人面瘡物語

田中貢太郎




 谷崎潤一郎氏に人面疽じんめんそのことを書いた物語がある。其の原稿はある機会から私の手に入って今に保存されているが、何んでも活動写真の映画にあらわれた女のことに就いて叙述したもので、文学的にはさして意味のあるものでもないが、材料が頗る珍奇であるから、これは何か粉本があるだろうと思って、それとなく注意しているうち、諸国物語を書くことになって種々の随筆をあさっていると、忽ちそれと思われる記録に行き当った。それは怪霊雑記にある話で、幸若舞の家元になった幸若八郎と云うのが、京都へ登って往く途中、木曽路で出会った出来事であった。
 木曽の谷には秋が深かった。八郎を乗せた馬は傾斜の緩い石高道を登っていた。路の右側は深い深い渓川になって遙の底の方で水の音がしていた。もう八つさがりで、たにの向側の山脈は冷たい斜陽ゆうひを帯びて錦繍の地を織っていた。薬研の内側のようになって両方に聳えた山々は、屏風を立てたように碧い空を支えていた。
 秋風が近い木の葉をばらばらと云わせて吹いた。其の風は渓の中へ吹きおりて水の音を押え塞ぐ[#「押え塞ぐ」は底本では「押へ塞ぐ」]ようにした。来る路では鹿の声を聞いた処もあった。八郎は馬子と話し話し四辺あたりの眺望に眼をやっていた。
 路は小さな峠の上へ来た。右側の峰から生え続いた杉の林が路の傍まで来ていた。其処は峰の処だけ陽の光があって中腹から麓にかけては陰になっていた。麓の杉の樹は青黒く冷たく見えた。
 かるさんを穿いた男が林の下から出て来て、ちょっと立ち止って旅人の姿を見ていたが、それが如何にもじぶんの待ってる人でもあるかのようにして、急ぎ足に八郎の傍へ寄って来た。
「もし、もし、貴客あなた様は、もしか幸若八郎様とおっしゃりはしますまいか」
 八郎は己の名を云われて驚いた。
「如何にも私は幸若だが、お前さんは」
「やれ、やれ、それでは幸若先生でございましたか、昨日から此処で、貴客様の御出ましになるのを待っておりましたじゃ」
 八郎は不審でたまらなかった。彼は浅黄の半合羽を着た右の手を竹子笠の縁にかけたなりで対手の男の顔を見つめていた。
「こんなことを申しますと、貴客様は御不審におもわれましょうが、私の主人が長年のわずらいでございまして、主人と申しますのは、さる藩中でも人に知られた武士でございましたが、得体の知れない病になり、禄を辞退して此の森陰に隠れてから、彼れ是れ二十年にもなります、今はもう痩せ衰えて、明日も判らない御体でございますが、折好く貴客様が此処を御通りになることを聞いて、今生の思出に、舞の一手を御願い申したいと、私奴に云いつけて、貴客様の御出ましになるのを伺っておりました。御迷惑でも今夜は当方に御泊りなされて、主人の願いを御聞き届けくださいますように」
 八郎は不安に思わぬでもなかったが、立派な武士の病人が今生の頼みと聞いては、往ってやらないわけにもゆかなかった。
「それでは、とにかくまいりましょう」
 八郎は馬からおりて約束の賃銀を馬子に払い、かるさんの男に跟いて往った。

 微暗い杉林の下を通って、十丁ばかり往ったかと思うと谷の窪地に出た。小さな流れが脚下を流れてそれに土橋が架っていた。橋のむこうに鼠色の巌が聳えていた。かるさんの男は其の土橋を渡って八郎を導いた。
 草葺の家が巌の陰にあった。入口には枯枝の菱垣をしてあった。葉の赤くなった蔦葛がそれに絡まっていた。かるさんの男は其の門口から入って往った。
 竹縁をつけた入口の処に二人の家臣が袴を穿いて坐っていた。
「旦那様が御待ち兼ねの御客様を、お供申してまいりました」
 と、かるさんの男が八郎を顧みると、二人は恭しくおじぎをして、
「御苦労に存じます、どうぞ、ずっとお通りくださいますように」
 八郎は草鞋の紐を解いて竹縁をあがった。かるさんの男はもういなかった。二人の家臣は八郎のさきに立って往った。入口のかかりと違って、内は広い青畳を敷いた室で、壁際には、刀、槍、弓の類を架け並べてあった。室の中には三人五人と云ったように、数多の人が坐って八郎の通るのを見ていた。
 広い室を三間ばかり通りぬけたところで竹縁のついた縁側へ出た。木立の寂のある庭があって其の前に離屋はなれになった小さな草葺の簷が見えた。其処には遣水があってそれが木立の間から出て飛石を横切り、そして、また木立の中に隠れていた。家臣は庭へおりて庭下駄を穿いた。
「どうか此方へ」
 八郎も続いて庭下駄を穿いて飛石を伝って往った。陽が落ちて寒い風が吹いていた。家臣は離屋の縁側に近づくと小腰を屈めるようにした。
「申しあげます、御待ち兼ねの御客様が御見えになりましてございます」
 障子の内にしわぶく声がした。
「此方へおとおし申してくれ」
 家臣は縁側に躪りあがって障子を左右に開けた。茶座敷風にした狭い室の中に、痩せた色の青黄ろい頭髪かみを長く延ばした男が、炬燵のようなものに倚りかかっていた。年比は五十前後であろう。八郎は一眼見てこれが得体の知れない病気に罹っている武士の病人だなと思った。病人も八郎を見ると淋しそうな笑顔をして見せた。
「ようこそおいでくだされた、さあ、ずっと此方へ」
 力ない声であったが、何処かに争われない気品があった。八郎は静にへやの端へあがった。
「これは御初にお目にかかります、承わりますれば、永の御病気とのことでございますが……」
「二十年来の患いで、見らるるとおり衰え果てて、世にあるのも今年ばかりと覚悟したところで、其処許が都に登らるる風聞があったから、舞の一手を所望して、此の世の思出にしたいと、家の者をして御願いした次第だが、御出でくだされてかたじけない」
「未熟な私奴の芸を、それほどまでに御所望くださいまして、ありがとうございます、して貴君様の御病気とは、どんな御病気でございますか、おさしつかえがなければ、知らして戴きとうございます」
「こうして御厄介をかけるうえは、拙者の身のうえも、病気の原因も打ち開ける所存でござるが、まあまあ、其処許がゆっくり準備したくを済ましてからにしよう」
 と、云って病人は家臣の方を見た。
「客人に御馳走申せ」

 八郎は家臣に伴れられて母屋へ引返し、其処で酒の饗応ちそうになって再び離屋へ送られた。離屋では病人が短檠の灯に照らされて寂莫としていた。
「今日は思いがけない饗応ごちそうに預りまして、ありがとうございます」
 八郎が酒にほてった顔を見せると、病人は心持ち好さそうにして、
「見らるるとおりの山家でござるから、何も客人の御口に叶うものが無くて気の毒じゃ」と、云って傍にいる家臣に注意するようにして、「では、これから拙者の身のうえを話して聞かそうほどに、皆の者は遠慮するが好い」
 八郎を送って来ていた二人の家臣は室を出て往った。病人はそれを見ると体をちょっと動かして微笑した。病人は夜着のようなものを羽織っていた。
「拙者の名と藩の名とは、聞いてくださるな、また聞いたとて、其処許には興味も何も無いことじゃから、それは聞いてくださるな、名が欲しければ、山中猿右衛門とでも、鹿五郎とでも、其処は其処許の想像に任するじゃて」と、病人はまた微笑して、「其の時は、拙者も二十歳ばかりで、家には祖先の手柄によって頂戴している高禄があり、それに主君の覚えも目出度いと云うので、同家中の者からは、羨まれる地位みぶんでござったが、前世の約束ごととでも云おうか、ふと、我家の召使に眼がつくようになったのじゃ、それは何でも非番の日で、拙者は終日じぶんの居間で、草双紙などを読んでいた。それが面白いものだから、夕飯の後で其の読み続きを読んでいたように覚えておる。夏のことで、夕月が射して、庭の泉水では蛙が啼いていた、拙者は何時の間にか庭におりて、そこらあたりを逍遙そぞろあるきしておって、何の気なしに、ふと己の居間のほうを見ると、壮い※(「女+朱」、第3水準1-15-80)きれい女子おなごがいて、寝床の蚊帳を釣っておる、其の繊細きゃしゃな白い手が、行灯の光に浮彫のようになって見えると、拙者は夢のような気になって、ふらふらと居間へあがって往ったのじゃ、其の女子は数日前に雇入れた召使であったが、拙者にはまだきまった妻もなかったから、其の夜から其の女子おなごを可愛がるようになったが、拙者は其のことを直ぐ後悔するようになった。と、申すのは、女子は嫉妬の深い性質たちで、拙者が他の召使にことばでもかけるようなことがあると、怨み妬んで泣き叫ぶところから、其のことが何時しか邸中に知れわたって、代だい邸へ仕えている老人としより達にも、心配をかけるようになり、思い切って女子を遠ざけようとすると、女子は狂人きちがいのようになって、如何なることもしでかさん権幕に、しかたなくなだめすかしているうち、拙者が病気に罹り、床に就くようになると、女子は夜も昼も枕頭に来て、怨み怒って、おっちりとも睡らせない、拙者も忌いましくなって、腹が立ってひとひしぎにとりひしいでやりたいと思っていると、女子はまた拙者の傍へ来て、襟元に手をかけて怨みごとを始めたので、拙者は病気のことも忘れて、女子を突きのけて起ちあがり、枕頭の扇子で三つ四つ打ち据えると、女子はたけ[#「女+早」、131-下-22]り狂うて拙者の袂に武者ぶりつき、
『それほどにくいなら殺してくだされ、さあ殺せ、殺してくれ』
 と云うので、拙者も若気の一徹、
『よし、それほど殺してもらいたいなら、望みどおりに殺してやる』
 と、云って刀架の刀を抜く手も見せずに打ちおろすと、女子の首は前に飛んだが、それが落ちた処を見ると、顔を拙者の方へ向けて、生きておる時のようににっと笑っておるではないか、拙者は殺した者が笑うはずはない、これは気の迷いじゃと思うて、きっと心を沈めて見直したが、それでもやっぱり女子の顔は笑うておる」
 八郎は背に悪寒を覚えた。彼は短檠の光がしめったように思った。
「拙者も夢の覚めたような気になって、女子を殺したのを後悔したが、もうとり返しがつかないので、老人としより達と相談して、其の日の中に葬送をすませたが、夜になると発熱して、股のあたりに非常な痛みを覚えたので、見ると一つの腫物が出来ていて、それが見るうちに大きくなり、奇怪な形のものとなったので、初めて医薬を塗り、祈祷もしたが、それでもすこしの印が無いところから、刃物で削り、灸でも焼き捨てようとしたが、後から後からと元のとおりの形になって、どうしても除くことができない、しかたなく不治の病気を云いたてに、此処に隠れてもう二十余年になるが、これがために心身も疲れ果てて、せめて其処許の一曲を所望して、心置きなく往生したい存念から、不躾ながら御出でをおねがいした次第でござる」
 と、病人は淋しそうに八郎の顔を見た。八郎の眼には涙が湧いていた。
「未熟な芸を御所望とならば、今宵は朝まで御覧に入れましょう」
 八郎は其の夜終夜病人の前で幸若舞を舞うて見せた。病人は嬉しそうにそれを眺めていた。六七人の家臣も其の座に連って主人の悦ぶ顔を見てこれも悦んでいた。そして、八郎が舞うて舞うて舞いくたびれたところで夜が明け放れた。
「大儀であった、これで二十年来の胸が晴ばれした、もう何も思いのこすことはない」
 病人は八郎に感謝してから家臣の方を向いて、
「皆彼方へ往って、客人を饗応もてな準備したくをするが好い、客人にはそれまでに、ちょっと御目にかけるものがある」
 家臣が出て往くと病人はまた八郎に向って云った。
「食事が済めば、ゆっくり休息して出発してくだされ、家の者に申しつけて、何処までも送らせる」
 其の後で病人は膝を躪らして炬燵を離れ、かけていた夜着を後に放ねて、
「御覧くだされ、宵に御話し申した腫物と云うものを」
 と云って、右の膝にかけたきものを捲って股のあたりを露わした。祈祷でも医薬でも、削り捨てても灸で焼き切ろうとしても、どうしても消えないと云う腫物に好奇心を動かしている八郎は、じっと眼を据えて其の内股に注意した。面長な細面の黄色な女の顔が、膝の方を頭にして画かれたように生々と映っていた。
「よく御覧くだされ、これが拙者が殺した女子おなごの顔でござる」
 病人は冷かに云って八郎の方を見た。八郎は呼吸いきをつめるようにしてじっとしていた。
「其処許も後学のために、奇体な腫物を覚えていてくだされ」
 八郎は黙っておじぎをした。

 朝飯の饗応ちそうになって一休みした八郎が出発しようとすると、病人は家来の一人に唐渡の香箱と硯を持って来さして、それを八郎の前へ出した。
「これは疎末なものでござるが、記念かたみと思うて収めてくだされ」
 八郎はそれをもらって十余人の家人に見送られ、都へ向って出発したが、奇怪な腫物の病人に心残りがして、帰路かえりにも立ち寄って今一度逢って見たいと思っていたが、止むを得ない事情で東海道を帰ったために、遂に再び其の病人を見る機会がなかった。





底本:「日本怪談全集 ※(ローマ数字2、1-13-22)」桃源社
   1974(昭和49)年7月5日発行
   1975(昭和50)年7月25日2刷
底本の親本:「日本怪談全集」改造社
   1934(昭和9)年
入力:Hiroshi_O
校正:大野裕
2012年9月25日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について

「女+早」    131-下-22


●図書カード