成層圏飛行と私のメモ

海野十三




 成層圏飛行について、なにか書けという注文である。
 素人しろうとの私に、なにが書けるわけのものでない。が、素人をむき出しにして、専門家のいわないことをのべてみるのも、一興いっきょうであろうと思い、ペンをとりあげた。
 一体、成層圏とは、どんな高さの空で、そこではどんなことが特徴になっているのか、これは素人のわれわれが一番初めに知りたいところである。これについては、何べんか調べて、そのときは憶えているくせに、間もなく忘れてしまう。身につかないことは、仕方のないものである。
 私の調べによって、素人の一等知りたいところをべると、成層圏の高さは、まず海面から測って、十キロメートル以上五十五キロ以下の空中をいうのである。この成層圏の性質は、もちろん、空気は稀薄きはくであり、水蒸気は殆どなく、温度も摂氏せっしの氷点下五十何度という寒冷さにおかれ高層にのぼるほど多少温度が上昇する傾向がある。それから高気圧も低気圧もあらわれず、風はいつもしずかに一定方向に吹いていると云う。
 下から成層圏へのぼっていくと、白昼はくちゅうでもまず十キロのあたりでは、空が暗青色あんせいしょくとなり、それからだんだん暗さを増して、暗紫色となり、二十キロをえるころには黒紫色となり、それ以上は黒灰色になって、われわれが普段見ている晴れた夜空と同じようになる。
 以上が、成層圏についての私の常識である。
 さてこの成層圏を飛行することであるが、なぜこんな高いところをとぶかというと、それは空気の抵抗がすくないため、相当のスピードが経済的に出せるところを狙ったものである。また、低空では、とても出せないようなスピードも、成層圏では比較的楽に出せる。
 そういうわけで、遠距離へとぶときには、一旦いったん成層圏へとびあがって、そこを飛行するのが時間的にも燃料消費の上にも経済である。
 そういうわけなら、大いに成層圏飛行が行われてもいい筈であるが、これがまだあまり行われていないのは、どういうわけであるか。その答は、きわめて簡単である。成層圏飛行は目下研究中に属していて、われわれの目にふれるところまでに発達していない。
 今日各国は、それぞれ秘密裡ひみつりに、この成層圏飛行の研究をすすめているが、ドイツとアメリカが最もさかんのようであり、ソ連でも中々やっているようである。が、われわれの目にふれるものは、成層圏よりも幾分低いところを飛ぶ亜成層圏飛行であるらしい。その高度は六千メートル附近であるらしいから、もう四千メートルぐらい上に、成層圏があるわけである。
 このような亜成層圏飛行でも、やはり右にのべた恩沢おんたくはある程度あるらしい。そこでは、いつも西風が吹いているという。そして、この亜成層圏でも、空中に酸素が少いから、呼吸がかなり困難であり、また前にのべたように、摂氏の氷点下五十何度とか、ところによると八十何度のところもあるので、この寒さにもたねばならず、それぞれ特別の用意が必要となる。
 酸素問題は、酸素のボンベをもっていって、いよいよ苦しくなったら、せんをひらき、酸素をゴムかんで出し、それを口にくわえるとか鼻にあてるとかする。しかしもっといいのは、搭乗者の座席を、空気のれない、いわゆる気密室にして置き、ちょうど潜航中の潜水艦内に於けると同じような空気清浄装置や酸素放出器などをそなえることだ。気密室にすることは、本当の成層圏飛行となれば、いよいよ必要のものであるから、亜成層圏飛行にもつけておくのがいいことは分っているが、ただ問題は、気密にするのはいいが、そのためにいろいろの器械を持ちこまなければならないので、飛行機がだんだん複雑大仕掛のものとなる。
 寒さをしのぐ方は、軍用機その他でも既にやっていることだから、さまでむつかしい問題ではない。しかし、短時間の戦闘や偵察のときとはちがい、遠距離へ飛ぶこととなれば、長時間寒冷の中を行くこととて、保温装置も大仕掛にしておく必要がある。
 さて、話の方向をかえ、成層圏飛行の研究はなぜ大切かという問題であるが、これはまず第一に、前にも述べたように、遠距離飛行には、成層圏を飛ぶのがいいことは、よく分る。太平洋を越えるのに、今日ではいくら早く飛行艇で行っても、二日とか三日とかかかるが、これを理想的に完成された成層圏機でもって成層圏飛行をすると、一、二時間でいけるというような時代が来るのではあるまいか。いや、この時間は、もっと短縮できるかもしれない。
 しかし、成層圏飛行の研究の目標は、やがてわれわれ人類が、はるかに月に飛行し、火星に飛行するための前提ぜんていとして、宇宙飛行の技術を完成することにあるのだと云ってよろしいと思う。別言すると、成層圏飛行は、やがて宇宙飛行にまで発展するであろう。そしてわれわれ人類は、既に宇宙飛行の技術習得に手をめたのだとも云えると思う。そしてこれと並行して、新動力の研究が完成すると、われわれ人類は、どんどん宇宙飛行に出かけるであろう。そういう時代になったら、火星と地球との間を、一週間で往復することが出来るかもしれないし、それとともに、大宇宙にむ他の高等生物とめぐり合って、奇妙な交際が始まるかもしれない。そういう未来を考えると、われわれは、飛行技術といわず、あらゆる科学について、どんなに馬力ばりきをかけ金をかけて研究を急いでも、決して早すぎる、やりすぎる、ということはないのである。
 次に話は、また現在に逆もどりするが、飛行機の無電操縦が既に可能なる今日、多数の爆弾を抱いて無人の成層圏機の大群たいぐんを無電操縦で敵国てきこくめがけて飛ばし、無人であるがゆえに、勇猛果敢ゆうもうかかん(?)なる自爆的じばくてき爆撃をやらせることも可能ではないかと思う。それが出来るなら、空襲警報も間に合わないほどの急襲きゅうしゅうをやることが出来、殊に雨夜の空襲をかけると、敵の防空隊の照空灯も届かず、聴音機も間に合わず、従って高射砲で狙い撃つ方法もなく、大いに戦果をあげることが出来ようと思う。が、これも例の素人考えである。





底本:「海野十三全集 別巻1 評論・ノンフィクション」三一書房
   1991(平成3)年10月15日第1版第1刷発行
初出:「航空朝日」
   1941(昭和16)年6月号
入力:田中哲郎
校正:土屋隆
2005年6月14日作成
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