茶話

初出未詳

薄田泣菫




主人の頭を打つ女


 むかしは男は月代さかやきといふものを剃つたものだが、それは髭を剃る以上に面倒くさいものであつた。伊勢の桑名に松平定綱といふ殿様があつた。気むづかしやで、思ふ存分我儘を振舞つたものだが、とりわけ月代を剃るのが嫌ひであつた。
「我君、だいぶおつむが伸びましたやうでございますが……」
 家来がかう言つてそれとなく催促しても、殿様は余程気軽な時でないと、滅多に月代を剃らうとは言ひ出さなかつた。やつと口説き落して、家来が剃刀を持つて後に立つと、気むづかしやの殿様は螻蛄けらのやうに頭を振つてどうしても剃らさうとしなかつた。
「我君、お危うございます。」と剃刀を持つたまま泣き出しさうに家来が言ふと、殿様はなほ調子に乗つて頭を振立てた。
「俺の頭はこんなにぐらぐらするのが癖だからの。」
 とど終ひには、家来が粗忽をして、家来にとつて余り大事でない殿様の頭によく傷をつけたものだ。すると、気儘な殿様は、主人の頭に傷をつけた不届者だといつて、すぐに立ち上りざま手打にしたものだ。
 かうした理由で、家来の幾人かが手打にせられたので、終ひには誰一人月代を剃らうと言ひ出す家来はなくなつた。で、殿様の頭は荒野のやうに髪が伸び放題に伸びた。
 殿様の頭が、だんだんむさくろしくなるのを見た奥方は、訳を聞いて初めて驚いた。そしてその次の日には、奥方自身殿様の月代を剃らうと言ひ出した。殿様はその日も螻蛄のやうに頭を振つた。まさか剃刀傷をつけたと言つて、奥方を手打にする気はなかつたらうが、この頭は剃刀の前には、ぐらぐらしないではゐられなかつたのだ。
 奥方はそれを見ると、矢庭に拳をふり上げて、二つ三つ殿様の頭を敲きつけた。まるで締めの弛んだ古釘を打ち直しでもするやうに。殿様はびつくりした。
「何をする。」
「何も致しません、あなたのお悪いお癖を直したいばつかりでございます。」
 奥方はそれを機に、殿をたしなめた。殿は黙つて言ふなりになつた。
 女にも色々ある。貧乏人の女房になるものは、頭を敲きつけられる辛抱が必要だが、富豪や大名の奥方になるものは、時々主人の頭を敲きつける程の気力が無くて叶はぬ。


雄弁家の親孝行


 親孝行にも色々ある。支那の実行家(親孝行にも理論家と実際家との二通りがある。)のして来た行跡を見ても、寒中に筍を掘つたり、裸で張りつめた氷の上に寝たり、いろいろ変つた型がある。
 米国民主党の領袖ブライアンが、いつだつたか、自分の出る演説会場へ、たつた一人しかない大切な母親を引張つて行つた事があつた。この名高い演説家の考へでは、広い会場で、大勢の聴衆の前で、自分の息子が滝のやうな雄弁をふるつてゐるのを見るのは、老年の母にとつてどんなにか嬉しからう。かうして自分は聴衆を教育する上に、母親をも慰めることが出来る。こんな結構な方法が外にあるものではないと、ブライアンはしみじみ自分の口達者なのを嬉しく思つた。
 ブライアンは演壇に立つた。そして雷のやうな聴衆の喝采を浴びながら、得意のおしやべりをし続けた。演説はいつものよりもずつと長かつた。老いた母親が聴いてゐると思へば、演説もいい加減の事は言へなかつた。で、少しは母親の好きな砂糖や嘘を混ぜて、顔中を真赤にして喚き散らした。
 演説がやつと済むと、ブライアンは額の汗を拭きながら、母親の傍へやつて来た。
「お母さん。どうでした。巧かつたでせう。」
「さうですね。かなり出来たやうだつたよ。」母親は睡さうな眼をくしやくしやさせながら言つた。
「あなたのお気に召すやうに今日は特別に長くやつたのですよ。」ブライアンは鼻先の汗を拭き忘れて言つた。
「さうかい。それであんなに長かつたのかい。」母親は悲しさうに言つた。「それぢや三分の一くらゐに切りつめておくれだつたら、もつとお母さんは喜んだらうよ。」


裸体


 むかし、江戸に亀田鵬斎といふ学者がゐた。貧しい学者にしても夏はやはり金持同様に暑かつたから、鵬斎はいつも六月になると、ずつと素つ裸で暮してゐた。その鵬斎に何とかいふ小娘があつたが、その小娘もたつた一枚きりの単物を汚して、母親に洗濯して貰ふ間は、いつも裸体で待つてゐたといふ事だ。
 ある時、鵬斎が知合の饗応に招かれた事があつた。丁度夏初めで、鵬斎は別に着替を持つてゐなかつたから、着古しの単物のままで出掛けて行つた。
 むかし頼春水は、貧乏なところから羽織といつては、いつも白木綿を裁つて着てゐた。ある時、仲よしの菅茶山がそれを見て、随分古い羽織だといつて、
いつ見ても変らぬ色の羽織かな
と、一句詠んで冷かした事があつた。すると、負けぬ気の春水は、すぐ竹篦返しつぺいがへしに、
お前の袴いく代経ぬらん
と後の句を継いだ。茶山は驚いて今更のやうに自分の袴を見た。袴は十年来着古した物だつた。鵬斎の着物がこんなに古かつたかどうかは知らないが、あまりひけは取らなかつたに相違なかつた。
 夜が更けて、鵬斎はのつそりと帰つて来た。女房が玄関まで出迎へて見ると、この学者は素つ裸のまま黙つてそこに衝つ立つてゐた。
「まあ、あなた、どうなすつたの。」女房は驚いて口を開いた。「素つ裸ぢやありませんか。」
「うむ、御覧の通り裸だ。」鵬斎は熟柿臭い息をついた。
「そんな姿をして人通りのなかをお帰りになりましたの。」
「うむ、帰つて来たよ。」
 学者の女房は、誰でも平素から辛抱強くしつけられてゐるものだが、それでもどうかすると、蟷螂のやうに癇癪を起し兼ねないものだ。鵬斎の女房はきつとなつた。
「帰つて来たよもないもんですよ。一体着物はどうなすつたの。」
「道へ捨てて来たよ。」鵬斎は鬚の伸びた頤をあんぐりあけて大きな欠伸をした。「酔払つて溝へはまつたもんだでの。」
「溝へおつこつたつて、着物まで捨てなくつてもよささうなもんぢやありませんか。」
 女房は鵬斎の単物と一緒に、自分の櫛も、笄も、貞操も、投げ捨てられたやうに※(「弗+色」、第3水準1-90-60)むつとなつて口を尖らした。
「だがの……」鵬斎は素直に言訳をするらしく言つた。「着物がべとべとに汚れて、臭くつて仕様がないもんだでの。」
「臭くつたつて……」女房はどんな臭いものでも、まだ貧乏よりはましだといふ事をよく知つてゐた。「明日からは、もうお召しになるものがないぢやありませんか。」
「着る物がなかつたら裸体でゐるさ。」鵬斎は片手を伸ばして、脊骨の辺りをぼりぼり掻きながら言つた。身体中にどことなく臭い匂がした。「乃公だつて裸体で生れて来た人間なんだからな。」
「それもよござんせう。」
 女房はぷりぷりしながら言つた。鵬斎がそれから幾日間裸体で通したかは私も知らない。


貧乏画家


 むかし、渡辺崋山の弟子に桜間青※(「涯のつくり」、第3水準1-14-82)といふ画家がゐた。貧乏人の多いむかしの画家の中でも、これはまたづば抜けた貧乏人で、住居といつては、わづかに胡床あぐらが組まれる程の小さな家で、雨が降る日にはいつも雨漏りがして仕方がなかつた。そんな折には、青※(「涯のつくり」、第3水準1-14-82)はいつも左の手で雨傘をさしながら、右の手ではせつせと絵を描いてゐた。そんなに雨漏りがする畳の上で何も絵なぞ描かなくともよささうなものだ、じつと腕を拱んで、考へ事でもしてゐたらよかりさうなものだが、貧乏な画家には考へ事などは禁物であつたので、青※(「涯のつくり」、第3水準1-14-82)は雨傘をさしながらせつせと絵を描いた。
 ある夏の日の事であつた。崋山の弟子の一人、椿山が青※(「涯のつくり」、第3水準1-14-82)を訪ねて来た。すると表の戸がぴつたりと締つてゐるので、椿山は外から大きな声で喚いた。
「桜間先生、先生はおいでではございませんか。」
 暫くすると、中から掠めたやうな男声で、
「先生は今日はお留守ですよ。」
と言ふものがあつた。椿山は平素から青※(「涯のつくり」、第3水準1-14-82)の宅には主人の他、猫の子一匹居ないのを知つて居るので、主人の留守に誰か応答うけこたへをするものがあるのを不思議に思つた。さう思へば今の声がどうやら青※(「涯のつくり」、第3水準1-14-82)自身のに似てゐるやうに思はれてならなかつた。
 椿山は又声をかけた。
「先生は何方どちらにいらつしやいました。」
「何方へ行つたか、そんな事が判つてたまるものか。」
 家の中からは、大きな声で叱りつけるやうに呶鳴つた。それこそ擬ふ方のない青※(「涯のつくり」、第3水準1-14-82)自身の声であつた。
「さうおつしやるのは、先生御自身ぢやございませんか。」
 椿山はさう言ひながら破けた障子の隙間から中を覗いて見た。そこには青※(「涯のつくり」、第3水準1-14-82)が素つ裸の儘胡床をかいてゐたが、名前を呼びかけられたので、ついのそのそと立ち上つて来た。
「俺さ、俺には違ひないが、今ちよつと他人に入られては困るんでね。」青※(「涯のつくり」、第3水準1-14-82)はかう言ひながら障子の側まで歩いて来た。「表に洗濯物の単衣が干してあるんだが、もう乾いたかしら……気の毒だがちよつと触つて見てくれないか。」
 椿山は表の井戸端を見た。成程其処には洗濯物が一枚、物干竿に引かかつてゐたが、どんなお心の濶いおてんたう様でも、顔を顰めないでは見てゐられないやうな単物であつた。椿山はちよつと手に触つて見た。洗濯物はどうにか乾いてゐた。
「先生、乾いてゐますよ。」
「乾いてゐるか、それはいい。そんなら俺も留守ぢやない。」青※(「涯のつくり」、第3水準1-14-82)はかう言ひながら戸を心もち開けて、中から顔を出した。「気の毒だがついでにちよつとそれをとつてくれないか。」
 椿山は言はれる儘に洗濯物をとつた。青※(「涯のつくり」、第3水準1-14-82)は安心したやうに戸を押しあけて外へ出た。見ると肌には何も着けてゐなかつた。椿山は自分の方が赧くなるやうな気持で、背後からすつぽりと洗濯物を着せかけた。青※(「涯のつくり」、第3水準1-14-82)は安心したやうに声を揚げて笑つた。


喜捨金一文


 時島が啼くやうになつた。――この鳥が啼く頃になると、いつも青葉若葉の滴るやうな黄檗の空が思ひ出される。
 黄檗といへば、あそこには名高い鉄眼和尚の一切経の木板が遺つてゐる。この木板に就いては、次のやうな話が言ひ伝へられてゐる。
 鉄眼は一切経の版行を思ひ立つと同時に、それは一人や二人の富豪かねもちの手で出来上るものではない。一体お経を出版すると、それに関係した人達は、その功徳によつてきつと浄土へ生れる。富豪はちつとやそつとの費用の喜捨は出来ようが、浄土へ生れるには恰好な人達でないことを知つてゐるので、成るべく一切の衆生からその寄附を受ける事にした。
 で、先づその手始めに、京の粟田口に立つて往来の人に勧化くわんげをすることにした。鉄眼は暫く人通りの絶えた午過ぎの大通りをあちこちと見廻した。すると、土に塗れた水呑百姓が、大きな黒牛を追ひながら、のつそりと通りかかるのが目についた。正直で、おまけに沈黙家むつつりやの牛だ。出来ることなら功徳によつて浄土へ入れてやりたかつたが、牛は百姓と同じやうに喜捨金を持ち合はさないらしかつたので、鉄眼は黙つて見送つた。
 牛がそこらの木立に隠れると、行き違ひにきりりとした若侍が一人、急ぎ足に西から東へと通りかかつて来た。鉄眼は直ぐに飛出した。
「一切経の印行を思ひ立つた坊主でございます。何分の御喜捨をお願ひ申します。」
 若侍はじろりと尻目に鉄眼の顔を見た。この男は人から物を貰ふことも、人に物を呉れることも嫌ひらしかつた。で、素知らぬ顔をして行き過ぎようとした。
 鉄眼は一足先へ廻つた。そして侍の前に立塞がりながら、
「どうぞ、御喜捨をお願ひ申します。」
と、仏様がわざと見本にこしらへたらしい大きな頭を下げた。若侍はさつと身を躱しざま、器用にすり抜けて急ぎ足にすたすたと歩を早めた。
 鉄眼は後から追ひ縋つた。そして、道の二三町も歩くと、また後から、
「どうぞ御喜捨をお願ひ申します。」
と、うるさく呼び掛けた。若侍はそんなことには少しの頓着もなく、小唄か何かを歌ひながらすたすたと道を急いだ。
 鉄眼も同じやうに道を急いだ。かうして道の一里半も来ると、若侍は堪りかねたらしく、たうとう振返つた。
「うるさい坊主だな。」
「うるさいと思召したら、どうぞ御喜捨を……」
「ぢや、喜捨して遣はさう。」と若侍は腰の巾着から一文銭をたつた一枚取出した。そして鉄眼の大きな掌に載せてやつた。「いいか、これが俺の喜捨金だぞ。」
「有難うございます。重々御礼を申上げます。」
 鉄眼は頭が地面につくまで叮嚀にお辞儀をした。高が一文銭の喜捨にしては、お礼が少し負け過ぎてゐると思つたらしい若侍は不思議さうに、
「一文銭やそこいらの喜捨に、なぜまたそんなに……」
 鉄眼は頭を持ち上げた。眼は鉄のやうな強い光に輝いてゐた。そして自分が今度一切経の版行を思ひ立つた事から、今日はその勧化の第一日なので、もしかかうと思ひ込んだ人から喜捨を得なかつたら、折角の自分の志が挫けはしまいかと思つて、わざわざ一里半の坂道をうるさく追ひ縋つて来たのだといふことを打ち明けた。
「さうでござつたか。」若侍が初めて言葉を改めた。「それは御奇特な事で……」
 若侍は一文銭のやうに地面に穴があるものなら身を匿したいと思つたらしかつた。


喫煙禁止


 グラントと言へば、南北戦争の将軍として、また十八代目の米国大統領として名高い人だが、この人が大統領に就任してから当分の間、田舎の自宅からワシントンへ汽車で通つてゐたことがあつた。ある日のこと、グラントはいつものやうに借切列車に腰を下しながら、ポケツトから葉巻を一本取出して徐かにそれに火をつけた。そして香の高い紫色の煙に、犬のやうに鼻をくんくんさせながら、いい気持になつてゐた。汽車が途中の或る小さな駅に停ると、着飾つた一人の貴婦人がちよつとした手荷物を抱へながら慌しく入つて来た。
 婦人はグラントの前に席を占めた。それまで南北戦争当時の追懐か何かに思ひ耽つてゐた大統領は、眠さうな眼をちよつとあけて、自分の前に坐つた婦人の様子をちらと見たらしいが、性来婦人といふものにあまり趣味を持つてゐなかつたこの軍人大統領は、そのまま又眼を細めてじつと葉巻をふかしてゐた。
 すると、だしぬけに癇走つた女の声が聞えた。グラントは昼寝をしてゐた鶩のやうに、大儀さうに片眼を明けた。見ると、件の婦人が目くじら立ててこちらを睨んでゐた。
「あなたどうぞ煙草をお止め下さい。あたし煙つぽくて堪りませんから。」
 グラントはそれを聞くと、喫みさしの葉巻をそのまま窓の外に投げ棄てた。そしてあけてゐた片眼をもとのやうに徐かに閉ぢた。無口な大統領は何一つものを言はなかつた。
 グラントが汽車に乗り合はした婦人客に、何一つものを言はなかつたのは、なんの不思議もなかつた。彼は生れつきのむつつりやで、何時だつたか大統領に在職当時、世界博覧会が米国に開かれたことがあつた。開会式の当日、総裁として何か一つ演説をしなければならなかつたので、平素の彼を知つてゐる人達の中には、この沈黙家がどんな挨拶をするだらうかが可なり面白い話題となつてゐた。すると、その当日彼は椅子から立ち上り、馬の上から兵卒を指揮するやうな調子で、
「今日から博覧会を開きます。皆さん御遠慮なく見物して下さい。」
と言つたきり、他に何一つ喋舌らなかつたくらゐだから。
 件の婦人客が、不作法な紳士をやりこめた嬉しさに胸をわくわくさせてゐると、汽車はまた次の停車場に着いた。すると、駅長が静かに扉をあけて入つて来た。そしてその婦人客を見ると声を尖らして言つた。
「あなた。すぐに此処を出て行つて下さい。こちらは大統領閣下の借切列車なんですから。」
 大統領の借切と聞くと、婦人は顔を真赤にした。そして手荷物を抱へて逃げるやうに姿を隠した。


滴水と峨山


 宗風の森厳なので聞えた天龍寺の由利滴水が、死ぬる三四日前の事だつた。いつも自分の側で看病をしてゐてくれる弟子の橋本峨山を呼んで、今更らしく訊いた事があつた。
「お前、天龍寺を再建して、どうしようと思つておいでなのだい。」
 天龍寺は維新の当時、薩摩の村田新八に焼き捨てられたのを、その後峨山が再建に骨を折つて、やつと出来上るばかりになつてゐたのだ。峨山は師僧の気に入るやうに声を和げて言つた。
「老師の御病気御全快を待つて、今一度宗風を揚げていただきたいと存じまして。」
 それを聞くと、滴水は乾葡萄のやうな干からびた顔に眼を光らせた。
「俺が死んだらどうするのぢや。」
 滴水は自分の生命がもう二三日も持たない事を知つてゐた。よくある禅坊主の癖で、その短い時日を静かに味ははうとするよりも、何か問答に費したいらしかつた。峨山は病人の枕もとに手をついて言つた。
「その折には誰か高徳な方を招いて、法燈をついで戴きませう。」
 滴水の眼は意地悪さうにまた光つた。喘息を病んだ風琴のやうな変にしやがれた声で、うるさく附け込んで来た。
「それから、その次はどうするのぢや。」
 それを聞くと、峨山は急に鷹のやうにむつくりと頭を持ち上げた。そして腹一杯の声を張りあげてわめくやうに言つた。
「そんな御心配は御無用でございます。」
 大きな声が、病室一杯に響き、薬壜に響き、そして皺くちやな病人の胸の底にまで響くと病人の眼は初めて和いだ。そして気に入つたやうににつこりと笑つた。


予言者


 京都の工科大学教授N氏が、世界戦役当時、ある新聞記者との対談に、その頃方々に頭をもちあげて来た化学工業会社がどう成り行くものか、例へば塩酸加里の会社にしても、戦前はたつた一つしか無かつたのが、戦争が始まると、ざつと四十にも殖えた。もしか戦争が済んだら三つ四つしか残らないかも知れないといふ事を話した。
 N氏は、その翌朝京都を発つて九州地方まで旅をしなければならなかつた。混み合つた汽車に乗つてうとうとしてゐると、ふと誰かが自分の名を呼んでゐるので、驚いて目をさました。それは隣席に坐つて新聞を拡げてゐる、会社の重役ででもありさうな、でつぷり肥つた大阪弁の男だつた。その男は向う側に胡床あぐらをかいた自分の道連れらしいのに話しかけてゐた。
「この新聞で見ると、京都大学のNたらいふ男が、今四十もある塩酸加里の事業が、戦後になつたら、たつた三つほか残らん言うとるが、たつた三つとは何できめたもんやらうて。」
「たつた三つ? 怪体けつたいな事言ひよるな。」胡床をかいた男は鼻の先で笑つた。「そやつたらこちとらの会社はどうなるんや。阿呆らしい。」
 N氏は吃驚した。首を伸ばして隣の男の繰拡げてゐる新聞紙を覗いて見た。なる程その男の言つた通り、記事には今の夥しい塩酸加里事業が、戦後には三つに減つてしまふと、きつぱりと書いてあつた。N氏は自分が「三つ四つしか残るまい。」と言つた言葉を思ひ出して、それをきつぱり三つにしてしまつた新聞記者の勇敢なのに驚いた。そしてかういふ新聞記者を外科医者にしたら、跛者の患者などはきつと片足を切り揃へてしまふだらうと思つた。でその正誤かたがた、自分がその話をした当人のN教授だといふことを打明けようかと思つたが、でもさうすると、隣の男はきつと会社の株を持つてくれと言ふだらうと思つて、そのまま黙つてゐる事にした。
 ところが、戦争も済んでこの頃になつて見ると、N氏の言つたやうに、数ある塩酸加里の会社は、次から次へと倒れて行つて、残るものはたつた三つになつた。N氏は人の顔さへ見ると、得意さうに以前の話を持ち出して、
「どうだい君、僕が予言したやうに会社がほんたうに三つになつたから驚くぢやないか。」
と、予言者のやうな顔をして言ひ言ひしてゐる。


老画家の音曲


 洋画家浅井忠氏の追善が、ある年東京の根岸で開かれたことがあつた。その折鈴木鼓村氏が箏を弾いた。この風変りな箏曲家がそろそろ爪調べにかかると、そこに居合はせた多くの人達の中から、誰だかだしぬけに手を拍いたものがあつた。皆はその方を振向いて見た。そこにはNといふとしとつた洋画家が六朝の文字のやうに鯱子張しやちこばつて控へてゐた。N氏は皆の眼が一斉に自分の方に注がれると、いくらか気恥づかしかつたかして、傍にゐる老年の洋画家小山正太郎氏の方へ顔を捩ぢ向けて言つた。
「小山さん、鈴木君の箏は予て噂に聞いてゐましたが、実際うまいものですな。」
 小山氏も余り音曲の方は確でなかつたらしく、あやふやに頭を動かしたままでなんとも答へなかつた。
 すると、その直ぐ後にIといふお伽話の作家が控へてゐたが、二人の話を聞くとくすくす笑ひ出した。そして後からN氏の肩を叩いた。N氏は四角な顔を後へ振向けた。
「どうしたんだい。」
「どうもしやしないが、君が余り面白い事を言ふからさ。」N氏が富岡鉄斎、岡田三郎助氏などと一緒に、画壇の三ろうだといふ事を知つてゐるI氏は、わざわざ自分の口を相手の耳に押付けて、大きな声で喚いた。「鈴木君はまだ箏を弾きやしないよ。あれは唯の爪調べぢやないか。」
「さうか。爪調べか。」N氏は何か固いものを一嚥みにぐつと嚥み込んだやうな顔をした。「それにしても爪調べが素敵だね。」
 何時だつたか、清朝の光緒皇帝がまだ達者でゐた頃、波蘭ポーランドの或るヴアイオリン弾きが聘ばれて御前演奏をやつたことがあつた。音楽家は幾つか名高い小曲を弾いた。すると皇帝はそのたんびに感心したやうに上品な顔を動かしたものだ。曲が終ると、音楽家は皇帝に向つて訊いた。
「陛下、どの曲がお気に召しましてございます。」
 皇帝は即座に答へた。
「お前が最初に弾いた曲こそ、世界一の名曲だと思ふ。」
 音楽家が最初に弾いたといふのはそれはただの調律で、何の楽曲でもなかつたのである。めでたしめでたし。


それ猫が


 真言宗御室派では、管長の後任選挙について、高野山の法性宥鑁師と浦上隆応師との間に、かなり激しい対抗運動が持上つてゐるらしい。
 世の中を超脱した僧侶にしても、やはり小さい庵よりは大きい寺の方が住み心地がいいものと見える。
 さういふなかに、むかし曹洞に風外といふ禅坊主がゐた。どうしたものか、大寺が嫌ひで、としとつてからは大阪の烏鵲楼うじやくろうに引込んで、暢気のんきに膝小僧を抱いて暮してゐた。
 そこへ、ある時讃岐の高松藩から使の者がやつて来た事があつた。高松の藩主は、自分の領地が、猫の額ほどしかないので、誰かいい坊さんに会つて、もつと広い心の世界の話も聴きたく、おまけに出来ることなら、その坊さんの伝手で、後の世にはもつと禄高の多い土地をあてがつて貰ひたく思つてゐたので、かうしてわざわざ使者を立てて、風外を高松に迎へようとしたのだ。だが、風外はどうしても肯かなかつた。
 使者はむき出しに讃岐訛りを出して、風外を口説きにかかつた。藩主の言ひつけを承つて来たからには、是が非でも連れて帰りたかつた。風外は泣き出しさうな使者の顔を面白さうにじつと見入つてゐたが、相手の言葉がちよつと途切れると、いきなり下瞼したまぶたを押へてあかんべいをしてみせた。
 使者は呆気に取られて帰つて行つた。だが、藩主の前ではまさかにあかんべいの真似も出来なかつた。
 風外が三河の香積寺にゐた頃、ひと夏本山から寺へ使僧が立つた事があつた。その日は蒸暑かつた。夕方になつて風外は風をれようと思つて、団扇を片手に木履ぼくりを穿いて使僧の休んでゐる室の前をぶらぶらしてゐた。
 使僧はしたたかものだつた。簾越しに風外の沿衣がけの姿を見ると、黙つてはゐられなかつた。
「猫ぢや、猫ぢやとおつしやいますが、猫が下駄はいて来るものか。」
 使僧はそれとなく風外にちよつかいを出してみた。風外は猫のやうなおとなしい顔立で聞えた坊さんだつた。猫は黙つて下駄を引きずりながら影を隠した。
 その翌日、使僧が寺を発たうとすると、風外は多くの弟子達を山門の両側に並べて、自分は使僧の後から見送りに出て来た。そして使僧が山門の閾を跨がうとすると、だしぬけに後から大きな声で、
「それ猫が……」
と呶鳴つた。使僧はびつくりして後を振向いた。そこには猫はゐなかつたが、猫によく似た禅坊主がからからと笑つてゐた。使僧は鼠のやうに小さくなつて逃げた。


演説家の妻


 仏蘭西自然派の文豪フロウベエルは、自分の作物が出来ると、きつと召使の婆やに読んで聞かせたものだ。そして婆やが了解のみこめないやうな所があると、すぐそれをもつと解りやすい文句に書き直したものださうだ。
 怜悧な婆やが宅に居ないものは、拠ろなく女房にでも読んで聞かせなければなるまいが、多くの場合文学者の女房は、言ひ合はせたやうに、自分の良人の書いたものに余り価値を置いてゐない。ひどいのになると、自分の良人の書いた作物の名前すら知らないものがある。もしか小説家の中で、自分の女房を愛読者の中に数へる事が出来る人があつたなら、気の毒な事には、その人は極めて下手な作家だと言はなければなるまい。
 演説家の女房の中には、わざわざ演説会場まで出掛けて行つて、自分の良人が蟹のやうに手を振上げて大声に喚き散らしてゐるのに聴き惚れてゐる者がある。演説といふものは、あまり賢い人のするものでないし、あまり賢い人の聴くものでもないしするから、女房が聴いたつて、猫が聴いたつて、少しも差支ないかも知れない。
 英吉利のヂスレエリイは聞えた演説家だつたが、議会で大演説でもしようといふ日には、きつと夫人を傍聴席に送り込んだものだ。ある時議会で何かの演説をするといふので、いつものやうに夫人と一緒に馬車に乗込んだ事があつた。
 いいお天気の日で、乾いた路を馬は元気よく走つた。夫人は外の空気に触れようと思つて窓硝子に手をかけたが、どうした機みか、間違つて窓枠に指先を挟まれてしまつた。
 夫人は痛くて堪らなかつたので、涙ぐんだ眼で良人の方を振返つた。ヂスレエリイは傍に女房のゐる事すら忘れたもののやうに、黙つて何か考へ込んでゐた。
「あ、いけない、いけない。演説の仕組を考へていらつしやるんだわ。」夫人は肚の中で考へた。「折角の演説を邪魔立しては大変だわ。」
 夫人は良人の気を紛れさすまいとして、ちぎれるほど痛い指先をもじつと辛抱してゐた。もしか指先の代りに首根つこを押へつけられてゐても、夫人は吃度辛抱してゐたに相違なかつた。
 馬車は議院の玄関に着いた。自分の女房の指先が、窓枠に噛まれてゐると気づいた英吉利の大政治家は、キヤベツのやうに青白くなつた。やつと引出された夫人の指は、紫ばんでひしやげてゐた。


しやれた料理


 料理ほど大切なものはない。オスカア・ワイルドだつたか、「朝飯を旨くさへ食はして呉れたら、まあ大抵の事は辛抱しておくさ。」と言つたが、実際食事を旨く食はして呉れたらその他の事は知らぬ顔をして見過してもいい。
 京都の八新が料理で名高かつた頃、(惜しい事には今はそれ程ではない。)ある夏の事、主人が夜のしらじら明けに表戸をあけにかかると、その折丁度表通りを通りかかつてゐたお爺さんが、ひよつくり小鳥のやうに中に飛び込んで来た。主人は驚いて理由を訊いた。
「私は京見物に参つた丹波の者でございますが……」
 お爺さんは叮嚀な口上で挨拶をした。その言ふところを聞くと、お爺さんは田舎にゐる時からこの店の板前の評判を聞いてゐたので、京見物に来たのを仕合せに何がな二品三品見つくらつたもので食べさせて貰ひたいと言ふのだつた。
「これはほんの僅かですが……」
と言つて、お爺さんは財布から十円紙幣を一枚取出して、主人の掌においた。
「胡散臭い爺やな。」と八新の主人は睨んだ。よく見ると、お爺さんにはどこに一つ丹波のものらしい所がなかつた。衣服の着こなしといひ、態度ものごしといひ、気が利いてゐて、誰が見ても中京辺の物持の隠居の洒落者に相違なかつた。
「てつきり悪戯しに来よつたのやな。」と主人はすぐに相手を見ぬいた。さういふことなら此方にも考へがないでもなかつた。主人は相手を言ふがままに丹波の田舎者としてもてなした。そして朝飯の出来る間、暫く休んでゐてもらひたいと、お爺さんを小間に通して待たせておいた。
 主人は直ぐに得意先の大阪の漬物問屋に電話をかけた。そして西瓜の奈良漬の飛切りなのを大急ぎに京都の店まで届けて貰ふやうに頼んだ。店の若い者の一人は自転車で宇治橋まで走らされた。名高い三の間の水を汲んで来させようといふのだ。
 三の間の水といふのは、竹生島の弁財天の社壇の下から流れ出ると言ひ伝へられた美しい水で、往時秀吉が伏見にゐた頃には、茶を点てるといつては、いつもこの水を汲ましたものだつた。
 水の味といつては、また格別のもので、京都には茶人が多かつたせゐで、水自慢の古い井戸が未だに方々に残つてゐる。京役者の随一人坂田藤十郎は、江戸興業に行く時、江戸の水はまづくて迚も咽喉を越さないからと言つて、わざわざ京の水を樽詰にしたのを、幾つか荷駄馬に乗せて海道筋を下つて行つたといふ事だ。
 暫くすると、三の間の水も着いた。大阪の漬物も着いた。八新の主人は三の間の水で茶を煎じて、漬物を菜に茶漬を出した。
「ほんの有合せもので、お口に召すかどうか知りまへんが……」
 お爺さんは一口一口噛みしめるやうにして茶漬を食べた。そして三杯目の茶碗を惜しさうに膳の上におくと、感心したやうに首をひねつた。
「いや、すつかり噂通りで、まつたく恐れ入りました。」
 爺さんは叮嚀にお辞儀をして玄関を出た。その後姿が見えなくなると、主人は片手をぐつと握りしめて、今のお客を突き飛ばしでもするやうに前へ出した。
「へつ、どんなもんやい。ざまあ見やがれ。」


大雅と錦の袋


 近頃考古学の知識が一般に弘まるにつけて、古い民族の遺蹟だと言ひ伝へられた地方へ行くと、物好きな蒐集家が鵜の目鷹の目で、石器の破片か何かをぎまはつてゐるのをよく見かける。
 池大雅は風景画家だけに、よく方々を旅行してまはつたものだが、到るところで珍しい瓦だの、石だのを拾つて帰るのを忘れなかつた。ある時奥州へ往つて勿来なこそ関址せきあとを訪ねた事があつた。その折も大雅は京に残しておいた女房の事などはすつかり忘れてしまつて、珍しい瓦を捜さうとして雑草の生え茂つたなかを這ひまはつてゐた。
 大雅は学者や芸術家によくある「忘我」の境地に直ぐ入れる画家で、面白い話をするか、いい景色を見るかすれば、その瞬間は借金や女房のある事をも、すつかり忘れる事の出来るほど調法な心をもつてゐた。ある時遠国に旅立ちをしようとして家を出た事があつた。そのあとで妻の玉瀾ぎよくらんは、大雅が生命よりも大事な筆を忘れてゐるのに気がついたので、それを持つて直ぐにあとを追ひかけた。そして忘れ物だと言つて筆を手渡しすると、大雅は鄭重に頭を下げた。
「どなたかは存じませんが、御親切に有難う存じます。」
 家を出て、道の五六町も来ぬうちに、この不思議な画家は、もう女房の事など忘れてゐたのだ。
 大雅は草のなかの窪地で、やつと古瓦を見つける事が出来た。で、叮嚀に土を払ひ落して、持つて来た錦の袋にそれを納めて頸にかけた。
 そぼろな、旅窶たびやつれのした姿の旅人が、美しい錦の袋を大切さうに胸に下げてゐるので、胡麻の蠅が二人すぐ後に附いた。
 大雅がある茶店に憩ふと、胡麻の蠅二人も同じやうにそこへ来て腰をおろした。そしてじろじろ横眼でこの画家の素振を見てはひそひそ話をしてゐたが、その一人はだしぬけに大雅に話しかけた。
「旦那、旦那はどこまでお出掛けでござんすね。」
「私か。」大雅は馬に話しかけられたやうに怪げんさうな顔をした。「私の旅はどこといふあてはないのだ。」
「へえ、可笑しな旅ですね。」胡麻の蠅は鬚の伸びかかつた頤に冷やかな笑ひを浮べた。「それにしては御心配でせう。そんなに大金をお持ちでは。」
「大金を? 私は大金など持つてはゐないが……」
 大雅は大金があつたら、是非購ひたいものの幾つかを肚のなかで考へながら、相手の顔を不思議さうに見た。二人とも変な顔をしてゐたが、それでも大雅がよく描いてゐるやうな変な顔よりはいくらかましであつた。
「旦那、白つぱくれちやいけませんぜ。」今一人の胡麻の蠅はぞんざいな口をきいた。「金でなくて、その錦の袋には何が入つてゐるんだね。」
「ああ、これかい。」と大雅はやつと胸の袋に気がついた。皮肉な笑ひを口もとに浮べながらそろそろそれを明けにかかつた。胡麻の蠅二人は眼を光らした。大雅は中から古瓦を取出した。「お前さん達も、こんな物がお好きだと見えるな。これは勿来の関の古瓦だが……」
 胡麻の蠅は呆気にとられた。そして古瓦を金と見違へた自分達の鑑定を恥ぢて、もつと修業しなければならぬと思つた。修業だ。修業だ。修業は大雅にとつても、胡麻の蠅にとつても同じやうにいい事である。


詩人と百姓婆さん


 ヘンリー・ヴアン・ダイクといへば亜米利加では、第一流の学者として、詩人として聞えてゐる老人である。去年だつたか娘をつれて日本へ遊びに来たが、その節日光を見た詩をある社へ寄稿した事があつた。詩は取立てていふ程の立派な出来ではなかつたが、それでも亜米利加人の詩としてはうまいと思つた。
 その時は丁度、同じ亜米利加から、実業家のヴアンダリツプ一行が来て、盛んに日本人に歓迎されてゐた時なので、ヴアン・ダイクの事は一向世間の噂に上らなかつた。世間の噂に上らなかつたからといつて、馬鹿にするものではない。むかし政治家のグラツドストオンと詩人のテニスンとが連立つて、オツクスフオウド大学かどこかに講演に行つたことがあつた。その折グラツドストオンは、聴衆に向つて、自分の政治家としての仕事は派手なやうだが、すぐ世間からは忘れられる。テニスンの事業は地味だが、永久に残るといつたものだ。グラツドストオンめ、煙草好きで、正直者で通つたこの詩人に、ちよつとお世辞を言つたのだらうが、それにしてもこのお世辞には真理がある。(尤も永久に残るといつたところで、ただ残るといふだけでは、案外詰らないかも知れない。)
 このヴアン・ダイクが、ある時南の方へ旅行した事があつた。その折この詩人は穢い百姓家の入口に、老いた一人の印度人の婆さんが、だらしなく蹲踞しやがんで、薄穢い粘土製のパイプをくはへて、すぱすぱ煙草を喫してゐるのを見た。
「婆さん、お前煙草が大層好きだと見えるな。」ヴアン・ダイクはにこにこ笑顔を作つて肩越しに婆さんを覗き込んだ。「だがそのパイプは少し穢過ぎるやうだな。」
 婆さんは皺くちやな顔を上げて詩人を見た。
「旦那、穢いと言はつしやりますか。その筈だての、俺ら日がな一日すぱすぱやつてるのだからな。」
 婆さんの呼吸は、詩人にとつて堪へられないほど煙草臭かつた。詩人は顔を顰めながら言つた。
「そんなに煙草が好きなのかい。だが、パイプだけはよく掃除しなくちや。さもないと口が臭くつていけない。」
「口が臭くたつて構はねえだ。」
 婆さんは不機嫌さうに鶏のやうに口をとがらした。
「でもさ、」詩人はお愛想ぶりに婆さんの肩を叩いた。「死んで天国へ行くのに、呼吸が臭くては困るぢやないか。」
「何を言はつしやるだ。」婆さんはてんで相手にしないやうにせせら笑つた。「俺ら死ぬる時には呼吸を引取りますだでの。」
 ヴアン・ダイクは何とも返事のしやうがなかつた。で、ステツキを振つて婆さんの傍を去つた。すべて負けた時には成るべくその場を外した方が結構である。


禅僧と靴


 つい先日亡くなつた丹波国何鹿郡東八田村安国寺の住職梅垣謙道和尚は、今一休と言はれただけに、いろんな逸話に富んだ坊さんであつた。
 ある夏和尚は叡山の僧坊を借りて、夏季修養会を開いた事があつた。予て和尚の人柄を聞いてゐた学生達は、物好き半分に、二三十人ばかり集つて来た。
 和尚は、それを一堂に集めて、しかつべらしい顔をして言つた。夏分の修養は、何よりも涼しく、おまけに手軽でなくてはならない、それには各自に放屁するに限る、と。
 学生達は、呆気に取られた。放屁して修養になる事なら、わざわざ叡山のてつ辺まで来るにも及ぶまいといふので、たうとう折角の修養会も丸潰れになつてしまつた。
 いつだつたか、京都の市会議事堂で、慈善音楽会が開かれた事があつた。托鉢の道すがらその前を通りかかつた和尚は、肝腎の托鉢をそつちのけにして、音楽会の入口に立つた。実を言ふと、和尚はこれまで一度だつて音楽会といふものを聴いた事がなかつたので、前を通り合はせたのを縁に、ちよつと覗いてみたくなつたのだ。
 和尚はつかつかと玄関に入つて来た。托鉢の途中なので、胸には南禅僧堂の頭陀袋をかけ、足には草鞋を穿いてゐた。
 受付には、頭を綺麗にわけた若い男と、孔雀のやうに着飾つた若い女とが立つてゐた。若い男は、今和尚の入つて来るのを見ると、片手で和尚の胸を押へるやうにして、片手で玄関に貼つてあつた紙片を指さした。紙片には「靴の外昇降を禁ず」と書いてあつた。
 和尚はじつとそれを読んでゐたが、
「靴といふのは、一体どんなもんぢやな。」
と、だしぬけに訊いた。若い男は、和尚の問が余りむづかし過ぎるので、ちよつと面喰つたらしかつたが、仕合せとその日は自分が新調の靴を穿いてゐたので、得意さうにそれを片足前へ踏み出して見せた。
「見ておきなさい。靴とはこんなもんですよ。」
「ほほう、変なもんぢやな。」和尚は不思議さうに若い男の足を覗き込んだ。「村へ土産にしたいから、それを片足貰へまいかな。」
「滅相な。」
 若い男はあわてて片足を引込めた。
「ははあ、惜しいと見えるの。」和尚は大きな声で笑ひ出した。「一体その靴といふものは、何でこしらへてあるのぢやな。」
「靴ですか、靴は……」若い男は無作法な坊主をこらしめるには、なんでも強い事を言ふに限るとでも思つたらしかつた。「靴は牛の皮のもあれば、象の皮のもあります。それから虎の皮のだつてありまさ。」
「ほほう。して見ると、みんな獣の皮ぢやな。乃公のは草鞋と云つて、米の皮ぢやぞ。」
と言つたかと思ふと、和尚は泥のへばりついた草鞋のまま、すつと玄関を駈け上つて中へ入つてしまつた。


寄附金


 亡くなつた丹波国何鹿郡安国寺の住持梅垣謙道師が、いろんな奇行に富んだ坊さんだつた事は前に書いた。
 いつだつたか、謙道師は大本教の教祖出口お直婆さんの評判が余り喧しいので、つい会つてみたく、わざわざ安国寺から綾部の大本教本部まで訪ねて行つた事があつた。
 その折お直婆さんは、風邪か何かで臥せつてゐた。取次の者がその由を言つて断ると、
「なに、病気か、病気なら仕方がない。病室へ行つて会はう。」
 謙道師はかう言ひながら、草鞋を脱いで玄関に上つてゐた。取次は病室に案内するより仕方がなかつた。
 臥せつてゐたお直婆さんは、室に入つて来た坊主の姿を見ると、慌てて起き上らうとした。謙道師はそれを手で押へるやうにした。
「そのままに。そのままにゐて下さい。」謙道師はどかりとお直婆さんの枕元に坐つた。そして檀家の皺くちや婆さんに説教するやうに言つた。「起き上ると、兎角妄念が頭を持上げるでな。病人は寝てゐるに限る。浄土の法然坊も言つた。浄土の行人は病患を得てこれを楽しむとな。」
 お直婆さんは赤ん坊のやうに口をもぐもぐさせた。法然がなんと言はうが、病気は一日も早く癒つた方がいいらしかつた。
 暫くすると、謙道師は急に居ずまひを直した。そして今度自分の寺で本堂を修繕したいから、応分の寄附を頼みたいと言ひ出した。
「お宗旨が違ひまへんか。」お直婆さんは小鳥のやうに口を尖らした。
「宗旨は違つても構ひません。お互ひづくぢや。乃公の方では、本堂の修繕さへ出来ればそれでいいのぢやからな。」
 謙道師はもない顔をしてこんな事を言つた。お直婆さんはこんな坊さんに見込まれては黙つて金を渡すより仕方がなかつた。婆さんは執事を呼んで金を五十円寄附した。
 頭の円い坊さんは、その五十円を黙つて懐中に捩ぢ込んだ。
「いや、ありがたう。御寄進は確かに戴きました。それについて今一つお頼みがあるのぢやが……」
 謙道師はにやにや笑ひ出した。
「頼みつて何どす。私、今日は頭が病んで……」
 婆さんはわざとらしく頭に手をやつて顔を顰めた。出来ることなら、こんな無作法な客に一刻も早く帰つて貰ひたかつたが、そんなことに遠慮する謙道師ではなかつた。
「お頼みといふのは外でもない。あんたも以前は大工のおかみさんぢやつたが、兎も角も乃公の寺に、大枚五十両の寄進が出来るやうになりなすつた。結構な事ぢや……」謙道師はかう言つて懐の上から五十両を叩いて見せた。「そんなに結構になつたお祝として、別に三十円寄進に附かつしやい。」
「別口にまた三十円どすか……」
 お直婆さんは、何の為に関係のない安国寺に、二口までも寄進をしなければならないのか、理由が解らないらしく、口の中でぶつぶつ呟いて居たが、それでも執事を呼んで、その三十円をも出させた。
「奇特な事ぢや、病気は確かに癒りますぞ。」
 謙道師は医者でも言ひさうな事を言つて、その三十円をも懐中に入れて座を立つた。


結婚司会に夫婦喧嘩を説く


 結婚は葬式と同じやうに、色々儀式があつて、その選択は自由である。ここに千葉の片田舎に、Bといふ若い男があつて、ある娘と相思の仲となつた。で、非常に勇気を奮つて(結婚には人殺しをするのと同じやうに非常な勇気が要る。何故かと言つて結婚といふものは、事によると、自分をも殺し、また相手方をも殺し兼ねないものであるから。)結婚しようといふことになつた。
 ところが、結婚式をどんな風にしたものか、Bとしては一向いい考へが頭に浮んで来なかつた。幸ひBは文学者のT氏を非常に崇拝してゐるところから、T氏に頼んで式をやつて貰ふ事にした。
 場所は東京丸の内の中央倶楽部だつた。新郎新婦とその親戚友人たちの顔が揃ふと、T氏は洋服姿の夫人と連れ立つて、ずつと席の真中に押し進んだ。そしていつもの飾つ気のないぶつきらぼうな調子でお説教を始めた。
「皆さん、ほんたうの平和は争ひの後でなくちや得られません。欧羅巴も今度の物凄い戦争を経て、初めて真の平和に近い平和が得られさうになつてきました。夫婦の仲もこれと同じです。」
 T氏は、じつとさしうつ向いてゐる花婿花嫁の顔を見た。二人は酸漿のやうに赤くなつてゐた。
「だから、あなた方にお勧めする。どうか精々夫婦喧嘩をなさい。喧嘩をしないと、どんな夫婦だつて相手方のほんたうの気心が知れよう筈がありません、どうぞ思ひ切つて喧嘩をしなさい。私達もこれで今日まで随分喧嘩をしたものです。何事も喧嘩ですよ。喧嘩です。」
 T氏はかう言つてちよつと言葉を切つた。
 そこに居合はす人達は互に顔を見合した。この人達はこれまで幾度かめでたい結婚式に顔を出したが、いつもめでたい事ばかり聞かされてゐたので、何だかだしぬけに、薪雑棒で後からどやしつけられたやうな気持がしたに相違ない。
 皆がおし黙つてゐるのを見ると、T氏はきつと花婿花嫁の顔をみつめた。そして腹一杯の声を張り上げて叫んだ。
「それでは今日からこのお二人を夫婦と認めます。」
 かう言つたかと思ふと、夫人と一緒に席を立つて、つかつかともとの席にかへつた。
 皆は呆気にとられた。変な結婚式もあればあるものだと思つたやうな顔をした。
「変ですね。」
「どうも少し変つてゐるやうです。」
「少しどころぢやありませんよ、あまり変り過ぎてゐます。」
 かういふ囁きがそこらからひそひそと起つた。すると花嫁のすぐ隣に並んでゐたその父親は、その時までじつと手を拱いて考へ込んでゐたが、急に顔を上げて自分の女房を見た。
「どうも感心しちまひました。いや全く感心しましたよ。ね、お前だつてさうだらう。」
「ほんとにさうですわね。」
 花嫁のお母さんはかう言つて、心から感心したやうにほつと溜息をついた。
 長年の間口争いさかひを仕続けて、やつと皺くちやなこの頃になつて、どうかかうか平和らしいものを初めて味はつたやうな溜息であつた。


巴里の安料理


 少し話は旧いが、前代義士のO氏が、媾和全権大使西園寺侯のお供をして、巴里へ行つてゐた時の事、氏は何でも一ぱしの巴里通にならうとして、いろんな所へ出入をした。そして人の知らない間に、こつそりといろんなことを覚えたものだ。
 ある日の事、O氏は同行の公爵K氏に言つた。
「Kさん、かう時勢が変つて、物事がすべて民主的になつて来ては、貴方なども今迄通りのお公家さんではなかなか通られませんよ。」O氏はかう言つて、日本中の平民の代表者のやうな民主的な顔をした。民主的な顔といふのは猿のやうな表情をする事なのだ。「かうなつたからには下々のする事は、何でも見ておく事ですよ。ついては一ついい所へ御案内しませうか。」
「ありがたう、いい所つて一体何処なんですか。」
 K公爵は繊細な手で襟飾を直しながら訊いた。
「安料理屋なんですよ。まあ、日本で言つたら縄暖簾といふ所でせう。」O氏はそんな所までも知りぬいてゐるのが自慢らしかつた。「それでゐて、うまく喰はせる事にかけたら、巴里一流のホテルや、料理屋も裸足はだしといつた所ださうですよ。」
「へえ、そんな所があるんですか。ぢや、連れてつて戴きませう。」
 公爵にしても、うまくて、おまけに値段の安い料理が嫌ひでない点にかけては、O氏同様民主的であつた。
 二人はオテル・ブリストルの旅館を出た。飲食するには勿体ないやうな日和で、プラス・ヴアンドームの広つ場には、ナポレオンの像が平民のやうな顔をしてにこにこしてゐた。二人は細い路次に折れて、すぐ右側の小料理屋に入つて行つた。
「ここですよ、レストラン・ボアソンと言つてね。」O氏は給仕から受取つた献立をお公家さんに見せながら言つた。「御覧なさい。ビステキが50と書いてある。今時五〇サンチイム(一サンチイムは四厘弱)のビステキは安いぢやありませんか。」
「五〇サンチイムのビステキ! ほんたうに安いですね。」若い公爵は感心したらしく首をふつた。
 二人は鱈腹飲んだり食つたりした。そして勘定書をとつてみた。勘定書には三百七十五フランと書いてあつた。O氏は眼を白黒させた。
「三百七十五フラン! どうしたんだらう、勘定違ひではないでせうか。」
「ええつ。三百七十五フランですつて。」若いお公家さんは卓子の向うから勘定書を覗きこんで考へた。
「してみると、50とあるのは、サンチイムぢやなくて、フランですよ、吃度。」
「フランでせうか。驚いたなあ、それではちつとも廉かない。」
 O氏は酔も何も一時に醒めたやうな顔をした。
「Kさん、甚だ相済みませんが、三百フランばかりお持合せでせうか。」
「あいにく持合せがないんです、実はお廉いやうにうかがつたものですから。」
 公爵は恥づかしさうに言つた。実際その日に限つて若いお公家さんの懐中物は、O氏のと同様最も民主的に瘠せきつてゐた。
 二人は早速オテル・ブリストルの全権本部に電話をかけて、仲間の某氏に金を持つて来るやうに頼んだ。二人は給仕の目つきを気にしながら、一杯の飲料をちびりちびり小鳥のやうな口許をして舐めつづけてゐた。飲料がなくなつた頃にやつと金がとどいた。
 二人は外へ出て、一緒にほつと溜息をついた。見ると、プラス・ヴアンドームの広つ場にはナポレオンの像が金持の次男のやうな顔をしてにやにや笑つてゐた。二人は顔を見合はして又一つふかい溜息をついた。
 それ以後O氏は友達と散歩の途すがら、どうかしてレストラン・ボアソンの前へ出ると、慌てて友達の肱をつついて言つた。
「君、此処は怖い家だよ、滅多に入るんぢやないよ。」


料理屋はその一つ


 早稲田系統の実業家、日清生命のT氏と、藤本銀行のI氏とが、こなひだ京都で会つた事があつた。二人は夕飯を食べに、祇園の安井神社の境内にある「つるや」の支店に入つて行つた。
 二人は座敷に案内せられると、京都には久しい以前早稲田で自分達を教へてくれた文学博士F氏がゐる事を思ひ出した。すべて師匠といふものは、その傍を離れると、えて忘れられがちなもので、思ひ出す時分には、大抵その人は亡くなつてゐるものだが、この場合F氏が生きてぴんぴんしてゐたのは、とんだ幸福だつた。何故といつて、二人は早速手紙を書いてF氏を「つるや」へ招待することに取決めたのだから。
 I氏は手紙を書いた。届先は文科大学のF氏宛にして、こちらは安井神社境内の「つるや」として置いた。――手紙を出すと、二人は待つ間の退屈しのぎに、雲行きの怪しい今の財界の模様など話しつづけた。
 いくら二人が話し合つても、この不景気をどうする事も出来なかつた。で、二人は恋の話をしようとした。ところが、困つたことには、二人とも煙草をふかしてゐた。一体煙草といふものは恋の墓場の煙と言はれるもので、恋をするものは決して煙草など喫さない。煙草好きに限つて、真剣な恋など出来つこはないものだ。二人が恋を語つたつもりで、実は女の噂をしてゐたに過ぎなかつたと気がついた頃には、二人ともかなり腹が空いてゐた。――だが、肝腎のF氏はまだ姿を見せなかつた。
「先生は遅いね。」
「うん、遅い。どうしたんだらう。」
「腹が空いた。そろそろ酒でも始めて待つことにしようか。」
「よからう。」
 二人は早速酒を取寄せて、ちびりちびりと盃の縁を嘗めてゐた。そして幾本か空の銚子が膳の前に並んだ頃、F氏が汗を拭き拭き、やつと座敷に入つて来た。
「や、どうも遅くなりました。」
 倫理学者はソクラテス以来の道徳説が一ぱい詰つてゐる頭を下げた。
「ちよつと寄り道をしたものですから。」
「さあどうぞ。」I氏は座蒲団を博士の方へ押しやつた。「寄り道つて、どちらへですか。」
「え。ちよつとその……」F氏は何か思ひ出したらしくにやにや笑つてゐた。
「ちよつと、どうなさいました。」
 すると博士は声を立てて笑ひ出した。そして二人が厳重に秘密を守つてくれるなら、来遅れた理由を打明けてもよいと言ひ出した。二人は秘密を守ることを約束した。
 F氏は持前の東北弁で話し出した。それによると、氏は招き状の裏に書いてあつた安井神社の境内まで来は来たが、どうしても肝腎の料理屋が見出せなかつた。丁度折よくそこを頭の円い坊さんが通り掛つたので、F氏はその人の前に頭を下げた。
「ちよつと伺ひますが、この辺に門百屋といふ料理屋はございますまいか。」
「門百屋?」坊さんはつるりと頭を撫でた。「はてな、ねつからこの辺にはおへんやうどすな。」
 F氏はうろたへ出した。そして行き合ふ人をつかまへては「門百屋」の在所を訊いたが、誰一人知つて居るものはなかつた。そこへ折よく学校帰りの小娘が通り掛つたので、この大学教授は又しても「門百屋」の在所を訊いた。
「門百屋はん? そないな家はおへんが。」小娘は可愛らしい眼を上げて汗で濡れた博士の顔を見た。「どないな字を書きまんねん。」
 博士は早速持合せた洋杖で地面に、招き状にある通りの文字を書いた。
「ああ、つるやどすか、」小娘は小鳥のやうに笑ひ出した。「つるやはんならそこどすがな。」
 博士は娘つ子に教へられて、やつと「つるや」に辿りついたといふのだつた。
 博士は尊敬すべき哲学者である。ハムレツト曰く「ホレシオよ、この天地の間にはそなたの哲学の思ひも及ばぬ大事がござるぞ。」――ほんたうに大事は幾つもござる。少くとも料理屋はその一つだて。


実業家の義太夫


 東京の実業家S氏の令嬢が、大阪の実業家M氏の孫息子、今は大蔵省の役人を勤めてゐるY氏に嫁いだことは、新聞の花嫁花婿欄に気を附けてゐる人の、誰しも記憶してゐることだらう。
 その披露の宴に、S氏は遙々大阪までやつて来た。M家では花嫁の父親として叮嚀に待遇をした。M氏は火災保険会社や、銀行の取締役として聞えてゐると同時に、能楽や義太夫の達者としても、相応に名を売つてゐる人である。大きい声では言へないが、S氏も義太夫にかけては、天狗の一人である。
 宴席には、色々余興もあるので、いつもM氏の絃をつとめる三味線弾きの某がやつて来てゐた。M氏は予てS氏が義太夫好きなことを聞いてゐたので、別室にその三味線弾きを呼んで、そつと小声で囁いた。
「今二階に、東京からSさんといふ人が来て居られるが、至つて浄瑠璃好きで、余興に一つお願ひしたいと思つてゐるのだから、お前ちよつと上つて行つて、絃を合せて来てお呉れでないか。」
 三味線弾きは二つ返事で、三味線を抱へて気軽に二階へ上つて行つた。暫くすると絃の音がぽつんぽつんと続いたり止んだりしてゐたが、いつとなくそれが止つたかと思ふと、泣き出しさうな顔をして三味線弾きが下りてきた。
「旦那はん、」三味線弾きはM氏の顔を見て悲しさうに言つた。「堪忍しとくなはれ、あの方の絃を弾くのだけは。私どうも堪りまへんよつてな。」
 M氏は不思議さうに聞いた。
「堪らんて、一体どうしたんだい。」
「浄瑠璃好きや言ひなはるから、ちつとは語られるのんかと思つてましたんやが。」
 三味線弾きは可笑しさと悲しさとがごつちやになつたやうな変な表情をした。
「まるでわやだんがな。あんな事やつたら、浄瑠璃も何もあらしまへん。絃に合ふ筈がおまへんやないか。」
「さうか。」M氏は急に可笑しさが込み上げて来るのを、会社の重役の技倆うでまへで、やつと奥歯の辺で噛み殺した。そしてわざと蟹のやうないかつい顔をした。
「そんな気儘を言ふものぢやない、あの人は東京では名代の義太夫道楽なんだから。」
「そら知つてまんねやけど、とてもわての手にはおへまへん。」
 三味線弾きは涙ぐんだ目つきをして言つた。
「それぢや困る。あの方はお前も知つてる通り、孫の花嫁のお父さんだ。家にとつては大事な客なんだから。そこを何とかうまくやつて呉れないぢや困るぢやないか。」
 M氏は押し宥めるやうな調子で言つた。
 三味線弾きは暫く考へてゐたが、やがて決死の色を顔に浮べて立ち上つた。
「よろしおま。そないな訳やつたら、兎も角もやつてみまつさ。」
 暫くすると、二階ではまたもぽつんぽつんと変な三味線の調子が聞え出した。
 宴席が開かれると、余興として当日の花嫁のお父さんS氏の義太夫が披露せられた。皆は手を拍つて喜んだ。裃姿のS氏は三味線弾きをつれて別室から頭を下げた。
 暫くすると、義太夫が始まつた。始まると直ぐに、皆は呆気にとられた。
「どうも変な義太夫だんな。」
「さうだつせなあ、まるで牛が吼えるやうやおまへんか。」
「まあ、黙つて聞きなはれ。だんだん変になつて来ますよつてなあ。」
「わて、もうかなひまへん。」
 たうとう居合はす客の一人は、声を出して噴き出してしまつた。するとそれにつれて、皆が一度に声を揃へて笑ひ出した。
 M氏も笑つた。花婿も笑つた。花嫁も笑つた。盃も笑つた。銚子も笑つた。最後にS氏も顔をへし曲げるやうにしてお附合ひに少し笑つた。
 たつた一人三味線弾きだけは、真青な顔をして少しも笑はなかつた。


義太夫を呼べ


 専門学校昇格問題できこえた文部大臣N氏が、ある時、知合の二三人に誘はれて廓に行つたことがあつた。
 酒が始まると、知合の一人が盃をN氏に差しながら言つた。
「なんだか芸妓ばかりでは座敷がしみていかん。義太夫を呼ばうぢやありませんか。」
「義太夫か。」N氏は盃を受けながら大きく頤をしやくつた。「そいつは面白からう。早速呼んでくれ給へ。」
 狸好きのN氏が狸のやうに腹を撫でていつもの大笑ひをする頃になると、そこへ年増の女義太夫がすつと入つて来た。そして太棹の調子を合しながら、骨つぽい顔を歪めて一くさり『酒屋』を語つた。
 皆は感心したやうに手を拍つて喜んだ。N氏も皆の後から急に思ひ出したやうに、手を拍つて感心した。女義太夫は面目を施して引下つた。
 それからまた一しきり酒がはずんだ。暫くするとN氏は直ぐ側に居る主人側の一人を突ついた。
「君、義太夫は遅いね、まだ来ないのかしら。」
「義太夫?」突かれた男は不思議さうな顔をしてN氏を見た。「義太夫はもう来たぢやありませんか。」
「もう来たつて? なあにまだ来やしないさ。」
 N氏は胡麻塩の頭をふつた。相手はN氏をすつかり酔払つたのだと思つたらしく、わざと宥めるやうに言つた。
「来ましたよ、さつき太棹の弾き語りをして帰つた女があつたぢやありませんか。」
 N氏は腑に落ちなささうに狸のやうな表情をした。
「あれは君浄瑠璃ぢやないか。義太夫はまだ来やしないよ。」
 皆は呆気に取られた。酔つた眼を一ぱいに見張りながら、じつとN氏の顔を見つめたが、つい気の毒になつたので同じやうな事を言つて調子を合した。
「ほんたうにさう言へば、義太夫はまだ来ないやうですね。」
「それ見給へ、まだ来やしないんだよ。おい、誰か早く義太夫を呼ばないか。」N氏は図に乗つて得意さうに大きく喚いたが、そこに居合はせた人達は、みんな可笑しさと悲しさとのごつちやになつたやうな表情をして、誰一人義太夫を呼びに立たうともしなかつた。


呂昇の浪花節


 今はD大学総長のE氏が、まだH教会の牧師をしてゐた頃、教会員が打寄つて親睦会を開かうといふ事になつた。
 羊のやうにおとなしい、そして羊のやうに群つてゐる耶蘇教の信者達だ。親睦会を開くにしても成るべく天国に近いやうな場所を選ばねばならなかつた。それには丁度恰好なところがあつた。それは書肆K社の主人F氏の大森にある別邸だつた。そこには鳩が飼つてあつたので、少し安価だつたが、天国らしい気持がしないこともなかつた。
 余興には何がよからうといふ事になつた。世俗を嫌ふ耶蘇教信者も、やはり余興は人並みに面白かつた。色々詮議の末が、その頃有楽座に来てゐた豊竹呂昇の浄瑠璃を聴くことになつた。――呂昇は芸人ではあるが、熱心な基督信者である。
 呂昇は『堀川』を語つた。居合はせた信者達は、四福音書の中で、悪魔が尻から入つた豚が、そのまま海に溺れて死んだ話は聞いてゐるが、与次郎の飼つてゐるえてきちが、お初徳兵衛の祝言をするやうなめでたい事はあまり知らなかつたので、みんな手を拍つて感心した。すると顎鬚の長いE氏の後に坐つて、肩越しに伸び上り、伸び上り、呂昇に見惚れ聞き惚れてゐた或る女伝道師が、少し腑に落ちなささうな顔をしてそつとE氏に訊いた。
「先生、あれは何とおつしやるお方?」
「あれですか、」E氏は神のしろしめす世界のことだつたら、何一つ知らないことはないやうな自信のある調子で答へた。「あれが豊竹呂昇です。」
 女伝道師は感心したやうに深い溜息をついた。
「そして、あれが浪花節といふものなんですか?」
 E氏は禿頭に荊の冠を被せられたやうな痛さうな顔をした。しかし露骨むきつけにあれが浄瑠璃だとも言ひ兼ねて、少し砂糖に水を混ぜて返事をすることにした。
「浪花節? いや、さうでもないが、まあ似たやうなものですよ。」


賽銭百両


 柳沢淇園は通称を権太夫といつて、大和郡山藩の一族だつた。多芸な人で、書画はいふに及ばず、詩文、和歌、俳諧、音曲、天文、数理、医術といつたやうなものにも精通し、人の師匠として立つに足りる芸が十六もあつたといふ事だ。
 すべて芸能のある人には、どうかすると、一人天下で、同じ道に遊んでゐる人の盛名を嫉むのがよくあるが、淇園にかぎつてそんな狭い量見は露ほどもなく、当時の画家や文人でこの人の庇護を受けた向きも少くなかつた。その頃画家として盛名のあつた池大雅もその一人で、淇園には折りにふれていろいろ手あつい友情を受けてゐたやうである。
 あるとき、淇園は大雅を自分の屋敷に招いて、画を描かせた。そして帰るときお礼だといつて、百両の金を包んだ。その頃の金で百両といへば大したもので、いつも貧乏で聞えてゐた大雅にとつては、滅多にめぐり合ふことの出来ない「幸運」だつたに相違ない。だが、無頓着な大雅は別に辞退もしないで、そのまま懐中に捩ぢ込んで、暇を告げた。
 大雅は京都へ帰る途中、深草の藤森神社へ参詣した。そして淇園に貰つたばかりの百両の包を、そのまま賽銭箱に投げ込んで帰つた。
 その日の夕方、賽銭を調べようとして箱をあけた神主は、錆ついた散銭の中に、百両の黄金を見つけて胆を潰さんばかりに驚いた。
「まあ百両の金……一体誰が投げ込んだものだらうて。」
 神主はその百両の黄金を膝の上へ抱へ込んだまま、いろいろ考へに耽つた。
「ことによると盗人が隠し場所に困つて、ちよつと忍ばせたものかも知れんて。」
 神主はやつとかう思ひついたので、理由を話して役人の手もとまでその金を届け出た。
 役人の手で方々取調べた結果、その金包は池大雅が柳沢淇園から貰つたものだといふ事が判つた。暢気で無頓着で名高いこの画家は、役人の前へ呼び出された。役人はその金包を大雅に見せた。
「はい、それは私が、柳沢権太夫殿から受取つた潤筆で、藤森の社でお賽銭に奉納したものに相違ございませぬ。」
 大雅は答へた。役人は胡散さうに眼を光らせた。
「しかし、百両といへば大金ぢや。賽銭にはちと多過ぎるやうぢや。」
「かも存じませんが、しかし百両の金を懐中にしてゐたのでは、私も少し重すぎるものでございますから……」
 大雅はけろりとした顔でかう答へた。


食卓語


 米国の石油王ロツクフエラアは、滅多に公の宴会へ出ない。たつて招待でもせられると、まるで法廷にでも引き出されるやうに、苦り切つた顔をして入つて来る。
 ある人が石油王に対つて、
「何故貴君はそんなに公の宴席をお嫌ひになるのです。」
と訊くと、ロツクフエラアは丁度寄附金を出し惜しみするやうに、大儀さうに口を開いた。
「第一私は他人様のやうに余りたんと食べません。それに他の人達は、食事が済んでゐてもまだお喋りをするために、じつと食卓についてゐる。私の考へでは、食後のお喋りといふものは、自転車の車輪のやうなもので、長ければ長いだけ疲労タイヤが大きくなる。」
 ロツクフエラアの積りでは、疲労タイヤ護謨輪タイヤにもぢつた言葉の洒落らしいが、実際食後のお喋りは、どうかすると聴衆をげんなりさせて、おなか消化こなれまで悪くさせるものだ。
 仏蘭西に都を遷してゐた白耳義国王が皇后と連れ立つて、いつだつたか自国の詩人達が組織してゐる文学会に出掛けて行つた事があつた。すると、その挨拶の任に当つたのが、ほかでもない、汽車に轢かれて亡くなつた詩人ヴエルハアレンであつた。
 ヴエルハアレンは落着いた態度で立ち上つた。皆は名高い詩人のことだ、どんな素晴しい挨拶をするだらうかと、固唾を飲んで待ち設けた。
 ヴエルハアレンは、静かに透きとほるやうな声で、
「白耳義国王陛下並びに皇后陛下……」
と一言言つた。両陛下は言ふに及ばず、一座の者は、詩人がどんな言葉で後を継ぐだらうかと、顔中を耳のやうにしてじつと待つてゐた。
 十秒経つた。二十秒経つた。一分経ち、二分経つても、ヴエルハアレンは何一つ後を言ひ足さなかつた。見ると、いつの間にか、ちやんと椅子に腰を下してけろりとした顔ですましてゐた。


漱石氏の皮肉


 これはまた聞きの話である。
 工芸美術家のM氏が、麹町のR倶楽部でその作品展覧会を開いたことがあつた。三日目の夕方、観覧客の足が大分間遠まどほになつたので、そろそろ入口の戸をしめかけようとしてゐるところに、ぶらりと入つて来たのは夏目漱石氏だつた。門人らしい二三人の若い人達がその道づれだつた。
 ひとしきり作品を見てまはつた後、皆は小さな卓子を中に、有合せの椅子に腰を下した。M氏もそのなかに交つて、心安さうに陽気に話し合つてゐた。
 若い人達の話を黙つて聞きながら、それとなくM氏の顔を見てゐた夏目氏は、だしぬけに妙な事を言つた。
「M君、君は長曾我部元親の後裔ぢやありませんか。」
「え。」M氏は何の事だかわかりかねたやうな眼つきをして相手の顔を見た。
「君の祖先は長曾我部ぢやないんですか。」
 M氏はくすくす笑ひ出した。
「長曾我部とおつしやると……」
 夏目氏はにやりと笑つて、落着いた口振りで話し出した。
「長曾我部といふ男は妙な奴でね、手つ取り早く言ふと、領土蚕食主義者なのです。先づ自分の領地に麦を播いたとする。刈入時になると、お構ひなしに隣の畑にまで鎌を入れる。畑の持主が怒り出せば、ぐづぐづ言ふなら腕づくで来いといつた風に、直ぐに武力で争ふ。そして吃度勝つ。次の年にはまた新しい畑に麦を播く。そして刈入時になると、また同じ事を繰返す。で、その度に段々と巧みに領地を殖やしていつた男ださうですよ。」
「ははは。猾い奴だな。」
 皆は一度に噴き出した。M氏はひとり詰らなささうな顔をしてゐた。
「そんな男を、なんだつてまた私の祖先だなんて……」
「別に理由は無いのです。そんな事だつたらちよつと面白いと思つたもんだから……」と夏目氏はにやりと微笑した。そして独言のやうに言ひ足した。「あれで長曾我部は、今の言葉で言ふと、なかなか同化力に富んだ男だつたのだ。」
 皆はまた声を揃へて笑つた。M氏も仕方がなささうに一緒になつて笑つたが、なんだか不足らしい色が見えた。


対敵行動


 名高い提督 Fyffe が、米国海軍のアジア艦隊の司令官をしてゐたことがあつた。提督は気むづかしい、赤銅のやうな顔をした古強者ふるつはものだつたが、一面には滑稽の趣味をもわきまへたなかなかの洒落者だつた。
 そのころは、海軍将校の女房達は、良人をつとが外国勤めに出掛けるときには、たいてい同伴を許されて、艦隊が行く先々の遠い港へ、海を越えて旅立ちしたものだつた。
 提督が乗込んでゐるアジア艦隊が、香港の港近く碇泊してゐるときには Fyffe 夫人はいつも軍艦から下りて、港にある英吉利ホテルに泊つてゐた。そして日課のやうにして訪ねて来る自分の良人を迎へて、赤銅色に不似合なほど話上手な提督の世間話に、しみじみと聞きとれたものだ。
 そのうち、本国のワシントン政府では、大臣の顔触が変つて、海軍省には何とかいつた若手のちやきちやきが入つて来た。彼はこれまで省内に沈滞してゐた空気をとりかへるためにいろんな改革を行つた。そのなかに次のやうな省令があつた。
「爾今海外にある将校の夫人同伴は厳禁せらるべし。従来海外の勤務先に同伴せる各海軍将校の夫人は、この際急速に合衆国内にある各自の家庭に帰還すべきものなり。」
 この省令は電報で香港にゐたアジア艦隊にも送られた。旗艦の甲板の上でそれを受取つた提督は、顔を捩ぢ曲げるやうにしてにやりと笑つた。そして直ぐ陸に上つて、英吉利ホテルの夫人を訪ねたものだ。
 その夜おそくなつてから、次のやうな意味の電報が本国の海軍省宛に送られた。
「海外勤務にある海軍将校が同伴せる夫人達を、至急本国の家庭に帰還せしむべしとの貴電は確かに拝命せり。この命令は直ちに提督 Fyffe 夫人にも伝達せられたり。然る所夫人は、頑強にこの命令に服従するを拒絶せり。今後執るべき対敵行動について至急御指揮を待つ。」


内談洩れ


 近頃官公吏の任免黜陟や、大会社の幹部の更迭などが、関係当人の一向知らない前に、逸早くも新聞紙に掲載せられたり、また当然秘密が保たるべき或る種の会議の内容が、明らさまに新聞紙で発表せられることが多くあるのは、何等か其処に多少の手落ちか、不都合かがあるやうな気がして、危つかしい心持を抱かせられることがよくある。利害関係や単なる知識慾や、その他色々な事情から、現代人は抜けがけに他よりも早くどんな事をでも知りたがる傾向があるので、新聞雑誌がその欲求に応じるべく、いろんな無理な手段まで尽して報道を得ようするのは止むを得ないこととして、局にあたる人達がもつとしつかりしてゐて、責任を重んずる念が強かつたなら、うまうまと彼等に利用せられて、事前に事実を洩らしたり打明けてはならぬ会議の模様を発表するやうなことはなかるべきはずだと思ふ。当事者の漏洩に対する嫌疑をまぎらすために、わざと事件の一二を間違へて掲載するやうな小細工は最も不愉快である。
 むかし、寛永九年だつたかに、加藤忠広が罪あつて所領の肥後国を没収せられた。それから間もなく幕府で新国守の沙汰があつた。その日老中方は、内談がひまどつたので退出が遅くなり、六つ過ぎにやつと自分の屋敷に帰ることが出来た。すると、追つかけて府中からまた御召出しの沙汰があつたので、皆は何事だらうと、早乗りで登城をしたものだ。
 時の公方大猷院は、殊の外不機嫌な模様だつた。気遣はしさうな皆の顔をきつと見据ゑて叱りつけるやうに言つた。
「今日各々から申し出た肥後の国守の儀は、近きうちに改めて申し渡すべきは、各々もよく存じ居るべき筈ぢや。しかるに世間にはもはやそれを存じたるものあるやに聞いた。左様に内談が洩れ易くては、いかやうにして天下の仕置を致すぞ。」
 皆は顔を見合はせた。土井大炊頭利勝は一座にちよつと会釈しながら言つた。
「只今の仰せは至極御尤もながら、肥後の国守の御沙汰につきましては、上御一人の思召と下万民の存じ寄りと合一つかまつりましたので、殊の外有難く存じてをります次第でございます。その仔細は――」
 大炊頭は膝を乗り出すやうにして、その仔細といふのを説き明かした。それによると、何事によらず急に世間に触れ出さなくてはならない用事があつて、役人達へ申し渡し、出来るだけ急に触れさせても、その日のうちにはなかなか世間には届き難いものである。肥後の新国守の儀については、自分は毎日二人づつ物聞きを出しておいて、江戸中の取沙汰を聞かせてゐるが、今日まだ城中に勤めて帰宅もしないうちに、一人は芝札の辻、一人は牛込辺で、細川越中守が肥後の国の拝領を仰せつけられたさうだといふ世間の噂を耳にした。それを考へ合はせるにつけて、上意と民心とがよく合一してゐる事が察しられるといふのだつた。
「物聞きどもが用人まで差出しました書付、これに持参仕りました。御上覧下し置かれまするやうに。」
 将軍は大炊頭の言訳を聞いて、初めて機嫌を直したといふことだ。
 噂の主人細川越中守は、その頃まで豊前小倉の城主として三十七万石を領してゐたが、寛永三年の旱魃に、先々代幽斎以来大事にかけて持伝へた安国寺肩衝の茶入を、家来に持たせてわざわざ京都に上せ、それを売払つてその金子で食物を買ひ取り、領内の百姓に恤んだことがあつて以来、大名の手本として世間に評判の高かつた人である。
 すべて公事の施設や、人事の異動などは、かういふ風に当局と世間との意嚮が、ぴつたりと一致するところまで行かなければ妙境とは言はれない。この妙境に達するには、当局がひとへにその私心私情を抛ち去つて、大多数の心を心とするにある。


盗まれぬやうに



 世のなかに茶人ほど器物を尚ぶものはあるまい。利休は茶の精神は佗と寂との二つにある。価の高い器物を愛するのは、その心が利慾を思ふからだ。「欠けたる摺鉢にても、時の間に合ふを、茶道の本意。」だといつた。本阿弥光悦は、器物の貴いものは、過つて取毀したときに、誰でもが気持よく思はないものだ。それを思ふと、器は粗末な方がいいやうだと言つて、老年になつて鷹ヶ峰に閑居するときには、茶器の立派なものは、それぞれ知人に分けて、自分には粗末なもののみを持つて行つたといふことだ。また徳川光圀は、数奇の道に遊ぶと、器物の慾が出るものだと言つて、折角好きな茶の湯をも、晩年になつてふつつりと思ひとまつたといふことだ。こんな人達が言つたことに寸分間違ひはないとしても、器物はやはり立派な方がよかつた。器がすぐれてゐると、それに接するものの心までが、おのづと潤ひを帯びて、明るくなつてくるものだ。


 天明三年、松平不昧は稀代の茶入油屋肩衝を自分の手に入れた。その当時の取沙汰では、この名器の価が一万両といふことだつたが、事実は天明の大饑饉の際だつたので、一千五百両で取引が出来たのださうだ。一国の国守ともある身分で、皆が饑饉で困つてゐる場合に、茶入を需めるなどの風流沙汰は、実はどうかとも思はれるが、不昧はもう夙くにそれを購つてしまつたのだし、おまけに彼自らももう亡くなつてゐるので、今更咎め立てしようにも仕方がない。――だが、これにつけても本当だと思はれるのは、骨董物は饑饉年に買ひとり、娘は箪笥の安いときに嫁入りさせるといふことである。
 不昧はこの肩衝の茶入に、圜悟の墨蹟をとりあはせて、家宝第一といふことにした。そして参覲交代の折には、それを笈に収めて輿側かごわきを歩かせたものだ。その愛撫の大袈裟なのに驚いた或る人が、試しに訊いたことがあつた。
「そんなに御大切な品を、若しか将軍家が御所望になりました場合には……」
 不昧は即座に答へた。
「その代りには、領土一ヶ国を拝領いたしたいもので。」

 あるとき、某の老中がその茶入の一見を懇望したことがあつた。不昧は承知して、早速その老中を江戸屋敷に招いた。座が定まると、不昧は自分の手で笈の蓋を開き、幾重にもなつた革袋や箱包を解いた。中から取出されたのは、胴に珠のやうな潤ひをもつた肩衝の茶入だつた。不昧はそれを若狭盆に載せて、ずつと客の前に押し進めた。
 老中は手に取上げて、ほれぼれと茶入に見入つた。口の捻り、肩の張り、胴から裾へかけての円み、畳附のしづかさ。どこに一つの非の打ちどころもない、すばらしい出来だつた。老中はそれをそつと盆の上に返しながら、いかにも感に堪へたやうにいつた。
「まつたく天下一と拝見いたしました。」
 その言葉が終るか終らないかのうちに、不昧は早口に、
「もはやおよろしいでせうか。」
と言ひざま、ひつたくるやうに若狭盆を手もとに引寄せた。まるで老中が力づくで、その茶入を横取りしはしないかと気づかふかのやうに。


 The Ladies' Home Journal の記者として、三十年も働いてゐた Edward Bok が、まだ十五六の少年のころだつた。名士訪問を志して、ボストンに牧師として名高い Phillips Brooks を訪ねたことがあつた。牧師はその当時蔵書家として聞えた一人だつた。
 訪問の前日、この牧師の友人である Wendell Philips に会つた。少年の口から明日の予定を聞いたこの雄弁家は、笑ひ笑ひ言つてきかせた。
「明日は Brooks を訪ねるんだつて。あの男の書斎にはぎつしり本がつまつてゐて、それにはみんな記号と書入れとがしてあるんだよ。訪ねて行つたら、是非その本を見せてもらひなさい。そしてあの男がよそ見をしてゐる時に、二冊ばかりポケツトに失敬するがいい。何よりもいい記念になるからな。なに、どつさり持合せがあるんだ。発見めつけられる心配なんかありやしないよ。」

 少年は Brooks に会ふと、すぐにこの話をした。牧師は声を立てて笑つた。
「子供に与へる大人の助言としては、随分思ひ切つたことを言つたものだな。」
 Brooks はこの幼い珍客を、自分の書斎に案内することを忘れなかつた。そこには世間の評判どほりに、沢山の書物がぎつしり書棚に詰つてゐた。
「ここにある書物には、それぞれ書入れがしてあつて、中にはそのために頁が真黒になつてゐるのもある。世間にはこの書入れを嫌がる人もあるやうだが、しかし、書物が俺に話しかけるのに、俺の方で返事をしないわけにいかんぢやないか。」
 かう言つて、牧師は書棚から一冊のバイブルを引出して見せた。それは使ひ古して、表紙などくたくたになつてゐる本だつた。
「俺のところにはバイブルは幾冊もあるよ。説教用、儀式用とそれぞれ別になつてゐるが、この本は俺の自家用といふわけさ。見なさい、こんなに書入れがしてある。これはみんな使徒パウロと俺との議論だよ。随分はげしい議論だつたが……さあ、どちらが勝つたか、それは俺にもわからない。」
 少年の眼が、どうかすると細々した書入れよりも、夥しい書棚に牽きつけられようとするのを見てとつた Brooks は、
「お前さんも、本が好きだと見えるな。何ならボストンへやつて来たときには、いつでも家へ来て、勝手にそこらの本を取出して見てもかまはないよ。」
と、お愛想を言つたが、最後に笑ひながらかう言つて附け足すのを忘れなかつたさうだ。
「俺はお前の正直なのを信じてゐるよ。まさか Wendell Phillips の言つたやうなことはしまいね。」


女流音楽家


 プリマ・ドンナの Tetrazzini 夫人が演奏旅行をして、アメリカの Buffalo 市に来たことがあつた。夫人の支配人は、土地で聞えた Statler ホテルへやつて来て、夫人のために三室続きの部屋を註文した。その当時、ホテルには二室続きの部屋は幾つもあつたが、註文どほりの部屋といつては、一つも持合せがなかつた。だが、ホテルの主人は、この名高い女流音楽家をほかの宿屋にとられることが、どれだけ自分の店の沽券にかかはるかをよく承知してゐるので、平気でそれを引受けた。
「承知仕りました。夫人はいつ頃当地にお着きになりますお見込で……」
「今晩の五時には、間違ひなく乗込んで来る筈です。」
 主人は時計を見た。ちやうど午前十時だつた。
「よろしうございます。それまでにはちやんとお部屋を用意いたして、皆様のお着きをお待ちうけ申すでございませう。」
 支配人の後姿が見えなくなると、ホテルの主人は大急ぎで出入りの大工を二三人呼びよせた。そして二室続きの部屋と第三の室とを仕切つてゐる壁板をぶち抜いて、そこに入口の扉をつけた。削り立ての板には乾きの速い塗料を塗り、緑色のカアテンを引張つて眼に立たぬやうにした。汚れたり傷がついたりしてゐた床の上には、派手な絨毯を敷いて、やつと註文どほりの三室続きの部屋が出来上つた。それは約束の午後五時に五分前のことだつた。
 それから暫くすると、支配人を先に、美しく着飾つた Tetrazzini が入つて来た。そしてホテルの主人から新しく出来上つた部屋のいきさつを聞くと、満足さうにほほ笑んだ。
「まあそんなにまでして下すつたの。ほんたうにお気の毒ですわ。」

 だが、Tetrazzini よ、そんなに自惚れるものではない。女といふ女は、どうかすると相手の男の胸に、第二第三の新しい部屋をこしらへさせるもので、男がその鍵を滅多に女に手渡ししないから、女がそれに気づかないまでのことだ。――唯それだけのことなのだ。


演説つかひ


 バアナアド・シヨウは、その脚本の一つで、英雄シイザアの禿頭を、若いクレオパトラの口でもつて思ふ存分に冷かしたり、からかつたりしてゐる。どんな偉い英雄でも、クレオパトラのやうな美しい女に、折角隠してゐた頭の禿を見つけられて冷かされたのでは、少々参るに相違ない。
 アメリカの法律家で、長いこと下院の雄弁家として聞えた男に Thomas Reed といふ人がある。この人が或るとき、まだ馴染のない理髪床へ鬚を剃りに入つて行つた事があつた。
 黒ん坊の鬚剃り職人は、髪の毛の薄くなつた客の頭を見遁さなかつた。そしてあはよくば発毛剤けはえぐすりの一罎を客に押しつけようとした。
「旦那、ここんところが少し薄いやうだが、こんなになつたのはずゐぶん前からのことでがすか。」
「禿げとると言ふのかね。」法律家は石鹸の泡だらけの頤を動かした。「わしが産れ落ちたときにはやはりこんな頭だつたよ。その後人が見てうらやましがるやうな、美しい髪の毛がふさふさと生えよつたが、それもほんの暫くの間で、すぐにまた以前のやうに禿げかかつて来たよ。」
 黒ん坊はそれを聞くと、鼻さきに皺をよせて笑つてゐたが、発毛剤のことはもうあきらめたらしく、黙りこくつて剃刀を動かしてゐた。
 客が帰つた後で、そこに待合せてゐた男の一人が、今までそこで顔を剃らせてゐた客は、議院きつての雄弁家だといふことを話した。すると、黒ん坊は厚い唇を尖らせて、喚くやうに言つた。
「雄弁家だつて。そんなこと知らねえでどうするものか。わしら誰よりもよくあの旦那が演説つかひだつてえことを知つてるだよ。」


誤植


 牧師 Phillips Brooks が、あるとき宗教雑誌から訊かれた問題について、ちよつとした返事を書き送つたことがあつた。そのなかに、
“We pray too loud and work too little”
といふ文句があつたのを、植字工はそれを拾ふ場合に、うまい間違ひをした。刷り上つた雑誌に現れた文句は次のやうになつてゐた。
“We bray too loud and work too little”
 bray は「驢馬のやうに啼く」といふ言葉だ。それを見た牧師は、心から微笑ほほゑまぬわけにゆかなかつた。そして感心したやうに人に話した。
「植字工のしたことは全くほんたうですね。正誤など書き送る気は更にありませんよ。」


マツチの火


 これは露西亜の片田舎にある一軒屋で起きた事柄だ。――
 ある独身者の農夫が、寝しなに自分の義歯をはづして、枕もとのコツプの水に浸しておいた。すべて義眼や義歯をはめてゐる人たちは、よくかうしたことをするものなのだ。
 その夜はひどく寒かつた。朝起きてみると、戸外は大雪だつた。農夫は義歯を取上げようとして、初めてコツプの水がなかに義歯を抱いたままで、堅く凍りついてゐるのに気がついた。
 氷を溶かすには、さしあたり火をおこすより仕方がなかつた。彼は台所に下りてマツチを捜したが、間が悪いときには悪いもので、唯の一本も見つからなかつた。
 ちやうど暁の五時で、農夫は義歯のない口では、朝飯を食べることもできなければ、また人と話をするわけにもゆかなかつた。
 彼は厩に入つて馬を起した。そして町はづれに住んでゐる友人を訪ねようとして、六哩の間雪の道を走らせた。
 友人は入口に立つたその訪問客が、急にとしとつて皺くちやな、歯のない頤をもぐもぐさせながら、手ぶりで何か話さうとするのを見てびつくりした。やつとのことで彼はその訪問客がマツチ箱をもとめに来たことが解つて、涙が出るほど大笑ひをした。
 農夫は大切なマツチ箱一つを貰ひ受けて、また大急ぎに馬を駆つて帰つて来た。そして氷を溶かして、やつと義歯を口のなかに頬張ることができたさうだ。
 これを思ふと、何をさしおいても、マツチの一箱は枕もとにおいておくべきものだ。マツチは義歯の凍つたのを溶かすに役立つのみならず、寝起きにみたくなる煙草にも火をつけることができる。しかし、それよりもいいのは、近くに眠つてゐる人の寝顔を、それと知られないでこつそり見ることができることだ。人の寝顔を見ると、いろいろな意味で自分を賢くすることが出来るものだ。



「どちらでもいいから、片眼を閉ぢるか、または瞬きしてみせたまへ。」
 かう言ふと、誰もがきまつたやうに自分の弱い方の目でそれをするが、男は一般に左の方を使ふ。耳も男は左が弱いので、耳が遠いとかいふ場合は、男なら大抵左にきまつてゐる。ところが女にはこんな傾向が見えない。女はどんな場合にでも健全だ。もしか女が片眼で笑つたら、それは自分の身近くで何か不健全なものを見つけたからだと思つて間違ひはない。


大王と哲学者


 古代ギリシヤの英雄、アレキサンドル大王が、名高いペルシヤ遠征に出かけた時のことである。その途中小アジアのなにがしといふ市に近く来かかると、大王はいつだつたかこの市が自分に弓を引いたことがあるのを思ひ出して、その時の意趣がへしに市をこつぴどく叩き毀してやらうと肚をきめてゐた。
 この市には、アナクシメネスといふ哲学者が住んでゐた。この哲学者は大王とは仲のいい友達づきあひで、後に名高いアレキサンドル大王伝を書いた人だが、ギリシヤの軍勢が市の近くに来かかつた由を耳にすると、
「これは市にとつて大変な場合ぢや。この美しい故郷を破滅から救ふには、わしよりほかには誰もゐない筈ぢや。」
と深く決心をした。そしてたつた一人で大王の陣地をさして出かけて行つた。
 アナクシメネスが訪ねて来たことを聞くと、大王はすぐに来客の肚の中を読みとつた。
「きやつめ、生れ故郷が救ひたさの一念から、わしを口説きに来たのぢや。せつかくぢやが、今日はその手には乗せられないから、あきらめてもらひたいものぢやて。」
 そこへ哲学者の顔が見えたので、大王はいきなり声を高めて先手をうつた。
「これはこれは、アナクシメネス先生。先生は悪い日に参られた。わしはたつた今、けふ一日は誰の言葉にも耳をかさぬといふ誓を立てたばかりのところぢや。」
「さやうでござりますか。さうとは存ぜず私は王様の力で、あの小アジアの市を木端微塵に叩き毀していただきたいと存じ、それをお願ひに上つたのでござりますが、お言葉を承はつてみればそれも致方のないこと、早速生命いのち冥加な市に告げ知らせるでござりませう。」
 哲学者はかう言つて、大王にお辞儀をしたかと思ふと、そのままそそくさと外へ駈け出して行つた。あとに残された大王は暫く呆気にとられてゐた。
 おかげで市はおそろしい破滅から免れた。





底本:「完本 茶話 下」冨山房百科文庫、冨山房
   1984(昭和59)年2月28日第1刷発行
   1988(昭和63)年7月25日第7刷発行
底本の親本:「新版茶話全集下巻」創元社
   1942(昭和17)年4月20日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※〔〕内の編集者による注記は省略しました。
入力:kompass
校正:仙酔ゑびす
2014年10月13日作成
青空文庫作成ファイル:
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