茶話

大正六(一九一七)年

薄田泣菫




木堂もくだうと剣

1・7(夕)

 犬養木堂の刀剣談は本紙に載つてゐる通り、なかなかつうなものだが、その犬養氏を頭に戴いてゐる国民党が鈍刀揃なまくらそろひの、加之おまけ人少ひとすくなであるのに比べて、犬養氏が秘蔵の刀剣は、いづれも名剣づくめで、数もなかなか少くなかつた。
 そんな名剣も貧乏神だけはうにも出来ないものと見えて、犬養氏は最近和田つならう氏の取持とりもちで、所蔵の刀剣全部を根こそぎ久原くはら家へ売渡す事にめた。それと聞いた犬養夫人が眼頭に涙を一杯溜めて、
「三十年もかゝつてやつと溜めたんですもの、私には子供のやうにしか思へません。せめて一本でも残して置きたいもんですね。」
と言ふと、犬養氏は狼のやうな頭をきつつた。
わしが一本でも残してみなさい。世間の人達は、犬養め一番いのだけ一本引つこ抜いて置いた。ずるい奴だと噂をするだらうて。」
と、てんで相手にしなかつた。
 刀剣かたなはそのまゝくるめて久原家の土蔵に持込まれたが、流石に三十年の間朝夕手馴れたものだけに、犬養氏も時々は思ひ出してついほろりとする。国民党の脱会者だつたら、思ひ出すたびに、持前の唐辛からしのやうな皮肉を浴びせ掛けるのだが、相手が刀剣かたなであつてはさうも出来ない。
 それ以来犬養氏は、刀剣かたなが恋しくなると、手近の押形を取り出してそれを見る事にめてゐる。
「で、かうして毎日のやうに押形を取出してる始末なんだ。そこでこの頃は画剣斎と名乗つてゐるんだが、もしかこの押形まで手離さなくつちやならない時が来たら、その折はまあ夢剣庵とでも名乗るかな。」
と、ねぎのやうに寒い歯齦はぐきを出して笑つてゐる。画剣斎も、夢剣庵もまんざら悪くは無いが、もつといのはいつそ剣の事なぞ忘れてしまふのだ。そして剣の代りに生きた人間を可愛かあいがる事を心掛けるのだ。


山葵わさび

1・8(夕)

 洋画家の岡野栄氏が学習院の同僚松本愛重博士などと一緒に房州に往つたことがあつた。亜米利加の女が巴里パリーを天国だと思つてゐるやうに、東京の画家ゑかきや文学者は、天国は房州にあるとでも思つてゐると見えて暇と金さへあれば直ぐに房州へ出かける。
 岡野氏はその前房州へ往つた折、うまい松魚かつをを食はされたが、生憎あひにく山葵が無くて困つた事を思ひ出して、出がけに出入でいりの八百屋から山葵をしこたま取寄せる事を忘れなかつた。
那地あつちへ着いたら松魚のうまいのを鱈腹たらふく食はせるぞ。」
 岡野氏は山葵の風呂敷包を叩き/\かう言つて自慢さうに笑つたものだ。
 その日勝浦かつうらに着くが早いか、亭主を呼び出して直ぐ、
「松魚を。」
と言つたが、亭主は閾際しきゐぎはにかいつくばつて、
「折角ですが、もう一週間ばかしも不漁続しけつゞきだもんで。」
胡麻塩頭ごまじほあたまを掻いた。
 岡野氏等は房州のやうな天国に松魚のれない法はない筈だと、ぶつ/\ぼやきながら次の天津あまづをさしてつた。だが、悪い時には悪いもので、海は華族学校の先生達に当てつけたやうに、松魚といつては一ぴきも網にのぼせなかつた。
「去年山村耕花がやつて来た時にもぼらばかしはされたと聞いたつけが……」
 岡野氏等はこんな事を話し合ひながら、馬鈴薯じやがいもの煮たのばかし頬張つた。言ふ迄もなく馬鈴薯じやがいもは畑に出来るものなのだ。
 岡野氏は馬鈴薯じやがいもで一杯になつた腹を抱へて、
「だが、山葵をうしたもんだらうて。」
と皆の顔を見た。すると、一行の誰かが先年農科大学の池野成一郎博士が欧洲へく時、アルプス登山は草鞋わらぢに限るといつて、五十足ばかり用意して往つたが、草鞋は一向役に立たず、色々持て余した末、諸方の博物館へ日本のくつだといつて一足づつ寄贈した事を話した。そして岡野氏の山葵もそのまゝ宿屋に寄附したらよからうと附足つけたした。
 お蔭で天津の宿屋の裏畑には近頃山葵が芽を出しかけてゐる。結構な事だが、房州のやうな画家ゑかきの天国には、少し辛過ぎるかも知れない。


真野博士

1・9(夕)

 九州帝国大学総長真野文二博士は、先年日比谷で電車に衝突ぶつつかつた事があつた。その折総長は小鰕こえびのやうに救助網の上で跳ね廻りながら、
「馬鹿な運転手めが……」
と首をめられたやうな声をして我鳴つたが、運転手の方でも負けぬ気になつて、
「禿頭の間抜め!」
と怒鳴り立てた。禿頭といふのは真野博士が色々の智識ををさめてゐる頭の事で、林伯や児玉伯や馬鈴薯じやがいも男爵などの頭と同じやうにてかてか光つてゐる。
 それ以後真野博士は電車は怖いものにめてしまつて、どんな事があつても電車にだけは乗らうとしない。
 その真野博士が去年の夏、樺太かばふとへ往つた事があつた。知合しりあひの男に二頭立の馬車を周旋して呉れるものがあつたので、博士は大喜びでその馬車に乗つた。だが、電車の運転手に発見みつけられた禿頭だけは樺太人かばふとじんに見せまいとして、大型の絹帽きぬぼうをすぽりと耳までかぶる事を忘れなかつた。
 博士が乗つた馬車の馬は、二頭とも馬車馬としてはなにの訓練もない素人の、加之おまけに気むづかしやぞろひと来てゐるので、ものの二ちやうも走つて、町の四つ角に来たと思ふと、一頭は右へ、一頭は左へ折れようとして喧嘩を始めた。万事に公平な真野博士は、孰方どちらの馬にも味方をし兼ねて、
「お、お、お……」
と蒼くなつて狼狽うろたへてゐる。
 馬車馬の喧嘩は樺太かばふとでも珍らしい事なので、さうかうするうち其辺そこらは見物人で一杯になつた。どちらを見ても知らぬ顔なので、博士は急に東京のうちが恋しくなつて泣き出しさうな顔を歪めてゐた。気短きみじかな馬はとうと噛合かみあひを始めた。その拍子に馬車が大揺れに揺れたと思ふと、大型な絹帽がころ/\と博士の肩を滑り落ちた。無慈悲な見物人はすべつこい博士の頭を見て声を立てて笑つた。
 それ以来、博士は二度ともう馬車に乗らうと言はない。電車、馬車――敬愛すべき博士の交通機関の範囲は段々狭くなつて来るやうだ。


の催促

1・10(夕)

 流行はやり画家ゑかきが容易に絵をいて呉れないのは、昔も今も同じ事だが、竹内栖鳳氏などになると、頼み込んでから、十年近くなつて今だにいて貰へないのがある。
 さういふむきは、色々手を代へ品をへて時機をりさへあれば絵の催促をするのを忘れない。到来物たうらいもの粕漬かすづけを送つたり、掘立ほりたての山の芋を寄こしたりして、そのたんび一寸ちよつと絵の事をも書き添へておくが、画家ゑかきなどいふものは忘れつぽいものと見えて、粕漬や山の芋を食べる時には、つい思ひ出しもするが、箸を下に置いてしまふと、今の好物も誰が送つて来たものか、すつかり忘れてゐる。
 画家ゑかきの胃の腑が当てにならない事を知つた依頼者は、近頃では妙な事を考へ出した。それは画の催促に出掛ける折、妙齢としごろの娘を一人連れ立つてくといふ事だ。
「先生、画をお頼みしてから、もう十年になります。実は此娘これが嫁入の引出物にといふ積りで、はやくからお願ひ致しましたのですが、これも御覧の通りの妙齢としごろになりました。就いてはこの暮にでも結婚させたいと思ひますが、何卒どうぞそこの所をおみ下すつて……」
 かう言つて勿体らしく頭を下げる。
 どんな画家ゑかきでも、自分が物忘れをしてゐるうちに、稚児輪ちごわが高島田になつたと聞くと、流石に一寸変な気持もする。とりわけ襖越しにそれを聞いてゐる女房は、つい身に詰まされてほろりとする。女房の口添くちぞへは粕漬や山の芋と違つて、画家ゑかきの忘れ物を直ぐ思ひ出させる効果きゝめがある。
「まあ、お気の毒どすえなあ。うちで忘れとるに、あんな大きうおなりやしたのやさうどす。いてお上げやすいな、早く。」
「さうだつてなあ、大急ぎで一つくかな。」
といふやうな訳で、絵は苦もなく出来上る。
 その絵を引出物に、娘もめでたく輿入こしいれを済ませたらうと思つてゐると、つい鼻の先の新画展覧会に、その絵が大層もない値段で売物に出てゐるのが少くない。なに、絵が無くとも娘は結婚出来る世の中だ。結婚は済まさなくとも、を生む事の出来る世の中だ。
 それを知つた栖鳳などは、近頃は娘を連れて来ても一向相手にならない。そして絵の具は高いが、箪笥たんすやすいさうだから、結婚するなら今のうちだと教へる。親といふものは、娘の結婚を「妙齢としごろ」よりも、箪笥の値段でめるものだといふ事をよく知つてゐるから。


金ぴかがは

1・11(夕)

 実業家馬越まごし恭平氏は、旧臘きうらふ大連たいれんへ往つたが、用事が済むと毎日のやうに骨董屋あさりを始めた。何か知ら、掘出し物をして、好者すきしや仲間の度胆を抜かうといふ考へなのだ。
 植民地には人間の贋物にせものが多いやうに、骨董物にもいかさまな物が少くない。そんななかを掻き捜すやうにして馬越氏は二つ三つの掘出し物をした。
「これでまあ大連まで来ただけのかひはあつたといふもんだ。それに値段がやすいや、矢張目が利くと損はしないよ。」
 馬越氏は皺くちやなの甲で、その大事な眼をこすつてよろこんだ。そして骨董屋の店前みせさきを出ようとして思はずどまつた。
 それは他でもない、薄暗い店の隅つこに、金ぴかの板のやうな物が目についたからだ。馬越氏はまた入つて来て亭主を呼んだ。
「一寸あの金ぴかを見せて呉れ。何だねあれは。」
「へへへ……とうとお目に留まりましたかな、今御覧に入れます。」と亭主は立つて往つてその金ぴかを取り出して来た。「何だか手前共にも一向見当がつかないんで御座いますが。」
 見ると、羊の革を幾枚か貼重はりかさねて、裏一面に惜気をしげもなく金箔を押したものなのだ。
 馬越氏の頭は、それが何であるかを考へる前に、直ぐその利用法を工夫し出した。一体茶人といふものは(馬越氏は自分で茶人だと思つてゐる)大黒様の頭巾を拾つても、それを神様に返さうとはしないで、直ぐ茶巾に仕立直したがるもので、馬越氏もそのためしに洩れず、この金ぴかな革を茶室一杯に敷いて茶でも立てたらなあと思つた。
「朝吹や益田めがさぞ胆を潰すだらうて。」
 馬越氏はそんな事を考へて、とうとその金ぴかな革をも買ひ取つた。
 それを見たある物識ものしりの男が、
「それは喇嘛ラマ僧が使つてる威儀の物ぢやないか、こんな物の上に坐つたら、主人もお客も一緒にばちが当らうて。」
と言つておどすと、馬越氏はけろりとした顔で、
「喇嘛僧といふのは、何国どこのお方だね。」
と問ひ返したといふ事だ。
 喇嘛僧はどこのお方でもよい。ばちが当つたら、そのばちをも薄茶にいて飲んでしまふがよい。茶人は借金の証文をさへ、茶室の小掛物こがけものにする事を知つてゐる筈だから。


成金気質かたぎ**

1・12(夕)

 欧洲戦乱は誰も知つたやうに、其辺そこらぢゆうに成金をこしらへて、成金気質かたぎといふ一種の気風さへ出来たが、その気質かたぎにも東京と大阪とでは、大分だいぶん色彩いろちがふところが面白い。
 東京の成金は、資金かねが出来ると、誰に勧められたともなく、直ぐ茶器を集めにかゝる。そして文琳ぶんりんの茶入とか※(「嗽」の「口」に代えて「女」、第4水準2-5-78)のんこの黒茶碗とかに大金を投げ出して、それを手に入れる。
 出入の骨董屋が焼鳥のやうにすべつこい頭を前へ突出して、
「檀那、どうも素敵な物がお手に入りましたな。ところで文琳と※(「嗽」の「口」に代えて「女」、第4水準2-5-78)古とかう揃へてみますと、是非一つ一休の一行物ぎやうものが無くつちやなりませんな。」
わしもさう思つてたんだよ。金は幾らでも出すから、一つ捜し出して貰ひたいもんだな。」と成金は顔をしかめて薄茶を一服ぐつと煽飲あふりながら「あの人の書いた君が代の歌つて無いもんか知ら。」
「さあ、無い事も御座いますまいて。」
と骨董屋は物の五日も経たないうちに、一休禅師の書いた君が代の歌をかつぎ込んで来る。
 かういふ訳で、東京の成金といへば、茶人と言はれるのが何よりの自慢で、誰も彼もが流行のやうに大金を投じては、いかさまな茶器を集めてゐるが、大阪の成金には、そんな道楽は薬にしたくも無い。
 大阪の成金は咽喉の渇いた折には、番茶を飲む事を知つてゐる。文琳や※(「嗽」の「口」に代えて「女」、第4水準2-5-78)古を買ふ金があつたら、地所や株券を買ふ事を知つてゐる。たまには茶入や黒茶碗をはないとも限らないが、それは自分で薄茶をすゝらうためではなくて、物好きな東京の成金に売りつけようとするからだ。
 唯もうせつせと自分の仕事に精を出す。そして咽喉が渇いたら、有合せの安茶碗で番茶をぐつと煽飲あふる。これが上方かみがた成金の心意気である。
 往時むかし直江なほえ山城守は坊さんの承兌しようたいに贈つた手紙に、
「其の兵器を鳩集きふしふする所以ゆゑんのものは、あたか上国孱士じやうこくせんしの茶香古器をもてあそぶが如し。東陲とうすい武夫もののふ皆弓槍刀銃をたしなまざるなし、これ地理風質のことなるにるのみ。」
と言つて東国人が茶器を玩ばないのを、大層もなく吹聴したものだ。
 山城め、江戸成金の茶道楽を聴いたら、銀行の監査役のやうに鼻をしかめてぶつ/\ぼやくだらうて。


丸髷嫌まるまげぎら

1・13(夕)

 江戸堀の支部で開かれた愛国婦人会の新年会に、多くの夫人達は白襟紋服しろえりもんぷくで出たが、そのなかに、たつた一人広岡浅子女史のみは洋装で済ましてゐた。
 浅子女子は[#「浅子女子は」はママ]洋服が好きだ。生れ落ちる時洋服を着てゐなかつたのが残念に思はれる程洋服が好きだ。だが、それ程まで洋服が好きなのは、深い理由わけのある事なので、その理由わけを聞いたなら、どんな人でも成程と合点がてんをせずには置かない。
 理由わけといふのは他でもない。洋服は西洋人のる着物だからだ。浅子夫人の解釈によると、西洋人のてゐる事には、何一つ間違つた事はない。たまに時計が九時でとまつてゐるとか、愛国婦人会の幹事の鼻がぺたんこであるとかすると、女史は直ぐ苦り切つた顔をして、
「西洋にはそんな事は無い。」
と噛みつくやうにいふ。
 九代目団十郎が、まだ河原崎権十郎といつた頃、ある和蘭オランダ医者のうちで珈琲コーヒー茶椀を見て、不思議さうにひねくり廻してゐたが、暫くすると無気味さうにそつと下へ置いて、
「これがあの切支丹なんで御座いますか。」
と訊いたといふ事だ。つまり団十郎には、自分の知らない世界は切支丹であつたのだ。
 浅子夫人の「西洋」もそれに一寸似てゐる。一口に西洋といつても色々国がある事だし、夫人の指すのはの国なのだらうかと、それとなく聞いたものがあつた。すると夫人は穴のく程相手の顔を見つめて、
「西洋を知らない。ほんとにおまへさんのやうな鈍間のろまなんざ、一人だつてありはしないよ、西洋には。」
と言つて、その西洋の女のやうに、肩をゆすつて笑つたといふ事だ。
 浅子夫人はまた島田や丸髷まるまげの日本髪が嫌ひだ。婦人会などで、若い大人達の丸髷姿が目に入ると急に気難きむづかしくなつて、
夫人おくさん、あなたの頭に載つかつてゐるのは何ですね。」
とづけ/\嫌味いやみを浴びせかけるので、気の弱い夫人達は、蝸牛まひ/\つぶりのやうにたての丸髷を襟のなかに引つ込めてしまひたくなる。
 オスカア・ワイルドだつたか、亜米利加の女は死んで天国へく代りに、巴里パリーに生れ変りたいと思つてると言つたが、浅子夫人だつたら、そんな時に屹度きつと西洋に生れ変りたいと言ふだらう。それが出来なかつたら、辛棒して芸術座の舞台にでも生れ変る事だ。那処あすこには島田も丸髷もない代りに安価やすでな「西洋」が幕ごとに転がつてゐる。


横山大観

1・14(夕)

 いつだつたか横山大観と山岡米華とが一緒になつて伯耆はうきに旅をした事があつた。何でも伯耆には美しい山と美しい女があるから、一度見に来ないかと、土地の物持から招待せうだいせられて往つたのだ。
 一体芸術家といふものは、美しい山と美しい女とがあるとさへ言つたら、監獄のなかへでものこ/\いて来るものなので、この二人の画家ゑかきがそれがために伯耆くんだりまで往つたところで、少しもとがめる事はない。
 往つてみると、伯耆にも色々山はあつたが、二人が平素ふだんき馴れてゐるやうな珍らしい山は一つも無かつた、二人は落胆がつかりして今一つの方へ出掛けた。
 仕合せと女には美しいのが三四人居た。二人はそれを相手に酒を飲んだ。わけて大観は上機嫌で立続たてつゞけにさかづきを傾けてゐたが、座にゐる女達はうしたものか米華の方にばかし集まつて大観の前には酒徳利さかどくりしか並んでゐなかつた。徳利はどれを振つてみても悲しさうな声を出して泣いた。
 山にも失望し、女にも失望した大観は、あくあさはやく宿をつて山越やまごしに、作州の方へ出た。そして四十四曲りの峠まで来ると、わざと峠へ立つて小便をした。(はなはだ汚い話で恐縮するが、小便をしたのは大観氏で、茶話記者でない事だけは覚えて置いて貰ひたい。)
「この水、伯耆の方へ流れたら伯耆人が後悔する。もしか作州の方へ落ちたら大観が後悔する。」
 大観はかう言つて占つた。
 そのむかし仏蘭西のルツソオは漂泊の旅にのぼつて、ある疑ひが心に起きた時、孰方どちらめたものかと石を投げて占つたといふが、大観はルツソオと同じ気持で、じつと水の行方ゆくへを見た。水は寺内首相のやうに公平で、作州へも落ちず伯耆へも流れず、その儘土にみ込んでしまつた。
 大観は宇宙の謎を解きかねた哲学者のやうな顔をして作州の町へ下りて来た。


「突然」

1・16(夕)

 大蔵大臣勝田主計しようだかずへ氏がさきに大臣に親任されて、螺旋仕掛ぜんまいしかけの人形のやうな足取で、ひよこ/\宮中から退出して来ると、そこに待受けた新聞記者が一斉に、「おめでたう」と浴びせかけた。すると勝田氏は馬のやうにきいろい歯をき出して、
「どうも、寺内首相が是非にと言はれるので、断り切れないでね、――いや突然だつたよ、全く突然でね。」
といつて、にや/\笑つた。
 その日の夕刊が配達されると、木挽町こびきちやうの蔵相官邸の門衛は、ちやうどそこへ来合はせてゐた自分の話し相手に頓着なくいきなり夕刊をけて、蔵相親任のくだり読下よみくだした。そして、
「……いや突然だつたよ、全く突然でね。」
といふ挨拶を読むと、「ふふん」と鼻の上に皺を寄せて笑つたが、直ぐ気が付いたやうに、其処そこに手持不沙汰で坐つてゐる男をちらとぬすをして、今度はまた口許くちもとでにやつと笑つた。
 実をいふと、勝田氏が朝鮮銀行の総裁から、寺内内閣の次官として帰つた時から、氏はずつと木挽町八丁目の大蔵大臣官邸に神輿みこしを据ゑつ切りであつた。で、門衛にしても、その当時から朝夕の送り迎へに大臣としての待遇もてなしをすれば、勝田氏にしても矢張り黙つて大臣としての待遇もてなしを受けてゐたのだ。
「何が突然なもんか、ちつとも突然な事なんかありやしない。」
 門衛はかうでも言ひたさうな顔をしてにや/\笑つてゐる。
 門衛の解釈によると、門衛の送り迎へを受けるのは、「大臣」で無くては出来ない事で、もしか勝田氏が文字通りに従来これまで次官の積りで居たのだつたら、門衛の送り迎へに対して、何とか挨拶が無くてはなるまいと言ふのらしい。
 勝田氏の為に説明すると、挨拶といふのは、一寸顔を見て会釈をするとか、敷島しきしま一袋を掌面てのひらに載つけてやる事だ。


結婚*

1・17(夕)

 文学者の長田ながた秀雄、幹彦二氏の阿母おつかさんに妙な病気がある。妙な病気といふのは、洋食を食ふと、屹度赤痢になるといふのだ。
 かういふと、そんぢよ其辺そこらの洋食屋は※(「弗+色」、第3水準1-90-60)むきになつておこりだすかも知れないが、実際の事だから仕方が無い。尤も長田氏の阿母おつかさんは、そんな身体からだだから滅多に洋食なぞ食べない。従来これまで義理にせまられて三度ばかし肉叉フオークを手にとつた事があるが、三度が三度とも赤痢になつた。
 第一回は麹町かうぢまちの富士見軒、第二回は上野の精養軒、第三回は日本橋の東洋軒で食べたのだが、そのあとでは何時いつでもきまつたやうに病気になつた。
「異人の食べるお料理は、どうもしやうに合はないもんと見える。」
 長田氏の阿母おつかさんは、こんな考へで、今では洋食屋の前を通る時は、袖で鼻を押へて小走りにあたふた駈けぬける事にしてゐる。
 ところが、このごろ長男の秀雄氏の結婚談が持上つてゐるので、阿母おつかさんはその披露の宴会を何処にしたものかと、今から頭痛に病んでゐる。
花月くわげつ……松本楼……伊勢虎……魚十……何処にめたもんかな」と阿母おつかさんは知つてる限りの料理屋を記憶からび出して、見積りを立ててみるが、時間と酒量の制限からいふと、矢張西洋料理屋を選ぶに越した事はなかつた。
「やつぱり洋食屋にするかな。」
と思ふと、阿母おつかさんはもうしたぱらがちくちくいたみ出して来る。
 阿母おつかさんに教へる。時間も費用も掛らねば、お腹も疼まず、加之おまけに息子さんの秀雄氏も喜ぶといふ妙法が一つある。――それは日本料理屋でも、洋食屋でもない。当分結婚を延ばすといふ事だ。


三宅博士

1・19(夕)

 福岡医科大学の眼科教授大西克知博士が、人並すぐれた疳癪持であるのは、医者仲間に聞えた事実で、少し気難きむづかしい日にでも出会でつくはすと相手が誰であらうと、よしんばサンタ・クロースのやうなにこ/\爺さんであらうと、氏は委細構はずいきなり自分の診察室に引張り込んで、まぶたに一杯眼薬をし込まずには置かない。
 先日こなひだも大学で教授会が開かれた。その折、医院長の三宅速博士がつて一しきり何か喋舌しやべつた。その言葉の端が大西氏の焦立いらだつた神経に触つたものか、博士のお喋舌しやべりが済むか済まないうちに、大西氏はいきなり焼火箸やけひばしのやうな真赤な言葉を投げつけた。
「禿茶瓶、要らぬおせつかいをするない。」
 それを聞くと、三宅博士はつまつたやうに黙つて大西氏の席を見た。そして検見けんみでもするやうに自分の頭を頸窩ぼんのくぼから前額まへびたひへかけてつるりと撫で下してみた。成程大西氏の言ふ通り禿茶瓶には相違なかつた。
 お人好しの博士は初めて自分の禿頭に気がいたやうに一寸変な顔をしたが、直ぐいつもの静かな表情にかへつて、
「なんぼ禿茶瓶かて、言はんならん事は言ふわい。」と云つてその儘席に着いた。居合した人達は一度に吹き出して了つた。疳癪持の大西氏も毒気どくきをぬかれて一緒になつて笑ひ出した。
「なんぼ禿茶瓶かて、言はんならん事は言ふわい。」
 大きにさうで、流石は三宅博士、言ふ事が真理にかなつてゐる。頭の禿げてるのは、余り気持のいものでもないが、さうかと言つて、言はねばならぬ事まで遠慮するには及ばない。世間には禿頭も多い事だから、呉々くれ/″\も言つて置くが、決して遠慮には及ばない。唯心掛けたいのは、物を言ふ場合に、成るべく禿頭に湯気を立てない事だ。


飲酒家さけのみ

1・20(夕)

 片山国嘉くにか博士が名代の禁酒論者であるのは知らぬ者はない。博士の説によると、不良少年、白痴、巾着切……などいふてあひは、大抵酒飲みの子に生れるもので、世間に酒が無かつたら、天国はつい手のとゞきさうなところまで引張り寄せる事が出来るらしい。
 尤も亡くなつた上田敏博士などは、酒が肉体からだによくないのは判つてゐる。だが、素敵に精神の助けになるのは争はれない。自分は肉体と精神と孰方どちらを愛するかといへば、言ふ迄もなく精神を愛するから酒はめられないと口癖のやうに言つてゐた。
 その禁酒論者の片山博士の子息むすこに、医学士の国幸氏がある。阿父おとつさんとは打つて変つた酒飲みで、酒さへあれば、天国などは質に入れてもいといふたちで毎日浴びる程酒を飲んでは太平楽を言つてゐた。
 阿父おとつさんの博士もこれには閉口したらしかつたが、それでも、
「俺は俺、せがれは忰さ。忰が一人酒を飲んだところで、俺が禁酒会員を二人こさへたら填合うめあはせはつく筈だ。」
絶念あきらめをつけて、せつせと禁酒の伝道を怠らなかつた。
 ところがその国幸医学士がこの頃になつてばつたり酒をめて一向盃を手に取らうとしない。飲み友達がうしたのだと訊くと、宣教師のやうな青い顔をして、
「第一酒は身体からだによくないからね。それから……」
と何だか言ひ渋るのを、
「それから……うしたんだね。」
と畳みかけると医学士は軒の鳩ぽつぽや「世間」に立聞きされない様に急に声を低めて、
「あゝして親爺おやぢが禁酒論者なのに、忰の僕が飲んだくれぢや世間体が悪いからね。」
ひど悄気しよげてゐたさうだ。
 禁酒論者へ報告する。まんざら捨てたものではない。酒飲みからも、国幸医学士のやうなかうした孝行者も出る世の中だ。


老女史

1・23(夕)

 女流教育家といふと、十人が十人、雀のやうに質素じみ扮装みなりをして、そしてまた雀のやうにお喋舌しやべりをよくするものだとばかし思つてゐるむきが多いやうだが、女流教育家といつた所で満更まんざらそんな人ばかしで無いのは、三輪田みわだ真佐子女史がよく証明してゐる。女史はとしにも似合はず、若々しい作りで、嫁入前の娘のやうに胸のあたり金鎖きんくさりや金時計をちらちらさせてゐる。
 だが、そんな身装みなりをしてゐる癖に、女史は五六年このかた小使銭といふものを持つた事が無い。小使銭はおつき三輪田みわだ女学校出身の女中が一切預つて、女史のあとからてくてくいて歩いてゐる。
 女史は毎週、土曜日の午後ひるすぎきまつたやうに鎌倉の別荘へ出掛けるが、そんな折にも鐚銭びたせん一つ持合さないのが何よりの自慢らしい。
「でも汽車賃にお困りでせう。」
といふと女史は流行はやりの四季袋の中から汽車の回数券を取り出して相手の鼻の先で見せびらかす。(四季袋のなかにはポケツト論語と毛染薬けぞめくすりと塩煎餅とが一緒くたになつてゐる。)
「これさへ持つてゐると、いつでも汽車に乗れますでな。」
 この回数券制度は子息むすこの三輪田元道氏のおもつきらしく元道氏は老人としよりのある家庭へくと、
御老人おとしよりにお小使はおしなさい。小児こどもと老人は兎角無駄費むだづかひをしたがるもんですから。」
と言ひ言ひしてゐる。
 流石は教育家で、いところへ気が附いたものだ。お小使さへ持合はせてゐなかつたら、どんな婦人会へでも出掛けて往つて、大びらで慈善箱の前に立つ事が出来る。
「私はお小使は持たない主義だから。」
と言つて……。
 慈善箱の前に懐手ふところでの儘で立つ事の出来るものは、余程の勇者である。


禿頭とくとう首相

1・29(夕)

 衆議院が解散された二十五日の午後ひるすぎ、茶話記者は北浜のある理髪床かみゆひどこで髪を刈つてゐた。世間には三年打捨うつちやつておいても、髪の毛一本伸びないやうな頭もあるが、記者の髪の毛は不思議によく伸びるので、始終しよつちゆう理髪床かみゆひどこの厄介にならなければならぬ。
 剪刀はさみの刃音が頭の天辺てつぺんで小鳥のやうにさへづつてゐるのを聞きながら、うと/\としてゐると、突如だしぬけに窓の隙間から号外が一つ投げ込まれた。理髪床かみゆひどこ主人あるじは、一寸剪刀の手をめて、それに目を落したらしかつたが、
「とうと解散か、下らん事をしよるな。」
と言つて、またちやき/\剪刀を鳴らし出した。
 床屋の主人あるじ政治談せいぢばなしの好きな、金が溜つたら郷土くにへ帰つて、県会議員になるのを、唯一の希望に生きてゐる男だ。私は訊いてみた。
「政党は何方どつちが好きだね、おまへは。政友会か、憲政会か、それとも国民党かな。」
 床屋の主人あるじ揉上もみあげあたりで二三度剃刀はさみを鳴らしてゐたが、
「別に好き嫌ひはおまへんな、政党には。でも寺内はんだけは嫌ひだんね。」
ときつぱりと言つた。
「何故寺内だけがそんなに嫌ひなんだ。」
「さうかて見なはれ、あの人禿頭やおまへんか、あんな人床屋には無関係だすよつてな。」と主人あるじ雲脂取ふけとりでごり/\私の頭を掻きながら「髪の毛があつたところで、あんな恰好の頭てんで刈り甲斐がおまへんわ。」
 ナポレオンは色の白い掌面てのひらで女に好かれたといふ事だ。一国の首相にならうとするには、成るべく頭の禿げない方がい。少くとも床屋の主人あるじには喜ばれる。


独帝カイゼルの癖

1・30(夕)

 独帝カイゼルには妙な癖がある。それは何か困つた事に出会でくはすと直ぐ自分の耳朶みゝたぶを引張らずには居られないといふ事だ。
 大分だいぶん以前の話だが、独帝カイゼルには伯母さんに当る英国の※(濁点付き片仮名ヰ、1-7-83)クトリア女皇ぢよわうくなられて、葬儀の日取が電報で独帝カイゼルもとしらされて来た事があつた。その折独帝カイゼルは、六歳むつつになるをひを相手に何か罪のない無駄話にふけつてゐた。
 独帝カイゼルは侍従の手から電報を受取つたが、なかに何か気に入らぬ事でも書いてあつたものか、(独帝カイゼルは英吉利と英吉利人とが大嫌ひである)直ぐいつもの癖を出して自分の耳朶みゝたぶをいやといふ程引張つた。
 それを見てましやくれた甥は言つた。
「伯父ちやん、何だつてそんなに耳を引張るの。」
「うむ、一寸困つた事が出来たでの。」
「いつも困ると、伯父ちやんは耳引張るの。」
 甥は不思議さうに訊いた。
「さうぢや/\。」独帝カイゼルは、じつと電報の文字に見惚みとれながら答へた。
「そんなら、もつと/\困る事があつたら、伯父ちやんうするの。」
「その時はな、」と独帝カイゼルは電報を卓子テーブルの上に投げ出して、その手でいきなり甥の耳をつまむだ。「その時はかうして他人ひとの耳を引張つてやるのぢや。」
 講和問題でひどく弱り切つてゐる独帝カイゼルは、今度は誰の耳を撮んだものかと、じろじろ四辺あたり※(「目+旬」、第3水準1-88-80)みまはしてゐるに相違ない。「正義」の大商人おほあきんどウヰルソン氏なぞ、よく気をけないと、兎のやうな耳朶みゝたぶちぎれる程引張られるかも知れないて。


米の用意

1・31(夕)

 新任の内田駐露大使は、この二十五日の朝、可愛かあいい夫人や令嬢と一緒に、関門を西へ郷里の熊本をさしてつた。令嬢といふのは、阿父おとうさんそつくりの顔をした、基督降誕祭クリスマスの前夜、サンタ・クロオスの袋から転がり出したやうな罪のない罪のない女の子なのだ。
 内田大使は途中で顔昵懇かほなじみの男と色々世間話の末、
「今度熊本へ寄るのは表向き墓参といふ事になつてゐるが、実をいふとね、――」と露西亜へ聞えないやうにわざと声を低めて「お米の仕入のためなんだよ。それから味噌も醤油もね……」
と言つて、夫人と顔を見合せてにやりと笑つた。
「お米といつての位お持ちになるんです。」
と相手の男が訊くと、大使は長い間お米をかじつて来た鼠のやうな白い歯をちらと見せた。
「それは米にしても味噌にしても露西亜にも無い事はないが、値段が高い上に、本場物はなか/\手に入らない。で、今度は飛切の上米を五へうばかり手荷物に加へようといふ寸法なんだが……」
 露西亜の昔譚むかしばなしに、ある農夫ムジクが死にかゝつた時、火酒ウオツカを一壜と蝋燭を五丁棺のなかへ入れて呉れと遺言したのがある。理由わけを聞くと、
「天国ではお酒が高いに相違ない。蝋燭は以前お寺で聖母マリヤ様の前にあつたのを盗んだから、へさなくつちや。」
と言つたといふ事だ。
 内田大使の任期はやつと一年か一年半で済む事だらうから、白米は五俵もあつたら十分だらう。味噌はかびさへ我慢したら何時までも食べられる。だが、靂西亜の農夫ムジクのやうに天国へでも旅立つ事があつたら、大使はお米を何俵位用意する積りだらうて。


喫煙家

2・1(夕)

 亜米利加の丸持長者まるもちちやうじやアンドリウ・カアネギイがこの頃ある宴会でした話によると、氏が昨年英吉利に旅をして、とある停車場ていしやぢやうから倫敦ロンドン行きの汽車に乗つた時の事、態々わざ/\喫煙禁止の客車かくしやを選んでそれに乗る事にした。
 汽車が次の停車場に着くと、肥つた男が一人乗込んで、カアネギイの向ひに腰を据ゑるなり、汚れた煙管パイプを取り出してぱつと火をけた。
 それを見たカアネギイは注意した。「この客車はこでは煙草はめませんよ。」
よろしい、解つてます。」と肥つた男は言つた。「ひさしを一服やつて了へばそれでいんでさ。」
 かう言つて肥つた男は、一服喫ひ尽してしまふと、また安煙草をつまみ出してすぱすぱ吹かし出した。
「もし貴君あなた」とカアネギイは少し声を高くした。「私は御注意しましたね、この客車はこでは煙草はめないつて。それにも頓着なくそんなにすぱすぱおりになると、次の停車場で巡査にお引渡しするかも知れませんよ。私はかういふ者です。」と言つて、彼は自分の名刺を出して見せた。
 肥つた男は、それを受取るなり、懐中ポケツトにしまひ込んだ。そして相変らずすぱすぱけぶりを吹かしてゐた。
 でも次の停車場へ来ると、肥つた男は煙管パイプくはへた儘ろくに挨拶もせずほか客車はこへ移つて往つた。カアネギイは巡査をんで一部始終を話し、不都合な今の男の名前だけでもい、知らせて欲しいと頼んだ。
「どうもしからん話で。」
と巡査は、その男の入つた客車はこの方へあたふた駈けて往つたが、暫くすると、ひどく恐縮した顔をして帰つて来た。そして二度三度、カアネギイの前でお辞儀をした。
「いやはや、何と申上げたものか、実はその方を取調べようとすると、わしはかういふ者だと言つてこの名刺を下さいました。御覧下さい、亜米利加の丸持長者アンドリウ・カアネギイさんですよ。」
 流石のカアネギイもいた口がふさがらなかつた。名刺は先刻さつき自分が相手に渡したばかりのものであつた。
 煙草は厭なものだが、それでも煙草喫ひには金持の知らない智慧ちゑが出る事がある。


大隈侯より

2・2(夕)

 いつだつたか女成金の中村照子が大隈侯を訪問すると、侯は持合せのお世辞を灰の様に照子の頭からあびせかけた。内気者うちきものの照子が酒にでも食べ酔つたやうな、ほつとした気持で辞して帰らうとすると侯爵は、
「一寸待ちなさい。」
と呼びとめた。
 照子は美顔術師に習ひ覚えた表情をたつぷり見せて立ち停つた。
「お前、大阪で厄介になつてゐるうちが幾軒程あるな。」
 照子は変な事を訊かれるものだと思つたが、直ぐ考へて返事をした。
「はい世話になつてゐるうちと申しますと、七軒も御座いませうか。」
「七軒か、よしよし。」
と言つて侯爵は其処そこにゐた小間使を見て一寸あごをしやくつた。すると、小間使は急いで次のに入つたと思ふと、手帛はんけちの箱を七つ持つてまた出て来た。侯爵はそれを照子の方へ押しやつて、
「これをその人達へ土産にしなさい。私に貰つたと言つて。」
 照子がその手帛はんけち命令いひつけ通り方々へ配つたか、それともこつそり箪笥たんすの中にしまつてゐるかは私の知つた事ではないが、親切な大隈侯は先日こなひだ養子の信常氏が九州へ往つた帰途かへりにも、態々わざ/\大阪へ寄途よりみちをしてまで照子を訪ねさせた。
 信常氏はその時憲政会のある代議士と一緒だつたが、二人は照子のお世辞にい気になつて、いつぱし画家ゑかきや詩人の積りでいたり賛をしたりした。二人はこんな事で若い寡婦ごけを嬉しがらせる事なら、自分達の顔一杯楽書らくがきをしても苦しくないと思つた。
 一頻ひとしき戯書いたづらがきが済むだ頃、信常氏は「さうだすつかり忘れてゐたつけ、親爺おやぢから委託ことづかものがあつたんだ。」
と言つて、鞄のなかから小さな包みを取り出して照子の前に置いた。それはイブセンの『ノラ』の飜訳であつた。
 照子は『ノラ』の名前は聞いてゐたが、それは松井須磨子のお友達で、人形屋の女房かみさんで、借金で亭主と喧嘩いさかひをしてうちを飛び出した女だ位に覚えてゐるのに過ぎなかつた。だが、侯爵からの進物しんもつだといふので、この頃は何処へ出掛けるにもそれを四季袋の中へ入れるのを忘れない。
 大隈侯の考へではノラのやうな女になれとでも言ふのらしいが、照子は寡婦ごけの成金で、喧嘩いさかひをしようにも肝腎の亭主がない。そしてその上にも物足りない事は借金が無いといふ事だ。およそ成金に取つて何よりも不満足なのは、借金の無いといふ事で、彼等はそれがあつたら、大喜びで七倍にして払ふ事を心掛けてゐる見得坊みえばうである。


悪戯いたづら

2・3(夕)

 英国のウインゾル王宮の皇室図書館に、毎月まいげつの雑誌が取揃へてある雑誌棚がある。その雑誌棚の上に現代の名高い人達の写真帖が幾冊か載つかつてゐる。写真帖はその人達の職業によつてそれ/″\別になつてゐる。
 今の英国皇太子がまだをさなかつた頃、ある日その雑誌棚の前へ来て、多くの写真帖のなかから『各国民元首帖』といふのを引張り出してじつと見てゐた。
 それには胸一杯ぴかぴかする勲章を下げてゐる人が多かつた。なかに唯一人質素じみなフロツクコートを着て、苦り切つた顔をしてゐる男があつた。皇太子はそれを見ると、後をふりかへつた。後には父君のジヨオジ陛下が立つてゐられた。
阿父様おとうさま、これ誰方どなたなの。」
「それは米国アメリカの大統領ルウズヴエルト氏だ。」
 皇太子は可愛かあいらしい指先でルウズヴエルト氏の鼻の上を押へた。気難しやの大統領はくさみをしさうな顔になつた。
阿父様おとうさま、この人怜悧者りこうものなの、それとも馬鹿?」
「さうだな。」とジヨオジ陛下はにこ/\笑つて「ルウズヴエルト氏はなか/\偉いかただよ。まあ天才とでも言ふほうだらうて。」
 それから四五日経つて、ジヨオジ陛下が何か見たい事があつて、その『各国民元首帖』をけてみると、ルウズヴエルト氏の写真だけ取り外されて見えない。
をかしいな。」
と言ひ言ひ、何気なくそばにあつた『現代人物帖』を取り上げてみると、その第一頁目にくなつたルウズヴエルト氏の写真がはさんであつた。
 陛下は皇太子を召された。
「この写真を移したのはおまへさんかい。」
「私よ。」
「何か理由わけがあつたのかい。」
「だつて阿父様おとうさま先日こなひだお話しになつたぢやないの。」と皇太子は自慢さうに言つた。「ルウズヴエルトさんは天才だつて。だから私元首帖から引つこ抜いて人物帖の方へ入れたのよ。それが悪くつて。悪かつたら堪忍して頂戴……。」


高い塔

2・4(夕)

 東京美術学校で西洋美術史を受持つてゐる森田亀之助といふ人がゐる。一体美術史の講義をする人にの解る人は少いものだが、森田氏はそのなかで可なりよく解る方だ。
 森田氏が美術学校の学生に口頭試験をやつた事がある。その時一人の学生の順番になつた。その学生はクラスのなかで画の上手として聞えてゐた男だつた。
 森田氏はしかつべらしい口をして訊いた。
「君はバビロンの塔を知つてますか。」
 学生はそんな物はてんで頭にも置いてゐないらしく即座に返事をした。
「知りませんよ、バビロンの塔だなんて。」
「何かの本に無かつたですか。」
 森田氏は自分の講義録にあつたのを思ひ出させようとして、わざと「本」といふことばに力を入れて言つた。
「有つたかも知れませんが、覚えてゐません。」
 学生はきつぱり答へた。
 森田氏は少し狼狽気味うろたへきみになつた。
「誰かに聴いた事はありませんか、学校の講堂か何処かで。」
「ありませんな。」と学生は蒼蠅うるささうに言つた。「先生、私は画家ゑかきですが、バビロンの塔なんか知らなくても画はけると思ひます。私はまた基督教信者ですが、そんな塔なぞ知らなくても天国へけると思ひます。」
 森田氏は履刷毛くつばけで鼻先を撫下なでおろされたやうな顔をした。成程考へてみると、自分はバビロンの塔を知つてゐるが、それを知つてゐるからと言つて画はうまけさうにも思へない。それにとても天国へまでけさうにも思へなかつた。森田氏は試験はこの儘でめようかとも思つたが、ついでに今一つ訊いてみた。
「だが、まあ考へてみたまへ、バビロンの塔だよ、塔といふからには……」
 学生はやつと思ひ出したらしく、急ににこ/\して、
「いや解りました。塔といふからには高い建築物です。ちやうど浅草の十二階のやうな……」
「さうだ/\、よく覚えてゐたね。」
 二人は寒山かんざん拾得じつとくのやうに声を合せて笑つた。


伍廷芳

2・6(夕)

 支那の伍廷芳が全権公使として米国にとゞまつてゐた頃、ある日市俄古シカゴ招待せうだいせられた事があつた。伍廷芳は尻尾のやうな弁髪べんぱつを後に吊下ぶらさげながら出掛けて往つた。
 伍廷芳は逢ふ人ごとに、とりわけ婦人をんなさへ見れば、支那人に持前のお愛嬌をふり撒いた。着飾つた婦人連は、九官鳥に挨拶されたやうな変な表情をして顔を見合はせた。
 折柄をりからそこへ来合はせたのは一人の紳士で、伍廷芳とは初めての対面だつた。紳士は無遠慮に言つた。
「伍廷芳さん、近頃お国には貴方がしておいでの、尻尾のやうな弁髪をめようつて運動が起きてるさうぢやありませんか、結構ですね。」と紳士は一寸弁髪の先に触つてみた。「それだのに何だつて貴方はこんな馬鹿げた物を下げてお居でになるんです。」
「さあ」と伍廷芳はじろりと相手の顔を見た。紳士は鼻の下にもじやもじやと口髭を伸ばしてゐた。「何だつて貴方はそんな馬鹿げた口髭なぞ生やしてお居でになります。」
「御挨拶ですね。」と紳士は苦笑にがわらひした。「これには理由わけがあるんです、私は口許くちもとが悪いもんですから、それで……」
「さうでせう。さうだらうと思つた。」と伍廷芳はにやりともせず畳みかけた。「貴方が仰有る事から察すると、うも余りお口許がかたでは無いやうだから……」


泣面なきつら大使

2・7(夕)

 米独の国交断絶について、誰よりも一番困つてゐる者は独逸の駐米大使ベルンストロフ伯だらう。紐育ニユーヨーク電報によると、大使は米国政府から旅券を交附するといふ報知しらせを受取ると、叱られたちんのやうに眼に涙を一杯溜めて、
「こんな事になるだらうとは思つてたが、一体うしたら帰国出来るんだらう。」
と、べそを掻いたといふ事だ。
 本国の独逸は今では天国よりも遠いところにある。実をいふと、ベルンストロフ伯の故郷は天国でも独逸でも無い、伯の生れ在所は霧の多い倫敦ロンドンだが、生れ在所だからと言つて、今更倫敦へく事も出来まい。
 そんなだつたら、いつ女房かないの里に落付く事だ。一体女房かないの里といふものは、落人おちうどの隠れ場所にとつて恰好なものだ。ベルンストロフ伯夫人は人も知つてるやうに米国生れの女である。
 米国アメリカで評判を取らうとすると、何をいても米国生れの女を女房かないにするのを忘れてはならない。
女房かないがお国に居たいと言つて泣きますから。」
と言つてみるがいい。米国人といふ米国人は、教会の神様を叩き出しても、ベルンストロフ伯夫婦を引留めずには置かない。(実際米国には神様など居なくともいいのだから。)
 新渡戸稲造氏なども米国アメリカ婦人をんなを夫人にしてゐるので、幾割か米国人に評判がよい。氏はまた米国製の時計を持つてゐて、客と談話はなしをするも婦人問題を考へる時もいつもそばを離さない。
 だが、米国製の時計だけは同国人の評判を気にして持つてる訳ではない。時計は夫人の実家で出来たもので、夫人の実家は米国で聞えた時計商である。


廂髪ひさしがみ

2・9(夕)

 九州医科大学の大西克知博士が鉄瓶のやうな疳癪持かんしやくもちである事はいつだつたか茶話で書いた通りだ。実際博士の疳癪玉は、眼医者にしては惜しい持物で、あれを競馬馬にでも持たせる事が出来たら、騎手のりて険呑けんのんな代りに屹度素晴しい勝を得る事が出来る。
 先日こなひだもこんな事があつた。その日は博士は朝から少し機嫌を損じてゐて、何家どこかの若い夫人が診察室に入つて来た折は、まるで苦虫を噛み潰したやうな顔をしてゐた。
 さうとも知らない若い夫人は、一寸嬌態しなをつくつて博士の前に立つた。博士は指先で充血した眼の上瞼うはまぶたつまんで、酸漿ほほづきのやうにひつくり返さうとしたが、直ぐ鼻先に邪魔物が飛び出してゐて、どうも思ふやうにならない。
 邪魔物といふのは他でもない、若い夫人の廂髪なのだ。夫人はその朝病院にくのだと思つて、心持廂髪を大きく取つてゐた。(女といふものは、亭主をけなされても、髪さへめて貰へばそれで満足してゐるものだ。それ程髪は女にとつて大事なのだ。)
 博士は邪魔物の廂髪をしきりに気にして、やきもきしてゐたが、とうと持前の疳癪玉をはじけさせた。
「えゝ、この廂が邪魔になる。」
と言つて、手の甲でぽんと跳ね上げた。廂髪は白い額の上で風呂敷のやうにふるへた。
 若い夫人は気を失はんばかりに吃驚びつくりした。夫人に取つては、自分の髪の代りに、亭主を蹴飛ばされた方が幾らか辛抱が仕善しよかつたかも知れないのだ。
 でも、仕合せと眼病はなほつた。若い夫人は手土産をげて博士のうちへ礼に往つた。博士は蒼蠅うるささうにお礼の口上を聴いてゐたが、
「私が癒したのぢやない、大学が癒したのだ。」
と言つて、手土産を押し返した儘ついと立つて見えなくなつた。博士は何処へ往つたのだらう。若い夫人は自分の廂髪に隠れたのでは無からうかと思つた。その日の髪はそれ程廂が大きく結つてあつた。


顔と頭

2・10(夕)

 パデレウスキイといへば波蘭ポーランドの聞えた音楽家だが、最近米国に渡つた時、ある日勃士敦ボストン停車場ていしやぢやうで汽車を待ち合せてゐた事があつた。音楽家はモツアルトの楽譜でも踏むやうな足つきをして、歩廊プラツトホームをあちこち※(「彳+淌のつくり」、第3水準1-84-33)※(「彳+羊」、第3水準1-84-32)うろついてゐた。
 十二三のちんぴらな小僧が物蔭から飛び出してこの音楽家の前に立つた。
「旦那磨かせて戴きませうか。」
 パデレウスキイは立停つて黙つて小僧を見おろした。小僧は手に履刷毛くつはけげてゐる。まがかたもない履磨きで、だい/\のやうに小さな顔は履墨くつずみで真黒に汚れてゐる。
 音楽家は洋袴ズボンの隠しから、銀貨を一つ取り出して掌面てのひらの上に載せた。
「履は磨かなくともいゝ、お前の顔を洗つておいでよ。さうするとこの銀貨をあげるから。」
 その折音楽家の履はかなり汚れてゐたが、彼はその晩直ぐに天国の階段をあがるのでも無かつたし、米国アメリカの土を踏むのにはそれで十分だと思つてゐたのだ。
「はい/\。直ぐ洗つて来ますよ。」
と小僧はさう言ふなり、直ぐ洗面所へ駈けつけて、土塗つちまみれの玉葱たまねぎでも洗ふやうに顔中を水に突込んで洗ひ出した。
 小僧はあらたての顔をしてパデレウスキイの前に帰つて来た。音楽家は「よし/\」と言つて銀貨を小僧の濡れた掌面てのひらに載つけてやつた。小僧は一寸それを頂いたが、直ぐまた音楽家の掌面にそれをかへした。
「旦那、銀貨はこの儘お前さんに上げるから、これで散髪をおしよ。」
 パデレウスキイは驚いて額を撫でてみた。成程帽子の下から長い髪の毛がみ出してはゐるが、それは音楽家がベエトオベンの頭を真似た自慢の髪の毛だつた。


「勉強せよ」

2・12(夕)

 逓信省内で比べ物にされてゐた下村宏氏は、遠く台湾くんだりへ往つてしまふし、そのあとはと言へば、弾力のありさうな者は誰一人無し、数へてみると、何といつても、
「俺だ。」
「俺だ/\。やつぱり俺だよ。」
と、それ以来通信局長の田中次郎氏は、思ひなしか逓信省内が広々としたやうに思はれた。
 逓信省内には、大学を出たての若い学士連が虫のやうに蠢々うよ/\してゐる。それを集めて昨年の秋から読書会といふものが起された。場所としては京橋の清新軒などが利用されてゐた。皿の物をかちかち突つきながらたてのフライのやうな新しい書物の講釈から、時事問題などが話題にのぼされるのだ。つい先日こなひだの晩にも例会が開かれて、通信局、管船局各課の高等官の卵共が、ずらりと田中局長の前に並んだ。
「勉強だね、勉強しないと直ぐに世間に忘れられてしまふし、第一物事に目端が利かなくなる。」
 他人ひとの財布の中までも見通しさうな眼つきをして田中局長は言つた。局長のお言葉だけに、下役には、それが亜米利加発見このかたの真理のやうに聞えた。皆は脂肪肉あぶらみのビフテキをかち/\言はせながら、各自てんでに腹のなかで、
「局長のお言葉だ。大いにるぞ。」
と力んで居たやうだつた。田中氏は心持後に反りかへつて、胸衣チヨツキ胸釦むなぼたんいぢりながら「真理」を語つたあとの愉快さといつたやうな顔をしてゐた。
 その翌日、突然休職の辞令が田中局長の頭に降りかかつた。夕刊を眺めた下役共は夢ではなからうかと自分の鼻先をつねつてみたりした。その折省内の廊下でばつたり出会つた若い「通信局」と「管船局」とがあつた。
「驚いたね、昨夜ゆうべだつたぢやないか。」
「さうよ、だからさ、勉強しないと目端が利かなくなるんさ。」


納所なつしよ花婿

2・14(夕)

 一しきり世間を騒がせた結婚沙汰がめられて、愈々いよ/\名妓八千代が菅家すがけ輿入こしいれのその当日、花婿の楯彦たてひこ氏は恥かしさうに一寸鏡を見ると、自分の頭髪あたまが栗のいがのやうに伸び過ぎてゐるのに気がいた。
「これではどむならん。なん画家ゑかきやかて今日は花婿やよつてな。」
と、楯彦氏は非常な決断で直ぐ理髪床かみゆひどこく事にきめた。
 楯彦氏はいつも頭をくりくり坊主に剃る事にめてゐるが、婚礼の宵に納所のやうな頭をして出るのも幾らか興覚きようざめがした。
「いつそ揉上もみあげを短くして、ハイカラに分けてやらうか知ら。」と楯彦氏は理髪床かみゆひどこく途中、懐手ふところでのまゝで考へた。「そやけど、それも気恥かしいし、やつぱり五分刈にしとかう、五分刈やと誰も変に思はんやろからな。」
 楯彦氏は腹のなかでさう決めて理髪床かみゆひどこに入つて往つた。床屋は先客で手が一杯になつてゐた。楯彦氏はそこらの明いてゐた椅子に腰を下して美しい花嫁の笑顔など幻に描いてゐるうち、四辺あたり温気うんきでついうと/\と居睡ゐねむりを始めた。
 額に八千代の唇が触つたやうな気持がして楯彦氏は吃驚びつくりして目を覚ました。鏡を見ると、白い布片きれくるまつた毬栗いがぐりな自分の額が三ぶんの一ばかり剃り落されてゐる。
「あつ。」
と言つて、楯彦氏は首を縊められた家鴨あひるのやうな声を出した。
ないしやはりましたんや。」
 理髪床かみゆひどこおやぢ剃刀かみそりを持つた手を宙に浮かせた儘、腑に落ちなささうに訊いた。
 楯彦氏は白布きれの下から手を出して、剃落そりおとされた自分の頭にそつと触つてみた。頭は茶碗のやうに冷かつた。
「五分刈やがな、お前、今日は……」
と言つた儘、泣き出しさうな顔をした。
 理髪床かみゆひどこおやぢは飛んだ粗忽そさうをした。だが、まあ堪忍してやるさ、十日も経てば頭は五分刈の長さに伸びようといふものだ。世の中には三年経つても髪の毛一本生えない頭もあるのだから。


道楽

2・15(夕)

 郵便切手を集める――といふと、何だか子供みた事のやうに思ふものが多い。また実際欧羅巴ヨーロツパの子供には切手を集めるに夢中になつて、日本人がたまに故国の郵便切手でも呉れてやると、
「親切な叔父さんね、だから私支那人が好きなんだよ。」
と、お世辞を振撒ふりまいて呉れるのがある。
 だが、切手の蒐集コレクシヨンは決して子供染みた事ではない。堂々たる帝王の事業で、その証拠には英国のジヨオジ皇帝陛下が大の切手道楽である事を挙げたい。およそ地球の上で発行せられた切手といふ切手は、残りなく陛下の手許に集まつてゐる。陛下が世界一の海軍と共に世界一の郵便切手の蒐集コレクシヨンを誇られても、誰一人異議を申し上げるものはあるまい。
 ジヨオジ陛下には今一つ道楽がある。それはタイプライタアを叩く事で、この道にかけての陛下の手際は、倫敦ロンドンで名うてのタイピストに比べても決してひけは取られない。
 だが、タイピストとしての陛下にはたつた一人恐るべき敵手あひてがある。それは米国のウヰルソン大統領で、ウヰルソン氏がタイピストとしての手際は、大統領としての手腕よりも、学者としての見識よりも、際立つてすぐれてゐる。
 ウヰルソン氏はひまさへあると、タイプライタアに向つてコツ/\指を動かしてゐる。ある忙しい会社の重役は、ひどく氏の手際に惚れ込んで、
「タイピストとしてうちの会社に来て呉れたら、七百ドルまでは出してもい。」
と言つたさうだ。してみると、氏が若い寡婦ごけさんを、後妻に貰つたのは、経済の立場から見ても聞違つた事ではなかつた。


平謝ひらあやま

2・16(夕)
 東京神田の駿河台に大きな病院を持つてゐる広川一氏といふ医学博士がある。芸者の噂でもすると、顔を真蒼まつさをにして怒り出すといふ、名代の堅蔵かたざうである。
 広川氏は多くの医者がするやうに独逸へ留学をした。洋行といふものは色々の事を教へて呉れるもので、東大の姉崎博士など、日本に居る頃は芝居を外道げだうのやうに言つてゐたが、独逸から帰つて来ると、劇は宗教と同じく神聖なものだと言ひ出して来た。尤も姉崎博士の言ふのは劇の事で、芝居とはまた別の物らしい。
 広川氏は独逸で芝居も見た。ミユンヘンの麦酒ビールも飲んだ。その上にまた劇場しばゐよりも、居酒屋よりも、もつと面白いところへも往つた。そして大層賢くなつて日本に帰つて来た。
 広川氏は停車場ステーシヨンから一息に駿河台の自宅へ帰つて来た。そして窮屈な洋服を褞袍どてらに脱ぎかへるなり、二階へあがつて、肘掛窓から下町辺をずつと見下みおろした。
「かうしたところは、日本も満更悪くはないて。――だが伯林ベルリンはよかつたなあ。」
と、留学中の総決算をする積りで、腹のうち彼地あつちであつた色々の事を想ひ出してみた。そして鳥のやうにひとりでにや/\笑つてゐた。
 すると、だしぬけに二階の階段を、二段づつ一息に駈け上るらしい足音がして、夫人が涙ぐんで其処そこへ現はれた。
「貴方、これはうなすつたの。」
 夫人が畳の上へ投げつけた物を見て、広川氏は身体からだを鼠のやうに小さくして恐れ入つた。
「謝る/\。もう何も言つて呉れるな。」
 広川氏が平謝りに謝るのを見て、夫人はやつと気色を直した。夫人は貞淑な日本婦人である。日本の婦人をんなは「貞淑」といふ文字の為には、どんな事をも辛抱がまんしなければならないのだ。
 それにしても夫人が畳の上に投げつけたのは何だらう。仕合せと神様と茶話記者とは其処そこに居合はさなかつたので少しも知らない。


洋服和服

2・17(夕)

 下田歌子女史が最近大阪のある講演会で言つた所によると、最も理想的な衣服きものは、日本服で、それも女房かないや娘の縫つたものに限るのださうな。女史が『明倫歌集』の講義をするのは惜し過ぎるやうな婀娜あだつぽい口許で、
女房かないや娘の縫つたものには、一針づつ情愛が籠つてゐますから。」
と言ふと、その席に居合した多くの夫人令嬢達はほつと溜息をいて、
「ほんとにさうやつたわ、ちつとも気がかなかつた。」
と、それからは主人の着物を家庭うちで縫ふ代りに、女房かないや娘の物をそつくり仕立屋に廻す事にめたらしいといふ事だ。
 悲惨みじめなのは男で、これからは仕立屋の手で出来上つた、着心地きこゝちい着物はもう着られなくなつた。しかし何事も辛抱がまんで、女の「不貞腐ふてくされ」をさへ辛抱がまんする勇気のある男が、女の「親切」が辛抱がまん出来ないといふ法は無い筈だ。
 だが、下田女史の日本服推賞に対して、一人有力の反対者がある。それは広岡浅子刀自とじで、刀自は日本服などは賢い人間の着るべきものでないといふので、始終洋服ばかりつけてゐる。
 この頃のやうな寒さには、刀自は護謨ごむ製の懐中湯たんぽを背中に入れて、背筋を鼠のやうに円くして歩いてゐる。いつだつたか大阪教会で牧師宮川経輝氏のお説教を聴いてゐた事があつた。宮川氏が素晴しい雄弁で日本が明日にも滅びてしまひさうな事を言つて、大きな拳骨げんこ卓子テーブルを一つどしんと叩くと、刀自は感心の余り椅子にもたれた身体からだにぐつと力を入れた。その途端にせなの湯たんぽの口がはじけて飛んだ。
 宮川氏のお説教を聴きながら、自分ひとり洋服のまま天国に登つた気持で居た刀自は、吃驚びつくりして立ち上つた。裾からは水鳥の尻尾のやうに熱いしづくがぽた/\落ちて来た。
 刀自は宮川牧師を振り向いて言つた。
「でも洋服だからよかつたのです。これが和服だつたら身体中からだぢゆう焼傷やけどをするところでした。」


欠け皿

2・18(夕)

 日本の遺英赤十字班が英国へ渡つた時、自惚うねぼれの強い英吉利人は、
「日本にも医者が居るのかい。」
ひどく珍しがるやうだつたが、決して歓迎はしなかつた。
 一行の食事は一人前一ヶ月百円以上も仕払つたが、料理はお粗末な物づくめであつた。外科医の一人は堅いビフテキの一きれ肉叉フオーク尖端さきへ突きさして、その昔基督がしたやうに、
「お皿のなかのビフテキめ、羊の肉ならよかんべえ、もしか小猫のだつたら、やつとこさで逃げ出しやれ。」
蠱術まじなひのやうな事を言つてみたが、ビフテキは別段猫につて逃げ出さうともしなかつた。
 ある時などわざふちの欠けた皿に肉を盛つて、卓子テーブルに並べた事があつた。それを見た皆の者は※(「弗+色」、第3水準1-90-60)むきになつて腹を立てたが、あいにく腹を立てた時の英語はいくれ習つてゐなかつたので、何と切り出したものか判らなかつた。
 一行の通弁役に聖学院しやうがくゐん大束おほつか直太郎氏が居た。氏は英語学者だけに腹の減つた時の英語と同じやうに、腹の立つた時の英語をも知つてゐた。氏は給仕長を呼んだ。給仕長は鵞鳥のやうに気取つて入つて来た。
「この皿を見なさい。こんなに壊れてゐるよ。」と大束氏は皿を取上げて贋造銀貨にせのぎんくわのやうに給仕長の目の前につきつけた。「日本ではお客に対して、こんなこはれた皿は使はない事になつてゐる。で、余り珍しいから記念のため日本へ持つて帰りたいと思つてゐる。幾らで譲つて呉れるね。」
 給仕長は棒立になつた儘、目を白黒させてゐた。大束氏は畳みかけて言つた。
「幾らで譲つて呉れるね、この皿を。」
 給仕長はこの時やつと持前の愛嬌をとりかへした。そして二三度頭を掻いてお辞儀をした。
「この皿はお譲り出来ません。日本のお客様の前へ出た名誉の皿でがすもの。」
と言つて、引手繰ひつたくるやうに皿を受取つた。そしてそれ以後、ふちの欠けない立派な皿を吟味して、二度ともう欠皿かけざらを出さうとしなかつた。


お愛嬌

2・19(夕)

 リンコルンと云へば、亜米利加中の人間の苦労と悲しみとを自分一人で背負しよひでもしてゐるやうな、気難かしい、悲しさうな顔をしてゐる大統領であつた。
 日本でも内村鑑三氏などはリンコルンが大好きで、「君のお顔はどこかリンコルンにてゐる。」と言はれるのが何よりも得意で、精々せい/″\悲しさうな顔をしようとしてゐるが、内村氏には他人ひとの苦労まで背負しよはうといふ親切気が無いので、顔がリンコルンよりも、リンコルンの写真版に肖てゐる。
 将軍ウヰルソンがある時コネクチカツトの議員をてゐる自分の義弟それがしと、リンコルン大統領を訪ねた事があつた。ウヰルソンの義弟といふのは、たけ七尺もあらうといふ背高男のつぽで、道を歩く時にはお天道様てんとうさまが頭につかへるやうに、心持せなかゞめてゐた。
 リンコルンは応接室に入つて来たが、へや中央まんなかに突立つてゐる背高男のつぽが目につくと、挨拶をする事も忘れて、材木でも見る様にくつ爪先つまさきから頭に掛けて幾度か見上げ見直してゐる。材木は大統領の頭の上で馬の様ににや/\笑つた。
「大統領閣下お初にお目に懸ります。」
「や、お初めて。」とリンコルンは初めて気がいたやうに会釈をした。「早速ではなは無躾ぶしつけなやうだが、一寸おたづねしたいと思つて……」
 背高男のつぽの議員は不思議さうな顔をして背をかゞめた。
「何なりとも。閣下。」
 大統領は口許をにやりとした。
「貴方は随分お背が高いやうだが、うです、爪先つめさきが冷えるのが感じますかな。」
「へゝゝ……御冗談を。」議員は頭を掻いて恐縮した。
 リンコルンの愛嬌と無駄口を利いたのは、一生にこれがたつた一度きりであつた。


中村不折

2・20(夕)

 洋画家中村不折氏の玄関には銅鑼どらつるしてある。案内を頼む客は、主人の画家ゑかきの頭を叩く積りで、この銅鑼を鳴らさねばならぬ事になつてゐる。
 ところが、来る客も来る客も誰一人銅鑼を叩かうとする者が無い。皆言ひ合せたやうに玄関に立つて、
「頼まう。」
とか、または、
「御免やす。」
とか言つて案内を通じる。
 何事もひとの云ふ事にはつんぼで、加之おまけ独断ひとりきめの好きな不折氏も、これだけは合点がかなかつた。で、お客の顔さへ見ると、六てう文字のやうに肩を変な恰好に歪めて、
うちの玄関には銅鑼がつてありますのに、何故お叩きになりません。まさか君のお目につかなかつた訳でもありますまい。」
 幾らか嫌味交いやみまじりに訊いてみる。
 すると、誰も彼もがきまつたやうに、
「いや、確かに拝見しましたが、あれを叩くのは何だか気がとがめましてね、ちやうどお寺にでもまゐつたやうな変な音がするもんですから。」
と言ふので、自分を雪舟のやうな画僧に、(残念な事には雪舟は不折氏のやうなつんぼでは無かつた)自宅うちを雲谷寺のやうな山寺と思つてゐる不折氏は、顔の何処かに不満足の色を見せずには置かなかつた。
 だが大抵の客は用談が済んで帰りがけには、玄関まで見送つて出た不折氏の手前、
「成程結構な銅鑼だ。どれ一寸……」
と言つてきまつたやうに鋼鑼のよこつらを厭といふ程どやし付ける。銅鑼は急に腹が減つたやうな声をして唸り出す。
「これは/\雅致のあるが出ますね。」
と客がめ立てでもすると、不折氏は顔中を手布ハンケチのやうに皺くちやにして、
「お気に入りましたか、ははは……」
 台所で皿でも洗つてゐたらしい女中は、銅鑼の音を聴いて、あたふた玄関へ飛び出して来ると、其処そこには帰途かへりがけの客と主人とが衝立つゝたつて、今鳴つたばかしの鋼鑼の評判をしてゐる。
「まあ、帰りがけの悪戯てんがうなんだわ。」
と女中は、腹立たしさうに余計者の銅鑼をにらまへる。
 神よ、女中をして同じやうなつんぼならしめ給へ。


竹越たけごし夫人

2・22(夕)

阿母おつかさん、お金を下さい。」
 竹越三氏の、中学へ行つて居る息子さんは、あがはなに編上げ靴の紐をほどくと、直ぐに追はれる様に駈け上つた。阿母おつかさんの竹代夫人は、その声にこの頃凝つて居る座禅をめて、パツチリと眼をあけた。
「お帰り、いくらです。突然に、何にするの。」
「えゝ、十円。」
 十円――中学へ行く子の要求としては少し多過ぎた。つい、この頃まで、物の値段も知らなかつたその子が何にするのか。兎も角何か目論もくろんで、その費用を要求するといふ事は、子供の次第に一人前の人間になつて行く事を裏書する様なもので、一方には言はう様のない頼もしさがあつた。
「十円、何を買ふの。」
「えゝ、万年筆を買ふんです。」
「ちと高過ぎはしなくて。」
 阿母おつかさんの頭には、電車の車内広告の頭の禿げた男が、万年筆をさゝつゝの形にした絵が思ひ出された。それには二円八十銭より種々いろ/\とあつた。が息子の方が、一足お先に母親の胸算用を読んでしまつた。
「ね、二円七八十銭からも有るにはあるけれど駄目なんです。友達は誰一人そんな安いの持つてないんですもの。」
 賢明を誇る阿母おつかさんは、手も無く十円の万年筆を買はされた。しかし腹の底では、その学校の当局者が、そんな贅沢な万年筆を、学生風情ふぜいに持たせてゐるといふり方が気にはなかつた。
うちの人の二千五百年史なんか、二銭五厘の水筆すいひつで書き上げたんぢやないか、真実ほんとに贅沢な学校だよ。」
 で、ある時竹代夫人は、何かの用事で学校に出掛けて、校長に会つた時、それとなく皮肉を言つた。校長は眼を円くして聞いてゐた。(それに無理もない。校長は万年筆が欲しい/\と思ひながら、十年以来このかた鉛筆で辛抱してゐたのだ。)夫人の帰るのを待つて、生徒の誰彼は呼び出されたが誰一人万年筆は持つて居なかつた。そして最後にたつた一人あつた。その名は――竹越某。


侯爵夫人

2・23(夕)

 東京市の政友会新候補者添田そへだ増男氏に対して、鳩山春子夫人がせがれ一郎氏のために躍起、運動を始めた。すべて女の運動といふものは勝手口にも政治界にも利目きゝめのあるもので、添田氏は手もなく頭を引込めた。お蔭で一郎氏の地盤は先づ保証される事になつた。
 鳩山夫人のこの振舞を見て、ひどしやくにさへたものが一人ある。それは当の相手の添田氏でも無ければ、添田氏の夫人でもない。この頃の寒さに早稲田の応接間で、口を歪めてちゞかまつてゐる大隈侯の夫人綾子刀自とじである。
 侯爵夫人はもとから春子夫人のお喋舌しやべりとお凸額でことが気に入らなかつたが、鳩山和夫氏が旧友を捨てて政友会へ入つてから一層それがひどくなつた。
 侯爵夫人の考へでは、早稲田から神楽坂へかけて牛込一体は、自分の下着の蔭に、小さくなつてゐなければならぬ筈だのに、その中で春子夫人が羽を拡げて飛び廻るのだから溜らない。
「添田など何だつてあんなに意気地が無いんだらう。鳩山の寡婦ごけに口説き落されるなんて。」
と侯爵夫人がやきもきしてゐる矢先へ、ひよつくり顔を出したのは早稲田の図書館長は市島いちじま謙吉氏だつた。侯爵夫人は有るだけの愛嬌を振り撒いて迎へた。そして市島氏が椅子に腰を下すなり、もう口説くどきにかゝつた。
「市島さん、今度の選挙に牛込から出なすつたら如何いかが。私及ぶ限りの御尽力は致しますよ。」
 市島氏はその折古本の事ばかり考へてゐたので、侯爵夫人の言葉がなにの事だか一寸呑み込めなかつた。だが、こんな時に合せの笑ひを持合せてゐたので、
「へへへへ……」と顔を歪めて笑ひ出した。そして暫く経つてからやつと返事をした。
「何だつて突如だしぬけにそんな事を仰有るんです。」
 侯爵夫人はそばにゐる大隈侯の顔をちらりと見た。侯爵はたら乾物ひもののやうな顔をしてじつと何か考へ込んでゐた。
「でも、私鳩山の寡婦ごけ其辺そこらを走り廻つてるのを見ますとほんとに癪でね……」
「成程、御尤ごもつともで……」と市島氏は型のやうに一寸頭を下げた。そしてその次ぎの瞬間には文求堂の店で見た古い唐本たうほんの値段の事を考へてゐた。


有松英義

2・25(夕)

 今法制局長官の椅子に踏ん反りかへつてゐる有松英義氏が、まだ三重県知事をしてゐた頃、ちやうど今時分月が瀬の梅を見に出掛けた事があつた。
 その頃月が瀬には、くるまいぬ先曳さきびきがついて、阪路さかみちにかゝるとたすき首環くびわをかけた狗が、汗みどろになつてせつせと俥の先を曳いたものだ。
 有松氏はずつと前から、自分の管内にさういふ忠実まめな狗が居る事を自慢にしてゐた。で、その日も出迎への俥の先に蹲踞かいつくばつてゐるたくましい狗を見ると、
「これだな、例の奴は。」
と言つて、属官を振かへつて、一寸にやりとした。
 だが、狗はその折華族の次男と同じやうに雌の事を考へて無中になつてゐたので、知事の愛嬌に一向気がつかなかつた。よしんば気がいた所で、相手を夢にも有難いお客とは思はなかつたに相違ない。
 有松氏は俥の蹴込けこみに片足をかけた。その瞬間俥のすぐ前を雌狗が一匹通りかゝつた。先曳の狗はそれを見ると、後藤内相のやうに猛然とち上つた。
 はずみに俥がずる/\と引張られると、知事はあとの片足を踏み外していきなり前へのめつた。属官は可笑をかしさをこらへるやうな顔をして飛んでそばへ往つた。
 知事は真紅まつかな顔をして起き上つた。属官は自分の疎忽そこつのやうにお辞儀をしい/\フロツクコートの埃を払つた。フロツクコートは綺麗になつた。だが、肝腎の顔はうする訳にもかなかつた。有松氏の顔は名代の痘痕面あばたづらなので、その窪みに入り込んだ砂利は、おいそれととりばや穿ほじくり出す事が出来なかつたのだ。
 有松氏は月が瀬に着く迄何一つ喋舌しやべらなかつた。花を見ても石のやうに黙りこくつてゐた。そして県庁に帰ると、属官を呼び出して、月が瀬の狗は動物虐待だから、屹度差止めると厳しく言ひつけた。
 月が瀬名物の狗の先曳はそれで御法度ごはつとになつた。それから幾年か経つた今日この頃、花は咲き、人は法制局長官になつて、どちらもにこ/\してゐる。


おどかせ

2・26(夕)

 ビスマルクが或時仲善なかよしの友達と連立つて猟に出た事があつた。すると、うしたはづみか友達は足を踏み滑らして沼地ぬまぢはまつた。
 友達は慌ててビスマルクを呼んだ。
「君お願ひだからつて来て僕をつかまへて呉れ、さもないと僕は沼地ぬまぢに吸ひ込まれてしまふ。」
 ビスマルクは大変な事になつたなと思つたが、強ひて平気な顔をしてゐた。
「馬鹿を言ふない、僕が其処そこへ飛び込んで見ろ、一緒に吸ひ込まれてしまふばかりぢやないか。」とビスマルクは相手がいぬのやうに※(「足へん+宛」、第3水準1-92-36)もがいてゐるのを見た。「もうかうなつちや、とても助かりつこは無い。君がいつ迄も苦しんでるのを見るのは僕もつらいから、一思ひに打ち殺してやらう。」
 ビスマルクはかう言つて、平気な顔で身動きの出来ない友達にねらひをつけた。
「おい、じつとして居ないか、まとが狂ふぢやないか。僕はいつそ一思ひにつ付けたいから、君の頭に狙ひを付けてるんだ。」
 ビスマルクの残酷な言葉に、友達はもう泥濘ぬかるみの事など思つてゐられなかつた。何でも相手の銃先つゝさきからのがれたい一心で、死物狂しにものぐるひ※(「足へん+宛」、第3水準1-92-36)いてゐるうち、古い柳の根を発見めつけて、それにすがつてやつとこさであがる事が出来た。
 ビスマルクは笑ひ/\銃を胸から下した。その糞落付くそおちつきが自分を救つたのだなと気づいた友達は、
「君有難かつた/\」
溝鼠どぶねずみのやうな身体からだをして、両手を拡げて相手に抱きつかうとした。ビスマルクは慌てて逃げ出した。
「もうい/\。そんなざまをしてお礼などには及ばんよ。」
 神戸の船成金勝田かつだ氏は国民党の立場を気の毒に思つて、三十万円もふり撒くといふ噂がある。それも一つの方法には相違ないが、もつといのは、ビスマルク流に落選でもしたら、犬養始め皆の首根つこを縊めると脅かす事だ。――すると五十人は屹度当選する。


蓄音機

2・27(夕)

 尾崎愕堂氏はまた政談の蓄音機吹込を始めたらしい。大隈内閣の総選挙当時にも、氏は今度と同じやうな事をやつた。そしてそれを方々に担ぎ込むで、自分の代りに喋舌しやべらしたものだ。この方が汽車賃も要らねば、旅宿はたご賃もかゝらないのだから、地方人に取つて、どれけ便利か判らなかつた。
 その吹込蓄音機は、尾崎氏の徒党みかたに随分担ぎ出されたものだが、反対党で居て、それを選挙の道具に使つたのは国民党の高木益太郎氏たつた一人きりだ。
 高木氏は演説会の会場前へいつも高木尾崎立会演説と大きく触れ出したものだ。物好きな傍聴人が、軍鶏しやも蹴合けあひを見るやうな気持で会場へぎつしりつまると、高木氏は例の尾崎氏の吹込蓄音機と一緒に演壇へぬつと出て来る。
 で、先づ先輩からといふので、その蓄音機をかけると、尾崎氏の吹込演説は感冒かぜを引いたやうなかすめた声で喇叭ラツパから流れて出る。
 いい加減な時分を計つて、高木氏が一寸指先を唇に当てると、蓄音機ははたと止つて、高木氏が一足前へ乗り出して来る。
「唯今尾崎君はあんな風な事を言つたが、吾々江戸つ子の立場から見ると……」
と、江戸ツ子自慢の聴衆きゝてが嬉しがりさうな事を言つて、ぴどく尾崎氏の演説をきめつける。
 で、幾度かこんな事を重ねて、高木氏の最後の駁論ばくろんが済むと、氏はくるりと蓄音機の方へ向き直る。
うだ尾崎君、君の説は僕の駁論のために滅茶滅茶になつたが、異見があるなら、言つてみ給へ。こゝには公平なる江戸ツ子諸君が第三者として聴いてゐられるんだから。」
と勝ち誇つた軍鶏しやものやうに一寸気取つてみせる。弾機ばねゆるんだ吹込蓄音機は黙りこくつて、ぐうともすうとも言はない。
 高木氏は一足前へ進んで、
「どうだい、尾崎君、恐れ入つたかね。議論があるなら言つてみ給へ。参つたのだつたら何も言はなくともいゝ。」
と扇子の先で、蓄音機の喇叭を二つ三つ叩いてみせる。喇叭は悲しさうな顔をしてくるりと外方そつぽを向く。
「どうです、皆様みなさん、尾崎君もあんなに恐れ入つて恥かしがつてゐますから、まあ今日はこれで許してやりませう。」
といふがおちで、演説会は閉会となる。かくて高木氏は高点を収めて安々やす/\当選した。


の謝礼

2・28(夕)

 寺崎広業、小堀鞆音ともね、川合玉堂、結城素明ゆふきそめい、鏑木清方、平福ひらふくすいなどいふ東京の画家は、近頃呉服屋が画家ゑかきに対して、随分得手勝手な真似をするので、懲らしめの為に、高島屋の絵画展覧会には一切出品しない事にめたさうだ。
 それには呉服屋が店の関係上、上方の栖鳳や春挙の作に比べると、東京側の作家のものを、幾らか値段を低くつける傾向かたむきがあるにも依るらしいといふ事だ。
 大分以前京都のある呉服屋が栖鳳、※(「山+喬」、第3水準1-47-89)かうけう芳文はうぶん華香くわかうの四人に半截はんせつを一枚づつ頼んだ事があつた。出来上つてから店の番頭が金子きんす一封を持つて華香氏のとこへお礼に往つたものだ。
 猫のやうな京都画家のなかで、たつた一人える事を知つてゐる華香氏は、番頭の前でその封を押切つてみた。(むかし/\大雅堂は謝礼を封の儘、畳の下へり込んで置いたといふが、その頃には狡い呉服屋の封銀ふうぎんといふ物は無かつたらしい。)なかには五十円の小切手が一枚入つてゐた。
「五十円とは余りぢやないか。」
と華香氏は番頭の顔を見た。番頭は小鳥のやうにひよつくり頭を下げた。
「でも香※(「山+喬」、第3水準1-47-89)先生にも、芳文先生にもそれで御辛抱願ひましたんやさかい。」
 華香氏は鼻毛を一本引つこ抜いて爪先で番頭の方へはじき飛ばした。
「ぢや栖鳳君には幾ら払つたね。」
 番頭はさも困つたらしく頸窩ぼんのくぼを抱へた。
「栖鳳さんは店と特別の関係がおすもんやさかい……」
「ぢや百円も払つたかな。」
 華香氏は坐禅をした人だけに、蛙のやうに水を見ると飛び込む事を知つてゐた。
「へゝゝ……まあ、そんなもので。」と番頭は一寸お辞儀をした。
「ぢや、竹内君をも怒らせないで、あとの私達三人をも喜ばせる法を教へようかな。」
と華香氏は大真面目な顔をして胡坐あぐらを組んだ。
 先刻さつきから大分痛めつけられた番頭は、「是非伺ひませう」と一膝前へ乗り出した。それを見て華香氏は静かに言つた。
「竹内君のを私達のなみに下げよとは言はないから、私達のを竹内君並に引き上げなさい。よしか、判つたね。」
 呉服屋に教へる。東京画家のもこの秘伝で往つたら、大抵円く納まらうといふものだ。


田地でんぢ

3・2

 政友会の本出保太郎ほんでやすたらう氏は、代議士になつてゐた頃は、世間に代議士ほど偉い者はないといふ考へで、
「そら君、何ちたつて国会議員やからね……押しも押されもせん国民の選良さ。」
と、会ふ人ごとに代議士の値段を吹聴したものだ。
 ところが前回の総選挙に落選してこのかた、がらり考へが変つた。
「どうも君代議士なんて、ほんまに詰らんよ。第一無学無趣味でね……まあ一口に言ふと愚者のむれやな。」
と、よくよく仲間の頭が悪いのに懲りたやうな事を言つて、
「そやから僕もこの頃ぢや代議士なぞすつかり絶念あきらめてしまうて、画家として立たうと思つてるのや。」
「画家に?」
 相手が自分の耳を信じかねるやうに眼を円くして訊き返すと、保太郎氏は顔中をくしや/\にして、
「そないに君吃驚びつくりせんでもえやないかいな。僕はこれでも雅号を米水べいすいと云つて、小室翠雲こむろすいうんさんのお弟子だよ。」
 よく訊いてみると、先頃何処かの画会に、保太郎氏が半截はんせつに山水画をいて出品した事があつた。すると、大阪見物に出て来た、雲州辺の百姓がそれを見て熟々つく/″\感心した。
「大阪には偉い画家ゑかきがゐるて、こんなのを持つて居たら、後になつて屹度値が出る。」
と言つて女房に約束の黒繻子くろじゆすの帯を倹約しまつして、それをつて帰つた。――言ふ迄もなく画は黒繻子の帯と同格の値段だつた。
「田舎者かて馬鹿にはならんよ、僕の画が解るんやからなあ。」と、保太郎氏は愚者のむれからおいてきぼりにされた図体を小刻みにゆすぶりながら「僕の画を買つておくのは、田地を持つてゐると同じで、屹度孫子まごこ利益ためになるよ。」
「画は田地と同じで――。」全くさうで、日本は農業国であるやうに美術国でもある。そして画家ゑかきのやうな百姓も居る代りに、百姓のやうな画家ゑかきも居ない事はない。


お焼物

3・3

 先日こなひだ大阪のある会社が、大勢の東京商人あきんど堺卯さかうで御馳走した事があつた。その折洒落しやれ塗盆ぬりぼんの上に小さな紙包が載せられて、それ/″\お客の前に持ち出された。紙包には「御焼物おんやきもの」と書いてあつた。
 それを見たお客の一人は不思議さうな顔をした。
「何だ、焼物だつて。嵩張かさばらないとこを見ると、一輪挿りんざしの瀬戸物かな。」
と、独語ひとりごとを言つてゐたが、別に一輪挿をひねくる程の風流気ふうりゆうぎも無い事に気がいて一寸顎をしやくつて前にゐる芸妓げいこを見た。
「焼物なぞ要らない、欲しきやあげようか。」
 芸妓げいこといふものは、お客の呉れる物だつたら、どんな物だつて辞退しない。そのなかで割合に気が進まなささうなのが男のしんの臓位のもので、持合せの手帛ハンケチに包まれさうな物だつたら、どんな物だつていやは言はない。
「大きに、ほんなら戴きまほ。」
 芸妓げいこは一寸頭を下げて、紙包みを長いたもとの中にしまひ込んだ。商人あきんどは自分ながら江戸つ児のはなれのよいのに満足したやうににつと笑つた。
 それを見た二三人のお客は、一輪挿一つで、江戸つ子の腹を上方女かみがたをんなに見せる事が出来るなら、こんなやすい事は無いと思つたらしかつた。てんでにそばに居る芸妓げいこの膝に紙包みを投げ出した。
「僕もげよう、要るなら取つとき給へ。」
 芸妓げいこは一度に頭を下げた。――一体女はよくお辞儀をするが、そんな折にはきまつて腹のうちでは笑つてゐるものなのだ。
 宴会がはねて客の多くは一緒に電車で帰つて往つた。なかで行儀の悪い客の一人が膝の上で先刻さつきの焼物の包をけて見た。中にはサツクいりの立派な真珠細工が入つてゐた。
 先刻さつきの切れ離れのいい商人あきんど吃驚びつくりしてそれを見た。
「焼物つて、君それなんか。」
「さうだよ。」
「ぢや瀬戸物ぢや無かつたんだな。失敗しまつた。」
 商人あきんどは宿へ着くなり、先刻さつきの会場へ電話をかけて、芸妓げいこの名を訊いてみた。何でもその芸妓げいこは心持髪の毛が縮れてゐたさうだ。だが、その折髪の毛の縮れたをんな四人よつたりあつた。


襟飾ネクタイ

3・4

 マアク・トヱンといへば米国の名高い滑稽作家だが、この小説家が女流作家のストウ夫人と隣合せに住んでゐた事があつた。ストウ夫人といふのは、人も知る『アンクル・トムス・ケビン』の作者として名高くなつた婦人である。
 マアク・トヱンはひまさへあれば、ストウ夫人のとこへ出掛けて往つて、夫人と娘さんを相手にお喋舌しやべりふけつたものだが、一向無頓着な男だけに、うかすると寝衣ねまきの儘飛び出したりするので、その都度細君の不機嫌を買つたものだ。
「貴方その身態みなりは何ですね、襦袢シヤツほころびからおへそが覗いてるぢやありませんか。」
 すると、この小説家は小娘のやうに顔をあからめながら、
「や、飛んでもないこつちや、わしは何だつてこんなに粗忽者そゝつかしやなんだらう。」
ひど悄気しよげかへつたものださうだ。
 ある朝もいつものやうにストウ夫人を訪ねてお喋舌しやべりをした。そして上機嫌になつて口笛を吹き/\帰つて来た。すると入口いりくちに細君が衝立つゝたつてゐて、亭主の姿を見るなり、鵞鳥のやうに我鳴り立てた。
貴郎あなた、そんな身装みなりをしてお隣家となりへ往つてらしたんですか。襟飾ネクタイもつけないで、何てまあ礼儀を知らない方なんでせう。」
 小説家は一寸立停つて、なさけない顔をしたが、その儘一言も言はないで書斎に入つて往つた。そして二三分すると、女中を呼んで小さな箱を隣りのストウ夫人のとこまで持たせてやつた。
 夫人は不思議さうに箱をけてみた。なかには黒い襟飾ネクタイに手紙が一本添へてあつた。
「これが私の襟飾ネクタイです。どうぞ手に取つて御覧下さい。私は今朝三十分ばかしお邪魔をしたと思ひますから、三十分程御覧になつたら、直ぐ御返しを願ひます。実は襟飾ネクタイといつてはこれ一つなんですから。」
 ストウ夫人は命令通いひつけどほり三十分程襟飾ネクタイを見てゐた。その間に煮物が焦げついたかうかは、私の知つた事ではない。


寄附謝絶

3・5

 高野山といへば、古美術や古文書こもんじよなどの多く残つてゐるので聞えた山だが、それに目星をつけて方々より狩出しに来るものが多いので、近頃はめつきり宝物ほうもつの数が少くなつた。
 それを心配したのが、朝吹英二、益田孝などいふ骨董好きで加之おまけに世話好きの連中れんぢゆうで、(この連中れんぢゆうが世話好きか、骨董好きか、どつちか一つだつたら、もつと始末がかつたのだ)今の内に何とか工夫をしなければ、こゝ五六年も経つと、山は悉皆しつかいがらん堂になつてしまふかも知れない、それには今迄のやうに宝物を物の判らない、よくぱり僧侶ばうずまかせて置いては安心が出来ない、なんでも博物館を一つ拵へて、そこに取纏とりまとめておくに限ると言ひ出した。
 でその費用は一般の寄進からとあつて、大きな奉加帳ほうがちやうが順繰りに富豪連かねもちれんの手に廻される事になつた。それを何番目かに請取うけとつたIといふ富豪かねもちは発起人の顔触かほぶれを見ると、急に苦い顔をした。
「折角だが、私はお断りをする。」と富豪かねもち使者つかひの前へ大きな奉加帳を押戻した。「だがお断りをすると云ふだけでは君もお困りだらうから、つまんで理由わけをいふと――」といぬのやうに冷さうな鼻をした使者つかひの顔を見た。使者つかひは自分の顔の上を寄附金が跣足はだしで逃げ出しでもするやうに、目をくしや/\させた。
「一体朝吹君や益田君は、以前せつせと高野山を渉猟あさり歩いて、自分の蒐集コレクシヨンを拵へた人達なんぢやないか。」と富豪かねもちきりのやうな言葉を投げつけた。「それだのに、今となつて、ほかの人達が自分の真似をするのを嫌つて、その防ぎをしようなんて、余り虫が好過よすぎるよ。私も高野の宝物保存に就いては異議は無いのだから、朝吹君や益田君が自分達が以前狩り集めた物を返却かへすといふ条件付なら、何時でも寄附に応ずる。」
 使者つかひは幾度かお辞儀をして帰つた。次ぎの日、その富豪かねもちを訪ねて来たのは三越の野崎広太氏だつた。
昨日きのふは偉い権幕だつたさうだね。君の言ふ事には吾輩も大賛成だよ。すつかり溜飲を下げちやつた。」と野崎氏はデパアトメント・ストアのやうな大きな口をけて笑つた。「で、その賛成者の吾輩がお勧めに来たのだから、今日は一つ顔を立てて貰ひ度いもんだな。」
 富豪かねもちかぶりらうとしたが、頭が木片きぎれででもこさへてあるやうに重かつた。
「いや、僕は昨日きのふ言つたやうな理由わけで、自分から進んで寄附は出来ない。その代り明日あすから暫く旅行をするから、君の手でいやうにはからつて置いて呉れ給へ、君のはからひなら異存は無い。」
 野崎氏はいやうにはからつた。富豪かねもちあと金高きんだかを聞いて、自分の胸算用より少し出し過ぎたなと思つた。ちやう婦人をんな客が百貨店デパートメントストア帰途かへりにいつも感じるやうに……。


斜視睨やぶにら

3・8

 米国の副統領マアシヤル氏が先日こなひだ議会のくちで写真師二人に呼びとめられた。相手はいづれも新聞社の写真師であつた。
「閣下少し右の方へお向き下さい。」
と一人の写真師が言つた。すると今一人の写真師は、
「どうぞ左の方へ少し……」
と言つて腰をかゞめた。
 マアシヤル氏はあいにく顔を唯一つしか持ち合はさなかつたので、仕様事せうことなしに、先づ一人の写真師の方を向き、それから次ぎの方を向いてやつた。
「有り難う。」
 写真師は挨拶をしたまんまで、直ぐ右と左とに別れようとした。
「一寸待ち給へ。」副統領は呼びとめた。「君達の用事は済んだかも知れないが私の方に少し言ひ分が残つてゐるから。」
 写真師はちらと変な眼付をはしながら立ち停つた。
「君達はむかし/\斜視睨みの男が牛を殺さうとした話を聞かなかつたかい。」と副統領は哲学者のやうな静かな、皮肉な口風くちぶりで話し出した。「斜視睨みの男は自分の助手に言つたさうだ。おい、俺は牛の眉間みけんどやしつけようと思つてる。だから、うまく牛を持つてゐて呉れなくつちや困るつて。」
「へえ……」と言つて二人の写真師は小首をかしげた。
 副統領は言葉をいだ。
「『旦那、お前さんが睨んでる方へ牛の頭を持つてくんですかい』と助手が訊くと、斜視睨みの男は、『さうだよ、解つてらあね』と怒鳴りつけた。すると、助手は『ぢや勝手にするがいゝ。お前さんの眼は両方を睨んでるが、牛には頭は一つきや無いんだからね。』」
 写真師は顔を真赤にしてげ出した。そしてあとゆつくり考へてみると、成程米国の副統領には顔は一つしか無かつた。ちやう屠牛所とぎうしよの牛と同じやうに。

先日こなひだの茶話「の謝礼」のなかにあつた、都路華香つぢくわかう氏の話は事実が違つてゐると、同氏から申越されたから取消す。氏は言つてゐた、「自分には鼻毛を引抜く程の勇気はありません」と。


名妓とてん

3・9

 光村利藻氏がまだ全盛を極めてゐた頃、その須磨の別荘には、色々な骨董物が沢山どつさり置かれてあつた。だが、主人利藻氏は、古い骨董物ばかりいぢくつては居ないといふ証拠に、その真中に若い女を一人置いてゐた。女は美しい豆千代であつた。
 その頃竹内栖鳳氏は、度々たび/\招かれて利藻氏の別荘に往つたものだ。そして言ふ迄もなく、よくいた。利藻氏と豆千代と、豆千代の可愛かあいがつてゐた三毛猫とは栖鳳氏の身辺まはり取捲とりまいて、じつと画の出来るのを待つてゐた。利藻氏と豆千代とは、画がよく解るやうに、時々感心したやうにうなづいたり、小首をかしげたりしてゐたが、なかで三毛猫は一番正直だつた。画が始まると、せなを円くしてぢき居睡ゐねむりをし出した。
 仏蘭西の作家モリエエルは、自分の作物さくぶつが出来上ると、先づ婆さんの女中に読み聞かせてみて、婆さんの解らないところは幾度か書き直したといふ事だ。栖鳳氏もその頃は何か描き上げると、そばに居る者を振りかへつて、
「あんた方の眼には何に見えますか。」
と訊いてみて、その返事によつては、惜し気もなく、いたばかしの画を塗り潰したものだ。
 ある時も栖鳳氏は荒野にてんを配合した絵をきあげた。そして出来上ると、いつものやうに豆千代を振かへつてみた。
「あなたにはこれが何と見えますな。」
「さあ」と豆千代は当惑さうに美しい眉をしかめて利藻氏の方を見た。そして低声こごゑになつて「旦那はん、あれ狐だつしやろか、それとも狸……」
 利藻氏は慌てて豆千代の袖を引張つた。もしか狐だの、狸だのいふ言葉が、栖鳳氏の耳にきこえようものなら、画家ゑかきは折角うまく出来た絵を塗りくつてしまふかも知れない。それにしては金屏風が勿体なかつた。
 豆千代は利藻氏の顔を見た。利藻氏は掌面てのひらの上へ指先で「テン」と書いてみせた。豆千代は狐や狸はよく知つてゐたが、貂といふけものは見た事も聞いた事も無かつた。でも、折角旦那の教へて呉れる事だ、間違は無からうといふので、
「先生、貂だつしやろ。」と言つた。
「さうだ、貂だ/\、貂に違ひない。」と利藻氏も声を合はせた。
「やつぱり貂に見えますかな。」と栖鳳氏は安心したやうに筆を置いて笑つた。「はゝゝ……」
 その笑ひ声が余り高かつたので、先刻さつきから居睡りをしてゐた哲学者の三毛猫は、吃驚びつくりしたやうに眼を覚まして皆の顔を見た。だが、笑つたのは、うやら自分の事では無いらしいので、直ぐ恋男の隣家となりの黒猫の事を思ひ出した。


百万長者

3・10

 播磨はりまの伊藤といへば往時むかしからの百万長者、随分むつかしい家憲もあれば家風もある。気の毒にもそんななかに生れ落ちたのが今の伊藤長次郎氏。
 長次郎氏ははやくから父に死別しにわかれたので、本派本願寺の利井明朗かゞゐめいらう氏の手で色々と薫陶せられた。利井氏は真宗の坊さんだけに、阿弥陀様ともごく懇意だつた。で、自分の手にへないところは、如来様の手でしつけて貰ふ事にお願ひした。
 阿弥陀様は長い事お慈悲の一天張てんばりで本願寺の後見をして来たが、そこの坊さんはうも金費かねづかひが荒くて世間の評判がくなかつた。で、今度だけは幾らか手加減をしたものと見えて、長次郎氏は石のやうに堅い人間に出来上つた。
 長次郎氏は五十歳のこのごろまで、まだ芸妓げいしやといふ者の顔を見た事もなかつた。ある時、出入の男が長次郎氏が五銭銅貨のやうに青い顔でふさぎ込んでゐるのを見て、気晴しにめかけでも置いたらうかとお追従ついしようを言つてみた。
 長次郎氏の顔は急に一銭銅貨のやうに真赤になつた。
「要らん事を言ひなさるな、わしにはとうから妾宅はあるぢやないか。」
「へえ、さやうで御座いましたか、ちつとも存じませんので。」
 その男がひどく恐縮すると、長次郎氏は※(「弗+色」、第3水準1-90-60)むつとした調子で、
「私の妾宅つてえのは果樹園の事さ。」
と言つたといふ事だ。
 その堅蔵かたざうの長次郎氏が、う気が変つたものか、近頃京都の岡崎辺へ立派な別荘を新築した。そして神戸中検なかけん梅幸ばいかう奈良米ならよね、千代、国子……といつたやうなをんな達と一緒に自動車に乗つて、春先の京都を乗廻したといふ噂が立つた。
 仲のいゝ地主友達が意見かた/″\容子ようすを訊いてみると、長次郎氏はいつものやうに手首の珠数を爪繰つまぐりながら、
「うむ、あつたよ。」とへんもない顔で答へた。「近頃芸者々々とひとが言ふから、世間が変つて来たのでさうもするものかと思つて、服部さんや村野滝川さん達を、別荘に招待せうだいするついでに、ついやつてみたばかしだがね、ぱり果樹園の方がいやうだ、をんなやかましくつてね……」
 成程林檎は沈黙家むつゝりやだが、芸者はよくお喋舌しやべりをする。そして一番悪いのは長次郎氏のやうな人に、よく解らない事を喋舌しやべる事だ。


父の遺産

3・11

 亜米利加の大富豪おほものもちロツクフエラアが、まだ年盛としざかりの頃、何処へ出掛けるにも、見窄みすぼらしい服を着て平気でゐるので、仲のいゝ友達は気が気でなかつた。
 友達はいづれもおめかしやそろひと来てゐるので、ある日の事辛抱がまんがしきれないでロツクフエラアに注意をした。
「いつかぢゆうから一度言はう/\と思つてゐたが、君の身装みなりは余りぢやないかね。」
 ロツクフエラアは腑に落ちなささうに友達の顔を見た。
ういふ意味なんだね、僕の身装みなりがあんまりだと言ふのは。」
 友達は情無なさけなささうな顔をした。ロツクフエラアが生れて一度も新約全書を読まなかつたと白状したところで、まさかそんな表情はすまいと思はれる程の顔だ。
ういふんだか、一寸見たら判りさうなものぢやないか。僕達と比べてみたまへ、君の身装みなりは随分見窄らしいぢやないか。」
 ロツクフエラアはやつと気がいたやうに、友達の身装みなりと自分のとを比べてみた。
「別に見窄らしくも無いぢやないか、唯君達のが綺麗過ぎるんだよ。」
「だつて……」と友達は焦慮じれつたさうに言つた。「君は吾々の仲間で一番富豪かねもちなんぢやないか。」
「さうかも知れんな。」と富豪は相変らず平気な顔をして言つた。「それにしたつて僕は別に見窄らしくも思はんが……」
「見窄らしいよ、何と言つたつて見窄らしいよ。」と友達はやけになつてわめいた。「第一君の阿父おやぢの事を考へて見給へ、阿父おやぢさんは何処へ出るにもちやんとした身装みなりをしてゐたよ。」
「さうだつたかなあ。」とロツクフエラアは白い歯を出して笑ひ出した。「だが、君、今僕の着込んでるのは、その阿父おやぢの服なんだよ。」
 親譲りの服だつたら、ロツクフエラアもどきに着られもしようが、親譲りの禿頭だつたらうしたものだらう。今の児玉翰長などは流石に孝行者で、あのとしかづらも着ないでじつ辛抱がまんしてゐる。


郡長と女中

3・13

 浜口たんといへば、前代議士で猪苗代電灯の重役である事は知らないでもよいが、近藤廉平れんぺい翁の娘婿である事だけはわきまへてゐて貰ひたい。さもないと茶話記者にとつてはなはだ都合のよくない事があるから。
 ついでに今少しく頭に余裕があつたら、大久保大阪府知事の相婿あひむこである事も記憶してゐて貰ひ度い。尤も近藤氏の娘だからと言つて、別段変つた事はない。たゞ里が工面がよいので、したがつて婿さんが会社で貰ふ俸給をそつくり自分の小使につかふ事が出来る位のものだ。
 浜口夫人はねえさんの大久保夫人と同じやうに良妻賢母を理想としてゐる。良妻賢母に無くて叶はないものは、柔和な猫のやうな良人をつとと、独楽こまのやうによく働いて呉れる女中とである。浜口夫人はその女中については、幾度か実家さとへ頼んでよこして貰つたが、なか/\気に入つたのが無かつた。
 いろ/\捜し廻つた結果が、浜口君の郷里に恰好なのが一人見つかつた。この女ならば良妻賢母の助手として申分はあるまいとの保証だ。浜口君の郷里といふのは、紀州の湯浅なので、愈々いよ/\呼び寄せようといふ段になつてはたと困つた。
 女中といふのは世間並に若い女である。若い女に一人旅はさせられないのは、きまり切つた事で、これだけはほかに何一つ教へてくれない学習院の女子部でも教へる事になつてゐる。(学習院の女子部といふのは、自動車の運転手と情死しんぢゆうした芳川よしかは夫人の母校である。)
 浜口君夫婦は、座敷のすみつこで顔を二つ寄せて思案をしてゐたが、暫くすると浜口君は礑と手を打つた。
「いい事がある、今朝の新聞に大久保君が東京へ転任するといふ噂が出てゐたよ。」
 無論そんな噂はあつた。だが、それは浜口家の女中問題とは関係なしに、内務大臣の頭の中に起きた考へだつたのだ。
 浜口夫人は「まあ、さうなの。」と嬉しさうに頷いた。
真実ほんとにさうだつたら、大久保の姉さんに連れて来て戴かうぢやありませんか。それは山出しの女中を連れるのは、姉さんもおいやでせうけど、でもいわ、属官がゐるんですもの、属官がみんな世話してよ。」
 大久保知事の転任は、とうと沙汰止みとなつた。その浜口家の女中がうなつたかは私の知つた事ではない。唯その世話をさせられる筈になつてゐた属官は、現に四国の某地で郡長を勤めてゐる。そして世の中に官吏ほど結構なものはないやうな顔をして、自宅うちの女中を叱り飛ばしてゐる。


青磁の皿

3・14

 故人小杉榲邨すぎむら博士の遺族から売りに出した正倉院の御物ぎよぶつが世間を騒がせてゐるが、同院が東大寺所管時代の取締がいかにぞんざいであつたかを知るものは、かうした御物が小杉博士の遺族から持ち出されたといつて、単にそれだけで博士を疑ふのはまだ早いやうに思はれる。
 むかし鴻池家に名代の青磁の皿が一枚あつた。同家ではこれを広い世間にたつた一つしか無い宝物ほうもつとして土蔵にしまひ込んで置いた。そして主人が気が鬱々くさ/\すると、それを取り出して見た。すべ富豪かねもちといふものは、自分のうちに転がつてゐるちり一つでも他家よそには無いものだと思ふと、それで大抵の病気はなほるものなのだ。
 ある時鴻池の主人が好者すきしやの友達二三人と一緒に生玉いくたまへ花見に出掛けた事があつた。一こんまうといふ事になつて、皆はそこにある料理屋に入つた。
 亭主は予々かね/″\贔屓ひいきになつてゐる鴻池の主人だといふので、料理から器までつたものを並べた。そのなかの一つに例の秘蔵の宝物と同じ青磁の皿に、一寸したつまさかなが盛られたのがあつた。
 鴻池の主人は吃驚びつくりして皿を取り上げて見た。まがかたもない立派な青磁である。そばにゐる誰彼は幾らか冷かし気味に、
「ほほう、結構な皿や、亭主、お前とこはほんまに偉いもんやな。鴻池家で宝のやうに大事がつとる物を突出つきだしに使ふのやよつてな。」
と賞めあげたものだ。
 鴻池の主人は、皿を掌面てのひらに載せた儘じつと考へてゐたが、暫くすると亭主を呼んで、この皿を譲つてはくれまいかと畳の上に小判を三十故並べた。亭主は吸ひつけられたやうに小判の顔を見てゐたが、暫くすると忘れてゐたやうに慌てて承知の旨を答へて、小判を懐中ふところぢ込んだ。
 鴻池の主人はそれを見ると、掌面てのひらの皿をいきなり庭石に叩きつけた。青磁の皿は小判のやうな音がして、粉々こな/\に砕けたと亭主は思つた。鴻池の主人は飲みさしの盃を取り上げながら言つた。
「あの皿はうちの物とそつくり同じやつた。同じ青磁の皿が世間に二つあるやうでは、鴻池家うちの顔に関はるよつてな。」
 そして眉毛一つ動かさうとしなかつた。
 一寸往時むかしの事を言つたまでだ。小杉家から出た宝物とは何の関係もない。


へそ無し男

3・15

 今大阪に来てゐる箏曲さうきよく家の鈴木鼓村氏は掘りかへされた何処かの古墳からでも這ひ出して来たやうに、相変らず闕腋けつてきを着け、冠をて平気で済ましてゐる。
 鈴木氏が以前備中びつちゆうの倉敷在にゐる或る友人を訪ねた事があつた。其処そこくには是非村境むらざかひを流れてゐる高梁川たかはしがはの渡し場を越さねばならなかつた。
 渡し場の船頭は、大きな図体に闕腋を着け、冠をた鼓村氏の姿を見て、天国からちて来た人ででもあるかのやうに、目をみはつて吃驚びつくりした。
「貴方は何様なにさまで御座いますな。」
 船頭はおそる/\訊いた。
 鼓村氏は剽軽へうきんな間に合せを言ふ事にかけては立派な芸術を持つてゐる男だ。誰でもい、氏に、
「君の腹はまるで粉袋のやうに膨れてゐる、屹度臍なんか無いだらう。」
と言つて見るがいい。氏は屹度大きな掌面てのひらしたぱらを押へた儘、低声こごゑになつて、
「よく知つてるね、誰にも言つて呉れちや困るが、実際僕の腹には臍が無いんでね……」
と真面目になつて言ふにきまつてゐる。
「貴方は何様で……」といふ船頭の言葉を聞いた瞬間、鼓村氏はすつかりその何様になつてしまつた。
わしかの、わしは京都から来たものぢやが、この村にSといふ男が居るかの。」
 鼓村氏は芝居の台辞せりふがかつた調子で言つた。
「はい、りますでございます。」
わしはそのSといふ男に位を授けにくだつて来た者ぢや。」鼓村氏は自分でももう実際宮内省から来た者の様に思つてゐた。「粗忽そさうがあつてはならんぞ。」
「御苦労様に存じます。」
 船頭は船底に虫のやうに平べつたくなつてゐた。
 鼓村氏は二三日その友人のとこで遊んだ。帰途かへりにその渡し場を通ると、矢張り同じ船頭が待つてゐて、慌てて頬冠ほゝかむりを取つた。その瞬間鼓村氏は二三日前の悪戯いたづらを思ひ出した。で、しかつべらしく言つた。
「船頭、位は無事に授けたぞ。このともSは大事にしてつかはせ。」
かしこまりましてございます。」
 船頭は大阪府のランチが後藤内相を送るやうに、おつかな吃驚びつくりに鼓村氏を乗せて水を渡つた。鼓村氏はふなばたから蛙のやうな恰好をしてぴよいと向う岸に飛んだ。
 お蔭で氏は渡し銭を払ふ事を忘れてゐた。船頭も無論そんな事は思つてゐなかつた。のみならず友達のS氏にまで、その後二三ヶ月といふもの、どうしても渡し銭を貰はうとしなかつた。


大蛇おろちたゝり

3・16

 出雲大社教の管長千尊愛氏は、この十日頃、随員と一緒に舞鶴まひづるへ乗込み、十一日には加佐かさ和江わえ村の和江神社で清祓式きよはらひしきを挙げた。そして式が済むと、鉄瓶のやうにおなかの蓋を持ち上げて、ほつと大きな息をいた。
 何故息をいたかといふと、こんな式位で噂に聞いた大蛇おろちの祟りが無事にけられるものか、うか疑はしかつたからである。
 和江村の大蛇おろちの祟りに就いては長い因縁譚いんねんばなしがある。それは二三年前に竣功した由良川尻ゆらがはじり瀬戸島せとじま石除いしよけ工事に関聯したもので、この瀬戸島の蔭には往時むかしから大蛇おろちが棲んでるといふ伝説があつて、石除工事が行はれると聞いた時には、部落の農夫ひやくしやうは何事も無ければよいがと案じたものだ。
 だが大蛇おろちは大阪の実業家のやうに、土木技師に賄賂わいろを使ふ事を知らないので、石除は何の遠慮もなく取行とりおこなはれた。お蔭で大蛇おろちはその頃から棲むうちが無くなつてしまつた。
 棲家すみかの無くなつた大蛇おろちは、自然人間の胸に巣を組まねばならなくなつた。それからといふもの、和江村には従来これまで無かつた精神病者がどん/\出来出した。どの病人もどの病人も、きまつて蛇のやうに首を持ち上げた。そして、
わしは瀬戸島の大蛇おろちぢや……」
と気味の悪い囈言たはごとを言ひ言ひしてゐる。
 和江村では、その都度幾度か地方の神官を招いて、清祓式をつてはみるが、一向効目きゝめが無くて狂人きちがひは殖えるばかりなので、いつそ大社教の管長様を迎へたらといふ事になつて、さてこそ千家管長の乗込みになつた。
 だが、実をいふと管長も農夫ひやくしやう狂人きちがひにする事は知つてゐるが、(農夫ひやくしやう狂人きちがひにするには、思ひ切り村税を取立てるか、麦畑を踏み荒したらそれで十分だ。)狂人きちがひを元の農夫ひやくしやうにする事は知らない。それに相手が大蛇おろちでは少し勝手が違つた。
 で、精々せい/″\念を入れて式を行ふ事にした。結構な事さ、世の中に女の離縁状以外には、念を入れ過ぎて悪いといふ事は、何一つ無いのだから……。


見え坊

3・19

 先日こなひだ米国のある地方で政治的の集まりがあつた。その席上で談話はなしいとぐちが、今の名高い政治家の宗教的所属といふ事に落ちて来た。
 宗教的所属といつただけでは、日本の政治家の前では一向通じないかも知れない。物は試しだ。先日中こなひだうち大阪に来てゐた尾崎愕堂氏をつかまへて、
「貴方の宗教は?」
唐突だしぬけに訊いてみるがい。愕堂氏は屹度鉛筆のやうに身体からだ真直まつすぐにして、
「宗教つて死んで地獄へく事でせう。それならば私は今日風邪を引いてゐるから、なほつてからゆつくり出掛ける事にしませう。」
と言ふにまつてゐる。
 宗教つてそんな物ではない。真実ほんとうの事をいふと接吻きつす賭博ばくちや、医者の診断みたてと同じやうに生きてゐるうちにすべき事で、宗教家の言ふ所によると、何でも宗教さへ信じて置けば借金などは打拾うつちやつて置いても差支さしつかへないものらしい。
 だが、そんな詮議はうでもいとして、その折誰かがブライアン氏の宗教は何だらうと言ひ出した。すると、そばにゐた浸礼バプチスト教会派のある政治家が、
「近頃宗旨更しゆうしがへしてね、僕達と同じやうに浸礼バプチスト派さ。」
と知つたかぶりを言つた。
「え、浸礼バプチスト派になつたつて。」と隅つこで居睡りをしてゐた美以美メソヂスト派の田舎政治家が、眼を覚ましざま怒鳴つた。「嘘いふない、そんな筈があつて溜るもんかい。」
「嘘なもんか、真実ほんとに宗旨更へをしたんぢやないか。」
と前の男は、後方うしろを振向いて口を尖らせた。
「うんにや……」と美以美派の田舎政治家はかぶりつた。「そんな筈は無い。一体何だらう、君達の浸礼バプチスト派では、お宗旨に入る時頭を水にけるんだつていふぢやないか。」
「さうだよ。それにしたつてブライアンさんの宗旨更へに関係は無からうぢやないか。」
「有るともさ、大ありだ……」と美以美派の田舎政治家は立ち上つて演説でもするやうに手真似をした。
「考へてみたまへ、あのブライアンのやうな男が一寸のでも世間から顔を隠して、頭を水に漬けるなんて、そんな事が考へられるかい……」


隈侯わいこうと勇

3・21

 さきの総選挙に隈伯後援会として打つて出て、今では同志会の胃の腑に吸ひ込まれてゐる議員の誰彼が、先日こなひだ早稲田のおやしきを訪ねて、今度の総選挙に対する老侯の意見を訊いた事があつた。
むかしから智仁勇といふ言葉がある。」と侯爵はかう言つて、魚のやうに口をとがらせて皆の顔を見た。「手つ取早くたとへてみたら、智は狐、仁は庄屋、勇は鉄砲であるんである。」と言つて、せた筋だらけのかひなを鉄砲のやうに、客の鼻先に突き出した。
「で、古昔むかしから智仁勇と文字通りに順序を付けて、智を第一位に置いたやうぢやが……」と侯爵は前に突出したかひなをだらりと狐の尻尾のやうに卓子テーブルの上に投げ出した。「智は畢竟つまり狐で、いたづらに疑ひが多くて、かへつて事業の妨げとなつたんである。」
「御説、御説、全く御説の通りで……」と一番右手に居た男は、感心したやうに禿頭を後から撫で下した。この頭は幸福しあはせにも今日まで一度だつて「智慧」の厄介になつた事が無かつた。
 侯爵はその頭をじろりと見て変な顔をした。
「次は仁で、先づ庄屋のお人好しといつた所ぢやが……」と投げ出した手を庄屋のやうに胸の上でんだ。「ぢやが、当今のやうな時勢では、得て狐の智慧にだまされ易くての。」
「御意、御意……」と一番左の男は、気に入つたやうに二三度頷いた。この男は前の選挙に落選したのを、何よりも自分が仁者である証拠だと、今でも思つてゐるのだ。
「所で最後の勇ぢやが……」と侯爵はんだ手をほどいて、鉄砲のやうにまた前へ突き出した。「今の政界に立つて、所謂いはゆる高遠なる理想を行ふには、何よりも勇が無くつちやならんのである。そこで吾輩は近頃智仁勇の代りに勇智仁と言つて居るんぢや……」と言つて、筋ばつた拳骨げんこでもつて卓子テーブルを一つどしんと叩き付けた。
 その勇気におつ魂消たまげたやうに、其辺そこら珈琲コーヒー茶碗はがち/\と身顫みぶるひをして飛上つた。
「成程勇でごわすな。今度はお互に一つ勇でもふるひませうわい。」
かくは寒さうな顔を見合はせて、一緒に立つて侯爵にお辞儀をした。そして玄関で待たせたくるまに乗ると、言ひ合せたやうに体を鯱子張しやちこばらせて「勇だ/\。大いにるぞ」と強ひて附景気つけけいきをしてゐた。
 侯爵はうまいことを言つた。「智」だの、「仁」だの、そんな結構な物の持合せの無い男には「勇」で納得させるに限る。それに何よりもいのは「勇」はお説教一つで十分で、侯爵の腹を痛めずに済む事である。


船株成金

3・22

 広海ひろみ二三郎といへば、人も知つてゐる通り船成金ふななりきんの一人である。船成金といへば、大抵船を売買うりかひして懐中ふところを膨らませた連中れんぢゆうだが、広海氏のは少し違つてゐる。
 一しきり船成金の声がやかましく言ひ伝へられた当時、広海氏も世間並に船で一まうけしたいと思つて、胸算用をにこ/\顔で包んで、のつそり川崎造船所の門を入つて往つた。
 その日はぽか/\暖かくつて、金儲けを考へるには勿体ないやうな日和であつた。造船所の上にはとびが鼻唄をうたつてゐたが、お天道様てんとうさまや鳶に用事の無い広海氏は掛りの顔を見ると直ぐと切り出した。
「船が註文し度くてやつて来ましたのだが……」
「毎度どうも有雉う御座います。」造船所の掛員かゝりいんは油で固めた頭を弾機細工ばねざいくのやうに器用に下げた。
 広海氏は言つた。
うでせう、一トン二百七十円位で約束が出来ますまいか。」
「二百七十円!」造船所の掛員は広海氏の顔を見て、盃のやうな口元をして笑ひ出した。「御冗談もんでせう、今時そんな値段で貴方……えへへへ……」
たいな笑ひ方だな。」と広海氏は少し※(「弗+色」、第3水準1-90-60)むつとした。「二百七十円と言つたが、そんなに可笑をかしいんですか。」
「でも貴方。」と造船所の掛員は、又しても笑ひたくなるのを強ひて押へつけた。そして右手に長く寝そべつてゐる、一さうの新造船を指さした。「あれが一噸四百円のお引受でしたもの、今ぢや四百五十円を一文欠きましても……」
「四百五十円……真実ほんとですか。」と広海氏は何処を見るともなくじつと考へ出した。空には相変らず、鳶が鼻唄を謡つてゐる。暫くすると、広海氏は帽子を脱いで叮嚀にお辞儀をした。「いや、どうも有り難う御座いました。」
 造船所の掛員は、葬式とむらひの帰りに、一度こんなお辞儀に出会でくはして以来このかた久し振の事なので、ひどく度胆を抜かれてしまつた。
 それから二三日すると、川崎造船所の株が蒼蠅うるさい程しきりと切り替られた。名前を調べてみると、いづれも皆広海氏なので、造船所の掛員は「あゝ、さうだつたか」と初めてあの叮嚀なお辞儀の理由わけが判つた。
 広海氏に教へる。欧洲戦争此来このかた死人が殖えたので、今では三の川の船渡ふなわたしが大分だいぶん儲かるといふ事だ。株を買ふなら今のうちである。


大井卜新ぼくしん

3・23

 今度の総選挙に堺市から打つて出た大井卜新氏は数多い議員のなかで、たつた一人しか持てない大望たいまうを抱いてゐる。大望といふのはほかでもない、当選したら議員の最年長者として迎へられようといふのだ。
 卜新氏は天保五年生れの今年八十四歳だといふから、成程当選でもしたら屹度最年長者といふ事になるだらうが、こゝに一寸困る事があるといふのは、卜新氏は自分が薬屋である立場から、平素ふだん医薬分業を唱へて議会でも何かのどさくさ紛れにはそれを持出さうとする。
 それを知つてゐる堺の医者連は、卜新氏が戸別訪問にやつて来て、
「何分よろしう。」
と、天保五年以来このかた一度もへた事のない頭を下げると、急に忙しさうな顔をして、
「や、選挙ですか、うも今度は色々いろんな人から頼まれましてね。」ときまつたやうに汚れたカルテへ間違だらけの独逸語を走り書する。「それに大井さんの御持場おもちばは、確か医薬分業でしたつけね。」
「いやうも御記憶のいゝ事で。」と卜新氏は長い間生薬きぐすりと女の唇とをめて来たらしい口をけて笑つた。「あれは往事むかしごと拙者せつしやももう当年八十四歳になりますでな。」
 八十四歳を売物にしてゐる卜新氏は、とうと医師会に一さつを入れた。一札には今度都合よく当選したら、医薬分業の提議だけは、どんな事があつても出さない、拙者ももう八十四だからといふ意味合の事がしたゝめてある。
 往時むかしから一札の値段は、医者の診察みたてと同じやうに兎角あやふやなものだが、病人に医者の診察みたてを信じるものがあるやうに、医者が一札を信じたところでそれに少しも差支さしつかへはない。しかし卜新老の首根つこを押へつけて、議会で分業論を言はせまいとするには、もつとい分別がある筈だ。
 い分別といふのはほかでもない、もしか卜新老が約束にそむいたら、持前のお医者の腕をふるつてみせる事だ。ゲエテが言つたぢやないか。医者に何一つい事はないが、若い女の手が握られるだけが取柄だと。卜新老は人も知つてる通り若い妾を可愛かあいがるので名高い人だ。


半江はんかうふく

3・24

 松本松蔵氏に一つの希望がある。――といふと、気の早い人達は、
「なに松本に一つの希望があるつて。一つなもんか、希望なら四つも五つもつてら。その証拠には咋宵ゆうべ……」
と、昨宵ゆうべどこかで見た事まで引張り出さうとする人があるかも知れないが、そんな事はまあうでもよい。
 松本氏の希望といふのはかうだ。氏の養父松本重太郎氏が老年になつてあゝした悲惨みじめな境涯に陥つた。その当時整理の為に多くの書画骨董を投げ出したが、それは重太郎氏が何よりも大事にかけてゐた品だけに、見るから気の毒な事が多かつた。で、出来る事なら、当時の秘蔵品を一つ一つ買ひ戻したいといふのだ。
 だが、その当時の秘蔵品は、今では散々ちり/″\ばらばらにちらばつて、容易に持主を捜し当てる事が出来なかつた。ところが、この頃になつて唯一つ半江の密画山水が岡山の多額納税議員星島謹一郎氏の手にある事が判つた。
 半江のそのは、重太郎氏が数ある蔵幅のなかでも一番好いてゐただけに、松蔵氏は何とかして買戻さねば承知出来なくなつた。で、最近人手ひとでで星島氏に談判を持込んだ。
「御承知だつしやろが、松蔵はんはえら孝行者かうかうもんだしてな。」と仲に立つた男はくすぐつたさうな顔をして星島氏に言つた。「あんさんとこにあの幅が納まつたある事聞かれますと、途方もない喜ばれましてな、親父おやぢの為めや、金はなんぼでも出すよつて貰うて来いと、こないに言はれますのやよつてな。」
 床の間にはその半江の幅が懸つてゐた。星島氏は馬のやうな長い顔を持ち上げてその画を見た。画には胡瓜きうりのやうな山や仙人やがいてあつたが、何処が良いのかさつぱり判らなかつた。
 星島氏も親孝行にかけては松本氏にひけを取らなかつた。
「さう承はつてみれば何とかしてお譲りしたいんだが。」と星島氏は馬のやうにばち/\またゝきをした。「実をいふと、この幅は私の親父が存命中に手に入れたので、私一存ではうとも計らひ兼るのです。で、まあ折角だがお絶念あきらめ下すつて……」
 かう言つて星島氏は孝行者らしく狐のやうな軽いせきを二つ三つした。その瞬間仲に立つた男は、孝行者の松本氏も同じやうな咳をした事を想ひ出して可笑をかしくなつた。


芳賀はが矢一

3・25

 芳賀博士はこの頃倫敦ロンドンで重い眼病にかゝつて、うやら盲目めくらになつたらしいが、知辺しるべの少い旅先での病気は誠に気の毒に堪へられない。
 博士は国文学者には珍しい気焔家だけに、布哇ハワイやカリフオルニヤでは日本人を集めて、国語教育について随分にくまれぐちを利いたものだ。
 加州のある土地で、博士は在留日本人から招待せうだいを受けて一せき国語教育の講演をした。博士のお喋舌しやべりと言へば、いつでも国語教育の一点張で、相手がおしであらうが梭魚かますであらうが、博士はそんな事には頓着なく、ひまさへあれば直ぐ国語教育の談話はなしを押しつける。
「民族の発展は何よりも国語に基礎を置かなければならぬ。」と、博士は八九年前本郷の洋服屋で拵へたフロツクコートの隠しから手巾ハンカチを引張り出しながら言つた。「諸君が米国における事業はまことに立派なものだが、それ以上に諸君は日本語を普及させなければならぬ。」
 手巾ハンカチ雑巾ざふきんのやうに黒かつた。博士はそれで脂ぎつた顔を撫でまはした。「だが、日本語とは諸君のつかつてゐるやうな言葉ではない。諸君のは山口や和歌山の訛言葉なまりことばで、ぽんの日本語といつたら、先づ私の遣つてゐるやうな言葉である。」
 博士はかういつて、その生一本な日本語を使ひ馴れた唇を、雑巾のやうな手巾ハンカチぬぐつて壇を下りた。
 それから博士はシカゴへ往つた。そして大威張りで土地ところ一番のブラツクストンホテルへ泊つた。土地不案内な博士はある日日本の留学生を一人連れて散歩へ出た。そして日本で買つた繻子張しゆすばり蝙蝠傘かうもりがさをつきながら、例のだくだくのフロツクコートで大股に町を歩いてゐた。
 博士は途々みち/\民族の発展と日本語の普及とを考へてゐた。そしていゝ気になつて繻子張の蝙蝠傘をり廻してゐるうち、傘の先でしたゝか前に歩いてゐる大男の肩を叩いた。その男は振向いて怖い顔をした。
『日本国民性十講』の著者は慌てて帽子に手をかけた。そして大声にわめいた。
「や、どうも失礼しました。」
 その言葉は英語でも仏蘭西語でもなく、生一本の日本語だつた。――博士は物の十分間も経つた頃、思ひ出したやうに、
「あ、今のは日本語だつたな、気の毒にヤンキイには解らなかつたらう。」
と言つて、残念さうに舌打をした。


弁護士

3・27

 米国の大統領リンカンがまだ田舎弁護士で齷齪あくせくしてゐた頃、ある時訴訟用で小さな田舎町に旅立をしなければならぬ事になつた。
 ついでだから言つておくが、リンカンが田舎弁護士をしてゐたのが事実だからといつて、田舎弁護士が大統領になると限つたものではない。弁護士といふものは、いつも自分に勝手な理窟をつけたがるものだから、この点だけは特に言つて置かなければならぬ。
 その晩リンカンが泊る筈になつてゐる旅籠屋はたごやは、停車場ていしやぢやうから十四マイルほど引込んだところにあつた。リンカンはがた馬車に乗つて旅籠屋に出掛けた。途中で雨が降り出した。弁護士は路傍みちばたのごろた石と一緒に、頭からぐしよ濡れになつた。
 宿に着いたリンカンは附近あたりを見廻して、不機嫌な顔をした。部屋は馬小舎うまごやのやうに薄汚かつた。その上暖炉ストーヴには小さな火しか燃えてゐなかつた。火の周囲まはりには田舎の旅の者と仲間の弁護士が四五人、亀縮かじかむだ手を出してふるへてゐた。どの手もどの手もまだ運を掴むだ事が無いらしかつた。
 皆は木片きぎれのやうに黙つて衝立つゝたつてゐたが、暫くすると、仲間の一人がリンカンに言つた。
ひどみるぢやありませんか。」
「さうですね。」とリンカンは返事をした。「地獄の熱さも溜らないが、こゝの寒さもまた格別ですね。」
「へえ、地獄の熱さですつて。貴方地獄においでになつた事があるんですか。」
と田舎客が口を出した。
「居ましたよ。」リンカンは真面目くさつて言つた。居合せた弁護士は、顔を見合はせてにやりと笑つた。いづれも腹の減つた様な笑ひ方だつた。
 田舎客は険しい顔をして訊いた。
「そいぢや伺ひますが、地獄つてどんな処ですかい。」
ちやうどこゝのやうな処でね。」と未来の大統領は吐き出すやうに言つた。「法律家はみんな火の周囲まはりに立たせられて居ましたよ。」
 流石にリンカンだ。弁護士はしながらも、すべて法律家の霊魂たましひは焼栗のやうに地獄の火で黒焦くろこげにされるものだと知つてゐたのだ。単にこの点だけでも彼には大統領の値打はあつた。
 呉々くれ/″\も言つておくが、その晩暖炉ストーヴ周囲まはりに立つてゐた弁護士は五六人あつた。そしてたつた一人リンカンだけが霊魂たましひを焼栗のやうに黒焦にしないで済んだ。


うちへ来い」

3・28

 日本嫌いな広岡浅子女史が日本でたつた一人好きな人がある。それは大阪教会の宮川経輝氏で、女史の説によると、日本人といふ日本人は、あの世では大抵地獄に投げ入れられるにきまつてゐるが、宮川氏だけは屹度西洋人達と一緒に天国へのぼる事が出来るさうだ。
 天国とはどんない所か知らないが、宮川氏にしてもまる顔昵懇かほなじみのない、加之おまけに言葉に不自由な西洋の人達と一緒ではさぞ困り物だらうといふと、広岡女史は牝牛めうしのやうな声で、
「天国でお喋舌しやべりが何の役に立つんです。あちらでは唯顔を見てさへれば十分なんですから、言葉に不自由なぞ無い筈です。」
わめいたといふ事だ。成程聴いてみれば結構なところだ。結構には違ひはないが、それにしては雄弁家の宮川氏に取つてひどく物足りないかも知れない、宮川氏は何よりも「聴衆きゝて」が好きなんだから。
 ある時広岡女史と、今丹波辺の田舎にゐる女伝道師とが落合つた事があつた。場所は四福音書と、安物の英和辞書と渡米案内の転がつてゐる教会の一室であつた。広岡女史はめつけるやうな調子で女伝道師に言つた。
「宮川さんのと貴方のお仕事を比べて御覧なさい。お恥かしくは有りませんか。私共は実際宮川さんお一人のお蔭で、世界が幾らか明るくなつたやうに思つてるんですよ。」
 女伝道師には、その瞬間宮川氏の禿頭を思ひ出して笑ふ程の余裕は無かつた。伝道師は直ぐに答へた。
「そんなに仰有るけど、宮川さんは殿方、私は女なんですもの、一様にはきませんわ。」
 今日まで一度だつて自分を女だと思つた事のない広岡女史は、それを聞くともう溜らないやうに身悶みもだえした。大きな膝の下では椅子が苦しさうに、ぎち/\泣き出した。
「へえ、貴女あんたは女ですかい。」と女史は顔を前へ突き出して、一段と声を張つた。「基督の福音を伝道しながら、御自分では女の積りでお居でだつたのかい。」
「さうですとも、女に相違ないぢやありませんか。」と女伝道師は口をとがらせた。だが、実を言ふと、この伝道師には少しも女らしい所は無かつた。さうかと言つて男とも見えなかつた。あけすけに言つたら、油の切れた古時計のやうに思はれた。
「意気地のない!」
と広岡女史は思はず大声で怒鳴つた。そしてはつと気がいて後を見ると、※(「木へん+眉」、第3水準1-85-86)なげしに懸つたゲツセマネの基督は吃驚びつくりしたやうにふるへて居た。広岡女史はつと立ち上つたと思ふと、大きな手で相手の肩を押へた。
「宅へきませう。宅の庭なら、幾ら貴方といがみ合つたつて構はないんですからね。」


森久保作蔵

3・29

 森久保作蔵といへば埼玉さいだま壮士の親分で、自由党以来の強面こはもてだが、その森久保に他人の思ひもつかない立派な芸当がある。
 森久保氏の芸当といふと、精々せい/″\逆立さかだちか、馬の鼻面をめる位が、手一杯だらうと思ふ人があるかも知れないが、なかなか※(「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2-94-57)そんなものでない――。森久保氏の芸当といふのは、流行はやりの九官鳥と同じやうに物覚えがいといふ事だ。
 森久保氏は一度読んだ書物ほんなら滅多に忘れない。何枚の何行目にどんな文句があるといふ事まで、ちやんとそらんじてゐる。――尤もあの男の事だから、書物ほんといつたつてたんと読んでゐる訳でもあるまいが、源平盛衰記と太平記とだけはが悉皆すつかり暗記してゐる。(事によつたら、森久保氏が今日まで読んだ書物は、この二冊以外にはにも無かつたかも知れない。)
 頭の悪い政治家の仲間では森久保氏の記憶力はかなり評判ものだと見えて、政友会の本部で仕事のひまな折には、陣笠の誰彼が寄つてたかつて、よくその試験をつたものだ。
「よしか森久保君……」と陣笠は安本の太平記を盲探めくらさがしにけてみて「さ、新田義貞と勾当内侍こうたうのないしの色事のくだりだよ。」と眼についたその文章を一寸読み聞かせる。「新田左中将常に召されて内裏の御警固にぞ候はれける、ある……」
「もうい/\。」森久保氏は百姓のやうなこはつぱしい掌面てのひらを鼻先でり廻す。そして直ぐ説経祭文せつきやうさいもんのやうな節であとの文句を読み続ける。「ある月凄じく風冷やかなるに、この勾当の内侍半ばみすきて琴を弾じ給ひけり、中将その艶声に心引かれて、覚えず禁庭の月に立ちさまよひ……」
 まるで自分が内侍と色事でもしてゐるやうな調子で、若い変な声を出して何時いつ迄も読み続けるので、どんな相手でもついその記憶力に感心させられてしまふ。
 聞けば森久保氏は、その記憶のいのを自慢に、自分が長い間見たり聞いたりした事を土台として、自由党の内面史を拵へるといふ事だ。内面史だといふから、随分自分達の利益ためにならないくらい事をも書き残さなければならぬ筈だが、都合がい事には、森久保氏はすべて自分の利益ためにならぬ事は何でも忘れるといふ秘伝を知つてゐる。
 いゝ秘伝だ。達者に世の中を送らうとする者にとつて、※(「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2-94-57)こんな結構な秘伝はない筈だ。


二大問題

3・30

 富豪かねもちや会社の重役やが、数多い店員や社員の志望者をり分けるには、ちやうど女学校出の若夫人の八百屋の店先で、卵や甘藍キヤベツを見立てるのと同じに、人によつてそれ/″\ちがつた標準めあてがあるらしい。
 なかでも大阪商船の山岡順太郎氏のは、際立つて他人ひとのと変つてゐる。氏は入社希望者と応接室の卓子越テーブルごしに向ひ合ふと、あのけもののやうな顔をぬつと相手の鼻先へつきつけて訊くさうだ。
「君の故郷くには何処だつたけね。」と言つて。
 商船会社の志望者といつても、もとは大抵胡瓜きうり馬鈴薯じやがいもと同じやうにをかの上で生れたので、それ/″\自分の故郷といふのをつてゐる。
「はい、私は鳥取生れで御座います。」
「鳥取か。」山岡氏は両手を卓子テーブルの上につかぼうにして、顔をその上に載つけた。ごりごりした顎髯にも痛まない程掌面てのひらこはいらしかつた。「ぢや訊くが、鳥取では米は幾らしてるね。」
「米の値段ですか。」と年の若い入社志望者は、頭脳あたまで分らない事を、胃の腑に相談でもするらしく、ぢつと首をかしげて考へ込んだが、多くの場合頭脳あたまで判らない事は、胃の腑でも掻いくれ見当が立たないものだ。「さあ、幾らしてませうね、一寸分り兼ねます。」
「この男幾らか常識が乏しいと見えるな。」と山岡氏は相手に対する興味を半分かたいだらしく、獣のやうな顔をそろ/\掌面てのひらから持ち上げて、ぐたりと椅子のもたれに寄せかけた。「ぢや今一つ訊くが、君はまだ独身者どくしんものださうだが、ちよい/\女買ひはするかい。」
「何を仰有るんです。」若い志望者は唐辛たうがらしのやうに真赤になつてふるへた。「僕はまだそんな真似をする程堕落はしません。」
「さうか、それは結構なことだ。」と、山岡氏は残る半分方の興味をもすつかり無くしてしまつたらしく、のつそり立ち上りざま「いづれ近日何等なんらかの沙汰をしようが、余りあてにしない方がよからう。」とていよく志望者を送り出してしまふ。
 だが、肝腎の腹はその瞬間にすつかりきまつてゐるのだ。山岡氏の意見によれば、米のを知らないものは常識に欠けてゐる。性慾の談話はなしを汚い物のやうに思ふのは偽善者の証拠だ。偽善者と非常識とは会社に取つて何の役にも立たないといふのだ。
 いい了見だ。山岡氏の考へに微塵みぢんも違つた所はない――何故といつて、頭の半分で米の値段を考へ、あとの半分で性慾の事を考へるのが一番進歩した人生観だから。


小包の紐

3・31

 昨日きのふは大阪商船の山岡氏の社員採用法を書いたが、今日は米国アメリカ大富豪おほかねもちカアネエギイの事務員選択の方法を紹介する。
 カアネエギイは木片こつぱのやうな事務員でも、大抵は自分がぢかに会つた上で撰好えりこのみをする。すべてカアネエギイのやうに自分の腕一本で事業しごとに成功した男は、得て自分の腕を自慢する余り、自分の鑑定めがねをも信じたがるものなのだ。
 ある若い学校出の青年が二人一緒にカアネエギイの事務所に就職を願ひ出て来た。カアネエギイは先づその一人を応接間にび出した。青年は怖る/\卓子テーブルの前に立つた。
 百万長者はじつと青年の顔を見つめてゐたが、暫くすると立ち上つて後の棚から一つの小包を取り出して来た。
「これをほどいて呉れ給へ。」
 どんなむつかしい事をひかけられるだらうと、胸をどきどきさせてゐた青年は、やつと安心したやうに綺麗にくしの目の立つた頭を二三度下げた。そして叮嚀に小包のくゝひもを切つて、紙包みをほどいた。なかから出たのは、世界を堅麺麭かたパンのやうに水気の無い物にしたがつてゐるある宗教家の書物だつたが、青年は書物の標題みだしなどには頓着なく、克明に括り紐を継ぎ合せて、カアネエギイの前に差し出した。
 その青年と入違いれちがひに、今一人の男が喚び出された。そして同じやうに小包をあてがはれた。その男は小包を見るととびが鼠を扱ふやうに、いきなり括り紐をぷつりと引切り、紙包みを破つて中から一冊の書物を引出した。そして括り紐と包み紙とは一緒くたに丸めて紙屑籠にり込んだ。
 それを見てゐたカアネエギイは初めて気に入つたやうに頷いた。そして一語一語金貨の音のするやうな声で、
「明日から出て来なさい、事務員に採用するから。」と言つて笑顔を見せたが、前の青年はその儘不採用になつた。
 或る人がその理由わけを聞くと、カアネエギイはもない調子で、
今日こんにちはもう小包の四手紐しでひも節倹しまつするやうな時勢ぢやありませんからな。」
と言つたといふ事だ。成程立派な心掛だが、可笑をかしいのは近頃米独国交の雲行が怪しくなつて来たので、
「かうなつちや、何でも節倹しまつして置くに限る。」といつて、小包の四手紐を粗末にしないやうに事務員に言ひ付けてゐるといふ事だ。


婦人のいたづら

4・2

 宝塚の婦人博覧会を色々見てくうち、林なにがしといふ女が出品した鋏無はさみなしの造花といふものを見た。紙片かみきれを指でもつて花片はなびらや葉のかたいて、それを小器用にひねり合はせたものだが、案内者の説明によると近頃上流婦人の間にそれが流行となつてゐるのださうだ。
 鋏は色恋や愛国婦人会などと一緒に、婦人をんな玩具おもちやとして発明せられたものだから、それを使ふのに誰に遠慮はない筈だ。折角鋏といふ調法な玩具おもちやがあるのに、わざとそれを使はないで、指先の仕事一つで造花を拵へるなんて、女も男のやうに案外無駄の多いものだと思つた。
 むかしから画家ゑかきがよく指頭画といふ事をする。(亡くなつた夏目漱石なぞも、京都で初めてそれを見てひどく感心したといふ事だ。)大雅堂がある時その指頭画をつて、幾らか得意さうな顔をしてゐると、そばにゐた伊藤介亭かいてい(介亭は仁斎の三番目の子だ)がじつとそれを見て、
「大雅さんには近頃よい事をお覚えになりましたな。田舎へ旅立でもして、筆など一寸見当らない場合には重宝なもので御座らうて。」
ひやかしたので、大雅はひどく恥ぢ入つて、二度ともう指頭画をらうとしなかつたといふ事だ。
 むかし南唐に※(「火+(日/立)」、第3水準1-87-55)りいくといつて書画にたくみな人があつた。大きい文字を書く折にはわざと筆を用ゐないで、きぬをぐるぐる巻にして、その先に墨汁すみを含ませて、べたべたなすくるのをひどく自慢にしてゐたといふ事だが、これなどもまあ一寸したおもつきいたづらだ。
 でも芸といふものは嬉しいもので、鋏なしの造花をいぢくる婦人達は、何かの間違で監獄に入つても、まあ退屈なしにその日を送る事が出来ようといふものさ。


名物切めいぶつきれ

4・3

 名物切を集めてゐる人も少くはないが、加賀の前田侯ほどどつさり持つてゐるうちは二つとは有るまい。加賀侯の名物切といつたら往時むかしから好者すきしやの仲間で随分驚きの種子たねを蒔いたものだ。
 その噂を聴いた下村観山氏が、ある時伝手つてを求めて前田侯のやしきせて貰ひに出掛けた。無論の参考にする為で。画家ゑかきといふものは自分の「参考」のためには、若い婦人をんな裸体はだかにする事さへ平気なのだから、他人様ひとさまの土蔵をけさす事位は何とも思つてらない。
 名物切といふと、何処の秘蔵でも花骨牌はながるたの札か、精々大きくて慈善音楽会の招待切符せうだいきつぷ位のもので、加賀侯の名物切も観山氏の頭では無論そんなものだつた。
 ところが皺くちやな執事が、土蔵から取り出して観山氏の前にひろげたのはそんな小切こぎれでは無かつた。まるで呉服屋の店先に転がつてゐる緋金巾ひがねきんか何ぞのやうに大幅おほはゞのものだつた。観山氏はその前に鼠のやうに縮かまつた。
「いや、うも大したもので……」
と観山氏が腹の底から絞り出すやうに感心すると、執事はそれを引手繰ひつたくるやうに取り上げて、またちがつた古渡こわたりの織物を大幅のまゝ次から次へと取り出して来たさうだ。
 むかし唐の太宗皇帝は王羲之わうぎしの書を三千六百余りも持合せてゐた。何でも一まきの長さを一丈二尺で一軸としたもので、なかで蘭亭の叙が一番名高かつたといふ事だ。
 太宗はよく書が分つて、自分でも馬に乗つてゐながら、鞍坪くらつぼの上でしよつちゆう書をかく真似をしたといふ程だからいゝが、加賀侯の名物切は少し持ち過ぎてゐる。
 持ち過ぎてゐるやうにするには、名物切を世間にちらばらすか、それとも主人がもつと物識ものしりになる事だ。


蒙古牛

4・6

 奉天の総領事赤塚正助氏は正覚坊しやうがくばうのやうに酒が好きなので聞えた男だ。氏が前任地広東カントンから奉天への赴任途中久し振に郷里の鹿児島へ廻り道をした事があつた。
 鹿児島には名物の藷焼酎いもせうちうがある。そして藷焼酎を飲むためにこの世へ生れて来たやうな男も随分居る。赤塚氏はそんな男を相手に藷焼酎をしたゝか飲んだ。そしてさかなには支那の談話はなしをたんとした。支那の談話はなしだけに幾ら嘘をいても差支さしつかへないのが面白かつた。
 お蔭で赤塚氏はひどく腹をそこねた。そしてだらけきつた胃の腑を抱へて奉天へ来るには来たが、病気は捗々はか/″\しくはなほらなかつた。
 近頃満洲では鄭家屯ていかとん事件も無事に片付いたので、督軍張作霖がしきりと「日支親善」といふ事を言ひ出した。張作霖は螺旋ねぢを巻き忘れた柱時計の顔を見ても、飲み忘れた水薬のにほひいでも、直ぐこの合言葉を思ひ出すのだ。そして、
「さうだ、日支親善を忘れちやいけない……」
と直ぐ何かの名義をこさへて宴会をする。この男の考へでは、日本人と支那人とは蠅のやうなもので、さかづきふちか肉皿のなかでなければ仲善くはならないものらしい。
 先日こなひだもさういふ宴会が一つあつた。お客のなかに赤塚氏と呉俊陞ごしゆんしよう氏の顔が見えてゐた。呉俊陞氏はいつだつたか蒙匪もうひ襲撃の途中で肩をいためて、その後日本の医者のお蔭でやつとよくなつた男だ。赤塚氏はいふ迄もなく焼酎で胃の腑を損ねた総領事である。
 呉俊陞氏は不思議さうに赤塚氏の顔を見た。
「貴方うかしましたか、お顔の色がひどくすぐれませんね。」
 赤塚氏は※(「魚+祭」、第4水準2-93-73)このしろのやうな青い顔をして、羨ましさうに呉俊陞氏の脂ぎつた身体からだを見上げた。
「胃が悪くてね。好きな酒も飲めませんのさ。」
 呉俊陞氏はせた小狗こいぬいたはるやうに赤塚氏の肩へ手をかけた。
「ぢや、牛乳を召し上るんですね。何なら蒙古牛の乳をさし上げませうか。」
 そのあくる朝日本総領事館の門前へ、大きな蒙古牛が一頭連れ込まれた。腹の下には可愛かあいらしい仔牛が一つ乳房を含むでゐた。赤塚氏はその由を聞くと、寝衣ねまきの儘表へ飛んで来てにこ/\した。
「へえ、牛を送つて来たのか、乳をやるとばかし言つたんだがなあ……」
 その朝から赤塚氏は仔牛と一緒にちゆう/\唇を鳴らしながら蒙古牛の乳をすゝつてゐるが、何故呉俊陞が乳牛ちゝうしと一緒に、仔牛まで送つて来たのか、それだけは幾度考へても判らないといふ事だ。
 判らなければ教へてもよい。幾ら牛の乳でも藷焼酎のやうに煽飲あふりつけては、結句身の為めにならないといふ事をさとしたいからだ。仔牛を見よ、物を適宜に飲食のみくひするといふ事にかけては、総領事よりは余程悧巧である。


戸別訪問

4・8

「誰が出るだらうつて」――この頃では人が五六人集まると直ぐ選挙談が出る。(そのなかで三人までは驢馬ろばや女と同じやうに選挙権をつてゐない。そしてあとの二三人は釘と同じやうに誰を選挙していゝかを知らない連中だ。)で、今日は一つ選挙の事を書いてみる。
 此間こなひだ米国の大統領選挙があつた。その少し前ブライアン氏がミゾリイ州のある集会あつまりに招かれて出掛けた事があつた。ブライアン氏は好きな演説さへ出来る事なら、地獄へ旅立をするのもいとはないといふ人だ。
 ブライアン氏はそこで一ぢやうの演説をした。そしてすつかりい気持になつて、自分の椅子へ着くと、聴衆きゝてのなかから農夫ひやくしやうらしい人のささうな顔をした男が一人出て来た。
「へへえ、先生様で御座らつしやりますか。」その男は叮嚀に頭を下げた。「私選挙ちふといつでも此方こなた様に投票するだが、今度もまたさせて戴くかな。」
「さうか、それはかたじけない。」
 ブライアン氏は農夫ひやくしやう律義りちぎさうな言葉を聞いて、にこ/\しい/\手を出した。農夫ひやくしやうは嬉しさうにそれを握つた。その掌面てのひらの大きさといつたら、小麦の大束を握つた余りで、政治家の首根つこを縊める位は何でも無ささうだつた。
「先生様のお為めなら、わしい、何時いつだつて投票するだと、彼方あつちからも此方こつちからも持掛けるんで定めし先生様もお困りでがせうな。」
「いや、どうして/\。」とブライアン氏は苦笑ひをした。「私が困るのはそんな結構づくめぢや無くつて、実は私の為めには従来これまでだつて一度も投票した事も無ければ、今後もすまいといふ連中れんぢゆうなのさ。」
 さういふ連中は日本の選挙界にも無い事はない。議員の候補者はそれを口説き落さうとして、戸別訪問をする。戸別訪問といふのは議員候補者のほかには物貰ひしかしない方法なのだ。


悪物喰わるものぐひ

4・9

 故人夏目漱石氏の門下に芥川龍之助たつのすけといふ男がある。その芥川氏がある時急ぎの原稿を書くために、暫く千葉に旅をした事があつた。(東京の文士にとつて千葉や銚子は安物の天国である。)
 やつと原稿も出来上つたので、芥川氏は東京に帰つて来た。すると千葉の旅籠屋はたごや宛に出した漱石氏の手紙が、あとから追つ駈けて入つて来た。
 芥川氏は何心なにごころなく封を切つて読み下したが、暫くすると可笑をかしさうににや/\笑ひ出した。するとちやう其処そこかね心安立こころやすだて滝田樗陰たきたちよいん氏が女中に導かれて、ぬつと入つて来た。滝田氏は中央公論の編輯人へんしふにんで、小説家の首根つこを家鴨あひるのやうに縊めて、思ふ儘の原稿を書かせるので聞えた人だ。
 芥川氏はお客の顔を見ると、手紙を手に持つた儘、また一しきり溜らぬ様に笑ひ出した。
をかしいぢやないか、僕の顔を見ていきなり笑ひ出すなんて。」
 滝田氏はきよろ/\四辺あたり※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みまはしたが、手紙が目につくと、猿のやうに手を伸ばして、それをたくつた。
 手紙にはこんな事が書いてあつた。
「吾輩のとこに滝田樗陰といふ悪物喰の男がよく来る。来る時はいつも何か知ら風呂敷包を持込んで、吾輩にいろんな物を呉れる例になつてゐる。で、滝田が来たといふと、直ぐ風呂敷包を聯想れんさうし、今度は何を持つて来て呉れたらうと、つい好奇心が動くやうになつた。」
 滝田氏はにや/\笑ひ笑ひそれを読んでゐたが、
「いくら夏目さんだつて、悪物喰は余りひどいね。」
と言つて直ぐその場で漱石氏に宛てて、きつい抗議書を投げつけた。
 すると、そのあくる日、漱石氏から滝田氏に宛てた返辞が入つて来た。返辞にはこんな文句が書いてあつた。
「君を悪物喰といつたのは小生一生の不覚、自今じこん如何いかやうな事があつても悪物喰などとは決して申すまじ、後日のため一さつよつて而如件くだんのごとし。」
 滝田氏はそれで満足したやうに、叮嚀に手紙の皺をして手文庫のふたけた。手文庫のなかには、芥川氏に宛てた例の「悪物喰」の手紙がもうちやんと裏打をせられて入つてゐた。
 人間にはそれ/″\苦手といふものがある。滅多に他人ひとの言ふ事をかなかつたあの旋毛つむじ曲りの漱石氏も滝田氏に懸つては手も脚も出なかつたらしく、書、画、扇面、額、軸物……と相手の言ふが儘に手当り任せに書かせられてゐる。まる襟髪えりがみを取つて、四つばひに這はせられた恰好だ。思ふといぢらしくなる。


独山どくざんと鉄斎

6・19(夕)

「駿河路や花橘も茶の匂ひ」――今日からまた「茶話」を始めることになつたが、さて世間を見ると色々面白いことが転がつてゐる。
 先日こなひだ新規に帝室技芸員が幾人いくたりか任命せられた。技芸員はみんなその道に巧者な人達で、各自てんでに何か製作を拵へてゐるらしいが、そんなきまつた仕事のほかに、時々笑ひ話の材料たねを蒔く事をも忘れない。そしてうかすると、その笑ひ話の方が製作品よりも面白い事がある。
 新帝室技芸員の一人に富岡鉄斎翁が居る。翁はの方で色々自慢話をつてゐるが、そのうちで一番鼻が高いのは、相国しやうこく寺の独山和尚を弟子に持つてゐるといふ事で、相手が相手だけに、来世では和尚の伝手つてで何処か上等の桟敷でも附込つけこんで置きたいらしく、時偶ときたま和尚が訪ねて来ると、いつもその画を賞めそやして下へも置かぬ款待もてなしをする。
 そんな訳で、和尚も自分はいつぱしの画家ゑかきになつた積りで、そのお礼心に来世では成るべく如来様の御座に近い桟敷を鉄斎翁に予約して置く積りらしかつた。
 所が、先日こなひだ室町一条の鉄斎翁の画室で和尚はある相客に逢つた。相客は大阪辺のある富豪かねもちらしかつた。すると、鉄斎翁の言葉つきが急に変になつて来た。
「これはな、相国寺の独山和尚でわしの弟子や……」
といつたやうに、いつもの上人扱ひとは打つて変つた挨拶だ。
 和尚の眉が虫のやうに動いたと思ふと、ふいとち上つて帰つて往つた。そしてそれからといふもの一度も鉄斎翁を訪ねようとしない。老画家の方からは幾度か招待せうだいをするが、和尚は漬物石のやうにきいろい顔をして黙りこくつてゐる。
 何をいつても老人としより同志のなかの出来事で他愛もないにきまつてゐるが、唯見逃す事の出来ないのは、その日から独山和尚の名で附込つけこみになつてゐた、「極楽」座の桟敷が一つ出物でものになつたといふ事だ。桟敷は特等席だ。心積こゝろつもりのある者は今から申込んで置くに限る。


富豪と番頭

6・20(夕)

 去年の夏の事、亜米利加にはいつにない暑い日が続いた。何事も金銭かねで始末がつけられると思つてゐる富豪かねもちにとつて、暑さは真実苦手であつた。何故といつて、お太陽様てんとさまは女のやうに金銭かね節操みさをを売らなかつたから。
 富豪かねもちといふ富豪かねもちはみんな禿頭を抱へて欧羅巴ヨーロツパの方へ逃げて往つた。アンドリユー・カアネギーもその仲間に洩れず、欧羅巴行きの支度にかゝつた。支度が出来あがると支配人の一人を呼び出した。
わしはこれから欧羅巴の方へ避暑旅行に出掛けたいと思つとる。どうもこの暑さではり切れんからな。」と言つて、汗ばんだ額を撫でた。額のなかでは「金儲け」と「慈善」とが雨蛙のやうに溜息をついてゐた。
「それは御結構な事で……」
と支配人がお愛相あいさうをいふと、カアネギーは気の毒さうに支配人の顔を見つめながら言つた。
「この暑い盛りに君一人を残しとくのは全く気の毒さ。だが、わしが船に乗込んで埠頭はとばを離れる時、どんない気持で居るか、そんな事は思はんやうにしなくつちやならんぞ。」
「どうつかまつりまして――」支配人は軽く頭を下げた。この男は長年カアネギーに使はれてゐるだけに、よく富豪かねもちの気心を知つてゐた。「その代り貴方様も、お留守中私がどんない気持でゐますか、そんな事はお思ひにならんやうに願ひます。」
 この頃好景気で、富豪かねもちといふ階級はうんと殖えたさうだから、さういふてあひはよくこの問答を味はつておいて貰ひ度い。そして成るべくなら旅費をしこたま懐中ふところぢ込んで、梅雨つゆのうちからでもい、出来るだけ早く避暑に出掛ける事だ。


小山内薫氏

6・22(夕)

 この頃東京の芸術家仲間で女神様をんなかみさま流行はやつてゐる事は以前言つたやうに記憶おぼえてゐる。女神様といふのは、マリヤが叩き大工ヨセフの妻であつたやうに、或る鉱山師の女房かないである。
 文学者小山内薫氏も、この女神様の熱心な信者の一人で、以前はいろんな物が怖かつた。――中にも「晦日みそか」と物のわからない批評家とを一番怖ろしがつたものだが、その女神様を信心し出してからは、この二つさへ一向怖ろしくなくなつたといふ事だ。
 それのみか、信心のお蔭で、小山内氏は色々な不思議を行ふ事が出来ると言つてゐる。現に先日こなひだも銀座のある停留場で終電車を待つてゐた事があつた。無学で加之おまけ性急せつかちな終電車は、さういふ信者が夜中の街に立つてゐようと知る筈もなく、小躍りして停留場を素通りした。
 置いてきぼりにされた小山内氏は、履直げたなほしのやうにみちばたにぺたりと尻を下した。そして一念こめてじつと電車のあとを睨んだ。小山内氏は自分の二つの眼が、海老の眼のやうに前へ飛び出しさうに思はれた。
 電車は佝僂せむしのやうに首をすくめて走つてゐたが、物の小半丁こはんちやうも往つたと思ふ頃、うしたはずみか、ポオルがはづれてはたと立ち停つた。車掌は車から下りてしきりと綱を引張つてゐたが、意地悪のポオルはなか/\手におへなかつた。あとすがつて来た小山内氏は、犬養木堂が外交調査会の会議室に入つてくやうにつんと済ました顔をして車掌台に足をかけた。
「信者を置いてきぼりにしたばち覿面てきめんさ……」
 小山内氏はその後会ふ人毎にこの話をして鼻をぴよこぴよこさせてゐる。まことに結構な事だが、出来る事ならさういふ人間も成るべくポオルを外さないやうに願ひたい。人間も蝸牛かたつむりや電車と同じやうに二つのつのをもつてゐる。そしてそれが上の方につながつてゐるうちはいつも大丈夫だ。


大掾だいじようの妻

6・24(夕)

 摂津せつつの大掾の女房かないのおたか婆さんといふと、名代の口喧くちやかましい女で、弟子達の多くが温柔おとなしい大掾の前では、日向ぼつこの猫のやうにのんびりした気持でゐるが、一度襖の蔭から、お高婆さんの皺くちやな顔が覗くと、首をすくめて恟々きよう/\する。
 弟子達が大掾について浄瑠璃の稽古をする時は、婆さんはいつもちよこなんとそばに坐つて、横合からさんざ憎まれ口を叩く。すべて女といふものは、滅多にい批評家にはなれつこは無いが、心掛一つで疵探あらさがしの皮肉家ひにくやにはなれるものだ。
 実をいふと、お高婆さんもその皮肉家の一にんで、伊達太夫などは稽古のたんびに随分こつぴどおろされるばかりか、うかすると、
「おまはんは、食意地が張つとるよつて、そいでそないに息切いきぎれがするのやし……」
と、胃の腑の棚卸しまで聞かされるので、随分つらい思ひをする事があるさうだ。人間といふものは、頭に水気が多いとか、霊魂たましひ牛乳ミルクにほひがするとか言つてけなされても、大抵の場合笑つて済まされるものだが、唯胃の腑の事になるとさうは往かない。得て喧嘩になり勝ちなもので、伊達太夫が辛い思ひをするのに何の不思議もない。胃の腑は頭よりも、霊魂たましひよりも人間にとつて急所だからである。
 そのお高婆さんが、嫁入当時多くの女が経験するやうに(女としては何といふ有難い経験であらう)ひどしうとめいぢめられた事があつた。お高さんはある晩寝物語にしく/\泣きながらそれを自分の良人をつとに打明けて話した。
 大掾は黙つてそれを聞いてゐた。その頃丁度「帯屋」を語つてゐたので、そのあくる日から、お絹が姑のおとせに苛められるくだりに、女房かないの寝物語を使つて語つてみると、情合じやうあひがいつになくよく出てゐるといつて、大層な評判を取つた。
 大掾はうちへ帰ると一部始終を話して、女房かないに鄭重な挨拶をした。するとお高さんの顔が急に反古ほごのやうに皺くちやになつた。
「師匠のお利益ためになる事やつたら、わてはんにどないに言はれたかて辛抱しまつさ。」
 正直なもので、女といふものは賞めて置いたらどんな辛い事でも辛抱する。そしてまたどんない事でも男に賞められなかつたら滅多にい事だとは思はない。


自動車問答

6・25(夕)

 亜米利加の前大統領タフト氏が、先日こなひだある街の四辻で、自動車からのつそりとあの大きな図体を運び出すと、其処そこに立つてゐた八つばかりの子供が前に出て来て、鄭寧ていねいにお辞儀をするのに出会でくはした。
「これは/\、鄭重な御挨拶だね。」とタフトはメリケン粉の粉袋のやうに、はち切れさうな顔を歪めて笑つた。「坊はさうして街を通る人に、みんな御挨拶するのかい。」
「いゝえ、伯父をぢちやん、僕がお辞儀するのは、自動車に乗つてる人ばかしだよ。」と子供は相手の大きな図体に見惚みとれながら言つた。「親爺ちやんがいつもさう言つてら。自動車の旦那衆だんなしだけには忘れんやうにお辞儀しろつてね。だつて自動車に乗つて来る人、みんなうちのお客様だもの……」
 タフトの顔には幾らか落胆がつかりした色が見えた。正直者の大男は、子供心にも俺が前の大統領だといふ事を知つてゐてお辞儀するのだなと思つてゐたのだ。
「ぢや訊くが、お前の親爺おやぢ職業しやうばいは何だね。」
 タフトは子供の顔を覗き込むやうにして訊いた。
 子供は白い歯を出して笑つた。
「当てて御覧よ、伯父ちやん。」
「さうだな。」と前の大統領は不得手の外交問題でも始末するやうに、顔をしかめて考へた。「さうだ、自動車の修繕屋ででもあるかな。」
「違ふよ、伯父ちやん。」と子供は不足たらしく鼻を膨らませて言つた。「うちの親爺ちやんは葬儀屋だあよ。」
 葬儀屋だと聞いて、タフトが自分がくなつた折の始末を頼んだかうかは知らないが、この問答では綺麗にタフトが負けてゐる。すべて大男と子供と向き合つた場合、勝は多く子供の方にある。


独木舟うつろぶね

7・6(夕)

 清教徒の英雄クロムウヱルに髑髏しやれかうべが二つある。一つはオツクスフオード大学に、今一つは倫敦ロンドンの考古博物館に秘蔵せられてゐる事は、いつぞや書いたことがあつたやうに思ふ。学問の力は偉いもので、かうして英雄の亡くなつたあとからその髑髏しやれかうべを二つ迄も拵へる事が出来る。
 この頃府下の鯰江町なまづえちやうの土底から掘り出された独木舟も、ある学者は千年迄の物だと言ひ、またある学者は千五百年以前の物だと言つて、一つの舟にざつと五百年の差違ちがひをつけて平気で済ませてゐる。だが、さる物識ものしりの説によると、あんな事になつたのは、学者の鑑定めききが足りないのでも何でもなく、掘出された独木舟が悪いのださうだ。
 その悪い独木舟も愈々いよ/\京都大学の手に入つたらしいが、舟の図体が余りに大きいので、どんなにして取寄せたものかと、大学の考古学者は寄つてたかつてその方法に苦しんでゐる。
 それを聞いた内藤湖南博士は、あの子供のやうな顔に皮肉な笑ひを浮べて、
「どんなに大きいたつて、独木舟を取寄せるなんか訳もない話ぢやないか。」
と言ふので、思案に余つた連中れんぢゆうが、
「ぢや、うするんだね。」
と訊くと、
「切り離すのさ、二つか三つかに。幾ら考古学者だつてこの位の智慧があつてもささうなものぢやないか。」
と言つてけろりと済ませてゐる。
 流石は湖南博士で、言ふ事が面白いが、しかし博士でもまだ思ひ付かない無難な方法が一つ残つてゐる。それは独木舟をその儘もとの土の中に掘り埋めてしまふといふ事だ。――すべて自分の手に負へない物は、わざと見ないに越した事はないのだから……。


成金の鞄

7・12(夕)

 神戸の榎本謙七郎氏といへば、時局が産んだ大成金の一人だが、榎本氏は多くの成金が、運が向いて来ると、直ぐ邸宅やしきの立派なのを欲しがるのと打つて変つて、今も往時むかし宿屋ホテル室借まがりで、その全財産を鞄一つにをさめてけろりとしてゐる。
 榎本氏は何処へ出掛けるのにも、その鞄を持つてく事を忘れない。氏はよく理髪床かみゆひどこへ出掛けるが(成金にしても、人並みに頭は一つづつ持つてゐる)、そんな折にも鞄だけは店に持込んで、じつと跨倉またぐらはさんでゐる。人間は理髪床かみゆひどこへ出掛けるやうに、一度は墓場へもかなければならないが、榎本氏はそんな時にでも、あの鞄だけは屹度手放すまい。
 所が、そんな大事な鞄も余儀なく手離さなければならぬ時がある。他でもない、それは蚊と蠅とを追駈おひかける時で、榎本氏は河鹿かじかと違つてひどく蚊と蠅とを好かない。自分の部屋に蚊か蠅かが居ると、どんな夜中にでも起き出して来て、それを追ひ廻さずにはおかない。で、この頃では大分だいぶん手馴れて来て、蚊だと直ぐにれるが、蠅だけはとても手におへないので、そんな折には大事の鞄を抱へて逃げる事にめてゐる。
 氏はまた※(「虫+廷」、第4水準2-87-52)とんぼをもる。蜻※(「虫+廷」、第4水準2-87-52)は相場師と同じやうに後方うしろに目が無いので、尻つ尾の方から手出しをすると、何時いつでも捕へられる。
 榎本氏は時偶ときたま二階の窓から掌面てのひらを屋根の上へ突き出して雀を掴まへる事がある。言ふ迄もなく掌面には米粒を蒔いておくのだが、これには性急せつかちが何よりも禁物で、どんなに早くても四時間はかゝると言つてゐる。
 不思議な事には、蚊も、蠅も、お喋舌しやべりの雀も、みんな榎本氏とちがつて鞄を持つてゐない。耶蘇は「汝等野の百合を見よ」と言つたが、百合を見ようとすれば、馬に乗つて郊外まで出掛けなければならぬ。それも億劫おくくふだ。蚊や蠅で判る事だつたら何も態々わざ/\郊外まで出掛けるにも及ぶまい。語を寄す、榎本氏、鞄は無くとも生きてかれる世の中である。同じ事ならもつと大事で、そして、もつと手軽な物を持つたらうであらう。


たけのこ問答

7・18(夕)

 摂津の蘆屋あしや老人としより夫婦者めをとものが住むでゐる。神戸に居る息子の仕送りで気楽に日を送つてゐるが、先日こなひだからふとした病気でばあさんが床に就いた。
「お爺さん、わたい貴方あんたを見送つてから死にたいと思うてましたんやけど……」
 媼さんは枕許まくらもとに坐つてゐる爺さんの手を取つて泣いた。手は何方どつちも皺くちやだつた。
「もうとてもあきまへんよつて、お先きへつて貰ひまつさ。」
 爺さんは水洟みづはなと一緒くたに涙をすゝり込むだ。涙も水洟も目高めだかの泳いでゐる淡水まみづのやうに味が無かつた。
「そない短気な事言はんと、矢張やつぱりわてを見送つてからにしといてえな。」
 爺さんはやつとこれだけの事を言つた。
 媼さんはかぶりつた。智慧の持合せの少かつたのを、六十年来使ひ減らして来たので、頭の中では空壜あきびんるやうな音がした。
「あきまへん、とてもあきまへんよつて、お先きへ往かしとくなはれや、そしてお爺さんはあとからゆつくりおいなはれ。」
 一頻ひとしきり病人のきあげるのを、爺さんは後方うしろから背を撫でてやつたりした。
「そない言はんと、せめて秋まで延ばしなはらんかいな。そのうち千日せんにちへでもて、おもろい奇術てづまを見てからにでもしたらうや。」
 爺さんは自分が何よりも手品が好きだつたので、お名残なごりに媼さんと一緒にそれが見たかつたのだ。
 媼さんは手をふつた。
「そない言うとくんなはるのは嬉しうおますけど、お爺さん、わてやつぱりきまつさ。」
と、ちやう他人ひとに立聴きでもされるのを気遣ふやうに、干からびた口を爺さんの耳へ持つて往つた。
「この節は筍の出盛りやよつて、値がやすうおまつしやろ、お供養しなはるのに安上りに出来まんがな。」
「成程筍が廉い。それもそやなあ。」と爺さんはじつと胸算用をするらしかつたが、考へてみると、筍よりも矢張媼さんの生命いのちの方が高かつた。「いや/\、やつぱり秋まで延ばしなはれ。」
「筍が廉いから今のうちに死にたい。」――倹約しまつ商人あきんどの媼さんを、これ程よく現してゐる言葉はまたと有るものでない。媼さんといふ媼さんは、若い頃、
「箪笥が廉くなつた。娘をかたづけるのは今のうちだ。」
と言つて、年齢頃としごろには頓着なく、箪笥の安いのを標準めやすかたづけられたものなのだ。


無識むしきの得

7・19(夕)

 平民におなかの空く時があるやうに、大名にも咽喉の渇く事がある。話は古いが、むかし備前少将光政が咽喉が渇いた事があつた。丁度秋も末で、窓の外にはちんちろりんが意気な小唄をうたつてゐる頃であつた。
 光政は二三日ぜん鷹狩に出掛けた折、みちで食つた蜜柑みかんの事を思ひ出した。光政は繍眼児めじろのやうに口をつぼめて、立続けに三つばかし食つたやうに思つた。蜜柑は三つとも甘味うまかつた。一体が気儘育ちだけに、それを思ひ出すともう矢も楯も堪らなくなつて小姓を呼んだ。
「蜜柑が食べたくなつた。二つ三つ持つて参れ。」
 暫くすると、大顆おほつぶ甘味うまさうなのが籠に盛つて持ち出された。光政は子供のやうに手を出してその一つを取つた。すると丁度その折襖の影から侍医の皺くちやな顔がひよつくり覗いた。
「御前様、蜜柑をとの御意ださうに承はりましたが、この頃の夜寒よさむ如何いかがで御座りませうな。」
 侍医は怯々びく/\もので言つて、円い滑々すべ/\した頭を下げた。
「うむ」と言つたきり、光政はじつと侍医の顔を見詰めてゐたが、暫くすると掌面てのひらの蜜柑をそつと籠のなかへ返した。蜜柑は生命拾いのちびろひをしたのが嬉しさうに、籠から滑り落ちて座敷に転がり出した。
 その光政は寝床に入ると、誰にいふともなし、独言ひとりごとを言つて溜息をついた。
「あゝ危かつた/\。」
 そばに居た女がとがめて理由わけを訊くと、光政は宵のにあつた蜜柑の事を話して、あの折自分が、その位の事だつたら此方こつちにも知つてゐるとでも言はうものなら、今後これからは誰一人間違つた事をだてして呉れるものも無くなるだらう、
「ほんとに危い所だつた。」
と言つて、また一つ深い溜息をいた。
 人のかみに立つて多くの部下をべてゐる者は、かうして、ひとの忠言を黙つて聞くだけの心掛が無くてはならぬ。だが、都合のい事には、今時の上役は、
「蜜柑はお毒ですよ。」
と言はれて、「そんな事だつたら此方こつちにも知つてるよ。」と口を返すだけの物識ものしりで無い事だ。すべて物をらないといふ事は何かに就けて便利が多い。無識の事/\。


天文学者

7・20(夕)

 サー・ロバアート・ポールといへば愛蘭アイルランド生れの名高い天文学者で、剣橋ケンブリツヂ大学で天文学の講座を受持つてゐる先生だが、幾ら天文学者だからといつて、木星から高い生活費を受取る訳にもかないので昼飯ひるめしは精々手軽なところで済ませる事に決めてゐる。
 ある時久し振にふるい友達が訪ねて来たので、天文学者は滅多にきつけない土地ところ一番の料理屋へ引張つて往つた。そして初めからしまひまで彗星はうきぼし談話はなしをしながら、肉汁スープを飲んだり、ビフテキをかじつたりした。すべて学者といふものは、自分の専門の談話はなしをしなければ、どんな料理を食べても、それを美味うまいと思ふ事の出来ないものなのだ。
 料理が済むと、主婦かみさんは勘定書かんぢやうがきを持ち出した。天文学者はじつとその〆高しめだかを見つめてゐたが、暫くすると、望遠鏡とほめがねを覗く折のやうに変な眼つきをして主婦かみさんを見た。
「お主婦かみさん、乃公わしはこゝで一寸天文学の講釈をするがね、すべてこの世界にある物は、二千五百万年経つと、また元々もと/\通りにかへつて来る事になつてゐる。してみると、乃公わしらも二千五百万年後には矢張今のやうにお前さんの店で午飯ひるめしを食つてゐる筈なのだ。ところで、物は相談だが、この勘定をそれまでかけにして置いては呉れまいかね。」
「えゝ/\、よござんすとも。」と主婦かみさんは愛相あいそ笑ひをしながら言つた。「忘れもしません、ちやうど今から二千五百万年以前にも、檀那だんなは今日のやうに、手前どもの店でお午飯ひるあがつて下さいましたが、その折のお勘定が唯今戴けますなら、今日こんにちのは、この次ぎまでお待ち致しませう。」
 天文学者は呆気に取られて、笑ひながら銭入ぜにいれを取り出して勘定を払つた。成程銭入を見ると、二千五百万年も前から持ち古して来たらしい、手垢のにじむだものであつた。


市長の発明

7・21(夕)

 物価が騰貴するにつれて一般の生活が苦しくなる。とりわけやすい俸給で脚をくゝられてゐる下級吏員が苦しい。何故といつて、お役人といふ者は、腹が減つてもひもじう無い顔をしなければならないから。
「実際気の毒だ、何とかして下級吏員の身の立つやうにしてやらなくつちや。」と大阪市長の池上四郎氏は、先日中こなひだぢゆうからの目も寝ずに考へ込んだ。池上氏は大阪市長として考へなければならない、切迫詰せつぱつまつた多くの問題をつてゐる。さうかといつて、その合間合間に下級吏員や椎茸の値段を考へたところで少しも差支さしつかへはない。
 池上氏は自分の思案に余る事は、みんな市の長老に相談する事にめてゐる。下級吏員の収入問題は、従来これまで池上氏が取扱つて来た多くの難問題に比べて、別に解決し易いといふ程度の物ではなかつたが、市長はいつになく自分一人で考へ込んだ。栗鼠りす胡桃くるみの貯蔵法を考へる折の様に、誰に相談もせず自分一人で考へ込んだ。
「成程い事を思ひついた。これで乃公わしも安心が出来る。」
と池上氏はやつと何か思ひつくと、感心したやうに頭を撫でた。そして年俸一万二千円も、こんな頭の持主に取つては廉いものだと思つたが、その次ぎの一瞬間、市長になつて以来このかた、自分の方でこの頭の事なぞすつかり忘れてゐたのを思ひ出してひやりとした。
 その日から池上氏は人の顔さへ見ると、下級吏員の生活法を説いてゐる。氏の説によると、下級吏員の生活難は、その女房連がひとから「奥さん」と呼ばれる、あの一語に根を置いてゐる。良人をつとの収入のそくにと思つて手内職をしようにも、「奥さん」と呼ばれてみると、さうもならず、つい小猫を相手にぶらぶら日を送る事になる。もしか今後これから下級吏員の女房を呼ぶのに「かみさん」と言ふ事にめれば、手内職もだれはゞからず出来ようといふもので、従つて市吏員の生活も屹度楽になるといふのだ。
 結構な発明で、「奥様」と呼ばれてなまけてゐた女が、「かみさん」と言はれて、急に起き上つて働くといふ事なら、それを下級吏員の家庭だけに限るにも及ぶまい。何事も世間の為めである。せめて府知事や市長の家庭にまで及ぼしたいものである。


大食俳優

7・22(夕)

 亜米利加の活動写真専門の喜劇俳優やくしやにアルバツクルといふ名高い男がゐる。恐ろしく肥つた、体重めかたが四十貫の上もあらうといふ大男で、こんな図体で、罪のない物真似をするのが可笑をかしいといつて観客けんぶつに大持てである。
 この男が最近に紐育ニユーヨークへ往つた時、ふとした出来心で市の衛生講演会へ傍聴に出掛けて往つた。講演会の傍聴者といふものは、どこでも大抵出来心から来るものなので、しかさうでない傍聴者が少しでも居るとしたら、それは皆頭の悪い連中れんぢゆうで、聴者きゝてとしては頼もしくないてあひである。
 その衛生講演会の壇上に現れたのは、近頃売出しの若い衛生学者で、蛋白質と澱粉と含水炭素と等分に混ぜて模範的に試験管のなかで拵へたやうな身体からだをしてゐた。それにしては少し脂肪が足りないやうに思はれたが、時節柄肉のが高くなつてゐるので、無理もないと喜劇役者は思つた。
 衛生学者は自分の口から出る一語一語が、生みたての卵のやうに滋養に富んでるらしい口附くちつきをして喋舌しやべつた。その説によると、仮に人間を七十五歳迄生き延びるものとして、一生の間に食べる食量は、自分の体重の千五百倍になる。その中から麺麭パンだけを取つて、別に積重ねるとしたら、立派なお寺の建物程の容積かさになる。
 一生の間にかじつた野菜を、一まとめに汽車に積み込むとしたら、貨車を三マイルばかしつながねばならぬ事になる。燻肉いぶしにくを一きれづつならべたら、ざつと四哩の長さになる。魚類さかなが千五百貫、鶏卵たまごが先づ一万二千個といふところ……
 聴衆きゝてはそれを聞くと、てんでに恥しさうに掌面てのひらでそつと腹を撫でおろして居た。鉄面皮な胃の腑はそんななかでも平気で呼吸いきをしてゐた。衛生学者は一段と声を高めて、
「それから砂糖が千二百貫、塩が百八十貫、巻煙草が二十五万本……」
 こゝまで喋舌しやべつて来ると、喜劇役者は唐突だしぬけにぼろぼろ涙を流して泣き出した。
「どうした、気分でも悪いのか。」
 つれの男が心配さうに訊くと、喜劇役者は手で押へつけるやうな真似をして、
「いや心配せんでもいゝ。」と慌ててみづばなと一緒に涙を拭いた。「どうも大した食物たべものだね。そんな食物たべものを割引もして貰はないで、食つてしまつたと思ふと、つい悲しくなつて。」


馬と自動車

7・23(夕)

「運が向いて来たのだ、乃公おれの運が向いて来たのだ。」と、世界中が自分の為めに拵へられてあるやうに思つてゐる成金にも、人並に心配が無い事も無い。
 彼等は何よりも婆芸者ばゝげいしやおそれる。神を怖れなかつたソクラテスも、女の舌だけは身慄みぶるひしてこはがつたといふが、その女のなかで一番皮肉な、啄木鳥きつつきのやうな舌を持つてゐるのが婆芸者といふ一階級である。
 今は紙幣さつびらを切つてゐる成金の、けちな、見窄みすぼらしかつた以前を知つてゐるのは、この婆芸者である。口の軽い、悪戯好いたづらずきの彼等は、どうかすると晴の場所でもそんな事を素破抜すつぱぬかぬとも限らないので、派手好き、宴会好きの成金も、このてあひの顔を見ると、そこそこに逃げ出してしまふ。
 その成金の一人に、神戸に上西うへにし亀之助氏がゐる。ふところ加減がいだけに金のかゝるものならどんな物でも好きだが、たつた一つ自動車だけは好かない。
「あんな無遠慮な乗物は無い。あれは婆芸者かアメリカ人かの乗る物だ。」
と言つて口を極めてのゝしつたものだ。忘れてゐたが上西氏は人並外れた口達者くちたつしやである。実業家としてはつかのない口達者が自動車をこきおろす場合に初めて役に立つ事になつた。
 自動車の嫌ひな上西氏は、馬に乗る事を稽古した。馬だけは幾ら焦燥あせつたところで、とても婆芸者が乗れさうにもないので、上西氏に取つてこんな恰好な乗物はなかつた。氏は馬のせない気持になつて、口笛を吹いたり、利子の勘定をしたりした。
 馬は利殖の勘定や、株式の掛引を知らない代りに、雪嶺博士と同じやうに哲学を考へる事を知つてゐる。先日こなひだの朝も、上西氏が郵船株の目論見もくろみで夢中になつてゐると、鞍の下では馬は哲学上の大発見をした。その発見によると、成金は馬よりかたつた二本あしが少いだけの事なので、馬は※(「弗+色」、第3水準1-90-60)むつとして上西氏を鞍から揺り落した。
 上西氏はそれ以来、馬を怖がつて二度ともう鞍に手を掛けようとしない。そして友達の勝田銀次郎氏と相談の上、二人とも新しく自動車を買込む事にめたさうだ。断つておくが勝田氏も最近犬養木堂に振落されて腰を打つた一にんである。


若芽薑わかめしやうが

7・24(夕)

 水野越前守といふと、一寸寺内伯に似たところのあるらしい男だが、この男の頭から出た所謂天保の大改革が、怖ろしい無理押付おしつけであつたのは今だに老人としよりの一つ話に残つてゐる事だが、その慌しい没落について、一条ひとくさりの小説めいた話がある。
 時の将軍家家慶いへよし公は、前の大御所家斉いへなりが女の唇が好きだつたのと違つて、若芽薑が何よりも好物であつた。若芽薑といへば、どんな場末の安料理にもはつてゐるものだ。将軍家がそんな物まで食べなくともよかつたかも知れないが、実をいふと、将軍家などいふものは、さうした料理のつまとか、ほんの一寸した洒落とかいつたやうなものにひどく惚れ込むものなのだ。
 で、将軍家のお膳部に煮魚をつける時には、いつもこの若芽薑を添へる事にきまつてゐた。すると、ある日の事将軍家は皿の煮魚をつゝいてゐるうち、ふと膳部の上に好物の薑が載つてないのに気が付いて、不思議さうに給仕の者の顔を見た。
「若芽薑はうした、忘れたと見えるな。」
「どうつかまつりまして。」給仕は弾機細工ばねざいくのやうに頭を下げた。「さし上げませうにもまるで品が手にりませんので。」
 将軍家は歯医者に齲歯むしばの療治でもして貰ふ折のやうに、箸を手に持つたまゝぽかんと口をけてゐた。
「手にらないつて。たかがお前若芽薑ぢやないか。」
 給仕はふるへながら理由わけを話した。それによると何月何日のお布令ふれに、自今若芽薑一切禁止といふ事があつたので、それ以来百姓が唯の一本も作らなくなつたのださうだ。
 将軍家は箸をくはへた儘じつと考へ込んでゐたが、暫くすると、
「いつぞや越前が早生はやなりの果物なぞは侈奢おごりの沙汰だといふので、差し止めたやうには思ふが、若芽薑のやうなものまで布令を出さうとは思ひがけなかつた。」
と言つて、ひどく気まづい顔をしてゐた。
 越前の没落はその後間もなくであつた。若芽薑のかじられなかつたのは、将軍家にとつて何よりも不足だつたに相違ない。――で、内証ないしようで世上の御夫人方おくさんがたに注意しておくが、物価が高くなつたからといつて、亭主のお膳から若芽薑だけは倹約しまつしないやうに願ひ度い。多くの場合亭主は将軍家より一層手腕家である。


審判の日

7・25(夕)

 最後審判の日――といふと耶蘇教では一番やかましい日で、これまでなまけてばかしゐた神様が、むつくり起き上つて、区裁判所の判事のやうに気難きむづかしい顔をして人間の裁判さばきをする日なのだ。そのいかめしい日取はもうちやんときまつてゐて教会の牧師のとこまでは内々ない/\しらせて来てあるらしいが、牧師の考へでは、それを発表してしまふと一度に善人が殖えるので、その前日までは知らぬ顔で伏せて置く積りらしい。何故といつて一度に善人が殖えると、牧師は何より好きなお説教が出来なくなるのだから。
 アア※(濁点付片仮名ヰ、1-7-83)ン・コツブといへば、米国で聞えた記者だが、この男がある日教会へくと、牧師は例の「最後審判の日」といふ演題で長つたらしいお説教をしてゐた。牧師は聖書の言葉を引いて、この日の朝喇叭ラツパが高く鳴ると、らゆる国の有らゆる時代の人民が皆神の玉座の前に引き出されて、現世でて来た行ひについて厳しい裁きを受けなければならぬと説いた。
 お説教が済むと、聴衆きゝての一人が立上つて牧師に訊いた。
「先生、その日になると、人間残らずが神様の前へ引張り出されるとお言ひになりましたが、真実まつたくなんですか。」
「さうですとも。」牧師は判りきつた事のやうに言つた。
「それぢやカインとアベルも其処そこに居ますね。」
「無論です。」
「ダビデとゴライアス――あの二人も居ませうね。」
「居ませうとも。聖書にちやんと書いてありますよ。」と牧師は女のやうな繊細きやしやな手をして革表紙の聖書をとんと叩いた。
 相手の男は面白くて堪らぬやうに、にこ/\しながら問ひを続けた。
「クロムウエルと査斯チヤアルス一世――あの二人も居るでせうね。」
「居るでせうとも。たしかに居る筈です。」
「ナポレオンとウエリントンも一緒に居る筈ですね。」
「居る筈です。多分打揃つて神様の前へ引き出されるでせう。」
「面白いぞ。」とその男は自分が教会の中に居るのを忘れたやうに大声を揚げて喜んだ。「そんなてあひがうんと居るんだもの、僕等の順番にはなかなか廻つて来ないや。」


郭公ほとゝぎす

7・26(夕)

 むかし連歌師の紹巴ぜうはが松島を見に仙台へ下つた事があつた。仙台のお城では目つかちの政宗公が、夏の日の長いのにれて、独りで肝癪を起してゐるところであつた。
 ある日の事、政宗公は、家老の片倉小十郎を呼んで何やら打合せをした。その頃は余り成金も居なかつたので、骨董物の値段も出なかつたし、それに伊達家でもさういふ物は、まだ余り持合せが無かつたので、談話はなしが宝物入札の内相談ないさうだんで無かつた事だけはたしか請合うけあつてもい。
 打合せのあつた翌日あくるひ、紹巴は御城内へ呼出されて目つかちの殿様にお目にかゝつた。政宗は気難きむつかしい顔を、強ひてぢ曲げるやうにして一寸笑つてみせた。
「紹巴か、よく参つて呉れたの。徒然つれ/″\の折ぢや、今日は連歌の話でもしてりやれ。」
 時が来ると、田螺たにしも鳴く事を知つてゐる連歌師は、目つかちの殿様が歌をむといつても格別不思議には思はなかつた。それに歌咏みだの、俳諧師だのといふてあひは人殺しの口からでもいゝ、相手が自分と同じ風流人である事を聞くのを、何よりも嬉しく思つてゐるものなのだ。
 ちやう時鳥ほとゝぎすく頃で、庭には青葉が、こんもりと繁つてゐた。政宗はお産でもするやうに蟹のやうな顔をしかめてうん/\うなつてゐたが、暫くすると、
「啼け、聞かう、身が領分のほとゝぎす」
と咏むで、得意さうに書きつけた。
 脇は片倉小十郎がつける事になつた。小十郎は両手をんで考へ込んだ。身体からだぢゆうを時鳥が矢のやうに飛んでゐるやうに思つたが、どうしてもその尻尾をとらへる事が出来なかつた。で、やつとこさの事で、
「啼かずば黙つて行け、ほととぎす」
とつけて、紹巴の方へ廻して来た。
 紹巴は発句から読み下してみると、殿様も家老も一羽づつ「ほととぎす」を飛ばしてゐるのには一寸驚いた。まゝよ「もう一羽飛ばしてやれ」といふ気になつて、
うなりと御意にしたがへ、ほとゝぎす」
とつけて、何喰はぬ顔で政宗の方へ押しかへした。
 殿様と家老と連歌師と、各自めい/\の境遇が思はれるやうな三人三様のふうは面白かつたが、それよりも面白いのは、その日少しも時鳥が啼かなかつた事だ。もつと正直にいふと時鳥が居なかつた事である。時島は大名や連歌師やには頓着とんぢやくなく遠い国へ飛んでゐたのだ。唯もう雌が恋しいばつかりに。


猿と木堂

7・27(夕)

 弘法大師や谷本梨庵博士を産んだ四国の土は、今一つ宗教家や学者にも劣らない立派な職業者を生んでゐる。それは尻尾のあるえてきち君である。
 猿廻しが、色々の芸を教へ込むには、一番四国生れが記憶おぼえがいいといふ事だ。この一事は四国出身の人達が、何をおいても忘れてはならない郷土くに自慢の材料で、人間に自慢の種が見つからない場合には、えてきちやのみを自慢の数によみ込んだところで、少しの差支さしつかへもないのだ。
 四国の猟師が猿をるには、枢仕掛くるゝじかけの一寸した戸棚を山の中にかつぎ込み、猿公えてこうがたんと集まつて来ると、猟師が自分で戸棚のなかへ潜り込み、ぴしやりとを閉める真似をしてみせる。幾度いくたびかこれを繰返したのち猿公えてこうが好きさうな食物たべものをなかに入れておくのだ。
 猟師の姿が見えなくなると、猿公えてこうは俳諧師の鳴雪翁のやうな(忘れてゐたが、鳴雪翁もえてきちと同じやうに四国生れである)新派か旧派かどつち附かずの顔をにこにこさせて、直ぐ戸棚に入つて来る。そしてその儘生捕いけどられる事になるのだ。
 尤も猿公えてこうのなかでも、少し薄鈍うすのろなのは、を食べると直ぐげ出すので滅多につかまへられる事はないが、智慧自慢の小慧こざかしいのに限つて、猟師の真似をして、戸棚に入るといきなりを閉めてしまふので、ついもう出られなくなる。
 智慧自慢のてあひに限つて自分から生捕られる――これは何もえてきちに限つた事ではない。犬養木堂などはよく心得てゐて欲しい。
 四国猿と木堂と――国策樹立とやらはうか知らないが、芝居はどちらも相応にうまい。


避暑法

7・28(夕)

 幸田露伴氏の弟子に堀内新泉といふ小説家が居る。夏分なつぶん客が来ると、まだ挨拶もはさないうちに、主人の方で帯をほどいて真つ裸になる。
「どうも堪らん暑さですな。さ、主人あるじの私から御免をかうむつて着物を脱ぎましたから、貴方もお取りになつたらうです、暑い折には何よりこれですからね。」
と狸のやうに掌面てのひらで二つ三つへそのあたりを叩いてみせる。
 すると大抵の客は、「結構ですな、それぢや御免を蒙つて私も裸になりますかな。」と、徐々そろ/\帯を解きにかゝるさうだ。堀内氏の言葉によると、かうして裸体はだかになると、談話はなしまでがお上手が無くなつて、ごくざつくばらんに運ぶといふ事だ。
 むかし有馬侯の下屋敷しもやしきが品川にあつた。海に臨んだ結構な普請で、欄干なども朱塗の気取つたものであつた。
 ある夏の土用に、宝生太夫はうしやうだいふが親子打揃つて、この下屋敷へ暑さ見舞にあがつた事があつた。土用の最中もなかだといふのに、座敷には蒲団が天井にとゞきさうに高く積んであつた。よく見ると、その上に殿様が裸のまゝ胡坐あぐらを掻いてゐた。ほんの素つ裸で、たつた一つ紅絹もみ犢鼻褌ふんどしを締めてゐるだけだつた。
 宝生太夫は可笑をかしくなつたが、笑ふ訳にもかなかつた。すると給仕の女が、黒塗に金蒔絵をした七つはしごをかけて、蒲団の山へあがつて往つた。そして宝生が暑さ見舞に来た由を申し上げた。
 有馬侯は蒲団の上から剽軽へうきんな顔を覗けて下を見た。
「宝生か、よく参つたの、こんな高い所にゐても、今日はことほか暑い。ま、ゆるりと休息してまゐれ。」
と、笑ひ/\言つたさうだ。
 つまり他人ひとよりか一段高いところにゐるといふ事だけで、少しは凉しい積りらしい。してみると、避暑にも色々流儀がある。


子供

7・29(夕)

 小説家の小栗をぐり風葉氏に男の児が産れた時、氏は色々と名前の詮索をした揚句「傑作」といふ字を選んだ。
「小説の方では、うも余り傑作が出来さうにもないが、この子供は自分の創作にしては、どうやら出来がいらしいから。」
と言つて、ひどくその名前を吹聴したものだ。
 紐育ニユーヨーク愛蘭アイルランド生れの音楽家ヴヰクトル・ヘルバルトといふ男が居る。最近この音楽家に男の児が生れた。その折ヘルバルトはもう相当かなりの子持ちであつたが、それでも嬰児あかんぼの顔を見ると、可愛かあいさに堪らぬやうに、接吻キツスをしたり、頬ずりをしたりした。
 仲間の友達が来ると、音楽家は危つかしい手附てつきで、その嬰児あかんぼを抱いて来て見せびらかしたものだ。嬰児あかんぼはベエトオベンの楽譜や、ワグネルのオペラの上へ、口の悪い批評家のやうに時折は水をしかけるやうな事があつた。
 友達は嬰児あかんぼの顔を覗き込むやうにして、
「いゝ児だ。ほんとにいい児だよ。君にとつちや立派な音楽ぢやないか。」
と、幾らかお愛相あいさうのつもりで言つたものだ。
「音楽だつて。」とヘルバルトはまぶしさうな眼つきで友達の顔を見た。「さうかも知れない、だが少くともオペラぢやないね。まあ、早く言つてみれば行進曲マアチかな。昨宵ゆうべなんか夜つぴて我鳴り通しなんだからね。」


光琳の羽織

7・31(夕)

 むかし尾形光琳と、三井家の主人八郎右衛門ろゑもんとが連立つて、加茂の葵祭あふひまつりを見に出掛けた事があつた。いつの時代でも富豪かねもちといふものは、土蔵へ入る時のほかは、秀れた芸術家と道連みちづれになるのが好きなものだ。といつて、途々みち/\芸術の談話はなしをするといふでもないが、唯相手のつてないお宝が、うんと自分の懐中ふところにある事だけで面白くて溜らないのだ。
 節倹家しまつやの八郎右衛門は、その日も一寸した外出着よそぎしか着てゐなかつたが、光琳は風流な金更紗きんさらさの羽織をはおつて澄ましてゐた。二人は葵橋のたもとに立つて祭の行列を待つてゐた。
 八郎右衛門はさういふうちにもじつと光琳の羽織に見惚みとれて、
「ええ出来や、更紗さらさもこんなのは滅多にあらへん。画家ゑかきの爺さんにせるのは勿体ないやうなもんやな。」
と、内々ない/\は広い京都中でこの羽織の似合ふのは、富豪ものもちの自分を差措さしおいてはほかに誰も居るまいとでも思つてゐるらしかつた。
 すると、唐突だしぬけに夕立がざつとおろして来た。八郎右衛門は羽織の事も光琳の事もすつかり忘れて、慌てて逃げ出して来た。そして堤側どてわきのある農家ひやくしやうやの軒に駈け込んで、ぶつ/\呟きながら家鴨あひるのやうに濡れた尻つ尾をふるつてゐた。
 そこへ光琳が杖をついてぼつ/\やつて来た。八郎右衛門は何よりもずぶ濡れになつた金更紗の羽織が気になつて溜らなかつた。で、自分の事のやうに、
「なぜ走らはらんのや、羽織が濡れるやおへんか。」
と口元を尖らせた。
 光琳は冷やかに笑つた。そして、
老人としよりつまづくとあぶなうてな。」
と、たつた一言言つたきり、羽織の事なぞはおくびにも出さなかつた。


時計盗み

8・2(夕)

「安全第一」といふ事はよく亜米利加雑誌の広告に使はれてゐる文句だが、その発明は米国よりも日本の方がずつと早い。そしてそれを発明したのは小心者の癖に懶惰者なまけものである「教育者」といふ階級である。
 市の天王寺中学で、ある実業家の子供が時計を盗まれた事があつた。時計は親譲りのかなり古い物で、疲れ切つた針は一昼夜を廻るのに二十四時間と三十分程かかつたが、それでも螺旋ねぢを巻くのさへ忘れなかつたら、時計は教育家のやうに悲しさうな溜息をき/\動いてゐた。
 その時計が学校で盗まれたのを聞くと、校長は自分の同僚が首をくゝりでもしたやうに悲しさうな顔をした。そして、あんな忠実な古時計を、持主のポケツトから盗み出した奴は、見つけ次第狗殺いぬころしのやうに叩きのめしも仕兼ねない意気込で廊下を歩き廻つてゐたが、しばらくすると急に立ち停つて、何か教育上の大発見でもしたやうな晴々しい顔をした。
 校長は盗まれた生徒を呼び出した。そして時計を盗まれたのは全く気の毒だ、これからは成るべく盗まれないやうにしなければならない、それには良い方法がある、と言つて、十二時を打つた時計のやうに両脚を机の下で揃へて卓子テーブルに頬杖をついた。
「方法つて、う致すのです。」
 生徒は校長の顔を覗き込んだ。
うもしない、時計を持たないのさ。つまり時計なぞ持つから盗まれるやうな事になるんぢやないか。」
と校長はくなつた古時計の代りに、こんな立派な教訓を授けるのは、差引勘定には合はないが、その勘定に合はないところに教育者の職分があるとでもいつたやうな高尚な顔つきをした。
「時計さへ持たなかつたら、盗まれる心配はないのだ。」――流石は教育者で、言ふ事がちやんと理に合つてゐる。そしても一つ合理的に言つたら、時計は持つてゐても、学校へ来さへしなかつたら、盗まれる心配は無い事になる。
 時計と生徒にとつて、学校は実際危険な所さ。


帽と勲章

8・3(夕)

 物を記憶おぼえるといふ事が技術なら、物を忘れるといふ事も一種の技術である。人間といふものは、打捨うつちやつておくと、入用いりようのない、下らない事を多く記憶おぼえたがつて、その代りまた大切だいじな物事を忘れたがるものなのだ。
 先日こなひだの特別議会が済むと、田舎出の議員の多くは汽車に乗込んでぞろぞろ国元へ帰つてつた。そのなかに山口県選出の三すみ哲雄氏もまざつてゐた。
 夏分なつぶんの旅は何よりも身軽で無くてはならぬ。で、三隅氏は旅鞄はそつくり手荷物として預け入れたが、そのうちたつた二つの小荷物だけは、自分の坐席へ持ち込んで、網棚の上へ置くのを忘れなかつた。
 三隅氏は憲政会の所属代議士であると共に、郷里くにでは田地持でんぢもちだといふので郡農会の会長をも勤めてゐる。この年若な代議士は、窓枠に頭をもたせて、内閣不信任案当時の議会を思ひ浮べてみた。
 演壇の上には尾崎行雄氏が衝立つゝたつて、物におびえた魚のやうな表情をしてゐる。議場は蜂の巣をつゝついたやうな騒ぎだ。大臣席には寺内伯の尖つた頭がてか/\光つてゐる。
「まるで馬鈴薯じやがいものやうな顔だ――馬鈴薯じやがいもといへば、もう徐々そろ/\植ゑつけなくつちやなるまいて。」
と、三隅氏は直ぐその頭で、馬鈴薯じやがいもの値段なぞ考へたが、急に思ひ出したやうに、頭の上の網棚を見た。そこには小荷物が二つちやんと載つかつてゐた。三隅氏は安心したやうに煙草に火をつけた。
 汽車が下関駅についた時には、三隅氏はぐつすり寝込んでゐた。ボーイに呼び起されて慌てて駈け出して往つたが、余り慌てたので、棚の上の小荷物は二つともすつかり忘れてしまつてゐた。
 あくる日になつて三隅氏は真青な顔をして下関駅の遺失物掛ゐしつぶつがかりを訪ねて来た。そしておびたゞしい忘れ物のなかから、自分のを捜し出して、大喜びで中をあらためて見た。――なかには買ひ立ての絹帽シルクハツトと勲四等の勲章が悲しさうな顔をして転がつてゐた。


食べ方

8・4(夕)

 藤田東湖は貧乏だつたから、酒のいのが何よりも好物であつた。(内証ないしようで言つておくが、すべて富豪かねもちといふものは貧乏人とは反対あべこべに酒のよくないのを好くものなのだ。)で、その良い酒を飲みたいばかりに、頼まれると蕎麦そば屋の看板だの石塔だのを平気で書いた。書の相場は酒を標準めやすに一本一升といふ事にめてゐた。
 東湖は酒徳利さかとくりを座敷の本箱の中へこつそり忍ばせておいて、箱の蓋には生真面目に李白集と書いてゐた。実際李白集があつたら質に入れて酒に替へ兼ねない程の男だつたのだ。
 酒のさかなにはやつこ豆腐か松魚かつをの刺身かがあつたら、猫のやうにころころ咽喉のどを鳴らす事が出来た。水戸には今だに東湖の模倣者まねても少くない事だから、さういふ人達にとつて、東湖が俺は※(「魚+鑞のつくり」、第4水準2-93-92)からすみが好きだと言はないで、やつこ豆腐で辛抱したのは、どれだけ幸福しあはせだつたかも知れない。これにつけても追随者エピゴーネンを成るべくどつさりちたいものは、食物くひもの精々せい/″\手軽なところを選ばねばならない事になる。
 実をいふと、東湖はやつこ豆腐よりもまだかつをの刺身の方が好きだつた。好きだけに、それを食べるのに自分独得の方法を発明してゐた。それは一つ一つ箸でつまみ上げる代りに皿を掌面てのひらに載つけて、猫のやうに舌の先でぺろぺろめ込むでしまふといふ芸当である。
 京大法科の佐々木そう一博士は、蜜柑を食べるのに、人とちがつた食べ方をする。それは指先で皮をかないで、蜜柑を掌面に載せておいて、前歯でそれにかじりつく、そして出来た歯形はがたに指を突込むでそれから徐々そろ/\剥いてくといふり方である。
 それと同じ事を尾長猿がつたところで、嬰児あかんぼつたところで少しも気に懸けるには及ばない。要するに蜜柑は中味を食べさへすればいのである。


生食せいしよく

8・5(夕)

 トルストイが菜食論者だつたのは名高い話だ。もつともトルストイ嫌ひな男に言はせると、いつも夜になると、こつそり台所へひ出して来て、肉皿をつゝついたといふが、そんな事は神様にでもかない限り、嘘か、真実ほんとうか判らない。
 女優のサラ・ベルナアル、平和論者のラ・フオレツト、彫塑てうそ家のロダン、著作家のバアナアド・シヨオ、それから今一人支那の伍廷芳――といつたやうな人達は、揃ひも揃つて皆菜食主義者である。菜食主義者だといへば、文字通りに肉を食べないで、穀物や野菜ばかしでおなかこしらへてゐる人達の事である。
 菜食主義者の説によると、かうした人達が偉くなつたのは、平素ふだん血のるやうなけものの肉をかじらないで、清浄しやうじやうな菜食をするからださうだが、それに反対する肉食論者はまた、
「そんな筈があるものぢやない、物は試しだ、一つきでいゝからサラ・ベルナアルに柔かい雛鶏ひよつこを、シヨオに羊の肉でも食べさせてみるがいゝ、二人とももつと気の利いた事をるやうになる。」
と言つて、※(「弗+色」、第3水準1-90-60)むきになつてゐる。
 先日こたひだ亡くなつた米国の小説家ジヤツク・ロンドンは、肉食論者にもう一歩を進めて、すべての魚類さかななまのまゝで食べようとした男だ。
牡蠣かきはまぐりなまで食ふ事があるのを思ふと、どんな魚だつて生きたのが食べられないつて法は無い。」
と言つて、平気でかます烏賊いかなままゝで頬張つてゐた。


二十万円

8・6(夕)

 岡山県選出の国民党代議士池田寅次郎氏は、二十万円の資産をつてゐる。――といふと、あの池田めがと頭からてんで相手にしない人があるかも知れないが、事実二十万円といふのは、池田氏自身の算盤そろばんから割出した勘定だから、間違まちがひつこのある筈がない。ところが、よくしたもので大抵の人はそれを信じない。
 尤もたまにはそれを真実ほんとだと思ひ込む者が無いでもない。それは貧乏人といふ階級で、貧乏もどん底まで落ちると、相手のふところ加減を見通す位は何でもなくなるが、中途半端の貧乏人になると、自分の前に立つ誰でもが富豪かねもちのやうに見えるものなのだ。かういふ半端者の貧乏人が国民党には少くない。
 さういふ人達は池田氏の景気のいゝ懐加減を聞くと、朋輩のよしみで幾らか立て替へて貰へるものと思つて、つい口をきり出してみる。すると、池田氏は物を呉れる者に附物つきもの鷹揚おうやう態度ものごしで、ポケツトに手を突込んだと思ふと、何か知らつかみ出して黙つて相手の掌面てのひらに載せて呉れる。――見ると、使ひ古しの郵便切手である。
 池田氏は名代の切手蒐集しうしふ家である。今の英国皇帝は世界切つての切手道楽で聞えた人だが、池田氏の集め方は、英国皇帝のとはずつと毛色がちがつてゐる。ジヨオジ五世のは、国々の珍しい切手ばかしをこのみをするのだが、池田氏のはそんな事には頓着なく、どんな有り触れた物でも構はない、手当り次第に集めるので、かうして掻き集めたのが、今では積り積つてざつと二十万枚ある。
 尤も中には何処へ出しても引けを取らない珍らしいのもまざつてゐるが、一番多いのは今普通ざらにある五厘、一銭五厘、三銭……といつたやうな切手で、池田氏はその値段を勘定するのに、成るべくひとに判り易いやうに、そしてそれよりもまた成るべく自分に判り易いやうに、一枚一円といふ値をつけてゐる。一円の切手がざつと二十万枚、うたがひもなく池田氏の財産は二十万円程ある事になる。
 栗鼠りす胡桃くるみを勘定するのに、自分一流の数へ方を知つてゐる。池田氏がそんな方法を知つてゐたところで少しの差支さしつかへもない。


孔雀女くじやくをんな

8・8(夕)

 女流声楽家三浦たまきと今は故人の千葉秀浦しうほとの関係は一頻ひとしきやかましい取沙汰とりさたになつたので、世間には今だにそれを覚えてゐる人もすくなくあるまい。
 その千葉秀浦が推也納ウヰンナ旅籠屋はたごやで病死した時、環女史は多くの日本留学生に取纏とりまかれて、倫敦ロンドンで孔雀のやうな気取つた暮しをしてゐた。
 千葉が亡くなつた事は、留学生の仲間には旋風つむじのやうに伝はつて往つたが、肝腎の孔雀女にだけは誰一人知らさうとする者が無かつた。
「千葉め、とうと亡くなつたつてな。」
「さうだつてね。ところでうちの孔雀だね、那女あれに知らせたものか知ら。」
「どうせ知らさなきやなるまいが、まあ僕はさう、おかんむりでも曲げられると事だからね。」
といつたやうに、皆は孔雀のべそを掻くのを見るのが怖さに、誰一人千葉の事を言ひ出さうとしなかつた。
 ある晩の事、いつもの日本人だけの夕飯ゆふめし会で、誰かが大学の講義を聴き過ぎて胃を悪くした事を話した。(実際大学の講義は頭ばかしではない、胃の腑をも悪くするものなのだ。)すると、それを聞いた環女史はしんみりした調子で、
「旅にゐて病気する程心細いものはありませんね。」
と言つた。何でもないそのことばが皆の耳にはまるで音楽のやうに聞えたので、居合はせた人達は惚々ほれ/″\した眼つきで女の口元を見た。
 その折環女史と差向ひに、腰かけてゐたのは、京大の助教授浜田青陵氏だつた。この年若な考古学者は環女史の言葉を引取るやうにして、
「でも世間には旅で死ぬる人さへあるぢやありませんか、現に二三日前も維也納で……」
「維也納で何かあつたんですか。」
 環女史が身を乗り出すやうにして訊くのを見て取つた考古学者は、「少し言ひ過ぎたな」とは思つたが、さてうする訳にもかなかつた。
「維也納で客死した日本人があります、名前は確か千葉とか言ひましたつけ。」
「えゝ千葉ですつて……」
 環女史は一口言つたまゝ菜つ葉のやうな顔色がんしよくをして席を立つた。浜田氏は殉難者のやうな眼つきでその後姿を見送りながら、そゝつかしい自分の口許くちもとひねつた。――その口は考古学のほかは何一つ喋舌しやべつてはならない筈の口だつたのだ。


倹約人けんやくにん

8・9(夕)

 備前の新太郎少将が、ある時お微行しのびで岡山の町を通つた事があつた。普魯西プロシヤのフレデリツク大王は忍び歩きの時でも、いつもにぎふとステツキり廻して途々みち/\なまものを見ると、
「こら働きをらんか。」
と怒鳴りつけて、厭といふ程しりぺたステツキでどやしつけたものださうだが、新太郎少将はそんなステツキを持たなかつたから城下の人達はしりぺたを叩かれる心配だけは無かつた。
 新太郎少将はある家来の屋敷前を通りかゝつた。その折屋敷の主人あるじは二三人の下男しもをとこを相手に、頬冠ほゝかむりに尻を端折はしをつて屋根を這ひ廻つてゐた。岡山人の頭に要らぬ智慧が一つ巣をくつてゐるやうに、岡山の家といふ家には、瓦のあはせに名も判らぬ草が生えてゐる。それをけようとして、主人あるじほこりだらけになつて働いてゐたのだ。
 主人あるじは殿様のお通りだと聞いて、その仕事着のまんま、屋根から滑り下りて門外もんそと蹲踞はひつくばつた。少将はじろりと流し目に埃だらけの頭を見た。そして、
「屋根のつくろひ、大儀ぢやの。」
と言つて、有合せの小柄こづかを褒美に取らせられた。主人あるじは殿様のおめに預かつたのだからといつて、その日は一日屋根を這ひ廻つて、日の暮方くれかたまで下りて来ようとしなかつた。
 あくる朝殿様から態々わざ/\お召しがあつた。主人あるじはそれを聞くと、
「ほう、また御褒美かな。そんな事になると、今度は隣家となりの屋根まで手を延ばさなくちやなるまいて。」
と、こんな事を思ひ思ひ登城した。
 新太郎少将は気難きむづかしい顔をしてゐた。
「そちは昨日きのふ下男しもをとこと一緒に屋根を繕つてゐたな。骨折は察しるが、身分不相応な働きぢやて……」
と言つて、かやうの事は下賤のすべき働きで、知行取ちぎやうどりは別にしなければならぬ仕事がある筈だ。あんな事が流行はやつては、家中かちゆうの風儀が悪くなるからといふので、その男はながいとまを取らせられた。


狸と猿

8・10(夕)

 山奥で猟をするものに聞くと、狸ほど安々と手捕てどりに出来るけものほかに無いさうだ。追ひ詰めて獣が狼狽うろたへるとき、
「おや、もう死んださうな。」
といふと、狸はいゝ気になつて、ころりと横に倒れた儘死んだ真似をする。その時手捕にすれば訳もなく出来るといふ事だ。
 幾ら普通教育が行き渡つたからといつて、狸が人間のことばを習つたといふ事も聞かないから、それが真実ほんとううかは請合うけあひかねるが、猟師はこの仕方で幾度か狸を手捕にしたと自慢をしてゐる。
 この方法を人間に応用してゐるのは犬養木堂いぬかひもくだうで、寺内首相の噂をする時には、いつも口癖のやうに、
「とにかく誠意だけはある。」
と云つてゐる。すると寺内首相もその気になつて、急に謹直らしい顔をして、鼻先から禿頭の天辺てつぺんにかけて出来るだけ誠意でてかてかさせようとするが、うまく手捕に出来るかうかは疑はしい。
 また猟師に聞くと、猿を手捕にすると、よく皮を生剥いきはぎにする。皮はその儘乾かして冬着にするのださうだが、真裸まつぱだかにされた猿は、自分の毛皮を見てはらはら涙を流すさうだ。
 幾度も犬養氏を引合に出して気の毒だが、氏もこの頃ではぺがされた自分の毛皮を見て涙を流してゐるに相違ない。――だが、安心するがいい、剥がれた毛皮は誰も着ようとはすまいから。


訥子とつしの発明

8・12(夕)

 先日このあひだから重病で悩んでゐる土居通夫みちを氏が、平素ふだん滋養として牛肉の肉汁にくじふを飲みつけてゐるのは名高い話だ。
 牛肉の肉汁が滋養やしなひになるのはよく判つてゐるが、少し値段が張り過ぎるからといつて、格安な代用品を発明した男がある。それは「猛優」といふ名前で知られてゐる役者の沢村訥子である。
 訥子といへば「血達磨ちだるま」や「丸橋忠弥」の立廻りで、牛のやうにえながら牛のやうに挌闘かくとうするので聞えた男だが、あれだけの激しい立廻りをするのは、何か特別の滋養やしなひを採らなければならない。そこで考へ出されたのが塩引鮭しほびきさけ肉汁スウプである。
 塩引鮭の肉汁スウプといふのは、名前通りに塩鮭の切身をとろ火で煮出した汁である。手つ取り早く言ふと安官吏の油汁あぶらじるのやうに脂つ気の薄い、しよつぱい水気みづけ沢山たくさんなものだが、訥子は、
「うまい、素敵にうまい。」
舌鼓したつゞみを打ちながら、幾杯も立続たてつゞけにそれを煽飲あふりつける。
「そんなものをつて、後で咽喉が渇くだらう。」
と言ふものがあると、訥子は牛のやうに上唇をめまはして、
「渇いたら水を飲むまででさ。」
へんもなげに言つてゐる。そのむかし京役者の坂田とうらうは江戸の水は不味まづくて飲めないといつて東下あづまくだりをする時には、京の水を四斗樽に幾つも詰め込んで持つて往つたといふが、同じ俳優やくしやではあるが訥子の舌は藤十郎のやうに賢くない、何処の水であらうと平気で咽喉を鳴らしながら飲む事が出来る。
 訥子は塩鮭の肉汁スウプほかに今一つ年の寄らぬ法を知つてゐる。それは自分に子供があるといふ事を忘れるので、訥子には世間も知つてゐる通り、帝劇俳優やくしやの宗之助、長十郎といふ二人の息子があるが、彼は一度だつて自分を「阿父おとつさん」と呼ばせた事が無い。いつも「兄さん/\」で、自分もすつかり「兄さん」気取りで、兄としての心持以上に一あしも踏み出さうとしない。
 最後に訥子は今一つ不老の霊薬を知つてゐる。それは幼い雛妓おしやくんで遊ぶ事で、枯れかけた松の周囲ぐるりに、小松を植ゑると、枯松までが急に若返へるやうに、訥子はかうしてをんなの若さを自分のものにしてゐる。


強力がうりき道心

8・13(夕)

 今道心中馬ちゆうま甚斎が先日こなひだ京都の武徳殿で大暴れに暴れて、居合せた巡査八人を手古摺てこずらせた事は、八日の本紙夕刊に詳しく出て居た通りだ。
 中馬には片つ方の耳朶みゝたぶが無い。それはこの男が西の宮の南天棒なんてんぼう和尚のとこに居た頃、ひどいけがをして耳朶みゝたぶちぎれかゝつた事があつた。中馬は猿のやうに耳を押へて医者のうちに走つた。
 医者はその折手術室である婦人客を診察してゐたので、中馬は暫く待合室に待たされた。婦人は指先に一寸きずをしてゐたのに過ぎなかつたが、医者が丁寧にしんの臓まで診察しようとしたので大分だいぶん時間が手間どつた。女の心の臓が案外健康ぢやうぶだつたので、幾らか物足りない気持で、医者が待合室へ入つて来ると、そこには中馬が引き拗つた耳朶みゝたぶを火鉢の火であぶつてゐた。
 医者は呆気あつけに取られた。
うしたのです、それは。」
耳朶みゝたぶに怪我をしたものだから、縫つて貰はうと思つて来たのだが、余り手間取るからいつそ食つてしまはうと思つて。」
 中馬はかう言つて、じろりと医者の顔を尻目にかけて欠餅かきもちか何ぞのやうにこんがり焼け上つた自分の耳をむしや/\食べてしまつた。医者は自分の手術料まで鵜飲みにされたやうな顔をして、ぼんやり衝立つゝたつてゐた。
 中馬が力まかせに時々乱暴をするので、南天棒和尚が海清寺から退散をいひつけた事があつた。火吹達磨ひふきだるまのやうに真紅まつかになつた和尚の顔を見て取つた中馬は、すごすごと庫裏くりに入つて往つたが、暫くすると掌面てのひらに何か血だらけの物を載せて、ひよつくり方丈に出て来て黙つてお辞儀をした。
 和尚は掌面を覗き込んだ。血だらけなのは中馬の小指であつた。
「それで詫びようといふのか。」
 中馬はも一つ黙つてお辞儀をした。
「ならぬ。」
 和尚はきつぱり言ひ切つた。指を一本切つたからといつて過失あやまちを許したなら、このまた九度までは許さねばならぬ事になる。中馬はまだ九本の指を残してゐたから。和尚はそれがうるさかつたのだ。
 だが、中馬にしてみれば、不用の指が一本出来た事になる。小指は恋をする者にとつて大事な材料たねだが、恋をする者の財布は大抵空つぽなので、それを売りつける訳にもかなかつた。で、中馬はいつぞやの耳のやうに食つてしまはうとしたが、はたから止める者があつたので、ある外科医のとこでそれを継ぎ合はせる事にしたさうだ。


悪戯いたづら小僧

8・14(夕)

 アーノルド・デイリーといへば、米国では一寸聞えた俳優だが、以前フロウマンといふ同じ俳優の小僧を勤めてゐた事があつた。
 い小僧をさがすのは、い主人を捜すよりもずつとむつかしい。い主人に出会つた小僧は、無論仕合せには相違ないが、い小僧に出会つた主人の仕合せとは比べものにならない。
 アーノルド・デイリーは無論い小僧に相違なかつた。何故といつて彼は時々主人を訪ねて来るお客に悪戯てんがうをする事を知つてゐたから。人間といふものは、応接間の一つもつやうになると、小猫やちんを飼ふとか、掘出し物の骨董を並べるとかして兎角お客にいたづらをしたがるものなのだ。狆や骨董が見つからない場合、その代りとして小僧を使つたところで少しの差支さしつかへもない。
 ある時――正しくいふと、六月のある日だつた――ルイズ・ヘールといふ女優が、フロウマンを訪ねて来た。玄関に出て来た悪戯いたづら小僧のデイリーは、女客の顔を見ると口をつぼめて挨拶した。
生憎あひにく檀那だんなは居ませんよ。」
「さう」と女優は一寸困つたらしい顔をしたが「それぢや暫く待たせて貰ひませう、よくつて?」
「えゝ、お好きなやうに。」
 小僧は相手を応接間に案内して次のに引き下つた。そして読みさしの『ロビンソン漂流記』を膝の上にけながら、こんな離れ島に住んでゐたら、うるさい女優のお客も来なからうななどと考へてゐた。
 女優が待つてゐるうちに応接間の置時計は三度ばかり当てつけがましく時を打つた。幾らか※(「弗+色」、第3水準1-90-60)くれ気味になつた女優は、険しい眼つきをして次のに顔を覗けた。
「小僧さん、あなた御主人がいつ頃お帰りになるか御存知なくつて。」
 小僧は『ロビンソン漂流記』の上から重さうに顔を持ち上げた。
「えゝ、お帰りは九月の初旬はじめ頃だつて事に承はつてゐますよ。」
「何ですつて、九月の初旬はじめ……」
 女優は自分の耳を疑ふやうに、戸をけてずつと入つて来た。も一度言つて置くが、その時は恰度ちやうど六月であつた。小僧はへんもない顔をして言つた。
「えゝ、九月の初旬はじめです、何しろ倫敦ロンドンにおちになつたんですからね。」


自慢のひげ

8・15(夕)

 赤穂の儒者赤松滄洲さうしうは、学者には惜しい程堂々たる顔をしてゐた。なかにも髯は素晴しく立派なので、自分にも大分それが自慢らしく、
「どうぢや、日本一の髯ぢやぞ。」
と、ひとの顔さへ見ると、長い髯をしごいてみせたものだ。
 今ゐる大槻如電じよでん氏なども実際いい顔で、あれで書物など読んでゐなかつたら、もつと立派な顔になつてゐたらうと思はれる位だ。いつだつたか、ある肖像画家が大槻氏の顔がいてみたくなつたので、いつでもいい、ひまな折にかせては呉れまいかと頼んだ事があつた。すると大槻氏はあなく程画家ゑかきの顔を見つめてゐたが、
きたいつてえのは、お前かい。」
と聞いた。画家は軽くお辞儀をした。
「さうです、私です。」
「まあすとしよう。」と大槻氏はにや/\笑ひながら言つた。「俺の顔は一つしか無いんだからね。」
 談話はなしはついそれなりになつてしまつた。
 ある日の暮れ方、滄洲がいつものやうに、縁端えんばたで髯をしごいていい気持になつてゐると、そこへ恰幅かつぷくのいいお爺さんが訪ねて来た。つひぞ見知らぬ顔だが、その髯を見ると、流石の滄洲も吃驚びつくりした。長さは三尺にも余らう、銀のやうな白さで、扱くと音がしさうにも思へた。
 滄洲はさつと顔色を変へた。お爺さんはそれを尻目にかけて座敷に上つたが、初対面の挨拶が済むか済まないかに、もう声を張り上げて色々世間話を始めた。時々は熊ののやうな苦い皮肉をまじへながら。
 滄洲はそれが癪にさはつてならなかつた。何とかして高飛車たかびしやに出てやらうと、幾度いくたび下腹したばらに力を入れてみたが、その都度お爺さんが自慢さうに扱いてゐる銀のやうな長い髯が目につくので、他愛たあいもない詰らぬ事を言つてしまつて、吾ながらはつとした。
 爺さんはいゝ加減に気焔を揚げて座をつた。滄洲は溜息をつき/\、
「何しろ立派な髯だ。」
と腹のなかで思ひながら、せいのない顔をして玄関まで見送りに往つた。沓脱くつぬぎに立つた爺さんは一寸おとがひに手をやつたと思ふと、その儘髯を外して片手に持つた。そして素知らぬ顔をして帰つて往つた。
「ぢや、作り髯だつたのか。」
 滄洲は覚えず口走つた。そして今迄忘れてゐた髯を握つて払子ほつすのやうにつてみたが、もう間に合はなかつた。


知事と電車

8・16(夕)

 八月十四日午前九時――もつと判り易く言へば昨日きのふ朝の事――阪神線の香櫨園かうろゑん停留場から電車に乗つた男があつた。車のなかは、玩具箱おもちやばこのやうな色々な人形でごつちやになつてゐた。人形といふのに何の無理があらう、皆は人形のやうに、したぱらを押へると、空腹ひもじさうな声を出しさうに思はれた。
 その男は薄汚れた夏服を着て、頭にはパナマ帽をかぶつてゐた。そして、睡不足ねぶそくらしい充血した眼をくしやくしやさせて群衆ひとごみのなかに衝立つゝたつてゐる所は、誰が見ても物価騰貴の今日この頃、何をさしいても増給の必要がありさうな男に思はれた。
 その男はほかでもない、府知事の大久保利武氏であつた。大久保氏は吊革にもぶら下らないで、左腋ひだりわきには読みさしの『十九世紀雑誌ナインチン・センチユリ・アンド・アフタ』の五月号をはさみ、右手には幾度いくたび俄雨にはかあめにでも出会つたらしい絹紬けんちう洋傘かうもりがさをついた儘じつと立ち通しでゐた。お客のない吊革は、この羊のやうな顔をした紳士を待遇もてなすやうに、幾度か鼻先で小踊りをしてみせたが、大久保氏はそんな物に頓着もなく、洋傘をついた儘じつと立ち通してゐる。
 お客を人形以上に思つてゐない電車は、いぬのやうに身体からだゆすぶつて走つた。そして曲角カアブにかゝると無益やくざな人形を振り落さうとでもするらしく、そのたんびにお客は横へけし飛びさうになつたが、唯一人大久保氏のみは、へんもない顔で衝立つてゐる。
 実をいふと、大久保氏は電車に乗つて吊革にぶら下らないのが自慢なのだ。その証拠には、電車が尼崎あまがさきに着いて、直ぐ前に空席が出来ても、氏は素知らぬ顔をしてぽうを向いてゐたが、車掌に尻を小突かれて、やつと不承不承に其処そこに腰を下した。
 人間といふものは妙な事に誇りを持つもので、あなのあいた五銭銅貨を一つ持つてゐるのさへ自慢する者がある世の中だから、大久保知事が電車でさぎのやうに衝立つてゐるのを自慢したつて少しも差支さしつかへはない。――差支はないが、同じ事なら吊革にぶら下る事をお勧めしたい。
 何故といつて、吾々は呂革にぶら下る時、自分が乾鮭からざけになつたやうな気持を味はふ事が出来る。郵船会社の重役を夢みるのも、乾鮭を夢みるのも、同じやうに新気分の会得である。――それに大久保氏には美しい夫人おくさんがある。吊革は夫人おくさんをして安心させる事が出来る。


町人と面師

8・17(夕)

 むかし中国辺のある城下に、大層髯の立派な町人が住んでゐた。昼は店先に坐つて町を通る人達に、自慢の髯を見せつけるのを何よりの道楽とし、夜になると髯の夢ばかり見てゐた。
 さういつた風に余り髯を大事にし過ぎるので、自然仕事の方はおろそかになつて、店はびれる一方だつた。
「かう不景気ぢやとてりきれない。」
 その男は長い髯をしごいて溜息をくばかりだつた。
 そこの殿様は大の能楽好きで、ちやうどその頃出入の面師にいひつけて能の面をこしらへさせてゐた。
「面に植ゑつけるのに、誰か恰好な髯を持つてないものか知ら。」
 殿様はかう言つて面師に相談をした。面師はその一刹那せつな例の町人の事を思ひ出したので、あの髯だつたら申分はあるまいと言つた。
 殿様は家来に面師を連れさせて、町人のとこ示談じだんにやつた。
「殿様の仰せぢや、お前の口髯が売つて貰ひたい、代りに三十両つかはすから……」
「三十両」と町人は胸で算盤をはじいてゐた。逼塞ひつそくした身には三十両といふまとまつた金は有難かつた。だが、銭金ぜにかねには替へ難いと思つて来た自慢の髯である。町人は自分を納得させるのに、何よりも辞柄いひわけを見つけた。「殿様の仰せと承はりますれば、惜しい髯ではござりますが、御用にお立て申しませう。」
 町人はかう言つて、剃刀かみそりを取り出して、自分の髯を剃り落さうとした。
「待たつしやれ。」と面師は吃驚びつくりしてとどめた。「剃り落したのでは、髯が死髯になつてしまひまする。」
 町人は剃刀を持つた儘、魚のやうなおろかな眼つきをして相手の顔を見た。面師は包みからおあつらへの面を取り出した。そして、
「かうしてお譲り受け申すのぢや。」
と言つて一本一本引つこ抜いて面に植ゑつけた。
 町人は髯を抜かれるたびに、歯を食ひしばつて泣き顔をした。そして自分で自分を納得させるために、
「何事も殿様の仰せでござるから……」
と言つて、大きな掌面てのひらで額の汗をいた。
 寺内伯などは、二言目には「挙国一致」といふ事をいふが、もしか挙国一致で一国の首相に禿頭は見つともないから、一本々々生きた髪の毛を植ゑつけて欲しいと言ひ出したらうするだらう。伯はこの町人のやうに顔をしかめて、じつと辛抱するだらうか知ら。


二十五セント

8・18(夕)

 大阪博愛社の社長小橋実之助こばしみのすけ氏はよるべのない孤児を教育し、教養するのを自分の天職として働いてゐる人である。ところが生憎あいにくと日本には孤児や不良少年をこしらへる紳士は多いが、その養育費を寄附して呉れるむきは少い。
 小橋君は耶蘇教の神様を信仰してゐる。耶蘇教の神様は、二羽の雀が一銭で買へる事と共に、日本人と亜米利加人とは神様の前に兄弟である事を教へて呉れる。
「してみると、米国から幾ら金を貰つて来たつて少しの差支さしつかへもない筈だ、もと/\同胞きやうだいなんだからな。」
 小橋氏はかう思つたので、喜捨金をつのりに遙々はる/″\米国まで出掛けて往つた。
 無賃で天国へまでもける筈の博愛社長にとつて、桑港シスコ行きの二等船賃は決して軽い負担ではなかつた。だが、小橋氏は久し振に俄分限にはかぶんげん同胞きやうだいを訪ねるやうな、晴々しい気持で船に乗込んだ。
 船は無事に桑港シスコに着いた。小橋氏はからつぽの大きな旅鞄をげながら上陸した。
「さあ愈々いよ/\同胞きやうだいの国に着いたぞ。相手は懐中ふところ加減のてあひだ、たんまり土産も出来ようといふものだ。」
 小橋氏は口のなかで讃美歌をうたひながら、大跨おほまたに町を歩いた。町にはおびたゞしい人が出てゐたが、皆他人らしい顔つきをして南京鼠のやうに忙しさうに走り廻つてゐた。
 小橋氏は鞄をひつさげた儘はたと立ち停つた。自分が訪ねてかうとする町の方角が立たなくなつたのだ。で、道通りの人の中から、精々せい/″\親切さうな、信神しんじん家らしい男を見出みだして呼びかけた。
「もし/\一寸おたづねしますが、Nちやうへはきますかね。」
 その男は立ち停つて此方こつちを見た。眼つきが安い絵本にある大工のヨセフに似てるやうにも思つた。
「Nまちへはこれを右へ折れて、とつ附きの四辻を左に折れるといゝ。」
「有難う。」小橋氏は同胞きやうだいに礼をいふ心持で一寸帽子のつばに手をかけて別れようとした。
「もし/\」とその男は呼びとめた。小橋氏は後方うしろを振りかへつた。男は大きな掌面てのひらを小橋氏の鼻先につきつけた。
「物を訊いて心附こゝろづけを出さないつて法があるかい。」
「幾ら出せばいんです。」小橋氏はむつとして牡鶏をんどりのやうなきい/\した声で怒鳴つた。
「二十五仙。」相手は済ましきつて言つた。
 小橋氏が財布から二十五仙つまみ出してその男の掌面に置くと、男はにつと笑つて「移り」でも出した積りらしく言つた。
「こちらではんでもが金でさ。」


牡蠣かきと馬

8・19(夕)

 ベンヂヤミン・フランクリンがある冬馬につて田舎に旅行をした事があつた。雪の多い頃で、夕方ゆふかた田舎の旅籠屋はたごやに着いた頃には、馬も人も砂糖の塊のやうに真白まつしろになつてゐた。
 フランクリンは馬を小舎こやつないで、入口いりくちに立つて外套の雪を叩き落した。
「あゝ寒い、寒い、霊魂たましひまでがすつかり凍つてしまひさうだ。」
 独語ひとりごとを言ひ言ひ内部なかに入つて来た。見ると暖炉ストーブ周囲まはりには、先客せんかくがどつさり寄つてたかつて火いきれに火照ほてつた真赤な顔をして、何かがやがや話してゐた。そしてフランクリンが寒さにふるへてゐるのを見ても、誰一人席を譲つて呉れる者も無かつた。
 フランクリンは気まづさうな顔をして隅つこの椅子に腰を下した。そして亭主を呼んだ。亭主は玉葱たまねぎの匂ひがぷんぷんする掌面てのひらみながら入つて来た。
「へえ、らつしやいまし、何か御用でございますか。」
「うむ、馬を小舎こやに繋いで置いたから、急いで牡蠣を一ますやつてくれ。」フランクリンはかう言つて、亀縮かじかむだ掌面てのひらおとがひを撫でまはした。「からのまんまでいよ、殻は馬が自分で取つて食べるから。」
「馬の飼葉かひばに牡蠣をやつてくれ。」――それを聞いたお客達は、今迄話してゐたお喋舌しやべりめて、一斉に此方こちらを振り向いた。そして、亭主が台所から牡蠣の一ますをもつて、馬小舎に出掛けたのを見ると、
「一体どんな馬だらう、牡蠣を食ふつてのは。」
と言つて、好奇心ものずきに充ちた眼を光らせながら、どやどやとあとからいて往つた。
 フランクリンはにやにや笑ひ笑ひ、隅つこの椅子を立つて暖炉ストーブそばへ往つた。そして、い気持に手足を拡げて、霊魂たましひが息を吹きかへすまで暖まつた。
 フランクリンめ、平素ふだんから人間は正直でなくつちやならぬと言ひながら、寒いとついこんな嘘まで平気で言つてのけてゐる。だが真実まつたくのところ、嘘一つけないやうなろくでなしでは、とても正直者にはなりかねる。


広告新案

8・21(夕)

 京都に陶器を取扱つてゐる男は随分ゐるが、そのなかで、近頃たんまり懐中ふところこしらへた者に松風しようふう嘉定氏がある。
 松風氏は他人ひとのものを取つて来て、自分のものにするのに人並秀れた腕をもつてゐる。――といふのは、何も隣家となりの林檎をちぎつて、自分の腹へ入れるといつた風な事を指すのではない。他人ひとい考へがあつたら、それを借りて来て自分のものにする、つまり応用の才の秀れた事をいふのだ。
 ある時松風氏の店員が、陶器の広告について面白い事を思ひついた。すべて店員などいふものは、得て自分の頭で考へた事を手に教へる前に、先づ社長の耳に入れようとするものだが、この店員もそのためしに洩れず、急いで社長室に飛び込んで来た。
 その折松風氏は卓子テーブルに頬杖をついてこくり/\居睡ゐねむりをしてゐたが、店員が入つて来たのを見ると、急にしかつべらしい顔をして相手を見た。
「何用かな。」
「広告の新案につきまして、ちつとばかし考へついた事がありますさかい……」
「新案か、新案に碌なものはないが、まあ話してみなさい。」
 店員は精々せい/″\京都なまりを出さないやうにして、詳しく新案の談話はなしをした。この店員は自分のもの他人ひとに取られまいとする時には京都弁を使ふが、他人ひとから何か貰ひ受けたいやうな折には、つとめて京都訛りを押し隠さうとする。
 松風氏は黙つて店員の説明を聴き取つてゐたが、相手が喋舌しやべつてしまふと、大きな欠伸あくびを一つした。
「それつきりか、一向下らんぢやないか、ま、そんな事を考へるよか、せつせと仕事に精を出し給へ。」
 その後一月程経つて、くだんの店員は社長室に呼び出された。松風氏は鼻から煙草のけぶりを吹き出してゐた。
「君に一つ聞いて貰ひたい事があるんだ、先日こなひだから吾輩広告の新案について思ひついた事があるもんだからね。ま、そこに掛け給へ。」
 松風氏は店員に椅子を与へておいて、長々とその広告新案について説明を仕出しだした。
 だが、聴いてみると、それは一月程前自分が松風氏に話したものそつくりの案なので、店員はすつかり面喰めんくらつてしまつた。で、やつと一言、
「あんさんのお考へどすさかい、間違まちがひはおへんやろ。」
と言つて、立ち上つた。この場合店員がき出しの京都訛りを使つたのは上出来だつた。何故といつて、これ以上自分のものを取られては、とても立つ瀬が無かつたから。


保険屋

8・22(夕)

 今の世に廃兵と生命保険の勧誘員ほど蒼蠅うるさい者は、たんと有るまい。ある時その生命保険の勧誘員が、亡くなつた上田敏博士を訪ねた事があつた。
 夏の事だつた。勧誘員は扇をぱちぱち鳴らしながら、学者の頭は硝子がらす製のインキ壺と一緒に、どうかするとこはれ易い。それをふせぐには何よりも生命保険に入つて置くに限る、何故といつて生命保険は毀れたインキ壺の代りに、おあしを出して呉れる。おあしでは新しいインキ壺を買ふ事も出来れば、麺麭菓子パンくわしを買ふ事も出来るといつた風な事を喋舌しやべつた。
 博士はそのあひだ煙草をふかしふかし黙つて相手の顔を見つめてゐたが、一しきりお喋舌しやべりが済むと、静かな調子で、
「それぢや生命保険といふものは、まるで女郎のやうなもんですね。」
と奇妙な事を訊いた。
「え、女郎のやうだと仰有るんですか。」勧誘員はすつかり度胆を抜かれた容子ようすで目を白黒させた。「何故でございますね。」
「でも君、肉体からだで稼ぐんぢやないか。」博士は冷やかに笑つた。「僕はそんな真似は厭だね。」
「へへへ……肉体からだで稼ぐには恐れ入りましたね。」
といつて勧誘員はふざけたやうに、一寸お辞儀をしたが、とても駄目だとあきらめて、素直につて帰つた。
 またある生命保険の勧誘員が、大阪の弁護士日野国明氏を訪ねて往つた事があつた。その男は例の調子で、生命保険にさへ入つて置けば、老人としよりになつても気楽に日が送れるし、死ぬる時にも安心して息が引き取れるといつたやうな、うまい事づくめを言つたものだ。
 すると皮肉屋の日野氏は感心したやうにかぶりつた。
「ふむ、生命保険つて、そんな結構なもんかね。」
「全く結構づくめなもので御座いますよ。就いては何卒どうぞ一つ……」
といつて、勧誘員は保険率の刷物すりものを取り出して、そつと畳の上に置いた。
「そんな結構なものだつたら、君一人入つて内証ないしようにして置けばいぢやないか。」日野氏は苦味丁幾くみちんきのやうな言葉を相手の顔一杯に投げつけた。「人もあらうに見ず知らずの僕にまで知らせるなんて、君も余程よつぽど親切な男と見えるね。」
 親切な勧誘員は、そこ/\に座をつたが、それ以来二度ともう日野氏に勧めようとしなくなつた。


尻と腹

8・23(夕)

 土筆つくしばう二人連ふたりづれで頭をもたげるやうに、偉い主人は屹度きつと秀れた家来を連れて出るものなのだ。熊本の名君細川霊感公の家来に堀勝名かつなが居たのもちやうどそれである。
 それまで熊本には罪人を取扱ふのに、死刑と追放と、この二つしか無かつたのを、勝名の考へで刑と刑とがそのほかに設けられる事になつた。笞刑は言ふ迄もなく、しりぺたを叩くので、それに用ひられるむちが新しく買ひ込まれた。
 だが、勝名はその笞で罪人の尻つ辺を幾つ叩いていいものか見当がつかなかつた。その時分熊本の城下にはどやしつけていい尻はどつさり有つたかも知れないが、他人ひと身体からだでは肝腎の痛さは判らなかつた。
 そこで勝名は自分の尻を叩く事にめた。ある家来の子供にしこたま御馳走をふるまつて、上機嫌になつた時、大きな尻をまくつてその鼻先に突きつけた。
「さあ、その笞で思ひきりどやしつけてくれ。」
 子供は狸をとつちめるやうな積りで、きつく尻つ辺を叩きつけた。勝名は顔をしかめながら、
「さ、も一つ気張つて叩いた……」
と言つて、肌が紫色にれ上るまで笞を続けさせたといふ事だ。
 流石は勝名で、思ひ付が面白いが、しか真実ほんとうの事をいふと、他人ひとの尻で済む事なら、自分の尻は成るべく叩かぬ方がよい。これを一番よく知つてゐるは発明家のエヂソンであつた。
 エヂソンは今日こんにちまで色々の事を発明したが、その才能は早くも子供の時から現れて、ちやう七歳なゝつの頃、学校教師から袋に瓦斯ガスると風船が出来ると聞いて、早速それを試してみようとした事があつた。
 エヂソンが風船の材料として選んだのは、八歳やつゝになる自分のお友達だつた。この小発明家はお友達に沸騰散をしこたま飲ませておいてあとからお冷水ひやをぐつと一杯煽飲あふらせた。
 エヂソンの考へでは、かうすればお友達の腹に瓦斯が一杯詰まつて、風船のやうに地面からすつと持ち揚がるに相違ないと思つてゐたのだ。――が、いつ迄待つてもお友達は持ち揚らなかつた。
「こんな筈ぢや無いんだがなあ。」
と言つて、小発明家は失望した顔をした。
 だが、お蔭でお友達の腹のなかは雷のやうに鳴り出したに相違ない。得て無益やくざな事ばかり書きたがる歴史家は、この小さな腹の出来事については何一つ書き残してゐない。


知らぬ女

8・24(夕)

 小山内薫氏が大塚教会の女神様をんなかみさまを信心して、終電車を引留めた話は前に言つた事があつた。今日もその信心話についても一つ書いてみる。
 ある日小山内氏が原稿書きにも飽いて、ペリカンのやうにあんぐり欠伸あくびをして時間ひまを潰してゐた事があつた。すると誰か知ら玄関に訪ねて来た者があつた。
「御免下さい、小山内さんと仰有いますのは此方こちら様でいらつしやいますか。」
 柔かい天鵞絨びろうどのやうな声なので、小山内氏は弾機細工ばねざいくのやうに机の前からち上つた。
「はい私どもでございます。」
 この小説家は勢ひよく玄関の障子をけた。そこには、小意気な下町風の若い奥様が立つてゐた。
 女は恥しさうにして訊いた。
「小山内さんは居らつしやいますでせうか。」
「小山内は私ですが、誰方どなたでいらつしやいますか、貴女あなたは。」
 小説家は覗き込むやうにして女の顔を見た。
 女はまた燃えるやうな眼をあげて男を見た。四つの眼が衝突ぶつつかつた時、男は霊魂たましひまで焼かれるやうな気持がしたので、そつとぽうに視線をそらした。
「おゝ、貴方だ貴方だ。」
 女は思はず声をたてて、一あしに玄関へ飛び上つた。小山内氏は何の事か一向せなかつたが、どんな場合にも女に生捕いけどられるのは苦しむものだと知つてゐるので、直ぐ次ぎの間に逃げ込んで、家鴨あひるのやうに我鳴つた。
「違ひます、違ひます。僕と違ひますよ。」
「いゝえ、違ひません、お顔に見覚えがあるんですもの。」
 女は幾らかおちついて言つた。そしてかうして唐突だしぬけに訪ねて来た一部始終を話した。それによると、女は長い事胃腸病で困つてゐたが、あるの夢に若い男が来ておなかさすつて呉れた。そして「わしは大塚教会の小山内といふ者だ。」と言つてその儘消えてなくなつた。ふと目がさめてみると、病気の痛みは削り取つたやうになほつてゐるので、女は嬉しさの余り教会で、小山内氏のとこを訊いて、やつと訪ねて来たといふのだ。
「でも、お顔が夢でお目にかゝつたのと、そつくりなんですもの。」
 女はかう言つて、また男の顔を見た。
 小山内氏はその大事な顔を海老のやうに真赤にした。そして自慢さうに言つた。
「してみると、僕だつたかな。さうです、矢張やつぱり僕に相違ありませんよ。」
 小山内氏はい事を承認したものだ。もしか女がその折おあしを立て替へたとでも言つたら、「ほんとにさうだつたね」と二つ返事で身銭みぜにを切つて払つてやるとなほよかつた。


親達の体操

8・25(夕)

 夏中上総のみなと海岸で廿名ばかりの子供れんを遊ばせてゐる少年臨海団といふ一つの団体がある。団長は例の裸頭跣足主義で名高い高木兼寛氏である。
 大部分裸麦の成分から出来上つてゐる高木氏の頭では、今の日本人はとても見込が無い。何でも子供のうちから自分の主義通りにこしらへ上げてみなくつちやといふので、この少年臨海団は出来上つたのだ。
 だが、子供を養成すると同時に、禿頭の親父おやぢ連をも教育する事が出来たら申分は無いのだ。子供には歪みなりにも学校はあるが、気の毒な事には親父おやぢの入る学校はまだ出来てゐない、世間の親父おやぢが段々おろかになるのは、かうした理由わけかも知れないと高木氏は思つた。それに実をいふと、高木氏にしても子供に賞めて貰ふよりは、親父おやぢに感心して貰ふ方が好きだつた。
 で高木氏はその臨海団を湊海岸に連れてく前に、一度自分のやしきにその親達を招待せうだいした。親達は禿頭をてか/\させたり、胡麻白ごまじろ丸髷まるまげかしげたりしてつて来た。誰も彼も聞えた物持連で、高木氏のよくいふ、麦飯の身体からだにいゝ事も、耳ではよく承知をしてゐるが、口では一向に知らない連中れんぢゆうだつた。
 一しきりお説教がすむと(説教好きな高木氏は、聴衆きゝてが居なかつたら、椅子を相手にでも麦飯のお説教をし兼ねない)高木氏は焼栗のやうに日にけた子供達の顔を見ながら言つた。
「さあ、これから一ついつもの運動でも始めるかな。」
 すると、子供達は小島のやうにさつと散らばつて各自めいめいの位置に着いた。そして力一杯声を張りあげて、
「忠君愛国、天真爛漫……」
と一斉にわめきながら、手を挙げたり、足をはだかつたりした。
「へへへ……面白いですな、あれだから健康たつしやになりまさ。」と親達が感心して見惚みとれてゐると、高木氏はづかづかとやつて来た。そしてしやがれた声で、
「さあ、皆様もお始めなさい。子供につてい事が、大人につて悪い事はありませんぞ。」
と叱りつけるやうに言つた。
 皆はその権幕に吃驚びつくりして、弾機細工ばねざいくのやうに一度に飛び揚つた。そして子供達と一緒に声を合はせて、
「忠君愛国、天真爛漫……」
と喚きながら猿のやうに手を挙げたり、足を踏み跨つたりした。
 だが、高木氏の考へは少しまづかつた。そんな事を教へて今の紳士達がすつかり達者になつて、長生ながいきでもしたらうするつもりだらう。呉々くれ/″\も言つておく、すべい事はこつそり若い者にだけ教へておく事だ。


議員と子供

8・26(夕)

 亜米利加の国会議員にタルボツト氏といふ男が居る。何か飛んでもない失敗しくじりでもしなければ、滅多に他人ひとに名前を知られさうもない男だが、幸福しあはせな事には一つ失敗譚しくじりばなしを持つてゐる。
 この男が先日こなひだヴアージニアのヴアノンが岡に住むでゐる一人の友達を訪ねようとして、馬車旅行を企てた。ヴアノンが岡といへば、誰もが知つてゐる通り、亜米利加の開祖ワシントンが長く住んでゐたところで、タルボツト氏の友達は何でもその直ぐ近くに家を構へてゐるといふ事だつた。
 すべて名所旧蹟の近くに住居すまゐを構へるといふ事は、自分にとつては兎も角も、訪ねて来るお客達きやくだちにとつては、分り易くて便利なものだが、生憎あひにくタルボツト氏は従来これまで一度も国祖の旧棲を訪ねた事が無いので、一寸方角が立たなくなつた。さうかといつて自分の行く先を馬に訊く事も出来なかつた。特別の場合のほかは馬は大抵主人よりはばかなものときまつてゐるから。
 ところが都合よく学校帰りの子供が一人そこを通りかゝつた。タルボツト氏は車の上から訊いた。
「ちよいと坊や、お前ワシントンのおうちを知つてるかい。」
「知つてるよ。」
と子供はまるまつちい顔をあげた。
「ぢや、叔父さんに教へてお呉れ。」
 国会議員は生命拾いのちびろひをしたやうな顔をした。
 子供は自分の今来た方角を指さした。
「これを真直まつすぐにおきよ、さうすると自然ひとりでにワシントンのおうちの前へ出ら。」
「有難う、坊やはだね。」
とタルボツト氏は資本もとでのかゝらない愛嬌笑ひを見せて馬に一鞭あてた。馬は急にワシントンとは昔馴染だつたやうな顔をして、いきほひよく駆け出さうとした。
「叔父さん」と子供はあとを見送りながら呼んだ。「そんなに急がないで、ゆつくりおきよ、ワシントンはもう死んぢやつてるんだよ。」
 子供といふものはうまい事をいふものだ。日本にもこの頃では大急ぎで山登りや名所めぐりに走りまはつてる人も少くないが、まあ緩くりおちついてやるさ、相手は生者いきものではなし、逃げ隠れもしないのだから。


猫と四斗俵とべう

8・27(夕)

 政治家ほど無益やくざな者は無いが、その政治家をけたら、鼠ほど無益やくざな余計者は滅多にあるまい。その鼠の征服者として猫を発見めつけた事は、アメリカ大陸の発見にもまさる人生の重大事である。
 ゲエテはその『狐の裁判』で、「猫はなりこそ小さいが、分別もあり、哲学をも知つてゐる。」と言つた。実際猫は鼠をる以外に、哲学の素養があるので、よく色々の偉い人のお友達となる事が出来た。仏蘭西の名高い政治家リセリウが、死際に可愛かあいい自分の飼猫に少からぬ遺産を残したのは名高い話だ。
 猫がその遺産を慈善事業に寄附したか、それとも利廻りのいゝ株でも買込んだかうかは知らないが、よしんばその遺産が無かつたにしても、猫は多くの哲学者のやうに空腹すきばらを抱へるやうな事は滅多にない、何故なら猫は哲学と一緒に鼠をる事をも知つてゐるから。
 議員の俸給にきまりがあるやうに、猫の食量にも限りがある。往時むかしから猫一匹が一年中の食量は、ざつと米一俵としたもので、もしかこれ以上に食べるやうな猫があつたら、それは大物食おほものぐひで、哲学者とは言ひ兼ねる。
 ところがこの事実から立派な一つの発明を仕遂げた男がある。それは讃岐の塩田忠左衛門といふお爺さんで、お爺さんは猫に四斗俵一つは余り値段が張り過ぎる、
わしならその半分で済ませてみせる。」
と、自慢らしく言ひ言ひしてゐる。
 実際お爺さんはそれをり通してゐるのだ。その法といふのは収穫とりいれの時もみ二斗を鼠一年分の餌として、土間の隅つこに俵の儘残しておくのだ。すると、夜になつて家中うちぢゆうの鼠がこそ/\這ひ出して来て、鱈腹たらふくそれを食べるが、籾二斗で恰度ちやうど一年分の餌に足りるさうだ。
「こんなにさへしておくと、鼠も温和おとなしいもので、米櫃こめびつ一つかじらなくなる。お蔭で猫なぞ飼はなくともいい。」
と爺さんは皺のよつた小鼻をぴく/\させてゐる。
 だが、それは猫を唯の鼠捕ねずみとりとして見た上の事で、猫はそのほかにまた哲学者である。ちやうど亡くなつた菊池大麓氏が枢密顧問官と同時に哀れな数学者であつたやうに……。


男爵と牛飯ぎうめし

8・28(夕)

 頃日このあひだ亡くなつた岩村透だんは、平素ふだんから自分を巴里パリー仕立したての結構な美術家だと信じてゐた。正直なところ、巴里仕立の美術家にしては、岩村男は全くが下手だつた。だが、その代りにたしなみの方ではまざりつなしの画家ゑかきにならうとして、いろんな物を食べ歩いた。
 ある時美術学生の一人が学校の廊下で岩村男を呼びとめた。
「先生、是非貴方にお知らせ致したい事があるんです。」
「何だね、乃公おれに知らせたいつてえのは。」
 岩村男はおよそ世間に自分の知らない物は何一つないといつたやうな顔をした。
美味うまい牛飯屋が一軒あるんです、御存じですか、本郷の中央会堂の横丁に。」
 学生はいつの試験にも、岩村男に辛い点を附けられてゐるので、こんな事位で御機嫌を取直す事が出来たなら安いものだと思つた。実際岩村男が受持の西洋美術史の講義を覚えきるのは、男爵にしても、平民の子にしても容易な事ではなかつた。
「さうか、いゝ事を教へて呉れた。中央会堂の横丁だね。」
 さう言つて学生に別れた岩村男は、控室に帰つて角々かど/\り切れたいつも紙挟ポートフオリオを小脇にはさむだと思ふと、直ぐ表通りへ飛び出した。そして物の二十分と経たぬに会堂わきの牛飯屋の店先に立つてゐた。
 だが、その日の牛肉は男爵にもなれないで、一生き使はれた古牛ひねうしの肉だつたので、齲歯むしばの多い岩村男にとつては、噛み切るだけが却々なか/\容易な事ではなかつた。
「何が美味うまいんだ、まるくつかゝとでも噛むやうなもんだ、ひどい目に会はせやがる。」
 ぶつぶつぼやきながら、この美術家はやつと一ぜんだけ掻き込むだ。
 そして歯医者へ通ふ病人のやうに顔を歪めて表通りへ出ると、ばつたり出会つたのは、先刻さつき学校の廊下で自分を呼びとめたその学生だつた。
「先生、もうらつしやいましたの、一寸召しあがられるでせう。」
 学生は心安さうに言つたが、男爵は顔を歪めた儘返事一つせなかつた。――お蔭で学生はいつもよりまた美術史の点を少くしてしまつた。


肉饅頭にくまんぢゆう

8・29(夕)

 近頃チヤールス・シユワツブといふ男が、カアネギーとほか富豪かねもちとの比較をした事がある。比較といふのは、何も財産の事なぞいふのではない。身代較べはいつのでも税務署の役人か、さもなければ馬鹿者かのする事で、賢い人はそんな事には頓着とんぢやくしない。
 シユワツブはかう言つてゐる。――ここに甘味うまさうな、肉饅頭が一皿置いてあるとする。他の富豪かねもちだつたらそれを見ると、
「や、うまさうな肉饅頭があるな。おい皆来て見ないか、乃公おれはこれから肉饅頭を食べるんだよ。」
と、其辺そこいらに居合はす番頭手代を駆り集めて、そのなかでい気になつて皿の物をぱくつくにきまつてゐる。
 ところが、カアネギーだけは、そんな真似をしない。この男は皿の肉饅頭が目につくと、
「や、肉饅頭があるな、おい皆来て乃公おれと一緒に食べないか。」
と言つて、屹度そこらに居る店の者を呼び寄せて、一緒に食べようとするに相違ない。
 と、かう言ふと、そんぢよ其辺そこら富豪かねもち達は、雀のやうに口をとがらせて、
「そんなだつたら何もカアネギーに限つた事ぢやない。私だつたら肉饅頭どころか、ライスカレイがもう一皿あつたつて、それも皆と一緒に食べて見せる。そして食後には金口きんくちの巻煙草を一本づつ呉れてもい。」
と言ふかも知れないが、まあ、一寸待つて欲しい。
 つまり資本主しほんぬしが儲けを得たら、それを使用人と一緒にけてたのしむといふのは、カアネギーから始まつた事で、これ迄の富豪かねもち達の知らなかつた事なのだ。だからシユワツブは言つてゐる。
「カアネギーのおやぢめ、肉饅頭を半分食つただけで、すつかり新時代の資本家になりすましてしまつた。」つて――。


禅僧と扇

8・30(夕)

 熊本といふところは、海と市街まちとの間に屏風のやうな山がぬつと衝立つゝたつてゐるので、凉しい海の風はそれにさへぎられて吹いて来ず、夏になると、市街まちの人はフライ鍋でりつけられる肉のやうに、真赤になつて汗をかいてゐる。
 ある夏の事、熊本の県会議事堂で釈宗演しやくそうえん師の提唱があつた。名高い禅師ぜんじの事だ、こんな暑さには、何か屹度アイスクリームを食べるやうな、凉しい話があるに相違ない、事に依つたら、来世で大手をふつて極楽へ通れる紹介状を書いて呉れまいものでもないと、色々な連中がぎつしり会場へ集まつて来た。
 その日も蒸暑むしあつかつた。すべてに公平なお天道様てんとうさまは、禅坊主が来たからといつて、つておきの風を御馳走する程の慈悲も見せなかつた。皆はえりくつろげて扇をばたばたさせた。そして広い熊本でむつかしい、理窟つぽい事の解るのは、先づここに集まつた自分達だけだらうといつたやうな顔をした。
 宗演禅師はいかつい眼つきで皆を見下みおろした。そして一語一語が五十銭づつの値段でもするやうに、ぽつりぽつりと口を切つた。皆はそれを聴落ききおとすまいと小首をかしげて耳を引つ立てた。禅師の言葉は噛みつくやうに皆の頭に落ちて来た。
「要するに、三がいすべてこれ一心ぢや、寒いといふ心、暑いといふ心、心頭を滅却すれば火もまた凉しぢや。」
「火もまた凉しだつて……うまい事を言つたもんだな、成程なるほどさう聞いてみると万事が心一つだわい。」
 皆は感心したらしく腹のなかでさう思つた。そしてそんな有難い「心」といふものを持つてゐる自分達の幸福しあはせを思つた。――だが、さう思つても矢張やつぱり熊本の夏は暑かつた。皆はその暑さを調節するのに、有難い「心」を用ゐないで、有り合せの扇をばたばたさせた。
 気がいてみると、会場のなかに宗演禅師一人だけは扇を使はないで、平気な顔をして椅子に腰をおろしてゐる。
「やつぱり心一つだ。偉いもんさ、火もまた凉しなんだからね。」
 皆はかう思つて感心したやうに首をひねつた。――だが実をいふと、火もまた凉しかつたのに無理はない、その折ふすまの蔭から、小僧の一人が皆に隠れて、両手に大団扇おほうちはをもつて、禅師をあふいでゐたのだから。


女と歌

8・31(夕)

 女といふものは、なにによらず長過ぎる物が好きだ。むかしゲエテは友達にやる手紙に、
「今日は心が忙しいから、不本意ながら長い手紙を書く。」
と断つて、手紙の長いのを恥ぢたものだが、女にそんな気の利いたことは解らない。女は手紙の文句が長くさへあれば、相手の男を親切者だと思ひとつてしまふ。
 白河楽翁公が老中を勤めてゐた頃、大奥の女中仲間に、煙草盆に緋の紐をつける事が流行はやつた。女の好みだけに紐は煙草盆をぐつと差しあげても、まだ畳の上できずる程長かつた。
 楽翁公はそれが気になつて溜らなかつた。ある日の事老女の一人を呼び寄せた。老女は狐のやうに長い尻つ尾を持つてゐさうな女だつた。
「他でもないが、あの煙草盆の紐だね。」と楽翁公は言つた。「あんな物をぶらげてゐたところで、何の役に立つといふぢやなし、いつそめたらどんなものだね。」
 老女は石のやうにつめたさうな顔をあげた。
「これはまたもつてのほかのお言葉かと存じます。御老中様には御存じないかも知りませぬが、あの紐と申しますのは、徳川のお家の長いのを寿ことぶくために、長目に致してございますので、唯今のお言葉で伺ひますと、まるでお家が早く滅びましても……」
「もうい。解つた、解つた。」
 楽翁公は顔をしかめて手をふつた。長い物好きな女の哲学には、流石の政治家も手を引つ込めてしまつた。
 ある時茶話記者のもとへ、歌を十首ばかり持ち込んだ女があつた。歌は十首とも失恋の歌だつたが、揃ひも揃つて字余りの三十五六字の上を越すやうなものばかりだつた。
「少しばかり字が多過ぎるやうですね。」
「ええ、心持が有り余るもんですから。」
 記者は魚の骨が咽喉に刺さつたやうな気持がしたが、それでもやつと返事だけはした。
「そんなだつたら四十字迄はいいでせう、泣かれるよりかましですからね。」
 その後女は相変らず歌を作つてゐる。だが、もう字余りは少くなつてゐる。


帽の着様きやう

9・1(夕)

 清浦奎吾きようらけいご氏は持前の容貌かほたちが、頭は尖つてゐるし、眼は小さし、余りどつとしないので、せめて態度やうすにでもしつかりしたところが無くつちやと、自分の社会的地位がのぼるに連れてそれをひどく気に病んだものだ。
 で、身体からだに勿体をつける為に、団十郎の舞台を手本にする事にめた。団十郎はあの通りの名優だつたので、平素ふだんは馬のやうな顔をして、馬のやうににやにや笑つてゐる唯の爺さんに過ぎなかつたが、一度役に扮して出ると、舞台一杯に大きくなつた。清浦氏はその呼吸を見て帰つては、こつそり手習ひをした。そしてやつと自分のがらひれをつける事を覚えた。
 政治家、軍人といつたやうな、世間の前に立つてお芝居をする必要のある人達は、相手の頭に強く自分を焼きつける為には、ほかに真似手のない特別お誂への態度やうすをしなければならぬ事になつてゐる。
 英皇帝エドワアド七世の肖像画を見たものは、皇帝がいつも競馬用の眼鏡と、上等の葉巻とを手に持つてゐるのを覚えてゐるだらう。どんなに競馬好きの皇帝にしても、聖書を読む折にまでそんな眼鏡は使はれなかつたに相違ないが、エドワアド七世の肖像といへば、どんな場合にも、あの眼鏡と葉巻とが附き物になつてゐる。ちやうどジヨセフ・チエムバレンに一眼鏡モノクル附物つきものになつてゐるのと同じやうに。
 この頃それを際立つてよく利用してゐるのは、英国のベチイ提督である。提督は普通の海軍軍人とちがつて、制帽を心もち横つちよにかぶつてゐる。そして目廂まびさしの下からまぶしさうな皮肉な眼つきでじろりと相手を見つめてゐる。
「あの横つちよに帽子をてるのが意気だわ。いたらしいベチイさん。」
と言つたやうな訳で、提督の写真は英国婦人の仲間に、魔除まよけのお守符まもりなにかのやうに大層流行はやつてゐる。
「だから言はないこつちやない、広告には何でも人の気を特徴めじるしが無くつちや。」
と、英吉利のある広告学者は、提督の帽子のやうから、取つて附けたやうな講釈をしてゐる。このてあひは耶蘇が磔台はりつけだいあがつたのを、素敵な広告法だと思つてゐる仲間なのだ。


不折ふせつの書

9・3(夕)

 中村不折氏が子供の寄木細工よせぎざいくのやうな文字を書いて、「六てうだ、六朝だ。字は何でもかう書かなくつちや。」
と得意がつてゐるのは名高い話だ。六朝の文字があんなだつたかうかは知らないが、もしかそれが御家流おいへりゆうのやうな字だつたにしても、不折氏は矢張り今と同じやうにそれを真似て「六朝だ、六朝だ」とい気になつてゐるに相違ない。
 あゝした不折氏の書も世間には好きな人があると見えて、ちよいちよい画絹ゑぎぬや画箋紙を持つてそれを頼みに出掛けるのがある。
「是非一つお願ひ致したいもので御座います。書はどうも六朝でないと見醒みざめが致しましてね……」
 かうは言ふものの、依頼者の腹では、を頼めば、潤筆料がどつさり要る。書だとお辞儀を三つばかしすればそれで十分だと、ちやんと算盤珠そろばんだまはじいてあるのだ。
 不折氏も初めのうちはその手に乗つて、い気になつて六朝を書いたものだが、近頃ではやつとその魂胆に気づいたらしくたまに書を頼みに来るものがあると、
「私は画家ゑかきだ、書はほんの道楽に過ぎないんだから、道楽のために閑潰ひまつぶしは御免をかうむる。」
ときつぱり跳ねつける事にめてゐる。
 尤も書と一緒に油画あぶらゑ水画みづゑの一枚も、頼む事が出来たらそれはまた別の話で、そんな折には不折氏は閑潰しな道楽文字を書いて呉れるばかしか、書の講釈までも聞かせて呉れる。そしてまた加之おまけにお茶受ちやうけの菓子までも食べさせて呉れる。その菓子といふのは、不折氏の油絵のやうに、水気のないからからのビスケツトである。
 だが油絵の依頼は、ふところ加減に少し工合ぐあひくないので、大抵の依頼者はその儘引き下つてくが、帰りがけには屹度門札をぺがしてくのを忘れない。
「まあ、これでも貰つて置くさ。」
 そのせゐで、不折氏の門札はいつもさらだ。そしてその六朝文字が初めから段々とちがつて来てゐる。


あふひの上

9・4(夕)

 文学士富尾木知佳とみをきともよし氏は東京音楽学校の教授で、かねてまた邦楽調査会の委員である。
 その邦楽調査会の用事で、富尾木氏が京都にやつて来た事があつた。早稲田大学で国文学の講義をしてゐる人に五十嵐ちから氏がある。初めて京都へ来てみて、加茂川が自分の想像と大層違つてゐるのを見て、女のやうな上品な口をつぼめて変な顔をしてゐた。旅をすると、何かきつと拾ひ物があるものだ。富尾木氏が京都に来たのは決して悪い事ではなかつた。
 平家琵琶の検校けんげう藤村性禅しやうぜん氏がまだ生存してゐた頃で、富尾木氏もこのめくら法師が波多野はたの流の最後の人である事はよく知つてゐたので、態々わざ/\宿に招いて平家の一曲を所望する事にめた。
 藤村検校は琵琶をいて入つて来た。検校はどんな音楽会でも、平曲へいきよくだけは別物だといつて、いの一番に語らなければ承知しなかつたものだが、この日は一先づ琵琶を膝の上に置いて世間話をした。世の中には結構な音楽よりも、とぼけて世間話でもて聴かせた方が、ずつと利益ためになる人があるのを検校はよく知つてゐた。
 一しきりそんな話が済むと、検校は琵琶を取り上げた。
「何に致しまほ。御所望の曲がおしたら何なりと……」
 検校はばちをとつて一寸威儀をつくろつた。富尾木氏は「さあ」と言つて、白い巻煙草のけむの中で眩しさうに眼を細めてゐたが、暫くすると、
「それぢや葵の上でもやつて貰はうか。」
と言つて、忙しさうにまたけぶりを吐き出した。
「葵の上を?」
 検校はだしぬけに鼻でもつままれたやうに、顔中をくしやくしやさせた。そして富尾木氏のわきに坐つた相客の方へ首をぢ向けた。相客といふのは、島華水、岡本橘仙、湯浅半月……といつたやうな、検校とは古馴染で、これまで幾度いくたびか平家琵琶を聞いて、無事に生存いきながらへてゐる程健康な人達だつた。
 だが、その人達は平気な顔をして控へてゐた。とんちんかんの多い世間で、一々それを笑つては、笑ひきれるものでないといふ事をよく知つてゐたのだ。検校はきまり悪さうに言つた。
「源氏には葵の上の巻もおしたやうに存じてりますが、平家にはおへんどすな。尤も小督こがうの曲の前に葵の前といふのが一つおして……」
 富尾木氏はそれを聞くと、羅字らう屋の釜のやうに鼻から口から白い煙を吐出はきだした。
「源氏にある事が平家に無いといふ法はない、是非一つ葵の上を平家の節で聞かせて貰ひ度い。」
 気の毒な盲法師は、とても自分の手では出来さうにもないといつて、匆々そこ/\に琵琶をしまつて座を立つた。
「源氏にある事が平家にないといふ法は無い」――ほんとにさうだが、しかし広いは世間で、富尾木氏の持つてゐる二つの眼が、検校には無いといふやうな例もある。そして検校の眼が見えないばかりに真赧まつかになつた顔を見られずに済む事も出来る。


すし餞別せんべつ

9・5(夕)

「受くる者よりも、与ふる者の幸福しあはせの方が大きい。」
と、宗教家は口癖のやうに言つてゐるが、さういふ宗教家は、いつも受ける方の地位には立つが、滅多に与ふる者にならうとはしない。ちやうどそのやうに女は男に対して、いつも受ける方で何一つ与へて呉れようとはしない。
 みじめなのは男で、いろんな宝石や織物でもまだれ足りないで、しまひには「名誉」や「霊魂たましひ」までも進物にしようとする。女が生れつき立派な商人あきんどで、そんな無益やくざな物に眼をくれるものでない事すら判らなくなるのだ。
 女流声楽家三浦環女史が倫敦ロンドンに居る頃、女史の周囲まはりには医者や、銀行員や、外交官や、大学の助教授やが油虫のやうに寄つてたかつて、御機嫌取りに色々の進物を女史の足もとに持ち運んで来たものだ。
 かうしたおびたゞしい男の進物に対して、女史は多くの女と同じやうに何一つ返礼をしなかつた。時偶ときたま片眼を細めて一寸笑つてみせる位が精々だつたが、それがまた男にとつては無上に嬉しかつた。万一もしか女史が二つの眼で一緒に笑つてみせて呉れる事だつたら、男達をとこだち各自てんでに自分のしんの臓を掴み出してみせるか、それともかはづのやうに飜斗とんぼがへりをしてみせたに相違ない。
 ところが一度不思議な事があつた。それはちやうど今東北医科大学にゐる加藤豊治郎博士が倫敦の下宿を立つて大陸漫遊に出かゝつた朝の出来事で、見送りに来てゐる多くの日本人を掻き分けるやうにして環女史が其処そこに現れた。皆はこんな美しい人に見送られるのだつたら、いつそ今から地獄へ旅立つても構はないとでも思つてるらしかつた。
 環女史は小さな包みを取り出して加藤氏の掌面てのひらに載せた。
「お鮨なんですよ、昨夕ゆうべ大使夫人にお招きにあづかりましてね、その折戴いた御馳走なの、貴方に上げたいと思つて、態々わざ/\持つて、帰つたのですわ。」
 女史はかう言つて、いつものやうに片眼で笑つた。
「さうですか、どうも有難う、御親切は忘れません。」
加藤氏は嬉しさが一杯で泣出しさうな顔をした。
しからん、一きれ位僕にも裾分けしたつてよかりさうなもんぢやないか」と近眼ちかめの銀行員がそばにゐる助教授の耳許でぼやいた。「僕は先日こなひだ電車のなかで女史が落した手巾ハンカチまでも拾つてやつたんだ。加藤が何をした、奴はその折夕刊を読んで知らん顔をしてたぢやないか。」
せよ、見つともないから。」
と助教授は相手をなだめながら皆の顔を見た。皆は歪むだ顔をして、吸ひつけられたやうに鮨の折を見詰めてゐた。
「一きれ頬張らせて呉れたらなあ、俺は羅馬ローマまでもいてくよ。」
 助教授は皆の眼のなかに、こんな言葉を読む事が出来た。
 女に教へる。――貰ひ物でも何でもい、すべて鮨の事/\。


女と茶入

9・6(夕)

 小堀遠州といへば、茶人切つての技巧家だが、実世間の世渡りも万更ではなかつたと見えて、徳川の二代将軍秀忠にも気に入つて、茶事ちやじといへば屹度相談を受けたものだ。
 遠州は茶器の鑑定めききうまかつたので、将軍はいつも大金をこの男にまかせて、色々いろんな名器を集めさせた。ところが、遠州はその金を一万両ばかし自分の用につかひ込んだ。不都合な話で、かういふ男は銀行家には困りものだが、今の銀行家は悧巧者そろひだから、遠州からお茶は習つても、費ひ込みだけは習はうとしない。
 公儀の預り金を一万両も費ひ込んだとあつては、家は断絶にまつてゐるが、遠州ほどの名人をそんな羽目に会はすのも気の毒だつた。で、井伊掃部頭かもんのかみと酒井左衛門尉さゑもんのじようとが仲に立つて、一万両は綺麗に償つて呉れた。茶人にしても罪人にしても、親切な友達は持つた方が都合のいものだ。
 遠州は二人に何がなお礼をしたいものだと思つた。遠州は男だつたから、他人ひとの親切をながら、女のやうに唯笑窪ゑくぼを見せて済ます訳にもかなかつた。で、自分の秘蔵のなかから茶器を二つ取出して、親切な二人に贈つた。酒井家が貰つたのは「飛鳥川」と銘の入つた茶入、井伊家のは宗祇の歌だつた。
「飛鳥川」の茶入は、遠州がまだ若い頃京都で掘り出したものだが、その時分には、
「使ふにはまだ新し過ぎるから。」
と言つて、大事にしまひ込んで置いて、後に堺に来てから取り出して見て、
「ほう、ちやうど使ひ頃になつとるわい。」
と、箱書に「昨日きのふと過ぎ今日と暮して飛鳥川流れて早き月日なりけり」としたゝめて、その儘使ひならしたものだつた。
 茶入にも使ひ頃がある。人間にもそれが無い事はない。とりわけ女を取扱ふのには、何よりも先にそのこつを覚えなければならぬ。女は茶入と同じやうに、結構な芸術品だからである。


出世の秘法

9・7(夕)

 詩人バイロンが華やかな、奔放な詩風で一代の人心――とりわけ若い婦人をんなの心を支配した頃は、欧羅巴ヨーロツパの青年達はみなバイロンのやうにその髪を長目にし、加之おまけにバイロンのやうにわざびつこをひいて歩いたものだ。
 安永の老中、田沼主殿頭とのものかみには妙な好みがあつた。それは、銀製の牛をこしらへてそばに置き、ひまさへあれば呪文を唱へて、そのせなを撫でてゐる事だ。
 そのまじなひのせゐうかは知らないが、主殿頭は、身分不相応に出世して、紀州藩の小役人から老中らうぢゆうにまでなつた。それを噂に聞いた当時の人達は、
「あの出世は牛のお蔭に相違ない、何でも偉くならうと思つたら、牛のせなを撫でてやる事だ。」
といつて、牛を拵へて撫でる事が大流行おほはやりに流行つた。
 なかには主殿頭の向ふを張つて、大気張おほきばりに銀の牛を拵へたのもあつたが、大抵は木で削つたか、土で焼いたかしたのが多かつた。そんなてあひに限つて、万一もしか都合よく出世したら、その暁に銀の牛を拵へても遅くはあるまいと思つてゐた。
 お蔭で瀬戸物みせや、彫物ほりもの師は牛の註文で懐中ふところを膨らませたのも少くなかつたが、それを撫で廻した人達が、幾人いくたりづばぬけて主殿頭のやうな出世をしたかは判らなかつた。
 今の寺内首相なども、軍人の癖に、右手を胡瓜きうりのやうにぶら下げた儘で、それでゐて首相の椅子にまで就く事が出来た。物真似の好きな人は、この人のやうに一生右手をぶら下げてみるも面白からう。よしんば大臣になれなかつたにしても、右手を働かせなかつただけはその人の得である。右手といふものは、安月給を受取るとか、脂ぎつた女の手を握るとか、そんな無益やくざな事しか出来ないものなのだ。
 これはほんの内証事ないしようごとだが、こゝに往時むかしから言ひ伝へた出世の秘法といふものを一寸お知らせする。それは自分の生れた年から数へて、ちやうど七つ目に当つた干支えとを絵にかいて、いつも壁に懸けて置く時は、立身出世疑ひないといふ事だ。むかしから七つ目の干支と言つてゐるのは、かういふ理由わけがあるからだ。
 だが、七つ目の干支を使つてみても、一向立身しなかつたからと言つて、泣言だけはして貰ひ度い。その時はその時で、また「哲学」といふいものがある。「哲学」はこの世で出世をしたてあひは皆馬鹿者だといふ事を教へてくれる。


首相の笑ひ顔

9・8(夕)

 幕末のえらもの、江川太郎左衛門が狩猟好きであつたのは名高い話だ。ひまさへあると、手製の麺麭パンを腰にさげて(太郎左衛門はまさかの時米の飯なぞはまだるつこくて堪らないからと言つて、態々わざ/\麺麭を焼く法を習ひ覚えたものだ)狩猟かりに出掛けた。
 斎藤弥九郎だつたか、
「江川のは狩猟かりが好きなのぢやない、あれは病気なのだ、病気にも色々あるが、態々わざ/\あんな殺生病にかゝるなざ気の毒なもんだ。」
と言つたといふ事だが、実際江川の狩猟好かりずきは病気の方に近かつた。
 ある時佐久間象山しやうざんが何かの用事で太郎左衛門を訪ねて来た事があつた。二人とも久し振に会つた所で、食物くひものや女の噂をする方でも無かつたから、談話はなしは手つ取り早く済んだ。
 すると、太郎左衛門は直ぐ起き上つた。
「折角のお越しぢや、これから一緒に猪狩しゝかりに出掛けようぢやないか。」
「そらおでなすつた。」
と象山はさう思つて、馬のやうな長い顔でにやつと笑つたが、利かぬ気の男だけに直ぐ承知した。
「それぢやお伴するとしようかの。」
 おだて好きで、理窟屋の象山は、鉄砲打の術も理窟の上ではなかなかくはしかつた。
「太郎左衛門がうまいたつて、どれ程の事があらう、今日は一つ自慢の鼻をくじいてやらなくつちや。」
 こんな事を思ひながら、灌木の林を分けてゆくと、いきなり大きな猪が転がり出した。すべて猪だの、借金取だのは、どんな場合にも案内なしに鼻先に突つかけて来るものなのだ。
 象山は慌てて一発切つて放した。弾は以上に慌てて飛んでもない方角へれて往つた。すると直ぐうしろから江川がずどんと口火をきつた。猪は急所を撃たれてその儘平伏へたばつてしまつた。
「どうぢや、鉄砲はかういつたやうに撃つもんぢやぞ。」
 太郎左衛門は自慢さうに声をあげて笑つた。
 その笑ひ声が少し無遠慮過ぎたので、象山は胸を悪くした。この馬のやうな顔の持主は、馬のやうに白い歯をき出して笑つたが、心の中では何だか面白くなかつた。象山と太郎左衛門との感情の行き違ひは、実をいふと、こんな小さな事に根ざしてゐるのだ。
 先日こなひだの臨時議会で、在野党の質問が愚にもつかない事だらけで、一向政府の急所に触れないと、大臣席にゐる寺内首相は、きまつたやうに顔を歪めて笑ひ出したものだ。
 その笑ひ顔の厭味たつぷりな事と言つたら、にも腹を立てずにられなかつた位だ。
「これまで寺内は嫌ひでもなかつたが、あの笑ひ顔を見て、誰よりも厭になつた。」
と言つた男がある。――かう聞くと、あの通り小心な首相の事だ、これからは滅多に笑はなくなるだらう。それもい事だ。


原稿集め

9・9(夕)

 今の著作家達は大抵まづい。たま/\上手な人も無い事はないが、そんなのは得て書いてゐる事柄がまづい。とりわけ万年筆で書くやうになつてから、文字に感じが出なくなつた。
 世間にはよく色々の作家の手に成つた原稿を集めて歩く人がある。その人の作物さくぶつに接し度いのなら、印刷された書物を読んだ方がよかりさうなものだが、さういふ人達に限つて余り書物など読まうとしない。そしてまづくても何でも構はない、唯手で書いたものばかりを集め歩く。
 英国の文豪キプリングの手蹟が集めたくて溜らない男があつた。もしか文豪が証文を書くとでもいつたら、この男は「かね」に「良心」までも添へ物にして用立てて呉れたに相違なかつたが、キプリングは別に何一つ不足はしてゐないのでそれも出来なかつた。
 ところが懇意な書肆ほんやで、いつも新版物を見繕つて文豪のもとへ売り附けにく男があつた。キプリングは書物ほんあづかる度に請取書うけとりがきに署名をするのが例となつてゐる。
い物が発見めつかつた。これだけでも結構だ。」
と言つてさきの男は書肆ほんやから署名入りの請取書うけとりがきを喜んで買ひ込むだ。味を占めた書肆ほんやは要りもしない書物ほんまでせつせと文豪の手許に担ぎ込むやうになつた。
 また一人小説家のヘンリー・ジエームスを訪ねて往つた男がある。空手からてで物を貰ふ者に附物つきものの愛嬌笑ひを惜し気もなく小説家の卓子テエブルの上にぶち撒けた。
「申し兼ねますが、先生、たつた一枚で結構で御座いますから、貴方のお書きになりました原稿が戴かれないもので御座いませうか。」
「原稿?」と小説家は古い往時むかしの話でもする折のやうな顔をした。「原稿とお言ひなのは、手で書いた文字の事なんですか。」
「はい、さやうで……ほんの一枚で結構でございますから。」
「それだとお気の毒だが有りませんよ。」と小説家は素気そつけなく言つた。「私はいつも速記者に口授くじゆして書かすので、私の書いたものといつては先づ校正書かうせいがき位のものでせうからね。」
 原稿集めの男がどんな顔をしたかは、私の知つた事ではない。
「ジエームスは無趣味な男だね、いつも速記者に書かすのだつて。道理で小説がしちくどいと思つた。」
 そんぢよ其辺そこらの日本の原稿蒐集家あつめかなら、その翌日あくるひから屹度こんな事を触れ歩くにきまつてゐる。


お茶盗人ぬすと

9・10(夕)

 京都の真葛まくづはら西行庵に小文こぶんさんといふ風流人がゐる。セルロイド製のやうな、つるつるした頭をした男で、そしてまたセルロイド製のやうに年中から/\笑つて暮してゐる。
 小文さんがうして暮してゐるかは誰にも判らないが、京都にはさういふ生活くらしてゐる人はざらにあるのだから格別気に懸けずともよからう。兎に角小文さんは西行庵の茶室で茶を立てたり、花をけたりして、暢気のんきに暮してゐる。
 その小文さんに妙な癖が一つある。それは毎晩日が暮れると、ぶらりうちを出て祇園町をぶらつくのだ。意気な三味のが雨と降るなかを、セルロイド製のやうな頭をり/\三条へ出て、橋詰の万屋よろづやで一寸小休こやすみする。これが一年中とほして小文さんの日課のやうになつてゐる。
 先日こなひだの晩、小文さんがいつものやうにぶらつきに出掛けると、都合よくその盗賊どろぼうがなかに忍び込んだ。都合よくといつたのに何の不思議があらう、小文さんは談話はなしが好きだ。たとへどんな物が盗まれてあらうと、
「まあ、お聞きやす、昨夜ゆうべうち盗人ぬすとが入つてましたんや。ほんまどつせ、えらい盗人ねすとなんや、それが……」
と、会ふ人毎に吹聴が出来れば、盗まれた物位は、それでけろりと忘れる事の出来る人なのだから。
 小文さんは帰つて来て初めて盗人ぬすびとが入つたらしいのに気がいたが、別に吃驚びつくりもしなかつた。何故といふのにうちには盗まれて惜しい物は何一つ置いてゐないのをよく知つてゐたから。小文さんは色々詮索してやつと茶壺と茶筅ちやせんとが無くなつてゐるのを気がいた。
 小文さんははたと手を打つた。
「嬉しい盗人ぬすとやおへんか、茶壺と茶筅を盗むなんて、やつぱりお茶の心得がおすのやなあ、金目のもんやつたら立派な茶匙ちやさじがおすのに、それは残しておいたるんやさかいな。」
と会ふ人毎に、それを言つて感心してゐる。
「立派な茶匙がある……」
 小文さんもうまいことを言つたが、それを盗まなかつた盗賊どろぼうの方は、もつと目が高かつた。――それにまた盗賊どろぼうは腹が空いてゐたのだ。


女優と監督

9・11(夕)

 以前何かの折に一寸引合に出した事のある米国の劇場監督チヤールズ・フロオマンは、恐ろしいやかまで、相手が誰であらうと、自分の指図に従はないものは手厳しくけるので名高い男だつた。
 いつだつたかもあるしばゐの稽古してゐる時、女優の一人にしぐさうしてもフロオマンの気に入らないのがあつた。それはパトリツク・カムベル夫人といふ女優で、鶏のやうな癇高かんだかい調子を持つた女だつた。
 フロオマンは鼻をしかめてカムベル夫人を見た。夫人は鶏のやうに胸を反らして舞台を歩き廻つてゐた。
「カムベルさん、なんといふんです、貴女あなたの芸は、てんでお話しにならないぢやありませんか。」
 フロオマンはなさけなささうに言つた。
 夫人はその折、役に同化した積りですつかりい気持になつてゐたので、フロオマンの批評を聞くと、真蒼になつてぶるぶると胸をふるはせた。暫くは舞台のはなに立つて、鉛筆のやうに真直になつてゐたが、急にくつ音を蹴立けたててフロオマンの前へ出て来た。
「何だと仰有るんです、フロオマンさん、てんでお話にならないんですつて、私の芸が。ちよいと申し上げて置きますが、私かう見えても芸術家なんですからね。」
 夫人は眼一杯に涙ぐんで、きいきいした声で我鳴り立てた。
 フロオマンは苦り切つた顔をして外方そつぽうを向いてゐたが、夫人の声が途切れると、だしぬけに牛のやうな声を張り上げた。
夫人おくさん貴女あなたが芸術家ですつて。これは初めて伺ひました。結構な内職をお持ちですね。世間へは精々内証ないしようにして置きませうね。」
 夫人は息がまつたやうな顔をして、その儘舞台を駆け下りてしまつた。
 女優衣川きぬかは孔雀が娘役として近代劇協会へ入つた時、これを箱入にしてしまつて置かなかつたのは、舞台監督の上山草人かみやまさうじんであつた。だが、色々試してゐるうち、孔雀の世間馴れた素振そぶりが、これまで初心うぶ生娘きむすめでなかつた事を証拠立てて来た。草人は不安さうな目付をしてたづねた。
「お前これまで相応かなり恋もして来たらしいね。」
 孔雀は平気でうなづいた。
「えゝ/\、さうなんだわ。ちやうど貴方で十三人目よ。」
「十三人目!」
 草人は心臓がけさうな声をして叫んだ。だが感謝せよ、草人の心の臓はそんな事でける程脆弱やにつこくは出来てゐなかつた。


星野ひさし博士

9・12(夕)

 昨日亡くなつた文学博士星野恒氏は、国史の事にかけたら活字引いきじびきと言はれる程、物覚えのいので聞えた人であつた。
 中川忠順氏といへば、内田魯庵氏と並んで、一対の無駄話家と言はれる程話題に富んだ、物覚えのい人だが、その中川氏までが星野氏の前では頭を掻いた話がある。
 ある時何かの席で星野氏と中川氏とが落ち合つたものだ。どうせかういふ人達の落ち合ふ所だから、附近あたりに若い女と酒が無かつた事だけは神様の前で証人に立つてもい。その折星野氏は深い溜息をき吐き、独語ひとりごとのやうに言つた。
「どうもうちせがれには閉口だ。頭が悪くててんでお話にならん。」
 中川氏はそれを聞いて駱駝らくだのやうに首を突き出した。およそ世間にある事なら、何に限らず聴いて置いて損はないといふのがこの人の心得なのだ。
「ほう、頭がお悪いといふと、何か御病気でも……」
「いや、」と星野氏は皺くちやな古文書こもんじよで一杯に詰まつてゐる頭をつた。「別に病気といふではないが、一度読んだ書物ほんを御叮嚀にも二度も読みかへしてゐるやうですからな。」
 中川氏は物覚えのい、自慢の頭を思ひきり張り飛ばされたやうな気持がした。
「へえ、頭が悪いとお言ひのは、一度読んだ書物ほんを二度読みかへされるからの事なんですか。それぢや伺ひますが、貴方は書物ほんを幾度お読みになりますね。」
「私ですか。」と星野氏は不思議さうな顔をして相手を見た。「私は一度しか読みません。それで十分ですよ。貴方は。」
 中川氏は頭を掻いた。「それは驚きましたね。私は二度繰返しても読みますよ。書物ほんによつては三度繰り返す事すらあります。」
 星野氏はそれを聞くとやつと安心したらしい表情を見せた。
「中川さん、それぢや貴方も頭がお悪いと見えますね。さう承はつてみると、忰ばかりでも無いので、まあ安心しました。」
 学者に尊敬をへうしていふ。(学者といふものは、何よりも尊敬せられるのが好きなものだ。)かういふ頭の持合せがあつたら、私は先づ汽車の時間表を覚える。そのぎには一度会つた女の名を成るべく忘れないやうにする。女の名を覚えてゐるのは兎角便利なものだ。


石黒忠悳だん

9・13(夕)

 男爵石黒忠悳氏が方々で乃木将軍の記念講演をするために関西へ出掛けて来た。
 石黒氏が偉い人かうかは、その生涯と事業とをよく調べて見た上で無ければめられないが、石黒氏自身だけは偉い人であるのをよく知つてゐるらしい。結構な話だ。
 その石黒氏の話によると、自分を偉くしたのは半分以上川路左衛門尉聖謨の力だと言つてゐる。川路左衛門尉といへば、人も知つてるやうに仙石せんごく騒動を裁いた名代の傑物だつた。
 石黒氏の父親てゝおやは、子供を偉くするためには、何か素敵な物を見せなければならない、それには神様のお顔でも拝ませたら一番よかつたのだが、神様へお引合せを頼むには紹介者がうるさかつた。そこで、川路左衛門尉の前へ連れてく事にめた。
 石黒氏の父親てゝおやは、いつだつたかわざと相手の目に立つやうにと、変り色の羽織を着て左衛門尉に会ひに往つた事があつた。その折左衛門尉は自分が毎朝馬で馬場先を運動する事を話したので、石黒氏は父親てゝおやかれてあさはやくから馬場先に出掛けて往つた。
 左衛門尉は馬に乗つてつて来た。石黒氏は阿父おとつさんに催促せられて慌てて頭を下げてゐた。左衛門尉は自分の前にきのこのやうにつくばつてゐるこの二人に目をつけた。
「や、お前いつぞや遣つて来た石黒ぢやの。」
 左衛門尉は馬の上から声をかけた。馬は立停つて叱りつけるやうな目付でこれを見下みおろした。
「はい、石黒で御座います。御健勝の御容子ようすを拝しまして何よりも……」
 石黒氏の父親てゝおやは、かう言つて茸のやうなせがれの頭をまた押へつけた。
其処そこに居るのはお前の忰かい。」
 左衛門尉がさういふと、馬もその積りで高慢臭い顔をして、茸のやうな忰の頭を見た。
「はい、手前の忰でございます、何卒どうぞお見知り置きを願ひます。」
 石黒氏は父親てゝおやに催促せられて、今まで下げ詰めだつた頭をもちあげた。見ると馬の上で左衛門尉の二つの眼が蝋燭のやうに光つてゐた。
「いゝだの、勉強して偉い者になれ。忘れるんではないぞ。」
 左衛門尉はかう言ひ捨てて馬に一むちあてた。馬は自分で偉い者の手本を見せるやうに、後脚あとあしで砂を蹴つて飛んだ。
「勉強して偉い者になれ。忘れるんではないぞ。」――石黒氏の説によると、この一言を忘れないでゐたから、今の身分になつたのださうだ。実際結構な言葉だが、かういふ言葉は矢張馬の上から茸のやうな子供に聞かせた方が一番利き目があるやうだ。


蛇*

9・14(夕)

 戸田采女正うねめのしやう一西かずあきといふと、徳川秀忠について真田昌幸さなだまさゆきを信州上田の城に攻めた智恵者だが、この智恵者の家来に人並外れて蛇をこはがる男があつた。
 ある夏の夕方、仲善なかよしの朋輩の一人が、荒縄の水につかつたのを、
「そら蛇だ。」
と言つて、この男のあしもとに投げ出した。男は、
あつ!」
といつて、洋杖ステツキの倒れるやうにばたつとけかゝつたが、その儘顔を真青にして気絶してしまつた。
 居合はす人達は慌てて医者を呼びに走つた。急場の間に合ふのは、大抵藪医者ときまつてゐるが、亡くなつたあとでの名医よりは、息があるうちの藪医者の方が有難かつた。その藪医者は気つけの薬と血の道の薬とをごつちやにして相手の口に含ませたらしかつたが、女に利く薬は男にもいと見えて、気絶した男は、やつと息を吹き返した。
 息を吹き返すと、その男は直ぐ刀のつかに手をかけて、先刻さつき悪戯いたづらをした男に詰め寄つた。
人中ひとなかであんなに恥をかゝされちや黙つてられない。さ、果し合ひをしよう。」
「いや、悪かつた。重々あやまる。ほんの悪戯いたづらに過ぎなかつたんだからゆるして呉れ。」悪戯いたづら好きな男は先刻さつきの縄を取り上げて見せた。「見給へ、投げ出したのは蛇ぢやなくて、縄だつたんだよ。」
 縄だつたと気がくと相手の男は一層声を荒くした。とてもこの儘では納まるまいと思つた悪戯いたづら男はのつそり立ち上つた。
「それぢや仕方がない。如何いかにも果し合をする。だが、他人ひとの迷惑になつても何だから、明日あすの夕方人通りのない野原でる事にしよう。」
 あくる晩になると、例の男は甲斐々々しい白装束で、長い刀を引つこ抜いて待つてゐた。悪戯いたづら男は瓜のやうに素つ裸になつてやつて来た。そして、
乃公おれ得物えものはこれだ。」
といつて、長い竹竿に五尺ばかりの青大将のによろ/\したのをいはへつけて、相手の鼻先でつてみせた。
 蛇きらひの男は、それを見ると刀を其処そこへ投げ捨てた儘、犬のやうに走つて自分のやしきに逃げ込んでしまつた。
 喧嘩はすべてかうするものだ。


相阿弥と鳥

9・15(夕)

 足利義政将軍は、色々結構な物をみんから輸入した。織物、陶器、書物――何一つとして珍しくないものはなかつたが、中に一番気に入つたのは一羽の鸚哥いんこであつた。
 義政の心には明は夢想郷ユウトピアのやうに思はれた。鸚哥はそこからの秘密の使者つかひででもあるやうに、将軍の耳に色々な言葉をさゝやいた。義政は籠に入れてそばを離さず可愛かあいがつた。
 だが、鸚哥は女と同じやうに綺麗な羽を持つてゐた。女が飛ぶ事の出来る世の中に鸚哥が飛んではならないといふ法はない。ある日近侍きんじの小姓がゑさを呉れようとする時、隙をねらつて鸚哥は籠の外へ飛び出した。
 義政は鳥を捜し出して連れて来ない限り、近侍の首は無いものと思へと言つた。その折の将軍の顔は、悲しさと腹立しさとで、こはれた弁当箱のやうに歪んでゐた。
 将軍家の近侍達は手分けをして八方へ捜しに出た。そして洛中洛外を問はず、木立のある所は、何処へでも立ち寄つて、枝葉を分けて詮索した。
 其辺そこらの軒下や繁みのなかからは、内証話ないしようばなしや、接吻キツスに夢中になつてゐた雀や山鳩やが慌てて真赧まつかな顔をして飛び出した。
「何でこないな無粋ぶすいな真似をおしやすのやろ。好かんたらしいお小姓やわ。」
と、鳩は京都訛りでいつ迄もぼやいてゐるらしかつた。だが、肝腎の鸚哥はどこにも影さへ見られなかつた。
 取り逃した近侍は、最早覚悟をめたていに見えた。そこへひよつくり顔を出したのは、将軍家のお気に入りの画家相阿弥だつた。
「何だつて皆ふさいだ顔をしてるんだな、こんな結構な日に。」
 近侍は事情わけを話した。
 相阿弥は「さうか、それは困つたな。」とじつと考へ込んでるらしかつたが、暫くすると、
醍醐だいごを捜したかな、那処あそこに居るかも知れんぞ。」
と、何だか手懸てがかりがありさうに言つた。
 皆は急いで醍醐の山に駈けて往つた。そしてあちこち捜してゐると、果して鸚哥が見つかつた。鸚哥は広い世間へ飛び出すには飛び出したものの、何処にも余りい事は転がつてゐないので、もう籠恋しくなつてゐた時だつたから、直ぐ手捕てどりにされて、もとの将軍家に連れ還られた。女もかうして一度は世間に飛び出すがいつかまた古巣に帰つて来るものだ。
 義政は相阿弥を呼び出して、何ういふ理由わけで醍醐の山と見当をつけたかと訊いた。相阿弥の答はふるつてゐた。
「宋元の絵を見ますと、鸚哥のとまる樹はいつも同じでございます。何と申しますのかは知りませんが、本朝では醍醐にあんな樹をたんと見受けますものですから。」
 だから平常ふだんから言はない事ぢやない、画家ゑかきは無学では困る。そして鸚哥はまた画家ゑかき以上に物識ものしりで、滅多な樹にとまらぬやうにして呉れなくちや困る。


男のお産

9・16(夕)

 むかし大森元孝げんかうといふ医者があつた。すべて医者といふものは、診断がまづからうが、学問が無からうが、唯病家へ往つて落つき済まして居さへすればそれで良い評判を取る事も出来るものなのだが、不仕合せにもこの元孝は性来しやうらいひどい慌て者だつた。
 ある時、松平大学頭だいがくのかみ徒士かちざむらひが病気にかゝつてびに来た。元孝は二つ返事で飛んで往つた。そして仔細らしい顔つきで、病人の腹を診てゐたが、一寸小首をかしげて、
「お産後でございますか。」
と医者らしい叮嚀な言葉で訊いた。
 徒士は変な顔をしたが、まさか医者が自分を産婦と取違へもすまい、これは屹度自分の聞違へに相違なからうと思つたので、「さうです」と言つて軽くうなづいてみせた。徒士はどんな医者でもが、病人が自分の診断みたて通りに返事をして呉れるのを喜ぶものだといふ事をよく知つてゐた。
 医者はじつと脈を押へたまゝ、
「お産はいつ頃でございました。」
と訊いた。
 病人は困つたらしく頭を掻いたが、とうと泣出しさうな顔をした。
「先生、うか御戯談ごぜうだんおつしやらないで下さい。私は疝気せんきを病んでるんですから。」
 その瞬間医者は相手の顔を見て、えびのやうにあかくなつた。
「いや、飛んだ粗忽そこつを申しました。実は先刻さつき御婦人の病気を診て、ついそれが頭に残つてゐたものですから。」
 かう言つて、二度三度お辞儀をした。頭には何も残つてゐないと見えて、軽さうに動いた。
 また一人下総に宗仙といふ医者があつた。その頃のれき学者として聞えた伊能忠敬の娘が病気した時、ばれて毎日のやうに病室に入つて往つた。
 ある日のひる過ぎ、いつものやうに慌てて入つて来た。心安立こゝろやすだて碌々ろく/\挨拶もしないで、膝を進めたと思ふと、其処そこに居合はせた娘の伯父の手を取つた。伯父は密源といつて頭をまるめた僧侶ばうさんであつた。
「成程、昨日きのふよりはずつとくなつた。もう案じる程の事はない。」
 医者が安心したやうに言ふので、密源はその手を相手の鼻先にきつけた。
「宗仙さん、これは拙僧わしかひなでござりまするぞ。」
「や、これはどうも、飛んだ粗忽を……」
と言つて、宗仙は知らぬ世界へでも来たやうに、泳ぐやうな手附で真実ほんとうの病人を捜しにかゝつたといふ事だ。
 してみると、今の医者が病人の手を間違はずに握るといふ事でも、非常の進歩である。よしんば男の手に、産後の脈がたうと、それはほんの些細な事で……。


うづらと補助貨

9・18(夕)

 近頃補助貨がめつきり乏しくなつて、大阪の諸工場では、これに代用させる積りで、仕払証明書といつたやうな、一種の金券を職工に渡して遣繰やりくつてゐるが、それが紙幣類似証券取締法に牴触ていしよくするといつてやかましくなつてゐる。
 むかし徳川の三代将軍時分に酒井讃岐守忠勝といふ老中があつた。賄賂わいろを取るときまつたその頃の役人のなかで、これはまた打つて変つた潔白者けつぱくもので、他人ひとからの進物といつては何一つ手にしなかつた。
 その頃幕府の典薬に始終しよつちゆう讃岐守の世話になつてゐる男があつて、お礼の印に何がな贈り度いと思つてゐた。
「あの通り慾のない人だから、道楽の方から入つてかなくつちや。」
と、色々聞合せてみると、讃岐守には何一つ道楽といふ程の物はなかつたが、たつた一つ鶉を飼ふのが好きだといふ事が判つた。
 典薬は早速江戸中を探して、素晴しく立派な鶉を買ひ込むだ。そしてその次ぎに讃岐守の前へ出た時、何喰はぬ顔をして鶉の話を持ち出した。
「御前、わたくし近頃鶉のためにすつかり弱り切つてゐるのでございます。」
「ほう、ういふ理由わけかな。」
 讃岐守は好きな鳥の話だけに膝を乗り出して来た。
 典薬は占めたと腹のなかで小躍こをどりした。
「親族の者から貰ひ受けましたものの、うるさく鳴き立てますので弱つてしまひます。で、近いうちにれうつて食べようかと存じます。」
「なに料つて食べるつて。」と讃岐守は眉をしかめた。「鶉の鳴声はなか/\風情のあるものぢや、料つて食べる段にはがんでもよささうなものぢやないか。ではかう致さう、雁を乃公わしの方からつかはすから、その鶉と取り替へては呉れまいか。」
「さう願へますればこの上の仕合せはございません。三日でも飼つてみると、あはれが添はりまして。」
 典薬は鶉のやうにせなを円めてお辞儀をした。そしてその次ぎの日、大事な鶉籠を讃岐守のやしきに持ち込んで来た。
 讃岐守はその鶉の声を聴いて、初めて吃驚びつくりした。
「これは大した掘出し物ぢや。典薬め、物知らずにも程があつたものぢや。」
と気持ささうに声を立てて笑つた。そして会ふ人毎にその掘り出し物を自慢したものだ。すると誰言ふとなくその鶉は典薬が大金を出して、買込んだものだといふ事が伝はつて来た。
 讃岐守はさつと顔色を変へた。そして鳥はその儘出入の者に呉れてやつて、そのは死ぬるまで鶉を聞かうなどとは※(「口+愛」、第3水準1-15-23)おくびにも出さなかつた。
 工場の持主に教へる。補助貨が乏しかつたら、その代りに鶉を呉れてやつたらからうぢやないか、鶉は売つて銭に替へる事も出来るし、煮てあつものにする事も出来る。


玉蜀黍たうもろこし七本

9・19(夕)

 米国の国会議員にキヤノンといふ、確かイリノイス州出の愛嬌たつぷりのお爺さんが居る。日本では老年としより議員といふと、義歯いればの口で若いをんなの名前を覚える位が精々だが、このキヤノン爺さんは、性来うまれつき歯が達者なので、何よりも※(「てへん+劣」、第3水準1-84-77)ぎ立ての玉蜀黍を食ふのが一番好物だといつてゐる。
 どんな名前でも漢語読みにしなければ承知出来ない日本の陸軍では、玉蜀黍をも「ぎよくしよくき」と読ませてゐるが、私は軍人や山蜂のやうに剣をげた生物いきものは余り好かない方だから、玉蜀黍は成るべく農夫読ひやくしやうよみに温和おとなしく「たうもろこし」と読んで貰ひたい。
 キヤノン爺さんが、ある時華盛頓ワシントン態々わざ/\自分を訪れて来た田舎の選挙人を御馳走した事があつた。選挙人は頭の禿げた老人としよりで、自分達の選挙した代議士と差向ひに食卓テーブルに就くのが、何よりも愉快で溜らなかつた。
 キヤノン爺さんは、選挙人に色々珍しい料理を註文して呉れたが、自分は玉蜀黍しか食べなかつた。選挙人は出来立の牡蠣かき油揚フライを口一杯に頬張りながら訊いた。
「キヤノンさん、先刻さつきから拝見してゐると、貴方はしきりと玉蜀黍をあがつていらつしやるやうですが、おなかに悪かありませんか。」
「いや結構です。」とキヤノンは前歯で大粒の玉蜀黍をぽつり/\かじりながら言つた。「もう七本も食べましたかな。」実際食卓の上には、玉蜀黍のがらが七本転がつてゐた。
 やつとこさで牡蠣の油揚フライくだした選挙人は、とりくちばしのやうに、食物たべもので汚れた唇を、ナプキンで拭き拭き言つた。
「附かん事をお訊き申すやうですが、キヤノンさん、貴方此市こちらの位の食代めしだいをお払ひですね。」
「さやう、一日に六ドルでしたかな。」と、玉蜀黍の好きな代議士は、皿に残つた今一本の好物をもじやくりながら返事した。
「それはまた滅法界めつぽふかいに高い」と選挙人は椅子を擦り寄せて低声こごゑになつた。「そんなに玉蜀黍ばかし食べてゐて、六弗とは余り勘定に合はなさ過ぎる。悪い事は言はんからかうなさい、これからは貸馬車屋へ往つてそこで玉蜀黍を買つてあがるやうにね……」
 流石に農夫ひやくしやうの考へだけあつて一寸面白い。だが、やすい玉蜀黍も一度に七本も食つちや馬が怒るかも知れない。


能書のうしよ

9・20(夕)

 むかし長崎の訳官に、深見新右衛門といふ男が居た。おそろしい能書で、一度筆を持つと、平素ふだん温和おとなしさとは打つて変つた力のある字をさつさと書いてのけたものだ。
 新右衛門がある時、旗本のなにがしを訪ねると、かねてこの男が能書の噂を聞いてゐたなにがしは、「ようこそ、わせられた。」と言つて、貼り立の立派な屏風を座敷に担ぎ込んで来た。
「何でもよろしい、一つ記念の為めに書いて貰ひたい。」
 一しきり酒がすむと、新右衛門は筆を執り上げて屏風に向つた。たつぷり墨汁すみを含ませた筆先からは、色々いろんな恰好をした字が転がり出した。どの字も、どの字もが濁酒どぶろくにでも酔つ払つたやうに踊つたり、飜斗返とんばがへりをしてゐたりした。
「素晴しい出来だ、千ぱんかたじけない。」
と旗本は丁寧に礼を述べたものの、何が書いてあるのかうしても読み下せなかつた。新右衛門に訊いて笑はれるのも業腹ごふはらなので、どうにか了解のみこめたやうな顔をして、
「いや全く素晴しい出来だ。」
と同じやうな事をまた言つて、嬉しさうに声を立てて笑つた。
 それから二月ばかりして、新右衛門はまたなにがしやしきへ来た。そして座敷に飾りつけてあつた先日こなひだの屏風を不思議さうにじつと見てゐた。
「結構な出来だ、誰方どなたでせうな。」と独語ひとりごとのやうに言つてゐたが、暫くするとちよつと舌打をした。「一字も読めない、恐ろしく達者に書き上げたものですな。」
 旗本はそれを聴くと、猫のやうに目を円くしたが、直ぐまたあの当時読み下せなかつたのは、自分の頭が悪かつたせゐではなかつたと気がくと、額に手を当てて満足さうに深い息をした。
 和歌山の光明寺の開山かいさんに、円通といつて、草書にたくみな和尚が居た。檀家に手紙でも書く折には、上手にまかせて草書でさつと書きなぐるので、貰ひ手の方では幾度見かへしても読み下せない事が多かつた。
「和尚様、こんな所は何と書いて御座いますのですな。」
 そんな折には、檀家の者はてくてく歩きで、態々わざ/\寺へ訪ねて来て、和尚の前へその手紙を拡げてみせたものだ。
「どれ、どれ。成程にくい文字だな。」と和尚は幾度となく頭をかしげて居るが、ついぞ解つたためしはなかつた。で、しまひにはいつもこんな事を言つて笑つたものだ。「わしにはてんでらんわい。弟子のとこに持つてかつしやれ、那奴あいつは衲の字と来たら、本人の衲よりもよく読み居るからの。」


馬の目潰し

9・21(夕)

 馬政局長官浅川中将のはなしによると、陸軍当局では、先年の失敗しくじりに懲りずに、今度また馬券を売出さうと計画中だといふ事だ。
「何事も馬を善くする為だ、ちつとやそつと人間が悪くならうが、そんな事位辛抱がまんしなくつちや。」
といふのが、当局者の考へらしい。成程考へてみると、人間は少し善くなり過ぎてゐる。人間が馬のやうに従順に、そしてまた馬のやうに立派な馬鹿者になりきつてゐるのに、肝腎の馬が人間のやうに乱暴で、加之おまけに人間のやうな自由思想家であるとしたら、人間は少し位悪くしても、精々馬の方に気をつけてやらなくちやならぬかも知れない。
 馬をよくするのに、一つの方法がある。それは米国の馬商人うまあきんどが、馬市で取引きをする折、売物の馬に滅多に跳ねたり、飛んだり不様ぶざまな真似をさせないで、
「見さつしやれ、牧師のやうに温和おとなしくしてまさ。」と、その温和しいのを自慢に、成るべく高く売りつけよう為めに発明した怖ろしい悪企わるだくみなのだ。
 悪企みといふのはほかでもない、馬の眼に細い針を刺し通して、生れもつかぬ明盲あきめくらにしてしまふのだ。盲になつた馬は、附近あたりが見えないから、今までのやうに物におびえて跳ねたり、飛んだりするやうな事は、まるで無くなつてしまふ。
 その手術といふのが、また上手を極めるものださうで、どんなに気をけてしらべてみても、眼のうちに少しのきずも見えない。十人が十人盲馬とは知らないで、高い金を払つてつてくさうだ。
 日本では人間を教育するのに、よくかういふ方法を使つて、成るべく広い世間を見えないやうにしてゐる。そしてまた会社だの、工場ではそんな盲目めくらの方が仕事に都合がいからといつて、精々高い俸給を払つて、この明盲を抱へようとしてゐる。――結構な事さ、こんな結構な事を人間ばかりでわたくししてゐるのも勿体ないやうな気がする。


悪物食わるものく

9・22(夕)

「犬を食つた。」――
 と言ふと、広岡浅子、林歌子といつたやうな、年中他人ひとのために怒つたり、泣いたりしてゐる婦人連は、
可哀かあいさうに生活くらしむつかしいんだわ。」
と、直ぐ有り合せの麺麭屑パンくづと、お説教本とを贈つてよこさうとするかも知れないが、犬を食つたのは何も肉が高くなつたからではない。
 それは犬の肉が大層好きだつたからで、この悪物喰わるものぐひは徳川の末頃江戸に住んでゐた男だつたが、一日犬を食はなければ気分が悪くなるので、そんな折には、かねいで置いた犬の皮を少しづつ煮て食べてゐたさうだ。
 それと同じ頃に、江戸に大久保八右衛門といふさむらひが住んでゐた。この男の下郎にひどく煙草のやにが好きなのがあつて、ひまさへあると、色々いろんな人から煙管きせるやにを貰ひ集めて、それをわんに盛つて覆盆子いちごでも味はふやうに食べてゐた。
 それとよくてゐるのは、松平大進たいしんといふ武士さむらひのやり方で、酒宴さかもりになると、きまつて長羅宇ながらうで、すぱりすぱりと煙草をふかし出す。そして煙草が半分ばかしくゆつた頃を見計らつて、盃のなかにその吸殻を叩き込んで、ぐつと一息に煽飲あふりつけるのだ。
 灰屋紹益はひやぜうえきが愛人吉野太夫の亡くなつた時、火葬にした灰を、その儘土にうづめるに忍びないからといつて、酒にひたしてそつくりみ下してしまつたのは名高い話だ。
 それと同じなのは、幕末頃に生きてゐた何とか三郎といふ男で、悪物ひで評判を取つた程あつて、女房の叔母が亡くなると、火葬にして、その灰をアスピリンか何ぞのやうにすつかり嚥み下してしまつた。
 それを見た女房は木葉このはのやうに真青になつてふるへ出した。
「まあ、何といふ怖ろしい人なんだらうね、お前さんは、現在女房かないの叔母の骨を食べてしまふなんて、まるで鬼ぢやないか、もう/\こんなうちには一ときもじつとしてはられない。」
と女房は直ぐ表へ飛び出さうとした。三郎はそのたもとをじつと押へて、にや/\笑つた。
「そんなに怒るもんぢやないよ、お前がそんなに言ふんだつたら、これからお前の亡くなるまでは、もう人のこつなぞ食べやしないから。」
 三郎め、女房かないが亡くなつたら、またそのこつを食べてしまはうと思つてゐたのだ。


怖い物

9・23(夕)

 大阪市会の刷新派が池上市長を嫌ふやうに、どんな人にでも嫌ひなものはあるものだ。むかし有馬兵庫頭ひやうごのかみといふ人があつた。その人は一代のうちに色々いろんな仕事もしたらしいが、その仕事よりも蟹をこはがつたので今だに名を残してゐる。野道でたま/\赤い爪をり上げた蟹にでも出会でくはすと、兵庫頭はぶるぶるふるへて、いきなり馬を引き返して逃げ出したものださうだ。もしか身持の悪い蟹が、金を貸せとでも言ひ出さうものなら、兵庫頭は馬の鞍から知行も何も振り捨てて駈け出したかも知れない。
 大久保伊勢守といふのは、ひどく蜘蛛を怖れた。やしきの植込を※(「彳+淌のつくり」、第3水準1-84-33)※(「彳+羊」、第3水準1-84-32)ふらついてゐる時、青白い梔子くちなしの花蔭に、女郎蜘蛛が居睡りをしてゐるのを見つけでもすると、真つ青になつて、抜脚ぬきあしして逃げ出したものだ。
 かはづは愛嬌者で、へその無い癖に人間並に一つは持合せてゐるらしい顔つきをしてゐるが、広い世間にはこんな愛嬌者を何よりもこはがる人さへある。
 それは栗原主殿頭とのものかみといふ男で、この男は女房をも一人持つてゐたが、その女房よりも、地震よりも、蛙の方が怖ろしかつた。ある時ともやつこを一人連れて野路のみちを歩いてゐると、唐突だしぬけ蝦蟇がま出会でくはした。蝦蟇は先刻さきがたまで、物蔭で大学教授のやうに哲学を考へてゐたが、滅法腹が空いたので、のつそり明るみへ這ひ出して来たのだ。
 主殿頭はそれを見ると、一度に二けんほど後に退しさつた。そして刀に手をかけてきつとなつた。刀は備前の正真物しやうほんものだつたが、刀鍛冶は蝦蟇を斬るために態々わざ/\こしらへたわけでもなかつた。
つくき蝦蟇めが、己れはまだ主殿頭を知らないと見えるな。」
と思ひきり大きな声で怒鳴りつけた。
 実際蝦蟇はまだ主殿頭を知らなかつたのだ。で、目をあげて念入りに相手の顔を見たが、別にすぐれて高い鼻も持つてゐなかつた。
「己れ、早く退すさらんか。」
と主殿頭はふるひ顫ひ刀をひつこ抜いてみせた。
 だが、蝦蟇の方では別に退すさる程の必要もなかつたので、二足、三足のそのそ前へ這ひ出して来た。主殿頭はそれを見ると、
「いや胆の太い奴めが、其方そちには怖いといふ事が判らんと見えるな。」
と、その儘刀をかたげて一散に逃げ出したさうだ。


音楽通

9・24(夕)

 音楽は最高の芸術であるが、その音楽の批評家となるには、二つの資格が要る。一つには音楽が解つてはならない事、二つには解らない癖にお喋舌しやべりをしたい事、この二つをさへ兼ねる事が出来たなら立派な音楽批評家となり得る。
 音楽の面白さは馬でも感じる事ができるが、音楽のうまみは人間にも解らぬ人が多い。トドハンタアといへば、名高い数学者で、加之おまけに語学の達人で、希臘ギリシヤ羅甸ラテンはいふに及ばず、英仏独伊露の現代語から、ヘブリウ、アラビヤ、ペルシヤ、サンスクリツトの東洋語にも通じてゐた。こんなに沢山言語を知つてゐては、現世このよでは滅多に使ふ機会をりもなからう、いつそ地獄へでもちたら定めし晴々するに相違なからうと思はれる程だつた。何故といつて、地獄へは希臘人も露西亜人も印度人もみんなどつさり落合つてゐる筈なのだから。
 ところが、この語学と数学の達人が、音楽と来ては何一つ解らなかつたから可笑をかしい。師匠のド・モルガンは自分が風琴家オルガニストであつただけ、トドハンタアが音楽につんぼなのをよく調弄からかつたものだ。ある日もド・モルガンが音楽の事で、何か冗談をいふと、弟子は頭を掻き掻き言ひわけをした。
「でも、先生、私だつて。Godゴツド saveセエヴ the Queenクヰン ……”位はわかりますよ。」
「ほう、わかるか、それならまんざらでもないな。」
 正直な師匠は風琴オルガンのやうに鼻を鳴らして感心をした。弟子は希臘語とヘブリウ語と、別々の抽斗ひきだししまひ込んでる頭を反らして、ぐいと気取つてみせた。
「でも、これは国歌ですからね。」
 “God save the Queen”を国歌だといふのに少しも間違つた事は無い。だが、トドハンタアは、全くの所その音律などは少しも判らなかつた。唯何か音楽が始まると、聴衆ききてが一度に帽を脱いで起立をするから、そんな折に、やつと、
「ははあ、これは国歌なんだな。」
と、自分も慌てて尻を持ちあげてゐたのに過ぎなかつた。


仲買人

9・25(夕)

 堂島だうじまの仲買人曾我某氏がいつぞや帝国飛行協会に一万円を寄附した事があつた。その縁故で、ある時飛行熱心の長岡中将が堂島あすこの仲買業者を集めて、一寸した話をした事があつた。
 中将は蟋蟀こほろぎのやうな長い髯をひねりながら言つた。
「日清、日露両戦役に於ける吾輩の経験によれば、相場をつた者は、ほかの者に比べて軍人としての成績が一体によかつたやうだ。彼等は平素ふだん一か八かの勝負をやりつけてゐるので、度胸が据わつてゐる……」
 それを聞くと、居合せた相場師は、急に立派な軍人になつたやうな気で互に顔を見合はせた。そして何処かで素晴しい手柄でもしたやうに思つて、それを考へ出さうとするらしかつたが、どうしても頭に浮んで来なかつた。それもその筈だ、彼等はみんな体格不良で、兵役を免除されたてあひだつたから。
 中将は轡虫くつわむしのやうにサアベルをがちやがちや言はせた。
「その度胸の据わつてるところが、やがてまた諸君をして立派な飛行家とならしめるに相違ない。相場師と飛行家――吾輩はいつもこの両者を結びつけて考へてゐる者である。」
 それを聞くと、皆は急にまたいつぱし偉い飛行家になつた積りで、宙返りでもしたあとのやうに、そつと自分の額を撫でてみた。額の中では下渋さげしぶりな米の相場がこびりついて取れなかつた。皆は中将の言ふ様に、飛行家になるのだつたら、相場で大穴を明けたあとでも遅くはあるまいと思つて、くすぐつたさうな顔つきをした。
 長岡中将に教へる。文豪アナトオル・フランスの書いた話にかういふのがある。賭博打ばくちうちが二人船のなかで賭博ばくちをしてゐると、急に嵐が起つて船は引つ繰りかへされてしまつた。二人は浪のなかを泳ぎ廻つた末、やつとの事で黒い島のやうなものにすがりついた。それは鯨のせなであつた。二人はそのせなまたぐと、いきなり洋袴ズボンの隠しから骰子さいころを掴み出した。そして、
「さあ来た、一勝負やらかさう。」
と言つて、直ぐ賭博ばくちを始めたさうだ。
 鯨のせなを利用する事の出来る賭博打ばくちうちは飛行機のシートも利用する事を知つてゐる筈だ。孰方どつちも危険がまとつてゐるだけに、興味は一段と深からう。


細君選択法

9・26(夕)

 日本郵船会社にこほり寛四郎といふ老船長があつた。今は船から出て神戸の町外れとかに住んでゐるさうだが、日本人で一万トン以上の船に乗つたのは、この郡氏が最初だといふ事だ。
 初めて一万噸の船に乗つたといふだけなら、別に何の事もないが、そのほかに郡氏は素敵な発明を一つしてゐる。それは海員の細君選択法で、この方法でり分けをすると、滅多に間違ひはない。
「現に自分の部下だつた男で幾人かこの方法で細君をめたのがあるが、今ではみんなお蔭で女房かないを持つ事が出来たと言つて、礼を言ひ言ひしてますよ。」
と郡氏は、その方法が、有り触れた見合ひなどのたぐひでない事を自慢してゐる。
 一体海員は一月の半分以上を船に乗つてゐる、なかには三月も四月も家庭うちには帰つて来ないのもあるから、従つて海員の女房といふものは、人並み以上に慎み深い、貞操の堅いものでなければならぬ。男といふものは自分の女房が酸漿ほほづきのやうに一に閉ぢ籠つて、固くなつてゐるのでなければ、外で酒一つ飲む事の出来ない程の意気地なしである。海員とは言ふ迄もなくいたる所の船着きで酒を飲む事の出来る職業者である。
 郡氏の細君選択方法は、これと思ふ女があつたら、座敷で見合などしないで、その女が外出そとでをする時、そつとあとをつけてくのだ。そして女が両側の店を覗き覗き、きよろ/\してゐるやうだつたら、その女は屹度うつだから、とて不在るすがちな海員の女房には出来かねる。そんな折には早く絶念あきらめをつけて、物の半町とあとけないうちに横町よこまちへ逸れるなり、理髪床かみゆひどこへ飛び込むなりするがい。女を見損つた位の不満足なら、髯を剃るか、頭髪あたまを刈るかすれば直ぐ忘れる事が出来るものだ。
 もしまた女が側目わきめも振らないで、真直に歩いてゐるやうだつたら、それこそ飛んだ掘り出し物だから、すぐその足で結婚を申込む位に機敏すばしこく立ち廻らなければならない。大きい声では言へないが、余り延々のび/\にしておくと、さういふ女でも、いつの間にか側目わきめを振る事を覚えるものだから。
 しかし道の通り合せに、真直に見て歩く女があつたからといつて、何処の誰ぞとも知らないうちは余り取逆上とりのぼせてはならない。さういふ折には一度急ぎ足に女を追越して、しづかにあとを振かへつてみるがいい。
 真直に見て歩く女には、斜視やぶにらみと鼻の低いのとがあるものだ。


痘面あばたの笑顔

9・27(夕)

 今は孝行者が多い世の中だから、孝経なぞ読まなくなつたが、往時むかしは何ぞといつてはこの経書をひもといたものだ。ある時備前少将光政が池田出羽、池田伊賀などといふ家老達と一緒になつて、この孝経を読んだ事があつた。
 争臣の章まで来ると、光政は眼をあげて、皆の顔を見比べた。
「さ、こゝぢやて、お前達にとつて忘れてはならないのは。もしか乃公わしに善からぬ事があつたら、遠慮なくいさめて呉れ。そしてお前達も人の諫めに会つたら、屹度その言葉をれるやうにしなくつちやならんぞ。」
 皆は一度に頭を下げて恐れ入つた。――頭といふものは重宝なもので、どんな間違をしてゐても、叮嚀にお辞儀をさへすると、大抵の人は、
乃公わしの云ふ事がよく頭に入つたと見えるて。」
と直ぐ感心をして呉れる。この場合頭は少し位禿げて居ようと、尖つて居ようと少しの差支さしつかへもない。そしてそれから五分間と経たないうちに、今の事情いきさつをすつかり忘れてしまふのも矢張り頭である。
 一度に下げた頭のなかに、唯一つ下げやうの足りない頭があつた。その持主は中川権左衛門といふ男だつた。権左衛門は一膝前へ乗り出して来た。
まことに結構なお言菜で、お家万歳のきざしと有難く存ずる次第でありますが……」と、一寸眼をあげて殿様の顔を見た。「正直に申しあげますると、殿様のお顔は痘瘡はうさうあとが見苦しく目立つていらつしやる上にお眼の内が鋭いので、御機嫌の悪い時は二目と拝まれないやうに存じまする。で、真実ほんとう諫言かんげんをお好みになりまするなら、何よりも先きにお顔をにこやかに遊ばされますやうに……」
 備前少将はそれを聞くと、夏蜜柑のやうな痘面あばたづらを少し赤くしてゐたが、暫くすると、
「成程な、よく言つて呉れた。」
と言つて軽くうなづいた。それからといふもの、少将が家来の前では成るべく痘面あばたづらをにこ/\させたのは言ふ迄もない。
 結構な話だが、実をいふと、殿様にしては結構な話なので、そこらにざらにある銀行の頭取だの、会社の重役だのが、この真似をして、にこ/\していものかうかは考へ物だ。たつてにこ/\しようと思ふなら、その前に先づ痘瘡はうさうにかゝらなくつちや……。


大統領と子供

9・28(夕)

 ルーズヴエルトの以前まへに米国にマツキンレイといふ大統領があつたのは、まだ記憶おぼえてゐる人が多からう。この人は政治のほかに一つの道楽を持つてゐた。道楽といふのは、ひまがあると、内閣の大臣とか、自分の友達とかと連れ立つて、華盛頓ワシントン市街まちを散歩した事だ。
 散歩といふものは、病後上やまひあがりや、孱弱ひよわな人にいばかりでなく、とりわけ一国の大統領や大臣には一等効力ききめがあるものだ。一体政治家などいふてあひは、自分が政治を執つてゐるうちが、この世の黄金時代で、いぬまでが自分を見ると道をよけて、お辞儀をするとでも思つてるらしいが、実際市街まちを散歩してみると、狗ばかりか、人間までが自分を見ると、吠えつかうとしてゐるのを知る事が出来る。
 マツキンレイはある日のひる過ぎ、いつものやうに友達と散歩に出掛けた。ちやうど秋のなかば頃で、空は女のやうなあをい眼をして笑つてゐた。市街まちを通る人は皆上機嫌で、自分の事を思ふのに忙がしい風であつた。マツキンレイはこんな結構な日は、ワシントンの治政中にも滅多になかつたらうと思つた。
 ふと見ると、日射ひざしのいい道の片側に、子供が五六人がやがや遊んでゐた。そのなかに七歳なゝつばかりの男のが、たつた一人仲間を離れて、並木の蔭で小さな車にまたがつてゐた。大統領はそれを見ると、一寸悪戯いたづらがしてみたくなつた。
 悪戯いたづらといふものは人間のする事業のなかでは最も高尚なものの一つで、天才でなければ出来ない芸当である。マツキンレイは背後うしろから子供のてゐる帽子のつばをぐつと押へた。そして肩越しに大きな顔をにこにこさせて覗き込んだ。大統領のつもりでは、かうすれば、子供が屹度笑顔をかへして呉れるだらうと思つてゐたのだ。
 ところが、子供は皮肉な小童こわつぱだと見えて、にこりともしなかつた。そしておちついた声で、
「叔父ちやん、もうそれでする事ないの。」
と言つた。お蔭でマツキンレイは冷水ひやみづを浴びせかけられたやうにすくむでしまつた。あの大きな図体の男が……。


老公と床屋

9・29(夕)

 山県やまがた公は相変らず小田原の古稀庵で、日向ひなたぼつこをして暮してゐるが、この老人としよりにも日が経つと不思議に髯が伸びる。高い声では言へないが、神様の仕事にも、実は無駄があるもので、髯なぞもう伸びなくてもよささうなあの老人としよりの顔から、不思議にごりごりした白いのが頭を持ち上げて来る。
 この夏のある日土地の理髪床かみゆひどこに古稀庵から使者つかひが立つた。
「おやしきに出入の床屋が風邪を引いたについて、其方そちに仰せつけられるから、明日ひる過ぎおやしきあがるがいゝぞ」と使者つかひは自分が元老の筆頭ででもあるやうに横柄な口を利いた。「其方そち達の身分で老公のお髯を当るなんて、こんな果報な事があるもんぢやない。」
 理髪床かみゆひどこの主人は謹んでお受けをした。そして使者つかひが帰つたあとで、土間に突立つゝたつて大きな咳払せきばらひをした。
「さあ、愈々いよ/\出世の手蔓てづるが出来かかつたぞ。明日あすは一つあの殿様のお顔を、舶来はくらい石鹸しやぼんのやうにつるつるに剃り上げて呉れるんだな。」
 床屋は西洋剃刀かみそりを取上げて、せつせと革砥かはとに当て出したが、急に何か気がいたやうに、剃刀を持つた儘ぐたりと椅子に尻を落した。
「困つちやつたな、お邸へ上らうていふに、いつものやうにこんな消毒衣せうどくぎの一枚看板ぢや失礼だし……」
 友達といふものは、どんな場合にも結構なもので、床屋は仲のい友達から、の紋附羽織と仙台平せんだいひらはかまを借りる事が出来た。床屋はそれを着けて幾度か姿見の前を往つたり来たりしたが、その都度百匹の南京鼠が裾の周囲まはりに潜り込んでるやうに、袴のひだはきゆうきゆう音を出してき立てた。
 床屋は言ひ付けられたやうにあくる日の午過ぎ、その姿で恐る/\公爵邸のしきゐまたぐと、昨日きのふ使者つかひが出て来て一に案内した。
 すると、隔ての襖がいて、老公が入つて来た。皺くちやな浴衣ゆかたを着た梅干爺さんで、こんな邸の中で無かつたら床屋は襤褸ぼろきれと間違つて、掌面てのひらみくちやにして屑籠にり込んだかも知れなかつた。
 老公は絽の紋附羽織に絹袴の男を見て、けげんさうな顔をした。
「お前は誰だな。」
 床屋は蠅のやうに畳の上に平つたくなつた。
「おめしにあづかりました床屋でございます。」
「床屋だ?」老公は仰山ぎやうさんさうなその身装みなりをも一度じろつと見直した。大臣だつたら冷汗を掻き、次官局長のてあひだつたら神経衰弱にもなりさうな眼附だつたが、床屋はけろりとすました顔をしてゐた。
 老公は河鹿かじかのやうにせた顎を一つしやくつた。
「お前に用は無いから直ぐ帰れ。」
「はい。」と床屋は腰骨こしぼねを蹴飛ばされたやうに、飛上つて帰つて来た。可哀かあいさうに床屋の耳には世界中が仙台平の袴になつたやうに、其辺そこらがきゆう/\やかましく鳴り出した。


病気必治法

9・30(夕)

 詩人ゴオルドスミスは、文筆に従事する前に医者をしてゐた事があつた。何と言つてもゴオルドスミスの事だ、唯もう神様のお力にすがるよりほかには、病人の持扱もちあつかひを知らなかつた程結構な医者だつたに相違ない。
 だが、医者といふものは有難いもので、ゴオルドスミスが職業替しごとがへをして詩人になつたのちまでも、態々わざ/\遠方から尋ねて来て診察を頼むやうな病人も少くなかつた。そんな折にはお人好しの詩人は、気軽にち上つて、
「どれ/\診て上げよう、どんな容体ようだいだな。」
と、仔細らしい手附で脈を取つたものだ。ゴオルドスミスは自分がまづい藪医者である事はよく知つてゐたが、それと同時に藪医者でない医者がこの世の中に住んで居ようとも思はなかつたから、別に遠慮する必要も無かつたのだ。
 ある時、見すぼらしい姿をしたをんなが一人駈け込んで来た。暢気のんきな詩人はその折書肆ほんやからとゞいた幾らかの原稿料を、机の上にばら撒きながら、これで「天国」をふには、ういふ方法を取つたが一番便利だらうかなどと、そんなたわいもない事を考へてゐた。
 をんなは泣声で鼻を詰まらせながら言つた。
「旦那様、亭主がながわづらひで食物たべものさへ咽喉を通らなくなつてります。可哀かあいさうだと思召おぼしめして、一度診てやつて下さいませ。」
 お人好しの詩人は、それを聞くと狼狽うろたへ出した。をんなを引張るやうにして、そのうちへ駈けつけてみると、病人は乾魚ひうをのやうに痩せた身体からだを床の中によこたへてゐた。詩人は脈を取つてみた。脈には大して悪い徴候も見えなかつた。で、よく訳を訊いて見ると、食物たべものが咽喉を通らないといふのは、実際通らないのではなく、通すべき食物たべものが無いのだといふ事が判つた。詩人は念のためあんぐり口をけさせてみた。咽喉はジヨンソン博士が大辞典を小腋こわきに抱へたまゝ素通り出来る程広くいてゐた。
 尊敬すべき医者は仔細らしい顔をして言つた。
「いや、よく判つた。これには良薬がうちにあるから、あとから取りに来るがいゝ。」
 をんなはあとから薬を貰ひに、詩人のとこへ出掛けた。詩人は、
「飲み方など詳しい事は、なかに書いてあるから。」
と言つて、薬の小箱を渡してくれた。箱は薬にしては少し重過ぎるやうに思はれたが、しかし軽過ぎるよりは気持がよかつた。をんなは家に帰つて、いそいそ箱をけてみると、なかから転がり出したのは、薬では無くつて金貨かねであつた。包紙つゝみがみには詩人ので、
「必要な時適宜分服ぶんぷくの事」
と書いてあつたさうだ。
 医者がほんとに病人を治す積りなら、方法は幾らもあるものだ。


柿の実

10・1(夕)

 秋も丁度半ばで、田舎家の軒に柿の実があかく色づくやうになつた。――柿といへば、例の上野寛永寺の開山かいさん天海僧正が、ある時将軍家光の御前へ出た時、柿の実を饗応ふるまはれた事があつた。
 天海は智慧者で名高い僧侶ばうさんであつたが、柿を食べる時には子供のやうな口元をしてかじつた。そして一つ食べてしまふと、
「結構な物を戴きました。」
といつて掌面てのひらに静かに残して置いた柿のたね懐紙ふところかみに包んだ。
 猿のやうに目敏めざとい家光は、それを見免みのがさなかつた。
「そんなに柿のたねしまひ込んで置いて、うする積りぢやな。」
 天海はお伽噺とぎばなしの蟹のやうに叮嚀に柿のたね懐中ふところにしまひ込んだ。
「余り結構な味でございますから、戴いて帰つて境内に植ゑようかと存じます。」
 家光は猿公えてこうのやうに白い歯を出して笑つた。
「それは良い思ひつきぢやが、しかし和尚はもう随分なとしぢやないか、今から柿のたねを植ゑたところで……」
「いや、いや……」と天海はまた蟹の爪のやうに手をあげてつた。「一国の政事まつりごとを執らせられる方が、そんな気短きみじかな事を仰有るもんぢやござりません。兎角気長に構へさせられてな。今に御覧ごらうじませ、この種から立派な柿の実をらせて御覧に入れます。」
「まさか……」
 家光は心もち渋さうな顔をして笑つたが、その日の夕方には、柿の事なぞはもう悉皆すつかり忘れてゐた。一国の将軍といふものは、その日暮しの貧乏人と同じやうに柿よりももつと大切な事を幾つも持つてゐるものだから。
 その後幾年か過ぎた。ある秋天海は紅くれた立派な柿の実を、籠に一杯盛つて将軍家の前に持つて来た。家光は今まで日本中を見つめてゐたやうな鋭い目で籠を見た。
「ほう、立派な柿の実ぢや、何処からの到来物ぢやな。」
わたしの寺に生りましたので。」と天海はたちい小僧を見る折のやうな眼つきをして柿を見た。柿は小僧よりも行儀が善かつたので、別にくつ/\笑出わらひだしもしなかつた。「日外いつぞや戴いて帰りましたあの柿のたねから生りましたので……」
 家光は「さうか……」と言つたきり、黙つてしまつた。おそばの衆は今更のやうに溜息をついて感心した。お側の衆といふものは、かういふ時に感心するだけに生きてゐるものなのだ。
 長命ながいきは時々賭につものだ。無理もない。天海は百八歳も生き延びたのだから。


戦争終熄期しゆうそくき

10・2(夕)

 戦争がいつ頃済むだらうか――といふ事は誰もの頭に起きる興味ある問題であるが、近頃アメリカのフイシユといふ人は、
「俺ならその時期を予言する事が出来る。」
と言つて自慢さうに胸を反らしてゐる。
 では、何時いつになつたら済むといふのだ、念のため教へて欲しいと友達がいふと、フイシユは革表紙の擦り切れた新約全書を机の上から引張り出して、
「有難いのは、この本だよ、ちやんと今度の戦争の終末期まで出てゐるから、大したもんさ。」
と鼻を鳴らして感心してゐる。
 フイシユの説によると、今度の大戦争の張本人は言ふ迄もなく Kaiserカイゼル である。ところでこの Kaiser といふ六文字のうちケーはアルフワベツトの十一番目の文字、その十一を六の前に置くと116となる。
 かうしてあとの五文字をも勘定して、出来上つた数字を残らず一緒にして見ると、次ぎのやうになる。

116 16 96 196 56 186── 666

 フイシユは恋女房のまるまつちいおとがひを撫でるやうにそつと指先でこの数字表を押へた。
「この六百六十六といふ数が大事なんだよ、この数が聖書のなかに出てゐるのは、君は知らないかも知れないが、約翰ヨハネ黙示録もくじろくの第十三章さ。」
とフイシユは黙示録をあけて、その第十三章を友達の目先に突きつけた。
 友達は昔馴染に出会つたやうな顔をして聖書を見た。聖書の方ではとんと見覚えが無いらしかつた。フイシユは声を出して黙示録を読んだ。
「またこのけものを拝し、ひけるは、誰かこの獣の如きものあらんや、誰かこれと戦ひをなすものあらんや……ね、まる独帝カイゼルはまるだらう、所が次を見給へ、四十二箇月の間働きをなすべき権を与へられたとある。だから四十二箇月すると戦争は済むのだよ。神様の思召おぼしめしなんだから仕方がない。」
 四十二箇月目といふと来年の一月が丁度戦争終熄期といふ事になる。もしかそれが当らなかつたにしても、それは聖書や予言が悪いのではない、独帝カイゼルが悪いのである。


書肆しよしと作家

10・3(夕)

 米国のカリフオルニヤ州に、ある本屋がゐる。小説家ウヰンストン・チヤーチルがひどく好きで、お客が何か小説本せうせつほんの面白いのは無いかと訊くと、
「ございますとも、チヤーチル先生の新版物で、無類飛切といふのがございまさ。」
と、直ぐこの作家の小説を売りつけようとする。で、数ある本屋のなかで、チヤーチル物の売高うれだかにかけては、いつの月も記録レコードを取つてゐるのはこの本屋だ。
 ある時チヤーチルがカリフオルニヤに旅行をした事があつた。小説家の友人は、この機会をはづさないで、作家と本屋とを結びつけようと考へたので、あらかじめその由を通じると、本屋は雀のやうに羽叩はばたきをして喜んだ。
「結構ですな、かねて崇拝してゐる先生にお目にかゝるなんて。だから本屋商売はめられませんのさ。」
 本屋は、お愛相あいそのつもりで、チヤーチルの作物さくもつは何一つ残さず読んだ。なかには十回も繰返したのがあると言つて附足つけたした。そして腹のなかでは、もしかそれに少しでも懸値かけねがあつたにしても、そんな事はあとから直ぐ弁償出来るとでも思つてるらしかつた。
 本屋は小説家に紹介ひきあはされた。チヤーチルはにこにこ顔で本屋の手を握つた。
「――くんに聞きますと、大層私のものがお好きださうで、大きに有難う。」
「いえ、つかまつりまして。……」
 本屋はかう言つたきり、あとの言葉もがないで、じつとチヤーチルの顔を見つめた儘ぼんやりしてゐた。小説家は幾らか手持不沙汰な思ひをしたらしかつた。
 チヤーチルを宿屋ホテルに送り込んだ紹介人ひきあひにんは、帰りに本屋の店を覗いてみた。本屋は椅子にもたれて籠のカナリヤを逃がしたやうな、浮かぬ顔をしてゐた。
「どうだ、愉快だつたかね、先生に会つて。」
「いや、いや」と本屋は紹介人ひきあはせにんの声を聴くと、椅子からち上つて来た。「チヤーチル先生つて、あんな顔をしてる方なんですか、ほんとに失望がつかりしましたよ。結句お会ひ申さなかつた方がどれ程良かつたでせう。」
 困つた事には本屋はそれ以後余りチヤーチル物を売らうとしなくなつたさうだ。


帽子*

1011(夕)

 栗はいがを脱ぎ、人は新しい帽子をなければならぬ時節になつて来た。今日は一つ帽子の話をする。
 ミラボーといへば、仏蘭西革命の大立者であつたのは、少しでも政治に興味を持つた者の(政治といふものは、ほんの少し興味をもてば、それで十分だ)誰しも知つてゐる事だ。このミラボーは生れつき非常な醜男ぶをとこで、肉身の親父おやぢまでが、何かの拍子には、
「ガブリエル、お前の顔はまるで悪魔のやうだな。」
と言ひ言ひしたといふ程だから、鼻がどんなにひしやげてゐたか位は大抵察しられる。
 神様のなかにも、葛城かつらぎの神のやうにおそろしく醜い顔をしたのもある位だから、人間やいぬにみつともないのがあつたからといつて、別段物言ものいひの種にはならない。だが、困つた事には、醜い面付つらつきをした者は、うかすると心までがひがんで来る。
 尤もミラボーだけは、そんな気の弱いたちでは無かつた。顔の醜いのとは打つて変つて、頭のなかには美しいものを、たんと持つてゐたから、そんな心配もなかつたのだ。
 ミラボーが子供の時、ある貴族の運動会へ出掛けて往つて、何米突メートルかの徒歩競走に第一着を取つた事があつた。競走は懸賞附であつた。早稲田の坪内逍遙博士の説によると、子供の運動に賞品をつけるのは、道徳的によくないといふ事だ。子供は唯もう手足を動かしたいから運動に出るので、それに賞品が附くといふ事になると、子供心にも慾が手伝つて来て、しまひは何をするにも打算的になるおそれがあるといふのだ。誠に結構な考へだが、その仏蘭西の貴族は、運動会を開くのに、前もつて坪内博士に相談しなかつたものだから、つい賞品を出すやうな手抜かりが出来たのだ。
 賞品は帽子であつた。ミラボーはそれを受取つたが、自分の頭にてゐるのは、賞品のよりもずつと上等の洒落しやれた帽子であつた。ミラボーはその上等の帽子を脱いで、そばにゐる禿頭の爺さんに呉れてやつた。
「お爺さんこれをあげよう。僕には頭は一つしきや無いんだから、帽子が二つあつたつて仕方がない。」
 かう言つて、彼は賞品の帽子をすぽりとかぶつた。
 坪内博士も安心して貰ひたい。もらがミラボーだけに、賞品も別に悪くはなかつたやうだ。だが九歳こゝのつの子供の帽子を貰つたお爺さんがその帽子をうしたかは記者も知らない。


支那人と活動

1012(夕)

 仏蘭西の新古典派の作家ピエル・ルイスの説によると、現代の文明は、古希臘こギリシヤの文明に比べて何一つ進歩してゐない、哲学も、芸術も、道徳も、宗教も、みんな希臘にあつた儘で、少しも違つたところがない。人間は長い間花を作るやうにせつせと女にぎ込んでゐるが、その女でさへもが、希臘の女と比べて少しも新しくなつてゐない。広い世間をこまさぐつてみて、希臘に無かつたものと言つたら、先づ巻煙草位のものださうだ。
 巻煙草は実際希臘にも無かつた。希臘人は煙草の代りに欠伸あくびをしてゐたか、哲学を研究してゐたか知らないが、煙草が出来てから、人間は初めて閑潰ひまつぶしの所在なさを隠すことが出来るやうになつた。だが巻煙草のほかに今一つ希臘に見られない結構なものが現代にある。それは活動写真である。
 色々な点で現代的な支那人は、一体に活動写真が好きだ。ところが、不思議な事には、支那にある活動小屋のましなのは、大抵米国人の経営で、そんなのを数へ立ててみると、彼是かれこれ八十余りもあるが、それが揃ひも揃つて観客けんぶつの一万五千をもれる事が出来ると聞いては一寸驚かれる。
 支那人の観客けんぶつは滅多に観覧席の椅子を買はない。椅子は大抵一ドル半のめださうだから、支那人にとつてもそんな勿体ない事は出来ない。支那人に一弗半の持合せがあつたら、屹度天国をでも払ひ下げるやうな素晴しい事を仕出来しでかすに相違ない。基督の身体からだを銀三十で売つた耶蘇教徒は、支那人の掌面てのひらから一弗半を受取る事が出来たら、二つ返事で天国をも抵当に入れ兼ねまい。
 支那人の多くは野球でも見るやうに、思ひ思ひに蹲踞しやがんだり、突つ立つたりして活動写真に見惚みとれてゐる。ある時、さうした小屋へき合はせた日本の同業者が、支配人の米国人に会つて、
「安い椅子席でもこしらへたらどうです、これぢや余り見つともないやうだから。」
と言ふと、支配人は顔をしかめて手を振つた。
「どうして/\。支那人に椅子でも宛てがつてみなさい、じにするまでも、椅子に腰を下して、じつと写真に見とれてまさ。」
 支那人のこの心理を知る事が出来たなら、もう一ぱしの支那通だと言つていい。


小粒金

1013(夕)

 府の土木課事件の予審決定書を読むと、芸妓や娼妓やが賄賂として取引されたと明かにしたゝめてある。
 むかし松平伊豆守が、ある時将軍家光公の御前へ出るのに、白い徳利を一つ持参してゐた。目敏めざとい将軍家は直ぐにそれに気がいたが、何喰はぬ顔をして、伊豆の素振そぶりを見てゐた。すべて将軍家とか、大家たいけの檀那方とかいふものは、出入の者が白い徳利を持つてゐようと、短銃ピストルを持つてゐようと、成るべく見て見ぬ振をしなければならぬ。もしかとがだてをして、
「進上物でさ。」
と目の前に差し出されでもすると、それ相応の挨拶をする面倒を見なくてはならぬ。
 伊豆守は膝の上に白い徳利を抱き寄せて、将軍家の顔を見た。
わたくしさる者から、昨日古今無類の名酒を貰ひ受けましたから、上覧にそなへようと存じまして、唯今これへ持参いたしました。」
 将軍家の目は初めて気がいたやうに白い徳利の上に光つた。
「古今無類といふか、珍らしいものぢやの。」
「御覧下さりませ。」と伊豆守は、徳利を逆さまに畳の上にぶち撒けた。こぼれ出したのは灘の生一本と思ひのほか、山吹色をした小粒金であつた。小粒金はちやらちやら音を立てて、畳の上を転がつた。
「ほほう、結構な名酒を貰つて、羨ましい事ぢやな。」将軍家は白い歯を見せてにやつと笑つた。「しかしそれには返礼をしなければなるまい、返礼には何をするつもりぢやな。」
「さあ、その返礼でございますて。」伊豆守はわざとぼけた顔をしてみせた。「返礼には伊豆ほとほと持余もてあましてりまする。恐れながらこれは御上おかみへお願ひ申し上げますよりほかに致し方も御座りますまい。」
 将軍家はおつの菓子を貰ひ損ねた子供のやうに、わざぽうを向いた。
乃公おれは知らぬぞ。名酒を貰つたのは其方そちぢやからの。」
 伊豆守は声を立てて笑つた。
「それでは致し方も御座いません、名酒はその者へ返し遣はす、と致しませう。」
 かう言つて、伊豆はを拡げて畳の上の小粒金を拾ひ集めた。小粒金は悪戯いたづらのやうに指のまたを擦りぬけて転げ廻つてゐたが、それでもしまひには素直に元の徳利に納まつた。白い徳利は急にまた酒の入つてるやうな顔をした。
 芸妓と小粒金と物にも色々あるが、どちらも酒でないのは同じだ。


時間経済法

1014(夕)

 故人長田秋濤をさだしうとうが風流才子であり、仏蘭西語学者であり、護謨ごむ栽培家であつたのはよく世間に聞えてゐるが、それと同時に秀れた経済学者であつたのは、知らぬ人が多いやうだ。事によつたら、秋濤自身も自分を経済学者だとはつとも気がかなかつたかも知れない。自分を知るといふ事は、他人を知るといふ事以上に難しい習はしだから。
 ところが実際秋濤は立派な経済学者であつた。それには良い証拠がある。世間も知つてゐる通り秋濤は晩年神戸の仏蘭西語学校に教師を勤めてゐた。尤も秋濤の事だから語学校とは言ひ条、教場に入つてもろくすつぽ仏蘭西語の手引はしなかつたかも知れないが、しか生粋きつすいの仏蘭西人のやうに軽く明るい気持で洒落を言ふ事を知つてゐる男だつたから、生徒を笑はす事だけは屹度出来たに相違ない。生徒を笑はすといふ事は、女を泣かすといふ事と同じやうに、立派な教育である。
 ある日、秋濤はいつものやうににほひのいゝ葉巻シガーくはへて教室に入つて来たが、平素ふだんにない生真面目な調子で、皆の顔を見た。
「諸君、今日こんにちのやうに忙がしい時代では何よりも時間の経済といふ事が大切だいじである。それについて一つの相談は、諸君なり自分なりが、学校を中心に集まつて来るのは少からぬ時間の損失だから、一つ思ひ切つて、この教室を自分の宅に移したいと思ふのだが……」かう言ひさして、秋濤はみさしの葉巻を一服吸つて、ぱつとけぶりを吐いた。けぶりは紫色に光つてちらばつた。「さうすると、東から来る人には多少遠くなるかも知れないが、その代り西から来る人に近くなつて、差引損益はなくなり結局自分が登校する労力と時間だけが儲かる事になるのだ。」
 秋濤の宅に美しい女が居る事を知つてゐる生徒は、誰一人異議をいふものは無かつた。仏蘭西語を習つて、加之おまけに美しい女が見られるなぞ、何処へ往つたつて、そんな結構な事はない筈なのだから。
 秋濤の宅は神港しんこう倶楽部くらぶの近くにあつた。そのあくる日から皆はいつもの刻限よりは少し早目に其処そこに集まつた。もと中検なかけんのぽん太といつた秋濤の愛人は、語学の時間の合間々々にちよい/\意気な姿を見せた。その都度若い学生は千七百九十三年の大革命にでも遭つたやうに、胸をわくわくさせた。
 秋濤は立派に時間を節約する事が出来た。その時間を何につかつたかは吟味せずともよい。人間には色々用事があるものだ。


飛青磁とびせいじ

1015(夕)

 赤星あかぼし家の第二回入札に、二千三百八十九円といふ値で春海はるみに引取られた飛青磁の香炉がある。値段からいふと、大したものではないが、ある意味で好者すきしや仲間の好奇心をいてゐたのは、この香炉であつた。
 飛青磁の香炉は、もと大阪の平瀬ひらせ家に伝はつて同家名物の一つとして聞えてゐたものだ。この香炉が名物になつたのには、二つの訳があつた。その一つはこれに木瓜もくかう青貝あをがひ螺鈿らでんしよくが添はつてゐた事で、今一つはこの香炉が贋物いかものであるといふ事であつた。
 平瀬家の入札に先代赤星家の主人は、この香炉としよくとを七千円でひ取つた。出入の骨董屋の値ぶみでしよくが千円、香炉が六千円といふ積りであつた。
 赤星がこの香炉を引取つたといふ事は、その頃の好者すきしや仲間で大分だいぶん噂の種になつた。
「赤星め、とうとあの贋物いかものを抱き込むだて。お互に一ぱしの鑑定家めききとなるには、みんな高い税を払つたものさ。」
 かう言つて、皆は鑑定家めききらしい顔を見合はせて笑つたものだ。だが、考へて見ると、笑つて済ますには余り惜しかつた。
「何でも一つ恥をかかせてやらなくつちや、物持なんててあひは恥でもかゝないと賢くなりやうが無いんだから。」
と、皆は赤星家の主人に恥をかゝせる事にめた。実際人間は人前で恥をかくか、女に見捨てられるかすると、一度に賢くなるもので、この段になると、書物なぞはほんの閑潰ひまつぶしに過ぎない。
 皆は銀の金槌かなづちこしらへて赤星に贈つた。茶会でも開いて、皆の居合はす前で、例の香炉を叩き割れといふ謎なのだ。赤星家の主人は金槌だけは黙つて懐中ふところにしまひ込むだが、一向茶会を開かうとはしなかつた。
 で、今度の売立うりたてで、木瓜のしよくは六千円といふ値にせり上げられたが、無事に生残つた飛青磁は大分だいぶん見倒みたふされて二千三百八十九円といふ事になつた。
 だが、気にかゝるのは、銀の金槌で、今度の売立にもあの金槌だけは出て居ないところを見ると、うかしたのではあるまいかと心配してゐるむきもある。いや、心配するがものはない、銀の金槌は今だに赤星家に残つて、そこらの釘の頭を叩いてゐる。釘といふものは、出来星できぼしの紳士と同じやうに、根締ねじめゆるむと、直ぐ頭を持ちあげたがるものなので、時々金槌で叩いておく必要がある。


食前の祈祷

1017(夕)

 仏教信者は食事をする時、先づ飯を一はしとつて仏に供へる事を忘れない。耶蘇教信者はまた食卓につくと、屹度感謝のお祈祷いのりをする。どちらもほんとに結構な心掛だがかう諸式が高くなつては、多くの人の食卓は、これが神様の下され物だらうかと、怪しまれるやうに見窄みすぼらしくなつて来る。神様にしても、こんな事位で三度々々さうお礼を言はれては、何だか面当つらあてがましく聞えない事もなからう。
『シエーキスピア物語』で日本人にもよく知られてゐるチヤールス・ラムが、ある時多くの知合しりあひと一緒に誰かの晩餐にばれた事があつた。皆が食卓につくと、主人役は、
「ラムさん。」
と言つて、多くのお客のなかから『シエーキスピヤ物語』の著者を呼んだ。
 ラムは黙つてその顔をぢ向けた。主人役は勿体ぶつた顔つきをして、
「恐れ入りますが、食前のお祈祷いのりを貴方にお願ひしたいものですな。」
 ラムはたつた今その晩のお礼を主人に言つたばかりの所だつた。この上神様にもお礼を言はなければならないものなら、それには牧師といふ恰好な人があつた。牧師といふものは平素ふだんから自分のいふ事だつたら、どんな不機嫌な折でも(よしんば齲歯むしばが痛むでらうと)神様は屹度お聴き入れ下さると言ひ言ひしてゐるものだ。
「牧師さんはいらつしやいませんか。」
 ラムは多くのお客のなかから牧師を捜した。牧師は先刻さつきまで其辺そこらに居合せたが、神様に内証話ないしようばなしでも出来たかしで一寸次のさがつた所だつた。
「牧師さんは、あちらで御用をしてゐらつしやるやうですから、矢張貴方にお願ひしませう。」
 主人役はかういつて催促した。
「それぢや、私が致しませう。」とラムは丁寧に頭を下げた。「神様、今晩はどうも有り難うございます。兎も角もお礼を申しておきます。」
 実際その晩の御馳走は、主人役が神様に御相談をして出来上つた献立でも無かつたから、真面目に長つたらしく礼を言はれては、神様の方で顔をしかめられたかも知れない。
 神様が寺内首相のやうな小心者だつたら、そのコロツケの味付は乃公おれには相談が無かつたよと、禿頭とくとうカアテンのかげからのぞけて、一々お客に断つたかも知れない。


飲過のみす

1018(夕)

 英吉利にヂヨーヂ・モーランドといふ画家が居た。一生に三度恋をして、そのうち二度まではよそうちの女中を相手だつたといふから、相応かなりだらしのなかつた男に相違ない。
 モーランドは一生借金に苦しめられ、債権者に拘引されるのが怖さに、のちには蝙蝠かうもりのやうに夜分しか外へ出なくなつたが、しかしさういふなかでも好きな酒だけはさうとしなかつた。
 モーランドが自分で書残した日課表といふものがある。それを見るとかうだ――
 朝食あさめし前には
ラム酒と牛乳
ホーランド酒
 午食ひるめし前には
珈琲コーヒー一杯
ホーランド酒
ポルタア酒
シユラブ酒
エエル酒
ホーランド酒と水
ヂンヂヤア入りのポートワイン
ポルタア酒
 午飯ひるめしからその後にかけては
ポートワイン
ポルタア酒
パンチ水
ポルタア酒
エール酒
阿片アヘンと水
 晩食時ばんしよくどきには
ポートワイン
ヂンと水
シユラブ酒
 就眠ぜんには
ラム酒
とかういふ順にさかづき煽飲あふつたといふから、朝から晩まで酒にひたつてゐたものと見て差支さしつかへなからう。道理で自分の選んだ墓の銘には、
「この下に酔どれのいぬよこたはる。」
と書き残してあつた。
 酒といふものは、禁酒論者が言ふやうにまつたく肉体からだには良くないらしいが、その代り精神には利益ためになる事が多い。さかづきのなかには、女の眼や立派な書物のなかに見られるやうな、色々の世界が沈んでゐる。だが過飲のみすぎ過読よみすぎと同じやうにどうかすると身体からだこはす事が多い。――モーランドは少し飲み過ぎたやうだ。


あんなもんぢや

1019(夕)

 明治二十五年の一げつ十日、神田一橋の高等商業では、時の校長矢野二郎氏を排斥しようといふ団体が出来上つて、その徒党八十幾名の学生は、青山練兵場を指して方々からぞろ/\集まつて来た。
 練兵場には名高い「あんなもんぢや」の木がある。植物学者の方では随分やかましい樹ださうだが、校長を排斥する学生にとつては、そんな事はうでもよかつた。唯相手が樹だけに壁のやうに耳を持つてゐないのが何よりも都合が善かつたので、皆はその樹の蔭に集まつた。
 若い八十幾名の学生は其処そこで誓約文をこしらへた。そしてその足で矢野校長の宅を襲つて辞職勧告をした。矢野二郎といふ人は肺病患者だつたが、なか/\談話はなし上手で石黒忠悳だんなどは、肺病の黴菌ばいきんは怖いが、それでも矢野の談話はなしだけは聴かずには居られないといつて、宴会の席などでは態々わざ/\自分の膳に手帛ハンケチかぶせてまで、その隣に坐り込んだものだ。だが、矢野氏の舌もかうと思ひ込んだ一本気な学生をすかすには力が足りなかつた。
 二三日すると、八十幾名の一味徒党は全部退学処分に遭つた。彼等は渡り鳥のやうにぱつとちらばつて社会の各方面に飛び込むだが、卒業証書が何よりもよく物を言ふ社会では、彼らの骨折ほねをりは一通りで無かつた。で、わざ/\退校会といふ会まで拵へて互に力になる事にした。
「へつ、退校組のこちとらだ。しつかり踏ん張らなくつちや。」
 彼等は顔を見ると、かう言つて励まし合つたものだ。
 お蔭で彼等はめきめきと頭をもたげるやうになつた。一寸目の前にちらついてゐる連中れんぢゆうを数へ立ててみても藤田組のさか仲輔氏、茨城県代議士の鈴木錠蔵氏、第百銀行の本庄重俊氏、大阪電灯の日高らう氏、大阪アルカリの上領かみりやう純一氏、日本車輛製造の原田勘七郎氏……といつたやうに、卒業証書の有無ありなしなぞもう気に懸けないでもいゝやうな顔触ばかりになつた。
 その代り頭が禿げ出した。細君達は無暗むやみに子供を産み落した。子供が大きくなるにつれて、彼等はこれ迄のやうに、
「へつ、退校組のこちとらだ……」
と、ひぢを張つて威張るのも変になつて来た。自分達が御自慢の「退校」も、出来る事なら子供にだけは知らせないでおきたいものだと思ふやうになつた。一体男といふものは、方々で色々とかくぐひをする癖に、女房かないや子供にだけはそんな真似はさせまいとしてゐる。これが男のたつた一つの道徳なのだ。で、この先生達は「退校会」も変だといつて、そののち「大興会」といふ名に改める事にした。
 所が、この八十幾名の同盟から抜け出して、平気で卒業証書を手に握つた男が二人ある。それはほかでもない、大阪市助役の関一氏と三井物産大阪支店の武村ていらう氏。
 卒業証書だけは懐中ふところに持つてゐるが気が咎めるかして、それ以来この二人は成るべく「あんなもんぢや」の樹だけは夢に見ない事にしてゐる。


珍書

1020(夕)

 コロムビア大学のブランダー・マシウス教授が、ある時宴会の席上で一つの難しい問題を持出した。宴会といふのはマシウス教授が主人役で、客を饗応ふるまつたといふ意味ではない。大学教授は米国でも日本と同じやうにさうさう御馳走をしさうにない。
 教授は食卓の上の一番うまさうな果物を手につた。そしてそれを皆にひけらかして置いて、
「皆様、二百年ばかし前に出来た書物で、それ以来ラテン語、希臘ギリシヤ語、ヘブリウ語と言つたやうな古代語にも翻訳されれば、一方ではまた現代の各欧洲語は無論の事、アラビヤ、ペルシヤ、支那、日本といつたやうな東洋語にも翻訳されてゐるのがありますが、その書物の名は何でせう。うまく言ひ当てた人にはこの果物を褒美として差しあげませう。」
と言つて、居合はす皆の顔を見た。
 食卓の向うから女のきいろい声が聞えた。
「先生、エスペラントでも翻訳がございませうか、その書物ほんは。」
 その声の持主はエスペラントで恋文でも書きさうな女であつた。
「無論あります。」とマシウス教授は皮肉に答へた。「恐らくエスペラントで最初に翻訳された小説でせう。だが、小説といつても、その書物ほんには男女の情事はこれつぱかしも載つてゐませんよ。」
「さあ何だらうて。小説といつたら僕は随分読むには読んだんだがね。」と酒肥さかぶとりにでつぷり肥つた紳士は、教授の掌面てのひらに載つた果物を見ながら言つた。「無論聖書ではあるまいし。」
「事によつたら、イソツプかも知れませんぞ。」と銀行の頭取らしい男は、探るやうな眼つきをして、教授の方を見た。このてあひは聖書もイソツプも同じ小説で、二百年前に出来たものとでも思つてゐるらしかつた。
 皆は御馳走でくちくなつた腹を抱へて、めい/\じつと考へ込んでゐたが、うしてもそれらしい書物ほんが思ひ出せなかつた。マシウス教授は可笑をかしさうにくすくす笑ひながら、
「判りませんか、判らなきや言ひませう。『ロビンソン・クルウソウ』ですよ。さ、その代りこの果物は私が頂きますよ。」
と言つて、その儘ナイフを取つて外皮かはをむき出した。
 皆は呆気あつけにとられて互に顔を見合はした。


電車不通

1021(夕)

 郊外生活もいが、今年のやうに洪水おほみづが出て、郊外電車が幾度となく不通となる様では実際郊外生活も厭になる。
 むかし支那に王栄老わうゑいらうといふ男がゐた。旅先から故郷へ帰らうとして、大河おほかはの岸まで来ると、ひどい風で浪は馬のやうにをどつてゐて、なかなか渡し船などの沙汰ではない。王栄老は郊外電車の不通に出会つた銀行員のやうに、荷物を横抱きにぶつぶつぼやきながら、かはぺりの宿屋に入つた。
 王栄老は七の間待つてみたが、風は少しも衰へなかつた。すると八日目の朝、髯の白い宿屋の主人がひよつくり座敷に入つて来た。
「何てまあ意地くね悪い風なんでせう、全くお察し申しますよ。」主人は胡散うさんさうな眼付をしてへやの片隅に押しやつてある客人の荷物を見た。「かう言つちや何ですが、もしや貴方のお荷物に、何か大切だいじな物があつて、水神すいじん様がそれを欲しがつてるのぢやありますまいか知ら。」
「成程な……」と客人は一寸考へるやうな眼色を見せたが、暫くすると、徐々そろ/\荷物をほどいて、なかから立派な払子ほつすを取り出した。払子は一度それを振ると、大抵の邪念はあぶのやうに飛んでしまひさうに思はれた。「ぢや、これをさし上げるとしよう。掘出し物なんだが、まあ仕方がない。」
 王栄老は払子を河に投げ込むだが、風は少しも衰へなかつた。慾の深い水神様は、もつとほかの物をも欲しがつてるのかも知れないと、気の毒な旅人は、荷物の中から虎の皮の弓嚢ゆみぶくろを取り出して、惜しさうにそつと河に落してみた。弓嚢は宿賃の一月分も出して、やつと手に入れた品だつた。
 だが、風は少しも弱みを見せなかつた。王栄老は顔を歪めてべそを掻いてゐたが、暫くすると、また荷物の一番底から黄魯直くわうろちよくが草書でかいた扇面を一つ取り出した。そして風邪をひいたやうな声をして、
「水神め、こんな物のある事までちやんと知り抜いてるんだな。」
と言ひ言ひ河の中へそれを投げ込むと、急に風が収まつて、空も河水かはみづも鏡のやうに静かになつた。栄老はお蔭で無事に向う岸に渡る事が出来た。
 阪神電車で大阪に通つてゐる私は、初めての不通の折は読み古しの夕刊を、二度目には使ひさしの汽車の切符を水神様に手向たむけたが、供物くもつが気に入らなかつたせゐか、水は少しも減らなかつた。もしか三度目に不通にでもなつたら、今度は隣席となりにゐる男の頭から新しい帽子でも手繰たくつて手向けようと思つてゐる。


坪内博士と勲二等

1023(夕)

 ラフカヂオ・ハアンまたの名小泉八雲氏が、日本の美しい夢のやうな一面を、立派な作物さくぶつで世界に紹介して呉れたのは、吾が国民の感謝に堪へない次第である。
 無茶苦茶に人を表彰する事の好きだつた大隈内閣は、小泉八雲氏をどんな方法でか表彰したいものだと思つて、色々考へてみたが、大抵な方法は費用や面倒めんどくさい下調べが要るので、残つたたつた一つの最も容易やさしいのを撰ぶ事にした。それはほかでもない、小泉氏にじゆを贈るといふ事だ。
 その内意が小泉家に達せられると、驚いたのは未亡人であつた。従四位といへば、絵で見る天神様のやうにかんむりて、直垂ひたたれでも着けてゐなければならぬ筈だのに、亡くなつた八雲氏はまがひもない西洋人である。矮身せいひくで、おそろしく近眼ちかめな、加之おまけに、背広のせなをいつも黄金虫こがねむしのやうにまろめてゐた良人をつとに、窮屈な衣冠を着けさせるのは、何としても気の毒であつた。
 で、未亡人は懇意な坪内逍遙博士のもとに駆けつけて相談してみた。博士はそんな方面に一向無頓着な小泉氏の事だ、素直に貰つて呉れたところで、その次ぎの瞬間には、南京豆の袋か何ぞのやうに、その儘「従四位」をポケツトから引出して、友達に呉れまいものでもないと思つたが、直ぐまたそのが、自分に関係の深い早稲田の老伯であるのに気がいたらしかつた。
「折角の志ですから、まあ貰つてお置きになつたらいいでせう。」
 博士がかう言つたので、未亡人はその儘お受けをして、今では背広の服に冠を良人をつとの姿を夢に見てゐる。
 小泉氏の従四位をめでたく納めると、今度はその坪内博士へ、勲二等を呉れようといふ内意がその筋の手から達せられた。謙遜な博士はそれを聴くと、泣き出しさうな顔をした。
「困つたな。おれにどんな間違ひがあつて、そんな物を呉れるといふんだらう。」と博士は眼鏡の奥で眼をくしやくしやさせながら、もしや自分が出した沙翁シエキスピヤの翻訳に誤訳でもあつて、こんな事になつたのではなからうかと考へてみた。だが、あの翻訳は信用のある多くの註釈書を土台にしたので、そんな間違がありさうにも思へなかつた。「困つたな、それに貰つたところで、おれには洋服といつたら、古いフロツクコオトが唯一着しか無いんだからね。」
 実際博士は洋服をたつた一着しか持つて居なかつた。で、そのあくる朝大隈伯を訪ねて、さんざ謝りぬいた末、やつと勲二等の御沙汰だけはおもとまつて貰ふ事にした。
 博士はこの噂が彼是かれこれ世間に取沙汰せられるのを気遣つて、誰にだつて話した事はないらしい。だから、これを読む読者も成るべくなら他人ひとに聞えないやうにそつと読んで貰ひたい。


魚の骨

1024(夕)

 羅甸ラテンことわざに「少年にして智慧あらば、老年にして力あらば。」といふのがあるが、少年にして智慧があつたら進取の気力に乏しくなるだらうし、老年にして力があつたら往時むかしを想ひ出してにやにや笑ひをする娯楽たのしみが無くなるだらう。すべて老人としよりといふものは、みづばなすゝりながら、
乃公おれが若かつた時には……」
といふのが何よりもたのしみなものなのだ。もしかそれ以上の娯みがあるとしたら、それは日当りのいゝ縁先で、禿げ上つた前額ひたひ一面に生え残りの髪を几帳面に一本一本ならべる位のものだらう。
 京都の知恩寺といへば、断わる迄もなく浄土宗の大本山である。そこの三十九代目の住職に、万霊まんれい上人といふ、大津生れの名高い僧侶ばうさんが居た。何でも三十八年の間引続いて住職を勤め、延宝八年とかに九十二でくなつたといふから、随分達者な僧侶ばうさんだつたに相違ない。
 この僧侶ばうさんが逝くなる五六年前の事だつた。ある日寺男を指図して庫裏くりの床下を掃除させたものだ。どこのうちでも床下には色々の秘密がある。金の茶釜を掘り出したり、野良猫のかく発見みつけたりするのは、大抵が床下で、もしか床下に何一つ落ちてないやうなうちがあつたなら、そこの祖先は落す程の物を持合はさなかつたので、こんな気の毒な事はない筈だ。
 在方ざいかたの床下にあるものが、寺方てらかたの床下に無いといふ法は無い。知恩寺の床下からは、つい先日こなひだ食べ荒したばかりの魚の骨がどつさり出た。
「てつきり納所なつしよ坊主ばうず仕鱈しだらに相違ない。お上人様のお目に懸けなくつちや。」
といふので、寺男はその魚の骨を拾ひ集めて上人の居間へ入つて往つた。
 上人はそれを見て変に顔を歪めてゐたが、暫くすると、
「どうも今時の若い奴は根気が弱くてかんな。」
独語ひとりごとのやうに言つた。
真実まつたくでございますよ、お坊さんの癖に、こんな物までつくなんて、お上人様方のお若い時分には、ほんとに不味まづい物ばかし召食めしあがつてたぢやありませんか。」
 寺男がぶつぶつぼやくと、お上人は掌面てのひらで押へつけるやうな真似をした。
「いやいや、そんな積りで言つたのぢやない、乃公わしらが若い時には、骨なぞ食べ残すやうな事はしなかつたと言つた迄さ。」


新調の軍服

1025(夕)

 ぢぢむさいさなぎが化けて羽のきいろい足長蜂となると、尻つ尾の先に剣をつけるやうに、中村雄次郎だんは、満鉄総裁から関東都督に職業替へをしたばつかりに、一旦予備役よびえきになつた身で、再び現役中将になり戻つて腰に佩刀サアベルをがちやがちやさせるやうになつた。
 都督の辞令を受取つた中将は、やつとこの頃似合ふやうになつた背広服を、惜気をしげもなく脱ぎ捨てて早速中将の軍服に着替へようとした。中将は衣裳箪笥の底から、丁寧に仕舞ひ込むであつた古軍服を引張り出した。そして長らく会はなかつた友達にでも出会でくはしたやうに声をうるませて、
「久し振ぢやの、今日からまたお前の厄介になるんぢや、しつかり頼むぞ。」
と言つて、案山子かゝしのやうな恰好をして、その古洋服に手を通しかけた。
 だが古洋服は生きた人間よりもずつと時代といふ事をよく知つてゐた。中将が手を通さうとすると気が進まなささうに、ぐたりとなつてゐたが、実際胸釦むねぼたん穿めて、鏡の前に立つてみると、中将自身すら気が咎めてならない程折目折目が痛むでゐる上に、肝腎の金ぴかが厭にくすんだ色をしてゐた。金ぴかの燻んだのは、鼻髯の薄いのと一緒で、他人ひとおどしつけるのに余り都合のいいものではない。
 中将は早速軍服一揃ひを、帽子指揮刀ぐるみ新調する事にした。出来上るが早いか身に着けてみると、成程着心地はよかつた。
「やつぱり乃公おれは陸軍中将だつたな。」
 中将はさう言つた様な顔をして、椅子に腰を下した。尻の下では意地の悪い椅子が咽喉を鳴らしてくつくつ笑つてゐた。
 丁度満洲で守備隊の機動演習があつた。中将は早速新調のそれを着込んで視察に出かけて往つた。北満洲の秋の野にはいなごや蛙が飛んだり、跳ねたりしてゐたが、新調の軍服を見ると、急に地面ぢべたかゞんでしまつた。軍服は大手をつて、その前を通り過ぎた。
 中将はその軍服でまた都督としての初上京をする事にした。途中関釜くわんふ連絡船に乗ると、前檣ぜんしやうには日の丸の旗をひらひら掲げて呉れる。しもせきの山陽ホテルで、記者団の包囲を受けると、対話五分間で副官が撃退してくれる。
「やつぱり新調のお蔭さ、大したもんだな。」
 軍服はまた胸を反らして東京行の汽車に乗り込んだ。


田中祥雲

1026(夕)

 昨日きのふ心臓麻痺で亡くなつた木彫家田中祥雲氏は、頭が馬鈴薯じやがいものやうに禿げてゐるのと飛び抜けた奇行が多いので、仲間に聞えた男であつた。もつと詳しくいふと、祥雲氏の奇行は、頭が禿げてゐるので、一段と人に突拍子もない感じをいだかせたやうだ。
 ある時――丁度今時分のやうな松茸の出盛つた頃であつた。祥雲氏は仲間の彫刻家達と一緒に、牛肉と松茸とをしこたま買込んで来た。
「さあ、今夜は出来るだけ詰め込むんだぞ。」
と言ひ言ひ、皆は松茸をれうつたり、カンテキの火を吹いたりした。その頃祥雲氏は市街まち外れの一軒家に、たつた一人で住んでゐたので、皆は其家そこに集まる事にしてゐたのだ。
 仲間には、高村光雲氏の弟子で、泰雲といつた、蛞蝓なめくぢの好きな男もまじつてゐた。白砂糖にまぶして三十六ぴきまで蛞蝓を鵜呑うのみにしたといふ男で、悪食あくじきにかけては滅多にひとひけは取らなかつた。一体が美術家には思ひ切つた悪食をするてあひが少くない。少々位技術はまづくとも、づば抜けた悪食の出来る男なら、先づ美術家としての資格には欠けない筈だ。それとは反対あべこべに幾ら腕が冴えてゐても、食後にきまつて規那鉄きなてつ葡萄酒をたつた一杯づつ飲むやうな美術家は余りぞつとしない。
 祥雲氏はその晩鱈腹たらふく牛肉と松茸とを食つて寝床に入つた。すると、夜半よなか過ぎから急に腹が痛み出して、溜らなくなつた。
「ひどく痛み出したな、うしたんだらう。」
と祥雲氏はぱつちり眼をさましてよこぱらを押へた。禿げた頭にはいつの間にかびつしより汗を掻いてゐた。
「事によつたら虎列拉コレラかも知れないぞ。」
 さう思ふと、うやら虎列拉らしい気持がした。
「虎列拉だ/\。てつきり虎列拉に相違ない、こりやかうしてはられないぞ。」
 祥雲氏とてももう助からないものと覚悟をした。同じ死ぬるのだつたら、せめて死様しにざまだけは立派にしたいものだと、起き上つて蒲団を四つに畳むだ。そしてその上にあがつて座禅を組むだ。
「郊外の一軒家だ。明日は仲間めがやつて来て乃公おれの大往生を見て吃驚びつくりするだらうて。」
 祥雲氏はこんな事を考へながら、気を落ちつけて目をふさいだ。
 はつと気がいて眼をけて見ると、四辺あたりには朝の光りが一杯に射し込んでゐた。よこぱらを押へてみたが、もう痛みは無くなつてゐた。
「朝だ、朝だ。乃公おれは生きてるよ。」
 祥雲氏は飛び揚つて喜んだ。そしてその儘跣足はだしで友達のとこを訪ねて歩いて、「乃公おれは生きてるよ」とわめいて廻つた。


馬具屋

1027(夕)

 京大総長の荒木博士が鋲釘びやうくぎの様な大きな頭を持つてゐて、いつも恰好な帽子を買ふのに困つてゐるのは名高い話だ。
 トーマス・リイドといへば、米国では一頻ひとしきり鳴らした弁護士出の政治家で、共和党の弁士として議院で随分雄弁をふるつたものだ。
 そのリイドは恐ろしく身体からだのがつしりした、とりわけ首根つこの太いので名高い男だつた。リイドがその太い咽喉元から喇叭ラツパのやうな声を出して演説でもすると、
やつこさん、まるで牛のやうな咽喉をしてるぢやないか、これぢやとてかなひつこは無い。」
と、反対派の代議士は、自分達の議席で鼠のやうに小さくなつて悄気しよげてゐたものだ。
 一体咽喉の太いのは、余り見つともよいものではない。呂昇なぞも、女義太夫としては外貌そつぽもよし、声もよいが、平常ふだん咽喉を使ひ過ぎるせゐで、首がぼうくひのやうにがつしりと肥つてゐる。見てゐても醜いが、とりわけ恋人にでもなつてあの首根つこに手を掛けなければならないとなると屹度うんざりするに相違ない。自分は女と生れて、雄弁家リイドの女房かないにならなかつたのを喜ぶと同時に、男と生れて呂昇の恋人とならなかつたのを祝福せぬ訳にゆかない。
 そのリイドが或る時カラを買ひに、通りすがりの雑貨屋へ入つて往つた。
カラを見せて下さい。」
とリイドは汗ばんだ咽喉をくしやくしやの手帛ハンケチで拭きながら言つた。
「はい/\、カラでございますか。大きさサイズはお幾らで?」
 雑貨屋の番頭は愛相あいさうよく訊いた。
「十九インチ。」
 この雄弁家は幾らか気が咎めるやうに低声こごゑで返事した。
「十九吋!」番頭はじつと客の咽喉を見つめてゐたが暫くすると、「手前にはあいにく持合せが御座いませんが、これから三軒目を尋ねていらつしやい。恰好のが見つかるでせう。」
 リイドは太い首根つ子を真直に肩の上にてて三軒目の店を覗いてみた。そこはまがひもない馬具みせであつた。この共和党の弁論家は店のしきゐ衝立つゝたつた儘、暫くは馬のやうに眼を白黒させてゐた。


黒板くろいた博士と新聞紙

1028(夕)

 文学博士黒板勝美氏は、職業柄しごとがらよく奈良へ出掛けて来る。秋篠寺あきしのでらの伎芸天女や、薬師寺の吉祥天きちじやうてんといつたやうな結構な美術品は幾度となく見は見たが、いつといふ事なし、それだけでは何だか物足りなくなつて、旅籠はたご徒然つれ/″\に、ある時三味線ををんなんでみた。
 をんなは薬師寺の吉祥天のやうに手の指を六本も持つてはゐなかつたが、それでも学者の心の臓を掴むには十分であつた。学者の心の臓は、蜆貝しゞみがひのやうに小さくて、加之おまけに浅い所にしか住むでゐないので、どんな女にでも直ぐ掴む事が出来るものだ。――黒板博士は大事の心の臓ををんな掌面てのひらに置き忘れたまんまで東京に帰つて往つた。
 月日の経つのは早かつた。博士は今度又奈良へ出張して来たので、旅龍はたごやへ着くと直ぐそのをんなに口をかけて見た。だが、の悪い時には悪いもので、をんなは何かの用事で筑前の博多に旅をしてゐるといふ事が判つた。無論博士の心の臓は化粧箱に入れた儘、奈良の屋形やかたに残してゐるに相違なかつたが、博士は直ぐそのあとを慕つて、遙々はる/″\博多までくだつて往つた。
 二三日すると、博士はにこにこものでこつそり奈良に入つた。そして幾日かの調査を済ませて、また東京に帰つて来ると、その脚で直ぐ史料編纂局の田中義成よしなり博士を訪ねて、奈良土産を鞄のなかから取り出した。土産には霰酒あられざけや奈良漬などがあつた。
 座には同僚の三四人が居合はせた。そのうちの一人が何心なにごころなく土産物のくるんであつた新聞紙を手に取つて見た。新聞紙は奈良のものだつたが、矢張り新しい事が載つてゐた。実をいふと、奈良には滅多に新しい事が無く、たまに有つてもそれは面白くも無かつたが、その日の記事は新しい上に、素敵に面白かつた。読んだ一人は黙つて次ぎへ渡した。かうして次ぎから次ぎへ渡つて、最後にそれが田中博士の手に廻された。博士は東大寺の古文書こもんじよでも覗く折のやうな、取つて置きの眼付をして新聞を見た。そして思はず吹出した。
 旅鞄の口を締めてゐた黒板博士は、不思議さうに田中博士の顔を見た。
「何がそんなに可笑をかしいんです、どれ僕にも読ませて下さい。」
 博士は新聞を引手繰ひつたくるやうにして覗いて見た。新聞には博士が三味線を弾くをんなあとを追つて博多までくだつて往つた始末が詳しく載つてゐた。博士は霰酒と奈良潰とを一緒くたに鵜呑にしたやうに、耳も鼻も頸窩ぼんのくぼも真赤になつた。
 愛すべき博士よ、そんなに真赤にならなくともよい。新聞は博士の好きな古文書と同じやうに真実を語るものである。だが、博士も学者である。学者といふものは、自分に都合の悪い事は、古文書であらうが、新聞紙であらうが、
「これは嘘だよ。」
と一口に言ひ消すだけの勇気が無くてはならぬ。


元帥の諧謔

1029(夕)

 元帥ジヨツフルが、仏蘭西の軍事委員として幕僚を引連れて米国へ渡つた事があつた。その折おびたゞしい歓迎人の中から、生粋の米国婦人と思はれる一にんの貴夫人がづかづかと一行の前に出て来た。
 男がたんと並んでゐる場合に、女が先づ言葉を掛けるのは、そのなかで一番若い男ときまつてゐるものだ。貴夫人は、一行のなかから若い将校を捜し出して言葉をかけた。
「あのう、戦争では貴方も独逸人を幾人いくたりかお殺しなすつて?」
「はい、五人ばかしけましたよ、夫人おくさん。」
と若い仏蘭西の将校は、米国婦人のだしぬけの質問に幾らか気味を悪がりながら、自慢さうに言つた。
 貴夫人はそれを聴くと、飛びつくやうにして、ひしと男の右の手を握つた。若い将校の五本の指は暖い女の掌面てのひらのなかで小鳥のやうにふるへてゐた。女は嬉しさうに訊いた。
「ちよいと、このお手なの、独逸人を殺したと仰有るのは。」
「まあそんなものでせう。」
 若い将校はどきどきする胸を押し鎮めながら、わざと気取つた物の言ひやうをしてみたが、気の早い米国の婦人はそんな事は少しも耳にとめないらしく、いきなり男の右の手を持ち揚げたと思ふと、それを自分の唇に当てがつて、幾度いくたびか熱い接吻キツスをした。
「まあ、名誉なお手だこと……」
 暫くして夫人は手を離しながらかう言つた。
 若い将校は、嬉しさにのぼせながら、今一つの左手では百人も独逸人を殺したらしい顔をして手先をもじ/\させてゐたが、それでも四辺あたりを気にしてその手を吹聴する事だけはしなかつた。
 そばに立つてゐたのは、他ならぬジヨツフル元帥だつた。元帥は激しい独逸軍の攻勢にも、びくともしなかつたあの落付いた態度で、この場の容子ようすをじろじろ見てゐたが、貴夫人が引揚げてしまふと、若い将校の方へのつそり向き直つて言つた。
「馬鹿め、あんなに接吻キツスまでして呉れようといふんだ、何だつて私は独逸人をこの口で噛み殺しましたと言はなかつたんだ。」


独逸帝国の最期の年

1030(夕)

 今の独逸皇帝の祖父おぢいさんがウイルレム一世である位の事は知らぬ人もあるまい。この人がまだ普魯西プロシヤ王フレデリキ・ウイルレム四世の皇弟であつた一八四九年のある秋の日、御微行おしのびでライン河のかはぷちをぶらぶらしてゐた事があつた。仏蘭西の二月革命から飛火した伯林ベルリン暴動に対するその態度が善くなかつたといつて、ウイルレムは方々から盛んに不評判を浴びせられてゐた頃で、自分の運命に、いつかまた芽が吹かうかなどとは夢にも思つてゐなかつたので、暗い顔をして黄ばんだ森影を歩いてゐた。
 そこへひよつくり顔を出したのは、ジプシイの占ひ女で、とび色の顔を皺くちやにして、
「陛下、御運を見させて戴きませう。」
と言つてお辞儀をした。
「陛下」と聞いて、ウイルレムは少からず喜んだ。
「陛下つて、どこの国のだい。」
「申上げる迄もありませんさ、新しい日耳曼ゼルマン帝国のね……」と占ひ女はにやにや笑つて返事をした。
 ウイルレムは幾らか真面目になつて来た。
「そんな帝国がいつ出来るな。」
 ジプシイの女は紙片かみきれを取り出して、へたな文字でその年の一八四九年へその数字をそれ/″\書き加へた。

1849  1  8  4  9──1871

「御覧なさいまし、こんな数が出ました。してみると一八七一年だと見えますよ。」
――実際その通りで日耳曼帝国の出来上つたのは一八七一年だつた。
 ウイルレムは身体からだを乗り出すやうにして訊いた。
「ぢや、その帝国を乃公わしは幾年位治めるだらうね。」
 占ひの女は、紙片かみきれでまた勘定を始めた。以前と同じやうに一八七一年へ、その数字をそれ/″\書き加へながら、

1871  1  8  7  1──1888

「ちよいと、こんな数になりましたよ、これで見ると陛下の御治世は一八八八年までといふ事になりますわね。」
――実際ウイルレム一世のくなつたのは、その一八八八年であつた。
 皇帝はジプシイの女がてきぱきと返事をするので、幾らか調弄気味からかひぎみになつて訊いた。
「そしてその帝国はいつ迄続くだらうな。」
「さやうでございますね。」と女はまた勘定をし出した。一八八八年へ、その数字をそれ/″\つけ足しながら、

1888  1  8  8  8──1913

「こんな数が出ましたよ。」とジプシイの女は相手の眼の前へ 1913 といふ数字を突きつけた。
 三つの予言のうち、初めの二つはぴたりと適中した。その手際でみると、あとの一つもあたらぬとも限らぬ。今度の戦争が一九一四年に起きたのを考へ合はせてみると、ホオヘンツオルレルン家の最後の治世は一九一三年だつたといふ事になるかも知れない。


湖南博士の蔵書

1031(夕)

 哲学者ハーバート・スペンサーは平素ふだんから余り書物を読まなかつた。自分にもそれが自慢だと見えて、何かの話には、
「自分が他の学者のやうに、書物ほんばかし読んでゐたら、とても今のやうな思想家にはなれなかつたと思ふ。」
とよく言ひ言ひしてゐた。
 実際思想家や芸術家にとつては、書物はさうさう役に立つものではないが、しかし好きなら仕方が無い。世のなかには酒好きがあるやうに、書物ほん好きもない事はない。手近な例をあげるなら、京都大学の内藤湖南博士の如きは、その書物ほん好きの一にんで、東洋史の専攻学者だけに、幾ら書物ほんを読んでも、まだ読み足りないのは、博士にとつて仕合せである。
 博士は京都大学の近くに住んでゐるが、家中うちぢゆうは脚の踏み込むところもない程ぎつしり書物ほんで詰まつてゐる。手つ取早く言つたら、博士の今のうち書物ほんを入れる為めに借りたうちで、博士自身や家族達はやつ室借まがりをしてゐるに過ぎない有様だ。室借まがりだといふのに何の不思議があらう、博士はうちに居る時は、山のやうな書物の蔭で、あの小さな身体からだ一つを遠慮して持扱もちあつかつてゐる。
 博士は以前火事に遭つて折角集めた書物をすつかり焼いてしまつた事があるので、今ではそれを保険に掛けてゐる。博士が蔵書全部の価格をざつと三万円に見積ると、保険会社の社員は四辺あたりをきよろきよろ見廻しながら、
「三万円! つかまつりまして、これだけの書物が三万やそこいらの金銭かねはれるものぢやございません。如何いかゞでせう、四万円といふ事に致しましては?」
と言つて、とうと博士を四万円といふ事に納得させてしまつた。保険屋は一文でも掛金を多くしたいのと、一寸物識ものしりらしい顔がしてみたかつたのだ。博士にしても自分の財産を過分に見積られて格別厭な気もせなかつたに相違ない。
 だが、幾ら四万円貰つた所で、書物には金でへないものがある。博士は旅に出掛ける時には、いつも蔵書の中から一番大事なものだけメリンスの風呂敷に包むで、夫人にあづけておく。
「寝る時には忘れないで、これを枕許まくらもとに置いといて呉れ、いざといふ場合には、これだけ持出して呉れたら、ほかの物はどうなつても構はん。」
 夫人は書物よりももつと大事なものをたんと知つては居るが、やつぱり言ひつけられた通りに、いつも寝る時にはそのメリンスの風呂敷包を枕許に置くのを忘れないやうにしてゐる。包みの中には蒙文の元朝秘史や宋版の史記などが入つてゐる。
 内々ない/\で博士に知らせる。世の中には蔵書狂ビブリオマニアといつて、どんな高いを払つても珍書を集めようとするてあひが居る。その人達は書物が読めない代りに、書物をれるには、メリンスの風呂敷よりもつと上等な蔵を持つてゐる筈だから、秘史や史記はそんなてあひに譲つたらどんなものだらう。博士はどんなほんでも読む事を知つてゐる。読む事を知つてゐる人は手許に読物を置いてゐないのが一番気楽なものだ。


三十六計

11・1(夕)

 むかし元禄の頃に大野秀和しうわといふ俳人が居た。同じ俳人仲間の宝井其角きかくが、自分の事をざまに噂をしてゐるといふ事を聞いて、大層腹を立てた。
「其角の野郎め、一度ひどい目に会はして呉れなくつちや。」
といつて、内々ない/\喧嘩の心積りをしてゐた。秀和は俳諧こそ其角よりは下手だつたが、以前が侍だけに、うでぷしはずつと太いのを持つてゐた。
 其角は秀和が大層腹立はらだつてゐる噂を聞いて、成るべく出会はぬやうに気をつけてゐたが、ある日の事が悪く両国橋の上でばつたりと行き会つた。講談師の話によると、其角が煤竹売すゝだけうりの大高源吾に出会つたのも矢張やはり両国橋の上だつたといふ事だから、其角といふ男は、ひまさへあれば両国橋の上をうろ/\してゐたものと見える。
 眼ざとい秀和は其角の姿を見遁みのがさなかつた。
「おい其角、お前は何ださうだね。近頃方々で乃公おれの事をざまに言ひ触らして歩くさうだが、それは真実ほんとだらうね。」
 秀和の言葉は初めから喧嘩腰だつた。
真実ほんとだよ、真実ほんとだつたらうするね。」
 其角は喧嘩を買つて出た。
「果し合をする迄さ。」と秀和は刀のつかに手を掛けて、二あしあし詰め寄つた。「そんな噂を触れ歩くからには、お前にも覚悟があるだらうから、さあ勝負をせい。」
「無論勝負をする。」其角はきつぱりと言ひ放つた。「乃公おれも男だ、いつでも相手になつてやるが、暫くの待つてくれ。支度をしなくちやならんからな。」
 其角はかう言つて、ぼつぼつ裾を端折はしをつて、雪駄せつたを脱いで帯にはさむだと思ふと、
「さあ来い……」
と言つて、その儘あとをも見ずに、一さんに駈け出してしまつた。
 羅馬ローマの来電によると、イゾンゾ河沿線の伊太利イタリー兵は、独逸勢が攻め寄せたと聞くと、俳人其角のやうに逸早いちはやく逃げ出したといふ事だ。悧巧な事だ。自分より強いものに出会でつくはしたら、逃げたが勝だといふ事はいぬもよく知つてゐる。馬鹿者の多い世の中に、狗の知つてゐる事をわきまへてゐる人間は先づ悧巧者とせなければならぬ。


戦争はいつ済むか

11・2(夕)

「戦争はいつ済むだらうか?」――これは興味のある問題で、政治家、外交家、宗教家、――とりわけ相場師などいふ人達は、これには随分頭を痛めてゐるらしいが、この問題を一寸数学の上から解決してみたい。それには聯合国側の各元首の御身おんみうへを調べなければならぬ。
 おそれ多いが、先づわが天皇陛下から申し上げると、陛下の御誕生が一八七九年で、御即位が一九一二年、御治世が五箇年で、今年の天長節で第三十八回の御誕辰を迎へさせられた。めでたいこのすうを一緒に加へて見るとかうなる。

18791912  5 38──3834

 次ぎにわが同盟国英国皇帝の御誕生が一八六五年、即位が一九一〇年、治世が七年、おとしが五二歳。これを一緒にすると、

18651910  7 52──3834

 次ぎに伊太利イタリー国王の御誕生が一八六九年、即位が一九〇〇年、治世が一七年、お齢が四八歳。これを一緒にすると、

18691900 17 48──3834

 次ぎに白耳義ベルジユーム国王の御誕生が一八七五年、即位が一九〇九年、治世が八年、お齢が四二歳。これを一緒にすると、

18751909  8 42──3834

 次ぎに仏蘭西大統領の誕生が一八六〇年、就任が一九一三年、治政が四年、年齢が五七歳。これを一緒にすると、

18601913  4 57──3834

 次ぎに米国の大統領ウヰルソン氏の誕生が一八五八年、就任が一九一三年、治政が四年、年齢が五九歳。これを一緒にすると、

18581913  4 59──3834

 次ぎに塞耳維セルビア国王の誕生が一八四四年、即位が一九〇三年、治世が一四年、年齢が七三歳。これを一緒にすると、

18441903 14 73──3834

 次ぎに黒山モンテネグロ国王の誕生が一八四一年、即位が一九一〇年。治世が七年、年齢が七六歳。これを一緒にすると、

18411910  7 76──3834

 次ぎに羅馬尼ルーマニア国王の誕生が一八六五年、執政が一九一四年、治世が三年、年齢が五二歳。これを一緒にすると、

18651914  3 52──3834

 不思議にもどの元首の合計もが三八三四といふ数になる。ところが、今言つた聯合七箇国は東西両半球を代表してゐるので、この数は当然二つに割られなければならぬ。割られたすうはまさに 1917、丁度今年だ。今年中に平和になるとは受取れないが、まあ遠くもあるまい。


十億長者ビリオネア

11・3(夕)

 戦争以来日本にも其辺そこらぢゆうに成金が殖えたが、万事が吾がくによりもずつと大袈裟な米国では、その殖え方が一段とづば抜けてゐる。これまでよく使つた Millionaireミリオネア(百万長者)では、ことばの意味が貧し過ぎるからといつて、近頃では大富豪おほがねもちの事をいふ場合には Billionaireビリオネア(十億長者)といふ語がよく用ゐられてゐる。
 十億長者――一口に言つてしまふと何でもないが、実際それだけの概念をるのは却々なか/\容易ならぬ事だ。米国の銀行家の説によると、長年出納勘定に熟練してゐる銀行家が一時間に勘定出来る銀貨の金高きんだかは大きく見積つて、ざつと四千ドルといふ事だ。
 八時間打通ぶつとほしの労働で、一日に勘定出来る高は、銀貨で三万二千弗になる。この割合で百万弗の銀貨を毎日八時間づつ勘定して、幾日に数へ尽せるかといふと、ざつと一月以上、もつと詳しくいふと三十一日余りかかる事になる。
 かうして一億弗をみ尽さうとするには先づ十年近くかゝり、も一つ進んで十億弗の銀貨になると、それを勘定するには毎日八時間働き通して、彼是かれこれ百年近くかゝる事になる。この世に百年以上生き延びる人が幾人あるだらう。――とかういふのは、勘定好きな米国人の算盤からはじき出された計算である。茶話子は算盤の事は一向暗い方だが、成程聞いてみると、さうらしく思はれる。
 してみると、滅多に成金なぞになる者ではない。して成金に使はれるなぞは以ての外と言はなければならぬ。人間は誰しも女を可愛かあいがるとか髯を剃るとかの時間ひまがなければならぬもので、そしてそんな時間ひまが無い程なら人生はまあうでもい位のものだ。


戸川残花氏と狸

11・4(夕)

 先日こなひだ奈良へやつて来た戸川残花氏は、奈良公園の太い杉の樹蔭こかげに立つて、鹿の遊んでゐるのを見て非常な発明をした。(ニウトンが引力を思ひついたのも林檎りんごの樹蔭だつた。樹蔭といふものは、色々な事を発明させるものだ。)
 戸川氏は言つた。
「公園は奈良式が一番いやうだ。近頃ちよい/\公園に銅像などを建てるが、あんな人工的なものを細々こま/″\ならべるよりも、いろんな樹木を植ゑて森林の感じでも出すやうに心掛けたいものだ。銅像は彫塑家の手際でうかすると、まづいものが出来上るが、樹木はどんな場合にも傑作となるものだ。」
 全くさうで、樹木はどんな彫刻よりもすぐれてゐる。して人間などとは比べ物にならない。だが、戸川氏の発明といふのはそんな事ではない、戸川氏は言つた。
「奈良の公園に鹿がぱなしにしてあるのは気持が良い。吾々はお蔭で、動物の生活にしたしんで彼等を愛する事が出来るやうになる。」
 全くさうであるが、しかしこゝに一つ忘れてならないのは、人間が鹿に親む前に、鹿の方が人間に親んで、人間を愛するやうになつた事である。機会を掴む事にかけたら、鹿はいつでも人間よりは悧巧なものである。だが、戸川氏の発明といふのはそんな事では無い、戸川氏は言つた。
「鹿を飼ひ馴らす事の出来る人なら、屹度狸をもふ事が出来る筈だ。動物には色々あるが、そのなかで狸ほどの愛嬌ものは少い。自分は奈良公園に鹿と一緒に狸をも飼つてみたいと思ふものである。」
 戸川氏の発明といふのは、他でもない、奈良公園で狸を飼へといふ事なのだ。成程立派な発明で、これまで人をかす誑かすと言ひ慣らはして来た狸が、馴れてみると、決して誑かすものでないといふ事を知るのは、「真理」の下僕しもべだと言つてゐる学者が、実は旦那気取で「真理」をあごでこき使つてゐる事、「国家」を女房の積りでゐなければならぬ筈の政治家が、ほか幾人いくたり可愛かあいい女房を持つてゐる事を知ると一緒に、立派な智識である。それを思へば狸飼ふべし、鹿を質に置いても狸は飼はなければならぬ。
 戸川氏は一しきり狸の飼養を奈良公園の当局者に勧めて置いて、急に親戚みうちにでも耳打をするやうに低声こごゑになつて、
「それに、狸は毛皮もなかなかやすくないからね。」
と言つて笑つてゐた。成程皮を忘れてはならない、らぬ狸でも皮算用をする世の中に、飼つた狸の皮算用を忘れてはならない。


代議士の妻

11・5(夕)

 米国の南の方の州から選出されて国会議員になつた田舎政治家があつた。その政治家が召集されて初めてワシントンへ出掛ける時、夫人は叮嚀に襟飾えりかざりの歪んだのを直してやりながら子供に教へるやうに言つて聞かせた。
貴郎あなた呉々くれ/″\も言つておきますが、日曜日には忘れないやうに屹度教会へ往らつしやいよ、ね、よくつて。」
「うむ、くとも。屹度くよ。」
と、田舎政治家は素直にうなづいてみせた。それを聞くと、夫人はやつと安心したやうに良人をつとを手離した。女の気になつてみれば、旅で自分の代りに良人をつとの面倒を見て呉れるのは、神様のほかには誰一人居ないと思つてゐるのだ。それは真実ほんとうの事に相違ないが、もつと真実ほんとうなのは、神様に預けた方が一番無難なからだ。男といふものは、うまやへ預ければ馬に蹴られるし、女部屋へ預ければ魂を抜き取られるし、女房かないの手に帰つて来る折には、十が八九傷物きずものになつてゐるものなのだから。
 代議士はワシントンで田舎の町では見られなかつた色々の珍らしいものを知ることが出来た。で、日曜日が来ても教会へはとんと御不沙汰ばかりしてゐたが、それでも国元の夫人へ出す手紙にはきまつたやうに、
「日曜日には教会にて素晴しきお説教を聴き申しそろ……」
と書くことだけは忘れなかつた。
 二月程すると、夫人がだしぬけに訪ねて来た。代議士は広い世界が急に眼の前で巾着きんちやくのやうに狭くなつたやうに思つた。で、旅宿やどやの一で出来るだけ小さくなつて、溜息ばかりいてゐると、次の日曜日の朝、夫人は金糸雀かなりやのやうな声ではしやぎ出した。
「さ、早くお顔を洗つてらつしやい、そして今朝は教会へ連れてつて下さるんですよ。ほら、貴郎あなたがいつも素晴しいお説教を聴いたと仰有つたね、あの教会ですよ。」
 田舎代議士は、はつと思つてはじかれたやうに飛び起きた。そして両手で頭をひつ抱へた儘、
「さあ、ことだ、教会つて、どこにそんな物があつたらうな。」
と、自分のほつつき歩いた首府の町々を、電車よりも速い速力で頭に描いてみた。馴染の酒店バア珈琲店カツフエは派手な百貨店デパアトメント・ストアと一緒にワルツでも踊るやうに陽気に頭の中を過ぎて往つたが、教会らしいものの影は見えなかつた。やつと暫くして代議士は議事堂カピトルへの通り路に見窄みすぼらしい小さな教会がある事を思ひ出して、ほつと息をついた。
「それがお前、見掛は余り立派な教会ぢやないんだよ。」
 代議士は夫人を連れて、その小さな教会へ入つて往つた。少し早目だつたので、二人は一番前の椅子に腰を下した。暫くすると、ぞろぞろ信者の入つて来るらしい履音くつおとがした。その度に後方うしろをふり向いてゐた夫人は、
貴郎あなた、ほんとに此処ここなの、これまでいつもらしつたていふのは。」
「さうだよ、ほんとにこゝだよ。」
 代議士は陣痛でも起きたやうな声を出した。
「だつてをかしいわ。」と夫人は不機嫌さうにぼやいた。「御覧なさいよ、来る人も来る人もが黒ん坊ばかしよ。貴郎あなたこゝは黒ん坊の教会ぢやなくつて。」


浮島うきしま

11・6(夕)

 洪水といふものは、色々な珍しい事を人間に教へて呉れるもので、ずつと往昔むかしは江戸の両国川にはなまづといふものは一ぴきむでゐなかつたのを、いつの年か大水が出て、それからのちは鯰があの川でれるやうになつた。何でも上州辺のある沼に鯰をうんと飼つてゐた、それが洪水おほみづに押し流されて、河にち込んだのが、流れ流れて両国川に入つて来たのだといふ事だ。
 この秋の大阪府の洪水おほみづも、色々の事を吾々に教へてくれた。平常ふだんつたかぶりをしてゐる土木の技師が実は何にも知つてゐない事を教へて呉れたのも洪水の力だ。いつもはぬらくら者の水が、案外皮肉で、土地ところの知事がぼんやりしてゐる時間ときをよく知つてゐるものだといふ事を教へて呉れたのも洪水の力だ。
 洪水は今一つ妙な事を教へて呉れた。それは、三島郡の三宅村鶴野といふところに不思議な浮島があるといふ事だ。そこの田地でんぢは皆で一二たんもあらうか、平素ふだん土底つちぞこから女の涙のやうなひやつこい水がちよろちよろ流れ出すので、大抵の者は気味を悪がつて手をつけなかつた。
 ところが、この秋の出水でみづで、四辺あたり幾度いくたびか水にひたされてゐるのに、この冷水ひやみづの湧く田圃たんぼだけは、植付けられた稲のまゝ、ふはりと水の上に浮き上つてゐる。そして水が退くと一緒に、いつの間にかまたもとの位置に帰つてゐる。丁度鳰鳥かいつぶりの浮巣が潮の差引さしひきにつれてあがつたりりたりするやうな工合に……
 土地ところの老人の言葉によると、五十年ぜん洪水おほみづの折も同じ様な事があつたので、
「不思議だな、まるで浮島のやうだ。」
と言つて、暫くは気味を悪がつて寄付よりつかなかつたものださうだ。
 これには屹度何か理由わけがある事だらう、およそ大阪府に転がつてゐる事に、理由わけの無いのは一つもない、大阪府は神様が御覧になつてゐるほかに、大久保知事が仕事をしてゐるところだから。


長命の秘訣は結婚

11・8(夕)

 人間は道徳的でなければならぬといふ事をよく聞く。ほんとにさうで、半搗米はんつきまいを食べなくとも、カルシウムを飲まなくても差支さしつかへはないが、人間は兎も角も道徳的でだけはあつて欲しい。道徳的といふのは、借りた金銭かねをきちんと期限通りに返すとか、電車のなかで婦人客に席を譲るとかするのをいふのでない。道徳といふのは、自分自身に対する事で、まあ手つ取り早く言つたら、自分の身体からだ健康たつしやにする事から始まるのだ。
 身体からだ健康たつしやにするのには、色々方法はあるが、そのなかで一番簡便で、一番効力ききめがあるのは結婚をする事だ。実際結婚は健康の秘方ともいふべきもので、余り懇意でない人には、おいそれとこんな秘方を言つて聞かせるのは惜しい位のものだ。
 ある統計家の調べたところに依ると、七百四十三人の男の狂人きちがひのなかで、結婚した男の数二百一人に対して鰥夫をとこやもめは五十人、未婚者は四百九十二人といふ比例を示してゐる。またの人の説によると、自殺をする人の三分の二、どうかすると四分の三迄は大抵未婚者といふ事になつてゐる。
 してみると、道徳的といふ事は、案外楽なもので、結婚さへすればそれでいゝといふ事になる。物価が高くなつて箪笥の値段は三割方張るかも知れないが、道徳的だと思へば我慢の出来ない事もない、先づ何を差措さしおいても結婚する事だ。
 また或る学者の説によると、結婚すると男は五年いつゝ、女は四年よつゝだけ寿命を延ばす事が出来るさうだ。物好きな研究家(研究家といふものは物好きと麺麭パンと水とだけで生きてかれる安価な人間である)が、ある時結婚が寿命にどんな関係があるかと十万の死亡者を調べた事がある。その結果でみると、二十歳から二十五歳までの間で有配偶者の死亡数五九七に対して無配偶者は一、一七四。二十五歳から三十歳までの間で、有配偶者の死亡数八六四に対して、無配偶者は一、三六九。三十歳から三十五歳迄の間で、有配偶者の死亡数九〇七に対して無配偶者は一、四七五。それからずつと飛んで八十歳から八十五歳までの間でも、有配偶者の死亡数一七、四〇〇に対して無配偶者は一九、六八八といふ比例を示してゐる。
 道徳的であつて、加之おまけに寿命が四つも五つも延びるといふ秘方だと聞いては、誰だつて結婚せずには置かれない筈だ。だが、たつた一つの困り物は、結婚には相手が要るといふ事だ。男とそして女――何といふ見窄みすぼらしい相手であらう。相手が無くて済むのだつたら、結婚は理想的である。


居士こじ大姉たいし

11・9(夕)

 今本紙に「昨日の事」を書いてゐる久保田万太郎氏のうちでは、先日こなひだ祖母おばあさんが亡くなつた。愈々いよ/\葬式といふ事になつて、祖母おばあさんが先年血脈けつみやくをうけた事を思ひ出した遺族の人達は、早速棺のなかへ納めようと思つて、祖母おばあさんが一生の間大事にしてゐた箱をけてみると、何時の間にか戒脈が紛失なくなつてゐるのに気がいた。
 血脈といふものは、手つ取り早く言つたら、女学校の卒業証書みたいなもので、これがくなつてゐたからといつて、お嫁入には少しも差支さしつかへない筈だ。またこれを拾つた人があるにして、それをもつて自分の持参金代りに嫁入口を捜すわけにもかない。先づ失くした方にも損が無ければ、拾つた方にも得はかない代物だが、それにしても祖母おばあさんが血脈の入つてゐない箱を一生の間大事にかけてゐたかと思ふと、遺族の人達は何だか変な気持になつた。
 で、檀那寺だんなでらに頼んで、新しく戒名を附けて貰ふ事にした。お寺の坊さんはけばけばしい色の法衣ころもを引掛けて、鸚哥いんこのやうな風をしてやつて来た。そして勿体ぶつて引導を渡したが、変な事には祖母おばあさんの戒名が、
「△△△△居士」
となつてゐた。遺族の人達は自分の耳を疑ふやうに、顔を見合せたが、誰の耳にも「居士」と響いたのに違ひはなかつた。で、早速坊さんに注意をした。坊さんは鸚哥のやうな法衣ころもて、鸚哥のやうに習ひ覚えたお経の文句を繰返して、それで無事に亡者まうじやを極楽へ送りつけたらしい得意な顔をしてゐたが、遺族の注意を聞くと、さつと顔色をかへて、直ぐ引導のやり直しをした。そして何喰はぬ顔で、
「いえ、なに、死んでしまへば男も女もありませんよ。みんな同じでさ。」
と取済まして言つたさうだ。
「いえ、なに、死んでしまへば男も女もありませんよ。」――坊さんはうまい事を言つた。してみると、冥土めいどには活動写真小屋のやうに、婦人席は区割くぎりがつけて無いものと見える。女好きな若い男にとつて、こんな結構な世界がまたと有らうか。引導を受けるなら今のうちだ。


小説家と富豪の娘

1111(夕)

 ヰンストン・チヤアチルといへば亜米利加の小説家だが、ある時何かの席で紐育ニユーヨーク富豪かねもちのお嬢さんと隣合せに坐つた事があつた。そのお嬢さんは財布には金貨を、口はお愛相あいそをたつぷり持合はせてゐるのを自慢にしてゐるたちの女であつた。
 お嬢さんは、自分のそばにゐる紳士が、名高い小説家であるのを聞くと、何か文学上の話をしなければならないものとでも思つたらしかつた。誠に立派な心掛で、日本の社交的婦人が隣りに名高い詩人が居ようと、天文学者が居ようと、または神聖なる猫が居ようと、そんな事には頓着なく襁褓おしめや愛国婦人会の話を持出すのと比べて大変な相違である。
 だが、実をいふと、そのお嬢さんは女学校で習つた物以外には、その後余りむつかしい書物ほんは読んでゐないらしかつた。女といふものは鼠と一緒で、よくよく食物たべものが見つからない時でなくつちや、滅多に書物ほんなぞかじらうとはしないものである。お嬢さんは女学校でスコツトの物を一二冊読んだ事があつた。スコツトは学校を出てから、余り書物ほんを読まない人達にとつて、いつまでも立派な友達である。
 お嬢さんは嬌態しなを作つて小説家に話しかけた。
「先生、あなたはスコツトの物はお好きでいらつしやいますか。」
「好きですよ。貴女あなたは?」チヤアチルは愛相あいさうよく言つた。
「まあ、嬉しい。先生もお好きでいらつしやいますの。私もう崇拝してるんですわ。」
 小説家はこの若い娘が、内々ない/\自分をスコツトのいた山国のお姫様になぞらへてゐるらしいのを見て取つた。
「湖上の美人――あれはうです、い詩だとはお思ひになりませんか。」
「傑作ですわ、エレン姫の美しい事……」
 お嬢さんは、自分を姫にてゐるとでも言つて貰つたら、代りにスコツトの借金位払つてもいやうな顔をした。
「それでは『マアミヨン』は、あの詩をうお思ひですね。」
 チヤアチルはうをを釣るやうな気持で訊いてみた。
「気に入りましたわ。」とお嬢さんは、自分をさも書物ほん好きであるらしく吹聴したかつた。「わたしあの書物ほんを確か十二度も読み返しましたつけ。」
「十二度?」
 小説家は吃驚びつくりしたやうに言つた。そして次ぎの瞬間には何だか嘘らしく思つたので、調弄気味からかひぎみに訊いてみた。
「ぢや、The titleタイトル martマアトうですね、スコツトの……」
「あ、あれですか、あれも三度ばかし読みましたつけ。」
 その書物ほんこそつい前の年チヤアチル自身が公にした脚本であつた。


越路こしぢの「山科やましな

1113(夕)

 越路太夫は、文楽座の十一月興行に『忠臣蔵』の九つ目を語つてゐる。立派な出来で、この語物かたりもの一つで初日以来このかた座は毎日のやうに大入を続けてゐる。
 二三年ぜん、同じ座で越路が同じ九つ目を語つた事があつた。その折越路は自分ながら物足りないところがあつたので早速師匠摂津大掾せつつのだいじようところに駆けつけた。芸人といふものは、罪のないもので、夫婦めをと喧嘩をしたり、批評家とか蜂とかにされたりすると、直ぐに師匠のとこに駈けつけようとする。師匠は師匠で、そんな折に余り害にならない薬を幾種いくいろか持合せてゐる。
 越路は大掾に向かつて言つた。これまで幾度いくたびか師匠の九つ目を聴いて、結構な出来だと思はぬ事は無かつたが、さて自分が語つてみると、戸無瀬となせ本蔵ほんざうも初めから鯱子張しやちこばつて、まるで喧嘩を売りに来たやうにしか見えない。
「どこの工合ぐあひだつしやろ、ねつから工夫が附きまへんよつて。」
と言つて、胡麻白ごまじろの頭を凡帳面きちやうめんに下げた。
 大掾はそれを聞くと、
「ふむ、お前もやつぱりさうかいな。」
と言つて感心したやうに首をつた。大掾の言葉によると、彼も長い間幾度いくたびかこの九つ目を語つたが、戸無瀬も本蔵もどうかすると喧嘩腰で、ぶつきらぼうになり勝ちなので、いつだつたか、越路と同じやうな事を言つて、師匠の春太夫に訊いた事があつた。春太夫は弟子の顔を見て唯にやにや笑つてのみ居た。
 大掾はその工夫に工夫を積んでみたが、やつと七十二歳の春になつて、初めて師匠春太夫のそれに比べて、余り聴き劣りのしない語り口に達する事が出来た。
「つまり稽古だな、稽古よりほかにはにも無い。」
と言つて、大掾はその昔春太夫がしたやうな笑ひ方を繰返した。
 だが、実際は稽古ばかりではない、稽古の外に「世間」といふものを知らなければならない。越路も九つ目が立派に語れるやうになつたのは、大分だいぶん「世間」が分つて来た証拠だ。お蔭で皮肉な客には喜ばれるか知らないが、この道楽者ももう恋女こひをんなは出来ないものと腹を決めなければならぬ。


漱石と芸者

1114(夕)

 夏目漱石は、色々なものを嫌つたが、そのなかで芸者と俳優やくしやとは一番嫌ひなもののうちかずへてゐたらしかつた。好き嫌ひはその人の自由だから、氏が芸者と俳優やくしやとを好かなかつたからといつて、別段結構だとも、不都合だとも言はうとするのではない。氏はこの二つのほかに今一つ博士の肩書を嫌つたが、実をいふと、この三つのうちで、れが一番無益物やくざものであるかが問題であるに過ぎない。
 漱石氏は京都へ来ると、いつも木屋町きやまち大嘉だいかへ泊つたものだ。其家そこへは色々の訪問客と一緒に祇園の芸妓もちよいちよい遊びに来た。漱石氏は小説家として余り女を知つてゐない方だつたから、女にはかなり好かれた方だ。すべて女といふものは、実世間の上にも、作物さくぶつの上にも、自分達を買被かひかぶつてゐるとか、見当違ひをしてゐるとかする人達を好くものなのだ。
「先生、こんなえお天気に外へも出んと、何してお居やすのや。」
 芸妓達はこんな事を言ひ合ひながら、無遠慮にどやどやと漱石氏のへやつて来たものだ。『猫』の作者は、胃の悪い黒猫のやうに、座蒲団の上に円く胡坐あぐらを掻いて唯にやにや笑つてばかしで、別に※(「弗+色」、第3水準1-90-60)むくれてゐる容子ようすもなかつた。芸妓達は各自めい/\色々な事を訊いたり、喋舌しやべつたりした。一体読者が自分の好きな作者の前へ出た時には、出来るだけ自分のを表白するもので、そんな折には作者は唯笑つてさへ居ればそれでいのだ。
 芸妓連が一頻ひとしきり雀のやうにぺちやくつて、さつと引き揚げてくと、あとに残つた一人の相客は溜息をきながら言つた。
「ああ、騒々しかつた。どんなにか御迷惑だつたでせう。」
「いやちつとも。」と漱石氏は残り惜しさうな顔をして言つた。「なか/\面白かつたよ。」
「それでも貴方は芸妓と俳優は大嫌ひだつていふぢやありませんか。」
「さうでもないさ。」と漱石氏は億劫おくくふさうに言つた。「僕は芸者が嫌ひだつて言つたんぢやない、人間全体が嫌ひなんさ。」


鼻・鼻・鼻

1115(夕)

 アンヌ・ハ※(濁点付き片仮名ヰ、1-7-83)ランドといふのは、もと亜米利加生れで、今は香料師として巴里パリーに名をせてゐる娘である。花畑のなかの一軒屋に生れたので、子供の時は狗児いぬころか蝶々かのやうに色々の花の中に転がり廻つて日を送つた。
 で、いつの間にか、花のにほひぐ嗅覚の力が素晴しく発達して、十一二の頃には眼を閉ぢたまんま、花弁はなびらを一寸鼻にあてたまゝで、どんな花の名でも言ひ当てるやうになつた。
 馬乗うまのりの上手な者が馬丁べつたうになり、女の手を握る事の好きな男が医者になるやうに、すべての芸能は、その人に職業しごとを与へて呉れるものだ。アンヌ・ハ※(濁点付き片仮名ヰ、1-7-83)ランド女史も、鼻がよく利くといふので、ある香料研究所に雇はれて、どうにかその日の糊口くちすぎが出来るやうになつた。頭と口とは大分だいぶん距離へだたりがあるので、頭では容易に糊口くちすぎの出来ない世の中だが、鼻は直ぐ近所にあるので、口を養ふのには都合が善かつたものと見える。
 或る日の事、この娘が研究所の一で、ラワンデル香水とほかの香油とを混ぜてゐる所へ、ぬつと入つて来たのは、仏蘭西の名高い香料師のシヤラボオ博士だつた。博士は一目見て、この娘の鼻が世にも珍しい働きをつてる事を見て取つた。で、色々と勧めて、巴里に連れて帰る事にした。
 博士の仕付しつけで、この娘は、程なくおしおされもせぬ立派な香料師になつた。今では四百いろの香料を手もなく嗅ぎ分け、どんな材料を当てがつても、一寸嗅いだばかしで、それから取れる香料を直ぐ判断する事が出来るさうだ。
 この女の説によると、人間にはそれ/″\皆持前の香気にほひがあるさうだ。その香気にほひをうまく利用する事が出来たら、化粧法は一段と進歩する事だらうし、恋をする人達は、さしづめ有力な材料が一つ殖えた事になる訳だ。
 ところが、アンヌはその事実からおそろしい発明を企てゝゐる。それは人間の有つてる香気にほひから新しい香料を取らうとする事だ。これが発明出来て、寺内首相に白粉おしろい香気にほひがしたり、嘉悦孝子かえつたかこ女史に石油の香気にほひがする事が知れでもしたら、大変な幸福しあはせである。何故といつて、この人達は早速自分の香気にほひを化粧品屋に売つて、その金を郵便貯金にする事を知つてゐるから。


演説の用意

1119(夕)

 長い文章なら、どんな下手でも書く事が出来る。文章を短かく切り詰める事が出来るやうになつたら、その人は一ぱしの書き手である。ゲエテだつたか、「今日は時間ひまが無いから、仕方なく長い手紙をしたゝめる」と言つたが、これは演説にもまたよく当てはまる。
 ウイルソン大統領といへば米国でも聞えた雄弁家であるが、先日こなひだの事、仲のいある友達が、大統領にむかつて、
「貴君は名代の演説上手でいらつしやるが、一つの演説を用意なさるのに、どの位の時間が要りますね。」
と訊いたものだ。何事によらず、素人といふものは出来上る時間を訊きたがるもので、もしか画家ゑかきに対つて、何よりも先に、
「あなた、このをお仕上げになるのに幾日いくか程お掛りでしたね。」
と訊く人があつたなら、その人がどんな美人であらうと、先づ素人だと見て差支さしつかへない。ウイルソンの友達も、いづれは何を見ても鼻を鳴らして感ずるてあひだつたに相違ない。
 ウイルソンは答へた。
「どの位の時間といつて、それは演説の長さによる事ですからね。」
「いや御尤もの事で。」と質問者きゝてはそれだけでなにも飲み込めたらしい悧巧さうな顔をした。「してみますと、議会での大演説などは、お支度になかなかお手間が取れる事でせうな。」
「いや、さういふ意味ぢやない。」と雄弁家の大統領は上品に口を歪めて笑つた。「一番手間を取るのは、所謂いはゆる十分間演説といふ奴で、あれを用意するには、正直なところ二週間はかゝりますよ。」
「へい、そんなもので。」質問者ききては何だか腑に落ちなささうな返事をした。
 大統領は言葉を次いだ。
「それから、三十分位の演説だつたら、先づ用意に一週間といふ所です。もしか喋舌しやべれるだけ喋舌つてもいいといふのだつたら、それには準備したくなぞ少しも要りません。今直ぐにと言つて、直ぐにでも喋舌れます。」
 素人よ、もしか感心する必要があつたら、演説でも、文章でも、成るべく短いのを選んだ方が無難だ。早い話が、女房かない諷刺あてこすりにしても、手短てみじかな奴にはちよい/\飛び上る程痛いのがある。


広業とえび

1120(夕)

 画家寺崎広業氏のもとへは、色々の人がを頼みに来るが、そのなかには氏の画風が好きなからといふよりも、広業といふ雅号が縁喜えんぎがよいからといつて出て来る人も少くない。
 ある時ずんぐり肥つた、鼻先の酸漿ほほづきのやうに赤い男が玄関に入つて来た。
「一つ画がお頼み申し度くてあがりました。お差支さしつかへが無かつたら、ちよつくら先生にお目にかゝり度いもんですな。はい、ちつとばかし註文がございますんで……」
 その男は出来るだけ言葉を叮嚀にしようとして、やつとこれだけの事を言つた。
 広業氏は、客を座敷に通して、その註文といふものを訊いてみた。客は酸漿のやうな鼻先に大粒の汗をかいて居た。
ほかでもありません、御註文と申しますのは、海のなかにかう島が二つ並んでるところなんですな、島が二つ……」
と言つて、客は大きなにぎこぶしを二つ自分の鼻先にならべてみせた。
「成程島が二つ……」広業氏はコロツケのやうな島を二つ目の前に描き出した。「ところで、その島には松でもやすのですか。」
「はい、松でも、桜でも、それとも玉蜀黍たうもろこしの樹でも一向差支ありません。」と客は平気な顔をして言つた。「さうして、その島の向うに初日の出の見えるところをいて戴きたいのです。」
「島が二つ並んで、向うに初日の出……すると先づ、二見が浦といつたやうな所なんですね。」
 広業氏は笑ひ笑ひ言つた。この画家ゑかきは、今日まで二見が浦から少からぬ画料をあげてゐるので、内々ない/\この島の地主の積りで居たのかも知れなかつた。
「はい、その二見が浦なんで。」と客は立続けに二度ばかしお辞儀をした。そして禿げかゝつた額際をやけに掻きながら「その二見が浦の真中から、海老が頭を出して、日の出を拝んでるところをいて戴きたいんですがね、如何いかゞでせう、御都合は。」
「海老が日の出を拝んでる……ははは。」広業氏は覚えず吹き出した。「貴方は商人あきんどさんのやうにお見受けするが、何の御商売かな。」
「へへへ……」客は海老のやうに腰をかゞめて恐縮した。「実はその、先生、私どもの職業しやうばいは天麩羅屋なんでしてね。」
 天麩羅屋だと聞いてはこばむ訳にもかなかつた。広業氏は海老が日の出を拝んでる絵をいてやつた。――海老を正木美術学校長の似顔にいたかうかは知らない、海老と正木氏と――強い者の前では、孰方どつちもよく腰を屈めるすべを知つてゐる。


新聞記者となる法

1123(夕)

 むかしベンヂヤミン・フランクリンが新聞事業を起さうとした時、それを聞いた友達はたつて止めだてをした。
「それは君した方がよからうぜ、屹度失敗するにきまつてるからね。何故といつて、読者の地盤はもうすつかり開拓されちまつて、君の新聞が入る余地が残つてゐないぢやないか。」
「成程、それもさうだがね、まあ思ひ立つた事だからつてみるさ。」
 フランクリンも幾らか無理と思ひながら、新聞は出すには出した。ところで、その頃新聞といふものが幾つあつたかといふと、広い亜米利加を通じて、たつた二種ふたつあつただけだつた。
 今の京都大学教授内藤湖南氏が、初めて新聞記者生活にらうとした時、その先輩にあたる大内青巒せいらん氏は何か言つて聞かさなければならぬ羽目になつた。すべて先輩といふものは、後進が世間へ乗り出さうとする時には、得て何か言ひ聞かせたがるもので、そんな時自分にも実行出来兼ねる事を尤もらしく言ひ聞かせる者が、先輩らしい先輩といふ事になつてゐる。もしか、恰好な言葉が思ひ出せなかつたら、そんな折には論語でもけて見るがい。論語はひとに言つて聞かせるのに、都合のい事がたんと載つてゐる本である。
 大内氏は論語とお経とがごつちやに入つてゐる頭を撫でた。
「すべて新聞記者となる者に三つの心得ておかねばならぬ事がある。第一は借金をせぬ事。第二は喧嘩をせぬ事。第三は最後まで専門を出さぬ事。この三つがうまく守れたら屹度成功疑ひなしぢや。」
 内藤氏はこの三箇条を守り袋に入れた積りで記者生活に入つて往つた。そして幾年か経つて気がいてみると、自分はいつの間にか記者生活をめて、学者として大学教授になつてゐた。
「喧嘩は滅多にしなかつたが、最後まで出してはならぬ筈の専門で飯を食ふやうにはなるし、加之おまけに今だに借金はたんと残つてるし……」
 内藤氏は如何いかにも先輩にすまないか何ぞのやうに、かう言つてぼやいてゐるが、それでも大学の卒業生か何かで新しく記者生活にらうといふものがあると、
「第一は借金をせぬ事、第二は喧嘩をせぬ事。第三は最後まで専門を出さぬ事。この三つが巧く守れたら、屹度成功疑ひなしぢや。」
と言ひ言ひしてゐる。――成程教訓をしへだ、よしんば新聞記者になれなかつたにしても大学教授にはなる事が出来る。


鴈治郎と英国

1124(夕)

 飛行家のスミスを日本に連れて来た櫛引くしびき某が、俳優中村鴈治郎を英国へ連れ出して、一興行打たうとした事があつた。
「何しろ英吉利ですからね、豪勢がうぜいな国でさ、お金が有り余つて、洋犬カメや三毛猫までみんな財産を持つてるさうですからね……それに事によつたら勲章が貰へるかも知れない。」
 俳優を動かすには、どんな場合でも金と勲章との話を持ち出すのが一番効力ききめがあるものだ。
「さうだつか、そないえゝ土地とこやつたらきまつさ、出し物はなになにとにしまひよう。わて紙治かみぢ』の炬燵こたつつてみたうおまんのやが、英吉利にも炬燵がおまつしやろか。」
 鴈治郎は乗気になつて、大きな鼻をき出した。
「さあ、有るかも知れませんが、貴方あんたほんとに往つてくれますか。」
 相手は余り安請合やすうけあひなので、心もとながつて駄目を押した。
きま、ほんまにきまんがな。」と鴈治郎は馬のやうな真面目な顔をした。そして次のに居た女房かないに声をかけた。「お仙あんたもきなはれ。」
 お仙も二つ返事で英吉利へ渡る事になつたので、櫛引某は安心して帰つていつた。そのあとで鴈治郎は一ぱし物識ものしりらしい顔をして、英吉利ではいぬも洋服を着てゐるさうだから、おまへも是非洋服を着ねばならぬと、女房かないに言つて聞かせた。
 あくる朝鴈治郎は、弟子に買つて来させた世界地図を拡げて、しきりと英吉利の在所ありかを捜してゐた。英吉利は持つて生れた小柄を恥ぢるやうに海の中に小さくなつてゐた。
「おい、誰か早く物尺ものさしをもつて来てんか。」
と鴈治郎は大声に怒鳴つた。そして女中の持つて来た物尺を引手繰ひつたくるやうにして、日本と英吉利との距離を克明に測つてゐたが、暫くすると、地図と物尺とを一緒に其辺そこらり出した。
「お仙大変やぜ、英吉利はお前、大阪と東京との二十倍も三十倍も遠方やぜ。」
 女房はそれを聞くと、飲みかけてゐた湯呑を膝の上に引繰りかへした。
「そない遠方だつか。そやつたらめなはらんかいな。」
めるとも、わてな英吉利いふたら、東京の少し向うかと思うてた。」


女と青年士官

1125(夕)

 大演習に来合はせた飛行将校の一人が、態々わざ/\祇園町の空で低空飛行をして、芸妓あての附文つけぶみを空から落した。それが為に軍法会議が開かれるといふ噂がある。
 独逸の厭世哲学者シヨペンハウエルが、ある時友達の一人と料理屋にあがつた事があつた。この哲学者は、生きてゐるといふ事は唯もう苦痛に過ぎないと言つてゐる癖に、人一倍養生はするし、伝染病が流行はやり出すと、誰よりも先きに住むでる町を逃げ出した程、自分の身体からだを大事にしたものだ。だから料理屋に上つて、贅沢な皿を註文したからといつて、別段咎め立などしないやうにして貰ひたい。
 見ると、直ぐそば卓子テーブルに、お洒落しやれな青年士官が三四人居合せて、軍鶏しやものやうに胸を反らして、軍鶏のやうなきいきいした声で何かしきりと軽躁はしやぎ散らしてゐた。
 厭世哲学者はそれを聞くと、額に癇筋かんすぢをおつ立てて、苦り切つた顔をした。友達はこの哲学者が、平素ふだんから女と騒々しいのとが大嫌ひなのを知つてゐるので、独りでやきもきして居たが、そんな事に気を兼ねる程の青年士官では無かつた。哲学者は冷たい眼でじろり隣席となりの軍鶏を睨み/\してゐたが、黙つて懐中ふところから金貨を一つ取り出して、かちりと卓子テーブルの上に置いた。
 哲学者は言葉すくなに、友達と向き合つた儘、幾皿かの料理を平げてしまふと、先刻さつき卓子テーブルに置いた儘の金貨を取上げて、又懐中ふところにしまひ込んでしまつた。それを見た友達は理由わけを訊かないでは済まされ無かつた。
「君、その金貨はうしたんだね、先刻さつきから訊かう訊かうと思つてたんだが、まさかまじなひぢやあるまいね。」
まじなひぢやない、寄附金さ。」と哲学者はいつもの皮肉な調子で言つた。「私は今時の士官が、女と馬と昇級の事以外に、何でもいいから談話はなしをするものがあつたら、喜んでこの金貨を慈善事業に寄附したいと思つてたんだがね……」とまたじろりと佩刀サアベルを下げた軍鶏の方を見かへつた。「ところが、やつこさんたち、御覧の通りの始末でとんと私を慈善家にする機会を与へて呉れない。」
 祇園の空を飛んだ若い飛行将校よ、あの折シヨペンハウエルが万亭まんていの二階で流連ゐつゞけをしてゐなかつたのは君に取つて勿怪もつけ幸福しあはせであつた。さもないと、君は軍法会議の代りに、厭世哲学を聞かなければならなかつたかも知れない。厭世哲学は若い者にとつて、どんな刑罰よりも苛酷である。


臆病な象

1126(夕)

 寺内内閣が裸体画を怖がるやうに、象といふ動物はひどく鼠を恐れる。尤もそれは鼠が風俗をみだすとか、または象に貸金かしきんがあるからといふ為めではなく、鼠の恰好が chacanas といふ小さな動物によくてゐるからださうだ。
 chacanas といふ動物が、三浦観樹爺さんのやうな顔をしてるか、どうかは知らないが、あの爺さんに似たり寄つたりの悪戯者いたづらものだと見えて、象が昼寝でもしてゐると、あの長い鼻を伝つて、ちよろちよろとせなに駈けのぼり、きりのやうな鋭い爪でもつて皮に傷をつけ、そこから毒をして、しまひには象を斃死へいしさせるやうな事を仕出来しでかすのだ。
 象はこの悪戯者いたづらものが背に這ひ上つたと気がつくと、鼻をりまはして、大暴れに暴れ出すが、chacanas はそんな事には少しも驚かない、象が怒れば怒るほど、しつかりせなかじりついて離れない、そして鋭い爪でもつて、段々ふかく食ひ込んでくのだ。
 鼠の外貌そつぽうがこの悪戯者いたづらものに似てゐるのは、飛んだ幸福しあはせで、名もない、ちんちくりんな野鼠までが長い口髯をひねりながら、象をおどかす事が出来るのだ。
 象はあの大きな図体でゐてよくいろんな物を怖がる。むかし徳川の八代将軍の頃和蘭オランダ人が象を連れて来た。誰よりも先きに将軍家に御覧に入れなくつちやといふので、象は引張られて常磐ときは橋からお城にらうとした。
 象だの、荷車だのといふものは、よくお役人の手技てぬかりの穴へ脚を突込むもので、その頃常磐橋にも橋板のひどく損じた所があつた。象はあやふくそこへ片足を踏込んで、横つ倒しに倒れた。そしてニコラス皇帝のやうな悲しさうな顔をして涙ぐんだ。
 やつと助け上げられて、象は無事に将軍家にお目にかゝる事が出来た。その折象はお役人の手抜りを直訴ぢきそしようとまで思つたらしいが、役人といふものは chacanas よりも長い爪をもつてる事を思ひ出したので、すつかり絶念あきらめてしまつた。
 それからといふもの、この象は橋を見る度に、ひどく物恐れをして、どうかすると尻込みをしたさうだ。象のため断つておくが、橋を怖れたのではない、こはいのはお役人の手抜りなのである。


コンマ」のあたひ二百万ドル

1128(夕)

 文章を書くものにとつて、句読点ほどおろそかに出来ないものはない。合衆国政府は、この句読点一つで二百万弗損をした事がある。
 いつだつたか、同国の政府が、外国産の果樹を成るべくどつさり移植して、かうした果物の供給で、余り外国に金を払ひたくないといふので、外国産の果樹輸入は無税にするといふ海関かいくあん税法をこしらへた事があつた。
 芭蕉実バナナや蜜柑をやすく食はうといふには、こんな結構な規則は滅多に無かつた。肝腎の法文を印刷する場合に、どう間違つたものか外国産の果樹といふ“Foreign fruit plant”といふ言葉のなかに、句読点コムマが一つはさまつて、“Foreign fruit, plant”となつて、そのまゝ世間に公布せられてしまつた。
 さあ、政府では外国産の果物フルウトを無税にしたといふので蜜柑や、葡萄や、レモンやバナナといふやうな果物が、大手を振つてどん/\入つて来た。それと気づいた政府が法文を訂正するまでには、関税の収入がいつもよりざつと二百万弗少くなつてゐたさうだ。
 句読点といへば、ある時近松門左衛門のとこに、かねて昵懇なじみ珠数じゆず屋が訪ねて来た。その折門左もんざは鼻先に眼鏡をかけて、自作の浄瑠璃にせつせと句読点を打つてゐた。珠数屋はそれを見ると、急に利いた風な事が言つてみたくなつた。
なんやと思うたら句読点かいな、そんなもの漢文には要るかも知れへんが、浄瑠璃には要らんこつちや、つまり閑潰ひまつぶしやな。」
 門左はひどくしやくへたらしかつたが、その折は唯笑つて済ました。それから二三日過ぎると、珠数屋あてに手紙を一本持たせてやつた。珠数屋は封を切つてみた。手紙は珠数の註文で、なかにこんな文句があつた。
「ふたへにまげてくびにかけるやうなじゆず。」
 珠数屋は「二に曲げて首に懸けるやうな」とは、随分長い珠数を欲しがるものだと、早速そんなのを一つ拵へて持たせてやつた。すると、門左は註文書ちゆうもんがきに違ふと言つて、押し返して来た。
 珠数屋は蟹のやうに真赤になつて、皺くちやな注文書を掴むで門左のとこに出掛けた。門左はじろりとそれを見て、
「どこにそんな事が書いてあるな、二重に曲げ手首に懸けるやうな、とあるぢやないか。だからさ、浄瑠璃にも句読法が要るといふんだよ。」


大観氏と上方舞かみがたまひ

1128(夕)

 二十五日の堺卯さかうで芸術愛好者の一団が日本美術院の同人を招待せうだいした。お客は横山大観、木村武山ぶざん、小杉未醒、富田渓仙、戸張孤雁といつたやうな顔触。
 東京が代表する官僚的思想に対して、いつの場合でも反抗的、もしくは偶像破壊的アイコノクラスチツクな新運動を起すものは大阪である。典型的アカデミツクな文展に対して、大阪が同情し、後援すべき画風がありとすれば、それは独創をたつとび、研究の自由を唱道し、兼ねてまた反抗的精神に富むでゐる美術院一派でなくてはならぬといふのが、会の主人側の意見であつた。
 その富田とんだ屋の里栄さとえは、つて地唄の『雪』を舞つた。仏蘭西の象徴派詩人の作にあるやうな、幽婉いうゑんな、涙ぐましいこの曲の旋律は、心もち面窶おもやつれのしたをんなの姿に流れてしなやかな舞振まひぶりを見せた。
 側目わきめも振らず、じつとそれに見とれてゐた大観氏は、舞がすむと里栄をそばに呼んで、咎め立でもするやうに訊いた。
「結構な出来だつたね。大阪こちらにはあんな結構な舞があるのに、何だつて花柳はなやぎとか、藤間ふぢまとか東京風の真似ばかりするんだね。」
「それはお客さんが悪うおまんね。」里栄も負けては居なかつた。「山村やまむらは陰気くさいよつて、何か、ぱつとした東京風の派手な踊が見たい/\言ははりますさかいな。つまりわてらはお客さん次第だんがな。」
 大観氏は空つぽのさかづきを唇にあてた。をんなは慌てて銚子をとり上げた。
「そんなお客だつたら、君達が教育してやつたらいだらう、山村の妙が解るやうに。」
 をんな金糸雀かなりやのやうに口をすぼめて笑つた。
「そやかて、先生、今時のお客さんは、東京の学校を出やはるもんやさかい、みんな東京贔屓ひいきだんがな。」
「そんな奴には舞つてみせなくともい。」大観氏は叱るやうに言つた。そしてくしやくしやの頭をぽりぽり掻いた。「解らん奴に何だつて見せる必要がある。きつぱりことわつちまへ、見る人が無かつたら、一人で舞ふまでさ。」
 内証ないしようで大観氏と里栄とに教へる。こゝにお座敷のお客達に黙つて上方舞を見惚みとれさせる一つの秘方がある。それは山村に感心したお客には一ぷくづつ大観氏のを褒美として取らせるといふ事だ。今時のお客は景品がつくと、どんなものにでも感心する事を知つてゐるから。


珈琲コーヒー一杯

1130(夕)

 寒川鼠骨さむかはそこつ氏が、先日こなひだ東京駅へ友達を見送りに往つた。牧師の女房が時々嘘をくやうに、しかつべらしい顔をした懐中時計が、ちよいちよい人を引つ掛ける事があるもので、鼠骨氏は停車場ていしやぢやうの柱時計と自分の懐中時計とを見比べて、その間に三十分も時間の差違ちがひがある事を発見した。
 鼠骨氏はこの三十分を何につかつたものかと考へた。丁度三十分だ。新聞を読むには、十分ばかし時間の端太はしたが出る。女一人を口説くには幾ら短く見積つても卅五分はかゝる。一番都合のよいのは、珈琲でも飲んで欠伸あくびをする事だ。
「さうだ、珈琲を飲まう、そしてゆつくり欠伸でもするんだな。」
 鼠骨氏はかう思つたので、停車場ステーシヨンホテルにあがつて珈琲を一杯註文した。
 暫くすると、少僮ボオイは珈琲を持つて来た。鼠骨氏は鼠のやうな口もとをしてさじを含んだ。そして湯気の立つた珈琲皿をかちかち鳴らしながら、やつと一杯をすゝつてしまふと、指を立てて少僮ボオイを呼んだ。
不味まづいね。欧羅巴ヨーロツパの戦地ででもなくつちや、こんな珈琲は飲めないよ。」鼠骨氏はたつた今欧羅巴の戦場から来たやうな表情をして、少僮ボオイの顔を見た。「ところが、生憎あいにくここは日本でね。」
「へへへ……」少僮ボオイは口を歪めたまゝ、珈琲皿を受取つてなかを覗き込んで見た。不味い珈琲はたつた一しづくも残つて居なかつた。
 それから一月ばかり経つて、鼠骨氏はまた同じホテルに入つて往つた。そして少僮ボオイが持つて来た珈琲を一口啜つて、軽く舌打をした。
「うまい、……馬鹿にうまい珈琲だね。」
 それを聞くと、少僮ボオイはじろじろ鼠骨氏の顔を見て言つた。
「でも、先日あるお客様は、欧羅巴の戦地ででもなくつちや、こんな珈琲は……」
「よしよし。」と鼠骨氏は苦笑ひをしながら、銀貨を卓子テーブルの上において、これからまた欧洲戦にでも出掛ける者のやうに、慌てて出て往つた。


手品師と蕃山

12・1(夕)

 手品といふものは、余り沢山見ると下らなくなるが、一つ二つ見るのは面白いものだ。むかし備前少将光政が、旅芸人の手品師が岡山の城下に来たのを召し出して手品を見た事があつた。
 一体大名や華族などいふものは、家老とか家扶とかの手で始終上手な手品を見せつけられてゐるものなのだが、備前少将は案外眼の明るい大名だつたので、用人ようにん達もこの人の前では、
二二ににんが六」
と手品の算盤珠そろばんだまはじいて見せる訳にかなかつた。で、少将は一度手品といふものが見たくて堪らなかつたのだ。
 手品師は恐る/\御前へ出た。夏蜜柑のやうな痘痕面あばたづらをした少将の後には、婦人のやうな熊沢蕃山や津田左源太などがかしこまつてゐたが、手品師の眼には顔の見さかひなどは少しも附かなかつた。大勢の顔が風呂敷包のやうに一かたまりになつて動いた。
 手品師は小手調べに二つ三つ器用な手品を見せた。それから金魚釣といつて、居合はせた小姓の懐中ふところから金魚を釣り出さうといふ自慢の芸にとりかかつた。
 小姓は気味を悪がつて、小さな襟を掻き合はせたりした。手品師はさつと釣針を投げて勢よく小姓の襟先をかすめて、それを引き上げたが、釣針の先には何もかかつて居なかつた。
 手品師は慌てて、二度三度同じ事を繰り返したが、その都度手先が段々粗忽そそつかしくなるばかりで金魚は少しも釣れなかつた。そしてしまひには、金魚の代りに小姓の前髪を釣り上げた。小姓はふなのやうに泳ぐやうな手附てつきをした。それを見て一座は声を揚げて笑つた。
 手品師は真赤になつて畳の上につくばつた。額からは油汗がたら/\と流れた。
「これまで一度だつて仕損しそこなつた事のない手品なので御座いますが、今日はまた散々の不首尾で、お詫の申上げやうも御座りません。」手品師は子供の掌面てのひらで蝉の泣くやうな声をした。「わたくしめの考へまするにはこのお座敷には人並秀れた偉い御器量のお方が居らせられますので、それでどうも手品が段取だんどりよく運ばないやうに存じられまする。」
 備前少将はそれを聞くと、にやりと軽く笑つた。後の方では蕃山と左源太が腹のなかでうなづいたらしかつた。
 手品師め、手品には失敗しくじつたが、うまい事を言つたもので、少将と蕃山と左源太とは、各自めいめい腹のなかでは、「その偉い器量人は多分乃公おれだな。」と思つたらしかつた。この人達にだつて自惚うぬぼれは相当にあつたものだ。金魚は釣れなかつたが、手品師は素晴しい物を三つ釣り上げてゐる。


あんずの木

12・2(夕)

 トルストイは医者といふものは、医学についての事なら何もかもよく知つてはゐるが、その医学といふものが何一つ知らない学問なのだと皮肉を言つた。医学がそんなものかうかはよく知らないが、しかし医者といふものは親切なもので、人間が馬と同じやうに風邪を引くものである事を教へて呉れるのは医者である。あれで謝礼の事さへ言はなければ申分無いのだが、唯少し医者の謝礼は高過ぎる。
「医者は謝礼なぞ貪るべきものではない。」
と大阪医科大学の一で客を相手に医学博士長崎仙太郎氏は言つた。博士は目薬の瓶のやうに小柄で、加之おまけに目薬の瓶のやうに髯をつてゐない。
「君は知つとるか知らないが、往時むかし支那の廬山ろざんに何とか言つた医者があつた……」
 博士はいつもの癖でへやの隅つこを見詰めながら、その医者の名を考へた。
「さうだ確か董奉とうほうとか言つたつけ、董は艸冠くさかむりに車といふ字だつたやうに思ふ、そんな字があつたつけな……」
 博士は独語ひとりごとのやうに言つて、頭へ手をやつた。
 客はそれを聞いて、物に無頓着な自分の友達が、ある時※(「虫+車」、第3水準1-91-55)といふ字を書いて「きつね」と振仮名ふりかなをつけてゐた事を思ひ出した。※(「虫+車」、第3水準1-91-55)は「きつね」ぢやない、「こほろぎ」だと教へると、その男は※(「弗+色」、第3水準1-90-60)むきになつて、
「だつて※(「虫+車」、第3水準1-91-55)こほろぎが居るところには狐も居ようといふものぢやないか。」
と言つた事があつた。長崎博士もそんな一人に相違なかつた。
 博士は※(「虫+車」、第3水準1-91-55)のやうに真面目くさつて言葉を続けた。
「その董奉といふお医者は、重病人のなほつたのには杏の木を五本、軽いのには一本をお礼代りに持つて来て植ゑさせる事にした。ところが、暫くすると其辺そこら一杯に杏の林が出来た。で、のちには医者の事を杏林きやうりんといふやうになつたのだが、しかし……」
 博士は杏でも食べたやうに急に口をつぼめた。そして其辺そこらに聞えないやうに一段と声を低めた。
「しかし今時のお医者さんは、杏の木位ではなかなか承知すまいて。」
 杏の木の講釈なら今では誰もよく知つてゐる。唯医者の返礼にあの木を使はないのは、ついでに地所をつけてくれと言はれるのが怖いからだ。


菅原道真の子供

12・3(夕)

 一体地獄にはどれ程の人数にんずが居る事だらう――僧侶ばうさんや牧師が人を罪人扱ひにするお説教を聴くたびに、誰でもがこんな考へを起すものだが、それに就いて一六六六年頃ある独逸人が詳しく書いた事があつた。独逸人は往年むかしから地獄の事にはよく通じてゐた。
 何でもその説によると、地獄にはその頃人間がすべてで四千八百六十六万六千三百二十二人居た事になつてゐる。太古おほむかしからその年代までの人数にんずを数へ立てたら、随分なすうのぼるだらうが、その残りがみんな天国に居るとすると、神様のお裁きも、かなりい加減なものと言はなければならない。それにしてもその独逸人が、どんな方法で、地獄の市勢調査をやつたかは、その女房かないすら知らなかつたといふ事だ。女房かないに知らさないで何か知ら出来る亭主が居たら、それは偉い男で、この意味においてくだんの独逸人は英雄である。
 むかし宝暦の頃、江戸に菅大助すがだいすけといふ書肆ほんやが居た。ひどい歴史好きで、自分でもほんこしらへたが、菅原道真の伝記を書く段になつて、この人に廿四人子供が居て、そのなかで名前が知れてゐるのは五人しか無いのをひどく気苦労に病んだ。
 道真にしても世間の手前もあらうものを、二十四人とは少し産み過ぎたやうだ。この人はくから書をかいたり、詩をんだりして居たさうだが、ほかの方面にも相応かなり早熟だつたものと見える。大助は残りの十九人の名前を調べ出さなければ、天神様に済まぬとでも思つたものか、色々なほん渉猟あさつてみた。だが、多くの大事な事を捜す場合と同じやうにほんには何一つ書いてなかつた。
 大助はとうとい事を発明した。それは狐憑きつねつきを呼んで来て、神下かみおろしをかけて、一々名前を訊き出すといふ事だ。大助は狐憑きの言ふが儘に、ちやんと十九人の名前を書きとめたものだ。それを聞いたはなは検校けんげうは、
「人間に判らぬ事が狐に判らう筈がない。」
と言つて、鼻の上に皺を寄せて笑つたさうだが、それは検校が間違つてゐる。人間に判らぬ事は、神様や狐に聞くべきで、神様が名代の沈黙家むつゝりやである以上、狐にでも聞かなければ仕方がない。唯狐がたわいのない嘘きであるのは、人間の拵へた古記録と無軒輊おつゝかつゝである事さへ知つてゐればそれでい。


内蔵之助くらのすけ延若えんじやく

12・5(夕)

 今なか座で「久米平内くめのへいない」劇を演じてゐる実川じつかは延若に、この頃一つの大望たいまうがある、それは中村吉蔵氏の脚本「小山田庄左衛門」を一度舞台にのぼしてみたいといふ事だ。小山田庄左衛門は人も知つてゐる通り、赤穂浪人の一人で、討入の前夜湯女ゆなとこに泊つて、覚えずぐつすり寝込んで、勢揃ひに洩れたといふ男である。
「一度小山田をらしとくなはれ、思ふ存分に演りますよつて。」
 延若は仕打しうちの白井松次郎の顔を見ると、いつもかう言つたものだ。用心深い白井は、横着者の延若の言草いひぐさだけにおいそれと直ぐには承知しなかつた。
「何故そないに小山田がうおすのや、ほかにもい狂言がたんとおすやおへんか。」
わて小山田が討入前といふ大事な晩やのに、ついふらふらと湯女ゆなところた、あの余裕ゆとりのある気持が気に入つてまんね。」延若は長い顎をしやくつて、懐中ふところにしまひ込んであつた右の手を出してちやんと膝の上に置いた。その手は女の心の臓を握るには少し頑丈過ぎる程ふとつてゐた。「それから、あくる朝起きぬけに義士の引揚ひきあげを見て、大石を痛罵する所がおまつしやろ、那処あすこつてみたうおまんね。」
「滅相な、そないとこつて貰うて溜りまつかいな。大石さんは貴方あんた、武士道の神やたら言ふやおへんか。」
と仕打は呆気あつけに取られたやうに言つた。そして精々大石の友達ででもあるらしく、真面目に苦り切つた顔をしたが、幾らか面附つらつきが歪んで見えた。
「武士道かてよろしおまつしやろ。」延若も負けては居なかつた。「大石さんが武士道なら、わてらは役者道だすさかいな、何つたかてよろしおまんがな。」
 仕打はがまのやうな口もとをしたが、急に笑ひ出した。
「そない言はんと、まあ考へとみやす。わてにしても、貴方あんたにしても、これまで大石さんには、たんとお金を儲けさせて貰うてまつしやろ、それを今更……」
「あゝ、さうだつか……そやつたら貴方あんたのは商人道や……」
 延若は山雀やまがらのやうな声を立てて笑つた。そして小山田庄左衛門はその儘になつた。


倫敦ロンドン仇討かたきうち

12・9(夕)

 三井物産の大阪支店で棉花部長を勤めてゐる児玉一造氏が、まだ滋賀の商業学校にゐた頃、ある時実習のため彦根地方へ行商かうしやうに出掛けて往つた事があつた。肩に背負つた風呂敷包には、二宮金次郎の道徳のやうな、格安で、加之おまけに「おめのいい」石鹸しやぼん白粉おしろいがごたごたくるまれてゐた。
 児玉氏が訪ねて往つたうちに、鉄道院の大道だいどう良太氏の実家があつた。ちやうど夏の事で、大道氏は大学の制帽をかぶつて帰つて来てゐた。そして商業学校の実習生が物売りに来たといふ事を聞くと、飛んで玄関へ出て来た。
「君かい、商業学校の実習生つていふのは。」大道氏は横柄な口をきいた。そして胡散うさんさうにじろ/\児玉氏の荷物を覗き込んだ。「なんだ、石鹸しやぼんに白粉に、歯磨粉か。けち臭い物を扱つてるぢやないか、君も未来の商人にならうていふのなら、こんな小売商人の真似なぞして、早く外国へでも踏み出すんだね。」
 児玉氏はそれを聞くと、おしのやうに黙つて荷物を包みにかゝつた。「お為めのいい」石鹸しやぼんすがめのやうな眼附で、利いた風な事を喋舌しやべる大学生の顔を見てゐた。
 その後七八年経つた。大道氏は大学を出て鉄道院にり、児玉氏は商業学校を出て三井物産に入つた。そして都合よく倫敦支店に派遣せられて、外国へ踏み出す事になつた。
 児玉氏が倫敦で一つぱしの英国通になつた頃、大道氏は鉄道院から派遣せられて、初めて倫敦へやつて来た。知合の誰彼が発起ほつきで、ある晩歓迎会が催された。児玉氏も勧められて出席したが、お客の顔を見ると吃驚びつくりした。そして次ぎの瞬間には、来て先づい事をしたと思つた。
 一しきり酒が廻つた頃、児玉氏はづかづかと席を立つて大道氏の前へ往つて顎を突き出した。
「大道君、僕の顔に見覚えがあるかい。」
 大道氏は眼をくしやくしやさせて、相手の顔を見た。
「いや、覚えがない、誰だつたつけね、君は。」
「君に覚えが無くても、僕の方には覚えがあるんだからね。」と児玉氏は卓子テーブルなかに馬のやうにはぐきをむいで見せた。「七八年ぜん僕が滋賀商業の実習生で、君のとこ行商かうしやうに往つたら、君は僕の石鹸しやぼんを石ころか何ぞのやうにけなしつけて、加之おまけに僕に外国行を勧めて呉れたつけが、お蔭で僕は君よりも早く外国の土を踏んだよ。」
 児玉氏はかう言つて、自分の脚の下が、外国の土地である事をたしかめるやうに、二三度床板をくつかゞとで蹴飛ばした。
 大道氏は機関車のやうに鼻嵐を吹いて真紅まつかになつてゐたが、まあ仕合せと脱線もしないで済んだ。


独山どくざん和尚

1210(夕)

 相国しやうこく寺の橋本独山和尚は、道楽にちよいちよいを描く事を知つてゐる。
「和尚様、何でも結構どすが、手前にも一つ描いて戴けまへんやろか。」
と、頭を下げて頼むものがあると、和尚は誰にでも直ぐ、気持よくいて呉れる。
 倹約しまつな京都人は、ひといてくれたものを、自分でたのしむやうな贅沢な事はしない。何がしかの金銭かねになるものなら、金銭かねにしないでは置かないのは京都人の持つて生れた気質かたぎで、さういふ所から和尚は色々な展覧会で自分がいて呉れた山水が相応かなり高い値段で売物になつてゐるのを見る事がよくある。そんな折には、和尚はきまつたやうに自分でそれを買戻して、一々残らず引き裂いて捨ててしまふ事にしてある。結構な事で、他様ひとさまに高い金銭かねを払はす程の代物でない事をよく知つてゐるのだ。
 和尚は多くの禅僧と同じやうに酒が大好きだ。先日こなひだの晩、京都の大通だいつう岡本橘仙氏が、友達と一緒に和尚を相国寺に訪ねた事があつた。用事が済むと、和尚は待ち兼ねてゐたやうに、
彼方あつちに酒の用意がしてある筈ぢや、迷惑ぢやらうが、暫く附合つとくれ。」
と、二人が酒のさかなででもあるやうに、顔を見比べてにやにや笑つた。実際禅寺ぜんでらぼんさんなどいふものは、お客を小芋こいも煮転にころばし位にしか思つてゐないものなので、それをよく知つてゐる橘仙氏は急に逃げ腰になつた。
 和尚はひとの迷惑などは少しも気にしなかつた。
「さ、参らう、手間は取らせんから。」
と言つて先に立つた。奥の燈火あかりの用意の無い事を知つてゐる橘仙氏は、そこにあつた燭台を手に取つた。
「それぢや折角ですから御馳走になりませう。」
 かう言つてあといて往つた。
 和尚は勝手を知つただけに、先きへ入つて暗闇くらがりのなかに蝦蟇かへるのやうに胡坐あぐらをかいてゐた。そして膝小僧を抱へ込んで達磨だるまの事や胡瓜きうりの事を考へてゐたが、いつ迄待つてみてもお客が入つて来ないのに不審を起して、不承無精ふしようぶしやうに出掛けてみると、お客は二人とももう寺には居なかつた。そして広い玄関のに消え残つた燭台がねむさうにぱちぱちまたゝきをしてゐた。
 そののちある茶会で、和尚は橘仙氏の顔を見ると言つた。
「岡本さん、あんたは却々なか/\食へん男ぢやな。」
 をりしく、橘仙氏はすつかり燭台の一件を忘れてしまつてゐたので変な顔をした。そしてその日の夕方やつとそれを思ひ出したので、態々わざ/\相国寺の方へ向いて、声を出して笑つた。


天麩羅と天国

1212(夕)

 米国にバアナムといふ宣教師がゐる。土耳其トルコへ渡つて聖書の出版をしてゐるが、出版の合間々々には、お説教をして天国を説く事を仕事にしてゐる。だが困つた事には身体からだが牛のやうに肥えてゐるので、お説教が興奮はづむと、ふいごのやうな苦しさうな息遣ひをする。
 ある時友達の一人が訊いた事があつた。
「そんなにお説教ばかししてゐると、天国では屹度持てるだらうな。」
「さあ、それぢやて。」とバアナムは牛のやうな悲しさうな眼つきをして自分の身体からだを見まはした。「僕も天国へはのぼりたいんだが、この図体ぢやとても上りきれまいと思つてね。」
 淫書刊行で世間の噂にのぼつた湯浅吉郎氏が、聖書学者としてまだ同志社に関係してゐた頃、友達の中にしきりと耶蘇教を説いて廻つた事があつた。
「耶蘇教もいゝさ。まあ早く言つたら生命保険に入つたやうなもんでね。」と湯浅氏は猫のやうな円い掌面てのひらおとがひを撫でまはした。「死んでみて、もしか天国があつたら、信者のお蔭で昇天を許されるし、よしんば無かつたところで損はかないんだからな。」
 湯浅氏はこんな風に耶蘇教を吹聴したものだ。
 ある時同じ口調で箏曲家の鈴木鼓村氏に伝道をした事があつた。鼓村氏は年中貧乏で、どこの町へ住むでも家主に苦い顔を見せられ通しだつたので、天国が噂通り結構なところなら、今の内に一つ立派なうちを予約して置きたかつた。
「湯浅君、天国にもやつぱり家主といつたやうなものがあるのかい。」
「そんな者はない。」湯浅氏は天国の支配人のやうなしつかりした調子で言つた。「つまり、早いもの勝ちなんだね。」
 鼓村氏は天国といふ所は猿芝居の掛小屋かけごやのやうなものだなと思つた。で、今度は内証事ないしようごとのやうに声を低めて訊いた。
「天国には天麩羅があるかい。」
「なに、天麩羅だつて。」湯浅氏は変な顔をした。「麺麭パンに葡萄酒ならたしかにあるが、天麩羅は無いかも知れんな。」
 鼓村氏はがつかりしたやうに言つた。
「さうか、天麩羅が無いんぢや、僕は天国は厭だな。まあ、しとくとしよう。」
 鼓村氏は狐のやうに天麩羅さへあつたら、動物園の檻のなかにでもむ事が出来る男なのだ。


馬が悪い

1214(夕)

 むかし矢野大膳といふ馬乗うまのりの名人が居た。ある時友達のところを訪ねようとして馬に乗つて出掛けた。晴れた美しい秋の日で、町には人間や赤蜻蛉あかとんぼが羽をして飛びまはつてゐた。
 大膳は何を考へるともなし馬の手綱を取つてゐた。馬はめすの事を考へてにやにやしてゐた。ふと気が附くと、直ぐ眼の前を美しい女が歩いてゐる。
「いゝ女だな。どこの娘だらうて。」
 大膳はその一刹那に自分が独身者ひとりみであるのを大層幸福しあはせに思つた。――独身者ひとりみといふものは結構なもので、どんな聖母とでも、乞食とでも結婚する事が出来る。
 大膳は女の後姿に見惚みとれながら、じつと手綱をたぐつてゐたが、暫くして四辺あたりを見ると、今通りかゝつてゐるのは、ついぞ見も知らぬ町で、友達のうちとは反対の方角だつた。
「はてな、うしてこんなとこへ出て来たらう。」
 大膳は鞍の上で独語ひとりごとを言つたが、その次ぎの瞬間に馬が勝手に女のあとをつけてゐるのに気がついた。馬は鞍の上の主人には頓着とんぢやくなく、ずんずん女のあとを追つて往つた。
 暫くして女は遊女町に入つた。そしてとある一軒の洒落しやれたお茶屋に入つたので、初めてそれが遊女である事が判つた。馬と主人とはお茶屋の門先かどさきに立つて残り惜しさうに内部なかを覗き込むでゐた。
 それから大膳は遊女買いうぢよかひを始めた。そしてせつせとその女のもとに通ひつめたが、暫くすると金に詰まつて来た。
「困つたな、いい金のつるは無いものか知ら。」
 太膳は思案に苦しんで、馬に相談してみたが、馬はにも言はないでかぶりをふつた。大膳はやがてその馬をも手離してしまつた。馬を売つた金は十日とは残つてゐなかつた。
「切支丹へ入らう、さうすれば何許なにがしかの金になるさうだから。」
 大膳は金が欲しさに切支丹に入つた。そして貰つた金で、こつそり神様に隠れて遊女屋通ひを続けてゐた。
 そのうち切支丹が法度はつとになつて、信徒は皆火炙ひあぶりにせられた。大膳もその数には漏れなかつた。
「俺が悪いのぢやない、馬が悪かつたのだ。」
 大膳はかう言つて、炭団たどんのやうになつて焼死やけしんだ。
 馬だの、女房かないだのが悪いと、男はよく酷い目に会ふものだ。


京都と偉人

1216(夕)

 京都大学の学生監山本良吉氏は、以前京都第二中学の教頭で、倫理の教師を勤めてゐた事があつた。英国の母親は子供を教育するのに、自分の母親おふくろが自分をしつけて呉れた通りにし、米国の母親は、自分が子供の時母親にて貰ひたかつたやうに、吾がを教育するといふ事だが、倫理の教師といふものは、自分にするのは厭な癖に、ひとには何かとむつかしい事をさせたがるものだ。
 山本氏は教壇の上から、居並んだ生徒を見下みおろした。生徒は蛙の子のやうにへそなぞ持つて居ないやうな顔をして、几帳面に膝の上に手を置いてゐた。
「どうも京都人は意気地が無くつてかん。」山本氏は一段と声を張りあげた。「その証拠には、京都からは偉い人物といつては少しも出てらん。奈翁ナポレオンは百戦百勝の英雄だつた。ニウトンは地球の重力を発明した。カントは素晴しい哲学の本を書いた。ベエトオヴヱンはつんぼになつた。ミレエは腹が減つてひもじいと言つた。そしてこれらの偉い人物は、誰一人京都から出はしなかつたぢやないか。」
 山本氏は京都人の饗応もてなしが悪かつたばかりに奈翁やミレエが仏蘭西へ逃げ出したやうに言つて、京都生れの生徒を責め立てた。生徒達は済まなかつたやうに、そつと溜息をいて、先生のしかつべらしい顔を見た。
 山本氏は石版摺せきばんずりの奈翁のやうに、腰にこぶしをあてがつて、ぐつと反身そりみになつて教壇をあちこちした。
「それとも京都から出た人にもつと偉い人があるとでも思つてゐるのかい、諸君は。」
 山本氏はかう言つて、じつと蛙の子の頭を見た。
「あります。」蛙の子の一人がいきなり突立つて答へた。
「誰だ、誰だね、早く言つてみなさい。」
と山本氏は肩をそびやかすやうな真似をした。
「申すには申しますが、余り恐れおほうて……」
 生徒はかう言ひさして身体からだを真直にした。
「判つた。判つた。あとはもう言はんでもいい。」教壇の上の奈翁は、両手をちやんと揃へて鉛筆のやうに棒立になつた。そして泣き出しさうな声で言つた。「成程京都からもお偉い方が出てゐられる。」


女とお薬

1217(夕)

 発明家のエデイソンがある朝、自分の実験室で、何かとび色の薬料を乳鉢にゆうはちのなかで混ぜてゐると、そこへ美しい令嬢が訪ねて来た。令嬢はこの高名こうめいな発明家の実験室を一目見てなんかの折に談話はなしの種にしたかつたのだ。
 エデイソンは発明も好きだが、発明の次ぎには戯談ぜうだんも好きだつた。今自分の実験室に入つて来た女の、高慢ちきな顔を見ると、いつもの癖がむつくり頭を持ち上げて来た。
「お嬢さん。」と発明家は女に呼びかけた。「申し兼ねますが、一寸貴女あなたのお舌が拝借出来ますまいか、私の舌はいろんな実験ですつかりしびれつちまつて、一向味が解らなくなつてるもんですからね。」
 若い令嬢は黙つてうなづいてみせた。耳の遠いエデイソンには言葉をかけるよりも頷いてみせた方が解り易かつた。令嬢は舌の先でこの発明家の事業をたすける事が出来たなら、こんな結構な事はないと思つてゐたのだ。エデイソンは小匙こさじ乳鉢にゆうはちの薬料を一寸しやくつた。女は牛乳ミルクを欲しがる小猫のやうに、美しい舌の先を出してその薬料を受取つた。
「どんな気持がしますか。」
 発明家は相手の顔を覗き込むやうにして訊いた。女は変に唇を歪めてなんにも答へなかつた。
「すつとい気持でせう。」
 女は黙つてかぶりつた。
「ひりひり舌を刺しはしませんか。」
「違ひます。」女はやつと返事をした。
「はてな。」と発明家はわざと小首をかしげた。「そんな筈は無いんだが、それぢやどんな味がしますね。」
「まあ、どんなに苦かつたでせう。」
 女は口一杯煙草のやにを頬張つたがまのやうな口もとをした。
「そんなに苦かつたですか。いや、うも有難う。」
 発明家はにやにや笑ひ突ひ、一寸頭を下げた。
「先生、それ一体何のお薬なんですの。」
 令嬢は無気味さうに訊いた。
「解りませんな。それを今私が研究中なんです。」発明家はまた乳鉢にゆうはちを手にしながら言つた。「だが、ある男なぞは、この薬で馬を百匹も殺したと言ひますよ。」
「まあ、そんなお薬……」
 令嬢はキヤベツのやうに真つ青になつてしまつた。
 エデイソンはそれを見て嬉しさうに笑つてゐた。





底本:「完本 茶話 上」」冨山房百科文庫、冨山房
   1983(昭和58)年11月25日第1刷発行
   1984(昭和59)年11月15日第8刷発行
   「完本 茶話 中」冨山房百科文庫、冨山房
   1983(昭和58)年11月25日第1刷発行
   1986(昭和61)年7月30日第7刷発行
底本の親本:「大阪毎日新聞」
   1917(大正6)年1月7日〜12月17日
初出:「大阪毎日新聞」
   1917(大正6)年1月7日〜12月17日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「無中」と「夢中」の混在は、底本通りです。
※〔〕内の編集者による注記は省略しました。
※底本凡例に、「内容は別個で題を同じくする作品は題名の直下に*印を付し、*印の数の違いによって弁別することとした」とあります。
入力:kompass
校正:仙酔ゑびす
2014年6月22日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について


●図書カード