第一
かなしきものは秋なれど、また心地好きものも秋なるべし。春は俗を狂せしむるに
宜れど、秋の士を高うするに
如かず。花の人を酔はしむると月の人を
清ましむるとは、
自から
味を異にするものあり。喜楽の中に人間の五情を没了するは世俗の免かるゝ
能はざるところながら、われは万木
凋落の期に当りて、静かに物象を察するの快なるを撰ぶなり。
第二
希望は人を欺き易きものぞ。
今年の盛夏、鎌倉に遊びて居ること
僅かに二日、思へらく此秋こそは
爰に来りて、よろづの秋の悲しきを味ひ得んと。図らざりき身事忙促として、空しく中秋の好時節を紅塵万丈の
裡に過さんとは。
然れども秋は鎌倉に限るにあらず、人間到るところに詩界の秋あり。欺き易き希望を
駕御するの道は、
斯にこそあれ。
第三
我庵も
亦た秋の
光景には
洩ざりける。
咽なきやぶるばかりのひよどりの声々、高き梢に聞ゆるに、

を開きてそこかこゝかとうち見れば、そこにもあらず、こゝにもあらず、

を閉ぢて書を
披けば一層高く聞ゆめり。鳥の声ぞと聞けば鳥の声なり、秋の声ぞと聞けば、おもしろさ読書の
類にあらず。
第四
病みて他郷にある人の身の上を気遣ふは、人も我もかはらじ、
左れど我は常に
健全なる人のたま/\床に臥すを祝せんとはするなり。病なき人の道に入ることの
難きは、富めるものゝ道に入り難きに
比しからむ。世には
躰健かなるが為に心健かならざるもの多ければ、常に健やかなるものゝ十日二十日病床に臥すは、左まで恨むべき事にあらず、
況してこの秋の
物色に対して、命運を学ぶにこよなき
便あるをや。
斯く我は
真意を以て
微恙ある友に書き
遣れり。
第五
萩薄我が庭に生ふれど、我は在来の詩人の如く是等の草花を珍重すること能はず。我は荒漠たる原野に名も知れぬ花を
愛づるの心あれども、園芸の
些技にて
造詣したる
矮少なる自然の美を、左程にうれしと思ふ情なし。左は言へど敢て在来の詩人を責むるにもあらず、又た自己の愛するところを言はんとにもあらず、唯だ我が秋に対する感の
一として記するのみ。
第六
鴉こそをかしきものなれ。わが山庵の窓近く
下り立ちて、我をながし目に見やりたるのち、追へども去らず、叱すれども驚かず、やゝともすれば脚を立て首を揚げて飛去らんとする景色は見すれど、わが害心なきを知ればにや、たゞちよろ/\と歩むのみ。浮世は広ければ、
斯る
曲物を置きたりとて何の
障りにもなるまじけれど、その
芥ある処に集り、
穢物あるところに群がるの性あるを見ては、人間の往々之に類するもの多きを想ひ至りて
聊か
心悪くなりたれば、物を
抛ぐる真似しけるに、
忽ちに飛去りぬ。飛去る時かあ、かあ、と鳴く声は我が局量を嘲る者の如し。実に皮肉家と云ふもの、文界のみにはあらざりけり。
第七
夜更けて枕の未だ安まらぬ時
蟋蟀の声を聞くは、
真の秋の
情なりけむ。その声を聞く時に、希望もなく、失望もなく、恐怖もなく、
欣楽もなし。世の心全く失せて、秋のみ胸に充つるなり。松虫鈴虫のみ秋を語るにあらず。古書古文のみ物の理を我に教ふるにあらず。一蟋蟀の為に我は眠を惜まれて、物思ひなき心に
思を宿しけり。
第八
芭蕉の葉色、秋風を笑ひて
籬を
蓋へる微かなる
住家より、ゆかしき
音の洩れきこゆるに、仇心浮きて
其が
中を
覗ひ見れば、年老いたる盲女の琵琶を弾ずる面影
凛乎として、俗世の物ならず。その律調の端正なること、今の世の浮華なる音楽に較ぶべからず。うれしき事に思ひぬ。
第九
紅葉館は我
庵の
後にあり。古風の茶亭とは名のみにて、今の世の浮世才子が高く笑ひ、低く語るの塲所なり。三絃の音耳を離れず、蹈舞の響森を
穿ちて
来る。その音の卑しく、其響の険なるは、幾多世上の趣味家を泣かすに足る者あるべし。紳士の風儀久しく
落て、之を救済するの道未だ開けず。
悲いかな。
第十
わが幻住のほとりに、
情しらぬもの多く住むにやあらむ、わがうつりてより未だ月の数も多からぬに
三度までも猫を捨てたるものあり。一たびは朝早く我机辺に泣くを見出し、
二度目には雨ふりしきる日に垣の外より投入れられぬ。
三度目は我が居らざりし時の事なれば知らず。浮世の辛らきは人の上のみにあらずと覚えたり。
第十一
今の世の俳諧士は憐れむべきものなるかな。我
庵を隔つること
杜ひとつ、名宗匠
其角堂永機住めり、一日人に誘はれて訪ひ行きつ、閑談
稍久しき後、彼の導くまゝに家の
中あちこちと見物しけるが、華美を尽すといふ程にはあらねど、よろづ
数奇を備へて粋士の住家とは
何人も見誤らぬべし。間数も不足なき程にあれば何をか
喞つべきと思ふなるに、俳翁
頻りに其
狭陋なるをつぶやきて止まず。一向に心得ねば、笑つて翁に言ひけるやう、御先祖其角の住家より狭しと思すにやと。俳士をして俗に
媚ぶるの止むを得ざるに至らしめたるものあるは、余と
雖之を知らぬにあらねど、高達の士の俗世に立つことの難きに思ひ至りて、黙然たること稍しばしなりし。
(明治二十二年十月)