開業醫

長塚節





 或田舍の町である。裏通の或一部を覗くと洗張屋が一軒庭へ布を張つてあつて其庭先からは青菜の畑があるといふので、そこらをうろつく※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の群が青菜の畑へ出るとほう/\と※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)を追ふ百姓の叱り聲が聞かれる。春になると其の畑からさうしてそこらあたりに隱れて居た青菜が一時に黄色な頭を擡げてすつと爪立てをしてそれから白桃の花が垣根に咲いて、洗張屋は庭の短い青草に水を滾しながら引つ張つた布を刷毛でこすつて居る、とかういふ町の或横町である。其角に破れた酒藏が悲しげに立つて居る。此藏を建てた老人が太い木の杖を突いて乞食のやうな姿で歩いて居たのはまだ近い過去のことである。酒の仕込時といふと勿論冬の季節であるが、大竈の前へ筵を敷いてそこへごろりと成つた儘蒲團を一枚かぶつて夜を明すといふ位であつた。それが一旦眼を瞑つたら非道な金貸に其藏はそつくり奪はれてしまつた。其後金貸は自分が招いた或事件の爲めに苦役に服して長い間入牢して居るので酒藏へは手のつけるものも無い。草が蓬々と生える。瓦はこける。壁は崩壞する。大桶が幾つとなく壁の崩壞した所からあり/\と見える。丁度腐骨瘡といふ病に罹つたらこんな姿であらうかと思ふ程凄じい形である。横町の長い板塀は柱が朽ちてるのでふわ/\として時々其一部が倒れる。それを誰かゞ起しては繩で縛つて置くので繩の新しい結び目がそこにもこゝにも作られてある。此の板塀を前にした一構、それはさつきの洗張屋の庭先の青菜の畑から※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)を追ふ叱り聲も時々は微かに聞かれるあたりであるが、そこに近頃開業した醫者がある。表の格子戸から患者は出入する。夜になると患者の控室になつて居る表の座敷の釣りランプの下で箱火鉢に倚り掛りながら藥局生が中央から分けた髮を光らせてパックを披いて見て居る。其側に火鉢を少し離れて醫服を著けた儘の若い主人が新聞を大きくあけて見て居ることがある。凍てがひどい冬の或晩のことである。同年輩の三十恰好の男の客があつた。控室の次の六疊の間で二人は炬燵をかけて居る。主人の醫者はまだ冷たい櫓の下で新聞紙の小さく折つたので頻りに炭を煽いで居る。藁屑の交つた粉炭の燻りは蒲團の裾から少し煙を立てる。炬燵の火がばち/\と起り掛けた時に醫者は醫服をとつて客の後ろの折釘へ掛ける。客と相對して居る欄間にはガラス張りの額が二つ懸けてある。一つは主人の醫者が出征の際に撮つた中隊の寫眞で一つは千葉の醫學校の卒業證書である。炬燵の側のランプの光が一方の額のガラス板から客の目へきら/\と反射する。頭を横へやるとランプの光は又一方のガラス板から反射する。そつちを見こつちを見して居ると醫者は和服に著換へてぐる/\と無造作に兵兒帶を締めながら
「君何だい」
 と炬燵へはひる。衣物は唐棧の洗曝しでメリヤスのシヤツは目に立つ程垢づいて居る。シヤツは二枚も襲ねて居るので手首の所が思ひ切つて不恰好に太く成つて居る。藥局生は擬ひの相馬燒の茶器に茶を入れて來る。盆を下に置いて立ちながらだらりと下つた羽織の紐が茶碗を引きずつて行つた。茶を一杯啜つて
「こりや冷たい、どうも書生と二人切りだから不自由で仕やうがないよ」
 と主人の醫者は苦笑した。さうして
「松田、おい松田」
 と喚んでついと表の座敷へ行つて
「汁粉を一つとつて來てくれないか、おいひよつと立つてランプへぶつゝかつちやいけないぞ」
 といつた。藥局生はがらりと格子を開けて出て行く。主客の間には炬燵の火力が増すに連れて雜談が始まる。時々其癖の髭の先を撚りながら主人の醫者がいふ。髭の先をちより/\と撚る時は若い者に普通なすぐに得意になる時である。客は平打の白い羽織の紐を手の平でふわ/\と動かしながら嫣然として居る。炬燵の側に引きつけられた臺ランプの光がぼんやりと丸く大きく天井へ映つて居る。其丸い光が靜かに二人を見おろして居る。格子戸がゞらりと開いて汁粉が來た。亂暴な運びやうをしたと見えて碗の蓋は傾いて汁が碗を傳ひてこぼれて居る。
「よけりや君みんなやつてくれ給へ」
 主人がいふと
「大抵あるのぢや困らないぞ」
 と客はふう/\と汁を吹きながらたべる。若い主人は箸も持たずに一寸一口やつて髭を左右へ拭ひながら先刻からの雜談をつゞける。
『寄宿舍を出て素人下宿に居た時だ。其下宿といふのは表は穀屋で隱居夫婦が内職にやつて居るのであつた。生徒といふと大抵は放蕩して居るといつていゝ位であるのに僕はまだ其頃は模範にされて居たのだから特別に待遇されて居たのであつた。其時分僕の二階に先生が暫く下宿をして居た。先生はヂストマの研究で學位を授かる筈になつて居たのだけれど自分の家から出ると方位が惡いとかいつてお母さんが心配するので孝行な人だからお母さんのいふ儘に別居して居たらしいのだ。何でも一の酉の晩であつたらしい。僕の部屋へ多勢集まつて互に肉とか酒とかを買つて來て牛飮馬食會をやつた。初めは遠慮して居たがたうとう詩吟もやれば劍舞もやる大騷ぎをしてしまつた。先生は二階に勉強をして居たのだ。他の生徒は歸つてしまふのだから平氣だが僕はみんな散會してぽつゝり獨りで殘つて見ると先生が非常に迷惑であつたらうとも思ふし一寸濟まない心持にも成つたから火鉢を持つて二階へあがつて行つた。火鉢に火が熾に起つて居たからである。さうすると先生は僕の顏を見ると突然
「君は成績の惡い生徒だらう」
 といふ。僕は一寸癪に障つたから
「如何にも成績の惡い生徒でありませう、然しながら今日まで席順は八番九番を下つたことは唯一囘もありません」
 とかう昂然としていつた。先生も少し當てが外れた。
「それでも生徒の身で酒を飮んで騷ぐ抔といふのは宜しく無い。そんなことでは腦を惡くして將來到底いかんだらう」
 といふので平凡な講釋である。それから僕は他の生徒の如く蔭に隱れてはしない。公然として愉快をとるべき時にはとるといふので批難すべき處はあるまいといふと
「だがそれはそれとして君は僕と約束をしないか」
 といふ。何だか分らなかつたが大にしませうといつたのである。
「それぢや僕の指揮に從つて勉強しないか」
 といふので他に返辭もないから又大に仕ませうといつたのだ。先生は殊の外滿足である。其の頃ペストの流行があつたので先生は興に乘つてペストの噺を一時間もつゞけた。酒で頭は痛むしちやんとして聽いて居なくちや成らないだりひどい辛抱をさせられた。先生の噺が途切れた所で僕はランプの始末を忘れて居たと急に氣が付いたやうなことをいつて二階を降りた。それからといふもの夜は十時となると必ずランプを消さなくちやいかんといふことで少しでも遲くなると
「おい君、こくふ田君まだ起きてるのか」
 と二階梯子段から呶鳴る。初めは先生は國府田をこくふ田といつて居た。朝は五時といふと先生が呶鳴る。
「こくふ田君まだ眠いか」
 といつてどん/\と戸を叩く。二階の窓の戸である。忽ち響くから起きずには居られない。規律の立つた人だから一遍でも捨てゝは置かぬ。先づさうされたから自然勉強も出來るし先生も隨つて非常に身を入れてくれる。卒業の後には助手にしてやらうとまでいつて居たものだ。それが先生がまだ下宿に居るうちにたうとう墮落してしまつたのだからいひやうは無いのである。遊びに行くのが面白く成つたのだから駄目なのである。それでも先生の目につく處では勉強しなくちや成らなかつたから先生の下宿に居るうちはまだよかつた。夜は十時にならぬうちにランプを消して置く。それには豫め戸を少し開けて置いて蒲團にくるまつて居る。梯子段からのぞいて先生のランプが消えると其時すつと拔けて塀を乘り越えて出て行く。さうして夜の明けぬうちに歸つて冷たい蒲團へもぐり込んで居る。先生はちつとも知らないから五時になると戸を叩く。まだ眠いかといつてはどん/\と叩く。實際眠いのだから隨分苦しかつた。或晩のこと例の如く塀を越えて遊びに行つて居るとヂヤン、ヂヤンと半鐘が鳴る。何處だといふとどうも僕の下宿の近くらしい。しまつたと思つてせつせと駈けて來た。見ると近くは近くだが僕の下宿ではない。藝者町だといふので飛んで行つて見たくて堪らない。所が下宿の婆さんに捉まつた。まあよく戻つてくれました。内では書生さんがみんな出てしまつたので私一人ではら/\して居たんです。なんぼあなたが心強いか知れません。どうぞ私を助けると思つて居て下さい。先生もお宅が心配になるからつてお出掛になつた處です。どうぞ後生ですからと袂をぎつしり捉へて離さない。空は一杯に赤く焦げて火の子がもろ/\と吹き上つて居る。ごう/\といふ騷ぎが聞える。醫學校の生徒が飛び込んで藝者の三味線を擔ぎ出した抔といふことであつたさうだが僕は其の時氣が氣でない。だが仕方がないから婆さんと表に立つて居ると先生も其内に歸つて來て僕の居たことを非常に悦んだ。先生は僕をすつかり信じて居たのだから慌てゝ駈けて來て婆さんにつかまつたのだとは思はない。外の書生は飛び出すのに僕一人が守つて居たのは感心だと思つたらしかつた。そこになると先生は疎いのである。其後先生は方位の何かゞ解けたのだらう自宅へ引き移つた。荷物を運ぶ手傳ひをして日曜一日を潰した。先生が居なくなつてからはもう僕は自由自在である。然し報いは覿面で俄然三十六番に落ちてしまつた。先生は驚いた。だが其時は病氣であつたからといふので一時先生を瞞着して居た。それでも何時までも欺きおほせることは出來なかつた。或時先生の試驗があつた。口頭で應答するのだからどうにか先の奴の眞似をして饒舌つたが逐うつかり捉つてしまつた。發疹窒扶斯と膓窒扶斯との鑑別診斷でぐつと行詰つてしまつた。ほんの少しの處であつたが分らなかつた。先生は疎い人だが學問の方になると非常に鋭敏だから到底欺くことは不可能であつた。君は墮落したなと先生は唯一言いつた。僕は冷水を浴せられたやうに感じた。さうしてちらりと先生の顏を見上げると先生は姿勢正しく直立した儘ぢつと僕を睨んで居た。先生はそれつきり云はなかつた。僕は身體がひどく小さく蹙められたやうで氣が疎くなつたやうで他の生徒の竊かに冷笑するのをやつと聞いたのであつた。
 千葉も最初は愉快であつた。學校の庭から遠く海を隔てた相州あたりの山々を得意になつて望んだものだが卒業の時にはたう/\六十八番に下落してしまつたのである。どうかすると大に發奮することもあつたが一旦墮落してはもう再び舊位置にかへることは出來ないものである。借財を背負つた身體を兄に曳かれて千葉を出たといふ姿で父兄への信用は其時失墜してしまつたのだ。迂濶なことであるが父でも兄でも僕が机一つなくなつて埃だらけな酒樽の轉がつて居る所にぽつさりと居ようとは思はなかつたのである。料理屋でも無闇に貸すのですつかり重荷を背負つたのであつた。今日こんなに郷里へ燻ぶつて束縛されて居るのも其時の祟りが[#「祟りが」は底本では「崇りが」]あるのである』
 若い醫者は一寸口を噤んで碗の底に吸ひ殘した汁粉の汁を右の手から啜つて妙な手つきで左の手で箸を持つて冷たくなつた餅を噛つた。さうして汲んであつた冷たい茶を啜つた。此時まで臺ランプの下で右の肘を突いて身體を横にして聞いて居た客は徐ろに起きて一つ殘つて居た汁粉の碗へ手を懸ける。碗のいとじりが小さな輪を膳の上に描いた。客は醤油の浸みた菜漬を旨さうに噛んでやがて冷えた鐵瓶から急須へ注いで其鐵瓶を炬燵の火へ懸けた。さうして
「君足を出して引つくりかへしちやいけないぜ」
 といつた。
「僕もこんな所で開業する料簡はなかつたんだがな」
 と若い醫者はハンケチで髭を扱きながらいつた。
「然し事情といふものはすつかり自分を弱くしてしまふもんだからな」
 若い醫者の顏には此時僅かながら苦痛が浮んだ。
 天井の丸い明りはほつと息をついたやうな形で、さつきの位置から依然として二人を見おろして居る。


 若い醫者はその先を續ける。
『一年志願もらちもないものであつた。學校ではうつかり落第すると醫者に成り損ねる心配もあるが志願兵では三等軍醫に成れなかつた處でどうといふこともなし百姓等と一所になつて上等兵位にこづかれてゐるのだから本氣にも成れないのだ。先づ謹愼して居るのは二週間位なものだ。そんな覺悟だから到頭隊の見習士官に憎まれてしまつた。軍隊といふ處は上官に一旦睨まれるとそれが始終附き纏つて仕やうのないものだ。何かといふと僕をがみ/\いふ。器械體操の鐵棒でも隊の中では僕がうまい。教育係の軍曹も要領は僕にならへといふ位であつたが見習士官は譽める所ではない。そんなことぢやいかん、眼付がいかんといふ。僕は背が低いのだから鐵棒へ飛びつくにも上目を使はなければならない。銃を立てゝも銃口が耳のあたりまで來る。練兵の時でも低い奴は態度がまづい。僕が短い足で歩く工合はあぶなさうな容子だといふのでミスター薄氷と綽名された位だからどうしても上目使ひになる。それを眼付がいかん臆病だからいかんといふ。或時は梁木を渡れといふ渡らぬといふ。梁木といふとあの高い橋のやうなのがさうだ。僕は決して渡らぬといつてひねくれてやつた。すると一同を整列させて置いて見習士官がいふには國府田志願兵は臆病である。恐らく學校に居た時は外科と解剖は落第點であつたらうとかうだ。それからいやそれは大に違ふ。私は外科と解剖は必ず滿點であつたのでそれが不審であるならば私の學校へ照會して貰ひたいと喧嘩を買つたら大に閉口した。或時は又かうである。整列した前に立つて「汝の劍を以て罐詰を切れといはれたらどうするか」といふ問を其見習士官が發した。劍は軍人の精神であるといふことを注入されて居るので皆切らんといふ方へ手を擧げる。僕は擧げない。なぜ擧げないと詰問する。それから若し狂人でもあつて汝の劍を以て罐詰を切れ、然らざれは直ちに汝を殺さんと迫られた時に其狂人が自分より遙かに力強いものであつた時には徒らに生命を損するよりも寧ろ我が帶劍を以て容易な罐詰を切らんと欲するものでありますとやつた。衝突といつたら何時でもこんな愚にもつかぬものであつた。僕の居た室は以前は倉庫であつたらしかつた。或晩酒保から源氏豆を一袋買つて來ておいて消燈後に二三人で噛つた。同室の一等卒にやればよかつたが遣らなかつたので其奴が密告をした。軍曹がやつて來て誰か豆を噛つたものはないかといふ。ないといふとそれでもぼり/\音がしたさうだ怪しからんといふのでランプを點けると寢臺の下に生憎二つ三つ落ちて居たので散々こづかれた。こんなことを眞面目に繰り返し繰り返し六ヶ月經過した。然し階級制度だけに六ヶ月を經過した時には僕等は一躍して軍醫生といふので曹長の資格を保つやうになつた。もう自由に診察も出來る少し羽が擴がつた。丁度實彈演習で習志野へ行軍があつた時だ。結婚したばかりの中尉であつたが病氣屆を出して行かない工夫をした奴があつた。僕が診察の番に當つて居た。軍醫仲間の相談の結果何でも屹度彼奴は假病に相違ない。本官の奴等平生餘り威張り散らすから少し懲らしてやれといふので僕が行つて見ると大層裝つて居るが假病である。それでも其一日だけは見遁して次の日から練兵に出してやることにした。僕は竊に冷笑しながら營舍の側をぶら/\歸つて來ると
「おいこら軍醫生一寸待たんか」
 といふ。後を向くと大隊長が窓から首を出して居るのであつた。此の大隊長は特務曹長あがりでいゝ加減の老人である。赤銅のやうな顏で目玉がぐり/\して居る。眉が毛蟲のやうで白かつた。中尉の病氣はどんなのかと聞くのであつた。いゝ加減いふうちに段々ばれさうになつた。大隊長なか/\旨いことを聞く。
「熱はどうした」
 とさういふ意外なことをきく。
「左程ありません」
 といふと
「どの位か」
 と突つこむので僕はうつかり
「當り前でございます」
 とやつてしまつた。大隊長非常に怒つてしまつた。
「何を云ふかツ」
 と今にも攫みかゝりさうな劍幕だ。失策つたと思つたが據ないから暫く立つて居た。すると
「何を愚圖々々しちよるか、行けツ」
 と叱るのである。
「えゝ一寸申上げます」
 それから斯ういつて見たが聞かない。
「そんなこと要らん、何故行かんか」
 と呶鳴る。
「あゝ譬へば咽喉加答兒といふ病氣がこゝにあるとしますれば此にも熱はあるのであります。さういふ熱に對しては唯今のやうな言葉が私共醫學社會には普通に用ゐられて居るのでありますが……」
 と出任せを饒舌つた。軍人といふものはそこに到ると淡白である。騙されたとは知らない。
「やさうか、それは俺が惡かつた。醫學社會の通用語といふことは知らなかつた。今のは氣の毒なことであつた」
 といつて六ヶ敷い顏が急に解けてしまつた。それからといふもの大隊長は僕を信用して時々診察させる。喘息持で惱むのであつた。
「どうも熱があつていかん」
 といつてはいつもそれを苦にして居る。熱も無いやうなのを唯苦にして居るのだから、初めは不審に思つて居ると自分で計つては苦にするのでよく驗温器を檢べて見ると、よく/\古い狂つたので平熱でも八度近くまで騰る。七度から以上は熱だと聞かされて居たので頻りに苦にして居たのであつた。軍隊ではこんなことで日を暮して一年は過ぎてしまつた。茶化して通つたといつてもいゝので、其でもどうにか終末試驗に及第もするし心に苦痛といふことは感じないでしまつた。然し此期間に只一つ非常に困つたことがあつた。僕が少し罪を作つたやうなことがあつたので、それも罪といふ程のことではないが、其起りといへば千葉に居た時のことであつた。自分の不成績を少しく恥ぢて一奮發して見る氣に成つた時のことだが、惡友を避ける爲めに在の百姓家の一間を借りて居た。海岸であつた。暑中休暇の後であつたといふのは庭に射干ひあふぎ草叢くさむらがあつたので記憶して居る。子供の時分垣根に簇生して居た射干の花を母が切つて佛壇へ供へるので射干の花が僕の腦髓に深く印象され且つ之を好むやうに成つたのであつた。其射干の花が皆莢になつて居た頃に其百姓家へ移つたのであつた。蜀黍の穗が高く延びて海が青く光つて鰯の捕れる頃まで居た。船橋鰯といつて尾のあたりの太いのは大抵あの入海でとれる。朝よりも學校の歸りに見ると海は餘計青く光つてそこには白帆が散らばつて居るのであつた。其時分僕は分家といふことは決してすべきものではないといふ觀念を持つた。それは僕の居た隣に本家と分家とがあつた。さうしてそれが互に仇敵の如く相反目して居た。本家が衰運に傾いて居るのを分家が快げに見て居る。本家へは執達吏が來ることがある。さうすると女房や娘が僕の處へ泣いて來る。それを見て僕は只理窟はなしに分家といふことは絶對に惡いものだと感じたのであつた。だから今自分が斯うして父の家の近くに分家するやうに成らうとは寸毫も思ひ懸けぬことであつたのだ。其時分はいゝ口があつたら養子に出てもいゝといふやうなことを心では思つて居た。僕の小學時代からの友人で、君も知つてるだらうあの館野である。其親戚で八王子に開業して居た醫者で近頃郷里の川越在へ戻つて居るのがある。隨分資産もあるしそれに一人子の娘が非常にいゝのだが行く氣はないかと其館野から勸められた。噺に興が乘つて遂行つて探偵して見ようといふことに運んだ。暑中休暇を利用して富士登山といふ扮裝で行つた。先方が何も知らぬうちならば探偵の積りもいいが其娘が館野の從妹位に成つて居る家へ二人で行つて探偵の料簡であつたといふのは當時若かつたからとはいひながら滑稽至極なことであつた。途中は川越まで汽車であつたから實は草鞋の底も汚れないので少し極りが惡い位であつた。有繋に躊躇して日沒近くなつて其家へ行つた。館野は僕の平生に似合はぬといつて笑つた。醫者の家は相應な構へであつた。二階へ案内されてさうしてすぐに行水を使つた。糊のきいた肌ざはりのいゝ浴衣に換へさせられた。どうも館野が前に手紙で知らして置いたらしいので後で考へて見ると餘り何事も行き屆いて居た。家の屋根は草葺で厚い廂が二階の窓へ覗き込んで居た。窓から近所の家の棟が見えて棟には青い草が一杯茂つて居る。赤い百合の花が其青草に交つて咲いて居る。どの家を見ても皆さうである。唯赤い百合の花はないのもあつた。下女が茶を出してくれる。茶菓子を撮み乍ら窓外を見て居ると夕日が横に遠くから其青草へ射し掛けて赤い百合の花が光つた。さうして居ると左方の梯子段を靜に登つて來る足音がして何だか知らぬがかちん/\といふ微かな響が此も梯子段から聞える。横を向くと室内はもう薄闇くて外の光を見て居た眼には俄にぼんやりとした。梯子段から若い女がランプを持つて上つて來た。ランプを右の手に臺を左の手にして居る。ランプの丸いガラスの笠とほやとが觸れるのでかちん/\と微かに鳴つたのである。ランプを持つた手は肩のあたりで握つて居る。僕の處からでは女の顏は丸いガラスの笠で稍々隱された。それでもランプの光を強く受けた頬の一部は際立つて白く見えた。化粧をして居るのであつた。館野はこつそり僕の臀をつゝいた。家の娘であつたのだ。化粧榮えがしたのか美しかつた。館野のいふのは嘘ではなかつた。やがて酒が出る。主人も娘のお母さんといふ人も出て非常に款待した。時々お母さんが蚊を追うてくれる。娘はお酌をしてくれる。僕は却て包圍されて居るやうに感じた。然し存分に飮んだ。館野は後に家のものは此の遠慮なしの態度が大に氣に入つたのだといつた。其晩はそこへ泊つた。すると館野はどうだと聞く。それは娘はいゝ慥に氣に入つたのである。其前髮のあたりに※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)した短册のやうなのが幾つもひら/\と垂れた古風な簪がランプの光にぎら/\と光つて一層しとやかに見えた。二十位ではあつたかも知れぬ。白地の浴衣に赤い帶を締めて一つ二つは若く見えたやうであつた。僕はどうして連れて來られたか不思議に思ふ程であつた。然し熟考して見ると養子に出ていゝも惡いも一向まだ父へ打ち明けて意見を聞いたのではない。例令自分がよからうといつて見ても父が許さねば無効である。さうなると慥な諾否はいへなくなる。何故それでは川越あたりまで行つたかといふと斯の如き待遇を受けようとは思はず一つには唯娘が見たい位に過ぎなかつた。餘りに單純であつた。大に困却したから其翌日は遁げようと決心した。所が雨である。一日是非延ばしてくれといつて朝から酒を出す。娘が三味線を彈く。尤もそれは落付いた彈き方であつた。娘は紺飛白の單衣であつた。白粉を落した處は却て肌の光が見えて服裝のためか夜見たよりも一つ二つはませて居た。館野が一つに成つて僕を止める積りであつたから到頭立つことは出來なかつた。僕はいゝ加減惘れられるやうにと思つて有りたけの襤褸をまけ出してしまつた。其次の朝はどうしても遁げようと思ふと僕の衣物が汗に成つて居るから洗濯してあげるためさつき盥へつけた所である乾くまで待つてくれといふのである。すると又雨、又雨といふので六日も居てしまつた。六日の間は氣盡しであつたがそれでも娘に待遇されるのは嬉しかつた。僕は直ちに歸省した。館野と別れる時に例令養子に行くにしても此から先き二年間の學資を出すことゝそれから放蕩して拵へた借財を返却してくれることでなくちや厭だといつた。大抵それ程のことをいへば呆れてしまふことゝ思つたからである。所が館野の手紙ではどうもあゝ腹を割つていふ人でなくては頼もしくないから要求の金は幾らでも出す。それから是非骨を折つてくれといはれるし、それに娘が大に君に傾倒して居るのだがどうだいといつて來た。僕も案外だ。それを二日措き三日措きにはいつて來る。どうも挨拶に困るから返辭をよこせといつて迫る。遂には君は娘を可哀想だと思はないかと露骨に攻め掛ける。其の手紙をうつかり父か母かに見られたら大變だから配達の來る度に注意して居た。さうして歸省して見たら一家の事情が到底許さないことに成つたから惡しからず思つてくれ、僕は凡そ何日頃千葉へ立つ、それにしても僕の立つた後へ手紙が來ると非常に困るから手紙はよこしてくれるなと書いてやつた。其事柄はそれつきりに成つてしまつた。忘れたやうに成つて居たのだ。それが驚いたことに二年經つて志願兵で赤坂の聯隊に居る處へ其醫者の弟だといふのが突然尋ねて來た。まあ極つた挨拶をしてもぢ/\しながら其人がいふのには其後醫者の家ではまだ養子が定まらぬ。娘はあなたの方がどうか慥に極りのつかぬうちは他の縁談は聞かさないでくれといふ次第だといつて
「抂げてもどうか兄の一家のものを安心させて戴くことは出來ますまいか」
 といふ至極穩かな申出である。僕は今までそんなに心掛けて居られたかと思ふと喫驚もするし氣の毒でもありどうといつてうまい挨拶も出來兼ねるので
「一家の事情が當時許しませんものでしたから……いやどうもこんな所で何も差上げるものも御座いませんがどうか」
 といつて酒保へ連れて行つた。外に方法も無かつたからである。
「それでは只今に成つては事情お運び下さる譯にまゐりますまいか、私が斯うして參りますのはよく/\のことでございますが」
 と哀訴するやうな仕方である。僕は此の期間を過せば獨逸へ留學したい心算であるし、千葉での不勉強をどうにか償ひたいと思ふのだから五六年は暇どれることと思ふといふやうな苦しい嘘を吐いて其場は紛らしてしまつた。それが二度も尋ねて來られたのだから僕も要らざる罪を作つたものだと思つて當時は非常に神經を惱した。其娘はどうしたか懸念に思ふのはそれ許りだがどうにか養子も極まつたのだらう。館野には其後聞いたことがない。尤も彼とは逢ふ機會もなくて過ぎてしまつたのである』
 夜はふけた。夜番の鳴子の響が遠くから段々近くなつてさうして格子戸を開けてはひつて來るかと思ふ程八釜しく響いてやがて又遠くなつた。夜番の鳴子は板へ鐵の短い棒をつけたのでそれを紐で臀のあたりへ背負つて居る。歩くに連れて臀が動く其度にがらり/\と鳴るのである。藥局生はもう眠つた。微かに鼾の聲が聞かれる。若い醫者はランプへ眼を注いで居たが
「酷く明るくないな、僕の書生は少し事情があつて世話して居るんだが然し怠けていかん」
 かう呟いてランプのほやを拔かうとする。熱いので一寸手を引つこます。
「そりやかうすれば熱くないんだ」
 と客は下の膨れた處を持つてついとほやを拔いた。火はゆら/\と搖れながら油煙を立てる。天井の丸い光は同時に消えて無くなる。心の燃え粕の炭のやうになつて口金へひつゝいてるのを客は炬燵から火箸を出してごり/\と擦つてほやを刺す。ランプの光は一際明るくなつて天井には再び丸い光が映つた。


 噺は連續する。
『開戰は志願が濟んで幾干も經たぬうちであつた。召集されて行つたのは横須賀の衞戍病院であつた。横須賀には二ヶ月程居た。横須賀の北の山の手で坂を上つて行つた處に海軍の兵曹長の留守宅があつた。そこに暫く厄介に成つた。其頃はもう三等軍醫になつて居た。そこらは別莊か料理屋位がある處であつたが、兵曹長が或小金持の隱居と懇意をして居たので此の住ひは其隱居の別莊であつたのを借りたのであつたさうだ。兵曹長は佐世保勤務であつた。兵曹長といふと陸軍の少尉位の格だから餘りいゝ生活ではなかつた。家は八疊の間を僕が占めて次の間が六疊それから茶の間といふ小さな作りであつたが金持の新築だけに小ざつぱりとして心持のいゝ建築であつた。家族は細君と娘きりである。細君は四十一二にも成つたらうか娘は十九とかいつた。二人では寂しいといふので僕を置いたのであつた。二人共非常に親切であつた。僕も遠慮なしにして居ると細君は宅の者のやうな心持がする、どうぞ何でも柳子にやらしてくれといふのであつた。柳子といふのは娘である。當時は戰爭で人氣が湧き立つて居る上に、自分等が軍人の家族ではあるしそれに兎に角僕が軍醫であつたりしたものだから、自然普通の人に侍するとは感情が違つて居たかも知れぬ。其頃は蚊帳を吊つて居た。茶の間には細君次の間には娘が寢た。葭戸を立てる程の贅澤はなかつた。障子の儘で暑い時だからそれを引いた事はない。僕は出勤が早かつたからよく眼が覺めた。娘が起きて雨戸を二三枚開けてそれから蚊帳の釣手を外す。僕の枕元が戸袋であつたから假令まだ眠つて居た時でもがら/\と戸があくと屹度眼があいた。娘は寢間著で蚊帳を疊んで蒲團をあげて衣物を著換へる。それからそつちこつちの戸をあける。隔ての障子があいてるので毎朝それがはつきり見られるのであつた。かうして居るうちに僕は其娘を惡く思はぬやうになつてしまつた。然し以前放蕩をして居た時でも只の女に關係することは罪惡であると深く觀念して居た程であつたから實際此の娘に對しても非常に自ら抑制して顏にも出さなかつた。時々は以前の癖の藝者を買つたりして鬱を晴らすこともあつた。一時二時と夜更しをして歸ることがあつたがそれを娘は何時でも起きて待つて居て世話をしてくれる。尤も兵曹長も酒を飮んでは夜深に歸ることが度々でそれを娘がいつも介抱してやつたのだと細君はいつた。或晩僕は酒をしたゝかやつて料理屋から車に乘せられてもどつた。坂の下で車をおりて一人で庭の木戸を明けて戸袋の所へ行つて雨戸を開けようとした。爪先でがり/\と音をさせた。
「國府田さんでございますか」
 と娘の聲がする。
「どうも遲くなりました」
 と僕がいふとぱた/\と急いで足音をさせてかちりと掛金を外してがらりと雨戸を開けてくれた。月は短い廂から少し縁側へかけて白い光を投げた。此の夜は非常によく月が冴えて居た。腰をおろして靴を脱いで居ると
「おゝまあ涼しさうな」
 といふ聲が頭の上でした。仰いで見ると娘は雨戸の縁へ手を掛けて抄ひあげるやうな體つきをして月を見て居た。僕は腰を懸けて居たから月が廂から二尺ばかり離れて居たが娘は立つて居るので月は廂へ隱れて見えなかつたのであらう。僕は上らうとして身體をひねると娘の足へ觸れた。娘は氣がついたやうに
「あれ私がしまひませう」
 と靴をとつて戸袋の側の下駄箱へ入れた。ふと見ると障子の所に何か草花を※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)して花瓶が置いてある。どうも射干ひあふぎらしいので何だときくと
「あゝ左樣でございました、一寸ランプを拜借致します」
 と障子の内側の机に載せてあつた僕のランプを點けて立つた儘引つ込ませてあつた心を出してそこへ差しつけた。射干の花であつた。此は大好きの花であるといふと
「あの先刻用事があつて町へ參りましたらこんな花がありましたので買つて參つたのでございます。さうしますと母が其では國府田さんに※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)してあげたらよからうと申しますので※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)して見ましたのでございますがお氣に召しますかどうかお尋ねしてからと思ひまして此所へ出して置きましたのでございます」
 といつてランプを机へもどして蚊帳の釣手を一隅外してその射干の花を掛物の側へ置いた。僕は射干の花を見ながら正服をとる。娘は側に居て一々それを折釘へ掛ける。シャツをとると
「少し汗に成りましたから明日洗濯致しませう」
 と丸めて障子の外へ出した。さうして
「一寸お待ち下さいまし。只今お冷を持つて……」
 言ひ捨てゝ急いで臺所に行つて金盥へ水を一杯汲んで來た。
「どうぞお拭きなすつて」
 手拭が浸してある。其時机の上のランプは障子へくつゝけて閾の上へおろしてあつた。僕は雨戸の間から外の月夜を見つゝ手拭で汗を拭く。汗の身體を拭き畢つたら急に心持がせい/\とした。金盥の水を庭へ捨てようとすると娘は
「それは私が」
 といつて下駄箱から下駄を出して庭へおりた。低い四つ目垣には白い草莢竹桃の花の一簇がさいて居る。娘は金盥の水を手の先で草莢竹桃の根へ掛けた。更に葉から花へ掛ける。水の掛つた葉はきら/\と月の光を宿す。垣根の先には横須賀の市街が只一目で其先には海が一杯に月光を反射して銀の板の如く見える。走水から掛けて盆石の如き猿島が攫めさうである。娘は白地の浴衣に一杯に月光を浴びて金盥を手に提げた儘
「おゝいゝ月だこと」
 と獨言をいひ乍らきら/\と光る白い花簇の側に佇んだ。手に提げた金盥もきら/\と光を放つて居る。僕は恍惚として此の冴えた外の月夜を見た。さうして自分でランプを机の上へもどして蚊帳の一隈を釣つてもぐり込んだ。娘は再び雜巾で縁側を拭いて雨戸をそつと立てゝかちんと掛金をかける。蚊帳へはひると有繋に暑苦しいので
「うゝん」
 と唸るやうな聲を出してごろ/\して居ると娘は又臺所へ行つて何かこと/\音を立てゝ居る。
「柳や國府田さんはお歸りなすつたのかい」
 此時細君の聲がした。
「大層召して入らつしやるやうでございますからさつきの氷がまだ解けますまいと思つて……」
 娘の聲が微かに聞かれた。さうしたら氷袋へ氷を入れて折つた手拭と一つに盆へ乘せて持つて來て僕の枕元からそつと蚊帳へ入れてくれた。かういふことをして貰ふことは心の底から僕は嬉しかつたが然し一方に甚だ氣の毒に感じたから
「どうぞ休んでくれませんか」
 といつた。娘は
「消しませうか」
 と机の上のランプの心を引つこませて立つた。次の間は障子が開けた儘であるから娘の蚊帳がはつきり見える。さつきまで蚊帳へはひつて居たと見えて蒲團はまくつて後にあつて二分心のランプが其の蚊帳の中にあつて其側に雜誌のやうなものが開けてある。こちらのランプが消えたので次の間は餘計に明かになつた。娘は向の裾をぱさ/\とあふつてついと蚊帳へはひる。まだ帶をしめた儘である。蒲團をのべて蚊帳の外へ出る。蚊帳の向はランプを手前に置いてあるから只青く見えて居る。さら/\と帶を解く音のみが聞える。軈て白い手を裾から差し込んでランプを外へ出した。それと共にぼんやりと娘の屈んだ姿が表はれた。ランプが消えて家のうちが全く闇くなつた時ぱさ/\と復た蚊帳の裾をあふる音がしてさうして箱枕がぎり/\と微かに鳴つた。其夜は酷く寢苦しくて神經が興奮して居た。娘もどうしたのか時々寢返りするのを聞いた。僕は此夜からひどく煩惱した。それでも其時は出征したいのが山々で衞戍病院長と喧嘩した位であつたし其家に居たのも其後久しくなかつたから到頭踏み外す心配もなくて濟んだ。全く機會を與へられずにしまつたのが幸ひであつた。それから幾らも經たぬうちに僕は出征したのである。横須賀の停車場へ見送りに出てくれた人の中には聯隊長もあつたが日記に堀江令孃とあるのが此の娘のことである。それからはもう四年にも成るが其月夜のことは思ひ出すとすぐに眼の前に浮ぶ。或は生涯僕の記憶を離るゝことがないだらうと思ふのである。懷かしいのは其月夜である。
 出征の途中内地は只がや/″\と[#「がや/″\と」はママ]過ぎた。玄海灘へかゝる。天氣晴朗で波は靜かであつた。沖に泛んで居る漁師が運送船の通過するのを見て板子の下から魚を出しては海へはらり/\と投げて大手を擴げる。甲板では此を見て一齊に喝采する。水は空と相接して二つながら青い。兵卒の中には船が構はず進行して行くとあの空と水との間に挾まつてしまはないだらうかと懸念して居る奴があつた。七日目で青泥窪へついた。負傷兵の後送されて來るのに遭ふ。其中に一人知つてる奴があつた。穢い服の胴一杯に血が凝結して居る。數分間彼の噺を聞いた。或晩夜襲の命が下つた。砲臺からは機關砲を熾に浴せかける。土地へぴつたり伏しても自然の傾斜は顏が斜に上を向いて居る。其うち左の足がどさりと地べたへ叩きつけられたやうに感じた。そつと身體を捩つて手を觸れて見るとぬる/\とする。覺えずやられたといつた。尤も傷はどう成つて居るのか自分には分らない。繃帶を出して縛らうとすると後に居た戰友が俺がやつてやらうといふので足を投げ出して居ると其奴が急にぐつと酷い重みで自分の痛い足へのし掛つた。何をするのだといつても返辭がない。右の足でつゝついて見ても動かない。怪んで頭へ手を掛けて見るとぬる/\と血が流れ出して居る。驚いて能く探つて見ると腦天をやられて居た。それから酷く恐ろしくなつて疼痛も忘れて漸くのことで左の足を拔いてそれでも銃だけは放さずに偃ひながら下りて來た。ごろ/\して動かないのは味方の死骸である。それからどこを偃ひめぐつたか平らな處で穴があつたから轉げこむやうにして夜の明けるのを待つて居た。機關砲が時々桝から豆を戸板へまけるやうに遠く聞える。生きた思ひはなかつた。夜が明けて見ると砲臺に近い瓜畑で穴は砲彈の爆發した迹であつた。支那人が一人倒れて居る。死骸の懷を探しに來て逸れ彈を食つたのであつたかも知れぬ。瓜の花が血で赤くなつて居たといふ。自分の身體も一杯血に染んで居る。自分の上へ乘り掛つた戰友の血である。自分のは踵へ貫通銃創を負うて居たのであつた、とかういふ噺であつた。後では何でも平氣であつたが其時はそんな噺でも身體が引き締るやうに感じた。旅順へつくと間もなく横須賀から手紙が來た。僕等の衞生隊で内地の手紙を受取つたのは僕が一番早かつた。急に軟風が吹いて來たやうな感じであつた。僕も早速手紙を書いた。大小の事件は力めて報道した。陣中は暇な時は非常に暇なので出來るだけ精細に書いてやつた。それに對して一々義理をいうて來るのが待ち遠であつた。吸付煙草の評判は僕は得意になつて報道した。それはかうである。旅順の滯陣中に近傍の百姓等が病氣を診て貰ひに來た。他の軍醫等は五月蠅がつて碌々取り合はぬので遂僕の處へばかり來るやうになつた。隨つて土民の間に信用を博して其地に唯一の藪醫者とも懇意になつた。朝鮮髯の老人であつた。滑稽なことには其息子が花林糖賣であつた。少女に至るまで僕には心を置かなくなつた。少女は皆辮髮で赤い切を飾つて居る。容易に人には逢ふこともない。後家婆さんが少女と二人で住んで居る家があつた。ペラ/\した唐紙刷のよく支那から持つて來る繪紙の美人があるが額がくるりと丸くなつて居るあんな形の少女であつた。時々は裁縫までしてくれるやうになつた。脈搏を見てやらうと手をとつて見ても遁げぬ。僕はよく其婆さんの家へ行つた。それだけなら何もないのだが或時其婆さんが一口吸ひ付けて煙管を出した。雁首の開いた煙管で煙草は恐ろしく辛いのである。此は誰も知つたものはあるまいと思つて居ると隊中の評判になつてしまつた。馬丁が見て居て吹聽したのであつたのかも知れぬ。兎に角かういふ事件はもうすぐに手紙になつて横須賀へ行つた。こちらから餘計やれば先からも餘計よこす。此が陣中唯一の慰藉であつた。奉天の戰後には何と思つてか横須賀からは一々僕の手紙を淨寫して一册の本に綴つたのをよこしてくれた。自分でも其手紙の數には驚いた位であつた。月夜といへば旅順でも月夜はあつた。禿山の所々にひよろ/\と立つて居る芒をとつてビール罎に※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)して月見の筵を張つた。然し其時は遼東の冷氣が漸く肌に浸み透る頃であつた。其月見の四五日前に某砲臺の攻撃があつた。非常な負傷兵は皆機關砲でやられて居た。負傷兵を收容するのは夜間のことであるから夜になつて運ばれて來るものは想像の外であつた。僕等の衞生隊は第一線の繃帶所であつたので應急手當をしてそれから野戰病院へ後送する役目であるが僕は其輕傷部の主任であつた。テントの内へは勿論はひり切れないのでごろ/\と外へ轉がして置く。應急手當といつても石鹸で一々傷を洗つてから繃帶をするのだからさうは間に合はぬ。テントの外にある負傷兵は毛布も無ければ外套もない。
「水が欲しい」
「繃帶がきつい」
「血が出てしやうがない」
「どうするんだあ」
「擔架ア」
 と口々に訴へて叫ぶ。それで繃帶をするには何處でもぐるつと刀で服を切り拔いてそこを石鹸で洗ふのであるからシヤツへは冷たい水が浸みる。冴えた月の下に轉がつて寒さは怺へられぬ道理である。それで唸つたり泣たり慘澹たるものであつた。然し此の月夜も亦既に四年の前に成つてしまつた。講和になつた時は一日も早く横須賀へ行つて吸付烟草の噺もして見たかつたが内地へ凱旋の間際にはそのどさくさ騷ぎに紛れて遂機會を失し其内に病院へ奉職はする、それから開業して一身は束縛される。赤の他人に成つて其後はふつゝり消息もない。僕の一身は心と共に變化した。女の一身も變化したであらう。若し再び相逢ふ機會があつたとしても相互に戰爭の熱に浮されて居た時の心持になれるだらうか。それ處ではない、或は僕のことは思ひ出さないかも知れぬ。然し月夜のことは女の記憶をも去らないであらうと思はれる。一體此所へ開業するといふことが僕の本意ではなかつたのだ。だが七十になる父と喧嘩をすることも出來ず、自分の從來の失策も段々と自分の我を鈍らして到頭僕を下落さしてしまつたのだ。何だか急に藪醫者になつた心持がする。それに隣づかりが皆子供の時分からの知合ひだからどうも自分から大人らしく感ぜられぬ。先生といはれるのもいふのも調和が惡いといつたやうなものである。かういふことがある。此のすぐ裏の竹藪の先は寺の境内で大きな榎の木が一本ある。枝が横に出て居て登りいゝので其の實が黒くなると小學校の生徒がつけこんだ。榎の實は旨いので砂糖の實といつて居た。學校の歸りには屹度荷物を脊負つた儘登つては枝と枝とを渡つて歩いた。砂糖の實には椋鳥が群集して騷ぐのであつた。然し學校の放課後といふと何時も椋鳥は遠い空へ遁げて移るのであつた。僕も毎日行つた。然しこつそりと行つた。落ちたら危險だからといふので母が叱るからであつた。桑の實であると口が染つてなかなか落ちないが砂糖の實では其時捉まらなければ分らぬので腹一杯たべては平氣な顏で家へ歸るのであつた。さうすると何時か母が寺男へ頼んで置いたと見えて寺男が庭でも掃いて居るとすぐに追出される。居なければ登つてたべた。それを或時荷物は背負つて居たから取られなかつたがうつかり下駄を持つて行かれた。非常に驚いて謝罪つたが聽かない。僕は到頭泣き出してしまつた。さうしたら寺男は笑ひながら下駄を出して僕の身體を左の手で抱いて僕の足を盥へ入れて洗つてくれた。此の男が今でも白髮になつて生きて居る。此間指を腫らして診てくれといつて來た。さうして砂糖の實の噺をして何時の間にこんな先生さんに成つたかといつて涙を落した。かうしたことで郷里には懷かしいこともあるが又幅の利かぬことも多いのである……若いうちは要するに駄目だ』
 かういつて主人は息をつく。


『病院へ奉職したのは二月である。宇都宮は日光颪が吹きつゝあつたけれど滿洲の冬を凌いで來た爲めか寒いとは思はなかつた。僕は外科の主任を托せられた。其時僕と相前後して看護婦長が來た。此は博愛丸に乘つて出征した女で年輩も二十五六の體格もがつしりした中々私立病院などへ燻らせるのは惜しい位な女であつたが、以前病院に居たこともあるし其郷里が近いといふので院長の懇請を容れたのだといつた。看護婦長の連れて來たのだといつて一ヶ月許りして僕の外科室附に山田といふ看護婦が來た。其前にも外科室附が一人あつたが僕が奉職して間もなく、赤十字社の病院へ行く積りで試驗を受けたが落第したとかでそれで外聞が惡いとかいつて病院を出てしまつた。然し此の女は感服しない女であつた。後から來たのは性質が柔順でそれに十日でも二十日でも後れて來るとそこに多少の遠慮もあるからして勤め方が非常にいゝ。患者でも譽めないものはない。僕が夜外出して遲くなると火鉢へ火を起し灰を掛けて置く。それで患者からの遣物でもあると屹度僕の處へ持つて來る。其位だから外科室内に必要なものはちつとも滯りなく整理して置く。僕はいゝ看護婦が來てくれたものだと思つた。性質許りでなく其容貌が丸ぼちやの色白な愛嬌のある女であつた。僕は仕事が總て愉快であつた。戰地での經驗を應用して驚かしてくれようといふ樣な功名心もあつたが女を相手にして居るのは其頃はまだ愉快であつたのだ。戰地に足掛け二年も居て殺風景な境涯に餘儀なく働いて居たものはたま/\女を見るとどれを見ても好く見えた。丁度凱旋の途中汽車が遼陽の停車場へつくともう日本の女が居た。其時には滿載された兵卒が一時に勇み出して汽車がひつくりかへる樣な勢ひであつた。白い服を着て立ち働く看護婦も其當座僕の目には大抵よく見えたのである。手術の暇に僕が椅子に凭れて居ると看護婦は一々叮嚀に器械をガラス戸へ入れる。汚れ目のない服をきりつと腰で締めて居る。僕はそれを餘念もなく見て居るのであつた。バケツを提げて出て行く時に看護婦は扉をそつとしめながらちらと僕を見て行くことがある。さういふ時には空のバケツを提げて戻つて來て扉を開けてはひつて來る時には何となく一寸赤い顏をするのであつた。さういふ女であつたから僕は心から教へもした。兎に角外科室はいき/\して居るやうに感じた。だが世間といふものは迂濶に行かないもので尤もそれはずつと後になつて知つたのだが其の時分藥局生や其他の奴がどうも僕と其看護婦との間が變だといふ疑惑を抱いて蔭では騷いで居たさうだ。僕等は實際に於て疚しい所のあつたのではなしそんなことゝはちつとも知らずに居つたのである。固よりそれだから遠慮をしてどうといふことはなかつた。それを尚更ら不埒だといふので蔭では頻りに業を※(「睹のつくり/火」、第3水準1-87-52)やして居たさうだ。或時妙なことから僕はそれを知つた。其頃病院はまだ新築してなかつたから宿直の醫員も藥局生も寢室は一つであつた。或晩僕が宿直であつた。うと/\して居ると藥局生の一人が騷ぎ出した。それは彼の蒲團が一枚どうかして無くなつたといふのである。さうして其蒲團が僕の上に掛けてあつたことが發見された。僕の夜具は何時も僕の看護婦がとつてくれる。其晩はどうしたことか故意にやつたのではなかつたのであらうがうつかりした間違ひをでかしたのである。一室のものは騷ぎ出した。明白地にはいはぬが當てつけらしく變だ怪しいと呶鳴る。呶鳴つては僕に見られると蒲團をかぶる。ランプが消えると足でどた/\と蒲團を叩く奴がある。僕は變な奴等だと思つたが然し默つてしまつた。其翌日看護婦は僕に何ともいはなかつたが非常に氣の毒さうにして小さくなつて居るのが著しく分つた。彼は其騷ぎを松田から聞いて知つたのださうだ。突然松田といつても分るまいが今僕の使つて居る松田であるが其時分は病院に居たのである。氏家の生れで山田と同郷であつたから外の奴より懇意にして何事も打ち明けて居たらしい。山田は鹿沼へ養女に行つて居たので以前は知らぬ同士であつたが同郷といふ觀念は互に懷かしがらせたと見えるのである。僕は山田の容子を見ていぢらしい女だと思つた。其後又こんな事があつた。宿直部屋で骨牌をやるとかで皆集つた。看護婦も集つた。其時僕はランプで書物を見て居る。騷がれるのが迷惑であつたからふとそんなことは詰らないぢやないかといつた。すると藥局生等はふいと立つて行つてしまつた。他の看護婦も立つてしまふ。山田が獨り殘つた。酷く心配さうな顏をして暫く坐つて居た。白い服をとつた彼は其服裝が富裕の身でないことを證據立てた。彼は僕の夜具をのべて去つた。それから蒲團の中で書物を讀み續けて居ると藥局の奴等が酒を飮んで來た樣子でどた/\と踏ン込んで來た。突然ランプを吹つ消した。さうして亂暴をはじめる。僕が激怒したから何をするんだと立ち上つて呶鳴りつけた。さうすると先生は病院の風紀を害するからだといふ奴がある。何を害して居るのだと詰問すると看護婦と變ぢやないかと無作法にもいふのである。僕は山田が置いて行つてくれた枕元の燐寸を探つてすりつけた。さうすると有繋に極りが惡くなつたと見えて一時に遁げて行つてしまつた。隣室へ行つて狡猾い奴だといつて松田を起して居る。松田は看護婦との關係から自然彼等の仲間入をしなかつたのである。僕が今あれを世話して居るのも其時分の縁故があるからである。僕は其晩はじめて彼等が此程猜忌の眼を以て見て居たのであつたかと驚いたのである。然し此事から其後までもどう云ふものか彼等に對しては自分から身を引いて避けて居た。軍隊に居た時分の心持にはなれなかつた。さうして何となくさういふことのある度に一層小さくなつて心配さうな顏をして働いて居る山田のことがいぢらしくて堪らなかつたのである。其後僕が宿直の晩であつた。酒を飮んで來て遂に松田へうつかりしたことをいつてしまつた。それは自分は山田を欲しいと思ふのだが一つ聞いて見てくれないかと露骨なことをいつたのである。然し酒が醒めてからは自然忘れたやうに成つて居ると或晩松田が相談したいことがあるからと誘ふので蕎麥屋へ行つた。松田は例の件ですがといひ出す。あれから早速本人に打ち明けると身分が違ふのであるから到底駄目なことゝ私は思ふけれど先生のたつての望みとあれば私の一身はお任せ申します。然し私には關係のある人もあるから其方へ手紙を出して見なければならぬと初めはかういふ挨拶であつた。一週間たつたら手紙が來た。もう私の身は私の自由に成つたどうか先生へ挨拶をしてくれと女はかういふのである。先生も其積りで居てくれと松田は述べるのであつた。僕はどうして松田抔へそんなことを打ち明けていつてしまつたのであつたかと彼の挨拶を聞かされては驚かざるを得なかつた。能く聞いて見ると女は氏家から養女に遣られたのださうだ。其成長するに隨つて不幸な一家は沒落した。主人が死ぬ時に鹿沼に病院を開いて居た人が縁戚の關係でもあつたか死後の一家を托した。それで彼は其病院の養子であつた一少年と一つに成るとか成らぬとか兎に角一生のことに就いて助言を得るだけの契約があつたのである。それで今東京に出て大學の助手をして居る其の養子に手紙を出したのである。其醫者といふのは本來必ず彼を迎へようといふ意志もなかつたらしいので、良縁があるならば其方へ身を任せたがよかろう自分は生涯の相談相手たることに變りはないからといふ返事であつた。然しかういふ相談を掛けた以上もう彼は其の養子に身を任せるといふことは義理の上にも出來なく成つたのであるから先生も能く考へてくれと松田は平生にませたことを附け加へた。僕はそんなことに成らうとは寸毫も思つて居なかつたのだから困却してしまつた。それから僕は郷里に在る父が頑固で到底貧窮の子女を容れ能はぬことや家庭が隨つて六かしいことや種々の情實を打ち明けて自分は山田を惡くは決して思はぬけれども成就しない縁と信じて居るからどうか其積りで居てくれと松田へ斷つた。僕は苦しかつた。其夜の酒は更に旨くなかつた。何故松田へ頼んだのであつたらうか然し頼んだことに誤りはない。矢張り僕には女に對して未練があつたのかも知れぬ。病院に奉職してからの僕はどうしても變であつた。其後松田は女へ斷りをいつたことゝは思つたがそれでも氣がゝりであつたから直接自分の事情を打ち明けた。女は疾に松田から聞いて知つて居る。最初から到底及ばぬ事と思つて居たのだから怨みに思ふ事もないといつた。然し僕が一言の失策をしみ/″\と詫びた時にうつ向いた彼の白い膝に涙が三四點煮染んだ。僕は何となく果敢ない可愛想な感じがした。さうして自分も彼の一身の爲めには一肌拔いで世話してやらなければ成らぬと其時心に深く思つた。松田は此の事のために女が非常な煩悶をしたことを語つた。然し自制心の強い看護婦は擧動に何の變化もなく依然として忠實に働いて何處までも愼ましいのであつた。一人でも他人が側に居ると愛嬌のある彼は元氣よく笑ふのであるが僕と二人の時は打ち解けることもないといふ姿であつた。それが何となく齒痒いやうなもどかしいやうな感じがした。二人の關係は截然と極つたにも拘らず病院のうちの嫉妬は止まなかつた。藥局生は遂に庶務に迫つた。庶務のものは僕に一言もせずに彼を隔離室へ轉じた。僕は心中不滿に堪へなかつたがぢつと一言もいはなかつた。然し隔離室は裁判所に勤務して居た兄の夫婦と共に借りて居た家のすぐ近くであつたので彼は僕の家に往復した。僕を訪ねたのではない。其ずつと前からの懇意で姉を訪ねて來るのであつた。姉とは姉妹のやうであつた。姉は時々あれを妻にしたらよからうとまでいつた位である。兄にも勸めた。兄は俄に可否の判決は下さなかつたが彼を愛して居ることは姉に劣らなかつた。姉は僕が一家の事情まで打ち明けたこと抔は素より知らう筈がない。却て僕が最初から冷淡であつた樣に見て居たかも知れない。山田は姉と逢へば心底から快活に打ち解けて居た。それが僕獨りになると紙一枚の隔てがあるやうな態度であつた。其癖痒い所へ手の屆くやうに親切であつた。隔離室へ移してもさうであつたから他の嫉妬は益※(二の字点、1-2-22)募つた。憐れな看護婦は到頭そのために解雇されて宇都宮を去らねばならなくなつた。其時姉と散々別れを惜んだ。二日間姉は彼を引き止めておいた。さうして停車場まで見送つた。本當に汽車に乘る時の容子はお氣の毒なと姉は歸つていつた。僕も其日は缺勤してしまつた。暫くして姉のもとへ手紙が來た。其後上京して芝口の或商家へ奉公に住み込んだ。おかみさんといふのは家附の娘でそれでヒステリーであるから我儘な人である。此までは下女が皆勤まらなかつたさうであるが私には少しも苦には成らぬ。近頃はおかみさんが怒らなくなつたというて旦那から譽められる。それでお内儀さんのお供をしては時々見物に出られるので今の所は何も不足もないから安心をして貰ひたい。只あなたにお目に懸れぬのが遺憾だといふのであつた。先生へも宜しくといふ一句があつた。僕は此一句が非常に滿足であつた。さうして其手紙を繰り返して見た。姉は現在の彼の身の上を心の底から悦んだ。此丈けのことならどうでもないのであるが事件といふものは不思議に發展して行くのである。
 翌年の一月である。用があつて歸省した。用はそこ/\に達して三日程の猶豫があつたから急いで上京した。女の許へは手紙を出して本郷の西片町に居た鹿沼の病院の養子だといふ醫者の處で落合ふやうにといつてやつた。彼は病院に居た時には相應の口から數次縁談があつたのであつた。それを皆拒絶した。彼は何時も餘り打ち解けることはなかつたのであるが拒絶したといふ時には屹度手柄さうに僕へ語るのであつた。それも今のやうに奉公をして居るのも僕の爲めであると思ふと濟まぬ氣がとめどもなく起るので以前から關係のある醫者に打ち明けた相談をして彼を頼まうとしたのであつた。それも一つであるが實際僕は逢ひたかつたのだ。それなら一人で逢へばよかつたものを其氣は付かずに只一身の世話をすることばかり腐心して居た僕は餘りに正直一圖であつた。極めてやつた時刻には僕は西片町へ尋ねて行つた。其醫者とは初對面であつたのだ。それを臆面もなく行つたのは僕の頭も變に成つて居たのである。格子戸を開けて案内を求めると女の下駄が一足爪先を揃へて脱いである。玄關の折釘には吾妻コートとショールとが懸つて居る。帽子と外套とをとつて此も折釘に掛けながらショールを握つて見た。女は疾から待つて居たのである。僕が座敷へ通つた時に彼はきちんと坐つて居た居ずまひを更に改めた。看護婦の白い服を脱げばいつでも唐棧の衣物であつた彼が纔の間にすつかり身なりの改まつたのには驚かずには居られなかつた。さうして坐に在る間絶えず女へ目を注いだ。僕は主人へ相談を仕掛けた。歸する處は氣の毒な彼の一身をどうかしてやつてくれといふに過ぎないのである。其時主人は彼との關係を具に語つた。主人も漸く三十位な男であつた。穩かな性質らしかつた。然し餘り氣乘りはしない容子であつたが寧ろ此は當然のことゝいはなければならぬ。主人と山田との關係は密接であつたのだ。それだから僕との關係に就いても態々手紙の往復があつたのである。若し頼むといふことになれば先方から僕に向つてすべきことであつて垢の他人から自分の深い縁故のある人間の事を殊更に依頼されるといふそんな矛盾したことがどこにあるものか。相談は不得要領に畢つた。主人は僕等の關係に疑ひを抱いて居たのであらう。始終腑に落ちぬといふ風であつた。是も咎めることは出來ない。西片町を出たのは夜の十時過ぎであつた。女はもう芝へ歸るには餘り遲くなつた。僕は主人が必ず彼を泊れといふのであらうと思つた。それを何とも云はぬ。もう深い關係のある仲と思つたのだから男と一所に出る女を留めるといふことは實際出來なかつたのであらう。女も不精無性にコートを着てショールを掛ける。僕も跋が惡く格子戸を開ける。女はつゞいて格子戸を立てる。主人はランプを持つた儘默つて玄關に立つて居た。外は寒い晩であつた。ぽつり/\と森川町の通りまで出た。急に正氣づいた樣に街頭のともし灯が輝いて見えた。後を見ると女はしよんぼりとして兩袖を胸の所に重ねてうつ向きながら跟いて來る。何處か宿屋へ泊らなければならぬと思つたが店の明りが眩いやうで何となく氣が咎めるやうでどの店へもはひることが出來なくて唯うか/\と歩いて居た。ぞろ/\と人通りの繁きなかを電車がぐわう/\と過ぎて行く。電車に乘る氣もつかず當もなく歩いて行つた。それから戻つて切通しの坂へかゝつた。坂が闇く成つた時後を見かへると二間許り後から小刻に刻みながら足を運んで女は跟いて來る。態と池の端へ出た。夜の寒さは闇い空から急に押へつけて來たやうに感じた。到頭上野まで來てしまつた。停車場の横丁で思ひ切つて宿屋の閾を跨えた。表のガラス戸を開いて僕がはひると女は躊躇して居る。僕はこつちへはひらないかといつた。西片町を出てそれまで一言もいはなかつたのである。番頭の挨拶は元氣であつた。案内されたのは少し離れのやうになつた部屋であつた。二間あつたやうであつたが隣りの間には客はなかつた。何となく安心が出來るやうな氣がした。番頭に少しばかりの心付をすると番頭は二人を見てへえ/\と頻りにお世辭をいふ。僕はすぐに風呂に暖まつて來ると電燈の下に堅炭がかん/\とほこつて居る。茶が茶碗に汲んである。褞袍に著換へて火鉢の前に坐つて少し冷めた茶を啜る。女は火鉢の側へも寄らず座蒲團の上へも乘らず堅くなつてうつ向いた儘である。風呂はどうしたと聞くと延べませうといふ。病院に居た時は打ち解けないといつても此程ではなかつた。僕も手持不沙汰に火鉢へ手を翳す。女中を呼んで酒を命じた。女中は出はひり毎に堅くなつて坐つて居る女の姿を不審さうに見て居た。さうして草履の音が態とらしくばた/\と聞えた。酒を二三杯引つ掛けて僕は火鉢の側へ寄つたらどうかといつた。漸く彼はすりよつた。それを敷いたらよからうといつたら漸く座蒲團を半分ばかり膝の下へ入れた。さうしてぢいつとして居たが
「あの先生は田端に御親戚がございますさうですが」
 と漸くのことでいつた。兄がそこにも一人あるのだといふと
「昨晩は田端へお泊りなのでございませうね」
 重ねてきく
「さうだ」
 と僕は何氣なしにいつた。
「お兄さんのお宅へお歸りになりますと宜しいのでございますのに私のために無駄な費用をお遣ひ遊ばして誠にどうも相濟みません」
 と彼は妙に改まつたことをいひ出した。尤も彼は病院に居た時から非常に義理堅い女で姉が何かやると屹度返禮をした。餘り氣の毒だから滅多に物もやれぬと姉はいつて居た位なのであつた。
彼はかういつて
「あの私の分は私に用意がございますから」
 と更にいふ。僕は
「馬鹿な、そんな心配をすることはないさ」
 といつて笑ひながらぐつと杯を引つ掛けた。それからといふものは女は少し打ち解けて徳利を取り上げて漸く酒をさした。二本の徳利が空になつたけれど僕の心は混亂して居たので微醺をも帶びない位であつた。大分時間が經つたらしい。内も外もひつそりとして居る。唯時々停車場の機關車がぴゆうと鳴つてどろ/\と遠く響くのみである。呼鈴を押すと番頭が來る。
「へえ、お床は御一所に致しませうか」
 と番頭は閾へ手をつく
「いゝや」
 と僕は急に慌てゝ右の手を延べて疊を指しながらいつた。
「へえ/\」
 と番頭は愛嬌を作つてやがて夜具を運んで來る。
「あのうランプを持參しましてございますから、エヽ御用の節は何時でもどうぞベルをお押し遊ばして……エヽ便所はすぐこちらでございますから……エヽ明日は汽車にお召しになりませんでエヽ左樣でございますか……それではお冷を只今持參させますからエヽそれではごゆつくり……」
 といつて番頭は去つた。女中がやがて盆へ土瓶とコップとを持つて來て枕元へおいて默つて障子をしめ乍ら女の姿をちらりと見て行つた。便所へ立つてもどると電燈が消されてランプが點けられてあつた。さうしてランプは余の枕元で室の隅の方にくつゝけてあつた。薄闇い方で女は僕の洋服を疊んで居るのであつた。僕は床の上に胡坐をかいて見てると女はランプと反對の隅へ行つて羽織を脱いでそれから着物を脱いで襦袢の片袖を脱いで床の上の寢間着に着換へた。さうして羽織を疊んで上衣を疊んで襦袢を疊んだ。襦袢の袖は非常に派手な美しいものゝやうに見えた。僕は襦袢の袖を譽めると
「あの此の間お内儀さんのお供をして參りました時此切がありましたのでまあ綺麗な友禪だと申しますとそんなによければ取つてお行きと申して下すつたのでございます。尺が少し足りませんので袖が短かうございます」
 といつて赤い襦袢で一寸顏を掩うた。前にもいつたやうに其内儀さんといふのはヒステリーで氣分のいゝ時はそれや此やと女中をいたはつてお供で出る時には何かと買つてくれる。主人も内儀さんの機嫌がよければ喜んで竊に心付するといふので近頃懷は温かである。それで貰つたり買つたりで漸く此頃では身の廻りも一通りは出來たのだといふのである。それで此の友禪の襦袢は内儀さんの供をする時には何時でも著て出るのだといつた。彼は着物の噺から一層打ち解けた。僕が心中頻りに苦悶して彼の一身に就いて將來の決心を慥めようと思つて有繋にいひ出し兼ねて居るとは知らずに威勢よく蒲團の上に躪りあがつた。それでも僕が默つて居れば其の間彼も默つて居る。噺は暫時途切れた。電燈の光に比してランプの光は薄闇い。もどかしく成つた。
「此後はどうする積りだ」
 と僕は突然聞いた。其聲は僕の耳にも穩かならず響いた。彼は暫く默つて頸を垂れて居たが更に其儘うつぶしてしまつた。僕は片隅のランプをとつて二人の近くに置いた。さうして明るくしんを出した。女の束髮は僕のずり出した膝近くにうつぶして居る。女は軈て顏を揚げた。ランプが餘り近くに置かれてあつたのに氣がついて思はず
「まあ、あなた」
 と女はいつて顏を赭らめた。彼があなたといつたのは前後に此時のみである。然し僕は堅唾を呑んで女の返辭を待つて居たのである。戲談の沙汰ではない。僕の顏は恐ろしげであつたらう。女は僕の顏を見ると急に色を變じた。復た突つ伏して微動もしない。僕は餘りに寒からうと思つて後の夜著を掛けてやつた。三十分も經つたかと思ふ頃女は起きあがつた。怨を含んださうして遣る瀬のないやうな顏をして只一目僕を見上げてすぐにうつ伏した。
「どうにか私の一身は私が始末をしますから先生はどうか御心配下さらぬやうに……」
 と慄ひながら微かにしかもきつぱりと女はいつた。さうして近くに置いたランプの光は女の膝にこぼれた涙にきら/\と映つた。僕はまたいぢらしく成つて心が鈍つた。餘り過激ないひやうをしたことを悔いた。どうにかするといふ其の事が若い女の一身には至難のことである。それを捨てゝ見て居るといふことは僕にはどうしても濟まされぬ。後に知人に此事を噺したらそれは君には女とすつぱり離れてしまふのが心殘りなのであつたらうといつて笑つた。さういふことも當時の心の裡には潜んで居たかも知らぬ。それで其時女に對する僕の方鍼が定まつて居たかといつてもそこには何物もなかつた。決心がどうだと聞かれたとて女の心に何の定まつた考へがあらうか。腹藏なくいへば二人の間には意識されなかつた一種の強い粘著力が潜んで居たのである。要領を得なくてもどうでも二人で相對して居ればそれで其時は氣が濟んだのである。實際病院を出た當時十分彼の一身に落付が出來て再び僕に遇ふことも無いといふやうになつたであらうならば僕は果敢ない心持がしたであらうと思ふ。ランプに照らされて居る女の髮を見おろしながら雜念に惱まされつゝ腕を拱いて居た。ふと横を向くと二人の姿がぼんやり障子に映つて居る。思はずはつとした。立つて障子を開けて見廻はした。夜は益※(二の字点、1-2-22)靜かで今は機關車の響も聞えない。便所へ立つてもどつた時僕は身體の非常に冷却して居たことを心附いた。女は依然として死骸の如く動かぬのであつた。


 翌朝僕は急に宇都宮へ立つた。疑懼と不安との念に驅られつゝ病院へもどつた。其夜の行爲に對して僕には心に解決のつけやうがなかつた。同宿の兄は檢事であつたので自然僕も兄の同僚と交際があつた。煩悶した結果遂に兄の同僚の二三の人に竊に判斷を求めた。或者は兄夫婦が愛して居るなら好配偶である公然細君にしたがよいといふ。或者は事情がさうであるならば斷然排斥しなくてはいかんといふ。僕の心には排斥するといふことがどれ程罪惡であるかといふことは明瞭に分つて居る。實際に於て惜しい心は十分である。然し惑つた末には人は心にもない處置をしてしまふことがあるので僕も一方病院の者や知人などに對しての恥辱をも感じたので遂やぶれかぶれで思ひ切つた手紙を出した。郵便凾へ入れてからもその手紙の處置に對して不安の念に驅られて居た。僕の心は寂寞としてとりとめもないむしやくしやしたものであつた。女の手紙がすぐに來た。非常に怨んで居る。それは知れきつたことだ。手蹟を見ると松田が書いた手紙である。松田も疾に病院を出てしまつて居た。僕等の關係から居惡くなつてしまつたのだ。後に松田に聞いて見ると其時女は神田に居た松田を尋ねて行つたさうだ。さうして散々泣いたさうだ。一所に成らうとは初めから思つては居ないのだけれど今になつてさう不人情に捨てられたのでは酷い。今さら心が咎めるから許婚の處へ知らぬ振りをして行く譯にも行かぬ。それではあんまりだといつて泣いた。松田は女に泣かれて他の下宿のものへ身がひけたといつた。松田は女に頼まれて其時怨みを書いたのであつた。僕は衷心から悔悟した。さうしてすぐに自分の不人情を詫びてしまつた。此時ばかりは自分で自分を不人情の極だと思つた。手紙の端へは其うち逢はれることもあらうし其時に何事も腹を割つて噺をしたい。此の間の手紙は自分の眞意ではないといふやうなことを具さに書いてやつた。すぐに二月は來た。山田から又手紙が屆いた。郷里の生家に久々で行く序でがあるからお目に掛かることが出來るだらうといふのであつた。或日病院の方に暇があつたから石橋の停車場から一里半程在の元の看護婦長を訪ねていつた。其家も醫者であつた。看護婦長は氣象の勝れた女であつたから病院内の折合ひが面白からぬことがあつたので病院長が留めるのも聽かずに出てしまつたのであるが僕に一遍はどうか來てくれと再應の手紙であつたから行つたのである。此處へも山田から手紙があつた。それは暫くのことでお目に掛つてそれから宇都宮へ行くといふ文意で明日が丁度其日に當つて居た。僕は思はず時間を過して大急ぎに停車場へ驅けつけた。今一足で汽車に乘り後れる所であつた。漸く車掌に押し込まれた時には暫く胸がせか/\して居た。宇都宮へついて出口の方へ急いで行かうとすると僕は驚いた。丁度僕が通り過さうとした或室から一番後れて出た女がある。山田であつた。石橋へは降りずにこゝまで來てしまつたらしい。狐につままれたやうに思つて物も云はずに出口を出た。それから停車場の待合で少時話をした。まだ先刻まで明日看護婦長の所へ行くものと思つて居たのに同じ列車で此所へ降りようとは餘りに突然であつたといふと彼は電報で知らして置いたのだがといふ。電報は石橋の在へ出た後へついたのである。尤も僕の宿所へ打つたのではなく彼も僕も知合ひの或處へ打つたのであつた。それで電報を受取つた人は散々僕を尋ねたさうである。人の惡い病院の奴は僕の行先を明かさなかつた。それに僕の家へは其人は憚つて來なかつたのだといふ。其時の事は能く記憶して居る。停車場を出た時には寒い空氣が乾き切つた市中を吹き拂つて稍※(二の字点、1-2-22)鎭まつた時であつた。既に山に傾いた夕日は凡ての物を黄色に染めて居た。道路からさうして市中の白い壁まで橙色の光を浴びて居た。女は化粧をして居た。其橙色の夕日が西を向いて行く彼の一身へ一杯に投げ掛けて居て美しく見えた。僕は別に何の考へもなく自分の家へ連れ込んだ。停車場で偶然遭つたから連れて來たといつた。事實は其通りであつたけれど僕等の關係を寸毫も疑ふ念のない兄や姉に對しては心に恥ぢない譯には行かないのであつた。姉の悦びは非常であつた。さうして女だけに彼の服裝から其順境らしいのを見てとつて心から愉快らしかつた。兄も僕に對して些つとも疑念を挾まぬやうであつた。僕も女を連れ込むといふのは呑氣なものであつたが兄も呑氣であつた。姉が心からの饗應を受けて山田は三日泊つて居た。錢湯へも姉と一所に行つた。借家は病院の近くで錢湯へ行くのには病院の前を通らねばならなかつた。漸く噂を止めて居た奴等は又姉と歩いた彼の姿を見てそれから以前と異るあでやかさを見て想像して居た二人の關係に誤りはなかつたといつて俄かに騷ぎ出した。此時は既に僕の心には彼等の疑ひを心から打ち消す資格はなかつた。それでも以前からの關係であることを彼等の心に慥められるが遺憾であつた。三日の間僕は女と打解けて語らなかつた。三日の間に兄夫婦の疑ひを招くべきことは寸毫もなかつた。彼がもう歸らうとした時に僕はしみ/″\噺をしたいが二三日暇取ることは出來ないかと竊に聞いた時幾日でも居りませうといつた。彼は郷里へ急いで行くといつて居たのに又三日居てしまつた。五日でも七日でも居たかも知れぬ。僕の留まつて居れといふ言は彼は心の中で宇都宮へついた時から待つて居たであつたらう。姉の處に居たのではない。姉には暇を告げて出た。いくら辭退しても聽かずに停車場へ見送つた姉の手前を兼ねて已むなく汽車に乘つた。次の岡本へ下車して竊かに諜し合せて置いた士族町の或家へ戻つた。三日前に彼が電報を打つた家である。僕は彼に逢つたら到底別れねばならぬ運命であるから相互に納得の上泣くだけは泣いてもきつぱり手を切つてしまはうと篤と噺をする積りで其いひ樣も心の中であれこれと考へて居つたのであつたが停車場へ突然彼の化粧した姿を見た時には恍惚としてそれも此も忘れてしまつた。姉の手前を兼ねた三日の間はもどかしい齒痒い時間であつた。彼が表面姉のもとを去つた日の午後には少なからず不安の念を懷きつゝも病院の用はそこ/\にして車で士族町へ駈けつけた。もう手切れの噺どころではない。しみ/″\何をいつたのであつたか今ではちつとも記憶して居らぬ。彼は三日間一歩も外へは出なかつた。僕も三日といふもの碌々病院にも居ないで其家へ泊つて居た。兄も姉も彼が汽車で立つたことを信じて居たので二人がこんなことをして居ようとは毛程も勘付かなかつたのである。何事も暴露した現在でも此時のことだけは兄夫婦は知らずに居る。女か僕かゞ知らさなければ兄や姉の耳へは達する筈がないからである。何故といふのは兄は其後遠方へ轉任になつたのである。此三日の間に山田は何處までも女らしい、身も心も捨てゝ僕のいふが儘になる柔しい女であることを今更のやうに感じた。一言でも自分の身の上を訴ふることはなかつた。かういふ不運ないぢらしい女を僕は後遂に捨てゝしまつたのである。僕は心にもない薄情な人間になつてしまつたのである。三日目の朝に歸さうと思つたが逐愚圖々々と暇どつてしまつた。人目を忍んで日の暮合ひ頃の汽車で立たせた。停車場のランプの光は寂しかつた。殺風景な汽車の扉ががたぴしと立てられて車掌の呼子がぴり/\と鳴つたら汽車は夜の中へ大急ぎで紛れてしまつた。僕は家の者へ挨拶するために士族町へもどつた。一月に女を後にして來る時は心は疑懼と不安とを感ずるのみであつたが其夜女に去られた時はつく/″\、心の寂寥たるを覺えた。別れる時に僕は無理に少しばかりの小遣ひをやつた。彼はそれを燃えるやうな赤い錢入へ入れた。どういふ積りであつたかそれは別に紙へ包んで其錢入へ入れたのであつた。
 病院の新築は落成して一ヶ月程たつた。表の鐵の垣根へ垂れた柳が黄色い芽を吹いて世間が急に春らしく成つた。四月の中旬であつた。理想通りの外科室で自分が主任で手術を施すのを僕は其の時大得意であつた。心は其方へ屈託して居た。丁度其時赤十字社の總會があつたので急に出席することに成つた。上野の花よりも何よりも上京して見ると氣掛りな山田に逢たくて堪らなかつた。二月に別れてから兎角身體の具合が惡いといつて其處は幾らか心得があるから仔細に容態を書いてよこしたことがあつた。其後二三度よこしたがどうも益※(二の字点、1-2-22)容子が變なのであつた。さういふ譯で折角可愛がつて惜んでくれた芝の商家も暇をとつて十幾年目とかで邂逅したといふ兄の家で厄介に成つて居る。芝の主人が殊に目を掛けてくれたので思ひの外の貯へもあるから當分の所では兄にも迷惑は掛けない。芝のもとの内儀さんが二三度訪ねて來てくれたことがある。氣分のよい時は是非相手に來てくれというてくれるが遂身がひけて行かれぬ。兄の家が申上げるも恥かしい程みすぼらしい抔といつてよこしたことがある。汽車が上野へつくとすぐに其家を尋ねて行つた。猿樂町の狹い路地で漸く探し當てた。穢い衣物を著た工女らしいのが四五人でせつせとボール箱を貼つて居る家であつた。彼の兄といふのも性質の惡るさうな人間ではなかつたが長い間貧乏な生活をして居ると見えて悲しげな餘裕のない容貌をして居た。僕は一寸躊躇した。破れた障子を開けて薄闇い店先を覗いた時せつせと刷毛を使つて居た兄といふのは怪訝な顏をして刷毛を持つた儘つく/″\とこちらを見た。名刺を出した時に何か合點したらしく二階へ向いて女の名を喚んだ。宇都宮からお出でに成つたよといつた時梯子段から女の裾がちらりと見えて急に又引つ込んだ。さうして暫くたつて山田は降りて來た。彼の手紙にあつた通りのみすぼらしい店の客としては僕の洋服姿は不似合であつたかも知れぬ。工女は怪しさうに見ながら身體をずつと前へ屈める。其後をやつと通つて險難らしい梯子段をあがつた。穢い二階であつた。隈に蒲團が疊んだ儘である。女の荷物であるらしい柳行李が白く鮮かである。狹い路地には二階建が相對して居るので此所の二階も光線が疎い。女は坐つた儘其稍※(二の字点、1-2-22)穢い綿入の前を氣にして頻りに合せて居る。僕のために衣物を換へる暇がなかつたらしい。さうして先刻梯子段をおり掛けて躊躇したのは大方帶を締めたのであつたらうと僕は思つた。大きな柳行李には麻繩が掛けてある。僕は穢い二階を見てぼんやりして居た。女のいふに身體が引き續き工合が惡い。時々ボール箱の手傳ひをすることもあるが此の三四日は酷く吐氣がして碌々物もたべられないで寢たり起きたりして居た。先生のお出に成るのは存じて居ましたがこんなに早いとは思はないので着物も著換へずに居て本當に只今は慌てましたといつた。髮も亂れては居ないが油氣が失せて居る。薄紅かつた頬も褪めて肉も落ちたやうである。其容態はどうしても姙娠の兆候が十分である。僕は前々からの手紙でそれは確めておいたものゝ變つた姿をかうして眼前に見ると此先き彼の一身はどうなるものだらうかといふ考へがすぐ胸をついて出る。女はかういふ住ひを見られるのが身づまりであるといふ容子があり/\と見えてうつ向き勝ちである。さうして穢げな綿入を著た所は病院に居た時の貧しい姿にかへつて見えた。僕は矢張り氣になるから此の先きどうして行く積りだと此度は穩かに聞いた。するとかういふのも私の運でありますから決して先生をお怨み申しません。私の一身は私がどうかして行きませう、どうか先生は私のことはお忘れになつて奧さんをお極めになつて頂きますと矢張り一月に言つたやうなことをいつて縞の褪めた膝の上にぼろ/\と涙を落した。迚も成就せぬ縁であるといふことは疾に僕からいつてある。それにも拘らずこんな情けない境遇に彼を陷らしめたものも全く僕の罪である。女の無言でうつ向いて居る時僕も唯腕拱いて默して居た。かういふ時間の長い程自分の心に慰藉を與へられるやうな感じがするのであつた。自分も女もはじめて苦い經驗を甞めたのである。然し僕は散々放蕩もした揚句である。女は今年は二十三でこれまでも悲慘な境遇は經て來たのであるけれど身持は堅固で過して來たのである。放蕩をしたことのある人間に其位の鑑定のつかぬ理由があるものか。他人の間にのみ交つて二十三までも處女で居た彼は稀な女でなければならぬ。それが苟且にも身動きの出來なく成つたのは全く僕の罪であつた。彼の兄夫婦は好人物であることが分つた。尤も僕の土産物も僕に對する態度に幾らか變化あらしめたのも事實に相違ない。女房は二階へ茶を持つて出た。さうして女に向つて二階に許り居ては氣が鬱していかぬから先生と散歩でもして來てはどうかと勸めた。僕等の關係は疾に知つては居ることゝは思つたがかう捌けて出ようとは意外であつた。尤も女は兄に身を寄せる時には仔細に今の境遇を明かしたことであらう。それを知つて居る兄夫婦も彼の身を輕くするまでの間だけでも僕の手を切つてしまつては其は始末に困難せねばならぬ。此は少し物の道理を辨へたものゝ知らぬ筈はない所である。女は軈て鏡を取り出して髮を結んだ。左の手で髮の根元をぎつと一つに握つて櫛を持つた右の手で前へさらりと打ち返した。さうして二梳き三梳きと油をつけて梳く。額に皺を作りながら少しうつ向きになつて髮の形を鏡に映しつゝ結んだ。前髮が鬢へかけてふわりと膨れて居る。少時髮を鏡に映し乍ら散らばつた品を疊紙に片づけて石鹸の箱を持つて油に成つた手を洗ひに梯子段を降りて行つた。容子が少し活氣づいたやうに見えた。僕は獨り殘つた時自分の顏を鏡に映して見た。まだ顏が青ざめて居るのを知つた。女は綿入を蒲團の上に置いて柳行李から出した晴衣に着換へた。手を洗ひながら涙の顏も洗つたと見えて心持のせゐかつや/\して來た。化粧はしなかつたが美しさは見違へる程に成つた。二人は手を携へて出た。さうして上野から淺草の公園をぶらついて其晩は淺草へ泊つてしまつた。東京には四日許り居た。田端に居た兄の家へは行かずに女を連れて散歩してはそここゝと行き當りに泊つた。其間女はもう泣かなかつた。自分の宿料を出さうともいはなかつた。いくら何といつても兄さんの所に唯世話に成つて居るのも身がひけるだらうといつてやつた小遣ひも氣の毒さうにはしたが拒むこともしなかつた。其時は赤い錢入は持つて居たが別に紙へ包むといふ手數もしなかつた。僕は彼の貯へがもう乏しいことを悟つた。更に嚢中の許す限り若干の錢を與へた。僕も彼の姙娠した手紙を見て懊惱した時や、二階で果敢ない姿を見た時とは違つて手を携へて散歩するのは有繋に愉快であつた。女も愉快であつたに相違ない。然し其時はもう二人の最後であつたのだ。僕は其時限り逢はぬやうに成らうと思つて別れはしなかつたのである。宇都宮へ歸る時に山田が姙娠した事情を逐一田端に居た兄に思ひ切つて明かしてしまつた。自身に度々上京して女を見舞ふことは到底不可能である。さうかといつて女が不憫で捨てゝは置けなかつたからである。兄は一言も僕を責めなかつた。加之自分が後には其女を引きとつて必ず分娩させてやるから其邊は苦にすることはない。幸ひ自分には子がないから出來た兒は自分等の手で育てようといふのであつた。僕は心から兄に感謝した。僕は非常に安心して病院へ歸つた。六月に復た上京した。勿論其間に女からの手紙はあつた。僕はまた逢へるからというてやつた。女は待つて居たのである。僕も一つは自分の職業柄で能く女の身體の健康も確めたいと思つた。自分も病院を出て七月には開業する運びに成つたので其準備のために出京したといふこともこま/″\噺して見たく、此は直接噺をしたいと思つて手紙ではいつてやらなかつたことではあり其他心にはいろ/\のことも思つて田端へついた。先づ兄から其後の女の容子を聞いてからにしやうと思つた。それといふのは手紙にはいつてよこさぬけれど或は女の周圍に變化がないとも限らぬ。若しさういふことがあつた場合に突然胸を痛めるよりも兄に聞いて覺悟をしてからにしたいと思つたからである。此が畢生の失策であつた。兄はもう斷然逢ふなといつた。逢へば未練が増すばかりである。どうで一所に成れぬものなれば態々深みに落ちることでもあるまい俺が女を世話する都合もあるからといふのであつた。僕はがつかりした。何事にも勇氣が失せたやうに感じた。さうして兄の意志に逆らはぬことが女の一身の爲めでもあると思つたから全く兄に從つて女を再び訪ねなかつた。然し東京は詰らなかつたから急に用を達して歸つてしまつた。歸りの速かなのを兄は悦んだ。僕がどれ程落膽したかといふことは兄は果して想像したであらうか。尤も若い同志が相談の上に手を切る抔といふことは到底それは不可能である。是非共それには他人の手を借らねばならぬ。兄はそれを知つて居た。いや誰でもそれは知つて居る。僕自身でもさうなければならぬことゝいふのを知り切つて居る。然しもう此が別れといふことを互に呑み込んだ上に十分名殘を惜んで見たかつた。兄は二人の恩人である。されど此だけのことをさせてくれなかつた一段はどうしても僕には不滿である。僕はそれから失意のうちに豫定の如く七月を以て開業した。僕は戰地から歸つた時はどこかで病院を開くといふ大志を懷いて居たのだがそれが僅か一年半でこんな間に合せの醫院に燻るやうに成つてしまつた。父は頑固な人で何でも自分で設計してしまふ。二言目には財政が許さないからといふ。此間も友人が來て君のやうな外科思想のあるものがどうしてこんな外科室を拵へたかといつた。父はつましい人だ。人から來た手紙の封筒でも屹度裏返しにして使用する。さういふ心掛だから餘裕もない身上から僕等を成業させたのでそこを思へば逆ふことも出來ないのである。僕の心の弱くなつたのは自分でも驚かれる。母が今病氣である。其病氣は決して輕くない。それで母の命のあるうちにどうしても嫁をとれと半分は無理に極められてしまつた。それはまだ遂近頃のことである。其相談のあつた時は僕は非常に苦しんだ。憐れな看護婦はまだ身輕には成つて居らぬ。兄の許に引きとめられて居るものゝ心には僕を手頼つて居るには相違ない。彼が將來を案じて心で泣いて居る時に自分が蔭で配偶を探すといふことは彼が知られぬにしても心が咎めて其氣には成れないのである。然し薄弱なる人の心は忽ちに變化する。數次強ひられるうちにはいくらかそこに傾いて來る。さうしてかういふ女はどうかといはれる時、其女はどういふ女であらうかといふ懸念がふと浮んで來るやうに成る。かう傾いては僕の心は敗北したのである。さうして何にも六かしい注文はせずに人のよからうといふことをいゝとして殆んど人任せに極めてしまつた……』
 若い主人は此まで噺を續けて更に
「それは山田の方がずつといゝんだがな、なにもう構はない……だがあれも臨月だ、今夜にも知らせがあるかと思つてるんだ、それは父には祕密だがな……母の看護をさせるならあれなら此上もないのだが、然し女も身持では他人の世話どころではないから、どつちにしても駄目なことだ」
 と途切れ/\に獨語した。さうして
「君これは必ず祕密にして居てくれなくちや困るぜ、世間へ知れても體裁が惡いし、そんな噂が立つと縁談などゝいふものは蹶づき易いものだしな、何もそれは自分の失策を隱して、先を欺くといふ譯ではないが病氣の母に心配を掛けたくないからな、母はもう今に嫁に世話に成れるといふやうなことをいつて悦んで居るのだからな」
 若い客は此時まで身體を横にして肘を立てゝ頭を掌で支へながら聞いて居たが起き上りながら
「うんそりやさうだ、然し君の所へ來たものは却て仕合だと僕は思ふぜ」
 といつた。
「なぜ」
 と主人は問ひ返した。
「なぜつて君はそれ程女といふものを果敢ないものと思つて居るのだから他の者よりは同情が多い譯だらうと思ふのだ」
 若い客がいふと主人は又憐れな女の上を語る。
「だから僕は六かしい事はいはないし、山田の手紙も此間みんな燒いてしまつた。……だが其後數次手紙は來たのだ。大抵松田へ宛てゝ來たのだが、私の事は御心配なく先生はどうか奧さんをお探しなすつて下さいといふので、僕の手紙も欲しいやうな書き振りだが僕は餘りやらないやうに仕て居た。近來はもうよこせなくなつた、兄へ遠慮しなくちやならないからな」
「田端に居るんだな」
 客はきいた。主人は
「うんもう田端へ行つて二ヶ月に成るだらう、身輕になればあとは私自身でどうにか身を立てます、さうして浮いた心のないことを先生へお目に掛けますと手紙ではいつて來てあるが僕に配偶が出來たといつたら有繋に泣くんぢやないかと思ふんだ。自分が今結婚すると極つて居ても女にさういはれるのは惡い心持はしない。女だとて將來どうなることか分りやしないが、何だか斯う獨身で居てくれゝばいゝやうな感じがするんだ。人のものにすると思ふと惜しいな」
 とかういつて
「然し男が生れても女が生れてもあれに似てればいゝ子だらうと思ふんだ。私は何だかいゝ子が生れさうに思はれますつて女の手紙には書いてあるのよ」
 と微笑する。
「だがな隱し子だから當分顏も見ることが出來ないや」
 と主人いひ畢つた時
「そりや女はもつと酷いだらう、生涯逢はれないかも知れないぢやないか」
 と若い客は言下にいつた。
「病院に居た時分にはな、他人がよくなつて退院するのがあると神經質の奴は無闇に羨んでばかり居るので馬鹿なことだとけなして居たものだが矢つ張り自分が心配で堪らない時は人がみんな平氣な顏をして居るやうでどうも羨ましい心持になるよ……だが君等はまあいゝな」
 主人はいつた。
「君まあ苦しめるだけ苦しんで見給へ。さうすれば自分に幾らか慰めることが出來るといふものだらう。それもさ他人のことだからまあいへるやうなものだが………いや然し他人のことゝいふと表面ばかり見るからよく見えるのだ。誰れでも君裏面をさらけ出したら全く清潔なものといふのは無いかも知れないぜ」
 客は慰めるやうにかういつた時主人は急に自分の同情者を得たといふやうに
「君にも何かあるかい」
 と問うた。
「まあそんなことはどうでもいゝや、だがもう何時だ、一時かいや一時過ぎだぜ」
 客は兵兒帶から時計を出してかういつた。向うの酒藏が繁盛であるなら今頃は賑かな釀母より唄が聞かれる筈なのであるが今はそれもない。只しん/\として恐ろしい靜かな夜である。耳もとではランプの心の底の油を吸ひあげる音が微かに聞かれる。ランプの※(「陷のつくり+炎」、第3水準1-87-64)がまたゝいたので今までしんみりと二人を見おろして居た天井の丸い光がゆら/\と搖れた。夜番の鳴子が遠くから聞こえてやがて横町へはひつたと見えてがらり/\と急に大きな八釜敷い響を立てた。
(明治四十二年一月一日發行、ホトトギス 第十二卷第四號所載)





底本:「長塚節全集 第二巻」春陽堂書店
   1977(昭和52)年1月31日発行
底本の親本:「長塚節全集 第弐巻」春陽堂
   1929(昭和4)年
初出:「ホトトギス 第十二卷第四號」
   1909(明治42)年1月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:林 幸雄
校正:伊藤時也
2010年7月17日作成
2014年5月30日修正
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