茶話

大正十一(一九二二)年

薄田泣菫




頤の外れたのを治す法

詩人室生犀星氏のお父さんのこと
4・23
サンデー毎日

 詩人室生犀星氏のお父さんは、医者であつた。医者であることすら大変なのに、おまけに藪医者であつた。藪医者といふと、蝸牛かたつむりや、蟷螂かまきりと同じやうに草ぶかい片田舎にばかり住んでゐるやうに思ふ人があるかも知れないが、実際は都にも多いやうだ。とりわけ博士などと肩書のついたてあひに、そんなのが少くないやうだ。唯幸福しあはせなことには、肩書がつくと、病人がそれを信用してかゝるから、なほらない筈の病気までがついひよつくりくなつたりすることがあるので、病人は勿論、お医者自身までが、それを自分の診察みたてがいゝからなのだと穿き違へて、本当は藪医者であるのに気がつかないまでのことである。だが、犀星さんのお父さんは博士でもなかつたから、都へも出ないでおとなしく田舎に住んでゐた。
 流行はやらない医者にとつては田舎も住みよくはなかつた。室生氏は毎日日向ぼこりをして、もつと病人の多い国はないものかなどと考へてゐた。さう思つて見ると、その辺の人は男も女もみんな馬のやうに達者だつた。
 ある日めづらしく一人の病人がやつて来た。「来たな」とお医者はあわてて玄関へ飛び出してみた。そこに立つてゐるのは、間のぬけた顔をした男で、よだれをくり/\何か他愛たあいもないことをいつてゐた。よく聞いてみると、おとがひがはづれて困つてゐるといふのだつた。何でも一人二人医者にはかゝつてはみたが、どうも治りきらないらしかつた。
「おれの運が向いて来たのだ。」
と医者は腹の中でつぶやいた。そしてこの病人を治すと、外では治らなかつただけに、自分の名医であることが、ぱつと世間に拡がつて、これからはとても受けきれないやうな大勢の病人が押し寄せて来るに相違ない。それにはうちの玄関は余り狭すぎるから、何でも近いうちに大工を呼んで建替への見積りをとらなくちやならぬと、そんなことまでも考へた。
 だが、ほんとうの事をいふと、医者はどうしてあごのはづれたのを治したものか、まるで見当がつかなかつた。で、こつそり次のに入つて読み古した医術の本を大急ぎで繰つてみたが、その本にはお産のことばかり詳しく載つてゐて、あごのことなどは唯の一行も書いてなかつた。
「困つたな、何かいゝ分別はないものかしら。」
 医者は手をんで考へた。アンチヘブリンをまさうかとも思つたが、それにしては熱が少しもなかつた。下剤をかけようかとも思つたが、それにしては腹に少しのとどこほりもなかつた。
「この病人一人でおれの運がきまらうといふのだ。」
 医者はまた繰り返して腹の中でかう思つた。すると、その一刹那すてきないゝ考へが電光いなづまのやうに頭のうちを走つた。
「さうだ。いゝ思ひ付きだ。きつと治るに相違ない。いよ/\おれの運が向いて来たといふものだ。」
 医者は嬉しさうににや/\笑つた。そして病人に手拭てぬぐひできつく頬冠ほゝかむりをさせて裏口まで連れ出した。背戸せどには小流こながれ可笑をかしさにたまらぬやうに笑ひ声をたてて走つてゐた。医者は病人をそのふちに立たせてかういつた。
「一息にこのみぞを飛ぶんだぞ、するとその拍子にあごはまるからな。」
 病人は医者と小流れとを見くらべて変な顔をしたが、別に何ともいはなかつた。そしてばつたのやうに足を揃へてひよいと一息に溝を飛んだ。
 医者は急いで頬冠ほゝかぶりをとらせてみたが、病人は相変らず間の抜けた顔をして涎をくつてゐた。
 病人はまた頬冠ほゝかぶりをさせられた。今度は一段と強く縛られたので、顔は小包のやうに歪んでゐた。医者はそれを連れて裏の柿の木の下に立たせた。そして渋柿の実が貧血症のやうに青い顔をしてゐるのを見上げながらいつた。
「あすこから飛び下りるんだぞ、するとその拍子にうまくあごまるからな。」
 病人は歪んだ顔をして悲しさうに目をしばたゝいたが、それでもすなほに枝に手をかけて柿の木に登つて行つた。そしてうめくやうな声をしたと思ふと、もうそこから飛び下りてかはづのやうに地面ぢびたに両手をついてゐた。
 医者は急いで頬冠ほゝかむりをとつて、病人の顔を覗き込んだ。
 病人は相変らず涎をたらしてゐたが、顔を火のやうにして何か訳の分らぬことを怒鳴つてゐた。
 それからといふもの医者の評判は、一さう悪くなつた。気の毒な老人はこそ/\家を畳んでまたの村へ引越したさうだ。


男と女との胸釦の相異

5・28
サンデー毎日

 今日こんにちは一ついつもとはぐつと趣向をかへて、変つた小話を幾つか書き集めてみることにする。

 西洋の習慣で男子の外套は左から右に合はせるのに、女子のはそれと反対あべこべに右から左に合せることになつてゐるが、その理由わけを知つてゐる人はたんと有るまい。博識家ものしりめいた言ひ振りだが、吾々の祖先は今の婦人と同じやうな着方をしたもので、いつもけものの皮にばかりくるまつてゐた彼等は、毛皮の襟を合はせるのに左手で右前を引張るから自然右手で針留めを刺さなければならなかつた。猶太ユダヤの坊さんはいまだにこの古式の習慣を伝へて、婦人と同じやうに右から左へ襟を合はせてゐる。人間の歴史がだん/\狩猟時代より進んで、種族と種族との競争が激しくなり、戦人いくさにんが必要になるにつれて、左脇にさした剣を抜くのに、これまで通りの着方では、外套の裾が邪魔になるので、男子はすべて今のやうに左から右に合はせることになつたのである。そんな心配のない婦人は、今にむかしのがたをそのまゝに右から左へ襟を合はせてゐる。婦人が人と争ふのに、剣の代りに舌を使つたのはすばらしい発明であるが、そのせゐで彼等は襟釦えりぼたんのとめどころを変へる必要がなくなつた。

     ◇

 どこのうちでも、主人が家庭にばかりんでゐると、女房かないの多くはすべてそれを物足りなく思つて、どうかして亭主を籾殻もみがらか何ぞのやうに門口かどぐちから外に掃き出す工夫はないものかと、ついそんなことまでも考へ出すものだ。著述家や学者のやうにいつも書斎にばかり引込ひつこんでゐる人達が、女房かないに好かれないのは大抵かうした理由わけによるものである。発明家のエヂソンも結婚後いつも家にばかり閉ぢこもつてゐたので花嫁の機嫌を悪くしたことがあつた。花嫁はエヂソンの友達を訪ねて何かの会合があつたら主人を誘ひ出してほしいものだと頼んだ。友達は承知した。エヂソンはその翌る晩ある宴会に誘ひ出されたが、騒々しい人なかを好かないたちなので、客間にるとすぐに片隅に置いてあつた椅子にもたれて、何か考へごとをしてゐるらしかつた。陽気な友達は発明家のことなどはすぐ忘れてしまつて、若い女を相手に世間話に無中になつてゐた。時が経つてやつと忘れものに気がついた友達は、慌てて四辺あたりを見まはした。するとエヂソンは先刻さつきと同じやうにへやの片隅にある椅子にもたれたまゝでぢつと頭を抱へてゐた。友達は歩みよつた。そして頭痛でもするのかと訊いた。発明家は溜息をつきながら、退屈さうにいつた。
「せめて犬でも一匹ゐてくれるといいんだが」……

     ◇

 愛蘭アイルランドの詩人イエエツは気分ムウドほど大切なものはない、歴史上の大事件でも煎じつめると、ふとした人間の気分一つにもとづいてゐるのを見付けることが少くないといつてゐるが、実際さうで、むかし韃靼だつたん人と波斯ペルシヤ人とが幾年もにわたつて大戦争をしたことがあつた。その原因をよく訊いてみると、韃靼人が波斯人は口髭をよく手入しないから薄汚いといつたからのことで、波斯人に髭でもなかつたら、あんな恐ろしい戦争は起らなかつた筈である。夫婦喧嘩なども全くさうで、オスカア・ワイルドだつたかの言葉にこんなのがある。――朝飯さへうまく食べさしてくれたら、まあ大抵のことは辛抱してもいゝ、と。

     ◇

 アメリカである百姓の飼つてゐる牝牛めうしがものにつまづいて、脚を一本折つたことがあつた。百姓は人間ですら義足が出来る世の中に、牝牛に義足の出来ない筈はないと考へた。義足はさいはひに成功して、牝牛は亡くなつた大隈侯のやうに元気よく野原を歩きまはつた。牛乳を調べてみても、成分に少しも変りはなかつたさうだ。


五十四万石の駄洒落

6・11
サンデー毎日

 ついこなひだのこと、侯爵細川護立氏のところへ、春陽会の若い画家五六人がばれて往つたことがあつた。山崎省三氏もその中にまじつてゐた。細川氏はいふまでもなく肥後熊本五十四万石の城主である。
 ひとしきり酒がまはると、護立侯は、トマトのやうな真赤な額をてらてらさせながら、上機嫌で皆の顔を見くらべた。
「さあ、これから大いに談じよう、誰か面白い世間話をして聞かせて呉れんかな。」
「おもしろい世間話といふと――」
 皆は言ひ合せたやうにかう思つた。何しろ五十四万石のおやしきへ来ての話だから、画家風情のしみつたれた台所話では御意にかなふまい、頭が唐辛子のやうに赤い鶴とか、尻つ尾が扇のやうに拡がつた鳳凰とか、それとも龍宮とかのめでたい話はないものか知ら。皆は腹の中であれかこれかと考へてみたが、あいにくそんな話は誰一人持ち合せがないらしかつた。護立侯は物足りなささうに自分のお膳の上にあつた焼肴を一つ頬張つた。そしてそれを口のなかに転がしながら言つた。
「いやに気むつかしい顔をして黙りこくつてゐるな、何か話したらどうだい。」
「ぢや、お話しませう。」
 かういつて、髪の毛が長く額に垂れかゝつたのをうるささうにかき上げながら、顔をもち上げたのは、仲間で一番年若で、おまけに沈黙家むつつりやで評判の高いOといふ画家だつた。
「O君、君がお話をするなんて。ずいぶん珍しいな。何の話だい。」
 山崎氏はからかひ半分にO氏の顔を見た。
「亀の話さ。」
 O氏はむつとしたやうに言つた。
「亀の話はいゝね。」
 皆は言ひ合せたやうに顔を見合せた。
「麻布のある家にお婆さんがゐましてね、それが亀を一匹飼つてゐました。……」
 O氏はしんみりした調子で話の緒を切つた。それによると、婆さんは二十年近くの間自分の娘同様に亀をいたはつて大事にかけてゐた。亀の方でもまたすつかり婆さんに昵懇なじんで、婆さんが池のふちへ出て来てその名前を呼ぶと、亀は親切な自分の飼主の御機嫌を伺ふやうにひよつくりと水の上へ浮き上つてぢつと婆さんの顔色を見入つたものだ。ところが、このごろになつて、婆さんは家の都合で牛込辺へ移転ひつこしをしなければならなくなつた。悲しいことには、移転先には亀を飼ふやうなお池がないのである。……
「池がないのでね……」
 O氏はまるで自分の家にお池がないのでもあるかのやうにほつと溜息をついた。
「池がなかつたら、たらひでも足りるぢやないか。」
 誰かが横つちよから口を出した。するとO氏はむつとして、
「婆さんは盥なんかで亀を飼はうとは思つてゐない。婆さんは亀の自由を尊重してゐるんだ。」
ときめつけるやうに言つた。居合せた若い画家達は、これまで婦人に対すると同じやうに、亀の自由を尊重してゐなかつたので、急に亀のやうに首をすくめたが、五十四万石の大守細川侯ばかりは泰然としてゐた。O氏はまた話し出した。
 で、婆さんは誰かほんとに亀を可愛かあいがつて呉れる者で、家にかなりな池を持つてゐる者があつたら、亀を譲りたいものだと方々聞合せてゐるが、今時そんな人は見つかりやうがないので、移転ひつこしを目の先に控へてゐる昨日きのふ今日けふ、亀のことにかまけてなんにも手がつかないでゐるといふのだ。
「こりや面白い、面白い話だね。」
 皆は口を揃へて言つた。暫らくすると山崎氏はO氏の顔を見ながら言つた。
「O君、君は今婆さんが名前を呼ぶと、亀がひよつくり顔を出すと言つたな。」
「うむ、言つたよ。」
「一たいどう言つてその亀を呼ぶのかね。」
「さあ、どう言つて呼ぶのか……」O氏は髪の毛の長い頭をかゝへてゐたが、苦笑ひしながら言つた。「その辺は僕もよく知らんがね。」
 皆は声を立てて笑つた。その笑ひ声のなかから、
「笑ふがものはないさ、そんなことはよくわかつとるぢやないか。」
といふ声がした。一語一語慶長小判を落すやうな冴えた声であつた。それは誰でもない、肥後は熊本五十四万石の城主細川侯だつた。
「ぢや、何といつて呼ぶのでございますね。」
「それはかうさ……」細川侯は、そのむかし御先祖の幽斎老が古今こきん伝授を講釈した折のやうに勿体ぶつて、声に一寸調子をつけながらいつた。
「それはかうさ――
  もしもし亀よ
    亀さんよ……」


器用な言葉の洒落

6・18
サンデー毎日

 前号に細川護立侯のことを書いたから、今日こんにちはその御先祖細川幽斎のことを少しく書いてみよう。護立侯もかなり物識りだが、幽斎はそれにもましていろんなことに通暁してゐた。武術はいふに及ばず、その頃古今伝授を受けたたつた一人の男は彼だつたといふので、歌の方の造詣もほゞ察しることができよう。茶も上手で、とりわけ料理がうまかつた。この方では相当うぬぼれを持つてゐた利休なども、幽斎の前には一寸頭があがらなかつたらしく、ある時などはわざわざ頼んで、鶴の料理のお手前を拝見に往つたことがあつた。
 幽斎が頓才があつて、歌のくちなどが洒落てゐて、おまけに早かつたことは、かなり名高い話である。ある時、わが子の三斎と連れ立つて烏丸家を訪ねたことがあつた。主人の烏丸殿は細川が二人顔を揃へてゐるのを見て、
「細川二つちよつと出にけり」
といつて、ちよつかいを出された。
 すると、幽斎は即坐に、
「御所車通りしあとに時雨して」
とつけたので、烏丸殿も感心するよりほかには言葉がなかつたさうだ。その日、幽斎が暇乞いとまごひして帰らうとすると、烏丸殿はわざわざ玄関まで見送つて出られたが、こつそり家来の一人に耳打ちをして、だしぬけに幽斎を後から玄関の式台の上に突き倒させた。(おそろしく近代的なお公家くげさまで、歌よみを優遇するよりも、いぢめることを知つてゐる。)そしてこの歌上手の老人が蛙のやうな恰好をして、まごまごしてゐる間に、
「細川殿、たつた今一首所望いたす。」
と浴びせかけたものだ。すると、幽斎は腰をさすさすり起きあがりざま、
「こんと突くころりと転ぶ幽斎が
   いつの間よりか歌をよむべき」
とうたつたので、悪戯いたづらなお公家さんも手を拍つて嘆賞するよりほかに仕方がなかつた。
 また、ある大名が幽斎を困らさうと思つて、どうぞ歌一首のうちに「ひ」の字を十入れて作つてみてほしいと、難題をいひ出した。幽斎はちよつと思案をしたが、こんな手品師のやうなことは平素ふだん仕馴しなれてゐるので、何の苦もなく、
「日の本の肥後の火川の火打石
   日日にひとふた拾ふ人人」
んでみせた。大名はこりずまにまた難題を出して、今度は歌一首のなかに「木」を十本詠み込んでみせてほしいといひ出した。箱庭作りのやうに器用な幽斎は、何の雑作もなく、
「かならずと契りし君が来まさぬに
   強ひて待つ夜の過ぎ行くは憂し」
と、有り合はせのならとちと桐としきみと柿と椎と松と杉とと桑とを詠み込んで見せたものだ。すると、大名はぜんまい仕掛しかけ玩具おもちやでも見せられたやうに首をひねつて感心してしまつたといふことだ。
 歌の話が出たから、これは幽斎のではないが、今一つ歌の話をつけ加へよう。連歌師の山崎宗鑑がある時さるお公家さまを訪ねたことがあつた。公家は宗鑑に、自分は近頃えらい発明をした、それは歌のどんなかみの句にでもくつゝけることの出来るしもの句だと、出来ることなら農商務省に願ひ出て専売特許でも取つておきたいやうなことをいひ出した。宗鑑がどんな句だと訊くと、公家は自慢さうに、
「といふ歌はむかしなりけり」
といふのだと答へた。宗鑑は鼻の上に皺をよせて笑つた。
「御前、これはやつぱりお公家さまのお詠みになつた下の句でございますね。私共の方ではちと趣向が違ひまして、かういふ下の句をつけます。」
といつて「それにつけても金の欲しさよ」といふ句を書いてみせた。公家はそれを口の中でよんでみて、そしてそれを自分の知つてゐる古今集や百人一首のいろんな歌にくつゝけてみた。ところが妙なことには、この下の句はどの歌にもよくついて、少しも縫目がみえなかつた。
「……それにつけても金の欲しさよ。」
 実際よくつくと思はれたのに不思議はなかつた。そのお公家さんは、貧乏な宗鑑と同じやうに金が欲しくて仕方がなかつたのだから。
 今一つそんな話をつけ足させてもらはう。――こなひだの欧洲戦役の当時、ある英国の軍医が、アメリカの野戦病院を見舞つたものだ。すると、泣きつらや、しかめつ面やの病人たちのなかに、たつた一人機嫌よささうににこにこ顔で病床に横たはつてゐる一人の年若な傷病兵が眼についた。傷はかなり重いらしかつた。
「何か御用はないかな、あつたら何でも伺ふよ。」
 軍医は患者の顔を覗き込むやうにして言つた。
「有り難う。是非伺ひたいことがあるんですが、……」傷病兵は相変らずにこにこしながら言つた。「あなたならきつと教へて下さるでせうよ。」
「伺はうぢやないか。言つて御覧。」
 軍医は短い口髯を引つ張つた。それを横目に見ながら、病人は口早に次のやうにまくし立てた。
“Well, doctor, when one doctor doctors another doctor, does the doctor doing the doctoring doctor the other doctor like the doctor wants to be doctored, or does the doctor doing the doctoring doctor the other doctor like the doctor doing the doctoring wants to doctor him?”


王室の埃は果報者

7・2
サンデー毎日

 仏蘭西のルイス十五世の皇后が、ある時ふだん自分のあまり使つたことのない公式用の寝台の上に、小さなごみを見つけたことがあつた。皇后は一寸美しい眉を寄せた。時を移さず皇后宮大夫たいふは御前に呼び出された。皇后は黙つて可愛かあいらしい指でそのごみを指ざして見せた。皇后宮大夫は二三度お辞儀をしたと思ふと、次に控へた皇后宮附の御寝間係を呼出した。御寝間係はそのごみを見ると、顔を真赤にしてそのまゝ御前をさがつて行つたが、一時間程経つと国王附の御寝間係を連れてまたはいつて来た。そして御寝間の上に残つてゐるくだんごみを見せて、一刻も早く取りのけた方がいゝと、権柄づくに言渡した。国王附の御寝間係は頭を横にふつた。
「そんなことは私の仕事ぢやありません。私は職責として皇后の宮の御ふだん用の御寝間こそ手にかけてゐますが、公式用の方は私がお触り申すことすら出来ないことになつてゐるのですから、この始末はどなたかほかの方でありませんと……」
 皇后の宮はその言葉に一応道理があるやうに思はれたので、誰が係なのか、それをよく吟味して、その者に件のごみの始末をさせるやうにと仰せられた。その後係の者を調べるためにいろんな会議が開かれて、二月ほどむだな月日が経つた。皇后の宮は大夫を召出されてごみはどうなつたかと訊かれた。大夫は丁寧にお辞儀をした。
「申訳がございません。引続きかれこれ詮議は致して居りますが、まだ係の者が判り兼ねますので、ごみはそのまゝ差し置いてございますやうな次第で……」
 とうと、皇后の宮はある朝御自分で刷毛はけをもつてそのごみを払ひ落とされた。ごみはすぐに見えなくなつた。


美術批評家と夏蜜柑

7・9
サンデー毎日

 日本の宴会には、よくお客同志の余興づくしといつたやうなものがあつて、それあるがために自分の隠し芸を、人前に押し売りをする事の出来る楽しみもあるが、どうかすると、自分が芸無しのために飛んだ恥をかゝされることがよくある。亡くなつた山路愛山が、ある時何かの宴会で相客からうるさく隠し芸をせがまれて、例のきらひから、丁度夏座敷だつたので、女中に台所から冷し素麺そうめんの桶を持ち込ませて、それをいきなり頭からひつかぶつて、素麺の雨の中から鵞鳥のやうな苦しい声を振絞つて、
「これは鯉の滝のぼりでござい。」
といつたさうだが、お蔭で座敷は水だらけになつて、一座は白けてしまつたさうだ。
 最近日仏交換展覧会の用事をすませて仏蘭西から帰つて来た久米桂一郎氏が、まだ若盛りで白馬はくば会の仲間達と一緒にはしやぎまはつてゐた頃こんなことがあつた。それも宴会での出来事だつた。
 久米氏は――美術批評家に対して、顔の棚下しをしてはなはだ相済まない次第だが――人も知つてゐる通り口が大きくあごが突つ張つて、俗にいふえらの出た顔で、あんぐり口をいたら、ラルウスの仏語辞典でも詰め込めさうな大きさである。宴会の芸づくしは廻り廻つて久米氏の番になつた。氏はやをら座を立つて座敷の真中に坐つた。そしてポケツトから大きな夏蜜柑を一つ取り出して掌面てのひらにのせた。
「お目通りがかなひましたら、これからこの夏蜜柑を丸ごと口の中に頬張つて御覧に入れます。」
 かう言つて、久米氏は件の夏蜜柑をそろそろ口の中に押し込みかけた。皆はをかしさに手を打つて笑ひ興じた。久米氏の口も大きかつたが、夏蜜柑はそれよりもまだ大きかつたので、七分がた口の中にはいりははいつたが、残りの三分がまだ歯の外にはみ出してゐた。
「久米君もつとしつかりやつてくれ、まだ半分ばかし残つとるぢやないか。」
 誰かが戯談ぜうだん半分にそばからわめいたものだ。すると、酔つたまぎれの久米氏はいきなり栂指おやゆびをもつて蜜柑をむりやりに口の中に押し込んでしまつた。
「あざやかだ。あざやかだ。」
 皆がやんやと褒めそやすと、それにつれて久米氏は二三度手をふつて踊るやうな真似をしたが、急に息づまりさうになつたと見えて、両手の指先を口の中に突つ込んで蜜柑を取り出さうとするらしかつたが、口一ぱいはさつた蜜柑はどうしても取り出しやうがなかつた。見てゐるうちに、久米氏の顔は真青になつた。額からは汗がたら/\と流れた。鼻はふいごのやうに激しい息を吐いた。皆はうろたへ出した。
「駄目だ、駄目だ、前歯をすつかり抜かなくちや駄目だよ。」
「背中を金槌でどやしつけたら、一息に吐き出さないかしら。」
「こりやとても駄目だ、助かりつこはない。早く親類にでも知らせてやらなくちや。」
 こんな風な言葉があたりから取り交はされた。久米氏の眼からは涙が流れた。鼻からははなみづが流れた。口からはよだれが流れた。美術批評家の最期は、こんなに惨めで、こんなに滑稽なものかと思はれた。すると、今まで黙つて見てゐた智慧者のM氏がついと立ち上つたと思ふと、ポケツトから鉛筆削りの小刀ナイフを取り出して、いきなり久米氏の口の中に突つ込んだ。
「危ない。何をする。」
「かうするんだ。」
 M氏は外科医のやうに落ちつき払つた態度で、夏蜜柑の肉を切り取つてそれを久米氏の口から引つ張り出した。こんなわざを二三度するうち、口の中がやつとゆとりがつくやうになつた。久米氏は指を突つ込んで残つた夏蜜柑の臓腑をやつとこさで引き出すことが出来た。
 お蔭で生命いのちだけは取り止めた。それ以来氏は夏蜜柑の顔を見ると、急に虫がかぶるやうに顔を真青にするやうになつた。


滑稽作家演説を盗まる

7・23
サンデー毎日

 マアク・トヱンといへば、米国切つての滑稽作家で、この人の著作は日本では学校の教科書にも使はれて居るし、また飜訳もかなりたくさん出来てゐる。この滑稽作家がある時政治家のデピユウ氏と同じ船に乗つて英国へ渡つたことがあつた。デピユウ氏は一八六六年ごろ駐日公使として日本にも来たことのある人で、紐育埠頭ニユーヨークはとばの自由の像の除幕式には、わざ/\選ばれてすばらしい演説をしたこともあるし、また自分の演説集をも出版してゐるしするから、お喋りの多い米国の政治家仲間でも、演説のうまいので聞えた男である。この二人の評判男が乗り合せてゐるといふことは、船出の初めからお客達の噂になつてゐたが、船が海へ乗り出して二三日すると、誰が言ひ出したものか、この二人をんで一つお話でも承はらうぢやないかといふ相談が持ち上つた。
 会はすぐに開かれた。滑稽作家と雄弁な政治家とは主賓として招かれた。主人側の肝煎きもいり役が言葉叮嚀に二人の卓上演説を促すと、マアク・トヱンはやをらち上つて、持前の皮肉や諧謔やを取り交ぜて二十分ばかりしやべつた。演説はすばらしい出来だつた。皆は手を拍つて笑ひ崩れた。そして口にこそ出さないが、こんな感興のあとでは、デピユウ氏のやうな場慣れた演説家でもさぞやりにくいに相違あるまいと思つた。デピユウ氏は起ち上つた。
「御主人役を初め淑女紳士諸君……」この名代の演説家は、落着き払つた態度で口を開いた。「今日お招きにあづかつてこの席に参りまする少し前、私とマアク・トヱン君とは一つお互に演説の取り換つこをしてみようぢやないかと申し合せをいたしました。只今マアク・トヱン君が申し上げましたのが、紛れもない私の演説でございますが、それに対して皆様から過分な御拍手をいたゞいて、わたし身に余る光栄だと存じて居ります。さてこれからお聞きに達しまするのが、実は名誉ある文学者マアク・トヱン君の演説なのでございます……」
 かう言つて、デピユウ氏は演説の草稿を取り出さうとするらしく、ポケツトへ手をやつたが、急にあわてたやうな素振を見せた。
「甚だ粗忽千万な次第で、申し上げにくいわけでございますが、実はマアク・トヱン氏からいたゞいてゐた演説の草稿をこの隠しに入れたまゝ、つい紛失してしまひましたので、この場合何一つ申し上げることの出来ないのは、皆さまに対して、また友人に対して甚だ申訳のないことでございます。」
 かう結んで、この雄弁家は腰を下した。皆は一度にどつと笑ひ崩れた。滑稽作家はその場の模様を見て呆気に取られて、目をぱちくりさせてゐた。
 次の日マアク・トヱン氏が甲板を歩いてゐると、一人の英国人がつか/\と近寄つて来た。その人は昨夜ゆうべの席で一番大きな声で吹き出してゐた男だつた。
「先生、昨夜はお気の毒でしたな。」その男はこの滑稽作家をいたはるやうに言つた。「ですが、評判と事実とは違ふもので、私はあのデピユウさんがえらい雄弁家だとはかね/″\聞いてゐましたが、先生のなすつたあの人の演説を聞いてすつかり失望してしまひました。奴さん、よつぽどこゝが悪いやうですね。」
 かう言つて、その英国人は太い指で自分の頭を指ざして見せた。それを見てマアク・トヱンは厭世家のやうに悲しさうな顔をした。そしてまたしても眼ばかりぱちくりさせた。


劇作者と舞台監督

7・30
サンデー毎日

 日本の芝居では、近頃見物がこれまでの出し物に飽きて来たところから、頻りと新作を歓迎して、書きおろし物とさへいへば、どんなまづいものをでも板にのぼせてゐるので、一つ二つ自分の作が演ぜられると、もういつぱしの劇作家か何ぞのやうに気取つたものの言ひ様をする新作家が、そこらにちよいちよい見つかるやうになつた。ほんとうにめでたいことである。
 それとはちがつて、これは亜米利加の話であるが、あちらにダ※(濁点付き片仮名ヰ、1-7-83)ツド・ベラスコといふ舞台監督がゐる。ある日かねて見知り越しの男が訪ねて来たので、舞台監督はきさくに会つてみた。その男は言つた。
「私の友人のスミスといふ男が、こなひだ三幕物の喜劇を御覧に入れた筈ですが……」
「ええ、そんな事がありました。あの方があなたのお友達でしたか。」舞台監督は上等の葉巻を吹かしながら言つた。「その喜劇は一昨晩でしたか、あの方に本読みしていただきました。承はつたのは私と俳優二人と都合三人でしたつけ。」
「本読みの結果はどうでした。お気に召しましたか。」
 お客は気づかはしさうに相手の顔を見た。これまで数へ切れないほど度々たび/\そんな眼つきで顔を見られた事のある舞台監督は、こんな場合にはどうしたらいいかといふことをよく知つてゐた。それはしきりと葉巻の煙を吹かしながら、せいぜいかけかまひのない顔をしてゐればいいのだ。
「お気に召しましたか知ら。」客は言ひにくさうに言つた。
「正直にいふと……」舞台監督は強ひて正直らしい口もとをしながら答へた。「私達三人の意見はあのなかで一幕は無駄だといふ事に一致してゐました。」
「はあ、さうでしたか。して、どの幕が無駄だとお考へになりました。」
 その男は舞台監督の気にかなつて、板にのぼすことが出来るのだつたら、友達の作者に勧めて、一幕位はどんなにでもして刈りこましてもいいと考へてゐるらしかつた。
「どの幕つておつしやるのですか……」舞台監督は気の毒さうに言つた。「ところが私達の無駄だといふ幕は、三人が三人ともちがつてゐるんですからね。」


文豪の原稿

7・30
サンデー毎日

 紀州に光明寺といふ黄檗わうばくの寺がある。が、そこの開山かいさんは円通といふ草書にたくみな坊さんだつた。ある人がこの坊さんから手紙を貰つたが、どうしても読み下しにくい箇所があるので、わざわざ光明寺を訪ねて、和尚にその手紙を見せたものだ。すると、和尚は幾度かくりかへしてその手紙を読んでゐたが、とうとう投げ出すやうに、
「わしが書いたには相違ないが、どうにも読み下しやうがないわい。幸ひ弟子にわしの書いたものをよく読みわけるのがあるよつて、そいつに見せたがよからう。」
と言つたさうだ。こんな風に自分で自分の書いたものが読めないのも少からうが、トルストイの原稿なぞも、夫人の外には読みこなす人が少く印刷所の植字工などの手にはとてもおへなかつたので、この人の原稿はすつかり夫人の手で書き直されたといふことだ。
紅文字スカアレツト・レタア』の著者ホウソルンもずゐ分わからない文字を書いた人で、この人の遺稿にはかなり価値ねうちのあるものものこつてゐるが、それが今だに出版せられないのは、誰一人十分読みこなせる人が居ないからださうだ。
 カアライルも名高い悪筆家で、この人の原稿にはどんな植字工も困らされたものだ。ある時倫敦ロンドンの印刷屋が蘇格蘭スコツトランドからすてきに腕の優れてゐる植字工を一人よんで来た。仕事始めに職工の手に渡されたのは、外でもないカアライルの原稿だつた。すると、それを一目見た職工はうなされるやうな声を出した。
「また此奴こいつ出会でくはしたんだな。」職工はいきなりその原稿を卓子テーブルの上に叩きつけた。「此奴から逃げ出したいばかりに、わざわざ倫敦くだりまで出掛けて来た俺ぢやないか。」


ビステキが食ひたさに牛を殺すとは

8・6
サンデー毎日

 チヤアアルズ・シユワツブ氏は今では閑地で遊んでゐるらしいが、戦時中はアメリカ切つての働き手として、その凄い腕つぷりをみせたものだ。そのシユワツブ氏が、ある時自分の古い別荘をとりのけて、その跡へ新しいのを建てかへようとしたことがあつた。シユワツブ氏は、これまでの古い家を、今はもうそれにえうがないからといつて、ばらばらにこはすことを好まなかつた。出来ることならそのまゝそつくり屋敷のどこかへ持つてゆきたいらしかつた。それについて難渋なのは、家の周囲まはりにたくさんな立木たちきがあることで、それをいためないでは家を動かすわけにゆかないらしかつた。で、そんなことに経験のある請負師が呼ばれて、相談にあづかつた。請負師は困つたやうにいくたびか立木のなかを見あるいてゐたが、やがてシユワツブ氏の前へ出て来たをりには、晴々しい顔つきをしてゐた。
「旦那雑作ざふさもないこつてす。たつた三本だけ庭木をないものと思つていたゞきやせう。」
「なに、庭木を三本だけないものと思へつて。」シユワツブ氏は苦い顔をした。「つまりビステキが食べたさに、うちの飼牛を殺せといふんだな、わしにそんな真似が出来ると思ふのか。」
 請負師はビステキのやうに顔からあぶら汗を流した。そして主人公のいふがまゝに、高い足場を組み立てて、古い家をうんと持ち上げて、庭木の枝一本折らないで、やつとこさで頭越しに屋敷のほかの場所へ持ち運ぶことにしたさうだ。庭木をいたはる心がけは殊勝なことだが、大きな別荘をそのまゝそつくり持ち上げて、庭木の上を持つて運ぶなど、アメリカ人でないと一寸思ひつきさうもないことである。

 そのシユワツブ氏が、ある時黒ん坊の運転手と肩を並べて、同じ運転手台に腰を下して、紐育ニユーヨークの街を走らせてゐたことがあつた。すると、街を通り合せた二人の紳士があつたが、その一人が自動車を指ざして、
「あれ、あの車に名高いシユワツブさんが乗つてゐる。」
といつたものだ。すると、今一人の紳士は、
「なに、シユワツブさん? どちらがね?」
胡散うさんさうにいつて、駈けてゆく自動車の運転手台を見たさうだ。それをちらと小耳にはさんだシユワツブ氏は、長い一生を通じてその瞬間ほど、どやしつけられたやうな思ひをしたことはないといつたさうだ。運転手台には黒ん坊と氏とたつた二人しかゐなかつたのである。


牧師の悪妻

8・6
サンデー毎日

 親鸞聖人しやうにんの室玉日たまひ姫のむかしは別だが、今の世には僧侶や牧師の女房にろくな女は見つからないやうだ。アメリカのメソヂスト派の牧師にバツクレエ博士といふ爺さんがある。この爺さんがある時南合衆国の方へお説教にいつて、そこにある亜米利加印度人のある教会で信仰談話会に列したことがあつた。
 すると、一人の色の黒い女が真先に立つてお話を初めた。女は厚い唇から唾を飛ばしながら、宗教は私のやうな見るかげもないものに迄光を与へて下すつた、慰めを与へて下すつた、安心を与へて下すつた、そして又家庭に平和を与へて下すつた、といひ出した。そのまゝ黙つて聞いてゐたら、女は郵便切手や銀行の小切手のやうなくだらぬものまで神様にねだり兼ねないやうに思はれたので、博士は両手で押へつけるやうにして、横から口を出した。
「奥さん、それは御結構なことですが、実際方面では如何いかがですかな。あなたの宗教は御主人への御飯仕度に多少とも効能ききめがございましたかしら、御主人はあなたが宗教をお信じになつてから、ずつとお幸福しあはせでいらつしやいますかしら。それから……」
 バツクレエ博士がなほも言葉をつがうとすると、だしぬけに誰とも知らず横から腰のあたりをつくものがあるので、博士はあとを振向いて見た。するとそこには色の黒い土地ところの牧師が遠慮さうに首をすくめて縮こまつてゐた。
「先生、どうぞ御質問はそのくらゐにして頂きたいものですね。実はあの女は手前の女房かないでございますので……」
 さすがの博士もそれを聞くと、苦笑ひするより外に仕方がなかつた。なぜといつて、その牧師は女房のこしらへてくれる御飯だつたら、どんなものにでも舌鼓を打ちさうな顔をしてゐたから。


ナポレオンの人差指

8・13
サンデー毎日

 大和薬師寺の境内から発見されて、国宝の一つとなつてゐる吉祥天女の絵像は、今では日本の美術史の上で、なくてはならない代表作となつてゐるが、あの天女の指は、不思議なことに右左とも六本づつある。ある人は、あの絵について、あれは当時に名前の高かつた高貴の人をモデルにとり、その人が指が六本あつた所から、あの天女も六本指にかれたといふやうなことではなからうかといつてゐるが、どうかするとそんな理由わけから指が一本づつ多くなつてゐるのかも知れない。
 指といへばトルストイの書いた『戦争と平和』によると、大ナポレオンの手は皮膚が柔らかで、色白で、いつも天瓜粉てんくわふんの匂ひがぷんぷんしてゐたさうだ。そして指の節々ふし/″\が女のそれのやうにふつくりしてりがはいつてゐたさうだ。あのすばらしい英雄が、かうした娘つ子のやうな指を持つてゐたかと思ふと、一寸をかしくなるが、それよりも不思議なのは、あの人の人さし指は中指よりもいくらか長かつたといふことである。人さし指が中指より長い人はまれにあるが、その中で万人にすぐれた男は、ナポレオンの外には先づないといつてもいい。
 今一つ指といへば、徳川時代の名高い国学者上田秋成は子供の時疱瘡を患つたとかで、右手の中指が小指よりも短かく、また左手の人さし指も丁度同じ位の長さで、とても指の働きはしなかつたといふことだ。こんなわけで小さい時から不具者扱ひにせられて、書などあまり習はなかつたものださうだが、それでも晩年になると、心まかせに書いたのが面白いといつて、しやの間にかなりもてはやされたものだ。すると自分でもついその気になつて、いつぱしの書家気取りに、随分揮毫をもすれば、また人の頼みに応じて、自分の著作のうちで刊行にならない書物を筆写して、そのお礼で生計のみちを立てたこともあるといふことだ。


仏国小説と米国

8・13
サンデー毎日

 仏蘭西のアルフオンス・ドオデエがその傑作『サツフオ』で文壇に乗り出して、一そく飛びに大家になつた時のことである。紐育ニユーヨーク書店ほんやでふだん宗教物ばかり出版してゐる店が、欧羅巴ヨーロツパのいろんな国から、その代表的作家の代表的作物さくぶつを選んで何々叢書といつたやうな小説集を出版しようともくろんだものだ。そして仏蘭西からはその代表作家としてドオデエが選ばれた。
 ドオデエから送つてよこしたのは、丁度そのころ出版したばかりの『サツフオ』であつた。本屋はその飜訳をかねて昵懇なじみのある物堅い牧師さんに頼んだ。牧師さんはそんな風な書物を読むのは多分初めてであるらしかつた。読んでみると、男と女のみだらなことがちよいちよい書いてあつたのでびつくりした。で、早速本屋に駈けつけて来て、こんな書物を飜訳したら、アメリカ中は今に果物のやうに腐敗してしまふと、顔色をちがへて意見立てをしたものだ。本屋はすぐに原作者宛てに電報を打つことにした。
 電報が巴里に着いた時には、ドオデエは先輩や友達と一しよにある料理店で御馳走を食べてゐた。一座の顔触れは、ヴイクトル・ユウゴウ、そのお弟子で始終赤いシヤツを着て、仏蘭西のロマンチストは自分で御座ると言つた風に、胸をそらして巴里パリーの町を濶歩してゐたテオフイユ・ゴオテエ、それからそのころずつと巴里に滞在してゐた露西亜のツルゲネエフといつたやうな人達だつた。その人達は、その日もドオデエの新作を褒めそやしてばかりゐた。そこへ使つかひが持つて来たのが、紐育の本屋からの電報だつた。『サツフオ』の作者は胸を躍らしながら封を切つた。なかには、
“Sapho objectionable”
といふ言葉があつた。思ひ上つてゐたドオデエには第二の言葉の意味がどうしても解らなかつたので、変な顔をして電報をそのまゝ卓子テーブルの上にり出した。皆はどれ/\と覗きこむやうにして電報の文字を拾つた。アメリカの小うるさい道徳的標準なぞ、少しも気にかけてゐない欧羅巴の小説家には、何のことやら皆目解らなかつた。飲みさしの葡萄酒のコツプを手に持つたまゝ仔細らしい顔をして、ぢつと考へこんでゐたツルゲネエフは、暫くすると、
「あゝ、やつと解つたよ。」
といつて、ドオデエの顔を見た。その説明によると、これは多分発信人が仏蘭西語と英語とをごつちやに使つたからだといふのだ。なるほどさう聞けばそんなやうな気もした。で、早速紐育の本屋宛に電報を打つことに決めた。電報の文字は、
「モツトワカリヤスクツヅレ」
といふのだ。電報を出してしまふと、
「どうもアメリカの田舎つぺえには困つちまふ。」
といひいひ、みなうまさうに葱のにほひのするスープをちゆうちゆう吸ひ出した。


素的に短い大演説

8・20
サンデー毎日

 亜米利加の前大統領ウヰルソン氏は名だたる雄弁家だが、いつだつたか演説について話しをして、
「一時間位の長さの演説だつたら、即座に出来る。二十分程のものだつたら、二時間の準備が要る。しか五分間演説だつたら、一日一晩の支度がなくつちや。」
と言つたことがあつた。実際演説といふものは、短ければ短い程骨が折れるものだ。
 その短い演説を誰よりもたくみにやりおほせたといつて、ある時それを自分の女房に自慢した男があつた。それは Joseph Choate といふ亜米利加の法律家出の外交官であつた。
「短い演説はむつかしいものだとむかしから言ひ伝へてきたものだが、わしはずつと以前ほんとに短い演説で、すばらしく立派なのをやつたことがあつた。演説はたしかに大受おほうけだつたよ。」
といつて、この外交官は眼鏡越しに夫人の顔を見た。夫人はせつせと編物をしながら、おつきあひらしく返事をした。
「さう、それは結構だつたのね。そして聴衆ききては幾人位あつたの」
聴衆ききてかい。」外交官は胡散うさんさうにおとがひまはりを撫で廻した。「聴衆ききて[#「「聴衆は」は底本では「聴衆は」]たつた一人だつたよ。」
「え、たつた一人……」夫人は編物の手をめて夫の顔を見た。「そしてその一人はどんな方だつたの。」
「若い、美しい女だつたよ。」
 外交官はわざと落着き払つて言つた。
「まあ、若い女の方で、その方に、あなたどんな話しをなすつたの。」
 夫人は険しい目附をして夫を見た。若しか夫の顔のどこかにほころびでもあつたら、すぐに編針でもつてつづくりでもしさうな権幕であつた。夫人の膝からは毛糸の玉が小猫のやうに転がり出した。
「私は貴女あなたを愛します。と言つただけだつたよ、話しは。」
「まあ。そんなことを言つたの。そしてその人は今どこにゐらつしやるの。」
「今こゝにゐらつしやるよ。」外交官は節々ふし/″\の高い指で皺くちやな夫人の顔を撫で廻した。「演説はたしかに大受けだつたね。」
「ふ、ふ、ふ……」

自動車王と小供

8・20
サンデー毎日

 米国の次期の大統領選挙に共和党の一候補者として、ミシガン州のデアボーン倶楽部から推されてゐるのは、人も知る自動車王のヘンリイ・フオウド氏である。その自動車王が昨年だつたか、夏の真中まなかに友達のいくたりかと一緒に、自分の持地もちちである華盛頓ワシントン州のある森へ野宿に出かけたことがあつた。森に着くと、自動車王はすぐにシヤツ一枚になつた。
「これからたきぎの用意をしなくつちや。」
 かういつて、自動車王はのこぎりを持つて木立のなかへ駆け出して行つた。すると、先刻さつきから一行を出迎へに来てゐた、自動車王の持地の隣りに住んでゐるリイといふ男の小忰こせがれあとを追うて森の茂みに姿を隠した。
 二人は一緒になつて、そこらの木をり倒して、それをたきぎいた。自動車王は少し挽き疲れたので、あたりの切株に腰を下した。そして掌面てのひらにへばりついた鋸屑おがくづの儘で、額の汗を押しぬぐつた。
「お隣りの坊ちやん……」自動車王は傍でせつせとたきぎを挽いてゐるリイ氏の忰に話しかけた。「坊ちやんは知つてるのかい。君が今一緒にたきぎを挽いてるのが、米国切つての自動車王ヘンリイ・フオウドさんだつてことをさ。」
 それを聞くと、隣りの小忰は急に鋸をやめた。そして猿のやうに小ざかしく顔をふり向けた。そして自分の傍に立つてゐるのは、自動車王だらうが、白樺の木だらうが、そんなことはどうでもいゝと言つた風に返事をした。
「フオウドさん、そんならあなたも御存じなのですか。こゝで今一緒にたきぎを挽いてゐるのが、リイさんのむすこだつてことをさ。」
 自動車王は鋸の腹で横面よこづらを張り飛ばされたやうに目を白黒させた。
 そんな話しを今一つしよう。――欧洲戦争の以前、亜米利加生れのある女が独逸へ旅行して、ある機会にさきの皇太子に会つたことがあつた。皇太子は立派な宮殿のなかを方々案内し廻つた末ホオヘンツオレルン家の御先祖の肖像がづらりと並んだあるしつにはいりながら言つた。
貴女あなたのやうな亜米利加生れの方には一寸合点がてんがつき兼ねるでせう。私は自分の先祖調べをして、二十六代まで調べ上げることが出来るんですからね。」
 亜米利加女は女猿めざるのやうに白い歯をむき出した。
「それは御結構ね。ですが、そんなこと以外に、あなた何がお出来になるの。」


自分の葬式に自分で葬歌を唱ふ

8・27
サンデー毎日

 英国の詩人ジヨン・キイツは、死ぬる間際に友達に向つて、自分の墓には、
「ゆく水に名を書きし人ここに眠る」
とだけ書いてほしいと遺言した。こなひだ亡くなつた鴎外森林太郎氏は、墓にはなんにも記さないで、唯「森林太郎墓」とだけ書いてくれ、忘れても墓の字の上に「之」を書き入れるぢやない、文字は中村不折氏に書いてもらつてくれと言ひ遺したさうだが、音楽家が楽器を気にするやうに、文字の遣ひ方にひどく神経質だつた人だけに、死ぬる間際にも「之」の字一つが気になつてならなかつたものらしい。中村不折氏に墓碑の文字を頼んだのはどういふものか、この頃アメリカの新聞で見ると、紐育に住んでゐるある男は、自分が大病にかかつて、もうとても助からないと気が付くと、寝床に横たはりながら大きな声でお葬式の讃美歌をうたつたものだ。そしてそれをレコードに取つて、自分の葬式にはにも要らないから、たゞこのレコードだけをかけて、その讃美歌のなかに儀式を済ませてくれと遺言して亡くなつた。葬式は遺言通りに自分のうたふ讃美歌で自分の屍骸を葬ることになつたさうだが、鴎外氏もいつそのこと、自分で自分の墓碑を書き残しておけばよかつたのに。
 名高い京都の陶工青木木米もくべいは、自分の職業柄日本はいふに及ばず、支那南蛮の物まで、良土といはれる土は大抵集めてゐたさうだが、いつも戯談ぜうだんまじりに、
「わしが亡くなつたら、どうかあの倉のなかにある方々の土を加茂川の水でねて、その中へわしの屍骸を入れて一つ土団子つちだんごをこしらへてくれ、そしてそれを三よさ栗田あはたかまで焼いた上、京北きやうきたの山の中に埋めて貰へば外に何にも思ひ残すことはないわさ。」
と、言ひ言ひしたもので、それを聞く人もそれは面白からうといつて笑つたものださうだが、さてほんとうに亡くなつてみれば、陶工とは言ひ条、まさか屍骸を土と一緒に捏ねるわけにもゆかないで、葬式は世間並にしてすませたさうだ。


滑稽作家の諧謔

8・27
サンデー毎日

 滑稽作家マアク・トヱンが、いつだつたか英国通ひの汽船に乗り込んで、その喫煙室ですぱすぱやつてゐたことがあつた。しつ一杯に溢れた白いけぶりの中には、いろんな顔が見えて、しきりと何か話し合つてゐるらしかつた。作家は聞くともなしに耳を傾けると、皆は万一この船が航海の途中で火事でも起すやうなことがあつたら、どうして助かつたものだらうといふことをしきりと話し合つてゐるのだつた。それを聞くと、この滑稽作家が持前の悪戯いたづらはむくむくと頭をもちあげかゝつた。作家は一膝のり出した。
「皆さん、承ると火事のお話らしいが、火事といへば私にはずつと以前の手柄談てがらばなしがつい昨日きのふでもあつたことのやうに思ひ出されます。それは丁度私が泊つてゐたあるホテルの火事でしてね……」
 マアク・トヱン氏は以前のことを思ひ出すやうな目つきをして、ちよつと葉巻に口をあてた。皆は黙つてこの話上手の顔を見た。
何分なにぶんのことでしたから火足はかなり速く、皆が火事だと気が付いた頃には、ホテルはもう一面火に包まれてゐました。見ると、第四階の露台バルコニーに老人が一人けぶりに包まれて立つてゐるぢやありませんか。あゝ老人がゐる。四階目の露台バルコニーに老人が一人残つてゐる。どうかして助けてやらなくつちやと、口々に我鳴りたてるが、誰一人どうしていゝかは解らないのです。梯子はしごといつたところで、とてもとゞきやうがないし、皆はあれあれといふばかりで、じつと火の行方ゆくへを見つめてゐました……」
「恐ろしいことだ、人の焼け死ぬるのを目の前に見るなんて……」頭の禿げた銀行家らしい男は、うなるやうに言つた。
「全く恐ろしいことでした……」滑稽作家はその男の頭を見ながら、お愛相あいさうのやうに一つうなづいてみせた。「ところが、その一刹那に私の頭にある考へが電光いなづまのやうにひらめきました。
 縄をくれ、縄を……
 私はかう叫びました。誰だか長い縄を持つて来てくれたので、私はその端つぽを握りながら、非常な力でもつて縄の片端を老人に投げつけました。老人はうまくその縄にとりつきました。
 その縄でお前さんの腰を縛るんだ。
 かう私が下から怒鳴ると、老人は教へられた通りに腰を縛りました。それを見すまして私は力一杯に老人を四階の露台バルコニーから下に引きずり落しました。お蔭で老人は助かりました。」
 皆は感心したやうに溜息をついた。なかには何かひそひそ小声でさゝやくものもあつたが、滑稽作家はこの様子を見て、可笑をかしさにたまらぬやうに、つとち上つてけぶりの中から次のしつに逃げ出して行つた。





底本:「完本 茶話 下」冨山房百科文庫、冨山房
   1984(昭和59)年2月28日第1刷発行
   1988(昭和63)年7月25日第7刷発行
底本の親本:「サンデー毎日」
   1922(大正11)年4月23日〜8月27日
初出:「サンデー毎日」
   1922(大正11)年4月23日〜8月27日
※〔〕内の編集者による注記は省略しました。
入力:kompass
校正:仙酔ゑびす
2014年10月13日作成
青空文庫作成ファイル:
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