茶話

大正十五(一九二六)年

薄田泣菫




堪忍といふ事

9・1
苦楽

 むかし、ある物識ものしりが、明盲あきめくらの男を戒めて、すべて広い世間の交際つきあひは、自分の一量見をがむしやらに立てようとしてはいけない、相身互ひの世の中だから、何事にも、
「堪忍」
の二字を忘れてはならぬと話したことがありました。すると、明盲の男は不思議さうに頭をかしげて、
「お言葉ですが、堪忍の二字とおつしやるのは何かの間違ひではございますまいか。
『かんにん』
と申すと、丁度四字になるやうで……」
と、自分の指を一つづつ四本折つて見せました。
 物識りの男は、可笑をかしさに噴き出したくなるのをこらへて、
「いや、違ふ。堪忍とは、『たへしのぶ』とんで二字で出来てゐるのだ。」
と言つて、聞かせました。
 すると、聞いてゐた男は指を折つて数をよみながら、一層腑に落ちなささうな顔をしました。
「たへしのぶ――なら、また一字殖えて五字になりましたが……」
 相手が余りわからないことを言ふので、物識りの男はむつとしました。その気色けしきを見てとつた明盲は、にやにや笑ひながら、
「ともかくも、堪忍は四五字と心得まして、その四五字を忘れぬやうに心掛けませう。いや、ありがたうございました。」
と、お辞儀を一つしました。
 物識りはかつとなりました。
「まだ四五字だと強情を張るのか。貴様のやうな馬鹿者はとても手におへん。いぬと同じだ。いや、猫だ。蟷螂かまきりだ。もうこれからは一切構ひつけぬから、勝手にするがいい。」
 火のやうに真赤な相手の顔を見上げて、一人は端然と控へたままで、
「どんなに悪口あくこうかれようと、一向腹は立ちません。こちらは堪忍の四五字を心得てゐますからな。」
と、冷やかに言つたといふ話があります。

 柳里恭りうりきようといへば、聞えた遊び好きのね者ですが、この人は京都から大阪へ遊びに来るのに、いつも夜船よぶねに乗つて淀川を下つて来ました。そして帰りにもきつと夜船を選ぶことにきめてゐました。ある人がその理由わけを訊くと、里恭は急に真面目な顔になつて、
「あれは堪忍の修業を重ねたいからぢや。」
と答へたさうです。
 柳里恭が大阪の華やかな街でどんな遊びをしてゐたかは、大抵推察が出来ますが、そんな陽気な遊びをしながらも、きかへりにはきつと夜船に乗つて、堪忍の修業をしてゐたのです。乗合ひの夜船といへば、膝を折り、脚を縮め、互ひに他人の脚を枕に押し合ひへし合ひ、折角ねむらうとすればもしもしと呼び起され、少しとろとろしたと思ふと、頭を毛脛けずねで跳ね飛ばされなどして、一寸ちよつとも不自由な思ひをしないことはない。かうした混雑のなかでは、皆が互ひに堪忍してゆかなければ、とてもをさまりがつくものではありません。その心掛を自分に体得したいと思つて、里恭はわざわざ窮屈な淀の夜船を選んでのぼくだりをしたものと思はれます。

 アメリカの Marion Crawford は、子供の頃余り激しい癇癪持なので、それがため家族も苦しめば、自分自身も弱りぬいてゐました。兄弟の一人にどうかすると Marion のこの性質をなぐさみにして、何かの拍子に彼をつゝついては怒らせてみようとするのがありました。その度に彼の気象は爆発しました。そしてけもののやうに荒れ狂ひました。
「こんなことではいかん。何とかして直さなきや。」
 一しきり嵐が過ぎ去つてしまふと、彼は子供心にもさう思つてくやみました。で、ああか、かうかと、いろいろ考へぬいた揚句あげく、彼はえらい事を思ひつきました。それは普通の子供では、とてもやりきれないやうな方法でした。
 ある日の事、彼の母がふだん滅多に出入りしない部屋に入つてきますと、Marion は蝶番てふつがひをはづした大きな窓の扉を自分の背に背負しよつて、顔をしかめながら部屋のうちをえつちらおつちら歩きまはつてゐました。
「まあ、この子といへば。」母親は思はず叫びました。「何をしておいでなんだえ。」
「癇癪を抑へてゐるのだい。」
 子供はうんうんうめいて歩きながら答へました。額からは玉のやうな汗が流れてゐました。
「腹が立つて、腹が立つて、誰でも構はん人殺しがしたくなると、僕いつでもここへ来て、この戸を背負しよつて、三度部屋のなかをぐるぐる歩きすることにしてるんだよ。さうすると身体からだがくたびれて、やつと気が落ちつくんだよ。」

 堪忍にもいろいろ方法があるものです。


10・1
文芸春秋

 大阪に大国柏斎といふ釜師の老人が居る。若い彫塑家大国貞蔵氏の父で、釜師としての伎倆は、まづ当代独歩といつて差支へあるまい。伎倆のすぐれてゐる割合に、その名前があまりに世間に聞えてゐないのを惜しがつた知合の誰彼が、
「大阪にくすぶつてゐたのではしやうがあるまい、いつそ思ひきつて東京へ出てみたらどうだらう、名前を売るには便宜が多からうと思ふが……」
といつて勧めたことがあつた。すると、柏斎は鉱気かなけくさい手のひらで一度ゆつくりと顔を撫でおろした。
「それは私も知るには知つてゐる。だが、長いこと住んで居ると、大阪の土地にもまたいいところがあつてね……」
といつて、名前のことなどはすつかり忘れてしまつて、馴染の深い土地に今でも安住してゐる。
 その柏斎のつくつたものに蘆屋釜のすぐれたのが一つあつた。その味がむかしの名作にも劣らないのを見てとつた茶人のなにがしが、それと同じ手の釜を二つばかり注文したことがあつた。
「お値段ねだんのところはどうでせう、やはり前のと同じやうに……」
 茶人は釜の価がきめておきたかつた。
「欠けたる摺鉢にても、時のに合ふを茶道の本意とす。」
と、幾百年か前に言ひ遺した利休は実際えらかつた。摺鉢の欠けたのでも事は足りる茶の湯だつたから、道具もなるべく価の安い方がよかつた。
「いや、さうは往きません。」柏斎の返事は意外だつた。「前のとちがつてゐて、味があれに劣らないものでしたら、同じ値段でも出来ませうが、前のと同じ手のものを御注文でしたら、値段は却つて前のよりかお高くつきませうて。」
「それはまた何故なぜです。」
 客は腑に落ちなささうに訊いた。
 柏斎の返事ははつきりしてゐた。
「私は同じものをつくるのを好きませんから。」

 アメリカの大北鉄道の社長ルイス・ヒル氏が、あるとき Glacier Park を散歩してゐると、薄暗い木蔭で年とつた一人の印度人が、有合せの木片で鳶色の熊をせつせと刻んでゐるのを見つけた。ヒル氏はその前に立ちとまつて、老人の仕事をぢつと見まもつてゐた。すべての素人は芸術家の仕事場をのぞきたがるもので、彼等はここで手品の種を見つけることが出来ると信じてゐるのだ。この印度人も鉄道会社の社長の目から見れば、いつぱしの芸術家で、小刀のさきから熊の頭が生れ、尻つ尾がはえる調子が何ともいへずおもしろかつた。
 ヒル氏は見てゐるうち、いい事を考へついた。それは鉄道会社経営のホテルや、公園の休憩所のところどころに、この熊の彫刻をかざりつけておいたなら、どんなにか人目を楽しませるだらうといふことだつた。
「爺さん、幾らだね。これ。」
 社長は杖の先きで出来上つた熊の彫りものを指さしながら訊いた。
「一つ五弗しますだ。」
 印度人はせつせと小刀を動かしながら答へた。
「わしはこれを二三百欲しいと思ふのだが――」社長はこの見すぼらしい芸術家の救ひ主であるやうな満足さをもつて言つた。「それだけ注文すると、一つ幾らにしてくれるね。」
 爺さんは初めて顔をあげて自分の前に白樺の木のやうに立ちはだかつてゐる紳士の顔を見た。その眼にはやや当惑の色が見えた。
「そんなにどつさり注文してくれるなら、旦那さま、一つ七弗五十仙づつに、しときますべえ。」
「七弗五十仙。それはまたなぜだ。」
「これ二三百もつくらんならんと思ふと、思ふだけでもいやになりますからの。」

 印度人め、言ひ草だけは、いや、心の持ち方だけは、いつぱしの芸術家になりきつてゐる。


10・1
文芸春秋

 医者に言はせると、買ひ薬ほど不信用なものはなく、また薬屋に言はせると、医者ほど危険なものは少いさうである。その不信用な買ひ薬を使ふには、一度飼犬に試した上にするのが最も安全だとは、むかしから言ひ伝へられたことである。飼犬にとつてこんな迷惑なことはあるまいが、世間の犬好きは自分の腹が痛む場合には、急場の買ひ薬を先づ犬にめさせることを忘れなかつた。伊太利のウムベルト王もその一人だつた。
 王のきさきマルゲリタは縹緻きりやう自慢の女だつた。すべての女は一日の半分を自分の縹緻をよくすることに費ふものだが、美しい女房は自分の顔立に自信を持つことが出来るので、使ひ残した時間でしきりと亭主の顔の世話を焼きたがるものだ。もしか亭主の鼻先きがとがり過ぎてゐようものなら、指がしらでパラピンのやうに円めないではおかないだらうし、額に白髪しらがでも見つけようものなら、亭主の首根つこを押へつけても、一本一本残らず引つこ抜いてしまふだらう。さうしないと、やがて自分の縹緻の評価に影響するのをおそれるからである。
 マルゲリタ皇后は、ウムベルト王がふだんから身の廻りのことに一向無頓着なのが気になつてならなかつた。王のこはつぱしい針金のやうな髪の毛がだんだん白くなるのを見つけた皇后は、もうぢつとしてゐられなくなつた。で、御用の化粧品屋に言ひつけて、毛染め薬をいろいろ取り寄せて、王の化粧室に備へつけておくことにした。
 ある日のこと、王は化粧室に入つて毛染め薬を取出した。染めたのは灰色な自分の頭ではなくて、白い毛鞠けまりのやうな皇后の愛犬だつた。犬は黒い雫をぽたぽたらしながら、皇后の居間に飛び込んで往つた。皇后はびつくりして悲鳴をあげた。
 あとからのつそり入つて来たウムベルト王はにやにや笑ひながら言つた。
「マルゲリタ、こんな真似をするのは厭なことだね。」

 私は少年の頃白毛しろげ仔犬こいぬを飼つた事があつた。仔犬は閑さへあれば近所の犬と咬み合ひをしたが、いつも負かされがちだつた。私は背を泥だらけにした仔犬が、尻尾を下げて、悲鳴をあげながら足もとに駆けこんで来る姿を見る度に、ひとりでやきもきした。
 ある日のこと、私は赤インキの汁を仔犬の背中にぶちまけた。そして両手でもつて犬の顔や首筋に塗りくつた。出来上つたのは火焔のやうに赤く燃えてゐる仔犬だつた。
「さあ、もう大丈夫だ。これなら負けつこはない。どんな犬だつてこの顔を見たら、びつくりして逃げだすにきまつてら。」
 私は仔犬を連れて外へ出た。出合ひがしらにぶつつかつたのは、いつも私の犬を咬み伏せてゐる隣の黒犬だつた。仔犬はその姿を見ると、悲しさうにきやんきやん鳴き立てながら逃げ出して往つた。黒犬はその後姿を見送つて笑つてゐるらしかつた。
 私はその瞬間、
「しまつた。おれは赤インキで何をしたかつてことを犬に話して、あいつに自分の顔に自信をもたすことをすつかり忘れてゐた。」
と気がついたが、もうおそかつた。仔犬は火のかたまりのやうにころころ転げながら、家のなかに姿を隠してしまつた。

 私は犬も女と同じやうに自分の顔に「うぬぼれ」が必要だといふことを、そのとき初めて知つた。





底本:「完本 茶話 下」冨山房百科文庫、冨山房
   1984(昭和59)年2月28日第1刷発行
   1988(昭和63)年7月25日第7刷発行
底本の親本:「苦楽」
   1926(大正15)年9月1日
   「文芸春秋」
   1926(大正15)年10月号
初出:「苦楽」
   1926(大正15)年9月1日
   「文芸春秋」
   1926(大正15)年10月号
※〔〕内の編集者による注記は省略しました。
入力:kompass
校正:仙酔ゑびす
2014年10月13日作成
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