかの男が獲物の鰓のところへ手をさし込んでぐつと小べりへ引きつけて、ぎくり/\と動いて居るのを、一尺五六寸の丸棒で二つ三つ鼻面を惱ました、あざやかなる獲物は銀の色をして光つて居る、三尺ばかりの長さだ、自分はまのあたりにこの大きなる獲物の溌剌[#「溌剌」は底本では「溌刺」]たる有樣まで見ることが出來たので、もう今夜はこれ限りであつたにしたところで憾みもないと思ひながら少なからぬ滿足を以て心安くまた寢た、艫の連中が何かごと/\饒舌つて居るのも耳に這入らなく成つて、よつ程眠つたらうと思ふ頃にふと目が醒めると酷くしめツぽく感じた、ザア/\といふ雨で顏にしぶきがかゝるのである、苫は雨をとほす憂は無いが、しぶきの五月蠅いのに閉口して居ると、誰かゞ苫を少しさげて呉れたので凌ぎよくなつた、それからはもう眠りもせずに寢て居るとまた鈴が鳴つた、これも確かに手ごたへがあつて、銀色の夜目にも美しい獲物がまた籃にをさめられた、聊眠かつた眼もはつきりしてきた、雨はとうにやんで雲も收つてしまつた、明方に近づいたといふ鹽梅にいづこともなく明るくなつた、だん/\に向の岸までが見えるやうになる、舟中のものは孰れも沈默を破つて水上の生活の手輕さをいつては笑ひ乍ら、各々顏を洗つたり土瓶をすゝいたりしてやがて凉爐には火が起る、湯が煮立つ、爺さんはすゝぎもしない土瓶へ茶を入れた、傍から「爺さまそれは酒の土瓶だぞ、酒がまだ殘つてたんべえといへば「うん道理でおかしかつた、それでも構ふことはねえと澄まして湯をさしては飮んで居る、自分が頭にして居たところには薪が蓄へてあつたのであるが、一人がその薪のなかゝら一束の葱を引き出してザブ/\と洗つて鍋蓋を倒にした上でブツ/\刻んだ、汁がかけられた、こんなことで舟のなかでは朝餉の仕度をして居ると三度目の鈴がから/\んと鳴つた、綱が直ちに引ツ張られた、網の起き揚るのはいまは明かに見られた、底になつてるといふ網の浮ぶのも遺憾なくわかつた、さうして獲物の狼狽する樣迄が愉快に見ることが出來た、痩せぎすが「こんどはあばれるところを叉手ですくつて見せべえと叉手をつき出したがそれよりもはやく網へくるまつて仕舞つたのですくふ所はとう/\見られなかつたが、一日一晩かゝつてもとれないこともあるといふのに、一度、二度、三度までも捕獲のさまを目撃することを得たのは望外の幸といはなければ成らない、七尾のうちで尤も鱗の美しきもの三尾は籃に入れて叔父と共に家に運ばれることになつた、岸に上るとそこはサヤといふものが立てゝ干してあつた、遙かに川下の出ツ鼻にも苫舟が一艘見えた、豆腐屋といふのゝ連中だ相だ、それから自分等の居たすぐ向うにも一艘見えた、それは今獲物があつたといふのかサツパが漕ぎ出されつゝあるところであつた、
(明治三十七年四月五日發行、馬醉木 第拾號所載)





底本:「長塚節全集 第二巻」春陽堂書店
   1977(昭和52)年1月31日発行
入力:林 幸雄
校正:今井忠夫
2004年2月19日作成
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