文芸と道徳

夏目漱石




 私はこの大阪で講演をやるのは初めてであります。またこういう大勢の前に立つのも初めてであります。実は演説をやるつもりではない、むしろ講義をする気で来たのですが、講義と云うものはこんな多人数を相手にする性質のものでありません。これだけの聴衆全体に通るような声を出そうとすれば――第一出る訳がないけれども、万一出るにしても十五分ぐらいで壇を降りなければやりきれないだろうと思います。したがって、始めての事でもあるしこれほど御集りになった諸君の御厚意に対してもなるべく御満足の行くように、十分面白い講演をして帰りたいのは山々であるけれども、しかしあまり大勢お出になったから――と云って、けっしてつまらぬ演説をわざわざしようなどという悪意は毛頭無いのですけれども、まあなるべく短かく切上げる事にして、そうして――まだ後にも面白いのがだいぶありますから、その方で埋め合せをして、まず数でコナすようなことにしようと思う。実際この暑いのにこうお集まりになって竹の皮へ包んだ寿司すしのように押し合っていてはたまりますまい。また講演者の方でも周囲前後左右から出る人の息だけでも――ちょっとここへ立って御覧になればすぐ分りますが――実際容易なものではありません。実はこういうように原稿紙へノートが取ってありますから、時々これを見ながら進行すれば順序もよく整い遺漏いろうも少なく、大変都合が好いのですけれども、そんな手温てぬるい事をしていてはとても諸君がおとなしく聴いていて下さるまいと思うから、ところどころ――ではない大部分端折はしょってしまってやるつもりであります。しかしもしおとなしく聴いて下されば十分にやるかも知れない。やろうと思えばやれるのです。
 問題はあすこに書いてある通り「文芸と道徳」と云うのですが、御承知の通り私は小説を書いたり批評を書いたり大体文学の方に従事しているために文芸の方のことをお話するかたむきが多うございます。大阪へ来て文芸を談ずると云うことの可否は知りません。もうける話でもしたら一番よかろうと思っているんですが、「文芸と道徳」では題をお聴きになっただけでも儲かりません。その内容をお聴きになってはなお儲かりません。けれども別に損をするというほどの縁喜えんぎの悪い題でもなかろうと思うのです。もちろん御聴おききになる時間ぐらいは損になりますが、そのくらいな損は不運とあきらめて辛抱して聴いていただきたい。
 昔の道徳と今の道徳と云うものの区別、それからお話をしたいと思いますが――どうも落ちついてやっていられないような気がしてたまらない。その前にちょっとこの題の説明をしますが、「道徳と文芸」とある以上、つまり文芸と道徳との関係に帰着するのだから、道徳の関係しない方面、あるいは部分の文芸と云うものはここに論ずる限りでない。したがって文芸のうちでも道徳の意味を帯びた倫理的の臭味くさみを脱却する事のできない文芸上の述作についてのお話と云ってもよし、文芸と交渉のある道徳のお話と云ってもよいのです。それでまず道徳と云うものについて昔と今の区別からお話を始めてだんだん進行する事に致します。
 昔の道徳、これは無論日本での御話ですから昔の道徳といえば維新前の道徳、すなわち徳川氏時代の道徳を指すものでありますが、その昔の道徳はどんなものであるかと云うと、あなたがたも御承知の通り、一口に申しますと、完全な一種の理想的の型をこしらえて、その型を標準としてその型は吾人が努力の結果実現のできるものとして出立したものであります。だから忠臣でも孝子でももしくは貞女でも、ことごとく完全な模範を前へおいて、我々ごとき至らぬものも意思のいかん、努力のいかんに依っては、この模範通りの事ができるんだといったような教え方、徳義の立て方であったのです。もっとも一概に完全と云いましても、意味の取り方で、いろいろになりますけれども、ここに云うのは仏語ぶつごなどで使う純一無雑まずまじのないところと見たら差支さしつかえないでしょう。例えばあらがねのように種々な異分子を含んだ自然物でなくって純金と云ったように精錬した忠臣なり孝子なりを意味しております。かく完全な模型を標榜ひょうぼうして、それに達し得る念力をもって修養の功を積むべく余儀なくされたのが昔の徳育であります。もう少し細かく申すはずですが、略してまずそのくらいにして次に移ります。
 さてこういう風の倫理観や徳育がどんな影響を個人に与えどんな結果を社会に生ずるかを考えて見ますと、まず個人にあってはすでに模範が出来上りまたその模範が完全という資格をそなえたものとしてあるのだから、どうしてもこの模範通りにならなければならん、完全の域に進まなければならんと云う内部の刺激やら外部の鞭撻べんたつがあるから、模倣という意味は離れますまいが、その代り生活全体としては、向上の精神に富んだ気概の強い邁往まいおうの勇を鼓舞されるような一種感激性の活計を営むようになります。また社会一般から云うと、すでにこういう風な模範的な間然するところなき忠臣孝子貞女を押し立てて、それらの存在を認めるくらいだから、個人に対する一般の倫理上の要求はずいぶん苛酷なものである。また個人の過失に対しては非常に厳格な態度をもっている。少しの過ちがあっても許さない、すぐ命に関係してくる。そうでしょう、昔の人は何ぞと云うと腹を切って申訳をしたのは諸君も御承知である。今では容易に腹を切りません。これは腹を切らないですむからして切らないので、昔だって切りたい腹ではけっしてなかったんでしょう。けれども切らせられる。いわゆる詰腹つめばらで、社会の制裁が非常に悪辣苛酷あくらつかこくなため生きて人に顔が合わされないからむやみに安く命をてるのでしょう。
 今の人から見れば、完全かも知れないが実際あるかないか分らない理想的人物を描いて、それらの偶像に向って瞬間の絶間なく努力し感激し、発憤し、また随喜し渇仰して、そうして社会からは徳義上の弱点に対して微塵みじんの容赦もなく厳重に取扱われて、よく人が辛抱しておったものだという疑も起るが、これにはいろいろの原因もありましょう。第一には今のように科学的の観察が行届かなかった。つまり人間はどう教育したって不完全なものであると云うことに気がつかなかった。不完全なのは、我々の心掛が至らぬからの横着おうちゃくに起因するのだからして、もう少し修養して黒砂糖を白砂糖に精製するような具合に向上しなければならんという考で一生懸命に努力したのである。すなわち昔の人には批判的精神が乏しかった。昔から云い伝えている孝子とか貞女とか称するものが、そっくりそのままの姿で再現できるという信念が強くて、批判的にこれらの模範をる精神に乏しかったと云うのがおもなる原因でありましょう。一口に云えば科学と云うものがあまり開けなかったからと云ってようございます。のみならずその当時は交通が非常に不便でありまして、東京から大阪へちょっと手紙一本で呼出されて来て講演をすると云うようなことすら、できないとは限りませんが、なかなか億劫おっくうでこう手軽には行きません。来るにしても駕籠かごに揺られて五十三次を順々に越すのだから、たやすくは間に合いかねます。間に合わないですむとすれば、私がどんな人間であるかは、諸君に知れずにすんでしまう訳である。知られなければよほどえらい人だと思ってくれやしないかと思う。こうやって演壇に立って、フロックコートも着ず、妙な神戸辺の商館の手代が着るような背広などを着てひょこひょこしていては安っぽくていけない。ウンあんなやつかという気が起るにきまっている。が駕籠の時代ならそうまで器量を下げずにすんだかも知れない。交通の不便な昔は、山の中に仙人がいると思っておったくらいだから、江戸には漱石といって仙人ではないが、まあ仙人に近い人間がいるそうだぐらいの評判で持ち切って下されば私もはなはだ満足の至りであったろうが、今日こんにち汽車電話の世の中ではすでに仙人そのものが消滅したから、仙人に近い人間の価値も自然下落して、商館の手代そのままの風采ふうさいを残念ながら諸君の御覧に入れなければならない始末になります。次に、昔は階級制度で社会がくくられていたのだから、階級が違うと容易に接触すらできなくなる場合も多かった。今でも天子様などにはむやみには近づけません。私はまだ拝謁はいえつをしませんが、昔は一般から見て今の天皇陛下以上に近づきがたい階級のものがたくさんおったのです。一国の領主に言葉を交えるのすら平民には大変な異例でしょう。土下座とか云って地面じべたへ坐って、ピタリと頭を下げて、肝腎かんじん駕籠かごが通る時にはどんな顔の人がいるのかまるで物色する事ができなかった。第一駕籠の中には化物がいるのか人間がいるのかさえ分らなかったくらいのものと聞いています。してみると階級が違えば種類が違うという意味になってその極はどんな人間が世の中にあろうと不思議をはさむ余地のないくらいに自他の生活に懸隔けんかくのある社会制度であった。したがって突拍子とっぴょうしもない偉い人間すなわち模範的な忠臣孝子その他が世の中には現にいるという観念がどこかにあったに違ない。
 以上の諸原因からして自然模範的の道徳を一般にいて怪しまなかったのでありましょう。また強いられて黙っていもし、あるいはみずから進んで己にいもしたのでしょう。ところが維新以後四十四五年を経過した今日になって、この道徳の推移した経路をふり返って見ると、ちゃんと一定の方向があって、ただその方向にのみ遅疑なく流れて来たように見えるのは、社会の現象を研究する学者に取ってはなはだ興味のある事柄ことがらと云わなければなりません。しからば維新後の道徳が維新前とどういう風に違って来たかと云うと、かのピタリと理想通りに定った完全の道徳というものを人にうる勢力がだんだん微弱になるばかりでなく、昔渇仰した理想その物がいつのにか偶像視せられて、その代り事実と云うものを土台にしてそれから道徳を造り上げつつ今日こんにちまで進んで来たように思われる。人間は完全なものでない、初めは無論、いつまで行っても不純であると、事実の観察にもとづいた主義を標榜ひょうぼうしたと云っては間違になるが、自然の成行を逆に点検して四十四年の道徳界を貫いている潮流を一句につづめて見るとこの主義にほかならんように思われるから、つまりは吾々われわれが知らず知らずの間にこの主義を実行して今日に至ったと同じ結果になったのであります。さて自然の事実をそのままに申せば、たといいかな忠臣でも孝子でも貞女でも、一方から云えばそれぞれ相当の美徳をそなえているのは無論であるがこれと同時に一方ではずいぶんいかがわしい欠点をもっている。すなわち忠であり孝であり貞であると共に、不忠でもあり不孝でも不貞でもあると云う事であります。こう言葉に現わして云うと何だか非常に悪くなりますが、いかに至徳の人でもどこかしらに悪いところがあるように、人も解釈し自分でも認めつつあるのは疑もない事実だろうと思うのです。現に私がこうやって演壇に立つのは全然諸君のために立つのである、ただ諸君のために立つのである、と救世軍のようなことを言ったって諸君は承知しないでしょう。誰のために立っているかと聞かれたら、社のために立っている、朝日新聞の広告のために立っている、あるいは夏目漱石を天下に紹介するために立っていると答えられるでしょう。それでよろしい。けっして純粋な生一本きいっぽんの動機からここに立って大きな声を出しているのではない。この暑さにえりのグタグタになるほど汗を垂らしてまで諸君のために有益な話をしなければ今晩眠られないというほど奇特きとくな心掛は実のところありません。と云ったところでこう見えても、満更まんざら好意も人情も無いわがまま一方の男でもない。打ち明けたところを申せば今度の講演を私が断ったって免職になるほどの大事件ではないので、東京に寝ていて、差支さしつかえがあるとか健康が許さないとかなんとかかとか言訳の種をこしらえさえすれば、それですむのです。けれども諸君のためを思い、また社のためを思い、と云うと急に偽善めきますが、まあ義理やら好意やらを加味した動機からさっそく出て来たとすればやはり幾分か善人の面影おもかげもある。有体ありていに白状すれば私は善人でもあり悪人でも――悪人と云うのは自分ながら少々ひどいようだが、まず善悪とも多少まじった人間なる一種の代物しろもので、砂もつき泥もつききたない中に金と云うものが有るか無いかぐらいに含まれているくらいのところだろうと思う。私がこういう事を平気で諸君の前で述べて、それであなたがたは笑って聴いているくらいなのだから、今の人は昔に比べるとよほど倫理上の意見についても寛大になっている事が分ります。これが制裁の厳重で模範的行動を他にいなければやまない旧幕時代であったら、こんな露骨を無遠慮にいう私はきっと社長に叱られます。もし社長が大名だったなら叱られるばかりでなく切腹をおおせつかるかも知れないところですけれど、明治四十四年の今日は社長だって黙っている。そうしてあなた方は笑っている。これほど世の中は穏かになって来たのです。倫理観の程度が低くなって来たのです。だんだん住みやすい世の中になって御互に仕合しあわせでしょう。
 かく社会が倫理的動物としての吾人に対して人間らしい卑近な徳義を要求してそれで我慢するようになって、完全とか至極しごくとか云う理想上の要求を漸次ぜんじに撤回してしまった結果はどうなるかと云うと、まず従前から存在していた評価率(道徳上の)が自然の間に違ってこなければならない訳になります。世の中は恐ろしいもので、だんだんと道徳がくずれてくるとそれを評価する眼が違ってきます。昔はお辞儀の仕方が気に入らぬと刀のつかへ手をかけた事もありましたろうが、今ではたとい親密な間柄あいだがらでも手数のかかるような挨拶あいさつはやらないようであります。それで自他共に不愉快を感ぜずにすむところが私のいわゆる評価率の変化という意味になります。御辞儀などはほんの一例ですが、すべて倫理的意義を含む個人の行為が幾分か従前よりは自由になったため、窮屈の度が取れたため、すなわち昔のようにいて行い、無理にもなすという瘠我慢やせがまんも圧迫も微弱になったため、一言にして云えば徳義上の評価がいつとなく推移したため、自分の弱点と認めるようなことを恐れもなく人に話すのみか、その弱点を行為の上に露出して我も怪しまず、人もとがめぬと云う世の中になったのであります。私は明治維新のちょうど前の年に生れた人間でありますから、今日この聴衆諸君のうちに御見えになる若い方とは違って、どっちかというと中途半端の教育を受けた海陸両棲動物のような怪しげなものでありますが、私らのような年輩の過去に比べると、今の若い人はよほど自由がいているように見えます。また社会がそれだけの自由を許しているように見えます。漢学塾へ二年でも三年でもかよった経験のある我々にはえらくもないのに豪そうな顔をしてみたり、性をめて瘠我慢やせがまんを言い張って見たりする癖がよくあったものです。――今でもだいぶその気味があるかも知れませんが。――ところが今の若い人は存外淡泊たんぱくで、昔のような感激性の詩趣を倫理的に発揮する事はできないかも知れないが、大体吹き抜けの空筒からづつで何でも隠さないところがよい。これは自分をつくろいたくないという結構な精神の働いている場合もありましょうし、また隠さない明けッ放しの内臓を見せても世間で別段鼻をつまんでにがい顔をするものがないからでもありましょうが、私の所へ時々若い人などが初めて訪問に来て、後から手紙などにその時の感想をありのままに書いて送ってくれる場合などでさえ思いもよらぬ告白をする事があるから面白いです。と云って大した弱点を見てくれと云わんばかりに書く訳でもないが、とにかくこっちから頼みはしないので、先方から勝手に寄こすくらいの酔興的な閑文字すなわち一種の意味における芸術品なのだから、もし我々の若い時分の気持で書くとすれば、天下の英雄君と我とのみとまで豪がらないにせよ、習俗的に高雅な観念を会釈えしゃくなく文字の上に羅列して快よい一種の刺戟しげきを自己の倫理性が受けるように詩趣を発揮するのが通例であるが、今例に引こうとする手紙などにはそんな面影おもかげはまるでない。まず門を入ったら胸騒ぎがしたとか、格子こうしを開ける時にベルが鳴ってますます驚いたとか、頼むと案内を乞うておきながら取次とりつぎに出て来た下女が不在るすだと言ってくれればよかったと沓脱くつぬぎの前で感じたとか、それが御宅ですという一言で急に帰りたい心持に変化したとか、ところへこちらへ上れとまた取次に出て来られてますます恐縮したとか、すべてそういう弱い神経作用がいささかの飾り気もなく出ている。徳義的批判を含んだ言葉で云えば臆病おくびょうとか度胸がないとか云うべき弱点を自由に白状している。たかが夏目漱石の所へ来るのにこうビクビクする必要はあるまいとお思いかも知れませんが実際あるのです。しかし私はこれが今の青年だからあるのだと信じます。旧幕時代の文学のどこをどう尋ねてもこんな意味の訪問感想録はけっして見当るまいと信じます。この春でしたがある所に音楽会がありました。その時に私の知った人が演奏台に立って歌をうたいました。私は招待を受けて一番前の列の真中まんなかにいて聴いていました。ところがその歌は下手でした。私は音楽を聞く耳も何も持たない素人しろうとではあるがその人のうたいぶりはすこぶる不味まずいように感じました。あとでその人に会って感じた通り不味いと云いました。ところがその音楽家はあの演奏台に立った時、自分の足がブルブルふるえるのに気が着いたかと私に聞きます。私は気が着かなかったけれども当人自身は足が顫えたと自白する。昔ならたとい足が顫えても顫えないと云い張ったでしょう。何とか負惜みでも言いたいくらいのところへ持って来て、人の気がつきもしないのに自分の口から足がガクガクしたと自白する。それだけ今の人が淡泊になったのじゃないでしょうか。またこれほど淡泊になれるだけ世間の批判が寛大になったのじゃないでしょうか。人間にそのくらいな弱点はありがちの事だとテンから認めているのじゃないでしょうか。私は昔と今と比べてどっちが善いとか悪いとかいうつもりではない、ただこれだけの区別があると申したいのであります。また過去四十何年間の道徳の傾向は明かにこういう方向に流れつつあるという事実を御認めにならん事を希望するのであります。
 古今道徳の区別はこれで切上げておいて話は突然文芸の方へ移ります。もっとも文芸の方の話をくわしく云うつもりではないから、必要な説明だけにとどめて、ごくざっとしたところを申しますが、近年文芸の方で浪漫主義及び自然主義すなわちロマンチシズムとナチュラリズムという二つの言葉が広く行われて参りました。そうしてこの二つの言葉は文芸界専有の術語でその他の方面には全く融通のかないものであるかのごとく取扱われております。ところが私はこれからこの二つの言葉の意味性質をきわめて簡略に述べて、そうしてそれをぜん申上げた昔と今の道徳に結びつけて両方を綜合そうごうして御覧に入れようと思うのです。つまり浪漫主義も自然主義も文芸家専有の言語ではないという意味が分ればその結果自然の勢いでこれらがまた前説明した二種の道徳と関係して来ると云うのであります。
 この浪漫主義自然主義の文学についてちょっと申上げる前にあらかじめ諸君の御注意をわずらわしておきたい事がありますが、前も御断り申したごとく今日のお話はすべて道徳と文芸との交渉関係でありますから、二種類の文学のうち(ことに浪漫主義の文学のうち)道徳の分子の交って来ないものは頭から取除とりのけて考えていただきたい。それからよし道徳の分子が交っていても倫理的観念が何らの挑撥ちょうはつを受けない――否受け得べからざるていの文学もまた取りけて考えていただきたい。それらを除いた上でこの二種類の文学を見渡して見ると浪漫主義の文学にあってはその中に出てくる人物の行為心術が我々より偉大であるとか、公明であるとか、あるいは感激性に富んでいるとかの点において、読者が倫理的に向上遷善の刺戟しげきを受けるのがその特色になっています。この影響は昔し流行はやった勧善懲悪かんぜんちょうあくという言葉と関係はありますが、けっして同じではない。ずっと高尚の意味で云うのですから誤解のないように願います。また自然主義の文学では人間をそう伝説的の英雄の末孫か何かであるようにもったいをつけてありがたそうには書かない。したがって読者も作者も倫理上の感激には乏しい。ことによると人間の弱点だけをつづり合せたように見える作物もできるのみならず往々おうおうその弱点がわざとらしく誇張されるかたむきさえあるが、つまりは普通の人間をただありのままの姿にえがくのであるから、道徳に関する方面の行為も疵瑕しか交出するということはまぬかれない。ただこういうあさましいところのあるのも人間本来の真相だと自分でも首肯うなずひとにも合点がてんさせるのを特色としている。この二つの文学をくわしく説明すればそれだけで大分時間が経ちますから、まあ誰も知っているぐらいの説明で御免ごめんこうむって、この二つの文学が前の二傾向の道徳をその作物中に反射しているということにさえ気がつけば、ここに始めて文芸と道徳とがいずれの点において関係があるかと云うことも明かになって来ようと思います。
 返す返す申すようですが題がすでに文芸と道徳でありますから、道徳の関係しない文芸のことは全然論外に置いて考えないと誤解を招きやすいのであります。道徳に関係の無い文芸の御話をすれば幾らでもありますが、例えば今私がここへ立ってむずかしい顔をして諸君を眼下に見て何か話をしている最中に何かの拍子ひょうしで、卑陋ひろうな御話ではあるが、大きな放屁ほうひをするとする。そうすると諸君は笑うだろうか、おこるだろうか。そこが問題なのである。と云うといかにも人を馬鹿にしたような申し分であるが、私は諸君が笑うか怒るかでこの事件を二様に解釈できると思う。まず私の考では相手が諸君のごとき日本人なら笑うだろうと思う。もっとも実際やってみなければ分らない話だからどっちでも構わんようなものだけれども、どうも諸君なら笑いそうである。これに反して相手が西洋人だと怒りそうである。どうしてこう云う結果の相違を来すかというと、それは同じ行為に対する見方が違うからだと言わなければならない。すなわち西洋人が相手の場合には私の卑陋ひろうのふるまいを一図に徳義的に解釈して不徳義――何も不徳義と云うほどの事もないでしょうが、とにかく礼を失していると見て、その方面から怒るかも知れません。ところが日本人だと存外単純に見做みなして、徳義的の批判を下す前にまず滑稽こっけいを感じてすだろうと思うのです。私のしかつめらしい態度と堂々たる演題とに心をかたむけて、ある程度まで厳粛の気分を未来に延長しようという予期のある矢先へ、突然人前でははばかるべき異な音を立てられたのでその矛盾の刺激にえないからです。この笑う刹那せつなには倫理上の観念はごうも頭をもたげる余地を見出し得ない訳ですから、たとい道徳的批判を下すべき分子が混入してくる事件についても、これを徳義的に解釈しないで、徳義とはまるで関係のない滑稽こっけいとのみ見る事もできるものだと云う例証になります。けれどももし倫理的の分子が倫理的に人を刺戟しげきするようにまたそれを無関係の他の方面にそらす事ができぬように作物中に入込んで来たならば、道徳と文芸というものは、けっして切り離す事のできないものであります。両者は元来別物であって各独立したものであるというような説も或る意味から云えば真理ではあるが、近来の日本の文士のごとく根柢こんていのある自信も思慮もなしに道徳は文芸に不必要であるかのごとく主張するのははなはだ世人を迷わせる盲者の盲論と云わなければならない。文芸の目的が徳義心を鼓吹こすいするのを根本義にしていない事は論理上しかるべき見解ではあるが、徳義的の批判を許すべき事件が経となり緯となりて作物中に織り込まれるならば、またその事件が徳義的平面において吾人に善悪邪正の刺戟しげきを与えるならば、どうして両者をもって没交渉とする事ができよう。
 道徳と文芸の関係は大体においてかくのごときものであるが、なお前にげた浪漫自然二主義についてこれらがどういう風に道徳と交渉しているかをもう少し明暸めいりょうに調べてみる必要があると思います。すなわちこの二種の文学についてどこが道徳的でどこが芸術的であるかを分解比較して一々点検するのであります。こうすれば文芸と道徳の関係が一層明暸になるのみならず、また浪漫自然二文学の関係もまた一段と判然はっきりするだろうと思います。第一、浪漫派の内容から言うと、ぜん申した通り忠臣が出て来たり、孝子が出て来たり、貞女が出て来たり、その他いろいろの人物が出て来て、すべて読者の徳性を刺激してその刺激に依って事をなす、すなわち読者を動かそうと云う方法を講じますから、その刺激を与える点はりもなおさず道義的であると同時に芸術的に違ない。(文学と云うものが感情性のものであって、吾人の感情を挑撥ちょうはつ喚起するのがその根本義とすれば)かく浪漫派は内容の上から云って芸術的であるけれども、その内容の取扱方に至るとあるいは非芸術的かも知れません。という意味はどうもその書き方によくない目的があるらしい。こういう事件をこう写してこう感動させてやろうとかこう鼓舞してやろうとか、述作そのものに興味があるよりも、あらかじめ胸に一物いちもつがあって、それを土台に人を乗せようとしたがる。どうもややともするとそこに厭味いやみが出て来る。私が今晩こうやって演説をするにしても、私の一字一句に私と云うものがつきまつわっておってどうかして笑わせてやろう、どうかして泣かせてやろうとくすぐったり辛子からしめさせるような故意の痕跡が見えいたら定めし御聴きづらいことで、ために芸術品として見たる私の講演は大いに価値を損ずるごとく、いかに内容が良くても、言い方、取扱い方、書き方が、読者を釣ってやろうとか、挑撥ちょうはつしてやろうとかすべて故意の趣があれば、その故意わざとらしいところ不自然なところはすなわち芸術としての品位にかかわって来るのです。こういう欠点を芸術上には厭味いやみといって非難するのです。これに反して自然主義から云えば道義の念に訴えて芸術上の成功を収めるのが本領でないから、作中にはずいぶん汚ない事も出て来る、鼻持のならない事も書いてある。けれどもそれが道心を沈滞せしめて向下堕落の傾向を助長する結果を生ずるならばそれは作家か読者かどっちかが悪いので、不善挑撥もまたけっしてこの種の文学の主意でない事は論理的に証明できるのである。したがって善悪両面ともに感激性の素因に乏しいという点から見て、そこが芸術的でないと難を打つ事はできる。その代りその書きぶりや事件の取扱方に至っては本来がただありのままの姿を淡泊に写すのであるから厭味におちいる事は少ない。厭味とか厭味でないとかいう事は前にも芸術上の批判であると御断りしておきましたが、これが同時に徳義上の批判にもなるからして自然主義の文芸は内容のいかんにかかわらずやはり道徳と密接な縁を引いているのであります。というのはただありのままをてらわないで真率に書くというのが厭味のない描写としての好所であるのであるが、そのありのままを衒わないで真率に書くところを芸術的に見ないで道義的に批判したらやはり正直という言葉を同じ事象に対して用いられるのだからして、芸術と道徳も非常に接続している事が分りましょう。のみならず芸術的に厭味がなく道徳的に正直であるという事がこの際同じ物を指しているばかりではなく理知の方面から見れば真という資格に相当するのだから、つまりは一つの物を人間の三大活力から分察したと異なるところはないのであります。三位一体と申してもよいでしょう。
 こう分解して見ると、一見道義的で貫ぬいている浪漫派の作物に存外不徳義の分子が発見されたり、またちょっと考えると徳義の方面に何らの注意を払わない自然派の流を汲んだものに妙に倫理上の佳所があったり、そうしてその道義的であるや否やが一にその芸術的であるや否やで決せられるのだから、二者の関係は一層明暸になって来た訳であります。また浪漫、自然と名づけられる二種の文芸上の作物中にこの道徳の分子がいかに織り込まれるかもたいてい説明し得たつもりであります。
 なお余論として以上二種の文芸の特性についてちょっと比較してみますと、浪漫派は人の気を引立てるような感激性の分子に富んでいるには違ないが、どうも現世現在を飛び離れているのうらみをまぬかれない。みだりに理想界の出来事を点綴てんてつしたようなかたむきがあるかも知れない。よしその理想が実現できるにしてもこれを未来に待たなければならない訳であるから、書いてある事自身は道義心の飽満悦楽を買うに十分であるとするも、その実おのれには切実の感を与えにくいものである。これに反して自然主義の文芸には、いかに倫理上の弱点が書いてあっても、その弱点はすなわち作者読者共通の弱点である場合が多いので、必竟ひっきょうずるに自分を離れたものでないという意味から、汚い事でも何でも切実に感ずるのは吾人の親しく経験するところであります。今一つ注意すべきことは、普通一般の人間は平生何も事の無い時に、たいてい浪漫派でありながら、いざとなると十人が十人まで皆自然主義に変ずると云う事実であります。という意味は傍観者である間は、他に対する道義上の要求がずいぶんと高いものなので、ちょっとした紛紜ふんうんでも過失でも局外から評する場合には大変からい。すなわちおれが彼の地位にいたらこんな失体は演じまいと云う己を高く見積る浪漫的な考がどこかにひそんでいるのであります。さて自分がその局に当ってやって見ると、かえって自分の見縊みくびった先任者よりもはげしい過失を犯しかねないのだから、その時その場合に臨むと本来の弱点だらけの自己が遠慮なく露出されて、自然主義でどこまでも押して行かなければやりきれないのであります。だから私は実行者は自然派で批評家は浪漫派だと申したいぐらいに考えています。次に御話したいのは先年来自然主義をある一部の人がとなえ出して以後世間一般ではひどくこれをきらってはては自然主義といえば堕落とか猥褻わいせつとかいうものの代名詞のようになってしまいました。しかし何もそう恐れたり嫌ったりする必要はごうもないので、その結果の健全な方も少しは見なければなりません。元来自分と同じような弱点が作物の中に書いてあって、己と同じような人物がそこに現われているとすれば、その弱点を有する人間に対する同情の念は自然起るべきはずであります。また自分もいつこういう過失を犯さぬとも限らぬと云う寂寞じゃくまくの感も同時にこれに伴うでしょう。己惚うぬぼれの面をぎ取って真直な腰を低くするのはむしろそういう文学の影響と言わなければなりません。もし自然派の作物でありながらこういう健全な目的を達することができなければ、それこそ作物自身が悪いのであると云わなければならない。悪いという意味は作物が出来損できそこなっているのです、どこか欠点があると云うのです。ぜん説明した言葉を用いて評すれば、そういう作物にはどこか不道徳の分子がある、すなわちどこか非芸術のところがある、すなわちどこか偽りを書いているのだという事に帰着するのです。ありのままの本当をありのままに書く正直という美徳があればそれが自然と芸術的になり、その芸術的の筆がまた自然善い感化を人に与えるのは前段の分解的記述によってもう御会得ごえとくになった事と思います。自然主義に道義の分子があるという事はあまり人の口にしないところですからわざわざ長々と弁じました。もっともただ新らしい私の考だから御吹聴ごふいちょうをするという次第ではありません。御承知の通り演題が「文芸と道徳」というのですから特にこの点に注意を払う必要があったのです。
 これで浪漫主義の文学と自然主義の文学とが等しく道徳に関係があって、そうしてこの二種の文学が、冒頭に述べた明治以前の道徳と明治以後の道徳とをちゃんと反射している事が明暸めいりょうになりましたから、我々はこの二つの舶来語を文学から切り離して、直に道徳の形容詞として用い、浪漫的道徳及び自然主義的道徳という言葉を使って差支さしつかえないでしょう。
 そこで私は明治以前の道徳をロマンチックの道徳と呼び明治以後の道徳をナチュラリスチックの道徳と名づけますが、さて吾々われわれが眼前にこの二大区別を控えて向後我邦わがくにの道徳はどんな傾向を帯びて発展するだろうかの問題に移るならば私はしものごとくあえて云いたい。「ロマンチックの道徳は大体において過ぎ去ったものである」あなたがたがなぜかと詰問なさるならば人間の智識がそれだけ進んだからとただ一言答えるだけである。人間の智識がそれだけ進んだ。進んだに違ない。元はまことしやかに見えたものが、今はどう考えても真とは見えない。うそとしか思われないからである。したがって実在の権威を失ってしまうからである。単に実在の権威を失うのみならず、実行の権利すら失ってしまうのである。人間の智識が発達すれば昔のようにロマンチックな道徳を人にいても、人は誰も躬行きゅうこうするものではない。できない相談だという事がよく分って来るからである。これだけでもロマンチックの道徳はすでにすたれたと云わなければならない。その上今日のように世の中が複雑になって、教育を受ける者が皆第一に自治の手段を目的とするならば、天下国家はあまり遠過ぎて直接に我々のひとみには映りにくくなる。豆腐屋が豆をつぶしたり、呉服屋が尺をはかったりする意味で我々も職業に従事する。上下こぞって奔走に衣食するようになれば経世利民仁義慈悲の念は次第に自家活計の工夫くふうと両立しがたくなる。よしその局に当る人があっても単に職業として義務心から公共のために画策遂行するに過ぎなくなる。しかのみならず日露戦争も無事に済んで日本も当分はまず安泰の地位に置かれるような結果として、天下国家をうれいとしないでも、その暇に自分の嗜欲しよくを満足する計をめぐらしても差支さしつかえない時代になっている。それやこれやの影響から吾々われわれは日に月に個人主義の立場からして世の中を見渡すようになっている。したがって吾々の道徳も自然個人を本位として組み立てられるようになっている。すなわち自我からして道徳律を割り出そうと試みるようになっている。これが現代日本の大勢だとすればロマンチックの道徳換言すれば我が利益のすべてを犠牲に供して他のために行動せねば不徳義であると主張するようなアルトルイスチック一方の見解はどうしても空疎になってこなければならない。昔の道徳すなわち忠とか孝とか貞とかい字を吟味ぎんみしてみると、当時の社会制度にあって絶対の権利を有しておった片方にのみ非常に都合の好いような義務の負担に過ぎないのであります。親の勢が非常に強いとどうしても孝をいられる。強いられるとは常人として無理をせずに自己本来の情愛だけではえられない過重の分量を要求されるという意味であります。ひとり孝ばかりではない、忠でも貞でもまた同様の観があります。何しろ人間一生のうちで数えるほどしかない僅少きんしょうの場合に道義の情火がパッと燃焼した刹那せつなとらえて、その熱烈純厚の気象きしょうを前後に長く引き延ばして、二六時中すべてあのごとくせよと命ずるのは事実上有り得べからざる事を無理に注文するのだから、冷静な科学的観察が進んでその偽りに気がつくと同時に、権威ある道徳律として存在できなくなるのはやむをえない上に、社会組織がだんだん変化して余儀なく個人主義が発展の歩武ほぶを進めてくるならばなおさら打撃をこうむるのは明かであります。
 こういうと何だか現在に甘んずる成行なりゆき主義のように御取りになるかも知れないが、そう誤解されては遺憾いかんなので、私は近時の或人のように理想はらないとか理想は役に立たないとか主張する考は毛頭ないのです。私はどんな社会でも理想なしに生存する社会は想像し得られないとまで信じているのです。現に我々は毎日或る理想、その理想は低くもありちいさくもありましょう、がとにかく或る理想を頭の中に描き出して、そうしてそれを明日実現しようと努力しつつまた実現しつつ生きて行くのだと評しても差支さしつかえないのです。人間の歴史は今日の不満足を次日物足りるように改造し次日の不平をまたその翌日柔らげて、今日こんにちまでつづいて来たのだから、一方から云えばまさしくこれ理想発現の経路に過ぎんのであります。いやしくも理想を排斥しては自己の生活を否定するのと同様の矛盾におちいりますから、私はけっしてそう云う方面の論者として諸君に誤解されたくない。ただ私の御注意申し上げたいのは輓近ばんきん科学上の発見と、科学の進歩に伴って起る周密公平の観察のために道徳界における吾々の理想が昔に比べると低くなった、あるいは狭くなったというだけに過ぎない。だから昔のような理想の持ち方立て方も結構であるかも知れぬが、また我々も昔のようなロマンチシストでありたいが、周囲の社会組織と内部の科学的精神にもまた相当の権利を持たせなければ順応調節の生活ができにくくなるので、自然ナチュラリスチックの傾向を帯びるべく余儀なくされるのである。けれども自然主義の道徳と云うものは、人間の自由を重んじ過ぎて好きな真似まねをさせるというおそれがある。本来が自己本位であるから、個人の行動が放縦不羈ほうじゅうふきになればなるほど、個人としては自由の悦楽を味い得る満足があると共に、社会の一人としてはいつも不安の眼を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みはって他を眺めなければならなくなる、或る時は恐ろしくなる。その結果一部的の反動としては、浪漫的の道徳がこれから起らなければならないのであります。現に今小さい波動として、それが起りつつあるかも知れません。けれども要するに小波瀾しょうはらんの曲折をえがく一部分に過ぎないので大体の傾向から云えばどうしても自然主義の道徳がまだまだ展開して行くように思われます。以上を総括して今後の日本人にはどう云う資格が最も望ましいかと判じてみると、実現のできる程度の理想をいだいて、ここに未来の隣人同胞との調和を求め、また従来の弱点を寛容する同情心を持して現在の個人に対する接触面の融合剤とするような心掛――これが大切だろうと思われるのです。
 今日の有様では道徳と文芸と云うものは、大変離れているように考えている人が多数で、道徳を論ずるものは文芸を談ずるをいさぎよしとせず、また文芸に従事するものは道徳以外の別天地に起臥きがしているようにひとりぎめでさとっているごとく見受けますが、けだし両方ともうそである。その嘘である理由は今までやって来た分解で御合点ごがてんが行ったはずであります。もっとも社会と云うものはいつでも一元では満足しない。物はきわまれば通ずとかいうことわざの通り、浪漫主義の道徳が行きづまれば自然主義の道徳がだんだん頭をもたげ、また自然主義の道徳の弊が顕著になって人心がようやく厭気いやけおそわれるとまた浪漫主義の道徳が反動として起るのは当然の理であります。歴史は過去を繰返くりかえすと云うのはここの事にほかならんのですが、厳密な意味でいうと、学理的に考えてもまた実際に徴してみても、一遍過ぎ去ったものはけっして繰返されないのです。繰返されるように見えるのは素人しろうとだからである。だから今もし小波瀾しょうはらんとしてこの自然主義の道徳に反抗して起るものがあるならば、それは浪漫派に違いないが、維新前の浪漫派が再び勃興ぼっこうする事はとうてい困難である、また駄目である。同じ浪漫派にしても我々現在生活の陥欠を補う新らしい意義を帯びた一種の浪漫的道徳でなければなりません。
 道徳における向後の大勢及び局部の波瀾として目前に起るべき小反動は要するにかくのごとき性質のものであって、道徳と文芸との密接なる関係もまた上説のごとしとすれば、これからわが社会の要する文芸というものもまた同じ方向に同じ意味において発展しなければならないのも、また多言を要せずして明かな話であります。もし活社会の要する道徳に反対した文芸が存在するならば……存在するならばではない、そんなものは死文芸としてよりほかに存在はできないものである、枯れてしまわなければならないのである。人工的に幾ら声をらして天下に呼号してもほとんど無益かと考えます。社会が文芸を生むか、または文芸に生まれるかどっちかはしばらくいて、いやしくも社会の道徳と切っても切れない縁で結びつけられている以上、倫理面に活動するていの文芸はけっして吾人内心の欲する道徳と乖離かいりして栄える訳がない。
 我々人間としてこの世に存在する以上どうもがいても道徳を離れて倫理界の外に超然と生息する訳には行かない。道徳を離れることができなければ、一見道徳とは没交渉に見える浪漫主義や自然主義の解釈も一考して見る価値がある。この二つの言葉は文学者の専有物ではなくって、あなたがたと切り離し得べからざる道徳の形容詞としてすぐ応用ができるというのが私の意見で、なぜそう応用ができるかという訳と、かく応用された言葉の表現する道徳が日本の過去現在に興味ある陰影を投げているという事と、それからその陰影がどういう具合に未来に放射されるであろうかという予想と――まずこれらが私の演題の主眼な点なのであります。
――明治四十四年八月大阪において述――





底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房
   1988(昭和63)年7月26日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年4月〜1972(昭和47)年1月
※底本で、表題に続いて配置されていた講演の日時と場所に関する情報は、ファイル末に地付きで置きました。
入力:柴田卓治
校正:大野晋
1999年12月23日公開
2004年2月27日修正
青空文庫作成ファイル:
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●表記について