白羊宮

薄田淳介




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この書を後藤寅之助氏にささぐ


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わがゆく海の挿画
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わがゆく海


わがゆくかたは、月明つきあかりさしるなべに、
さはらかひなだるげにしづみ、
赤目柏あかめがしははしのびきそぼち、
石楠花しやくなぎいきづく深山みやま、――『寂靜さびしみ』と、
沈默しじま』のあぐむもりならじ。

わがゆくかたは、野胡桃のぐるみみこぼれ、
黄金こがねなす柑子かうじえだにたわわなる
新墾にひばり小野をののあらきばたくさくだものの
釀酒かみざけ小甕こみかにかをる、――『休息やすらひ』と、
『うまし宴會うたげ』のにはならじ。

わがゆくかたは、末枯うらがれあしごしに、
爛眼ただらめ入日いりひざしひたひたと、
水錆みさびおもにまたたくにひしれて、
姥鷺うばさぎはさしぐむ水沼みぬま、――『なげかひ』と、
追懷おもひで』のすむさとならじ。

わがゆくかたは、八百合やはあひしほざゐどよむ
とほうみや、――あゝ、朝發あさびらき、水脈曳みをびき
かみこそてれ、荒御魂あらみたま勇魚いさなとる
日黒ひぐろみのひろかたして、いざ『慈悲じひ』と、
努力ぬりき』のをとびたまふ。
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ああ大和にしあらましかば


ああ、大和やまとにしあらましかば、
いま神無月かみなづき
うは神無備かみなびもり小路こみちを、
あかつきづゆかみぬれて、きこそかよへ、
斑鳩いかるがへ。平群へぐりのおほ高草たかくさ
黄金こがねうみとゆらゆる
ちりまどのうはじらみ、ざしのあはに、
いにしうづ御經みきやう黄金こがね文字もじ
百濟くだら緒琴をごとに、いはに、彩畫だみゑかべ
くるはしらがくれのたたずまひ、
常花とこばなかざすげいみや齋殿いみどのふかに、
きくゆるぞ、さながらの八鹽折やしほをり
美酒うまきみかのまよはしに、
さこそははめ。

新墾路にひばりみち切畑きりばたに、
あか橘葉たちばなはがくれに、ほのめくなか、
そこともらぬ靜歌しづうたうま音色ねいろに、
目移めうつしの、ふとこそまし、黄鶲きびたき
ありえだに、矮人ちいさご樂人あそびをめきし
ればみを。尾羽をばがろさのともすれば、
たゞよひとひるがへり、
ませに、に、――これやまた、法子兒ほうしご
のものか、夕寺ゆふでらふかこわぶりの、
讀經どきやうや、――いまか、しづこころ
そぞろありきのびと
たましひにしもらめ。

がくれて、もろとびら
ゆるにきしめく夢殿ゆめどの夕庭ゆふにはさむに、
そそばしりゆく乾反葉ひたりば
白膠木ぬるであふちこそあれ、葉廣菩提樹はびろぼだいじゆ
みちゆきのさざめき、そらきほくる
石廻廊いしわたどののたたずまひ、りさければ、
高塔あららぎや、九輪くりんさび入日いりひかげ、
はなゆふながめ、
さながら、緇衣しえすそながにきはへし、
そのかみの學生がくじやうめきし浮歩うけあゆみ、――
ああ大和やまとにしあらましかば、
今日けふ神無月かみなづきのゆふべ、
ひじりごころのしばしをも、
らましを、に。
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魂の常井


ああ、うはじらむあけぼの
ゑわらひ浮歩うけあゆ童女をとめさび、
瑞木みづきがくれに、花小草はなをぐさ
莖葉くきはしたじめりたかみ、
あさ陰路かげみちゆきずりに、
わかゆる常夏とこなつくにあらば、
かまし、わが心葉こゝろばがらみに、
くれなゐ、――ゆるはなかめ。

ああ、にしろがねの高御座たかみくら
美酒うまきぞにほふ御座ござに、
八少女やをとめ入綾いりあやや、
樂所がくそのをんながく箜※くこ[#「竹かんむり/候」、U+25C4C、14-1]
どよみよ、大海わたつみなみとゆる
ながを、宴會うたげうつみやあらば、
ゆかまし、わがこゝろゑひざまに、
はえあるうたぬしのをかめ。

ああ、かくれしよひやみの
木立こだちいきごもり、をぬるみ、
林精すだま水錆江みさびえひた
靜寂しじまを、つきしろの影青かげあをく、
ほのめく氣深けぶかさや、空室うつむろ
燈明ともしの火ぞしめるてらあらば、
ゆかまし、わがこゝろごもりに、
あめゆく羽車はぐるまきつべき。

ああ、に、みやに、ごもりに、
あくがれまどひにしはあれど、
はてしは、ごころの伸羽のしばして、
かへるや、なつかしききみに。
たゆげのかたゑまひ、やさまみの
うるみよ、うらわか靈魂たましひ
旅路たびぢあつれては、みつべき
うべこそ、眞清水ましみづ常井とこゐなれ。
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ひとづま


あえかなるゑみや、濃青こあをあまつそら、
きみざしののぬるみ、
さびしきむね末枯野くたらのにつとあからめば、
ありしりしきし落葉樹おちばぎは、
またわかやぎの新青葉にひあをばえだぐみて、
歡喜よろこびの、はた悲愁かなしびのかげひなた、
あざるる木間こまのしたみちに、うまなみだ
雨滴あまじたり、けはひしづかにしたたりつ、
あなうらやはき『妖惑まよはし』のかぜおとなへば、
ここかしこ、『追懷おもひで』のはなあはじろく、
ほのめきゆらぎ、『さゝやき』のいろ唐棣はねずに、
接吻くちづけ』のうましかをりきりごと
くゆりなびきて、夢幻まぼろしはるあたたかに、
ゑひごこち、あくがれまどふつかを、
あなうらがなし、やさまみのざしはとみに、
日曇ひなぐもり、『うつごゝろ』のかぜあれて、
はなはしをれぬ、ひこばえし青葉あをばちぬ、
立枯たちがれしげきみちよ、ありし
事榮ことばえは、はららかにそそはしりゆき、
鷺脚さぎあしの『なげき』ぞ、ひとりあをびれし
溜息ためいきひくにまよふのみ。――ゆめなりけらし、
ああ人妻ひとづま、――
にあえかなる優目見やさまみのものはかなさは、
日直ひなほりのぎむとれば、やがてまた、
きくらしゆくふゆ空合そらあひなりき。
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冬の日


新甞にひなめまつなりき、
ひるさがり、れし河原かはらに、
老御達ねびごだち、『ふゆ』こそたてれ、
ぞたゆげに。

かぞのこころぼそさや、
涙眼いやめなるのたたずまひ、
ものかげあはげにれて、
うるみいろに。

くもひだほのかににばみ、
そらひくにすべるゆるかさ、
ありしのおもひでぐさの
はえ、また、空華くげ

みだれじろ高萱たかがや
おいしらむ末葉うらばのそそけ、
さむみ、失聲ひごゑかすけく
こそいため。

いまし、おもゆらし、
面隱おもがくし、――うはぐもりして、
夕時雨ゆふしぐれしのびにくや、
欷歔さぐりよよと。

かかるよ、在巣ありすとりも、
うらびれし目路めぢながめに、
さへづりのあだえて、
俯居うつゐすらめ。

つかや、――やがて日直ひなほり、
ふゆはほほみそめつ。
あをじろきぞ、はなじろむ
おもてほでり。

に、くきに、伏葉ふしばに、いしに、
れしうるほひえて
なげかひのるものもなき
うつくしさや。

心地こゝち、いまの憂身うきみに、
そのかみのをしのぶ
さびしさに、みしならで、
たれかめ。
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零餘子


かたびなた、醜家しきやのかくれ、
※(「くさかんむり/刺」、第3水準1-90-91)いらだかの老木おいきにそひて、
うながけり、つるたゆき
零餘子ぬかごかづら。

八少女やをとめ使つかに、
ぞひとり、ささやけものや、
がくれに、ああいさゝかの
こそむすべ。

熟色うみいろ黄金覆盆子ごがねいちごは、
そらひじり、あかづらつぐみ
ひとて、ついばみりぬ、
ゑひのすさび。

さねぐみし茱萸ぐみは、端山はやま
まめをとこ、栗鼠りすひろひて、
小甕酒こみかざけみもこそすれ、
洞窟うつろふかに。

ず、ひとり莖葉くきばのしたに、
こもごひひとこそらね、)
はむすび、はまたえて、
つるもたわに。

つむじかぜ、したあふり、
あたふたと零餘子ぬかごはこぼる。
ああ不祥さがな、――※(「くさかんむり/刺」、第3水準1-90-91)高珠數いらだかじゆず
たまのみだれ。

は、さあれ底土しはににひそみ、
にめざめ、しめりに※(「口+去」、第3水準1-14-91)あくび、
いつかまた芽生めばえして、
二代ふたよゆかめ。

小野をの矮人ちいさごながら、
あけぼののはえ、またありし
ゆふながめ、こそひしか、
數多あまたがへり。

ほどのいささけわざに、
ゆるされのさがたらひぬ。
ああ熟實うみみ、――わがちて
またかへらじ。

秋収あきをさめ、野田のだのせはしさ、
敝履うけぐつのはためきや、――いま、
せつなさの※(「口+僉」、第4水準2-4-39)※(「口+禺」、第3水準1-15-9)あぎとひゆるに、
こそあへげ。
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鶲の歌


うべこそしか、小林をばやし
法子兒ほうしごひたき、――
そのかみ、(くに風流男みやびをにかもあらめ。)
豐明節會とよのあかりをみごろも、童男をぐなのひとり、
日蔭ひかげかづらやきかへるのしたみちに、
葉染はぞめひめひて、れにしいまし
黄櫨はじのうははくれなゐに、
また、榛樹はしばみうろは、りて、
常少女とこをとめなる母宮はゝみやとしもなれば、
すずろありきやゆるされて、
さこそはひと野木のぎに、
占問うらどがほにたたずみて、
初祖うひそひとちつらめ。

ひととせなりき、
春日かすがみや使つかひめあきふたして、
竹柏なぎをゆきかへる小春日和こはるびよりを、
みやこほとりの秋篠あきしのや、
かぐ清水しみづ』は水錆みさびてしふる御寺みてら
頽廢堂あばらすだうおくぶかに、
技藝天女ぎげいてんによ御像みすがたあま大御身おほみま
たまとしにほふおもざしに、
うま御國みくに常世邊とこよべ
あくがれりしかへるさを、
ふとこそ、れし夕庭ゆふには朽木くちきえだに、
靜歌しづうたきすまし、
こゝろあがりのわがいとに、
緒合をあはせにゆらぐうたぬしこそは、
うべ睦魂むつだまともとしも、
おもひそめしか。

また、ひととせ神無月かみなづき
しの時雨しぐれつる深草ふかぐさ小野をの
かき上枝ほづえみのこるうま木醂きざはし
入日いりひれておもはゆにあからむゆふべ、
すずろあるきのくすがら、
たけ葉山はやま雨滴あまじたりはらめくみちに、
いましを、ひとり黄鶲きびたき
もだ俯居うつゐをかいまみて、
ありし掛想けさうのまれびと
か、あまじめるにくゆるもののかをりに、
そのかみのおもひいでて、
涙眼いやめとりなげくやと、
とまりにし。

ああいましこそ、小林をばやし
法子兒ほうしごひたき、――ひとくさるさに、
ともすれば、まためぐりたまあへるや、――
にいささめのえにながら、空華くげにはあらじ。
わがたましひ小野をのにして、
努力ぬりき』のうるひ、『思慧しゑ』のかげおほしいつきて、
さてきぬべきうづはな
そのうらわかつぼみこそ、
さはづしつぐみつれ、
まだきしたゝことうましにほひは、
生命いのちをもはふまで、
にほのめきぬ。

*秋篠寺に香水堂あり常曉阿闍梨閼伽井の舊蹟なり
*竹の葉山の下路は深草少將が通ひ路の舊蹟と傳へらる
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望郷の歌


わが故郷ふるさとは、ひかりせみ小河をがはにうはぬるみ、
在木ありきえだ色鳥いろどりながごゑするながさを、
物詣ものまうでする都女みやこめあゆみものうき彼岸會ひがんゑや、
かつらをとめはかはしもに梁誇やなぼこりするあゆみて、
小網さでしづく清酒きよみきをかぐらむ春日はるひなか、
かいゆるにぎかへる山櫻會やまざくらゑ若人わかうどが、
瑞木みづきのかげの戀語こひがたり、壬生狂言みぶきやうげん歌舞伎子かぶきこ
わざ手振てぶりざればみに、ひろごりてきやう
かなたへ、きみといざかへらまし。

わが故郷ふるさとは、楠樹くすのき若葉わかばほのかにににほひ、
びろがしはだゆげに、かぜゆらゆる初夏はつなつを、
葉洩はもりのかげ散斑ばらふなるただすもり下路したみちに、
あふひかづらのかむりして、近衛使このゑづかひかみまつり、
ぬりながえ牛車うしぐるま、ゆるかにすべる御生みあれ
また水無月みなづき祇園會ぎおんゑや、しら山鉾やまぼこ
くるまきしめく廣小路ひろこうぢ祭物見まつりものみひとごみに、
比枝ひえ法師ほうしも、花賣はなうりも、まじりつゝなだれゆく
かなたへ、きみといざかへらまし。

わが故郷ふるさとは、赤楊はんのき黄葉きばひるがへる田中路たなかみち
稻搗いなきをとめが靜歌しづうたあめなるうしはかへりゆき、
いまつひうつしを九輪くりんたふはるけて、
しづかにねむゆふまぐれ、ややきし落葉樹おちばぎは、
さながらいし葬式女はうりめの、たゆげに被衣かづき引延ひきはへて、
物嘆ものなげかしきたたずまひ、樹間こまほのめく夕月ゆふづき
夢見ゆめみごこちの流盻ながしめや、かねひゞきあをびれに、
札所ふだしよめぐりの旅人たびびとは、すゞろ家族うからしのぶらむ
かなたへ、きみといざかへらまし。

わが故郷ふるさとは、朝凍あさじみ眞葛まくづはらかへで
そそばしりゆく霜月しもつきや、專修念佛せんじゆねぶち行者ぎやうじやらが
都入みやこいりする御講凪おこうなぎ、ひるさがり、夕越ゆふごえ
みちにまよひし旅心地たびごゝちものわびしらの涙眼いやめして、
下京しもぎやうあたり時雨しぐれする、うらさびしげの日短ひみじかを、
みちものなる若人わかうどは、もののちし經藏きやうざうに、
塵居ちりゐ御影みかげ古渡こわたりの御經みきやう文字もじめてしれて、
ゆふくれなゐのあからみに、黄金こがねきししたふらむ
かなたへ、きみといざかへらまし。
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金星草の歌


そのかみ、やまいちに、草木くさきはなべて、
   ああ金星草ひとつば
いろゆるされの事榮ことばえみさかゆるを、
   ああひとつば、
ひとり空手むなでに、山姫やまびめのりをこそて、
   ああひとつば。

はる馬醉木あせびに、蝦夷菫えぞすみれかざしぬ、はなを。
   ああひとつば、
よそほざるうれたさに、みやにまゐりて、
   ああひとつば、
ねがへど、ひめことなしび、素知そしらぬけはひ、
   ああひとつば。

なつ山百合やまゆり難波薔薇なにはばらにほのめきぬ、
   ああひとつば、
にほなきにうらびれて、一日ひとひうろに、
   ああひとつば、
なげけど、ひめ空耳そらみみ片笑かたゑみてのみ、
   ああひとつば。

あき茴香うゐきやう、えびかづらいろづきつ、
   ああひとつば、
素腹すばらさがうらみわび、れて、
   ああひとつば、
ゆれど、ひめそらぎましぬ、
   ああひとつば。

やがてり、ちぬ。冬木ふゆきやまに、
   ああひとつば、
ひとりしれば、ひめて『おもひかあたる、
   ああひとつば、
われとわがるにこそ、りがひはあれ。』
   ああひとつば。

ひめ微笑ほほゑみ、『今日けふもはた、をかうらや[#「義」の「我」に代えて「咨−口」、U+7FA1、53-5]む、
   ああひとつば、
いろをか、いかに、いはくや、御賜みたま。』と
   ああひとつば、
そのよりこそ、黄金斑こがねふ紋葉いさはとはなれ、
   ああひとつば。
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夕ごゑ


れぬ、ひくに、
きりはくゆるたゆげさの、
いみ精進さうじ懺悔くひのひと
おもひしづむたまならし。

夕晴ゆふばれ黄金路こがねみちに、
かへるとりとほがくれ、
むね汚染しみ、ひとつえて、
いまはた、のうするかに。

ずくなの並木なみきなかに、
しづこころ』の浮歩うけあゆみ、
木木きぎえだしぬにれて、
われかのさまいきづきぬ。

いまくもゆふくれなゐ、
天照あまて大殿おほどのに、
をんながく、かへりこゑ
ほのにひびくゆめごこち。

きよまはるたまふかみ、
ひじりごころととのひて、
うまのさこそどよ
のあなたにかまほし。
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師走の一日


ふゆとなりぬ、れぬ、
ひねもすもりにあらびし
脚早あはや野分のわきは、うしろざむに、
そそけのかみもみだれて、
北山きたやまあたりいそぎぬ。
もとあら木立こだち落葉林おちばばやし
いきごもりたゆげに、
のこりのこそはかぜにあへげ。

みつるそらや、さながら
ありにしこひわすれて、
菩提樹ぼだいじゆがくれののりそのに、
無漏慧むろゑ』にあそぶひじりの、
とわたるとりのありなし、
いささのしみをもえはゆるさぬ
齋戒ゆまひか、――いづきよまりは、
るだにへせじ、うつしごころ。

あな大日枝おほひえひたひに、
玉冠たまかぶりする夕日ゆふひ
ひかりや、あめなるうまざし、――
ひがしへ、ゆるに峰越をごし
淡雲あはぐもすべるしづけさ、
これやはつひなるたまのひと
すずろにこゝろゆらぎて、
ありしをしのぶるならし。

つかなりき、ゆふばえ
いまはたほのにうすれぬ。
さて葬式ほふりにぶれて、
眞闇まやみはかるらめ。
このしづかなる臨終いまはに、
われ看護婦みとりめこゝろしりに、
物深ものぶかさしのびて、
祕密かくれのこころも辿たどらまほし。

*洛東下岡崎の里より
 大比叡の方を眺めてよめる
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妖魔『自我』


えうこそしか、立枯たちがれしげ木原こはら[#ルビの「こはら」は底本では「こ ら」]
色鳥いろどりはさしぐむみちおくぶかに、
ひともと青木あをき木叢こむらなる廣葉ひろばのかくれ、
黄金こがねなす鈴生すずなりをなつかしみ、
みつはりたるひとふさみにしなり、
矮人ひきうど黒染すみぞめすがたつとえて、
『あなゆるされぬを、』と私語つぶやきひくに、
面隱おもがくし、ぶかに被衣かつぎうちまとひ、
※(「てへん+裃のつくり」、第3水準1-84-76)かせづゑおとほとほとと、のしたみちを、
がくれ、鷺脚さぎあしにこそ辿たどりしか。

えうこそしか、姫百合ひめゆり木暗こぐれ俯居うつゐ
石楠花しやくなぎ日向ひなたゆめ花苑はなぞのに、
あえかのひと相曳あひびきのしづけさを、
ささやきは細蜂すがるはねとひるがへり、
うまし言葉ことば清酒きよみきつゆとしたみて、
醉心地ゑひごこちでのまどひを、――あなわびし、
生目なまめとまりし苧垂むしたれすそうちはへて、
がくれに奧寄あうよひと後姿うしろでに、
うながくるけたるみ、ふくろごころ
をさむみ、物怖ものおぢすくまりき。

えうこそしか、ひるさがりりあかり、
うまはほのかにゆる新舘にひやかた
いち樂所がくそにかきならす眞玉またま唐琴からこと
立樂たちがく色音いろねなみのたかまりに、
こゝろあがりのおもほでり、とりゆのなかば、
風流男みやびをや、紅顏孃子あからをとめあひに、
ことよそほひのたけすがた、童男をぐなのひとり、
弱肩よわがた藤衣ふぢのやつれに見惱みやまひて、
押手ゆのてやなのくづれあゆさみだれちて、
緒合をあはせの調しらべのいとぞなかえし。

えうこそしか、御燈みともしはねむたげに、
華籠くゑこはな吐息といきかすけき古寺ふるてらに、
夕座ゆふざまゐりのびとまかりしはを、
ぞひとり齋居いもゐ精進さうじこもに、
おもけてし常世邊とこよべの、うま黄金こがね
いづその、――あま少女をとめ相舞あひまひに、
しは、頭白ふぶせのねび御達ごだち、あなときのまに、
なよびかのひめかくれて、ただひとり
墳墓おくつきごとのこるものわびしさに、
胸騷むなさわぎ、つとまぼろしはめはてき。

えうこそしか、水無月みなづきまつりのひと
きし飾車かざりぐるま山鉾やまぼこに、
りしらむ日盛ひざか[#ルビの「ひざか」は底本では「ひざかり」]りの都大路みやこおほぢを、
ひとなだれ、祭物見まつりものみ大衆たいしゆうに、
またぬ、にぶきぬかづき、ひとこそらね、
不毛地むなぐににもくかのうらびれに、
打附うちつけごころ、小走こばしりにふとはすれど、
ものえずかなたにさきゆきて、
えこそおよばね、なゆみぬ、ああ息詰いきづむと、
みちのべに、ぞしだらなにたふれにし。

こよひあつるる病臥いたつきなやみのもなか、
はとみに鴉羽からすばいろのほのほして、
とろけたゆたふうみに、われ落葉おちばの、
左視右顧とみかうみ、ゆくへもらぬみちすがら、
ふと遠方をちかたなれてしひとがたちて、
ひたみちにひすがりつゝ失聲ひごゑして、
きみよ』とべば、ちどまり、振向ふりむざまに、
見惱みやまひのときこそれ。』とぎすべす
被衣かつぎのひまに見入みいるれば、あな『われ』なりき、
驚駭おどろきむねはふたぎぬ、危篤あつしれぬ。
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日ざかり


ときなつなか、
眞晝まひる
ざしはむぎ
にしらみ、
なかのみち
またたきて、
濁酒しろうまごと
きたちぬ。

まき小野をのには、
並木立なみこだち
かひなだるげに
れつ。
あをぶくれなる
水錆沼みさびぬは、
めまぐるしさに、
いきだえぬ。

くものひとひら、
たよたよと
※(「口+僉」、第4水準2-4-39)※(「口+禺」、第3水準1-15-9)あぎとひゆきて、
ありなしに、
やがてはえつ。
濃青こあをなる
そらや、うろなる
はかならし。

水澁みしぶ
をぬるみ、
※(「虫+原」、第3水準1-91-60)ゐもり※(「さんずい+(日/工)」、第4水準2-78-60)くり
くぐりり、
爐土ほけつち
いきむせて、
へびはひそみぬ、
がくれに。

なべてのうへ
高照たかてら
いづころびや、
あなさびし、
くひなきたま
けだかさは、
げに水無月みなづき
ならまし。
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笛の音


生命いのちみちのもろがはそびやぎてる
『かなしび』の女木めぎ、『よろこび』の男木をぎ
今宵こよひさしぐむ月代つきしろのまみのうるみに、
すずろに木靈こだまうらびれて、
あまさきにあくがるる沈默もだふかみを、
ふえなげきのをいたみ、
上枝うはえそよろにささやきてりこそまがへ、
二木ふたき落葉おちばほろほろに。

日影ひかげ[#ルビの「ひかげ」は底本では「ひがげ」]にしめらへる
『かなしび』の
一片ひとへ黄朽葉きくちば
いろみ。』

日向ひなたにひるがへる
『よろこび』の
一片ひとへ緑葉みどりば
ににほふ。』

『ああ、わが故郷ふるさと
ひじ
沈默しじまぞ、齋居いもゐする
いづその。』

『また、わが本宮おほみやは、
箜篌くこ
緒合をあはせ、うちどよむ
うまくに。』

『そこしも、黄金こがねなす
』の、はた
ぐらき無憂華樹むうけじゆ
のにほひ。』

『かしこよ、狹丹さにづらふ
あひ』のはな
努力ぬりき』の常烽火とこのろし
ひかり。』

『そこしも、いつ
小忌をみごろも、
らう黄金こがね文字もじ
のけはひ。』

『かしこよ、八少女やをとめ
をんながく
盃誓うきゆひ、さざめごと
白酒しろき。』

『かなたへ、――いみ精進さうじ
ごもりに、
いまはたかへるべき
。』といへば、

またふ、『かかるを、
宴會うたげうつ
かなたへ、――いざ、あけ
赭舟そばふねを。』

そのには、しらかみ
こそあれ、
かしこし、あなあめ
『あくがれ』。』

うべこそ、いまそがる
くにかみ
たふとし、あめ
『あくがれ』。』

色音いろねえつ、――ひざまのこゝろあがりに、
さざめきりしこぼは、
糸絡いとがらみせしまひの、つとひさして、
つぐみぬ、したきぬ。
生命いのちみちに、雌鳥羽めとりばに、はた雄鳥羽おとりばに、
くちれあひて相寢あひねぬる
伏葉ふしばみだれ、魂合たまあへるうまむつびに、
つきすがらけぬ。

*秋の末つ方月の一夜洛東華頂山
 境内に笛の音をききて咏める
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鳰の淨め


なつなかのさかえはぎぬ、
くたらかくれの古沼ふるぬ
靜寂じやうじやく』はつばさして
はぐくみぬ、みづのおもてを。

にほや、きよめの童女をとめ[#ルビの「をとめ」は底本では「をさめ」]
あまうへの一座いちざなるらし。
なづさひのはねきよらかに、
水泥みどろなす水澁みしぶきつ。

水漬みづ眞菰まこものみだれ、
伏葦ふしあしひぢのひかがみ、
末枯うらがれや、――さてしも齋塲ゆには
おもむろににほすべりぬ。

漁人すなどりくつのおとにも、
はなじろみ、面隱おもがく
りかへり、かつなみだぐみ、
がくれにつとこそしづめ。

河骨かうほねなつゆめみて、
ほくそ水底みなぞこみや
かつひめ、『歸依きえ』のむなる
常若とこわか生命いのちただひぬ。

ず、暫時しばし、――いまはたきつ、
きよまはるひじりごころの
かひがひし、あなにほとり
ねもすにいつきゆくなり。
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をとめごころ


黄金覆盆子こがねいちごがくれに、
まなこうるみてきぬれぬ。
青水無月あをみなづき朝野あさのにも、
なげきはありや、わがごとく。

さちも、希望のぞみも、やすらひも、
うみのあなたにえつ。
このはあまりかひろくて、
をとめごゝろはありわびぬ。

あさかぜのささやきに、
覆盆子いちごのまみは耀かがやきぬ。
かみはをとめをみちしばの
片葉かたはとだにも見給みたまはじ。
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忘れぬまみ


夏野なつのひめにとらす
しろがねがたみ、ももくさの
にはむとも、追懷おもひで
ひとのまみにはざらまし。

伏目ふしめにたたすあえかさに、
ひとは、しろ難波薔薇なにはばら
夕日ゆふひがくれにいきづきし
くにおもひいで。

ひとは、うるむつきに、
水漬みづ磯根いそねあしを、
卯波うなみたゆたにくちづけし
深日ふけひうらをおもひいでぬ。
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離別


わかれは、小野をの白楊はこやなぎ
夕日ゆふひがくれにつる
長息なげきよ、しじにうらびれて、
さあれ、しづかにれゆきぬ。

かたみのみちなゆみに、
思ひしをれてたゆは、
うつくしかりしそのかみの
事榮ことばえにしもなぐさまめ。

でのさかりに、なにらず、
このも、やがてありし
きてかへらぬ追懷おもひでと、
ゆらめとこそおもひしか。
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香のささやき


このゆふぐれのしづけさに、
たまはしのびにいきづきて、
なにとはなしに、おもひでに、
ふたつのはなぎぬ。

ひとつは、める梔子くちなしの、
わかれのゆふべれし
あえかのむねに、いま[#ルビの「いま」は底本では「いも」]もはた、
』はのこらめとささやきつ。

ひとつは、ゆる野茨のいばらの、
いま末枯すがれぬ、そこにして、
またあたらしき『』はぐみ、
はなもぞくとつぶやきつ。
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時のつぐのひ


ときはふたりをさきしかば、
またつぐのひにかへりきて、
かなしききづに、おもひでの
うましなみだかしめぬ。
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美き名


今日けふしも、卯月うづきよひやみに、
十六夜薔薇いざよひうばらににほふ。
なつかしきもの、むねに、
黄金こがね文字もじぞひとり。

かみはをとめをしまして、
いづくはらずにしかど、
大御心おほみごゝろのふかければ、
のこのみはしませね。
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牧のおもひで


夕月ゆふづきさしぬ、みぬ、
のいとなみにみはてて、
りし小草をぐさたふし、
わかれしひとぞおもふ。

さても、眞晝まひる玉敷たましき
御苑みそのにたたすきみなれば、
夜半よはにはかかるくたらに、
すずろありきもしたまひぬ。
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くちづけ


今朝けさあけぼののうらにして、
われこそつれ、おもほでり、
濃青こあを瞳子ひとみ、ひたひたの
そらうみ接吻くちづけを。

きみ青空あをぞら、われやうみ
ああ醉心地ゑひごゝちだきしめに
むねぞわななく、さこそ、かの
ひろうみふるひしか。
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大葉黄すみれ


ひとよひを、のかたみ、
大葉黄菫おほばきすみれはなさきぬ、
でのさかりに、らず、
ものさびしさのにぞむ。

はなとをみなのてなやむ
かなしびなそ、あま
ながながしただひと
今日けふふなるのふたり。
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無花果


こそこぼるれ、なつなかの
青水無月あをみなづきのかげに
そのゆめはまづめて、
今日けふはたいまし、――ああ無花果いちじゆく

昨日きのふぞ、ゆふに、あかつきに
つゆけかりつるのふたり、
明日あすを、あめなる大御手おほみて
ゆだぬるも、はた、――ああ無花果いちじゆく
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心げさう


霜月しもつきひと朝戸出あさとでに、小野をの木守こもりは、
※(「くさかんむり/刺」、第3水準1-90-91)高膚いらだかはだ阿利襪樹おりいぶりぼひし
のありかずおどろきて、つとちかへり、
目無めながたまうしにふたくごとく、
ただひとときは、なよび姿すがた
耀かがよひわたるけうらさに、こひ退しさりて、
ふくろごゝろおくぶかにかくるとせしが、
ちゐて、やがてはなやかにあらはれぬ。
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わかれ


わかれぬ、二人ふたり魂合たまあひしは、常世とこよにも
はなれじとこそもだえしか、そもあだなりき。
落葉おちばもかくぞ相舞あひまひりはゆけども、
わかちぬ、かぜおひわけに。さてらず。
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幻なりき


まぼろしなりき、事映ことばええゆくにこそ、
御賜みたまのふゆの、かつがつに目耀まがよむれ。
ああ神無月かみなづき木叢こむらなるきて、
濃青こあをそら微笑ほほゑまひ、はほのめきつ。
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月見草の歌へる


ゆふづく黄金こがねぐるま、
わだみやいまかもしづめ、
あまきしみ。

づかさのくさあさみに、
まどろみの夢路ゆめぢめぬ、
こそひらけ。

夕霧ゆふぎりは、身樣みざまたゆげに、
目馴樹めなれぎ木叢こむらにまきて、
うしろ袈裟げさに。

青羽木菟あをばつぐ叉枝またぶりひくに、
片眠かたねむり、言葉ことばずくなの
宿居とのゐすがた。

しづけさのによみがへる
あををみな、幸魂さきだま
月見小草つきみをぐさ

よ、かなた、もりに、
うはじらみ、――ああ月白つきしろ
にほひほのに。

いま、樹々きぎ片枝かたえあをみ、
やがて、のしろがねいろや、
被衣兄姫かつぎえびめ

ぢきたりすはな瞳子ひとみは、
にあきて、にしもみぬ、
紅顏童女あからをとめ

ず、わなみ若尼御前わかあまごぜの、
夜籠よごもりに、ささらえをとめ
こそやまへ。

ぞ、ひめたけがみ
花鬘はなかづら、しづくやりし
こゝろまどひ。

ひめか、またたまのおほみや
常世邊とこよべや、――無上涅槃むじやうねはん
いづのむしろ。

きしむるはなうてなは、
の、やがて黄金こがね
いは火盤ひざら

くゆりは、莖葉くきばして、
ひじ初夜しよや精進さうじみ
齋塲ゆにはぎよめ。

しづこころ、したにゆらぎて、
たまむすび、――おもひぞあがる
ひのいまや。

老狐たうめみはるとも、
えやはちめ[#ルビの「く」は底本では「ち」]弱草なよぐさ
ひじりごころ。
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野菊の歌へる


きいでて今日けふしも七日なぬか
野茨のいばら※(「くさかんむり/刺」、第3水準1-90-91)いらにしまじる
うまれつたな。

つまどひのきやうをんなしぎ
黄脚きあししたにもれて、
莖葉くきはかがむ。

神無月かみなづき入日いりひあはさ、
しくしくとひかりはにじむ、
ひぢいたみ。

彼處かしこ、いまはなはひからび、
ちて、おいがれるや、
河原かはらよもぎ。

ここに、またくつがへり、
みだ苦參くららこそれ、
かひなだるに。

草絡くさがらみ、落葉おちばそりに、
熟白英うみほろし、――ぬるしづく、――
こそつゆれ。

いまはとて、占野しめの歌女うため
蟋蟀こほろぎは、いとをゆるめて
るや、培土つむれ

さびしさはふかのふかみに、
あなきぬ、『宿世すぐせ』のあし
しのびありき。

歸依きえけばやしたに、
戰慄をののきいまはも、阿摩あま
かへる心地ここち
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夢ざめしをり


ゆめざめつ、――いまはたきね、
眞白ましろげのねむりの退羽のきば
ぶきゆくを。

ゆめか、――さは、わが刈野かりの
片日向かたびなた小春日和こはるびより
かげぬるに。

りし事榮ことばえは、
刈株かりばね芽生めばえして、
はなこそけ。

はなよ、のかをりにして、
遶佛ねうぶちや、わらはすがりの
一は、『歸依きえ』に。

はなよ、しづくえて、
したこがれ、がくれちし
こひ』は、あけに。

あるは、あふりのひまに、
しらわらひ、――似非えせ方人かたうどや、
さち』のしろみ。

あるは、のまなじりうるみ、
うなだるるおもざし、えう
ざえ』のあをみ。

また、かげ蜘網すかきたるみて、
過去こしかた』や、足高蜘蛛あしだかぐも
えし死骸むくろ

みどり、ふとこそえて、
しをれゆく、――わがにぶ
藤衣ふぢやつれ。

あをびるるよ、朽尼くちあま
おいほけて、見入みいるしばしを、
たませぬ。

にぶいろ、ややにうすれて、
うひびかり、――あああけぼのや、
こそさむれ。

けわたるひかりこそ、
當來たうらい』や、わが新身あらたみ
いづ眞屋まやに。

うひびかり、げに常春とこはる
かなたて、をどりぬ、むね
ひじりごころ。
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海のおもひで


夕浪ゆふなみみぬ、――さこそわれ
眞白羽ましらばゆらにひるがへりし
かもめ水脈みをに、――さこそ、わが
たまよたゆたにただよへれ。

なげきぬ、あしはうらがれ
上葉うはばたゆげにわななきて。
昨日きのふは、ともにあしかびの
わかをこそうたひしか。

あなともる、ゆふづゝの
葦間あしまにひたるかげあをに。
ゆとはれど、さこそ、われ
ひとのまみをばおもひづれ。
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はこやなぎ


かかるなりき、白楊はこやなぎ
うるみいろなるつきかげに、
かずわかれてちかへり、
いだきあひてはなげきしが。

そのは、やがてあまごろも
たまそめしのはじめ、
いつきし『こひ』のゆまはりは、
さびしかりきな、ひとれず。

あめなるいづ御苑みそのにも、
ありや、紀念かたみ白楊はこやなぎ
ひとは、かくやがくれに、
現身うつそみたまはめ。
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難波うばら


いまつきしろのうはじらみ、
ほのかにあゆよひを、
ひとちなれし眞籬根まがきねに、
難波薔薇なにはうばらににほふ。

つにしますきみならば、
千夜ちよをもかくてあらましを、
わすれてのみは、いつの
めぐりはなかるべし。

ひとの御胸みむねにはなるとも、
こひ』はひとりぞ羽含はぐくまめ。
のはじめよりれし
宿世すぐせたり、はなうばら。
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白すみれ


わすれがたみよ、くに
遠里とほざと小野をのしろすみれ、
ひとちなれしのもとに、
みしむかしのににほふ。

みづごときしかど、
いまはたひとり、そのかみの
こゝろりなるささやきに、
物思ものおもはするはなをぐさ。

ふと[#ルビの「き」は底本では「きゝ」]きなれししろがねの
こわざしやはきしのびに、
わかれのゆふべ、さしぐみし
あえかのまみも見浮みうかべぬ。
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都大路


臨時りうじのまつりことはてて、
みやこおほかぞに、
うらびゆくか、――昨日きのふ今日けふ
さこそはつれ、わがおもひ。

かつては、みづ彌木榮やくはえに、
葉守はもりかみゆめみしを、
木陰路こさぢよ、いまは『追懷おもひで』の
落葉おちばのみこそしづめ。

そのみだれ、ひとつびとつ
まろびつ、ひつ、片去かたさりに
やがてはせぬ。――さこそ、わが
わすれずのえめ。
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希望


みづごと事榮ことばえのおちけて、
ながれぬ。やがてふゆぬ、熟睡うまゐぞせまし。
かはぞひの白楊はこやなぎ、またひこばえて、
常夏とこなつかげの花苑はなぞの新葉にひばはささめ。
[#改ページ]


聖り心


ふかみ、創手いたでよりひじりごころは、
に、えずうなきてながれぬ、かみに。
青水無月あをみなづき小林をばやしに、漆樹うるしは、さこそ
木膚こはだより美脂うまやにをしぬにしたつれ。
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新生


かなしかりきな、さあれ、またしたかくるる
おほみごゝろむすびえて、よみがへるの、
いまはた、などやきあへぬなみだか。――さなり、
おきしまわのかづが、阿古屋珠あこやだま
いだきてきし濡髮ぬれかみの、これや、したたり。
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樹の間のまぼろし


こそこぼるれ、神無月かみなづき
かかるなりき、
黄櫨はじかげに俯居うつゐして、
こひがたりするひとき。

こそこぼるれ、ひるさがり、
かかるなりき、
かたみにひといだきあひ、
接吻くちづけにこそひにしか。

こそこぼるれ、そのかみの
二人ふたりのひとり、
ふとありしのまぼろしを、
われかのさまに見惚みほけぬる。
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片かづら


相見あひみそめしは、初夏はつなつ
そらゆめみる御生みあれ
かむりにかけしもろかづら、
紀念かたみにこそはわかちしか。

のち逢瀬あふせはいつはとて、
れぬもなかりしを、
はてはされて、あま
そらのあなたにきましぬ。


いかに紀念かたみあふひぐさ、
のこるかつらからびぬ。
さこそこゝろ青枯あをがれて、
追懷おもひで』のみぞににほふ。
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忘れがたみ


こよひあめなる花苑はなぞの
うま黄金こがねのおばしまに、
すがらきみたたすらめ、
すずろにむねのときめくは。

へばえにのみ打過うちすぎて、
さてはわかれしひとなれば、
さしもなげきにくぞとは、
ゆめにもいかでたまはめ。

わすれがたみの『追懷おもひで』は、
みそかごころのふところに、
小野をの月映つきばえうるむを、
そらのあなたにあくがれぬ。
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枯薔薇


からびぬ、薔薇うばら。あかねさす
はなわかえはおとろへぬ。
いまはのきざみ、ためいき
こそほのめけ、くちびるに。

でのまどひに、なにらず、
おもがはりせし人妻ひとづま
まみのやつれにえのこる
のなまめきを見浮みうかべつ。

ふとまたきつ、榛樹はしばみ
縒葉よりばこぼるるがくれに、
ひとしれずこそ、ひし
わすれてひさのささやきを。
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戀のものいみ


尼額あまびたひなる白鳩しらはと
あけなるはぎひぬとも、
こゝろかじ、きみ
そらのあなたの御苑みそのへは。

こよひうるめる夕月ゆふづき
ひとはしめのさびしみに、
そことしもきささやきの
れし色音いろねきとれつ。

きみますかたにあくがれて、
ゆまはるこひをいとほしみ、
むねなる齋屋ゆやにしのびて、
吐息といきかすらめ、あまをとめ。
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小木曾女の歌


いまはたのこるおもかげの
ゆめとはなしにささやくは、
明日あすをも、かくやゆふづけて、
峰越をごしみちたまほし。

きのふは、御手みて淺間野あさまの
水無月みなづきひめすずまうし、
にゆらぐ鈴蘭すずらん
うましかをりにみましき。

こよひは、かみのかかりばに、
朝露あさづゆしろき甲斐かひ
やました小野をのるる
十六夜薔薇いざよひばらぎぬ。

みちゆきぶりに、とほ
かほはなますとも、
小木曾をぎそやまのえぞすみれ
あえかのいろもわすれざれ。
[#改ページ]


夏の朝


かたをかに、
りぬ、
男木をぎに、
とりうたひ、
いさらみづ
みまけて、
おもはゆに、
こそすべれ。

あさます
かぜに、
くさかた
さゆらぎて、
しづれ
つゆや、げに
たまゆらの
瓊音ぬなとすらめ。

くもは、いま
しろたへの
しぬ、
朝發あさびらき、
海原うなばらに、
をあぐる
蜑舟あまぶね
こゝろみえや。

郎女いらつめ
しろよそひ、
あな『あさ』か、
わらはげに
かたみて、
つとえつ、
』はすでに、
まきちぬ。
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さざめ雪


夕凍ゆふじみ
小野をのや、――伏目ふしめ
さしぐみし
はみまかりぬ。
左視右顧とみかうみ
あな細雪さざめゆき
常樂じやうらく
みやとめあぐみ、
ものうげの
たびや、はつはつ。

ここ、かしこ、
榛實はしばみから
また乾反ひそ
伏葉ふしばのみだれ、
小木こぎに、
しとどすくりて、――
あな、ここは
かなしびのくに
鈍色にぶいろ
住家すみかならまし。

ささやきつ、
また吐息といきしつ、
雪片ゆきひら
なげきよ、――ちて、
に、いし
いこひぬ、みぬ、
またたきて、
つとこそぬれ、
いささめの
生命いのちか、――うるひ。
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えつや、黄櫨はじ乾反葉ひそりばに、またつるばみ
爆實はぜみからに。――今ははた、
鈍色にびいろ被衣かづぎぞたゆげに、
苅野かりのいこひ、こも水澁みしぶひたり、
伏木ふしきひてうつりの昨日きのふゆめみ、
ひやかのいまなみだぐみ、
ものうじがほにたゆたひつ、まよひつ、やが
上枝ほづえより細高ほそだかに、いくかけむり
ありなしぐもとたゞよひて、
あめのこころにりぬ。
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寂寥


宿直とのゐやつれの雛星ひなぼしは、
※(「目+匡」、第3水準1-88-81)まぶしたゆげにまたたきつ、
竹柏なぎ老木おいきは、おびれの
ゆめさわがしくいきづきぬ。
  はもなか、
  ぞひとり、
かすかにもののけはひして、
ささやく心地こゝち、さびしさの
にほのめきてにぞむ。
[#改ページ]


隱り沼


初冬はつふゆはたそがれぬ、
こもや、山田やまだ乳媼ちおも
おもひでの吐息といきかすけき
おもてやつれ。

ずくなの並木なみきみちに、
あめまだら足惱あなゆうしは、
夕霧ゆふぎりにぶにかくれつ、
ひづめおもに。

苅小田かりをだ目路めぢや、さながら
いは葬式はふりのゆふべ、
跡淨あとぎよめ、――柱隱はしらがくれに、
よるここち。

なみだぐむ小木をぎ翡翠かはそび
初立うひだちし見忘みわすれし、
ものうげに、つとこそうつれ、
あなたざまへ。

夕凝ゆふごりきしのくづれに、
かさこそと、河原菅菜かはらすがな
これや、はたいにしなつ
ゆめのひびき。

佛生會ぶつしやうゑ生日いくひなか、
はなけしむねに、こよひは
の――やなぎ――ひめ落髮おちがみ
葉ぞひたりつ。

寂寞じやくまくや、『昨日きのふ』はきぬ、
明日あす』はまた虚音そらねたり。
失心うつけなる『いま』になづみて、
水かよどむ。

しだらなの眞菰まこものなかに、
水漬みづや、――今宵こよひほしは、
秉燭ひやうそく火影ほかげに、あめ
こそまもれ。

水泥みどろなすくらむねにも、
とこひさのひかりはえや、――
たゆげなるゑみあをじろに、
ぬましわむ。
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江ばやし


しろがねのつのがむり、
あえかなるつきしろや、
まなざしは、あま阿摩あま
慈悲じひとこそしたたれ。

水錆みさびくゆるを、
江林えばやしのたたずまひ、
さびしらや、齋居いもゐ精進さうじ
木木きぎいきしのびに。

蝙蝠かはほりはうつぼに、
あまかはあぢむる。
妖惑まよはし搏絶うちたえて、
しめらへる樹間このまや。

のひとつぶやき、
ふたまたささやぐ。
ありし日のはえや、さこそ
鷺脚さぎあしつらし。

あな解脱けだち、――さばかりの
いづ氣深けぶかさに、
ともすれば、吐息といき
なよびこそ仄見ほのみれ。
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睡蓮の歌


みづうはぬるむ水無月みなづき
なつかげくらきこもに、
はなこそひらけ、觀法くわんばふ
睡蓮すいれんのかたゑまひ。

しろがねいろ花萼はなぶさに、
※(「火+(麈−鹿)」、第3水準1-87-40)いちすのかをりきくゆる
しべは、ひめもす薫習くんじふ
みてたゆたひぬ。

たたなはるのひまびまに、
ほのめきゆらぐ未敷蓮みふれん
ひとつびとつは、のち
このにつなぐぐわんならし。

ゆふべとなれば、がくれの
阿摩あまなるひめがふところに、
ひとを、やがて現想げんさう
うましねむりにかくろひぬ。

にひとりなる法子兒はふしご
翡翠かたそびならで、くだちゆく
如法によばふ闇夜あんやに、睡蓮すいれん
ひじを、がしのぶべき。
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海のほとりにて


にぶなるみそらにぶなるうみ
ああぞひとり、
入波いりなみゆたにたゆたひて
ゆふべとなりぬ。

氷雨ひさめうみ海神わだつみは、
椰子やしるる
常夏とこなつかげのくにひて、
むねさわぐらし。

おき遠鳴とほなりうしほ、――
ああゑひごこち、
いづくはらず、靈魂たましひ
故郷ふるさとこひし。

わがらぬかなたへと、
に、またはに、
あくがれまどふ野心のごころ
努力ぬりき羽搏はうち

とき』は頓死まぐれてにぬとも、
とげまでは、
常若とこわかにしもあらまほし、
わだつみとわれ。
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知らぬかなた


小野をの苅生かりふがくれに、
乾田ひだ※(「禾+魯」、第3水準1-89-48)ひつぢのしたぶしに、
うづらゆめをはぐくみぬ。
さこそはしか、そのかみの
たもとほりにしこひは。

紅顏孃子あからをとめのましらに、
ゐよりしよひは、くちづけの
をしもでき。さあれなほ
たまはしのびに吐息といきして、
らぬかなたにあくがれき。

今宵こよひかすけきささやきに、
ふとれてなみだぐむ
こころらじ、かつてだに。
そことしもきかなたこそ、
また追懷おもひでのそのかみに、――
[#改ページ]


夕とどろき


新月ゆふづきさしぬ、もの
ほのかにくゆ五月野さつきのに、
ゆめかのわたり、都邊みやこべ
ゆふとどろきにきとれぬ。

かつては、われもなよびかの
あえかのひと相知あひしりて、
にうつくしき事榮ことばえ
あまたにこそひにしか。

えつ。いまもはた
かすかにのこるおもひでの、
なにとはらず、ゆふごゑを
われかのさまにさしぐみぬ。
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涙の門をゆきすぎて


なみだかどをゆきすぎて、
わがいへこそそこにあれ、
ゑまひ』のはなも、『なげかひ』の
ひぬ夕庭ゆふにはは、
橡色つるばみいろ被衣かづぎして、
墳墓おくつきごとしめやぎぬ。

なみだかどをゆきすぎて、
そこに『沈默しじま』のこそあれ、
しろがねののしたかげに、
思慧しゑ』のみて、
榛實はしばみうろ
さびしみ』をのみあぢはひぬ。

なみだかどをゆきすぎて、
かみこそせれ、古御達ふるごだち
あま御宣みのり老舌おいじたに、
ひとは、らずつらかりし、
さあれ、風雅みやび數奇すきなりし
運命神さだめをこそはしのびしか。
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朝顏姫の嘆き


黄金こがねくるるこそすれ、
いま『あけぼの』のいでますと、
あめ御蔭みかげいちは、
をかもあくる。

どよみはむねそたたきて、
追懷おもひでぞめざめぬる。
あああけぼのや、なつかしき
唐棣はねずのころも。

さしぐむまみうるほひに、
目耀まかよあめぐるまや、
あああけぼののうはじらむ
唐棣はねずのころも。

うつくしかりしそのかみの
ゆめほのにみて、
手弱腕たわやかひな卷鬚まきひげぞ、
わななきたゆむ。

あめ御蔭みかげみやづとめ、
朝顏姫あさがほひめばれ、
七座ななまほしむれにして、
ひしや、むかし。

おほみ淵醉うたげ良夜あたらよに、
日子ひこひてしはじめ、
いづのむしろをめられて、
はなとしひつ。

はなとをけど、『くらやみ』の
牢獄ひとやまど俯居うつゐして、
あああけぼのや、もすがら
きみをこそて。

きみをゆるされに、
あめ足日たるひをかいまみる
ありなしどきや、せつなさの
こゝろもすずろ。

はかなきいま身柄みがらには、
ひかりはひさへなくに、
あああけぼのや、まばゆさに、
こそひぬれ。

黄金向日葵こがねひぐるま日移ひうつりに、
あとをこそふといへ、
わなみ盲目めしひのうなだれて
かたもぞらぬ。

悲愁なげき』はわか孕婦うぶめにて、
なみに五百いほをはらみ、
あああけぼのや、目伸まのしして
きみたまし。

*朝顏姫は七夕七姫のうちの
 ひとりなり
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筑波紫


けぬ。新代あらたよあさぼらけ、
くに兄姫えびめたけすがた、富士ふじこそへれ、
しろがねの被衣かづきゆらに、『やよ筑波つくば
八十伴やそともたまぶちの冕冠かむりたかに、
あめみや御垣みかきるに、いかなれば、
ことよそほひの東人あづまどと、なれやはひとり、
玉敷たましき御蔭みかげにはひさに、
したなるくに暗谷くらだににつくばひるや。』

筑波根つくばね東聲あづまごゑして、『あめみや
御使みつかひめこそあれ、われは國造くにつこ
高翔たかがくる羽車はぐるまをともなひて、
あさなゆふなに七度ななたび國見くにみ反身そりみ
希望のぞみ、あくがれ、吟咏ながめたかわらひ、
努力ぬりきわかやぎ、またあい華座けざはここに。』と、
むらさきの常若とこわかすがたはなやかに、
ほにこそぐれ、ひとの、あはれ烽火のろしを。』

*詩集『筑波紫』に序す
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樂のすずろぎ


きぬかづきかひなたゆげに、
夕月ゆふづきにこそゐよれ。
靜寂さびしさきよごと
やまもねむげにひつ。

ひともとの河原かはら赤楊はんのき
うなだるる下枝しづえうらき
よつかぜうたへり、
しろがねの音色ねいろもゆらに。

『わがいといちには、あめ
飛車とぶくるまほしのどよもし。
には、あをうなばらや、
海神わだつみなみのゑわらひ。

さんは、瑞樹みづきのかくれ、
たわやなつゆめ
には、はた巖根いはね小百合さゆり
あけぼのののささやきを。

今宵こよひしもおもひあがりつ、
うまかみもこそけ、
常樂界とこよべの、はた黄泉かくりよ
たまむすび、――いましばを。』

ことひくにゆるびぬ、
ああいまか、小野をのくさだに、
御靈みたまにもゆらぎて、
靜歌しづうたにはたつらめ。

*詩集『四の緒琴』に序す
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藝のゆるされ


立樂たちがくふしはたゆみぬ。きね、いま
御蔭みかげにはばたきのはたとどよみて、
セラヒムの聲こそわたれ、『あま
生日いくひ足日たるひや、事榮ことばえひさまたれぬ。

合奏をあはせうま音色ねいろきとれし
心あがりの、やがてまた、がほしとこそ
ざらめや、御門柱みかどばしら彩畫だみゑにも、
あまかほばせ、大御身おほみまいづのひかりを。

やをれ、いま天路あまぢにじを、はなを、
眞闇まやみほしを、黎明しののめそらを、あからめ、
わだつみのなみをいろどる選人えりうど
せよ。』とあれば、大門おほどからりとりつ。

しろがねのくるるはきしり、もろとびら
つとはなるるや、きざはし繪師ゑしはあがりぬ。

*『太平洋畫會畫集』に序す
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鈴蘭の歌の挿画
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鈴蘭の歌


深山樒みやましきみ小枝さえだにも、
はなはほのかにくゆるを、
日雀ひがら日雀女ひがらめ、そなたには、
母御ははごいか、いか、
何故なぜ色音いろねしめるや。』と、
  さつさ、いよこの、
    小木曾女をぎそめ

ははらねば、たぬ、
たつた一人ひとり夫鳥つまどりを、
たかにとられたはじめ、
うたわかえはわすられた、
やもめとりぢやまで。』と、
  さつさ、いよこの、
    日雀女ひがらめ

すずめがくれの狩塲かりくらに、
黄脚鴫きあししぎもやうらぎりて、
さはとらはれの、――のちは、
野木のぎ古巣ふるすのおもひでに、
れてのみすぐすや。』と、
  さつさ、いよこの、
    小木曾女をぎそめ

せなわかれたまたのあさ
あまこひしさ、あひたさに、
黄櫨はじ木立こだちやまごえを、
鷹師たかしのもとにおとづれて、
ゆるされもこそなげいたに。』
  さつさ、いよこの、
    日雀女ひがらめ

深山みやまとりも、かなしびの
酒甕もたひ※(「酉+麗」、第4水準2-90-44)したむしたたりに、
はざなるまいすべなさか、
いづれはわかさがの、
さても相似あひに宿世すぐせや。』と、
  さつさ、いよこの、
    小木曾女をぎそめ

鷹師たかしきみやるには、
さち市女いちめにひさがれて、
にもこそなれ、其方そなたには
しろやまゐろと、ついばみに
やがてとらせたくさ。』と、
  さつさ、いよこの、
    日雀女ひがらめ

深山姥みやまおうな使つかひめ
うそおとしたまじ
つぶのひとつやふくまれて、
野木のぎ叉枝またえごもりに、
ぐむや、まが妖惑まよはし。』と、
  さつさ、いよこの、
    小木曾女をぎそめ

きつにかくれて、切畑きりばた
片日向かたびなたにもおろしやれ、
ごろもの山姫やまびめ
そでをこぼれたぢやまでに、
ありなぐさめにまゐらす。』と、
  さつさ、いよこの、
    日雀女ひがらめ

くさくだもののつぐのひに、
あきのとまりの神無月かみなづき
末枯すがれ小野をのもたらする
』は、にぶもはぐくみて、
いたか、はなわすれぐさ。』
  さつさ、いよこの、
    小木曾女をぎそめ

一〇

やました小野をのは、羅漢松あすなろ
老木おいきのもとにいて、
はなのしづくにしめすまに、
芽生めばえ日日ひびして、
やをらた、鈴蘭すずらに。』と、
  さつさ、いよこの、
    日雀女ひがらめ

一一

『あなたは、山姫やまひめ
こころしらひのたはむれか、
小木曾をぎそをとめの身柄みがらには、
またるものか、鈴蘭すずらん
幸福さいはひのよみがへり。』
  さつさ、いよこの、
    小木曾女をぎそめ

一二

叉枝またぶり俯居うつゐして、
にまたよは齋戒ゆまはりに、
つとまぼろしのほのめいて、
しろよそほひの郎姫いらつひめ
はなみそろ、いちはな。』
  さつさ、いよこの、
    日雀女ひがらめ

一三

『ああ、よみがへる歡喜よろこび
まへまうし、鈴蘭すずらん
ひとつびとつのはなびらに、
黄金こがね文字もじやらぬか、
『ありこひ齋戒ゆまはり』。』と、
  さつさ、いよこの、
    小木曾女をぎそめ

一四

まちよろこびや、またのは、
紅顏あからをとめのあけぼのが、
やました小野をの朝踐あさぶみに、
玉裳たまものすそのにしみて、
はなきそろ、はな。』と、
  さつさ、いよこの、
    日雀女ひがらめ

一五

『またみそめたばな
あさ葉形はがたのくちびるに、
あめ※(「酉+麗」、第4水準2-90-44)したみあぢめて、
きやらぬかの、さゝやきを、
ゆまはるこひきよまり』。』と、
  さつさ、いよこの、
    小木曾女をぎそめ

一六

むにまかせた大甕おほみか
ふかげのかな、ありむす
かたじけなさにさしぐみて、
ありえだがくれに、
今日けふもこそて、さんはな。』
  さつさ、いよこの、
    日雀女ひがらめ

一七

『ひたぶるごころ――には、
はな天路あまぢ※(「螢」の「虫」に代えて「火」、第3水準1-87-61)惑星ひなつぼし
明日あす莖葉くきばさんに、
いづのひかりも見るわいな、
きよまるこひのゆるされ』を。』
  さつさ、いよこの、[#「いよこの、」は底本では「よいこの、」]
    小木曾女をぎそめ

一八

はなちみる事榮ことばえに、
さこそはゆまへ、ともすれば
青水無月あをみなづき小野をのに、
むかしのゆめのうらびれて、
古巣ふるすを見てはさしぐむ。』と、
  さつさ、いよこの、
    日雀女ひがらめ
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三の百合


やをれ、此方樣こなさま初夏はつなつ
ながなかを何處どここ、
ぬるむ小河をがはみづこえて、
むかうおやまはなりに。

はななにぐさ、やま百合ゆり
瑞枝みづえしだれた秦木皮とねりこ
かげにひともと手折たをりては、
らぬ『往時むかし』にたてまつり。

深山頬白みやまほほじろきかへる
十六夜薔薇いざよひばらがくれに、
またもひともと見出みだしては、
今日けふ』をほがひのはなに。

いちはかざしに、むねに、
さては御手おんてに、『ゆくすゑ』の
あらましごとねがひにと、
まゐらすはなのあらばよい。

あかつきづゆのうはじめり、
まだもりのしたみちを、
眞保良まほらおくにわけいれば、
深山みやまがくれのが見ゆる。

夏野なつのひめものまうす、
まきのをとめに、ひとぐき
はなを。』とかどをそたたけば、
からりといたやみみや

みやしきみのかたかげに、
しろよそほひのたちすがた、
えならぬにもほのめいて、
いた、あえかのやま百合ゆり

ひめ御賜みたまはなやとて、
こゝろいそいそるとすりゃ、
おもひもかけぬ尾鳴をならしの
へびえそろ、がくれに。

はなりたし、くちばみ
葉守はもりのまみは見憂みまういし、
淺野あさの百合ゆりくまいに、
なにさまにはまゐらさう。

ついと強往しひゆたなさきに、
へびはぬるのかつえて、
やみのあなたに、ほのぼのの
はなや、――とればゆめわいな、

山毛欅ぶな瑞枝みづえ下蔭したかげで、
さまにもたれて眞白百合ましらゆり
いちはかざしに、むねに、
さん御手おんてのひらに。
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雛罌粟


はなを、いよこの、ゑやれ、
はなゑやれ、雛罌粟ひなげしを。
罌粟けしの、いよこの、もろさに、
罌粟けしもろさに、そのかみを。
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小雀と桂女


わかれたひとひたさに、
今日けふ桂女かつらめは、
みち瑞樹みづきがくれに、
きこそすませ、うま
  さつさ、いよこの、
    小雀女こがらめ

『やをれ小雀女こがらめひと
おもひしをれてなげを、
其方そなたはひとり心安うらやすに、
ながごゑしてさへづる。』と、
  さつさ、いよこの、
    桂女かつらめ

『あいなだのみのみて、
れたならでは、
とりながめる靜歌しづうた
小野をの調しらべはあはかろ。』と、
  さつさ、いよこの、
    小雀女こがらめ

『いくをひとりれた、
小野をのあまとはるまいし、
のしづけさをがくれに、
むかしがたりにふけりやれ。』
  さつさ、いよこの、
    桂女かつらめ

かつては、ふか青山あをやま
老木おいきえだごもりに、
つがひのひなぐくみて、
せなちゐたもそろ。』と、
  さつさ、いよこの、
    小雀女こがらめ

せな巣立すだちもつれて、
深山みやまつぐみのぬひまを、
おいたうげ切畑きりばたに、
黄金覆盆子こがねいちごみやる。』と、
  さつさ、いよこの、
    桂女かつらめ

『ひとついばむと、
谿たにのまほらへりたまま、
やまおうなまじものに、
せなまよひてかへらぬ。』と、
  さつさ、いよこの、
    小雀女こがらめ

『さては童男をぐなはかされて、
かくれのみやに、しろがねの
手瓶てかめ日毎ひごとたづさへて、
まじ眞名井まなゐむやら。』と、
  さつさ、いよこの、
    桂女かつらめ

けたひとつまどひに、
にまたやまいてりゃ、
かへされて、あいだれの
鳴音なくねはまたもかれぬ。』と、
  さつさ、いよこの、
    小雀女こがらめ

一〇

『さても憂事うきごとゐられの
重荷おもに小附こづけ、――がくれに、
ははを、くちばみ
窺覗うかねらたすさびや。』と、
  さつさ、いよこの、
    かつら

一一

『ひとりれたをおりて、
やま谿たにちゆくに、
尾羽をば憂身うきみをさへぎりて、
またありもど[#「てへん+吾」、U+6342、281-7]く、わがに。』と、
  さつさ、いよこの、
    小雀女こがらめ

一二

そらゆくからに、險路ほきぢにも
たざなるまい羽搏はぶきとは、
さても相似あひにひと
もてなやましのこゝろに。』と、
  さつさ、いよこの、
    かつら

一三

『はてはやまへはかへるまい、
こそは吾家わがや、またはかと、
國原くにばらめぐる鶉立うづらだち、
たび八百日やほかさびしさ。』と、
  さつさ、いよこの、
    小雀女こがらめ

一四

らぬ遠方とほちのさすらひは、
みちさまたげもおほかろに、
さても事無ことなをして、
はる野木のぎにもさへづる。』と、
  さつさ、いよこの、
    かつら

一五

『ひと木原こばらうた、
小野をの兄姫えびめにとめられて、
あすはひのき小林をばやしに、
いまこそはいとなめ。』と、
  さつさ、いよこの、
    小雀女こがらめ

一六

『さはゆるされの事榮ことばえに、
ゆめか、『往時むかし』は。いまもはた
まき小笛をぶえにしのびては、
なげきやるかの、さすがに。』と
  さつさ、いよこの、
    かつら

一七

『されば御空みそらのたたずまひ、
のあけくれを見知みしるほど、
こゝろいられは調ととのひて、
昨日きのふには心地こゝちや。』と
  さつさ、いよこの、
    小雀女こがらめ

一八

『さては、ゆらえた當時そのかみ
たまのたゆたひぎしづむ
眞澄ますみいまのしづけさに、
やるはなにか、あらたに。』と、
  さつさ、いよこの、
    かつら

一九

『まだうらわかいこのには、
すぐよごゝろいそしみて、
なげきの鈍衣にぶぎすべし、
あなたのそら外寄とよるに。』と、
  さつさ、いよこの、
    小雀女こがらめ

二〇

とりのさとしはりながら、
なほ下心したごゝろどこやらに、
うけひきがた心地こゝちして、
いまわかれた、みちを。
  さつさ、いよこの、
    かつら
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白羊宮 畢





底本:「白羊宮」金尾文淵堂
   1906(明治39)年5月7日発行
※国立国会図書館デジタルコレクション(http://dl.ndl.go.jp/)で公開されている当該書籍画像に基づいて、作業しました。
※「[#「竹かんむり/候」、U+25C4C、14-1]」と「篌」の混在は、底本通りです。
※「叉枝」に対するルビの「またえ」と「またぶり」の混在は、底本通りです。
※満谷国四郎(1874年(明治7年)11月10日〜1936年(昭和11年)7月12日)の挿絵を同梱しました。
※鹿子木孟郎(1874(明治7)年11月9日〜1941(昭和16)年4月3日)の挿絵を同梱しました。
※印刷不良を疑った箇所を、「明治文學全集 58 土井晩翠 薄田泣菫 蒲原有明集」筑摩書房、1967(昭和42)年4月15日発行の表記にそって、あらためました。
入力:golconda
校正:Juki
2017年3月11日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について

「竹かんむり/候」、U+25C4C    14-1、14-1
「義」の「我」に代えて「咨−口」、U+7FA1    53-5
「てへん+吾」、U+6342    281-7


●図書カード