独楽園

薄田泣菫




[#ページの左右中央]


この書をわが老母と妻に


[#改丁]

早春の一日


 読書にも倦きたので、庭におりて日向ぼつこをする。
 二月の太陽は、健康な若人のやうに晴やかに笑つてゐる。そのきらきらする光を両肩から背一杯にうけてゐると、身体中が日向臭く膨らんで、とろとろと居睡でもしたいやうな気持になるが、時をり綿屑のやうな白雲のちぎれが、そつと陽の面を掠めて通りかかると、急に駱駝色の影がそこらに落ちかぶさり、肌を刺すやうなつめたさがひとしきり小雨のやうに降りそそいで来る。その度にだらけようとする気持はひき緊められて、
「春もまだ浅いな。」
 と、おぼえず口のなかで呟かれようといふものだ。
 柳、桜、木蓮、無花果、雪柳といつたやうなそこらの木々は、旧葉の落ちた痕から、ちよつぴりと薄赤味のさした若芽をのぞかせて、小当りにこの五六日のお天気模様に当つてみてゐるらしいが、暖さ続きのうちにも、どうかすると急に寒さが後返りして、細かい粉雪でもちらちら降りかからうとするこの頃の模様を見ては、つい気おくれがするかして、めいめいしつかりと木肌にしがみついてゐるやうだ。そんななかに、梅の樹のみはもう真白な花をぱつちりと開いて、持前の息ざしの深い、苦味のある匂をぷんぷんとあたりの大気に撒き散らしてゐる。
 先刻からちよつと曇つてゐた空は、やがてまた明るくなつて来た。太陽は黄熟した大きな朱欒ザボンのやうにかがやき出した。乾いた砂地に落ちた梅の樹の横顔が、墨絵で描いたやうにくつきりと浮いて見える。
 ぐつと臂を張つたやうにしやに構へた太い本枝の骨組の勁さ。一気にさつと線を引いたやうに、ながく延び切つたずわえの若々しい気随さ。――さういつたものが、はつきりと地びたに描かれてゐるのみならず、気がつくと、また私の心の片隅にも、ぼんやりとその影を落してゐる。
 私は梅が好きだ。だから今日まで梅の絵も数多く眼に触れたが、そのなかで最も私の気に入つたのは、自ら「江南風流第一才子」と名乗つてゐた唐六如の墨絵の二三幅だつた。六如は平生金閭門外の桃花塢たうくわうに設けてあつた桃花庵といふ別業に起臥し、日々好きな酒に食べ酔ひ、酔つたまぎれに「桃花庵歌」を作り

桃花塢裏桃花庵   桃花庵裏桃花仙
桃花仙人種桃樹   又摘桃花酒銭
酒醒只在花前坐   酒酔還来花下
半醒半酔日復日   花落花開年復年
但願老死花酒置
といつて、その限りない愛着を桃花に寄せてゐたが、遺された作品の出来栄から観ると、六如は自分では、はつきりと意識しないまでも、どちらかといへば桃花よりも寧ろ梅花の方に多くの心契を持つてゐたらしい。さもないと、彼の作物に見られるやうな、この樹のもつ性格気品のあんなにすばらしい表現が容易に出来るものではない。私達は梅の花のあの冷々とした苦い匂に、六如のもつてゐた尖鋭な気禀きひんを嗅ぎ、楚といふ楚が、各自の思ふがままに真直に伸びて往くこの木の枝振りの気儘さと頑さとに、自ら風流第一と許した画人の、世間の規矩きくを超越した、自暴自棄にちかいまでの性癖と生活とを感じることが出来る。
 地続きの圃に五六株の水仙がうつくしい花を咲かせてゐる。春とはいひながら、時折はつめたいものがちらづかうといふ今日この頃、素肌のまま土塊をおし分けて立ち上り、牙彫げぼりのやうな円くつめたい腕を高々とさし伸べ、しなやかな指につまみ上げた金と銀との盃に、日光の芳醇なしたたりを波々と掬ひ取らうとするこの花の姿には、年若な尼僧にでも見るやうな清浄さがある。数多い草木のなかで最もはでやかな花といへば、春が豊熟した頃に咲きほこるものでそんな花の肌理きめの細かい滑らかな花弁に、むつちりとあぶらが乗つた妖艶さは、観る人の心を捕へずにはおかないが、しかしほんたうに根強い草木の生命そのものの復活を暗示し、純一無垢な自然の欲望の止みがたさを如実に歌つてゐるものは、春の先駆者である梅や水仙のやうなものにもとめなければならぬ。
 空の高みから小石でも投げたやうに、だしぬけに二羽の小鳥が下りて来た。そしてそこらの立樹の枝にはとまらうともしないで、いきなり地面に飛下りざま、互に後になり先になりして、樹陰の湿地をあさり歩いてゐる。薄黄色の羽をして、急ぎ脚に歩く度に、小刻みに長い尻尾を振つてゐるのを見ると、疑ひもなく黄鶺鴒きせきれいだ。
 ひたき鷦鷯さざいなどが、山から里へおとづれて来るには、頭を円めた遁世者のやうに、どんな時でも道連のない一人旅ときまつてゐるが、それとは打つて変つて鶺鴒は多くの場合公園の散歩客のやうに夫婦づれだ。そしてそこらの陰地やじめじめした水溜の附近を、揃ひのくちなし色の羽をさも見せびらかすやうに、ひよくりひよくりと気取つた身ぶりで長い尻尾を振りながら、爪立ちして歩き廻つてゐる。
 すると、そこらの立木の枝でせち辛い世帯向の話に夢中になつてゐた雀達は、親譲りの物見高い癖から黄鶺鴒のしやれた姿が眼に入ると、急に枝から飛び下りざま、小坊主のやうな円い頭を傾げて、
「どこからやつて来たかな。あまり見馴れない奴だが……」
「あの羽を見ろ。まるでクリイムのやうだ。」
 と、着膨れた体を毛毬のやうに円くして、二羽三羽と群をつくり、べちやくちやと口やかましく囀りながら黄鶺鴒の後をつけ廻してゐる。
 ふと気がつくと、日溜りの枯芝の上へ、いつのまにか三毛猫が一つやつて来て、背を円くして居眠つてゐた。雀達があまりに騒々しくはしたない口を利くので、猫は思慮深い哲学者といふものは、さうした小うるさい世間の空騒ぎなどに、自分の静かな思索を乱されるものでないことを示すもののやうに、わざと片眼を閉ぢたまま、今一つの眼を細く見ひらいて、蔑むやうにちらとその方へ顔を捻ぢ向けたが、すぐに事のあり態を見て取ると、
「ふむ……」
 と、軽く鼻を鳴らしたきり、大きな欠伸を一つして、両肢を長くうんと踏み伸したかと思ふと、そのまま暖い日光の下で長々と寝そべつてしまつた。
[#改丁]

春の賦




 また春が帰つて来た。
 病にかかつてこのかた、暑さ寒さが今までになくひどく体にこたへるので、夏が来ると秋を思ひ、冬になると春を恋しがる以外には、何をも知らない私は、ことしの冬が近年になく厳しからうとの前触れがやかましかつただけに、まだ冬至も来ないうちからどれほど春を待ちかねたことか。とりわけこの三四年、病気と闘ふ気分のめつきり衰へて来た私は、自分の病躯に和やかな、触りのよい春を見つけるか、また秋を迎へるかすることができると、その度ごとにほつとして、
「まあ、よかつた。一年振りにまたこんないい時候に出会すことが出来て……」
 と、心の底より感謝しないではゐられなかつた。

 いつも家の中にのみ閉ぢ籠つて、門外へは一歩も踏み出したことのない私は、春が来たからといつて、若い人たちと同じやうに、まだ見ぬ花を尋ねて、あちこちと野山を歩きまはるといふでもないし、また以前よくやつたやうに世間に名の聞えた、もしくはあまり知られてゐない老樹大木を尋ねて、そことしもない旅に上るといふでもない。ただ庭つづきの猫の額ほどの圃を幾度か往き戻りしながら、あたりをじつと見まもるまでのことだ。
 草は草で、天鵞絨ビロードのやうな贅沢な花びらをかざり立てて、てんでにこつてりしたお化粧めかしをした上に、高い香をそこら中にぷんぷんと撒き散らし、木は木で、若々しい枝葉を油つこい日光の中へ思ふさまのびのびと拡げて、それぞれみづからの生命を楽しんでゐる和やかさ。それを見てゐると、生きることの悦びは、そこらの枝に来合はせてゐる鳥のさへづりや、蜜をもとめて花のなかを飛び交してゐる蜜蜂の鼻唄めいた唸りと一緒に交り合ひ、融け合つて、私の心のうちに滴り落ちるので、ともすれば陰気に曇らうとする私の感情のくまぐままでもが、覚えずぱつと明るくならうとする。
 今そこらに芽を出したばかりの若草は、毎日のやうに寸を伸していつて、やがて女の髪のやうに房やかになることだらう。私はそれを踏むのが好きだ。素脚の足の裏につめたい、やはらかな、くすぐるやうな感触を楽しむことが出来るのも、もうほどなくのことらしい。
 むかし晋の時代に曇始といふ僧があつた。またの名を白足和尚と呼ばれただけあつて、足の色が顔よりも白く滑らかで、外を出歩く時雨上りの泥水の中をざぶざぶと徒渉かちわたりしても、足はそれがために少しも汚されなかつたといふことだ。私の足は和尚のそれとは異つて、色が黒く、きめが粗いやうだが、やはらかい若草の葉を踏むと、すぐに緑の色に染まるので、私はそれを見て自分の足の裏からも若やかな春を感じ、春を味はふことが出来ようといふものだ。


 春はすべてのものに強く働きかけようとしてゐる。

 いつの時代のことだつたか、支那に馬明生といふ人があつた。そのころ仙術といふものが流行つて、それに熟達すると、ながく老といふことを知らないで生きながらへることができるのみか、人間の持つ願望のうちで一番むづかしいといはれる飛翔すらも容易く出来るといふことを聞いた彼は、早速安期生を訪ねて、弟子入をした。安期生はその道の第一人者で、さういふことにかけては融通無碍の誉れを持つてゐた。
 馬明生は師についてながい修業の後、やつと金液神丹方といふのを伝授せられた。この神丹を服用すると、その人はいつまでも不老不死で、そしてまた生身いきみのままで鳥のやうに空を飛ぶことが出来るといふことだつた。
 ながい希望を達して得意になつた彼は、人々に別れを告げて華陰山の山深く入つて行つた。そして教へられた通りの秘法で仙薬を錬つた。
 彼は出来上つた薬を大切さうに掌面に載せた。顔にはほがらかな微笑さへも浮んでゐた。
「わしは、今これを服さうとしてゐるのだ。次の瞬間には、わしの身体はかうのとりのやうにふはりと空高く舞ひ揚がることができるのだ。大地よ。お前とは久しい間の……」
 彼はかういつて、最後の一瞥を長い間の昵懇じつこんだつた大地の上に投げた。
 その一刹那、彼の心は変つた。彼は掌面に盛つてゐた仙薬の全分量の半分だけを一息にぐつと嚥み下したかと思ふと、残つた半分を惜気もなくそこらにぶち撒けてしまつた。
 飛仙となつて、羽ばたきの音けたたましく大空を翔けめぐるべきはずだつた馬明生の体は、見る見るうちに佝僂くるのやうに折れ曲つて、やがて小さな地仙となつてしまつた。

 何が馬明生をして、かうも大事な瀬戸際にあたつて、そんなに心変りをさせたらうか。それは見る人によつていろいろな解釈もあらうが、私はそれを時季がちやうど春だつたからのことだと考へたい。そこらの野山を色とりどりに晴やかに粧つた春の眺めは、あのがらんとした空洞のやうな空の広みと比べて、どんなにこの仙術修行者の心を後に引戻したらうか。それは想像するに難くないことだ。
 彼の心変りも、詮じ詰めると、そんなちよつとした理由にもとづくものではなかつたらうか。
 世の中にはよくそんなことがあるものだ。
[#改丁]

静寂と雑音




 三月なかばのある日のこと、私は自分ひとりで静かに考へ事に耽るべく、陽当りのいい庭さきへ籐椅子を持ち出して、それに凭りかかつてゐた。
 春先によくある、暖いひつそりとした日で、咲いてまだ間もない梅の花は、深い吐息をつく度に、高い、苦さうな香をそこらにぷんぷん撒き散らしてゐた。ふくよかな腕一杯に花盞はなざらを高く持ち上げて、なみなみと日光ひのひかりを汲んでゐる水仙は、したたか食べ酔つたかのやうに、あるかなきかの大気の動きにも、すぐにふらふらとなつて、何物かにもたれかからうとしてゐる。この二三日軒下に巣を組みかけてゐる雀の小坊主達は、折角啄んで来たそこらの塵つ葉を巣に持ち込むことをも忘れて、陽当りのいい小枝にとまつたまま、こくりこくりと居睡をし続けてゐる。時季を間違へて、少し早目に海を渡つて来たらしい燕が二羽、やつと芽を吹きかけたばかしの柳の枝にとまつて、きよときよとあたりを見廻すのみで、ねつからおしやべりを始めようともしない。物音一つ聞えて来ぬ静かさ。全く考へごとなどするには、勿体ないやうな日和で、暫く日光を浴びてゐるうちに、私は自分が刈草の一束ででもあるかのやうに、骨つぽい両肩や、また考へごとにまでも、日向臭い匂が沁み込んでゐるのを嗅ぎつけないわけに往かなかつた。
 だしぬけに風が吹いて来た。名も知らぬすばしこい小動物が、どこからか潜り込んで来て、手当り次第に悪ふざけをしてゐるやうに、夫婦者のつばくらを柳の枝から吹つ飛ばし、なまくら雀の居睡を揺ぶり覚まし、梅の花をやけに振ひ落し、水仙を地びたに叩きつけなどしたかと思ふと、その余勢でもつて、いきなりそこにある糸瓜棚に駈け上つた。その途端、私の頭の上で軽い音をたててからからと鳴るものがあつた。
 私は眼をあげて頭の上を見た。そこには去年の秋形がいびつだからといつて、たつた一つ取り残しておいた小さなひさごが、引きねぢられたままの蔓と一緒に棚にしがみついてゐて、折柄の風にその不相応に大きな尻を振つてゐるのだつた。
「瓠め。からからと寂しい音を立ててゐるな。」
 私は口のなかで独語をいつた。そしてたつたひとりで棚にぶらさがつてゐる瓠の姿をいつまでもいつまでも見つめてゐた。


 むかし、むかし、大むかし、帝げうが自分の治めてゐた天下を譲らうとするのを、にべもなくはねつけて、箕山きざんの奥に隠れた許由きよいうが、あるとき口がひどく渇くので、谿河の水際におりて、透きとほるやうな水を両手の掌に掬んで飲んでゐたことがあつた。それを見たある人が、
「水を飲むには、これが一番便利だ。」
 といつて、瓠を一つ贈つたものだ。許由は悦んでそれを受け、口移しに水を飲みをはると、そのまま瓠をそこらの樹にかけておいた。
 すると、つめたい山風が谿合からさつと吹き上げて来た。瓠は風にゆられてからからと鳴つた。眉をしかめてその音に聴き耳立ててゐた許由は、
「うるさい奴だな。」
 と、たつた一言いつたかと思ふと、ついと立ち上りざま、瓠を樹の枝から取りはづして、そこらに投げ捨ててしまつた。

 私達の魂の故郷は静寂の国である。魂の孕むすべての美しいものは、この寂しさから生れ出て来るのだ。それはちやうど小鳥が自分の古巣を深山の密樹の枝に結び、鰻が自分の誕生地を名も知られぬ深海の水底におくのと同じやうなものだ。私達の魂がひとり空堂に安居あんごして、思惟の三昧に耽るとか、または宇宙の霊や艸木の精と黙語点頭するとかいつたやうな、何かしら秘密なものを羽含はぐくまうとする場合には、静寂こそはなくてならない唯一のものなのだ。思惟する人は絶えず静寂に酔ふ。その魂はいつも壺中の醍醐味によつて養はれてゐるからだ。いふまでもなく許由もその一人で、彼は誰よりもよく静虚の真の趣を知つてゐた。
 自らの心をさうした大自然の深みと脈搏相通ずる辺においてゐる者にとつては、枝にかけた瓠の調子に乗つて、風に戯れる騒がしさは、彼が持前のほんの一寸した軽はずみに過ぎないにしても、冥想の静けさを邪魔だてするものとして、二度とこの剽軽者にそんな機会を与へないやうに、彼を枝から取おろしたものに相違ない。
 実際雑音のやかましさが、静虚な心境を楽しむものや、思惟の生活を愛するものにとつて、憎むべき鼠であり、鴉であり、また虎であることについては、私が殊更めかしてここに言はなくとも、むかしの詩人がはやくからいつてゐる。
 それは杜甫のことで、この悲観詩人が、あるとき秦州の塞上で隠遁者※(「日+方」、第3水準1-85-13)げんばうにめぐりあつた。気心の合つた同士のこととて、一見旧知の如く、秋草の小径を踏み分け、つめたい雨に着物の裾を濡らしながら、互に仲よく往来をしてゐたものだが、会ふ度毎に隣近処の小やかましいのが気に病まれてならなかつた。二人は相談の上、どこかもつと静かな、辺鄙な村が見つかつたら、そこへ引移らうといふことに、心を決めてゐた。
「このやかましさから遁れることさへできたら、虎に噛まれたつて構はない。」
 かういつた言葉が、その頃作つた彼の詩に残されてゐるのを思ふと、彼らがどんなに強く世間の騒がしさを恐れ、またどんなに深く静寂を愛してゐたかがわからうといふものだ。


 近代都市の雑音のやかましさ。路面電車の人を脅しつける歯ぎしり。自動車の高慢ちきな人払ひ。貨物自動車の傍若無人な唸り声。またオートバイの突拍子もない高調子。――さういつたやうな物凄い速力と戦慄とを伴つた雑音が、刻々に絶えず私たちの身近に突進して来るので、私達の戸外生活では神経が極度に興奮し、緊張せざるを得なくなる結果として、疲労を覚える事もまた一段とひどい。その興奮を鎮め、緊張を緩め、疲労より回復するには、是非とも天鵞絨のやうな静境を必要とする。私達は己がじしの和やかな家庭生活において、その静境をもとめようとするのに、うるさい雑音の小魔達は、このひつそりした避難所にまでも闖入して来て、そして意地悪くも回復の邪魔だてをしようとするのだ。
 このあひだ亡くなつたイギリス文壇の散文の名家ヂオーヂ・ムーアが、ある時筆生に自分の原稿を口授してゐると、隣室に住んでゐるアイルランド生れの二人の婦人から厳しい抗議が持込まれて来た。
「お仕事ならお仕事で、もつとお声を低めに、隣近所の迷惑にならないやうにして下さいませんか。これまでのやうなお声だと、壁一重隣に住んでるものは、どうにもやりきれませんわ。」
 ムーアはそんな抗議などは少しも気に留めないで、相変らず高調子で口授を続けてゐた。すると、ある日のことだしぬけに隣の室から、調子はづれなオルガンの音が聞え出した。いつぞや抗議を持込んで来た婦人たちが腹癒せの仕返しらしく、それからといふもの毎日のやうにムーアが仕事を始めると、それをきつかけに、隣の室からオルガンが単調な、ものうい音を壁一重こちらにまでもひきずり込むので、これにはさすがに強情なムーアも少なからず閉口させられたといふことだ。
 これは雑音のうるささに報いるのに、雑音のやかましさをもつてしたもので、この散文詩人が、自分の仕事に静謐がなくてはならないものだといふことを、百も承知してゐながら、それでゐて、疲れてゐる隣の二婦人が、それと同じものを欲しがつてゐることには、少しも思ひやりがなかつたのは、あまり感心した話ではなかつた。


 今日の新聞で読むと、イギリスの詩人ジヨン・メエスフイルドは近頃アメリカを訪問して、気の狂つた獣類のやうに盲滅法に駆けずり廻はる自動車の行列を眺めて、次のやうに話したといふ事だ。
「世界はむかしに回らうとしてゐる。一度失つた心の静平さをとりかへさうとしてゐる。アメリカの人達も、やがては無駄な速力で駆けずり廻はることの馬鹿さ加減に目がさめるだらう。私たち藝術家は、その時になつて、やつと一般人と共にむやみに亢奮し、急テムポでもつてやたらに踊り狂つてゐた愚かさに気がつくやうなことではいけない。しあはせなことに、私たちの魂は、むかしから静寂で、慌てず、焦立たないでゐる。この沈着な魂の歌を唱つて、世間の人人をめざめさすのは、藝術家といはれる人たちの務めなのだ。」
 あわてもののアメリカ国民に対して、彼らの気に入りさうにもない魂の静寂を説いたところは、さすがに詩人の見識だといつてよい。


 風が吹く度に瓠はまだからからと鳴つてゐる。考え事に耽つてゐる身にとつては、いくらか耳障りでないこともないが、さうかといつて、隠遁者許由のやうに、むきになつてそれを枝から取り外さうといふ気にもなれない。瓠には瓠の楽しみがある。彼は今心からその音を楽しむもののやうに、いびつな尻を跳らせてからからと鳴つてゐる。
 私はそつと椅子を動かして、庭の片隅に退いた。

 瓠もそこまではもう追ひかけて来なかつた。
[#改丁]

佗助椿




 私は今夕暮近い一室のなかにひとり坐つてゐる。
 灰色の薄くらがりは、黒猫のやうに忍び脚でこつそりと室の片隅から片隅へと這ひ寄つてゐる。その陰影が壁に添うて揺曳する床の間の柱に、煤ばんだ花籠がかかつてゐて、厚ぽつたい黒緑くろみどりの葉のなかから、杯形さかづきがたの白い小ぶりな花が二つ三つ、微かな溜息をついてゐる。
 佗助わびすけ。佗助椿だ。――友人西川一草亭いつさうてい氏が、私が長い間身体の加減が悪く、この二三年門外へは一歩も踏み出したことのない境涯を憐んで、病間のなぐさめにもと、わざわざ届けてくれた花なのだ。


 言ひ伝へによると、佗助椿は加藤肥後守が朝鮮から持帰つて、大阪城内に移し植ゑたものださうだ。肥後守は佗助椿のほかにも、肩の羽の真白なかささぎや、虎の毛皮や、いろんな珍らしい物をあちらから持帰つたやうに噂せられてゐる。現に京都清水の成就院では、石榴のそれのやうな紅い小さな花をもつた椿を「本佗」と名づけて、肥後守が朝鮮から持帰つたのは、自分の境内にある老樹だと言つてゐる。実際世間といふものはいい加減なもので、肥後守が腕つ節の人一倍すぐれて強かつた人だけに、荷嵩にかさになりさうな物だつたり、由緒がはつきり判りかねる品だつたら、その渡来の時日がぴつたり註文に合ふが、合ふまいが、そんなことには一向頓着なく、何もかもこの強者つはものの肩に背負はすつもりで、
「はて、こいつも肥後守ぢや。」
「ほい、お次もさうぢや。」
 といつた風に、みんな清正の荒くれだつた手がかかつてゐたことに決めてゐるらしい。


 この椿が佗助といふ名で呼ばれるやうになつたのについては、一草亭氏の言ふところが最も当を得てゐる。それによると、利休と同じ時代に泉州堺に笠原七郎兵衛、法名吸松斎宗全といふ茶人があつて、後に還俗して佗助といつたが、この茶人がひどくこの花を愛玩したところから、いつとなく佗助といふ名で呼ばれるやうになつたといふのだ。
 それはともかくも、佗助椿は実際その名のやうに佗びてゐる。同じ椿のなかでも、厚ぽつたい青葉を焼き焦がすやうに、火焔の花びらを高々と持上げないではゐられない獅子咲のそれに比べて、佗助はまた何といふつつましさだらう。黒緑の葉陰から隠者のやうにその小ぶりな清浄身をちらと見せてゐるに過ぎない。そして冷酒のやうに冷えきつた春先の日の光に酔つて、小鳥のやうにかすかに唇を顫はしてゐる。佗助のもつ小形の杯では、波々と掬んだところで、それに盛られる日の雫はほんの僅なものに過ぎなからうが、それでも佗助はしんから酔ひ足つてゐる。


「この花には捨てがたい佗があるから。」
 かういつて、同じ季節の草木のなかから佗助椿を選んで、草庵の茶の花とした茶人の感覚は、確に人並すぐれて細かなところがあつた。壁と障子とに仕切られた四畳半の小さな室は、茶人がその簡素な趣味生活の享楽を一※(「怨」の「心」に代えて「皿」、第3水準1-88-72)わんの茶とともに飽喫しようとするには、努めて壁と障子との一重外に限りもなく拡がつてゐる大きな世間といふものを忘れて、すべて幻想と連想とを、しつかりとこの小天地の別箇の生活のうちに繋いでゐなければならぬ。
 それには生活の方式がある。その方式といふのは、長い間かかつて磨かれた簡素な象徴的なもので、例へば釜の蓋の置場所から、茶杓の柄の持ち方に到るまで、きちんと方式が定まつてゐて、それを定められた通に再現することによつて、方式それみづからの持つ不思議な力は、壺のやうに小さな茶室に有り余るほどゆつたりとした余裕ゆとり沈静おちつきとを与へ、そこにゐる主客いづれもの気持に律動と諧調とを生みつけ、また日毎にめまぐるしくなりゆく現実の生活とは異つた、閑寂と佗とのひそやかな世界を皆のうちに創造しようとする。
 そのひそやかな世界では、床の間に懸つた古い禅僧の法語の軸物。あられ釜。古渡りの茶入。楽茶※(「怨」の「心」に代えて「皿」、第3水準1-88-72)。茶杓。――といつたやうな道具が、まるで魔法使の家の小さな動物たちが、主人の老女の持つ銀色の指揮杖の動くがままに跳ねたり躍つたりするやうに、それぞれの用に役立ちながら、みんな一緒になつて茶室になくてはならない、大切な雰囲気をそこに造り上げようとする。大切な雰囲気とはいふまでもなく、閑寂と佗とのそれである。

 むかし、小堀孤蓬庵が愛玩したといふ古瀬戸の茶入「伊予簾」を、その子の権十郎が見て、
「その形、たとへば編笠といふものに似て、物ふりてわびし。それ故に古歌をもつて、
あふことはまばらにあめる伊予簾
いよいよ我をわびさするかな
我おろかなるながめにも、これをおもふに忽然としてわびしき姿あり。また寂莫たり。」
 といつたのも、その茶入が見るから閑寂な佗しい気持を、煙のやうに人の心に吹込まないではおかなかつたのを嘆賞したものなのだ。

 もしか茶室の雰囲気に少しでももの足りなく感じたら、そんな場合には何をおいても床の間の抛入の佗助の花を見ることだ。自然がその内ぶところに秘めてゐる孤独感が、をりからの朝寒夜寒に凝り固まつて咲いたらしい、この花の持味は、自然の使者として、その閑寂と柁心とを草庵にもたらすのに充分なものがあらう。

 私は暗くなつた室でこんなことを思つてゐた。椿の花は小さく灰色にうるんで、闇の中に浮き残つてゐた。
[#改丁]

花を待つ心



 どちらを向いて見ても花の微笑だ。

 若い尼御前あまごぜが、ふつくりとした乳白の手で悩ましくも合掌してゐる木蓮の花。
 春に酔つたらしく、やや上気して、ほんのりと肌に赤味を帯びた海棠。
 指さきでそつとさはらうものなら、そのまま夢からさめて消えも入りさうな一重桜。
 娘のやうに濃い口紅をさした緋桃。
 黄ろい眼をした連翹。
 透き徹るやうな青白い肌をした梨の花の寂しさ。
 四月の太陽は、二日酔にでもかかつたやうに睡さうにだらけきつてゐる。帛漉きぬこしに漉したやうなその柔かい光――光といふよりも、いつそ匂といつた方がよささうな、夢と触感と香気とに充ちた影のやうなものを浴びて、どの木の花もがしらじらと輝いてゐる。が、よく見ると、そのなかで花弁をぱつとはでやかに開いてゐるのは、まだほんの二三分で、残りの七八分方は言ひ合せたやうにふはりと膨らんだつぼみのままだ。莟の多くは刻々にそのふくらみをゆるませ、すぼんだ唇を半ば綻ばせて、春を満喫すべく、われがちに花弁を開かうとしてゐる。何か目に見えぬものの不思議な力に動かされでもしてゐるかのやうに。
 たまにだんだら染めの着附をして、尻の端に細身の鋭い剣を下げた無頼漢ならずものの蜂が、密を[#「密を」はママ]盗まうとして固い頭でがむしやらに開きかかつた花弁を押し分けるとか、またはいたづら好きの軽い風が、ちよつとした浮気心から相手選ばずにくすぐりにかかるとかすると、さうした相手に見込まれた花は、その都度あちらでも、こちらでも、あなたまかせにそつと花弁を押し開いてゐるが、さういふ無頼漢や悪戯好きにめぐりあふ機会のない多くの莟は、どんな風にして、どれだけの時間がかかつて、花弁をほころばせるものだらうか。私はその秘密をほんの少しでも自分の眼で見たくてたまらなくなつた。
 それには都合のいい、大ぶりな木蓮の花が近くにあつた。私はその木かげに佇んで、次の瞬間に咲きかからうとしてゐる花の一つをぢつと見詰めてゐることにした。
 つい今朝がたまでちやんと合掌してゐたらしい乳白の花弁は、だんだん絡み合ひの力がゆるみ、今ではもう最後の一息を待つばかりになつてゐて、まだなかなか開かうとしなかつた。象牙のやうな厚ぽつたい幾つかの花弁のなかで、あるかなきかに波立つてゐる花の動悸が、私にもかすかに感じられ、ほのかに匂ふ花の息ざしが、ひとすぢの香の煙のやうに私の顔にたゆたうて来た。それでも花はまだ開かうとしなかつた。
 五分……
 十分……
 二十分……
 どこからか、太股の毛に黄ろい花粉をくつつけた蜜蜂が飛んで来た。そして私の見まもつてゐる木蓮の花にいきなり潜り込まうとしたので、私は慌てて手を振つてそれを追払つた。蜜蜂は癇癪をおこして、脅しつけるやうに私の耳のあたりをぐるぐると廻つてゐたが、それでもあきらめたらしく、やがてどこかへ姿をかくしてしまつた。
 三十分……
 花はまだかすかな身動き一つしようとしない。一寸見ちよつとみには暖い四月の日光のなかでうつらうつらと居睡でもしてゐるらしいが、それはほんの表面うはつらのことで、花は今「つぼみ」から「満開」に移らうとして、その心持の上では、静かにもまた落ちついた足取でじりじりと歩みを進めてゐるのだ。譬へてみたら小鼓の一つの拍子をうちへて、次の拍子に移らうとするのやうなものなのだ。
 私は花の番人ででもあるやうに、ぢつと木蓮の花一つを見まもつてゐるのが、ほとほと苦しくなつて来た。その途端、ふと次のやうなことを思ひ出した。それはいつだつたか、私がある湯の宿で、語る人もない夕方のしよざいなさに、谿河を隔てて向ひ側の山ふところに見える古寺の山門が、いつ締るかと、その扉の閉ざされるのを側目もふらずぢつと見まもつてゐた折の気持だつた。そのをり私が知つたのは、寺の門は私が見まもつてゐるうちには締らないで、私がちよつと側見をしてゐるうちに閉ざされてゐたといふことだつた。
 この消息をもつともよく知つていたのは、唐の玄宗皇帝だつた。
 春の一日、玄宗が御苑に面した長い回廊を通りかかると、折から二三日降り籠めてゐた春雨がれたばかしのあとなので、そこらに程よく栽ゑられてゐた花樹の梢が、いづれも細い雨にぬれて、油のやうな雫をぽたぽた垂らしてゐた。花といふ花は、口紅をさしたやうな唇を少し綻ばせかけてゐたが、まだ全くは咲ききらないのが何だか物足りない気持がした。玄宗は侍臣にいつた。
「見ろ。どの木の花もが笑ひかからうとして、ただはづみを待つてゐるやうぢや。――急いで羯皷かつこを持つてまゐれ。」
 侍臣の手から羯皷を受取つた玄宗は、回廊の上でらうがはしいまでにそれを打ち鳴らして、春光好といふ一曲を心ゆくまでに奏した。帝自らもいかにも気持がよささうだつたが、側近くに居並んで聴いてゐた侍臣達も、ほとほと感に堪へてゐる様子だつた。曲がをはると、玄宗は庭の花樹を指さした。その面には得意さの色がありありと読まれた。
「あれを見ろ。あれを。――お前たち、この不思議を、何と考へるな。」
 皆は眼を庭の方へやつた。つい先刻まで莟を膨ませてゐるに過ぎなかつた御苑の花樹は、言ひ合せたやうに皆一斉に咲き盛つてゐるではないか。皆は心より動かされた。そして今の一曲にひまどつた時間のことなどはすつかり忘れてゐた。

 私も息ぬきに木蓮の木蔭を遠ざかつて、そのあたりをぶらついてみた。そしてまた暫くの後もとのところへ帰つて来た。
 花はその間に乳白の花弁をぱつと大きく開いてゐた。そのふところからは蒸すやうな蕋の香がゆらゆらと燃えあがつてゐた。
[#改丁]

詩は良剤



 家に引籠つてからかれこれ十年近くにもなるのを思ふと、私の病気もかなり長いものだ。むかしの詩人は、
「病によつて、ひまが得られるのも、悪くはないものだ。」
 と歌つたが、それは平素ふだん健かで、仕事にいそがしくしてゐたものが、たまに病にかかつて間を得たので、久し振にのんびりした気持になつて、
「これも、悪くないな。」
 と、微笑をたたへた程度のもので、私のやうに十年近くも病気を抱へてゐるものにとつては、昼夜の見境なく襲つてくるその苦痛を受け容れ、その不自由さに応対するのが一仕事で、なかなか病気の持つて来る閑を楽むといつたやうな、のんびりした余裕などあるべきはずがない。私ひとりの経験からいふと、身体がすこやかだつた当時は、仕事の方も忙しかつたが、たまさか獲ることのできた「閑」は、まことに静かで、ゆつたりとした、気持のいいものだつた。ところが、長い病にかかつて、世間の人のいふやうな「閑」のある身になつてみると、その間友達のやうに親んで来た病とその苦しみとを、どう取扱つたものかと、がなすきがなその工風にのみいそがしくて、閑らしい閑を持つたといふ気持は味はれない。
 詩人として聞えた清朝の屠琴塢は、また体の弱い、病気持の人としても知られてゐたが、いつも見舞に出て来る親い友人達からは、
「君はそんな弱い体をしてゐながら、天命を楽み、自己に安んじて、ちつとも境遇のために心を動かさない。ひよつとすると、病気は治るかも知れないぜ。」
 と、いつて慰められたものださうだ。屠琴塢がどんな気持でそれを聞いてゐたか知らないが、私などそんな言葉で慰められたかといつて、始終もてなやんでゐる病の苦痛は、いくら私が貘のやうな性分を持つてゐたにしても、そんな夢のやうなことを思つたりするゆとりがないまでに、たえず現実感を刺激して来るのであつてみれば、今さら返事のしようもないといふものだ。
 その屠琴塢は、持病の一つも持つてゐるぐらゐの人だつたから、医者には内証で、自分の病に好く利く合薬あひぐすりを知つてゐて、保養のひまびまにはいつもそれを調合して服用してゐたものだ。その合薬といふのは外でもない、詩のことなのだ。それについて彼はこんなことをいつてゐる。
「むかしの人は、書画の二つをすぐれた持健薬としてゐたものだつた。ところが私の友の一人は、それだけでは物足りないといつて、琴と石と香と茶とをそれにつけ足したが、詩のみはいつものけものにせられてゐた。
 私は病気になつてこのかた、いろいろな仕事は皆止めてしまひ、書画などもまた余計物のやうに扱つてゐるのだが、ただ詩のみは好きな道だけに、そんななかにも捨てないでゐる。取り乱した病の床で気がふさいで仕方がない時などに、見舞客からひよつくりと詩を贈つてもらつたりすると、いつまでもそれを手から離さないで、幾度か味ひなほすやうにそれを口ずさむのだ。そしてそのなかから詩味の和やかなのを見つけると、丁度人参や茯苓ぶくりやうの口当りが甘いのに出会つたやうに、また格調の激越なのを目にすると、まるではじかみや肉桂の辛烈舌を刺すやうなのを味はつたやうに、どちらも内臓を癒すにききめが少くない。三五年このかた、私が度々死にかけて、それでゐて死ななかつたのは、大部分詩の力だ。それを思ふと、詩は私にとつてこの上もない保命薬なのだ。」
 これは実際さうあるべきはずのことで、現に私なども好きな詩を読み耽ることによつて、どれたけ焦立つ自分の気をなごやかにし、ひいては病気を快くしたとまではいひ得ないにしても、病気から来る時々の発作の不気味さを押し鎮めることが出来たかわからない。
 また私ひとりにとつて詩と同じやうに、ことによつたらそれ以上に治病の効果があつたのは、自然の観察――とりわけ艸木の、どちらかといへば、静寂で、むしろ単純極まるその生活を凝視することであつた。
 私は四季を通じて、どんなに寒くとも、また暑くとも、天気のいい日には、日に幾時間かはきつと陽当りのいい庭先に出ることにきめてゐる。明るい日光と澄みきつた大気とを通じて、そこらにある草木の本然の姿を見るのが、楽みなのだ。草木は皆生命の火焔のやうに、黒い土の中から燃え上つてゐる。彼らは健康だ。健康そのものの有難ささへ知らぬかのやうに。彼らは長生し、また再生する。さも長生といふものの鬱陶しさなど少しも気づかぬかのやうに。彼らは群生する。多くのものと一緒にゐるのが、生活の真の姿であるかのやうに。彼らはまたあの※(「王+贊」、第3水準1-88-37)げいさんの描いた沙樹の図のやうに、高い空のもとにひとりぽつちで立つてゐる。その眼は絶えず自分の孤寂を見つめてゐるもののやうに。
 明るい日光のなかで、さうした草木の生活の種々相を凝視してゐることによつて、私はなにほどか私の持病を忘れ、その苦しみを軽くすることが出来るのだ。まだ治療方法の見つからない病にかかつてゐる私のやうな者にとつては、幾分なりとも病を忘れるのは、その治方の一つであるかも知れない。
[#改丁]

※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)



 ふと眼がさめた。頭を持ち上げて寝室の小窓へ目をやると、戸外はまだ墨汁のやうに真暗らしかつた。そのままうとうととしてゐると、どこからか雄※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の暁を告げる癇高な強い鳴声が聞えて来た。
※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)が鳴いてるね。どこか近所で飼つてゐるとみえるな。」
 私は誰に話しかけるともなくそんなことをいつた。隣の室では家の者が寝返りでも打つらしい物音がもぞくさと聞えた。
「あれはお隣の※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)ですよ。ついこなひだまで雛児だつたのに、もう時を告げるやうになつて……」
 家の者は寝呆声でこんなことをいつたやうだが、その次の瞬間には、すぐにまた寝ついたらしく、すやすやといふ寝息の音が微かに聞えて来た。
 私はじつと瞼を合はせてみたが、なかなか容易には眠られなかつた。
 暁を告げる※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の声。あの声こそは、私がそれと気づかないで、年久しく私の生活から失つてゐたものだつた。小さな農村に生れて、そこで少年の頃を過した私にとつては、※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)は私の生活の一部分に外ならなかつた。私達は日毎日毎夜がまだ全く明け離れないうちから、程なく暁が来ることを雄※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)によつて教へられたものだ。その声はなほ名残を惜んでそこらに逡巡する夜を蹴散らして、やがて明け往くその日をしつかりと把握するに足りるほどほがらかで、雄健なものだつた。私達農家に生れたものは、昼間の働きでどんなに疲れてゐようとも、夢うつつの境にその声を聞きつけると、
「もう朝がやつて来たのだ。」
 と、私達はどうかするとまだ寝床のなかに居残らうとする懶心なまけごゝろに鞭打つて、すぐにも起き上らねばならなかつたのだ。それほどまでに雄※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の持つ比類のない敏感さは、しののめ時のあるかなきかの薄明うすあかりの動きをも暗黙の間に伝へ、その健さはまた、暁そのものの持つ生れたばかりの新鮮さと雄々しさとを感得してゐるのだ。
 いくら※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)舎の扉を厳重にて切つても、どんな微かな光線をもゆるさぬほど、こまめに隙間々々を目張しても、そんなことには一向頓着なく、真暗な小舎のなかの雄※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)が、いち早くも東天に揺曳する暁の仄かなおとづれを感知するその感性は、一体どこから来たものだらうか。むかしの人はそれを解釈するのに、いろんな想像をほしいままにしたものだ。
 その一説に、――知られぬ国の中央に桃都山といふ大きな山が聳え立つてゐる。その山に桃都といふ世にもすばらしい大樹が一本衝立つてゐるが、その樹の枝と枝との隔りが、ざつと三千里ほどもあるといへば、それがどんなに大きな樹であるかが、ほぼ想像できようといふものだ。その樹の上枝に天※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)が一羽棲んでゐる。東の空から流れ出づる夜明の第一の光が、横さまにぱつと木のいただきを射り、そこらの枝も木の葉も黄金色に照り耀くと、それに気づいた天の※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)は悦びに胸を躍らして、喇叭のやうな声で高らかに朝の讃歌を唱へる。すると、下の方の万家の※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)舎で、その遠音を聞きつけた雄※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)たちが、下界はまだ薄暗ながら、みんなそれに倣つて、一斉に夜明を告げるといふのだ。
 真暗な※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)舎のなかにゐて、逸早く暁を知りもし、唱ひもするのを解釈して、それを天※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の遠音のせゐだとしてゐるのは、間違つたことではないが、その天※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)は人間の想像を絶するやうな大樹の枝にとまつてゐるのではなく、実は血紅色の鳥冠をかぶつた雄※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の感覚の中に棲んでゐるのだ。
 それは彼等の祖先が、今も印度の深い森のなかにゐる野※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)たちと同じやうに、そこの樹のかげ、ここの草のなかをあさり歩いてゐた頃から持ち伝へた「知られぬ感性」に相違なかつた。
 むかしは、山にこもつて道行に専念しようとするには、何をさし措いても、自分と一緒に羽の白い※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)と毛並の白い狗とだけは、必ず連れて往かなければならぬことになつてゐた。白※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)と白狗とは、深山の邪気を払ふのになくてならぬものにせられてゐたらしい。どんな理由から白色のものが選ばれることになつたか、それは知らないが、深山に隠れて静かに思惟の生活に浸つてゐるものにとつては、見馴れぬものを咎める狗の叫びと、夜明を告げる※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)の声とは、めつたに欠くことのできないものだつたかも知れなかつた。
「その日その日の立派を予言者だ。」
 私は寝床のなかで寝返りを打ちながらさう思つた。この紅い鳥冠をかぶつた予言者を自分たちの家に飼ふことによつて、農夫たちが一年三百六十朝、しののめ時のつめたいすがすがしい大気と、明るい心と、健康とを、それぞれ自分の家へたつぷりと取り込む。それは何といふ手軽な、そしてまた幸福なことだらう、と私はまた思つた。
 私はそれから何を思つたかをよく知らない、ただ憶えてゐるのは、とかくするうちに、私がぐつすり寝ついてしまつたらしいことだけだ。

 目が覚めたのは、もう八時に近い頃で、西向きの小窓から見ると、隣と地続きの空地には、静かな冬の朝の明るい日光が溢れてゐた。そのなかを雄※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)が一羽、金色の羽をきらきらさせながら、支那の将軍のやうに多くの雌を引き連れて、鷹揚に歩いてゐるのが見られた。
「てつきりあの予言者だ。」
 私はさう気がつくと、しばらくじつとそのそぶりを見てゐた。予言者は何か餌らしい物を見つけたが、自分でそれを食べようとしないで、
「こ、こ、こ、こ……」
 と、いかにも愛に充ちたらしい声で、そこらに散ばつてゐた雌を呼び立てた。雌は喜んでその方へ走つて往つた。
[#改丁]

春菜




 郷里にゐる弟のところから、粗末な竹籠の小荷物が、押潰されたやうになつたまま送りとどけられて来た。
 その途端、鼻を刺すやうな激しい臭みが、籠の目を洩れて、そこらにぷんぷんと散らばつて往つた。それを嗅ぎつけると、私はほくそ笑みながら、すぐに自分の手で荷物の縄目を解きにかかつた。
 包の中からは採りたてかと思はれるやうな、新鮮な韮の幾束かが転がり出してきた。私はその一つを手に取り上げた。
「春だなあ。韮の葉がもうこんなに伸びてる。」
 私の郷里の備中地方では、よく韮を食べる。真夏になつてあの地方の小村を通りかかる人達は、そこらの農家の垣根だとか、菜園の片隅だとかいつたやうなところに、細かく群り咲いた白い花が、しなしなと風に揺られてゐるのを見かけるだらう。あれが韮なのだ。
 海で漁猟するものの網に、さはらがあがるころとなると、大地の温みに長い冬の眠から覚めたこの小さな蔬菜は、そのひらべつたく、柔かな葉先で、重い畔土のかたまりを押し分けて、毎日のやうに寸を伸して来る。貧しい生活の農民たちが、鰆の白子でも買つて、それを汁の実にしようとする場合には、誰も彼もがいひ合せたやうに、なくてならないものとして、韮の若葉を浮かしに摘み取ることを忘れない。それほどまでにこの葷菜くんさいと魚の白子とは、汁にしてよく性が合ひ、味が合ふのだ。


 むかし、支那の晋代に人並はづれた酒好きで、一度飲むと、三日も酔が醒めないところから、三日僕射ぼくやといふ綽名を取つた※(「凱のへん+頁」、第3水準1-94-1)しうぎといふ人があつた。この人の子孫に※(「禺+頁」、第3水準1-93-92)しうぎようといふ清貧な隠者がゐた。
 この周※(「禺+頁」、第3水準1-93-92)が思ひ立つて、隠遁生活を送るべく、鍾山の山深く閉籠つたことがあつた。その知人の一人で、幼いころから宰相の器として世間に重んじられてゐた王倹といふのが、ある時※(「禺+頁」、第3水準1-93-92)にこんなことをきいたものだ。
「あなたは山に籠つてから、めつたに外へ出らられぬやうだが、山では何をめし上つてゐられますな。」
「さよう。山での食物なら、先づ赤米、白塩、緑葵、紫蓼――といつたやうなところで……」
 隠遁者が色づくしの美い名前を数へ立てると、それを傍で聞いてゐたある人が、横から口を出し、
「山では蔬菜ばかしをめしあがつてゐるらしいが、そのなかで何が一番お口に合ひましたな。」
 鍾山の隠者は、自分の好物を訊かれたをりに、子供がして見せるやうなはにかんだ表情をした。
「春初の早韮と、秋末の晩菘と――私の好きなのは、この二つです。」
 韮のうまさは、この山中の人がいつたやうに、実際春先に土を破つて出る若芽にかぎるもののやうだ。その舌触りの滑かさにおいて、味の甘さにおいて、またこの葷菜のみが持つ腋香のやうな体臭においてさへも、春先のものは、他の季節のそれに比べると、まるで別物のやうな風味のこまやかさを感じさせてくれる。


 詩人杜甫が、ある秋の日友人※(「日+方」、第3水準1-85-13)げんばうから韮三十束を贈られたことがあつた。彼はその作物のなかで、
「韮の束は刈り立ての青葉のやうに新鮮で、
 その根の円つこさは、玉の箸のやうだ。
 私は老いて身うちが冷えるが、これさへあつたら健かでゐられよう。」
 と、いつて喜んでゐるが、その季節が秋だつたのからして察すると、蔬菜はしゆんはづれで、春のものに比べて、食べ劣りがしたに相違ない。そんなことを思ふと、このか弱い、吹けば飛びさうな小菜のひとつびとつに、生命の蘇りとともに滋味を与へることを忘れなかつた「春」の心遣ひがしみじみと感じられないではゐられない。
 ただ不思議でならないのは、私がこの葷菜を初めて口にしたころは、その臭みが鼻について仕方がなかつたものだが、とかくして食べ馴れてゐるうちに、いつのまにかその臭みが苦にならないのみか、どうかするとなつかしまれ出してさへも来たといふことだ。聞くところによると、マレエ半島産のヅリアンといふ果実は、味にかけてはすばらしく甘いが、そのいやな臭みがとてもたまらないので、大抵の人はしりごみをするさうだが、辛抱して食べ馴れてゐるうちに、その悪臭までもが、なくてならないもののやうになつて来るといふことだ。――物に馴れるといふことは、そんなものかも知れない。
[#改丁]

神に願ひたい事



「では沈嘉則は。」
「うむ。沈か。あいつは俺の同郷の後輩ぢや。若いに似ずかなり頭のいい男での。詩のよしあしもよくわかるやうぢや。こなひだも俺の近作を見せたら、ひどく感心しをつたやうぢやて。」
「へえ。」
「何がへえぢや。をかしい物のいひ方をするな。」
「でも、何だか変ですから。」
「何が変ぢや。談してみい。」
「それぢや、談しますが、あの男はついこなひだ先生の御近作を拝見したといつて――あれには弱つたよ。どうにも挨拶のしようがないんだ。
 と、笑つてゐましたぜ。皆のゐる前で。」
「なに。そんなことをいつてゐたか。お前。それはほんたうのことぢやらうな。」
「ほんたうですとも。そんな作りごとが申されるはずがないぢやありませんか。」
「さうか。そんな奴ぢやつたか。野郎。一つ思ひ切り懲しめてやらなければ……」

 もう春が帰つて来たのかと思はれるほど暖なある冬の日の午過ぎ、近ごろは、誰一人訪ふものもないその廃屋あばらやの扉を、ひよつこり敲いて来たある昔馴染の客と、こんな言葉を取交してゐるのは、南禺集の著者、明の豊南禺その人であつた。
 南禺はその当時博学な文人の一人として世間に知られてゐたが、生れつき片意地で、好き嫌ひがはげしい上に、気が短く、ちよつとしたことにもすぐに向つ腹を立て、機嫌がわるいと、誰彼の見さかひなく、口から出まかせに悪口雑言の限りを浴びせかけるので、友達も永続きはしなかつた。おまけに持つて生れた好古癖にまかせて、折角考証に考証を重ねて、在来のままの経籍とは違つたところのある異本を公にして、学界に寄与しようとすると、世間の人達は碌すつぽそれを読みもしないで、
「あれは偽書ださうだよ。」
「やつぱりさうだつたか。いふことがあまり穿鑿に過ぎると思つた。」
「怖ろしいことだ。そんな男にかかり合つては大変だ。」
 などと、口々に悪態をならべたものだ。評判は評判を生んで、しまひには南禺をとても手のつけられない狂人だといふことにして、誰一人寄りつくものもなくなつてしまつた。そんなこんなでたつた一人で心を暗くしてゐる南禺のところへ、思ひがけなく訪れて来たのが沈嘉則で、彼は年の若いに似ず如才なく、南禺を同郷の先輩として持ち上げたものだ。何よりも真実の知己がほしかつた南禺は、大喜びに喜んで、好意の限りを尽してこの来客をもてなした。

 それから間もなくのことだつた。南禺が昔馴染の口から、嘉則がその日自分の見せた近作を散々にこきおろしてゐるといふ噂を耳にしたのは。
「けしからん奴ぢや。何とかして懲しめてやらなくつちや。」
 南禺はその手段についていろいろと考へてみた。人間といふものにとんと信頼のおけなくなつた彼には、この場合にもやはりその人間に頼るわけにはゆかなかつた。
「さうぢや。神に祈らう。神に呪つてやるに限る。」
 南禺は今まで忘れてゐた神を思ひ出すことの出来たのを心より喜んだ。彼は壇を設け、酒を供へて神を祭つた。そしてその前に立つて恭しく祭文を読んだ。
 かうして彼によつて神の前に呪はれたのは、ことごとくつねづねから南禺に憎まれてゐたものばかりだつた。それに三つの等級があり、一級には公卿大夫のあるもの、二級にはその当時の文士の面面で、なかにも沈嘉則がその筆頭にあげられてゐた。だが、一二級のかうした顔触に比べて、最も振つてゐたのは三級で、この階級には鼠や蝿や蚊や虱などの名がずらりと書きならべられてあつたさうだ。
 鼠・蝿・蚊……と聞いただけで、人はそんなものをまで神様の前に持ち出した心なさを笑ふかも知ないが、よく考へてみると、鼠や蝿や蚊なればこそ、臆面もなく神様の前に持すことが出来たのだ。私は沈嘉則がどんな人で、南禺の詩作について、どういふことをいつたのかを少しも知らない。頭の悪い批評家や、めがねの曇つた鑑賞家が、作家にとつて厄介な存在であるのは、昔も今も同じことだが、仕事に自信をもつてゐる人だと、そんなものはただ苦笑かもしくは軽蔑をもつて見過すことが出来るが、鼠・蝿・蚊といつたやうなてあひにかかつてはさうはゆかない。彼らはそれぞれ持前の騒々しさ、うるささ、痒さ、いたさ、不気味さをもつて、がなすきがな私たちに襲ひかかり、私たちをして奔命に疲れしむるのみか、何よりも大切な心の落つきを失はせ、絶えず気持をいらいらさせる。かうなつてはただもう神様の御手にすがるのみで、人間の力でどうするわけにゆくものではない。
 それにしても南禺が、恥し気もなく蚤と虱とを最後にいひ添へてゐるのを見ると、彼がどんなにこの小さな吸血子に苦められてゐたかがよくわかり、いつも垢染んだ襤褸ぼろきれを身に纏うてゐた彼のみじめな姿が想ひ浮ばれるやうだ。

 もしか私が南禺のやうに神に祈らなければならない場合があつたら、私は蚤と虱との代りに、この二つの虫よりももつと有害で、もつと神経をいら立たせるものの駆逐を神に祈念したいと思つてゐる。それはほかでもない、私が現にもて悩んでゐる不眠症である。
[#改丁]

土に親しめ



 われらはまたも太陽を取り回した。
 大空の高みから金粉をふり撒いたやうなその光が、下なる大地に氾濫して来る時、艸木は急に昨日の睡眠よりめざめ、しなやかな諸手を伸べて、軽く大気のなかに躍りさざめき、小鳥は花樹の梢に飛び交はしながら、玉を転ばすやうなうつくしい歌曲に謡ひ耽つてゐる。原つぱには、青葉が房やかに萠えてゐるなかで、仔牛や仔馬がさながら歓喜そのものの精ででもあるかのやうに、身軽に跳舞し、また踴躍ゆうやくする。海にはまた、油のやうな春の潮が、きらきらと耀きながら、ひねもすのたりのたりと揺れ動いてゐる。いづれを振り向いても、大地は溌溂たる生気が充ち溢れて、老いてなほとこしへに若い「大自然」が、生生化育の大事業のいたらぬくまもない有様だ。かうした季節に際会して、われらは先づ何をなすべきであらうか。
 いにしへの詩人のやうに謙遜な心を持つて、眼前に暫くの間もじつとしてはゐない、この生生の気の動きを、歩みを凝視し、静観し、また讃嘆するのもあながち悪くはなからう。しかしそれよりももつと好いのは、自ら手を下して土に親しむことだ。
 北欧のある文人は、自分のポケツトにいつもいろいろの花の種子を入れておき、到るところでそれを撒き散らして歩いたといふことだが、艸木は種子をばら撒いただけでは、立派な成長を遂げるものではない。それには種子を播くものがみづから土を耕し、培ひ、また水を灌ぎなどして、わが手の泥土つちひぢに汚さるるをも厭はず、面倒を見てやるだけの用意がなくては叶はない。
 われらが播種し、もしくは移植した艸木が、大地の生生の気に刺激せられ、化育せられて、艸は艸として、木は木としての生命の発展を遂げゆくのを見て、言語に言ひつくしがたい、甚深な感激と歓喜とに先づ心を躍らせる者は、誰よりも土に親しみ、手を汚してまでも種子を播いたもの、彼自らでなければならない。
 あの磯浜の砂粒にもたとふべき小さな種子にもせよ、その生命をいたはり、羽含はぐくみ育て、朝に夕に、その伸びゆく姿を見るほど、世の中に心清くも、頼もしく、また愛を感じさせられるものはないからである。
[#改丁]

白鶴




 むかしから鶴といへば、亀はつきものだが、その亀は詩人白居易が自分の弟子に示した詩の一つに、
「亀は生れつき馬鹿者だ。しかし、どこかお人よしのところがある。」
 と、いつたやうに、あまり気の利いた存在でもなし、おまけに師走なかばの空つ風の吹きすさぶ昨日今日の寒さには、僅かばかりのこぼれるやうな日光をもとめて、水際の岩の上に這ひ上り、老人のやうにから意久地がなく、甲羅を干すのに余念がないしするから、その方へは内証で、ちよつと鶴のことを書いてみる。
 ことし七十八になる私の老母の話によると、母が十一二のころ春先の野へ摘草に出ると、よく鶴を見かけたものださうだ。三羽四羽高調子で互に呼び交しながら、空の高みから餌をあさりに水田の中へ下りて来た。そしてそこらに遊んでゐる子供達が、人ずくなで、おまけにびくびくものなのを見ると、えてして強気になるものと見えて、のそりのそりと高脚を踏みながら、ひたひた水を渉り、土塊を跨いで、物好きにも子供達の群に近づいて来ることがよくあつた。そんなをりには子供達の方でもてんでに小石を拾つて投げつけたものだが、その石の一つ二つが鶴の脚もと近く落ちて、泥水の飛沫を純白にかがやいてゐるその翼に跳ね飛ばしでもしようものなら大変で、鶴はそこに立ちとまつたまま、恨めしさうに幾度かその汚れを見かへしては、腹立たしげに口の中で何かぼやき続けたものださうだ。
「あんなに真白な、うつくしい羽をしてゐると、鳥にしてもそれが惜しくてならないものと見えるのね。ちやうど世間の女達が何よりも衣裳を大切がるやうにね。」
母はこの話をすると、いつもきまつたやうにかういつたものだ。


 古代支那民族の、そのうちでもとりわけ道仙を学ぶものが、何をさし措いても先づ欲求してやまなかつたのは、不老長生と飛行自在といふことだつた。彼等は老荘の教へによつて、その慾求にかなふやうに、内部から精神を長養すると同時に、深仙幽谷を跋渉して、不老長寿の霊薬を捜し索めるのに余念がなかつた。山海経せんがいきやう※山みつさん[#「山/大/土」、U+5CDA、73-4]の上に丹木があり、茎は赤く、花は黄に、実は紅に、これを食べると少しも饑といふことを知らなくなるといひ、また員邱山の上に不死樹といふのがあり、この実を採つて食べると、いつまでも死なないといふのも、所詮は空想の霊木に過ぎないが、それも彼等の欲求によつて生れたものに外ならなかつたのだ。
 宋の真宗の時、姚成甫といふものが、山の渓間で菖蒲を描いてゐると、そこへ長年山に棲んでゐるらしい老人が来合せて、
「お前。その菖蒲がどんな草だつていふことを知つてゐるのか。」
 と、問ふので、成甫が頭をふつて見せると、
「その根は、仙人安期生がいつも食べてゐたもので、長生の薬だよ。」
 と、いつて教へてくれたさうだ。またある道士は、その安期生の手から長寿の薬だといつて、なつめの実を貰つたが、その大きさが瓜ほどもあつたといふことだ。
 また後漢の代に毛伯道、劉道泰、謝稚堅、張兆期といふ一群の人達があつた。いづれも道を学んで、四十年もの間一緒に心を合せて、不老長寿の神丹を錬つてゐる間柄だつた。やつと薬が出来上つて、まづ伯道がそれを飲むと、間もなくころりと死んでしまつた。次に道泰がそれを口にすると、これもほどなく息が絶えた。あとに残された両人は、驚きのあまり真青になつた。
「四人が四十年もかかつて苦みぬいた揚句の果がこんなことか。」
 両人は親しかつた同志を一時に二人までも失くした悲嘆と、折角の努力がふいになつた失望とで、心を暗くしながら、長年の間籠つてゐた山を下りてしまつた。その後ふとしたことでまた同じ山に登つてみると、亡くなつたはずの伯道と道泰とが、以前よりもずつと若々しい姿で樹下をぶらついてゐるので、二人は腹の底より驚かぬわけに往かなかつた。で、事の仔細を訊いてみると、蘇生つた二人は、袖のなかから茯苓ぶくりやうを取り出して以前の朋輩に与へたのみで、別に何も語らうとしなかつた。
 これでみると、菖蒲の根、棗の実、また茯苓といつたやうなものが、他の薬草と同じやうに長生の薬として愛用せられたことは推量するに難くはない。


 かうして道業が進んで来て、やがて機縁が熟すると、彼等のあるものはかねての宿望どほりに羽化登仙する。少くとも彼等みづからはさう信じてゐたのだ。
 羽化するには、彼等は多く鶴となつた。寿命の長さといひ、形貌の清浄さといひ、気品の高さといひ、また飛翔の大きさといひ、鶴は彼等があこがれの鳥だつたに相違ない。だが、またその持前の羽毛の純白さが、道士達の内心の欲求と何の関係もなかつたと誰がいひ得よう。彼等が山住をする当初には、邪気を払ふのになくてはならないものとして、狗と鶏とを携へることになつてゐたが、その狗と鶏とはどちらも毛並の白いものに限られてゐたのだ。

 むかし、漢の時代に丁令威といふ道者があつた。霊虚山にこもつて道を修めてゐたが、後に羽化して鶴となつた。
 令威は考へた。かうして翼をもつて、自由に大空を翔けめぐることが出来る身になつてみると、どこよりもまづ故郷の空へと飛んでみたかつた。彼が家を離れてからかなり長い月日が流れてゐた。
「一度故郷へ往つてみよう。どんなにか変つてるだらうな。」
 彼は真白な、大きな翼を拡げて、さつと大空に浮かんだ。さながら風に吹きちぎられた白雲の一片のやうに。
 令威の故郷は、遼東にあつた。
 やつとそこに辿り着いた彼は、城門の華表柱にとまつて、疲れた翼をやすめながら、ごたごたと眼の下に拡がる城市の姿に見とれてゐると、そこらの群衆のなかから一人の少年がさし脚ぬき脚してこちらに近づいて来るのがあつた。少年は弓に矢をつがへて手に持つてゐた。
「わしを射落さうとしてゐるのだな。」
 彼はさう思ふと、その次の瞬間さつと大きな翼を羽叩きして、飛び上つた。そして大幅な輪をゑがいて城市の空高く舞ふその姿が、下からあざやかに眺められた。
 間もなく笛のやうな若々しい歌声が空から落ちて来た。
 鳥あり。鳥あり。丁令威。
 家を去つて千年、今帰り来る。
 城郭故の如く、人民非なり。
 何ぞ仙を学ばずして、※[#「冖/一/豕」、U+51A1、76-14]累々たる。
 声が次第に遠ざかつて往つて、最後の一句がちぎれちぎれに、やがて聞えなくなつたと思ふころには、鶴の影は漸く小さく、またかすけく、つひに見られなくなつてしまつた。


 また一つこんなこともあつた。唐の玄宗皇帝が、天宝十三年の秋とかに、沙苑に狩猟をしたことがあつた。そのとき晴れわたつた空に大きな鶴が一羽、下界の騒ぎをあざ笑ふかのやうに、のびやかに翼を拡げて、悠々と舞ひ遊んでゐた。玄宗はそれに気がつくと、きりりと弓を絞つて遠矢を切つて放した。
 矢は飛びつくやうにうまく的に中つた。がつくりと片羽が折れたやうになつた大鶴は、そのままもんどり打つて投げつけられたやうに下に落ちて来たが、地べたからすれすれのところで巧に立ち直つたかと思ふと、急にまた元気よく傷つけられた片羽をばたばたさせながら、西南の方角をさして落ちのびて往つた。
 そのころ蜀の益州城の西のかた十五里ばかりのところに大きな道観があつた。その第一院といふのが、とりわけ幽邃いうすいの土地にあつて、名高かつた。そこへ通つて来る中に徐佐卿といふ道士があつて、年に三四度はきまつて姿を見せるならはしになつてゐた。ある日のこと、佐卿はいつものやうにぶらりとやつて来たが、顔色がどうも常のやうにないので、居合はせた誰彼がわけを訊くと、佐卿はつぶさにことのわけを話した。
 それによると、彼がある日山の中をぶらついてゐると、どこからともなく流矢が飛んで来て、肩を傷つけた。傷は浅手なので、間もなく癒えたが、気にかかるのはその矢だつた。すばらしく立派なこしらへで、とても世のつねの人の持具とは思はれなかつた。
「で、ここにでも残しておいたら、何かの拍子にもとの矢主の手に返らぬでもあるまいから。」
 と、佐卿はその矢をわざわざ院の壁にとどめて帰つて往つた。
 その後玄宗が蜀に巡幸したをり、途のついでにその道観に立ち寄つたことがあつた。
 玄宗の目は院の壁にさされた矢に留つた。彼はそれを手にとりながらいぶかしさうにその来歴について訊いた。院の者は佐卿の口から聞いた一部始終を語つた。
「では、あのとき沙苑の空を飛んでゐた鶴が、その佐卿とやらだつたのか。」
 玄宗はいかにも感に堪へたやうにさういつて、いつまでもいつまでもその矢を手から離さうとしなかつた。
[#改丁]

火の鳥を聴く




 午前一時過ぎ。
 蒸暑く寝苦しいので、起上つて雨戸を開けて、真闇な植込に出てみた。
 外にも風はなかつたが、さすがに深夜の大気は、冷々として肌に気持がよかつた。
 この頃茶を造る家の門口に立つと、何よりもまづ新茶の匂が嗅ぎつけられるのと同じやうに、物の影一つ見えない、あたりのくらやみから煙のやうに漂つて来る静かな香気に、私はそこらに立ち並んでゐる樹の深い呼吸を感じることが出来た。
 あたりはひつそりしてゐる。そこらの壁に這ひ上つてゐる蔦の若葉を噛む毛虫達のかすかな歯音すらもが、それとはつきり聞き取られるほど静かな夜だ。時をり土の下で地虫の鳴いてゐる「ぢ――い。ぢ――い。」といふ、低い音が木綿糸のやうな太さで、一本調子に引つ張られ、また木綿糸のやうにちよつと途切れては、また繋がれたりしてゐる。
 静かな夜だ。何の樹のものとしもない若葉の匂できこめられ、天鵞絨のやうに滑らかで、厚ぽつたい夜の暗闇に抱かれた、こんな静けさが、自分の身辺にあるのに、今までそれと少しも気がつかないで、いつも背中合せに寝てのみ見過してゐたのかと思ふと、あまりに勿体ない気持がしないでもない。
「ほんぞんかけたか…………」
 だしぬけに真つ暗な空の一方から急調子な叫びが、大粒な雹のやうにばらばらつと頭の上に落ちかかつて来た。その癇高い激越な声を耳にした一刹那、
「あ、杜鵑ほととぎすだ。」
 と、私は全く思ひがけない神秘なものに触れたやうに、はつと驚喜の念に胸を躍らせた。


「ほんぞんかけたか…………」
 たつた今私が文字どほりにさう聴いたこの鳥の鳴声は、土地により、また人によつて、さまざまに聴き取られてゐる。たとへば京都の八瀬から鞍馬にかけてあの辺の住民達は、私達とは少し異つて、
「ほんだうたてたか…………」
 と、聴き慣らされてゐるさうで、伝説によると、ある鳥が寺の本堂の建立を思ひ立つたが、どうしてもその費用の工面がつかず、やつと杜鵑に頼み込んで、それだけの資金もとでを借出すことが出来た。ところが、約束の期日が来ても、借主は一向金を返しに来ないので、それが気になつてならない杜鵑は、ああして毎日のやうに、
「本堂建てたか。」
 と、山から里へ声をかぎりに呼び廻つてゐるといふのだ。
 杜鵑の鳴声が「ほんぞんかけたか」であらうと、また「ほんだうたてたか」であらうと、そんなことはどうだつていいが、忘れてはならないのは、この伝説のやうに彼を鳥の世界の金貸しだなどと信じ過して、火の鳥ともいふべき真紅な舌を持つたこの小鳥の啼声に、激越な燃ゆる魂の動きを聴き遁さないことである。


 私はこれまで自分の眼近くに杜鵑を見たことがないので、この鳥がどんな姿をしてゐるか、どんな翼の色をしてゐるか、またどんな生活を送つてゐるかといふことについては、何一つ知らないが、幻の世界では、二度三度この鳥のあわただしい、性急な生活を感じたことがないでもなかつた。

 一度は元嘉の薄倖詩人鮑照はうせうと一緒に、馬に跨つて城の郊外を出たをりのことだつた。そこいら一帯に荊棘が青々と生ひ繁り、ところどころに白い花が咲いて、甘つたるい匂をあるかなきかの風に撒き散らしてゐた。そのなかを背の禿ちよろけになつた鳥が一羽、気忙しく飛び廻つて虫をつひばみながら、さも悲しくてたまらなささうに鳴きしきつてゐた。私がその鳥の名を訊くと、この薄倖な詩人は、身につまされたやうに顫ひ声になつて、
「あれは杜鵑だ。悲しい魂を持つてゐるのは、あの鳥だよ。」
 と、いつたきり、石のやうに押し黙つて、そつと吐息をついてゐるのだつた。
 一度はまた俳人芭蕉とともに、嵯峨のあたりをさまよひ歩いてゐた時のことだ。ちやうど初夏のある宵で、何よりも自然の心に触れることの好きなこの老俳人は、小さな獣のやうに竹藪の中の小路をもとめて、そこに入つて往つた。月が出かかつたと見えて、今まで真暗だつた竹藪のあちこちに、水のやうに青白い薄明りがたらたらと流れ込み、静かさの底に一脈の生気が動いて来た。その途端私達の頭の上におつ被さつてゐる竹林の空高く、急調子に一声啼いて翔け往くものがあつた。芭蕉はそれを耳にすると、はたと歩みを停めて、今まで捜してゐた自然の心をやつとつきとめたかのやうに、耳底に残された余韻にうつとりとなつてゐたが、やがて呟くやうに口のなかでいつた。
ほととぎす大竹藪を洩る月夜

 また一度は風景画家広重と連立ち、夜船の三十石に乗つて、大淀の水の流に泛んだをりのことだつた。私達は旅の疲れで荷物にもたれたまま、ついうとうとしてゐたが、だしぬけにふなばた近く漕ぎ寄せて来た喰はんか船の癇高な呼声に、ふと目を覚して見ると、船の中には泣きむづかる子供に乳を含ませる女、仲よく徳利酒をくみ交す夫婦者、鼻高面を大切さうに持込んだ金比羅参り。――さういつた連中は、まだ起きてゐて、世間話に余念がないらしかつた。
 とまをかかげて外へ眼をやると、水も空も同じやうにしつとりと青藍の色に濡れとほり、まん円い大きな月が静かにちぎれ雲の上で踊つてゐた。――と思ふと、その一刹那、尖鋭な一声を投槍のやうに空に投げ捨てて、ついついと月の前を掠めて飛ぶ小さな黒い影があつた。
「ほととぎすだ。」
 広重はその情景を強く自分の眼底に焼きつけようと、瞬き一つしないで、いつまでもじつとそれに見とれてゐるらしかつた。


 いつの場合にも杜鵑は私にとつて形よりも声であつた。声そのものであつた。もくもくと火焔のやうに力強く燃え上る青葉若葉の蒸騰と憂鬱との抱合より生れた、一刻もじつとしてはゐられない、性急な生命の高歌であり、また絶叫であつた。多くの鳥の囀りが安らかな木の枝の上で唱はれるのと打つて変つて、この火の鳥の絶叫は、大抵の場合高い森から森への真直な空の大道を直翔ひたがけに翔ける途中で叫ばれるのだ。さつき私の頭の上へ大粒の雹のやうに落ちかかつて来た、
「ほんぞんかけたか…………」
 の一声が、多分ここから程近い戎の森から広田の森へと飛びゆく途すがら叫ばれたものであつたのと同じやうに。
 閑寂はこの鳥をながく安住させる境地ではない。動いてやまない彼の魂は、ただ向う見ずな飛翔によつてのみ生気をとりかへすことが出来るのだ。静歌はまたこの鳥を心から酣酔させるだけの魅惑をもつてゐない。真赤な彼の口から吐き出されるものは、激しい羽搏きを伴はずにはゐられない、血みどろな叫びなのだ。――かくして鳥は自分ではどうすることも出来ない衝動に駆られるままに、森から森へと空の高路を縦横に、飛びつつ、叫びつつ、また叫びつつ、飛びつつ、夏中あわただしい旅の生活を送つてゐるのだ。

 杜鵑はまたと啼かうとしなかつた。
 真暗な空にかすかな薄明りがさして来た。二十幾夜の月が出かかつたのであらう。私はしつとりと夜気に湿つた肌をして、再び家の中に帰つて来た。
[#改丁]

梅雨の晴れ間




 びしよびしよと降りしきつてゐた梅雨の雨があがつたので、庭下駄に水たまりを避けながら、ちよつとそこらを歩いてみた。
 ぐしよ濡れになつたあたりの木木が、水を渡つて来た狗のやうにをりをり体をゆすぶつて、水の雫を跳ね飛ばした。それが額にふりかかり、首筋に流れ込むのも、まんざら悪い気持ではなかつた。
 私の家の植込には、樹木はかなりあるが、いづれも粗末な雑木ばかしで、これといつて人の眼をひくやうなものは、ただの一本だつてありはしない、むかし、なにがしといふ漢の帝王が上林苑を造つたことがあつた。何しろ、二人とない時の権力者の造営事業だといふので、広い領土の方々から名果名樹を献上して来るものが引きも切らず、なかにはその名前が世間に有り触れたのではおもしろくない。帝王の目をひいて、御感ぎよかんにあづからうとするには、何でも人一倍ひねつた、縁起のいいものでなければと、わざとめでたい名をつけて来たのも少くはなかつた。取調べてみると、千年長生樹といふのが十株、万年長生樹といふのが、また十株もあつて、その同じ名で呼ばれてゐる十株の木が、十株ともそれぞれ異つてゐたのには、係の役人達も驚かされたといふことだ。
 私の家には、そんな勿体づけられた異木佳樹といつては、ほんの一株も見られないのみか、その悉くがそこらにざらにある雑木雑草なのだ。だが、これらの地味な樹木も、夏が来ると、それぞれ黄色がかつた緑の柔かい若葉を伸ばし、枝を伸ばして、人間ならば貧しい農民か樵夫かといつたやうな人達にのみ見られる、心やすさに充ちた微笑をもつて私を見詰めてゐる。
 一体庭樹といふものの多くが、人間の好みに適応するやうに囚へられ、撓められ、造り替へられてゐるのに比べて、雑木はその持味の素朴さ、粗々しさ、とげとげしさの感じが失はれてゐないだけに、それにとり囲まれてゐると、どうかすると人をして山林の中に棲遅せいちしてゐるやうな幻想を抱かしめるものだ。それにまた雑木のもつ健康さが――雑木は多くの場合佳木よりも健康だ。ちやうど農民や樵夫たちが、有産階級のなまけものよりもずつと達者であるやうに。――すばらしいお天気の日だと、日光に、雨ふりの日だと、しぶき雨に溶け流れて、私自らのものとなる気持よさ。私のやうな長い間の病人にとつては、この気持はやがて病苦の解脱でもあるのだ。


 雨がまた降り出して来た。空を濡らし、木々を濡らし、大地を濡らし、おまけにまた憂鬱な私達の心のすみずみまでも濡らさないではおかないやうな雨だ。若葉の下蔭でぼんやりそれに見とれてゐると、小さな虫のやうなものが一つ、わびしい音を立てて私の前に落ちて来た。
 黄熟した藪梅の実だ。
 私は頭の上におつかぶさつた若葉のなかへ眼をやつた。すると、雀の卵のやうな小ぶりな梅の実が、そこにもここにも数へられた。梅の実はそばかすだらけの片頬をこころもち赤らめてゐた。
 むかし、王戎わうじゆうといふ人は、眼の光が鋭く、少しの眩しさをも感じないで太陽を見詰めることが出来たといふことだが、この人がまだ少年のころ、多くの友達と一緒に寂しい田舎道で遊んでゐたことがあつた。すると、仲間のなかからだしぬけに声をあげて呼んだものがあつた。
「みんな見ろ。あすこにすももがなつてるよ。」
 皆は指ざされた方へ目をやつた。そこは雑草の生ひ茂つた荒地で、路寄りに李の木があり、枝といふ枝には紅熟した実が鈴なりになつてゐた。
 子供達はわれがちにその木を目ざして駈け出して往つた。たつた一人王戎のみは仲間と離れてもとのところにとどまつてゐた。
 通りがかりにそれを見た旅人の一人は、この少年に訊いてみた。
「お前ひとり、何だつて李を採りに往かないんだ。嫌ひなのかい。」
「だつて、小父さん。あの李まづくつて、食べられやしないんだよ。」
「いつか採つて食べたのかい。」
「いいや。だつて小父さん、あんな路傍で、あんなにたんとなりながら、今まで誰にも盗まれずにゐたなんて、きつと味がまづいにきまつてゐるぢやないの。」
 悧発な少年の即答に、旅人は感心したやうに頭を振つた。丁度その時だつた。最初に李を口にしたらしい少年の一人が、その味がまづくてとても食べられないと、木の上から大声にわめき出したのは。
 私はそつと手を伸ばして葉隠れの梅の実の一つをねぢつた。そしてそれを口に入れてみた。梅はそのむかし王戎の見た李のやうにたまらなく苦酸つぱかつた。
「こいつも雑木だな。――だから折角実を結びながら、実のあることすら忘れられようといふもんだ。」
 私は心からの親しみをもつて、この梅の木を見ないではゐられなかつた。
[#改丁]

新蝉の言葉




 このごろ、そこらの山または森の小路を通りかかるものは、頭の上の木の梢から癇高い声が水の飛沫しぶきのやうに光りかがやきながら、たらたらと流れ落ちるのを耳にするだらう。――あれは初蝉の声で、新しい季節の到来を告げ知らせる先触なのだ。
 ふさやかに伸びた木々の青葉は、空に氾濫する白日の陽光をひと葉ひと葉に柔らかに吸ひこみ、眩しくも照りかへしてゐる。そして一度梅雨前のさわやかな風が吹きよせると、気軽に手を振り、大袈裟に肩をゆすぶつて笑ひさざめくその放縦さ。
 さうした放縦な笑によつて引き起されるあたりの不安と動揺とのために、どうかすると声が引きぎられ、押し流されようとするのを、さうはさせまいと抵抗てむかひする、その張り切つた気持を楽しむもののやうに、一段と声を強めて、
「みん、みん、みん……」
 と、高調子に謳ひ耽つてゐるのを聞くと、誰でもが初夏六月の尖鋭な、健やかな気魄をぢかに自分の心に感じないではゐられまい。そしてこの高調子の持主が、そこらの新樹の幹を抱いてゐる背の色の真黒い、翅の透明な、あの小さな虫だといふことを思ひ浮べる時、この小さなものの中に動いてゐる衝動の力の強く大きいのに驚かされるだらう。
 この小さな森の歌うたひは、昨日までは真暗な土窖のなかで、多くの地下労働者と同じやうに、闇と土とを餌として、窒息するやうなあぢきない生活を送つてゐたのだ。聞くところによると、アメリカには十七年蝉といつて、十七年もの長い間立て続けに地下生活を送つてゐる蝉があるさうだ。それが地上に甦生して、さて幾日間明朗な日光とみづみづしい青葉と新鮮な大気とに酣酔し、飽喫し得られることだらうか。かういふ例はたまさかにしかないにしても、いづれは、長かれ、短かれ、蝉といふ蝉が辿らなければならない生活の苦行であり、行路難であるのだ。彼らが幾月も幾年もの間不自由な土窖に閉ぢ籠もり、あるかなきかの生活を繰り返してゐるうちに、彼らの見えざる眼は、絶えず渇けるもののやうに一滴の光明にもあくがれ、彼らの息苦しい呼吸は、飢ゑたるもののやうに、いつも新鮮な大気を欲しがつたのに相違ない。彼らが今前なる地獄と後なる天国とを繋ぐ一条の狭い坑道より這ひ出して来て、昨日まで苦いその根を噛んでゐた喬木の枝に、地下労働者の一枚看板である土だらけの仕事着を脱ぎ棄てた時、かがやかしくも彼らを待ち設けたものは何であつたらうか。

 雄々しい現世の生活の謳歌者。

 それは、疑ひもなく生命の復活であり、高揚である。


 むかし、伊勢の山田になにがしといふ人が住んでゐた。ある年の夏初めに江戸に下らなければならない用が出来たので、ひとりで長い旅路についた。
 旅人が佐夜の中山を通りかかつたのは、家を出てから幾日目かの夕方であつた。丁度そのとき、思ひもかけず一声高く鳴き捨てて、薄紫に暮れてゆく空の一方から一方へと矢のやうに飛んで往くものがあつた。
「ほととぎすだな。」
 と、気がつくと、その次の瞬間思ひ出されたことがあつた。それはこの鳥が来るころになると、かならず初鰹を膳にのぼせるといふ、自分の郷里の風習であつた。
「もうほととぎすが来るころなのだ。初鰹がうまからうて。」
 旅人はさう思ふと、そのまま旅を続ける気にもなれなかつた。で、早速踵をかへして、今来た路をそのまま郷里に帰つて来た。そして心ゆくまで鰹を賞美して、やがてまた東をさして旅に上つたといふことだ。
 ほととぎすの一声が、旅人をして初鰹を思ひ起さしめたとすると、初蝉の
「みん、みん、みん……」
 の繰返しは、それを聞く人に果してどんな気持を抱かせるものだらうか。
 私の郷里では、あの癇高い鳴声こそは、蝉がそこらの麦畑の黄熟を逸早く知らせるもので、あの声を聞きつけた農夫達は、何をさしおいても麦刈にとりかからなければならない。さもないと、梅雨の雨がすぐにやつて来るからといふいひ伝へになつてゐる。
 それについて次のやうな話が、私たちの郷里に残されてゐる。
 多くの農夫どものなかには、初蝉の鳴声を聞いても、それをいひ伝へどほりに信じられない手合がたまにはあるものだ。さういう仲間の一人が、ある日蝉の声を耳にすると、
「またしても麦刈の催促か。俺が畑の麦が熟れてゐようと、ゐまいと、おせつかいが過ぎらあな。そんなことは俺が自分の眼で見て来る分のことだよ。」
 と、ぶつくさ呟きながら、えつちらをつちら山畑の実のりを見に阪路を上つて往つたものだ。不思議なことに、初のうちは手にとるやうに聞えてゐた蝉が、路が近くなるにつれてだんだん低く、彼がやつと山の上の畑に辿りつき、目のあたり飴色に熟しきつた麦の穂が、風に吹かれて波のやうに揺れ動いてゐるのを見たときには、あたりはしんとして、蝉の声などはどこにも聞えなくなつてゐた。
 それから暫くしてのことだつた。農夫がそこらに白く咲いた野茨の花をひとつびとつ訪れてゐる蜜蜂の、つねには托鉢僧のやうにぶつぶつ唱へてゐるはずの呪文が、その日に限りちつとも音を立てないのに気がついて、初めて不安の念を抱き出したのは。
 初蝉の事触を信ずることが出来なかつた彼は、やがてその耳を失ふことになつたのだつた。


 多くの詩人のなかで、最もよく蝉を愛し、その声を楽しんだのは、名高い酔吟先生、亡くなつてから龍門山のその墓は、弔ひ客が酒を供へるので、おかげで墓土までもがしたたか食べ酔つて、ぬかるみになつてゐたといふ、白居易その人であらう。今日遺つてゐ彼の作物のなかには、蝉を詠じた詩が幾篇かある。
「早蝉」と題して、月が出ると先づ山を照らし、風が生まれると先づ水を動かすが、丁度そのやうに早蝉の鳴声は、逸早く閑人ひまじんの耳につくものだ。一たび聞くと憂に心が閉され、二たび聞くと郷愁に胸が闇くなるといつた、短い詩も捨て難いが、おもしろいのは、これも蝉好きの詩人の一人、劉禹錫りううしやくとともに、初蝉を聴いたからといつては、子供のやうに喜び、遠くに離れてゐても、互にそれを知らせ合つて詩のやりとりをしてゐることだ。
 さういふ作の一つに、今しも蝉が一声鳴き出した。庭には折よくゑんじゆの木が二枝ばかり咲いてゐる。蝉は私に老を知らせようとして鳴いてゐるのだが、併せて君にもお知らせするといふのがある。自分の頭に白髪が殖えゆく衰へを歎くのみでは足りないで、親しい友にまでそれを押つけようとするのは、少しあつかまし過ぎはしないだらうか。
 総じて白居易の蝉の詩は、作者自らの老を傷む憂鬱の影が暗くさし過ぎて、新生の刹那々々を雄々しく快活に謳ひ過さうとするこの小さな森の喇叭手の明るさと気魄とが、ちつとも取入れられてゐないのは感心ができない。
[#改丁]

黄金虫



 太陽は、酔つ払ひのやうに汗ばんだ赤銅色しやくだういろの顔をてかてかさせて、おちつきのない血走つた眼であたりをめ廻してゐる。そこらの草や、木や、土塊つちくれや、石ころや、また家々の屋根の瓦などは、この大きな酔つ払ひの顔から、眼から、狂気じみた焦だたしさを感じ、それぞれ自分達の身うちに熱病やみのやうな胸苦しい動悸を覚えながらも、また幾らかの物好きから、このたわけ者が次の瞬間にどんなことを仕出かすかも知れない、その乱暴さを待ち設けてゐるやうに、じつと呼吸をひそめてゐる。
 午後二時だ。私も同じやうな気持で裏の畑に出てみた。灰のやうに白く乾き切つたそこらの土からいきれが火焔ほのほのやうに立ちのぼるのが、ちかちか痛いほど目に沁みて来る。
 板塀に近く梨の木がひよろひよろと立つてゐる。南向きの枝に、雀斑だらけの肌をした実が二つ三つなつてゐる。ちよつと掌面に載せてみると、円つこいそのお尻が焼けつくやうに熱い。そのむかし、漢帝なにがしの後園にあつた名高い含消梨がんせうりといふ梨の実は、その大きさが酒瓶ほどもあり、一つ一つの重みが、ひどく持ち重りがするので、つぶがはち切れるほど成熟するころになると、枝がそれを支へきれないので、どうかするとへし折れることが少くはなかつた。そんなをりに地べたに転がり落ちた梨の実は、みんな雪のかたまりを叩きつけたやうに、白い肉がこなごなに砕けて、あたりに飛び散つたものださうだ。われとわが生存を危くするほど大きくなり過ぎるのも考へものだが、私の家の梨はそんなのと違つて、鶏の卵を少し大ぶりにした位のものだから、こんな炎天の下に立つてゐても、枝にとつてたいして荷厄介になりさうにもない。
 あの華陽洞の隠士として聞えた陶弘景は、多くの果実のなかから、とりわけ梨の実を選び、
「つめたく、さつぱりしてゐて、これこそほんたうに快果といふものだ。」
 と、悦んでこれを賞味したといふことだ。梨の実の歯触りの爽かさと、歯ぐきに沁み透る汁気のつめたさは、この山棲みの人にとつて、軒端の松風や、嶺の上の白雲と同じやうに、その幽寂な心をやしなふ糧となつたに相違なかつた。だが、人の好みの移り変りは、果実の味にも現れて、陶弘景が快果だといつて好んで味はつたその風味は、今の梨の実にはもう求められなくなつてゐるかも知れない。私はこのごろ果実屋の店頭に見られる梨の実の、薄い化粧紙に包まれた青白い透き徹るやうな肌と、舌に載せると、そのまま溶けて消えさうなきめの細かい媚態とに、あの華陽洞の隠士のついぞ知らなかつたらしい一味の清愁と近代の憂鬱とを感じて、それに強く心がひかされるものだ。
 美しく咲きほころびた黄薔薇の花びらの中に、何か黒い物が転がつてゐるので、よく見ると、まだ年若な黄金虫が二つ、揃ひの絣を着て、多くの情死者がするやうに互に抱き合つたまま、高価な化粧品のぷんぷんする花粉のなかに俯伏しに顔を伏せてゐるのだ。
「おう、ここにも心中者が一組ゐる……」
 私は婦人雑誌記者のやうに一寸した感傷的な気持になつて、指さきでそつとこの愛の犠牲者達を持ち上げようとした。すると、彼らは今までしやちこばつたやうに見せてゐた肢を急に動かして、何物かに捕まらうと※(「足へん+宛」、第3水準1-92-36)もがき出した。そして私の指の間からうまく滑りぬけると、小さな脂色の糞を二つ私の掌面にひりつけて、離れ放れにどこかへ飛び去つてしまつた。印度のフアキイル僧のやうに死真似のうまいこの虫は、このごろ人間の社会に心中沙汰が多いのを聞き伝へて、人間がしていいことが、虫にとつてして悪からうはずがないと、もの好きにもわざわざそれを真似て見せたものらしかつた。
 私は脂色の糞を軽く指さきで掌面から弾き飛ばした。でも、腋香のやうな虫の体臭はなかなか消えさうになかつた。
[#改丁]

雨蛙



 太陽はまだ酔つ払つてゐる。
 紺碧に晴れきつた空に、たつた一つ真白なちぎれ雲が、静かに西から東へと滑つてゐる。祭の日などに神輿みこしがお渡りをする前の広路で、よく人留めをすることがある。さうとも知らないでそんなところへ迷ひ込んだ一人二人の通行人が、晴がましさのあまりまごまごしてゐるのが、いつのまにか路傍みちばたの群集のなかに紛れ込んでしまふものだが、ちやうどそのやうにそのちぎれ雲も空の広みをうろうろしてゐるうちに、私がほんのちよつと目を逸すと、どこかへ消えて見えなくなつてゐた。
 立て続けにやけに照りつけられるので、土の下も息苦しくなつたのだらう。蚯蚓みみずが一つへとへとになつて、葉の萎れかかつた草の蔭からころがり出して来た。そして鉄砧かなとこのやうに熱くなつてゐる地べたを、どこをあてどともなく這ひ廻つてゐたが、乾いた砂がからだ中にへばりつくので、自分でもどつちが頭だか、尻尾だか見境がつかなかつたらしく、狂気のやうになつてのた打つてゐるうちに、たうとう息が絶えてしまつた。
「一夕立さつと来るといいのになあ。」
 私は空を見上げて覚えずつぶやいた。すると、そのすぐ後からだしぬけに、
「け、け、け、け、け……」
 と、私をからかふやうに変な声が笑つた。私は近くの木の繁みのなかに一つの雨蛙を見つけて、急に不機嫌になつた。

 広い世の中には、鳥や獣の言葉を聞いて、その意味がよくわかる人もないではない。支那の楊翁偉もさうした人の一人だつた。この人がある時、車を馬に曳かせて春の野路を走らせてゐたことがあつた。馬は脚の一つが短かくて、びつこをひいてゐたので、その都度車はがたぴしと大揺れに揺られてゐた。
 出しぬけに遠くの方から馬の嘶きが聞えて来た。それを聞くと、こちらの馬も黙つてはゐなかつた。元気よく首をふりあげて、一声高く嘶き返した。楊翁偉は遠くの方へ目をやつた。見ると、道の五六丁もあらう。陽炎の踊つてゐる野のはづれに、放し飼にせられてゐる一頭の馬があつた。楊翁偉はその方を指さしながら御者にいつた。
「今いなないたのは、あすこにゐる馬のやうだが、あいつ片目めつかちだね。」
「へえ。めつかち」御者は不思議さうに車の上の客を見た。「あんなに遠くにゐるのに、何だつてそんなことがわかるだね。」
 客は答へた。
「さつきあの馬が、こつちの馬を見つけて、
 ――やあい、びつこ野郎。
 と呼ぶと、こつちの馬がまた
 ――めつかち野郎。
 と、怒鳴り返したので、それでわかつたのさ。」
 さういはれてみても、御者はどうしてもその言葉を信ずることが出来なかつたが、だんだん近づいて、目のあたりその馬を見るやうになると、初めて客のいつた言葉がほんたうだつたのに驚かされたさうだ。

 私も鳥や獣の言葉だつたら、この支那人にひけを取らないだけの自信を持つてゐるが、あひにくと雨蛙の言葉だけは、これまで何の研究もしなかつたので、少しもわかりやうがない。この小わつぱが私をめつかちで、びつこで、おまけに大馬鹿野郎だと罵つたところで、私はお人好しのやうにただにやにやと笑つて、それを聞流すより仕方がないのだ。
 だが、私が今木の葉の上に見つけた雨蛙は、物を見るのにじろじろ皮肉な横目を使つてゐるのみか、私と同じやうに顔面神経を病んでゐるもののやうに、始終口もとをぴくぴくひきつらせてゐる。私はこの小わつぱに今ひとりの病人を見つけて、いくらか不気味にもなつたので、そつとそこを立ち退かうとした。
 それに気づかはれるのは、臆病者のくせに人を食つたところのあるこの小わつぱが、どんな気まぐれから、
「おい、兄弟……」
 と、だしぬけに私の胸に飛びつくまいものでもないことだ。そんなをり相手も裸なら、私もまた肌ぬぎのままでは、始末が悪からうではないか。
[#改丁]

雲の匂



 若い登山家として知られてゐるK氏が、急に用事が出来て信州へ往つたからといつて、那地あちらの深い山から折つて帰つた山独活やまうどを四五本とどけてくれた。このあたりの独活の乳色に薄紅をさしたやうな、柔かい肌に見馴れた眼には、山独活は独活といふよりも、どこか虎杖いたどりを思はせるやうな青味と、手触りにいくらかの硬さとがあつた。
 登山者が記念として山から下へ持つて帰るには、いろんな物がある。だしぬけにこんなことを言つたら、まさかと言つて、ほんたうにしない人があるかも知らないが、多い中には雲を――あの漂泊者のやうに、渓から渓へと、さまよひ歩いてゐる白雲を、出合ひ頭にいきなり引つ捕へて、持つて帰つたものすらあつた。
 むかし、支那の更なにがしの妻は、よく鎖雲嚢といふものを作つた。どんなきぬを、どんな形に裁ち縫ひしたものか知らないが、この不思議なふくろを腰に下げて高山に登り、白雲のたよたよと揺れ動いてゐるなかを渉り歩くと、別に嚢の口を開かうともしないのに、いつとはなしに霊気といつたやうなものが、中に潜り込んでゐるらしい気持がするので、家に帰つてそつと口を開けてみると、真白な綿のやうなちぎれ雲の一塊ひとかたまりが、ふはふはと嚢の中から舞ひ上つて往くのが見られたものださうだ。
 蘇東坡にもまた同じやうなことがあつた。それは東坡がひと夏太守宋選とともに真興寺閣に上つて雨乞をした時、真つ白な雲の流れの幾つかが、急に群馬のやうにそこらを馳け出して来た。立ちとまつて暫く見とれてゐると、その一つがさつと東坡の車のなかにまで飛び込んで来た。もの好きな詩人はいきなり手を伸ばしてそれをひつさらへ、やにはに笥の中に押し込んだ。そして家に帰つてから笥の蓋をとつて、
「雲よ。おまへは山へ帰りなさい、
 お役人達をこはがらすのぢやないよ。」
 狐を逃がしてやるをりのやうにかういつて雲を放したものだ。雲はそのまま掻き消すやうに見えなくなつた。

 山のみやげには、出来ることなら私も小鳥のやうに白い翼をもつた雲の一かたまりを貰つてみたく思はないこともない。だが、それが出来なければ致し方がない。山独活の二三本でも悦んで辛抱がまんする。なぜといつて、山独活の高い香気は、私の眼の前に深山のもの寂びた幻影を思ひ描かしめるのに十分なものがあるから。
 ロシヤのある詩人が、前庭へ椅子を持ち出して日なたぼつこをしてゐたことがあつた。太陽の光は金色こんじきの霧雨のやうにあたりに降り注いでゐた。詩人は誰から聞いたともない、「太陽は草の葉の匂がする」といふ言葉を想ひ出した。
「ほんたうだらうか。」
 詩人はそつと帽子を脱いだ。そしてそこらの小川で魚を捕る子供がするやうに、二三度日光を帽子のなかに掬ひ上げたかと思ふと、それを鼻先に押しつけたまま、ぢつとその匂を味はつてゐるらしかつた。しばらくして帽子を鼻先から離した彼は、独語のやうにぼやいた。
「なあんだ。草の葉どころか、巴里製の化粧品の匂がするぢやないか。」
 気の毒なのはこの詩人だつた。もしか古帽子にふだん自分が使ひ馴れた髪油の移り香さへしみてゐなかつたなら、彼は実際太陽に草の匂を嗅ぐことができたであらうのに。

 私は山独活にそつと鼻をおしつけてみた。いくらか萎びかかつたその肌に、山の渓あひに※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)やまどりの雌のやうに腹這ひふさつてゐる雲の匂を嗅ぐことができたやうに思つた。
[#改丁]

夏の頭大漢



 蔓からもぎたての西瓜が一つ台所の板敷に転がつてゐる。すべすべした、大きな、円つこい頭のてつぺんは、まだべつとりと朝露に濡れたまんまで……
 大空のドンキホオテ。真夏の太陽が、気まぐれにも多くの物の中から最もいたはつて、その黄金の翼の下で羽ぐくみ育てたのは、この頭でつかちな西瓜であつた。そこらの日向に転がつてゐる物から物へと、一々そつと触つてみて、熱の有る無しを検べてゐるらしい検疫医のやうなしほからとんぼ。印度人のやうに焦茶色の肌をしたこほろぎ。百姓の女房さんのやうにいつも汗の匂のするくさがめ。誰彼の見さかひもなく喧嘩を売歩くかまきり。――さういつたやうな稼ぎ人や無頼漢ごろつきどもが、道の出合ひがしらにこの頭でつかちを見て、小生意気にもいきなり飛びついてみたり、また細つこい毛臑けずねでもつて力一杯蹴飛ばしてみたりするが、相手は平気なもので、身動き一つしようとしない。
 詩人陶淵明は、家ではいつも濁酒にごりざけばかり飲んでゐた。そしてそれを口にする時には、きまつたやうに頭に被てゐた頭巾で漉すことにしてゐた。酒を漉した頭巾は、そのまますつぽりと頭にかぶつて、別に濯ぎもしなかつたので、淵明の頭にはよく酒の粕などがへばりついてゐた。でもこの詩人は、平気なものだつた。ちやうどそのやうに、この畑生れの頭大漢は、自分のてかてかした前額に、雨蛙の小水や、なめくぢの涎がだらしなくひつかけられてゐようとも、そんなことは少しも気にかけないで、始終黙々としてゐる。
それを見た虫けら達は、
「てつきり大馬鹿野郎だ。でなきや、あんなに暢気でゐられるはずがない。」
 と言ひ合はせたやうに侮蔑さげすみの念を抱いてゐるらしいが、これは以つての外の見込違ひだ。ひとりおせつかい好きな小動物達の見込違ひであるのみならず、また偉大な情熱家であるあの太陽の意図違ひでもあるのだ。
 といふのは、真夏の太陽が、すべてのものを焦灼し、熱悩しようとするのに対して、その第一の愛児であるこの大頭おほあたまは、自分の持つてゐるものによつて、肝腎の真夏を冷却し去らうとする反抗児であるからだ。
 夏の果実のうちで、桃や梨といつたやうなものの味ひは、そのふつくりした果皮の一重下から始まり、種核の外側で終つてゐるのとあべこべに、西瓜の甘さはその果心に初まり、厚ぽつたい皮の一重下で終つてゐる。画家※(「りっしんべん+豈」、第3水準1-84-59)こがいしは、よく好んで甘蔗を食べたものだが、そんなをりにはいつも端つぽの方から始めて、本へ本へと噛むことにしてゐた。それを見てある人が不思議がつて訊いたことがあつた。
「何だつてそんなに端つぽの方から食べるのだ。水つぽくてまづからうと思ふが……」
 すると、この画家は、呆けたやうに、
「漸く佳境に入る。――といふ文句があるね。かうして食べると、あの文句の心持がよくわかるよ。」
 といつたといふことだ。さういつたやうに食味の甘美さが、淡薄からだんだん濃密になつてゆく、その度合の一歩一歩をさながらに楽しむ食べ方も、一つの方法には相違ないが、唯忘れてはならぬのは、西瓜を口にする場合にだけは、そんな真似をしてはならないことだ。
 夏の寵児であるこの瓜を味はふには、まづその大きな図体のなかで一番よく成熟してゐる果心から始めることだ。さくさくと歯触りの軽さにつれて、泡のやうに痕もなく舌の上に溶けてゆくその甘味が、一口毎にその度を薄めつつ、低めつつ、はてはあり余る水分とともに口中に氾濫するつめたさ。こころよさ。
 かくて太陽の第一の秘蔵つ子は、思ひがけなくも反抗児として、自分を愛撫してくれた灼熱の真夏を冷却し、また銷却する。
[#改丁]

青柚子



 庭さきのそぞろ歩きにも飽きたので、ぶらりと部屋にもどつて来た。すると、机の上に読みさしの書物と一緒に、青柚あをゆずの実が二つ転がつてゐるのが目についた。さつきまではそこらに見えなかつたのを思ふと、私が季節季節の物に人一倍心をひかれるのを知つてゐる家の者が、私に見せようがために、わざわざそこに置いて往つたものに相違なかつた。
「ほう。暫くぶりだつたな。もうこんなに大きくなつてゐるのか。」
 私はその一つを手に取りあげてみた。まだ熟しきらない青い果実のいづれもが持つ、小生意気な手触りの硬さと無愛想な渋面とは、これにも見られなくはなかつたが、そんなものと一緒に、また柚の実特有の高い体臭がぷんぷんと匂つてゐた。
 私は先刻あつたやうに二つの実を机の上に並べてみた。粒立つた肌をした黒緑の二つの柚の実の外貌。幾枚もの黒緑の葉つぱ。葉柄の両側にわざと取つて附けたやうな葉翅。葉の端に小さな留針のやうなとげ。――さういつたものが、どちらの柚にもくつ着いてゐて、互の単純性を損ひ合つてゐるのが私の眼についた。
 私は試みに柚の実の一つをとつて机の下に押し隠してみた。すると、残された実の一つは、初めて本然の姿を取り回したらしく、自らが小さな精霊ででもあるかのやうに、寂然として安居あんごしてゐる。
 それは柚の実が生れながらの孤独好きを語るものに外ならなかつた。清初の画家八大山人は生涯を通じて孤寂な魂を抱いてゐた人だつた。彼の作品に現はれたものは、草も、木も、魚も、鳥も、また山水も、悉く作家自身の分身であるかのやうに、ある時はわれとわが寂然たる生命を笑ひ、またある時は孤独な運命を哭いてゐた。私はこの作家がたつた一尾小さな魚を描いた作品を見たことがあるが、その魚は自らの周囲に拡がつてゐる大千世界を見つめるのに、さながら世外の人がするやうに白眼を使つてゐた。そしてその口もとには皮肉な微笑をすら浮べてゐた。
 私が今机の上の柚の実より受ける感じは、ちやうどこの風変りな画家に描かれた小魚と同じやうに、無愛相な渋面とにがつぱい皮肉とである。季節の風味を食膳にもたらさうとする料理方は、悦んでこの青道心を調味の料として用ゐるやうだが、それは魚蟹の肉なり、野菜なりの持味をあるがままのそれよりも一層引き立たしめるがために、この青道心の持つ香気と酸味とを利かすので、これあるがために、私達はその食膳にいかにも秋らしい酸寒な皮肉な味と、香気とを感じることができようといふものだ。
 だが、魚には魚の成長があるやうに、柚にはまた柚の変化がある。これから日を逐うて寒さが加はり、朝霜が白くおいた凍土の上を、着膨れて鞠のやうに円くなつた雀たちが、いたいたしさうに小刻みに飛び歩く十一月の末頃ともなれば、この青道心のかちかちにかたくなだつた青頭も、いつのまにかふつくりと黄熟する。そして苦みがかつた酸味にあるかなきかの甘さが萠して来るが、見逃してならないのは、その舌を刺すやうな風味に、また香気に、しんみりとした一味の佗が感じられることだ。
 その佗こそは、初冬の柚の実に味はれる外には、どの果実にもめつたに求めて得られない生命の孤独感なのだ。
[#改丁]

木犀の香



「いい匂だ。木犀だな。」
 私は縁端にちよつと爪立をして、地境の板塀越しに一わたり見えるかぎりの近処の植込を覗いてみた。だが、木犀らしい硬い常緑の葉の繁みはどこにも見られなかつた。この木の花が白く黄いろく咲盛つた頃には、一二丁離れたところからでもよくその匂が嗅ぎつけられるのを知つてゐる私は、それを別にいぶかしくも、また物足りなくも思はなかつた。

 名高い江西詩社の盟主黄山谷くわうさんこくが、初秋のある日晦堂老師を山寺に訪ねたことがあつた。久濶を叙しをはると、山谷は待ちかねたもののやうに、
「時につかぬことをお尋ね申すやうですが……」
 といつて、
 吾無隠乎爾
 といふ語句の解釈について老師の意見を叩いたものだ。この語こそは、山谷がその真義に徹しようとして、工夫に工夫を重ねたが、どこかにまだはつきりしないところがあるので、もて扱つてゐたものだつた。
 晦堂は客の言が耳に入らなかつたもののやうに何とも答へなかつた。寺の境内はひつそりとしてゐた。あたりの木立を透してそよそよと吹入る秋風の動きにつれて、冷々とした物の匂が、開け放つた室々を腹這ふやうに流れて往つた。
 晦堂は静かに口を開いた。
「木犀の匂をお聴きかの。」
 山谷は答へた。
「はい、聴いてをります。」
「すれば、それがその――」晦堂の口もとに微笑の影がちよつと動いた。「吾無隠乎爾といふものぢやて。」
 山谷はそれを聞いて、老師が即答のあざやかさに心から感歎したといふことだ。

 ふと目に触れるか、鼻に感じるかした当座の事物を捉へて、難句の解釈に暗示を与へ、行詰つてゐる詩人の心境を打開して見せた老師の搏力には、さすがに感心させられるが、しかしこの場合一層つよく私の心を牽くのは、寺院の奥まつた一室に対座してゐる老僧と詩人との間を、煙のやうに脈々と流れて往つた木犀のかぐはしい呼吸で、その呼吸こそは、単に花樹の匂といふばかりでなく、また実に秋の高逸閑寂な心そのものより発散する香気として、この主客二人の思を浄め、興を深めたに相違ないといふことを忘れてはならぬ。
 草木の花といふ花が、時にふれ、折につけ、私達の心像に残してゆく印象は、それぞれの形と色と光との交錯したものに外ならないが、ひとり木犀はその高い苦味のある匂によつてのみ、私達にその存在を黙語してゐる。木犀の花はぢぢむさく、古めかしい、金紙銀紙の細かくきざんだのを枝に塗りつけたやうな、何の見所もない花で、言はばその高い香気をくゆらせるための、質素な香炉に過ぎないのだ。
 秋がだんだん闌けゆくにつれて、紺碧の空は日ましにその深さを増し、大気はいよいよその明澄さを加へてくる。月の光は宵々ごとにその憂愁と冷徹さを深め、虫の音もだんだんとその音律が磨かれてくる。かうした風物の動きを強く深く樹心に感じた木犀が、その老いて若い生命と漂渺たる想とをみづからの高い匂にこめて、十月末の静かな日の午過ぎ、そのしろがね色の、またこがね色の小さな数々の香炉によつて燃焼し、薫蒸しようとするのだ。匂は木犀の枝葉えだはにたゆたひ、匂は木犀の東にたゆたひ、匂は木犀の西にたゆたひ、匂は木犀の南にたゆたひ、匂はまた木犀の北にたゆたひ、はては靡き流れて、そことしもなく漂ふうちに、あたりの大気は薫化せられ、土は浄化せられようといふものだ。
 そして草の片葉も。土にまみれた石ころも。やがてまた私の心も……
[#改丁]

簑虫



 九月初めだといふのに、秋に感じやすい庭の桜の葉は、もうそろそろ黄ばみかかり、少し風が吹く日には気短にも次から次へと散つて往つた。
 葉ずくなになつた桜の小枝にとりすがり、ひよくりひよくりとしきりに頭をふつてゐるものがある。よく見るとそれは簑虫で、虫はせつせと葉を囓つてゐるのだ。
「気早な簑虫だな。今から冬支度の用意をするなんて。」
 私は口のなかで独語をいひながらも、簑虫をしてこんなに性急にも冬籠の用意にとりかからしめた周囲の環境を思つた。
 桜の木に棲んで、その葉を餌とし、おまけにその枯つ葉を縫ひ綴くつて、一冬の寒さ凌ぎの料とすることをのみ知つてゐる簑虫にとつては、気紛れで、ひと一倍感じやすい桜の葉は、自分の一生を託するにしては、信頼の出来かねる相手に相違ない。で、虫はかうして要心深くも今のうちから冬支度にかかつてゐるのだ。
 簑虫はひもじいものが食にありついたやうに、息をもつかず口を動かしてゐる。外には新鮮過ぎるほどの陽光が充ち溢れ、草といふ草の下葉には、酒のしたたりのやうな露が光つてゐる。初秋の風物は多くのものに詩情を植ゑつける。簑虫よ。そんなに葉つぱをかじる事のみにあくせくしないで、たまには晴れきつた紺碧の空を鳥のやうに飛んでゐる、あの白雲のちぎれでも見入つたらどうだ。
 むかし、俳人山口素堂は、
「簑虫。簑虫。声のおぼつかなくて、且つ無能なるをあはれむ。」
 といつた。なるほど秋の虫はみんないつぱしの藝人ぞろひだ。今もそこらの立木に来て、
「つくつく法師、
 つくつく法師、
 ………………」
 と、さも現世をあきらめきつた旅藝人のやうに、ひとしきり飄逸な歌を唱つて、またいづことも知らず飛んで往つた、あのつくつく法師や、木の叉枝で念仏行者のやうにちんちんと行ひすましてゐる鉦叩かねたたきや、がちやがちやと空騒ぎをして、静かな秋の夜を攪乱する轡虫に比べてみても、簑虫があまりにも藝のなさ過ぎるのは、ほんたうのことだ。彼は物貰ひのやうに襤褸ぼろきれを身に纏つて、日がな一日ぼりぼりと微かな歯音をたてて、そこらの葉つぱをかじるのに余念がない。
 そして立て続けにそこらの木の葉を腹一杯食べあさると、手近の小枝に自らの巣をしつかと結びつけるのだ。秋から冬にかけて度々おとづれて来る無慈悲な横なぐりの雨風に、あぶなく吹き飛ばされないやうに。
 飽食の後に来る長い睡眠が、やがてそつとおとづれる。物を食べるほかには、何の能もない虫の上に。

 むかし、劉元石といふ男が、中山の酒家に立ち寄つて酒を買つたことがあつた。酒家では店の名酒である千日酒といふのを与へたが、そのをり店が込んでゐたので、その酒の飲み方を注意するのを忘れてゐた。たらふく酒を飲んだ客は家に帰ると、すつかり酔ひつぶれてしまつて、日数が経つても、いつかな酔が覚めないで、死んだやうになつてゐた。
「てつきり亡くなつたものに相違ない。」
 といふので、家族のものは葬ひをして墓地に埋めてしまつた。
 程経てそのことを聞いた酒家では、日を計つて丁度千日目といふ日に劉氏の墓地へ往つてみた。すると、その朝になつて、やつと酔の覚めたらしい酒客は、棺の中から蓋を押し上げざま、大きな欠伸をして、のつそり這ひ出して来たさうだ。

 それと同じやうに、今から二百日の後、桜の花が綻ばうとするころだらう。千日酒ならぬ葉つぱに食べ飽きた簑虫が、その長い睡眠からやつと覚めるのは。彼は、やぶけた古巣から頭を持ちあげて、すつかり変つたあたりの光景に不思議さうに見入るだらう。
 彼の甦生はその日から初まるのだ。かつて彼の母が経験したのと同じやうに。
[#改丁]

物の味




 秋が来ると、いろいろのものに味が出て来る。果物では、無花果、梨、葡萄、柿、栗など。また魚では、川えび、小あぢ、せいご、きす、といつたやうな小魚までもが、脂がのつて、うまく口にせられるやうになるのも、この季節を私達に親しましめるものの一つである。
 初秋の山へ入つて、灌木の繁みのなかに、名も知らぬ木の実が、小さな紅提灯のやうに真赤に熟してゐるのを見かけることがよくあるものだ。そんなをりに口でも渇いてゐると、誰もがその二つ三つを摘み取つて、そつと口に含むものだが、ついそれなりにうちやつておいたなら、いづれはそこらを飛び廻つてゐる小鳥の餌にでもなるのだらうが、さうだと思ひながらも知らず知らずのうちに盗み食ひして、一粒も残さず採りつくしてしまふのも、その味が棄てがたいからで、前歯でそつと噛み割ると、なかに盛られた甘い汁が、そのまま跡形もなく舌の上にとろけゆく口触りのやはらかさ、こまやかさ。――見る影もないこんな木の実や草の実にまで、それぞれの味を盛つて、それを同じやうに豊熟させてゆくところに、秋の細かい心用意がうかがはれようといふものだ。
 私の郷里の海で、秋口に捕れるものに、ままかりといふ小魚がある。ちよつと※(「魚+祭」、第4水準2-93-73)このしろに似て、それよりも小ぶりな魚で、つねには肉が痩せてゐて、とてもたべられさうにはない魚だが、秋に入ると、脂がのつてふしぎに味が出てくる。成島柳北だつたかの瑜伽ゆが紀行を読むと、この文人が備前の瑜伽山に参詣の途中、舟で児島半島の沖を通つたことがあつた。昼飯時に船のものが焼いて出した小魚に箸をつけてみると、不思議にうまい。名を訊くと、ままかりだといふ。
「ままかり。」
 あまり聞き馴れない名なので、柳北が口の中で繰り返してゐると、話好きの船頭は、その名の由来についてこんなことを話した。それによると、船に乗つて海に漁猟に出たものが、午飯時にこの小魚を焼いて食べると、そのうまさに自分の飯櫃を空つぽにした上、その近くにゐる僚船ともぶねを呼びとめて、飯の残りを無心したので、いつのまにか「ままかり」といふ名で呼ばれるやうになつたといふのだ。――秋はこんなやくざな小魚を養ひ肥やすことをも忘れないのだ。


 秋になると、蟹がまたうまくなつて来る。
 むかし、畢卓ひつたくはどうかして上酒数百こくをわが物として舟に積込み、左手に杯を、右手に蟹の大爪を持つて、飲みかつ食ひながら生涯を送ることができたなら、こんな幸福はあるまいといつた。真赤に煮熱した尺にもあまる蟹の大爪を象牙の箸で突つく快さは、ほかの魚では到底知られない味である。
 いつのころだつたか、※[#「(卯/貝)+おおざと」、U+912E、131-10]懸といふところに一人の若い男があつた。ある日水際に出て蟹の穿つたらしい孔を見つけたので、大胆にもいきなり片手を突込んで、蟹を手捕にしようとした。蟹は片爪でもつてその手首をしつかと捉へた。若い男がやにはに引つ込めたその手に、引摺られて穴から出て来たのは、尺にもあまる大蟹だつた。それを見ると、男はやけになつて、つぶらな蟹の目に噛みついた。蟹はまた蟹で、苦しまぎれに残つた片爪でその男の鼻をいやといふほど力一杯挟んだ。その男は創口の痛さに身をもがいてゐたやうだつたが、たまたまそこを通り合せた村人がそれと気づいたころには、もう息が絶えてゐた。
「蟹が人の鼻さきをつねるつて。まさか……」
 初めてこの話を聞いた人のなかには、不気味さうに自分の鼻先をそつと押へる人があるかも知れないが、そんなに怖がらずとものことだ。蟹が力まかせに挟んだのは、今は亡い男の鼻で、それ以外の何人の鼻でもないのだから。
[#改丁]

歌を返せ



 昆虫界の「鳴虫号」で土屋正雄氏の「ややこしい竈馬かまどうま」を見ると、一茶が
蚊いぶしの中に鳴き出すいとどかな
 と詠じ、また鶉居が
大寺やいとど鳴くなる釜の下
 と吟じ、われも人も秋に鳴く虫の一つとして、その声をやるせなく寂しいものと思つてゐた竈馬が、実は少しも鳴かない虫だといふことが書いてあつた。私はそれを読んで、覚えず深い溜息をついた。
「これはほんたうのことかも知れない。いや確かにほんたうのことだ。だが、それにしても……」
 私は知識の上ではわけもなくそれを受容れながらも、感情や趣味の方からはともすれば意地になつて、それにこだはらうとする傾きがなくもなかつた。
 現にことしの秋に入つてからも、一度こんなことがあつた。それは冷々としたある夜のことだつた。家のものはみんな寝しづまつた夜なか過ぎ、私一人が起きて好きな書物に読み耽つてゐると、誰ひとりゐない真暗な隣の部屋から
「りい、りい、りい……」
 と、水の雫のやうに透き徹つて、そのまま消え入りさうな虫の声が、ほそぼそと襖の隙間から聞えて来た。秋の戸外の寂しさと冷さとを、そのまま家の内に持込み、いつのまにかまた人の心の奥深いあたりにまでも置いてきぼりにしないではおかないやうな鳴声だ。
「どんな虫だらう、あんな鳴方をするのは。」
 私はそつと起ち上つて、隔ての襖を音も立てずに開けてみた。その途端虫の鳴く声はふつつりと絶えて、さつと射し入る電燈の明り先に、慌てふためいて跳ね躍る虫の五つ六つ。――いづれも触覚のすんなりと長い、第三肢のすばらしく発達した、そして淡色の背を佝僂くるのやうに円めたのが、内緒事でも見つけられたやうに気恥しさうに、こそこそとそこらの物蔭に紛れ込んでしまつた。
「何だ。お釜こほろぎの奴か。」
 私はもとのやうに襖をしめて、机の前に戻つて来た。しばらくすると、次の間の暗がりから悲しみに小さく顫ひ動くやうな虫の声がまた聞え出して来た。
 こんなことがあつてから、まだあまり日数も経つてゐない今日、その私をして、この虫が鳴くといふのは何かの間違で、実際は修道院の尼僧と同じやうに一生固く沈黙を守つてゐるのだといふことを信じさせようとしたところで、おいそれと受容れられさうなはずがない。
 私達は以前には蚯蚓みみずをすぐれた歌よみの一人として信じてゐたものだつた。頭で土を掘り穿ちもする代りに、尻でものを考へることも出来るこの虫が、月の明るい宵などに自分の穿つた坑道に長々と寝そべつて、心静かに微吟してゐるのに聴きとれたことも度々あつたが、後になつてそれは蚯蚓の坑道に紛れ込んだ碌でなしの螻蛄けらのいたづらだといふことを教へられて、私達の周囲から天成の歌よみを一人奪はれたやうな思ひをさせられたことがあつた。
 簑虫もまた鳴く虫の一つとして愛されてゐた。秋風がそこらの木の枝に鳴るころになると、この虫は僅に自分ひとりの身を包むに過ぎない襤褸片を肌につけて、無慈悲にも永久に彼から離れ去つた父をもとめて、
「父こひし。父こひし。」
 と、思ひ出したやうに鳴くといひ伝へられてゐたものだつた。あまりにも言葉ずくなで、拙いやうであるが、それだけに心持のせつなさが想ひやられるふしもあつた。
 私はこの虫の稚拙な鳴声を一度立聴したいものだと思つて、秋初めの静かな日に、そこらに懸け渡された一筋のすが糸を頼りに、ふらふらと枝から枝に移り往くこの貧しい佗姿に近づき、幾度聴耳を立てたことだらう。だが、簑虫は一度も鳴かなかつた。私はその都度それを虫みづからが持つて生れた勘のよさから、人のけはひを身近に感じたからだと思ひ取つてゐたが、後になつて聞くと、簑虫も実は鳴かない虫の一つだとのことだつた。――私はこの時もまた素朴な歌うたひの一人を、私達の身辺から追はれたやうな寂しさを感じないではゐられなかつた。
 今度でちやうど三度目だ。それを思ふと、私は誰彼にといふではないが、
「私達の歌を返してくれ。」
 と、声をあげて呼びかけないではゐられなくなりさうだ。
[#改丁]

秋の夜の幻想



第一景


 初秋の一夜。十八夜前後の月高く空にかかり、そこらの草木はしつとりと夜露にぬれてゐる。虫の音そこここに聞える。
 小川に沿ひたる農家の裏庭。水に近く竹垣を仕組み、瓜の蔓二三本長々とそれに巻きつき、大きな冬瓜が一つどつしりと尻を据ゑてゐる。さき方より近くの草蔭に金属性の声でころころと歌ひ耽つてゐたこほろぎ一つ、急に歌を止めて、こそこそと微かな音を立てながら、草の枯つ葉と土塊の間から這ひ出して来る。そして昼間のおつかなびつくりな挙動とは打つて変つた敏捷な足どりで、長い焦色の触覚をふりふり、いきなり冬瓜に抱きつき、相手があまりに大きく、ちよつと得体が知れないのに戸惑ひしたるかたち。

 こほろぎ お前さんは誰だ。
 かも瓜 ……
 こほろぎ 私は生まれて初めてこんな物を見るのだ。まるで山の獣のやうに毛むくじやらな、大きな背をしてゐる。(仔細らしげに小首をかしげながら、かも瓜のへたのあたりを嗅ぎまはる。)ところどころに蝋質の白い天花粉などくつつけて、まるで赤ん坊みたいぢやないか。
 かも瓜 ……
 こほろぎ お前さん、睡つてゐるのか。それともあの唖蝉のやうに生れつき口が利けないのか。ひとが折角たづねて来て、こんなに声をかけてゐるのに、何だつてそんなに気難かしくしてゐなければならないのだ。(と、小面憎さうに細つこい毛脛でもつて、かも瓜の大きな図体を足蹴にかけながら面当がましく諷ふ。)

せつかく長い秋の夜を
お前ひとりが浮かぬ顔
夏中飲んだ酒代を
払ひかねての屈托か

せつかく長い秋の夜を
お前ひとりがふくれ面
鼠に借りた蕎麦の粉を
虫に食はれた腹だちか

 かも瓜 (すこし身動きして)あまり騒がないでゐてくれ。わしは今考へごとをしてゐるのだ。
 こほろぎ たうとう口を利いたな。今聞くと、お前さん、考へごとをしてゐるのだつてね。この図体でゐて、そんな事をするのは、勿体ないぢやないか。
 かも瓜 この図体だつて。それはわしの頭が並はづれて大きいことを言ふのか。実際わしの頭は、その持主にとつても、今となつては少し大き過ぎるやうだ。わしはそれがためにいつも苦労ばかしし続けてゐるのだ。
 こほろぎ (月あかりにしげしげと相手に見入り、やや驚きの調子。)お前さん、真青ぢやないか。あの神経病みの雨蛙みたいに。どこか悪いのかい。
 かも瓜 どこも悪かない。こんなにはち切れさうに健康だ。
 こほろぎ でも、顔色がよくないよ。見なさい、石榴も、柿も、みな日にやけてあんなに赤い顔をしてゐるぢやないか。それなのにお前さん一人は……
 かも瓜 わしは、憂鬱なのだ。唯それだけのことさ。
 こほろぎ 何だつてそんなに憂鬱なのだ。今夜のやうな月夜には、私たちの仲間は、みんな楽しんで時を過ごすのだ。見なさい、鉦たたきは、あの小高い木の枝でちんちんとお念仏の鉦を叩き続け、おかまこほろぎは、彼奴が大好きな人家に潜り込むことすら忘れて、あんなに機嫌よく踊つてるぢやないか。

(この時、あたりの木の上より鉦たたきの音きこえ出し、沈黙の行者おかまこほろぎの一行静静と繰り出して踊り廻る。)

 かも瓜 それはお前達がわしの持つてゐる「自我」といふものを、ちつとも持合せてゐないからだ。
 こほろぎ 自我? 自我? (と、いかにも腑に落ちなささうに幾度か繰返しながら、何物かを捜すやうに長い触覚をふつて、かも瓜の周囲を歩き廻つてゐたが、ふと何かを見つけて、)なんだ、これのことかい、「自我」といふのは。
 かも瓜 いや、それは巻鬚まきひげだ。わしの自我といふものが、だんだん大きくなるにつれて、体が持重りがして来ると、そいつが巧く持ち支へてくれるのだ。おかげで、やつとかうして地べたに転げ落ちないでゐられようといふものだ。誰にもひけを取らないで、出来るだけ「自我」を大きくしようとするのが、わしの何よりの願ひだつたから。
 こほろぎ お前さんのいふ「自我」が、どんなものだつてことは、私にもほぼのみこめたやうだ。それにしても、あの雀瓜が、小さい者は小さいながらに楽しんで生きて往つてゐるのに、お前さんひとりは、何だつて、こんなに大きくならなければならなかつたんだね。
 かも瓜 自分の満足のためにさ。わしは唯自分を大きくさへすれば、それでよかつたのだ。わしはその目的を遂げようがために、いろんな苦しみをなめなければならなかつた。夏中焼爛れた日光の中に転がつてゐるのも苦しいことの一つだつたよ。
 大きくなるためだ
 あの太陽のやうに
 かう思つて、わしは何事をもじつと耐へ忍んで来たのだ。
 こほろぎ さうして……
 かも瓜 さうしてこれ以上自分を大きくするのは、やがてわしを持ち支へてゐてくれる巻鬚を断ち切つて、自分で自分の生命をあぶなくするものだと気がつくやうになつた。わしは自分の大きくなるのを思ひ止まらねばならなくなつた。
 こほろぎ お前さん、それでそんなにふさいでゐるのか。気が弱いにも程があるよ。
 かも瓜 いや、さうぢやない。わしはその時これまでついぞ経験したことのない得体の知れない悪魔が、わしの心の奥で匕首あひくちのやうな白い歯を見せて笑つてゐるのを見つけたのだ。わしは其奴の白々しい笑声を洩れ聞く度に、折角大きくしたわしの「我」が、風船玉のやうにだんだん萎びて来て、内部のところどころにひびが入り、そのひびの一つひとつに気味の悪い、魂を寒毛立たせる寂しさを感じるやうになつたのだ。これぢやとてもやりきれない。
 こほろぎ お前さんが折角育てあげて来たものが、そんなことにならうなどと、考へてみるだけでも怖ろしいことだね。
 かも瓜 (傲然として)何がそんなに怖ろしいのだ。お前はわしが自分の運命の前に身顫ひするとでも思つてゐるのか。わしは勇気を持つてゐる。それはか細いひと筋の巻鬚に、自分のすばらしい体重と生命とを賭けてぶら下つてゐるものでなければわからぬことだ。
 こほろぎ そんな勇気が、お前さんを救ふのに何の役に立つものか。そんなものよりも、私はお前さんに他人ひとを愛することを勧めたいのだ。
 かも瓜 他人を愛する? それが自分を大きくするよりもいいことだと誰がいふのだ。
 こほろぎ (にこやかに)私の小さな経験が……
 かも瓜 さうか。お前ひとりの……
 こほろぎ 私を見なさい。大きなお前さんとは比べものにならないほど、至つて小さな、どこに見所もない、けちな虫だが、でも、私はお前さんのやうに唯もうやきもきと自分ひとりのことばかりにかまけてはゐないぜ。――といふのは、私が他人を愛することを知つてゐるからなのだ。まあ、言つてみれば、お前さんがたつたひとりの自分といふものに、縋り着いてゐるのに、私は自分以外のもののなかにも自分を見ることができるからだ。
 かも瓜 (相手の言葉を信じかねるもののやうに)お前は変なことを言ふね。自分以外のもののなかに自分を見るなんて。
 こほろぎ 私はお見かけどほりの弱虫だ。からだも魂もちつぽけだ。こんな大きな世界に自分ひとりでは棲みかねるので、つい声をあげて歌ひ出さないではゐられなくなる。すると、漂泊者のやうにそこらをさまよひ歩く私の仲間が聞きつけて、ここに訪ねて来てくれるのだ。私がそんななかに自分以外の自分を見つけることが出来るといふのは、私にとつてどんなに仕合せだかも知れない。なぜなら愛のあるところには、お前さんのいふ空虚や寂しさがあらう筈がないのだから。
 かも瓜 (やや和みたる調子にて)お前のいふことは、わしにとつて確かに新らしい世界の発見だ。どうかわしのためにお前の歌といふものを一つ聞かせてはくれまいか。
 こほろぎ お安い御用だ。
(こほろぎ歌ふ。すると、それまでいろんな虫が声々に鳴きしきつてゐたのが、ぱつたりと静まり、こほろぎの声のみ高く聞えて来る。)

秋風に
別れ別れの虫と虫
草の葉かげでころりんと
別れのゆふべ鳴いたとさ

秋風に
別れ別れの野辺に来て
けふも一人でころりんと
鳴けばむかしの虫が来る

 かも瓜 (如何にも感に堪へたやうに)お蔭でわしの憂鬱もどつかへけし飛んでしまつたやうだ。――これからわしはどうすればいいんだ。
 こほろぎ まづ自分を小さくするのだ。それがためには、これまでのお前さんの誇らしいものを、一切他人に与へてしまはなければならない。
 かも瓜 よし。わしはさうしよう。幸ひこの瓜畑の持主が、わしの熟れるのを待ちかねてゐるやうだから、明日は一切のものをあの男にくれてやらう。(やや間をおいて)それから後のことは、実際やつてみなければ……

(この時月の光いよいよ明るく、そこらの草かげに鳴く虫の音ひとしきり繁くなる。こほろぎいつの間にか見えなくなつてゐる。)

第二景


 晩秋のひと夜。ほの暗い農家の台所の片隅。ところどころ破けたる竹籠の底に、幾度か皮を剥られ、肉を切り取られた大冬瓜、今は僅に蔕のあたり四五寸ばかりの切つ端を残されたままでゐる。そこへ痩せ衰へた蟋蟀一つ、たどたどしさうな歩みで出て来る。

 かも瓜 おう、お前はいつだつたかの歌うたひぢやないか。
 こほろぎ さういへば、お前さんはあのをりの頭でつかちだつたね。この擦傷に見覚えがあるよ。
 かも瓜 程なく冬が来るらしい、寒さが身にしむやうぢやないか。(間)かうして久し振りに会つてみると、随分と変つたものだね、お互に。
 こほろぎ まつたくだよ。私なぞもう歌も謳へなくなつた。
 かも瓜 歌といへば、お前、あの頃は夜どほし歌をうたつて、誰かしら待つてたやうだつたが……
 こほろぎ あれにもたうとう逢はずしまひさ。
 かも瓜 それは気の毒だつた。報いられなかつたんだね。
 こほろぎ いや、私は満足してゐる。愛するがための一生。それが私の生涯だつたと思ふと、少しも悔むことはない。――ところで、お前さんは……
 かも瓜 わしはお前の言つた通りにやつてみた。わしの持物一切をそつくり農夫にくれてやつたものだ。それからといふもの、わしは毎日のやうに皮を割かれ、肉を切り取られて、たうとうこんなざまになつてしまつたよ。(今更らしく自分の姿に眼をやつて苦笑する。)
 こほろぎ でも、以前瓜畑に転がつて、勝手な夢を見てゐた頃に比べると、自分といふものを一層有難く思はないではゐられまい。
 かも瓜 さうは思はない。(間。言葉を曳ずるやうに)わしにはもう他人も無なければ、自分もない。
 こほろぎ 私は……ひどい寒さだね。身うちがしみるやうだ。
 かも瓜 (独語のやうに)一切は無……
 こほろぎ 私はもう肢が利かなくなつた……

(こほろぎ横ざまにかも瓜の萎びた切つ端の上に倒れかかる。夜の暗はだんだん深くなる。)
[#改丁]

秋の小天使




「ひん、かち。――ひん、かち。――ひん、かち。……」
 て切つた障子に秋の陽が明るくあたつてゐる午後三時過ぎ、ものうさうな蟋蟀の歌に混つて、ふとこんな声を私は聴きつけた。それは誰もがひとりぼつちの心寂しい折に、われ知らず唇をすぼめて吹く口笛のやうな、弱い、かすかな、所在なささうな音だつた。
 私はもしやと思つて、机の前を離れて、そつと障子を開けてみた。
 私は一目でその声の主を見つけることができた。それは胡麻白の頭と金茶の胸毛と真黒な翼とを持つた小鳥で、両肩のあたりに真白な刺毛さしげが際立つて光つてゐるので、まるで紋付羽織でも一着に及んでゐるやうな恰幅だ。
「ひん、かち。――ひん、かち。――ひん、かち。……」
 小鳥は長い旅に出てから半年ぶりに帰つて来たので、そこらの贔屓筋へその由を披露し、かねてまたその間の無沙汰を詫びてでもゐるやうに、その一節ごとにひよくりひよくりと老人めいた胡麻白の頭を下げて、こくめいにお辞儀を繰返してゐる。
「やつぱりひたきだつたな。那奴あいつもうやつて来てゐるのか。」
 私は口のなかで呟いた。この時小鳥は初めて私の姿に気づいたらしく、お辞儀を半分しさしたまま、真黒な顔を傾げて、きよろきよろと私の方を見まもつてゐる。


 秋はその尖鋭な緊張し切つた気力を、鶲の先駆者であるもずの、あの小英雄的な負けじ魂のなかに植ゑつけてゐる。私が今年の秋初めて鵙の鳴声を聴いたのは、九月の十三日だつた。それは朝のことで、あたりの立木の第一の梢で、元気よく長い尻尾を振りまはしながら、
「き、き、き、き……」
 と、癇の高い強い声で高鳴きをしてゐる颯爽たるこの鳥の姿を見た時には、その瞬間そこらにごちやごちやと立ち列んでゐる工場の赤い屋根に、土塊のからからに乾いた黍畑の畔に、牧場の番小屋に釣つ放しの蚊帳に、素脚で地べたに立つてゐる私のあしのうらに、まだそこばく残つてゐた真夏の汗臭い余熱ほとぼりを一気に跳ね飛ばされて、初秋の溌剌たる健かさと明徹な冷つこさとが、そこらにふりかかるやうに感じたものだ。
 秋はまた寒寂と隠遯とを楽む心を、鷦鷯せうれう[#「鷦鷯せうれうの」はママ]あのくすぼつたい小さな胸のなかに産みつけてゐる。鷦鷯は鵙におくれて、木の葉がすつかり枯れ落ちた頃こつそりとやつて来る孤独者で、どんな場合でも彼は道連を伴はない。「寂」の詩人芭蕉もさすがに秋の寂さにはこらへきれないで、
 こちら向けわれもさびしき秋のくれ
 と、いつたが、鷦鷯はその魂に沁み透る孤寂が何よりも好物で、「自然」がくさめ一つしても、けし飛んで無くなりさうな小さな体で、絶えず寂をもとめて、陰湿な物蔭を物蔭をと捜し歩いてゐる。
 この二つの鳥に挟まれて、十月のなかば過にひよつくりと訪れて来る鶲こそは、日和続きのこの頃にふさはしい来客で、人懐こいこの鳥は、到るところで持前の愛嬌と愚直に近いまでの人の好さとを振り撒いてゐる。この頃になると、そこらの木の実はそれぞれ黄金色に、また渥丹あくたん色に熟み爛れ、草の実はふくらみきつた莢からおのづと爆ぜ割れて、そのはずみにぴちぴちとかすかな音を立てて広い外界へと飛び出してゐる。どこを見ても豊穣と成熟と収穫との季節だ。
 蜂は蜂で、正午前後のぽかぽかと暖かい頃を見計らつて、
「もう一稼ぎだ。あとは長い休息だ。」
 と、元気よく巣から飛び出し、残りの花に蜜をもとめ歩いて、頭のてつぺんを黄ろい花粉だらけにしてゐる。簑虫はまた早くから枯つ葉で縫ひ綴くつた草庵のなかに隠遯生活を送つてゐたが、この二三日暖かい上天気が続くと、すつかり見限つてゐた世間の事々がまた思ひ出されるらしく、一旦閉てきつた草庵の小窓から真黒な顔を出して、きよろきよろとあたりを見廻してゐる。
 程近い岡の上では四十雀が、軽業師のやうに、多勢の小さい座方を引連れて来て、騒々しくはしやいでゐる。座方の小坊主連はちよこまかとこましやくれた身のこなしで、そこらの立木の小枝につかまつては、てんでに習ひ覚えた得意の藝をこれ見よがしにおさらへをしてゐる。あるものはとんぼがへりを。あるものはまたぶらんこをといつたやうに。


 誰も彼もが気忙きぜはしさうに動いてゐるなかへ、ひよつくりと帰つて来た鶲は、持前の人の好さから人家の垣根近くに紛れ込んで、
「ひん、かち。――ひん、かち。――」
 と、低い調子で歌ひながら、金茶の胸当に紋付羽織の着付で、弾機細工か何かのやうに愛嬌たつぷりにぴよこぴよこと胡麻白の頭を下げどほしに下げてゐる。
 相手が誰であらうと頓着なく、よしどんな害心をもつてゐる悪戯者に出会さうとも、同じやうな心安さで挨拶せずにはおかない、この鳥の慇懃さを見て、世間の人々、わけても農民達は
彼奴あいつ、俺を見て、ぺこぺこお辞儀をしてくさる。伯父貴をぢきとでも思つてゐるのかしら。馬鹿鶲だな。」
 と、こんな失礼な綽名をつけて、ともすればこの小鳥を馬鹿者扱ひにしようとする。だが、それは人間のあさはか過ぎる間違で、持つて生れた人の好さから世間はすべて善意に満ちてゐて、誰一人害心を持つてゐるものがあらうなどとは思つてゐない、この紋付羽織の小坊主は、誰彼の分け隔もなく友達づきあひに愛嬌を振り撒いてゐるのだ。あの金茶色の胸毛に包まれた小さな魂のいたいたしいまでの善良さを少しでも傷けるやうなことがあつては、人間にとつて大きな恥辱だといはなければならない。
 この鳥のたちのよさを解らうとするには、別にむづかしいことは要らない。もしかこの鳥に出会つて、
「ひん、かち。――ひん、かち。――」
 と、胡麻白の頭を下げて挨拶をせられたら、その場をはづさず、こつちからもまた、
「ありがたう。――ありがたう。――」
 とでも言つて、叮寧に頭を下げて挨拶を返してやることだ。――といふと、大抵の人は笑ひに紛らして、
「そんな馬鹿気たことが……」
 といふにきまつてゐるが、人は自分自ら馬鹿になつてみなければ、愚直さやお人好しのどんなに尊く有難いものだといふことが解らう筈はないのだ。
[#改丁]

ぼんつく蓼



 勝手口の小さな圃に、風にでも吹かれて飛んで来たらしい小さな種子が、芽を出し、幾つかの葉をひらいてたでとなつたのは、夏の日のことだつた。家のものはそこを通りかかる度に、ちよつとの間をぬすんで、水をやつたり、あたりの雑草をぬいたりして、その成長を助けてやつた。
 とかくするうちに、蓼はだんだん大きくなつて、思ふさま茎を伸ばし、葉をつけた。新鮮な緑葉をもつた紅紫の茎が、柔かな風に踊るのを見るのは、私達にとつてたしかに気持のいいものだつた。
 ある日の真昼時だつた。きらきらと日光の直射する圃に立つて、家のものが何かぶつくさ呟いてゐるのを私は見た。
「どうしたんだね。」
「いえね。けふ蓼酢にこの葉を使つてみたところが、ちつとも辛味からみが利かないんです。人に聞くと、ぼんつく蓼といふのださうで……」
「ぼんつく蓼だつて。」
「はい。一向辛味が利かないところから、馬鹿者扱ひされたのでせうよ。うちにはぼんつくは要らないから、いつそ引つこぬいてやりませうか。」
「いや。抜かなくともよい。ぼんつくの一本ぐらゐあつたつていい。」
 私は見かけは本蓼と少しも変らない、そのぼんつく蓼とやらを見ながら言つた。
 実際紫蘇や、茗荷や、はじかみや、そんなものの折り重つて生え繁つてゐるこの勝手口には、間のぬけた、辛味のきかない、愚者おろかもののぼんつく蓼の一本ぐらゐあつた方がよかつた。
 秋が来た。生れつきぼんつくだつたので、無事に茎葉を残すことの出来た蓼の穂には、赤味をさした白い花が咲きこぼれた。そして花の後には、小さな点のやうな紅と緑とが、しつくり抱き合つた可愛らしい実が残つてゐて、しなしなと風に揺れ、風に縺れる姿が何ともいへず美しかつた。私達はそれを見る度に心より慰められた。
 皆は口々にいつた。
「ぼんつくさん。なかなかぼんつくぢやないのね。」
[#改丁]

多羅葉樹



 秋の日は暮れかかつてゐる。
 と、言葉に出して呟かないまでも、頭のなかでさう思ふだけでも、幾らか調子が強過ぎ、線がきつぱりし過ぎるほど、ひつそりとした十月の夕暮で、薄紫色の靄がかつたものが、忍びやかに草の葉を滑り、しつとりと木の間木の間に滲み入らうとしてゐる。
 どことなく湿りを帯びて冷々とする大気のなかに、草木はしづかに禅定ぜんぢやうにでも入つたかのやうに身じろぎ一つしない。それでゐて、いつのまにかそれぞれ私の心の中にまでもはひつて来て、そこいら一杯にしなやかな枝葉を拡げ、ぎごちない幹をくねらせ、また咲きこぼれた花の匂をうんぷんと撒き散らしてゐる。
 私の心はどうしたものか、艸木に対すると直に受身になり、何の選好みもなく、無条件にそれをこちらに受容れようとする。私はよく野路を歩いてゐて、路の行手に立ち塞がつたやうな一本の大樹に出会ひ、または路傍に笑みこぼれた小さな草花を見て、立ちどまることがよくあるが、そんな時にはいきなり笑顔になつて、
「……………………」
 久し振りに昔馴染にでも逢つたやうに、何かしら親みのある言葉で呼びかけようとして、とつさの場合その言葉を思ひつかないでまごまごしてゐるうちに、艸木の方でははやくも私の心に飛び込んで来て、互に頷き合つたり、ささやき交したりしてゐるのに驚くことがある。そんなをりには、花を見つけると、その一刹那にいきなり相手のやはらかい花粉に充ちた内懐に飛び込み、自分の要るものだけを逸早く奪ひ取る若い蜜蜂の機鋒の鋭さが羨まれないではゐられない。だが、さうかといつて、それが私の生れつきであつてみれば、さてどうするわけにもゆかないのだ。

 風もないのに、庭の片隅で白萩がこぼれてゐる。木の鋸屑をがくづのやうな花の白みが、音もなくそこらに散らばる度に、有るか無きかのその匂が、埃臭い土のしめりと混り合つて、たよたよと私の心の薄明りに烟のやうに低く這ひ寄つて来る。その途端どこかで一つ、
「ちろ、ちろ……」
 と、金の鈴を取落した音がした。長い触覚と焦茶色の後肢とをもつた小さな精霊が、そこらの土塊つちくれや草葉のなかを押分けて、それを捜し廻つてゐるらしいうちに、またしても
「ちろちろ…………ちろちろ…………」
 と、二つ目の、三つ目の鈴が転がり落ちて来た。――虫が鳴いてゐるのだ。
 夕闇はだんだん深くなつて来た。つい目の前に枝を交してゐる木々は、みんな一様に黒つぽい色に塗られて、影のやうにぼんやりと衝つ立つてゐる。そして時々霧のやうに落ちて来る憂鬱にさも堪へかねたやうに、そつと深い溜息をついてゐる。その都度樹木に特有な冷えびえとした黴臭い生薬きぐすりのやうな匂が、私の心のうちにまでもそつと忍び寄つて来る。
 さうしたなかに、白みがかつた艶をもつた一本の木が、光沢のある大きな楕円形の葉で、あたりの暗を反射しながらぼつそりと立つてゐるのが見える。――夜目にもそれとわかる多羅葉の樹だ。
 多羅葉の木は、私の少年の頃を知つてゐるたつた一人の昔馴染だ。私はよく厚ぽつたいその葉つぱを※(「てへん+宛」、第3水準1-84-80)ぎ取り、薄暗い台所の片隅で、温火ぬるびの火屑をそつとそのおもてに載せたものだ。すると、香でも燻くやうな軽い好い匂がして、火屑にあたためられた葉つぱの上に、不思議な斑紋が浮き出して来る。私達はそれを見て、
「達磨だ。」
「黒猫だ。」
 と、斑紋の形から、思ひついたさまざまの名前をつけて悦んだものだ。
 かうして多羅葉が、自分の大切な葉つぱを無いものにして、私達を遊んでくれたことに対しては、私はいまだに心からなる好意と感謝とを持ち続けてゐる。

 十七夜あたりの月が、そろそろ東の空に顔を出しかけたのだらう。水のやうに冷つこい薄明りがそこらに淀み流れかかつて来た。と思ふと、私の心のなかにも、燐光のやうな明りがすつとさして来た。青白いその薄明りのなかに、幾本かの青竹が、※(「王+干」、第3水準1-87-83)らうかんのやうな滑かなつめたい肌をして、行儀よく真直に立つてゐる。
 今私の目の前に浮き出してゐる植込の中には、竹はどこにも見あたらない。してみると、それは以前どこかで私が目に触れたことのあるもので、その後いつとはなしに私の心に移り棲んで、折にふれ、時にふれて、その幹を殖やし、枝葉を拡げて、その生活を営んでゐるものに相違なかつた。
 竹は皆仙女のやうに微笑してゐる。
 むかしの人は、蘭を画くには喜気を、竹を写すには怒気をもつてしなければならぬと言ひ伝へてゐた。この二つの植物の持つて生れたそれぞれの性格を強く描き出さうとすれば、場合によつてはそんな用意が要るかも知れない。だが、今私の心のなかに根をおろしてゐる青竹は、和やかな悦びの気に充ち溢れて、そのかさかさした葉でほほ笑み、しなやかな枝でほは笑み、また琅※(「王+干」、第3水準1-87-83)のやうな幹でもほほ笑んでゐる。

 かくして草木のあるものは、あの風蘭が岩のくぼみや樹皮の腐れに寄生するやうに、寂れはてた私の心に宿り、からからに乾いたそのふところを、葉の緑で潤ほし、花の匂でくすべて、萎びかかつた私の生命に絶えず若々しい気力を与へようとしてゐる。

 むかし、李龍眠が馬を画くのにひどく執心してゐたことがあつた。法雲寺の繍長老がそれを見かねて、
「そんなに馬のことに夢中になつてゐると、来世では畜生に堕ちるかも知れぬぞ。」
 といつて、たしなめたものだ。このすぐれた画家は、それを聞くと、さつと顔色を変へて心より驚いたらしかつた。そしてそれから後はふつつりと馬の画をあきらめて、一心に仏像を画き出したといふことだ。
 こんな差出口から、李龍眠のすばらしい馬の画が見られなくなつたのは惜みても余りあることだが、さうかといつて、画家自らが馬になりたくなかつたからのことであつてみれば、それも仕方がない。それに比べると、私の方は一向気楽なもので、そんなに艸木に執心するなら、後の世ではきつと艸木に生を享けるぞといはれたところで、別に驚きもしない。万一そんなことがあつたとしても、私はまた自分のやうな艸木好きな人を見つけて、その人の心のなかに棲むことを知つてゐるから。
[#改丁]



 郷里の家から荷箱が一つ送りとどけられた。開けてみると、燃え立つやうな朱色の御所柿が、ころころとなかから転がり出して来た。
 私の郷里の屋敷には、家の周囲に十二三本の柿の樹があり、その多くは御所柿なので、私の子供のころには、柿の当り年になると、藍碧に澄みきつた秋末の大空を背景に、火焔の塊のやうな大顆おほつぶの柿の実が鈴生になつてゐたのをよく覚えてゐる。
 私の家の御所柿は老木が多かつたので、不作の年になると、とりわけ実のりがみじめだつた。そんな場合には、私たちは来年の秋を約束させるために、柿の木を相手に、ちよつとした芝居をたくらむやうなことがよくあつた。
 それはいつの年も霜月のに行はれることにきまつてゐた。その日が来ると、父は鋸を手に、私はまた手ぶらでその秋実のりの乏しかつた柿の木の下に立つた。
「なるか。ならぬか。ならぬともう切り倒してしまふぞ。」
 父は威しつけるやうに鋸の腹で白く干割れた樹の肌をこつこつと叩いてみせた。
 私はかねて教へられたとほりに木になり代つていつた。
「なります。なります。来年はきつとなりますから、切り倒すことだけはお免し下さい。」
「そんなら待たう、来年まで。」
 父はさういつて鋸をふりふり、大股にまた他の樹をさして歩き出すのであつた。
 次の秋が来ると、柿の木は約束どほりに真紅な実を鈴なりにならせるやうなことも偶にはあつたが、多くの場合鋸の前に代人として誓つた私の顔を潰すやうなことを平気でしてのけたものだ。しかし、それも長い間家のために役立つてくれた老木であつてみれば、いたし方もなかつた。
 郷里から送つて来た御所柿も、多分そんな老木から二つ三つと取り集めたものに相違なかつた。
 植物の新品種の創造家として名高いルーサー・バーバンクは、胡桃の外殻の厚いのは、食べるものにとつて手数だからといつて、新しく穀の薄手の胡桃を作つたことがあつたが、それでは小鳥が来て食べ荒すので、またもとのままにかへすことにしたさうだ。彼はまた毛毬いがのない栗の新種をも生み出すことに成功したが、それも小鳥のために食べられがちなので、たうとうその仕事を思ひ止まらなければならなくなつたといふことだ。
 栗や胡桃のやうに、その実を自分の手で外敵から固く護らうとする心用意の細かさも悪いことではないが、私はまた柿の実の張り切つた肉つきを朱色の素肌のまま、寒空にあかあかとかがやかせてゐる、あのあなたまかせの、間の抜けたところを一層好ましいものに思つてゐる。
 むかし、王梅谿がいつたことがあつた。江南に紅塩橄欖といふ果樹がある。枝が高いので木の実を採らうとするものは、まづ樹の幹に塩を塗り込む。そして木蔭にじつと待つてゐると、やがて木の実が自分からぽたぽたと地びたに落ちて来ると。ところが、それを聞いた江南のある人が、自分は度々土地の人が橄欖の実を採るのを見たことがあるが、みんなはしごに登るか、竿で打つかしてゐる。一度だつて樹に塩を擦込むのに出会つたことがないといつて笑つたさうだ。
 柿の実を採るのもそれと同じことだが、枝が高くて竿のさきがとどきかねるやうなのは、強ひて採らないで、そのまま枝の上に残しておくことだ。高い木のてつぺんで、初冬の太陽が円い紅玉の実を、黄金色の指さきで終日愛撫してゐるのを見るのは、下にゐるものにとつても、悪い気持はしないものだ。
[#改丁]

初冬の一日



 初冬の日の静けさは、私をして下膨れの円い壺の中にでもはひつてゐるかのやうな、落ちついた気持を抱かさせる。先刻から金茶の胸当に親譲りの黒紋付の上着を重ねた紋付鳥がたつた一羽、時をりぱつぱつとひそやかな羽音を立てながら、ちよこまかと地虫を啄ばんだり、落葉の寝反りにびつくりしたりしてゐたが、それにも遊び飽きたかして、刈込まれた芙蓉の切株に羽を休めるなり、いつもの癖の人なつこさうにお辞儀でもするやうに、胡麻白の頭をひよくりひよくりと五六遍立て続けに下げたかと思ふと、ふいとまた気が変つたらしく、塀越しにさつとどこかへ飛び去つてしまつた。その立ち際の恰好がまた壺から飛出す小魚のそれを思はせるやうな跳躍ぶりであつた。
 私の目の前には、石榴の木が一本衝立つてゐる。南寄りのその枝枝には真つ赤に焼けただれた五六顆の実が生つてゐて、その実の重みで枝が弓なりに橈んでゐる。なかでずばぬけて、大顆おほつぶの実が一つ、大きくくわつと頤を開いて快活さうに笑つてゐる。紅玉のきらびやかな歯並に沁み徹る初冬のつめたさを飽かず味ひ耽るもののやうに。
 私はその近くの庭石に腰をおろして、しばらく石榴の実のかがやきに見とれてゐた。先がたから冬の日を腹一杯吸込んでゐた庭石は、温石おんじやくのやうに着物を透して肌に温かだつた。
 石榴の木の真上、藍碧に澄みきつた空を綿毛のやうに白いふはふはした雲の一かたまりが滑つてゐる。私は雲を見てゐるのが好きだ。少年の頃にはよく広い野原の草の中に寝転んで、高く頭の上を流れゆく雲に、たわいもない空想と夢とを載せて悦んだものだつたが、病に罹つて起居の自由を欠くやうになつてからは、前よりは一層つよく自由で奔放な雲の動きと姿とに心がひかれてならなくなつた。
 むかし詩人白居易が、夢に嵩山に登つたことがあつた。彼はその頃足を病んで起居にも困つてゐたのに、夢の中ではそんないたみなどは少しも知らぬもののやうに、人の往きなやむ山路を飛ぶやうに身も軽々と辿つてゐたといふことだ。ちやうどそのやうに、今の私は想像と幻想との不思議な翼に跨がり、気随気儘にそこらを遊びまはる間が、やがて私みづからの病の呪縛から解き放される時で、とかく頑固で、気むづかしく、物に拘泥し過ぎる私の心を、気軽にさうした不思議な翼の上に乗り遷らせるには、あの碧空をゆるやかに滑りゆく白雲の一片を見るに越したことはない。雲は文字どほりに私の片影なのだ。
 子供のやうにあまり長い間仰向いて雲のゆくへにのみ眺め入つてゐたので、首筋が硬ばつて痛くなつて来た。私は遠く薄れゆく雲を見送つておいて、ふたたび眼を枝の上の石榴に移した。酔つぱらひのやうに大口をあいて笑つてゐる石榴の実に。
 私はそこに異様なものを見つけて少からず驚かされた。どこをどう伝つていつのまに攀ぢ上つたものか、灰色の土鼠が一つ、木の叉ぶりにちよこなんと腰をおろし、小器用に尻尾を枝に巻きつけたまま、前脚の間に、大顆の実を持ち支へながら薄汚れた鼻先をそれに押付け、押付け、ぽりぽりと歯音をたてて噛つてゐるではないか。
「おう、あいつだな。」
 私はそれを見つけた瞬間、すぐさう思つた。

 私の家の庭先に無花果の木がある。ことしの秋はいつもより顆の大きな果実を数多く結んだが、それが熟する頃になると、採る実のうちでも肉付のゆたかな、味の甘さうなのは、いづれも頭を噛られてゐるか、またはちよつとした掻傷らしい痕を残されてゐるので、何者のいたづらだらうかとは、長い間の謎だつた。ところが、ある露の深い朝、頭がびしよ濡れになつた土鼠が、ちよろちよろと無花果の幹を滑り下りるのを見た時から、この謎はわけもなく解かれてしまつた。
 常には真暗な土の下の窖に潜つてゐて、そこらの果樹の高い梢の上に心を配り、果実の生熟までも知りぬかうといふのは、同じ土鼠の一族のなかでも、よほどはしこい奴に限られたことで、皆が皆までそんな勘のよさを持つてゐるのでもなからう。私はその当時こんなに思つてそのまま忘れてゐたのを、今また思ひ出したのだ。

 むかし、王羲之の仲のよい友達で、いつも薬草採りには二人連れ立つて山に遊んでゐた人に許邁といふ道士があつた。ある時その道士が自分の着衣を何ものかにひどく噛み傷つけられてゐたことがあつた。
「てつきり天井裏のいたづらものだ。」
 道士は口のなかで幾度か呪文を繰返した。すると、煤ばんだ天井の孔から、物陰から、家中の鼠が次から次へと数珠つなぎにぞろぞろと這ひ出して来て、庭先に小さな頭を押し並べた。集まつた鼠のことごとくが何のために呼び出されたのか一向気がつかないふりに、ほがらかな容子を見せてゐるなかに、たつた一つ打萎れて、背を円く、鼻先を地びたにおしつけたまま、身動き一つしない鼠がゐるので、道士の衣を噛み破つたのが、どのいたづらもののせゐであるかがすぐ判つたといふことだ。
 間違つた自分のしわざを思ひ出して、そんなにまで悄気かへつてゐた「良心」のある鼠に対して、道士がどんな処罰をしたか、それについては私は少しも知らない。ただ私のところの土鼠が、道士の家のそれのやうに恥を知つてゐようなどとは私の思ひもかけないことだが、さうかといつて、いくら私が愛してゐる庭の果樹を傷つけたところで、相手はあの小さな横着者のことだ。さうさうむきになるにも及ぶまいではないか。長い間の私の病気は、そんなをりにもじつと心を虚しくして相手を静観するだけのおちつきを失つてはならぬことを教へてくれてゐる。それにまた病の行きとどいた親切さ。私に万一の過失をさせないやうに、私の手までも痺れさせてゐるのだ。
[#改丁]

烏瓜



 破垣に烏瓜の蔓が絡みついて、その蔓に小さな楕円形の烏瓜の実が一つぶら下つてゐる。

 烏瓜の花が咲いたのは、蒸暑い夏の夕暮だつた。そこいらにいくつかの蚊柱が立ち、蝙蝠が不器用な羽叩きをして、音もなく飛びまはる夕闇の、ほんのちよつとした間に烏瓜の花は咲き、そして誰もの眼に触れるのを厭ふやうに呼吸をひそませて、花弁の白みをあたりの薄暗がりにそつと沈ませてゐた。
 夜の引明ひきあけになると、花はあわただしくも自らその唇を閉ぢた。夏の太陽の押しつけがましい接吻をさも厭がるかのやうに。花のもつその羞恥のふところから、小鳥の卵のやうなささやかな烏瓜の実が幾つか生れて、日に日にその大きさを増して行つた。だが、時が経つにつれて、そのあるものは虫に蝕まれ、あるものはまたいたづら好きな子供達にもぎ取られて、秋のなかばごろには、たつた一つの烏瓜がそこに残されてゐるに過ぎなかつた。

 秋の野には、いろんな木の実草の実が、それぞれの枝から、蔓から、累累と垂れ下つてゐるが、なかにも上枝高くくわつと大口を開いて、火焔の塊を吐き出さうとする甘石榴。葉がくれの一粒をそつと口に含むと、そのまま溶けて酒になりさうな葡萄。紅熟した肉の冷たさが歯ぐきに沁み徹る御所柿。ぷんぷんと体臭を撒き散らす仏手柑ぶしゆかん。――さういつたもののはなばなしさ。豊饒さ。その豊饒さ、はなばなしさに、「秋」はすつかり自分の心を奪はれてしまつて、ただもう一途にそれらのものを愛撫し抱擁するのみで、素性の貧しい、見てくれのぢみな烏瓜などは、一向見向かうともしなかつた。内気ではにかみやの烏瓜は、かへつてそれをよいことにして、身辺の無関心のうちにわが性の孤独をのみ見つめて、ひたすらにみづからの生命をいたはり育ててゐた。――かくして烏瓜は身うちに日に日にあぶらが乗つて来るにつけて、その青白い肌は、若い女のやうにふつくりした胸の円味を持つやうになつた。
 やがて石榴も、葡萄も、柿も、柑子かうじも、目に立つ果実は、ことごとく枝から蔓から※(「てへん+劣」、第3水準1-84-77)ぎ取られる時が来た。毎日のやうに風がやつて来て、騒がしく落葉樹を吹きゆさぶると、黄葉もみぢ葉は次から次へともろくも散つていつた。

「秋」はもうぐづぐづしてはゐられなかつた。自分のすぐ背後に冬の乾いた跫音を感じるにつけても。彼は白髪交りの頭をあげてそこらを見まはした。きのふまで笑ひさざめいてゐた地の上に、歓喜と享楽の影といつては、何一つ残つてゐなかつた。彼は頭をふつて嗟嘆した。
 ふと彼の眼を捉へたものがあつた。それは破垣にぶら下つてゐる烏瓜で、烏瓜は風の吹く度にむつちりと円つこい尻をこちら向きに捻ぢ向けて、ちよつと媚態をつくつてゐた。

 秋は久しく忘れてゐたものを想ひ出したやうに、つかつかと破垣に近づいて往つた。そしてきのふまで石榴を、葡萄を、柿を、仏手柑をいたはり通しにいたはつて来たその掌で、小さな烏瓜を愛撫し初めた。これまで誰人にも愛されたことがなく、いつも寒い孤寂のうちにのみ生きて来た烏瓜には、かうした秋の仕打が、その持前の浮気つぽい出来心からだとわからうはずがなく、すつかり取逆とりのぼせて真赤になつたまま冷い秋の掌面のなかで、二十日鼠のやうにぶるぶると身を顫はせてゐた。
 追かけられるやうにあわただしくも秋は去つて往つた。あたりはすつかり冬になつた。しらじらと寂れた風物のなかに、烏瓜のみは真赤になつたままでぶら下つてゐる。誰に摘み取られようとするでもなく。昨日も。今日も。
[#改丁]

ざぼん



 初冬がまた帰つて来た。
 私は初冬が好きだ。静かな一室にひとりでぽつねんとしてゐると、南向きの明り障子に庭さきの立木が、立木の枝に飛んで来た小鳥さへもが、そつとその横顔を映し出すのも、太陽がぐつと南へ廻つて来たこのごろからのことで、障子をあけて縁側に坐ると、その木の影が空色の眼をしたペルシヤ猫のやうに、脚音も立てず私の膝の上から胸の辺にまでも這ひあがつて来て、しなやかな体をもたせかけようとする。初冬の日光のもつほつぽりした温みと、枯草のにほひと、あるかなきかの重みのやうなものが感じられて、一層この季節がなつかしまれるのもこんな時である。
 庭さきの落葉樹は、いつのまにかすつかり黄落して、そこらに散らばつた葉つぱは安住の地をもとめるかのやうに、ちよつとした風にもすぐ寝返りをうつて、さらさらと乾いた音を立てながら、あちこちと走り廻つてゐる。
 そんな中に、はぜの樹のみは、晩秋から初冬にかけての日光を、自分ひとりで飲み飽きたかのやうに、まばらに残つた葉が真赤に酔ひほてつてゐる。夏のうちは何の見どころもないやうに思はれて、そこにあることも忘れられがちに過ごして来た雑木の一つだつたが、持つて生れた季節に感じ易い性分は、この十一月末のほんにちよつとの間の閑寂さだが、それを悠々と楽しまうとする心持を、そのままに享けかぶれてゐる。
 庭下駄を突つかけて下におりてみた。散り透けた裸木と裸木との間から、初冬の澄みきつた空が広々と見あげられ、明るいうちにも幾らか肌触りの弱さを思はせるやうな太陽の光が、しぶき雨のやうにそこらに降り注いでゐる。
 庭の片隅に常磐木が四五本こんもりと立つてゐる。そのなかに白緑の葉をかがやかせてゐるのは朱欒ザボンの樹で、その葉の茂みから大きなザボンの実が二つ三つ下膨れの尻を見せてゐる。
 むかし支那の巴邱といふところで、ある人が枝も橈むばかりの大きな橘の実を見つけて、もの珍しさからそれをもぎ取つたものだ。そして外皮に爪を入れてそれを剖いてみると、中に侏儒こびとの老人が二人さし向ひに坐つて、心静かに象棋をさしてゐた。一人の老人はつめたい外気を肌に感じると、遊びに夢中になつてゐた眼を急に盤から離して、
「ああ。すつかりくたびれてしまつた。それに腹もすいたやうだ。」
 と独語をいつて、袖のなかから龍根といふものの乾物をとり出した。そしてそれを削つて二片三片うまさうに口にしてゐたといふことだ。
 まるでお伽噺のやうな譚だが、こんな静かな日に柑橘のやうな好い匂のする壁を通して、さしこむ陽光に背を暖めながら、象棋でもさしてゐることができたら、これもまた悪くないに相違ない。
 その橘の中にゐた老人は、食事が済むと、食べ残りの龍根を龍に蘇生らせ、それに騎つてどことも知れず飛び去つたといふことだが、それだけは余計なことで、私だつたらさうはしない。
「やつぱり知らぬ顔で象棋をさしてゐる。」
 私は黄熟したザボンの一つを掌面に載せたまま、いつぱし良い思案か何かのやうに、口のなかでこんなことをいつた。そしてそのすぐ後からそれが何の意味もない言葉だつたのに気がついて、その心安さから覚えず微笑した。――それほどまでにのんびりしたあたりの空気に私は包まれてゐたのだ。
[#改丁]

金柑の童心




 ある冬の午過だつた。今まで静かだつた庭前が、急に雀の声で騒がしくなつて来た。硝子戸越しに外を見ると、どこから飛んで来たものか、そこらの庭樹の枝々に鈴生りにとまつてゐるおびただしい雀たちが、何か不思議な大事件でも見つけたやうに、みんな一様に小首を傾げ、ぴんと尻尾をおつたてて、口々に、
ちゆつくらちゆ
ちゆつくらちゆ
 と、鳴き立ててゐるのだ。私は物好きに硝子戸をあけて、外に出てみた。間近い木々にとまつてゐた雀達が、急にぱつたりおしやべりを止めたかと思ふと、一斉にぱつと羽音を立てて、道を隔てた隣家の屋根に、軒に、または板塀の上に飛び散つた。そして身軽にこちら向きに向き直ると、またしても腑におちなささうに小首を傾げてゐる。
「騒々しいぢやないか。どうしたといふのだね。」
 私は人に話すのと同じやうな口をきいてみた。すると、お先走りらしい、小柄な雀が一羽、木の上から早口に答へた。
「御覧よ。あそこで金柑が泣いてゐら。をかしいぢやないか。」
 庭の小隅に金柑の木があつた。見ると、まるつこい頭をした金柑の小坊主達は、みんな黄ろい顔を涙で濡らしてゐた。私はたしなめるやうに雀を見返した。
「ちつともをかしかない。金柑だつて偶には泣きもしようぢやないか。子供なんだもの。」
「なるほど、子供だつたのか。」
 雀達は声を合せて、冷かすやうに笑つた。


 冬の果樹園で、同じ柑橘の仲間に、図体の偉大なうちむらさき。汁の滴るやうなくねんぼ。香気の蒸すやうな仏手柑など、いろいろあるなかに、なぜあのちつぽけな金柑がなくてはならなかつたのだらう。
 それは外でもない。久しい間人生と運命との間に戦ひ馴らされて来た、天空海濶の大きな気象をもつたものにも、どうかすると、老年になつてまでも、幼い少年のころの無邪気な感情の傾き、小さな好き嫌ひといつたやうなものをすつかりは離れきれないのがあるやうに、自然はあの大きなうちむらさきや、怪奇な仏手柑では、どうしても表現し得られない、けちで、稚拙な生命と、その幻想とを持つてゐる。それが結実し、黄熟したのが、あの金柑の小坊主なのだ。
 一生童心の金柑よ。
 生れ落ちるとから老人じみた「佗」の持主であるあの柚子に比べて、これはまた生涯童心の持続けで、ねつから成長といふものがない。どちらもの一生を通じて、柚子にうら若さがないのと同じやうに、金柑にはまた老熟といふものがない。
 成長と変化とのない生涯の寂しさ。
 それゆゑにこそ、金柑は泣いてゐるのだ。
[#改丁]

琵琶法師



 盲人が、人並はづれて勘のいいのは、誰もが知つてゐることで、今更事新しく言ふまでもないが、私はそれについて一つの好い例を知つてゐる。
 藤村性禅といへば、平曲波多野流最後の※(「てへん+僉」、第3水準1-84-94)校であつた。
 時代の好尚と背馳はいちした、かかる古曲を持ち伝へてゐた人だけに、門弟といふものも、ほとんど無ければ、同情のある聴き手も至つて稀で、言はば、演奏者と聴衆とを合せて唯一人のみで、その一人こそ、紛れもない藤村※(「てへん+僉」、第3水準1-84-94)校みづからだつた。
 こんな境涯を想ふと、※(「てへん+僉」、第3水準1-84-94)校晩年の生活が、どんなにみじめだつたかは、ほぼ推察できようといふものだ。
 この琵琶法師が、ある時京都から、その頃、大阪南本町の仮寓にゐた私を訪ねて来てくれたことがあつた。
 その日は雨上りで、晴れた日でも、一体に路の悪かつた大阪の町は、方々に水溜りや、ぬかるみが出来てゐた。
 梅田駅から人力車に乗つた※(「てへん+僉」、第3水準1-84-94)校は、途中で、車夫が路の悪いのに往きなやんでゐるのを見ると、黙つてはゐなかつた。
「車屋さん。この通は雨上りで道が悪いやうどすな。次の辻を左へ折れて、××町へ出てみたらどうどす。案外、その方が通りよいかも知れまへんぜ。」
 車夫は盲法師めが、目も見えないくせに、何を出過ぎたことを云ひをるかと、あまりいい返事はしなかつたが、それでも、次の辻へ来て言はれたとはりに左へ折れてみると、道はさつきのと、比べものにならぬほど走りよかつたので、一寸驚かぬわけに往かなかつた。
 それからといふもの、半分は物好きも手伝つて、車夫は町の四辻へ来ると、一寸車をとめて、
「お客さん。どつちへ曲つたものでせうか。」
 と俥上の客をふりかへつて、訊いてみることにした。その都度眼の見えない※(「てへん+僉」、第3水準1-84-94)校は、即座に右へ××町の方へとか、または左へ××通の方へとか、てきぱきと指図をしてくれるのだつた。
 そしてその指図が実際眼で見る以上に、ちやんと図星にあたつてゐるのに、すつかり感心させられた車夫は、南本町の私の仮寓に客を送りこむと、手拭で顔の汗をふきふき言つた。
「今日は、眼の悪いお方のお供をして、却つて、自分が何も知らない明盲だつてことを教へられました。ですが、お客様はこのややこしい大阪の町を、どうしてあんなにもよく御存じなんです。」
 ※(「てへん+僉」、第3水準1-84-94)校の返辞は短かつた。
「五年前に一度来たことがおしてな。そのをりも雨上りの日どした。」
[#改丁]

蝋梅



 机の上の花瓶に一枝の蝋梅がほほゑみかけてゐる。まつすぐな茎の薄黄。蝋びきのやうに厚ぽつたく、光沢のある花びらの黄。――たつた一つ、花の内ぶところに隠されてゐる襞の濃紫をほかにすると、何もかもが黄づくめで、花の呼吸ともいふべきその高い匂さへもが、いくらか苦味が利いて、くちなし色を思はせるものがある。梅のもつつめたさを白磁とすると、蝋梅には陶器の持つあたたかさとおほどかさとがある。このごろのやうな小雪のちらちらする寒さ続きには、白梅のひき緊り張りきつた性格だと、あまりに感じが尖鋭過ぎ、どうかするとあたりの寒さと互に弾き合ふやうな気持がして、見てゐて息苦しくさへなつて来るが、それが蝋梅だと、一味の孤高感はありながらも、自分ひとりの身清さから必ずしも周囲を冷かにのみは見ず、いつも微笑を浮かべて、自分をも他をも迎へてゐるやうなところがあるので、一月末のこの寒さにも、見てゐて落ちついたくつろぎといつたようなものが味はれる。
[#改丁]

絵の難しい所



 むかし、ある人が画家の大雅堂に訊いたことがあつた。
「先生。つかぬ事をお尋ねするやうですが、絵といふものは一体どんな所がむづかしいので……」
 大雅は一寸額へ手をやつた。
「さやうさ。絵のむづかしいところといへば、まづ、紙の上に何一つ描いてないところでせうな。」
 さすがに大雅だけあつて、絵の急所を知つてゐる。これを藝術家の生涯に見るも、その最も藝術的なのは、製作の最中よりも、寧ろ沈黙静思の間だといつていい。
[#改丁]

焼栗の匂



 秋日和の此頃の日光の中にゐると、私の体から焼栗のやうな匂がして来る。さうだ。焼栗の――匂ばかりではない、こんがりと焼け上つた身内の温まりとその味までも、私自身のうちに感じる事が出来るやうだ。かういつたやうに、季節の感じをしみじみと自分の身に心に味ふことが出来るのは、私達東洋人の特性で、私達はそれを大きな誇としていい。
[#改丁]

白魚



 故郷の家から白魚を送つて来た。

 水量みづかさがぐつと落ちた川尻の塩と淡水まみづとの入り交るあたり、朝寒夜寒のきびしさに、ともすれば季節が後退りしようとするこの四五日、芦の切株に張りつめた薄氷のなかから、逸早くも春をめざして躍り出さうとする小さな生命の動きは、これなのか。

 私は試みにその二つ三つをそつと手のひらに載せてみた。氷の削屑けづりくづのやうな小魚は、ひやりと肌にねばり着き、そのまま水の一雫に溶けてしまひさうな滑らかさ。小さく尖つた頭の端に、針のさきで衝いた程の、ちよつぴりとした有るか無きかの二つの黒い目。
 むかし咸陽宮に不思議な方鏡が蔵せられてゐた。広さ四尺、高さ五尺九寸ほどの大きさで、人が何気なく前に立つと、その姿が逆さまに鏡の面に現れ、胸を撫でながらゐると、腹の中の五臓の様子がありありと見られた。もしまた内臓に病のあるものが、大巾の布か何かで体中を包んでその前に立つと、病のあるところだけがはつきりと鏡に映された。二心のある女だと、心の臓の異様に動くのがまざまざと見透された。あの荒々しい気性をもつた時の皇帝始皇は、多勢の官女をひとりびとりその鏡の前に立たせてみて、少しでも心の臓の動きが怪しまれる女は、無慈悲にもことごとく生命を奪つたといふことだ。
 水のやうに透き徹つた、細身のしなやかな体を持つた白魚は、その咸陽宮の不思議な鏡をかりて照らすまでもなく、身うちに流るるかりそめの悲しみ、悦び、また藻草のなかでだしぬけに蟹に脅された当時の動悸といつたやうなものまでも、鱗のない柔肌を透して、ありのままに自分の小さな目で見ることができようといふものだ。
 白魚よ。お前はまたふつくりと下膨れに膨れた自分の下腹にはち切れるばかりの卵子の成熟を見つけるだらう。卵子の成熟。これこそは、今日この頃のまだ小雪のちらちらする寒さにも、早くも春の動きを感じて、塩と淡水との境、水底の砂子まじりに、また水腐れがした蘆の葉などにそれみづからを生みつけようとの衝動から、いたいたしいまでに弱さうな、痩形のお前をして冒険にも長い寒水の旅に上らせたものなのだ。

 私はしらじらと燃える篝火の火影で、網に上つた郷里の水の春を味はふべく、近くの小流れに婢を走らせた。もしか芹が見つかつたら、吸物のあしらひとしてその芹を摘ませようがために。
[#改丁]

二羽の雀



 朝起きてみると、大雪が降つてゐた。

 ゆふべは夜どほし風も吹かず、あたりは墓のやうに静まりかへつてゐて、時をり低く掠めた声で、ひそひそとささやき合ふやうなけはひを、夢うつつに感じたやうに思つたが、今気がついてみると、あれは降りしきる雪の木の葉を滑り落ちるひそめきであつたらしい。
「ちゆ。ちゆ。ちゆ。」
 声のする方を眼でもとめて、私はふかぶかと雪をかぶつた松の小枝に、てついたやうな二羽の雀を見た。
「ちつ。ちつ。」
 雀たちは、たつた一夜のうちに何もかもがすつかり姿を更へて、眩しいほど真白に光り輝いてゐる不思議な変化を解しかねたもののやうに、小首を傾げてしげしげと見入りながら、言葉ずくなに語り合つてゐた。
「ちゆ。ちゆ。……」
「ちつ。ちつ。……」
 この小わつぱどもは、一体何を思ひ、何を語り合つてゐるのだらうか。

 むかし晋の太康二年の冬といふに、大雪が降つたことがあつた。南洲といふところで、ある人が流に架けわたした土橋の上を通りかかると、何だか物のひそめくけはひがするので、そつと橋下を覗き込んでみると、そこに雪よりも白い羽をした鶴が二羽隠れてゐて、横ざまに吹きつける吹雪を避けてゐるらしかつた。
「今年の寒さといつたらないよ。むかし堯の天子がおかくれになつた年の冬が――確かあの冬がこんなだつたと思ふが……」
 一羽の鶴が、ふと近くに人の動きを感じたものかして、ぱつと羽を拡げて二三度羽叩きを打つたかと思ふと、高く高く空の吹雪の中に舞ひ上つて往つた。
「さう。さう。あの冬も……」
 残る一羽もかう言ひさして、慌てて連のあとをつて、またたくうちに灰色の空に見えなくなつてしまつた。

「堯の天子が……」
 さすがに数ある生物のなかで、長寿を誇る鶴の言ひさうな言葉で、人間社会のならはしだと、
「降つた。降つた。十年ぶりの雪だな。」
「ひどい寒さだ。二十年ぶりだつていふぢやないか。」
 と、いつたやうに、稀有の場合を言ひ現はすのに、自分の短い過去の経験を振返つてみて、そのなかに似合の例をもとめるのに過ぎないが、それに較べると、土橋の下のちよつとした立話にも、二千年のむかしごとをつい二三日前にあつたかのやうに、無造作に語り出す老鶴の物覚えのたしかさと器量の大きさは、何といつたがよからうか。

 それにしても、あの着膨れた二羽の雀の何だか不足がましい、ぼやくやうな話つぷりと、やるせなく悲しさうな眼つきは、一体どうしたのだらう。
 私はそのむかし雪の土橋の上を通りかかつた南洲人のやうに、鳥の語を聴き分けることはできないが、それでもあの哀しさうな表情かほつきを見ると、雀たちの腹におもつてゐることくらゐは、ほぼわかるやうな気がする。

 あの小わつぱたちは、饑と寒さとにぶるぶる顫へてゐるのだ。

 雪はしとしとと降り続けてゐる。軒下に僅ばかりの空地を裸のままに残してゐるのみで、目の達くかぎりはどこもかしこもふかぶかと白く降り隠してしまつた。
 私は一握の米を持つて来て、その空地を目がけてぱつとふり撒いてやつた。
 それを見た雀たちは、高い枝の上でちよつとゐずまひを直した。
[#改丁]

ひとり静とふたり静



ひとりしづか
 これは不思議な草だ。ちよつと目には私によく肖てゐる癖に、私よりもずつと背が高く、節々に一対の葉つぱが向き合ひ、頭には白い二本の花穂が長く伸びて、しなしなと互に揺れ縺れしてゐる。お前さんの名は何といふのだい。

ふたりしづか
 私の名か。ふたりしづかといふのだ。

ひとりしづか
 ふたりしづか。いい名だね。ありやうをいへば、私は今さういふ境地にありつきたいと念つてゐるのだ。

ふたりしづか
 お前さんは私に較べると、ずつと小柄で、四つ葉の上に立つてゐる白い花穂も、たつた一本きりのやうだ。――何といふ草だね。

ひとりしづか
 私はひとりしづかといふのだが……

ふたりしづか
 さうか。ひとりしづかといふのか。お前さんの口真似ではないが、それこそ私が心から願つてゐる境涯なのだ。それなのにお前さんが私を羨むなんて……

ひとりしづか
 私は山深い湿地に生れて、隠遯者のやうにたつた一人で静かな生涯を楽しんでゐたものだが、実をいふと、私は一人ぽつちに疲れてしまつたのだ。どんなものでもが自分ひとりだけでは、寂しさに息がつまつてとてもやりきれるものではない。

ふたりしづか
 さうかといつて、私のやうに一本の茎に二つの自分といふものがあつて、それが絶えず別々な事を考へてゐるのも、いい加減なものだて。

ひとりしづか
 私はあまりにながく自分一人をのみ見つめて来たやうだ。今は誰でもいい、つれがひとり欲しくなつて来た。それが私にとつてうるさい競争者であつたところで、少しも厭はない。

ふたりしづか
 一人でゐるありがたさは、二人ゐるうるささに長く苦しんだものでなければわからない。

ひとりしづか
 春の日ざしはだんだん暖かくなるやうだ。私の白い花穂も、やがて跡方もなく散つてしまふだらう。今の私にはそれがせめてもの心やりだ。

ふたりしづか
 花は散つても、また新しい春が帰つて来るだらう。それが私の待設けてゐるある「不思議」を伴はないと誰が言へるか。私はその日を待つことにしよう。
[#改丁]

海鼠



海鼠なまこやあい。海鼠やあい。」

 人通りの稀な塀外の路を、こんな売声が通り過ぎた。

 その声を耳にすると、何といふことなしに霙まじりの寒い戸外そとの天気が想ひ出される。そのなかを着膨きぶくれした老人としよりの魚売が、濡れとほつた草鞋でびしよびしよと歩いてゐる後姿が想ひ出される。

 また想ひ出されるのは、古雑巾のやうな海鼠の体を荒縄で括しつけて、
「海鼠さまのお通りだ。※(「鼬」の「由」に代えて「晏」、第3水準1-94-84)もぐらもち退いてくれ。」
 と、呼びながら、凍てついた野菜畑の土のうへを、無慈悲にも縦横に曳きずり歩いた少年の頃の私みづからの姿だ。かうすれば海鼠の涎臭よだれくさい臭みを嗅ぎつけて、昨日まで野菜の根を噛み、茎を傷つけなどしてゐた※(「鼬」の「由」に代えて「晏」、第3水準1-94-84)鼠が、その菜園から逃げ出すといふ言伝へだつた。
 それにつけてもまた想ひ出されるのは、海鼠はいつのまにか縄の結び目ですつかり溶け去り、それと気がついて私がふりかへつて見た時には、背後うしろに曳き摺つてゐたのは、海鼠ではなく、ただ「無」そのものに過ぎなかつたといふことだ。
[#改丁]



 朝毎にまだ霜の深い村はづれ、ひたひた水の水際に寒さうにへばりついてゐる草ながら、芹はあたりの何物よりも早く春の動きを感じてゐる。
 肝臓ヂストマの中次豆田螺なかつぎまめたにしは、右巻の尖つた屋根を横倒しに、小菴の扉をかたく閉したまま、身動き一つせず、たまに午過の暖い日ざしに水がぬるみかけると、おつくうさうに小菴ぐるみじりじりとそこらの泥の中を這ひまはり、どうかした拍子に古杙ふるくひの折つ端にでもぶつつかると、一日がかりでえつちらをつちらそれに上りはじめ、幾度かころころと転がり落ちた揚句の果が、折角の杙登りはそのままけろりと忘れてゐるらしい無感覚さ。ものぐささ。頭でつかちのどんこは、餌をもとめて水腐れのした塵つ葉か何かをぱくりと銜へ込み、それと気づいてしぶしぶ吐き出しはしたものの、思ひ切れないで未練がましくまたその後を追い縋らうとする愚しさ。かうした無感覚さと、ものぐささと、愚しさとの澱み滞つてゐる水のほとりにゐて、芹のみは早くも春の足音を気づいてみづみづしい新鮮な茎をそなたざまへとさし伸べてゐるのみか、芳烈な春の香を魚の腹のやうに冷えきつた葉つぱのひとつびとつに沁み徹らせてゐる。
 私が芹を食べるのは、その環境を味ふので、さくさくと歯切れのいいその葉と、はぐきを刺すやうなその香とは、かうした聯想をもたらすのに充分なものがある。
[#改丁]

せんりやう



 一月末の、さびしい前栽の片隅に、せんりやうが立つてゐる。
 黄ろいつぶらな五つの実には、涙が一杯溜つてゐる。
 仄かなせんりやうの哀しみ。それはどこから来るものだらうか。
 どこからでもない。
 せんりやう自身の生命の寂しみから。
 ふやけた土の湿りに根を下した木の性質は、もとより太陽の大きな盃をむさぼり飲まうとするものではないが、それでも物蔭に産れ、物蔭に考へ、物蔭をのみ絶えず見つめてゐるのは、あまりに寂しい。

 寂しいせんりやうの五つの実の一つが、音もなくこぼれて私の足もとに落ちた。
[#改丁]



 ラボツクは蟻の研究で聞えた人だが、ある時一匹の蟻をウイスキの洋盃に放り込んで、したたか酒に酔はせたものだ。
 仲間の蟻が、五六匹そこへ遣つて来た。そして喰べ酔つた友達を見つけると、こんな不心得者を自分の巣から出したのをぢるやうに、何かひそひそ合図でもしてゐるらしかつた。
 暫くすると、仲間は各自に酔ひどれを銜へて巣のなかへ引張り込み、丁寧に寝かしてやつた。酔が醒めると、件の蟻はこそこそと這ひ出して、直にいつもの仕事にとりかかつた。
 一度他の巣の蟻が、この酔ひどれを見つけた事があつたが、その折は少しの容捨もしないで、いきなり相手を銜へて、水溜りのなかに投り込んでしまつた。
 人間にも、女中や下男の厄介になつて暮すやくざな輩があるやうに、蟻にも奴隷を置いて、その世話になつてゐるのがある。巣を拵へ、食物を集めるに、奴隷の手を藉りるばかりでなく、どんな食物があつても、奴隷の手でそれを食べさせて貰はなければ何うにも出来ないので、奴隷の機嫌でも損じると、餓死するより仕方がない。
 人間が牛や馬を養つてゐるやうに、蟻もまた家畜を飼つてゐる。――といふと、何から何まで蟻は人間と同じやうだが、蟻には人間のやうな懶惰者なまけものがゐない。のみならず、女を大事にする事さへも知つてゐる。何といふ結構な道徳であらう、女は陶器皿と一緒で、同じ事なら大事に取扱つた方がよいのだ。
[#改丁]

富士山のやうに



 北米の文豪マアク・トヱンが、いつだつたか、今はなき墺太利帝国の皇帝フランツ・ヨセフに謁見した事があつた。その折ある新聞記者がトヱンを訪ねて、謁見の模様を訊くと、皮肉屋の彼はにやにや笑つて、
「さればさ、お目に懸つたら、こんなにも申上げようと思つて、十八語ばかりで立派な御挨拶を拵へて、さて御殿に上つてみると、皇帝は非常に鄭重なお言葉で、色々御物語があるぢやないか。お蔭で十八語の用意はすつかり役に立たなくなつて、つい例のお喋舌をして退けた。なに、その十八語はどう言ふのだつて? そんな事を今まで記憶えて居て溜るものかい。」
 と、言つたさうだ。
 最近日本を訪問したある外国の文豪は、日本へ来る迄には、日本人に会つたらこんな事も言はうと、腹のなかで立派な挨拶を用意してゐたらしかつた。ところが、日本の土を踏んで、数々の日本人に会つてゐるうちに、ついその挨拶を忘れてしまつて、いつでも、
「富士の山のやうにあれ。」
 と、いふ事に定めてしまつた。
 富士の山は御覧の通り結構な山だ。結構な山には相違ないが、
「富士の山のやうにあれ。」
 と、いふのは、「阿父おやぢのやうにあれ」とか、「阿母おふくろのやうにあれ」とか、いふのとは違つて、少しぼんやりし過ぎてゐる。そのぼんやりし過ぎた事をいつたのは、その文豪の賢いところで、彼は日本の阿父や阿母が、余り理想的で無い事をよく知つてゐるのだ。





底本:「独楽園」ウェッジ文庫、ウェッジ
   2009(平成21)年12月28日第1刷発行
底本の親本:「独楽園」創元社
   1934(昭和9)年発行
入力:kompass
校正:美濃笠吾
2011年7月24日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について

「山/大/土」、U+5CDA    73-4
「冖/一/豕」、U+51A1    76-14
「(卯/貝)+おおざと」、U+912E    131-10


●図書カード