平山婆

田中貢太郎




 福岡県嘉穂かほ漆生うるう村に平山と云う処があって、そこに坑夫の一家が住んでいた。家族は坑夫の息子夫婦とその両親の四人であった。
 明治末季ごろ、その両親夫婦、すなわちお爺さんとお婆さんが、ちょっとした病気でわずかの間に死んでしまった。ところで、その爺さんと婆さんが死んでから間もない時のこと、そこの息子の細君が何かの用事で壁厨おしいれを開けたが、開けるなり、
「わ」
 と云って外へ飛び出した。庭では息子が薪を割っていた。息子はその声に驚いて、
「何だ、どうしたのだ」
 と云って聞いたが、細君は真蒼まっさおな顔をしてふるえているばかりで何も云わなかった。そこで息子が又聞いた。
「おい、どうしたのだ、何かあったのか」
「お爺さんとお婆さんがおった」
 と云って、細君は家の中を恐ろしそうに見た。息子はばかばかしかった。
「ばかだなあ、死んでしまった者が、どうしておる、神経だよ」
「神経じゃないよ、ほんとだよ、嘘と思や往って見るがいい」
「ばかだなあ、今の世に、そんな事があるものか」
「だって、ほんとだよ、往ってみるがいい」
 細君の物脅えの顔色が治まらないので、息子はとうとう上へあがって、細君の締め残してあった壁厨おしいれの襖を開けた。壁厨の中にはお爺さんとお婆さんが並んで、行儀よく坐っていた。息子もそれにはぎょっとしたが、家長として責任があった。
「何か云いたいことがあるかね、あるなら云ってもらおう、そんなことをせられては、みっともない」
 と云うと二人の姿はぱっと消えてしまった。
 夜になって細君が蒲団を出そうと思って壁厨を開けた。壁厨の中には昼間のとおりにお爺さんとお婆さんが坐っていた。細君は夫が傍にいるので気が強かった。
「そんなに、何時いつも出てどうします、困るじゃありませんか」
 細君は二人にかまわずさっさと蒲団を出そうとした。すると二人の姿は消えてしまった。
 朝になって細君が蒲団をしまおうとしてその壁厨を開けると、また二人がその中に坐っていた。
 それから昼でも夜でも、壁厨を開けさえすれば、二人の坐っている姿が見えたが、ただ坐っているばかりで何もしなかった。この壁厨の怪異は、やがて村中の評判になり、村の人はそれを平山婆ひらやまばばと呼んだ。
 平山婆の噂があまり高くなったので、息子夫婦はそこにいられなくなって、別の炭坑地へ引越したが、そこにも爺さんと婆さんがやはり壁厨の中に姿を見せるので、又別の家へ移ったが、そこへも爺さんと婆さんはいて来た。





底本:「伝奇ノ匣6 田中貢太郎日本怪談事典」学研M文庫、学習研究社
   2003(平成15)年10月22日初版発行
底本の親本:「新怪談集 実話篇」改造社
   1938(昭和13)年
入力:Hiroshi_O
校正:noriko saito
2010年10月20日作成
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