教師

長塚節




 此の中學へ轉任してからもう五年になる。子供が三人出來た。三人共男ばかりである。此の外には自分に何の變化も無い。依然として理化學の實驗を反覆して居る。自分は一體褊狹な人間なのであらう、同僚ともそんなに往復はない。田舍の教師抔といふものはてんでみじめな情ない人間が聚合して居るに過ぎない。俸給の不足だとか同僚に對する嫉妬の惡評だとかいふことを能く口にしたがる。それを聞くのが自分には厭なのだ。然し生徒は好きだ。自分は邊福を飾らない。髮は三分刈と極めて置く。髭なんぞは立てたことがない。それで生徒も最初のうちは自分の風采が揚らないので少しづゝ輕蔑しかけたものもあつたが現在ではみんなが能く服從してくれる。教授上に忠實を心掛けて居るのが自分の唯一の誇りである。中學の教師は比較的時間の餘裕を有して居るのだが、それでもやりやうによつて仲々忙しい。暇を拵へては釣竿擔いで出懸ける同僚もあるんだが、そんな餘計なことはしなくてもいゝだらうと思つて居る。斯ういふ連中は能く泣き出さないばかりに生徒に苛められる。それといふのもみんな自分が惡いのだ。中學の教師は又よく更迭する。此所では大分新陳代謝が行はれた。然し彼等に對する自分の記憶は甑のやうなものだ。殘つて居るものは味噌でいつたら滓ばかりだ。だが唯佐治君ばかりはいつ迄經つたとて到底自分の腦裡を去らぬであらうと思ふ。どうかすると長身痩躯の佐治君が涙を落しながら椅子に倚つて居る容子があり/\と見える。何の力が自分にかういふ強い印象を止めたのであらうか凝然と考へてゞも見ようと思ふと却て解らなく成る。佐治君は哲學科出身の文學士である。社會學を專攻したのだといつた。佐治君は何時でも底深く沈んで居るやうな態度で其長い體をぐつたりと二つに折つて椅子に倚つて居る。さうして目を瞑つて居る。佐治君の髮はどんな時でも能く櫛が入れられてある。洋服でもすつかり體にくつゝいて居る。固より其周圍は極めて清潔で且つ整頓されてあつた。佐治君はそれで獨身の生活をして居たのである。自分には彼の凡てが能くさうされたものだと不審に思はれる位であつた。だが佐治君には毫もハイカラな分子は交らない。自分の性格は全く佐治君とは相反して居た。どうしてか自分は放任的でテーブルの上でもごつちやである。教室でもよく試驗管を壞すので會計の方でぐづ/\いひたがる。書記の今井君は別段懇意だから小言が餘計に出る。内へ歸つてもさうだ。惡戲者ばかりだから障子は何時も穴だらけだ。自分は近頃寫眞といふ道樂を覺えた。少しの餘裕があると器械を擔いで出掛ける。寫眞をはじめてから滅切忙しくなつた。學校の方を疎略にすることは自分の主義に反して居るからだ。道樂といふと語弊があつていかぬが自分が寫眞を始めたのは理化學の應用といふことに興味を持つたからである。自分は不器用だから碌なものは出來ない積ではじめたのだが近來は少しは美的思想も發達して來たやうに感ぜられる。世上に發表された有らゆる印畫がどうも自分の製作を越えて居るものが少いやうに思はれて來た。自分は近傍一二里の間はどんな小徑でも跋渉して見た。能く散歩に出た同僚が又かといつた樣な眼で自分を見るのに出會つた。だが途中で佐治君に一囘でも逢つたことがない。佐治君は滅多に外出しないのである。下宿の婆さんがいふのに教頭が時々訪ねて行く。其時は屹度碁を打つ。碁を打たなければ讀書をする。さうしては机へ肘を懸けて唯ぢつとして何だか考へてばかり居る。それは優しい人だがちつとも打解けないので氣が置けるといふことであつた。自分は訪問が嫌だから二三遍佐治君と往復したに過ぎぬ。下宿屋の婆さんは自分が嘗て妻を喚び寄せる間暫く居たことがあるので途中で遭つても婆さんは話しかける。自分には碁を打つやうなそんな悠長なことはとても我慢がしきれぬ。自分は疎放な人間である。だが此でも教育者の義務といふことを知つて居る點に於て誰にも劣らないといふ自信を有して居る。卒業生の貧乏な者の爲めには有力者に説いて學資を出させて置くのがある。五年居るうちには地方の父兄に知人も出來てる。それで自分は教育者の義務を果すのには一所に長く在る事が第一の條件だと思つて居る。此だけは佐治君に愧ぢない積である。佐治君は在職一年で九州へ去つてしまつた。其短い一年間自分は一緒に生徒の監督をした。それで相互に意見を交換する必要と機會とがあつたのだ。其短い間に必要から尤も相接近したので佐治君に就いての觀察も怠らなかつたのである。佐治君の瞑想に耽つて見えるのは哲學を研究して居る者に通有な状態だと思ふから格別不審にも思はなかつた。だけれども下宿屋の婆さんがいつたやうに何處かに狎れ難い處があつた。無頓着な方の自分にさへさうだから他の同僚の多くは日々の辭令の外に隻語をも交さなかつた。佐治君は生徒に讀者の多い中學世界へ青年訓といつたやうなものを始終書いて居た。書く事は眞面目だが内容は自分を甚だ感服せしむるに足るものがなかつた。佐治君はまだ大學を出たばかりである。生徒としての經驗はあつても教師としての觀察はまだ淺い。自分のやうに十年實際に臨んで居るものゝ眼からは徹底しない處があつた。或時雜誌の方から自分へも寄稿を依囑して來て報酬のことまで書き添へてあつた。それで筆を執れば原稿料を得られるのだといふことも知つて居た。佐治君は其報酬によつて收入の幾分を増して居るのだといふことも勢ひ想像された。佐治君は他の類似の雜誌へも寄稿して居たのである。報酬を欲するのだらうといふ想像が微かに佐治君の人格を疑はしめた。自分はどうかすると酷く此の疑を深めて佐治君に對して輕侮の念を起すこともあつたが、面前に其沈んだ姿を見る時はすべてが消散してしまつた。佐治君は迚ても憎むべき人でなかつた。佐治君の人格を疑つた自分の不明は後に至つて深く悔いた。佐治君は他人の談笑することがどんな心理状態に在るのか解釋の出來ない即ち光明の方面には寸時も其心を任せしむることの不可能な人なのである。
 其頃同僚の一部に惡戲が流行した。特色のある連中は大抵犧牲に供せられた。惡戲の發頭人は自分と書記の今井君とである。自分は到底活動せずには居られない人間なのである。今木君といふのは尊大なので同僚の冷笑を買つて居た。生徒の父兄が面會にでも來ると反身に成つて控室を出る。それが滑稽なので時々擔いでやる。今井君は器用な性質なので父兄の文字をそつくり眞似して名刺を拵へる。それを小使に持たせてやる。さうすると今木君は例の如く出て來てはそこらを彷徨ついて極り惡る相にしてもどつてしまふ。其容子を見たいばかりの惡戲なのだ。今木君は怒るかと思ふと怒りもしない。といふのは今木君は酷く生徒に苛められる仲間なので免職になつたら明日から糊口にも窮するやうな肩身の狹い人間だからだ。さう思ふとそんな惡戲をするのは罪なことなのだが其頃はそれが行はれた。そんなことは今では止んだが其頃は暫く續いた。書記室へ行くものは自分が居たら書記の今井君と二人で冷かさずには措かなかつた。だが佐治君に對しては今井君も一言を發することも出來なかつた。佐治君が其弱々しい痩躯を靜に運んで來ると今井君の態度が急に改まつて畢ふ。側から見て居ると滑稽な位であつた。自分はこんな巫山戲たことをしても責任は全うするに足るべく十分の勉強を繼續して居た。佐治君は英語を擔當した。英語は生徒に甚だ趣味あるものではない。それで佐治君に就いて生徒は所謂鹽加減を見はじめた。佐治君は生徒を威壓する樣な人ではない。生徒は與し易いやうに思つて居たらしかつた。丁度二學期の初に就職したのであつた。天長節の式場で佐治君は演説した。其聲は低かつたが徹底して自ら人をして傾聽せしめた。生徒は感に打たれた。自分も演説の上手なのに喫驚した。能く聞いて見るとそれも其筈で佐治君は熱心な基督教の信者である。日曜日の演壇に立つたことも數次であつたのだ。
 時候は漸く寒くなつた。ガラス窓の外には櫻の枯木が空つ風に搖られて居る。ベース・ボールの選手が乾燥したグラウンドに各自その膂力を振つて居る外屋外に人を見ることが少なくなつた。ストーヴの側には何時でも數人づゝ職員の或者が雜談して居る。ストーヴは慥に佐治君と自分とを接近せしめた。自分は教育上に就いて佐治君と語つた。さうして意見が能く一致した。自分は同僚の大部分が教育に就いて何も考へて居ないことが癪に障つて居たけれど佐治君に遭ふまでは沈默を守つて居た。自分は教師といふものは換言すれば[#「換言すれば」は底本では「換言すれは」]畑の南瓜位なものだと思つて居る。悧巧なものは餘り無いものである。此の二三年間には大分更迭があつた。去つたものは成熟した南瓜がもぎとられた樣なもので後任者は蔓の先へ膨れた青い南瓜だ。どうも段々教師の値打が下落して行くのだから仕方がない。免職になつた奴はてんで腐つて落ちた南瓜なのだ。自分はこゝで忌憚なく所信を發表すれば校長無用論を唱道する。大きな一室を占領して毎日何をして居るのか聞いて見たくなる。それで南瓜の熟したか熟しないかも分らずに居る。自分は百姓の家に生れたから能く知つて居る。西瓜にした處で庖丁で裂いて見なくつたつて指の先で彈いて見れば出來たか出來ないか屹度知れる。校長は箸へ※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)して喰はせて見なけりや南瓜の味が分らないのだから困る。其が證據には校長會議などゝ大袈裟な場所へ出て何を齎したか。旅費日當の遣ひ殘りで細君の土産を買つたつて教育上の成績には成るまいぢやないか。金錢が欲しけりや寧ろ教育者を止めてお店の番頭になるがいゝ。前垂掛けた方が餘程増だ、とかういふ風に横道へ外れて自分は遠慮もなく饒舌つた。いつも佐治君は能く聞いて呉れるので自分は思はず興に乘じてしまふことがあつた。佐治君の沈んだ低い聲は自分に壓せられて畢つて自分のいふが儘に聞いて居なくては成らなかつた。自分の罵倒が劇しい時佐治君は少し困るやうであつた。さうして自分が金錢が欲しけりや商人になれといふ時にはどういふものか佐治君は顏を赤くするやうに見えた。ぐつたりとした體が更に俯向くやうに思はれた。自分は異樣に何物かゞ佐治君の心裡に伏在して居るのぢやないかとも思つた。或は金錢を談ずることの野卑なのを羞ぢるのではないかと思つたので、それからは金錢に就いては餘りいはぬやうにして居た。
 西風が總ての梢を吹き拂つて、更に木の葉が地上の一隅に聚合して居るのを見出しては執念く掻き亂して居る。※(「けものへん+臈のつくり」、第3水準1-87-81)子鳥あとりや鶸が木の葉の如く西風に吹き飛ばされんとしつゝある。自分は此種の渡り鳥が殘酷なかういふ風に吹かれる爲めに何を求めて態々此地に來たであらうかと疑ひたくなる。裸になつた樹木は各特有の姿態を現はして廣濶な平地に人目につき易く突つ立つて居る。寫眞道樂の自分には絶好の季節である。滿地の緑が目に美しい時は寫眞道樂の冬である。寫眞には色彩が出ない。光線が我々の眼底に落つるのと乾板の上にレンズを透す時とは其現象が違ふ。乾板は餘りに鋭敏で又遲鈍である。明暗の度が強過ぎる。それでどうも現在の寫眞術に於ては我々は冬の木立が撮り易いのである。寫眞狂の連中は寫眞を繪畫と拮抗させる。美術の範圍に進めると力ンで居る。又寫眞は到底駄目だと排斥して居るものもある。自分にはどうでもいゝ。自分が面白く感じて居ればそれで滿足なのだ。缺點は幾らもある。除き去るべき必要はある。又早晩除き去られねばならぬのは勿論である。それは自分等の責任でもなければ義務でもない。自分等は唯器械を擔いて歩いて居ればそれでいゝのである。冬は一切の動物が萎縮する。同僚にも散歩するものを見なくなつた。佐治君には固より逢はない。自分は一枚でも滿足な種板が欲しいので短い時間を節約して冬と甚だ親密に成つた。街道を挾んで赤楊の枯木がすく/\と立ちならんで居る。街道の傍に一區域をなして菜畑がある。周圍に青いものは其畑だけである。青菜は軟かに見えるけれどそれがどうしてもさびた冬の色である。荷馬車が悠長に赤楊の間を過ぎて行く。自分はかういふ處へ出ると原板に映ぜしむべき形體の外に色彩の美といふことを感ぜずには居られない。佐治君は恐らくこんな處を見たことはないのだらうと思つた。佐治君は強ひてゞも散歩の趣味を養つたならば虚弱な身體を健康に向はしむることが出來るだらうと思つた。自分は勤めて見たが佐治君は默して頷くのみである。
 或る日曜日であつた。自分は思ひ切つて遠くへ出て見ようと思つて生徒を二人ばかり連れて出掛けた。田甫のあたりをぶらついて居るうちに西風が吹き出した。日光續きの山の上に泥の塊を戸板へぶつゝけた樣な雲の浮んだ日は屹度後に西風が吹くのであるが其朝は心付かずに出たのが失策であつた。寫眞はもう駄目になつたので折よく來挂つた馬車に乘つてもどることにした。馬車は止つた。八人乘の馬車へはもう六人詰つて居る。生徒の一人を歩かせねばならぬ。自分は一寸困つた。さうすると端に居た小豆色の頭巾を冠つた女が
「窮屈なのはお互ですよ、一人位どうかなりますわね、構ひませんお乘んなさいよ」
 さうして
「みなさん少しお詰めなすつて下さいな」
 客の方へ命令でもする樣にいつた。少しの空席が出來たので生徒も漸く乘ることが出來た。自分は女に會釋した。
「いゝえあなたどう致して」
 と女は輕快である。馬車は田甫を越えて麥畑へ出る。乾燥した麥畑は埃の爲めに霧が立つたやうである。とある村で馬車が止る。御者は馬の口をしめす。同時に向うからも一臺の馬車が來て立場の前へ止つた。立場の婆さんは煙草盆を出してそれから九人前の茶を汲んだ。頭巾の女は
「さあ皆さんどうですか」
 と左の手に盆を持つた儘敷島を出して膝の上の煙草盆から火を點けた。みんな茶碗が盆へもどつて五厘の銅貨が一つ宛茶碗の底に落ちた時女は帶の間から二錢の銅貨を出してぽんと盆へ載せて
「はいお婆さん下げておくんなさいよ」
 馬車は復た埃の立つてる中を軋りはじめた。棒のやうに眞直な街道の傍には桐の枯木が暫く續いて其下にはぼつ/\立つて居る枯菊が切な相にゆらついて居る。處々の桑畑には白い糸のやうな桑の木が立つて居る。桑の木のうらには小鳥の止つたやうに落ち殘つた枯葉が二三枚づゝ着いて居る。其枯葉を烈しい西風が吹き散らさねば止むまいと絶えずゆさぶつて居る。遠くの林は空に吹き立つた埃の爲めにぼんやりとして居る。反對の方向へ他の馬車も動き出した。馬車は黒い塊の如く段々埃の中へ小さく成つて行く。女の卷煙草の灰が自分の顏へ五月蠅くかゝる。女は漸く氣がついて
「まあどうしたんでせう、本當に濟みませんね」
 女はいきなり吸ひかけの卷烟草を捨てた。煙草は道の端へさうして畑の方へ吹き攫はれながら微かに煙を立てる。馬車は其の煙に遠ざかつてずん/\と走る。
 自分は此の日目的の獲物はなかつたけれど天然の變化に對する興味を以て失望することはなかつた。桑の枯葉や女の捨てた卷煙草の煙をも見遁さぬやうに注意力の加はつたことを自覺して快感を禁じ得なかつた。此の日は又自分に嘗てない人間に對する興味をも感知した。車中の女――小豆色の頭巾をかぶつた其婀娜な女でなかつたならば、其女がいつたのでなかつたならば、それでなくても窮屈な八人乘の馬車へ更に一人を乘り込ませることを他の客は肯じなかつたであらう。自分は女の勢力といふものをつく/″\と感じた。自分の見る處では女は何處かの酌婦でなければならぬ。尤も嫌な階級の女である。然しどういふものか車中では其女に對して自分は毫も惡感を催さなかつた。のみならず後に至るまでさうである。自分は其女のはきはきした仕打のために愉快であつた。あばずれた女であるに相違ないことは知つたけれど自分の感情は其爲に損はれなかつた。自分はどうして其女が自分の心を捕捉したかを不審に思つた。自分の心は其時平生の權威を保つに足らぬ大なる缺陷を生じて居たのだ。徒歩の覺悟であつたならば三里の道程は自分等二人に於て素より何でもないのだ。馬車に乘らうとしたのが自分の心を其時薄弱なものにして畢つたのだ。馬車を止めて乘らぬと斷つてしまふこともちと決行し難い。さうかといつて生徒を殘さねばならぬ。自分獨り歸り去ることが自分に苦痛である。それで自分は困つた。馬鹿げたことであるがそれが吐嗟の間である。思案の餘裕はないのだ。意外にも婀娜な女が自分を滿足させてくれた。自分は感謝せざるを得なかつた。女は自分の心の缺陷に投じたのである。それから其の車中に在つた短い時間が女を自分の眼に映ぜしめた總てゞあつたのと小豆色の振手な頭巾が顏の面積を狹くしたのとが惡感を起させる動機を與へなかつたのであらう。それから頭巾といふ派手な色彩が又惡感を未發に防いだに相違ない。頭巾は女の顏の惡い部分を除却した。自分は寫眞と同じことだと思つた。レンズを透して原板に映ずる物象、單に其物象だけに就いて自分等は發見することに苦心して居るのである。原版に映ずる以外のものがどんなであつてもそれは構はぬ。レンズが肉眼より重寶な所はそこだ。素人に寫眞を見せると屹度此は何處だと聞く。何處だつてそんなことを聞く必要は無いんだ。素人は屹度それに極つて居るけれども撮つた寫眞は見せたくなる。それでさう聞かれると一寸癪に障る。變なものである。とかういふことを自分は考へた。考へることは自分には滅多ならず無いことだ。此も佐治君の感化であつたかも知れぬ。淺薄なことを考へたからとてそれは自分だけに仕方がない。自分は埃の立つ麥畑さへ興味を發見する樣に成つたのを衷心悦んで居る。さうして佐治君にも天然を味はしたいと思つた。佐治君は一度も天然を語つたことが無い。自分は女に逢つて種々なことを考へて見てから其女に對する追憶に興味を持つやうに成つた。獨身の生活をして居る佐治君が果して女といふ者に對してどんな思想を懷いて居るかゞ疑問に成つた。其翌日佐治君へ一日の始終を語つた。佐治君のいふ處は自分をして益※(二の字点、1-2-22)疑を深くせしめた。悲觀が私の總てゞあります。花が開いても凋落の尋で來ることを思うて之を見るに忍びません。見ても何等の快感が起りません。それでありますから冬の天地程切實に私に悲痛の感を與へるものはありません。到底悲痛は私の全身を支配して居るのですといふのであつた。自分は落花の後に來る深緑や熾烈な日光の萬物を生育する無限の活力やさうして我々がそこに眼を放つ時に全身がむづ/\する程壯烈な感を起すことなどを主張して見たが佐治君は冷かなること石の如くであつた。車中の婀娜な女に就いて自分は大なる發見でもした如く其感想を語つた。佐治君は一言も發しない。遠い處を尋ねるかと思ふ樣に佐治君はしんとした。涙が胸で組んだカフスを滑つてストーブに落た。熱した鐵板は直ちに其涙を蒸發させた。自分は意外であつた。其時自分は涙の蒸發したことにふと意を注いだことによつて僅に自分の心を外らした。佐治君は到底了解すべからざる人格である。いやそれが當然だらう。佐治君は哲學者たるべき人である。自分等が淺薄なことをいつて見たつてどうなるものか。自分は專ら自分の本領たる理化學の方面に向へばいゝのである。教育者としては佐治君と意見の交換もしなければならぬ。それ以上は僣越だ。自分は何故に理化學を選んだ。學資の缺乏から早く專門に向はなければならぬ事情もあつたのだけれど、空を論ずることが多岐多端に流れて單純な自分の性情が到底それに堪へることも出來ず、又それを好まなかつたからである。眞は唯一であるといふことは天人の間に通ずる大法則である。理化學が尤も適切に之を説明し得る。そこがきび/\して自分にはたまらず愉快だからである。自分の本領は涙がストーブに落ちて蒸發することに意を留める處にあるのだ。無益なことはもう思ふまい。とかう心づいてから佐治君と接近はして居たが深く立ち入つていふことは無かつたのである。
 學年試驗も畢つて三十幾人の卒業生が送り出された。證書の授與式に臨んで校長の陳腐な演説があつた。一體此の中學の校長は體躯の矮小なのがみじめだ。何時でも狐疑して居るやうに人を見て居る。此が不快である。虚位を擁して居るのが人をして輕蔑せしめる。校長は嫌である。佐治君も演説した。青年に對する一片の訓示で特に奇拔なものではなかつたが其沈痛な低い聲が自分の胸を刺戟した。佐治君の人に強ふることの無い態度が自分を傾倒せしめた。其内に百五十人の新入生が皆釣合はぬ新調の製服をつけてぞろ/\と登校した。さうして無邪氣な顏をならべた。自分は此の少年に何物かを注入してやりたいと思つたから自ら請うて其一組の監督を受持つた。佐治君も新入生の組を受持つた。依然として佐治君との接近は保たれた。佐治君に對して居ると自分は何とはなしに曳きつけられるやうな心になつて、時には自分の心理状態に疑を挾んで見たくなることもあるやうに成つた。然し疎放な自分の性格は改らなかつた。惡戲は時あつて行はれた。暑中休暇は其年から短縮されて九月に入ると直ぐに各教室は開かれた。自分は此の夏例の器械を肩にして鬼怒川の上流に溯つた。鬼怒沼山を攀ぢて雜草の中に淺く湛へた鬼怒沼を探檢した。周圍の樹林と雲霧の變化と皆乾板に映ぜしめた。さうして沼が鬼怒川と全く何の關係もないことを慥めて、陸地測量部の地圖の誤であることを發見した。峽谷十里の間は自分をして天下の絶勝であることを驚嘆せしめた。關東の野に成長して比較的近距離で然かも坦々たる會津街道の通じて居るにも拘らず、今まで知らずに居つたことを自分は心に慚ぢた。未知の山水を發見して具體的に世間に紹介することの手柄であることを喜んだ。併し漸く自分は此の大なる自然は口徑二吋に足らぬレンズを以てして到底其の千百萬分の一をも彷彿せしめることの出來ないことを悟つた。人間が天地の間に介在して粟粒一つ攫へるのに生涯の努力を要するのだといふやうなことをも思はしめた。さうして此の峽谷を出る時其粟粒の千百萬分の一でいゝから攫へて行かうと思つて改めて奮發の念を起した。三ダースの乾板を費し盡した。枯木ばかりが寫眞に適して居ると信じて居た謬想を根本から打破して峽谷を出た。それと共に自分の體力が意外に頑健であつたことを慥めた。兩手の日に燒けたのが自分にも目に立つた。授業の開始されたのは原板の整理がまだ畢らぬうちであつた。家に歸つて見ると原板は勞力と時間とを費したことの徒爾ならざるを思はしめるものがあつた。自分は自分の技倆を信じていゝと思つた。學校では博物の沼崎君が古い麥藁帽子をかぶつて學校園に其姿を曝して居る。佐治君は依然として石の如く瞑想に耽つて居る。佐治君を見ると自分は折角養ひ得た氣力が滅入る樣な心持がしてならぬ。自分の休暇中に於ける活動を誇つて見たい積であつたが、自分は控へてしまつた。それで佐治君が此の夏を如何に銷したであらうかといふ疑問が起つたので自分は聞いて見た。一寸歸省しましたと極めて單純な挨拶であつた。佐治君は少し顏を赤らめた。此は佐治君の癖らしい。ぐつたりと萎れた樣な佐治君に其先を追求する念慮は起らぬ。自分は飽氣なく思ひながら過して居た。其内に書記の今井君から自分は佐治君が他へ轉任することに内決してあることを聞いた。在職が短日月であつたがそれだけでは自分には唯少しく意外に感ずる位であつたであらう。今井君は俸給の増額されたことをも語つた。自分は全く疑問を喚び返した。雜誌の寄稿者たる佐治君に對して消滅しつゝあつた疑問が卒然として復起した。教育者として漫りに金錢に拘泥することの陋劣なるを痛罵した時に、顏を赤らめた微かな事柄が火の如く自分の眼に映じた。此休暇中に轉任の運動をしたのかも知れぬ。自分へ答へ能はなかつたのも内に疚ましきことがあつたからではなかつたらうか。自分は屡教育ある基督教徒の驚くべき墮落を耳にしたことがある。其記憶が一層自分をして佐治君に對して不快の念を増進せしめた。自分は勢ひ冷かなる眼を以て佐治君を見ない譯には行かなかつた。さうして淺薄な自分が果して絶對に金錢の誘惑を排斥し得るかといふことの反省もなかつた。又佐治君に對する惡感が甚だしき惡意でない嫉妬の念を加味して居ることをも自覺することが出來なかつた。自分は旅行することが好きである。興に乘じて人に語ることもある。然し人が興に乘じて自分へ旅行の噺をするにそれが同輩のものであつた時にはそれに釣込まれると共に心に一種の淋しさを感ぜざるを得ぬ。自覺せぬ嫉妬の念に驅られるのである。榮轉する佐治君に對しても自分は獨り棄てられるやうなさうして名状し難い微かな淋しさを感じたのである。當時自分に反省と思索との習慣が少しでも養はれて居たならば佐治君に對して自分の爲めに支配されるやうなことは無かつたであらう。轉任の噂があつてから一ヶ月過ぎた。其間路傍の人の如く冷淡であることを持續した。自分は悔いて愧ぢざるを得ない。
 其頃はまだ惡戲は止まなかつた。數學の教師の大森君がフロツクコートを新調した。今井君が洋服屋から探知したのである。狹い町だから何でも隱せたものでない。此の事實は自分等に絶好の材料を供給して且つ奇拔な考案を浮べしめた。今井君が小使に大風呂敷を持たせて大森君の家から其フロツクコートを取寄せた。大森君の命令だといはしたので細君は何の氣なしに大きなボール箱へ入れた儘持たしてよこした。丁度自分の時間が二時間ばかり暇だつたので書記室で考案を凝した。大森君は職員中第一の肥大漢で、教授の時間でもボールドの前に立つて居るのを太儀だといつて止むを得ぬ外は椅子へかゝつて居る。又寛濶な日本服が着心がいゝといつて此まで決して洋服に成つたことがない。殊に夏は年齡の割合に禿げた頭からたく/\と汗を流して苦しんで居る。其代り冬は滅多にストーヴの側に寄らぬ。脂肪に富んだ手を出してどんな時でも胼がきれぬといつて誇つて居る。大森君は比較的短躯なので袴を鳩尾の下で締めて居る。其容子が滑稽である。自分等は其體へ洋服を着せて見たいといつてはよく揶揄つた。大森君はどうしてもだぶつかせた日本服を脱がぬ。揶揄はれる度に禿げた頭を手の平で叩いては抗辯する。然し式場に列席するためにはフロツクコートの必要が生じた。といふのは大森君は漸次俸給を増して資格に相違を生じたからである。大森君は案外正直な人だ。自分等を驚かしたのは其ヅボンの太いことである。慥に自分の兩脚を容れて餘裕があつた。自分は小使に命じて何でもいゝからと短い棒を何本も持つて來さした。さうして兎に角胴腹や足の太いなりに組み立てた。特に腹へは新聞紙を卷いたりして其特色を發揮せしめるには容易ならぬ苦心を費した。自分は偶然の思付からフートボールの革袋をむいてゴムへ一杯に空氣を吹き込んだ。それへぐり/\と目や鼻や口を描いた。大森君の特色の一つである禿を誇張して髮を描いた。人の顏らしく成つた大きな赤い玉が落せば床板の上を跳ね歩いた。それをそつと据ゑた。さうして此の異樣な人物は書記室に隣した宿直室を獨り睥睨した。自分は成功すべき惡戲を滿足した。今井君が名刺を模造した。給仕が叮嚀に持つて行つた名刺は大森君を欺いた。大森君をおびき出す前に幾度か宿直室は覗かれた。體躯に似合はぬ大森君はそゝくさとして居る。名刺を持つて何處だ/\といひながら書記室へはひつて來た。今井君はこんな時に澄し切つて居ることの出來る人である。今井君は宿直室に待たせて置いたからといつた。宿直室へ生徒の父兄を待たせて置くといふことは有るまじきことである。大森君は惡戲とは思はなかつたからうつかりガラス戸を開けた。其處に異樣の人物は大森君を睨み落した。大森君が其癖の禿た頭を手の平で叩いた時自分は迚もたまらなくなつて書記室を飛び出して仕舞つた。大森君は有繁に苦笑しつゝ去らざるを得なかつた。大森君が去つてからも書記室ではみんな腹を抱へた。自分はまた宿直室を覗いた。突然書記室のガラス戸を開いて佐治君がはひつて來た。佐治君は何か今井君と語つた。今井君が自分を喚んだ時自分はぴたりとガラス戸を閉てた。どうしたことか自分は惡事でも發見された樣に感じた。好い鹽梅に室内の惡戲は佐治君の目には觸れないやうであつた。今井君は先生が何か君に用がある相ですと自分を見ていつた。今井君は自分等に對する時は君といふのだが佐治君に對しては先生と敬稱して居る。佐治君は自分等のどこか落付かぬ容子のあるのが異樣に思はれたのだらう、お忙しいならば後程といつて去つて畢つた。佐治君が何で自分を態々尋ねるのか不審であつた。自分は佐治君に疎かつた。佐治君の心裡を肘度して惡意を以て疎んじたのだ。だが佐治君の悄然たる後姿を見た時には自分は何となく哀れつぽく懷かしい思がふと心の中に起つた。其の日の放課後に自分は惡戲に費した時間を填補するために多忙であつた。理化學の教室で或る實驗に從事した。器械の裝置が畢つたので自分は椅子に倚つて暫く窓外を見た。沼崎君は襯衣一つに成つてホーレーキを擔いて學校園を歩いて行く處である。ホーレーキといふのは立鎌と熊手とを背中合せにくつゝけて拵へた農具である。近頃までかぶつて居た古い麥藁帽子は棄てゝいつもの鍔のさがつた冬の帽子である。幾年たつたのか褪めきつて居る。帽子の形が茸の樣だ。今井君はすぐに赤ハツと綽名した。赤ハツといふのは初茸に類似の茸で此の地の方言である。夏が過ぎたら復た沼崎君は赤ハツに成つた。沼崎君がホーレーキを擔いて出るやうに成つてから雜草が除かれた。倒れかゝつたコスモスの花にも大抵杖が立てられた。コスモスの花は空に浮いたやうにふわり咲き出した。自分も小さな庭へコスモスを植ゑて置く。コスモスは白い花が一番目に立つ。赤い花は少し陰氣である。自分の庭のは學校のよりもいゝ。だが多數に在るのと遠くから見るのは學校園の特色で沼崎君の手柄である。給仕がそつと扉を開けてはひつて來た。實驗中はうつかりはひるのを許さないことにしてあるので給仕はよくそれを守る。何だと自分はぶつきら棒に聞いた。彼は佐治君が會ひたいといふことを告げるためによこされたのだ。それで忙しいかどうかと聞くのである。大森君などであつたらいきなりはひつて來るのだが、佐治君はそれだけ遠慮深い。自分は不審に思ひながらもすぐに來てくれと傳へてやつた。佐治君は靜にはひつて來た。自分は其綺麗に磨かれた靴が目に入つた。佐治君には閑雅な趣がある。日頃惡感を懷いて居たけれどかうして面接して見ると自然と自分に畏敬の念を起させる。自分は從來濫りに人を敵視したがる癖があつた。それで居て相手の方から折れて口を利かれると機先を制せられたやうで且つ自分が餘りに力瘤を入れ過ぎたことが妙に極りの惡いやうに感ぜられてこつちが却つて閉口して畢ふ。佐治君に對しても受身になつてしまつた。自分は立つて椅子を讓つた。佐治君の人を畏敬せしめる態度は自分をして無意識にかういふ動作を起させた。然し佐治君は辭退した。自分は更に再三薦めた。然し長躯を屈して受けなかつた。自分は自分の腰を掛けるものがないことに氣が付いた。室内には椅子が一脚しかなかつたのだ。佐治君は一脚の椅子に自分のみ身を寄するやうな人ではない。自分はつと立つて小使と呶鳴つた。小使は慌てゝ駈けて來た。椅子を持つて來い、急ぎだ/\と命令した。小使は椅子を持つて廊下を傳つて來る。面倒臭いので自分は駈けて行つてひつたくるやうにして教室へもどつた。佐治君は却て氣の毒相な顏をしてテーブルの前に立つて居たがあたふたとはひつて行く自分を迎へ見て少し體の位置を轉じた。自分はすぐに其椅子を佐治君の傍に据ゑた。佐治君は自分が椅子につくのを待つて漸く腰を卸した。いつもの如く俯向いて居る。
「お忙しい所でしたらうか」
 佐治君は重く口を開いた。
「いゝやなに用があるといふ譯ではないです」
 自分はかういつた。
「お宅へおもどりのお邪魔をしても相濟みませんが」
 其の低い聲が尚沈んで心もとなげである。
「えゝ決して、暢氣なんですからそんなことはないです」
 自分は勢かういはなければ成らなくなつた。佐治君は例の如く力の拔けたやうに椅子に倚りながら暫時無言であつたが
「私はもう此の中學を去らなければ成らなくなりましたが、それに就いては此の一年間最も親密な御交際を頂いたあなたへ心殘りのないやうに申上げて置きたいことがあるのです、お聞きくださるでせうか」
「何でもどうぞ」
 自分は丸太でも投げ出した樣にかういつた。さうして餘りに曲のないのに氣が付て椅子を少し後へずらしてすつと自分の破れた靴を引いた。
「それは私の過去から現在に接續して居る運命であります。此の學校にもせめて三年も奉職して居ることが出來ましたならば幾らか義務を果すことが出來たでありませう。僅に一年で去るのは私の心に羞ぢない譯には行かないのであります。然し私の境遇は私を鞭つてかういふ方向に赴かしめたのであります。現在に於て私の身を處する最善の方法はこゝを去ることなのですから仕方がありません。此は私のすべてをおはなし申さねばわかりませんけれど…………」
 兩手を拱いで首を傾けた佐治君は其柔和な小さな目を閉ぢた。
「私は高知の、士族といつても極めて小身な貧しい家に成長しました。私が中學にはひる年頃に成つた頃はもう私の一家は糊口することだけが苦痛でありました。私はそれでもどうかして高等の學術を修めたいといふ希望が絶えず小さな頭を往來して居ました。其頃市中に相應な財産を所持して居た商人がありました。私は其商人の養子に成りました。そこには娘が一人あつたのです。私の父は昔氣質な義理堅い頑固な人で、其時町人の家へ養子にやることは成らんと拒んだのでしたけれど然し父は私を愛して居ました。さうして私の切なる希望を達せしめる方法、即ち私の長い將來の學資を得せしめるのには其商人に托する外に何も思案はなかつたのです。私は其頃の不完全な小學に於ては成績の佳良な生徒であつたのです。商人――私が今養父と呼ばねはならぬ人は金錢を擁して倨傲でありました。貧乏士族の子ではあるが性質が惡くないやうであるから養子にしてやるのだといふのであります。養父がこれ程のことをいふのを父は有繋に知りませんでした。舊藩の時代に於ける士族の壓迫に對する怨恨が一つは養父の念頭を去らなかつたのでありませう。私の一家は事實の上に町人の家に降服したのであります。自分の財産は一人二人を教育するために何の増減する處もないから、それだけの金錢は捨てた積でくれてやるのだと義父は酒を飮んではいひました。頑固な私の父が其當時私を養子にやるに就いてどうして自分を枉げましたか、又到底相容れざる私の父から養父はどうして私を貰ひ受けましたらうか。私は性質が全く母に似たのであります。母は女らしい人でした。女らしいだけに遠い將來を慮れと望むのはそれは無理でした。それ故私の希望は直ちに母の希望でありました。母は泣いて私のために父に訴へたのです。又他に人があつて私を頻りに養父に薦めたのでした。私はどうして頑固な父の反對も顧慮しないで養父の許に走つたのでせう。母の同情が私の心を丈夫にする第一の味方でありました。さうして倨傲な養父の許に甘じて居りましたのも一念學問のみ志したからであります。學問といふことは學校を順序よく經過して行くといふことより外に觀念はなかつたからであります。さうして養家を離れては私の目的を達する方法が絶無であると信じたからであります。母の性質を享けた私は現在は猶更であります、嘗て人と相爭ふことを能くしません。遂に少年の虚榮心が私を盲目にして養家に送つたのであります。養家の娘に對する私の情は遂に深く私を其家に結びつけました。無邪氣に騷ぐべき少年の時代に私は早く婦女子の情味を知つたのです。私はそれに就いて何も意識しては居ませんでした。娘は私の妻として最初から定められたのであります。娘は私に優しくしてくれました。私は小さな心にも糊口の苦しみを刻まねばならぬ家庭を離れて周圍がすべて華やかな家族の間に介在して唯愉快でありました。それが私の最も幸福な時代でありました。幸福な時代であつたことを追憶する時幸福は既に去つて畢つて居るのであります。私が異數に婦女子の情味を知つたのも果敢ない少年の一夢に過ぎませんでした」
 自分は佐治君に引き入れられるやうに感じた。始終俯向いて居る其頬を見つめて居た。
「養父は投機的の人でした。悲運は養家を襲ひました。投機の失敗は急激の打撃でありました。義父は殆んど狂奔しました。然し及びません。一家は一人の心から破れました。それでもその時はまだ表面だけはどうにか繕つて行くことが出來たのであります。其中に私は中學の課程を終りました。私の妻は乳兒を抱きました。泣き叫ぶ兒を措いて妻は立ち働かねばならなくなりました。私は父として其泣く兒を賺しながら机の前に坐ることもありました。順序として私は高等學校に進まねばなりません。私は約束が履行さるべきものと思つて居ました。然し養父は酒の勢を藉りて私を突き放しました。今日以後は一錢も學資として支出することは出來ぬといふのであります。薄弱な私は妻と相抱いて泣きました。父は之を聞いて激怒しました。それ故自分は最初に拒絶したのである。最早一刻もそんな人でなしの家に置く譯には行かぬ。早速離縁させると敦圉くのです。尤も父の感情は五年間一度も和らげられなかつたのです。養父は一囘も父を訪ねないばかりか父がたま/\私に遇ひに來ましても多忙だといつて挨拶もせぬことがありました。みんな金錢から來る倨傲の態度でした。父は齒噛みをして怒りました。さうしてお前が可愛からおれは默つて居る。おれはまだこれ程の侮辱を蒙つたことはない。以前ならば一刀のもとに切り捨てるのだといひました。養父は義理といふものの上には驚くべき放膽な人であります。それでも私は妻を捨てゝ父の命に從ふことは其苦痛が許しませんでした。私は養家に對して五年間の恩義があります。私の妻が私に對して貞淑であることは既往も現在も變りはありません。私は泣いて幾度父の家に往復したでせう。私に於ける子といふ繋累は父の怒を餘儀なく鎭めました。養家の境遇が私を見棄てゝから私は他に學資を仰ぐべき道を求めねばならなくなりました。私を救ふ人は唯一人あればよいのであります。私は世間が意外に狹いことを知りました。微細な私といふ一人が人の視線に洩れることは當然のことであつたのでせう。然し遂にその人が有りました。私は妻子に別れて岡山へ赴きました。單純な寄宿舍の生活は始まりました。私はこれから孤獨の境涯に移つたのです。岡山に居るうち養父は益※(二の字点、1-2-22)自暴自棄に陷りました。店は全く人の手に歸して私が最初の休暇に歸省した時には小さな假住居に一夏を過しました。飢渇が目前に迫るやうになりました。貧窮は私の幼時から經驗した處でありますが、私の成長した家は私を[#「私を」は底本では「私は」]教育することさへなければどうにか糊口の道は立つのです。貧窮は家族の者に於て常態であつたのです。然し養家の落魄は痛く私を悲ましめました。私は斷然私の學資の一部を割いて妻に送ることに決心しました。一部といつても僅かに三圓に過ぎません。此の三圓が私の他借の學資に於ては非常の減額であります。それと同時に妻の爲めには心強い收入でありました。私の子は此がために成長したといつても過言ではありません。私はまた其頃から飜譯や其他のことで雜誌へ寄稿しはじめました。茶話會一席の會費に過ぎぬ收入が私の一家を潤ほしました。一身は別離して居ても妻と苦痛を分ちたいといふのが私の念慮であつたのです。
 私の恩人は遂に私を捨てませんでした。私は大學へ進みました。其頃の私の一家はもう形容が出來ません。養父は依然とした投機的の成功を夢想して豪語して居ます。家族とは殆んど交渉がなくなりました。私が大學へはひつてから妻は幼い子を抱いて上京しました。落魄の身を故郷に曝すことが堪へなかつたのと、一つは私を見ることの機會があるといふ心の慰藉があつたからであります。東京からは歸省するといふことは私には出來なかつたのです。私の長い暑中休暇は悉く糊口の資を得る爲に費されました。私は遠く離れて居るために妻を忘れようとはしません。だから妻の近く來たことが幾分私の心を丈夫にしました。然し私は憔悴した顏を見ることは却て苦痛の種でありました。妻は裏長屋の一隅に潜んで居ました。僅かばかりの賃仕事をして居たのですけれどもそれで糊口の出來ないのは勿論のことであります。私は止むなく學資の内から其時六圓づゝ割いて與へました。雜誌へ筆を就ることも絶えず止めませんでした。此が私の家族に取つては重大な資本でありました。此は私の成績に少なからぬ影響を蒙らせました。其時まだ表面の成績といふことを冷視する程に私の修養は積んでありません。私は時々妻に會ふ機會はありました。然し妻の姿は只私を泣かせるだけであります。それよりも私の心を抉ぐつたのは私の幼い子であります。高等學校に在學中私の子は腦膜炎に罹りました。幸に生命は繋ぎましたが、土地に良醫がなかつたのと落魄の境涯とで十分の加療が出來なかつたのです。其爲め病後の私の子は白痴のやうになりました。女の子が六つといへば相應に物心がつかねばならぬ年齡であります。然し私の子はまだ言語も不明であります。到底發達の見込はありません。
 妻が私に一身を捧げ燐みを請ふ有樣は私をしていぢらしく思はせます。だが私は私の子に對して衷心からの愛情が薄いのです。多年別離して居たことが愛情を惹き起す動機を與へなかつたのでせう。私が強ひて抱かうと思つても恐れて近づきません。數次其子の歡心を買ふ方法をとつて見ましてもすべての機能の遲緩した私の子は他の幼い子に見る樣に快くなつくといふことはないのであります。それでも私の子であります、仕方がありません。子に對する妻の苦心を私も身に分たねばなりません。遂に屡父からは離婚を迫まられました。然し私に子のあるといふことが何時でも父の口を箝ませました。かういふ間にも養父の態度は益※(二の字点、1-2-22)父の律義な怒に火を點じました。父は我慢し兼ねた時に其離婚のことを私へ劇しく迫つて來ます。私は止むなく本姓に復歸することにだけは成りましたが然し私は落魄の故に貞淑な妻を捨てることは出來ません。私が岡山に往つた頃知名の牧師が來られたことがあります。私は其牧師の演説を聞いて感動しました。さうして牧師の宿所を訪ねました。それから私は深く基督教を信ずるに至りました。妻を去ることを基督教は大なる罪惡として戒めて置きます。妻は私が父から受ける壓迫を知つて居ます。時にはあなたの將來のために私を捨てゝくださいと要求することがあります。此が女の口から泣かずにいはれませうか。私が妻を去る時には即時に此の世の人ではありません。妻は死を決して居ます。白痴の子を抱いて深夜に彷徨つたことが幾度だか知れないといひました。懷にした剃刀をとつて死なうと決心して見ても子を殺すに忍びなかつたといひます。私の妻は意志の鞏固の女であります。動機を與ふれば死するにちつとも遲疑しないでありませう。さうすれば私は更に殺人の大罪を犯さなければ成りません。此が私に忍ばれませうか。私のかういふ境遇から私の腦髓は思索に耽る習慣がついて居ました。私にも功名心は沒却することが出來ません。だから勢ひ研究の餘地が多い學科を選ばせました。さうしてまだ發達の途上に在る社會學が私の心を惹いたのです。卒業してからも私は直ちに收入の方法を立てなければならないのでありました。一つは私の虚弱な身體を少しでも改善の途に赴かしめるには田舍が尤もいゝと信じましたから私は此の中學へ赴任することに成りました。赴任と共に妻は高知へ歸らせました。妻子と同棲することには父の頑強な反對があつたからであります。父に對する遠慮から故郷とはいひながら妻子を遠く逐うたのです。それと共に一方には妻を慰めるために俸給から十二圓を割いて送りました。妻は高知へ去る時決して泣きませんでした。妻の鋭くなつた眼光は却て私の心を強く刺戟しました。さうして妻に送るべき十二圓は私の收入から分割し得べき最大限度であります。私はまた恩人へ學資の返濟をしなければならぬ義務を有して居ます。私は更に又父の老後を慰めるために若干を割いて居ます。私の生活が此でどれだけの餘裕がありませう。それで止むを得ず雜誌の寄稿に勉強しました。私の周圍と私との間を圓滑にして幾らでも幸福に接近せしめるには切實に正當な方法から得る金錢の必要を感ぜしめます。私の家族に福音を齎らすものは金錢の外に何もありません。私は此の暑中休暇に上京して或る講習會に臨みました。其時知人から此の程設立になつた九州の商業學校に教鞭を執ることを勸誘されました。俸給の増額が心を惹きました。私は講習會の畢ると共に其報酬を旅費にして歸省しました。故郷に近く關東を去るといふことに依つて父の心を動かしました。哀訴の結果私が妻子を迎へることの承諾を得ることに成功しました。私の收入は一ヶ年に就いて二百四十圓を増すことになりました。私も教育者として金錢を目的とすることの卑劣な行爲であることを知らないものではありません。それで九州に去ることは一たび私の良心を苦めました。然し私の行爲は罪惡ではないと思ひ返しました。それは妻子を復活せしむることが出來るからです。家庭を形ることによつて妻は長い困難から救はれます。唯頑固な私の父は妻子と同棲することを許容する條件として父が養父との交際を絶對に拒絶することに就いて決して容喙してはならぬといふことでありました。私が父に服從してもしませんでも兩方の父は到底交誼を全うすることは出來ないのです。それは私が苦慮しても及びません。私は私の燐むべき妻を救ひ得たことを以て滿足せねはなりません。俸給の増收はまた私の恩人に對する義務を果す時間を短縮することが出來ます。貧窮な父の老後を慰めるに大なる便宜を有します。かうして私は斷然九州に去ることを決しました。然しながら教育者として僅に一年で辭し去るといふことが私の良心に創痍を蒙らしめねばなりません。私はあなたに羞ぢなければなりません。無言で去るに忍びません。それ故私はこれだけを聞いて頂きたいと思つたのでした…………」
 佐治君は姿勢を少しも崩さない。其低い聲が自分の教室の内に充滿して強く自分の耳を刺戟するやうに感じた。佐治君に此の如き事實が存在して居やうとは夢想だもしなかつた。自分は佐治君を疑つて居たことの不明を衷心から羞ぢた。佐治君に於てはじめて人格といふものを認め得た如く感じた。自分は此から後の佐治君が漸く幸福の生涯を送りうべきものと想像せられた。さうして其一事を以て佐治君を慰めようかと思つた。然し自分は佐治君のために心から身體から捉へられて自分は竦縮んだやうな状態に在つた。一語をも發し得なつた。自分も俯向いて沈默を守つて居た。
「然し私の煩悶はそれでも永久に去りません」
 佐治君の聲がひどく自分に響いた。
「私は父の條件に就いては暫く忍びませう。私の家庭に於ける煩悶は永久に去ることはありますまい。私の嗜好は碁を打つ以外には何もないのです。私は睡眠状態に在る時の外は絶えず私の腦髓を苦めて居ます。私の腦髓を苦しめねば私は淋しさに堪へません。碁は私の腦髓を休ませるものではありません。私の一日責任ある時間を除いてはすべて苦悶であります。私には以前から一種の癖があります。衣類も唯一着でも品質の善良なるものを叮嚀に所持して居ることに滿足したいのであります。器物の如き物でも見て快いものでなければ私は日常の使用に堪へません。順境に立つて私が專門の學術を攻究することが出來たとしても到底私は間斷なく腦力を消耗して行かねばなりません。さういふ時にせめて妻の容貌が美しかつたならば私は妻に對することによつて私の疲勞を恢復することが出來るでありませう。他に嗜好のない私には妻の美貌といふことが私を慰むべき唯一の條件であるのです。だが私の妻は見るも厭はしい醜婦であります。逆境に立つて苦鬪した結果内に潜んで居た鞏固な意志が歴々として容貌の上に表現されて來ました。私は妻に逢ふ時最初の一瞬間は必ず嫌惡と恐怖との念を起さないことはありません。家庭をかたちづくつたならば生活の安心から幾分女らしい優しさを恢復することが出來ませう。其他に於ては年齡が絶對に許しません。從來私は妻の爲に悲しみ妻を救ふことにのみ專ら私の心を傾けて居ました。さうして稍恢復した私の運命は私を妻と同棲せしめることになりました。それと同時に私の心には切實に妻を厭ふの念が湧起しました。私は九州に去ることに依つて愁眉を開きうる筈でなければなりません。然しながら妻に對する煩悶は私の心を更に掻き亂しました。私は此の幾年來自分自身のすべてをも公平に判斷しうると思ふ程煩悶に伴ふ思索と考慮とを養つて來ました。それでも私には私の家庭に光明を發見することは出來ないのであります。妻は商人の家に唯奢侈な少時を送つたゞけであります。俗用の書状だけでも私の代筆が出來るならばまだしものことであります。私の机の上の整理さへ安心して任せることは出來ません。私の後天性の道義心は頑強な父の反對をも顧みず此の如き絶望に近い妻と共に家庭を形らせるのです。さうして私は白痴に等しい私の子を發達せしめるために父たるものの義務として能ふ限りの力を盡さねばなりません。養家に人となつた當時の私は妻の愛情を味ひ得た外どうして私の眼が美醜を分ち得たでありませう。私は後日の悔を貽すことに餘り無邪氣であつたのであります。私は不滿足な妻を腦裡に浮べては絶えず憂鬱に陷ります。妻と私との間を繋いて放たないものは一片の道義心に過ぎません。私の信ずる程度に於ける基督教は毫も私の煩悶を解決してはくれません」
 涙がぼろ/\と憔悴した頬を傳はつて流れた。
「此の數年來私は幾度私の境遇に就て心のうちに解決を求めたか分りません。さうして何時でも無効に畢つて居るのであります。私の理性が築き上げたものを感情は直ちに根柢から破壞し去るのであります。破壞されつゝ私は身を處理し來つたのでありました。私は煩悶して憂鬱に陷る時そこに私の住居を求め得る如く感ぜられます。憂鬱の状態が私に快感を與ふる樣になりました。私の身體は同時に損はれなければ成りません。悲しい快感を得るために私の細胞は減少します。私は私の肉を殺がねばなりません。」
 佐治君は暫く默した。
「私はすぐに福岡へ移ります。私の去つた後聞いてくれる人がありましたらどうか私を語つて下さい。私は從來嘗て人に打明けたことがありませんでしたが、あなたにだけはお話しせねば心が濟みません」
 又暫く間を措いて
「どうも御迷惑なことでしたらう」
 佐治君の噺は途切れた。自分はかういふ場合どう挨拶していゝか分らなかつた。實際の處自分の心は弱いのである。自分は唯困つてしまつた。ふと見ると窓の外から沼崎君がホーレーキを擔いた儘微笑しながら覗き込んで居る。放課後にも學校に止つて日を暮すことのあるのは沼崎君と自分ばかりである。
「君はまだかい」
 沼崎君がいつた。
「もう歸らう」
 自分は答えた。三人は一緒に學校の門を出た。
 自分は家に歸つてからもぼつとして同情に堪へぬ佐治君の身の上を思つて居た。自分は座蒲團を枕にしてごろりと横に成つた。妻は私をどうしたのかと疑つた程である。自分は從來なかつたことが頭を往來した。心理状態の變化を自覺した。自分の少年時代からの友人で文藝といふ方面に志した男がある。二年前に逢つた時彼は頻りに人生の意味といふことを語つた。自分には固より解らない。又解らうともしなかつた。彼は市ヶ谷とか牛込とかの見附を始終往復したといつた。あの見附の附近には大雨の後などにはよく土手の半腹が墜落するのを見る。それから土手の榎の木には鴉がとまる。落葉の後には寄生木のホヤがあからさまに見える。少年が空氣銃を持つてそこらを彷徨ふ。或日そこを過ぎると少年の空氣銃が一羽の鴉を打つた。鴉はすつと落下した。土手に近づいた時鴉は最後の力を振はんとして羽を動かしたが其體は枯芝の中にどさりと大きな響を立てた。少年が駈けよつて攫へた時鴉は悲しい聲をあげて鳴いた。此の見附の現象に何等かの意味があるやうに感ずるといふのであつた。自分はそれは引力の作用だといつた。地殼の一部に空虚を生じた時陷落といふ現象の生ずるのは當然のことである。ホヤの木があつても何でもないぢやないか。鴉が落ちた時に大きな響を立てたのは落下率が加はつたからだと半分は戲談にいつた。此でも自分は天然を愛すること位は知つて居るのだといふと彼は天然の皮相を見たつて何になるといつた。去年の夏に逢つた時彼は又いつた。此の間或る不幸な女に逢つて其經歴を聞いた。女は泣いて訴へた。自分は其時女に向つて徒らに慰安の道を求めるよりも悲しめるだけ悲しんで運命に服從しなさい。さうすれば生存の意味が深くなる。それと同時にあなたの値打が増すのだといつてやつたといつた。自分にはどうしても分らん君等はつまらぬことに苦勞したものだとさういつてやつた。さうすると彼は君は百姓のことを知つて居るだらうといふから勿論だといつた。百姓が作物を栽培することに僞があるかといふからそれは神聖なものだといつた。百姓のすべては努力に在るぢやないかといふから努力の最高位に居るものだらうといつた。さうすれば神聖なる努力だらう。百姓は苗の一把は惜むまい。然しながら此を田に植ゑた時其一株を踏まれても怒るだらう。穗が出て花が咲いた時は一夜の嵐にも心を勞するだらう。稻が竹竿に掛けられた時更に之を惜むの度は加はるだらう。籾が玄米になつて玄米が更に白米に變じた時はどうである。白米の一粒だに惜まるゝ所以のものは百姓の力が段々そこに加はるからである。即ち神聖なる努力の値打である。物質の値打ではない。籾からさうして白米に至る程物質は却て滅却しつゝあるではないか。神社であつても佛閣であつても莊嚴の氣人を壓するものは之を造營した各の人及び爾後の繼續せる長い時の間之に奉仕する人々の敬虔なる態度の具體的表現である。人の力が人を壓するのである。君は態度といふことが解らぬと見える。研究する目的物の尤も大なるものは天文の學だらう。小なるものは檢微鏡の學だらう。さうして兩者の間に値打の差別があると思ふか。そこに差別を見出さぬのは目的物に對する研究者の敬虔なる態度の全く同一なるが故である。學問といふものは神聖なる努力の結晶であると彼はいつた。自分はそれはそれに相違ないが、同一の努力をしても成功するものとせぬものとが有るぢやないかといつたら、それは天分の問題だ、各自に天分を盡すまでのことだ、其盡すといふ處が神聖なる努力だ、其態度に値打が存在して居るのだと彼はいつた。それぢや下手に生れたものは損ぢやないかといふと、損益といふ語はそんな處へ用ゐるものぢやないと彼はいつた、彼は又十日徒手安坐して之を一年半年若くは一ヶ月後に囘顧してそこに何物がある。唯一日の旅行で十分である。努力は孰れに多い。追憶の分量が孰れに多い。さうして其旅行に事件が加はれば加はる程、苦痛が加はれば加はる程、其事件や苦痛に對して旅行者の心理の働きが波打てば波打つ程そこに分量も意味も値打も生じて來るのぢやないか。意味ある人生、値打ある人生を微細な一點にも發見するのが我々の本領である。さうしてそれに努力することに依つて我々の意味も値打も増して來るのだといつた。自分は少し茶化して聞いて居た。小學校の生徒にでもいつて聞かせるやうにいふのが面白くなかつたからである。少年時代から隔てない間柄ではどうも頭にはひり憎いものだ。だがこんなことも其後はすつかり忘れて居た。佐治君の噺を聞いてふつと思ひついた。どうかすると廿年も前のことをふつと思ひ浮べることがある。心理學者は此の状態を何とかいつて居るのだらう。佐治君を見るとひどく自分がちつぽけな樣に見えてならぬ。大學出身は幾人か見た。佐治君のやうな人には逢はぬ。それで居て佐治君は絶えず家庭の煩悶ばかりして居る人だ。狹い一局部に限られて居る人に過ぎないのだ。そこには何があるのだらう。自分はぐたりと成つた儘起きられなかつた。
 翌日佐治君は生徒に告別の挨拶をして早く歸つた。自分は放課後鬼怒川の上流の寫眞二三葉を懷にして佐治君の下宿を訪うた。荷物は大抵通運に託したといつて室内がからりとして鞄一つだけが殘されてあつた。佐治君は鞄の中から白い晒しの切を出して茶器を拭つて茶を侑めた。自分が寫眞を出して見せると佐治君は熟視した。鬼怒川の上流が天下の絶勝であることや、殊に豪雨の後に於ける水勢の劇甚なことや、自然の絶大なる威力が峽谷の民に迷信を抱かせて居ることや種々なることを語つて見た。佐治君は、
「私は自分の境遇と性情とがかういふ深山を跋渉することを許さないだらうと思ひます。あなたに依つて此の大觀に接することを得たのを感謝致します。私は固より美を好むものであります。美術といふものゝ如何なるものなるかも學んで居ります。然し私の心は一方に非常な薄弱なものでありますが、錐を以て穿たねば痛みを感ぜぬ程強烈な刺戟にも堪へて居ます。私は現在の畫家の描いた多くの誇張した山水畫を見ることを好みません。誇張が繪畫の要素の一つであることは私も信じて居ます。然し現在多くの繪畫は誇張に伴ふ浮薄と虚僞との惡感を催さしむるのであります。だがあなたの寫眞は私の前に眞實といふものを現はしてくだすつたのです。眞實は私に於て第一の滋味であります」
 といふ意味のことを語つた。
「鬼怒川の分ならば幾らもありますが宜ければ今夜印畫して置きませう。明日會へお出掛の序に一寸寄つて見て下さい」
 自分は更に
「どうかあちらへ御出に成つたら勉めて郊外の散歩でもなすつたらどうですか、あなたの健康は必ず恢復されるに極つて居ると思ふのですが」
 と極めて普通なことをいつて見た。
「御忠告に從ふやうに心懸けませう」
 佐治君はぽさりとしていつた。
 次の日は日曜日であつた。職員間には佐治君に對する送別會が催された。自分は昨夜印畫に時間を費したので起きたのは十時であつた。空はからりと晴れて狹い庭のコスモスの花が氣輕相に見えた。自分は水洗ひした印畫を縁側へならべ干した。それが乾いたので自分はガラスの定規で端を切つては臺紙を貼りつけた。そこへ佐治君が訪ねて來た。佐治君は庭から通した。座敷のうちは雜多の寫眞や古い臺紙や新聞紙やごつたに散亂して居た。潔癖な佐治君は坐るに快くなかつたのであらう。此の日は自分の妻は同僚の細君同士に何か寄合があるとかで不在であつた。自分は冷えた茶を侑めた。佐治君は箱からぶちまけてあつた寫眞を一枚々々と見て居た。自分は其間水洗ひがよく出來てなくても變色することや、糊が惡くても矢張り變色するといふことやそれから此の貼り附けることが米國では一つの技術と見做されて居ること抔を語りながら一心に手を動した。時間が大分經つた。日が斜に射し掛けて來たやうである。自分の手もとも薄闇くなつたかの樣に心得た時玄關でおとづれる聲がするやうに思はれた。
「どなたかお出のやうですが」
 佐治君は注意してくれた。
「こんちは」
 といふ低い叮嚀な聲である。自分は其儘立つて見た。庭の竹垣からすく/\と立つた隱氣な赤いコスモスが一杯に日を浴びて居る。其蔭にぼんやり立つて居るのが見えた。出て見るとみすぼらしい爺さんが何か天秤棒を卸して居た。
「何だい」
 自分はいつた。
「へえ、鰌ですが、これつきりで、安く致して置きますから……」
 哀れつぽい爺さんである。
「幾ら目あるか掛けて見ないか」
 自分は財布を出しながらいつた。爺さんは腰へ※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)した秤を出して籠を引つ掛けて秤の棹を目よりも高く揚げた。
「おい爺さんそれぢや餘ンまりはねるぞ」
「へえ/\」
 と爺さんは少し分銅を動かす。どうも變である。爺さんはやがて
「旦那どうぞ見ておくんなせえまし」
 自分へ秤の目を讀めといふのである。爺さんは又自分が出した小笊へ鰌をあけて更に濡れた竹籃を掛けてさうして正味が幾ら有るかと聞くのである。
「二百四十五匁だそれで相場は幾らだい」
「へえ、六掛でがすが今日は荷ばたきですから五掛五分の勘定でようがす」
「六かしい勘定だな、十三錢四厘七毛五朱か、爺さんそれぢや分るまい、十三錢五厘やらう、さあ廿錢銀貨だぜ此は」
 爺さんは銀貨を受取つて暫く目の近くへ持つて行つてへりをこすつて見たりして穢い財布を空に成つた籠から出してざら/\と錢を手の平へまけた。
「旦那どうぞこれからお剩錢だけをとつて頂きてえもんですが」
「お前私に取れといふのか、それぢや六錢五厘だよあゝもうとつたよ」
 爺さんは文久錢の交つた小錢を又ざら/\と財布へ入れて長い紐をくる/\と絡んだ。
「まあお珍らしい、あなたお出下すつたのでせうか、大層遠方へお出でなさる相ですが、……そこへお立たせ申してどうしたんでございませう」
 妻の聲で挨拶して居るのを聞いてふと見ると妻は二人の子を連れて歸つて來た處である。何時の間にか佐治君が竹垣の側に立つてこちらを見て居るのである。送別會の時間が切迫したので暇を告げようと思つて出て來たのであつたらう。
「あなたまあ一寸おあがんなさいまし、お茶でも召し上つて下さい」
 妻はお世辭をいつて居る。自分は氣がついたから
「どうもうつかりして居て御迷惑でしたらう。私は寫眞を二三枚仕上げてあとから行きますからどうか一足先へ行つてください」
「さつきからお出でくだすつたのでせうか、私は唯今お出でになつたばかりだと思ひました」
 妻は佐治君へ挨拶しながら自分の方へ近づいた。妻に抱かれた子は生えはじめた白い齒を出して佐治君へ向つて兩手を振りながら母の手の上で立つたり屈んだりして嬉々として騷ぐ。
「本當に此の子は人怖ぢがないのですから、まあどうしたもんでせう此の容子は」
 佐治君へ挨拶して妻は
「今日も奧さん方で大笑ひなのねえ」
 と獨りでいつた。さうして自分を見て笑ひながら
「あなた厭だ、小笊なんぞ持つてどうしたんせう」
 妻の腰にくつゝいてた次男は小笊の中を見せろとせがむ。小笊を次男の頭へ持て行くと鰌の水がぽたりと垂れる。首を縮めて甘えた聲を出して騷ぐ。そこらの子供と遊び暮した板面者がまた一人門から駈け込んだ。下駄を一間もあとへ飛して駈けあがつた。佐治君はまだ去らずに居る。
「いま鰌を買つた所さ」
 自分は爺さんのことを妻に語つた。
「お爺さんお前さん眼が惡いの」
 妻は改まつて聞いた。
「へえ、わしも近頃すつかり見えねえもおんなじに成つてしめえまして」
「そんなことでお前さん胡魔化されやしないかね」
「結構これで出せえすりや煙草錢にや成りますからね、有難えもんでがす。旦那方わしの顏を知つてますからなんだかんだ氣をつけてくれます、なあにわしがたべるだけなら日に二合もいりましねえから」
「能くねえまあ、お前さんそんな年に成つてもう商賣に出なくつてもいゝだらうがねえ」
 妻は同情してかう聞いた。
「わしもね息子は早く持つたんでがすが一人前になつたと思つたらころりやられちやつて、さかさ見たのがわしのくされでがす、それから貰子をしましてね、廿五まで育てゝうつちやられつちめえました、思ひ出すと忌々しいことでがすが、娵を取らねえで置いたのが間違でがしたんべか到頭女に騙されて連れ出されてしめえました、足尾の銅山に稼いで居るつてちらつと聞いたこともありましたが、殘せるやうだから結構でがすが、殘りやしますめえ、食つて通るだけならこつちに居たつてよさ相なもんでがすが、此も好きぢやしやうがあせん、何も其女だつて女房にしちやなんねえといふ譯でもねえのに、わしもこれ息子が生きてりやこんな目にや逢はねんでがすが、こりやいゝ野郎でがしたよ」
 爺さんは天秤を杖に突きながら
「何でも實子でなくちや駄目でがす、自分の子供が寶でがす」
 呟くやうにいつた。
「お前さん、足尾に居るのが分つたら連れて來たらどうなの」
 妻はいつた。
「こんな厄介者の處にや戻つちやくれますめえ、わしもはあつく/″\忌々敷くつて、七十からに成つてかういに足腰がきかなくなつてからうつちやられちやみじめなもんでがす、わしも此で幾らも擔いちや出ねえでがすが夜は隨分草臥れます、去年と今年ぢや大變な違げえでがす、爭はれねえんもんです、一年たあいはれません、わしも何處でのたるか知れたこつちやありましねえが此も因縁だと覺悟はして居ますのせ……仕樣があせん、私もはあ野郎がこたあ諦めましたから……」
 自分も妻も唯爺さんを見て立つた。佐治君も竹垣の側に立つた儘凝然として居る。日は漸く闇くなりかけた。爺さんは見えない目を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)つた。
 籠の繩を天秤の端へ絡んで暫く思案したやうにして居た。
「心得違げえせなけりや憎い野郎ぢやあがあしねえが、なあに手前だつて碌な目にや逢はれねえから駄目でがさあ」
 爺さんは急に氣がついたやうに
「有難うごぜえました」
 といつてのめり相な體へ天秤を擔いだ。
「また買つてあげるからお出よ」
 妻は後から聲を投げかけた。
「へえ/\どうぞ」
 爺さんは竹の杖を突いてよぼ/\と出て行つた。佐治君も續いて出た。二人の姿は程なく薄暮の中に隱れた。夜は段々濃く立つて居る自分を壓して閉ぢた。
(明治四十二年十月一日發行、ホトトギス 第十三卷第一號所載)





底本:「長塚節全集 第二巻」春陽堂書店
   1977(昭和52)年1月31日発行
初出:「ホトトギス 第十三卷第一號」
   1909(明治42)年10月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:林 幸雄
校正:A子
2013年7月21日作成
2019年1月9日修正
青空文庫作成ファイル:
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●表記について


●図書カード