小熊秀雄全集-13

詩集(12)その他の詩篇

小熊秀雄




●目次
◆未収録詩篇(1936〜1940)
性別の谷
一つの太陽と二つの現実
パドマ
雪の伝説を探るには
右手と左手
或る旦那の生活
寓話的な詩二篇
 温和しい強盗
 猿と臭い栗
国民の臍を代表して
さあ・練習始め
芝居は順序よくいつてゐる
日比谷附近
多少の埃は
平民と愛
愛と衝動と叡智
文学の大根役者に与ふ
転落
インテリの硬直
喜怒哀楽の歌
怖ろしい言葉を
訴訟狂のやうに
カミナリ
小説家は滑稽なものだ
勝つたのさ
糸繰りの歌
日本的精神
一九三八年
情死
寸感
学生の頭の問題
朝の歌
夕焼色の雲の断片
作家トコロテン氏に贈る
大弓場の詩
小松の新芽
寓話詩
ある小説家に与ふ
ジイドと洗濯婆
泥酔歌
青年歌
刺身
無題(遺稿)
画帳(遺稿)
親と子の夜(遺稿)

◆俳優女流諷刺詩篇
俳優人物詩
 赤木蘭子論
 滝沢修論
 宇野重吉論
 三島雅夫論
 細川ちか子論
 小沢栄論

女流諷刺詩篇
 太田洋子
 風見章子
 小山いと子
 轟夕起子
 真杉静枝
 松原 操
 水戸光子
 森 赫子
 矢田津世子
 由利アケミ
 長谷川時雨について
 神近市子について
 板垣直子について
 或る女流作家に与ふ

◆雑纂・補遺詩篇
散文詩 雪のなかの教会堂
追悼詩 ひとりたび
聯詩の会―広瀬氏歓迎席上
 風船
 夜の花
 豚
 夜の陶器
日中往復はがき詩集
 作品第一番
 作品第二番
 作品第三番
ハンマーマンの歌
便乗丸船長へ

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
未収録詩篇(1936〜1940)

性別の谷

  ――ある男性的な夫人に――

     1

長い時間
ふたりは机を挾んで話しあつた、
私は考へてみた、すると何事も話なさなかつたやうに、
問題の解決は少しもなかつたやうだ、
婦人と向ひあつて
いろ/\の婦人問題に就いて
しやべるといふことが、
今では全く無駄に思はれた、
それでは婦人のことは誰と語るべきだらう、
男達は女のことに就いてはヒットラーのやうに、
偽の英雄のやうに、
物事を端し折つて解決してしまふ、
しんみりと男同志が
女のことについて語り合ふとき
――女の正体はわからないね
と最後に男達は投げ出してしまふ。

     2

勢ひ強い語気や、
はげしい物言ひ、
男のやうなあなたの性格は
益々私に逆にあなたの
女らしさを感じさせるだけだし、
あなたが現代の女の霊魂の沈滞のために
代表してたゝかつてゐる
悲壮なるものを私はあなたからうけとる。

     3

女には底の知れないふかいところに、
到底男の理解ができない『凝結かたまり』があると
ある友が私にいつた言葉をふつと思ひ出しながら、
こゝろよいあなたの声の空気の震へに身をまかせて
話しつゞけてゐる私の唇が、
突然、衝動的に歪んだ
あなたはそれを見てとつたでせうか、
すべての男性的な女に対して
女の誤まつた理性に就いての
感想がふつと湧いたのです、
私が現在女性に対して
感じてゐることは
男としての女に対する焦燥があるだけです。
女に対して心に
焦らだちをもつた男の一人です。
誰が我々に男と女といふ性の区別を与へたのだらう、
一つの谷を降りて行きます、
この谷は二つのむかひ合つた
側面をもつてゐる、
一つは男の性の側面、
一つは女の性の側面です。
二つの側面の間を清麗な水が流れてゐる、
男は己れの側面を降りてゆき
そして底もしれないふかさに悩みくるしむ、
相会ふことを追求するのです、
男も女も呼びあつてゐる、
たがひに声はとゞき、
意志は伝達する、
たゞそれだけです、
永遠のへだたりをもつてゐる男と女とが
思想のこと、経済上のことを
語りあつてゐることを
谷やせゝらぎが嘲笑してゐるのです。

     4

然し私は信じたい、
谷の空間をとびこえて、
完全にあなたを、あらゆる婦人を
理解したり、愛したりできると、
――さあ、貴方は男のくせに
そんなに感情的であつてはいけません、
何ごとも理性ですよ、
理性ですよ。
帰り際に玄関で私にむかつて、
あなたは男性的に拳をあげて
私の男を勇気づけてくれました、
私の感情は軽蔑されました
あなたは理性を主張しました、
私はそれを感謝します。
だが問題は残つてゐるのです。

     5

男と女といふ二つの性別の谷は
今後ますます社会的矛盾の現はれとして
深くへだてられるでせう、
眼が醒めたとき
すべての女達が
男の抱擁の中に眠つてゐたとしたら
それは女にとつてこれ以上の幸福はないでせうが、
だが今は全くさうはゆかなくなつてゐるのです、
コネ合はすために
愛にも、食にも、
僅か許りのパン粉より現実からは
与へられてゐません、
ましてや忙がしい男の生活にとつて
女を抱擁する時間は僅かよりないのです、
私はそれを悲しみます。

     6

理性です――と叫んだあなたは
男にも増して理性的な強さをもつてゐる、
すべて従来の女たちのもつてゐた
感情の燃焼をうちけして
ときには男もたぢろぐ程
理性的な女となつてゐます。
だがそれで貴女の理性的な女は
すべての理性的な男に理解されるでせうか、
あなたの目指してゐる理性は
男の世界の偽りの理性です、
強くなりたいことが
男らしくなりたいと考へてもらひたくない
男は真に感情的になる前に
偽りの理智を恵まれました。

     7

私は理性的な男ではありません
そして女の理解を早める方法を知りました、
私はすべてに対して
一般的な理解といふことに対して
絶望し憎む
感情こそあらゆるものを
本質へより迅速に到達することを
信じて疑ひません。
ますます理性的になつてゆかうとする
女としてのあなたこそ
私の眼から怖ろしい感情家にみえます。
男は理性的であるために
すべての凡百の女に尊敬され
そして凡百の男は遂に女を理解し尽さない、
新しい時代の新しい感情と
新しい理智、
それは新しい女の中にも二つを備へ
新しい男の中にも二つを備へ
ふかい相へだたる谷の空間を
とびこえ谷を充実するもの、
完全な男と女の理解の方法は
それは強い感情的な意志をもつた
男がそれを為しとげるでせう。


一つの太陽と二つの現実

日本的現実では
ラジオで仏法僧を聴いてゐる、
ソビヱット的現実では
トラクターが騒いでゐる、
幸福なことには
日本のインテリゲンチャは
渋面じゆうめんつくつて能面のうめんそつくりだ、
悲しいことには――夜明けでない、
おかしなことには――戦の智慧者と
戦術家がみんな降参してしまつた、
大胆不敵にも
善悪の道徳的拠りどころをもたずに
詩や小説や評論を書いてゐる、
だから子宮後屈しきゆうこうくつ症は満足な
作品を産んだためしがない、
これらの理由に就いて彼等はいふ、
すべて日本とアチラとの現実がちがふからだ、と
もつともの話だ、
宇宙に太陽がひとつよりないのに、
国家が幾つにも別れてゐることは――、
残念なことだ、
思想がそれぞれちがふといふことは――、
日本的現実の中で
木霊こだまと言ひ争ひをするやうに
自分の声と争つてゐたまへ、
孤独と自慰との一日を暮らしたまへ、
君の幸福な寝床の上を
熱い太陽がとほりすぎるだらう、
たつた一つよりない太陽が
二つの現実を
皮肉に笑つて通りすぎるだらう。


パドマ
  ――パドマとは梵語の蓮をいふ――

この世に怖ろしいものは韻律であらう、
あらゆるものは、これをもつて捕へることができる、無智な人々へは
単純な韻律の繰り返しを与へたらよい、
寺では木魚を鳴らす
ポクポク、ポク、ポク、ポクポクと
なんまいだ、なんまいだ、
なんまいだ、
君がもし恋人を計画的に
くどき落さうとするならば
彼女を、醒めてゐるものを――
夢の世界へ突き落さうとするのであれば、
乱調子に女の肩をゆすぶつてはいけない、
ただ静かに単純なくりかへしをもつて
彼女のもつとも××腺に近いところを叩いてゐたらいゝ
すると彼女は君のために、うつとりするだらう、
無智なる時代は
七五調をもつて恋文を書いたらいゝ、
無智なる時代は
五、七、五、七、七をもつて
恋歌を組み立てよ、
平和とは単純であるか――、
今はあらゆるものが波立つ
決して単純ではない、
ただ無智な人々ばかりが
生活の苦しみの救ひを
あらゆる単純なものに求めてゆく、
老いた百姓たちが
日中揃つて鍬をふりあげ
ハッシとそれを土に打ち込む
疲労は結晶となつて彼等の額からたれ
鍬の柄を伝つて汗は土の中に入る、
たちまち百姓達の額の汗は乾いてしまふ、
なんといふ百姓達のおそるべき
生活の苦痛の忘却よ、
爽やかに夕風が吹いてくると
百姓たちの労働は終る
そして僧侶たちの夜の労働と交替する、
寺男は鐘楼にのぼつて
鐘の急所を目がけて
撞木を老練にうちつける
臍をうたれた鐘の気狂ひ笑ひよ、
音は波紋を描いて
余韻は村中を駈けまはり、野に去る、
夜となる、村の若衆たちは踊りの
樽太鼓の鳴る方へゆく、
善男善女は梵鐘のリズムに吸ひつけられる、
寺院では合唱隊が読経を始め
一段高いところの肱掛椅子にもたれて
老師はいましも物柔らかに慇懃に
百姓たちに熱心に仏を説く、
ほれぼれするやうな
声はかういつてゐる、
――お爺さん
お婆さん
聞きちがへるぢやないぞよ、――
はきちがへるぢやないぞよ、――
救つて下されぢやないぞよ、――
助けて下されぢやないぞよ、――
弥陀の親様の方から
助けさしてくれいよ、
救はしてくれいよの、
お声がかりぢやぞよ。
寺院は風にさわぐ稲の穂のやうにざわめきたち、
あちこちに消え入るやうな人々の声、
なんまんだぶ、なんまんだぶ、
なんまんだぶ、
一個の木像を前にして
僧侶は前進、後退法衣の鮮やかな裾さばき
読経は男声四重唱
鐘、太鼓、木魚、銅鑼のオーケストラ、
見あげるやうな寺院の高い天井まで
読経の声と、香の煙と、匂ひで満たす、
緊張をもつて儀式は始まり
緊張をもつて終るやうに
一隊が朗々と読経すれば
指揮者が急所急所のカンどころで
経本をもつて立ちのぼる香煙サッと
切つて大見得をきる、
肝心なところでは合の手に
銅鑼係りがドラをもつて
ヂャンボン、ヂャンボン、心得たものだ、
なんと充実した音響の世界、
僧侶は、信者がこゝで思索することを好まない、
一切は弥陀の他力本願であつて
仏を批判するものは地獄へをちるぞ――
高坐の上から説教師は
技術のすばらしさをもつて大衆を説得する、
突如、狼のやうに叫ぶかとおもへば
また猫のやうな猫撫で声になる、
摂津の八郎兵衛の宗教物語、
――お師匠さま
弥陀の親さまの
おんとしは
幾つでござりませうか、
おゝ、八郎兵衛
弥陀の親さまの、おんとしか、
みだの親さまのおんとしは
そちと同じだぞよ
そちと同じだぞよ、
物語ひとくさり語り終ると
あちこちでは感動の嘆息とスヽリ泣き、
老婆は痩せた膝の中へ、すつかり頭を突つこんで
鼻水をすすり、すすり、
――あゝ、有り難い
御慈悲さまでござります
私のやうなイタヅラものゝために
五劫十劫の
御苦労あそばされるとは
何とまあ
広大な御慈悲さまで
ござりませう
なんまんだぶ、なんまんだぶ、
なんまんだぶ、
寺院の正面には白い大きな蓮
人間がその中に入つて座る、
花弁はしづかに閉ぢられて
生きながら極楽往生、蓮華往生、
中でしづかに死んでゆく
いましも往生をのぞむ奇特な老人のために、
儀式は始つてゐる、
寺院は湧き立つ鍋のやうに震動してゐる、
そのとき老人は、空虚な足どりをもつて
二人の僧侶に肩をささへられながら
蓮に通ずる階段をのぼつてゆく
直視するに到底堪へないほどの
老人の顔は、素朴な百姓の顔、
彼は蓮の花弁の中に端座する
花弁が音もなくとぢられ
花弁がしづかに開かれるとき
彼の肉体から、生命が
タンポポの柔毛が風に舞ひたつやうに、
高く去つてしまふために、彼は坐つた、
花は閉ぢられた、
寺は儀式の終末を告げる最後の
努力をもつてあらゆる楽器は
激情的な騒音を連続的に立て
僧侶たちは花の中の物音を
打ち消さうとするかのやうに奏楽すれば
信者たちは、花の中から聞えてくるコトリといふ
物音をも聞き洩すまいとするかのやうに
周囲の雑音と彼等の耳はたたかつてゐる
花の中の老人はすでに冷静を失つてゐた、
花の中は暗黒、彼の坐つてゐる空間は極度にせまい、
けだものの皮に縫ひこめられた人間の
苦痛にひとしい花びらの中に
とらへられた人間の不安、
台の下から恐怖が襲つてきた
生に対する猛烈な執着
指でアバラ骨を掻き鳴らし
生死の間の歌うたふ
老人よ、彼は立ち上らうとして
百姓的な頑固な両腕の
狂暴な力をもつて
花びらを押しひらかうとする、
すべては徒労ですでに遅い
老人は肛門のあたりに
何かが触れたのを知つた、
火のやうに熱したものか、氷のやうに冷却したものか、
瞬間ヒヤリと台の下から忍びこんだもの、
火もまた熱度の頂天に達するときは
氷のやうな感触をもつ、
燃えた鉄の蛇は
直立した堅さをもつて
肛門に飛びこみ
老人の腹の中をかけまはる苦痛に
彼は花弁に体うちつけ
老人は二言何事かを――絶叫した、
その声は高い
だが百の銅鑼がその声をうち消した、
まじまじとパドマを見まもる群集たち
鳴物ハタと一斉にやみ
固く閉ぢられた白蓮は
群集の注視の真只中に
みるみる紅蓮にかはつてゆく、
その時花のつぼみは
ポンといふ高い音がして開いた
その響きは
池の面に咲いてゐる蓮が
いま暁の瞬間に
生命の花ひらく感動の声か――、
あるひは娘が
処女性を失ふ瞬間に
軽い驚きを、ともなつた
感動の声のそのやうにか――、
ひとつの物体が、
充実したつぼみの世界から更に
大きな開花の
次の充実の世界へ移つてゆく
その瞬間に、
自然に発する声か――、
それとも抵抗する蓮の花弁を
百姓の力をもつて中から
強く押し開いた掛声であつたか――、
いや、いや、
花びらに自由自在
開き且つ閉ぢることのできたのは、
人工的なカラクリの
蓮の声であり、
仏の声である、
生きた蓮の花開く声ではない、
生きた百姓の声ではない、
――無智、と叫んで
己れを罵つた
百姓の苦悶の最後の二言は
僧侶の騒音、
寺院のあらゆる整頓された儀式の
形式に打ち消され
 彼はただ蓮の中で己れの口から発し
 それを己れ
 の耳に聴いたにすぎない


雪の伝説を探るには

登山道具はなるべく御持参下さい
こちらの製品は粗製濫造に属し
玩具に属してゐますから、
日本に犯されないものは一つもない、
勿論雪の処女峰などは一つもない、
山番を唖然とさせるほど
勇敢に遭難して
勇敢に救助隊が活動します。
雪の伝説を探るには
東北地方へいらつしやい、
吹雪の中で
簪をさし白いウチカケを着た
幻の雪の精、雪女郎に
何人も何人もに逢ふでせう、
後からヒョコ/\と腰の曲つた老爺が
泣きながら風呂敷包を抱へて尾いてゆく
あなたもその後を尾いてゐらつしやい
すると彼女は廓といふところで
雪の白衣を脱いで
人絹の赤い長襦袢で
あなたを迎へるでせうから。


右手と左手

     右手
なんて見下げ果てた奴ぢや
貴様はきのふ百貨店で
そつとカワウソの襟巻に
さはつて見たな
貧乏人のくせに
成り上り根性を出したりして

     左手
わしはさはるにはさはつたが
だが、わしの意志ぢやなかつた

     右手
誰の意志だ、

     左手
脳の命令だつた、

     右手
実にお前はけしからんぞ
おれはいつも尻を拭つてゐるんだぞ、
お前は労働を避けたがる
何一つ真先に働いたためしがあるか、
わしはペンで力いつぱい書く役だ
お前は紙の一端を
かるく押へるきりぢやないか
いつもぶらぶらしてゐるぢやないか、
プチブル野郎、

     左手
いつも一緒に暮してゐる仲で
今更悪態とは酷いぞ

     右手
御主人にカワウソの
毛皮でも買つて貰つて
お前の小市民根性を暖めて貰へ

     右手と左手
掴み合つて喧嘩を始める

     口
両手共喧嘩をやめい、
きこえんのか
時計が十二時を打つた。飯だ

     左手
みろ、右手俺れが今度は
重い茶碗をもつて
貴様が軽い箸もつ番ぢやな

     右手
そりやさうだな
働く者同志の喧嘩はやめよう

     右手と左手
それにしても
こいつの口にせつせと
兵糧を運ぶわけか
口から尻の世話まで
俺達働く者の手にかかるのを
口の野郎も尻の野郎も
脳の野郎も
すべての命令者共は
忘れるな


或る旦那の生活

一人の政治家がをりました。
靴をはくにも
自分の手をかけたことがない、
椅子に腰かけ
ぬつと足をつきだすと
女中が履かしてくれる
赤い絨氈は座敷から
玄関先までつゞいてゐるから
靴には塵ひとつつけず
そのまゝ旦那さまの足は
自家用の自動車の中へ。
葉巻をくはへれば
傍の秘書がマッチをつけてくれる
車が停まれば
ドアは運転手があけてくれる
旦那さまは手も足もいらない
イザリであつても政務には
結構ことたりる
財布をあけると
銀行では金を入れてくれる
「あれが慾しい、これが慾しい」と
眼でもの言へば、
デパートでは、
金持、政治家、
身分いやしからざるものには
それぞれ係りの店員がゐて
○○様係りの店員は
片つ端から品物を
配達部へ廻してしまふ、
代金はお邸の方へとりにゆく。
旦那さまには
無人の野を行くがごとき
大胆不敵の生活ぶり。


寓話的な詩二篇


温和しい強盗

真夜中、戸をたたく
トン、トン、トン、トン
「今晩は、今晩は
夜更けて済みませんが
強盗ですが入つて構ひませんか」
「どうぞ――」
「ははあ、人道主義者の家だな」
真夜中、戸をたたく
トン、トン、トン、トン
「今晩は、今晩は
夜更けて済みませんが
強盗ですが入つて構ひませんか」
「真夜中に喧ましい奴だ
伝家の宝刀で、ぶつた切つてしまふぞ」
「ははあ、軍人の家だな」
真夜中、戸をたたく
トン、トン、トン、トン
「今晩は、今晩は
夜更けて済みませんが
強盗ですが入つて構ひませんか」
「眠い、眠い、ムニャ/\
今頃誰だ、強盗?
まご/\してゐないで早く
そこの橋を向うへ渡つてしまへ」
「ははあ、刑事の家だな
成程、あの橋を渡れば
向うの署の管轄か」
真夜中、戸をたたく
トン、トン、トン、トン
「今晩は、今晩は
夜更けて済みませんが
強盗ですが入つて構ひませんか」
「いち/\ことわつて入る奴があるか、ずつと通れ」
「ははあ、こゝは刑務所だな」

猿と臭い栗

猿の子供達が栗をとつてゐると
不思議な見馴れない
二つの栗をみつけた
驚ろいて父親の処へもつてゆく、
「何だ、これは栗とは違ふやうだ
毛だらけの丸いものだ
何処で拾つてきた」
「これが偶然、栗の木になつてゐたよ」
「どれどれ、はゝあ、判つた
これが人間の世界の
偶然の毛鞠といふものに違ひない
そんな物は早く捨てゝおいで」
「でも折角、拾つたんだもの
捨てるのは惜しいや」
「ぢや交番へ届けておいで」
猿の子供は猿の交番へ届けに行つた。
お巡りさんはつくづくみて
「やつかいなものを拾つてきたな
これは人間の世界でも
手余しものぢや、
今時こんなものは
猿の世界でも臭くて喰はんものぢや
落し主は判つてゐる
返してやれ――」
お巡りさんは
空高く人間の世界に鞠を投げ返した、
二つの毛鞠は
一つは中河与一といふ人の庭へ
一つは石原純といふ人の庭へ、
二人の偶然論者のところへ落ちた


国民の臍を代表して

永野修身閣下の
軍縮脱退の英断を迎へて
僕は何を代表して
閣下を迎へたらいいか、
僕は全国民の臍を代表して迎へよう
銭湯の湯舟の中で
ヘソ並びにその下を洗ひながら
国民の批判精神は、はたらいてゐる
国民は近来、冷血動物のやうになつた、
この冷たい態度は悲しむべきだ
だが安心していい
肉体の一箇所だけは
笑ふ力を失つてゐないから
それは国民の臍であり
そこだけは湯のやうに湧いてゐる
貧しい国民は閣下に
一杯のコーヒーを
進ずるためにいま
それを茶碗にかけてゐる。


さあ・練習始め

おゝ、同志よ、
あゝ、階級的同志よ、
「同志といふ呼び名をいつかふんだんに使ひ合つたね」
「あれは一体、何時のことだつたけね」
あの時は君と僕とは同志であつた、
だから文章の上でも日常生活の上でも
同志よ――客観的状勢は――。と
むちやくちやに盛んに言つたものだ、
そして今、客観的状勢はどうしたね、
客観的状勢は、我々の文章や言葉の中から
同志といふ言葉をケシ飛ばしてしまつたのさ、
意気地なしの自由人よ、
強さうであつても 空で爆音がきこえれば
結局は森林帯ジャングルに逃げ込む ヱチオピア土民軍のやうなものだ、
組織的で科学的なヽヽヽヽヽに負けるのだ、
「同志」はてな、「階級」はてな、
どつちも聞いたやうな言葉だがと
あのころの文学的勇士が いまはケロリと白つぱくれた顔をして
省線電車の中で 折カバンをもてあそびながら、
昔の同志はけふ私を あかの他人のやうに取扱つた、
君は立派な健忘症だよ、
だが私は忘れることができない
――タワリシチ
――ボリシェビイキ
――ロートフロント
いまでも耳に、こゝろよい
語呂をもつたこれらの言葉をさ、
同志といふ呼び方は かういふ客観的状勢では
少しばかり胡椒が利きすぎるから
使はんでくれ給へと 君の眼は哀願してゐる
そんなに君は、ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 身に泌みて恐ろしかつたか、
かつての文学の、はなばなしい自由の闘士よ、
君の野性の性質は いま底を突いたのだ、
毛のぬけた犬のやうに温和しい、
僕の新しい野性は 永遠に馴れない野性だよ、
さあ、同志咆へ始めよう 曾つての美しい言葉のもつ意味の
積極性を再製しよう
さう、恥づかしがらないで
練習始めだ、
タワリシチ、
タワリシチ、
ボリシェビイキ、
ロートフロント。


芝居は順序よくいつてゐる

ハムレットの乱心が済んで
ファウストの穴倉苦悶だ
お次は―夜明け前の半蔵が
河童のやうな顔つきで
舞台に現れ
観客をゾッとさせる
残るところはリア王の
嵐の中の大絶叫だ
フン、芝居は
手順よく行つてやがらあ、
タワリシチ、
俳優諸君
現実はこゝに至れば
演技の上手な階級が勝ちさ
国民は倒れかけの
書割の下で生活してゐる
演劇的時間と
現実的時間の
区別なんて無いね
俳優諸君は舞台の上で
観客諸君は舞台の下で
せいぜい上手に
芝居をやることだ。


日比谷附近

―純情な国民よ、
群集の中から誰かが叫んだ、
それは私のそら耳であつた。
濠を背景に、兵士達は活動してゐる、
私はそれを眺め
美しいと思ひ、
勇しいと思つた、
『強い者は凡て、美しいのだ。』
『でなければ、醜い程に強いか、どつちかに違ひない。』
私は時代的な、新しい妬みをもつて、
強いものをねたんでゐる、
悲しみをもつて何者かに訴へてゐる。
ただ従順といふ言葉は
青年の新しい生活にはない、
私はこの二三日来、
強い権力のもとに身を横たへてゐる快感を、
これ程までに強く、味はつたことがない。
国民は武装してはゐない、
武装してゐるもの、
それは眼だ。
たつた二つの水晶体のもの、
中心的なものにぢつと注がれて動かない、
溶鉱炉のやうな眼よ、
すべての物語りを投げ入れて
批判の熱さで溶かす、
ぼんやりと水を見てゐれば、
死にたくなり、
線路に立ち止れば
ギョッと心臓が衝撃をうける、
心のデリカシーは地獄の責苦、
蹴られてたほれる最後まで
国民は生活と戦つてきた、
訓練は意志を生みだした
国民は新しく冷酷といふことをおぼえたのだ
兵士が三間をきに車道に立つ、
田舎の籾摺機の傍を離れて
たつた今、都会へ馳け付けてきたといつた、
正直さうな顔の少年兵士よ、
お前は何故しつきりなしに体を動かすのか、
退屈な筈がないのに、
私はこはごはよりそつて
銃剣の先にオーバーの袖をふれて見る、
兵士はオーバーに眼をやり
私は剣の先に眼をやる
兵士と私とは小さな実験をやつてゐるやうだ、
私につづく人々の群も、
つぎつぎと私のしたやうに
オーバーを剣にふれて見ながら通つてゆく
少年兵士は剣をはげしく後に引く、
群集は驚いて飛びすざる、
騎馬将校が道路を横切つてはしつて行つた。


多少の埃は

真理はいつも
私にとつては軽快さ、
――私が暗い
歌を歌はぬことは
君にとつては、お気の毒さま
踊れ、フォックス・トロットを
九頭九尾の狐の
妖怪味を充分に出して
敵とたたかへ、
前方へは煙幕を――、
後方へは屁を――、

我等の狐はたしかに馬に跨がつた、
巨大な現実に
われわれの歴史の位置はきまつた、
そして狐と馬とは、
味方と敵とは、
ヒステリカルに
狂はしく
現実をすつとんでゆく
つまり我々プロレタリア狐は
ブルジョア馬の尻尾を
奴の把手を掴まへてゐるのだ、
奴は右にとばふとする
われわれは左へ行かふとする、
恐しい勢で山をくだる
石のやうに飛んでゆく
現実に多少の埃も立たうといふものだらう。


平民と愛

『人は愛し
又愛される
王様達に欠けた幸福――』
詩人ユーゴーの歌つた愛を
うけ継ぐ仕事は
若い青年少女達にのこされてゐる
ユーゴーのいふ通りです、
王様達には欠けてはゐるが
愛は平民達のためにあるのだから

世界の中には
男と女との他に何があるだらう。
ふたつのほかに何も想ひ出せない
男同志の協同の仕事は
ありあまる程あるが
女との協同の仕事はまだ少ない。
女を愛した瞬間に結婚し
子供が生れるとは限らない
おちつけ、沈着となつてくれ、
世の男よ、女よ、
『思索と、希望と、仕事と、恋にもつれて人々は暮らす』ユーゴー
恋と仕事とを縺れさせぬやう
社会意識をもつて
愛の生活に明快性を与へよう、

ユーゴーのやうに
愛は率直であつてほしい、
ユーゴーは心を打あけるのに
なんて直截で純であつたらう。
『彼女がよく髪を結へば
僕の心は喜び
拙く結へば悲しかつた――』と
この言葉はどこの裏街の
平凡な男の言葉とも違はない
愛は素朴であり、感動はふかい、
女の髪の結ひ方の出来不出来にも
男の心は躍るものだから――。


愛と衝動と叡智

男の強い衝動よ
腕力よ、
呪はれてあれ、

男は力をもつて
女を押しひしぐことは出来る、
強盗のやうに、無頼漢のやうに
女を愛することは自由です、然し、
孕ますことと、
生活をうばふことと、
この二つの必然を生むのはブルジョア的です、
彼等はこの二つを殆んど同時にやつてしまふ、
わたしたちの愛は
孕ますこと、生活を奪ふことは
いつも私達のイデオロギーの
叡智によつて救はれる、
女よ、あなたは正しいときに、
美しい優しい母親とおなりなさい、
それを貴方は愛人に
要求することを忘れぬやうに、
叡智にかがやいた愛の行動を
愛する人のうちに求めるやうに。


文学の大根役者に与ふ
  ――この詩を指導者らしい顔付の男に――

芝居の花道で
あんまり醜態を演ずるな
文学と政治で引つこみの
つかない大根役者は
何時までたつても
指導者らしい顔つきをして
観客が見てゐないのに
まだ引つこまない
君はなんといふ
極左主義的
一徹短慮な浅野内匠守長矩侯だ
忠臣蔵は筋書どほりやりたまへ
吉良上野介を今こゝで
殺してしまはふとジタバタしても無理だ
とにかく我々は敵の眉間みけんだけは
傷つけたのだから
吉良の用心棒に
後から羽掻じめにされたのだから
さう舞台の上で一人で
感情的になつても駄目だ
一応幕にするさ
いつかは吉良を炭小屋のなかから引出して
四十七人は
君の仇をまんまととつて進ぜよう
引つこめ大根役者
文学の世界でいつまでも
政治上の主役らしい顔つきをするな
我々は単なる端役として
つまり四本の馬の脚として
熱い汗だらけになつて
縫ひぐるみの綿のなかから主張する
激しいたゝかひの幕のあげおろしに
意地を張つて芝居をするな
引つこむべきところは
男らしく引つこむのだ
幕があがつたら別な外題に
また新しく顔を塗りなほして君は出てくるさ


転落

すばらしい動揺だ、
このまま私が椅子から
ころげ落ちて死んでも
私はすべてのものに感謝ができる、
その動揺はどこから来た――、
周囲からきた、
私は知つてゐる
風が葉をうごかしてゐるのを
見た、
理解した、
友の眼の色を
感動した
夕日が空をズリ落ちるのに、
いつさいのもの
私の視野のものは束となつて
私をそれで殴りにきた、
立ちあがつてきた
物体、思想、色彩、音響

けつしておそれない、
歴史を背負ひこむのは
あらゆる負担は
私の義務のすべてだ、
あらゆる動揺が
私を転落させるのを
私はむしろそれを待つてゐる。


インテリの硬直

君は何を待つてゐるのか
そのふてぶてしい顔つきをして
その顔つきは悲劇のツラだ、
決して勇壮ではない
むしろインテリらしくないのが滑稽だ、
君は労働者ではない
悲しむときは
如何なるときに
どのやうに泣くかを
知つてゐなければならない
インテリゲンチャな筈だ、

あゝ、だが君はかなしまない、
そして朗らかでもない、
そして何なのだ、
恥じよ、労働者のために、
きよとんと立つてゐる君は、
愚鈍にいつまでも立ちどまるな
君は君の部所につけ
真実のふてぶてしい顔とは
硬ばつた皮膚と
いふ意味ではない
君は陽の照る方へ
あるいてゆけ――、
精神の硬直を
もみほごすために。


喜怒哀楽の歌

悲しみよ
お前おかしな奴
どこまで泣きに行つてきたのか
身をよぢらしてお前は螺旋状の糞をする

怒りよ
可愛い私の下僕
忠実に梶棒をふりあげて
盧頂骨を撃つてこい
敵の骨が何と泣いたか報告しろ
喜びよ、警戒しろ

倒れたことは死んだことにはならない
止めをさすのを忘れるな
商人のやうに勝敗けを
精算してからにしろ
楽しみよ
それはたたかひだ
生来の闘争児のためにだけ
オルガンのペタルを踏み歩くやうに
人生は鳴る

あかね色から朝に変るやうに
夕映ゆうばえから夜にかはるやうに
移りかはり激しく
貧しいものだけが
真実の喜怒哀楽を享楽する。


怖ろしい言葉を

頭を掻きむしつて
詩をかく時代は去つた
立派な発声法によつて
生きた人間の呼吸を吐け
友よ、
労働者詩人よ
詩の古い形式を理解しろ
だが信ずるな
僕はあいつらの
貞操をコヂあけて
砂をぶち込んでやつた
真理でもないものを
真理だと堅く守つてゐたものにとつて
君達も僕のやうに
暴力者となつたらいい
うんと怖しい言葉を吐くのだ
たへがたい悲しみを
痙攣的な憤怒を
立派に整理して
吐露することが
科学的な新しい詩人の役割だ
可愛い雀斑そばかすの娘が
私達の傍にやつてくるだらう
魅力はもうあいつらにないから
あいつらのところには
もう美しいものが
集つていかないだらう
さあ、元気を出して
うたふのだ
呟いてはいけない
口の開けたてを正確にして
生活の歌をうたふのだ


訴訟狂のやうに

わが友よ
君に激昂の日が
幾日あつたか
数へて見よ
詩人を名乗るくせに
感情的になつた経験があるか
僕は訴訟狂のやうに
民衆に訴へてゐる
純粋な快楽は
権利を主張する瞬間にある
心や肉体の
すりへることを恐れてゐて
一篇の詩も
一個のボタンもつくれやしない
争ひをさけてゐて
勝つことが出来ないやうに
労働をさけてゐて
何物も産れない
可哀さうに君等は
敵を見失つてゐるのだ
戦の前線から
幾度も君を馬車が迎へにきたのに
君は乗らうとしなかつた
いさぎよく詩人よ
発狂しろ
憤りや悲しみや悦びで
頭を破裂させてみたらいい、
君は頭の中が
ゼンマイでできてゐるやうな
錯覚を起してゐるのだ
僕が保証する
君の頭の中は時計より
緻密にできてゐる
決して狂ひもこはれもしないだらう
怖ろしいことは
使はない頭の中の
観念は亡びることだ。


カミナリ

昼頃から雨雲が一つ、空に浮んでゐるが動かない。夕方になつたが鋪道は熱い。
そのころ雲はやつと、位置を変へはじめた。
高い雲の間で電光は、癇癖らしく光る。雷鳴もはげしく呟きだすと、人々は一斉に空を仰いだ。そして俄か雨を期待した。
なんて自然は、人間のやうな感情家だらう。
空を走る電光は、人間の額を走る青筋のやうだ。
空のあちこちでは、陶器を乱雑にこはしまはる男が駈けまはつてゐるやうに鳴る。
突然大劇場の屋根の避雷針のあたりに光と音との突然の衝撃が、冷めたい青い光を投げ下ろした。
通行の女達はキャッと叫んで、傍らの男にしがみつく。私も傍の女の人に、しがみつかれて、天の鳴物が私に、思ひがけない幸福を恵んでくれた。
私は、カミナリの激しさに命が惜しくてならない――といつたあわてぶりで逃げまはる群衆をみて、思はず或る一つのことを思ひ出して微笑が湧く。
ロシアの詩人レルモントフが夜、雷の激しさに感動して、扉をひきあけて戸外にとびだし、いきなり電光を手掴みにしようとしたことを。
それは少しも奇矯な行為ではない。詩人の感情がいかに高い衝動のために、いつも用意されてゐるかを示すものだ。
しかもレルモントフは、自由を愛し、それを求める態度は、手の中にイナビカリを捉へようとした激情に似たものをもつて、短かな一生をたたかつた。


小説家は滑稽なものだ

詩人は公然と語る喜びをもつ
その喜びをわかつために歌ふ、
青褪めた顔を
布切れにくるんで
様子ぶつた日本人が歩いてゐるのは
私にとつては滑稽に見えるだけだ、
市民は忙がしいので
スタイリストになるひまがない
文士ばかりがシャラしやらと
平凡なことを難しさうに
言ふために
どこかに向つて歩いてゆく、
長々しい小説
そんなものを読む義務を
押しつけるのはファシストのやることだ、
真理は君の小説の何処にあるのだ、
手探りで書いた小説を
眼あきに読ませようとしてゐる
なんと愚劣な形式の長さよ、
私は小説を読む位なら
鶏卵を転がして眺めてゐるはうが
はるかに楽しく真理を教へられる。


勝つたのさ

私といふ成り上り者のために
上品な奴等が路をひらいたのさ
なんて汚ならしい詩を書く
私は名誉なことだ
千年も黙殺してゐたらいゝのだ
ただ私は品よく構へた奴等の
頭へ千杯も汚ならしい詩を
マヨネーズソースをぶちかけてやる
さあ騒げ、騒げ、同志よ、
わかり易い言葉で
痛はしい国民のために祷るのだ、

私のやうに詩でないやうな
詩をつくることに成功しろ、
なんてチンマリと頁の空白に
収まりかへつた彼等のもの思ひだらう、
太陽が黄色く見えると――歌ふ
もつともだ、お前の眼玉は
生きた眼玉ではない、
煮られた魚のやうな眼でみるから、
そしてお前の精神は日毎に
草のやうに枯れてゆく
私はイデオロギーといふ
ホルモン料理を喰つてゐるから
永遠不死の歌うたひだ、
僕は勝つたのさ、
勝負を誰よりも愛したからだ、
なんて楽しい、フリュートのやうに
悪態を吐く、お株は私のものだ、
なんて嬉しい、サキソホーンのやうに
吹いては唾を吐き、吹いては唾を吐く、
毒舌のオーケストラよ。
地球は裏返しになつても
私は歌ひやめないであらう、
私の心に悔いはないが
時にひと知れず泣いてゐないか?
それは皆様の御想像にまかす、
ただ私を歌に駆りたてるものを
私が知つてゐる間は私は悔いない。


糸繰りの歌

たまらなく私の胸を親切に掻きたてゝくれる
私の祖国日本よ
これ以上私はお前に
親切にしてもらふことは堪へられない
もし私の母親のお腹が
五人の兄弟を一度に生んだのなら
一人を日本へ
一人をフランスへ
一人をスペインへ
一人を支那へ
一人をロシヤへ
みんな離れ離れに旅立つてしまつたであらう
でも幸ひなことに私は一人息子であつた
私の日本は私を優しく
横向けに、ときには
さかさまに抱いてくれる
そして私は無事に大人になつた
貧乏をする自由も
女に恋することも覚えた
留置場の見学団にも加はれば
鞭でうたれると私の尻が
鶯のやうに鳴くことも発見した
暁はくりかへされた
見聞はひろまつた
夜がやつてきた
売娼婦が私を抱へた
おゝ、祖国の運命よ、いつまでも
気狂ひじみないでくれ
新聞売子の鈴の前で
私を飛びあがらさないでくれ
のべつにさう熱いアスファルトを
舗道に流さないでくれ
私の心の底はあつても
靴の底はないのだから
私の父と、私の母と、私の祖国のために
私は祈らう、十字を切らう
私の運命はしづかに糸を
くるやうにほどけてゐる
愛する人が一方でそれを巻いてゐる
祖国よ、お前の糸も動いてゐる
誰が巻いてゐるのか
フランスかドイツか
オーストラリヤか
それは悲しいことだ
祖国よ、かつてお前が土の上に
うみおとしたお前の子である
私に巻かしてくれ
私はいま心から
親切に酬いようと思ふ
それは決してお前の糸を
まつ白のまゝではおかないだらう
私はほんとうに美しく彩つてあげようから。


日本的精神

今更 日本的精神とは何か――、と
僕は疑ふほど、非国民ではない、
常識的な議論のテーマを持ちだして
彼等は日本人を強調する、
少くとも議論に加はつてゐない人が
非国民であるかのやうに――、
狡猾な無邪気さで、
この可哀さうな子供は
一番真先に非国民であると
いはれることを怖ろしがつて泣きだした、
その泣き方の中でソロバンを弾く、
どれだけ泣きすぎて、
どれだけお釣りが自分の手元に残るか、
彼はちやんと知つてゐるのだ、
片眼だけ泣いて
片眼はじつと父親の顔色をうかがつてゐる
日本精神を強調する点では
彼の父親は彼を叱らないことを
狡猾な子供はよく知つてゐる、
言ひ過ぎたとき、たしなめてくれる
良い父親をもつてゐる、
さあ、日本精神を勉強なさい、
ピアノは買ふことができた
でもいまは歌を弾くどころか
ピアノを調律する方が忙がしい、
日本精神のドレミファから始めて
この深い洞穴から
どんなに進歩的な良い音が出るか聴きたいものだ、
青年達は古い日本の夢さへ
見る力を失つた
新しい現実主義者になつた
彼等だけが白髪を殖やすために
古い日本の夢を見ようとする
万葉精神は遠いといふよりも
カユイところにある、
明治精神は近いといふよりも
痛いところだ、
そして現代は、カユクテ痛くて
くすぐつたくて何とも言へない、
いまさら万葉時代や、明治時代へまで
現代の精神に水を割りに
出かける必要もない、
現実の痛さを知らぬものだけが
理由を附して復古主義を復活させる
自分で脇の下をくすぐつて
一人で猿のやうに
日本主義を騒いでゐる
腹の空かない連中だけが
日本精神といふ茶碗を論じてゐる
飯の必要なものにとつては
容器は問題ではない、
諸君も日本的とは何か――と
疑ふほど非国民であつてはいけない、
日本の土の上でオギァと鳴いたものは
みんな日本的だ――。


一九三八年

坊主の頭の上を
はだしで歩くやうな
気持の悪い日がつづくのだらう、
街には白い光沢のある布に
黒い太い文字を書いた旗がならび
情熱をさらけだして
誠意をもつて汽車の窓を追ふ群
叫びはつゞき酔の中で国家を思ふ、
もし私が肺が悪いのでなければ
一九三八年度はどんなに
すべての出来事を
片つ端から呼吸しつくす
ズックの袋のやうな大きな肺をもちだすのに
いまはそれができない
連続的な叫びは
いつ絶えるとも知れない
出来事のために
底の知れない情熱を
人々に割り当てる
心の病人にとつても肉体の患者にとつても
喧騒によつて全く安静は破られて
脅迫的な泥酔漢の
音頭取りに従はねばならない
ほこりをまひ立てて街をゆくものは
鉄の車と褐色の箱車
すべての民衆は黙々として
坊主の頭をはだしで渡りあるくやうな
不快な危なつかしさで街をゆく
おゝ、お前一九三八年よ
意地の悪いコヨミの早さで
もう二三枚でお前も忙がしく去つてゆくのか、
もうお前とも逢ふことができない
悲劇で満たされたお前は
ふたたび次の歳に悲劇を渡すか
それとも喜劇を渡すか
私はそれがせめてもの想像の喜びだ


情死

真実を最後のところまで押してゆかう
海の上の高い崖際まで
下ではどうどうと波が岩をうつてゐる
そこから下をみおろして泣かう、
女よ、
真実よ、
お前を先に突落して
逃げかへるやうな
私は薄情な男ではない
人生とは
その日、その日の、
情死の連続のやうなものさ、
あの男は生活と抱きあつてゐるし、
あそこでは芸術と抱きあつてゐる、
こつちでは味方と抱きあつてゐれば
あつちでは敵と組みあつてゐる、
私はプロレタリアに心から惚れた
どこまでもお前と抱きあつて離れない。


寸感

笑へ 女よ
お腹の中の打楽器をうち鳴らせ
若き日の楽譜は
ケラケラと歌ふ
若き日のお腹の中の打楽器は
やがてオギャ、オギャと
鳴るであらう


学生の頭の問題

――ちかごろの学生は頭が悪いとか、
――髪が長すぎる刈つてしまへとか、
昔から学生の頭は
為政者の問題の中心になる、
それほど学生の頭は政治に尊重されてゐる
ふたこと目には、学生の頭、頭だ
しかし学生の頭を論ずる者があつても
学生の靴下の穴を論ずる者はゐない、
まず政策の手始めはいつも学生層から
それから漸次、国民の総員に及ぶ、
命令により、髪を斬り、鼻毛をぬきとり
マツゲを焼いた国民が生れさうだ
たゞし収税吏だけはザンギリでは
先方に子供扱ひされると
斬髪令から除外される
思想は頭の中に宿る露のことだ
青年の髪は若い木の苗だ
山の樹はいたづらに乱伐するなかれ
よろしく慎重たるべし。


朝の歌

この朝の瞬間の
新鮮な場所で
神よ たすけ給へ
ニコライ・インテリゲンチャ氏や
イワン・インテリゲンチャ氏が
大きな口をあけて
ロレツの廻らぬ苦しみの
夜通し吸つたメタン瓦斯を吐いてゐる
この清らかな朝を
汚れた智慧のアクビを連発し
定職もなく
労働もなく街にコーヒーを飲みにゆく
ぐうたらな生活を
神よ、ゆるし給へ、
無責任な言葉と
文字をもてあそぶこと
人後におちず
街の悪い溜りで
芸術と人生を論じて尽きず
ものうく手元に引きよせた
朝刊新聞に
「午前零時
 西部防衛司令部発表
 最近
 蒋軍閥は我が国土の空襲を
 企図しあるが如し」と
あゝ、驚ろくべし 永生きすれば悔多し
空の不安を満喫する


夕焼色の雲の断片

或るとき私はたくさんの血を吐いた、
意地の悪い悪魔が
肉体の中にかくれてゐて
私に生命の自覚を与へようとするかのやうに――、
べつべつと唾をするたびに
いつまでも執念ぶかく血がとびだした、
すると私はそのとき驚ろきもしない
悪魔よりも一層意地悪になつて
悪魔よりも一層執念ぶかく
いつまでも赤い唾を吐いてゐた、
私はそのとき位幸福を味つたことがない
――すべてが運命通りにやつてきた
さう思ふと運命といふものは
空間の中をもつともリズミカルに
踊つてすぎる『時』といふものだと考へついた、
それから心も体も調子づき
友達にも愛そが良くなり、
自分もたまらなく可愛くなつた、
それからはポケットに三枚も
ハンカチを用意して外出するほど
用心ぶかくもなつた
染物屋のかめのやうなものが私の体の中にある
いつ私がハンカチを染めるかわからない
私はおどろかないが
他人を驚ろかさないやうにするためには
あんまり体をゆすつたり駈けたりできない、
心の中から宿命的なものが
みんな逃げだしてしまつた
まもなく病気を忘れることに成功して
ハンカチも忘れて外出した
味方はもう沢山だ、
生きてゐる間にむしやぶりつく
敵を発見することに熱心になりだした
心をうちつけたところで
無数な鈴が鳴るやうに思ふのは
味方のためには銀の音
敵にとつては狼の歯の音、
私は生きてゐる自覚を
悪魔からママ与へたことを奴に感謝しよう、
をえつもなくすぎた人生ではなかつた、
悲哀もとほりすぎたやうだ、
のこされたものは何もない
ただ吐きだす唾だけとなつた、
しかも生命の自覚にこゝろをどる
それは小さな無数の夕焼け色をした雲の断片のやうなものだ、
生命、愛、貧困、闘ひ、
あゝ、私のためのものはすべて終つたやうだ、
いまは強く唾を吐き
良き敵を求めることだけとなつた
(一三、一一、八夜)


作家トコロテン氏に贈る

思ひあがつた血走つた眼で
みるみるうちに人生の疑ひを解きほどし
いとも見事に書きあげた詩や小説
なんと嘔吐する程の数で
糞尿のやうに嫌悪されつつ
世間の中に撒きちらされてゐることか
これらの書きものの氾濫は
一層国民の気持をコジらして
手で書かれた言葉が口から吐かれる言葉よりも
価値もなく軽蔑されてしまふのだ
国民を文学の恐怖症に陥らせる者よ
お前、すでに去勢されたものよ
何の主張する意志をもたないものが
何かを主張しようとする
空しい努力を払ふもの
その名を文筆家と呼び作家と称す
お前の心の中のグウタラな慾望が
暴君のやうに他人に
人生の物語りを注ぎこまふとする
水にうすめられた牛乳よりも
もつと何の営養ともならないものを
吐瀉するやうに書きなぐり
読者の心を下痢させるために供給する
つぎはぎだらけの貧民の夜具に
眠る勇気ももたないくせに
いつぱしはつきりとした自分の
座つてゐる階級的場所を知つてゐるかのやうな
デレリとした思想のぬき衣紋で
観客ばかり気にしてゐる興業師のやうな根性で
読者の数を気にしながら通俗な小説を書く
物語りの中にお座なりの進歩的分子を
ちらりと顔をださせる常套手段
この自分で書いた作中人物の
批判にさへ到底堪へられさうもないやうな
哀れな成り上り根性の神経質さで
そつと作中人物を出したり引つこめたりする
箱詰めにして花嫁を送る
惨酷な犯人の一人に加担して
得々として犯跡をくらますために
自分で犯人になつたり弁護士になる自由を
書いてゐる文章の中で見事にやつてのける
おゝお前、砂のまじつたトコロテンのやうな
味もそつけもない散文をつきだすものよ。


大弓場の詩

的は少なく
矢数は多く
あたる筈だが当らない
心のくるひ
手足のくるひ
ねらつてうてば
はずれるばかり
心も空に
あらぬことをば考へて
ヒョウと放せば
みごとに金的
あゝ、人生は
とかく皮肉な弓の的


小松の新芽
  ――北海道に帰つて――

私はふるさとに帰つて
手痛いほどに自然の愛を
心と体とに受けとつた
人間を底知れぬほど収容する
大きな青い墓穴と呼んで
ふさはしいやうなきれいな空を見あげながら
十年ぶりで始めて私の感情を
しまつてをくことの出来さうな
空の抽出しがあることに気がついた
また私の都会生活でいたんだ心のまはりを
ガーゼのやうな白い雲が飛んだ
ニレの樹にもたれながらしばらく考へた
この辺りでは自然からも人間からも
伐り出すことのできるものが残つてゐさうだ
私はそれを新芽も青く柔らかく
行列をつくつて生へてゐる
小松の群をみてさう思つた
あいつらは全く新しいし
さうだ、人間はまだ全く古びてはゐなかつた筈だ、と
人間も自然も新しいのだ
憎悪、愛、それらに古い被布を
着せるのはまだ早い
小松の伐りだされる遠い日のことを思ふ
我々も時代から
全く新しい憎悪と、愛とを発明しよう
それを伐り出さなければならない
強く憎み、強く愛する仕事
しかもそれは新しく
発明されたものであれば無限に展開されるだらう。


寓話詩
  ――新ベニスの商人――

米屋は言つた
 ―一升だけなら売りませう
しかし、と彼は舌なめずりして
 ―一升の代金のほかに
 貴方のモモの肉も一片下さい
そこで聖人は米を受け取つて
 ―よろしい、肉をあげませう
 しかしせめてこの米を炊いて
 喰ふ間だけ御猶予ください
聖人は米の袋を抱へて帰つて行つた

いくら待つても聖人が
モモの肉を渡しに来ないので
米屋は聖人の家に行つてみた
すると聖人は戸口に張紙して
「米を炊かうとしたら
炭がなかつたので
これから炭買ひに
諸国行脚にでかけます―」


ある小説家に与ふ

君は真剣に文学を綴つてゐる
つまり真剣に嘘をつくるために書いてゐる
君は――太陽がすぐ
自分の手の中に
堕ちてきさうな自信をもつてゐる
君は――現実をたたきまはる
埃りとゴミとを追ひ出すために
街中、自分の寝床を引きまはすやうに
醜態をつくしながら
ながい、ながい、情痴の物語りを引き廻す
お嬢さんがゐなくなつたら
君の小説の主人公がゐなくなる
君には未亡人が是非必要だ
蒸風呂にひたつたやうな
心理の湯気にとりかこまれて
酔ふことのできる身分で
ことさらに現実を
ママ雑にして享楽してゐる
君の読者は
頭が単純で
行為はママ雑で
いつも夢の間にも
儲けることを仕組んでゐる階級へ
寝転んで読ませるやうな
甚だ厳粛でない
通俗物語を提供してゐる


ジイドと洗濯婆

戦争が始まつた
ドカン、パチパチと
砲弾は姿格好が良い
上手に腰をひねつて
フランスの娼婦が
ドイツの男共のところまで
素つ飛んでゆく
そこへイギリスが割りこむ
三角関係はもつとも
社会秩序を乱すものに違ひない、

西洋人が完全な肉食動物であつたら
こんなに争ひはしなかつたらう
野獣の世界にも謙譲の心はあらう
彼等はそれが半分で
半分肉食動物だ
だから時々相手を喰つて見たくなるのだらう
ヨーロッパの知識人
良心的人物はどうしたのか
彼等は歯が全く磨滅してゐるやうに
磨滅した精神で叫びつづけてきた
砲弾の叫びがそれを打消した
ジイドの精神も
下劣な洗濯婆の
おしやべりよりも
もつと不用なものになつた。


泥酔歌

わたしは故郷では
よく何処へでもぶつ倒れたものだ、
草の上へ、
河原の石の上へ、
丘の上へ、
何処も清潔であつた、
冬は白い雪の上へ倒れた
雪に顔を押しつけて
雪マスクをつくつて遊んだ、
いま都会ではバネのはずれた
カフェーの安楽椅子の上に倒れてゐる
青白い顔をした
子宮後屈奴が
ときどき俺が死んでゐないかと
顔をのぞきにやつてくる
曾つて拡がつた心も
すつかり今は縮まつて
いまでは俺の心は
マッチ箱の中に
入つてしまふほどに小さい。
暗い隅から
レコードが歌ひだした
不安なキシリ声から始まつた
哀愁たつぷりのジャズだ
女に歌の題をたずねると
『夢去りぬ――』といふ、
俺はそれをきくと
酔ひが静かに醒めてきた
ほんとうだ――夢は去つたのだ、
とつぜん俺は機嫌がよくなつた、
よろよろと扉をひらいて戸外にでた、
古ぼけた痲痺を追つてゐる
多数の人々の姿を
俺はぼんやりと瞳孔の中に映しだした
夢去りぬ――、俺は蚊の鳴くやうな
小さな声で人々にむかつて呟やいた。


青年歌

青年よ。
屈托のない高いびき
深い眠り――、
眠りの間にも
休息の間にも
生長する君の肉体、
強く思索することを
訓練してゐる学生。
行為はいつも
これらの強い意志の上に立つ
真実に対して
敏感な心は
青年の中だけ
滅びていない。
青春以外のものは
すべて灰色だ。


刺身

海の中を大鯛が泳いでおりました
悠々と平和に
すると遠くでキラリと何かが走りました
大鯛は「シマッタ」悪い奴に
逢つてしまつたわいと
逃げようとしました
向うから泳いできたのは
刺身庖刀でした
庖刀はピタリと正眼に
刃の先を大鯛の鼻にくつつけて
大鯛と刺身庖刀とは
ながい間睨めつこをしてをりました
ハッと思ふ間に
刺身庖刀は大鯛の
左り片身をそいでしまひました
大鯛はびつくりして命からがら逃げました
刺身庖刀は意気揚々と
大鯛の半身をひつさげて泳いでゐました

そこへ鮪が泳いできました
鮪は図体の大きな割に臆病者で
刺身庖刀の姿をみると
ふるへあがつて
水を掻くヒレも動かなくなるほどでしたが
刺身庖刀はここでも
精悍にとびかかつて
鮪の一番いいところを頂戴しました
鮪は泣き泣き逃げました
偶然大鯛と鮪が逢ひました

鮪は「おゝ大鯛クン君もやられたか」
大鯛「ウン残念だ、このまゝ引つ込むのは癪だ」
鮪は「大鯛君ところで近頃は新体制で、我々は目方売になつてゐるんぢやあない」
「さうだ、さうだ、俺達をハカリにかけないで、目分量で、そいで行きやがつた。陸上に知らしてしまおう」
そこで鮪と大鯛は
急いで事情を陸上に知らせました

さうとも知らず刺身庖刀は
意気揚々と鮪に大鯛の身をひつさげて
波打際につきました
そこに白い皿が二枚
どうだね首尾はと待つてゐました
しかし彼等が陸へ上るか
上らないかに庖刀と二枚の皿は
経済警察の手で
捕まつてしまつたのです


無題(遺稿)

あゝ、こゝに
現実もなく
夢もなく
たゞ瞳孔にうつるもの
五色の形、ものうけれ
夢の路筋耕さん
つかれて
寝汗浴びるほど
鍬をもつて私は夢の畑を耕しまはる
こゝに理想の煉瓦を積み
こゝに自由のせきを切り
こゝに生命の畦をつくる
つかれて寝汗掻くまでに
夢の中でも耕やさん
さればこの哀れな男に
助太刀するものもなく
大口あいて飯をくらひ
おちよぼ口でコオヒイをのみ
みる夢もなく
語る人生もなく
毎日ぼんやりとあるき
腰かけてゐる
おどろき易い者は
たゞ一人もこの世にゐなくなつた
都会の掘割の灰色の水の溜まりに
三つばかり水の泡
なにやらちよつと
語りたさうに顔をだして
姿をけして影もない


画帳(遺稿)

平原では
豆腐の上に南瓜が落ちた
クリークの泥鰌の上に
鶏卵が炸裂した
コックは料理した
だが南瓜のアンカケと
泥鰌の卵トヂは
生臭くて喰へない

盃の上に毒を散らし
敷布の上に酸をまく
××××旅人が
その床の上に眠らなければならぬ
太陽の光輝は消えて
月のみ徒らに光るとき
木の影を選んで
丸い帽子が襲つてくる、
堅い帽子はカンカンと石をはねとばし
羅紗の上着は声をあげる
ズボンは駈けだし
靴が高く飛行する
立派な歴史の作り手達だ
精々美しく空や地面を飾り給へ
豪胆な目的のために
運命をきりひらく者よ、
君達は知つてゐるか
画帳の中の人物となることを、
然も後代の利巧な子供達が
怖ろしがつて手も触れない
画帳の中の
主人公となることを。


親と子の夜(遺稿)

百姓達の夜は
どこの夜と同じやうにも暗い
都会の人達の夜は
暗いうへに、汚れてゐる
父と母と子供の呼吸は
死のやうに深いか、絶望の浅さで
寝息をたてゝゐるか、どつちかだ。

昼の疲れが母親に何事も忘れさせ
子供は寝床から、とほく投げだされ
彼女は子供の枕をして寝てゐる
子供は母親の枕をして――、
そして静かな祈りに似た気持で
それを眺めてゐる父親がゐる。

どこから人生が始まつたか――、
父親はいくら考へてもわからない、
いつどうして人生が終るのかも――、
ただ父親はこんなことを知ってゐる
夜とは――、大人の生命をひとつひとつ綴ぢてゆく
黒いびようのやうなものだが
子供は夜を踏みぬくやうに
強い足で夜具を蹴とばすことを、
そんなとき父親は
突然希望でみぶるひする
――夜は。ほんとうに子供の
 若い生命のために残されてゐる、と
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
俳優女流諷刺詩篇

俳優人物詩

赤木蘭子論

彼女は娘役が上手で
女学校三年生の感じを出す
まるで生れながらの娘のやうにうまい
「これは失礼――」
彼女は生れながらの娘であつた筈だ


滝沢修論

『夜明け前』の主演で
彼が蓮の葉つぱを
頭にのつけて舞台に
出てきたときはゾッとした、
私といふ一観客は
そのとき役者が
うらやましくなつた。
民衆は気狂ひにならうとしても
なりきれないものがある
俳優が舞台の上で
狂気を実演する
幸福を考へたのだ。
民衆の慾望の代弁者として
俳優の表現はあくまで自由でありたい、
滝沢修は言葉の俳優だ、
好漢惜むらくは
ファウストの作者ゲーテの悩み
『はじめに行為ありき』
を悩みつくしてゐない、
セリフの俳優滝沢が
行為の俳優滝沢と
なる日を待たう。


宇野重吉論

演技が悪達者になることを
極度に怖れる良心が
俳優には欲しい
さりとて、あんまり皮を硬ばらして
中身のアンコを
はみ出さないやうに頼む、
こんがりと焼けたタイコ焼のやうな
演技を見たい、
宇野重吉はいつ遭つても
生娘のやうにおどおどしてゐる
舞台の上でもまたそのやうに
おどおどした妙味がある
彼は新協の論題
素朴的演技の
鍵を握つてゐるだらう
少し賞めすぎたかな――。


三島雅夫論

彼は遊星のやうに
軌道をまはる
円滑な演技をもつてゐる
彼に玉子を撫でさしたら
きつと上手に
ツルリと撫でるだらう
左様に彼は主役に取りまく
脇役としてのうまさがある
わたしはファウストで
(滝沢)の弟子になつた
(三島)の哲学学生の印象が濃い
若い癖に年寄のやうな
シャガレ声を出しさへしなければ
人間の世界にあつても――
蛙の世界にあつても――
名優だらう。


細川ちか子論

舞台装置の階段を
彼女は、コリントゲームの玉のやうに
上つたり、下つたりしてゐる、
彼女の白いスカートは
舞台一面ナメまはす、
彼女が舞台を走りまはるとき
観客は彼女の自信で
掃き出されさうだ、
俳優の自信――、
おゝ、それは総べての俳優諸君が
彼女のやうに持たねばなるまい、
張り子の小道具を
いかにも重さうに
貫禄をもたして持ち運ぶ彼女の演技は
ちよつと完璧なものがある、
つまり結論としては
彼女の芝居は
――そそつかしいが、円滑だ。


小沢栄論

アレキセイ・ヴロンスキイ様は
アンナ・カレーニナ様を
ひしと掻き抱く
小沢栄の熱演主義はいい
はひまわるときは
雑巾をかけるやうに
倒れるときは骨も砕けよと――。
舞台の照明を
消しまはる格好で
防空演習のやうでもある。
サモアルは空つぽで
ペチカは燃えず、
されば新劇林のごとく静かなる部屋に
かかる小沢の喧騒な演技も
また情熱の現れか?


女流諷刺詩篇


大田洋子

小説屋大田洋子さん、
あなたは懸賞小説大当り
女が一万円儲けるには
バクチぢや骨だし
株位のもの
一本三銭五厘のペン先から
よくも大枚稼ぎだしたもの


風見章子

土から生へたツクシンボウ
春の娘はぼんやりと
突立つばかりで
ワイワイと、フママンが
賞める、名演技、
コツもなく、曲もなく
ただ 純情のよき娘
年寄のフママンのいふことに
うちの娘もせめて
あの役者の半分も温和しかつたらと、


小山いと子

原稿、二百枚も朝飯前、
近頃の野心満々たることよ、
足まめ、手まめに
調べた小説
行つたこともないところも
見たやうにくはしく書いてしまふ、
調べてばかりゐる女検事から
早く女弁護士におなりなさい


轟夕起子

あなたの馬好きママ名だ
姫御前が馬に乗り
馬の胴体締めつける
力があるとは驚ろいた
お乗りなるとき
アブミに足を軽くそへ
落ちる用意も必要でせう
馬はあなたをフママンのやうには
大切には扱つてくれませんからね


真杉静枝

あなたは告白小説を書いても
十年や二十年
材料は尽きないはずです、
あなたの人間修業と
数々の経験に
光栄が巡つてきました、
毒素を吐きだすのに十年
芳香を放すのに十年
まあ、気永におやママことですね


松原操

霧島さんと華燭の典
何はともあれお目出たう
いはゆる結婚なるものの
世話女房も辛いから
あなたのいゝ声
荒れぬやう
声が二つに割れぬやう祈ります
マダム・コロンビア、


水戸光子

あなたは「暖流」の一場面で
男に心を訴へるに
最新式のやりふりで
『先生ーヱッヘッ』
と笑つたところが
セリフとしては圧巻でせう
精々勉強なさい、
光子さん、
ヱッヘッ、


森赫子

芸と義理との
水車
人に言へない苦労なら
宵の松原
サラサラと
風にながして
芸は達者で、熱心で
せいぜいママを喜ばす
ほんに
あなたはりかう者


矢田津世子

玉子せんべい、紺のれん
ヱリアシ、素足にうつとりし
寿司屋、小間物屋の
お江戸趣味
フラッパーは大嫌ひ
老人の恋心をしきりにかく
散歩の場所も神楽坂
のぼるに苦しく
下るに楽だ


由利アケミ

あなたのやうな良い声と
めぐまれた演技もちながら
日本のカルメン役者は
オペラを探して
さすらひの旅、
日本にオペラ運動がママないので
アタラ名優由利さんも
手も足もでないといふ感じ
誰か彼女にオペラを与へよ、
オペラパックでも我慢する


長谷川時雨について

明治、大正、昭和にわたつて
生き永らへて
彼女は依然として
明治の髷を結ひ通してゐる、
歴史三代にわたる
生きたる書庫を傍にをく
大衆作家三上於兎吉も幸せなる哉、
彼女は義理と人情の
保守主義者として
いま最後的な
美しさを放つてゐる
彼女の眼からは
すべての作家も
坊ちやん嬢ちやんに小さく見えるから、
女親分のやうに
若い衆の不ママ末を
優しい眼でハッタと睨んで
――お慎しみなさい、
と叱りつける。


神近市子について

彼女が怒つたときは
蛇のやうな体臭を発散する
――、とは大杉栄の述懐であつた
いまでは彼女も老いた
悠々たる長い蛇ではない
短い、そして怒りも短時間だ
鋭い歯はもつてゐるが毒をもつてゐない
噛みつかれさうな人よ、
安心したまへ
彼女が不意を喰つたときだけ
体全体を鎌首にする
自己防衛の習性が残つてゐるだけだ
平素はトカゲのやうに
鞄をもつてチョロチョロと
人々の間を走りまわる。


板垣直子について

家庭にあつては優しい母親で
なぜ文章の上では
あのやうな毒舌家なのだらう
行つた先先で
ふところから
化粧鏡とパフをだすかはりに
マナイタと出刃庖丁をだす鬼婆だ、
刃物さへあてさへすれば
骨が離れると思つてゐるのはどうかと思ふ、
彼女は案外料理の仕方を知らないのだ、
直子さんよ、
他人の作品を批評する場合もどうか
酔つて帰つて
あなたの愛する鷹穂のズボンを
ぬいでやるときのやうに
親切にしてやつて下さい。


或る女流作家に与ふ

貴女は
なまじつか人生の外塀を
手探りでまねる
小ざかしさを知つてゐるために
軽蔑すべきことをしてゐる
軽蔑すべきことは
あゝ、小説なるものを
つくる術を知つたことだ
それから怖ろしいことが起つた
子供と亭主を捨てゝしまつたことだ
結局あなたは
階級闘争は知つてゐても
男の心を知らなかつたのさ

後悔の月はのぼつてゐるが
雲の乗物が迎へにやつてこない
真夜中の目覚めに
貴女の鼻水は
多少はすすられたにちがひない
しかし涎と鼻水とで
つなげる愛は
新婚三ヶ月位の間だけだらう
貴女がオムツの数を
千枚もとりかへて育てた子供は
今年中学の試験を受けた筈だ

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
◆雑纂・補遺詩篇

散文詩 雪のなかの教会堂

 ながい時間の寒さの辛棒もほんの僅なしげきで眼をさましもう堪えられなくなつた冷たさです私はどんどんと馬橇の中で足ぶみをして足の裏に暖気のたんじようを待ちました、だがなかなか強情な冷気でつむじ曲がりの寒暖計のやうに水銀の玉は容易に動かうとはしないのでした。馬橇はあかるい舞台照明の青さの中をそれは静かにひつそりと走つてゐるのです、たくさんの電信柱の退却または都市建築物のすべてが幾何学派の絵画のやうに渦巻波の雪の道路はうねうねとうす緑の輪廓線に馳けてゆくのです。
 それからこの私の乗り物はだいぶ走つたやうです、黒い幌の窓から見える外光はだんだん日暮れになつてゆき、いまいましいほど穏かな街の景色です。ふと馬橇は速力を弱めお客さんの私にどんどんと二三度も尻餅を搗かせた手綱『乗せてくださらない』私はだまつて白眼で橇の天井裏を睨ませたほどのそれは優しい優しいたしかに女の声です
『よう御座んす……お乗んなさい』馭者台の馭者は私の歓迎の辞の代読者でなかなか話せる男です。
 私は不意にマントを頭からすつぽりかむつてうとうとしたゐねむりの真似をやりました。
 私の神経は急に鋭敏にこころだけはしかし高速度撮影器機の乾板のゆるやかさです、幌をめくつて乗つた女は白い毛糸の長い首巻をした白い女で、空つ風に頬ぺたの可愛らしく赤いことはマトン[#「マント」の誤植と思われる]のボタンの穴から覗きました。向ひあつて腰かけたおたがひは膝と膝とがすれあふほどの四畳半の情熱の室で女が隠した私の顔を知らうといふあほらしい努力です。
 ただこれ触だけの感[#「ただこれだけ感触」の誤植と思われる]にも私の心臓は臆病な医者が女の手の脈搏を感ずるやうなのに、さても大胆な若い女は黒い瞳を平にしてちらと私を見たばかりの平気さです。女よ、女は遠浅の海の水平線です広さだけはふしぎな際涯さいはてをもつてゐる偽りの去勢動物です、黄色いねば土の自画像に専念な憎らしい彫刻家です女のために馬橇は止まつてすたすたと女は小走りに駈出しました。そこの広場に建てられた雪の中の教会堂の扉の中に……


追悼詩 ひとりたび
田中社長のお子さん克行さん(四ツ)が亡くなりました、それは真丸い眼をした可愛らしいお子さんでした

お眼めを
つぶつた
克行さん
 ……
ちいちやい
あんよの
一人旅
 ……
お眼めを
つぶつた
克行さん
 ……
靄の
小路の
一人旅


聯詩の会
    広瀬氏歓迎席上

 私の家で二十七日夜来旭の広瀬操吉氏を中心に雑談をやつた、広瀬氏が聯詩をやらうといふ提議に車座になつて数枚の詩篇は、幾度となく一同をめぐり廻つて完成された。鈴木も今野もそして私も、この聯詩といふものは始めてだがこの奇怪な作業に、すつかり魅せられた。もつと当地方でもこの聯詩を流行はやらしてもいゝと思ふ。
 殊に私などは自我的で、自分の仕事に閉ぢこもつたきりである、かうして一つの主題の下に、ちがつた三人の個性が結び合ふといふことは無言のうちに傑れた感情を醗酵させ、また大きな勉強になることだと思ふ。言語構成上の収穫も多かつた(小熊生)
広瀬操吉
今野紫藻
鈴木政輝
小熊秀雄

    風船
空はこばると(今野)
昆虫学者は網を持ちて野原を馳ける(鈴木)
あゝ秋の風船の快よき(広瀬)
学者はしばし昆虫をとる(小熊)
ことを忘れて空を見上げた
空には何もなくなつた(今野)
ヱアシップの哀れなるかな(広瀬)
ちぎれ雲ひとつ(小熊)
へう/\吾魂を流しゆきぬ(鈴木)
出題  小熊秀雄

    夜の花
浮浪人は徳利を抱いて畳に寝ころび(鈴木)
つく/″\と阿母が恋しくなつた(小熊)
しかと花を抱いて眠りぬ(広瀬)
あゝこの男に昨日があるのだ(今野)
真昼は陽気に夜は陰気に(小熊)
幸福と不幸を織り交ぜて(広瀬)
あゝいつか男の息は絶えてゐる(今野)
されどあけぼのゝ雀は障子にながむ(鈴木)
出題  広瀬操吉

    豚
豚が欠伸あくびする真昼時(広瀬)
はらんだ牧女があらはれた(今野)
彼女は豚に餌をやりながら胎児のことを考へた(小熊)
胎動を感じつゝ群がる仔豚を愛撫する(鈴木)
あはれ秋風よつれなき男に(広瀬)
情ある男に(今野)
吾養豚所のをみなの心を伝へてよ(鈴木)
かくて重き妊婦は空を仰いだ(小熊)
出題  鈴木政輝

    夜の陶器
この壺はうれひなくふくらみ(小熊)
夜の光線は照らされて(広瀬)
蒼白い叔母のマスクが写された(今野)
この壺はうれひなくふくらみ(鈴木)
遠き秋風の音を聴きつゝ(広瀬)
ふるさとの唐土を追憶し(小熊)
殺人事件を審判する(今野)
あゝこの壺はうれひなくふくらみ(鈴木)
出題  今野紫藻


日中往復はがき詩集

    作品第一番    八月二十六日夜
小熊(1)さあ始めよう
私は日本の
雑種的な
バスで
君は広東語の
悠揚せまらざる
アクセントで
ふたりは心の料理場の
材料をあるだけ
出し合はう

(2) よろしい!
ぢや、やらう!
北海道から来た
君は『飛ぶ橇』に乗つて、
広東から来た
私は『沙漠』をぬけて、
東京にふたりで
料理屋になる。
胸にしつかりと積んでる
この島のと
その大陸のとの
お土産を
世界の釜で
料理しよう!
わが無数の餓鬼は
私達のこしらへる物が
まづくても
おいしさうに
がつ/″\食べて呉れるだらう。

小熊(3)空腹な人生
かう我々はこの人生を
呼ぶ必要がある、
完全な空腹ぢやないね、
ことは我々ロマンチストは
理想の入る余地と
詩をつくる余地と
詩が大衆に愛される
余地は充分あるね
料理方も
喰ひ方も
かうして親密に
心や胃の腑に入れるものを
熱心につくり
熱心に待つてゐる
    
(4) 礼儀がなく
しかし礼儀以上の
敬愛と自重を持つ我々は
きたない大地に
立派な種を播き込まうとする
その種の萌え上がる実は
黄金だらうか
丸弾ママだらうかと
いづれもかまはぬ
いづれでも飢餓の糧を
取換へる武器になる
我々はまた高い理想を
その種の中に孕ませる
――全く自由を戦取する人間の口
――彼らの強い呼吸に
陽気さの口笛を吹かせると。

小熊(5)けふ嵐の中で
我々の種子はとび交つた、
炸烈する胚子は――、
地上への自由の蒔き手を
自任しよう、
二つの民族は
コルホーズ(共同農場)に
でかけてゆく
しかも我々の住んでゐるところの
コルホーズは
暁ではない、夜だ、
まつくらなんだ、
まるで手探りで種蒔いてゐる、

(6) 飛砂走石たる野原に
我々はトラクターを進ませて
時代の最後の嵐を追ひ消さう
野獣の血肉と骸骨を、
肥料として土の中へ打ち込む
暁になると我々の
蒔いた胚子が
まるで一瞬間の間に
むら/\と空へ伸び上がる
そしていづれの端末にも
輝く花の弁が
勝利の微笑をして
招いてるだらう
その時、地球のどこにも
平和な空気が
あざやかに漂ふ

小熊(7)それを夢みる
君の夢を私がみる、
私の夢を君がみたまへ、
現実の毒素的な寝台の上でも
われわれの肉体は腐らない、
われわれの真理はカビない、
愚劣な堪へ難い夜よ、
早く明け放れてしまへ、
ひきちぎれ
消極的なにがにがしい、
苦悶のヒダ飾りの
灰色のカーテンを、
他人の手を待つ必要はない
我々のすぐ手のとどくところから
我々の手をもつてそれを行動しよう

(8) 心配しねえ
心配しねえ
夢みよ
その真実な夢を。
いや、それのみならず
又、夢からメザマし
大胆で
飛びかかつて来る
虎狼の耳朶を掴んで
そいつの背にまたがつて
腹までにしつかりと挾む。
それから、拳固で
そいつの頭を打ちつぶす、
山山に 野原に
我々のコルホーズを
ひろげよう
大地の涯までに。

小熊(9)幸福な土地への強烈なあこがれよ、
堪へ難い日常生活を
行動への魅力で
救済しようとする
単なる魅力として終るか、
新しい前進の現実を
具体的に土の上に建てるか、
直接クワをふるふか
クワをながめてゐるか、
暗い朝を紫の帯をひいて
雲が走つてゆく、
そして農夫のコーラスは
どこからともなくきこえてくる

    作品第二番    三十一日夜

(1) 我々は
不同の血液で
共同の敵を爆炸する
炸弾をつくる
不同の言葉で
あらゆる民族の城池を
吹きつぶす颱風を
呼び起さう
統一的なイデオロギーを
もつて自衛し
最も妙な戦術を
もつて攻襲する
我々は世界矛盾
白熱化の焦点に
総爆発する火力を
強く準備する
まるで火事後に
新しい建設を準備するやうに。

小熊(2)同じからざる敵を
同じからざる味方をもつて迎へ撃つ、
炸弾は個性的に
跳ねとぶだらう、
確固不動の
精神に前進を命じよう、
濶達な青年として
たたかふ場所は広い、
撃たれるものも
撃つものも豊富である。
豊富とは美である。
そして地球は丸い
敵味方で充実してゐる、
そこに混迷も暗黒も漂泊も待つてゐる

(3) 私はルンペン詩人になりたい
鉄砲のやうなペンを背負つて
到る処へ狩猟し游撃する
弾丸の痕――字の跡で
悪魔を駆立つ符を綴り
自覚せる人間の眼をめざまして
暗夜の悪夢から
真昼の憧れへと
一歩/\に正しい現実の途を
踏みしめて
生きるための闘ひをさせなければならん、
私もいづれかの隊の中に
前に立てば
旗手になり
後に守れば
ラッパになる
戦後に私の屍ママ見えなければ
毎度慶祝記念会の台上に
私の歌ママ聞えるだらう。

小熊(4)鼓膜よ、
われわれの耳よ、
さわがしい人生に
答へてくれるお前よ、
砲弾の中の歌は
どんなにお前をふるはすか、
感動をもつてわれらの耳は
ウサギ馬のやうに敏感だ、
やさしい暁の憧憬者は
たつたいま暗夜の叢の中から
とびだしたばかりだ、
そして友よ、君の弾に
私のウサギ馬は撃たる
君の真実に――、
そして倒れる、
そして蘇生する、
そして君を乗せて共同の路を走りだす、

(5) 私と君
いや、私達と
無数の勤労大衆に
無条件的に
そして必然的に
親善と合作をする事は出来る
しかし強盗は
ある家の主とママ犬に
親善と合作をするといふのは
匕首を出す前に
屈服せるうまいママ約だ、
我々は 見よ
外の強盗らは
この強盗をにらみながら、
ピストルを持ち上げて
その家の窓へか
門へかと
忍び込まうとするのだ。

小熊(6)解放されたところ
そこには何の
戸締りもない、
自由よ
門よ、
柔軟な開閉よ
そこへの侵入者は呪はれる
そこからの進発者は
にぎやかに送別される、

(7) 静かに 静かに
豚のやうに
馴良ママであれ
こんな教訓を
頷づく者が多い
だけど我々は
聴かない、そして
抗議する
更に反対な行動ママする
我々は四足の獣でもなければ
両足の禽でもないだから
又、我々は
時代の尖端に
最も強い闘ひと
最も大きな創造を
自任する者を
示さねばならぬ。

小熊(8)人間の行ひ為すことの
一切を肯定しようとする
恐ろしい考へ方のために
われわれは敵に
奇襲される
そして時には敗北する
ただそれを悔いないだけだ、
幾度も襲はれ
幾度も敗れ、幾度も勝つ、
この繰り返しの敢行よ、
なぜ後悔しないか、
それは新しい道徳のために
奉仕することができるためだ、
古い道徳に
新しい道徳を対比せよ。

    作品第三番    九月二日

(1) 精神の圧迫されることは
肉体の笞ママされるよりも
苦しみを私はよく感ずる
だが、私は屈服の奴隷ではない
若し異郷に客死せねば
或ひは旅嚢を背負つて
どこへも渡つて行かれるならば
行動の自由によつて
種種の太鼓を敲く、
その太鼓の音に
数知れず群衆の
吶喊を昂揚させる。
若しも行動の自由を
奪はれたなら
歯切に拳固で
最後の決闘をやる。

小熊(2)太鼓の打撃の快感よ、
打ち、打つ、
我々のありあはせの心臓へ、
我々のもちあはせの
イデオロギーといふ鞭を加へる、
尊大ではなく自信をもつて卑俗ではなく
普遍化された
真実の打楽器さ、
とほく歴史の空間をかけまはる
われわれの行動の時間化よ、
たたかひの速度よ

(3) 生命のレールをはかつてはママない
だけど一秒の生命力を
流線型以上のスピードで
人間の広幅にひろげて発揮したい
君よ 君の馬を
絶えず飛び駈けつつ
私も飛行機を駕御しようとするのだ。
しかし忘れてはいけぬ
君の大刀と
私の機関銃を
用意することをこそ!

小熊(4)客死か旅かといふ
君の決意のために祝盃をあげる
異邦人たちの精神は
寄り集まつて策謀してゐる、
もつとも夢多い東洋の
樹木の下にあつて
現実的な花を論じ
はげしい結実を論ずる
反逆の旅嚢は肥える許りだ、
転々山をのぼり、谷を下る
村落の上と、都会の上と
軌道を行く太陽と同様に
はげしい旅愁ノスタルジアを味つてゐる
精神や肉体の笞刑は
歴史と共に若者達の
貧しい生活の上に加へられてた、

(5) 神よ鬼よ
お前達の実体の存在を
われわれは否定する
我々は無神論者であり
又唯物論者である
然るにおまへ達が
人間の霊魂を統制する
一種の工具になされることを
歴史的な怪物として知られる、
そして科学によつて、
それにひかれる観念を打破しようと
人間の霊魂を
迷信的幻想から
引き出して
現実的理想へ
押し進ませようと
保証がある手段で努力する。

小熊(6)人間の思惟の世界での
可能なことは
すべて人間の手で
可能化されなければならない、
真理を信奉するものに栄誉あれ、
現実を愛する現実主義者よ、
土壌のために春は訪れた、
春のために河は、水は、流れた
理想の船の弛ゆみなく
海へ至る路よ、
喧騒をも擾騒をも怖れない

(7) サイレンを吹け
唾沫を飛ばせ
勇しくて
整然たる歩ママで出発し
驚かす行動のシグナルを示す、
又、あらゆる同伴者を動員して
戦線を固める
プロレタリア詩人よ
わが詩の行路を
ひらかせ!

小熊(8)妖怪的な強がりの宣言を避けて
もつとも具体的な
行為の詩を書かう
豊饒な思想の収穫場に
いまわれ/\は働いてゐる
怖れるな、われらの我儘者よ、
大胆不敵な行為の自由を
やつてのけよ、
整然は愛すべきで、
足なみを揃へよ、
そしてあくまで宣伝的であれ、

    作品第四番    九月二日

(1) 我々はいらない
割引的な文学賞金を。
そしてあいつも
我々に送つて呉れぬ
されど我々の作品には
金銭で買はれぬ程の
価値がある
我々の名誉も
万千の大衆に
定評されるだらう
我々は若し犬になつたら
しかもよく吠えるママしたら
少くとも空腹にならないだらう
犬になりたいものよ
まづ尾の払ひ捲きを
ならはねばならぬ
だが、厄介であるのは
主人の運命が
行詰りにつママなんだ。

小熊(3)[#「(3)」はママ]資本の取引のやうに
手軽にぶべつ的に
我々の思想は彼等に受け渡されない
文学への賞金とは
いつたい何なのか?
たたかひの文学に
生命をかけて賞金をもらふとは
あまりに騎士は
馬のうへでふざけすぎる
民衆を馬券買ひの
心理に迎をやるやうに
文芸賞へ文士と民衆の関心を向けるか
あいつママかつな奴、

(3) 今、大きかつた者ママ
だん/\小さくなつて来る
老いぼれた支那には
孔子がママつて
二千余年を経た墓穴から
起されて引つ張ママれて
とぼ/\と出て来るんだ
そして香檳酒シァンビンジュを飲んで
見せびらかして
廻りママ歩いてゐる
しかもどの学校へも這入る
学生様につママましく向つて
礼儀・道徳・忠孝……を教へて
国を救へば書経を読むべきを講ずる
居眠りママする学生らの眼を
打ちひろげんとするのか
或ひはマルクスを逐ひ出さうとするのか
臭い屁を放ちつつ。

小熊(4)君よ、君は支那の睡眠性脳膜炎を歌ふさ、
君のところの学生は
失ふべきものの中にあつて
ママ速度的に失つてゐる
あらゆる古代支那の思想も文化も、
それは悲しむどころか爆竹ものだ、
そして月といりかはりに
太陽がのぼつてくるさ、
新しい支那は
世界的規模をもつた思想の卵を抱いてゐる
そして孵化してゐるのだ、

(5) 君よ駿馬の持主
私に活力をつけて
生命の発ママ油を注ぐ
君は若し
かなた大陸に
駈け廻つたら
そこの空に
聳え上がる山山の峰が
顫へて崩れママれるかも知れん
いや、しめやかな詩壇の沙漠に
夏の雷を呼び起すだらう、
だが今我々ママ
ママ切に期待してゐるのは
まづ、早く、二つ民族の
プロ詩人の固い握手をすることだ!

小熊(6)支那の詩人よ
君の日本語はロレツが廻らない
だが君はこんなに文字の上では
立派に真理を語り終せてゐる、
日本でもゼイタクな詩人は
文字を引き廻すことにかけては
天才だが、
さつぱり人間の真実を語つてゐない、
風がもつてくるウナリに耳傾けて
少しは嵐の気配を知つてもよいのに
彼等は焼けたフライパンの上で
徒にとびはねる油のやうに
身の置きどころないよと
騒ぎまはつてゐるだけだ、
皮肉に冷静に歌はう
支那と日本のプロ詩人よ、

(7) 青緑の野原
静かな川
茫茫な海
大自然よ、
お前は原始の平和へ
くり返すことも出来るか
やかましい恐怖の騒音
一本の草さへも怖気がする、
又歴史の新段階への前夜に
空前ママ激しい突変
処々に伝へてる
爆発のシグナルを、
我々も具体的
正確的に準備しなければならん、
歴史に背負はされる
重大な役割を。

小熊(8)反逆的な夜明け前の
ただならぬ陣痛は
巣の中からきこえてくる、
雌鶏よ
われらが蹠をもつて
歴史を押へよ、
羽毛をまきちらして
いま何を激しく
雌鶏たちは身ぶるひしてゐるか、
この瞬間のために
鶏舎の中の鶏共は
みな汗を掻いて
合唱コーラスしてゐる
新しい苦痛よ、
お前は生れた、

(9) 私は涙の流れを忘れた
腹の飢えを忘れた
喜びも、悲しみも
恐れも、又死ぬことも。
まるで、山山への狩猟者のやうに
ママされぬ処への探険者のやうに
又戦場へママ出発してゐる兵士のやうに。
私は自信をもつて
自分の勇気と毅力を加へる
最後の目的を到達しようと、
出来なくても
新らしい時への奉仕を
尽くさねばならん。

小熊(10)人々の生活の茫然へ
わたしは何かを投げいれよう
火薬のやうなものを
跳ねとぶものを、思想を、
そして私へ与へられた仕事は
人々の生活へ衝撃を与へることだ、
愚劣な到底ガマンの出来ない
人々の生活の反覆性を
誰が一方で支配してゐるか
我々はそれを知つてゐる、
私はこの支配へ貢ぎ物をする、
到底受けとることの出来ない
はげしい特別な思想を――、

(11)我々はどうしてもまけない
まけだらうかとも思はぬ
ある場合に襲撃すべきか
退守すべきかの術を択ぶだけだ。
それは気取るではなく、
決闘の精神がすママである
我々の信条を厳守するために
我々の生きるべき途へ
まつしぐらに進むために
理想の世界を憧れながら、
ママ燈で
まつ暗い夜幕をつぶして
遙かに伸びて行く航路をひらく、
太陽が大地を支配するまでに。

小熊(12)たたかふ術、政治はなだらかな自然さか
坦々たる路を坦々と
悠々たる川を悠々と
岩石にふれた瞬間
反逆的な思想は光彩を発して
飛沫は高く天にのぼる、
瞬間的な喜びへ
すぐ訣別の時がやつてくる、
あゝそして喜びや失望やらが前後して
美しく光つて河下へ下る


ハンマーマンの歌

力のかぎり
打撃つことの
悦こびよ、ハンマーマン

ママ確に
打撃つことの
勝利よ、ハンマーマン

快楽は
打撃つことの
労働よ、ハンマーマン

ハンマーマン
ハンマーマン

われらは鉄の友
われらは火の主人あるじ
われらこそは
ハンマーマン


便乗丸船長へ

君は次から次へと
波へ乗ることの巧みな
便乗丸の船長だ、
君はいつも地の利を応用する
またいつも太陽を背にして
このマブシイものを利用しながら
指導者ぶつて
号令をかけることを忘れない
ヒステリックにそして叫ぶ
――指路をさへぎるものは
 すべて罰当りだ――と
しかし我々はフンと笑つてやる、
君は海には悪擦れするほど
馴れてはゐるが
きつと一度はほんとうの海の塩辛い味を
知ることがあるだらう――。





底本:未収録詩編・俳優女流諷刺詩篇
   「新版・小熊秀雄全集第四巻」創樹社
   1991(平成3)年4月10日新版第1刷発行
   雑纂・補遺詩編
   「新版・小熊秀雄全集第五巻」創樹社
   1991(平成3)年11月30日新版第1刷発行
※「未収録詩編・俳優女流諷刺詩篇」は、第五巻の「新版小熊秀雄全集完結にあたって――訂正、ご案内、お礼」をもとに誤植等の訂正を加えた。
※伏せ字は、底本のままにした。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:八巻美恵
校正:浜野 智
2006年2月23日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



●表記について